靖国神社と愛国心

靖国神社とは戊辰戦争以降、日本のために亡くなられた方を対象に祭神として祀っており、
246万6532柱(平成16年現在)が英霊として祀られている。
その中には、大東亜戦争で日本軍人として戦った2万2128柱の朝鮮人戦死者も祀られており、
戦後の戦勝国による一方的軍事裁判でB級戦犯、
C戦犯として処刑された朝鮮人23名も同じく靖国神社に祀られている。
韓国人などはよくA級戦犯を引き合いに出して、戦犯を祀っている神社に首相をはじめ閣僚など
日本政府・議会などの重要人物が参拝することを強く非難するが、
何より自分たちの先祖もその戦犯であったことを理解していないようである。
もし韓国人が戦犯として処刑された朝鮮人たちを
「日帝によって無理やり軍隊に従事させられたものだ」と主張するのなら、
その強制性を認めなかった軍事裁判自体を否定しなければならない。
また、中国や韓国のみならず日本でも誤解されているA級・B級・C級戦犯の分け方だが、
これはランク分け(罪の軽重をランク分けしたもの)ではなく、カテゴライズされたものに過ぎないのである。
A級戦犯とは、極東国際軍事裁判所条例の第五条A項(日本語訳ではイ項)「平和に対する罪」の分類であり、
分類上A級と呼んでいるに過ぎない。
同じくB級は同条例第五条B項(日本語訳ではロ項)「通例の戦争犯罪」、
C級は同条例第五条C項(日本語訳ではハ項)「人道に対する罪」のそれぞれの分類上の分け方であって
罪の大小ではないのである。
そして、この極東軍事裁判は現在でも「無効論」が叫ばれる問題のある裁判だった。
たとえばA級あるいはC級の戦争犯罪人として裁かれる法的根拠となった「平和に対する罪」や「
じんどうに対する罪」などは、それまでの国際法には存在していない罪であり、
当時A級戦犯の被告を全員無罪としたインドのパール判事
(極東国際軍事裁判の判事の中でただ一人の国際法の専門家)は
「連合国の都合でそれまで存在していない罪を作り国際法を書き換え、
遡及的に適用する権限はない」としているくらいである。
さらに付け加えるなら「戦犯」自体もすでに存在していないのである。
国内的には戦犯に同情的であった当時の世論を背景にして広まった釈放運動の結果、
昭和28年(1953年)8月3日「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が衆議院本会議で決議され
昭和33年(1958年)までにはすべての戦犯が釈放された。
また、戦犯として拘禁中の死者はすべて「公務死(法務死)」として、
戦犯逮捕者は「被拘禁者」としてそれぞれ扱われ、
後に拘禁期間を含めて恩給が本人や遺族に支払われるようになった。
すなわち戦犯は連合国との講和の前に殺された事実上の戦死者と認められているということである。
実際禁錮刑を受けた重光葵は後に外務大臣、終身刑を受けた賀屋興信は後に法務大臣にまでなっており、
社会的にも犯罪者としてみられていなかったことは明らかである。
国外に目を向けるとサンフランシスコ平和条約第十一条において
「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の
他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し…」とあるものの、
その後に定められている所定の手続きに従って前述の釈放が行われているので、
すでに国際的にも「戦犯」は存在しない。
さて、そもそもすでに存在しない「A級戦犯」であるは、
これを祭祀の対象から外した場合、中国などは首相の靖国神社参拝を認めるだろうか。
答えはノーである。
現在にまで続く靖国神社問題の原点となった昭和58年(1983年)の中曽根康弘総理(当時)の参拝に関して、
中国共産党中央委員会の機関紙「人民日報」は同年8月15日付の紙面で
「靖国神社は、これまでの侵略戦争における東条英機を含む千人以上の(戦争)犯罪人を祀っているのだから、
政府の公職にある者が参拝することは、日本軍国主義による侵略戦争の害を深く受けた
アジアの近隣各国と日本人民の感情を傷つけるものだ」とし、
B級・C級を含めすべての「戦犯」について言及している。
つまり祀ってはいけない対象は「A級戦犯」から「B級・C級戦犯」へとどんどん範囲が拡大しかねず、
結局中国や韓国・北朝鮮は靖国神社が消えてなくなるまで干渉を続けるだろうと考えられるのである。
もともと日本には「死ねばみな仏」という宗教的価値観が存在しているが、
これに対して中華文化圏の中国や韓国・北朝鮮では罪人は死んだ後までも鞭打つことが当たり前であり、
恨みの対象はたとえ死んでも墓を暴き遺体をばらばらにして復讐するという、
日本人からすれば目を背けたくなるような蛮習が残っている。
1948年に韓国が独立を果たすと、併合で日本に協力し親日派のレッテルを貼られた者たちの墓を暴き、
遺体をばらばらにするなどの事件が多発している。
こうした中華文化圏の「罪人」には死後も安息は許されないとする価値観は価値観として認めなければならないが、
それと同時に日本のような「死ねばみな仏」という価値観も認めなければならない。これは「心の問題」であり、
それを他国そして他民族がどうこういうことはできないし、
また戦犯を自らも出している韓国人には文句を言う資格はまったくないといえる。
何より、こうした靖国神社などでの朝鮮人戦犯の慰霊は当の韓国人自身がなかったこととして、
今なおまともな慰霊施設を持たず供養されていないことから、
日本側からの「日本に尽くしてくれた朝鮮人へのせめてもの感謝と哀悼を」ということから始まったものである。
日本人、朝鮮人、そして同じく日本のために命をかけて戦ってくれた台湾人への
日本人としての最低限の感謝を尽くした慰霊が靖国神社への合祀であり、
軍国主義復活だなどと毎年軍事費を増大させている中国や徴兵制で国民皆兵主義の韓国などの反日軍国主義国家に
文句を言われる筋合いなどまったくないのである。
そして、最近「A級戦犯の合祀が問題なら、靖国神社からA級戦犯だけ分祀してはどうか?」
という意見が目立って多くなっている。
これは神道の何たるかを知らない者の発想であり、それをマスメディアが堂々と取り上げているあたりに、
神道のことを理解しようともせずにいい加減な主張をしている反日メディアの実態がみえてくるようである。
分祀とは端的にいえば「神様の分身を別の神社で祀ること」であり、
もともとそこに鎮座する神様を別のところに追いやるものではない。
であるから、靖国神社の祭神を分祀する場合も同じく、別の神社の分身(御魂)を移すこと(分け御魂)はできるが、
そもそも鎮座する靖国神社から祭神ご本体を取り除くなどということは絶対にできないのである。
大体、いったん神として祀ったものを都合が悪いからと勝手に移動しようなどということ自体が、
まさに「畏れ」を知らぬというものであり傲慢の極みではないだろうか?
そして、仮にA級戦犯だった方々を靖国神社から取り除いたとしたら、
今度は間違いなくB級戦犯を取り除け、その次はC級戦犯を…と日本に強要してくるだろう。
さらに「首相の靖国神社参拝がけしからん」の次は国務大臣の参拝がけしからん、
その次は国会議員の参拝がけしからん、一般国民の参拝がけしからん、
最終的には靖国参拝を取り壊せとなるのが関の山である。
常に他人に付け入り、次々エスカレートする要求を突きつける中国人や韓国人のやり口を
日本側は理解しなければならない。
ここまで、靖国神社をめぐる中国や韓国との軋轢の原点を振り返ってみたが、
英霊を戦犯だと冒涜する彼らの主張がまったくのデタラメであることが理解できたのではないだろうか。
靖国神社問題とは突き詰めれば中国や韓国による反日イデオロギーの道具であり、
国内反日左翼が反ヤスクニを訴えるのも同じ構図に則ったものである。
あるいは、中国や韓国内の失政から自国民の目を逸らすための政治の道具として使われてきたことも事実であり、
一番の問題は日本国政府が毅然とした態度で彼らの無茶な要求をはねつけなかったことである。
特に大東亜戦争で亡くなった多くの英霊たちは「靖国で会おう」と
仲間たちと誓い合って激しい戦線を戦い抜いてきたという。
「宗教宗派にかかわらず国家のために亡くなった者はすべて等しく靖国神社に祀られる」。
これは国家と国民(兵士)の約束事であり、実際靖国神社には仏教各派はもちろん
キリスト教徒だった戦没兵士も祀られているのである。
国のために命をかけて戦った英霊の御魂に心からの感謝と敬意の念を捧げるのは、
彼らによって命を紡がれ今を生きる我々の義務といえるのではないだろうか。
まして、国家の最高責任者であり陸海空の自衛隊総司令官である内閣総理大臣が靖国神社に参拝することは
当然の責務といえるはずだが、平成18年(2006年)の小泉総理(当時)の参拝以降、
歴代内閣総理大臣の靖国神社参拝は途絶えている。
中国や韓国だけではなく国内左翼勢力によって総理の靖国神社参拝が政治問題化されてしまったせいではあるが、
内政干渉もいいところの外国政府による靖国神社参拝への介入に対して日本政府がまったく反撃できない現状は、
それまで靖国問題に無関心だった若年層の心にある種の灯をともしたといえる。
日本人の心の問題であるはずの靖国神社参拝を中止せよと強要する中国や韓国に対する怒りは、
日本において忘れ去られてきたかにみえた愛国心という価値観を
少なからず国民に芽生えさせる結果となったのである。
そして、その表れとなったのが平成21年8月15日の九段下交差点における、
若年層を中心とした保守系市民たちと「靖国神社をぶっ壊せ」と叫び続けた
反日左翼の熾烈な戦いだったのではないだろうか。
停滞する経済だけではなく、国家観がかつてないほど希薄になり
左傾化著しい日本社会は崩壊の危機にあるといってよい。
靖国神社に起因して若者たちの心にともり始めた愛国心という炎が日本の崩壊を食い止め、
未来を指し示す道標の灯となることを願ってやまないものである。
(日本浸蝕 ―日本人の「敵」が企む亡国のシナリオ― 桜井誠 2010年8月)

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