原武史 宮中祭祀廃止論者

週刊女性 2006年7月11日号
体力的に無理である事と、「祈り」に対する抵抗感がある。
皇后はキリスト教の学校で学んだので儀式的な事は勿論、
宗教的思想にもすんなりなじめているが、皇太子妃はそうではない。

岩波「世界」2009年6月号 
岐路に立つ象徴天皇制
雅子妃は合理的な家庭に育った、シャーマニズムとは相容れない。

女性セブン2009年8月6日号
合理主義精神は祈りに何の意義も見いだせないため、適応障害を起こしても不思議ではないだろう。


■中央公論2005年4月号 
語られていない「宮中祭祀」という鍵
原 宮中祭祀には、大きく分けて大祭と小祭があり、
大祭には天皇夫妻 や皇太子夫妻のほか、皇族や三権の長も出席します。
ただし、宮中三殿に上がらなければならないのは
天皇、皇后と皇太子、皇太子妃までです。それ以外の皇族は三殿には上がらず外で見ている。
秋篠宮夫妻もそうです。
ただ、いままでのお祭りを見ていくと、どうしても皇太子妃だけが出ていないというのが非常に多い。
天皇夫妻や皇太子、秋篠宮夫妻は出席しているのに、皇太子妃だけが欠席している祭祀が目立つのです。

天皇と皇后に比べると、皇太子と皇太子妃には?がかなりある。とりわけ、皇太子妃にはそれが多い。
まず1999年9月の秋季皇霊祭から2000年1月の孝明天皇例祭までは、元始祭を除いて出欠が確認できていない。
2002年4月の神武天皇祭から翌年の神武天皇祭までの1年間も、持統天皇1300年式年祭を除けば不明である。
なお別表には掲げられていないが、2002年12月10日に宮中三殿で行われた
「皇太子皇太子妃ニュージーランド国及びオーストラリア国御訪問につき賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」には、
皇太子は出席したのに対して、皇太子妃は欠席したことが確認されている(『神社新報』2002年12月16・23日号)。
皇太子妃は、同年6月の皇太后死去と、2001年5月の懐妊発表、そして同年12月の内親王出産に伴い、
少なくとも2000年4月から2002年3月までの約2年間は、宮中祭祀に全く出ていない。
また、帯状疱疹で入院する2003年12月以降、今日(2004年10月現在)に至るまでも同様である。
なお、秋篠宮夫妻は別表で掲げたほぼすべての祭祀に出席している。

平成11年から15年までの40回の宮中祭祀について
天皇陛下 7回欠席 (前立腺がん手術のため)
皇后陛下 1回欠席 (実父死去の服喪)  出欠の記載なし 7回
皇太子殿下  1回欠席(ヨルダン訪問中) 出欠の記載なし 14回
皇太子妃殿下  9回欠席         出欠の記載なし 19回 
 はっきりと出席が確認できるのは12回のみ

原 武史氏「アリエス」2004年秋号初出
福田和也氏「文芸春秋」2005年4月号転載分より
雅子妃は、確認できる欠席が、ヨルダン国王の国葬参列・流産による静養・御懐妊・御出産に伴う静養など九回。
その他確認できない回が十九回ある。出席が確認できるのは十二回である。
この出席率の差に、原氏は、天皇御夫妻と皇太子御夫妻の祭祀への思いの違い、ずれを見ているわけである。


宮中祭祀というブラックボックス
対談
原武史
保阪正康


週刊朝日2007年3月9日号
明治学院大 原武史教授が読み解く
皇太子47歳の誕生日会見で浮かび上がった雅子さまの回復が進まぬ本当の理由
記者会見の2問目の回答に原教授は注目「公的な性格のある活動」は「宮中祭祀」と読める。
昨年の皇太子の誕生日会見で「宮中祭祀」を「公務」より後ろに位置づけている。
あれは宮中祭祀のほうが公務より負担が大きいことを認めたようなもの。
つまり、皇太子妃は宮中祭祀には耐えられないというメッセージである。
2004年の「人格否定」後の皇太子の発言でも「伝統やしきたり」が
雅子さまを苦しめる要因のひとつであったと告白している。
宮中祭祀は体調を崩すことになった原因のひとつというよりもっと根が深く解決しがたい問題。
プレッシャーとして皇室独特の文化をあげる。
「血の穢れ」(生理という究極のプライバシーを明かすこと)
それ以上にのしかかってくるのは天皇家に繋がる神話性を信じることができるかどうかというプレッシャー。
合理性を重んじる海外での生活を重ね、外交という現実の世界を生き抜いてきた雅子さまにとって
そうした物語を信じることは簡単ではないだろう。
信じることができなければ、祈ること自体が苦しくなるに違いない。
天皇皇后両陛下は70歳を超えてなお宮中祭祀に精勤されており、
皇太子夫妻との間に横たわる溝がくっきりと見えてくるように思える。
明治、大正、昭和天皇と比較してもいまの天皇の頻繁な礼拝振りは際立っている。
皇后もキリスト教への理解があることから「祈り」の行為をしっかり身に刻んでいる。
天皇、皇后がそこまで宮中祭祀を重んじるのは
「皇太子夫妻が国民に見えやすい公務のあり方により関心を向けている分、
自分たちがしっかりしなければという責任感と、時代の天皇制がきちんと守られていくかどうかという
不安があるからではないでしょうか」
皇太子の今年の誕生日会見の悲壮な決意
「わたくしとしては一日一日を大切にしながら、皇太子としていま行うべき仕事に邁進していく所存です」は、
雅子さまが病気療養のため果たせない役割を少しでも埋めようという意識と無縁ではないだろう。
皇太子自身は宮中祭祀には出ているが、天皇皇后秋篠宮夫妻には「雅子さまの不在」が印象づけられるだろう。
天皇家における「祈り」の行為、つまり宮中祭祀を雅子さまが受け入れられるようにならない限り、問題は解決しない。
だからこそ、皇太子は「宮中祭祀改革」の構想をひそかに温めているのではないか。
女性により負担のかかる妻子を簡略化するか廃止するかすれば、雅子様を救うことができる。
同時に、いまは棚上げになっている皇室典範改正論に再び火がついて
女性・女系天皇が認められるようになったとしても、愛子さまへの負荷は取り除けるというわけだ。
「それは新しい皇室の形であると同時に、天皇制の根幹を揺さぶる挑戦にもなるでしょうが、
荒唐無稽な話というわけではありません。
そもそもいまの宮中祭祀は明治天皇になってから生まれたものが多く
いわば『つくられた伝統』なのですから」明治より前の時代に戻ると考えれば不自然とはいえない。
昭和天皇が人間宣言によって象徴となった戦後、天皇制は質的な転換を遂げたと思われているものの、
実際には宮中祭祀は温存され戦後の天皇家の神秘性は保たれてきたのだという。
皇太子は47歳の会見では宮中祭祀に直接触れることはなかった。
「本当は、そこに皇太子妃が苦しんでいる本質があると知って欲しい。
でも、それが明らかになれば『回復は永遠に絶望的』と言うに等しくなる。
だから<公的な性格のある活動>という表現をとったのではないでしょうか」


諸君!2008年7月号 平成皇室二十年の光と影
「提言 われらの天皇家、かくあれかし」 より
宮中祭祀の見直しを 原武史 (明治学院大学教授)
…「お濠の外側」では、急速に都市化が進み、農耕儀礼が廃れてゆくのに、
「お濠の内側」では相変わらず宮中祭祀を続けている。
首都圏で手つかずの自然が、東京の中心部にしか残されなくなるという逆説は、
このギャップを鮮やかに示すものとなった。それでも、戦前に生まれ、59年に結婚した現天皇夫妻の世代までは、
日本がまだ農業国だった時代の記憶が濃厚に共有され、村落の氏神で行われる祭りを通して、
新嘗祭のような宮中祭祀が行われることの深い意味を、おのずから感得することができた。
ところが、それ以降の世代になると、11月23日は「勤労感謝の日」となり、
その日に宮中で新嘗祭が行われているという事実自体を知らなくなる。
高度成長期に当たる60年代に生まれた現皇太子夫妻の世代がまさにそうである。
言うまでもなく、今日の日本はこうした世代が多数派を占めている。
昭和から平成になり、皇室で顕在化した問題の多くは、ここから生じているのではないか。
「お濠の内側」と「お濠の外側」のギャップは、
いまやかつてないほど大きくなっている。全く土着的なにおいのしない東急沿線の高級住宅地で育ち、
田園調布のカトリック系の私立学校に通った雅子妃が、
2003年9月以来、宮中祭祀に全く出られなくなり、適応障害と診断されたのは、ある意味で当然のことであった。
…おそらく、道は二つしかない。「外側」を「内側」に合わせるか、「内側」を「外側」に合わせるかである。
前者の場合は、都市を解体し、農村をよみがえらせ、村々の祭りを復活させなければならない。
そして勤労感謝の日を新嘗祭に、春分の日や秋分の日を春季皇霊祭や秋季皇霊祭に改めるとともに、
天皇や皇族がその日に祭祀を行っていることを国民に周知徹底させなければならない。
後者の場合は、日本社会の現状にかんがみ、宮中祭祀のあり方を見直さなければならない。
より具体的に言えば、もはや社会の現実から完全に遊離した宮中祭祀をやめるとともに
「瑞穂の国」のイデオロギーに代わる新たなイデオロギーを構築することを検討しなければならない。 …