皇室関係者 秋篠宮家と皇太子一家の見られ方の差を懸念する

皇室関係者 秋篠宮家と皇太子一家の見られ方の差を懸念する
2014.08.29 07:00
終戦記念日翌日の8月16日、京王プラザホテルで催された対馬丸事件の犠牲者を追悼するための
「学童疎開船を語り継ぐつどい2014」に、秋篠宮一家の姿があった。
眞子内親王、佳子内親王、そして悠仁親王を伴う一家揃っての式典出席は各メディアで大きく報じられた。
対馬丸事件とは、学童疎開船・対馬丸が1944年8月22日、沖縄から九州に疎開する学童らを乗せて航行中、
米潜水艦の魚雷を受けて沈没、約1500人が死亡した出来事で、今年は70年の節目にあたる。
秋篠宮家の対馬丸慰霊のつどいへの出席について皇室ジャーナリストの松崎敏弥氏はこう話す。
「陛下のお気持ちを時代を超えて継承していくという秋篠宮さまのメッセージが込められています。
眞子さま、佳子さまだけでなく、まだ小さい悠仁さまをお連れしたのは、
陛下が少年時代に対馬丸事件に心を痛めたのと同じ体験を悠仁さまにさせることで、
“陛下の平和への思いを、私もまた子供へと受け継いでいきます”というお気持ちを示されたのでしょう」
しかし、この秋篠宮の式典出席が、皇太子一家の静養中というタイミングと重なったことが
宮内庁関係者の間で「秋篠宮家のご活動ばかりが目立ってしまうのではないか」と懸念されたという。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏はこう語る。
「秋篠宮さまは純粋に陛下を手助けしたいというお気持ちだと思います。
ご高齢である陛下を支え、助けていくのは当然のこと。皇位継承者を見れば、皇太子さま、秋篠宮さま、
悠仁さま、常陸宮さま、三笠宮さまの5人しかいない。常陸宮さまと三笠宮さまはご高齢で、
皇太子さまは6月にポリープ手術を受けて経過観察中です。
成年皇族4人のうち一番元気なのが自分だと受け止めておられると思います」
同じ8月16日、皇太子一家は静養先の須崎御用邸で過ごしていた。
「ご静養中の1週間、愛子さまは毎日のように、朝から晩まで海水浴を楽しまれたようです。雅子さまも
伊勢神宮参拝を終えられホッとされたのでしょう、晴れやかな笑顔でいらっしゃいました」(皇室担当記者)
皇太子一家はここ数年の夏休みには約3週間の静養をとり、須崎と那須の御用邸で過ごすのが恒例となっている。
「例年、東宮ご一家は変わらない夏休みを過ごされています。今年も那須御用邸に向かわれる予定でしたが、
今回は広島の土砂災害のため日程を見合わせた」(宮内庁関係者)
そうした皇太子一家の過ごし方に疑問が投げかけられることもここ数年の“恒例”となっていた。
東宮職関係者が語る。
「雅子さまの体調もあり、一家でのご公務が難しい状況の中、静養の前にはインターハイ観戦など、
できる限りの公務をこなされてきた。ところが、その後に長期ご静養に入られると、
静養をとるためにご公務を果たされているかのように取られてしまう」
批判も覚悟で皇太子は静養を重んじているのだと見るのはベテラン皇室記者だ。
「皇太子さまがまず家族を大切にされるという姿勢は批判されるものではないでしょう。
雅子妃がご病気になられてからの10年を振り返れば、無理して公務をされた後に症状が悪化するという
繰り返しでした。ご静養の大切さは皇太子さまが一番よく理解されていると思います。
終戦記念日の8月15日にはご一家で黙祷を捧げられた。
皇族として大切なことをお忘れになっているわけではありません」
前出・松崎氏はこういう。
「皇太子さまも対馬丸事件や沖縄の歴史について両陛下の思いを継いでいこうというお気持ちは
強くお持ちでしょう。しかし、今年は愛子さまが中等科へ進学された節目の年で、
当初は遅刻や欠席などなじまれるのにも苦労されていた。
気持ちをリフレッシュさせてあげたいという思いもあったのでしょう」
※週刊ポスト2014年9月5日号
http://www.news-postseven.com/archives/20140829_272941.html


週刊ポスト2014年2014年9月5日号
平成皇室「すれ違いの夏」に吹く秋風
皇太子は私的静養、秋篠宮は対馬丸慰霊、そして天皇陛下は1万2000ページの「昭和天皇実録」と向き合う

「皇室の方々は公務を通じて皇室の役割や在り方を国民に伝えていますが、静養の過ごし方など
ごく私的な時間での振る舞いの中にも、そうしたメッセージが込められていると思います」
1970年代から皇室取材を重ねてきたベテランジャーナリストの神田秀一氏はそう語る。
今夏、天皇・皇后、東宮一家、秋篠宮一家はそれぞれ「特徴ある夏休み」を過ごしている。
そこにはどのような思いが込められているのだろうか。

「対馬丸事件」への思い入れ
終戦記念日翌日の8月16日、京王プラザホテルで催された対馬丸事件の犠牲者を追悼するための
「学童疎開船を語り継ぐつどい2014」に、秋篠宮夫妻の姿があった。眞子内親王、佳子内親王、
そして悠仁親王を伴う一家揃っての式典出席は各メディアで大きく報じられた。
対馬丸事件とは、学童疎開船・対馬丸が1944年8月22日、沖縄から九州に疎開する学童らを乗せて航行中、
米潜水艦の魚雷を受けて沈没、約1500人が死亡した出来事で、今年は70年の節目にあたる。
秋篠宮一家は生存者や沖縄の小中学生ら出席者とともに黙禱を捧げた。
「悠仁さまも、紀子さまの説明を熱心に聞かれていた。ご自身と同じ年頃で命を落とした子供たちの
遺影をじっとみつめておられました」(皇室担当記者)
対馬丸事件は今上天皇が強い思い入れを持つことで知られる。
6月27日に沖縄県を訪問した際にも、天皇め皇后は那覇市にある対馬丸記念館を訪れ、事件の生存者や遺族と懇談し、
慰霊碑に供花した。秋篠宮一家が出席した経緯について「学童疎開船を語り継ぐ会」代表の山本和昭氏はこう話す。
「私が宮内庁にお声掛けいたしまして08年に初めて秋篠宮ご一家が慰霊の集いに出席されました。
今年で3回目で、悠仁さまは初めてご出席いただきました。
天皇陛下は皇太子さまや秋篠宮さまが3〜4歳の頃から対馬丸が撃沈された22日の午後10時23分に
ご一家で黙禱を捧げられておられます。ですから両殿下とも陛下の思いをよくご存知でいらっしゃると思います。
皇太子さまにもご出席いただけるように案内を差し上げましたが、
残念ながら今回は出席できないとのお返事をいただきました」
秋篠宮家の対馬丸慰霊のつどいへの出席について皇室ジャーナリストの松崎敏弥氏はこう話す。
「陛下のお気持ちを時代を超えて継承していくという秋篠宮さまのメッセージが込められています。
眞子さま、佳子さまだけでなく、まだ小さい悠仁さまをお連れしたのは、
陛下が少年時代に心を痛められたのと同じ体験を悠仁さまにさせることで、
“陛下の平和への思いを、私もまた子供へと受け継いでいきます”というお気持ちを示されたのでしょう」
しかし、この秋篠宮の式典出席が、皇太子一家の静養中というタイミングと重なったことが宮内庁関係者の間で
「秋篠宮家のご活動ばかりが目立ってしまうではないか」と懸念されたという。
前出神田氏はこう語る。
「秋篠宮さまは純粋に陛下を手助けしたいというお気持ちだと思います。ご高齢である陛下を支え、
助けていくのは当然のこと。皇位継承者をみれば、皇太子さまる秋篠宮さま、悠仁さま、常陸宮さま、
三笠宮さまの5人しかいない。常陸宮さまと三笠宮さまはご高齢で、皇太子さまは6月にポリープ手術を受けて
経過観察中です。成年皇族4人のうち一番元気なのが自分だと受け止めておられると思います」

静養先で捧げた黙禱
同じ8月16日。皇太子一家は静養先の須崎御用邸で過ごしていた。
「ご静養中の1週間、愛子さまは毎日のように、朝から晩まで海水浴を楽しまれたようです。雅子さまも
伊勢神宮参拝を終えられホッとされたのでしょう。晴れやかな笑顔でいらっしゃいました」(前出・皇室担当記者)
皇太子一家はここ数年の夏休みには約3週間の静養をとり、須崎と那須の御用邸で過ごすのが恒例となっている。
「例年、東宮ご一家は変わらない夏休みを過ごされています。今年も那須御用邸ら向かわれる予定でしたが、
今回は広島の土砂災害のため日程を見合わせるようです」(宮内庁関係者)
そうした皇太子ご一家り過ごし方に疑問が投げかけられることもここ数年の“恒例”となっていた。
東宮職関係者が語る。
「雅子さまの体調もあり、一家でのご公務が難しい状況の中、静養の前にはインターハイ観戦など、
できる限りの公務をこなされてきた。ところが、その後に長期ご静養に入られると、静養をとるために
ご公務を果たされているかのように取られてしまう」
批判も覚悟で皇太子は静養を重んじているのだと見るのはベテラン皇室記者だ。
「皇太子さまがまず家族を大切にされるという姿勢は批判されるものではないでしょう。
雅子妃がご病気になられてからの10年を振り返れば、無理して公務をされた後に症状が悪化するという
繰り返しでした。ご静養の大切さは皇太子さまが一番よく理解されていると思います。
終戦記念日の8月15日にはご一家で黙禱を捧げられた。
皇族として大切なことをお忘れになっているわけではありません」
前出・松崎氏はこういう。「皇太子さまも対馬丸事件や沖縄の歴史について
両陛下の思いを継いでいこうというお気持ちは強くお持ちでしょう。
しかし、今年は愛子さまが中等科へ進学された節目の年で、当初は遅刻や欠席などなじまれるのにも苦労されていた。
気持ちをリフレッシュさせてあげたいという思いもあったのでしょう」

「実録」から昭和天皇に学ぶ
例年、天皇・皇后の夏休みは初日に旧満州から引き揚げてきた住民が入植した長野県の大日向開拓地を訪問し、
苦労を重ねた開拓者を慰問してきた。
「対馬丸事件もそうですが、昭和天皇の名前で始められた戦争で犠牲になった国民への祈りの時間という意味が、
両陛下のご静養に込められているのだと思います」(前出・神田氏)
今夏も例年通りの予定だったが、広島の土砂災害で多くの犠牲者が出たことを受け、
宮内庁は22〜29日に予定していた長野、群馬での静養の全日程を取りやめると21日に発表した。
「当初は一部を取りやめる予定だったが、被害が拡大していることから全日程を取りやめられました」
(前出・宮内庁関係者)
その21日、「昭和天皇実録」が天皇に奉呈された。
「『天皇実録』とは先代、あるいは先々代の天皇についての記録を今上天皇のために作り奉呈されるもので、
『昭和天皇実録』には第2次大戦から闘病記まで綴られています。
現人神から人間天皇に変わる激動の人生を送られた昭和天皇が、皇室をどのように考えてきたかを知る
最も貴重な文献であり、同時に昭和史研究の第一級資料でもある。これを静養中に読まれたいという
両陛下のご意向もあったため21日に奉呈されたそうです。昭和天皇の平和への願い、
皇室の在り方についてのお考えを休みの間に学びたいというお気持ちだったのでしょう」(前出・皇室ベテラン記者)
90年から30人体制で編纂が始まり24年5か月かけて編まれた「昭和天皇実録」は全61巻、1万2000ページに及ぶ。
宮内庁によると奉呈の際、天皇は実録の完成についてうれしく思うとともに
編集作業に携わった関係者にねぎらいの気持ちを伝えるようにとの感想を述べた。
皇室の在り方をより深く考えようという天皇、家族での静養を第一に新しい皇室のあり方を考える皇太子、
積極的に慰霊と平和へのメッセージを発信し開かれた皇室を継承しようとする秋篠宮。
それぞれの考え方の違いは何が正しいという話ではなく、比較できるものでもない。
相変わらず皇族の「すれ違い」がメディアに多く取り上げられ。この夏もそれを印象づける面が強調された。
猛暑を過ごして吹き始めた秋風を心地良く感じるか、寒々しく感じるかは
皇族と国民の心がどれだけ寄り添っているかに左右されるのだろう。