佐久間艇長

明治43年(1910) 4月15日、佐久間艇長以下14名を載せた六号潜水艇が
訓練中の事故によって瀬戸内海で沈没、全乗組員は死亡。
二日後引き上げられた艇内から、佐久間艇長が事故原因と事故後の対応等を
死の直前まで冷静に記録したメモが発見された。

国産第一号の潜水艇がその訓練中に瀬戸内海で沈没。
引き上げられたのは二日後の 4月17日。

潜水艦の事故の場合、乗組員は出口ハッチなどに殺到し、
折り重なって死んでいるといった悲惨な状態が普通だが、
引き上げられた第六号潜水艇では、それぞれが持ち場に着いた状態のまま息絶えていた。
引き上げられた遺品の中から佐久間艇長が死の間際まで状況を冷静に記録した手帳が発見された。
佐久間艇長の手帳には、暗闇の中で手探りで書いたと思われる大きな文字で、事故が起こった原因や、
この事故を教訓として改良しなければならない潜水艇の問題点、
艇内で死ぬことになる乗組員の遺族に対する配慮を上官らに願う文面等が綴られていた。

手帳の最後は、
瓦素林(ガソリン)ヲブローアウトセシシ積リナレドモ、ガソソリンニヨウタ
一、中野大佐
十二時四十分ナリ

この佐久間艇長の手帳は、最期の瞬間まで職務を全うした海軍軍人の記録として、
その原文と英訳とが米国の国会議事堂大広間に展示されている。
また、伝統的に海軍国として知られる英国でも海軍教育の中でこの事故について教えられている。

佐久間艇長のこの手帳の全文は、
佐久間艇長の遺書 ・・・ TBS ブリタニカ編集部編
(平成12年再出版)