「村山談話」こそ更迭せよ!

WiLL2009年1月号
「村山談話」こそ更迭せよ!
西村眞悟

自衛隊の航空幕僚長と社会党の委員長が、同じ歴史観をもっていては国が困る。
従って、航空幕僚長が村山談話を信奉しておれば直ちに更迭すべきなのである。
そもそも、社会党とは、「アメリカ帝国主義は日中両国人民共通の敵」との方針で
我が国の社会主義人民共和国化を目指し、
日米安全保障条約に反対で非武装中立を国是として自衛隊を違憲とした政党ではないか。
さらに、中国共産党と北朝鮮のエージェントといえる活動をしていたのが社会党であり、
ソビエトから資金援助を受けていたのも社会党である。
このことは「クレムリン秘密文書」で明らかになっている。
長年このような国益を害する政党にいて委員長になった村山富市氏の歴史観と
自衛隊尾航空幕僚長の歴史観が同じであってよいはずがない。
これは子供でも分かることだ。同じであれば、自衛隊は国を守るために戦えない。
さらに、平成7年の阪神淡路大震災を、痛恨の思いを以て振り返ってほしい。
その地震の朝、直ちに伊丹にある陸上自衛隊の中部方面軍を
神戸の被災者救助に向かわせる発想もなく漫然と時間を浪費し、
その結果救助すべき多くの人々を放置して焼死または衰弱死に至らしめるという
驚くべき無能ぶりを発揮した自衛隊の最高司令官、
即ち時の総理大臣は誰だったか。これこそ村山富市という社会党の御仁ではないか。
従って、同年、彼がしなければばらなかったのは、
自らの無能政策の故に無念の死を遂げた阪神淡路大震災の多くの被災者と家族に対する謝罪であった。
しかし、彼は「遠くない過去の一時期、国策を誤った」と自国をして謝罪せしめたが、
「直前の自らの過ち」による多くの犠牲者に謝罪しなかった。これを偽善という。
従って、村山談話とは、祖国を喜々として謝罪せしめても自らのことについては
一切謝罪しない偽善者にして驚くべき無能な総理による談話なのだ。
これに何の権威がある。

濱田防衛大臣は逆をしている。村山談話と同じ考えをもつ航空幕僚長を更迭すべきなのであり、
村山談話と逆の歴史観を持った航空幕僚長はサポートすべきである。防衛省は、このたびのことを契機にして、
幹部自衛官の歴史観をチェックするというのならば、
まず陸海空の各幕僚長が、村山談話と同じ歴史観ならば直ちに更迭したまえ。
政治がシビリアンコントロールの本質を理解せず、自衛隊を戦えなくしていたうえで、
年間五兆円を超える防衛費を支出しているとするならば、これこそ亡国に至る無駄遣いだ。
自衛隊は国を守るためにあるというならば、国のために戦える自衛隊にすることが国政の責務である。

マスコミも、政界も、「政」と「軍」の区別を理解せず、
シビリアンコントロールを曲解して田母神更迭劇を論じている。
防衛省も、田母神航空幕僚長の思想を点検してこなかったとして大臣以下内局の官房長まで懲戒処分にし、
挙句の果てに、自衛官の思想教育をチェックするという。何を慌てふためいているのか。
これではまるで、腹心の共産党員を政治将校として部隊に放って
将兵の思想傾向をチェックした「スターリンの軍隊」ではないか。
防衛省は、二十五万の全自衛官が村山談話の歴史観をもつようにするというのか。そして自衛隊を
「村山富市の軍隊」にするのか。当職の息子は陸上自衛官だが、息子が防衛省内局の思想指導により
村山談話を信奉すべきなどというたわごとは、断じて許せん。怒りがこみ上げる。

軍の領域にある田母神航空幕僚長の責務は何か。
それは、国を守る為に、よく戦える部隊を育成する為に部下をして日々訓練を続行させることである。
従って、この航空幕僚長が戦えない歴史観を持つならば更迭されなければならない。
そこで、村山談話の思想で自衛官は戦えるのか。
「日本は侵略を繰り返した悪い国で、近隣諸国に多くの苦痛を与えた国ですから軍隊を持ってはならないのです。
当然、自衛隊は軍隊ではなく自衛隊も軍人ではありません。
従って、仮に敵に捕まっても君たちには捕虜としての保護は与えられません」
このように村山談話に迎合した教えを受けて、このように信じた自衛官は国のためによく戦えない。
戦う前に自衛官を辞めるだろう。
では、如何なる思いにより人は祖国のために戦うのか。それは「祖国への愛」である。いろいろな人間愛の中で、
「祖国への愛」はその中心にあり、「祖国への愛」がない者は、
他の人間愛も維持することができないと古代ローマの政治家であるキケロも言う。
その通りである。
我が国の教育勅語にある人間愛と責務の徳目にも「一旦緩急あれば義勇公に報じ」と明記されている。
田母神氏も論文に記しているが「人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や
自分の生まれた国を自然に愛するものである」。
しかし村山談話の毒は、自分の生まれた祖国を悪として青少年から祖国への愛を奪うことである。
それでは田母神航空幕僚長は、空軍のトップとして如何なる問題意識を持ち、
如何なる指針に基づいて強い空軍を造り、その責務を果たすべきなのか。
この点を、昭和13年制定の作戦要務令が冒頭で簡潔に指摘している。
これが航空幕僚長の職務領域である。
「軍の主とするところは、戦闘なり。故に百事皆戦闘を以て基準とすべし。しこうして戦闘一般の目的は、
敵を圧倒殲滅して迅速に戦捷を獲得するに在り」
「訓練精倒にして必勝の信念堅く、軍紀厳正にして攻撃精神充溢せる軍隊は、
能く物質的威力を凌駕して戦捷を完うし得るものとす」「必勝の信念は、主として軍の光輝ある歴史に根源し、
周到なる訓練を以て之を培養し、卓越なる指揮統制を以て之を充実す」
この作戦要務令の指針は、人間の本質に基いており、単なる軍隊の指針に止まらず、普遍的で、
一定の目的を持った組織の指針として有効である。もちろん航空幕僚長のみならず他の陸海の各幕僚長とも、
この作戦要務令にもとづいて職責を果たすべきである。村山談話を信奉していてそれができるはずがない。
必勝の信念は「軍の光輝ある歴史の根源し」とするならば、
村山談話は、訓練を受ける部下から必勝の信念を奪い、ひいては「周到なる訓練」を不可能とする。
軍の領域では、実際の戦闘はもちろんのこと、その訓練にも命の危険がある。
他方、防衛大臣は、戦後政治のなかの野党の追及という与野党の駆け引きの次元にいる。
しかし、航空幕僚長はそのレベルにいてはならない。「必勝の信念」がなければ、
部下が無駄に死に国家が崩壊するという取り返しのつかない事態に直結するのが軍事の領域であるからだ。

およそ軍隊の世界は村山談話の精神では運用できない。
祖国と軍の「光輝ある歴史」の拠り所とすることにより運用できるのだ。
しかも、田母神氏も述べているように、我が国の歴史を学べば学ぶほど、
我が国の真実の「光輝ある歴史」が見えてくる。歴史を捏造し偽装する必要は一切ない。
このような国は滅多にあるものではない。これが我が国に生まれた幸せである。
従って、よき軍隊を創る為には、歴史を真摯に学習しなければならない。
田母神氏の論文は、その真摯な学習の結果である。
さらにチャーチルが言うように、政治家は祖国の歴史を学ぶことによって、
その使命を自覚すべきであるとするあらば、軍人と政治家はともに歴史に学ばねばならない。
特に戦争の歴史(戦史)は教訓の宝庫である。従って、軍人教育の中で戦史研究は大きな比重を占めるべき課題である。
従ってこのたびのように、多くの航空自衛隊幹部が公募に応じて歴史論文を投稿したことは、
内閣が慌てるべきことではなく、歓迎し評価すべきことである。
ところが、現在の我が国では、政の世界における歴史観が村山談話で固定され封印されている。
これは極めて国益を害する異常事態だと言わねばならない。
何故なら、村山談話の歴史観からは、祖国を守るために戦う軍人は育たず、
祖国を謝罪させることに執念を燃やす無国籍の政治家は育っても、
祖国を愛して歴史に学び、祖国の再興に使命感をもつ国民や政治家が出ないからである。
今や、日中戦争の始まりとなった日華事変の仕掛け人は、中国共産党の劉少奇であることも、コミンテルンの指令で
ゾルゲというスパイと、朝日新聞記者の経歴を持ち、近衛内閣及び満鉄調査部の嘱託を務めた尾ア秀実が近衛内閣に
影響を与えて日中戦争の停戦を阻止して泥沼化を仕掛けていたことも、
日米開戦の引き金になった「ハルノートを書いた男」はルーズベルト政権内に送り込まれた
コミンテルンのエージェントであったことも明らかになっている。
田母神航空幕僚長のこのたびの論文は、これらの事実を学んで書かれており、歴史の真実に根ざしている。
そしてこの各事実からは、これらが封印されていた東京裁判の時の歴史認識と全く違ったものが導かれて当然である。
航空幕僚長として歴史を学んだ田母神氏の論文に何ら非難すべきものはない。
ここで、政治における公定史観である村山談話とは何かと再度確認したい。
第一に、この公定史観こそ、中国共産党と朝鮮半島の歓迎するところである。
と言うよりも、中国共産党の気に入る歴史認識を社会党の村山富市氏が総理大臣談話として発表したのだ。
従って、この談話の主語は「私」である。
村山内閣の当時の閣僚にも心ある日本人がいたとしても、談話の主語が「私」であるが故に、
「村山が言っていること」として見逃してしまったのではないのか。
「ハルノートを書いた男」はコミンテルンのエージェントだったとすれば、「村山談話を書いた男」は
何処のエージェントの可能性があるのか。スパイ防止法のない我が国では分からない。
いずれにしても、更迭すべきは田母神論文ではなく、他国に迎合してその反日教育を正当化する村山談話である。
案の定、この村山談話の歴史観により東アジアの華夷秩序ができた。
つまり、日本は、中国と韓国や朝鮮に謝り償うために金を支払う存在であるという秩序である。
それと同時に、この歴史観により、中国共産党は中国支配の正当性を確保している。
即ち、中国共産党こそが、中国人民に悪逆の限りを尽くした日本帝国主義を打倒し、
中国人民に幸をもたらしたという政権の正当性が、日本悪玉論により
中国共産党に与えられる。現在中国で行われているえげつない反日教育・反日プロパガンダに、
我が国は村山談話により承認を与えている。
また、昨年アメリカ下院ででっち上げられた我が国に対する「従軍慰安婦謝罪要求決議」に対して、
我が国の外交官が適切な反論ができなかったのは、村山談話があるからである。
村山談話こそ、著しく国益に反するものである。さらに、そもそも村山談話は、史実に基づいているのか。
答えは否である。始めに謝罪ありきの政治文書であって、史実にもとづいてはいない。
田母神論文の結論、「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣」、これこそ史実に基づいている。

ここにおいて、我が国の政界とマスコミ界は、シビリアンコントロールの故に、政治が航空幕僚長を更迭し、
自衛官の思想統制を行うのが当然と言う前提で動いている。しかし、これこそ、我が国の政界とマスコミ界が
シビリアンコントロールの本質を理解していないことを示していることなのだ。
つまり、シビリアンコントロールの原則は、「軍の自律」を前提に機能する。
そして田母神論文は、この「軍の自律」の領域にある。
既に述べたように、村山談話では軍の訓練と訓練が目指す戦場での勝利も達成することができない。
ということは、つまり、村山談話では、シビリアンコントロールが無意味になるということである。
何故なら、村山談話では、コントロールする対象としての軍が無くなるからだ。

第二次大戦中のイギリスの首相はチャーチルであり、イギリス軍の最高位にあったのは
参謀総長アランブルックであった。彼ら二人は戦争中、憎しみ合いながらも毎日数時間会っていた。
その間、チャーチルが多くをしゃべり、それを聞いたアランブルックは、
たった一言しゃべるだけだったという。その一言とは、「閣下、それはできません」ということ。
これがシビリアンコントロールが現実に機能している姿である。
ここにあるのは、政と軍の緊張関係である。チャーチルの政治家(シビリアン)としての発想に対して、
参謀総長アランブルックは軍人として拒否すべきは断固拒否して作戦の軍事的整合性を守っていた。
そうでなければ敵に勝利できないからである。
そもそも国家の目的は、敵に勝利して国家の安泰を確保することである。
シビリアンコントロールは、この国家目的に奉仕するものである。
国家の勝ち負けはどうでもよいが、政治が軍事に関与しなければならないというのはシビリアンコントロールではない。
似て非なる軍への素人(シビリアン)の過度の介入である。素人に過度に介入されれば、軍は戦えなくなる。
従って、田母神氏の第二の戦場での任務は、部下が戦えるように、「閣下、それはできません」と、
防衛大臣に対して、きっぱりと軍隊への村山談話浸透拒否することである。
我が国の帝国海軍が真珠湾を攻撃したとの知らせに反応したルーズベルト大統領は参謀総長を振り返って、
「問題の解決を君たちの領域に移す」と言ったという。これがシビリアンコントロールが発動された典型的情景である。
シビリアンコントロールとは、政治的最高指導者が、軍の最高指揮官となって、
軍を動かすボタンを押すか否かを決定するその瞬間の決断のことである。
これによって動き始めた軍は、軍事的に最良の行動をとっていくのである。
政治が軍に目的を与え、それを実行に移すが否か、また何時中止するかを決定する。
これがシビリアンコントロールである。これは国家の運命を決する厳しい決断である。
神戸の大震災に際して、「なにぶん初めてのことで、朝も早かったものですから」と
自らの無能を弁解した社会党の首相に為しうる決断ではない。そして、この国家の運命を決する決断の前提には、
前に記した作戦要務令の精神で練り上げられた必勝の信念を持つ自律した軍隊が存在しなければならない。
それにしても、我が国家安泰のために、自衛隊を自律した軍隊にすること、
その為に村山談話を「更迭」すること、これらは総て政治の任務である。
このたび、この国家再興のための問題提起を田母神前航空幕僚長にのみ任せていることを
政治の領域にいる議会人として恥じている。
田母神航空幕僚長更迭問題を契機として、政界全体が村山談話に覆われているこの閉塞状況を打ち破る為の、
真の保守愛国の同志を結集することが、議会人としての責務であると深く自覚する次第である。