2018年11月-12月雑誌記事

皇太子さま、お忍びでパラ選手の伴走 動画サイトで準備
緒方雄大2018年10月31日17時50分
皇太子さまが今夏、お忍びでパラリンピック銀メダリストの伴走をしていたことがわかった。
来年5月1日の新天皇即位まであと半年。
「国民の中に入っていく皇室」を目指す新しい天皇像の一端が見えてきた。
6月26日夕。木々に囲まれた東京・赤坂御用地。
「走りやすいですか」。皇太子さまが隣のランナーに声をかけた。
リオデジャネイロパラリンピックの視覚障害者女子マラソン銀メダリスト、
道下美里さん(41)=三井住友海上=だ。
皇太子さまは「伴走」と書かれたビブス(ゼッケン)を身につけ、
蛍光の黄色の伴走用ロープを右手でにぎり、
左手にロープをつかむ道下さんに声をかけながら約1・5キロの道を走った。
道下さんによると、皇太子さまは最初のでこぼこの道で「これは何とお伝えしたらいいのでしょうか」と
戸惑いを見せていたが、数分走ると息が合い始めた。カーブの手前で「右に曲がっていきます」、
足場の悪い道の手前で「でこぼこがあります」。
1キロ7分のペースが6分のペースに変わり、リズムがよくなった。
皇太子さまは、伴走者の声のかけ方や道下さんの走りの特徴を動画サイトで調べたという。
伴走用のロープは自身で用意。走る直前には専用のゴーグルをかけて御用地内を歩き、
視覚障害者の感覚も体験した。
ジョギング後は右腕を道下さんにつかませてアテンド。「飲み物は何にされますか」と気遣いもみせた。
2人が出会ったのは昨年11月の園遊会。
道下さんが「機会があれば一緒に走りたいです」と伝えたところ、皇太子さま側から返答があり、伴走が実現した。
https://www.asahi.com/articles/ASLBV0VG1LBTUTIL070.html

雅子さま、愛子さまの学校行事見学をお控えになるメリハリ公務術
週刊女性2018年12月4日号2018/11/20
「11月17日、皇太子ご夫妻は東京都江東区にある『海の森公園』の予定地に足を運ばれました。
おふたりは、『全国育樹祭』に伴う植樹へのお手入れをされ、
雅子さまは手伝った子どもたちと笑顔で交流されていましたよ」(皇室担当記者)
雅子さまといえば、11月9日に開かれた『園遊会』で、15年ぶりに全行程を歩かれたのが記憶に新しい。
「両陛下にとって“人生最後”の園遊会で、女性皇族方は和装で出席されていました。
招待者と歓談されている際、両陛下と皇太子ご夫妻の間にある程度の距離ができたのは、
多くの人々にお声がけをされていたからだそうです。
しかし当日は、雨で和装だったこともあり、後半にはそうとうお疲れになっていて、
何とか乗り切ったようにも見えました」(東宮職関係者)
それほどまでにお疲れになる園遊会に出席したのは、新皇后としての強い自覚をお持ちだったからだろう。
その一方で、15年ぶりの全行程参加を実現できた背景には、雅子さまなりの“工夫”があったという。
例えば、先日行われた愛子さまの文化祭でのこと。
「11月3日と4日に、学習院女子中・高等科で『八重桜祭』が開かれました。
3日には、高等科2年生の有志で作られたダンスチームで、
愛子さまがポンポンを持ってキレキレのチアダンスを披露されていました。
ご自分の出番の合間には、司会者としてダンスに出るメンバー紹介をされて
会場を盛り上げていましたよ」(目撃した保護者)
ご両親もそのお姿を見て、たいへん喜ばれていたそうだが、雅子さまは“公務優先”のスタンスをとられたそう。
「ご夫妻は、3日に文化祭を訪れて愛子さまのダンスのほか、書道部や美術部などの活動や
ボランティア同好会が展示している視覚障害者用点字ブロックの説明を熱心にお聞きになっていました。
しかし、4日には雅子さまのお姿はなく、皇太子さまだけが学校にいらっしゃっていました。
翌5日に控えていた文化勲章受章者と文化功労者のお茶会に備えるためだったそうです」(宮内庁関係者)
学校行事で活躍される愛子さまをご覧になりたかったにちがいないが、
翌日の行事に響かないように動かれていた雅子さま。
「園遊会直前の11月7日〜8日には、『全国農業担い手サミット』が山形県で開かれました。
しかし、最近は2年連続で出席していた雅子さまは来県されませんでした。
というのも、5日にはお茶会、9日には園遊会があったため、
前後の予定を鑑みて欠席をお決めになったそうです」(前出・東宮職関係者)
さらに育樹祭でも、
「雅子さまは、17日のお手入れと関係者へのお声かけをしたあと
都内のホテルで行われた懇親会には参加されませんでした。しかし、体調を崩したというわけではなく、
翌日の式典にはきちんと参加されたので、自分ができる範囲を見極められたのだと思います」(前出・宮内庁関係者)
『適応障害』の療養中である雅子さまだが、工夫と努力を重ね、以前よりも多くの公務に取り組まれている。

症状の回復に最適だったメリハリ公務
「『適応障害』というのは、病気というより“反応”に近い状態なのです。
精神疾患には、『うつ病』や『パニック障害』などの病名もありますが、
これらは症状に関しての診断基準はありますが、原因に関しての基準はありません。
しかし『適応障害』は、いちばん新しい診断マニュアルの診断基準に
“はっきりと確認できるストレス因に反応して3か月以内に症状が出ること”と定義されています。
つまり明らかなストレス因があって発症するという、
ある意味で原因と症状との因果関係がはっきりとしている病名なのです」
と、ストレス障害に詳しい『パークサイド日比谷クリニック』の立川秀樹院長。
雅子さまの“メリハリ”をつけた公務のスタイルは、病状の回復に効果的だという。
「回復されるには、雅子さまにとってのストレス因から脱却することが大切です。そういった意味では、
雅子さまの主観もありますが、反応してしまうほどのストレス因がある公務にはお出ましにならず
今では反応しない公務には出席されるのは診断上、問題ないのだと思います。
『適応障害』は、そういった工夫をすることでだんだんと治っていくものなのです」(立川院長)
園遊会の件に関しても、立川院長は太鼓判を押す。
「先日、15年ぶりに『園遊会』の全行程をこなされたというのは、治療が順調で、
園遊会でも反応しないほど回復されている証拠でしょう。主治医が出席してもいいと判断できるほど、
病状が改善されているのだと思いますよ」
来年のお代替わりには、自信に満ちた雅子さまが見られることだろう─。
http://www.jprime.jp/articles/-/13851

眞子さまの結婚 「問題」は借金ではない 秋篠宮家が「納采の儀は行えない」と明言した理由
斎藤智子2018.12.1 12:58
秋篠宮さまの誕生日を前にした記者会見で、眞子さまの結婚問題の行方について問われたご夫妻。
現状では「納采の儀」は行えないことを明らかにし、娘を思う親心を率直に吐露した。
*  *  *
「家族として非常に難しい状況の中にありますが、私は、長女の眞子がいとおしく、
かけがえのない存在として感じます」
11月22日。「いい夫婦の日」を選んで開かれた秋篠宮ご夫妻の誕生日会見で、紀子さま(52)は、こう話した。
隣には30日で53歳になる秋篠宮さま。
誕生日の前に年1度、記者たちのさまざまな質問にご夫妻で率直に答える場だ。
例年、紀子さまは、子どもたちの日常の様子や成長ぶりを丁寧に描写してきた。
だが、今年は少し違った。娘に寄せる「母」の思いを、切々と訴えた。
記者会から事前に寄せられていた質問は一言でいえば
、眞子さま(27)と小室圭さん(27)の「結婚問題の行方」だ。
眞子さまと婚約が内定していた小室さんをめぐり、スキャンダラスな報道が週刊誌をにぎわせ始めたのは、
昨年後半ごろからだった。
亡くなった家族の話。さらには「カネの話」が小室さんの母の婚約者だった男性から提起された。
小室さんの学費や留学の費用を「貸した」とする訴えだ。
当時のメールや写真、通帳といった「証拠」が繰り返し週刊誌に登場した。
秋篠宮ご夫妻にとっては、寝耳に水だった。眞子さまですら、何も知らされていなかったようだ。
ご夫妻の小室さんへの信頼が揺らぎ始めた。
秋篠宮さまと紀子さまは学習院大学で知り合い、約5年にわたる「恋」を実らせてゴールインした。
早い段階で秋篠宮さまが紀子さまにプロポーズ。
紀子さまは時間をかけて気持ちを整理し、交際を重ねて二人の愛情を深めた。
メールも携帯電話も普及していない時代だから、秋篠宮さまが留学した時期には国際電話で気持ちを確かめ合った。
「私たちの間では、何ひとつ隠し事はなかった」
ご夫妻はそのころ、そう話していた。
そのご夫妻が眞子さまの紹介で初めて小室さんに会ったのは2013年頃。「非常にまじめな青年」という印象だった。
以来、約5年間。両親と同じように長い時間をかけ、丁寧に恋を成就させようとする二人に、
ご夫妻は当初「祝福」の気持ちでいっぱいだった。それだけに、
「スカイプなどで外国にいても頻繁に連絡をとりあっているのだから、そのくらいのお話は出ていると思っておりました」
と秋篠宮さまは知人に漏らしている。紀子さまは娘を案じる思いを友人に打ち明けた。
「たぶん眞子のほうはすべてを小室さんに話していたと思います。
だから、なぜ、という思いが、眞子のなかで、抑えても抑えてもわき上がったろうと思います」
眞子さまはそのせいか、昨年から今年にかけて体調をひどく崩した。
咳がとまらず、しばしば熱が出た。宮内庁病院でも何度か診察を受けた。
仕事の時はそんなそぶりも見せなかったから、マスコミも、接した人も、ほとんど気付かなかった。
小室さんにすら、体調の悪化を隠して笑顔を向け続けていたようにみえる。
紀子さまは自分自身が体調が悪くてもほとんど表に出さず仕事を務めてきただけに、
「私がもっと、疲れた時には休む姿を娘たちに見せていれば、眞子もこんな無理を重ねなかったのでは」
と当時、自分を責めている。
誕生日会見では、そんな思いを振り返った。
「昨年の暮れから、だんだん寒くなっていく中で、長女の体調が優れないことが多くなりました。
そうした状況が長く続き、長女は大丈夫だろうか、どのような思いで過ごしているだろうかと、私は、大変心配でした。
しかしこのような中でも、長女は与えられた仕事を懸命に果たしてきました。(中略)
私は、本当によく頑張っているなと長女のことを思っております」
秋篠宮家が「問題」と感じたのは、借金の有無ではない。
まして、母子家庭であることや、パラリーガルで収入が少ないことは、問題などと考えていない。
子どもの結婚に際し「身上調査」をする家庭は今もあるだろうが、そもそもご夫妻はそうしたことを一切しなかった。
長年、秋篠宮ご夫妻を知る人が強調する。
「最初は心から若い二人を信頼し、祝福していたのです。
結婚に向け、小室家側の準備も大変だろうから、どうやってお手伝いするか、
いろいろとご夫妻で相談しておられたようです」
ただ、皇族の一員として「国民から広く祝福を受ける」ことは、譲れない一線だった。
結婚後に眞子さまは皇籍を離れるが、行事で招かれることも多い。
1億円を超える一時金が拠出されるのも、皇族であった者としての品位を保つためだ。
「もし、小室家側に一点の曇りもないのであれば、それを公に明らかにしてほしい」
報道が激化するにつれ、ご夫妻は、小室さん側に繰り返しそう求めた。
ご夫妻が大切だと考えたのは、何か「こと」が起きた時に、どういう誠実な対応をとるか、だった。
だが、小室家側では、必要ないと考えたのだろう。
取材に応じていないため真意はわからないが、
「お金はもらったものでありトラブルも問題も存在しない」とのスタンスという。
これについて、紀子さまの友人はこう指摘する。
「百歩譲って、もしお金はもらったものだとしても、
お金を出してくれた人に感謝の気持ちすら伝わっていない状況というのは、
誠実さを何より大切に考える紀子さまにはとても重かったと思います」
会見で秋篠宮さまは、今でも結婚したいのであれば「問題をクリア」にし
「多くの人が納得し喜んでくれる状況」にするため、(小室家側は)「それ相応の対応をするべきだ」と話した。
「そういう状況にならなければ、私たちは、婚約に当たる納采の儀というのを行うことはできません」と踏み込んだ。
納采の儀ができないということは、正式な婚約が整わないということだ。
婚約が整わないということは、結婚できないということを意味する。
秋篠宮さまご夫妻は、小室家側にも若い二人にも、こうしたことを繰り返し伝えたという。
信頼に一度「疑問符」が付いてしまうと、他の行為にも疑問を感じるようになるものだ。
小室さんが勤め先の上司との会食に眞子さまを呼び出し同席させたことも、
留学先の米国の大学で「プリンセスの婚約者」と紹介されるままにしていたことも、
ご夫妻には、眞子さまを利用しているように感じられた。
「立場」を利用することは、ご夫妻が最も嫌う行為だ。
眞子さまはいま、どう考えているのだろう。
体調を崩しつつも、眞子さまはこの半年、精いっぱい仕事に向き合ってきた。
ブラジル移住110周年の行事に出るためブラジルも訪問。14の都市を巡り大勢の人々の期待に応えた。
紀子さまは会見でそんな仕事ぶりについて「心をこめて大切に、全力で務めてきた」と、敬意を表した。
眞子さまは、親子の間で異なる意見をたたかわせた時期でも、
展覧会や音楽会には紀子さまを誘って一緒に出かけている。
母と娘の間で長年大切にしてきたひとときだからだ。
「今以前にも増して、このように長女と過ごす時間をとても大切に感じています」と、紀子さま。
秋篠宮さまは「結婚は両性の合意によって決まる」とした憲法を引用し、
本人の意見を無視して親が結婚の可否を押しつけることはできない、との姿勢を周囲に言明してきた。
紀子さまも、母としての考えは既に十分眞子さまに伝わっているとして、それ以上踏み込んではいない。
ただ、親しい友人には、こう話している。
「船の舵をいきなり90度、切りかえられるものではありません」
「でも、どんな小さな船でも自分で進んでいく力を持っていることを信じています」
(朝日新聞社会部・斎藤智子)
※AERA 2018年12月10日号
https://dot.asahi.com/aera/2018120100008.html

愛子さま“連続欠席”には触れず 宮内庁「誕生日文書」の違和感
社会週刊新潮 2018年12月13日号掲載
5カ月後の御代替わりで“天皇陛下の娘”となられる愛子さま。
17回目の誕生日を機に伝えられたご様子は、まさに才気煥発そのものである。
しかし、そのニュースの“元”となった宮内庁作成の文書には、どうしても違和感を覚えるのだ。
記者会に配布された文書のタイトルは、〈愛子内親王殿下の御様子〉。
今年2月から11月まで、学校生活などを振り返っている。
「これは愛子さまの誕生日、12月1日にあわせて宮内庁が作ったものです。前日に報道陣に配られました」
と、社会部デスクが語る。
「発表文ではなくあくまでも参考、との注釈つきです。4枚の文書のほかに、
愛子さまの主な行啓先などの一覧が整理されたペーパーも一緒でした。
こういった概要は毎年の誕生日に宮内庁からもらうのですが、今年はものすごく丁寧なんですよ。
実際、この文書で愛子さまの誕生日関連の記事が十分まかなえましたから」
誕生日にあわせて各社が報じた内容といえば、
「今年4月、学習院女子高等科2年生になった愛子さまはこれまで以上に勉学に励み、
忙しい日々を過ごされていること。夏はイギリスの名門イートン校のサマースクールで英語の授業を受け、
英国文化を吸収されたこと。11月は、文化祭でダンスを披露し、出番の合間に司会をされた。
修学旅行では、奈良と京都で文化遺産を見学し、日本の歴史や文化に触れられた。
文書には、こうしたことが事細かに書かれています」
このほか、皇太子ご夫妻と皇居の養蚕施設を訪れて、皇后さまの説明を聞かれたことや、
御用邸でのご静養なども。とにかく、あますところなくご様子が記されているのだ。そして文書は、
〈このように様々な経験をお積みになりながら、お健やかに成長していらっしゃいます〉
そう結ばれているが……。

9連休
違和感を覚えるのは、10月の箇所である。ダンスや競技の詳細とともに、
お元気に運動会をお楽しみになりました〉ということと、映画「旅猫リポート」をご鑑賞されたとある。
「でも、大事なことが省かれています。愛子さまは、運動会のあと、長く学校を休まれていたのです」
と明かすのは、宮内庁の担当記者。
「10月2日の運動会翌日から11日まで、9日も出られていません。休祝日を除けば7日です。
症状を訊かれた東宮大夫は、“運動会でのお疲れや、天候不順で体調を崩され、
喉の痛みや咳、頭痛もあったので、大事をとって休まれていた”と説明していました」
東宮大夫が会見ではっきり語っているというのに、
「誕生日の文書には一切、記述がないのです。ほかの出来事がやけに詳しかったのは、
欠席に触れられたくなかったのだと思います。文書配布時、この点を東宮大夫に訊いても、
“10月に一時期、休まれて以降は、元気に通学されている”と言うだけ。
初等科時代の“不登校騒動”のようなことが起きていたのではと勘繰りたくなります」
愛子さまの欠席について、精神科医の片田珠美氏はこんな見方をする。
「宮内庁は体調不良で片づけようとしているみたいですが、体調不良には意欲が湧かないという要素もあります。
愛子さまは負けず嫌いで完璧主義者。運動会で思うような結果が出ず、落ち込まれたのではないでしょうか。
それを癒すには時間が必要ですから、いわば、自分を守るための9連休だったのだろうと思います」
もし、“天皇陛下の娘”として同じ振舞をされたら、宮内庁はどう取り繕うのか。
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/12120558/?all=1