神武東征  もう一つの天孫降臨族・長髄彦(ながすねひこ)との戦い

読む年表 日本の歴史
渡部昇一 WAC 2015年1月

神武東征 
もう一つの天孫降臨族・長髄彦(ながすねひこ)との戦い

神武天皇は「東征」を行って大和朝廷を建てる。日向国(現宮崎県)を出て北九州までは陸を行き、
そこからは船で瀬戸内海を行くが、まっすぐ東をめざしたのではなく、各地に立ち寄り、
大和に至るまで十年近くかかっているが、その間に大きな戦争の記載は『日本書紀』にないから、
その途中の土着の人々は大きな抵抗をすることもなく、天皇に従ったようである。
いよいよ河内国草香邑(日下村)の白肩津(しらかたのつ)に着き、生駒山を越えて
大和に入ろうとすると、土地の豪族長髄彦(那賀須泥毘彦)の軍隊がこれを迎え討ち、
孔舎衛坂(くさえのさか)で激戦になる。
このとき神武天皇の兄彦五瀬命(ひこいつせのみこと)の肘脛(ひじはぎ)に矢が当たり、
それがもとで彦五瀬命は進軍中に亡くなっている。
長髄彦は、やはり天孫降臨した饒速日命(にぎはやひのみこと)に仕える者で、
饒速日命は長髄彦の妹と結婚し、子供もいると記されている。
天孫降臨といえば瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)ということになるが、
それとは別に、饒速日命も、天磐船(あまのいわふね)に乗って河内に天降(あまくだ)っていたというのである。
これは、南方から来た日本の支配階級である「天孫降臨民族」が一つではなく、
いくつかの集団が日本に渡ってきていて、河内のあたりに先に来ていた一族の者が、
土着の強力な酋長の妹と結婚したということではないだろうか。
つまり、その酋長が長髄彦というわけである。
苦戦を強いられた神武天皇は「自分は日神(ひのかみ)の子孫であるのに、日に向かって進み
敵を討つのは天道にさからっている。背中に太陽を負い、日神のご威光を借りて戦うのがよいだろう」と考え、
いったん船で紀州へ向かう。この紀国(きのくに)の竈山(かまやま)で、
孔舎衛坂の戦いで深傷(ふかで)を負った兄の彦五瀬命は亡くなり、この地に葬られた。
現在も和歌山市には彦五瀬命を祀った竈山神社がある。
熊野から大和を赴こうとしたとき、八咫烏という大きなカラスが現れて先導してくれたという。
これは山城(現京都府南部)の賀茂氏の祖であり、賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨神社)の
祭神である鴨建津之身命(かもたけつねみのみこと)の化身だとも言われているが、
おそらく土着の人間が道案内をしてくれたということだろう。このときに大伴氏の先祖である
日臣命(ひのおみのみこと)が大軍を率いて八咫烏のあとにしたがい、ついに宇陀(現奈良県)に着いた。
いよいよ長髄彦との決戦に臨んだとき、金色の不思議な鵄(とび)が飛んできて、神武天皇の弓の先にとまった。
その鵄は稲妻のように光り輝き、長髄彦の軍勢は、目がくらんで戦えなかったという話が残っている。
明治以来、軍人に与えられる最高の名誉だった金鵄勲章は、この神話からきている。
結局、長髄彦は神武天皇を「天神の子」と認めたあとも改心しなかったということで、
これも「天孫降臨族」である妹婿饒速日命は長髄彦を殺して、神武天皇に帰順した。
この饒速日命が物部(もののべ)氏の先祖であるという。