2019年1月-3月雑誌記事

「皇太子妃を辞めたいと思ったことは一度もない」 雅子さま「新皇后」への覚悟
文藝春秋 2019年2月号 友納 尚子
今年5月に新皇后陛下となる雅子妃殿下。ご療養が16年になったことから、
果たして皇后として務められるのかという疑問の声もないわけではない。
だが、ご療養の中にあっても一進一退を繰り返されながら、
その時々でご自分にできることをしっかりと務められてきた。
2年前からはご体調が大きく上向かれ、公務先でもお出ましになる姿が多くみられるようになっている。
そして、今年は新年の一般参賀や新年の諸行事などを始め、7日には天皇皇后両陛下の御名代として、
皇居・宮中三殿の皇霊殿で崩御から30年の節目となる「昭和天皇三十年式年祭」に臨まれた。
雅子妃が宮中祭祀に臨まれたのは、平成28年4月の「神武天皇二千六百年式年祭」以来、3年ぶりのことだった。
年末から新年にかけて、皇室は1年で最も忙しい日々が続く。
さらに今年は改元ということもあり、雅子妃のお出ましも続いている。

16年にわたる闘病のなかで
「妃殿下は、ご体調を整えられる努力をされて臨まれています」と東宮職が語るように、
お出ましになっているその裏では、病気と向き合われている姿があった。
 雅子妃が療養生活に入られたのは03年のこと。
あれから16年も……、と思う人もいるだろうが、適応障害を患っている人の中には、
同じような年月の中で苦しんだり、悩んでいたりする人もいる。
また、雅子妃の場合は、皇室の中でご病気になったが、
その同じ環境の中で治していかなければならないという難しさがある。
精神疾患には、患者の努力も必要だが、治療のサポート態勢も重要と言われる。
雅子妃の場合、皇太子と愛子内親王が献身的に支えてこられた。
また、雅子妃がご病気になる前から現在に至るまで、
陛下からもお守りいただいてきたことや皇族の方々にも支えられてきたことは言うまでもない。

辞めたいと思ったことは一度もない
雅子妃は、皇太子妃として務めたいというお気持ちを持ち続けてこられた。
もちろん、皇太子妃を辞めたいと思ったことは一度もないという。
療養前には、朝起きられない、体がだるいなどといったご自分の体調の変化から
病気ではないかと何度も訴えたというが、
当時は主治医にさえ信用してもらえなかったため休むことはできなかった。
公務の予定はぎっしり詰まったままだった。その為、宮内庁職員と押し問答の末
「このままでは、皇太子妃を辞めなくてはなりませんね」と漏らされたというのが、歪んだ形で伝わった。
宮内庁幹部の中には、お世継ぎ問題で雅子妃が皇太子妃としての役割を理解されていないという
誤った認識が定着していたこともあり、精神疾患は気持ちの持ちようで治るものだと真剣に語る人は多かった。
そのため自覚を植え付けようと迫る動きもあり、雅子妃は孤立していった。
そうした環境の中で、雅子妃は、すっかり自信を無くされていたが、
04年に東宮職医師団が着任してからは、医師の指導の下で病と向き合い、治療に努めてこられた。
天皇が退位されると発表されてからは、皇后陛下おひとりの最後のお務めであった2018年5月の全国赤十字大会に
体調を整えてご出席されるなど、具体的な目標をクリアしてこられた。
ほとんど報道されることのない雅子妃の努力と即位への準備を、「文藝春秋」2月号に寄稿した。
そこには、ひとりの女性が病と向き合いながらも、国民と寄り添おうと決意された「新皇后」の姿がある。
http://bunshun.jp/articles/-/10374

眞子さまの母子手帳を国際会議に… 紀子さまも助けられた「母子手帳」が世界で共感される理由
2019.1.17 07:00
母子手帳には、親を励ます力がある。「日本発」の健康ツールは四十数カ国に広がり、
タイで開かれた国際会議には、紀子さまが眞子さまの母子手帳を持参。共感の輪が広がった。
*  *  *
「母子手帳は日本の多くの母親を助けてきました。私も、その一人です」
秋篠宮妃紀子さま(52)はそう英語で語りながら、小さな水色っぽい冊子を取り出した。
「ここに長女の母子手帳を持ってきました」
タイの首都バンコク。昨年12月中旬、3日間にわたり開かれた第11回母子手帳国際会議のオープニングでの一幕だ。
約30カ国から訪れた約400人の目が、恩賜財団母子愛育会総裁としてあいさつをする紀子さまの右手に釘付けになった。
大きな拍手がわき起こった。
「母子手帳を見ると、子どもたちを育てていた日々を思い出します。私はいつも健診に母子手帳を持っていき、
それに医師や看護師が記入していました。家では、成長の記録を自分で記入しながら、
子どもたちの発達をたどることができました。母子手帳は私たちの家族にとって、とても大事なものです」
その場にいた日本人女性がしみじみ振り返る。
「妃殿下であると共に一人の母親なんだと感じられ、とても温かな気持ちになりました」
妊娠を市区町村に届け出ると交付される母子手帳(母子健康手帳)は、
赤ちゃんを迎える心構えが親に芽生える最初のツールだ。外観や一部の内容は自治体で異なるが、
基本的な中身は母子保健法の施行規則で定められ全国共通である。
妊娠中の日常生活の注意や乳幼児の発育曲線などが紹介され、
子どもの体重、身長、予防接種の記録、保護者の思いなどを書き込める。
1948年に現在の様式がスタートして以来、津々浦々に広がり日本では当たり前の存在だが、
母子手帳は「日本発」で世界へ広まった健康ツールでもある。妊産婦や乳児の死亡率改善に貢献した点も注目され、
国際協力機構(JICA)などを介して普及。現在はタイ、インドネシア、フィリピン、ガーナ、アンゴラ、
アフガニスタンなど四十数カ国で使われている。
98年から各国で定期的に国際会議を開いてきた国際母子手帳委員会の中村安秀代表(66)は、
医師としてインドネシアなどで母子手帳の普及に努めてきた。
「途上国では母子手帳を持つと母親の意識が変わる。健診にも関心を持ち、医師にも質問できるようになる。
母子手帳には、母親を励ます力があるんです」
委員会が掲げる近年の課題は「誰一人取り残さない」こと。
静岡県が作り、18年春から母子手帳とあわせて配っている低体重児向けの
「しずおかリトルベビーハンドブック」はその好例だ。
保育器の中の赤ちゃんに「初めて触った日」「初めて抱っこした日」などの記念日を書く項目、
「おもちゃを目で追う」「手どうしを握る」など発達や成長を見つける項目……。
ふつうの母子手帳だけではカバーしきれないきめ細かさだ。
タイでは同委員会事務局長の板東あけみさん(67)が紹介。「英語版はないのか」と質問攻めにあった。
板東さんは京都や静岡などの大学で母子手帳の授業を続けているが、
自分の母子手帳を見た学生たちは自らの誕生や成長への親の思いに触れ、心を揺さぶられるそうだ。
「母子手帳は最終的には子どものものなんです。親や社会がいかに自分の命を守ってきたか、その歴史が語られている。
若い世代にとっては自身の存在を肯定するツールだし、自分たちが親になる時のテキストです」
(朝日新聞社会部皇室取材班)
※AERA 2019年1月21日号
https://dot.asahi.com/aera/2019011600016.html?page=1

“不合理”を嫌う雅子妃 新皇后に「宮中祭祀」のハードル
社会週刊新潮 2019年1月24日号掲載
1月7日、雅子妃が3年ぶりに宮中祭祀への出席を果たされた。
このお出ましは、世間の目にはご体調が上向きにあるように映った。
その一方で、宮内庁のさる幹部には、
宮中祭祀が“新皇后”の前に立ちはだかる高い壁だと再認識されるきっかけとなったという。
昭和天皇が崩御し、天皇陛下の即位から30年を迎えた1月7日。
八王子の武蔵野陵と皇居の宮中三殿で、「昭和天皇三十年式年祭の儀」が営まれたのだが、
「天皇皇后両陛下は武蔵野陵に参拝され、皇霊殿の儀には、両陛下のご名代で皇太子ご夫妻が臨まれました。
雅子さまの宮中祭祀は、実に3年ぶりです」
と、振り返るのは宮内庁担当記者。
「雅子さまが帯状疱疹で“長期療養生活”に入られたのは2003年12月。
その年9月の『秋季皇霊祭・秋季神殿祭』を最後に、09年1月に営まれた『昭和天皇二十年式年祭』まで
宮中祭祀に出られませんでした。
以降は、16年4月の『神武天皇二千六百年式年祭』まで7年の間が空き、今回のお出ましへと続きます」
療養後3年ぶり3回目の宮中祭祀を受け、宮内庁のさる幹部が打ち明ける。
「最近の雅子妃殿下は地方行啓や園遊会もこなされ、
元日は、陛下に三権の長などがお祝いを述べる『新年祝賀の儀』にも出られました。
この“復調”の裏であらためて懸念されているのが、宮中祭祀に対する妃殿下の胸の裡なのです」

菊の壁
それはいったい、どんな思いなのか。
「宮中祭祀には、豊穣を祈る祈年祭や新穀を供えて口にする新嘗(にいなめ)祭をはじめ、
今回のように先祖の霊に祈る祭典があります。
妃殿下は、古式にのっとり大垂髪(おおすべらかし)を結い
重い装束を身にまとって臨まれるので、肉体的な消耗がとても大きいのです」
だがそれ以前に、
「妃殿下は合理性を重んじる海外での生活が長く、キャリアウーマンとして活躍してこられた方です。
必ずしも理屈では説明がつかない祭祀という分野について、
いまだに割り切れない思いをお持ちなのでは、と拝察されます」
ならば、なにが割り切れないのか。
「たとえば、宮中祭祀にともなう“潔斎(けっさい)”という所作。
儀式の前、全身を清めるために湯を浴びるのですが、着替えから女官の手によって行われます。
妃殿下はご自身の裸を他人に晒さねばなりません。
こうした“不合理さ”も、宮中祭祀を遠ざけてきた理由の一つと言われているのです」
これら、日本の皇室ならではの特殊な儀式は“菊の壁”とも言われるという。皇室ジャーナリストの神田秀一氏が語る。
「少なくとも推古天皇の時代から脈々と続いてきた祈りの儀式が宮中祭祀。
皇室の慣習であり伝統であり、アイデンティティーそのものです。
外交官を務められていた雅子さまが馴染むにはハードルが高いかもしれません。
主要な宮中祭祀は、年に30ほどあります。皇后になられた雅子さまがこれらをどこまでこなせるのでしょうか。
ご病気が治ったわけでもないですし……」
行幸啓などのご公務や国事行為のみならず、宮中での祈りもまた、
両陛下の大切なおつとめであることは言うまでもない。美智子さまと比べ、“雅子妃不在”が際立つ面もある。
しかし、なによりも、胸の裡が問題なのだという。
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/01240558/?all=1

皇太子さまが再び立ち上がる日 雅子さま人格否定会見から15年
記事投稿日:2019/01/24 16:00 最終更新日:2019/01/24 16:00

《大君と母宮の愛でし御園生の白樺冴ゆる朝の光に》
1月16日、歌会始の儀で発表された雅子さまのお歌である。
天皇陛下と美智子さまが皇太子ご夫妻だったころ、
お住まいだった東宮御所の庭に育てられた白樺が題材となっている。
両陛下への感謝がこめられたお歌だったが、歌会始の儀が催された皇居宮殿「松の間」に雅子さまの姿はなかった。
「両陛下が出席されてお歌を披露される歌会始は今回が最後です。
’04年以降欠席されている雅子さまは、今年こそは出席したいという思いも強かったはずですが、
7日に出席された昭和天皇三十年式年祭の翌日から体調を崩されてしまったのです」(宮内庁関係者)
その後も発熱が続き、11日の講書始の儀、そして歌会始の儀も出席を控えられた。
雅子さまにとっては悲痛な新年となってしまった。
しかし、お代替わり後、新皇后の雅子さまを待ち受ける儀式やご公務の“試練”はさらに重い。
5月から11月まで即位関連行事が半年以上にわたって続く。
また、両陛下から引き継がれる重要なご公務も目白押しなのだ。
「さらに安倍政権は、5〜6月中に来日するトランプ米大統領と新天皇皇后両陛下の会見を計画しています。
これほどの“過密日程”では、雅子さまがすべてのご公務に出席されるのは不可能に近いでしょう」(皇室担当記者)
精神科医で立教大学教授の香山リカさんはこう語る。
「雅子さまは適応障害で長期ご静養に入られて15年です。現在はかなり回復されていますが、
ご病気になられる前の状態に戻られたとは言えません。
雅子さまは新皇后になられてから役割を全うするために努力されると思います。
しかし重圧も大きく、お疲れがたまります。いつ調子を崩されてもおかしくはないのです」
雅子さまが適応障害と診断されて長期ご療養に入られたのは、’03年12月のこと。
その半年後、皇太子さまが行動を起こされたことがある。
雅子さまのお出ましが完全に途絶え、国民から心配の声が上がるなか、翌年5月の会見でこのように発言されたのだ。

《雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です》
“お世継ぎ”となる男子を産めなかったのに、海外訪問ばかりを望み、公務を休み続けている――。
そうしたバッシングに心を痛めていた雅子さまを守るためになさった“人格否定発言”だった。
しかし、このご発言は国民に衝撃を与えたばかりか、両陛下も困惑を示されることになった。
秋篠宮さまは《せめて陛下と内容について話をして、そのうえでの話であるべきではなかったか》と
皇太子さまに苦言を呈された。
それから皇太子さまは論争を呼ぶような発言は控えられるようになり、
雅子さまのご体調は「東宮職医師団」が毎年1回、文書で発表するだけになった。
「宮内庁はこの15年間、体調には波がおありだと繰り返し発表しましたが、
もう少し具体的な説明があってもよかったでしょう。
雅子さまには、ご自身が国民の前でご症状について語られるには、少なからず恐怖があったはずです。
一度でいいので、皇太子さまが国民の前でその説明をなさってもいいと思います」(香山さん)
2月23日に59歳の誕生日を迎えられる皇太子さまは、例年のように会見に臨まれる。
お代替わり前の会見は、この1回きりだ。
“最後のチャンス”に、皇太子さまが再び立ち上がるのではと語るのは皇室ジャーナリスト。
「現在は毎月、天皇陛下、秋篠宮さまとの“三者会談”が開かれています。お代替わりに向けた話し合いのなかで、
皇太子さまは雅子さまのご体調についてもしっかり説明なさっていると思われます。
今回は15年前とは異なり、お二方からの後押しもあるでしょうから、
きっと雅子さまの不安を取り除く結果になるはずです」
https://jisin.jp/domestic/1704403/

何の意味もなさなかった「小室圭さん」釈明 存在増す“次代の皇嗣家”秋篠宮家の重み
週刊新潮 2019年1月31日号掲載
その文書は、秋篠宮さまの出された“課題”にお応えする声明かと思われたのだが、あに図らんや、
〈いつも温かいご厚情を賜り、御礼を申し上げます〉
との不可解な出だしで始まっていた――。
1月22日、小室圭さん(27)は秋篠宮家の長女・眞子さま(27)との「結婚問題」について、
こんな「釈明コメント」をメディアに発表した。念のため経緯をおさらいしておくと、
一昨年末、母・佳代さんとかつての婚約者との間に、約430万円の金銭トラブルが存在することが発覚。
この資金は小室さんの入学金や留学費用、母子の生活費などに充てられ、
返済を求める男性に、小室母子は揃って「贈与だった」と主張。
双方の溝は埋まらないまま時は流れ、これが原因で昨年2月、
二人の結婚に関する行事は「2年後に延期」と発表されるに至ったのである。
この件はコメントでは、
〈(元婚約者から婚約解消の申し入れがあり)その際に母が婚約期間中に受けた支援については
清算させていただきたいとお伝えしたところ、
元婚約者の方から「返してもらうつもりはなかった」という明確なご説明がありました。
支援や慰謝料の点を含めて金銭的な問題はすべて解決済みであることを二人は確認したのです〉
〈多くの報道において借金トラブルが残っているとされていますが、
このような経緯ですから母も私も元婚約者の方からの支援については解決済みの事柄であると理解してまいりました〉
〈今後は元婚約者の方からご理解を得ることができるよう努めたい〉
そう記されていたのだった。

意味をなさない“回答”
が、
「これでは、秋篠宮さまの出された“課題”への回答にはなっていません」
とは、宮内庁担当記者。昨年11月30日のお誕生日に先立って行われた会見で秋篠宮さまが、
〈(小室さん側が)それ相応の対応をするべきだと思います。(そうでなければ)婚約にあたる納采の儀は行えません〉
そうした強い言葉で“最後通牒”を突き付けておられたのは、記憶に新しい。
「そもそもトラブル発覚直後から、小室さんと佳代さんは秋篠宮家との話し合いを続けており、
そこで秋篠宮さまは『経済的な安定を得るべく転職も含めて進路を示す』
『金銭トラブルを何らかの形で解決する』という、二つの課題を示されました。
ですが、その後の進展はまるでなく、しびれを切らしたように
会見の場で“ダメ出し”をなさった格好となったのです」(同)
年が明けてもなお、小室家側が引き続き“ゼロ回答”を継続中であることは週刊新潮1月24日号でも報じた通りだ。
「秋篠宮さまが求めておられるのは、国民が納得する説明とともに、
トラブルの相手方と話し合って円満に解決する方策です。
あらためて『贈与だった』『解決済み』といった“回答”をされても、何の意味もなさないのです」(同)
そうした“3年越しの難題”に苛まれ続ける秋篠宮家は、一方で次代の「皇嗣家」として存在感がいや増すばかり。
御所の事情に通じるさる人物によれば、
「皇后さまは最近『歴史上“皇嗣家”が作られるというのは初めてのことです。
私ももちろん、秋篠宮や紀子にとっても、これは同じです』と、あらためて周囲に漏らされています」

美智子さまは〈従来の東宮家以上に…〉
これは、次代を担われる皇太子さまご一家に引けを取らないほど、
今後の秋篠宮家の置かれるお立場が重くなるというご趣旨だというのだが、
この人物によれば、皇后さまは続けて次のように仰っていたという。
〈皇嗣家の中には、皇位継承権を持つ男性皇族が2人いることになります。
皇室全体で支えるという意味においては、従来の東宮家以上に大切ですし、
一方で、皇位を継いでいく者としての立場も出てきます〉
〈東宮家では、雅子もまだ万全ではありません。手を差し伸べればもちろん応答はありますが、
本当にお仕事が全てできる状況には至っていない。
そうした中で、次代の両家にはどう接していけばいいのか、考えてしまう時があるのです〉――。
現行の皇室典範では、将来の皇統は秋篠宮家の悠仁さまを起点とし、連綿と続いていくことになる。
そうした点に鑑みれば、皇嗣家がいっそう重みをまとっていくのは自明の理である。
特集「宮内庁が腰を抜かす 『小室圭さん』ご母堂の『天皇陛下』謁見要求」より
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/01300800/?all=1&page=1

天皇皇后両陛下 「最後のおことば」奇跡の10秒間の秘話
2019.02.28 07:00
その瞬間、おふたりとも、はにかんだような笑顔を浮かべられた──。
昭和天皇の長男として生まれ、極限の苦悩と想像を絶する責任を双肩にのせ、孤独の道を歩かれてきた天皇陛下。
いつもその隣に寄り添い、共に歩まれてきた皇后美智子さま。
《皇太子妃、皇后という立場を生きることは、私にとり決して易しいことではありませんでした》と、
美智子さまは昨年10月、84才の誕生日に際した文書で、そう述懐された。
おふたりは、天皇皇后というお立場での30年間という長い歩みを、ほどなく、終えようとされている。
2月24日、天皇陛下御在位30年記念式典(国立劇場、東京・千代田区)での陛下のおことばは、
退位儀式中をのぞいて、国民に直接語りかけられる最後の機会だった。
陛下は時折、声を震わせながら、語られた。
おことばが始まって、5分半が過ぎた頃だ。美智子さまが陛下に近寄られ、お声をかけ、
腰をかがめて御机の上を探し始めた。陛下のおことばが止まった。会場内の人々は、固唾をのんで見守る。
中継放送を見る全国の国民もそうだった。
次の瞬間、「どうも、失礼」と陛下が、穏やかな笑顔を浮かべられた。
下を向かれていた美智子さまも、優しく微笑まれた。おことばが続く。
その笑顔は、ご夫妻の以心伝心の信頼の表れであり、長いお務めを締めくくられる安堵であり、
おふたりの自然体の表情だった。
おことばの中で、陛下は涙声で国民への感謝の思いを語られた。多くの国民はその時、こう思ったのではないか。
「おふたりが天皇皇后でよかった」と──。
 *
式典前日の23日、皇太子さまが59才の誕生日を迎えられた。
先立つ21日、新天皇即位前、皇太子として最後の会見に臨まれた。
《雅子には、これまで、私や愛子のことにもいろいろと良く心を配り、私の活動を支えてきてくれています。
私も、できる限り力になり、雅子を支えていきたいと思っております》
「新しい天皇皇后像を感じた会見でした」と語るのは、元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんだ。
「陛下は“皇后に支えられた”ということをよくおっしゃいます。『私』よりも『公』を重んじ、
常に自分を律してこられた陛下を支えることに人生をささげた皇后陛下。
それが陛下に対する皇后陛下の愛の表現なのでしょう。
雅子妃殿下は“皇太子殿下を支える”とともに、ご自身の“生きる道”として皇室に嫁がれたのだと思います。
それは皇太子殿下も望まれたことでしょう。今回、“雅子を支えていきたい”とおっしゃったことに、
天皇と皇后というよりも、夫と妻という関係を感じました」
皇太子さまは会見で、《伝統をしっかりと引き継いでいくとともに、
それぞれの時代に応じて求められる皇室の在り方を追い求めていきたい》と語られた。
すでにその一歩を踏み出されているようだ。
◆「違う?」「違うんです」
式典で陛下は、30年在位の集大成となるメッセージを、約8分半、1280文字に込められた。
平成という時代を、
《日本は国民の平和を希求する強い意志に支えられ、近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちました》
《決して平坦な時代ではなく、多くの予想せぬ困難に直面した時代でもありました》
と振り返られ、昭和天皇から受け継がれたバトンが、どれだけ重いものであったかを感じさせた。
陛下は何度も会場に視線を向け、時に感情を高ぶらせて、言葉を紡がれた。
《憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く》と、自らの歩みを振り返りつつ、
次代の皇室に向け、象徴天皇像の追求を託された。
そして、一言ひとことを噛みしめられたのが、国民への感謝だった。
美智子さまはそのお姿を、体を半分、陛下の側に向けながら見守られた。終始緊張の面持ちを崩されなかった。
「美智子さまは日頃から陛下のご体調や体力をつぶさに見守られ、
“退位されるその日まで、陛下のお務めを支え続ける”という強い決意を持たれています。
実は、今回の記念式典で陛下がおことばを述べられることを、
美智子さまが心配されているという話がありました。4月末の退位の儀式に向け、
大きな精神的な負担がのしかかる中で、陛下の体力面を心配されていたのだと思います」(宮内庁関係者)
陛下自身、近年、体力面での不安をお話しされてきた。
《既に80を超え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、
これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています》
2016年8月、生前退位の意向を示すビデオメッセージで、陛下はこう心境を吐露された。
また、82才の誕生日会見では《年齢というものを感じることも多くなり、
行事の時に間違えることもありました》と述べられた。
実際、一部メディアの間で、記念式典では陛下のご発言はないかもしれないという情報が流れたこともあった。
しかし、それは杞憂だった。式典のおことばにあたり、
壇上後方の河相周夫侍従長が陛下に近づき、3枚の原稿を陛下の御机の上に置いた。
「陛下が立ち上がられた時、手に持たれていたのは2枚の原稿でした。
3枚を読まれるはずが、手元の資料と交ざり、最初の2枚だけ手にされたのでしょう」(皇室記者)
おことばが始まって5分半あたりで、2枚目の原稿を読み終えられた。
次に3枚目を読まれるはずが、最初の1枚目をめくられたことに陛下が気づかず、
再び冒頭部分を読み始められた。
その時、とっさに動き出されたのは美智子さまだった。かがむように姿勢を低くして陛下に近づかれる。
陛下は戸惑いながらも「違う?」と応じられ、美智子さまは小声で「違うんです」と囁かれた。
美智子さまが手を伸ばされ、御机に置かれていた3枚目の原稿を、資料の中から探された。
美智子さまから原稿を受け取られ、取り違えに気づかれた陛下は
「あ、そうか」、「どうも、失礼」とわずかに微笑まれながら美智子さまに視線を送り、
再びおことばを読み進められた。その間、約10秒だった。
「会場の誰もが陛下が読み間違えられていることに気づいていない中、美智子さまがとっさの判断で動かれた。
美智子さまの立ち位置からは、陛下のお手元の原稿は見えません。
つまり、原稿を目で追っていて気づかれたわけではなく、原稿がすべて頭の中に入っていたから、
手を差し伸べることができたのでしょう」(別の宮内庁関係者)
おことばは、陛下がご自身の言葉で執筆され、推敲を重ねられたという。
「美智子さまはお側で、推敲を支えられたそうです。だからこそ、瞬時にフォローができたのでしょう。
陛下はおことばを、美智子さまが平成2年に詠まれた御歌(和歌)で締めくくられました。
陛下にとって、ずっとお側で寄り添われてきた美智子さまの存在が
どれだけ大きなものかを感じさせられました」(前出・宮内庁関係者)
約9年前、美智子さまがテニスで左膝靱帯を痛められて以来、両陛下が並んで歩かれる時は必ず陛下が腕を出し、
美智子さまを支えられてきた。
昨年6月、2泊3日の福島訪問で美智子さまが38度台の高熱を出された。
東日本大震災の被災地への陛下在位中最後の訪問であり、美智子さまは体調不良を押して、
すべての行事に出席された。帰京し、東京駅のホームの階段を下りられる際、
陛下は右手で手すりを持ち、左手で美智子さまを支えて、
美智子さまの様子に気を配りながら一歩一歩、ゆっくりと進まれた。
両陛下が式典で見せられた一瞬の微笑みは、おふたりが手を携え、
長い苦難の道を共に歩まれた末にたどり着かれた境地であろう。私たちはこの最後のおことばを語り継いでいかなければならない。
※女性セブン2019年3月14日号
https://www.news-postseven.com/archives/20190228_877531.html

雅子さま 会見またも実現せず…懸念される“新皇后の重圧”
記事投稿日:2019/03/01 16:00 最終更新日:2019/03/01 16:00
2月23日、皇太子さまは59歳の誕生日を迎えられた。
会見のなかで記者からは、新皇后となられる雅子さまについて
「どういった内容でご公務、ご活動をされていってほしいとお考えでしょうか」と質問があった。
しかし皇太子さまは、《今具体的にどういうものかということは、お答えできないのですけれども》と、
明確な言及を避けられた。
2月25、26日には天皇陛下のご即位30年を祝う茶会が開催されたが、雅子さまは欠席された。
精神科医で立教大学教授の香山リカさんはこう語る。
「いよいよ皇太子さまのご即位が近づき、雅子さまにとって『皇后』という言葉は
大きなプレッシャーとなっているのかもしれません。一般の方ならば、
適応障害であったとしてもリワーク(慣らし出勤)という形で段階的に仕事復帰ができます。
しかし皇后になられる雅子さまは、一夜にしてお立場が変わってしまいます。
皇太子さまはご即位後に、国際的に活躍される皇后・雅子さまを実現するためにも、
今は雅子さまのプレッシャーになるようなご言動は避けられていると思います」
今回は皇太子さまにとって、平成最後の会見だった。
「宮内記者会は再三にわたり『雅子さまのご同席』を要望したのですが、実現しませんでした。
雅子さまの記者会見は、ご病気になられて以来15年間、一度も行われていません。
昨年6月の皇太子ご夫妻の銀婚式や、12月の雅子さまの誕生日にも会見を要請しましたが、
宮内庁は聞き入れませんでした。お代替わりまで雅子さまの会見は“お預け”となってしまいました」
(皇室担当記者)
さらに前出の皇室担当記者は、愛子さまの近況を心配する。
「この4月から学習院女子高等科の3年生になられる愛子さまですが、最近は学校をお休みがちなのです。
愛子さまの体調不良も、雅子さまにとって不安要素になっているはずです」
お代替わりとなる5月には、さっそくいくつもの重責が雅子さまを待っている。
「宮内庁は、皇太子さまのご即位から数日以内に一般参賀を開催することを検討しています。
新天皇皇后両陛下が国民の前に姿を見せられる初めての機会となるため、
雅子さまが欠席されるわけにはいきません」(前出・皇室担当記者)
2月22日午後には、安倍首相が東宮御所を訪問。
お代替わりのスケジュールとともに国内外の情勢について報告したという。
「首相が皇太子さまに直接説明するのは極めて異例です。
安倍首相は5月26〜28日の日程で調整が進んでいるトランプ米大統領の訪日についても報告したはずです。
新天皇皇后にとっては外国首脳との初会談。しかも国賓待遇ですので宮中晩餐会も催されることになります。
その様子は世界中に報道されるでしょうから、新天皇皇后の国際的な“お披露目”になるでしょう。
雅子さまの語学力や外交的な知見が大統領相手にいかんなく発揮されれば、
今後の『新しいご公務』への道も一気に拓けるかもしれません」(前出・皇室ジャーナリスト)
新皇后となられるまであと2カ月。
雅子さまは皇太子さまとともに、この重圧をはねのけることもできるはずだ――。
https://jisin.jp/domestic/1716043/

雅子さま、お代替わり早々トランプ大統領と懇談へ!悲願の「国際親善」へ飛躍する日
週刊女性2019年3月19日号
2019/3/6
「2月24日、東京都内で天皇陛下の在位30年を祝う記念式典が開かれました。
当日は、午前中に皇太子ご夫妻などの皇族方が即位30年の祝賀をお伝えに皇居へ。
午後7時ごろからは、お祝いのための夕食会に、黒田清子さんご夫妻らを含めたご家族らが参加されました」
そう話すのは、ある皇室担当記者。記念式典では、こんな“ハプニング”も。
「式典内では、陛下が声を震わせながら、30年の歩みを振り返り、
国民への感謝の思いを約8分半にわたってスピーチされました。
そのさなか、陛下は読む原稿を1枚分飛ばしてしまう場面がありましたが、
皇后さまがすぐさま近づかれ正しい順番をお伝えして事なきを得たのです」(同・皇室担当記者)
ご高齢の陛下を常にお支えになっている美智子さまの“ファインプレー”に、
皇室を長年取材するジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡邉みどりさんは、次のような感想を抱いたという。
「テレビ中継された式典内で、天皇陛下がおことばを読み違えた際に、すかさず、
そして優しく美智子さまがフォローされたお姿には、涙が出るほど感動しました。
マイクから漏れ聞こえたおふたりのやりとりは、夫婦として“阿吽(あうん)の呼吸”だったので、
本当に仲がよろしいのだと感じましたね。
天皇陛下は、美智子さまに対して感謝の気持ちがあふれているからこそ、
おことばの中で美智子さまの和歌も紹介されたのだと思います」
渡邉さんがそう話すように、陛下はおことばの中で、美智子さまが以前、詠まれた和歌を紹介されたのだ。

《ともどもに平(たひ)らけき代(よ)を築かむと諸人(もろひと)のことば国うちに充(み)つ》

この和歌について、皇室の新年行事『歌会始』で選者を務めている、京都産業大学の永田和宏教授に話を聞いた。
「天皇陛下が式典で紹介された皇后陛下の和歌は、おふたりが新しい時代を引き継いだときに
“安らかで平和な時代を築いていきたい”という決意の思いがありつつ、
それに呼応した国民の声が国内に満ちあふれているという喜びが表現されています。
それが、たのもしくも感じられるし、そういった時代になってほしいという期待も込められた前向きな歌だと思います。
昨年12月のお誕生日の際のおことばでも、陛下は声を詰まらせながら皇后さまのことを語っておられました。
皇后陛下のことを、とても信頼されていて“同志”だと思っておられるのではないでしょうか」
そんな感動的な式典の翌日と翌々日の2日間で、合わせて3回、
式典のお礼として『宮中茶会』が催され、各界の功労者などが招待された。
しかし、次の皇后である雅子さまは、1度も姿をお見せになることはなかった─。
「25日は安倍晋三首相ら三権の長や国会議員、26日には元フィギュアスケート選手の浅田真央さんや、
ノーベル生理学・医学賞を受賞した大隈良典(おおすみ よりのり)さんなどが出席しました。
茶会には、両陛下や皇太子さま、秋篠宮ご夫妻などの宮家の方々も参加されていたのですが、
ご病気の影響なのか、雅子さまのお姿はありませんでしたね」(宮内庁関係者)
'04年から『適応障害』の療養中である雅子さま。お代替わりまで、2か月を切る中で、周囲からは心配の声も。
「2月8日の『青少年読書感想文全国コンクール表彰式』以降、公務にお出ましになっておられませんでした。
実は、皇太子ご夫妻の長女である愛子さまも、2月初旬から腹痛などの症状を理由に学校を休まれがちだったのです。
愛子さまへの不安が、お仕事に影響していなければいいのですが……」(東宮職関係者)
ある皇室ジャーナリストは、そんな不安の声を吹き飛ばすようにこう語る。
「2月23日は皇太子さまの59歳のお誕生日でした。
この日は、両陛下や秋篠宮ご夫妻などを招いた夕食会が東宮御所で開かれ、
そのホスト役は雅子さまが務めるのが慣例になっています。
当日、雅子さまは料理やお飲み物など細かい気配りをされなければなりませんし、
両陛下がいらっしゃるプレッシャーも当然あるでしょう。
さらに、翌日の記念式典にまつわる行事には参加される予定だったので、
療養中の雅子さまはご体調を考慮して茶会を欠席されたのだと思います」
前出の渡邉さんは、茶会のご欠席は“美智子さまのご配慮”があったのではと話す。
「重要な行事が連続した関係で、雅子さまは茶会を欠席されたのだと思いますよ。
茶会には、1回につき約500人の招待者がいましたが、その中で注目される皇族方はとてもお疲れになるでしょう。
いちばん大切な行事であるお代替わりまで2か月を切っていますし、
療養中の雅子さまには大事をとっていただくように、美智子さまや皇太子さまが配慮されたのかもしれませんね」
あくまで、お代替わりを見据えたうえでのご欠席だったようだ。
一方で、前出の宮内庁関係者は、お代替わりのあと、雅子さまが意欲を燃やされている“挑戦”があると話す。
「海外経験が豊富で、独身時代は外務省にお勤めになっていたこともあり“皇室外交”に挑戦されると思います。
今年は即位関連の儀式が続き、両陛下から公務を引き継がれるので外遊は難しいですが、
来年以降は海外訪問の機会が増えていくでしょう。
今年でいうと、5月にアメリカのトランプ大統領が国賓として訪日する予定です。
さらに中国の要人も、6月に大阪で開かれる国際会議『G20サミット』に合わせて、
新たな両陛下と接見する可能性があるそうです」
まずは日本国内での外交をこなされつつ、いずれは海外訪問に挑戦しながら“飛躍”されていくのだろう。
「もともと、雅子さまは国際親善を志していたこともあり、皇后になられてからは海外訪問など、
国際的な活動に取り組まれると思います。ご本人が希望されているジャンルの取り組みができることで、
ご病気もよい方向に進む可能性があるでしょう」(渡邉さん)
“皇室外交”を通じて「新皇后」の活躍を見られる日が待ち遠しい─。
https://www.jprime.jp/articles/-/14643

ご療養16年の雅子妃殿下 お気持ちを整える「工夫と努力」
2019.03.07 07:00
雅子妃殿下のご体調は、近年、劇的に回復している。
背景には着実に準備されてきたご努力と、皇后になられることへのご覚悟があるという。
ジャーナリスト・友納尚子氏がレポートする。
* * *
5月に皇后陛下になられる雅子妃殿下。ご療養が16年に及び、現在も続いていることから、
果たして皇后として務められるのか、という疑問の声がないわけではない。
しかし、そんな心ない言葉を払拭するように、雅子妃のご回復は3年前から大きく上向かれている。
2016年夏に天皇陛下の生前退位のご意向が発表されてから、
美智子皇后陛下の最後のお務めにどうしてもご一緒したいと雅子妃は願っていたと聞く。
その思いが、ご回復を促したのだろう。
昨年5月の日本赤十字社の全国大会もその一つで、名誉総裁を務められている皇后の最後のご臨席だった。
雅子妃は実に15年ぶりにご出席されたのだった。そして、一つのドラマが見られた。
皇后が式典の最後に挨拶を終えられると、後ろで待機されていた雅子妃に向かって声をかけられた。
はにかみながら笑顔で応えた雅子妃は前に出て、次期名誉総裁となる紹介を受けられた。
会場は、割れんばかりの拍手で溢れていた。
雅子妃にとって、両陛下の存在は大きい。昨年12月の55歳の誕生日に際して発表された文書には、
両陛下への思いが記されていた。
〈26年近く前に皇太子殿下との結婚が決まりました時から、天皇皇后両陛下には、私を温かく迎え入れて下さり、
今日まで変わることなく、広いお心でお導き、お見守り下さいましたことに、心から感謝申し上げております。
(中略)両陛下が、大きな責任を担われながら、どれ程深く国民の幸せや国の安寧を願われ、
お力を尽くしていらっしゃったかということを改めて思い、敬意と感謝の気持ちで一杯になります〉
同文書では今後についても言及されており、そこには強い決意が感じられた。
〈これまで両陛下のなさりようをお側で拝見させていただくことができました幸せを心の糧としながら、
これからも両陛下のお導きを仰ぎつつ、少しでも皇太子殿下のお力になれますよう、
そして国民の幸せのために力を尽くしていくことができますよう、
研鑽を積みながら努めてまいりたいと思っております〉
その思いを胸に雅子妃のお出ましは増えていき、マスコミ対応にも大きな変化が現れるようになった。
「ご療養に入られてから何年かは、撮影が禁止されることもありましたが、昨年夏のご静養先の須崎では、
御用邸に隣接する三井浜を皇太子ご一家が歩いて記者団の質問に答えられたのです。
また、プライベートな空間である、御用邸敷地内を散策されるご様子の取材許可も下りました。
これは初めてのことでした」(宮内記者)
昨年11月に、雅子妃は15年ぶりに秋の園遊会の全行程に皇太子殿下とご一緒にご出席された。
両陛下が主催する最後の園遊会であった。今年の春の園遊会は行われないため、
次の園遊会は新天皇、新皇后の主催となる。雅子妃は約1800人もの招待客と2時間近く過ごされた。
園遊会後の雅子妃のご様子について、小田野展丈東宮大夫は会見で、
「私が見るところ、随分とお疲れになっていたと思います。
ただ、その後に全国育樹祭という大事な行事があったので、そこに向けての工夫と努力をされた」
と述べた。適応障害という精神疾患は、緊張を伴うと極度に疲れやすいと言われる。
健康な人の疲れとは違って、何日も抜けないことや寝込むほど辛い時があるという。
雅子妃の場合、近年は寝込むことはなくなってきたと言われていたが、
昨年の東宮職医師団の見解の中に「大きい行事の後や行事が続かれた場合には、
お疲れがしばらくお残りになりご体調が優れないこともおありになります」とあるように、
いまだ体調の波はあるそうだ。
国民の前に笑顔でお出ましになる姿からは想像がつかないかもしれないが、
裏ではご病気と向き合われ、お気持ちを整える「工夫と努力」の日々が続いている。
「大きい行事が控えているときは、前の公務のご予定を詰め過ぎないようになさったり、
時間をかけてお気持ちを整えたりされている。
それは、皇太子妃としてのお務めを果たされたいという強い思いからではないでしょうか」(東宮関係者)
●とものう・なおこ/1961年生まれ。新聞、雑誌記者を経て2004年に独立、
フリージャーナリストに。著書に『ザ・プリンセス 雅子妃物語』(文藝春秋)などがある。
※SAPIO2019年4月号
https://www.news-postseven.com/archives/20190307_872944.html?PAGE=1

天皇陛下在位30年式典 嘲笑疑惑と大量欠席、議員の問題行動
2019.03.07 16:00
「平成最多」の15万4800人が訪れた新年一般参賀が記憶に新しい中、
宮内庁は、皇太子さまのご即位を祝う一般参賀を、5月4日に皇居・宮殿で行うと発表した。
その参賀は、皇太子さまが新天皇として公式行事で一般国民の前にお出ましになる初めての機会となる見通しだ。
と同時に4月30日に譲位される天皇陛下と美智子さまは、参賀に参加されないことも決まった。
2月24日、政府主催で行われた天皇陛下御在位30年記念式典は、退位儀式中をのぞいて、
陛下が国民に直接おことばを述べられる最後の機会となった。
会場の国立劇場(東京・千代田区)には、安倍晋三首相(64才)ら三権の長や各国大使、
国会議員ら約1160人が臨席した。式典で陛下がおことばを述べられた時には、
陛下と美智子さまおふたりのご関係を表すハプニングがあった。
「おことばを述べられ始めて約5分半が過ぎた時、陛下はおことばの書かれた原稿の3枚目を読み進められるはずが、
誤って1枚目を手に取り、読み始めました。しかし、隣で見守られていた美智子さまが即座に陛下に近づかれ、
本来読むべき3枚目の原稿を手渡されました。取り違えに気づかれた陛下は、再びおことばを読み進めました。
おことばの内容が全部頭に入っていたからこそできた美智子さまの絶妙なフォローで、
天皇皇后として過ごしてきたおふたりの絆が感じ取れる、感動的なシーンでした」(宮内庁関係者)
だが、その感動に水を差す行為があったという。
「陛下がおことばを読み違えられた時に、会場1階の中央後方席あたりから
『ははは』という男性の笑い声が聞こえたんです。そこは式典に出席した国会議員らが座っていた席。
もしそれが読み違いへの嘲笑だったのであれば、大変な不敬行為ではないでしょうか」(出席者の1人)
今回の式典には多くの国会議員が出席していたが、この嘲笑疑惑以外にも問題行動が指摘されているという。
「式典には、約700人の全国会議員が招待されました。しかし、その内の約350人が欠席したそうです。
現在、国会会期中で議員は都内に集まっています。都内で行われた式典には出席しやすいはずですが、
なぜこんなにも多くの議員が不参加だったのかと、疑問の声が上がったそうです」(政府関係者)
ある議員の秘書は、こう説明する。
「式典が日曜だったため、地元に戻っている議員もいました。
しかし、中には式典参加に関して服装などの厳しいルールに従えない、という理由で
“ボイコット”した人もいたと聞きました。
昨年11月に超党派で設立した『天皇陛下御即位三十年奉祝国会議員連盟』に加盟した議員らが、
“欠席があまりに多すぎる”と憤慨しているらしいです」
最近の政治家は不誠実なだけでなく不敬でもあるのか。
※女性セブン2019年3月21日号
https://www.news-postseven.com/archives/20190307_881026.html

「雅子妃」宮中茶会欠席だけではなかった“新皇后”の不安材料
週刊新潮 2019年3月14日号掲載
御代替わりまで2カ月。そんな時期に雅子妃が宮中茶会を欠席されたのだから、
ご体調を心配する声が上がったのも無理はない。
だが実は、このご欠席のほかにも宮内庁関係者が不安視する出来事があった。
天皇皇后両陛下が主催された茶会が皇居の豊明殿で行われたのは、2月25日と26日に計3回。
1200人ほどの各界の代表が招かれて皇族方と懇談したのだが、
そこに、「次期皇后陛下」の姿はなかった。宮内庁担当記者が振り返る。
「ご欠席は、事前に東宮大夫から知らされてはいたんです。“連日行事が立て込んでいることと、
大勢の人がいる場所なので難しい”との説明でした。行事というのはまず、2月23日皇太子さまの誕生日。
雅子さまは夕食会のメニュー決めから人の配置までを仕切らねばなりません。翌24日に政府主催の陛下在位30年記念式典。
そのお疲れを考慮して25、26日の茶会は休まれるというわけです」
その“公式見解”をめぐり、ある皇室ジャーナリストはこんな見方をしている。
「今回の茶会は、両陛下が過ごされた30年に対するお気持ちが深く込められた、重要なものでした。
両陛下の主催もこれで最後ですから、雅子妃もお出になりたかったのでは。
それでも欠席されたのは、やはりご病気の具合がよくないのかと思ってしまいます」
雅子妃の宮中茶会ご欠席には、次のような一面もある。宮内庁担当記者の話。
「雅子さまはもともと、晩餐会などでもメインの着席は参加されるものの、
お酒やコーヒーを飲みつつ歓談する立食のアフターディナーは避けられてきました。
大勢の方と話すことになる立食式が苦手のようです。
しかし一部の宮内庁関係者には“今回の茶会にお出になっていれば、
饗宴の儀のいい予行演習になったのに”と残念がる意見があるんです」
この饗宴の儀とは、即位後の“お披露目”のこと。皇室ジャーナリストの山下晋司氏によると、
「雅子妃殿下が最初にお出ましになる即位の礼は、5月1日の即位後朝見の儀。
これは総理や閣僚など国民の代表にお会いになる儀式であり、短時間で終わります。
大変なのは、10月下旬の饗宴の儀。国内外の賓客を招いて開く祝宴です。
4日間行われるうえに大勢の方と宴席をともにすることになります。
饗宴の儀は即位礼正殿の儀と同様に国事行為ですから、ぜひ、お出ましいただきたいです」
それが叶うかどうかは、
「ご病気がどれだけ快復するかに尽きますが……」
とは、ある宮内庁関係者。この関係者には、拭い去れない不安材料がある。
「報道されていませんが、宮中茶会翌日の2月27日、皇太子殿下はお一人で青年海外協力隊と接見されています。
実はこの27日は雅子妃殿下もご接見の予定だったのです。
青年海外協力隊については今上天皇が皇太子時代から重きを置いてきましたので、
その思いを継ぎ、できるだけ両殿下で接見されてきました。
しかし雅子妃殿下のご体調が整わず……。風邪などではありません。お疲れでしょう」
大事をとって茶会を欠席した流れで、なんとなく休んだということか。「新皇后」への心配の種は尽きない。
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/03160557/?all=1

陛下が感激された、黒田清子さんの祭主姿
記事投稿日:2019/03/18 11:00 最終更新日:2019/03/18 11:00
(略)
1700年の美を受け継ぐ登美子さんは、伊勢神宮の神事にも関わる。
現在は、天皇陛下の長女であり、祭主を務める黒田清子さんの結髪と着付けを担っている。
祭主とは、神への天皇の勅使であり、2月の祈年祭、6月と12月の月次祭、
10月の神嘗祭という大きな祭典を主宰する神職である。
「ご祭主様は大変ですよ。式典は真夜中に行い、睡眠時間は3時間ほど。
それを3日間、外宮と内宮をまわられるわけですから。
私どもは小さな部屋で待ち、潔斎(沐浴)されたご祭主様の装束と髪形をつくります。
その日の式典が終わると解くわけですが、寝る時間もやはり3時間ほどです」
’89年に85歳で亡くなった母の仕事を引き継ぎ、
登美子さんは伊勢神宮の祭主である池田厚子さん(昭和天皇の四女)の結髪と着付けを担うようになる。
’95年、古代の朝廷や公家、武家の行事や風俗・習慣、装束などの伝統を学び伝える「有識美容師」になった。
そして毎年4回、大きな祭典が行われるたびに伊勢神宮に足を運んできた。
’12年の式年遷宮では、池田厚子さんを補佐するため、黒田清子さんが臨時祭主になったのだが、
そのときのことを語る登美子さんの表情はひときわ明るい。
「祭典の前に、黒田さんがご装束を見たいということで、私も東京に行きまして、着付けのため宮中に上がりました」
装束姿の黒田さんを囲んで、写真を撮ろうというときだった。
「お部屋に、天皇陛下がおいでになったんです。美智子皇后も」
登美子さんの頬が、ふわっと赤らんだ。長年の努力が実ったかのような喜びに満ちていた。
「陛下から、『きれいにしてくれて、ありがとう』とお言葉をいただきました。
美智子皇后もニコニコされて、とてもうれしそうでした。そして、ふと私の帯を目にされたんです。
人間国宝の細見華岳さんのつづれ織の帯を締めていたんですけど、
『ああ』というお顔をなさったから、おわかりになったのでしょう。
この上ないお言葉を賜ったこと、そして皇后様との出来事は、私の一生の思い出です」
黒田さんは、’17年から伊勢神宮の祭主となり、登美子さんは引き続き現在もおつとめしている。
「黒田さんは、ほんまにお優しい方です」
しみじみ思い出すのは、昨年10月の神嘗祭のこと。
90歳の登美子さんは伊勢市駅のホームで転び、伊勢神宮に着いたころには、足首が紫色に腫れ上がっていた。
「ご祭主様の前では痛い顔をしないように髪を結いました。
でも、足を入れていただいたお袴を持ち上げようにも、痛みで立ち上がれない。
そのとき黒田さんが『大丈夫ですか』と手を差し伸べてくださって。そんな畏れ多い……。
だって、ご祭主様はすでに身を清められていました。私どものような汚れた体に触れてはいけません」
それでも黒田さんは手を取り、立ち上がらせてくれたのである。
「黒田さんは大変なお務めなのに、ひとつも嫌な顔をなさりません。
われわれみたいな者にも低姿勢で、装束をする前と後には、お座りになってお辞儀をするんですから」
立ったままで十分なのに、いつも両手をついて「お願いします」とご挨拶されるという。
「そんな黒田さんの厳粛さに、いまも体が震えるほど緊張します。
あれだけ真摯に神に仕えている黒田さんを拝見していると、私の足の痛みなんて」
とはいえ、伊勢神宮から帰宅して病院に行くと、足首は骨折していたというから登美子さんの頑張りはすさまじい。
「長年の立ち仕事からでしょう。私の足腰はもうボロボロですねん。
15〜16年前には膝の半月板が欠けて、ドリルを入れる手術をしました。
ほんで去年3月は腰。ちょっとコケただけで腰椎が折れてしまったんです」
5月には、恒例の京都三大祭りのひとつ「葵祭」での役目が待っていた。
ヒロイン・斎王代の髪形から髪飾り、衣装の着付けである。
登美子さんは1カ月間、首しか動かせないようにギプスで固められてベッドに寝かされた。
残り1カ月間で懸命にリハビリし、葵祭に間に合わせた。
「根性ですわ(笑)。斎王代の髪を垂髪に結い、おしろいを塗って。
20キロもある十二単を扱ったときは悲鳴をあげそうなくらい痛みましたけど、
母から引き継いだこの仕事、辞められません」
今年、新天皇は即位の報告のために伊勢神宮を訪れる。
登美子さんは、神宮で出迎える女官の装束に心を込める予定だ。
https://jisin.jp/domestic/1720870/

雅子さま、“即位プレッシャー”説よそに負担かかる祝宴に“ドタ参加”でご自信深まる
週刊女性2019年4月2日号
2019/3/23
「3月12日、天皇陛下が皇居・宮中三殿で『期日奉告の儀』に臨まれました。
陛下は古式ゆかしい装束姿で、4月末日で退位されることを
歴代天皇などがまつられている『皇霊殿』に報告されました。
この儀式は、退位に関する最初の儀式で、
皇太子さまや秋篠宮ご夫妻らの皇族方も参拝されました」(皇室担当記者)
約200年ぶりの生前退位まで残すところ、あと1か月と少し。次の両陛下も、着々と準備を進められている。
天皇陛下が儀式を執り行った翌日、皇太子ご夫妻は、
都内のホテルで『第15回ヘルシー・ソサエティ賞』の授賞式に出席されていた。
「この賞は、教育や医療などを通じて、健全な社会や人々の生活の質向上に貢献した人々を表彰するもので、
'04年に創設されました。
今年は、フィリピンの貧困層の出産支援などをボランティアで続けている助産師の
冨田江里子さんら5人が受賞しています。
皇太子ご夫妻は、授賞式が終わると壇上から降りてテーブルに着き、
審査員などの関係者と夕食をともにされていましたよ」(同・皇室担当記者)
“国民とともに”ある皇室にとって、とても意義のある賞なだけに、その功績をご夫妻も称えられたのだろう。
一方で、今回の授賞式に雅子さまが出席されたことに対して驚きの声をあげるのは、ある宮内庁関係者。
「この会は、授賞式に加えて関係者との祝宴がセットの行事なので、全体で2時間ほどの滞在になります。
さらに、この会には約650名が参加するので、まだ療養中である雅子さまの参加は難しいのではと思っていました。
実際、前日まで皇太子殿下おひとりでのご参加と聞いていましたが、
当日になって雅子さまのご出席が決定したそうで、とても驚きました」
雅子さまが『適応障害』と診断され、療養に入られてから約15年。長時間や不特定多数の人々に注目されるなど、
負担の大きい公務は医師団の判断もあり、出席されないことも。
今回の行事に出席されたのは、どんな背景があったのか。
「不特定多数の人々がいる中での祝宴のご出席は、療養中の雅子さまにとって、確かに大変な状況だったと思います。
しかし『適応障害』というのは、本人にとって何が負担なのかが問題であり、その問題は人によって千差万別なのです。
雅子さまにとってのストレス要因が、今回の式典にはなかったとも考えられます。
一方で、お出ましになられたこと自体、症状が改善されつつあり、
困難な場面に対しても適応する能力が高まってきているという見方もできるでしょう」
そう話すのは、心理学に詳しい東京未来大学こども心理学部長の出口保行教授。
一部では「皇后に即位されるプレッシャーで病状が悪化しているのではないか」という声もあったというが、
実際のご体調は回復傾向にあるように思える。
さらに、病状が回復されているほかにも、今回のご決断を後押しした理由があるというのは、ある東宮職関係者。
「2月24日の『在位30年記念式典』に出席された両陛下のお姿や、陛下の退位に関する儀式がいよいよ始まったことで、
次の皇后としての自覚がより一層お強くなったのではないでしょうか。
『ヘルシー・ソサエティ賞』での雅子さまは、普段よりもリラックスされたご様子で、
笑顔で関係者と交流されていたように思えます」
昨年12月のお誕生日での文書回答には、両陛下への強いお気持ちをこう述べられている。
《両陛下が、大きな責任を担われながら、どれ程深く国民の幸せや国の安寧を願われ、
お力を尽くしていらっしゃったかということを改めて思い、敬意と感謝の気持ちで一杯になります》
両陛下から大事なバトンを引き継ぐ雅子さまは、5月以降に控えている即位関連の儀式を見据えられているにちがいない。
「祝宴とセットになっていた今回の授賞式は、10月に控えている国事行為の『響宴の儀』を意識されたのかもしれません。
この儀式は、皇太子さまの即位後に国内外から賓客を招いて行われる祝宴で、
平成になった前回は計7回行われましたが、今回は計4回、総人数も3400人から2600人に減らして行われます。
今後行われる大勢の人々との食事会に慣れるためにも、今回の授賞式はぎりぎりまで検討を重ね、
ご出席を決断されたのだと思います」(前出・宮内庁関係者)
前出の出口教授は、今回のご出席について、今後に生かされると話す。
「大勢で食事をする機会にお出ましになっていくことは、今秋に控えている『響宴の儀』にも生かされると思いますよ。
ハードルの高いことから始めるのではなく、徐々にステップを踏むことで、
秋の儀式に対して準備されているといえるでしょうね」
少しずつ、今まで取り組むのが難しかった公務などを経験していくことで、
雅子さまの中で“自信”が高まっていくことだろう。
宮内庁ОBで皇室ジャーナリストの山下晋司さんは、
「新天皇の即位を祝う場ですから、皇后が不在でも儀式は可能です。
しかし、現在は天皇・皇后がともに活動する機会が多いため、天皇の即位を祝う場とはいえ、
皇后が隣にいたほうが好ましいのは当然です。
大勢の関係者が参加したという『ヘルシー・ソサエティ賞』の授賞式と祝宴に出席されたのは、
秋に控える『響宴の儀』を見据えられている可能性はあるでしょう。
ただ、5月1日以降、即位関連の儀式や行事が続きますので、
今は体調の管理が第一で、ご無理されないようにしていただきたい」
着々と復調されている雅子さまの様子からは、さらなる期待の声も上がる。
「宮内記者会は、皇太子ご夫妻そろっての記者会見を再三求めていますが、
療養に入られてからは長らく実現していません。
昨年の銀婚式や、お誕生日でも会見は開かれませんでしたが、
雅子さまが少しずつ歩みを進めていらっしゃるので、皇后になられたあと、
会見が実現する可能性は十分あると思いますよ」(前出・東宮職関係者)
https://www.jprime.jp/articles/-/14757