大正元年 白洋舎 ボア事件

1912年に白洋舍が皇太后の襟巻を溶かした「ボア事件」時の神対応の真相
2017年3月20日 22時0分

街のクリーニング屋さんとして知られる白洋舍(はくようしゃ)=東京都大田区=。
国内のドライクリーニングの先駆けとして2017年で創業111周年を迎える老舗ですが、
創業6年目に一大事件を乗り越えています。

1912(大正元)年、明治天皇の妃だった昭憲皇太后から預かった白鳥の羽毛製の高級襟巻(ボア)を、
誤って溶かしてしまったのです。
この出来事について、2月3日にあるユーザーがTwitterに投稿したことから再び注目が集まりました。

当時の対応について、同社に確認しました。

通称「ボア事件」
くだんの一件は「ボア事件」として社内で語り継がれています。
創業者・五十嵐健治氏(以下、健治)が自伝「恩寵(おんちょう)の木漏れ日」で詳細を語っています。
明治天皇が崩御して4カ月ほどの11月のある朝。
お墓である伏見桃山陵(京都市)を昭憲皇太后がお訪ねになるのに合わせ、
宮内省から「白い襟巻を黒く染めてほしい」という電話が、
かねてからシーツなどの洗濯を請け負っていた健治宛にありました。

期限はわずか3日間。少しためらったものの、染色の勉強もしていたこと、
何より急ぎの要件だったため引き受けることにしました。
自宅に丁重に持ち帰った襟巻を前に「責任がなかなか重大である」と感じ、
なじみの染物店に作業を見守ってほしいと頼みます。
これが思わぬ事態を招きます。

どうして待ってくれなかった
翌日、健治は部下に品物を持たせて先に染物店に行かせ、自分は所用を済ませてから向かいました。
到着すると、なんと店の主人はすでに大釜で襟巻の煮染めを始めているではありませんか。
直感的に不安を覚えた健治は、棒を差し入れて襟巻の端をすくい上げます。

“……指先で羽毛をつまんで見ると、芯がなくっていて、たわいもなく切れてしまう。
よく見ると羽毛は全くとけてしまっていて、質を失っている。
ああたいへんなことになった。
(五十嵐健治自伝「恩寵の木漏れ日」より)


原因は、色づきを良くするための薬剤の間違い。
どうして私が来るまで待たなかったのか……
ため息を吐きつつ、溶けた襟巻をバケツに入れて帰宅しました。

“こんなことになるなら、人に頼まず自分でやればよかったと後悔するのみである。
その晩、まんじりともせずに、煩悶の中に夜を明かした。


「申し訳のために自決しよう」
考えた末、健治は「とにかく代わりとなる襟巻を探そう」と、日が昇りきらぬうちから街に出ます。
東京市内の洋服店や横浜の外国人居留地、はては神戸の商館に電話を掛けて羽毛の襟巻を探し続けました。
しかし、見つかったのは東京・新橋の洋品店にあった短い2本のみでした。

“納期はいよいよ明日に迫っている。
しかるに代品を得る見込みさえなくなった。
絶望とはかかる時のことをいうのであろう。


健治は悩みます。期日を守れなければ、皇太后陛下だけでなく、
自分を頼ってくれた宮内省の担当者にも迷惑を掛けると。

“じつのところ一時絶望して、神経衰弱に陥り、
申し訳のために自決しようとさえ思い迫ったほどであったが……(後略)


キリスト教徒だった健治は、夜通し神に祈ることで気持ちを落ち着かせました。

神に祈り続けて冷静に
浅い眠りから目覚めた納期当日。祈り続けたおかげか「頭脳が鎮まってはっきり」してきました。
前日に見つけた新橋の襟巻2本をつなげ、1本にできるのではないか。
過去にやったことがないアイデアでしたが、「やってやれまいことはあるまい」と早速購入。
一度、“より”をほどいた襟巻の先端を切り、それぞれの芯を麻糸でがっちりと縫い付けてより直します。
そして、期待を上回る立派な1本の長い襟巻を作り上げました。

労作を慎重に黒色に染め、夕方、みごと約束の時間に納入したのです。

“皇后官職へお納めしたところ、見事の出来栄えであると御褒めの御言葉を賜り、
御菓子さえ頂戴して、大いに面目を施した。


のちに宮内省の幹部に「染色異変の事情」を詫びたところ、
幹部はひどく気の毒に感じて皇太后との間を取り繕ったそうです。

真の責任は自分にある
健治は実際に作業を誤った染物店について、わざと名前を伏せて書き残しており、
強い自責の念がうかがえます。
「この事件の原因を究明してみると、真の責任は自分にある」と断言した上で、
染物店の主人との意思疎通が不十分だったこと、本当に重要な品はみずから運ぶべきだったと述懐しています。

この「昭憲皇太后ボア事件」の項目は、自戒の言葉で締められています。

“世の中の間違いというものは、ささいの不注意からおこるものである。
ことばの不明確と、軽率な行為は、時に思わぬ大失敗を招くものであるから、つつしまねばならない。


通信技術や物流網が進化した現代でも、そのまま通じる姿勢です。
ボア事件以降も、健治は関東大震災や東京大空襲、会社乗っ取り事件など
幾多の障害を乗り越え白洋舍を存続させます。
彼の波乱万丈の生涯は小説「夕あり朝あり」(三浦綾子作、新潮文庫)で追うことができます。
企業や役所が不祥事を起こすと、その度合いに関係なく徹底的に叩きのめす風潮が強い昨今。
健治の懸命な事後対応と宮内省のおおらかな姿勢には、学べる部分があります。

http://news.livedoor.com/article/detail/12825262/