「皇室典範有識者会議」とフェミニズムの共振波動が日本を揺るがす

月刊正論2006年2月号
「皇室典範有識者会議」とフェミニズムの共振波動が日本を揺るがす
林 道義
(一部)

女性天皇を誰が必要としているのか、という視点からこの改正騒ぎを見てみると、
改正案の本質が見えてくるはずである。

変える理由はすべて「こじつけ」
皇室の根源的な変革を策すのは何のためであろうか。
その理由はいろいろと言われているが、それらはすべて「初めに結論ありき」の「こじつけ」である。
本当の理由が隠されている。それをあぶり出さなければならない。
ただし、真の動機を論ずる前に、順序として、表面で言われている理由が真の理由ではないということを、
まず明らかにしておかなければならない。
この点については、すでに多くの論者が詳細に論じているので、簡潔に問題点を整理すれば十分であろう。
一、「男系にこだわると継承者がいなくなる可能性が大きい」
「少子化の趨勢の中で男子が生まれる可能性は時間が経つにつれてますます少なくなる」
このような事態に対しては、旧皇室典範においては、二つの安全装置があった。
側室の子と、皇族からの皇位継承である。
「側室制度は現代の国民意識からみてほとんど不可能である。
また皇族は戦後60年も前に臣籍降下しており完全に民間人になっているので、
皇籍復帰も現実的でない」と改正推進派は主張している。
側室制度が現実的でないというのは理解できるが、元皇族の皇籍復帰が現実的でないというのは間違いである。
二、「元皇族の皇籍復帰が現実的でない。途中から皇位継承者を決めたのでは国民に親しみが湧かない、
理解が得られない、帝王学が学べない、長いあいだ民間人として生活してきているので
皇室の習慣になじめないであろう」
これらはいずれも根拠薄弱である。「途中から」と言うが、初めから原理原則が決まっているのだから、
次の継承者は誰か前々から分かっている。その時点で国民に紹介され次第に親しまれるようになるわけだし、
帝王教育もできる。長いあいだ民間人とぢて生活してきているといっても、
生活感覚や習慣、意識は皇室の伝統を受け継ぎ、元皇族としての誇りも、いざというときの覚悟もお持ちであろう。
三、「長子優先と初めから決めておけば、ご本人にとっても、周囲の者や国民にとっても安定的、かつ分かりやすい」
不安定要因があろうが多少分かりにくい点があろうが、譲れない原則というものがある。二千年の伝統を
一挙に不可逆的に消滅させる理由としては、「安定的」で「分かりやすい」などというのは
あまりにも軽薄な根拠と言うべきである。
四、「男子男系優先というのは男女平等という国民意識にそぐわない」
この理由は、その時、その時の国民意識に合わせてその都度皇室のあり方を変えてもいいという前提に立っている。
男女の機械的な平等意識を根拠にして、二千年の歴史を持つ文化や制度を簡単に変えようとするのは
犯罪的な思い上がりである。
そもそも皇室祭祀は男性によってのみ執り行われるしきたりであるが、
それは決して男尊女卑や女性差別の産物ではない。
神聖な儀式は異性原理を断ち精進潔斎して執り行うのが世界の宗教に広く見られる原則である。
この伝統を単純な男女平等主義によって安易に変化させてはならない。
五、「男子男系という原則は明治の旧典範で明文化されたもので、
永遠不変なものではなく、歴史的なものである。時代に合わせて柔軟に変化させてもよい」
この論理も間違いである。江戸時代までに発生発展し、明治時代に法制度化された制度はいくつもある。
たとえば、夫婦同姓もそうである(夫婦同姓成立の歴史的必然性については
拙著『家族の復権』中公新書を参照されたい)。
皇室典範の男子男系の原則にしても、明治政府が理論的にのみ考えて無から創造したものではない。
長い歴史の中から次第に形になってきた現実をふまえて、それを明文化したものである。
歴史的に成立してきたということの必然性が重要な意味を持つのである。
その歴史的方向性は理由のある必然性によって成立してきたのであって、
何か無法な力が働いて無理に作られたものではないのである。
このほか、有識者会議は重要な問題について考察を避けている。歴史や伝統の問題・女性天皇の配偶者も問題など、
「女系容認、長子優先」の結論に都合の悪い問題を持ち出されると、
座長の吉川弘之氏は「使命の外」「国会で議論してくれ」と
ひどく無責任な言い逃れをしている。しかし、これらの問題は最も重大であり、
それを排除しては到底国民を納得させることはできない。

女性天皇の深刻なマイナス面
女系天皇が必要だという理由がすべて決定的なものでないことを明らかにした。
その反面、女性天皇の輩出が予想される「女系容認、長子優先」の皇位継承制のもとでは
数々の根本的な困難や不都合が生じるのである。
第一に、女帝の場合、祭祀の執行に支障がである。宮中祭祀(「大嘗祭」などの例外を除く)は
男子のみが執り行ってきた伝統と慣習があり、
これは宗教的な観念を前提にしているので、簡単に男女同権を持ち込むことはできない。
男子によって行われる祭祀を女子が行っては、カリスマ的な意味が失われるからである。
したがって、これまでも女性が皇位についたときには祭祀を一時中断するか、男性の代理を立てて執行した。
その場合は一時的な「つなぎ」の女性天皇だったから「例外」として許されたが、
女系になると天皇自身による祭祀の中止は致命的な意味を持つ。
それは天皇の存在理由(レーデン・デートル)に関わる重大な欠陥となる。
女系天皇は天皇としての自己矛盾であると言わなければならない。
第二に、女帝であることを利用する者が群がる恐れがある。
フェミニストはさっそく名乗りを上げて、露骨に期待感を表明し、
国民の意識を変えるために利用しようとしているが、その他にもさまざまな形で、
女帝であることから利益を引きだそうとする者たちが出現するであろう。
女帝に影響力を持つ周囲の者たちもそのターゲットになりうる。
第三に、女性天皇の配偶者選びは困難をきわめるであろう。皇太子妃でさえなかなか決まらなかった。
ましてや女性天皇の配偶者選びは難航することが十分に予想される。幸いにして夫君が決まったとしても、
夫君が個人的にプライドと存在意義を一生のあいだ感じ続けることは至難の業であろう。
第四は、家族像と関係する問題である。現在、皇室は日本の家族像の模範として、国民から敬愛されている。
父親を中心にまとまり、互いに愛し合う家族の姿は、日本の家族が世界の中で珍しいほど健全な姿を
保っていることの一つの重要な基盤とも言える。しかし、それは「平等な家族像」ではなく、
明らかに父系制に基づく、父を中心とした家族像である。
これまで機会あるごとに述べてきたように、家族は父親を大黒柱とし中心としてまとまりを持つことが必要である、
家族の模範像だと受け取られてきた天皇家において女性がトップとなることによって、
フェミニズム思想が日本人の家族像に悪しき影響を与える危険性もまた増大する。
(中略)
この疑問点の多い女系による皇位継承を、一体誰が積極的い進めようとしているのであろうか。

勝負に出たフェミニスト
まずフェミニズムがその尖兵であることは、誰の目にも明らかである。
フェミニストたちはさっそく喜びと支持の声を上げている。
「有識者会議報告書」が発表された翌日には、フェミニズム機関紙とも言える新聞に、
判で押したようなフェミニストの談話が踊った。
(中略)
女帝・女系の実現はフェミニズムの最終勝利を完全に保障するものである。
それは単に「働く女性の励みになる」とか「国民の意識がフェミニズムに都合にのよい方向に変わる」と
いうだけに留まらない。その効果はそのように部分的なものでなく、
より包括的かつ全面的である。それは女性支配の完全な正当性の獲得であり、
まさしくフェミニズムにとっての錦の御旗の奪取なのである。
フェミニストたちは今が彼女・彼らにとっての天王山であることを敏感に感じ取っているのであろう。
フェミニズムは「バックラッシュ」に遭遇して行き詰まりを見せ、世間の目も厳しく不利になっている。
たとえば、「日本人の幸福感」についての最近のアンケート調査によれば、
「最も幸せな日本人像」は「三十代、都会暮らし、専業主婦」である
(大阪大学社会経済学研究所筒井義郎教授による。『産経新聞』平成17年11月8日付)。
これだけ専業主婦を攻撃し、税制などで締め上げて撲滅を図り、「働け」イデオロギーを宣伝してもなおこの結果である。
それどころか今や全国的に嫌フェミ現象が現れている。すでにフェミニズムの後退・凋落傾向が始まっている。
この凋落に歯止めをかけるために、絶対的な錦の御旗である女帝・女系天皇を実現しようという作戦である。
危機にあるフェミニズムにとっては、巻き返しの絶好の機会、
これを全面的に利用しない手はないとばかりに、進んで一翼を担っているのであろう。
男女共同参画社会基本法に加えて女系継承が実現すれば、フェミニズムのクーデターが
成功し、長期独裁政権に等しいフェミニズム支配が定着してしまうだろう。
じつは有識者会議の座長の吉川弘之氏は、かねてよりフェミニズムと密接な関係にあった。
(中略)
この吉川氏を座長とし、フェミニストの重鎮である岩男寿美子氏や緒方貞子氏を委員に据えた有識者会議は、
完全にフェミニズムの主導下にあると言わなければならない。

フェミニズムが捏造した「国民の支持」
その証拠が「報告書」の中の「女子や女系の皇族に皇位継承資格を拡大する」理由の
「イ 国民の理解と支持」である。これはほとんど全面的にフェミニズムに依拠して書かれている。
曰く、「現行典範が制定された昭和22年以降、我が国では、家族観や社会における男女の役割分担などをめぐって、
国民の意識や制度などに様々な変化が生じてきていることも考慮する必要がある」
「女性の社会進出も進み、性別による固定的な役割分担意識が弱まる傾向にあることは
各種の世論調査等の示すとおりである」
「最近の世論調査で、多数の国民が女性天皇を支持する結果となっていることの背景には、
このような国民の意識や制度の変化も存在すると考えられる」
「象徴天皇の制度にあっては、国民の価値意識に沿った制度であることが、重要な条件となることも忘れてはならない」
「国民のあいだでは、女子や女系の皇族も皇位継承資格を有することとする方向を積極的に受け入れ、
支持する素地が形成されているものと考えられる」
これを見ると、「国民の意識」を金科玉条にして、それを女帝・女系推進の根拠にしていることが分かる。
しかし、この「国民の意識」なるものは長期にわたるフェミニスト一派の意識操作によって作り出されたものである。
また、その根拠としている「各種世論調査」なるものも、狡猾に仕組まれた質問の仕方や
統計のごまかしによるものが多いことは拙著『家族を蔑む人々―フェミニズムへの理論的批判』
(PHP研究所)において詳しく暴露している。
報告書はフェミニズムが「国民の意識」とイコールだという間違った前提に立って、こう結論づけている。
「今日、重要な意味を持つのは、男女の別や男系・女系の別ではなく、
むしろ、皇族として生まれたことや皇室の中で成長されたことであると考えられる」
このように、男女の区別をなくし、機械的に男女の区別なく皇位につける制度にするのが、
フェミニストの戦略目標である。
女帝への「国民の支持」を誘導してきたのは、男女の性差をなくそうとしてきたフェミニストの活動であった。
有識者会議を終始リードしてきたのがフェミニズムの思想と理論であったことは明白である。

「天皇制」反対派が女系容認派に
だが、それだけであろうか、女系天皇はフェミニズムにとって有利なだけではない。
もっと広範な反体制的・反日的な勢力にとってもまた、格好の温床と武器になりうるのである。
いやフェミニズムの中にもそうした勢力が浸透しており、
フェミニズムを隠れ蓑にしているのである。次のように考えると、その勢力のおおよその輪郭が明らかになる。
女系容認派の中には、「天皇制」反対論者たちが入っている。女帝を認めるか否かという世論調査の場合に、
天皇・皇后の存続に賛成か反対かを質問していないので割合は分からないが、
女系容認派の中には「天皇制」反対論者が大量に入りこんでいることは想像に難くない。
つまり「天皇制」反対派が大挙して女性天皇・女系天皇賛成派になだれ込んで。
男女無差別が「今や時代の流れだ」と主張しているのである。
このことの意味は大きい。すなわち「天皇制」反対派にとっては、
女帝・女系は都合がよいということを意味しているからである。
では、彼らにとって女系天皇はどういう意味で都合がいいのか。女系天皇になると天皇の権威が落ちて、
皇室の在りようが崩れていくからか。答えはノーである。彼らはそんな悠長なことを考えているのではない。
女系への移行の仕方にこそ秘密がある。つまり議論の仕方そのものに罠が仕組まれているのである。
有識者会議は「国民の支持・理解」をなによりも重んじている。
まるで絶対的な大義名分であるかのような扱いである。
たとえば、元皇族の皇籍復帰は「国民の理解が得られない」の一言でj片づけられてしまう。
しかし、皇室典範第一章「皇位継承」を民主主義的な議論の対象にした途端に、天皇・皇室は存続の危機に立たされる。
女系容認に移行することが危機であるという以前に、男系に限るか女系を容認すべきかを
国民が論議の対象にすること自体が、皇室の危機なのである。

「天皇制」は国民が決める?
そもそも皇室典範第一章「皇位継承」は、原理的に変えることは不可能、かつ変えてはならない部分なのである。
もちろん法律上、手続き上は変更可能である。現在の皇室典範は憲法と違って一般の法律並みの扱いであるから、
国会の過半数の賛成で変えることは可能である。しかし、私が言っているのは、手続き上可能かどうかではない。
そうした「民主主義的な」手続きで変えてよいかどうかを問題にしているのである。
天皇とは、原理的に民主主義とは相反する存在である。国家の最高権威であり
国民統合の象徴と定められた存在が、世襲であり、
血統を重んずる原理で決められるということは、国民の意思(投票や選挙)で物事を決定する民主主義の原理とは
まったく別の原理によって存在していることを意味している。
現皇室典範は形式的な法手続きの問題としてみれば、国会の過半数の賛成で改訂することができる。
昭和22年に制定された内容は、旧皇室典範を大筋において受け継いだものであるが、
その成立は「民主的な」手続きによって出来たものである。
しかし男系によって継承されるという原理には、「民主的」なアメリカも変更を加えなかった。それは理屈以前の
厳然たる事実であり歴史的伝統であって、これに変更を加えることのできる正当な論理もなければ、いかなる者にも
その権利はない。個人としての天皇にも皇族にも、この原理を変える権利はないのである。
ましてや首相や国会にも国民にもあるはずがないのである。
すなわち皇族や政府や国民のその時々の意思によっては左右されず、
かつ民主主義的な手続きからは超然としている存在が天皇であり、皇室なのである。
したがって、この制度を民主主義的な手続きの対象とすること自体が間違いなのである。
それはまるで、首相を選ぶように天皇を選ぶことに通ずるような、
民主主義的思想によって事実上皇室を否定することも可能にするような考え方なのである。
一口で言えば、天皇、皇室はもともと民主主義とは違う原理で存在しているのに、
それを民主主義的な手続きで変えようとする
矛盾を犯している。したがって「皇室典範有識者会議」などというものを作ること自体、
天皇と皇室の原理を否定するものである。
特に、その根幹に位置する皇室典範第一章「皇位継承」は、
民主主義的な手続きによって手を付けてはならない部分である。
もしこの部分が民主主義的な手続きで変更可能ならば、天皇・皇室そのものも
民主主義的な手続きによって廃止可能だということになる。
つまりこの部分に国民の代表たる国会が手を付けたが最後、ゆくゆくは天皇・皇室そのものもまた
国民の意思で変更ないしは廃止することが可能だということを宣言したことになる。

アメリカによる縛り
その意味では、皇位継承の議論が「民意」に委ねられたとき、すでに日本中が罠にはまったと言わざるをえない。
この罠はじつはアメリカによる占領政策の中ですでに仕掛けられていたのである。
敗戦日本に対してアメリカは天皇・皇室を残したが、じつは内実を大きく変えた。
アメリカは天皇と皇室の外形だけは残して、内容的には重要な「縛り」を入れ込んだのである。
その縛りとは、天皇の存在を民主主義の枠の中に入れたことである。
アメリカは天皇と皇室を民主憲法の枠の中に入れて、国民の支持によって成り立つべき存在へと決定的に変化させた。
これによって「国民に親しまれる皇室」が至上命令となり、
「国民に支持されること」が皇室存在の必要条件とされるようになった。
皇室は「国民の支持」を基盤とすることになり、民主主義の枠内に限定されたのである。
すなわちアメリカ産の憲法にこそ、今日の皇室典範改正という発想を産み出す原点があった。
新憲法制定の時にすでに皇室典範は「国民」の手の中に握られていたのである。
今回の有識者会議報告書もまたこのアメリカ産の憲法を基に発想されている。
その「基本的な視点」に「(1)国民の理解と支持が得られるものであること」という項目がある。
すなわち皇室の存在もそれに関する変更も、国民の支持によって成り立つという思想が基礎になっている。
つまり「国民の意識が変わった」ら、「国民が政府を変える」のと
同じように天皇と皇室の在りようを変えてよいことになる。
この思想は天皇の上に国民を置く思想である。この思想を前提にするかぎり、
国民の考えが変わればそれに合わせて皇室も変わらなければならないし、
原理的には天皇を国民の投票で決めるというところまで行きつくであろう。
自民党が現憲法はアメリカによって与えられたものだから改正が必要だという立場であるならば、
皇室典範の「民主的な」扱いもまたアメリカ産だからという理由で拒否しなければならないはずである。
しかし小泉首相はアメリカによって与えられた「天皇と皇室の民主化」をそのまま受け入れて、
それをさらに推し進めようとしているのである。
こういう重大かつ恐ろしいことを、小泉首相以下、皇室典範改正推進派の人々は進めているのである。
いったいこの人々は、そうした重大なことを進めているという自覚と覚悟があってのことなのか。
中には自覚と覚悟をもって推進している確信犯がいるのではないか。その者たちは何を狙っているのか。

真の推進者は誰か
皇室典範改正騒ぎは、六十年前にアメリカによって与えられた基本的枠組みの中で起きている。
しかしこの騒ぎの直接の仕掛け人は、アメリカであろうか。
アメリカは六十年前に大きな縛りを掛けて、それで一応満足していたはずである。
今急いで改正を迫らなければならない動機を持っているとは思えない。
では現在の仕掛け人は何者か。それは天皇制を存続させたくない者たちである。
彼らが自分たちの破壊思想を実現する道具として、
女帝・女系天皇制を利用しているのである。日本の公序良俗を破壊し、家制度を否定し、
国民統合の象徴を消滅させたい、こういう者たちが、女帝・女系天皇を最も積極的に推進しているのである。
このような日本破壊の動機を持っている者と言えば、ただちに思い起こされるのが、近隣の敵対諸国である。
そしてこれら敵対国の日本国内においける提携勢力である。
この外国敵対勢力と日本国内で相呼応している勢力のうち重要なやくわりを果たしているのが、
左翼諸政党、クリスチャン左派、フェミニスト、親中国派(およびフェミニズムを利用している)経済人であり、
これらは相互に重なり合っている。この重なり合いの構図は、たとえば北朝鮮の拉致はないと強弁してきたのが、
この連合体の者たちであったことを思い起こせば十分であろう。
彼らは北朝鮮への見返りなき食料支援にも熱心であったし、首相の靖国神社参拝にも共同して反対してきた。
こうした重なり合いの構図は有識者会議の中にも見られる。
それらの勢力が重層的に女帝・女系天皇への移行をきわめて精力的に画策していることだけは確かである。
最後に女系天皇実現に最も重要な役割を果たしている主役について述べなければならない。
皇室典範改正の中心にいる主役はもちろん小泉首相その人である。
首相が私的諮問機関である「有識者会議」を作らなかったならば、何事も起きなかった。
小泉首相が鍵を握っている中心人物であることは間違いない。
小泉首相にはもちろん女性を労働力として使おうとする経済界やフェミニスト等から
強い圧力がかけられていることは想像に難くない。
しかし小泉首相は黒子に操られている単なる傀儡ではないであろう。
小泉改革の総決算として彼は憲法改正と皇室典範改正を仕上げ、改革宰相として歴史に名を残したいのであろう。
しかし改革が成功したと歴史的に評価されるためには高潔な理念と哲学に裏打ちされていなくてはならない。
皇室典範に関しては伝統に対する理解においても、天皇制の歴史をめぐる見解においても、
小泉氏に一国の宰相としての見識はまったく見られない。
(中略)

天皇は父性原理の体現者なり
皇位継承は男子男系によらなければならない。なぜなら天皇とは父性原理の体現者でなければならないからである。
歴史によって形成されてきた天皇の性質やイメージは、権力に対して正当性を与える権威者である。
どんな実権を持った武士政権といえども、天皇から正当性を与えられることによって、
初めて名実ともに権力者になることができた。
天皇という存在にとって大切なのは、可愛いとか親しみを持たれることではなく、厳かな祭祀の実行者であり、
権威の持ち主であるという性質である。つまり父性の持ち主でなければならない。
天皇は立派な父親像の体現者でなければならないのである。
今でも日本においては、一かの大黒柱は男性でなければならないという意識は非常に強く、
父親は権威を持っていなければならないという意識も強い。
(中略)
権威を持った父親が子供をしつけ、家族をまとめていくことは、家族のあり方の理想像として
日本人の間では依然として根強いどころか、近年ますます再認識され始めている。
女系天皇容認派は男女平等意識が高まったと宣伝し、
こうした重要な父性意識の高まりについては完全に無視している。
家族においても国家においても統合の象徴は「父」でなければならない。
日本国の統合の象徴は父親像でなければならないのである。
日本はもともと母性社会の性質がかなり強い。天皇が女性になったら、母性的である日本が、されに母性社会に傾斜し、
父性原理が大きく後退することになるだろう。母性が優越した国家になるか、
父性が優越した国家になるかの違いは巨大である。
日本がこれ以上母性社会の性質を強めていけば、甘えの精神が蔓延し、ますます規範意識は崩れ、
社会の秩序も折り目正しさも、公序良俗も音を立てて崩れ、ニートなど無気力な子供が増大するだろう。
天皇とは国父であり、父性の象徴であり、したがって絶対に男子男系でなければならないのである。

“つくられた大御心”と側近たちの大罪

別冊正論Extra.14 皇室の弥栄、日本の永遠を祈る
“つくられた大御心”と側近たちの大罪 倉山満

牧野伸顕、木戸孝一日記、富田メモ…、側近たちが残した昭和天皇の“お言葉”を改めて検証する。
私意や政敵排除に“お言葉”を利用した君側の奸を看過してはならない

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倉山満氏
あなたの天皇観はまちがっている!? 倉山満が「5つの誤解」を解く

神武東征

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「村山談話」こそ更迭せよ!

WiLL2009年1月号
「村山談話」こそ更迭せよ!
西村眞悟

自衛隊の航空幕僚長と社会党の委員長が、同じ歴史観をもっていては国が困る。
従って、航空幕僚長が村山談話を信奉しておれば直ちに更迭すべきなのである。
そもそも、社会党とは、「アメリカ帝国主義は日中両国人民共通の敵」との方針で
我が国の社会主義人民共和国化を目指し、
日米安全保障条約に反対で非武装中立を国是として自衛隊を違憲とした政党ではないか。
さらに、中国共産党と北朝鮮のエージェントといえる活動をしていたのが社会党であり、
ソビエトから資金援助を受けていたのも社会党である。
このことは「クレムリン秘密文書」で明らかになっている。
長年このような国益を害する政党にいて委員長になった村山富市氏の歴史観と
自衛隊尾航空幕僚長の歴史観が同じであってよいはずがない。
これは子供でも分かることだ。同じであれば、自衛隊は国を守るために戦えない。
さらに、平成7年の阪神淡路大震災を、痛恨の思いを以て振り返ってほしい。
その地震の朝、直ちに伊丹にある陸上自衛隊の中部方面軍を
神戸の被災者救助に向かわせる発想もなく漫然と時間を浪費し、
その結果救助すべき多くの人々を放置して焼死または衰弱死に至らしめるという
驚くべき無能ぶりを発揮した自衛隊の最高司令官、
即ち時の総理大臣は誰だったか。これこそ村山富市という社会党の御仁ではないか。
従って、同年、彼がしなければばらなかったのは、
自らの無能政策の故に無念の死を遂げた阪神淡路大震災の多くの被災者と家族に対する謝罪であった。
しかし、彼は「遠くない過去の一時期、国策を誤った」と自国をして謝罪せしめたが、
「直前の自らの過ち」による多くの犠牲者に謝罪しなかった。これを偽善という。
従って、村山談話とは、祖国を喜々として謝罪せしめても自らのことについては
一切謝罪しない偽善者にして驚くべき無能な総理による談話なのだ。
これに何の権威がある。

濱田防衛大臣は逆をしている。村山談話と同じ考えをもつ航空幕僚長を更迭すべきなのであり、
村山談話と逆の歴史観を持った航空幕僚長はサポートすべきである。防衛省は、このたびのことを契機にして、
幹部自衛官の歴史観をチェックするというのならば、
まず陸海空の各幕僚長が、村山談話と同じ歴史観ならば直ちに更迭したまえ。
政治がシビリアンコントロールの本質を理解せず、自衛隊を戦えなくしていたうえで、
年間五兆円を超える防衛費を支出しているとするならば、これこそ亡国に至る無駄遣いだ。
自衛隊は国を守るためにあるというならば、国のために戦える自衛隊にすることが国政の責務である。

マスコミも、政界も、「政」と「軍」の区別を理解せず、
シビリアンコントロールを曲解して田母神更迭劇を論じている。
防衛省も、田母神航空幕僚長の思想を点検してこなかったとして大臣以下内局の官房長まで懲戒処分にし、
挙句の果てに、自衛官の思想教育をチェックするという。何を慌てふためいているのか。
これではまるで、腹心の共産党員を政治将校として部隊に放って
将兵の思想傾向をチェックした「スターリンの軍隊」ではないか。
防衛省は、二十五万の全自衛官が村山談話の歴史観をもつようにするというのか。そして自衛隊を
「村山富市の軍隊」にするのか。当職の息子は陸上自衛官だが、息子が防衛省内局の思想指導により
村山談話を信奉すべきなどというたわごとは、断じて許せん。怒りがこみ上げる。

軍の領域にある田母神航空幕僚長の責務は何か。
それは、国を守る為に、よく戦える部隊を育成する為に部下をして日々訓練を続行させることである。
従って、この航空幕僚長が戦えない歴史観を持つならば更迭されなければならない。
そこで、村山談話の思想で自衛官は戦えるのか。
「日本は侵略を繰り返した悪い国で、近隣諸国に多くの苦痛を与えた国ですから軍隊を持ってはならないのです。
当然、自衛隊は軍隊ではなく自衛隊も軍人ではありません。
従って、仮に敵に捕まっても君たちには捕虜としての保護は与えられません」
このように村山談話に迎合した教えを受けて、このように信じた自衛官は国のためによく戦えない。
戦う前に自衛官を辞めるだろう。
では、如何なる思いにより人は祖国のために戦うのか。それは「祖国への愛」である。いろいろな人間愛の中で、
「祖国への愛」はその中心にあり、「祖国への愛」がない者は、
他の人間愛も維持することができないと古代ローマの政治家であるキケロも言う。
その通りである。
我が国の教育勅語にある人間愛と責務の徳目にも「一旦緩急あれば義勇公に報じ」と明記されている。
田母神氏も論文に記しているが「人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や
自分の生まれた国を自然に愛するものである」。
しかし村山談話の毒は、自分の生まれた祖国を悪として青少年から祖国への愛を奪うことである。
それでは田母神航空幕僚長は、空軍のトップとして如何なる問題意識を持ち、
如何なる指針に基づいて強い空軍を造り、その責務を果たすべきなのか。
この点を、昭和13年制定の作戦要務令が冒頭で簡潔に指摘している。
これが航空幕僚長の職務領域である。
「軍の主とするところは、戦闘なり。故に百事皆戦闘を以て基準とすべし。しこうして戦闘一般の目的は、
敵を圧倒殲滅して迅速に戦捷を獲得するに在り」
「訓練精倒にして必勝の信念堅く、軍紀厳正にして攻撃精神充溢せる軍隊は、
能く物質的威力を凌駕して戦捷を完うし得るものとす」「必勝の信念は、主として軍の光輝ある歴史に根源し、
周到なる訓練を以て之を培養し、卓越なる指揮統制を以て之を充実す」
この作戦要務令の指針は、人間の本質に基いており、単なる軍隊の指針に止まらず、普遍的で、
一定の目的を持った組織の指針として有効である。もちろん航空幕僚長のみならず他の陸海の各幕僚長とも、
この作戦要務令にもとづいて職責を果たすべきである。村山談話を信奉していてそれができるはずがない。
必勝の信念は「軍の光輝ある歴史の根源し」とするならば、
村山談話は、訓練を受ける部下から必勝の信念を奪い、ひいては「周到なる訓練」を不可能とする。
軍の領域では、実際の戦闘はもちろんのこと、その訓練にも命の危険がある。
他方、防衛大臣は、戦後政治のなかの野党の追及という与野党の駆け引きの次元にいる。
しかし、航空幕僚長はそのレベルにいてはならない。「必勝の信念」がなければ、
部下が無駄に死に国家が崩壊するという取り返しのつかない事態に直結するのが軍事の領域であるからだ。

およそ軍隊の世界は村山談話の精神では運用できない。
祖国と軍の「光輝ある歴史」の拠り所とすることにより運用できるのだ。
しかも、田母神氏も述べているように、我が国の歴史を学べば学ぶほど、
我が国の真実の「光輝ある歴史」が見えてくる。歴史を捏造し偽装する必要は一切ない。
このような国は滅多にあるものではない。これが我が国に生まれた幸せである。
従って、よき軍隊を創る為には、歴史を真摯に学習しなければならない。
田母神氏の論文は、その真摯な学習の結果である。
さらにチャーチルが言うように、政治家は祖国の歴史を学ぶことによって、
その使命を自覚すべきであるとするあらば、軍人と政治家はともに歴史に学ばねばならない。
特に戦争の歴史(戦史)は教訓の宝庫である。従って、軍人教育の中で戦史研究は大きな比重を占めるべき課題である。
従ってこのたびのように、多くの航空自衛隊幹部が公募に応じて歴史論文を投稿したことは、
内閣が慌てるべきことではなく、歓迎し評価すべきことである。
ところが、現在の我が国では、政の世界における歴史観が村山談話で固定され封印されている。
これは極めて国益を害する異常事態だと言わねばならない。
何故なら、村山談話の歴史観からは、祖国を守るために戦う軍人は育たず、
祖国を謝罪させることに執念を燃やす無国籍の政治家は育っても、
祖国を愛して歴史に学び、祖国の再興に使命感をもつ国民や政治家が出ないからである。
今や、日中戦争の始まりとなった日華事変の仕掛け人は、中国共産党の劉少奇であることも、コミンテルンの指令で
ゾルゲというスパイと、朝日新聞記者の経歴を持ち、近衛内閣及び満鉄調査部の嘱託を務めた尾ア秀実が近衛内閣に
影響を与えて日中戦争の停戦を阻止して泥沼化を仕掛けていたことも、
日米開戦の引き金になった「ハルノートを書いた男」はルーズベルト政権内に送り込まれた
コミンテルンのエージェントであったことも明らかになっている。
田母神航空幕僚長のこのたびの論文は、これらの事実を学んで書かれており、歴史の真実に根ざしている。
そしてこの各事実からは、これらが封印されていた東京裁判の時の歴史認識と全く違ったものが導かれて当然である。
航空幕僚長として歴史を学んだ田母神氏の論文に何ら非難すべきものはない。
ここで、政治における公定史観である村山談話とは何かと再度確認したい。
第一に、この公定史観こそ、中国共産党と朝鮮半島の歓迎するところである。
と言うよりも、中国共産党の気に入る歴史認識を社会党の村山富市氏が総理大臣談話として発表したのだ。
従って、この談話の主語は「私」である。
村山内閣の当時の閣僚にも心ある日本人がいたとしても、談話の主語が「私」であるが故に、
「村山が言っていること」として見逃してしまったのではないのか。
「ハルノートを書いた男」はコミンテルンのエージェントだったとすれば、「村山談話を書いた男」は
何処のエージェントの可能性があるのか。スパイ防止法のない我が国では分からない。
いずれにしても、更迭すべきは田母神論文ではなく、他国に迎合してその反日教育を正当化する村山談話である。
案の定、この村山談話の歴史観により東アジアの華夷秩序ができた。
つまり、日本は、中国と韓国や朝鮮に謝り償うために金を支払う存在であるという秩序である。
それと同時に、この歴史観により、中国共産党は中国支配の正当性を確保している。
即ち、中国共産党こそが、中国人民に悪逆の限りを尽くした日本帝国主義を打倒し、
中国人民に幸をもたらしたという政権の正当性が、日本悪玉論により
中国共産党に与えられる。現在中国で行われているえげつない反日教育・反日プロパガンダに、
我が国は村山談話により承認を与えている。
また、昨年アメリカ下院ででっち上げられた我が国に対する「従軍慰安婦謝罪要求決議」に対して、
我が国の外交官が適切な反論ができなかったのは、村山談話があるからである。
村山談話こそ、著しく国益に反するものである。さらに、そもそも村山談話は、史実に基づいているのか。
答えは否である。始めに謝罪ありきの政治文書であって、史実にもとづいてはいない。
田母神論文の結論、「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣」、これこそ史実に基づいている。

ここにおいて、我が国の政界とマスコミ界は、シビリアンコントロールの故に、政治が航空幕僚長を更迭し、
自衛官の思想統制を行うのが当然と言う前提で動いている。しかし、これこそ、我が国の政界とマスコミ界が
シビリアンコントロールの本質を理解していないことを示していることなのだ。
つまり、シビリアンコントロールの原則は、「軍の自律」を前提に機能する。
そして田母神論文は、この「軍の自律」の領域にある。
既に述べたように、村山談話では軍の訓練と訓練が目指す戦場での勝利も達成することができない。
ということは、つまり、村山談話では、シビリアンコントロールが無意味になるということである。
何故なら、村山談話では、コントロールする対象としての軍が無くなるからだ。

第二次大戦中のイギリスの首相はチャーチルであり、イギリス軍の最高位にあったのは
参謀総長アランブルックであった。彼ら二人は戦争中、憎しみ合いながらも毎日数時間会っていた。
その間、チャーチルが多くをしゃべり、それを聞いたアランブルックは、
たった一言しゃべるだけだったという。その一言とは、「閣下、それはできません」ということ。
これがシビリアンコントロールが現実に機能している姿である。
ここにあるのは、政と軍の緊張関係である。チャーチルの政治家(シビリアン)としての発想に対して、
参謀総長アランブルックは軍人として拒否すべきは断固拒否して作戦の軍事的整合性を守っていた。
そうでなければ敵に勝利できないからである。
そもそも国家の目的は、敵に勝利して国家の安泰を確保することである。
シビリアンコントロールは、この国家目的に奉仕するものである。
国家の勝ち負けはどうでもよいが、政治が軍事に関与しなければならないというのはシビリアンコントロールではない。
似て非なる軍への素人(シビリアン)の過度の介入である。素人に過度に介入されれば、軍は戦えなくなる。
従って、田母神氏の第二の戦場での任務は、部下が戦えるように、「閣下、それはできません」と、
防衛大臣に対して、きっぱりと軍隊への村山談話浸透拒否することである。
我が国の帝国海軍が真珠湾を攻撃したとの知らせに反応したルーズベルト大統領は参謀総長を振り返って、
「問題の解決を君たちの領域に移す」と言ったという。これがシビリアンコントロールが発動された典型的情景である。
シビリアンコントロールとは、政治的最高指導者が、軍の最高指揮官となって、
軍を動かすボタンを押すか否かを決定するその瞬間の決断のことである。
これによって動き始めた軍は、軍事的に最良の行動をとっていくのである。
政治が軍に目的を与え、それを実行に移すが否か、また何時中止するかを決定する。
これがシビリアンコントロールである。これは国家の運命を決する厳しい決断である。
神戸の大震災に際して、「なにぶん初めてのことで、朝も早かったものですから」と
自らの無能を弁解した社会党の首相に為しうる決断ではない。そして、この国家の運命を決する決断の前提には、
前に記した作戦要務令の精神で練り上げられた必勝の信念を持つ自律した軍隊が存在しなければならない。
それにしても、我が国家安泰のために、自衛隊を自律した軍隊にすること、
その為に村山談話を「更迭」すること、これらは総て政治の任務である。
このたび、この国家再興のための問題提起を田母神前航空幕僚長にのみ任せていることを
政治の領域にいる議会人として恥じている。
田母神航空幕僚長更迭問題を契機として、政界全体が村山談話に覆われているこの閉塞状況を打ち破る為の、
真の保守愛国の同志を結集することが、議会人としての責務であると深く自覚する次第である。

2018年6月-8月 雑誌記事

ポスト平成の天皇制は沖縄、アイヌ、創価学会との接し方が鍵
2018.06.02 07:00
思想史研究家の片山杜秀氏
作家の佐藤優氏と思想史研究家の片山杜秀氏が「平成史」を語り合うシリーズ。
国際情報誌SAPIO誌上で行われた対談は最終回を迎え、単行本『平成史』(小学館)としてまとめられた。
最後のテーマは、「今上天皇の足跡」となった。

 * * *
片山:今上天皇は昭和天皇のカリスマが付与された上、
祭祀への熱心さや災害時での国民と共感共苦する姿勢の顕示によって、
公と私のバランスはよくとれていたと思います。
ところが皇太子になりますと、もっと私の方につっこんでいる印象がある。
今上天皇は人間天皇として素晴らしいと言える。それなら皇太子が人間皇太子を突き詰めて、
本当に人間になってしまった方がいいのではないですかと言いたいくらいに、
あまりに普通な感じになってくるのではないか。
それこそ人間天皇の最終型とも言えるけれど、
それで天皇像が新たな民主主義的強固さを獲得できるかというと別問題でしょう。

佐藤:私はポスト平成の天皇制と日本社会は、日本の外部空間との接し方で変わると考えているんです。

片山:外部空間ですか?

佐藤 :そうです。日本には沖縄、アイヌ、そして創価学会という天皇神話を共有していない領域が三つある。
この領域との軋轢がどうなっていくかが天皇制の将来を左右するのでは、と。

片山:とくに沖縄とアイヌに対して、今上天皇は意識的にアプローチされてきたように思います。
ただ、いまだに沖縄との断絶は存在するし、アイヌについての理解は進んでいない。
こうした外部空間との付き合い方から、次代の天皇のありようが更新されていかないと。
万世一系というだけでは持続性に陰りが見えてくるように感じます。

佐藤:いま日本は危機に陥っています。それが分断であり、政治の右と左の対立であり、格差です。
平成以後、日本人の天皇観がどう変わるか。
すなわち直面する危機や、世間外との軋轢を調整できる形になるのか。
逆に、その世間外の人々を非国民化していき、さらなる分断や格差を招く形になるのか。
ここが一つの大きなポイントになるでしょう。

片山:とすると平成の次の時代、一つの議論が蘇ると想像できます。
天皇制ではなく、日本共和国でよいのではないかと。
平成とは今上天皇の思想と行動によって特徴づけられた時代でした。
今上天皇の「譲位」とともに、天皇のありようは変わるでしょう。

佐藤:その天皇のありようによって、ポスト平成の日本社会の方向性が決まっていくと言えるでしょうね。

●かたやま・もりひで/1963年生まれ。慶應大学法学部教授。思想史研究家。
慶應大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。
『未完のファシズム』で司馬遼太郎賞受賞。近著に『近代天皇論』(島薗進氏との共著)。

●さとう・まさる/1960年生まれ。1985年、同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。
主な著書に『国家の罠』『自壊する帝国』など。共著に『新・リーダー論』『あぶない一神教』など。
SAPIO連載5年分の論考をまとめた『世界観』が発売中。

※SAPIO 2018年5・6月号
http://www.news-postseven.com/archives/20180602_670856.html


眞子さまがお忍びで1泊2日の箱根“女子旅”へ
2018.06.06 16:00
秋篠宮家の長女・眞子さま(26才)が6月上旬、箱根温泉で“女子旅”を楽しまれていた──。
梅雨の季節が迫る神奈川・箱根は、間もなく見頃を迎える紫陽花(あじさい)に彩られていた。
家族連れや年配の夫婦、大きなリュックを背負った外国人観光客に交じって、
若い女性4人のグループは少しだけ目立って見えた。
目的地までの道順を確認しているのか、1人が手に持ったガイドブックに全員で目を落とす。
別の1人がスマホを操作し、やがてぞろぞろと歩き出す。
少し不安そうなのは、今いち道がはっきりしないからだろうか。
でも、小学校の頃から一緒だった女子の4人旅では、ちょっとくらいの失敗は笑い話に変わる。
そして、親友たちとの間なら“恋のつまずき”だっていい思い出話になるはず。
江戸時代の五街道の1つ「東海道」に沿った箱根温泉は、時の将軍にも献上されたほどの歴史ある名湯だ。
以降、箱根の地は、「心身を癒す場所」として多くの人に親しまれてきた。
新宿から小田急ロマンスカーで約1時間半。
都心の喧騒から離れたその場所に、6月最初の週末、眞子さまがお忍びで足を運ばれた。
「1泊2日の『女子旅』だったそうです。学習院初等科から女子高等科まで同級生だった親友3人と一緒の4人旅行。
高等科時代には、スキー部や茶道部でご一緒だったそうです。
眞子さまは学習院大学ではなく国際基督教大学(ICU)に進学されましたが、
以降も頻繁に連絡を取り合われていたと聞きます」(宮内庁関係者)
眞子さまと小室圭さんの結婚延期が発表されてから、4か月が過ぎた。
うら若き眞子さまにとって、心に決めた相手との将来に暗雲が垂れ込めたままの日々は、
耐えがたいものだったに違いない。
《皇后さまは、(中略)眞子さまや秋篠宮両殿下の周辺で、
静かな熟考のために保たれるべき環境に思いも寄らない様々な雑音が立てられていることを驚き、
悲しんでおられ、陛下もまたそのことに深くお心を痛めておられます》
5月25日には、宮内庁が《眞子内親王殿下に関する最近の週刊誌報道について》という
異例の声明を発表するにまで至った。
眞子さまにとっても、自身の結婚が最愛の祖母に心労を強いてしまったことは不本意だったことだろう。
だが、箱根での眞子さまは、そういった現状をまったく感じさせないほど明るい表情を見せられていた。
2日土曜日のお昼頃に箱根の玄関口「箱根湯本」に到着。当地を観光して1泊され、
翌3日の夕方4時前、小田急線と箱根登山鉄道の利用客で混み合う箱根湯本駅のホームに、
眞子さまたちは立たれていた。黒いキャリーケースを引かれた眞子さまは、
黒のフレンチスリーブのカットソーに、裾にゴールドのラインの入ったグラデーションがかったスカートを合わせ、
歩くたびにふわりと浮き上がる。ワンサイドに流したロングヘアから、時折大ぶりなイヤリングがのぞいていた。
◆「ご一緒の旅行はかなり珍しいことです」
箱根登山鉄道の駅名看板の前では、3つしかない駅員の制帽を4人の誰が被るかでキャッキャッと笑い声を上げ、
順番に何度も撮影タイム。売店に足を運べば、土産物や記念グッズを手に取りまた笑顔を浮かべる。
東京に向かうロマンスカーの車内では、2人がけのシートを後ろ向きに回転させ、
4人だけの旅の終わりの時間を過ごしていた。
ある宮内庁関係者が明かす。
「その年頃の女性にとってみれば友人との週末1泊旅行はありふれたことかもしれませんが、
眞子さまがお友達とご一緒に旅行されるというのは、かなり珍しいことです。修学旅行や部活動の合宿などを除くと、
大学時代に沖縄のお友達のところに遊びに行かれたというのを聞いたことがある程度です。
まして、小室さんとの結婚問題が事実上棚上げとなっている状態で、
しかも6月4日から秋篠宮ご夫妻が公務のためハワイに旅立たれる直前というタイミングで
“外泊許可”が出たというのは、眞子さまとご夫妻の間で、何かしらの“進展”があったのではないでしょうか」
眞子さまが女子旅から帰京された翌4日朝7時過ぎ、小室さんの自宅から、
まず大きなゴミ袋を抱えた佳代さんが、続いて小室さんが姿を見せた。
すでに高い位置にある太陽の光に目を細めながら、2人並んで最寄り駅に向かう。
駅が近づき人通りが多くなると、小室さんはマスクを、佳代さんはサングラスをかけた。
身動きが取れないほどではないが、少し混み合う電車に乗り、横並びでつり革につかまる。
途中、佳代さんの前の席が空く。小室さんが座るよう促すが、佳代さんはそれを拒否し、
「圭ちゃんが座りなさい」と言わんばかりに目配せし、小室さんが腰を下ろした。
「当初は美談のように語られた母子関係も、ここまでの密着度には首を傾げる声も多く聞かれます。
秋篠宮さまは、延期に伴って警備費用が膨れあがることなどを大変気に掛けられているようで、
頻繁にタクシーを利用したりする小室さんと佳代さんの収入に見合わない金銭感覚に、
眞子さまも疑問を持たれることもあったそうです。
小室さんへのお気持ちが燃え上がっていた頃から、
少しずつ、冷静な視点を取り戻せるようになってきたのでしょう」(前出・宮内庁関係者)
帰京するロマンスカーの車内で、眞子さまは過ぎ去っていく車窓の風景にどんな思いを重ねられていたのだろう。
※女性セブン2018年6月21日号
https://www.news-postseven.com/archives/20180606_692290.html

英国留学の愛子さま、飛行機はお友達とご一緒にエコノミー
2018.06.08 07:00
「5月末に行われた1学期の中間テストも全教科受けられました。
最近は欠席もなく、毎日お元気に登校されていると聞きます」
宮内庁関係者は、愛子さまの近況をそう明かす。現在、愛子さまは学習院女子高等科の2年生。
この夏、愛子さまは学校の短期留学プログラムを利用して、7月中旬から8月上旬までの約3週間、
英ロンドンの名門・イートン校で学ばれるという。
愛子さまにとっては、2006年、4才の時に雅子さまの療養に同行されたオランダ以来の海外訪問になる。
イギリス王室に詳しいジャーナリストの多賀幹子氏が解説する。
「イートン校は1440年に英国王ヘンリー6世が創設した寄宿制の男子校です。
ウイリアム王子やヘンリー王子のほか、ロイヤルファミリーや貴族の子息も多く通い、
エリザベス女王の住むウィンザー城も目と鼻の先です。
私が以前訪れたときには、イケメン生徒ばかりなことに驚かされました(笑い)。
愛子さまの留学時は夏休みですが、クラブ活動などのために学校に留まる生徒も多く、
“ジェントルマンの卵たち”が愛子さまを迎えるはずです」
プログラムは学習院女子の中3、高2、高3の希望者が対象で、参加者は毎年約40名。
費用は60万円ほどで、現地滞在中には、午前中にグループワークを通して
イギリスの歴史や文化を英語で学び、午後には大英博物館やストーンヘンジ、
バッキンガム宮殿などに実際に足を運んでフィールドワークを行ったり、
スポーツやゲームなどのアクティビティーを楽しむという。
「滞在中は寮生活を送ります。愛子さまも、同級生4〜6人と同室で生活されることになります。
寮では洗濯や掃除もすべて自分たちでやらなければなりません。
愛子さまにとっては新鮮な経験になるのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)
宮内庁職員の同行も必要最小限の人員に限られるという。
「往復の航空機は、お友達とご一緒にエコノミークラスに搭乗される予定です。
一般人が愛子さまと同じ飛行機に乗り合わせることになると思います。
皇族方は戸籍を持たないため、愛子さまは『外交旅券』という1往復限りの特別なパスポートを取得されます。
お名前の欄には、アルファベットで〈プリンセス アイコ〉と綴られるそうです」(前出・宮内庁関係者)
来年5月には、愛子さまは「天皇の娘」となられる。あくまで学問のための訪問とはいえ、
イギリス王室としても、そんな立場の愛子さまが自国を訪問されていながら
“ノータッチ”というわけにはいかないだろう。
「留学プログラムに支障のない範囲で、イギリス王室からお茶やお食事へのお招きを受けられるかもしれません。
愛子さまは『天皇の孫』ですから、王室でのカウンターパートはエリザベス女王の孫に当たるウイリアム王子やヘンリー王子です。
ご夫妻でそろって歓待されるかもしれません。愛子さまの英語力は相当なものだと聞きますから、
初めての『皇室外交』を滞りなく果たされることでしょう」(皇室ジャーナリスト)
愛子さまにとって、一生忘れられない夏がやってくる。
※女性セブン2018年6月21日号
https://www.news-postseven.com/archives/20180608_692899.html

雅子さま、ご成婚25周年で会見を開かれなかった本当の理由
2018.06.15 16:00
降りしきる大粒の雨が地面を叩き、マントの肩には水染みが広がっていく。
海から吹きつける冷たい風は、温度計の18℃という数字よりも格段に寒さを感じさせた。
それでも、天皇皇后両陛下は、手向けられた白菊の花束の前で、静かに祈りを捧げられた。
6月11日、両陛下は東日本大震災で大きな被害を受けた福島県相馬市に足を運ばれた。
2泊3日の最終日となったその朝、美智子さまは38度を超える高熱に襲われていた。
「初日は25℃近い汗ばむほどの陽気だったのに、2日目に屋外で行われた全国植樹祭の式典では、
小雨の中、16℃前後まで一気に冷え込みました。
ご体調不良を受け、最終日は一部の予定をキャンセルすることも検討されたそうですが、
美智子さまの強い要望もあり、すべてにお出ましになりました。
大変おつらそうな様子でしたが、帰京のため福島駅に到着されたときにも、
集まった地元住民に傘を差さずに手を振られ、別れを惜しまれていました」(皇室記者)
来年4月末の退位を前に、天皇皇后としての最後の被災地訪問となる見通しだっただけに、
これまで「祈りの旅」に全身全霊をかけてきた美智子さまの思いも一層強かった。
両陛下が福島に到着された6月9日は、皇太子ご夫妻にとっても特別な日だった。
1993年のご成婚から25年、ご夫妻は「銀婚式」を迎えられた。
《天皇皇后両陛下のご成婚25周年の折に、陛下に皇后様が差し上げられた「感謝状」という言葉以上に
私の気持ちに相応しい答えが見つかりませんので、このお答えに私も倣わせていただいて、
皇太子殿下にも「感謝状」を差し上げてもよろしいものでしょうか…》
雅子さまは、25年という年月をともに歩まれた皇太子さまへの思いを、「文書」にそう綴られた。
「記念すべき節目ですから、宮内記者会は、おふたり揃っての『記者会見』を要望していました。
来年5月の御代がわりを迎え皇后となられれば、記者会見は避けては通れません。
宮内庁側も、会見の可能性を最後まで模索したそうです」(宮内庁関係者)

◆皇室に存在する絶対的序列
雅子さまの会見は、2002年12月の誕生日などの会見が最後で、実に15年以上前だ。
翌年の誕生日直前に帯状疱疹を発症し、その後長きにわたる適応障害の
療養生活に入られてからは、一度も開かれていない。
そもそも、記者団に囲まれること自体、大変な緊張を強いられる。
加えて雅子さまの場合、過去の会見で言葉尻を取られ、かまびすしい批判が向けられたことがあった。
今年4月、『女性自身』が《銀婚式「会見」を断固拒否で宮内庁&記者クラブと冷戦再び!》という見出しで、
雅子さまがそうした「トラウマ」を理由に、会見を開かれないと報じた。
たしかに、記者会見は行われなかったが、その理由はまったく別のものだ。
「ご夫妻の結婚記念日と、両陛下の『最後の被災地訪問』の日程が重なっていたことが本当の理由です。
16年ぶりに雅子さまの会見が開かれたとなれば、各メディアはその報道で一色になり、
両陛下の地方公務への関心が低くなってしまいかねません。
皇室内には絶対的な序列が存在します。それは、一般の人が考えるような『上下関係』よりも重要視されるものです。
両陛下の、しかも最後となる被災地訪問の“裏”で、会見を開くわけにはいかなかったんです。
今回、文書回答が報道陣に届けられたのは、結婚記念日前日の15時頃。
療養期間中、雅子さまの誕生日文書などは、発表予定時刻からずるずる遅れ、夜遅くなることも頻繁にありました。
それだけ、文書回答とはいえお考えを出すのはかなりデリケートなこと。
今回、例を見ないほど早かったというのは、それだけの余裕があったということです。
実際には、雅子さまは会見を行うのに充分な気力も体力も快復されているのではないでしょうか。
両陛下との“バッティング”がなければ、会見も実現していたように思われます」(前出・宮内庁関係者)
※女性セブン2018年6月28日号
https://www.news-postseven.com/archives/20180615_698716.html

雅子さま、小和田家の両親帰国と妹の離婚で囁かれる不安
2018.06.22 16:00
ほとんどの人にとって、「実家」は心安まる場所だろう。
それは、来年皇后となることを控えられた雅子さま(54才)も決して例外ではない。
長く海外生活を続けていた両親の帰国に、しかし不安を覚える声も聞こえてきて──。
東京・元赤坂にある赤坂御用地には、大小合わせて6つの門がある。
北西に位置する明治記念館に面した場所にあるのが、東宮御所正門だ。
6月17日の夕方6時少し前、その門を通って続々と車が御用地内に入っていった。
そして6時半過ぎ、天皇皇后両陛下を乗せた車も、静かに到着した。
その夜、皇太子ご一家のお住まいである東宮御所で、皇太子ご夫妻の「銀婚式」を祝う内宴が執り行われた。
「参加されたのは、両陛下をはじめ皇族方や元皇族など50名ほど。
食事はホテルオークラのケータリングで、ご夫妻への祝福の言葉のほか、
先日イギリス留学から帰国されたばかりの佳子さまの現地での生活ぶりも、話題にあがったようです。
愛子さまは、周囲のお話にニコニコと笑顔で相づちを打たれていたそうです。
食事中は宮内庁の楽部が音楽を演奏し、食後にはご夫妻と以前から交流のある
ピアニストとバイオリニストが登場したといいます」(皇室ジャーナリスト)
内宴の食事メニューや催しなどは、ホスト役の雅子さまが中心になって決められたというから、
好調ぶりが伝わってくる。来年5月に皇后となられる日に向けて、雅子さまは着々と準備を進められている。
それは、雅子さまの周囲にとっても同様だ。
6月7日、雅子さまの父・小和田恆氏が、オランダ・ハーグにある国際司法裁判所の判事を退任した。
「2021年までの任期を残しての、途中退任です。85才という高齢であることに加えて、
雅子さまが皇后となられたときのことを考慮しての判断だったようです。
先立って今年2月に、安倍晋三首相に退任の意向を伝えました」(政治ジャーナリスト)
小和田氏が判事に任命されたのは2003年。2009年には同裁判所の所長になった。
2012年の所長退任後にも判事を継続し、ハーグを拠点にした生活を続けた。
もちろん、年末年始などには一時帰国していたが、
今回判事を退任し、日本に戻ってくることになれば、およそ15年ぶりのことだ。
だが、小和田氏と優美子さん夫妻の帰国に、一抹の不安を漏らす声がある。宮内庁関係者が明かす。
「外交官だった小和田氏とともに、雅子さまは幼少の頃から当時のソ連やスイスでの海外生活を送られました。
周囲に日本人が少なかったということもあるのでしょうが、雅子さまと小和田夫妻の結びつきは強かった。
『仲のいい家族』という程度ならよかったのですが、雅子さまが皇室に嫁がれてから、
その固い絆がマイナス方向に見られることがありました。
小和田夫妻の帰国によって、それが再び起こってしまうのではと危惧されているのです」
◆雅子さまがこぼされた「私の実家では…」
雅子さまは、1986年に皇太子さまと運命の出会いを果たされ、1993年に皇室に嫁がれた。
「皇太子さまからのプロポーズを“住む世界が違いすぎて、自信がありません”と一度断られたほど、
雅子さまは不安を抱えられていました。民間初の皇太子妃として嫁がれた美智子さまは、
かつてつらい思いをされました。雅子さまに同じ経験をさせてはならないと、
雅子さまと実家との専用電話も設置され、優美子さんはマイカーで荷物を運び込んだりと、
当時の東宮仮御所を頻繁に訪れていました」(ベテラン皇室記者)
心細い思いはさせたくないという美智子さまの配慮だったのだろう。だが、それが思わぬ批判を呼んでしまう。
「結婚後2か月で、優美子さんが雅子さまの元を訪ねたのは十数回に及びました。
雅子さまと実家との距離感が近すぎて、“嫁いだという自覚があるのか”という批判が起こりました。
雅子さまが、“私の実家では…”と、皇室のやり方に異を唱える場面も何度もあったといいます。
皇室のやり方になじむことは、小和田家のやり方を否定されるようにお感じになっていたのでしょうか。
美智子さまが嫁がれた際に正田夫妻が“娘は皇室に差し上げた”と話したことを引き合いに出し、
小和田夫妻へのバッシングにも繋がりました」(前出・ベテラン皇室記者)
2001年12月に雅子さまが愛子さまを出産された際には、
小和田夫妻が、両陛下に先んじて病院を訪れたということもあった。
2004年3月、前年末から体調を崩されていた雅子さまは愛子さまを連れ、
長野県軽井沢町にある小和田家の別荘での療養に入られた。
「民間の別荘に皇太子妃が滞在するのは、警備上の問題がありました。
また、皇太子さまがお見舞いに行かれることに“小和田家は皇太子殿下を呼びつけるのか”という
批判まであがりましたが、別荘での療養は続けられました」(前出・ベテラン皇室記者)
雅子さまが適応障害の療養生活に入られたのと前後して、小和田夫妻はオランダに渡った。
それから長い時間をかけ、雅子さまは快復のステップを歩まれてきた。
その間は、年に数度、顔を合わす機会があった程度だ。
冒頭の内宴には、陛下の妹にあたる島津貴子さんや、紀子さまの両親・川嶋夫妻らも参加した。
雅子さまの双子の妹である礼子さんと節子さんの姿もあった。
幼少の雅子さまは、妹たちの面倒を進んで買って出られるほど、礼子さんと節子さんとは「仲よし姉妹」だった。
療養中には、雅子さまの支えになるべく“お世話係である女官に礼子さんを据えるべきだ”という意見が出たこともあった。
「昨年、節子さんは19年連れ添った男性と離婚しました。
子供もおらず、現在は目黒区内の雅子さまのご実家でひとり暮らしです。
今後、皇后としての重圧や負担の増す雅子さまのために、
今度は“節子さんを側近に”という意見が出てもおかしくありません。
小和田夫妻の帰国と、妹の側近化が、小和田家にとっても
20年前の批判の汚名を返上する機会と考えているかもしれません。しかし、せっかく“実家離れ”をされたのに、
再びかつてのようなマイナスの結びつきになってしまわないかと不安が囁かれているんです」(前出・宮内庁関係者)
だが、別の宮内庁関係者はそれを否定する。
「雅子さまは確かに、小和田家の娘としてふさわしく育てられてきました。
そこから離れられ、『皇族』となられるには時間もかかったでしょう。
しかし今や、次期皇后で、ご自覚も以前とは比べものにならないほど強くなっています。
一時の登校不安などから愛子さまが脱却されたのも大きく、それに何よりも、雅子さまには皇太子さまがいらっしゃいます。
そうした心配は杞憂に終わるでしょう」
銀婚式に際しての文書回答で、雅子さまは25年後の金婚式の「金メダル」を目標に掲げられた。
これからも、ご夫妻は共に手をたずさえて歩みを進められていく。
※女性セブン2018年7月5日号
https://www.news-postseven.com/archives/20180622_703789.html

雅子妃「ぎっくり腰」で茶会欠席が当日まで決まらなかった事情
2018.07.03 16:00
「雅子さまが座るはずだった席だけがぽっかり空いたままで、不在が強く印象に残る会になりました」(皇室記者)
6月25日、優れた業績を上げた研究者に贈られる日本学士院賞の授賞式が開かれた。
その夜、皇居宮殿の晩餐会場「連翠(れんすい)」で、受賞者を招き、天皇・皇后主催の茶会が開催されたのだが、
皇太子の隣は空席のままだった。
出席予定だった雅子妃が、急遽欠席することとなったからだ。
「1週間ほど前に患ったぎっくり腰が理由ですが、宮内庁の記者クラブに欠席が伝えられたのは、当日の昼すぎでした。
その直前までご出席が検討されていたようです」(同前)
茶会は3〜4人の受賞者が丸テーブルに座り、それぞれのテーブルに用意された2脚の椅子に
天皇・皇后、皇太子夫妻、秋篠宮夫妻らが順々に入れ替わって座り、受賞者と歓談しながら食事する段取りとなっていた。
雅子妃が立ったり座ったりを繰り返すのは難しいという判断だったようだが、もっと早く欠席の発表はできなかったのだろうか。
「雅子さまは昨年8月に『フローレンス・ナイチンゲール記章授与式』に14年ぶりに出席され、
今年5月の『全国赤十字大会』にも15年ぶりに列席されました。
今回の茶会にご出席されていれば15年ぶりのこと。宮内庁としては、
皇后陛下がとりわけ大事にされてきた3つの行事に雅子さまがお出ましになれば、快復されていることを国民に示し、
来年の代替わりへの期待感が高まるという思惑があったのでしょう。
だからギリギリまでご出席の可能性を模索していたのではないか」(皇室ジャーナリスト)
「皇太子妃」としての公務は残り少なくなってきた雅子妃。10か月後に控える皇后即位まで立場の重みは増していく。
※週刊ポスト2018年7月13日号
https://www.news-postseven.com/archives/20180703_711691.html

ぎっくり腰を患われた雅子妃、いまだ改善されない“昼夜逆転”のお暮らし 来年の公務激増に懸念
社会週刊新潮 2018年7月5日号掲載
このまま10カ月で「新皇后」――。先ごろ宮内庁は、雅子妃が「ぎっくり腰」を患われたと発表した。
一方、かねて指摘されていた「昼夜逆転」生活は、いまだ改善されていないという。
6月9日にご結婚25周年を迎えた皇太子ご夫妻。17日には、両陛下をはじめ元皇族の方々まで招き、
東宮御所で盛大な内宴が催されたという。
アクシデントは、その直後に起きていた。さる宮内庁担当記者が言う。
「6月22日に行われた小田野展丈・東宮大夫の定例会見で、雅子さまが数日前から腰に痛みがあり
『腰椎ねんざ』と診断されたことが明かされたのです」
すなわち、ぎっくり腰のことである。
「大夫によれば、痛みを感じられたのは内宴のあった17日以降だといい、日常生活に差し障りはないものの、
車での移動や立ったり座ったりの動作には痛みが伴い、不自由を感じておられるとのこと。
その原因として、5月の滋賀県でのご公務や、ご結婚25周年の行事でのお疲れを挙げていましたが、
結論としては『それが直結しているかは分からない』と言うばかりでした」(同)
ご存知のようにぎっくり腰は、誰もが日常生活のふとした拍子に襲われる危険をはらんでおり、
巷ではさほど深刻な症状とは見なされていない。が、新皇后になられるお立場とあっては、決して等閑視できまい。
現に雅子妃におかれては、25日に皇居・宮殿で催された日本学士院賞受賞者を招いた茶会へのご出席が
叶わなくなるという「実害」も生じているのだ。

「昼夜逆転」の暮らし
あいちせぼね病院の伊藤全哉院長が言う。
「ぎっくり腰は、くしゃみや掃除機の操作など、ささいなことで腰に力がかかって誘発される場合があります。
腰回りの筋肉に無理な力がかかり、筋肉や筋膜がちぎれる肉離れを起こし、痛みに繋がる。
加齢で筋力が衰えた40〜50代、中でも力の弱い女性の方が、かかりやすい傾向にあります」
主な要因としては、
「まずストレスです。緊張状態になって血管が収縮すると血液循環が悪くなり、腰に疲労が溜まります。
さらに、生活リズムが不規則な方も要注意。睡眠時には腰の筋肉が緩んで休息できますが、
リズムがまちまちだと、どうしてもその休息が不十分になりがちです。そして、太っている方も危ない。
同じようなサイズの背骨ならば当然、体重が重い方が、支えるための負担が大きくなるからです」(同)
ここで思い起こされるのは、かねてより雅子妃の“習わし”となってきたライフスタイルである。
お住まいの東宮御所では、数年前から生活サイクルが著しく崩壊し、
いわば「昼夜逆転」の暮らしを送られていると報じられてきたのだが、「実は、その生活は現在でも変わっておりません」
そう明かすのは、さる宮内庁関係者である。
「そもそもこの問題は、愛子さまが学習院初等科に通われていた時期に遡ります。2年生の終わり頃、
いわゆる『不登校騒動』が持ち上がり、皇太子殿下や雅子妃殿下はおよそ1年半にわたり、
愛子さまのご登校にお付添いなさってきました。ですが、その問題も4年生の中頃にはほぼ解消され、
妃殿下のお付添いも終了。つまりは愛子さまに合わせて早朝に起床なさる必要がなくなったのです」
毎朝のお役目から解放された結果、リズムを崩してしまわれたのだという。
「以前から妃殿下は、殿下や愛子さまとは朝食をご一緒なさらず、お一人だけ遅れて召し上がるのが日常でした。
現在でもお出ましのない日は、まずお昼前に起床、午前11時頃に最初のお食事を摂られ、
2度目となる『ご昼食』は夕刻を過ぎてからとなる。その時間帯は、
ともすれば殿下や愛子さまのご夕食時間と重なることもあるのです」(同)

「アジャスト」は数日前から
そのスタイルは、今なお続いているといい、
「数年前に比べ、妃殿下のお出ましは目に見えて増えていますが、基本的にこのサイクルは変わっていません。
現在は、ご公務の日に照準を合わせ、ご体調をアジャストさせるよう数日前から生活時間を修正なさるなど、
準備に入られます。そして、1つのご公務が終わると大きな疲れが残り、次のお出ましまで、
また元のパターンに戻ってしまう。これが『ご体調の波』と表される状態なのです」(同)
いきおい、就寝時間もずれ込んでしまうのだが、
「日付が変わって深夜1時頃から食事をお召しになることもしばしばです。つまりは、その日の『ご夕食』となるのですが、
こうしたサイクルはすっかり妃殿下のお体に沁み込んでしまっています」(同)
先の伊藤院長の話に当てはめれば、ストレスや不規則な生活、それにともなう深夜の過食――。
ぎっくり腰の要因を十分に満たしているではないか。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏が言う。
「ぎっくり腰になられたことで、雅子さまのご公務が再び滞ってしまうのではないかと懸念しています。
来年、皇后陛下となられてからは、さらにご公務をなさっていかねばならないのに、その妨げとなってしまうかもしれません」
現在、皇后さまのご公務の数は年間でざっと340件。対して雅子妃は約60件と、差は歴然。その上で、
「昼夜逆転が続いているのは、適応障害が全快しないことが大きな原因だと思います。
皇后になられるまでの時間は限られており、いかに病気と向き合われるのか決断なさらないといけません。
それには、ご病状やご公務について自らの言葉でお話しし、世間の理解を求めるのがよろしいかと思います。
また、14年間かけても治療に成果がみられないのですから、皇后になられる前に主治医を替えるなど、
治療体制を見直すべきではないでしょうか」(同)
お立場は、より重くなる一方なのだ。
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/07070800/?all=1

雅子妃、朝まで寝つけず「真夜中のご散策」… ご欠席がちになった「愛子さま」とのシンクロ
社会週刊新潮 2018年7月5日号掲載
腰椎ねんざ、つまり「ぎっくり腰」を患われ、雅子妃は6月25日に皇居・宮殿の催しをご欠席された。
あいちせぼね病院の伊藤全哉院長は、主な要因のひとつに“不規則な生活リズム”があると解説する。
「睡眠時には腰の筋肉が緩んで休息できますが、リズムがまちまちだと、どうしてもその休息が不十分になりがちです」
かねてより雅子妃の生活リズムが崩壊していることは報じられているが、
「昼夜逆転」のお暮らしは今も変わらないという。
お昼前に起床され、午前11時に最初のお食事、夕刻に“ご昼食”となるというリズムにあっては、
「日付が変わって深夜1時頃から食事をお召しになることもしばしばです。
つまりは、その日の『ご夕食』となるのですが、こうしたサイクルは
すっかり妃殿下のお体に沁み込んでしまっています」(宮内庁関係者)
宵っ張りのお暮らしは、やはり安らかな眠りとは縁遠いようで、これまで皇太子ご夫妻のご動静として
“ジョギングやご散策”は知られてきたのだが、
「実は妃殿下は、深夜によく赤坂御用地を散策されています。朝が遅い分、
なかなかお休みになれないのでしょうが、決して好ましい状態とは言えません」(同)

愛子さまご欠席の懸念
合わせて気がかりなのは、愛子さまのご体調である。中等科3年生だった2016年秋には激しくお痩せになり、
長らく学校を休まれていたのは記憶に新しい。その後いったん回復されたものの、
昨年、高等科に進学した直後のGW前後には再び長期欠席なさるなど、危うげなご様子が続いてきた。
さる宮内庁担当記者は、
「今年5月下旬の中間テストは、無事、全科目お受けになっています」
というのだが、ほどなく予期せぬ事態が。
「6月2日、女子高等科は他校と運動部定期戦を行ないました。愛子さまも参加なさったのですが、
日曜を挟んで4日の月曜、愛子さまは午前中の授業を欠席され、午後からのご登校となったのです。
続けて翌日の5日は、まる一日ご欠席。宮内庁に尋ねても
『(定期戦当日は)暑かったのでお疲れになった』と、要領を得ないままでした」(同)
さらには、
「東宮大夫によれば、6月21、22日の2日間も『お咳や37度台前半の熱があったため、
大事を取ってお休みした』という。実際の程度はわかりませんが、お体だけでなく、
お気持ちの面でも不安定な部分が残っているのが窺えます」(同)
愛子さまは今夏、学校のプログラムを利用して英国の名門・イートン校へ短期留学されるご予定。
が、これでは、不安が募るばかりである。

シンクロする母娘のご体調
精神科医の片田珠美氏に聞くと、
「社会的に望ましい時間に入眠できず、午前中に起床しても眠気や疲労を感じて仕事が困難な症状を
『睡眠相後退症候群』と言います。ご公務が終わるとまた元に戻ってしまうというのは、
雅子さまご自身に症状を治そうというご意思があるのか疑問です。
人間は朝日を浴びて16時間で眠くなります。生活リズムを整えるためには、ご散策は朝方になさればよいかと思います」
また愛子さまについても、
「ご自分が登校する時間になってもまだ寝ておられるお母さまの姿をご覧になって、
『私だって少し休んでもいいのでは』と思われるようになったのではないでしょうか」
これまでたびたび指摘されてきた通り、母娘のご体調は見事に「シンクロ」しているというわけだ。
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/07080800/?all=1&page=1

ボブスタイルになった愛子さま 英国留学はエコノミーでご出発
2018.07.27 16:00
夏休みが始まった羽田空港の国際線ロビーは、
蒸し暑い日本を脱出しようとする家族連れで、早朝から混み合っていた。
7月22日午前中、そんな雑踏の中に、学習院女子高等科の同級生たちと並んで、
ワインレッドの大きなトランクケースを引く愛子さまの姿があった。
エメラルドグリーンのトップスに黒のパンツ、グレーのスニーカー。
ひときわ目を引いたのは、きれいに櫛を入れられたボブスタイルだった。
「2日前の終業式のときは、ポニーテールで結んでも肩甲骨まで届くほど長かった髪を、
毛先がようやく肩につく短さにカットされ、前髪もパツンと切り揃えられていました。
出発の前日にカットされたようです」(皇室記者)
愛子さまは学校の留学プログラムとして、イギリスの名門イートン校で約3週間、夏期研修を受けられる。
おひとりで海外に滞在されるのは初めてのことだ。
「愛子さまの訪英は、現地メディアでも報じられ、注目されています。
イギリス王室としても、来年5月に“天皇の娘”となられる愛子さまに歓迎ムードが高まっているようです。
研修プログラムに支障のない範囲で、エリザベス女王の孫に当たるウイリアム王子・キャサリン妃夫妻、
ヘンリー王子・メーガン妃夫妻から、お茶やお食事のお招きがあるかもしれません。
イートン校はそもそも2人の王子の出身校でもありますから。
愛子さまが髪を整えられたのも、そうした“孫外交”に備えてのお心遣いだったのかもしれません」
(皇室ジャーナリスト)
愛子さまの今回の留学は、公務ではなく、あくまで学校行事という位置づけだ。
「飛行機はエコノミークラス。男性の侍従はお供せず、60代の東宮女官と20代の出仕の2人だけが付いていきました。
とはいえ、2人は皇太子ご夫妻との連絡係というスタンスで、留学中、愛子さまにぴったり張り付くことはなく、
宿泊する建物も別になるそうです。ほかの生徒と助け合いながら生活する愛子さまを、
適度な距離を置いて見守りながら過ごす予定です」(宮内庁関係者)
愛子さまは、この留学を心待ちにしてこられたようだ。
「英語の勉強に熱心に取り組まれ、家庭教師とだけでなく、
皇太子ご夫妻とも英語で日常会話をされることもあったそうです。
海外からの賓客とも直接、積極的にコミュニケーションを取ってこられて、準備は万端でしょう」(学習院関係者)
雅子さまも、新しいチャレンジをする愛娘を、ほどよい距離感で見守られている。
「3週間もの長い期間を離れて過ごされるのは初めてのことのようですが、
雅子さまは愛子さまを空港まで送ることはせず、お住まいの東宮御所で見送られました。
皇后となるべく準備を進められる雅子さまとしては、子育ては一段落とお考えかもしれません」
(前出・皇室ジャーナリスト)
愛子さまの留学先であるイギリスは、皇太子ご夫妻にとってもゆかりのある土地だ。
「皇太子さまも雅子さまも、英オックスフォード大学に留学経験があります。
皇太子さまはその折、イートン校を訪問されて、校長先生とお話しされたそうです。
おふたりはそうしたことも愛子さまに話して聞かせているそうです。
海外で学ぶことの重要性を身をもって理解されているご両親ですから、
今回の夏期研修をきっかけに愛子さまには海外の名門大学への進学も考えられるかもしれません」(宮内庁担当記者)
平成最後の夏は、愛子さまにとって、新たなチャレンジの夏になりそうだ。
※女性セブン2018年8月9日号
https://www.news-postseven.com/archives/20180727_727600.html?PAGE=1#container

安倍首相、皇太子の背後に「反安倍派」が見え隠れで懸念
2018.08.16 07:00
自民党総裁選3選後に本格的に「憲法改正」に乗り出すとみられている安倍晋三・首相だが、
内心気を揉んでいるのが、「次の天皇である皇太子の憲法観」だという。
今上天皇は「平和への強い思い」を語り、憲法を守る姿勢を見せてきた。
そのため、「代替わりによって改正論議に弾みがつく」(安倍側近)と見る向きもあるが、
皇太子も今上天皇のそうした「平和への思い」を受け継いでいるだけに
状況は変わらないとみる宮内庁関係者は多い。
安倍首相は天皇には「内奏」と呼ばれる国政報告を行ない不定期に面会しているのに対し、
皇太子とはほとんど接点がない。
「ご進講など、安倍首相が皇太子と会われた記録はない」(宮内庁広報課)という。
加えて、皇太子の“ある人脈”を首相は警戒しているようだ。政治ジャーナリスト・野上忠興氏が話す。
「皇太子妃・雅子さまの父で元国際司法裁判所所長の小和田恆氏は、
安倍政権を痛烈に批判している元首相・福田康夫氏と一緒にスキーに行くほど仲がいい。
安倍首相にすれば、“反安倍派”の存在が皇太子の後ろに見え隠れすることに懸念を覚えているようです」
※週刊ポスト2018年8月17・24日号
https://www.news-postseven.com/archives/20180816_735277.html

雅子さま笑顔のハプニング 愛子さま拾われたのは…納豆タレ袋
記事投稿日:2018/08/24 16:00 最終更新日:2018/08/24 16:00
お盆の最後の日となった8月16日、静岡県にある伊豆急下田駅は活気にあふれていた。
須崎御用邸でのご静養のために、駅に到着された皇太子ご一家をお出迎えしようと
集まった地元住民や観光客は230人ほどもいたという。
皇太子ご夫妻そして愛子さまは、例年以上に一人ひとりと時間をかけ、お話しをされていた。
そのなかの1人が高校2年生の女子生徒だった。田園調布雙葉高校に通う彼女は、雅子さまの“後輩”にあたる。
「現在の校長先生は雅子さまの先輩にあたります。雅子さまはそのお話をされていました。
愛子さまは私がデンフタの2年生であることをお聞きになると、
『○○ちゃんはご存じですか?』と話しかけてこられました。
私が知っていますと答えると、『幼馴染なんです』と、おっしゃっていました。
ニュースでも、これまで愛子さまがお話しされている姿は見たことがなかったのですが、
とても優しくてお話ししやすかったです」
駅構内での語らいは、雅子さまと愛子さまが交互に話しかけられることで、
いつも以上に盛り上がり、微笑みに満ちたひとときとなった。
「例年では下田駅のおふれあいは10分ほどなのですが、この日は25分にも及びました。
皇后になられるまで、8カ月あまり。雅子さまも“これまで以上に国民と親しんでいきたい”と、
お考えになったのでしょうか。そんなお気持ちを、愛子さまも察せられ、
さりげなくフォローされていたようにも見えました」(皇室ジャーナリスト)
笑いに満ちた“母娘トーク”は、駅構内ばかりではなかった。
この日、須崎御用邸近くの三井浜では16年ぶりに取材が設定された。
愛子さまが海辺で拾われた貝について語り合われるご一家のお姿も報じられたが、
愛子さまは意外なものも拾われていたのだ。宮内庁関係者は言う。
「ゴミでした。納豆のパックに入っているタレの小袋もひそかに浜で拾っていらしたのです。
それを取材陣にすっとお見せになったのですが、愛子さまの思わぬ行動に、現場で大きな笑いが起きたのです」
雅子さまと愛子さまは、タレの袋について、こんな会話を交わされたという。
雅子さま (袋の中身が)固まってますね。
愛子さま ちょっと待ってください。これ(袋が)開いてます。
雅子さま (中身は)砂なんですね。賞味期限切れでしたね(笑)。
前出の関係者が続ける。
「取材会は10分ほどでしたが、ゴミを巡っての雅子さまと愛子さまのユーモラスな会話に、
居合わせた人々は、ほのぼのとした気持ちになったそうです」
雅子さまと愛子さまの公開“母娘トーク”、ぜひ今後も続けていただきたい。
https://jisin.jp/domestic/1658419/

皇太子さまのフランス訪問 雅子さまがご同行断念された理由
最終更新日:2018/09/13 16:00
髪をアップにされ、白いスーツをお召しになった雅子さまがお見送りの言葉をかけられると、
皇太子さまも晴れやかなご表情をお見せになった。
9月7日の朝に出発された皇太子さまは、15日までの日程でフランスを訪問されている。
「フランス政府から皇太子ご夫妻に招待があった公式訪問です。
4月には、雅子さまも同行されるという報道があり周囲の期待も高まったのですが、実際にはまだ検討段階でした。
9日間にわたる長丁場であり、ご滞在中も行事や交流会が目白押しの過密スケジュールということで、
最終的に雅子さまのご同行は断念せざるをえなくなりました」(宮内庁関係者)
外交官として活躍されていた雅子さまにとって、皇室外交に携わることはご結婚当初からの悲願。
それゆえに渡仏断念はつらい決断と思われる。しかし、皇太子さまを見送られる雅子さまのご表情はとても明るかった。
「外国への公式訪問ですから、国内の行啓のように行事ごとに出席するか否かを選択するのは難しいのです。
すべての行事に出席されるか、ご訪問自体を取りやめるか、二者択一だったわけです。
残念ながらすべてをこなすのは難しいと、雅子さまご自身が判断されたと聞いています。
9月末には九州北部豪雨の被災地を訪問されるご予定もあり、
そちらを優先したいというお気持ちもあったのでしょう」(前出・宮内庁関係者)
立教大学教授で精神科医の香山リカさんは、こう話す。
「主治医の判断に依存せず、ご自身でご公務への出席を判断されるようになっていらっしゃるならば、
かなり回復されているとみてよいと思います」
雅子さまの「劇的ご回復」があったからこそ、渡仏断念も前向きに受け止められたはずだと語るのは、
皇室ジャーナリスト。
「この夏のご静養先では、皇太子ご一家は駅頭の取材だけではなく、
須崎御用邸、那須御用邸の中で記者に対応されました。
雅子さまは今年6月の銀婚式では会見を見送られるなど、
これまでは報道陣の取材に苦手意識を持っていらっしゃいました。
それでも2度も積極的に取材対応をされたのは、雅子さまのご体調がよいことの証であると同時に、
新皇后への決意の現れにも感じられます」
皇太子さまはフランスへのご出発を前にした記者会見で、雅子さまの国際親善への関わり方についてこう述べられた。
《外国への訪問だけではなく、賓客の受入れや日本で開催される国際的な行事への出席など、いろいろな形があります》
《外国で暮らした経験、あるいは仕事で外交に携わってきたことは、必ず役に立つものと思います》
前出の皇室ジャーナリストは、皇太子さまの発言に“新皇后”へのビジョンが垣間見えると語る。
「皇太子さまが、雅子さまの外交官の経歴をこれほど強調されたことは、今までにありませんでした。
このお言葉には、順調に回復されている雅子さまへの大きな期待がこめられていると思います。
雅子さまの海外ご訪問が実現するには、まだ時間がかかるかもしれません。
だからこそ皇太子さまは、まずは国内のご公務で外交官の経験を生かすことを提案されたのでしょう。
雅子さまとおふたりで『新しい皇室外交』を築くことを切望されているのです」
皇太子さまの後押しで、雅子さまは焦ることなく、“新皇后外交”への第一歩を踏み出される――。
https://jisin.jp/domestic/1663906/

佳子さまのティアラ、眞子さまの航空運賃など皇室の財布事情
2018.09.15 16:00
憲政史上初となる天皇の譲位によって、皇室には前例のない数々の変化が訪れる。
そのなかでも、とりわけ大きく変わると考えられるのが、天皇家の「お金」である。
膨大な量の開示資料から、その一端が垣間見えてきた。
皇室には「4つの財布」がある。天皇と内廷皇族(皇后、皇太子、雅子妃、愛子内親王)の
プライベートな費用の「内廷費」(3億2400万円)。
それ以外の皇族に支出されるこちらもプライベート用の「皇族費」(3億6400万円)。
公務を始めとした公的な活動に使われる「宮廷費」(91億7100万円)。
そして、宮内庁職員の人件費や物品費などの「宮内庁費」(114億6600万円)だ。
特に先の3つを合わせて「皇室費」と呼ぶ。
内廷費と皇族費は、一度支出されると「御手元金」となり、具体的な使い道は明かされない。
一方、皇室費のなかで予算額が91億7100万円と、突出して規模が大きい宮廷費は公的な意味合いを帯びる。
佳子内親王が成年皇族になった2014年に2892万円で調製(皇室が所有する宝石を利用して製作)された
ティアラの費用も、「儀礼に必要なため」との理由で宮廷費から支払われた。
このティアラは貸与扱いで、結婚して臣籍降下すれば皇室に返却しなければならない。
今回、本誌が宮内庁から開示された資料のほとんどがこの宮廷費で、2015〜2016年度のもの。その使途は幅広い。
天皇皇后、皇太子夫妻、秋篠宮夫妻の海外訪問費用を比べると、お金の使い方に違いがあることがわかる。
2016年1月26〜30日、天皇皇后はフィリピンを訪問した。政府専用機が使われたため、航空運賃の記載はないが、
天皇皇后と随員を含めた宿泊料は1泊約114万〜145万円。
また、消耗品費として、4000円の日焼け止めが8個、130円のウェットティッシュ10箱に加えて、
フィリピンの環境を考慮してか虫除けのアースノーマット1220円が33個計上されていた。
次に皇太子夫妻のトンガ国王の戴冠式出席(2015年7月2〜6日)には、政府専用機ではなく、
全日空のチャーター便が使われた。「航空機借上代」は7000万円。
割引が適用されたのか、そこから約760万円が引かれていた。
療養期間中の訪問だった雅子妃は、皇太子と別行動でホテルで休んでいる時間もあったが、宿泊費の明細はなかった。
かわりに「御贈進品梱包代」として百貨店に3万2400円の支払いがあった。
トンガ側への贈答品の梱包代と思われるが、どんな品物をいくらで購入したかは、資料が黒塗りされていた。
「贈答品の内容や金額が公になると、“皇室御用達”と宣伝に利用されかねない。
民間に対しては公平でいたいという皇室側の配慮でしょう」(宮内庁関係者)
一方、秋篠宮夫妻のブラジル訪問(2015年10月27日〜11月10日)は、
一般客も搭乗する定期便のファーストクラスを利用した。往復の航空運賃は夫妻で約723万円。
随行員を含めた航空費の総額は約2817万円だ。
2016年9月6〜16日にパラグアイを訪問した眞子内親王の航空運賃は、
こちらもファーストクラスで往復約495万円だった。
※週刊ポスト2018年9月21・28日号
https://www.news-postseven.com/archives/20180915_758155.html

愛子さま スケート

女性セブン2006年2月16日号
愛子さまピンクのウエアでスケートデビュー
皇太子ご夫妻が、愛子さまをお連れになり、ご一家でスケートを楽しまれたのは1月半ばのこと。
場所は、東京・新宿区にある神宮外苑アイススケート場。
「警護のかたたちが10人ほどいて何かあったら大変と、やはりピリピリしていましたが、
愛子さまが、白いタイツをはいてピンク色のスケートウエア、それにピンク色っぽい手袋をされていて、
思わず目を細めたくなるほどのかわいらしいお姿で、
周りは一瞬のうちに和やかな雰囲気になりました」(スケート場関係者)
スケートをされるのは、この日が愛子さまにとって初めてのご体験。
最初は、緊張されていたのか、インストラクターの先生に両手を引かれながら、
ドキドキされている様子だったというが、
「だんだん慣れてくると、ひとりで滑られるようになって・・・・。スイスーイというわけにはいきませんが、
片足で滑ってみたり、しゃがんで滑ったりと、声を上げられ、それは楽しそうでした。
とても初めてだとは思えないほど、お上手でしたよ」(別のスケート場関係者)
雅子さまは、皇太子さまとご一緒に、初めはリンク横にあるベンチに腰かけながら、心配そうな表情で見守られ、
愛子さまが滑り始めると歓声をあげられた。
「楽しそうに滑る愛子さまの姿をご覧になって、雅子さまは、きっと居ても立ってもいられなくなられたのでしょう。
皇太子さまとご一緒にリンクに降りられて、ご家族3人で、楽しまれ、
笑い声がリンクに響きわたりました」(前出・スケート場関係者)
実はこのスケートリンクで、秋篠宮家の次女、佳子さま(11才)も、フィギュアスケートの練習に汗を流されている。
愛子さまはご両親と一緒に佳子さまの練習を見学されたこともあるという。
「愛子さまにとって佳子さまはお姉さんのような存在です。佳子さまのかわいらしいフィギュア姿に憧れを抱かれ、
ご自分も“お姉さんのようになりたい”と思われ、今回の氷上デビューとなったのかもしれませんね。
佳子さまとご一緒に滑られる日も近いのではないでしょうか」(皇室関係者)

テーミス2010年5月号
皇太子ご一家の春休みは"マイペース"だった。
始業式翌日の4月10日にもお揃いで都内スポーツ施設を借り切ってスケートを楽しまれている。

女性セブン2010年6月3日
雅子さま愛子さま<お忍び>「厳戒スケート」に区民困惑−緊迫の土曜日
とある区営スポーツセンター。アイススケートも楽しめるこの場所が
5/15朝から私服を含めた警官が10人以上警備に立ち、建物前では10余りの職員が立つなど緊張ムードに包まれる。
ピリピリムードが高まる中、午前10時、皇太子ご一家が来場。カジュアルな服装。
愛子さまの友達家族10組ほどと一緒に3時間余りスケートを楽しみ、帰りは"勝手口"から。
佳子内親王に憧れて幼稚園時代からスケートを始めた愛子さま。
今はパーシュート(スピードスケートの競技形態の一つ)でリンクを回って楽しんでいる。
厳戒態勢に戸惑う区民の声
3日ほど前から15日は貸し切りとなる看板(張り紙ではない)が立ち、いぶかしんでいた。
建物近くに駐車しようとした区民が職員に追い払われ、理由を尋ねても答えてもらえず。
貸し切りになっていることを知らなかった子連れの母親が戸惑う。
通りかかった区民が警官の姿に「VIPが来る?!」と携帯などを取り出したところ、ものすごい形相で注意を受けた。
皇太子ご一家は昨年末から月に数回ここでスケートを楽しみ、そのたびに毎回区長が挨拶に行っている。
区営のスポーツセンターは区民が格安の料金で楽しむ場所なのに…。
宮内庁とスポーツセンターが連絡を密にしていれば防げたのでは。

テーミス2010年7月号
江戸川区の区営アイスリンク午前中貸切でスケート楽しむ。
10組ほどの愛子さまの仲良し母子一緒。その中に外務省キャリア官僚A氏の妻子も。
A氏は雅子さまが外務省北米2課時代の先輩で、愛子さまが幼稚園の時、
雅子さまと愛子さまで、たびたびA氏宅に遊びにいっていたほど気が合う(初等科関係者)
この時も含めて、皇太子一家は人目をさけるようにお忍びで行動を続けており、その姿は奇異に映る。
皇室関係者
雅子さまに意見できるのは皇太子だけだが、東宮職幹部の中からは『あの方(皇太子)が
あの調子ですから』と雅子さま主導を仄めかして、諦めているような言葉も聞こえる。

障害者スポーツ大会を欠席し、愛子さまとスケート


サンデー毎日2011年1月2日・9日新春合併号
12月18日は江戸川区にある公共施設を全館貸し切りにして、アイススケートを楽しんだ。
一緒に参加した20人と終始和やかな雰囲気で、愛子さまはジャンプやスピンに挑んだという。

女性セブン2011年2月3日号
東宮女官長退任で抜擢
「皇太子妃雅子さまの盾に!」新リーダー“命の献身”
愛子さまは年を追うごとにスケートの練習に熱心に取り組まれている。
1月15日。東京郊外のスポーツ施設のリンクで新年初滑り。
午前10時過ぎ、愛子さまは皇太子さまと二人で姿を見せ、お友達数人と約2時間スケートを楽しまれた。
この日午後から公務があった皇太子さまは、愛子さまをスケート場に送ったあとすぐに帰られたが、
いつもは付き添われるはずの雅子さまの姿は結局見られなかった。

週刊新潮2011年2月24日号
(天皇陛下検査の)その同じ12日の朝、江戸川区のスポーツセンター
の周囲は、皇宮警察の警備車両や白バイが待機し、あちこちに私服警官が立ち、
物々しい雰囲気に包まれていた。そこに午前10時過ぎ、現れたのは皇太子ご一家だった。
「天皇陛下が検査入院されている最中、しかも三連休の中日に、公営のリンクを貸切りにして、
初等科のご学友たちとスケートを楽しまれたのです。」(先の東宮一家ウォッチャー)
「この日は私を含め、みなさん中止になると思っていました。参加したのは数名ですが、
みな“いいのかしら”と複雑な気持ちだったみたいです。」(初等科のさる父兄)
スケートに行ったと聞いて「耳を疑った。」「陛下は検査入院されるにあたり、
公務に影響がでないように配慮して、祝日の金曜日と土曜日をお選びになったようです。
皇太子殿下はその点に、もう少し心を配られた方がよかったかもしれません。」(宮内庁関係者)
「陛下のご健康のためには、公務の見直し以上に、このご心痛の種を取り除くことこそが急務に違いない。」

テーミス2011年3月号
陛下が検査入院から退院された2月12日。
雅子さまは月に一度の恒例となった愛子さまのアイススケートに付き添って、午前10時過ぎに
東京、江戸川区にあるスポーツ施設を訪れた。皇太子さまと愛子さまの友達家族約10人も一緒だった。
施設は午後1時まで全館貸し切り。事情を知らずに施設を訪れた一般人を、職員や警備に
当たる警察官が追い返すのも見慣れた光景になった。
「皇太子一家は午後1時のタイムアップ直前に東宮御所に向けて出発されました。
ご夫妻はニコニコと笑顔をお見せでしたが、愛子さまは不機嫌そうに車窓から外を見ていらした。
お疲れなのか、座席に浅く腰かけ、無理な姿勢で背もたれによりかかっておられた」(皇室担当記者)

週刊女性2011年3月1日号
皇太子ご一家は12日、都内のスポーツセンターにあるスケートリンクへ。
愛子さまはマイスケート靴を持参。 以前行っていた神宮のリンクよりも「氷(の状態)がいいの」

皇后は退位に反対した

文藝春秋2016年10月号
皇后は退位に反対した

天皇は2010年の参与会議で初めてご意思を伝えられた。
皇后をはじめ出席者はみな反対したが、
天皇のお気持ちは揺るがなかった。
6年間に及んだ議論はどのように推移していったのか―

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現代の藩屏

文藝春秋2016年10月号

現代の藩屏
―霞会館と菊栄親睦会
新年恒例の「歌会始の儀」が行われた日の夜、天皇皇后が必ずお見えになる場所がある。
霞が関ビルの三十四階。分厚い木目調の自動ドアが格式の高さを感じさせる、
旧華族の社交場として知られる霞会館だ。
歌会始で、皇族方や一般から選ばれた歌を朗詠する「披講」の諸役(所役)は、
霞会館の披講会が例年務めている。
天皇皇后は披講会メンバーの労をねぎらい、会館内のレストランでご夕食を共にされるのだ。
両陛下がお見えになる機会はほかにもある。
薩摩藩主だった島津家の子孫や親類縁者が集まる「錦江会」もその一つ。
二年に一度、霞会館で百人ほどが参加する会が開かれ、両陛下と皇太子がご臨席される。
香淳皇后の生母が島津家の出身(島津忠義の七女)という縁があるからだ。
また、雙葉小学校附属幼稚園の同窓会が開かれるときは、皇后陛下が旧交を温めにこられるそうだ。
「会員には、顔見知りの方が少なくありません。
両陛下にとっても気兼ねなくお立ち寄りになれる場所なのではないでしょうか」(霞会館事務局長・佐藤栄治氏)
霞会館の前身は、明治7年に発足した華族会館。明治20年代から鹿鳴館内にあり、現在の場所に移転したのは昭和2年。
戦後、華族制度の廃止と共に霞会館に名称を改めた。
昭和43年、霞会館が所有する三千坪の土地を三井不動産に貸して建てられたのが、日本の超高層ビルの霞が関ビルだ。
霞会館の収入はその地代と所有するフロアのテナント料が主なものとなっている。
現在の理事長は、元皇族で前神宮大宮司、神社本庁統理の北白川道久氏。
名誉会員として秋篠宮、常陸宮などの現皇族が名を連ねる。
霞会館の会員資格は、旧皇族や旧華族の当主および成人に達した嫡男。
どれだけ資産があっても、この条件を満たさなければ入会できない。現在の会員数は約750名。
戦前には1000名以上の時代もあり、
「この10年間でも100名ほど減っている。世継ぎがなく、途絶えてしまう家があります」(同前)
霞会館は、定款に基本理念の一つとして「皇室の藩屏」を掲げる。
藩屏とは天皇家をお守りする役割で、明治天皇が華族会館に臨幸された際、
「日本の国家近代化に努めて、皇室を守るように努めてほしい」との勅諭があったことに由来する。
戦後でいえば、昭和天皇の侍従長を務めた入江相政、徳川義寛などは会員であり、
平成では、渡邉允元侍従長が会員だった。
かつては会員の親族が女官となることもあったが、現役の侍従や女官はゼロ。
旧華族といっても、いまではほとんどが一般企業に勤める。それでも、皇室の藩屏という姿勢は崩していない。
天皇と皇族をより近い立場でお支えしているのが旧皇族。その集まりが「菊栄親睦会」だ。
戦後、旧十一宮家が皇籍離脱する際、昭和天皇の発案で誕生し現在もつづく。
恒例となっている年始の集まり、天皇誕生日のお祝いのほか、結婚や出産なとせ皇室の慶事があったときに開かれる。
両陛下と皇族は名誉会員で、旧皇族やその子孫で現当主などが正会員となっている。
メンバーからは、「自分たちは子どもの頃に、皇族と一緒に過ごす時間もあったが、若い世代はそれがない。
堅苦しい集まりと思うだけじゃないかな」(元皇族の賀陽宗徳氏、81)との声も聴かれる。

皇太子ご夫妻「公務より愛子さま」の衝撃

テーミス2011年4月号
「雅子さま、子離れを」の声が
皇太子さまに向けられた「皇位継承」の不安
公務よりも“私事優先”のスタンスに「いかがなものか」というバッシングが
■音楽会で“インフルエンザ”に
愛子さまの通学問題を理由に昨年3月から同伴登校が1年間続けられていて、
その間の国内公務はごく稀。こんな状態に皇室関係者からも「いかがなものか」という
バッシングが起こっていたという背景あり。
2月23日の皇太子の誕生日会見の発言((同伴通学含めて)雅子はよく頑張っている。
だか公務などの活動が限られたものとならざるを得ない。
国民はこの状況を理解した上で、暖かく見守ってほしい。)
雅子さんが療養に入ってもう8年、強烈な“私事優先”メッセージに国民が違和感を覚えても仕方がない(編集部)
学習院初等科内では、皇太子が愛子さまに注ぐ深い愛情が評判
2月18日、学習院初等科で「小さな小さな音楽会」が保護者参観の下開催、
皇太子夫妻も参観(雅子さまと愛子さまは2時間目に登校、皇太子は3時間目直前に到着)
当日、皇太子は笑顔で雅子さまと校内を歩いていた。
平日だったので父親の参観は極端に少なく、皇太子はとても目立った。
在校生の父親の中でも、とりわけ“ご熱心なお父さま”と評判(学習院初等科関係者)
この音楽会のあと、愛子さまのクラスはインフルエンザのため急遽午前授業となり、
24日まで学級閉鎖。皇太子も27日にインフルエンザ発症のため28日の公務とりやめ。

週刊朝日2011年8月12日号
愛子さま“付き添い”も担われて 皇太子さまの「過密スケジュール」
7月26日昼過ぎ、東京駅。被災者のお見舞いに発つ皇太子夫妻が現れると歓声が
「雅子様がゆっくり歩きながら方々へ手を振る大サービス。
ご静養に出掛ける際は警備陣もピリピリするが、今日はいい写真を撮ってと大らか。
雅子様は一目で体調がいいとわかるほど晴れ晴れ」雅子様ファン歴10年超の“追っかけオバサン”
夫妻がそろって被災地に入るのは2回目、仮設住宅への訪問は皇族で初
「新幹線で1時半に郡山着。被災状況説明を1時間受け、2時間かけて
徒歩2分の距離にある避難所と仮設住宅を見舞い6時前帰京」皇室担当記者
「皇太子は雅子様と一緒の方が被災者が喜ぶとご存じ。
雅子様の体調を考慮して東宮職が日程を決めたと思う」松崎敏弥
7月22日、皇太子は終業式のため朝8時に愛子様と徒歩で登校
7月24日、愛子様と日生劇場に出掛け、お友達親子と「三銃士」鑑賞
「愛子様は管弦楽部へ入部、皇太子は早朝・土曜の練習に6回付き添い、
愛子様がチェロを弾くのを見守った」学習院初等科関係者
雅子妃が早朝練習に付き添ったのは、皇太子訪独中の6月22日のみ

テーミス2011年10月号
■那須では夜11時近くまで食事
「愛子さまをできる限り一人にしたくない」。
皇太子ご夫妻から伝わる愛子さまへの強烈な愛情はわかるが、「公務は片手間」(皇室関係者)の印象はぬぐえない。
皇太子さまが付き添いは早朝なので公務への影響は少ないが、いかがなものかという声は多い。
公務の減少につながる可能性もある。雅子さまが病気なので、夫妻に新たな公務を依頼するのは難しい。
「愛子さまのことが優先だから…」と主催者側が気を遣う。
皇太子さまが付き添った2学期最初の3日間、愛子さまは遅刻せずに登校
9月6日午前8時前に登校(始業式)
7日と9日は午前7時半前(管弦楽部朝練参加)
しかし、雅子さまが付き添った9月8日は2時間目から登校。
愛子さまの通学問題は改善どころか、さらに深刻化しているといっていい。
3週間の静養を終えて帰京した9月1日夕方、東京駅で皇太子ご一家を撮影しようと
カメラを構えていた一般客に、宮内庁関係者のきつい口調でこのように注意。
「三殿下ともお疲れなので、写真は撮らないでください!」
一般客「さんざん遊んでいたのに『お疲れ』なんて、よくわからない」
■那須ご静養のハードスケジュール
8月11日 皇太子ご一家、那須御用邸到着
8月19日 愛子さまのお友達が御用邸近くの会員制リゾートホテル到着
その夜皇太子ご一家とお友達一家は、高級会員制リゾートホテル
「二期倶楽部の個室で夜11時過ぎまで特別コースを楽しむ。
8月21日 りんどう湖ファミリー牧場で遊覧船を貸し切っての花火鑑賞
8月22日 午前、友達が宿泊しているホテルのプールで泳ぐ。
夕方、那須ハイランドパークでレゴスタジアム見学の後、夕食へ。
「アジアンオールドバザール」でエスニック料理レストランを借り切って、夜11時頃まで
8月23日 午前 りんどう湖ファミリー牧場
その後ホテルでスイミング&ランチ 夕方再びファミリー牧場
■皇太子さまがバスを見送って
8月23日夜に那須御用邸に入られた秋篠宮さまと眞子さまとは会わずじまい
小和田家との親密さは変わらず
(宮内庁関係者の話)
小和田優美子さんの姿が御用邸近くのホテルで目撃されている。
皇太子ご夫妻と、雅子さまの妹含めて小和田家の人たちで食事会もあったようだ。
宮内庁内でも『皇太子さまはマスオさん状態だ』という声が囁かれているほど。
9月14日、皇太子さまは校外学習に参加する愛子さまを見送り。
早朝から、バスが見えなくなるまで手を振っていた。
雅子さまも別の車でバスを追いかけ、愛子さまの足跡をいちいちたどる。
“山ガール”のいでたちで別行動し、どちらが“付き添い”が必要なのかわからないほど。
(学習院初等科関係者の話)
通学問題が生じて以来、東宮側からご相談はほとんどない。
学校側は雅子さまが付き添うことを受け入れるしかない。
意思を一歩的に伝えられる。校外学習も例外ではない。
宮内庁も皇室記者もこうした現実を踏まえて、皇太子ご夫妻への“進言”をすべきときではないのか。

テーミス2011年11月号
学習院もお手上げ状態だが 皇太子ご夫妻「公務より愛子さま」の衝撃
皇太子ご夫妻は愛子さまの通学の付き添いで手一杯
園遊会
皇太子さまは午前中の1〜4時間目までしっかり授業参観
園遊会が始まる一時間前に東宮御所に戻った。平日の父親の授業参観は珍しい。
運動会では父兄に撮影に関する注意書きが配られた。
雅子さまの二泊三日校外学習付き添い。山中湖で行われた校外学習は雅子さまが愛子さまの後をなぞられた。
付き添いは愛子様のご要望。
学習院の東園常務理事の話。昨年のかまぼこ工場見学の時も「妃殿下が児童のバスに同乗するのは可能か」
と打診があった。その時も打診を断ったのに、今回の校外学習でも同様の打診があった。
警備のことや他の児童への影響を考えて、妃殿下の付き添いを止められなかった東宮職の対応に首を傾げる。
山下晋司氏
雅子さまは自分が外出すれば多くの人が動いたり、マスコミが騒いだりするのを十分わかっているはず。
何かに挑戦しているように見える。
園遊会や被災地を差し置いて愛子さまにつきっきりの皇太子ご夫妻の言動に国民はとまどいを隠せない。
これでは「本当に天皇皇后にふさわしいのか」との疑問も出てくる

女性セブン2011年12月8日号
緊迫の天皇家/もはやご名代ではすまされない―
皇太子さま求められる決意
11月18日。午後12時半を回った頃雅子さまが学習院初等科に到着。大きなマスク姿。
1時間ほど滞在後、一人で東宮御所へ。
どうやらお昼の時間だけでも愛子さまと過ごすために学校へ来た模様。
雅子さまのお昼登校はマスコミ各社は把握済み。
この日、皇太子さまが陛下に公務の報告に行く予定だったため、
愛子さまの付き添いが出来るのであればこの日は陛下のお見舞いにも行かれるはずとマスコミは注目。
東大龍岡門前には夕方5時過ぎ報道陣が集まり始め、その数30人ほど。
時間の経過とともに騒然となるも、病院に来たのは皇太子さまおひとり。
「まだ一度もお見舞いに行かれていない雅子さまが、
学校には行けて病院には行けないという事実には違和感を覚えずにはいられなかった」(皇室記者)
宮中からもこの日の皇太子ご夫妻の行動を巡って不満の声があがっているという。
「お見舞いに行かれないのであれば同じ日になぜ学校という私的な用事での外出をされたのか。
これでは雅子さまが陛下に会われたくないということを世に知らせているようなもの。
それを許されているとしたら皇太子さまに疑問を抱く人も少なくない」(宮内庁関係者)

雅子さまは国賓であるブータン国王夫妻を歓迎する行事全て欠席。
この事を知ってか、陛下は皇太子に「“雅子妃の体調には気をつけるように”という旨のことをおっしゃられたそうだ。
心配されての言葉なのか、自己管理をしっかりしなさいというニュアンスなのかは分かりませんが…。
これに対し、皇太子さまは頭を下げて陛下に申し訳ない気持ちを表されたそうです」(皇室関係者)
陛下が発病されてから皇太子さまが務めた公務は約2週間で20件(11/21現在)。
これに皇太子さま自身の公務もあるため、これまで経験したことのない多忙な日々。
とはいえ、このハードスケジュールはご高齢の両陛下が当然のように果たされてきたもので、
つまり天皇という立場にならえるかたはこのお役目を務めなければならない。
「陛下はご自身のお体が許す限り国民のために国民のために公務を務めたいという気持ちは
退院されてからもお変わりにならないだろうが、今回はしっかりとお休みになることが必要。
そのためには皇太子さまが“名代”や“代行”という気持ちではなく、
全て自分が果たすくらいの覚悟が求められているのかもしれない」(皇室ジャーナリスト・神田氏)
「11月10日に皇太子さまが一人で陛下を見舞われた際、
陛下は皇太子に“頼みましたよ”とその思いを託されたと言われています」(前出・皇室記者)

そんな中で一部では皇太子さまへの懸念の声があがっている。
きっかけはお召し列車の中から写真を撮りながらのお手振りだったと週刊文春も報じており、
「ご名代という立場でこのような行動を取られてしまうとこれまで両陛下が守られてきた
“国民とともに、国民のために”という思いが色褪せてしまう気がしてならない」(前出・宮内庁関係者)
皇太子さまには陛下の代わりとなる上でふたつの課題が突きつけられている。
まずは雅子さまと愛子さまの問題。もう一つは秋篠宮家との関係。

「これまで国民は天皇皇后のお二人は常にご一緒であると脳裏に焼きつけていた。
しかしこれだけ長い間回復を待っても雅子さま復帰のめどは立っていない。
そうなると否が応でも皇太子さまは今後一人ででもお役目を果たして行かなければならない。
外国へも地方へも一人で行かれて国民に“将来、天皇は一人でも大丈夫”と示すことも
必要な時期にきているのかも」(皇室ジャーナリスト・橋本氏)
そうなると、これまで雅子さまが愛子さまに同伴できない時は皇太子さまが付き添っていたが、
「陛下の代わりとなられる以上、私的行為の時間は諦めていただかなければならない」(神田氏)

悠仁さまの着袴の儀のお祝いの夕食会も、愛子さまが入院していたとはいえ皇太子ご一家は欠席。
しかしもともとこの日は葉山御用邸での静養が計画されており、
皇太子ご一家は最初から食事会に参加する予定がなかったことになる。
眞子さまの成人を祝う夕食会にも皇太子ご一家は参加しなかった。
両家の微妙な関係を露呈するかのような相次ぐ出来事に一部の宮内庁関係者からは嘆きの声が。
両家の溝を生んだ最大の原因は皇位継承問題といえる。
「皇位継承順位第3位の悠仁さまが、継承権を持たない愛子さまと金銭面、人員面、
あまりに待遇が違うことに秋篠宮家としては複雑な思いがおありなのでしょうか」(別の宮内庁関係者)
また秋篠宮家としては両陛下のお気持ちに沿われてご公務に邁進されてきたという思いが強いと思われる。
震災後、両陛下が那須御用邸のお風呂を被災者に開放されたとき、
紀子さま、眞子さま、佳子さまは宮内庁職員とともに被災者に配るタオルの袋詰めを手伝われ、
被災地訪問も両陛下が行かれていない地域にも足を運び被災者を励まされたのは秋篠宮ご夫妻。
「もちろん秋篠宮ご夫妻としては皇太子ご夫妻に将来の天皇皇后としてお役目を果たしてほしいという思いが
あるでしょう。しかし現状でそれは厳しい状況。そうなるとご自分たちが何とかしなければという思いを強くされ、
ますます両家の溝は深くなっていってしまう気がします」(前出・宮内庁関係者)
「いま皇太子さまを支えることが出来るのは秋篠宮ご一家だけ。だからこそ皇太子さまには
自分から歩み寄られて兄弟で力を合わせる覚悟をしていただければと思う」(神田氏)

宮中晩餐会では、名代を務めるはずだった雅子さまが前日になって欠席を発表すると、
美智子さまは急きょ 11月1日、18日の2回、ブータン国王夫妻と面会。
「美智子さまは雅子さまの欠席を知って、“それではブータン国に失礼になってしまう”と
考えられたのでしょう。歓迎行事とは別に面会の機会を作られました」(前出・宮内庁関係者)
つまり美智子さまは皇太子夫妻に対して、天皇皇后という立場は自己都合で休んではならない
とても重い責任がある立場なのだということに気づいてほしいという気持ちを込めて
あのような行動を取られたのはないだろうか。今こそ皇太子さまには未来の天皇としての自覚を明確に示し、
天皇皇后両陛下が築きあげてこられた国民とともに歩む皇室を継承する決意を
明らかにしていただくことが求められているのではないだろうか


週刊女性2011年12月13日号
■父のご不例、妻のご病気、娘のイジメ、弟との不和…
孤独/皇太子さまが「かわいそう」
「ある東宮職員のいうには、最近皇太子殿下はあまりの多忙とお疲れからか不機嫌な日もあったそうです。
人やモノにあたるようなことはないが、殿下の機嫌がよくないと
東宮全体が暗い感じになってしまう」(ある宮内庁関係者)
皇太子さまは連日眠りも浅かった様子。(宮内庁担当記者)
雅子さまは結局陛下のお見舞いには行かず、
「次代の皇后としてまず第一に陛下のお見舞いをしていただきたかった」(渡辺みどり)
皇太子さまにとって愛子さまの不規則登校も悩みの種となっているに違いない。
「当初は雅子妃が全て付き添っていたが、今夏ごろからは皇太子さまが部活動の朝練や
1時間目からの授業の付き添いをはじめ、後で雅子妃と交代されることもある」(初等科関係者)
9月の校外学習出発時
「皇太子さまが愛子さまを見送りにいらっしゃいましたが、ご自分からママたちの輪の中にお入りになり、
“よろしくお願いします”と挨拶されていたのには驚いた」(学習院関係者)
「今上陛下が皇太子時代にももちろん挨拶はされていたが、
威厳があったというか自ら進んで溶けこむようなことはされなかった。
特に愛子さまの不登校問題以降、周囲に迷惑をかけていると
申し訳なさそうに気を遣われているのは皇太子さまのようです」(同・前)
園遊会があった10月23日にも皇太子さまは朝のホームルームから4時間目まで全て授業参観してから園遊会へ。
雅子さまは授業参観にも園遊会にも欠席。
11月26日の初等科祭でも皇太子さまは午前中愛子さまに付き添い、昼前に雅子さまが合流。
「愛子さま問題以前は“夫婦で協力しあっている”
“皇太子さまは育児に積極的に参加”という声が保護者の間では大半だった。
しかし愛子さま問題から雅子妃の“気まま”と取れる行動が目立ち始め、
皇太子さまの行動が“雅子妃の『ご名代』ばかりされている”
“恐妻家なのでは”と一部で言われ始めた」(前出・学習院関係者)
皇太子さまなりに妻子のサポートに努めているはずなのに、周囲からは浮き立ち“孤独感”は募るばかり。
更に弟宮である秋篠宮家との距離も生まれ始めているという。
「もし雅子妃がお元気ならさまざまな場面で相談に乗られたり進言されたりしたのではないかと思う」
と宮内庁関係者が現在の皇太子さまには相談相手がいないと嘆く。
「人格否定発言前後から相談できる人を探していたそうだが最近はもう諦めてしまったのかも。
相談した内容が外部に漏れることを心配されたのだと思う。本来なら東宮大夫や東宮侍従長が
その役目を果たすべきだが、最近は数年で異動してしまう」(前出・宮内庁関係者)
皇太子さまと頻繁に連絡を取り、年の離れた相談相手として月刊誌に手記を発表したこともある人物に話しを聞いたが、
「最近は連絡をとっていないのでお話を出来ることはない」というのみ。

硫黄島の高松宮殿下

明日への選択平成10年2月号

『高松宮日記』全八巻の完結を前に、『This is 読売』一、二月号に連載された
高松宮妃殿下と作家の阿川弘之氏の対談の中に、初めて紹介されるエピソードがある。
昭和四十六年三月、高松宮殿下が硫黄島戦跡をご訪問になった時のことである。

硫黄島は大東亜戦争末期、米軍七万五千の猛攻を、二万余の日本軍将兵が祖国防衛のため、
一ヶ月以上に渡って奮戦し玉砕(全滅)した島である。
戦後、昭和四十三年まで米国の管理下にあったため、
殿下のご訪問当時は、まだ未整理の洞窟があり、遺骨はそのまま散乱していたという。
殿下が先ずお訪ねになったのは、米軍の火焔放射器でやられ、ブルドーザーで生き埋めにされかけ、
苦しみもがきながら脱出を試みた兵隊たちが、折れ重なって死んだ跡地だった。
「前もっての説明何もなしで洞窟の前へ立たれた殿下は、ハッと息を呑む気配をお見せになり、
やがて地べたに正座し、両手をついて首を垂れて、暝想状態に入られた。
一言もおっしゃらないから、何を念じていらっしゃるのか祈っていらっしゃるのか分からないけれど、
随行の者みな、電気に打たれたような気分だったと聞いております。
大分長い時間そうしていらして、やっと立ち上がられた」

次にお訪ねになったのは、遺骨の整理が既に済んでいる壕だった。
とはいえ、拾い尽せなかった骨もあり、至る所に散らばったままの骨片もあった。
仕方なしに海上自衛隊駐屯部隊の隊員も、ふだんは靴で遺骨を踏んで歩くようになってしまっていたという。 
「ところが、殿下はためらわれた。そうして、つと靴を脱ぎ靴下も脱ぎ、素足になって、
骨片の散らばる洞窟内へ入って行かれた。
私も知ってますが、硫黄島という名前の通り、あの島の壕の中に地面から硫黄のガスが噴き出しているんです。
そこを素足で視察した人は、後にも先にも高松宮様お一人だそうです」