元号ってそもそも何?

ハルメク2019年6月号
世界丸ごと一問一答

Q元号ってそもそも何?

Aもともとは君主の権力を示すもの。
しかし天皇が「象徴」となった今、元号のあり方も変化しています。
退位は、周囲への負担を減らしたいという
上皇陛下らしいご配慮とも考えられます。

4月1日に248番目の元号「令和」が発表され、5月1日に改元されました。
昨年末あたりから何かと「平成最後」が謳われ、新しい元号の予想で盛り上がり、
いよいよ新元号が発表されるとお祭りムードで沸き立ちました。
一方、昭和から平成への改元はどうだったでしょうか。
もっと物々しい雰囲気だったと感じた方もいるかもしれません。
元号については、元号法が次のように定めています。
「1、元号は、政令で定める」「2、元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める」。
この皇位の継承については皇室典範の第4条で次のように定められています。
「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」。
つまり改元は天皇の崩御と裏表。
次の元号予想で盛り上がるなど、昭和ではとんでもないことでした。

数年に一度!?
江戸時代までの改元
元号の根底には、君主が時を支配できるという考え方があり、その起源は中国です。
これが日本に導入されたのが645年。
当時、天皇をも凌ぐ権力をもっていた蘇我入鹿を中大兄皇子と中臣鎌足が暗殺。
元号を「大化」と制定しました。
大化という元号は天皇家が権力を掌握した象徴でもあったのです。
以来、代々の天皇が元号を定めてきました。
しかし当時の元号は今と様子が違います。
天皇の代替わりと同時に改元するのは今と変わりませんが、国の繁栄と平安を願う意味合いが強く、
吉事があっては改元、災害が起こっても改元していました。
江戸時代の明和9年には災害が多く、「めいわく」年だと揶揄されて改元しています。
そんな調子で数年に一度のペースで改元が行われ、
また武家政権下では権力を持っていた幕府が実質的に改元を握っていました。
状況が変わったのが明治時代です。
幕府から権力を奪取した新政権下で、明治天皇は「一世一元の詔」を出し、
明治へと改元。同時に天皇の在位中は元号を変えない「一世一元の制」が始まりました。
権力の象徴である元号を、天皇以外が勝手に変えられないようになったのです。
またその後、旧皇室典範が制定され、天皇は終身制となりました。
こうして改元は天皇の崩御と表裏一体の「一大事」となった結果、
役所などさまざまな場所で元号が用いられるようになりました。
特に昭和は64年と長く、人々の意識に深く浸透しました。みなさんの中にも
過去を思い出すときに「あれは昭和30年頃だから」と、西暦よりも昭和を用いる方もいるかもしれません。
実は1947年に制定された新皇室典範では、日本国憲法の趣旨も踏まえて、
元号に関する項目は削除されています。元号の法的根拠がなくなったのです。
それでも先述の元号法が制定される79年までの約30年間、日本人は元号を使い続けたわけですが、
それもやはり昭和が暦として浸透していたからでしょう。
特に昭和天皇は戦前まで神として扱われていました。
その名残か、昭和が永遠に続くような感覚を抱いていた人もいたでしょう。

自粛ムードのご懸念からか
その昭和が終わったとき、日本に衝撃が走りました。
人間の心理的に慶事と弔事が同時に来ると、弔事が優先されます。
昭和天皇が崩御されたとき、形としては新元号に移行したものの、
企業CMや娯楽番組がテレビから姿を消したり、
お祭りなどの催しが中止されたりと自粛・哀悼ムードが広がりました。
そのことへ懸念を抱いていらしたのが現在の上皇陛下でしょう。
退位のきっかけとなった、2016年8月8日の「おことば」では次のようにおっしゃっています。
「(前略)天皇の終焉に当たっては(中略)喪儀に関連する行事が、1年間続きます。
その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、
行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません」。
在位中の天皇が崩御すると大規模な葬儀が行われ、社会や家族に負担がかかる。
だから存命のうちに退位したいというご意向は、
これまでも陵墓の縮小を希望されてきた上皇陛下らしいご配慮とも考えられます。
上皇陛下は、現憲法のもとで初めて即位して以来、「象徴」として天皇のあり方を
考え続けられてきました。今回の退位について、政府は皇室典範の「特例法」という形で、
現在の上皇に限った対応としていますが、令和以降も今回の改元が前例として踏襲される可能性があります。
西暦が普及し、また天皇が象徴となった今、元号を廃止すべきではという意見もあります。
確かに改元には役所の仕様変更やシステム改修が必要ですが、
社会的に大きな実害を与えるかといえば、そうではないように思います。
憲法は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」としています。
天皇は国民の総意、つまり支持する心が基盤です。
元号も使いたいと思う人が使い続ける形で存続するのではないでしょうか。
(この記事は2019年4月11日時点の情報をもとに執筆しております。)


坂東太郎
1962(昭和37)年生まれ。
毎日新聞記者などを経て、ニュース時事能力検定講師、十文字学園女子大学講師などを務める。

2019年1月-3月雑誌記事

「皇太子妃を辞めたいと思ったことは一度もない」 雅子さま「新皇后」への覚悟
文藝春秋 2019年2月号 友納 尚子
今年5月に新皇后陛下となる雅子妃殿下。ご療養が16年になったことから、
果たして皇后として務められるのかという疑問の声もないわけではない。
だが、ご療養の中にあっても一進一退を繰り返されながら、
その時々でご自分にできることをしっかりと務められてきた。
2年前からはご体調が大きく上向かれ、公務先でもお出ましになる姿が多くみられるようになっている。
そして、今年は新年の一般参賀や新年の諸行事などを始め、7日には天皇皇后両陛下の御名代として、
皇居・宮中三殿の皇霊殿で崩御から30年の節目となる「昭和天皇三十年式年祭」に臨まれた。
雅子妃が宮中祭祀に臨まれたのは、平成28年4月の「神武天皇二千六百年式年祭」以来、3年ぶりのことだった。
年末から新年にかけて、皇室は1年で最も忙しい日々が続く。
さらに今年は改元ということもあり、雅子妃のお出ましも続いている。

16年にわたる闘病のなかで
「妃殿下は、ご体調を整えられる努力をされて臨まれています」と東宮職が語るように、
お出ましになっているその裏では、病気と向き合われている姿があった。
 雅子妃が療養生活に入られたのは03年のこと。
あれから16年も……、と思う人もいるだろうが、適応障害を患っている人の中には、
同じような年月の中で苦しんだり、悩んでいたりする人もいる。
また、雅子妃の場合は、皇室の中でご病気になったが、
その同じ環境の中で治していかなければならないという難しさがある。
精神疾患には、患者の努力も必要だが、治療のサポート態勢も重要と言われる。
雅子妃の場合、皇太子と愛子内親王が献身的に支えてこられた。
また、雅子妃がご病気になる前から現在に至るまで、
陛下からもお守りいただいてきたことや皇族の方々にも支えられてきたことは言うまでもない。

辞めたいと思ったことは一度もない
雅子妃は、皇太子妃として務めたいというお気持ちを持ち続けてこられた。
もちろん、皇太子妃を辞めたいと思ったことは一度もないという。
療養前には、朝起きられない、体がだるいなどといったご自分の体調の変化から
病気ではないかと何度も訴えたというが、
当時は主治医にさえ信用してもらえなかったため休むことはできなかった。
公務の予定はぎっしり詰まったままだった。その為、宮内庁職員と押し問答の末
「このままでは、皇太子妃を辞めなくてはなりませんね」と漏らされたというのが、歪んだ形で伝わった。
宮内庁幹部の中には、お世継ぎ問題で雅子妃が皇太子妃としての役割を理解されていないという
誤った認識が定着していたこともあり、精神疾患は気持ちの持ちようで治るものだと真剣に語る人は多かった。
そのため自覚を植え付けようと迫る動きもあり、雅子妃は孤立していった。
そうした環境の中で、雅子妃は、すっかり自信を無くされていたが、
04年に東宮職医師団が着任してからは、医師の指導の下で病と向き合い、治療に努めてこられた。
天皇が退位されると発表されてからは、皇后陛下おひとりの最後のお務めであった2018年5月の全国赤十字大会に
体調を整えてご出席されるなど、具体的な目標をクリアしてこられた。
ほとんど報道されることのない雅子妃の努力と即位への準備を、「文藝春秋」2月号に寄稿した。
そこには、ひとりの女性が病と向き合いながらも、国民と寄り添おうと決意された「新皇后」の姿がある。
http://bunshun.jp/articles/-/10374

眞子さまの母子手帳を国際会議に… 紀子さまも助けられた「母子手帳」が世界で共感される理由
2019.1.17 07:00
母子手帳には、親を励ます力がある。「日本発」の健康ツールは四十数カ国に広がり、
タイで開かれた国際会議には、紀子さまが眞子さまの母子手帳を持参。共感の輪が広がった。
*  *  *
「母子手帳は日本の多くの母親を助けてきました。私も、その一人です」
秋篠宮妃紀子さま(52)はそう英語で語りながら、小さな水色っぽい冊子を取り出した。
「ここに長女の母子手帳を持ってきました」
タイの首都バンコク。昨年12月中旬、3日間にわたり開かれた第11回母子手帳国際会議のオープニングでの一幕だ。
約30カ国から訪れた約400人の目が、恩賜財団母子愛育会総裁としてあいさつをする紀子さまの右手に釘付けになった。
大きな拍手がわき起こった。
「母子手帳を見ると、子どもたちを育てていた日々を思い出します。私はいつも健診に母子手帳を持っていき、
それに医師や看護師が記入していました。家では、成長の記録を自分で記入しながら、
子どもたちの発達をたどることができました。母子手帳は私たちの家族にとって、とても大事なものです」
その場にいた日本人女性がしみじみ振り返る。
「妃殿下であると共に一人の母親なんだと感じられ、とても温かな気持ちになりました」
妊娠を市区町村に届け出ると交付される母子手帳(母子健康手帳)は、
赤ちゃんを迎える心構えが親に芽生える最初のツールだ。外観や一部の内容は自治体で異なるが、
基本的な中身は母子保健法の施行規則で定められ全国共通である。
妊娠中の日常生活の注意や乳幼児の発育曲線などが紹介され、
子どもの体重、身長、予防接種の記録、保護者の思いなどを書き込める。
1948年に現在の様式がスタートして以来、津々浦々に広がり日本では当たり前の存在だが、
母子手帳は「日本発」で世界へ広まった健康ツールでもある。妊産婦や乳児の死亡率改善に貢献した点も注目され、
国際協力機構(JICA)などを介して普及。現在はタイ、インドネシア、フィリピン、ガーナ、アンゴラ、
アフガニスタンなど四十数カ国で使われている。
98年から各国で定期的に国際会議を開いてきた国際母子手帳委員会の中村安秀代表(66)は、
医師としてインドネシアなどで母子手帳の普及に努めてきた。
「途上国では母子手帳を持つと母親の意識が変わる。健診にも関心を持ち、医師にも質問できるようになる。
母子手帳には、母親を励ます力があるんです」
委員会が掲げる近年の課題は「誰一人取り残さない」こと。
静岡県が作り、18年春から母子手帳とあわせて配っている低体重児向けの
「しずおかリトルベビーハンドブック」はその好例だ。
保育器の中の赤ちゃんに「初めて触った日」「初めて抱っこした日」などの記念日を書く項目、
「おもちゃを目で追う」「手どうしを握る」など発達や成長を見つける項目……。
ふつうの母子手帳だけではカバーしきれないきめ細かさだ。
タイでは同委員会事務局長の板東あけみさん(67)が紹介。「英語版はないのか」と質問攻めにあった。
板東さんは京都や静岡などの大学で母子手帳の授業を続けているが、
自分の母子手帳を見た学生たちは自らの誕生や成長への親の思いに触れ、心を揺さぶられるそうだ。
「母子手帳は最終的には子どものものなんです。親や社会がいかに自分の命を守ってきたか、その歴史が語られている。
若い世代にとっては自身の存在を肯定するツールだし、自分たちが親になる時のテキストです」
(朝日新聞社会部皇室取材班)
※AERA 2019年1月21日号
https://dot.asahi.com/aera/2019011600016.html?page=1

“不合理”を嫌う雅子妃 新皇后に「宮中祭祀」のハードル
社会週刊新潮 2019年1月24日号掲載
1月7日、雅子妃が3年ぶりに宮中祭祀への出席を果たされた。
このお出ましは、世間の目にはご体調が上向きにあるように映った。
その一方で、宮内庁のさる幹部には、
宮中祭祀が“新皇后”の前に立ちはだかる高い壁だと再認識されるきっかけとなったという。
昭和天皇が崩御し、天皇陛下の即位から30年を迎えた1月7日。
八王子の武蔵野陵と皇居の宮中三殿で、「昭和天皇三十年式年祭の儀」が営まれたのだが、
「天皇皇后両陛下は武蔵野陵に参拝され、皇霊殿の儀には、両陛下のご名代で皇太子ご夫妻が臨まれました。
雅子さまの宮中祭祀は、実に3年ぶりです」
と、振り返るのは宮内庁担当記者。
「雅子さまが帯状疱疹で“長期療養生活”に入られたのは2003年12月。
その年9月の『秋季皇霊祭・秋季神殿祭』を最後に、09年1月に営まれた『昭和天皇二十年式年祭』まで
宮中祭祀に出られませんでした。
以降は、16年4月の『神武天皇二千六百年式年祭』まで7年の間が空き、今回のお出ましへと続きます」
療養後3年ぶり3回目の宮中祭祀を受け、宮内庁のさる幹部が打ち明ける。
「最近の雅子妃殿下は地方行啓や園遊会もこなされ、
元日は、陛下に三権の長などがお祝いを述べる『新年祝賀の儀』にも出られました。
この“復調”の裏であらためて懸念されているのが、宮中祭祀に対する妃殿下の胸の裡なのです」

菊の壁
それはいったい、どんな思いなのか。
「宮中祭祀には、豊穣を祈る祈年祭や新穀を供えて口にする新嘗(にいなめ)祭をはじめ、
今回のように先祖の霊に祈る祭典があります。
妃殿下は、古式にのっとり大垂髪(おおすべらかし)を結い
重い装束を身にまとって臨まれるので、肉体的な消耗がとても大きいのです」
だがそれ以前に、
「妃殿下は合理性を重んじる海外での生活が長く、キャリアウーマンとして活躍してこられた方です。
必ずしも理屈では説明がつかない祭祀という分野について、
いまだに割り切れない思いをお持ちなのでは、と拝察されます」
ならば、なにが割り切れないのか。
「たとえば、宮中祭祀にともなう“潔斎(けっさい)”という所作。
儀式の前、全身を清めるために湯を浴びるのですが、着替えから女官の手によって行われます。
妃殿下はご自身の裸を他人に晒さねばなりません。
こうした“不合理さ”も、宮中祭祀を遠ざけてきた理由の一つと言われているのです」
これら、日本の皇室ならではの特殊な儀式は“菊の壁”とも言われるという。皇室ジャーナリストの神田秀一氏が語る。
「少なくとも推古天皇の時代から脈々と続いてきた祈りの儀式が宮中祭祀。
皇室の慣習であり伝統であり、アイデンティティーそのものです。
外交官を務められていた雅子さまが馴染むにはハードルが高いかもしれません。
主要な宮中祭祀は、年に30ほどあります。皇后になられた雅子さまがこれらをどこまでこなせるのでしょうか。
ご病気が治ったわけでもないですし……」
行幸啓などのご公務や国事行為のみならず、宮中での祈りもまた、
両陛下の大切なおつとめであることは言うまでもない。美智子さまと比べ、“雅子妃不在”が際立つ面もある。
しかし、なによりも、胸の裡が問題なのだという。
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/01240558/?all=1

皇太子さまが再び立ち上がる日 雅子さま人格否定会見から15年
記事投稿日:2019/01/24 16:00 最終更新日:2019/01/24 16:00

《大君と母宮の愛でし御園生の白樺冴ゆる朝の光に》
1月16日、歌会始の儀で発表された雅子さまのお歌である。
天皇陛下と美智子さまが皇太子ご夫妻だったころ、
お住まいだった東宮御所の庭に育てられた白樺が題材となっている。
両陛下への感謝がこめられたお歌だったが、歌会始の儀が催された皇居宮殿「松の間」に雅子さまの姿はなかった。
「両陛下が出席されてお歌を披露される歌会始は今回が最後です。
’04年以降欠席されている雅子さまは、今年こそは出席したいという思いも強かったはずですが、
7日に出席された昭和天皇三十年式年祭の翌日から体調を崩されてしまったのです」(宮内庁関係者)
その後も発熱が続き、11日の講書始の儀、そして歌会始の儀も出席を控えられた。
雅子さまにとっては悲痛な新年となってしまった。
しかし、お代替わり後、新皇后の雅子さまを待ち受ける儀式やご公務の“試練”はさらに重い。
5月から11月まで即位関連行事が半年以上にわたって続く。
また、両陛下から引き継がれる重要なご公務も目白押しなのだ。
「さらに安倍政権は、5〜6月中に来日するトランプ米大統領と新天皇皇后両陛下の会見を計画しています。
これほどの“過密日程”では、雅子さまがすべてのご公務に出席されるのは不可能に近いでしょう」(皇室担当記者)
精神科医で立教大学教授の香山リカさんはこう語る。
「雅子さまは適応障害で長期ご静養に入られて15年です。現在はかなり回復されていますが、
ご病気になられる前の状態に戻られたとは言えません。
雅子さまは新皇后になられてから役割を全うするために努力されると思います。
しかし重圧も大きく、お疲れがたまります。いつ調子を崩されてもおかしくはないのです」
雅子さまが適応障害と診断されて長期ご療養に入られたのは、’03年12月のこと。
その半年後、皇太子さまが行動を起こされたことがある。
雅子さまのお出ましが完全に途絶え、国民から心配の声が上がるなか、翌年5月の会見でこのように発言されたのだ。

《雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です》
“お世継ぎ”となる男子を産めなかったのに、海外訪問ばかりを望み、公務を休み続けている――。
そうしたバッシングに心を痛めていた雅子さまを守るためになさった“人格否定発言”だった。
しかし、このご発言は国民に衝撃を与えたばかりか、両陛下も困惑を示されることになった。
秋篠宮さまは《せめて陛下と内容について話をして、そのうえでの話であるべきではなかったか》と
皇太子さまに苦言を呈された。
それから皇太子さまは論争を呼ぶような発言は控えられるようになり、
雅子さまのご体調は「東宮職医師団」が毎年1回、文書で発表するだけになった。
「宮内庁はこの15年間、体調には波がおありだと繰り返し発表しましたが、
もう少し具体的な説明があってもよかったでしょう。
雅子さまには、ご自身が国民の前でご症状について語られるには、少なからず恐怖があったはずです。
一度でいいので、皇太子さまが国民の前でその説明をなさってもいいと思います」(香山さん)
2月23日に59歳の誕生日を迎えられる皇太子さまは、例年のように会見に臨まれる。
お代替わり前の会見は、この1回きりだ。
“最後のチャンス”に、皇太子さまが再び立ち上がるのではと語るのは皇室ジャーナリスト。
「現在は毎月、天皇陛下、秋篠宮さまとの“三者会談”が開かれています。お代替わりに向けた話し合いのなかで、
皇太子さまは雅子さまのご体調についてもしっかり説明なさっていると思われます。
今回は15年前とは異なり、お二方からの後押しもあるでしょうから、
きっと雅子さまの不安を取り除く結果になるはずです」
https://jisin.jp/domestic/1704403/

何の意味もなさなかった「小室圭さん」釈明 存在増す“次代の皇嗣家”秋篠宮家の重み
週刊新潮 2019年1月31日号掲載
その文書は、秋篠宮さまの出された“課題”にお応えする声明かと思われたのだが、あに図らんや、
〈いつも温かいご厚情を賜り、御礼を申し上げます〉
との不可解な出だしで始まっていた――。
1月22日、小室圭さん(27)は秋篠宮家の長女・眞子さま(27)との「結婚問題」について、
こんな「釈明コメント」をメディアに発表した。念のため経緯をおさらいしておくと、
一昨年末、母・佳代さんとかつての婚約者との間に、約430万円の金銭トラブルが存在することが発覚。
この資金は小室さんの入学金や留学費用、母子の生活費などに充てられ、
返済を求める男性に、小室母子は揃って「贈与だった」と主張。
双方の溝は埋まらないまま時は流れ、これが原因で昨年2月、
二人の結婚に関する行事は「2年後に延期」と発表されるに至ったのである。
この件はコメントでは、
〈(元婚約者から婚約解消の申し入れがあり)その際に母が婚約期間中に受けた支援については
清算させていただきたいとお伝えしたところ、
元婚約者の方から「返してもらうつもりはなかった」という明確なご説明がありました。
支援や慰謝料の点を含めて金銭的な問題はすべて解決済みであることを二人は確認したのです〉
〈多くの報道において借金トラブルが残っているとされていますが、
このような経緯ですから母も私も元婚約者の方からの支援については解決済みの事柄であると理解してまいりました〉
〈今後は元婚約者の方からご理解を得ることができるよう努めたい〉
そう記されていたのだった。

意味をなさない“回答”
が、
「これでは、秋篠宮さまの出された“課題”への回答にはなっていません」
とは、宮内庁担当記者。昨年11月30日のお誕生日に先立って行われた会見で秋篠宮さまが、
〈(小室さん側が)それ相応の対応をするべきだと思います。(そうでなければ)婚約にあたる納采の儀は行えません〉
そうした強い言葉で“最後通牒”を突き付けておられたのは、記憶に新しい。
「そもそもトラブル発覚直後から、小室さんと佳代さんは秋篠宮家との話し合いを続けており、
そこで秋篠宮さまは『経済的な安定を得るべく転職も含めて進路を示す』
『金銭トラブルを何らかの形で解決する』という、二つの課題を示されました。
ですが、その後の進展はまるでなく、しびれを切らしたように
会見の場で“ダメ出し”をなさった格好となったのです」(同)
年が明けてもなお、小室家側が引き続き“ゼロ回答”を継続中であることは週刊新潮1月24日号でも報じた通りだ。
「秋篠宮さまが求めておられるのは、国民が納得する説明とともに、
トラブルの相手方と話し合って円満に解決する方策です。
あらためて『贈与だった』『解決済み』といった“回答”をされても、何の意味もなさないのです」(同)
そうした“3年越しの難題”に苛まれ続ける秋篠宮家は、一方で次代の「皇嗣家」として存在感がいや増すばかり。
御所の事情に通じるさる人物によれば、
「皇后さまは最近『歴史上“皇嗣家”が作られるというのは初めてのことです。
私ももちろん、秋篠宮や紀子にとっても、これは同じです』と、あらためて周囲に漏らされています」

美智子さまは〈従来の東宮家以上に…〉
これは、次代を担われる皇太子さまご一家に引けを取らないほど、
今後の秋篠宮家の置かれるお立場が重くなるというご趣旨だというのだが、
この人物によれば、皇后さまは続けて次のように仰っていたという。
〈皇嗣家の中には、皇位継承権を持つ男性皇族が2人いることになります。
皇室全体で支えるという意味においては、従来の東宮家以上に大切ですし、
一方で、皇位を継いでいく者としての立場も出てきます〉
〈東宮家では、雅子もまだ万全ではありません。手を差し伸べればもちろん応答はありますが、
本当にお仕事が全てできる状況には至っていない。
そうした中で、次代の両家にはどう接していけばいいのか、考えてしまう時があるのです〉――。
現行の皇室典範では、将来の皇統は秋篠宮家の悠仁さまを起点とし、連綿と続いていくことになる。
そうした点に鑑みれば、皇嗣家がいっそう重みをまとっていくのは自明の理である。
特集「宮内庁が腰を抜かす 『小室圭さん』ご母堂の『天皇陛下』謁見要求」より
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/01300800/?all=1&page=1

天皇皇后両陛下 「最後のおことば」奇跡の10秒間の秘話
2019.02.28 07:00
その瞬間、おふたりとも、はにかんだような笑顔を浮かべられた──。
昭和天皇の長男として生まれ、極限の苦悩と想像を絶する責任を双肩にのせ、孤独の道を歩かれてきた天皇陛下。
いつもその隣に寄り添い、共に歩まれてきた皇后美智子さま。
《皇太子妃、皇后という立場を生きることは、私にとり決して易しいことではありませんでした》と、
美智子さまは昨年10月、84才の誕生日に際した文書で、そう述懐された。
おふたりは、天皇皇后というお立場での30年間という長い歩みを、ほどなく、終えようとされている。
2月24日、天皇陛下御在位30年記念式典(国立劇場、東京・千代田区)での陛下のおことばは、
退位儀式中をのぞいて、国民に直接語りかけられる最後の機会だった。
陛下は時折、声を震わせながら、語られた。
おことばが始まって、5分半が過ぎた頃だ。美智子さまが陛下に近寄られ、お声をかけ、
腰をかがめて御机の上を探し始めた。陛下のおことばが止まった。会場内の人々は、固唾をのんで見守る。
中継放送を見る全国の国民もそうだった。
次の瞬間、「どうも、失礼」と陛下が、穏やかな笑顔を浮かべられた。
下を向かれていた美智子さまも、優しく微笑まれた。おことばが続く。
その笑顔は、ご夫妻の以心伝心の信頼の表れであり、長いお務めを締めくくられる安堵であり、
おふたりの自然体の表情だった。
おことばの中で、陛下は涙声で国民への感謝の思いを語られた。多くの国民はその時、こう思ったのではないか。
「おふたりが天皇皇后でよかった」と──。
 *
式典前日の23日、皇太子さまが59才の誕生日を迎えられた。
先立つ21日、新天皇即位前、皇太子として最後の会見に臨まれた。
《雅子には、これまで、私や愛子のことにもいろいろと良く心を配り、私の活動を支えてきてくれています。
私も、できる限り力になり、雅子を支えていきたいと思っております》
「新しい天皇皇后像を感じた会見でした」と語るのは、元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんだ。
「陛下は“皇后に支えられた”ということをよくおっしゃいます。『私』よりも『公』を重んじ、
常に自分を律してこられた陛下を支えることに人生をささげた皇后陛下。
それが陛下に対する皇后陛下の愛の表現なのでしょう。
雅子妃殿下は“皇太子殿下を支える”とともに、ご自身の“生きる道”として皇室に嫁がれたのだと思います。
それは皇太子殿下も望まれたことでしょう。今回、“雅子を支えていきたい”とおっしゃったことに、
天皇と皇后というよりも、夫と妻という関係を感じました」
皇太子さまは会見で、《伝統をしっかりと引き継いでいくとともに、
それぞれの時代に応じて求められる皇室の在り方を追い求めていきたい》と語られた。
すでにその一歩を踏み出されているようだ。
◆「違う?」「違うんです」
式典で陛下は、30年在位の集大成となるメッセージを、約8分半、1280文字に込められた。
平成という時代を、
《日本は国民の平和を希求する強い意志に支えられ、近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちました》
《決して平坦な時代ではなく、多くの予想せぬ困難に直面した時代でもありました》
と振り返られ、昭和天皇から受け継がれたバトンが、どれだけ重いものであったかを感じさせた。
陛下は何度も会場に視線を向け、時に感情を高ぶらせて、言葉を紡がれた。
《憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く》と、自らの歩みを振り返りつつ、
次代の皇室に向け、象徴天皇像の追求を託された。
そして、一言ひとことを噛みしめられたのが、国民への感謝だった。
美智子さまはそのお姿を、体を半分、陛下の側に向けながら見守られた。終始緊張の面持ちを崩されなかった。
「美智子さまは日頃から陛下のご体調や体力をつぶさに見守られ、
“退位されるその日まで、陛下のお務めを支え続ける”という強い決意を持たれています。
実は、今回の記念式典で陛下がおことばを述べられることを、
美智子さまが心配されているという話がありました。4月末の退位の儀式に向け、
大きな精神的な負担がのしかかる中で、陛下の体力面を心配されていたのだと思います」(宮内庁関係者)
陛下自身、近年、体力面での不安をお話しされてきた。
《既に80を超え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、
これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています》
2016年8月、生前退位の意向を示すビデオメッセージで、陛下はこう心境を吐露された。
また、82才の誕生日会見では《年齢というものを感じることも多くなり、
行事の時に間違えることもありました》と述べられた。
実際、一部メディアの間で、記念式典では陛下のご発言はないかもしれないという情報が流れたこともあった。
しかし、それは杞憂だった。式典のおことばにあたり、
壇上後方の河相周夫侍従長が陛下に近づき、3枚の原稿を陛下の御机の上に置いた。
「陛下が立ち上がられた時、手に持たれていたのは2枚の原稿でした。
3枚を読まれるはずが、手元の資料と交ざり、最初の2枚だけ手にされたのでしょう」(皇室記者)
おことばが始まって5分半あたりで、2枚目の原稿を読み終えられた。
次に3枚目を読まれるはずが、最初の1枚目をめくられたことに陛下が気づかず、
再び冒頭部分を読み始められた。
その時、とっさに動き出されたのは美智子さまだった。かがむように姿勢を低くして陛下に近づかれる。
陛下は戸惑いながらも「違う?」と応じられ、美智子さまは小声で「違うんです」と囁かれた。
美智子さまが手を伸ばされ、御机に置かれていた3枚目の原稿を、資料の中から探された。
美智子さまから原稿を受け取られ、取り違えに気づかれた陛下は
「あ、そうか」、「どうも、失礼」とわずかに微笑まれながら美智子さまに視線を送り、
再びおことばを読み進められた。その間、約10秒だった。
「会場の誰もが陛下が読み間違えられていることに気づいていない中、美智子さまがとっさの判断で動かれた。
美智子さまの立ち位置からは、陛下のお手元の原稿は見えません。
つまり、原稿を目で追っていて気づかれたわけではなく、原稿がすべて頭の中に入っていたから、
手を差し伸べることができたのでしょう」(別の宮内庁関係者)
おことばは、陛下がご自身の言葉で執筆され、推敲を重ねられたという。
「美智子さまはお側で、推敲を支えられたそうです。だからこそ、瞬時にフォローができたのでしょう。
陛下はおことばを、美智子さまが平成2年に詠まれた御歌(和歌)で締めくくられました。
陛下にとって、ずっとお側で寄り添われてきた美智子さまの存在が
どれだけ大きなものかを感じさせられました」(前出・宮内庁関係者)
約9年前、美智子さまがテニスで左膝靱帯を痛められて以来、両陛下が並んで歩かれる時は必ず陛下が腕を出し、
美智子さまを支えられてきた。
昨年6月、2泊3日の福島訪問で美智子さまが38度台の高熱を出された。
東日本大震災の被災地への陛下在位中最後の訪問であり、美智子さまは体調不良を押して、
すべての行事に出席された。帰京し、東京駅のホームの階段を下りられる際、
陛下は右手で手すりを持ち、左手で美智子さまを支えて、
美智子さまの様子に気を配りながら一歩一歩、ゆっくりと進まれた。
両陛下が式典で見せられた一瞬の微笑みは、おふたりが手を携え、
長い苦難の道を共に歩まれた末にたどり着かれた境地であろう。私たちはこの最後のおことばを語り継いでいかなければならない。
※女性セブン2019年3月14日号
https://www.news-postseven.com/archives/20190228_877531.html

雅子さま 会見またも実現せず…懸念される“新皇后の重圧”
記事投稿日:2019/03/01 16:00 最終更新日:2019/03/01 16:00
2月23日、皇太子さまは59歳の誕生日を迎えられた。
会見のなかで記者からは、新皇后となられる雅子さまについて
「どういった内容でご公務、ご活動をされていってほしいとお考えでしょうか」と質問があった。
しかし皇太子さまは、《今具体的にどういうものかということは、お答えできないのですけれども》と、
明確な言及を避けられた。
2月25、26日には天皇陛下のご即位30年を祝う茶会が開催されたが、雅子さまは欠席された。
精神科医で立教大学教授の香山リカさんはこう語る。
「いよいよ皇太子さまのご即位が近づき、雅子さまにとって『皇后』という言葉は
大きなプレッシャーとなっているのかもしれません。一般の方ならば、
適応障害であったとしてもリワーク(慣らし出勤)という形で段階的に仕事復帰ができます。
しかし皇后になられる雅子さまは、一夜にしてお立場が変わってしまいます。
皇太子さまはご即位後に、国際的に活躍される皇后・雅子さまを実現するためにも、
今は雅子さまのプレッシャーになるようなご言動は避けられていると思います」
今回は皇太子さまにとって、平成最後の会見だった。
「宮内記者会は再三にわたり『雅子さまのご同席』を要望したのですが、実現しませんでした。
雅子さまの記者会見は、ご病気になられて以来15年間、一度も行われていません。
昨年6月の皇太子ご夫妻の銀婚式や、12月の雅子さまの誕生日にも会見を要請しましたが、
宮内庁は聞き入れませんでした。お代替わりまで雅子さまの会見は“お預け”となってしまいました」
(皇室担当記者)
さらに前出の皇室担当記者は、愛子さまの近況を心配する。
「この4月から学習院女子高等科の3年生になられる愛子さまですが、最近は学校をお休みがちなのです。
愛子さまの体調不良も、雅子さまにとって不安要素になっているはずです」
お代替わりとなる5月には、さっそくいくつもの重責が雅子さまを待っている。
「宮内庁は、皇太子さまのご即位から数日以内に一般参賀を開催することを検討しています。
新天皇皇后両陛下が国民の前に姿を見せられる初めての機会となるため、
雅子さまが欠席されるわけにはいきません」(前出・皇室担当記者)
2月22日午後には、安倍首相が東宮御所を訪問。
お代替わりのスケジュールとともに国内外の情勢について報告したという。
「首相が皇太子さまに直接説明するのは極めて異例です。
安倍首相は5月26〜28日の日程で調整が進んでいるトランプ米大統領の訪日についても報告したはずです。
新天皇皇后にとっては外国首脳との初会談。しかも国賓待遇ですので宮中晩餐会も催されることになります。
その様子は世界中に報道されるでしょうから、新天皇皇后の国際的な“お披露目”になるでしょう。
雅子さまの語学力や外交的な知見が大統領相手にいかんなく発揮されれば、
今後の『新しいご公務』への道も一気に拓けるかもしれません」(前出・皇室ジャーナリスト)
新皇后となられるまであと2カ月。
雅子さまは皇太子さまとともに、この重圧をはねのけることもできるはずだ――。
https://jisin.jp/domestic/1716043/

雅子さま、お代替わり早々トランプ大統領と懇談へ!悲願の「国際親善」へ飛躍する日
週刊女性2019年3月19日号
2019/3/6
「2月24日、東京都内で天皇陛下の在位30年を祝う記念式典が開かれました。
当日は、午前中に皇太子ご夫妻などの皇族方が即位30年の祝賀をお伝えに皇居へ。
午後7時ごろからは、お祝いのための夕食会に、黒田清子さんご夫妻らを含めたご家族らが参加されました」
そう話すのは、ある皇室担当記者。記念式典では、こんな“ハプニング”も。
「式典内では、陛下が声を震わせながら、30年の歩みを振り返り、
国民への感謝の思いを約8分半にわたってスピーチされました。
そのさなか、陛下は読む原稿を1枚分飛ばしてしまう場面がありましたが、
皇后さまがすぐさま近づかれ正しい順番をお伝えして事なきを得たのです」(同・皇室担当記者)
ご高齢の陛下を常にお支えになっている美智子さまの“ファインプレー”に、
皇室を長年取材するジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡邉みどりさんは、次のような感想を抱いたという。
「テレビ中継された式典内で、天皇陛下がおことばを読み違えた際に、すかさず、
そして優しく美智子さまがフォローされたお姿には、涙が出るほど感動しました。
マイクから漏れ聞こえたおふたりのやりとりは、夫婦として“阿吽(あうん)の呼吸”だったので、
本当に仲がよろしいのだと感じましたね。
天皇陛下は、美智子さまに対して感謝の気持ちがあふれているからこそ、
おことばの中で美智子さまの和歌も紹介されたのだと思います」
渡邉さんがそう話すように、陛下はおことばの中で、美智子さまが以前、詠まれた和歌を紹介されたのだ。

《ともどもに平(たひ)らけき代(よ)を築かむと諸人(もろひと)のことば国うちに充(み)つ》

この和歌について、皇室の新年行事『歌会始』で選者を務めている、京都産業大学の永田和宏教授に話を聞いた。
「天皇陛下が式典で紹介された皇后陛下の和歌は、おふたりが新しい時代を引き継いだときに
“安らかで平和な時代を築いていきたい”という決意の思いがありつつ、
それに呼応した国民の声が国内に満ちあふれているという喜びが表現されています。
それが、たのもしくも感じられるし、そういった時代になってほしいという期待も込められた前向きな歌だと思います。
昨年12月のお誕生日の際のおことばでも、陛下は声を詰まらせながら皇后さまのことを語っておられました。
皇后陛下のことを、とても信頼されていて“同志”だと思っておられるのではないでしょうか」
そんな感動的な式典の翌日と翌々日の2日間で、合わせて3回、
式典のお礼として『宮中茶会』が催され、各界の功労者などが招待された。
しかし、次の皇后である雅子さまは、1度も姿をお見せになることはなかった─。
「25日は安倍晋三首相ら三権の長や国会議員、26日には元フィギュアスケート選手の浅田真央さんや、
ノーベル生理学・医学賞を受賞した大隈良典(おおすみ よりのり)さんなどが出席しました。
茶会には、両陛下や皇太子さま、秋篠宮ご夫妻などの宮家の方々も参加されていたのですが、
ご病気の影響なのか、雅子さまのお姿はありませんでしたね」(宮内庁関係者)
'04年から『適応障害』の療養中である雅子さま。お代替わりまで、2か月を切る中で、周囲からは心配の声も。
「2月8日の『青少年読書感想文全国コンクール表彰式』以降、公務にお出ましになっておられませんでした。
実は、皇太子ご夫妻の長女である愛子さまも、2月初旬から腹痛などの症状を理由に学校を休まれがちだったのです。
愛子さまへの不安が、お仕事に影響していなければいいのですが……」(東宮職関係者)
ある皇室ジャーナリストは、そんな不安の声を吹き飛ばすようにこう語る。
「2月23日は皇太子さまの59歳のお誕生日でした。
この日は、両陛下や秋篠宮ご夫妻などを招いた夕食会が東宮御所で開かれ、
そのホスト役は雅子さまが務めるのが慣例になっています。
当日、雅子さまは料理やお飲み物など細かい気配りをされなければなりませんし、
両陛下がいらっしゃるプレッシャーも当然あるでしょう。
さらに、翌日の記念式典にまつわる行事には参加される予定だったので、
療養中の雅子さまはご体調を考慮して茶会を欠席されたのだと思います」
前出の渡邉さんは、茶会のご欠席は“美智子さまのご配慮”があったのではと話す。
「重要な行事が連続した関係で、雅子さまは茶会を欠席されたのだと思いますよ。
茶会には、1回につき約500人の招待者がいましたが、その中で注目される皇族方はとてもお疲れになるでしょう。
いちばん大切な行事であるお代替わりまで2か月を切っていますし、
療養中の雅子さまには大事をとっていただくように、美智子さまや皇太子さまが配慮されたのかもしれませんね」
あくまで、お代替わりを見据えたうえでのご欠席だったようだ。
一方で、前出の宮内庁関係者は、お代替わりのあと、雅子さまが意欲を燃やされている“挑戦”があると話す。
「海外経験が豊富で、独身時代は外務省にお勤めになっていたこともあり“皇室外交”に挑戦されると思います。
今年は即位関連の儀式が続き、両陛下から公務を引き継がれるので外遊は難しいですが、
来年以降は海外訪問の機会が増えていくでしょう。
今年でいうと、5月にアメリカのトランプ大統領が国賓として訪日する予定です。
さらに中国の要人も、6月に大阪で開かれる国際会議『G20サミット』に合わせて、
新たな両陛下と接見する可能性があるそうです」
まずは日本国内での外交をこなされつつ、いずれは海外訪問に挑戦しながら“飛躍”されていくのだろう。
「もともと、雅子さまは国際親善を志していたこともあり、皇后になられてからは海外訪問など、
国際的な活動に取り組まれると思います。ご本人が希望されているジャンルの取り組みができることで、
ご病気もよい方向に進む可能性があるでしょう」(渡邉さん)
“皇室外交”を通じて「新皇后」の活躍を見られる日が待ち遠しい─。
https://www.jprime.jp/articles/-/14643

ご療養16年の雅子妃殿下 お気持ちを整える「工夫と努力」
2019.03.07 07:00
雅子妃殿下のご体調は、近年、劇的に回復している。
背景には着実に準備されてきたご努力と、皇后になられることへのご覚悟があるという。
ジャーナリスト・友納尚子氏がレポートする。
* * *
5月に皇后陛下になられる雅子妃殿下。ご療養が16年に及び、現在も続いていることから、
果たして皇后として務められるのか、という疑問の声がないわけではない。
しかし、そんな心ない言葉を払拭するように、雅子妃のご回復は3年前から大きく上向かれている。
2016年夏に天皇陛下の生前退位のご意向が発表されてから、
美智子皇后陛下の最後のお務めにどうしてもご一緒したいと雅子妃は願っていたと聞く。
その思いが、ご回復を促したのだろう。
昨年5月の日本赤十字社の全国大会もその一つで、名誉総裁を務められている皇后の最後のご臨席だった。
雅子妃は実に15年ぶりにご出席されたのだった。そして、一つのドラマが見られた。
皇后が式典の最後に挨拶を終えられると、後ろで待機されていた雅子妃に向かって声をかけられた。
はにかみながら笑顔で応えた雅子妃は前に出て、次期名誉総裁となる紹介を受けられた。
会場は、割れんばかりの拍手で溢れていた。
雅子妃にとって、両陛下の存在は大きい。昨年12月の55歳の誕生日に際して発表された文書には、
両陛下への思いが記されていた。
〈26年近く前に皇太子殿下との結婚が決まりました時から、天皇皇后両陛下には、私を温かく迎え入れて下さり、
今日まで変わることなく、広いお心でお導き、お見守り下さいましたことに、心から感謝申し上げております。
(中略)両陛下が、大きな責任を担われながら、どれ程深く国民の幸せや国の安寧を願われ、
お力を尽くしていらっしゃったかということを改めて思い、敬意と感謝の気持ちで一杯になります〉
同文書では今後についても言及されており、そこには強い決意が感じられた。
〈これまで両陛下のなさりようをお側で拝見させていただくことができました幸せを心の糧としながら、
これからも両陛下のお導きを仰ぎつつ、少しでも皇太子殿下のお力になれますよう、
そして国民の幸せのために力を尽くしていくことができますよう、
研鑽を積みながら努めてまいりたいと思っております〉
その思いを胸に雅子妃のお出ましは増えていき、マスコミ対応にも大きな変化が現れるようになった。
「ご療養に入られてから何年かは、撮影が禁止されることもありましたが、昨年夏のご静養先の須崎では、
御用邸に隣接する三井浜を皇太子ご一家が歩いて記者団の質問に答えられたのです。
また、プライベートな空間である、御用邸敷地内を散策されるご様子の取材許可も下りました。
これは初めてのことでした」(宮内記者)
昨年11月に、雅子妃は15年ぶりに秋の園遊会の全行程に皇太子殿下とご一緒にご出席された。
両陛下が主催する最後の園遊会であった。今年の春の園遊会は行われないため、
次の園遊会は新天皇、新皇后の主催となる。雅子妃は約1800人もの招待客と2時間近く過ごされた。
園遊会後の雅子妃のご様子について、小田野展丈東宮大夫は会見で、
「私が見るところ、随分とお疲れになっていたと思います。
ただ、その後に全国育樹祭という大事な行事があったので、そこに向けての工夫と努力をされた」
と述べた。適応障害という精神疾患は、緊張を伴うと極度に疲れやすいと言われる。
健康な人の疲れとは違って、何日も抜けないことや寝込むほど辛い時があるという。
雅子妃の場合、近年は寝込むことはなくなってきたと言われていたが、
昨年の東宮職医師団の見解の中に「大きい行事の後や行事が続かれた場合には、
お疲れがしばらくお残りになりご体調が優れないこともおありになります」とあるように、
いまだ体調の波はあるそうだ。
国民の前に笑顔でお出ましになる姿からは想像がつかないかもしれないが、
裏ではご病気と向き合われ、お気持ちを整える「工夫と努力」の日々が続いている。
「大きい行事が控えているときは、前の公務のご予定を詰め過ぎないようになさったり、
時間をかけてお気持ちを整えたりされている。
それは、皇太子妃としてのお務めを果たされたいという強い思いからではないでしょうか」(東宮関係者)
●とものう・なおこ/1961年生まれ。新聞、雑誌記者を経て2004年に独立、
フリージャーナリストに。著書に『ザ・プリンセス 雅子妃物語』(文藝春秋)などがある。
※SAPIO2019年4月号
https://www.news-postseven.com/archives/20190307_872944.html?PAGE=1

天皇陛下在位30年式典 嘲笑疑惑と大量欠席、議員の問題行動
2019.03.07 16:00
「平成最多」の15万4800人が訪れた新年一般参賀が記憶に新しい中、
宮内庁は、皇太子さまのご即位を祝う一般参賀を、5月4日に皇居・宮殿で行うと発表した。
その参賀は、皇太子さまが新天皇として公式行事で一般国民の前にお出ましになる初めての機会となる見通しだ。
と同時に4月30日に譲位される天皇陛下と美智子さまは、参賀に参加されないことも決まった。
2月24日、政府主催で行われた天皇陛下御在位30年記念式典は、退位儀式中をのぞいて、
陛下が国民に直接おことばを述べられる最後の機会となった。
会場の国立劇場(東京・千代田区)には、安倍晋三首相(64才)ら三権の長や各国大使、
国会議員ら約1160人が臨席した。式典で陛下がおことばを述べられた時には、
陛下と美智子さまおふたりのご関係を表すハプニングがあった。
「おことばを述べられ始めて約5分半が過ぎた時、陛下はおことばの書かれた原稿の3枚目を読み進められるはずが、
誤って1枚目を手に取り、読み始めました。しかし、隣で見守られていた美智子さまが即座に陛下に近づかれ、
本来読むべき3枚目の原稿を手渡されました。取り違えに気づかれた陛下は、再びおことばを読み進めました。
おことばの内容が全部頭に入っていたからこそできた美智子さまの絶妙なフォローで、
天皇皇后として過ごしてきたおふたりの絆が感じ取れる、感動的なシーンでした」(宮内庁関係者)
だが、その感動に水を差す行為があったという。
「陛下がおことばを読み違えられた時に、会場1階の中央後方席あたりから
『ははは』という男性の笑い声が聞こえたんです。そこは式典に出席した国会議員らが座っていた席。
もしそれが読み違いへの嘲笑だったのであれば、大変な不敬行為ではないでしょうか」(出席者の1人)
今回の式典には多くの国会議員が出席していたが、この嘲笑疑惑以外にも問題行動が指摘されているという。
「式典には、約700人の全国会議員が招待されました。しかし、その内の約350人が欠席したそうです。
現在、国会会期中で議員は都内に集まっています。都内で行われた式典には出席しやすいはずですが、
なぜこんなにも多くの議員が不参加だったのかと、疑問の声が上がったそうです」(政府関係者)
ある議員の秘書は、こう説明する。
「式典が日曜だったため、地元に戻っている議員もいました。
しかし、中には式典参加に関して服装などの厳しいルールに従えない、という理由で
“ボイコット”した人もいたと聞きました。
昨年11月に超党派で設立した『天皇陛下御即位三十年奉祝国会議員連盟』に加盟した議員らが、
“欠席があまりに多すぎる”と憤慨しているらしいです」
最近の政治家は不誠実なだけでなく不敬でもあるのか。
※女性セブン2019年3月21日号
https://www.news-postseven.com/archives/20190307_881026.html

「雅子妃」宮中茶会欠席だけではなかった“新皇后”の不安材料
週刊新潮 2019年3月14日号掲載
御代替わりまで2カ月。そんな時期に雅子妃が宮中茶会を欠席されたのだから、
ご体調を心配する声が上がったのも無理はない。
だが実は、このご欠席のほかにも宮内庁関係者が不安視する出来事があった。
天皇皇后両陛下が主催された茶会が皇居の豊明殿で行われたのは、2月25日と26日に計3回。
1200人ほどの各界の代表が招かれて皇族方と懇談したのだが、
そこに、「次期皇后陛下」の姿はなかった。宮内庁担当記者が振り返る。
「ご欠席は、事前に東宮大夫から知らされてはいたんです。“連日行事が立て込んでいることと、
大勢の人がいる場所なので難しい”との説明でした。行事というのはまず、2月23日皇太子さまの誕生日。
雅子さまは夕食会のメニュー決めから人の配置までを仕切らねばなりません。翌24日に政府主催の陛下在位30年記念式典。
そのお疲れを考慮して25、26日の茶会は休まれるというわけです」
その“公式見解”をめぐり、ある皇室ジャーナリストはこんな見方をしている。
「今回の茶会は、両陛下が過ごされた30年に対するお気持ちが深く込められた、重要なものでした。
両陛下の主催もこれで最後ですから、雅子妃もお出になりたかったのでは。
それでも欠席されたのは、やはりご病気の具合がよくないのかと思ってしまいます」
雅子妃の宮中茶会ご欠席には、次のような一面もある。宮内庁担当記者の話。
「雅子さまはもともと、晩餐会などでもメインの着席は参加されるものの、
お酒やコーヒーを飲みつつ歓談する立食のアフターディナーは避けられてきました。
大勢の方と話すことになる立食式が苦手のようです。
しかし一部の宮内庁関係者には“今回の茶会にお出になっていれば、
饗宴の儀のいい予行演習になったのに”と残念がる意見があるんです」
この饗宴の儀とは、即位後の“お披露目”のこと。皇室ジャーナリストの山下晋司氏によると、
「雅子妃殿下が最初にお出ましになる即位の礼は、5月1日の即位後朝見の儀。
これは総理や閣僚など国民の代表にお会いになる儀式であり、短時間で終わります。
大変なのは、10月下旬の饗宴の儀。国内外の賓客を招いて開く祝宴です。
4日間行われるうえに大勢の方と宴席をともにすることになります。
饗宴の儀は即位礼正殿の儀と同様に国事行為ですから、ぜひ、お出ましいただきたいです」
それが叶うかどうかは、
「ご病気がどれだけ快復するかに尽きますが……」
とは、ある宮内庁関係者。この関係者には、拭い去れない不安材料がある。
「報道されていませんが、宮中茶会翌日の2月27日、皇太子殿下はお一人で青年海外協力隊と接見されています。
実はこの27日は雅子妃殿下もご接見の予定だったのです。
青年海外協力隊については今上天皇が皇太子時代から重きを置いてきましたので、
その思いを継ぎ、できるだけ両殿下で接見されてきました。
しかし雅子妃殿下のご体調が整わず……。風邪などではありません。お疲れでしょう」
大事をとって茶会を欠席した流れで、なんとなく休んだということか。「新皇后」への心配の種は尽きない。
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/03160557/?all=1

陛下が感激された、黒田清子さんの祭主姿
記事投稿日:2019/03/18 11:00 最終更新日:2019/03/18 11:00
(略)
1700年の美を受け継ぐ登美子さんは、伊勢神宮の神事にも関わる。
現在は、天皇陛下の長女であり、祭主を務める黒田清子さんの結髪と着付けを担っている。
祭主とは、神への天皇の勅使であり、2月の祈年祭、6月と12月の月次祭、
10月の神嘗祭という大きな祭典を主宰する神職である。
「ご祭主様は大変ですよ。式典は真夜中に行い、睡眠時間は3時間ほど。
それを3日間、外宮と内宮をまわられるわけですから。
私どもは小さな部屋で待ち、潔斎(沐浴)されたご祭主様の装束と髪形をつくります。
その日の式典が終わると解くわけですが、寝る時間もやはり3時間ほどです」
’89年に85歳で亡くなった母の仕事を引き継ぎ、
登美子さんは伊勢神宮の祭主である池田厚子さん(昭和天皇の四女)の結髪と着付けを担うようになる。
’95年、古代の朝廷や公家、武家の行事や風俗・習慣、装束などの伝統を学び伝える「有識美容師」になった。
そして毎年4回、大きな祭典が行われるたびに伊勢神宮に足を運んできた。
’12年の式年遷宮では、池田厚子さんを補佐するため、黒田清子さんが臨時祭主になったのだが、
そのときのことを語る登美子さんの表情はひときわ明るい。
「祭典の前に、黒田さんがご装束を見たいということで、私も東京に行きまして、着付けのため宮中に上がりました」
装束姿の黒田さんを囲んで、写真を撮ろうというときだった。
「お部屋に、天皇陛下がおいでになったんです。美智子皇后も」
登美子さんの頬が、ふわっと赤らんだ。長年の努力が実ったかのような喜びに満ちていた。
「陛下から、『きれいにしてくれて、ありがとう』とお言葉をいただきました。
美智子皇后もニコニコされて、とてもうれしそうでした。そして、ふと私の帯を目にされたんです。
人間国宝の細見華岳さんのつづれ織の帯を締めていたんですけど、
『ああ』というお顔をなさったから、おわかりになったのでしょう。
この上ないお言葉を賜ったこと、そして皇后様との出来事は、私の一生の思い出です」
黒田さんは、’17年から伊勢神宮の祭主となり、登美子さんは引き続き現在もおつとめしている。
「黒田さんは、ほんまにお優しい方です」
しみじみ思い出すのは、昨年10月の神嘗祭のこと。
90歳の登美子さんは伊勢市駅のホームで転び、伊勢神宮に着いたころには、足首が紫色に腫れ上がっていた。
「ご祭主様の前では痛い顔をしないように髪を結いました。
でも、足を入れていただいたお袴を持ち上げようにも、痛みで立ち上がれない。
そのとき黒田さんが『大丈夫ですか』と手を差し伸べてくださって。そんな畏れ多い……。
だって、ご祭主様はすでに身を清められていました。私どものような汚れた体に触れてはいけません」
それでも黒田さんは手を取り、立ち上がらせてくれたのである。
「黒田さんは大変なお務めなのに、ひとつも嫌な顔をなさりません。
われわれみたいな者にも低姿勢で、装束をする前と後には、お座りになってお辞儀をするんですから」
立ったままで十分なのに、いつも両手をついて「お願いします」とご挨拶されるという。
「そんな黒田さんの厳粛さに、いまも体が震えるほど緊張します。
あれだけ真摯に神に仕えている黒田さんを拝見していると、私の足の痛みなんて」
とはいえ、伊勢神宮から帰宅して病院に行くと、足首は骨折していたというから登美子さんの頑張りはすさまじい。
「長年の立ち仕事からでしょう。私の足腰はもうボロボロですねん。
15〜16年前には膝の半月板が欠けて、ドリルを入れる手術をしました。
ほんで去年3月は腰。ちょっとコケただけで腰椎が折れてしまったんです」
5月には、恒例の京都三大祭りのひとつ「葵祭」での役目が待っていた。
ヒロイン・斎王代の髪形から髪飾り、衣装の着付けである。
登美子さんは1カ月間、首しか動かせないようにギプスで固められてベッドに寝かされた。
残り1カ月間で懸命にリハビリし、葵祭に間に合わせた。
「根性ですわ(笑)。斎王代の髪を垂髪に結い、おしろいを塗って。
20キロもある十二単を扱ったときは悲鳴をあげそうなくらい痛みましたけど、
母から引き継いだこの仕事、辞められません」
今年、新天皇は即位の報告のために伊勢神宮を訪れる。
登美子さんは、神宮で出迎える女官の装束に心を込める予定だ。
https://jisin.jp/domestic/1720870/

雅子さま、“即位プレッシャー”説よそに負担かかる祝宴に“ドタ参加”でご自信深まる
週刊女性2019年4月2日号
2019/3/23
「3月12日、天皇陛下が皇居・宮中三殿で『期日奉告の儀』に臨まれました。
陛下は古式ゆかしい装束姿で、4月末日で退位されることを
歴代天皇などがまつられている『皇霊殿』に報告されました。
この儀式は、退位に関する最初の儀式で、
皇太子さまや秋篠宮ご夫妻らの皇族方も参拝されました」(皇室担当記者)
約200年ぶりの生前退位まで残すところ、あと1か月と少し。次の両陛下も、着々と準備を進められている。
天皇陛下が儀式を執り行った翌日、皇太子ご夫妻は、
都内のホテルで『第15回ヘルシー・ソサエティ賞』の授賞式に出席されていた。
「この賞は、教育や医療などを通じて、健全な社会や人々の生活の質向上に貢献した人々を表彰するもので、
'04年に創設されました。
今年は、フィリピンの貧困層の出産支援などをボランティアで続けている助産師の
冨田江里子さんら5人が受賞しています。
皇太子ご夫妻は、授賞式が終わると壇上から降りてテーブルに着き、
審査員などの関係者と夕食をともにされていましたよ」(同・皇室担当記者)
“国民とともに”ある皇室にとって、とても意義のある賞なだけに、その功績をご夫妻も称えられたのだろう。
一方で、今回の授賞式に雅子さまが出席されたことに対して驚きの声をあげるのは、ある宮内庁関係者。
「この会は、授賞式に加えて関係者との祝宴がセットの行事なので、全体で2時間ほどの滞在になります。
さらに、この会には約650名が参加するので、まだ療養中である雅子さまの参加は難しいのではと思っていました。
実際、前日まで皇太子殿下おひとりでのご参加と聞いていましたが、
当日になって雅子さまのご出席が決定したそうで、とても驚きました」
雅子さまが『適応障害』と診断され、療養に入られてから約15年。長時間や不特定多数の人々に注目されるなど、
負担の大きい公務は医師団の判断もあり、出席されないことも。
今回の行事に出席されたのは、どんな背景があったのか。
「不特定多数の人々がいる中での祝宴のご出席は、療養中の雅子さまにとって、確かに大変な状況だったと思います。
しかし『適応障害』というのは、本人にとって何が負担なのかが問題であり、その問題は人によって千差万別なのです。
雅子さまにとってのストレス要因が、今回の式典にはなかったとも考えられます。
一方で、お出ましになられたこと自体、症状が改善されつつあり、
困難な場面に対しても適応する能力が高まってきているという見方もできるでしょう」
そう話すのは、心理学に詳しい東京未来大学こども心理学部長の出口保行教授。
一部では「皇后に即位されるプレッシャーで病状が悪化しているのではないか」という声もあったというが、
実際のご体調は回復傾向にあるように思える。
さらに、病状が回復されているほかにも、今回のご決断を後押しした理由があるというのは、ある東宮職関係者。
「2月24日の『在位30年記念式典』に出席された両陛下のお姿や、陛下の退位に関する儀式がいよいよ始まったことで、
次の皇后としての自覚がより一層お強くなったのではないでしょうか。
『ヘルシー・ソサエティ賞』での雅子さまは、普段よりもリラックスされたご様子で、
笑顔で関係者と交流されていたように思えます」
昨年12月のお誕生日での文書回答には、両陛下への強いお気持ちをこう述べられている。
《両陛下が、大きな責任を担われながら、どれ程深く国民の幸せや国の安寧を願われ、
お力を尽くしていらっしゃったかということを改めて思い、敬意と感謝の気持ちで一杯になります》
両陛下から大事なバトンを引き継ぐ雅子さまは、5月以降に控えている即位関連の儀式を見据えられているにちがいない。
「祝宴とセットになっていた今回の授賞式は、10月に控えている国事行為の『響宴の儀』を意識されたのかもしれません。
この儀式は、皇太子さまの即位後に国内外から賓客を招いて行われる祝宴で、
平成になった前回は計7回行われましたが、今回は計4回、総人数も3400人から2600人に減らして行われます。
今後行われる大勢の人々との食事会に慣れるためにも、今回の授賞式はぎりぎりまで検討を重ね、
ご出席を決断されたのだと思います」(前出・宮内庁関係者)
前出の出口教授は、今回のご出席について、今後に生かされると話す。
「大勢で食事をする機会にお出ましになっていくことは、今秋に控えている『響宴の儀』にも生かされると思いますよ。
ハードルの高いことから始めるのではなく、徐々にステップを踏むことで、
秋の儀式に対して準備されているといえるでしょうね」
少しずつ、今まで取り組むのが難しかった公務などを経験していくことで、
雅子さまの中で“自信”が高まっていくことだろう。
宮内庁ОBで皇室ジャーナリストの山下晋司さんは、
「新天皇の即位を祝う場ですから、皇后が不在でも儀式は可能です。
しかし、現在は天皇・皇后がともに活動する機会が多いため、天皇の即位を祝う場とはいえ、
皇后が隣にいたほうが好ましいのは当然です。
大勢の関係者が参加したという『ヘルシー・ソサエティ賞』の授賞式と祝宴に出席されたのは、
秋に控える『響宴の儀』を見据えられている可能性はあるでしょう。
ただ、5月1日以降、即位関連の儀式や行事が続きますので、
今は体調の管理が第一で、ご無理されないようにしていただきたい」
着々と復調されている雅子さまの様子からは、さらなる期待の声も上がる。
「宮内記者会は、皇太子ご夫妻そろっての記者会見を再三求めていますが、
療養に入られてからは長らく実現していません。
昨年の銀婚式や、お誕生日でも会見は開かれませんでしたが、
雅子さまが少しずつ歩みを進めていらっしゃるので、皇后になられたあと、
会見が実現する可能性は十分あると思いますよ」(前出・東宮職関係者)
https://www.jprime.jp/articles/-/14757

2018年11月-12月雑誌記事

皇太子さま、お忍びでパラ選手の伴走 動画サイトで準備
緒方雄大2018年10月31日17時50分
皇太子さまが今夏、お忍びでパラリンピック銀メダリストの伴走をしていたことがわかった。
来年5月1日の新天皇即位まであと半年。
「国民の中に入っていく皇室」を目指す新しい天皇像の一端が見えてきた。
6月26日夕。木々に囲まれた東京・赤坂御用地。
「走りやすいですか」。皇太子さまが隣のランナーに声をかけた。
リオデジャネイロパラリンピックの視覚障害者女子マラソン銀メダリスト、
道下美里さん(41)=三井住友海上=だ。
皇太子さまは「伴走」と書かれたビブス(ゼッケン)を身につけ、
蛍光の黄色の伴走用ロープを右手でにぎり、
左手にロープをつかむ道下さんに声をかけながら約1・5キロの道を走った。
道下さんによると、皇太子さまは最初のでこぼこの道で「これは何とお伝えしたらいいのでしょうか」と
戸惑いを見せていたが、数分走ると息が合い始めた。カーブの手前で「右に曲がっていきます」、
足場の悪い道の手前で「でこぼこがあります」。
1キロ7分のペースが6分のペースに変わり、リズムがよくなった。
皇太子さまは、伴走者の声のかけ方や道下さんの走りの特徴を動画サイトで調べたという。
伴走用のロープは自身で用意。走る直前には専用のゴーグルをかけて御用地内を歩き、
視覚障害者の感覚も体験した。
ジョギング後は右腕を道下さんにつかませてアテンド。「飲み物は何にされますか」と気遣いもみせた。
2人が出会ったのは昨年11月の園遊会。
道下さんが「機会があれば一緒に走りたいです」と伝えたところ、皇太子さま側から返答があり、伴走が実現した。
https://www.asahi.com/articles/ASLBV0VG1LBTUTIL070.html

雅子さま、愛子さまの学校行事見学をお控えになるメリハリ公務術
週刊女性2018年12月4日号2018/11/20
「11月17日、皇太子ご夫妻は東京都江東区にある『海の森公園』の予定地に足を運ばれました。
おふたりは、『全国育樹祭』に伴う植樹へのお手入れをされ、
雅子さまは手伝った子どもたちと笑顔で交流されていましたよ」(皇室担当記者)
雅子さまといえば、11月9日に開かれた『園遊会』で、15年ぶりに全行程を歩かれたのが記憶に新しい。
「両陛下にとって“人生最後”の園遊会で、女性皇族方は和装で出席されていました。
招待者と歓談されている際、両陛下と皇太子ご夫妻の間にある程度の距離ができたのは、
多くの人々にお声がけをされていたからだそうです。
しかし当日は、雨で和装だったこともあり、後半にはそうとうお疲れになっていて、
何とか乗り切ったようにも見えました」(東宮職関係者)
それほどまでにお疲れになる園遊会に出席したのは、新皇后としての強い自覚をお持ちだったからだろう。
その一方で、15年ぶりの全行程参加を実現できた背景には、雅子さまなりの“工夫”があったという。
例えば、先日行われた愛子さまの文化祭でのこと。
「11月3日と4日に、学習院女子中・高等科で『八重桜祭』が開かれました。
3日には、高等科2年生の有志で作られたダンスチームで、
愛子さまがポンポンを持ってキレキレのチアダンスを披露されていました。
ご自分の出番の合間には、司会者としてダンスに出るメンバー紹介をされて
会場を盛り上げていましたよ」(目撃した保護者)
ご両親もそのお姿を見て、たいへん喜ばれていたそうだが、雅子さまは“公務優先”のスタンスをとられたそう。
「ご夫妻は、3日に文化祭を訪れて愛子さまのダンスのほか、書道部や美術部などの活動や
ボランティア同好会が展示している視覚障害者用点字ブロックの説明を熱心にお聞きになっていました。
しかし、4日には雅子さまのお姿はなく、皇太子さまだけが学校にいらっしゃっていました。
翌5日に控えていた文化勲章受章者と文化功労者のお茶会に備えるためだったそうです」(宮内庁関係者)
学校行事で活躍される愛子さまをご覧になりたかったにちがいないが、
翌日の行事に響かないように動かれていた雅子さま。
「園遊会直前の11月7日〜8日には、『全国農業担い手サミット』が山形県で開かれました。
しかし、最近は2年連続で出席していた雅子さまは来県されませんでした。
というのも、5日にはお茶会、9日には園遊会があったため、
前後の予定を鑑みて欠席をお決めになったそうです」(前出・東宮職関係者)
さらに育樹祭でも、
「雅子さまは、17日のお手入れと関係者へのお声かけをしたあと
都内のホテルで行われた懇親会には参加されませんでした。しかし、体調を崩したというわけではなく、
翌日の式典にはきちんと参加されたので、自分ができる範囲を見極められたのだと思います」(前出・宮内庁関係者)
『適応障害』の療養中である雅子さまだが、工夫と努力を重ね、以前よりも多くの公務に取り組まれている。

症状の回復に最適だったメリハリ公務
「『適応障害』というのは、病気というより“反応”に近い状態なのです。
精神疾患には、『うつ病』や『パニック障害』などの病名もありますが、
これらは症状に関しての診断基準はありますが、原因に関しての基準はありません。
しかし『適応障害』は、いちばん新しい診断マニュアルの診断基準に
“はっきりと確認できるストレス因に反応して3か月以内に症状が出ること”と定義されています。
つまり明らかなストレス因があって発症するという、
ある意味で原因と症状との因果関係がはっきりとしている病名なのです」
と、ストレス障害に詳しい『パークサイド日比谷クリニック』の立川秀樹院長。
雅子さまの“メリハリ”をつけた公務のスタイルは、病状の回復に効果的だという。
「回復されるには、雅子さまにとってのストレス因から脱却することが大切です。そういった意味では、
雅子さまの主観もありますが、反応してしまうほどのストレス因がある公務にはお出ましにならず
今では反応しない公務には出席されるのは診断上、問題ないのだと思います。
『適応障害』は、そういった工夫をすることでだんだんと治っていくものなのです」(立川院長)
園遊会の件に関しても、立川院長は太鼓判を押す。
「先日、15年ぶりに『園遊会』の全行程をこなされたというのは、治療が順調で、
園遊会でも反応しないほど回復されている証拠でしょう。主治医が出席してもいいと判断できるほど、
病状が改善されているのだと思いますよ」
来年のお代替わりには、自信に満ちた雅子さまが見られることだろう─。
http://www.jprime.jp/articles/-/13851

眞子さまの結婚 「問題」は借金ではない 秋篠宮家が「納采の儀は行えない」と明言した理由
斎藤智子2018.12.1 12:58
秋篠宮さまの誕生日を前にした記者会見で、眞子さまの結婚問題の行方について問われたご夫妻。
現状では「納采の儀」は行えないことを明らかにし、娘を思う親心を率直に吐露した。
*  *  *
「家族として非常に難しい状況の中にありますが、私は、長女の眞子がいとおしく、
かけがえのない存在として感じます」
11月22日。「いい夫婦の日」を選んで開かれた秋篠宮ご夫妻の誕生日会見で、紀子さま(52)は、こう話した。
隣には30日で53歳になる秋篠宮さま。
誕生日の前に年1度、記者たちのさまざまな質問にご夫妻で率直に答える場だ。
例年、紀子さまは、子どもたちの日常の様子や成長ぶりを丁寧に描写してきた。
だが、今年は少し違った。娘に寄せる「母」の思いを、切々と訴えた。
記者会から事前に寄せられていた質問は一言でいえば
、眞子さま(27)と小室圭さん(27)の「結婚問題の行方」だ。
眞子さまと婚約が内定していた小室さんをめぐり、スキャンダラスな報道が週刊誌をにぎわせ始めたのは、
昨年後半ごろからだった。
亡くなった家族の話。さらには「カネの話」が小室さんの母の婚約者だった男性から提起された。
小室さんの学費や留学の費用を「貸した」とする訴えだ。
当時のメールや写真、通帳といった「証拠」が繰り返し週刊誌に登場した。
秋篠宮ご夫妻にとっては、寝耳に水だった。眞子さまですら、何も知らされていなかったようだ。
ご夫妻の小室さんへの信頼が揺らぎ始めた。
秋篠宮さまと紀子さまは学習院大学で知り合い、約5年にわたる「恋」を実らせてゴールインした。
早い段階で秋篠宮さまが紀子さまにプロポーズ。
紀子さまは時間をかけて気持ちを整理し、交際を重ねて二人の愛情を深めた。
メールも携帯電話も普及していない時代だから、秋篠宮さまが留学した時期には国際電話で気持ちを確かめ合った。
「私たちの間では、何ひとつ隠し事はなかった」
ご夫妻はそのころ、そう話していた。
そのご夫妻が眞子さまの紹介で初めて小室さんに会ったのは2013年頃。「非常にまじめな青年」という印象だった。
以来、約5年間。両親と同じように長い時間をかけ、丁寧に恋を成就させようとする二人に、
ご夫妻は当初「祝福」の気持ちでいっぱいだった。それだけに、
「スカイプなどで外国にいても頻繁に連絡をとりあっているのだから、そのくらいのお話は出ていると思っておりました」
と秋篠宮さまは知人に漏らしている。紀子さまは娘を案じる思いを友人に打ち明けた。
「たぶん眞子のほうはすべてを小室さんに話していたと思います。
だから、なぜ、という思いが、眞子のなかで、抑えても抑えてもわき上がったろうと思います」
眞子さまはそのせいか、昨年から今年にかけて体調をひどく崩した。
咳がとまらず、しばしば熱が出た。宮内庁病院でも何度か診察を受けた。
仕事の時はそんなそぶりも見せなかったから、マスコミも、接した人も、ほとんど気付かなかった。
小室さんにすら、体調の悪化を隠して笑顔を向け続けていたようにみえる。
紀子さまは自分自身が体調が悪くてもほとんど表に出さず仕事を務めてきただけに、
「私がもっと、疲れた時には休む姿を娘たちに見せていれば、眞子もこんな無理を重ねなかったのでは」
と当時、自分を責めている。
誕生日会見では、そんな思いを振り返った。
「昨年の暮れから、だんだん寒くなっていく中で、長女の体調が優れないことが多くなりました。
そうした状況が長く続き、長女は大丈夫だろうか、どのような思いで過ごしているだろうかと、私は、大変心配でした。
しかしこのような中でも、長女は与えられた仕事を懸命に果たしてきました。(中略)
私は、本当によく頑張っているなと長女のことを思っております」
秋篠宮家が「問題」と感じたのは、借金の有無ではない。
まして、母子家庭であることや、パラリーガルで収入が少ないことは、問題などと考えていない。
子どもの結婚に際し「身上調査」をする家庭は今もあるだろうが、そもそもご夫妻はそうしたことを一切しなかった。
長年、秋篠宮ご夫妻を知る人が強調する。
「最初は心から若い二人を信頼し、祝福していたのです。
結婚に向け、小室家側の準備も大変だろうから、どうやってお手伝いするか、
いろいろとご夫妻で相談しておられたようです」
ただ、皇族の一員として「国民から広く祝福を受ける」ことは、譲れない一線だった。
結婚後に眞子さまは皇籍を離れるが、行事で招かれることも多い。
1億円を超える一時金が拠出されるのも、皇族であった者としての品位を保つためだ。
「もし、小室家側に一点の曇りもないのであれば、それを公に明らかにしてほしい」
報道が激化するにつれ、ご夫妻は、小室さん側に繰り返しそう求めた。
ご夫妻が大切だと考えたのは、何か「こと」が起きた時に、どういう誠実な対応をとるか、だった。
だが、小室家側では、必要ないと考えたのだろう。
取材に応じていないため真意はわからないが、
「お金はもらったものでありトラブルも問題も存在しない」とのスタンスという。
これについて、紀子さまの友人はこう指摘する。
「百歩譲って、もしお金はもらったものだとしても、
お金を出してくれた人に感謝の気持ちすら伝わっていない状況というのは、
誠実さを何より大切に考える紀子さまにはとても重かったと思います」
会見で秋篠宮さまは、今でも結婚したいのであれば「問題をクリア」にし
「多くの人が納得し喜んでくれる状況」にするため、(小室家側は)「それ相応の対応をするべきだ」と話した。
「そういう状況にならなければ、私たちは、婚約に当たる納采の儀というのを行うことはできません」と踏み込んだ。
納采の儀ができないということは、正式な婚約が整わないということだ。
婚約が整わないということは、結婚できないということを意味する。
秋篠宮さまご夫妻は、小室家側にも若い二人にも、こうしたことを繰り返し伝えたという。
信頼に一度「疑問符」が付いてしまうと、他の行為にも疑問を感じるようになるものだ。
小室さんが勤め先の上司との会食に眞子さまを呼び出し同席させたことも、
留学先の米国の大学で「プリンセスの婚約者」と紹介されるままにしていたことも、
ご夫妻には、眞子さまを利用しているように感じられた。
「立場」を利用することは、ご夫妻が最も嫌う行為だ。
眞子さまはいま、どう考えているのだろう。
体調を崩しつつも、眞子さまはこの半年、精いっぱい仕事に向き合ってきた。
ブラジル移住110周年の行事に出るためブラジルも訪問。14の都市を巡り大勢の人々の期待に応えた。
紀子さまは会見でそんな仕事ぶりについて「心をこめて大切に、全力で務めてきた」と、敬意を表した。
眞子さまは、親子の間で異なる意見をたたかわせた時期でも、
展覧会や音楽会には紀子さまを誘って一緒に出かけている。
母と娘の間で長年大切にしてきたひとときだからだ。
「今以前にも増して、このように長女と過ごす時間をとても大切に感じています」と、紀子さま。
秋篠宮さまは「結婚は両性の合意によって決まる」とした憲法を引用し、
本人の意見を無視して親が結婚の可否を押しつけることはできない、との姿勢を周囲に言明してきた。
紀子さまも、母としての考えは既に十分眞子さまに伝わっているとして、それ以上踏み込んではいない。
ただ、親しい友人には、こう話している。
「船の舵をいきなり90度、切りかえられるものではありません」
「でも、どんな小さな船でも自分で進んでいく力を持っていることを信じています」
(朝日新聞社会部・斎藤智子)
※AERA 2018年12月10日号
https://dot.asahi.com/aera/2018120100008.html

愛子さま“連続欠席”には触れず 宮内庁「誕生日文書」の違和感
社会週刊新潮 2018年12月13日号掲載
5カ月後の御代替わりで“天皇陛下の娘”となられる愛子さま。
17回目の誕生日を機に伝えられたご様子は、まさに才気煥発そのものである。
しかし、そのニュースの“元”となった宮内庁作成の文書には、どうしても違和感を覚えるのだ。
記者会に配布された文書のタイトルは、〈愛子内親王殿下の御様子〉。
今年2月から11月まで、学校生活などを振り返っている。
「これは愛子さまの誕生日、12月1日にあわせて宮内庁が作ったものです。前日に報道陣に配られました」
と、社会部デスクが語る。
「発表文ではなくあくまでも参考、との注釈つきです。4枚の文書のほかに、
愛子さまの主な行啓先などの一覧が整理されたペーパーも一緒でした。
こういった概要は毎年の誕生日に宮内庁からもらうのですが、今年はものすごく丁寧なんですよ。
実際、この文書で愛子さまの誕生日関連の記事が十分まかなえましたから」
誕生日にあわせて各社が報じた内容といえば、
「今年4月、学習院女子高等科2年生になった愛子さまはこれまで以上に勉学に励み、
忙しい日々を過ごされていること。夏はイギリスの名門イートン校のサマースクールで英語の授業を受け、
英国文化を吸収されたこと。11月は、文化祭でダンスを披露し、出番の合間に司会をされた。
修学旅行では、奈良と京都で文化遺産を見学し、日本の歴史や文化に触れられた。
文書には、こうしたことが事細かに書かれています」
このほか、皇太子ご夫妻と皇居の養蚕施設を訪れて、皇后さまの説明を聞かれたことや、
御用邸でのご静養なども。とにかく、あますところなくご様子が記されているのだ。そして文書は、
〈このように様々な経験をお積みになりながら、お健やかに成長していらっしゃいます〉
そう結ばれているが……。

9連休
違和感を覚えるのは、10月の箇所である。ダンスや競技の詳細とともに、
お元気に運動会をお楽しみになりました〉ということと、映画「旅猫リポート」をご鑑賞されたとある。
「でも、大事なことが省かれています。愛子さまは、運動会のあと、長く学校を休まれていたのです」
と明かすのは、宮内庁の担当記者。
「10月2日の運動会翌日から11日まで、9日も出られていません。休祝日を除けば7日です。
症状を訊かれた東宮大夫は、“運動会でのお疲れや、天候不順で体調を崩され、
喉の痛みや咳、頭痛もあったので、大事をとって休まれていた”と説明していました」
東宮大夫が会見ではっきり語っているというのに、
「誕生日の文書には一切、記述がないのです。ほかの出来事がやけに詳しかったのは、
欠席に触れられたくなかったのだと思います。文書配布時、この点を東宮大夫に訊いても、
“10月に一時期、休まれて以降は、元気に通学されている”と言うだけ。
初等科時代の“不登校騒動”のようなことが起きていたのではと勘繰りたくなります」
愛子さまの欠席について、精神科医の片田珠美氏はこんな見方をする。
「宮内庁は体調不良で片づけようとしているみたいですが、体調不良には意欲が湧かないという要素もあります。
愛子さまは負けず嫌いで完璧主義者。運動会で思うような結果が出ず、落ち込まれたのではないでしょうか。
それを癒すには時間が必要ですから、いわば、自分を守るための9連休だったのだろうと思います」
もし、“天皇陛下の娘”として同じ振舞をされたら、宮内庁はどう取り繕うのか。
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/12120558/?all=1

「皇室典範有識者会議」とフェミニズムの共振波動が日本を揺るがす

月刊正論2006年2月号
「皇室典範有識者会議」とフェミニズムの共振波動が日本を揺るがす
林 道義
(一部)

女性天皇を誰が必要としているのか、という視点からこの改正騒ぎを見てみると、
改正案の本質が見えてくるはずである。

変える理由はすべて「こじつけ」
皇室の根源的な変革を策すのは何のためであろうか。
その理由はいろいろと言われているが、それらはすべて「初めに結論ありき」の「こじつけ」である。
本当の理由が隠されている。それをあぶり出さなければならない。
ただし、真の動機を論ずる前に、順序として、表面で言われている理由が真の理由ではないということを、
まず明らかにしておかなければならない。
この点については、すでに多くの論者が詳細に論じているので、簡潔に問題点を整理すれば十分であろう。
一、「男系にこだわると継承者がいなくなる可能性が大きい」
「少子化の趨勢の中で男子が生まれる可能性は時間が経つにつれてますます少なくなる」
このような事態に対しては、旧皇室典範においては、二つの安全装置があった。
側室の子と、皇族からの皇位継承である。
「側室制度は現代の国民意識からみてほとんど不可能である。
また皇族は戦後60年も前に臣籍降下しており完全に民間人になっているので、
皇籍復帰も現実的でない」と改正推進派は主張している。
側室制度が現実的でないというのは理解できるが、元皇族の皇籍復帰が現実的でないというのは間違いである。
二、「元皇族の皇籍復帰が現実的でない。途中から皇位継承者を決めたのでは国民に親しみが湧かない、
理解が得られない、帝王学が学べない、長いあいだ民間人として生活してきているので
皇室の習慣になじめないであろう」
これらはいずれも根拠薄弱である。「途中から」と言うが、初めから原理原則が決まっているのだから、
次の継承者は誰か前々から分かっている。その時点で国民に紹介され次第に親しまれるようになるわけだし、
帝王教育もできる。長いあいだ民間人とぢて生活してきているといっても、
生活感覚や習慣、意識は皇室の伝統を受け継ぎ、元皇族としての誇りも、いざというときの覚悟もお持ちであろう。
三、「長子優先と初めから決めておけば、ご本人にとっても、周囲の者や国民にとっても安定的、かつ分かりやすい」
不安定要因があろうが多少分かりにくい点があろうが、譲れない原則というものがある。二千年の伝統を
一挙に不可逆的に消滅させる理由としては、「安定的」で「分かりやすい」などというのは
あまりにも軽薄な根拠と言うべきである。
四、「男子男系優先というのは男女平等という国民意識にそぐわない」
この理由は、その時、その時の国民意識に合わせてその都度皇室のあり方を変えてもいいという前提に立っている。
男女の機械的な平等意識を根拠にして、二千年の歴史を持つ文化や制度を簡単に変えようとするのは
犯罪的な思い上がりである。
そもそも皇室祭祀は男性によってのみ執り行われるしきたりであるが、
それは決して男尊女卑や女性差別の産物ではない。
神聖な儀式は異性原理を断ち精進潔斎して執り行うのが世界の宗教に広く見られる原則である。
この伝統を単純な男女平等主義によって安易に変化させてはならない。
五、「男子男系という原則は明治の旧典範で明文化されたもので、
永遠不変なものではなく、歴史的なものである。時代に合わせて柔軟に変化させてもよい」
この論理も間違いである。江戸時代までに発生発展し、明治時代に法制度化された制度はいくつもある。
たとえば、夫婦同姓もそうである(夫婦同姓成立の歴史的必然性については
拙著『家族の復権』中公新書を参照されたい)。
皇室典範の男子男系の原則にしても、明治政府が理論的にのみ考えて無から創造したものではない。
長い歴史の中から次第に形になってきた現実をふまえて、それを明文化したものである。
歴史的に成立してきたということの必然性が重要な意味を持つのである。
その歴史的方向性は理由のある必然性によって成立してきたのであって、
何か無法な力が働いて無理に作られたものではないのである。
このほか、有識者会議は重要な問題について考察を避けている。歴史や伝統の問題・女性天皇の配偶者も問題など、
「女系容認、長子優先」の結論に都合の悪い問題を持ち出されると、
座長の吉川弘之氏は「使命の外」「国会で議論してくれ」と
ひどく無責任な言い逃れをしている。しかし、これらの問題は最も重大であり、
それを排除しては到底国民を納得させることはできない。

女性天皇の深刻なマイナス面
女系天皇が必要だという理由がすべて決定的なものでないことを明らかにした。
その反面、女性天皇の輩出が予想される「女系容認、長子優先」の皇位継承制のもとでは
数々の根本的な困難や不都合が生じるのである。
第一に、女帝の場合、祭祀の執行に支障がである。宮中祭祀(「大嘗祭」などの例外を除く)は
男子のみが執り行ってきた伝統と慣習があり、
これは宗教的な観念を前提にしているので、簡単に男女同権を持ち込むことはできない。
男子によって行われる祭祀を女子が行っては、カリスマ的な意味が失われるからである。
したがって、これまでも女性が皇位についたときには祭祀を一時中断するか、男性の代理を立てて執行した。
その場合は一時的な「つなぎ」の女性天皇だったから「例外」として許されたが、
女系になると天皇自身による祭祀の中止は致命的な意味を持つ。
それは天皇の存在理由(レーデン・デートル)に関わる重大な欠陥となる。
女系天皇は天皇としての自己矛盾であると言わなければならない。
第二に、女帝であることを利用する者が群がる恐れがある。
フェミニストはさっそく名乗りを上げて、露骨に期待感を表明し、
国民の意識を変えるために利用しようとしているが、その他にもさまざまな形で、
女帝であることから利益を引きだそうとする者たちが出現するであろう。
女帝に影響力を持つ周囲の者たちもそのターゲットになりうる。
第三に、女性天皇の配偶者選びは困難をきわめるであろう。皇太子妃でさえなかなか決まらなかった。
ましてや女性天皇の配偶者選びは難航することが十分に予想される。幸いにして夫君が決まったとしても、
夫君が個人的にプライドと存在意義を一生のあいだ感じ続けることは至難の業であろう。
第四は、家族像と関係する問題である。現在、皇室は日本の家族像の模範として、国民から敬愛されている。
父親を中心にまとまり、互いに愛し合う家族の姿は、日本の家族が世界の中で珍しいほど健全な姿を
保っていることの一つの重要な基盤とも言える。しかし、それは「平等な家族像」ではなく、
明らかに父系制に基づく、父を中心とした家族像である。
これまで機会あるごとに述べてきたように、家族は父親を大黒柱とし中心としてまとまりを持つことが必要である、
家族の模範像だと受け取られてきた天皇家において女性がトップとなることによって、
フェミニズム思想が日本人の家族像に悪しき影響を与える危険性もまた増大する。
(中略)
この疑問点の多い女系による皇位継承を、一体誰が積極的い進めようとしているのであろうか。

勝負に出たフェミニスト
まずフェミニズムがその尖兵であることは、誰の目にも明らかである。
フェミニストたちはさっそく喜びと支持の声を上げている。
「有識者会議報告書」が発表された翌日には、フェミニズム機関紙とも言える新聞に、
判で押したようなフェミニストの談話が踊った。
(中略)
女帝・女系の実現はフェミニズムの最終勝利を完全に保障するものである。
それは単に「働く女性の励みになる」とか「国民の意識がフェミニズムに都合にのよい方向に変わる」と
いうだけに留まらない。その効果はそのように部分的なものでなく、
より包括的かつ全面的である。それは女性支配の完全な正当性の獲得であり、
まさしくフェミニズムにとっての錦の御旗の奪取なのである。
フェミニストたちは今が彼女・彼らにとっての天王山であることを敏感に感じ取っているのであろう。
フェミニズムは「バックラッシュ」に遭遇して行き詰まりを見せ、世間の目も厳しく不利になっている。
たとえば、「日本人の幸福感」についての最近のアンケート調査によれば、
「最も幸せな日本人像」は「三十代、都会暮らし、専業主婦」である
(大阪大学社会経済学研究所筒井義郎教授による。『産経新聞』平成17年11月8日付)。
これだけ専業主婦を攻撃し、税制などで締め上げて撲滅を図り、「働け」イデオロギーを宣伝してもなおこの結果である。
それどころか今や全国的に嫌フェミ現象が現れている。すでにフェミニズムの後退・凋落傾向が始まっている。
この凋落に歯止めをかけるために、絶対的な錦の御旗である女帝・女系天皇を実現しようという作戦である。
危機にあるフェミニズムにとっては、巻き返しの絶好の機会、
これを全面的に利用しない手はないとばかりに、進んで一翼を担っているのであろう。
男女共同参画社会基本法に加えて女系継承が実現すれば、フェミニズムのクーデターが
成功し、長期独裁政権に等しいフェミニズム支配が定着してしまうだろう。
じつは有識者会議の座長の吉川弘之氏は、かねてよりフェミニズムと密接な関係にあった。
(中略)
この吉川氏を座長とし、フェミニストの重鎮である岩男寿美子氏や緒方貞子氏を委員に据えた有識者会議は、
完全にフェミニズムの主導下にあると言わなければならない。

フェミニズムが捏造した「国民の支持」
その証拠が「報告書」の中の「女子や女系の皇族に皇位継承資格を拡大する」理由の
「イ 国民の理解と支持」である。これはほとんど全面的にフェミニズムに依拠して書かれている。
曰く、「現行典範が制定された昭和22年以降、我が国では、家族観や社会における男女の役割分担などをめぐって、
国民の意識や制度などに様々な変化が生じてきていることも考慮する必要がある」
「女性の社会進出も進み、性別による固定的な役割分担意識が弱まる傾向にあることは
各種の世論調査等の示すとおりである」
「最近の世論調査で、多数の国民が女性天皇を支持する結果となっていることの背景には、
このような国民の意識や制度の変化も存在すると考えられる」
「象徴天皇の制度にあっては、国民の価値意識に沿った制度であることが、重要な条件となることも忘れてはならない」
「国民のあいだでは、女子や女系の皇族も皇位継承資格を有することとする方向を積極的に受け入れ、
支持する素地が形成されているものと考えられる」
これを見ると、「国民の意識」を金科玉条にして、それを女帝・女系推進の根拠にしていることが分かる。
しかし、この「国民の意識」なるものは長期にわたるフェミニスト一派の意識操作によって作り出されたものである。
また、その根拠としている「各種世論調査」なるものも、狡猾に仕組まれた質問の仕方や
統計のごまかしによるものが多いことは拙著『家族を蔑む人々―フェミニズムへの理論的批判』
(PHP研究所)において詳しく暴露している。
報告書はフェミニズムが「国民の意識」とイコールだという間違った前提に立って、こう結論づけている。
「今日、重要な意味を持つのは、男女の別や男系・女系の別ではなく、
むしろ、皇族として生まれたことや皇室の中で成長されたことであると考えられる」
このように、男女の区別をなくし、機械的に男女の区別なく皇位につける制度にするのが、
フェミニストの戦略目標である。
女帝への「国民の支持」を誘導してきたのは、男女の性差をなくそうとしてきたフェミニストの活動であった。
有識者会議を終始リードしてきたのがフェミニズムの思想と理論であったことは明白である。

「天皇制」反対派が女系容認派に
だが、それだけであろうか、女系天皇はフェミニズムにとって有利なだけではない。
もっと広範な反体制的・反日的な勢力にとってもまた、格好の温床と武器になりうるのである。
いやフェミニズムの中にもそうした勢力が浸透しており、
フェミニズムを隠れ蓑にしているのである。次のように考えると、その勢力のおおよその輪郭が明らかになる。
女系容認派の中には、「天皇制」反対論者たちが入っている。女帝を認めるか否かという世論調査の場合に、
天皇・皇后の存続に賛成か反対かを質問していないので割合は分からないが、
女系容認派の中には「天皇制」反対論者が大量に入りこんでいることは想像に難くない。
つまり「天皇制」反対派が大挙して女性天皇・女系天皇賛成派になだれ込んで。
男女無差別が「今や時代の流れだ」と主張しているのである。
このことの意味は大きい。すなわち「天皇制」反対派にとっては、
女帝・女系は都合がよいということを意味しているからである。
では、彼らにとって女系天皇はどういう意味で都合がいいのか。女系天皇になると天皇の権威が落ちて、
皇室の在りようが崩れていくからか。答えはノーである。彼らはそんな悠長なことを考えているのではない。
女系への移行の仕方にこそ秘密がある。つまり議論の仕方そのものに罠が仕組まれているのである。
有識者会議は「国民の支持・理解」をなによりも重んじている。
まるで絶対的な大義名分であるかのような扱いである。
たとえば、元皇族の皇籍復帰は「国民の理解が得られない」の一言でj片づけられてしまう。
しかし、皇室典範第一章「皇位継承」を民主主義的な議論の対象にした途端に、天皇・皇室は存続の危機に立たされる。
女系容認に移行することが危機であるという以前に、男系に限るか女系を容認すべきかを
国民が論議の対象にすること自体が、皇室の危機なのである。

「天皇制」は国民が決める?
そもそも皇室典範第一章「皇位継承」は、原理的に変えることは不可能、かつ変えてはならない部分なのである。
もちろん法律上、手続き上は変更可能である。現在の皇室典範は憲法と違って一般の法律並みの扱いであるから、
国会の過半数の賛成で変えることは可能である。しかし、私が言っているのは、手続き上可能かどうかではない。
そうした「民主主義的な」手続きで変えてよいかどうかを問題にしているのである。
天皇とは、原理的に民主主義とは相反する存在である。国家の最高権威であり
国民統合の象徴と定められた存在が、世襲であり、
血統を重んずる原理で決められるということは、国民の意思(投票や選挙)で物事を決定する民主主義の原理とは
まったく別の原理によって存在していることを意味している。
現皇室典範は形式的な法手続きの問題としてみれば、国会の過半数の賛成で改訂することができる。
昭和22年に制定された内容は、旧皇室典範を大筋において受け継いだものであるが、
その成立は「民主的な」手続きによって出来たものである。
しかし男系によって継承されるという原理には、「民主的」なアメリカも変更を加えなかった。それは理屈以前の
厳然たる事実であり歴史的伝統であって、これに変更を加えることのできる正当な論理もなければ、いかなる者にも
その権利はない。個人としての天皇にも皇族にも、この原理を変える権利はないのである。
ましてや首相や国会にも国民にもあるはずがないのである。
すなわち皇族や政府や国民のその時々の意思によっては左右されず、
かつ民主主義的な手続きからは超然としている存在が天皇であり、皇室なのである。
したがって、この制度を民主主義的な手続きの対象とすること自体が間違いなのである。
それはまるで、首相を選ぶように天皇を選ぶことに通ずるような、
民主主義的思想によって事実上皇室を否定することも可能にするような考え方なのである。
一口で言えば、天皇、皇室はもともと民主主義とは違う原理で存在しているのに、
それを民主主義的な手続きで変えようとする
矛盾を犯している。したがって「皇室典範有識者会議」などというものを作ること自体、
天皇と皇室の原理を否定するものである。
特に、その根幹に位置する皇室典範第一章「皇位継承」は、
民主主義的な手続きによって手を付けてはならない部分である。
もしこの部分が民主主義的な手続きで変更可能ならば、天皇・皇室そのものも
民主主義的な手続きによって廃止可能だということになる。
つまりこの部分に国民の代表たる国会が手を付けたが最後、ゆくゆくは天皇・皇室そのものもまた
国民の意思で変更ないしは廃止することが可能だということを宣言したことになる。

アメリカによる縛り
その意味では、皇位継承の議論が「民意」に委ねられたとき、すでに日本中が罠にはまったと言わざるをえない。
この罠はじつはアメリカによる占領政策の中ですでに仕掛けられていたのである。
敗戦日本に対してアメリカは天皇・皇室を残したが、じつは内実を大きく変えた。
アメリカは天皇と皇室の外形だけは残して、内容的には重要な「縛り」を入れ込んだのである。
その縛りとは、天皇の存在を民主主義の枠の中に入れたことである。
アメリカは天皇と皇室を民主憲法の枠の中に入れて、国民の支持によって成り立つべき存在へと決定的に変化させた。
これによって「国民に親しまれる皇室」が至上命令となり、
「国民に支持されること」が皇室存在の必要条件とされるようになった。
皇室は「国民の支持」を基盤とすることになり、民主主義の枠内に限定されたのである。
すなわちアメリカ産の憲法にこそ、今日の皇室典範改正という発想を産み出す原点があった。
新憲法制定の時にすでに皇室典範は「国民」の手の中に握られていたのである。
今回の有識者会議報告書もまたこのアメリカ産の憲法を基に発想されている。
その「基本的な視点」に「(1)国民の理解と支持が得られるものであること」という項目がある。
すなわち皇室の存在もそれに関する変更も、国民の支持によって成り立つという思想が基礎になっている。
つまり「国民の意識が変わった」ら、「国民が政府を変える」のと
同じように天皇と皇室の在りようを変えてよいことになる。
この思想は天皇の上に国民を置く思想である。この思想を前提にするかぎり、
国民の考えが変わればそれに合わせて皇室も変わらなければならないし、
原理的には天皇を国民の投票で決めるというところまで行きつくであろう。
自民党が現憲法はアメリカによって与えられたものだから改正が必要だという立場であるならば、
皇室典範の「民主的な」扱いもまたアメリカ産だからという理由で拒否しなければならないはずである。
しかし小泉首相はアメリカによって与えられた「天皇と皇室の民主化」をそのまま受け入れて、
それをさらに推し進めようとしているのである。
こういう重大かつ恐ろしいことを、小泉首相以下、皇室典範改正推進派の人々は進めているのである。
いったいこの人々は、そうした重大なことを進めているという自覚と覚悟があってのことなのか。
中には自覚と覚悟をもって推進している確信犯がいるのではないか。その者たちは何を狙っているのか。

真の推進者は誰か
皇室典範改正騒ぎは、六十年前にアメリカによって与えられた基本的枠組みの中で起きている。
しかしこの騒ぎの直接の仕掛け人は、アメリカであろうか。
アメリカは六十年前に大きな縛りを掛けて、それで一応満足していたはずである。
今急いで改正を迫らなければならない動機を持っているとは思えない。
では現在の仕掛け人は何者か。それは天皇制を存続させたくない者たちである。
彼らが自分たちの破壊思想を実現する道具として、
女帝・女系天皇制を利用しているのである。日本の公序良俗を破壊し、家制度を否定し、
国民統合の象徴を消滅させたい、こういう者たちが、女帝・女系天皇を最も積極的に推進しているのである。
このような日本破壊の動機を持っている者と言えば、ただちに思い起こされるのが、近隣の敵対諸国である。
そしてこれら敵対国の日本国内においける提携勢力である。
この外国敵対勢力と日本国内で相呼応している勢力のうち重要なやくわりを果たしているのが、
左翼諸政党、クリスチャン左派、フェミニスト、親中国派(およびフェミニズムを利用している)経済人であり、
これらは相互に重なり合っている。この重なり合いの構図は、たとえば北朝鮮の拉致はないと強弁してきたのが、
この連合体の者たちであったことを思い起こせば十分であろう。
彼らは北朝鮮への見返りなき食料支援にも熱心であったし、首相の靖国神社参拝にも共同して反対してきた。
こうした重なり合いの構図は有識者会議の中にも見られる。
それらの勢力が重層的に女帝・女系天皇への移行をきわめて精力的に画策していることだけは確かである。
最後に女系天皇実現に最も重要な役割を果たしている主役について述べなければならない。
皇室典範改正の中心にいる主役はもちろん小泉首相その人である。
首相が私的諮問機関である「有識者会議」を作らなかったならば、何事も起きなかった。
小泉首相が鍵を握っている中心人物であることは間違いない。
小泉首相にはもちろん女性を労働力として使おうとする経済界やフェミニスト等から
強い圧力がかけられていることは想像に難くない。
しかし小泉首相は黒子に操られている単なる傀儡ではないであろう。
小泉改革の総決算として彼は憲法改正と皇室典範改正を仕上げ、改革宰相として歴史に名を残したいのであろう。
しかし改革が成功したと歴史的に評価されるためには高潔な理念と哲学に裏打ちされていなくてはならない。
皇室典範に関しては伝統に対する理解においても、天皇制の歴史をめぐる見解においても、
小泉氏に一国の宰相としての見識はまったく見られない。
(中略)

天皇は父性原理の体現者なり
皇位継承は男子男系によらなければならない。なぜなら天皇とは父性原理の体現者でなければならないからである。
歴史によって形成されてきた天皇の性質やイメージは、権力に対して正当性を与える権威者である。
どんな実権を持った武士政権といえども、天皇から正当性を与えられることによって、
初めて名実ともに権力者になることができた。
天皇という存在にとって大切なのは、可愛いとか親しみを持たれることではなく、厳かな祭祀の実行者であり、
権威の持ち主であるという性質である。つまり父性の持ち主でなければならない。
天皇は立派な父親像の体現者でなければならないのである。
今でも日本においては、一かの大黒柱は男性でなければならないという意識は非常に強く、
父親は権威を持っていなければならないという意識も強い。
(中略)
権威を持った父親が子供をしつけ、家族をまとめていくことは、家族のあり方の理想像として
日本人の間では依然として根強いどころか、近年ますます再認識され始めている。
女系天皇容認派は男女平等意識が高まったと宣伝し、
こうした重要な父性意識の高まりについては完全に無視している。
家族においても国家においても統合の象徴は「父」でなければならない。
日本国の統合の象徴は父親像でなければならないのである。
日本はもともと母性社会の性質がかなり強い。天皇が女性になったら、母性的である日本が、されに母性社会に傾斜し、
父性原理が大きく後退することになるだろう。母性が優越した国家になるか、
父性が優越した国家になるかの違いは巨大である。
日本がこれ以上母性社会の性質を強めていけば、甘えの精神が蔓延し、ますます規範意識は崩れ、
社会の秩序も折り目正しさも、公序良俗も音を立てて崩れ、ニートなど無気力な子供が増大するだろう。
天皇とは国父であり、父性の象徴であり、したがって絶対に男子男系でなければならないのである。

“つくられた大御心”と側近たちの大罪

別冊正論Extra.14 皇室の弥栄、日本の永遠を祈る
“つくられた大御心”と側近たちの大罪 倉山満

牧野伸顕、木戸孝一日記、富田メモ…、側近たちが残した昭和天皇の“お言葉”を改めて検証する。
私意や政敵排除に“お言葉”を利用した君側の奸を看過してはならない

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倉山満氏
あなたの天皇観はまちがっている!? 倉山満が「5つの誤解」を解く

神武東征

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「村山談話」こそ更迭せよ!

WiLL2009年1月号
「村山談話」こそ更迭せよ!
西村眞悟

自衛隊の航空幕僚長と社会党の委員長が、同じ歴史観をもっていては国が困る。
従って、航空幕僚長が村山談話を信奉しておれば直ちに更迭すべきなのである。
そもそも、社会党とは、「アメリカ帝国主義は日中両国人民共通の敵」との方針で
我が国の社会主義人民共和国化を目指し、
日米安全保障条約に反対で非武装中立を国是として自衛隊を違憲とした政党ではないか。
さらに、中国共産党と北朝鮮のエージェントといえる活動をしていたのが社会党であり、
ソビエトから資金援助を受けていたのも社会党である。
このことは「クレムリン秘密文書」で明らかになっている。
長年このような国益を害する政党にいて委員長になった村山富市氏の歴史観と
自衛隊尾航空幕僚長の歴史観が同じであってよいはずがない。
これは子供でも分かることだ。同じであれば、自衛隊は国を守るために戦えない。
さらに、平成7年の阪神淡路大震災を、痛恨の思いを以て振り返ってほしい。
その地震の朝、直ちに伊丹にある陸上自衛隊の中部方面軍を
神戸の被災者救助に向かわせる発想もなく漫然と時間を浪費し、
その結果救助すべき多くの人々を放置して焼死または衰弱死に至らしめるという
驚くべき無能ぶりを発揮した自衛隊の最高司令官、
即ち時の総理大臣は誰だったか。これこそ村山富市という社会党の御仁ではないか。
従って、同年、彼がしなければばらなかったのは、
自らの無能政策の故に無念の死を遂げた阪神淡路大震災の多くの被災者と家族に対する謝罪であった。
しかし、彼は「遠くない過去の一時期、国策を誤った」と自国をして謝罪せしめたが、
「直前の自らの過ち」による多くの犠牲者に謝罪しなかった。これを偽善という。
従って、村山談話とは、祖国を喜々として謝罪せしめても自らのことについては
一切謝罪しない偽善者にして驚くべき無能な総理による談話なのだ。
これに何の権威がある。

濱田防衛大臣は逆をしている。村山談話と同じ考えをもつ航空幕僚長を更迭すべきなのであり、
村山談話と逆の歴史観を持った航空幕僚長はサポートすべきである。防衛省は、このたびのことを契機にして、
幹部自衛官の歴史観をチェックするというのならば、
まず陸海空の各幕僚長が、村山談話と同じ歴史観ならば直ちに更迭したまえ。
政治がシビリアンコントロールの本質を理解せず、自衛隊を戦えなくしていたうえで、
年間五兆円を超える防衛費を支出しているとするならば、これこそ亡国に至る無駄遣いだ。
自衛隊は国を守るためにあるというならば、国のために戦える自衛隊にすることが国政の責務である。

マスコミも、政界も、「政」と「軍」の区別を理解せず、
シビリアンコントロールを曲解して田母神更迭劇を論じている。
防衛省も、田母神航空幕僚長の思想を点検してこなかったとして大臣以下内局の官房長まで懲戒処分にし、
挙句の果てに、自衛官の思想教育をチェックするという。何を慌てふためいているのか。
これではまるで、腹心の共産党員を政治将校として部隊に放って
将兵の思想傾向をチェックした「スターリンの軍隊」ではないか。
防衛省は、二十五万の全自衛官が村山談話の歴史観をもつようにするというのか。そして自衛隊を
「村山富市の軍隊」にするのか。当職の息子は陸上自衛官だが、息子が防衛省内局の思想指導により
村山談話を信奉すべきなどというたわごとは、断じて許せん。怒りがこみ上げる。

軍の領域にある田母神航空幕僚長の責務は何か。
それは、国を守る為に、よく戦える部隊を育成する為に部下をして日々訓練を続行させることである。
従って、この航空幕僚長が戦えない歴史観を持つならば更迭されなければならない。
そこで、村山談話の思想で自衛官は戦えるのか。
「日本は侵略を繰り返した悪い国で、近隣諸国に多くの苦痛を与えた国ですから軍隊を持ってはならないのです。
当然、自衛隊は軍隊ではなく自衛隊も軍人ではありません。
従って、仮に敵に捕まっても君たちには捕虜としての保護は与えられません」
このように村山談話に迎合した教えを受けて、このように信じた自衛官は国のためによく戦えない。
戦う前に自衛官を辞めるだろう。
では、如何なる思いにより人は祖国のために戦うのか。それは「祖国への愛」である。いろいろな人間愛の中で、
「祖国への愛」はその中心にあり、「祖国への愛」がない者は、
他の人間愛も維持することができないと古代ローマの政治家であるキケロも言う。
その通りである。
我が国の教育勅語にある人間愛と責務の徳目にも「一旦緩急あれば義勇公に報じ」と明記されている。
田母神氏も論文に記しているが「人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や
自分の生まれた国を自然に愛するものである」。
しかし村山談話の毒は、自分の生まれた祖国を悪として青少年から祖国への愛を奪うことである。
それでは田母神航空幕僚長は、空軍のトップとして如何なる問題意識を持ち、
如何なる指針に基づいて強い空軍を造り、その責務を果たすべきなのか。
この点を、昭和13年制定の作戦要務令が冒頭で簡潔に指摘している。
これが航空幕僚長の職務領域である。
「軍の主とするところは、戦闘なり。故に百事皆戦闘を以て基準とすべし。しこうして戦闘一般の目的は、
敵を圧倒殲滅して迅速に戦捷を獲得するに在り」
「訓練精倒にして必勝の信念堅く、軍紀厳正にして攻撃精神充溢せる軍隊は、
能く物質的威力を凌駕して戦捷を完うし得るものとす」「必勝の信念は、主として軍の光輝ある歴史に根源し、
周到なる訓練を以て之を培養し、卓越なる指揮統制を以て之を充実す」
この作戦要務令の指針は、人間の本質に基いており、単なる軍隊の指針に止まらず、普遍的で、
一定の目的を持った組織の指針として有効である。もちろん航空幕僚長のみならず他の陸海の各幕僚長とも、
この作戦要務令にもとづいて職責を果たすべきである。村山談話を信奉していてそれができるはずがない。
必勝の信念は「軍の光輝ある歴史の根源し」とするならば、
村山談話は、訓練を受ける部下から必勝の信念を奪い、ひいては「周到なる訓練」を不可能とする。
軍の領域では、実際の戦闘はもちろんのこと、その訓練にも命の危険がある。
他方、防衛大臣は、戦後政治のなかの野党の追及という与野党の駆け引きの次元にいる。
しかし、航空幕僚長はそのレベルにいてはならない。「必勝の信念」がなければ、
部下が無駄に死に国家が崩壊するという取り返しのつかない事態に直結するのが軍事の領域であるからだ。

およそ軍隊の世界は村山談話の精神では運用できない。
祖国と軍の「光輝ある歴史」の拠り所とすることにより運用できるのだ。
しかも、田母神氏も述べているように、我が国の歴史を学べば学ぶほど、
我が国の真実の「光輝ある歴史」が見えてくる。歴史を捏造し偽装する必要は一切ない。
このような国は滅多にあるものではない。これが我が国に生まれた幸せである。
従って、よき軍隊を創る為には、歴史を真摯に学習しなければならない。
田母神氏の論文は、その真摯な学習の結果である。
さらにチャーチルが言うように、政治家は祖国の歴史を学ぶことによって、
その使命を自覚すべきであるとするあらば、軍人と政治家はともに歴史に学ばねばならない。
特に戦争の歴史(戦史)は教訓の宝庫である。従って、軍人教育の中で戦史研究は大きな比重を占めるべき課題である。
従ってこのたびのように、多くの航空自衛隊幹部が公募に応じて歴史論文を投稿したことは、
内閣が慌てるべきことではなく、歓迎し評価すべきことである。
ところが、現在の我が国では、政の世界における歴史観が村山談話で固定され封印されている。
これは極めて国益を害する異常事態だと言わねばならない。
何故なら、村山談話の歴史観からは、祖国を守るために戦う軍人は育たず、
祖国を謝罪させることに執念を燃やす無国籍の政治家は育っても、
祖国を愛して歴史に学び、祖国の再興に使命感をもつ国民や政治家が出ないからである。
今や、日中戦争の始まりとなった日華事変の仕掛け人は、中国共産党の劉少奇であることも、コミンテルンの指令で
ゾルゲというスパイと、朝日新聞記者の経歴を持ち、近衛内閣及び満鉄調査部の嘱託を務めた尾ア秀実が近衛内閣に
影響を与えて日中戦争の停戦を阻止して泥沼化を仕掛けていたことも、
日米開戦の引き金になった「ハルノートを書いた男」はルーズベルト政権内に送り込まれた
コミンテルンのエージェントであったことも明らかになっている。
田母神航空幕僚長のこのたびの論文は、これらの事実を学んで書かれており、歴史の真実に根ざしている。
そしてこの各事実からは、これらが封印されていた東京裁判の時の歴史認識と全く違ったものが導かれて当然である。
航空幕僚長として歴史を学んだ田母神氏の論文に何ら非難すべきものはない。
ここで、政治における公定史観である村山談話とは何かと再度確認したい。
第一に、この公定史観こそ、中国共産党と朝鮮半島の歓迎するところである。
と言うよりも、中国共産党の気に入る歴史認識を社会党の村山富市氏が総理大臣談話として発表したのだ。
従って、この談話の主語は「私」である。
村山内閣の当時の閣僚にも心ある日本人がいたとしても、談話の主語が「私」であるが故に、
「村山が言っていること」として見逃してしまったのではないのか。
「ハルノートを書いた男」はコミンテルンのエージェントだったとすれば、「村山談話を書いた男」は
何処のエージェントの可能性があるのか。スパイ防止法のない我が国では分からない。
いずれにしても、更迭すべきは田母神論文ではなく、他国に迎合してその反日教育を正当化する村山談話である。
案の定、この村山談話の歴史観により東アジアの華夷秩序ができた。
つまり、日本は、中国と韓国や朝鮮に謝り償うために金を支払う存在であるという秩序である。
それと同時に、この歴史観により、中国共産党は中国支配の正当性を確保している。
即ち、中国共産党こそが、中国人民に悪逆の限りを尽くした日本帝国主義を打倒し、
中国人民に幸をもたらしたという政権の正当性が、日本悪玉論により
中国共産党に与えられる。現在中国で行われているえげつない反日教育・反日プロパガンダに、
我が国は村山談話により承認を与えている。
また、昨年アメリカ下院ででっち上げられた我が国に対する「従軍慰安婦謝罪要求決議」に対して、
我が国の外交官が適切な反論ができなかったのは、村山談話があるからである。
村山談話こそ、著しく国益に反するものである。さらに、そもそも村山談話は、史実に基づいているのか。
答えは否である。始めに謝罪ありきの政治文書であって、史実にもとづいてはいない。
田母神論文の結論、「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣」、これこそ史実に基づいている。

ここにおいて、我が国の政界とマスコミ界は、シビリアンコントロールの故に、政治が航空幕僚長を更迭し、
自衛官の思想統制を行うのが当然と言う前提で動いている。しかし、これこそ、我が国の政界とマスコミ界が
シビリアンコントロールの本質を理解していないことを示していることなのだ。
つまり、シビリアンコントロールの原則は、「軍の自律」を前提に機能する。
そして田母神論文は、この「軍の自律」の領域にある。
既に述べたように、村山談話では軍の訓練と訓練が目指す戦場での勝利も達成することができない。
ということは、つまり、村山談話では、シビリアンコントロールが無意味になるということである。
何故なら、村山談話では、コントロールする対象としての軍が無くなるからだ。

第二次大戦中のイギリスの首相はチャーチルであり、イギリス軍の最高位にあったのは
参謀総長アランブルックであった。彼ら二人は戦争中、憎しみ合いながらも毎日数時間会っていた。
その間、チャーチルが多くをしゃべり、それを聞いたアランブルックは、
たった一言しゃべるだけだったという。その一言とは、「閣下、それはできません」ということ。
これがシビリアンコントロールが現実に機能している姿である。
ここにあるのは、政と軍の緊張関係である。チャーチルの政治家(シビリアン)としての発想に対して、
参謀総長アランブルックは軍人として拒否すべきは断固拒否して作戦の軍事的整合性を守っていた。
そうでなければ敵に勝利できないからである。
そもそも国家の目的は、敵に勝利して国家の安泰を確保することである。
シビリアンコントロールは、この国家目的に奉仕するものである。
国家の勝ち負けはどうでもよいが、政治が軍事に関与しなければならないというのはシビリアンコントロールではない。
似て非なる軍への素人(シビリアン)の過度の介入である。素人に過度に介入されれば、軍は戦えなくなる。
従って、田母神氏の第二の戦場での任務は、部下が戦えるように、「閣下、それはできません」と、
防衛大臣に対して、きっぱりと軍隊への村山談話浸透拒否することである。
我が国の帝国海軍が真珠湾を攻撃したとの知らせに反応したルーズベルト大統領は参謀総長を振り返って、
「問題の解決を君たちの領域に移す」と言ったという。これがシビリアンコントロールが発動された典型的情景である。
シビリアンコントロールとは、政治的最高指導者が、軍の最高指揮官となって、
軍を動かすボタンを押すか否かを決定するその瞬間の決断のことである。
これによって動き始めた軍は、軍事的に最良の行動をとっていくのである。
政治が軍に目的を与え、それを実行に移すが否か、また何時中止するかを決定する。
これがシビリアンコントロールである。これは国家の運命を決する厳しい決断である。
神戸の大震災に際して、「なにぶん初めてのことで、朝も早かったものですから」と
自らの無能を弁解した社会党の首相に為しうる決断ではない。そして、この国家の運命を決する決断の前提には、
前に記した作戦要務令の精神で練り上げられた必勝の信念を持つ自律した軍隊が存在しなければならない。
それにしても、我が国家安泰のために、自衛隊を自律した軍隊にすること、
その為に村山談話を「更迭」すること、これらは総て政治の任務である。
このたび、この国家再興のための問題提起を田母神前航空幕僚長にのみ任せていることを
政治の領域にいる議会人として恥じている。
田母神航空幕僚長更迭問題を契機として、政界全体が村山談話に覆われているこの閉塞状況を打ち破る為の、
真の保守愛国の同志を結集することが、議会人としての責務であると深く自覚する次第である。

2018年6月-8月 雑誌記事

ポスト平成の天皇制は沖縄、アイヌ、創価学会との接し方が鍵
2018.06.02 07:00
思想史研究家の片山杜秀氏
作家の佐藤優氏と思想史研究家の片山杜秀氏が「平成史」を語り合うシリーズ。
国際情報誌SAPIO誌上で行われた対談は最終回を迎え、単行本『平成史』(小学館)としてまとめられた。
最後のテーマは、「今上天皇の足跡」となった。

 * * *
片山:今上天皇は昭和天皇のカリスマが付与された上、
祭祀への熱心さや災害時での国民と共感共苦する姿勢の顕示によって、
公と私のバランスはよくとれていたと思います。
ところが皇太子になりますと、もっと私の方につっこんでいる印象がある。
今上天皇は人間天皇として素晴らしいと言える。それなら皇太子が人間皇太子を突き詰めて、
本当に人間になってしまった方がいいのではないですかと言いたいくらいに、
あまりに普通な感じになってくるのではないか。
それこそ人間天皇の最終型とも言えるけれど、
それで天皇像が新たな民主主義的強固さを獲得できるかというと別問題でしょう。

佐藤:私はポスト平成の天皇制と日本社会は、日本の外部空間との接し方で変わると考えているんです。

片山:外部空間ですか?

佐藤 :そうです。日本には沖縄、アイヌ、そして創価学会という天皇神話を共有していない領域が三つある。
この領域との軋轢がどうなっていくかが天皇制の将来を左右するのでは、と。

片山:とくに沖縄とアイヌに対して、今上天皇は意識的にアプローチされてきたように思います。
ただ、いまだに沖縄との断絶は存在するし、アイヌについての理解は進んでいない。
こうした外部空間との付き合い方から、次代の天皇のありようが更新されていかないと。
万世一系というだけでは持続性に陰りが見えてくるように感じます。

佐藤:いま日本は危機に陥っています。それが分断であり、政治の右と左の対立であり、格差です。
平成以後、日本人の天皇観がどう変わるか。
すなわち直面する危機や、世間外との軋轢を調整できる形になるのか。
逆に、その世間外の人々を非国民化していき、さらなる分断や格差を招く形になるのか。
ここが一つの大きなポイントになるでしょう。

片山:とすると平成の次の時代、一つの議論が蘇ると想像できます。
天皇制ではなく、日本共和国でよいのではないかと。
平成とは今上天皇の思想と行動によって特徴づけられた時代でした。
今上天皇の「譲位」とともに、天皇のありようは変わるでしょう。

佐藤:その天皇のありようによって、ポスト平成の日本社会の方向性が決まっていくと言えるでしょうね。

●かたやま・もりひで/1963年生まれ。慶應大学法学部教授。思想史研究家。
慶應大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。
『未完のファシズム』で司馬遼太郎賞受賞。近著に『近代天皇論』(島薗進氏との共著)。

●さとう・まさる/1960年生まれ。1985年、同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。
主な著書に『国家の罠』『自壊する帝国』など。共著に『新・リーダー論』『あぶない一神教』など。
SAPIO連載5年分の論考をまとめた『世界観』が発売中。

※SAPIO 2018年5・6月号
http://www.news-postseven.com/archives/20180602_670856.html


眞子さまがお忍びで1泊2日の箱根“女子旅”へ
2018.06.06 16:00
秋篠宮家の長女・眞子さま(26才)が6月上旬、箱根温泉で“女子旅”を楽しまれていた──。
梅雨の季節が迫る神奈川・箱根は、間もなく見頃を迎える紫陽花(あじさい)に彩られていた。
家族連れや年配の夫婦、大きなリュックを背負った外国人観光客に交じって、
若い女性4人のグループは少しだけ目立って見えた。
目的地までの道順を確認しているのか、1人が手に持ったガイドブックに全員で目を落とす。
別の1人がスマホを操作し、やがてぞろぞろと歩き出す。
少し不安そうなのは、今いち道がはっきりしないからだろうか。
でも、小学校の頃から一緒だった女子の4人旅では、ちょっとくらいの失敗は笑い話に変わる。
そして、親友たちとの間なら“恋のつまずき”だっていい思い出話になるはず。
江戸時代の五街道の1つ「東海道」に沿った箱根温泉は、時の将軍にも献上されたほどの歴史ある名湯だ。
以降、箱根の地は、「心身を癒す場所」として多くの人に親しまれてきた。
新宿から小田急ロマンスカーで約1時間半。
都心の喧騒から離れたその場所に、6月最初の週末、眞子さまがお忍びで足を運ばれた。
「1泊2日の『女子旅』だったそうです。学習院初等科から女子高等科まで同級生だった親友3人と一緒の4人旅行。
高等科時代には、スキー部や茶道部でご一緒だったそうです。
眞子さまは学習院大学ではなく国際基督教大学(ICU)に進学されましたが、
以降も頻繁に連絡を取り合われていたと聞きます」(宮内庁関係者)
眞子さまと小室圭さんの結婚延期が発表されてから、4か月が過ぎた。
うら若き眞子さまにとって、心に決めた相手との将来に暗雲が垂れ込めたままの日々は、
耐えがたいものだったに違いない。
《皇后さまは、(中略)眞子さまや秋篠宮両殿下の周辺で、
静かな熟考のために保たれるべき環境に思いも寄らない様々な雑音が立てられていることを驚き、
悲しんでおられ、陛下もまたそのことに深くお心を痛めておられます》
5月25日には、宮内庁が《眞子内親王殿下に関する最近の週刊誌報道について》という
異例の声明を発表するにまで至った。
眞子さまにとっても、自身の結婚が最愛の祖母に心労を強いてしまったことは不本意だったことだろう。
だが、箱根での眞子さまは、そういった現状をまったく感じさせないほど明るい表情を見せられていた。
2日土曜日のお昼頃に箱根の玄関口「箱根湯本」に到着。当地を観光して1泊され、
翌3日の夕方4時前、小田急線と箱根登山鉄道の利用客で混み合う箱根湯本駅のホームに、
眞子さまたちは立たれていた。黒いキャリーケースを引かれた眞子さまは、
黒のフレンチスリーブのカットソーに、裾にゴールドのラインの入ったグラデーションがかったスカートを合わせ、
歩くたびにふわりと浮き上がる。ワンサイドに流したロングヘアから、時折大ぶりなイヤリングがのぞいていた。
◆「ご一緒の旅行はかなり珍しいことです」
箱根登山鉄道の駅名看板の前では、3つしかない駅員の制帽を4人の誰が被るかでキャッキャッと笑い声を上げ、
順番に何度も撮影タイム。売店に足を運べば、土産物や記念グッズを手に取りまた笑顔を浮かべる。
東京に向かうロマンスカーの車内では、2人がけのシートを後ろ向きに回転させ、
4人だけの旅の終わりの時間を過ごしていた。
ある宮内庁関係者が明かす。
「その年頃の女性にとってみれば友人との週末1泊旅行はありふれたことかもしれませんが、
眞子さまがお友達とご一緒に旅行されるというのは、かなり珍しいことです。修学旅行や部活動の合宿などを除くと、
大学時代に沖縄のお友達のところに遊びに行かれたというのを聞いたことがある程度です。
まして、小室さんとの結婚問題が事実上棚上げとなっている状態で、
しかも6月4日から秋篠宮ご夫妻が公務のためハワイに旅立たれる直前というタイミングで
“外泊許可”が出たというのは、眞子さまとご夫妻の間で、何かしらの“進展”があったのではないでしょうか」
眞子さまが女子旅から帰京された翌4日朝7時過ぎ、小室さんの自宅から、
まず大きなゴミ袋を抱えた佳代さんが、続いて小室さんが姿を見せた。
すでに高い位置にある太陽の光に目を細めながら、2人並んで最寄り駅に向かう。
駅が近づき人通りが多くなると、小室さんはマスクを、佳代さんはサングラスをかけた。
身動きが取れないほどではないが、少し混み合う電車に乗り、横並びでつり革につかまる。
途中、佳代さんの前の席が空く。小室さんが座るよう促すが、佳代さんはそれを拒否し、
「圭ちゃんが座りなさい」と言わんばかりに目配せし、小室さんが腰を下ろした。
「当初は美談のように語られた母子関係も、ここまでの密着度には首を傾げる声も多く聞かれます。
秋篠宮さまは、延期に伴って警備費用が膨れあがることなどを大変気に掛けられているようで、
頻繁にタクシーを利用したりする小室さんと佳代さんの収入に見合わない金銭感覚に、
眞子さまも疑問を持たれることもあったそうです。
小室さんへのお気持ちが燃え上がっていた頃から、
少しずつ、冷静な視点を取り戻せるようになってきたのでしょう」(前出・宮内庁関係者)
帰京するロマンスカーの車内で、眞子さまは過ぎ去っていく車窓の風景にどんな思いを重ねられていたのだろう。
※女性セブン2018年6月21日号
https://www.news-postseven.com/archives/20180606_692290.html

英国留学の愛子さま、飛行機はお友達とご一緒にエコノミー
2018.06.08 07:00
「5月末に行われた1学期の中間テストも全教科受けられました。
最近は欠席もなく、毎日お元気に登校されていると聞きます」
宮内庁関係者は、愛子さまの近況をそう明かす。現在、愛子さまは学習院女子高等科の2年生。
この夏、愛子さまは学校の短期留学プログラムを利用して、7月中旬から8月上旬までの約3週間、
英ロンドンの名門・イートン校で学ばれるという。
愛子さまにとっては、2006年、4才の時に雅子さまの療養に同行されたオランダ以来の海外訪問になる。
イギリス王室に詳しいジャーナリストの多賀幹子氏が解説する。
「イートン校は1440年に英国王ヘンリー6世が創設した寄宿制の男子校です。
ウイリアム王子やヘンリー王子のほか、ロイヤルファミリーや貴族の子息も多く通い、
エリザベス女王の住むウィンザー城も目と鼻の先です。
私が以前訪れたときには、イケメン生徒ばかりなことに驚かされました(笑い)。
愛子さまの留学時は夏休みですが、クラブ活動などのために学校に留まる生徒も多く、
“ジェントルマンの卵たち”が愛子さまを迎えるはずです」
プログラムは学習院女子の中3、高2、高3の希望者が対象で、参加者は毎年約40名。
費用は60万円ほどで、現地滞在中には、午前中にグループワークを通して
イギリスの歴史や文化を英語で学び、午後には大英博物館やストーンヘンジ、
バッキンガム宮殿などに実際に足を運んでフィールドワークを行ったり、
スポーツやゲームなどのアクティビティーを楽しむという。
「滞在中は寮生活を送ります。愛子さまも、同級生4〜6人と同室で生活されることになります。
寮では洗濯や掃除もすべて自分たちでやらなければなりません。
愛子さまにとっては新鮮な経験になるのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)
宮内庁職員の同行も必要最小限の人員に限られるという。
「往復の航空機は、お友達とご一緒にエコノミークラスに搭乗される予定です。
一般人が愛子さまと同じ飛行機に乗り合わせることになると思います。
皇族方は戸籍を持たないため、愛子さまは『外交旅券』という1往復限りの特別なパスポートを取得されます。
お名前の欄には、アルファベットで〈プリンセス アイコ〉と綴られるそうです」(前出・宮内庁関係者)
来年5月には、愛子さまは「天皇の娘」となられる。あくまで学問のための訪問とはいえ、
イギリス王室としても、そんな立場の愛子さまが自国を訪問されていながら
“ノータッチ”というわけにはいかないだろう。
「留学プログラムに支障のない範囲で、イギリス王室からお茶やお食事へのお招きを受けられるかもしれません。
愛子さまは『天皇の孫』ですから、王室でのカウンターパートはエリザベス女王の孫に当たるウイリアム王子やヘンリー王子です。
ご夫妻でそろって歓待されるかもしれません。愛子さまの英語力は相当なものだと聞きますから、
初めての『皇室外交』を滞りなく果たされることでしょう」(皇室ジャーナリスト)
愛子さまにとって、一生忘れられない夏がやってくる。
※女性セブン2018年6月21日号
https://www.news-postseven.com/archives/20180608_692899.html

雅子さま、ご成婚25周年で会見を開かれなかった本当の理由
2018.06.15 16:00
降りしきる大粒の雨が地面を叩き、マントの肩には水染みが広がっていく。
海から吹きつける冷たい風は、温度計の18℃という数字よりも格段に寒さを感じさせた。
それでも、天皇皇后両陛下は、手向けられた白菊の花束の前で、静かに祈りを捧げられた。
6月11日、両陛下は東日本大震災で大きな被害を受けた福島県相馬市に足を運ばれた。
2泊3日の最終日となったその朝、美智子さまは38度を超える高熱に襲われていた。
「初日は25℃近い汗ばむほどの陽気だったのに、2日目に屋外で行われた全国植樹祭の式典では、
小雨の中、16℃前後まで一気に冷え込みました。
ご体調不良を受け、最終日は一部の予定をキャンセルすることも検討されたそうですが、
美智子さまの強い要望もあり、すべてにお出ましになりました。
大変おつらそうな様子でしたが、帰京のため福島駅に到着されたときにも、
集まった地元住民に傘を差さずに手を振られ、別れを惜しまれていました」(皇室記者)
来年4月末の退位を前に、天皇皇后としての最後の被災地訪問となる見通しだっただけに、
これまで「祈りの旅」に全身全霊をかけてきた美智子さまの思いも一層強かった。
両陛下が福島に到着された6月9日は、皇太子ご夫妻にとっても特別な日だった。
1993年のご成婚から25年、ご夫妻は「銀婚式」を迎えられた。
《天皇皇后両陛下のご成婚25周年の折に、陛下に皇后様が差し上げられた「感謝状」という言葉以上に
私の気持ちに相応しい答えが見つかりませんので、このお答えに私も倣わせていただいて、
皇太子殿下にも「感謝状」を差し上げてもよろしいものでしょうか…》
雅子さまは、25年という年月をともに歩まれた皇太子さまへの思いを、「文書」にそう綴られた。
「記念すべき節目ですから、宮内記者会は、おふたり揃っての『記者会見』を要望していました。
来年5月の御代がわりを迎え皇后となられれば、記者会見は避けては通れません。
宮内庁側も、会見の可能性を最後まで模索したそうです」(宮内庁関係者)

◆皇室に存在する絶対的序列
雅子さまの会見は、2002年12月の誕生日などの会見が最後で、実に15年以上前だ。
翌年の誕生日直前に帯状疱疹を発症し、その後長きにわたる適応障害の
療養生活に入られてからは、一度も開かれていない。
そもそも、記者団に囲まれること自体、大変な緊張を強いられる。
加えて雅子さまの場合、過去の会見で言葉尻を取られ、かまびすしい批判が向けられたことがあった。
今年4月、『女性自身』が《銀婚式「会見」を断固拒否で宮内庁&記者クラブと冷戦再び!》という見出しで、
雅子さまがそうした「トラウマ」を理由に、会見を開かれないと報じた。
たしかに、記者会見は行われなかったが、その理由はまったく別のものだ。
「ご夫妻の結婚記念日と、両陛下の『最後の被災地訪問』の日程が重なっていたことが本当の理由です。
16年ぶりに雅子さまの会見が開かれたとなれば、各メディアはその報道で一色になり、
両陛下の地方公務への関心が低くなってしまいかねません。
皇室内には絶対的な序列が存在します。それは、一般の人が考えるような『上下関係』よりも重要視されるものです。
両陛下の、しかも最後となる被災地訪問の“裏”で、会見を開くわけにはいかなかったんです。
今回、文書回答が報道陣に届けられたのは、結婚記念日前日の15時頃。
療養期間中、雅子さまの誕生日文書などは、発表予定時刻からずるずる遅れ、夜遅くなることも頻繁にありました。
それだけ、文書回答とはいえお考えを出すのはかなりデリケートなこと。
今回、例を見ないほど早かったというのは、それだけの余裕があったということです。
実際には、雅子さまは会見を行うのに充分な気力も体力も快復されているのではないでしょうか。
両陛下との“バッティング”がなければ、会見も実現していたように思われます」(前出・宮内庁関係者)
※女性セブン2018年6月28日号
https://www.news-postseven.com/archives/20180615_698716.html

雅子さま、小和田家の両親帰国と妹の離婚で囁かれる不安
2018.06.22 16:00
ほとんどの人にとって、「実家」は心安まる場所だろう。
それは、来年皇后となることを控えられた雅子さま(54才)も決して例外ではない。
長く海外生活を続けていた両親の帰国に、しかし不安を覚える声も聞こえてきて──。
東京・元赤坂にある赤坂御用地には、大小合わせて6つの門がある。
北西に位置する明治記念館に面した場所にあるのが、東宮御所正門だ。
6月17日の夕方6時少し前、その門を通って続々と車が御用地内に入っていった。
そして6時半過ぎ、天皇皇后両陛下を乗せた車も、静かに到着した。
その夜、皇太子ご一家のお住まいである東宮御所で、皇太子ご夫妻の「銀婚式」を祝う内宴が執り行われた。
「参加されたのは、両陛下をはじめ皇族方や元皇族など50名ほど。
食事はホテルオークラのケータリングで、ご夫妻への祝福の言葉のほか、
先日イギリス留学から帰国されたばかりの佳子さまの現地での生活ぶりも、話題にあがったようです。
愛子さまは、周囲のお話にニコニコと笑顔で相づちを打たれていたそうです。
食事中は宮内庁の楽部が音楽を演奏し、食後にはご夫妻と以前から交流のある
ピアニストとバイオリニストが登場したといいます」(皇室ジャーナリスト)
内宴の食事メニューや催しなどは、ホスト役の雅子さまが中心になって決められたというから、
好調ぶりが伝わってくる。来年5月に皇后となられる日に向けて、雅子さまは着々と準備を進められている。
それは、雅子さまの周囲にとっても同様だ。
6月7日、雅子さまの父・小和田恆氏が、オランダ・ハーグにある国際司法裁判所の判事を退任した。
「2021年までの任期を残しての、途中退任です。85才という高齢であることに加えて、
雅子さまが皇后となられたときのことを考慮しての判断だったようです。
先立って今年2月に、安倍晋三首相に退任の意向を伝えました」(政治ジャーナリスト)
小和田氏が判事に任命されたのは2003年。2009年には同裁判所の所長になった。
2012年の所長退任後にも判事を継続し、ハーグを拠点にした生活を続けた。
もちろん、年末年始などには一時帰国していたが、
今回判事を退任し、日本に戻ってくることになれば、およそ15年ぶりのことだ。
だが、小和田氏と優美子さん夫妻の帰国に、一抹の不安を漏らす声がある。宮内庁関係者が明かす。
「外交官だった小和田氏とともに、雅子さまは幼少の頃から当時のソ連やスイスでの海外生活を送られました。
周囲に日本人が少なかったということもあるのでしょうが、雅子さまと小和田夫妻の結びつきは強かった。
『仲のいい家族』という程度ならよかったのですが、雅子さまが皇室に嫁がれてから、
その固い絆がマイナス方向に見られることがありました。
小和田夫妻の帰国によって、それが再び起こってしまうのではと危惧されているのです」
◆雅子さまがこぼされた「私の実家では…」
雅子さまは、1986年に皇太子さまと運命の出会いを果たされ、1993年に皇室に嫁がれた。
「皇太子さまからのプロポーズを“住む世界が違いすぎて、自信がありません”と一度断られたほど、
雅子さまは不安を抱えられていました。民間初の皇太子妃として嫁がれた美智子さまは、
かつてつらい思いをされました。雅子さまに同じ経験をさせてはならないと、
雅子さまと実家との専用電話も設置され、優美子さんはマイカーで荷物を運び込んだりと、
当時の東宮仮御所を頻繁に訪れていました」(ベテラン皇室記者)
心細い思いはさせたくないという美智子さまの配慮だったのだろう。だが、それが思わぬ批判を呼んでしまう。
「結婚後2か月で、優美子さんが雅子さまの元を訪ねたのは十数回に及びました。
雅子さまと実家との距離感が近すぎて、“嫁いだという自覚があるのか”という批判が起こりました。
雅子さまが、“私の実家では…”と、皇室のやり方に異を唱える場面も何度もあったといいます。
皇室のやり方になじむことは、小和田家のやり方を否定されるようにお感じになっていたのでしょうか。
美智子さまが嫁がれた際に正田夫妻が“娘は皇室に差し上げた”と話したことを引き合いに出し、
小和田夫妻へのバッシングにも繋がりました」(前出・ベテラン皇室記者)
2001年12月に雅子さまが愛子さまを出産された際には、
小和田夫妻が、両陛下に先んじて病院を訪れたということもあった。
2004年3月、前年末から体調を崩されていた雅子さまは愛子さまを連れ、
長野県軽井沢町にある小和田家の別荘での療養に入られた。
「民間の別荘に皇太子妃が滞在するのは、警備上の問題がありました。
また、皇太子さまがお見舞いに行かれることに“小和田家は皇太子殿下を呼びつけるのか”という
批判まであがりましたが、別荘での療養は続けられました」(前出・ベテラン皇室記者)
雅子さまが適応障害の療養生活に入られたのと前後して、小和田夫妻はオランダに渡った。
それから長い時間をかけ、雅子さまは快復のステップを歩まれてきた。
その間は、年に数度、顔を合わす機会があった程度だ。
冒頭の内宴には、陛下の妹にあたる島津貴子さんや、紀子さまの両親・川嶋夫妻らも参加した。
雅子さまの双子の妹である礼子さんと節子さんの姿もあった。
幼少の雅子さまは、妹たちの面倒を進んで買って出られるほど、礼子さんと節子さんとは「仲よし姉妹」だった。
療養中には、雅子さまの支えになるべく“お世話係である女官に礼子さんを据えるべきだ”という意見が出たこともあった。
「昨年、節子さんは19年連れ添った男性と離婚しました。
子供もおらず、現在は目黒区内の雅子さまのご実家でひとり暮らしです。
今後、皇后としての重圧や負担の増す雅子さまのために、
今度は“節子さんを側近に”という意見が出てもおかしくありません。
小和田夫妻の帰国と、妹の側近化が、小和田家にとっても
20年前の批判の汚名を返上する機会と考えているかもしれません。しかし、せっかく“実家離れ”をされたのに、
再びかつてのようなマイナスの結びつきになってしまわないかと不安が囁かれているんです」(前出・宮内庁関係者)
だが、別の宮内庁関係者はそれを否定する。
「雅子さまは確かに、小和田家の娘としてふさわしく育てられてきました。
そこから離れられ、『皇族』となられるには時間もかかったでしょう。
しかし今や、次期皇后で、ご自覚も以前とは比べものにならないほど強くなっています。
一時の登校不安などから愛子さまが脱却されたのも大きく、それに何よりも、雅子さまには皇太子さまがいらっしゃいます。
そうした心配は杞憂に終わるでしょう」
銀婚式に際しての文書回答で、雅子さまは25年後の金婚式の「金メダル」を目標に掲げられた。
これからも、ご夫妻は共に手をたずさえて歩みを進められていく。
※女性セブン2018年7月5日号
https://www.news-postseven.com/archives/20180622_703789.html

雅子妃「ぎっくり腰」で茶会欠席が当日まで決まらなかった事情
2018.07.03 16:00
「雅子さまが座るはずだった席だけがぽっかり空いたままで、不在が強く印象に残る会になりました」(皇室記者)
6月25日、優れた業績を上げた研究者に贈られる日本学士院賞の授賞式が開かれた。
その夜、皇居宮殿の晩餐会場「連翠(れんすい)」で、受賞者を招き、天皇・皇后主催の茶会が開催されたのだが、
皇太子の隣は空席のままだった。
出席予定だった雅子妃が、急遽欠席することとなったからだ。
「1週間ほど前に患ったぎっくり腰が理由ですが、宮内庁の記者クラブに欠席が伝えられたのは、当日の昼すぎでした。
その直前までご出席が検討されていたようです」(同前)
茶会は3〜4人の受賞者が丸テーブルに座り、それぞれのテーブルに用意された2脚の椅子に
天皇・皇后、皇太子夫妻、秋篠宮夫妻らが順々に入れ替わって座り、受賞者と歓談しながら食事する段取りとなっていた。
雅子妃が立ったり座ったりを繰り返すのは難しいという判断だったようだが、もっと早く欠席の発表はできなかったのだろうか。
「雅子さまは昨年8月に『フローレンス・ナイチンゲール記章授与式』に14年ぶりに出席され、
今年5月の『全国赤十字大会』にも15年ぶりに列席されました。
今回の茶会にご出席されていれば15年ぶりのこと。宮内庁としては、
皇后陛下がとりわけ大事にされてきた3つの行事に雅子さまがお出ましになれば、快復されていることを国民に示し、
来年の代替わりへの期待感が高まるという思惑があったのでしょう。
だからギリギリまでご出席の可能性を模索していたのではないか」(皇室ジャーナリスト)
「皇太子妃」としての公務は残り少なくなってきた雅子妃。10か月後に控える皇后即位まで立場の重みは増していく。
※週刊ポスト2018年7月13日号
https://www.news-postseven.com/archives/20180703_711691.html

ぎっくり腰を患われた雅子妃、いまだ改善されない“昼夜逆転”のお暮らし 来年の公務激増に懸念
社会週刊新潮 2018年7月5日号掲載
このまま10カ月で「新皇后」――。先ごろ宮内庁は、雅子妃が「ぎっくり腰」を患われたと発表した。
一方、かねて指摘されていた「昼夜逆転」生活は、いまだ改善されていないという。
6月9日にご結婚25周年を迎えた皇太子ご夫妻。17日には、両陛下をはじめ元皇族の方々まで招き、
東宮御所で盛大な内宴が催されたという。
アクシデントは、その直後に起きていた。さる宮内庁担当記者が言う。
「6月22日に行われた小田野展丈・東宮大夫の定例会見で、雅子さまが数日前から腰に痛みがあり
『腰椎ねんざ』と診断されたことが明かされたのです」
すなわち、ぎっくり腰のことである。
「大夫によれば、痛みを感じられたのは内宴のあった17日以降だといい、日常生活に差し障りはないものの、
車での移動や立ったり座ったりの動作には痛みが伴い、不自由を感じておられるとのこと。
その原因として、5月の滋賀県でのご公務や、ご結婚25周年の行事でのお疲れを挙げていましたが、
結論としては『それが直結しているかは分からない』と言うばかりでした」(同)
ご存知のようにぎっくり腰は、誰もが日常生活のふとした拍子に襲われる危険をはらんでおり、
巷ではさほど深刻な症状とは見なされていない。が、新皇后になられるお立場とあっては、決して等閑視できまい。
現に雅子妃におかれては、25日に皇居・宮殿で催された日本学士院賞受賞者を招いた茶会へのご出席が
叶わなくなるという「実害」も生じているのだ。

「昼夜逆転」の暮らし
あいちせぼね病院の伊藤全哉院長が言う。
「ぎっくり腰は、くしゃみや掃除機の操作など、ささいなことで腰に力がかかって誘発される場合があります。
腰回りの筋肉に無理な力がかかり、筋肉や筋膜がちぎれる肉離れを起こし、痛みに繋がる。
加齢で筋力が衰えた40〜50代、中でも力の弱い女性の方が、かかりやすい傾向にあります」
主な要因としては、
「まずストレスです。緊張状態になって血管が収縮すると血液循環が悪くなり、腰に疲労が溜まります。
さらに、生活リズムが不規則な方も要注意。睡眠時には腰の筋肉が緩んで休息できますが、
リズムがまちまちだと、どうしてもその休息が不十分になりがちです。そして、太っている方も危ない。
同じようなサイズの背骨ならば当然、体重が重い方が、支えるための負担が大きくなるからです」(同)
ここで思い起こされるのは、かねてより雅子妃の“習わし”となってきたライフスタイルである。
お住まいの東宮御所では、数年前から生活サイクルが著しく崩壊し、
いわば「昼夜逆転」の暮らしを送られていると報じられてきたのだが、「実は、その生活は現在でも変わっておりません」
そう明かすのは、さる宮内庁関係者である。
「そもそもこの問題は、愛子さまが学習院初等科に通われていた時期に遡ります。2年生の終わり頃、
いわゆる『不登校騒動』が持ち上がり、皇太子殿下や雅子妃殿下はおよそ1年半にわたり、
愛子さまのご登校にお付添いなさってきました。ですが、その問題も4年生の中頃にはほぼ解消され、
妃殿下のお付添いも終了。つまりは愛子さまに合わせて早朝に起床なさる必要がなくなったのです」
毎朝のお役目から解放された結果、リズムを崩してしまわれたのだという。
「以前から妃殿下は、殿下や愛子さまとは朝食をご一緒なさらず、お一人だけ遅れて召し上がるのが日常でした。
現在でもお出ましのない日は、まずお昼前に起床、午前11時頃に最初のお食事を摂られ、
2度目となる『ご昼食』は夕刻を過ぎてからとなる。その時間帯は、
ともすれば殿下や愛子さまのご夕食時間と重なることもあるのです」(同)

「アジャスト」は数日前から
そのスタイルは、今なお続いているといい、
「数年前に比べ、妃殿下のお出ましは目に見えて増えていますが、基本的にこのサイクルは変わっていません。
現在は、ご公務の日に照準を合わせ、ご体調をアジャストさせるよう数日前から生活時間を修正なさるなど、
準備に入られます。そして、1つのご公務が終わると大きな疲れが残り、次のお出ましまで、
また元のパターンに戻ってしまう。これが『ご体調の波』と表される状態なのです」(同)
いきおい、就寝時間もずれ込んでしまうのだが、
「日付が変わって深夜1時頃から食事をお召しになることもしばしばです。つまりは、その日の『ご夕食』となるのですが、
こうしたサイクルはすっかり妃殿下のお体に沁み込んでしまっています」(同)
先の伊藤院長の話に当てはめれば、ストレスや不規則な生活、それにともなう深夜の過食――。
ぎっくり腰の要因を十分に満たしているではないか。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏が言う。
「ぎっくり腰になられたことで、雅子さまのご公務が再び滞ってしまうのではないかと懸念しています。
来年、皇后陛下となられてからは、さらにご公務をなさっていかねばならないのに、その妨げとなってしまうかもしれません」
現在、皇后さまのご公務の数は年間でざっと340件。対して雅子妃は約60件と、差は歴然。その上で、
「昼夜逆転が続いているのは、適応障害が全快しないことが大きな原因だと思います。
皇后になられるまでの時間は限られており、いかに病気と向き合われるのか決断なさらないといけません。
それには、ご病状やご公務について自らの言葉でお話しし、世間の理解を求めるのがよろしいかと思います。
また、14年間かけても治療に成果がみられないのですから、皇后になられる前に主治医を替えるなど、
治療体制を見直すべきではないでしょうか」(同)
お立場は、より重くなる一方なのだ。
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/07070800/?all=1

雅子妃、朝まで寝つけず「真夜中のご散策」… ご欠席がちになった「愛子さま」とのシンクロ
社会週刊新潮 2018年7月5日号掲載
腰椎ねんざ、つまり「ぎっくり腰」を患われ、雅子妃は6月25日に皇居・宮殿の催しをご欠席された。
あいちせぼね病院の伊藤全哉院長は、主な要因のひとつに“不規則な生活リズム”があると解説する。
「睡眠時には腰の筋肉が緩んで休息できますが、リズムがまちまちだと、どうしてもその休息が不十分になりがちです」
かねてより雅子妃の生活リズムが崩壊していることは報じられているが、
「昼夜逆転」のお暮らしは今も変わらないという。
お昼前に起床され、午前11時に最初のお食事、夕刻に“ご昼食”となるというリズムにあっては、
「日付が変わって深夜1時頃から食事をお召しになることもしばしばです。
つまりは、その日の『ご夕食』となるのですが、こうしたサイクルは
すっかり妃殿下のお体に沁み込んでしまっています」(宮内庁関係者)
宵っ張りのお暮らしは、やはり安らかな眠りとは縁遠いようで、これまで皇太子ご夫妻のご動静として
“ジョギングやご散策”は知られてきたのだが、
「実は妃殿下は、深夜によく赤坂御用地を散策されています。朝が遅い分、
なかなかお休みになれないのでしょうが、決して好ましい状態とは言えません」(同)

愛子さまご欠席の懸念
合わせて気がかりなのは、愛子さまのご体調である。中等科3年生だった2016年秋には激しくお痩せになり、
長らく学校を休まれていたのは記憶に新しい。その後いったん回復されたものの、
昨年、高等科に進学した直後のGW前後には再び長期欠席なさるなど、危うげなご様子が続いてきた。
さる宮内庁担当記者は、
「今年5月下旬の中間テストは、無事、全科目お受けになっています」
というのだが、ほどなく予期せぬ事態が。
「6月2日、女子高等科は他校と運動部定期戦を行ないました。愛子さまも参加なさったのですが、
日曜を挟んで4日の月曜、愛子さまは午前中の授業を欠席され、午後からのご登校となったのです。
続けて翌日の5日は、まる一日ご欠席。宮内庁に尋ねても
『(定期戦当日は)暑かったのでお疲れになった』と、要領を得ないままでした」(同)
さらには、
「東宮大夫によれば、6月21、22日の2日間も『お咳や37度台前半の熱があったため、
大事を取ってお休みした』という。実際の程度はわかりませんが、お体だけでなく、
お気持ちの面でも不安定な部分が残っているのが窺えます」(同)
愛子さまは今夏、学校のプログラムを利用して英国の名門・イートン校へ短期留学されるご予定。
が、これでは、不安が募るばかりである。

シンクロする母娘のご体調
精神科医の片田珠美氏に聞くと、
「社会的に望ましい時間に入眠できず、午前中に起床しても眠気や疲労を感じて仕事が困難な症状を
『睡眠相後退症候群』と言います。ご公務が終わるとまた元に戻ってしまうというのは、
雅子さまご自身に症状を治そうというご意思があるのか疑問です。
人間は朝日を浴びて16時間で眠くなります。生活リズムを整えるためには、ご散策は朝方になさればよいかと思います」
また愛子さまについても、
「ご自分が登校する時間になってもまだ寝ておられるお母さまの姿をご覧になって、
『私だって少し休んでもいいのでは』と思われるようになったのではないでしょうか」
これまでたびたび指摘されてきた通り、母娘のご体調は見事に「シンクロ」しているというわけだ。
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/07080800/?all=1&page=1

ボブスタイルになった愛子さま 英国留学はエコノミーでご出発
2018.07.27 16:00
夏休みが始まった羽田空港の国際線ロビーは、
蒸し暑い日本を脱出しようとする家族連れで、早朝から混み合っていた。
7月22日午前中、そんな雑踏の中に、学習院女子高等科の同級生たちと並んで、
ワインレッドの大きなトランクケースを引く愛子さまの姿があった。
エメラルドグリーンのトップスに黒のパンツ、グレーのスニーカー。
ひときわ目を引いたのは、きれいに櫛を入れられたボブスタイルだった。
「2日前の終業式のときは、ポニーテールで結んでも肩甲骨まで届くほど長かった髪を、
毛先がようやく肩につく短さにカットされ、前髪もパツンと切り揃えられていました。
出発の前日にカットされたようです」(皇室記者)
愛子さまは学校の留学プログラムとして、イギリスの名門イートン校で約3週間、夏期研修を受けられる。
おひとりで海外に滞在されるのは初めてのことだ。
「愛子さまの訪英は、現地メディアでも報じられ、注目されています。
イギリス王室としても、来年5月に“天皇の娘”となられる愛子さまに歓迎ムードが高まっているようです。
研修プログラムに支障のない範囲で、エリザベス女王の孫に当たるウイリアム王子・キャサリン妃夫妻、
ヘンリー王子・メーガン妃夫妻から、お茶やお食事のお招きがあるかもしれません。
イートン校はそもそも2人の王子の出身校でもありますから。
愛子さまが髪を整えられたのも、そうした“孫外交”に備えてのお心遣いだったのかもしれません」
(皇室ジャーナリスト)
愛子さまの今回の留学は、公務ではなく、あくまで学校行事という位置づけだ。
「飛行機はエコノミークラス。男性の侍従はお供せず、60代の東宮女官と20代の出仕の2人だけが付いていきました。
とはいえ、2人は皇太子ご夫妻との連絡係というスタンスで、留学中、愛子さまにぴったり張り付くことはなく、
宿泊する建物も別になるそうです。ほかの生徒と助け合いながら生活する愛子さまを、
適度な距離を置いて見守りながら過ごす予定です」(宮内庁関係者)
愛子さまは、この留学を心待ちにしてこられたようだ。
「英語の勉強に熱心に取り組まれ、家庭教師とだけでなく、
皇太子ご夫妻とも英語で日常会話をされることもあったそうです。
海外からの賓客とも直接、積極的にコミュニケーションを取ってこられて、準備は万端でしょう」(学習院関係者)
雅子さまも、新しいチャレンジをする愛娘を、ほどよい距離感で見守られている。
「3週間もの長い期間を離れて過ごされるのは初めてのことのようですが、
雅子さまは愛子さまを空港まで送ることはせず、お住まいの東宮御所で見送られました。
皇后となるべく準備を進められる雅子さまとしては、子育ては一段落とお考えかもしれません」
(前出・皇室ジャーナリスト)
愛子さまの留学先であるイギリスは、皇太子ご夫妻にとってもゆかりのある土地だ。
「皇太子さまも雅子さまも、英オックスフォード大学に留学経験があります。
皇太子さまはその折、イートン校を訪問されて、校長先生とお話しされたそうです。
おふたりはそうしたことも愛子さまに話して聞かせているそうです。
海外で学ぶことの重要性を身をもって理解されているご両親ですから、
今回の夏期研修をきっかけに愛子さまには海外の名門大学への進学も考えられるかもしれません」(宮内庁担当記者)
平成最後の夏は、愛子さまにとって、新たなチャレンジの夏になりそうだ。
※女性セブン2018年8月9日号
https://www.news-postseven.com/archives/20180727_727600.html?PAGE=1#container

安倍首相、皇太子の背後に「反安倍派」が見え隠れで懸念
2018.08.16 07:00
自民党総裁選3選後に本格的に「憲法改正」に乗り出すとみられている安倍晋三・首相だが、
内心気を揉んでいるのが、「次の天皇である皇太子の憲法観」だという。
今上天皇は「平和への強い思い」を語り、憲法を守る姿勢を見せてきた。
そのため、「代替わりによって改正論議に弾みがつく」(安倍側近)と見る向きもあるが、
皇太子も今上天皇のそうした「平和への思い」を受け継いでいるだけに
状況は変わらないとみる宮内庁関係者は多い。
安倍首相は天皇には「内奏」と呼ばれる国政報告を行ない不定期に面会しているのに対し、
皇太子とはほとんど接点がない。
「ご進講など、安倍首相が皇太子と会われた記録はない」(宮内庁広報課)という。
加えて、皇太子の“ある人脈”を首相は警戒しているようだ。政治ジャーナリスト・野上忠興氏が話す。
「皇太子妃・雅子さまの父で元国際司法裁判所所長の小和田恆氏は、
安倍政権を痛烈に批判している元首相・福田康夫氏と一緒にスキーに行くほど仲がいい。
安倍首相にすれば、“反安倍派”の存在が皇太子の後ろに見え隠れすることに懸念を覚えているようです」
※週刊ポスト2018年8月17・24日号
https://www.news-postseven.com/archives/20180816_735277.html

雅子さま笑顔のハプニング 愛子さま拾われたのは…納豆タレ袋
記事投稿日:2018/08/24 16:00 最終更新日:2018/08/24 16:00
お盆の最後の日となった8月16日、静岡県にある伊豆急下田駅は活気にあふれていた。
須崎御用邸でのご静養のために、駅に到着された皇太子ご一家をお出迎えしようと
集まった地元住民や観光客は230人ほどもいたという。
皇太子ご夫妻そして愛子さまは、例年以上に一人ひとりと時間をかけ、お話しをされていた。
そのなかの1人が高校2年生の女子生徒だった。田園調布雙葉高校に通う彼女は、雅子さまの“後輩”にあたる。
「現在の校長先生は雅子さまの先輩にあたります。雅子さまはそのお話をされていました。
愛子さまは私がデンフタの2年生であることをお聞きになると、
『○○ちゃんはご存じですか?』と話しかけてこられました。
私が知っていますと答えると、『幼馴染なんです』と、おっしゃっていました。
ニュースでも、これまで愛子さまがお話しされている姿は見たことがなかったのですが、
とても優しくてお話ししやすかったです」
駅構内での語らいは、雅子さまと愛子さまが交互に話しかけられることで、
いつも以上に盛り上がり、微笑みに満ちたひとときとなった。
「例年では下田駅のおふれあいは10分ほどなのですが、この日は25分にも及びました。
皇后になられるまで、8カ月あまり。雅子さまも“これまで以上に国民と親しんでいきたい”と、
お考えになったのでしょうか。そんなお気持ちを、愛子さまも察せられ、
さりげなくフォローされていたようにも見えました」(皇室ジャーナリスト)
笑いに満ちた“母娘トーク”は、駅構内ばかりではなかった。
この日、須崎御用邸近くの三井浜では16年ぶりに取材が設定された。
愛子さまが海辺で拾われた貝について語り合われるご一家のお姿も報じられたが、
愛子さまは意外なものも拾われていたのだ。宮内庁関係者は言う。
「ゴミでした。納豆のパックに入っているタレの小袋もひそかに浜で拾っていらしたのです。
それを取材陣にすっとお見せになったのですが、愛子さまの思わぬ行動に、現場で大きな笑いが起きたのです」
雅子さまと愛子さまは、タレの袋について、こんな会話を交わされたという。
雅子さま (袋の中身が)固まってますね。
愛子さま ちょっと待ってください。これ(袋が)開いてます。
雅子さま (中身は)砂なんですね。賞味期限切れでしたね(笑)。
前出の関係者が続ける。
「取材会は10分ほどでしたが、ゴミを巡っての雅子さまと愛子さまのユーモラスな会話に、
居合わせた人々は、ほのぼのとした気持ちになったそうです」
雅子さまと愛子さまの公開“母娘トーク”、ぜひ今後も続けていただきたい。
https://jisin.jp/domestic/1658419/

皇太子さまのフランス訪問 雅子さまがご同行断念された理由
最終更新日:2018/09/13 16:00
髪をアップにされ、白いスーツをお召しになった雅子さまがお見送りの言葉をかけられると、
皇太子さまも晴れやかなご表情をお見せになった。
9月7日の朝に出発された皇太子さまは、15日までの日程でフランスを訪問されている。
「フランス政府から皇太子ご夫妻に招待があった公式訪問です。
4月には、雅子さまも同行されるという報道があり周囲の期待も高まったのですが、実際にはまだ検討段階でした。
9日間にわたる長丁場であり、ご滞在中も行事や交流会が目白押しの過密スケジュールということで、
最終的に雅子さまのご同行は断念せざるをえなくなりました」(宮内庁関係者)
外交官として活躍されていた雅子さまにとって、皇室外交に携わることはご結婚当初からの悲願。
それゆえに渡仏断念はつらい決断と思われる。しかし、皇太子さまを見送られる雅子さまのご表情はとても明るかった。
「外国への公式訪問ですから、国内の行啓のように行事ごとに出席するか否かを選択するのは難しいのです。
すべての行事に出席されるか、ご訪問自体を取りやめるか、二者択一だったわけです。
残念ながらすべてをこなすのは難しいと、雅子さまご自身が判断されたと聞いています。
9月末には九州北部豪雨の被災地を訪問されるご予定もあり、
そちらを優先したいというお気持ちもあったのでしょう」(前出・宮内庁関係者)
立教大学教授で精神科医の香山リカさんは、こう話す。
「主治医の判断に依存せず、ご自身でご公務への出席を判断されるようになっていらっしゃるならば、
かなり回復されているとみてよいと思います」
雅子さまの「劇的ご回復」があったからこそ、渡仏断念も前向きに受け止められたはずだと語るのは、
皇室ジャーナリスト。
「この夏のご静養先では、皇太子ご一家は駅頭の取材だけではなく、
須崎御用邸、那須御用邸の中で記者に対応されました。
雅子さまは今年6月の銀婚式では会見を見送られるなど、
これまでは報道陣の取材に苦手意識を持っていらっしゃいました。
それでも2度も積極的に取材対応をされたのは、雅子さまのご体調がよいことの証であると同時に、
新皇后への決意の現れにも感じられます」
皇太子さまはフランスへのご出発を前にした記者会見で、雅子さまの国際親善への関わり方についてこう述べられた。
《外国への訪問だけではなく、賓客の受入れや日本で開催される国際的な行事への出席など、いろいろな形があります》
《外国で暮らした経験、あるいは仕事で外交に携わってきたことは、必ず役に立つものと思います》
前出の皇室ジャーナリストは、皇太子さまの発言に“新皇后”へのビジョンが垣間見えると語る。
「皇太子さまが、雅子さまの外交官の経歴をこれほど強調されたことは、今までにありませんでした。
このお言葉には、順調に回復されている雅子さまへの大きな期待がこめられていると思います。
雅子さまの海外ご訪問が実現するには、まだ時間がかかるかもしれません。
だからこそ皇太子さまは、まずは国内のご公務で外交官の経験を生かすことを提案されたのでしょう。
雅子さまとおふたりで『新しい皇室外交』を築くことを切望されているのです」
皇太子さまの後押しで、雅子さまは焦ることなく、“新皇后外交”への第一歩を踏み出される――。
https://jisin.jp/domestic/1663906/

佳子さまのティアラ、眞子さまの航空運賃など皇室の財布事情
2018.09.15 16:00
憲政史上初となる天皇の譲位によって、皇室には前例のない数々の変化が訪れる。
そのなかでも、とりわけ大きく変わると考えられるのが、天皇家の「お金」である。
膨大な量の開示資料から、その一端が垣間見えてきた。
皇室には「4つの財布」がある。天皇と内廷皇族(皇后、皇太子、雅子妃、愛子内親王)の
プライベートな費用の「内廷費」(3億2400万円)。
それ以外の皇族に支出されるこちらもプライベート用の「皇族費」(3億6400万円)。
公務を始めとした公的な活動に使われる「宮廷費」(91億7100万円)。
そして、宮内庁職員の人件費や物品費などの「宮内庁費」(114億6600万円)だ。
特に先の3つを合わせて「皇室費」と呼ぶ。
内廷費と皇族費は、一度支出されると「御手元金」となり、具体的な使い道は明かされない。
一方、皇室費のなかで予算額が91億7100万円と、突出して規模が大きい宮廷費は公的な意味合いを帯びる。
佳子内親王が成年皇族になった2014年に2892万円で調製(皇室が所有する宝石を利用して製作)された
ティアラの費用も、「儀礼に必要なため」との理由で宮廷費から支払われた。
このティアラは貸与扱いで、結婚して臣籍降下すれば皇室に返却しなければならない。
今回、本誌が宮内庁から開示された資料のほとんどがこの宮廷費で、2015〜2016年度のもの。その使途は幅広い。
天皇皇后、皇太子夫妻、秋篠宮夫妻の海外訪問費用を比べると、お金の使い方に違いがあることがわかる。
2016年1月26〜30日、天皇皇后はフィリピンを訪問した。政府専用機が使われたため、航空運賃の記載はないが、
天皇皇后と随員を含めた宿泊料は1泊約114万〜145万円。
また、消耗品費として、4000円の日焼け止めが8個、130円のウェットティッシュ10箱に加えて、
フィリピンの環境を考慮してか虫除けのアースノーマット1220円が33個計上されていた。
次に皇太子夫妻のトンガ国王の戴冠式出席(2015年7月2〜6日)には、政府専用機ではなく、
全日空のチャーター便が使われた。「航空機借上代」は7000万円。
割引が適用されたのか、そこから約760万円が引かれていた。
療養期間中の訪問だった雅子妃は、皇太子と別行動でホテルで休んでいる時間もあったが、宿泊費の明細はなかった。
かわりに「御贈進品梱包代」として百貨店に3万2400円の支払いがあった。
トンガ側への贈答品の梱包代と思われるが、どんな品物をいくらで購入したかは、資料が黒塗りされていた。
「贈答品の内容や金額が公になると、“皇室御用達”と宣伝に利用されかねない。
民間に対しては公平でいたいという皇室側の配慮でしょう」(宮内庁関係者)
一方、秋篠宮夫妻のブラジル訪問(2015年10月27日〜11月10日)は、
一般客も搭乗する定期便のファーストクラスを利用した。往復の航空運賃は夫妻で約723万円。
随行員を含めた航空費の総額は約2817万円だ。
2016年9月6〜16日にパラグアイを訪問した眞子内親王の航空運賃は、
こちらもファーストクラスで往復約495万円だった。
※週刊ポスト2018年9月21・28日号
https://www.news-postseven.com/archives/20180915_758155.html

愛子さま スケート

女性セブン2006年2月16日号
愛子さまピンクのウエアでスケートデビュー
皇太子ご夫妻が、愛子さまをお連れになり、ご一家でスケートを楽しまれたのは1月半ばのこと。
場所は、東京・新宿区にある神宮外苑アイススケート場。
「警護のかたたちが10人ほどいて何かあったら大変と、やはりピリピリしていましたが、
愛子さまが、白いタイツをはいてピンク色のスケートウエア、それにピンク色っぽい手袋をされていて、
思わず目を細めたくなるほどのかわいらしいお姿で、
周りは一瞬のうちに和やかな雰囲気になりました」(スケート場関係者)
スケートをされるのは、この日が愛子さまにとって初めてのご体験。
最初は、緊張されていたのか、インストラクターの先生に両手を引かれながら、
ドキドキされている様子だったというが、
「だんだん慣れてくると、ひとりで滑られるようになって・・・・。スイスーイというわけにはいきませんが、
片足で滑ってみたり、しゃがんで滑ったりと、声を上げられ、それは楽しそうでした。
とても初めてだとは思えないほど、お上手でしたよ」(別のスケート場関係者)
雅子さまは、皇太子さまとご一緒に、初めはリンク横にあるベンチに腰かけながら、心配そうな表情で見守られ、
愛子さまが滑り始めると歓声をあげられた。
「楽しそうに滑る愛子さまの姿をご覧になって、雅子さまは、きっと居ても立ってもいられなくなられたのでしょう。
皇太子さまとご一緒にリンクに降りられて、ご家族3人で、楽しまれ、
笑い声がリンクに響きわたりました」(前出・スケート場関係者)
実はこのスケートリンクで、秋篠宮家の次女、佳子さま(11才)も、フィギュアスケートの練習に汗を流されている。
愛子さまはご両親と一緒に佳子さまの練習を見学されたこともあるという。
「愛子さまにとって佳子さまはお姉さんのような存在です。佳子さまのかわいらしいフィギュア姿に憧れを抱かれ、
ご自分も“お姉さんのようになりたい”と思われ、今回の氷上デビューとなったのかもしれませんね。
佳子さまとご一緒に滑られる日も近いのではないでしょうか」(皇室関係者)

テーミス2010年5月号
皇太子ご一家の春休みは"マイペース"だった。
始業式翌日の4月10日にもお揃いで都内スポーツ施設を借り切ってスケートを楽しまれている。

女性セブン2010年6月3日
雅子さま愛子さま<お忍び>「厳戒スケート」に区民困惑−緊迫の土曜日
とある区営スポーツセンター。アイススケートも楽しめるこの場所が
5/15朝から私服を含めた警官が10人以上警備に立ち、建物前では10余りの職員が立つなど緊張ムードに包まれる。
ピリピリムードが高まる中、午前10時、皇太子ご一家が来場。カジュアルな服装。
愛子さまの友達家族10組ほどと一緒に3時間余りスケートを楽しみ、帰りは"勝手口"から。
佳子内親王に憧れて幼稚園時代からスケートを始めた愛子さま。
今はパーシュート(スピードスケートの競技形態の一つ)でリンクを回って楽しんでいる。
厳戒態勢に戸惑う区民の声
3日ほど前から15日は貸し切りとなる看板(張り紙ではない)が立ち、いぶかしんでいた。
建物近くに駐車しようとした区民が職員に追い払われ、理由を尋ねても答えてもらえず。
貸し切りになっていることを知らなかった子連れの母親が戸惑う。
通りかかった区民が警官の姿に「VIPが来る?!」と携帯などを取り出したところ、ものすごい形相で注意を受けた。
皇太子ご一家は昨年末から月に数回ここでスケートを楽しみ、そのたびに毎回区長が挨拶に行っている。
区営のスポーツセンターは区民が格安の料金で楽しむ場所なのに…。
宮内庁とスポーツセンターが連絡を密にしていれば防げたのでは。

テーミス2010年7月号
江戸川区の区営アイスリンク午前中貸切でスケート楽しむ。
10組ほどの愛子さまの仲良し母子一緒。その中に外務省キャリア官僚A氏の妻子も。
A氏は雅子さまが外務省北米2課時代の先輩で、愛子さまが幼稚園の時、
雅子さまと愛子さまで、たびたびA氏宅に遊びにいっていたほど気が合う(初等科関係者)
この時も含めて、皇太子一家は人目をさけるようにお忍びで行動を続けており、その姿は奇異に映る。
皇室関係者
雅子さまに意見できるのは皇太子だけだが、東宮職幹部の中からは『あの方(皇太子)が
あの調子ですから』と雅子さま主導を仄めかして、諦めているような言葉も聞こえる。

障害者スポーツ大会を欠席し、愛子さまとスケート


サンデー毎日2011年1月2日・9日新春合併号
12月18日は江戸川区にある公共施設を全館貸し切りにして、アイススケートを楽しんだ。
一緒に参加した20人と終始和やかな雰囲気で、愛子さまはジャンプやスピンに挑んだという。

女性セブン2011年2月3日号
東宮女官長退任で抜擢
「皇太子妃雅子さまの盾に!」新リーダー“命の献身”
愛子さまは年を追うごとにスケートの練習に熱心に取り組まれている。
1月15日。東京郊外のスポーツ施設のリンクで新年初滑り。
午前10時過ぎ、愛子さまは皇太子さまと二人で姿を見せ、お友達数人と約2時間スケートを楽しまれた。
この日午後から公務があった皇太子さまは、愛子さまをスケート場に送ったあとすぐに帰られたが、
いつもは付き添われるはずの雅子さまの姿は結局見られなかった。

週刊新潮2011年2月24日号
(天皇陛下検査の)その同じ12日の朝、江戸川区のスポーツセンター
の周囲は、皇宮警察の警備車両や白バイが待機し、あちこちに私服警官が立ち、
物々しい雰囲気に包まれていた。そこに午前10時過ぎ、現れたのは皇太子ご一家だった。
「天皇陛下が検査入院されている最中、しかも三連休の中日に、公営のリンクを貸切りにして、
初等科のご学友たちとスケートを楽しまれたのです。」(先の東宮一家ウォッチャー)
「この日は私を含め、みなさん中止になると思っていました。参加したのは数名ですが、
みな“いいのかしら”と複雑な気持ちだったみたいです。」(初等科のさる父兄)
スケートに行ったと聞いて「耳を疑った。」「陛下は検査入院されるにあたり、
公務に影響がでないように配慮して、祝日の金曜日と土曜日をお選びになったようです。
皇太子殿下はその点に、もう少し心を配られた方がよかったかもしれません。」(宮内庁関係者)
「陛下のご健康のためには、公務の見直し以上に、このご心痛の種を取り除くことこそが急務に違いない。」

テーミス2011年3月号
陛下が検査入院から退院された2月12日。
雅子さまは月に一度の恒例となった愛子さまのアイススケートに付き添って、午前10時過ぎに
東京、江戸川区にあるスポーツ施設を訪れた。皇太子さまと愛子さまの友達家族約10人も一緒だった。
施設は午後1時まで全館貸し切り。事情を知らずに施設を訪れた一般人を、職員や警備に
当たる警察官が追い返すのも見慣れた光景になった。
「皇太子一家は午後1時のタイムアップ直前に東宮御所に向けて出発されました。
ご夫妻はニコニコと笑顔をお見せでしたが、愛子さまは不機嫌そうに車窓から外を見ていらした。
お疲れなのか、座席に浅く腰かけ、無理な姿勢で背もたれによりかかっておられた」(皇室担当記者)

週刊女性2011年3月1日号
皇太子ご一家は12日、都内のスポーツセンターにあるスケートリンクへ。
愛子さまはマイスケート靴を持参。 以前行っていた神宮のリンクよりも「氷(の状態)がいいの」

皇后は退位に反対した

文藝春秋2016年10月号
皇后は退位に反対した

天皇は2010年の参与会議で初めてご意思を伝えられた。
皇后をはじめ出席者はみな反対したが、
天皇のお気持ちは揺るがなかった。
6年間に及んだ議論はどのように推移していったのか―

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