皇族は「皇室経済法」を肝に銘ずるべし

テーミス2008年8月号

皇族費に年間2億8千万円
皇族は「皇室経済法」を肝に銘ずるべし

■黒田清子さんに1億5千万円
皇室経済法第3条には「予算に計上する皇室の経費は、
これを内廷費、宮廷費及び皇族費とする」と三つにはっきりと示されている。
まず、内廷費とはいわゆる“お手元金”といわれる天皇家の生活費である。
所得税などの税金はかからないので、サラリーマンの給料にたとえれば“手取り”にあたる。
年間予算は3億2千400万円に固定されている。
その内訳は私的使用人や賢所に仕える内廷職員の給料、食費、両陛下や皇太子ご夫妻のご静養にかかる旅費など。
その他、災害見舞い金や社会事業奨励金なども含まれる。
宮廷費は国賓を招いての宮中晩餐会、著名人を招いての園遊会、皇居など皇室関連施設の維持、
ご公務、外国訪問などにかかる費用で、公金として宮内庁が経理する。
'08年度は61億7千25万円の予算が計上されている。
皇族費は天皇家以外の皇族の“お手元金”で、宮家の皇族の生活費である。

皇室経済法第6条にはこうある。
「皇族費は、皇族としての品位保持の資に充てるために、年額により毎年支出するもの
及び皇族が初めて独立の生計を営む際に一時金額により支出するもの
並びに皇族であった者としての品位保持の資に充てるために、
皇族が皇室典範の定めるところによりその身分を離れる際に一時金額により支出するものとする。
その年額又は一時金額は、別に法律で定める定額に基づいて、これを算出する」
つまり、皇族には「品位保持」が必要であり、その資に充てるために皇族費が支出されているということだ。
逆にいえば皇族として「品位保持」がなければ、皇族費を受ける資格はない。

現在、皇族費が支出されているのは秋篠宮、常陸宮、三笠宮、桂宮、高円宮といった各宮家と寛仁親王家である。
当主1人あたり年額は3千50万円を基礎として、妃殿下はその半額の1千525万円、
成年皇族には10分の3の915万円、未成年皇族には10分の1の305万円が毎年支払われている。
'08年度の皇族費の合計は、2億7千984万円だ。
承子さまの留学費用も、この皇族費から支出されたわけだが、その使途について皇室経済法にある
「皇族としての品位保持の資に充てる」と定められていることからすると、
有効に使われたかどうかはきわめて疑問である。
7月22日には、高円宮家の二女・典子さまがご成年を迎えている。
高円宮妃・久子さまは現在当主になり高円宮さまに支払われていたのと同じ定額の3千50万円が支払われている。
三女・絢子さま(17歳)を含めて高円宮家だけでも、5千万円以上の皇族費(つまり税金)が支出されることになる。
また、皇族が結婚して宮家を創設する場合や皇室を離脱する場合にも、一時金として皇族費が支給されている
(皇室経済法6条)。黒田清子さんが天皇家から離脱したときには、1億5千250万円が支払われた。
かつては、三笠宮家の二女・容子さんが、フランスのソルボンヌ大学に留学中、
派手な遊びや男性との交際を広げたために「奔放なプリンセス」といわれたことがあった。
容子さんはその後、裏千家の若宗匠・千政之氏('03年に16代家元・千宗室を襲名)と結婚。
現在は2男1女の母である。

■皇太子一家と秋篠宮家の格差
結婚当時を知る皇室関係者がいう。
「容子さんは昭和天皇の弟・三笠宮崇仁親王の二女。
兄に寛仁親王、桂宮宜仁親王、弟に亡くなった高円宮憲仁親王、姉に日赤社長の近衛氏に嫁いだ方がいる。
彼女は学習院大学法学部に進むが、途中でスイスの全寮制の学校へ、その後フランスへ留学した。
パリでは酒とタバコを覚え、ジゴロに引っ掛かり、やがて日本にまで追いかけてきた恋人までいた。
その自由奔放ぶりについては、ヒゲの寛仁さまも脱帽したほどだ。
容子さんの縁談はあらゆるルートを使って探し回ったが、結局、彼女は30歳過ぎまで独身。
やっと決まったのが、5歳年下の政之氏だった。仲を取りもったある経済人の話では、
結婚が決まったとき、三笠宮さまが『よく貰って下さる方がいた』と喜んだというのだが……」
裏千家は千利休に連なる茶道諸流派のなかでも最大勢力を誇る。
いかに「奔放なプリンセス」と揶揄されようが、
裏千家にとってロイヤルファミリーの血脈を手に入れるメリットは大きかった。
しかし、結婚当初、容子さんの“浪費癖”は相当なもので、裏千家は財産の処分まで考えたという。

翻って皇室財政について見直しの声もある。
天皇家が使える内廷費が3億2千400万円であるのに対し、秋篠宮家の皇族費は5千490万円だ。
皇位継承権は皇太子さま、秋篠宮さま、悠仁さまの順だが、天皇家と秋篠宮家の間には著しい格差がある。
仕える宮内庁職員数も皇太子一家が51人であるのに対し、秋篠宮家は15人である。
皇太子ご一家がお住まいの東宮御所は、この夏から2年で約10億円をかけて大規模な改修が行われる。
敷地面積が秋篠宮邸の約4倍あるうえに、東宮御所がリニューアルすることによって、
両家の格差はますます広がりそうだ。皇室典範改正にばかり目が行きがちだが、
皇室経済法の改正も視野に入れて、これからの皇室のあり方を根本的に考え直す時期に来ている。

現代の藩屏

文藝春秋2016年10月号

現代の藩屏
―霞会館と菊栄親睦会
新年恒例の「歌会始の儀」が行われた日の夜、天皇皇后が必ずお見えになる場所がある。
霞が関ビルの三十四階。分厚い木目調の自動ドアが格式の高さを感じさせる、
旧華族の社交場として知られる霞会館だ。
歌会始で、皇族方や一般から選ばれた歌を朗詠する「披講」の諸役(所役)は、
霞会館の披講会が例年務めている。
天皇皇后は披講会メンバーの労をねぎらい、会館内のレストランでご夕食を共にされるのだ。
両陛下がお見えになる機会はほかにもある。
薩摩藩主だった島津家の子孫や親類縁者が集まる「錦江会」もその一つ。
二年に一度、霞会館で百人ほどが参加する会が開かれ、両陛下と皇太子がご臨席される。
香淳皇后の生母が島津家の出身(島津忠義の七女)という縁があるからだ。
また、雙葉小学校附属幼稚園の同窓会が開かれるときは、皇后陛下が旧交を温めにこられるそうだ。
「会員には、顔見知りの方が少なくありません。
両陛下にとっても気兼ねなくお立ち寄りになれる場所なのではないでしょうか」(霞会館事務局長・佐藤栄治氏)
霞会館の前身は、明治7年に発足した華族会館。明治20年代から鹿鳴館内にあり、現在の場所に移転したのは昭和2年。
戦後、華族制度の廃止と共に霞会館に名称を改めた。
昭和43年、霞会館が所有する三千坪の土地を三井不動産に貸して建てられたのが、日本の超高層ビルの霞が関ビルだ。
霞会館の収入はその地代と所有するフロアのテナント料が主なものとなっている。
現在の理事長は、元皇族で前神宮大宮司、神社本庁統理の北白川道久氏。
名誉会員として秋篠宮、常陸宮などの現皇族が名を連ねる。
霞会館の会員資格は、旧皇族や旧華族の当主および成人に達した嫡男。
どれだけ資産があっても、この条件を満たさなければ入会できない。現在の会員数は約750名。
戦前には1000名以上の時代もあり、
「この10年間でも100名ほど減っている。世継ぎがなく、途絶えてしまう家があります」(同前)
霞会館は、定款に基本理念の一つとして「皇室の藩屏」を掲げる。
藩屏とは天皇家をお守りする役割で、明治天皇が華族会館に臨幸された際、
「日本の国家近代化に努めて、皇室を守るように努めてほしい」との勅諭があったことに由来する。
戦後でいえば、昭和天皇の侍従長を務めた入江相政、徳川義寛などは会員であり、
平成では、渡邉允元侍従長が会員だった。
かつては会員の親族が女官となることもあったが、現役の侍従や女官はゼロ。
旧華族といっても、いまではほとんどが一般企業に勤める。それでも、皇室の藩屏という姿勢は崩していない。
天皇と皇族をより近い立場でお支えしているのが旧皇族。その集まりが「菊栄親睦会」だ。
戦後、旧十一宮家が皇籍離脱する際、昭和天皇の発案で誕生し現在もつづく。
恒例となっている年始の集まり、天皇誕生日のお祝いのほか、結婚や出産なとせ皇室の慶事があったときに開かれる。
両陛下と皇族は名誉会員で、旧皇族やその子孫で現当主などが正会員となっている。
メンバーからは、「自分たちは子どもの頃に、皇族と一緒に過ごす時間もあったが、若い世代はそれがない。
堅苦しい集まりと思うだけじゃないかな」(元皇族の賀陽宗徳氏、81)との声も聴かれる。

皇太子ご夫妻「公務より愛子さま」の衝撃

テーミス2011年4月号
「雅子さま、子離れを」の声が
皇太子さまに向けられた「皇位継承」の不安
公務よりも“私事優先”のスタンスに「いかがなものか」というバッシングが
■音楽会で“インフルエンザ”に
愛子さまの通学問題を理由に昨年3月から同伴登校が1年間続けられていて、
その間の国内公務はごく稀。こんな状態に皇室関係者からも「いかがなものか」という
バッシングが起こっていたという背景あり。
2月23日の皇太子の誕生日会見の発言((同伴通学含めて)雅子はよく頑張っている。
だか公務などの活動が限られたものとならざるを得ない。
国民はこの状況を理解した上で、暖かく見守ってほしい。)
雅子さんが療養に入ってもう8年、強烈な“私事優先”メッセージに国民が違和感を覚えても仕方がない(編集部)
学習院初等科内では、皇太子が愛子さまに注ぐ深い愛情が評判
2月18日、学習院初等科で「小さな小さな音楽会」が保護者参観の下開催、
皇太子夫妻も参観(雅子さまと愛子さまは2時間目に登校、皇太子は3時間目直前に到着)
当日、皇太子は笑顔で雅子さまと校内を歩いていた。
平日だったので父親の参観は極端に少なく、皇太子はとても目立った。
在校生の父親の中でも、とりわけ“ご熱心なお父さま”と評判(学習院初等科関係者)
この音楽会のあと、愛子さまのクラスはインフルエンザのため急遽午前授業となり、
24日まで学級閉鎖。皇太子も27日にインフルエンザ発症のため28日の公務とりやめ。

週刊朝日2011年8月12日号
愛子さま“付き添い”も担われて 皇太子さまの「過密スケジュール」
7月26日昼過ぎ、東京駅。被災者のお見舞いに発つ皇太子夫妻が現れると歓声が
「雅子様がゆっくり歩きながら方々へ手を振る大サービス。
ご静養に出掛ける際は警備陣もピリピリするが、今日はいい写真を撮ってと大らか。
雅子様は一目で体調がいいとわかるほど晴れ晴れ」雅子様ファン歴10年超の“追っかけオバサン”
夫妻がそろって被災地に入るのは2回目、仮設住宅への訪問は皇族で初
「新幹線で1時半に郡山着。被災状況説明を1時間受け、2時間かけて
徒歩2分の距離にある避難所と仮設住宅を見舞い6時前帰京」皇室担当記者
「皇太子は雅子様と一緒の方が被災者が喜ぶとご存じ。
雅子様の体調を考慮して東宮職が日程を決めたと思う」松崎敏弥
7月22日、皇太子は終業式のため朝8時に愛子様と徒歩で登校
7月24日、愛子様と日生劇場に出掛け、お友達親子と「三銃士」鑑賞
「愛子様は管弦楽部へ入部、皇太子は早朝・土曜の練習に6回付き添い、
愛子様がチェロを弾くのを見守った」学習院初等科関係者
雅子妃が早朝練習に付き添ったのは、皇太子訪独中の6月22日のみ

テーミス2011年10月号
■那須では夜11時近くまで食事
「愛子さまをできる限り一人にしたくない」。
皇太子ご夫妻から伝わる愛子さまへの強烈な愛情はわかるが、「公務は片手間」(皇室関係者)の印象はぬぐえない。
皇太子さまが付き添いは早朝なので公務への影響は少ないが、いかがなものかという声は多い。
公務の減少につながる可能性もある。雅子さまが病気なので、夫妻に新たな公務を依頼するのは難しい。
「愛子さまのことが優先だから…」と主催者側が気を遣う。
皇太子さまが付き添った2学期最初の3日間、愛子さまは遅刻せずに登校
9月6日午前8時前に登校(始業式)
7日と9日は午前7時半前(管弦楽部朝練参加)
しかし、雅子さまが付き添った9月8日は2時間目から登校。
愛子さまの通学問題は改善どころか、さらに深刻化しているといっていい。
3週間の静養を終えて帰京した9月1日夕方、東京駅で皇太子ご一家を撮影しようと
カメラを構えていた一般客に、宮内庁関係者のきつい口調でこのように注意。
「三殿下ともお疲れなので、写真は撮らないでください!」
一般客「さんざん遊んでいたのに『お疲れ』なんて、よくわからない」
■那須ご静養のハードスケジュール
8月11日 皇太子ご一家、那須御用邸到着
8月19日 愛子さまのお友達が御用邸近くの会員制リゾートホテル到着
その夜皇太子ご一家とお友達一家は、高級会員制リゾートホテル
「二期倶楽部の個室で夜11時過ぎまで特別コースを楽しむ。
8月21日 りんどう湖ファミリー牧場で遊覧船を貸し切っての花火鑑賞
8月22日 午前、友達が宿泊しているホテルのプールで泳ぐ。
夕方、那須ハイランドパークでレゴスタジアム見学の後、夕食へ。
「アジアンオールドバザール」でエスニック料理レストランを借り切って、夜11時頃まで
8月23日 午前 りんどう湖ファミリー牧場
その後ホテルでスイミング&ランチ 夕方再びファミリー牧場
■皇太子さまがバスを見送って
8月23日夜に那須御用邸に入られた秋篠宮さまと眞子さまとは会わずじまい
小和田家との親密さは変わらず
(宮内庁関係者の話)
小和田優美子さんの姿が御用邸近くのホテルで目撃されている。
皇太子ご夫妻と、雅子さまの妹含めて小和田家の人たちで食事会もあったようだ。
宮内庁内でも『皇太子さまはマスオさん状態だ』という声が囁かれているほど。
9月14日、皇太子さまは校外学習に参加する愛子さまを見送り。
早朝から、バスが見えなくなるまで手を振っていた。
雅子さまも別の車でバスを追いかけ、愛子さまの足跡をいちいちたどる。
“山ガール”のいでたちで別行動し、どちらが“付き添い”が必要なのかわからないほど。
(学習院初等科関係者の話)
通学問題が生じて以来、東宮側からご相談はほとんどない。
学校側は雅子さまが付き添うことを受け入れるしかない。
意思を一歩的に伝えられる。校外学習も例外ではない。
宮内庁も皇室記者もこうした現実を踏まえて、皇太子ご夫妻への“進言”をすべきときではないのか。

テーミス2011年11月号
学習院もお手上げ状態だが 皇太子ご夫妻「公務より愛子さま」の衝撃
皇太子ご夫妻は愛子さまの通学の付き添いで手一杯
園遊会
皇太子さまは午前中の1〜4時間目までしっかり授業参観
園遊会が始まる一時間前に東宮御所に戻った。平日の父親の授業参観は珍しい。
運動会では父兄に撮影に関する注意書きが配られた。
雅子さまの二泊三日校外学習付き添い。山中湖で行われた校外学習は雅子さまが愛子さまの後をなぞられた。
付き添いは愛子様のご要望。
学習院の東園常務理事の話。昨年のかまぼこ工場見学の時も「妃殿下が児童のバスに同乗するのは可能か」
と打診があった。その時も打診を断ったのに、今回の校外学習でも同様の打診があった。
警備のことや他の児童への影響を考えて、妃殿下の付き添いを止められなかった東宮職の対応に首を傾げる。
山下晋司氏
雅子さまは自分が外出すれば多くの人が動いたり、マスコミが騒いだりするのを十分わかっているはず。
何かに挑戦しているように見える。
園遊会や被災地を差し置いて愛子さまにつきっきりの皇太子ご夫妻の言動に国民はとまどいを隠せない。
これでは「本当に天皇皇后にふさわしいのか」との疑問も出てくる

女性セブン2011年12月8日号
緊迫の天皇家/もはやご名代ではすまされない―
皇太子さま求められる決意
11月18日。午後12時半を回った頃雅子さまが学習院初等科に到着。大きなマスク姿。
1時間ほど滞在後、一人で東宮御所へ。
どうやらお昼の時間だけでも愛子さまと過ごすために学校へ来た模様。
雅子さまのお昼登校はマスコミ各社は把握済み。
この日、皇太子さまが陛下に公務の報告に行く予定だったため、
愛子さまの付き添いが出来るのであればこの日は陛下のお見舞いにも行かれるはずとマスコミは注目。
東大龍岡門前には夕方5時過ぎ報道陣が集まり始め、その数30人ほど。
時間の経過とともに騒然となるも、病院に来たのは皇太子さまおひとり。
「まだ一度もお見舞いに行かれていない雅子さまが、
学校には行けて病院には行けないという事実には違和感を覚えずにはいられなかった」(皇室記者)
宮中からもこの日の皇太子ご夫妻の行動を巡って不満の声があがっているという。
「お見舞いに行かれないのであれば同じ日になぜ学校という私的な用事での外出をされたのか。
これでは雅子さまが陛下に会われたくないということを世に知らせているようなもの。
それを許されているとしたら皇太子さまに疑問を抱く人も少なくない」(宮内庁関係者)

雅子さまは国賓であるブータン国王夫妻を歓迎する行事全て欠席。
この事を知ってか、陛下は皇太子に「“雅子妃の体調には気をつけるように”という旨のことをおっしゃられたそうだ。
心配されての言葉なのか、自己管理をしっかりしなさいというニュアンスなのかは分かりませんが…。
これに対し、皇太子さまは頭を下げて陛下に申し訳ない気持ちを表されたそうです」(皇室関係者)
陛下が発病されてから皇太子さまが務めた公務は約2週間で20件(11/21現在)。
これに皇太子さま自身の公務もあるため、これまで経験したことのない多忙な日々。
とはいえ、このハードスケジュールはご高齢の両陛下が当然のように果たされてきたもので、
つまり天皇という立場にならえるかたはこのお役目を務めなければならない。
「陛下はご自身のお体が許す限り国民のために国民のために公務を務めたいという気持ちは
退院されてからもお変わりにならないだろうが、今回はしっかりとお休みになることが必要。
そのためには皇太子さまが“名代”や“代行”という気持ちではなく、
全て自分が果たすくらいの覚悟が求められているのかもしれない」(皇室ジャーナリスト・神田氏)
「11月10日に皇太子さまが一人で陛下を見舞われた際、
陛下は皇太子に“頼みましたよ”とその思いを託されたと言われています」(前出・皇室記者)

そんな中で一部では皇太子さまへの懸念の声があがっている。
きっかけはお召し列車の中から写真を撮りながらのお手振りだったと週刊文春も報じており、
「ご名代という立場でこのような行動を取られてしまうとこれまで両陛下が守られてきた
“国民とともに、国民のために”という思いが色褪せてしまう気がしてならない」(前出・宮内庁関係者)
皇太子さまには陛下の代わりとなる上でふたつの課題が突きつけられている。
まずは雅子さまと愛子さまの問題。もう一つは秋篠宮家との関係。

「これまで国民は天皇皇后のお二人は常にご一緒であると脳裏に焼きつけていた。
しかしこれだけ長い間回復を待っても雅子さま復帰のめどは立っていない。
そうなると否が応でも皇太子さまは今後一人ででもお役目を果たして行かなければならない。
外国へも地方へも一人で行かれて国民に“将来、天皇は一人でも大丈夫”と示すことも
必要な時期にきているのかも」(皇室ジャーナリスト・橋本氏)
そうなると、これまで雅子さまが愛子さまに同伴できない時は皇太子さまが付き添っていたが、
「陛下の代わりとなられる以上、私的行為の時間は諦めていただかなければならない」(神田氏)

悠仁さまの着袴の儀のお祝いの夕食会も、愛子さまが入院していたとはいえ皇太子ご一家は欠席。
しかしもともとこの日は葉山御用邸での静養が計画されており、
皇太子ご一家は最初から食事会に参加する予定がなかったことになる。
眞子さまの成人を祝う夕食会にも皇太子ご一家は参加しなかった。
両家の微妙な関係を露呈するかのような相次ぐ出来事に一部の宮内庁関係者からは嘆きの声が。
両家の溝を生んだ最大の原因は皇位継承問題といえる。
「皇位継承順位第3位の悠仁さまが、継承権を持たない愛子さまと金銭面、人員面、
あまりに待遇が違うことに秋篠宮家としては複雑な思いがおありなのでしょうか」(別の宮内庁関係者)
また秋篠宮家としては両陛下のお気持ちに沿われてご公務に邁進されてきたという思いが強いと思われる。
震災後、両陛下が那須御用邸のお風呂を被災者に開放されたとき、
紀子さま、眞子さま、佳子さまは宮内庁職員とともに被災者に配るタオルの袋詰めを手伝われ、
被災地訪問も両陛下が行かれていない地域にも足を運び被災者を励まされたのは秋篠宮ご夫妻。
「もちろん秋篠宮ご夫妻としては皇太子ご夫妻に将来の天皇皇后としてお役目を果たしてほしいという思いが
あるでしょう。しかし現状でそれは厳しい状況。そうなるとご自分たちが何とかしなければという思いを強くされ、
ますます両家の溝は深くなっていってしまう気がします」(前出・宮内庁関係者)
「いま皇太子さまを支えることが出来るのは秋篠宮ご一家だけ。だからこそ皇太子さまには
自分から歩み寄られて兄弟で力を合わせる覚悟をしていただければと思う」(神田氏)

宮中晩餐会では、名代を務めるはずだった雅子さまが前日になって欠席を発表すると、
美智子さまは急きょ 11月1日、18日の2回、ブータン国王夫妻と面会。
「美智子さまは雅子さまの欠席を知って、“それではブータン国に失礼になってしまう”と
考えられたのでしょう。歓迎行事とは別に面会の機会を作られました」(前出・宮内庁関係者)
つまり美智子さまは皇太子夫妻に対して、天皇皇后という立場は自己都合で休んではならない
とても重い責任がある立場なのだということに気づいてほしいという気持ちを込めて
あのような行動を取られたのはないだろうか。今こそ皇太子さまには未来の天皇としての自覚を明確に示し、
天皇皇后両陛下が築きあげてこられた国民とともに歩む皇室を継承する決意を
明らかにしていただくことが求められているのではないだろうか


週刊女性2011年12月13日号
■父のご不例、妻のご病気、娘のイジメ、弟との不和…
孤独/皇太子さまが「かわいそう」
「ある東宮職員のいうには、最近皇太子殿下はあまりの多忙とお疲れからか不機嫌な日もあったそうです。
人やモノにあたるようなことはないが、殿下の機嫌がよくないと
東宮全体が暗い感じになってしまう」(ある宮内庁関係者)
皇太子さまは連日眠りも浅かった様子。(宮内庁担当記者)
雅子さまは結局陛下のお見舞いには行かず、
「次代の皇后としてまず第一に陛下のお見舞いをしていただきたかった」(渡辺みどり)
皇太子さまにとって愛子さまの不規則登校も悩みの種となっているに違いない。
「当初は雅子妃が全て付き添っていたが、今夏ごろからは皇太子さまが部活動の朝練や
1時間目からの授業の付き添いをはじめ、後で雅子妃と交代されることもある」(初等科関係者)
9月の校外学習出発時
「皇太子さまが愛子さまを見送りにいらっしゃいましたが、ご自分からママたちの輪の中にお入りになり、
“よろしくお願いします”と挨拶されていたのには驚いた」(学習院関係者)
「今上陛下が皇太子時代にももちろん挨拶はされていたが、
威厳があったというか自ら進んで溶けこむようなことはされなかった。
特に愛子さまの不登校問題以降、周囲に迷惑をかけていると
申し訳なさそうに気を遣われているのは皇太子さまのようです」(同・前)
園遊会があった10月23日にも皇太子さまは朝のホームルームから4時間目まで全て授業参観してから園遊会へ。
雅子さまは授業参観にも園遊会にも欠席。
11月26日の初等科祭でも皇太子さまは午前中愛子さまに付き添い、昼前に雅子さまが合流。
「愛子さま問題以前は“夫婦で協力しあっている”
“皇太子さまは育児に積極的に参加”という声が保護者の間では大半だった。
しかし愛子さま問題から雅子妃の“気まま”と取れる行動が目立ち始め、
皇太子さまの行動が“雅子妃の『ご名代』ばかりされている”
“恐妻家なのでは”と一部で言われ始めた」(前出・学習院関係者)
皇太子さまなりに妻子のサポートに努めているはずなのに、周囲からは浮き立ち“孤独感”は募るばかり。
更に弟宮である秋篠宮家との距離も生まれ始めているという。
「もし雅子妃がお元気ならさまざまな場面で相談に乗られたり進言されたりしたのではないかと思う」
と宮内庁関係者が現在の皇太子さまには相談相手がいないと嘆く。
「人格否定発言前後から相談できる人を探していたそうだが最近はもう諦めてしまったのかも。
相談した内容が外部に漏れることを心配されたのだと思う。本来なら東宮大夫や東宮侍従長が
その役目を果たすべきだが、最近は数年で異動してしまう」(前出・宮内庁関係者)
皇太子さまと頻繁に連絡を取り、年の離れた相談相手として月刊誌に手記を発表したこともある人物に話しを聞いたが、
「最近は連絡をとっていないのでお話を出来ることはない」というのみ。

硫黄島の高松宮殿下

明日への選択平成10年2月号

『高松宮日記』全八巻の完結を前に、『This is 読売』一、二月号に連載された
高松宮妃殿下と作家の阿川弘之氏の対談の中に、初めて紹介されるエピソードがある。
昭和四十六年三月、高松宮殿下が硫黄島戦跡をご訪問になった時のことである。

硫黄島は大東亜戦争末期、米軍七万五千の猛攻を、二万余の日本軍将兵が祖国防衛のため、
一ヶ月以上に渡って奮戦し玉砕(全滅)した島である。
戦後、昭和四十三年まで米国の管理下にあったため、
殿下のご訪問当時は、まだ未整理の洞窟があり、遺骨はそのまま散乱していたという。
殿下が先ずお訪ねになったのは、米軍の火焔放射器でやられ、ブルドーザーで生き埋めにされかけ、
苦しみもがきながら脱出を試みた兵隊たちが、折れ重なって死んだ跡地だった。
「前もっての説明何もなしで洞窟の前へ立たれた殿下は、ハッと息を呑む気配をお見せになり、
やがて地べたに正座し、両手をついて首を垂れて、暝想状態に入られた。
一言もおっしゃらないから、何を念じていらっしゃるのか祈っていらっしゃるのか分からないけれど、
随行の者みな、電気に打たれたような気分だったと聞いております。
大分長い時間そうしていらして、やっと立ち上がられた」

次にお訪ねになったのは、遺骨の整理が既に済んでいる壕だった。
とはいえ、拾い尽せなかった骨もあり、至る所に散らばったままの骨片もあった。
仕方なしに海上自衛隊駐屯部隊の隊員も、ふだんは靴で遺骨を踏んで歩くようになってしまっていたという。 
「ところが、殿下はためらわれた。そうして、つと靴を脱ぎ靴下も脱ぎ、素足になって、
骨片の散らばる洞窟内へ入って行かれた。
私も知ってますが、硫黄島という名前の通り、あの島の壕の中に地面から硫黄のガスが噴き出しているんです。
そこを素足で視察した人は、後にも先にも高松宮様お一人だそうです」

東宮家より目立たないようにしろ

週刊文春2011年9月1日号
秋篠宮家は両陛下と密にコミュケーションを取っているが(皇太子一家とは)正直"距離"があるように思う。
タオル詰めを紀子妃殿下たちがお手伝いされたが我々は複雑だった。
職員が連携できていたら手伝えた。(東宮職関係者)

女性自身2011年11月22日号
東日本大震災後、秋篠宮ご夫妻は勢力的に全国の避難所や被災地を回られた。
その際、ある東宮職員が「あちらの動静が分からない。全く連絡もないし東宮職としても困っている」と嘆く。
皇族方の被災地ご訪問は原則的に同じ地域には訪れないようにされてきた。
東宮職員は“秋篠宮ご夫妻のご予定が分からないと皇太子夫妻の被災地ご訪問計画も立てようがない”と困惑。

被災地訪問の順序にはこだわらないが(楽な日程を組んで渋々行くが)
お見舞いの順序には文句をつける

児戯に等しい小和田家の振る舞い

会員誌「選択」2014年1月号
東宮 皇室危うくする雅子妃

児戯に等しい小和田家の振る舞い
東宮は独立した存在であり、天皇と言えども口出ししにくい。
親子であると同時に世代を担うライバルのような面もあり、異なる考えがあるのも自然だろう。
しかし最大の課題は天皇の務めや歴代の心構えの継承である。
昭和時代は皇太子一家が毎週必ず皇居を訪ね夕食を共にする「定例参内」があったが、絶えて久しい。
12年の天皇心臓手術時、秋篠宮夫妻から病状や手術の見通しを尋ねる連絡が何度もあったが東宮からはなし。
東宮御所内部も改修のたびに天皇皇后が住んでいた頃の内装はどんどん変えられた。
改修工事で東宮が皇族共有殿東邸に一時引っ越した頃、
天皇が長年愛用した古い机が粗大ゴミとして捨てられそうになっているのに
秋篠宮家関係者が気付き、密かに宮邸に引き取ったという。
親子兄弟の距離感を物語る。
04年の皇太子の「人格否定」発言の際には、天皇が驚いて説明を求めたが、
皇太子は「世継ぎを求められるばかりで外国訪問させてもらえなかった」
「自由に外出もできない」などの例を挙げたという。
一方で、人格否定したのは天皇・皇后であり
懐妊できないのは皇太子側の問題と示唆する実家がソースと満たれる雑誌記事
当時の宮内庁参与が「こんなことをしていたら国民を敵に回すことになる」と電話で諌めた。
その後も「皇后から作法のことでひどく叱責された」とか
「天皇が皇族紹介の際に雅子妃を飛ばした」とか宮内庁や東宮職元幹部らの実名を挙げて
雅子妃がいかに酷い目にあったかと強調する記事が後を絶たない。
誤解や事実関係の誤りも多く、ある元幹部は苦々しい表情で「児戯に類する」と吐き捨てた。

週に二回の公務は難しい

「雅子さま週2公務厳しいと医師判断」 東宮大夫発言の波紋
2015.02.26 07:00
2月23日、55才の誕生日を迎えられた皇太子さまは東宮御所で会見に臨まれた。
国民が気になるのは、ご療養生活が12年目に突入した雅子さまに対するお言葉だ。
皇室ジャーナリスト・神田秀一氏はこう話す。
「今年も期待できる発言はありませんでした。例年同様、前年の雅子さまのご活動を羅列しただけの内容で、
皇太子さまのご発言には具体的な治療状況や復帰へのメドなどが一切含まれていませんでした。
皇太子さまが“快方に向かっている”と言い続けて、何年経ちますでしょうか。
結局、以前と何も変わっていないのが現状なのです」
そんななか、皇太子ご一家をお側でサポートする東宮職のトップである東宮大夫が、
思わず漏らした発言が大きな波紋を広げている。
2月6日、『第60回青少年読書感想文全国コンクール』の表彰式とパーティーに、おひとりで出席された皇太子さま。
「表彰式当日に行われた東宮大夫の定例会見で、小町恭士東宮大夫(69才)は“雅子さまにご出席の気持ちはあったが、
2月3日に東宮御所でOECD東北スクールのイベントに参加した高校生たちとのご接見があったばかりで、
『週に2回の公務は厳しい』と医師が判断したため欠席しました”という旨の説明をしたそうです。
この発言を伝え聞いてびっくりしました。
もうご療養生活に入られて12年の歳月が流れているにもかかわらず、
週2のご公務も厳しいほど、病状は回復されていないんだなと感じて落胆してしまいました」(皇室記者)
2年前の誕生日会見で皇太子さまは、こんなことを述べられていた。
「私としましては、今まで見ておりますと、東宮職医師団が大変によくやってきていただいていますし、
その治療を私も非常に深く多としておりますので、今のところセカンドオピニオンという考え方は特にございません」
そんな皇太子さまのお考えに従って2年──結局、“快方に向かっている”とおっしゃられるが、
実際には雅子さまのプリンセスとしてのご活動には結びついていないのが現状。
「皇太子さまと雅子さまは私人ではなく国民のために存在する公人なのです。
ですから、医師との信頼関係を優先するのではなく、雅子さまのご病気の快方を優先させていただきたいのです。
今世の中は、セカンドオピニオンだけではなく、サードオピニオンとなっている時代です。
今からでも遅くはないので、新たな医師に診察してもらうなど、
次なる行動を示さなければ、国民の理解は得られないのではないでしょうか」(前出・神田氏)
※女性セブン2015年3月12日号
http://www.news-postseven.com/archives/20150226_306296.html

週刊文春2015年3月5日号
雅子さま「ご公務欠席」会見の緊迫場面
「そもそもご体調とは何なのか?」記者も苛立った。
「正直に申し上げると、皇太子の存在を強烈に印象付ける内容はありませんでした。
天皇陛下が即位されたのと同じ55歳となられたご感想は、
『身の引き締まる思いと共に、感慨もひとしおです』と首を捻りたくなるようなお答えでした。
次代を見据えたような、凛としたご覚悟を拝聴したかったのですが……」(東京大学名誉教授・御厨貴氏)
2月23日、皇太子は55歳の誕生日を迎えられた。
記者会見で、「天皇のあり方について昭和天皇のお姿から感じられたことは」という質問に対し、
皇太子はこう述べられた。
〈研究者としてのまなざしを肌で感じ、研究をするのというのはすばらしいことだなと、子供心に思った〉
この回答にベテラン皇室担当記者は本音を洩らす。
「そういうことではなく、祖父である昭和天皇との触れ合いの中でどのようなやり取りがあり、
そこに“帝王学が垣間見えるような話を期待したのです。しかし残念ながら、肩透かしの印象でした」
(中略)
会見の少し前、記者会では雅子さまの公務出欠問題を巡って事件が起きていた。
「2月6日、東宮大夫の定例会見でのことです。雅子さまが青少年読書感想文全国コンクールの表彰式を
欠席されたことについて、小町恭士大夫から
『今週二度目のご公務になられる式典へのご出席は難しいとの医師の判断があった』と説明がなされたのです。
そこで記者から『週二回の公務が難しいとはどういうことなのか』などと、
厳しい質問が飛んだのです」(宮内庁担当記者)

にわかに会見場は緊迫したという。記者たちはさらにこんな質問を投げかけた。
―何年も前からよくわからないのだが、そもそも(出席できない時の)妃殿下のご体調というのは、
ご自分の意思があっても体が動かないという状況なのか。
「ご体調などを踏まえて、最後は医師に相談されたということです」

―症状として例えば、めまいや血圧の変化があるとか、具体的には東宮大夫もわからないのですか。
「…はい」

―昨日まで様子を見て検討していたというのは、何を勘案していたのか。
「式典に出たいというお気持ちと、ご自分のご体調などを勘案しておられた」

―ご体調として、必ずしも万全ではない何かがあるということですか。
「ご体調を勘案されたのは事実。従って昨日医師と相談されたということです」

小町大夫の説明は要領を得ないが、実は記者会もそれは“想定内”だったという。
「記者も敢えて聞いているのです。ある程度、ご回復されているという情報は記者の耳にも入っているからです。
それでも出られないのであれば、説明がなければおかしい。皇太子が55歳を迎えられたことで、
雅子さまがどんな皇后になられるか、国民も注目しています。
まずは東宮職が記者会との齟齬を埋める努力をすべきです」(前出・宮内庁担当記者)
確かに雅子さまは一部の公務では、元気そうなお姿をお見せになることもある。
2月3日には復興人材育成プログラム「OECD東北スクール」に参加した高校生と接見されたが、
パリでの復興イベントの報告を受け、ご夫妻は非常に楽しそうな様子だったという。
「雅子さまにお疲れのご様子は全く見られませんでした。事前にお送りした報告書を丹念に読み込んでくださっていた。
途中、職員がドアをノックしたのですが、皇太子さまが『無視していいですよ』とおっしゃり、
両殿下ともにもっとお話しを続けたいご様子でした」(総括責任者の三浦浩喜氏)
雅子さまの公務への参加不参加についての判断は「ご体調次第で出られたら出る」という状態で、
宮内記者たちも当日まで分からないのが現状だ。
(中略)

(ある千代田関係者)
「…皇后陛下は昨年、東宮妃の体調が整わないことがあったとしても愛子が皇族にとって節目となるような場所へ行く機会や
陛下のお話を直接聞くことがてきる機会を持ってほしい、と仰せになったことがあるのです。
かつての紀宮さまのように、天皇陛下を支える内親王として成長してほしいというお気持ちでいらっしゃる。…」
皇太子の誕生日当日に進講者らが集まった茶会にも、雅子さまのお姿はなかったという。
新しい時代の皇室は“皇后不在”となるのだろうか。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150226-00000009-pseven-soci


女性セブン2015年3月12日号
雅子さま週2公務はご無理
東宮大夫の激震発言!
(皇太子のお誕生日の会見)
「…このように、雅子は、確かに快方に向かっておりますが、
これですぐに活動の幅が広がるわけではないと思います。
お医者様からもご助言を頂いているように、体調を整えながら、
引き続き、焦らず慎重に、少しずつ活動の場を広げていってほしいと思っています」
この皇太子のお言葉について皇室ジャーナリスト・神田秀一氏はこう話す。
「今年も期待できる発言はありませんでした。例年同様、前年の雅子さまのご活動を羅列しただけの内容で、
皇太子さまのご発言には具体的な治療状況や復帰へのメドなどが一切含まれていませんでした。
皇太子さまが“快方に向かっている”と言い続けて、何年経ちますでしょうか。
結局、以前と何も変わっていないのが現状なのです」
(中略)
そんななか、皇太子ご一家をお側でサポートする東宮職のトップである東宮大夫が、
思わず漏らした発言が大きな波紋を広げている。
2月6日、「第60回青少年読書感想文全国コンクール」の表彰式とパーティーに、おひとりで出席された皇太子さま。
「表彰式当日に行われた東宮大夫の定例会見で、小町恭士東宮大夫(69才)は、
“雅子さまにご出席の気持ちはあったが、2月3日に東宮御所でOECD東北スクールの
イベントに参加した高校生たちとのご接見があったばかりで、
『週に2回の公務は難しい』と医師が判断したため欠席しました”という旨の説明をしたそうです。
この発言を伝え聞いてびっくりしました。
もうご療養生活に入られて12年の歳月が流れているにもかかわらず、週2回のご公務も厳しいほど、
病状は回復されていないんだなと感じて落胆してしまいました」(皇室記者)
2年前の誕生日会見で皇太子さまは、こんなことを述べられていた。
「私としましては、今まで見ておりますと、東宮職医師団が大変によくやってきていただいていますし、
その治療を私も非常に深く多としておりますので、今のところセカンドオピニオンという考え方は特にございません」
そんな皇太子さまのお考えに従って2年――結局、“快方に向かっている”とおっしゃっられるが、
実際には雅子さまのプリンセスとしてのご活動には結びついていないのが現状。

皇太子54歳誕生会見 前代未聞の「ご発言改ざん騒動」

週刊文春2014年3月6日号
雅子さまの外国ご訪問をめぐり
皇太子54歳誕生会見 前代未聞の「ご発言改ざん騒動」
…そして皇太子が約40分にわたる会見の締めくくりに、ご一家での外国訪問について、こう回答されたのだ。
〈やはり雅子にとっても外国訪問が治療上も良いのであれば、そしてまた、愛子にとっても
視野を広めるという意味で外国の地を見ておくことが良いのであれば、様々なことを考えて、
今後ともどのような外国訪問ができるかということをいろいろ考えていく必要があると思います。
実際、私たちもそのようなことをいろいろ考えているところではあります。〉
宮内庁担当記者が話す。
「ずいぶん具体的に仰ったなと思いました。多くの記者が『両殿下はスイスご訪問に前向きなのだ』と
考えたはずです」
昨年のオランダご訪問、被災三県のご慰問などV字回復を期待された雅子さまのご体調だが、年明けから
再び停滞期に。今年一年の見通しも立っていない状態だが、
それを占う意味でも、海外訪問は重要なイベントだと言える。
(略)
外務省関係者が内々に明かす。
「一切報じられていませんが、実はスイス大使から招待状として、正式な外交文書である
『口上書』が既に送られているのです」(外務省報道課は「そのような事実はない」と回答)
スイスは“国連一家”とも言われる雅子さまのご実家・小和田家にとっても縁の深い国。
雅子さまの双子の妹である池田礼子さん、渋谷節子さんがジュネーブ生まれであり、
礼子さんはジュネーブに本部を置く国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)勤務の経験がある。
一方の節子さんは、夫が世界保健機関(WHO)に勤めていた関係で、ジュネーブに住んでいた。
「しかし、昨年のオランダご訪問の際、雅子さまのご体調の見極めに時間がかかり、
先方の王室からの招待の返事を一ヵ月以上も引き延ばしたことで、宮内庁だけでなく、
政府関係者からも『あり得ないことだ』と批判された。その轍を踏まないために、
スイス行きについては、公表の時期など、慎重かつ秘密裡に進めようとしているはずです。
被災地訪問より先に外国訪問検討というのがニュースになるのでは見場が悪いですから」(宮内庁関係者)
例年通り、誕生日会見の質問は、記者会が事前に宮内庁とやり取りするかたちで決められた。
準備されていた五つの質問について、皇太子は用意されたペーパーを見ながら淀みなくお答えになった。
「その後、関連質問として代表の記者から二つ質問し、アドリブでお答えいただいたのです。
殿下は一言一句、言葉を選んで慎重にお答えになっていましたが、最後の最後で
〈実際、私たちもそのようなことをいろいろ考えている〉と仰った。
お心がそのまま出てしまったように見えました。やはり殿下の中で、雅子さまと一緒に外国訪問をしたい、
という思いが大きなウェイトを占めているのでしょう。
(略)
だが、会見後に事態は急転直下。東宮職は宮内記者会に対し、“発言の追加”を申し出たのだ。
「皆が千代田の宮内倶楽部に戻ってきた後、東宮職から幹事社を通じて連絡があったのです。
『関連質問問二の会見録には“一般論として”と付け加えてほしい。
記事を掲載する際にはその真意を汲んで書いてほしい』という。
つまり、発言は特定の国を想定した上でのことではない、というのです。
皇太子が発言を修正するなんて前代未聞。記者会では『ご発言の改ざんになってしまう!』
という声も上がりました。けっきょく、全社一致で受け入れられない、と突き返したのです」(宮内庁担当記者)
記者会の強い主張に、東宮職は引き下がったという。
この騒動を、別の宮内庁担当記者はこう分析する。「結局、雅子さまへの行き過ぎた配慮が
事態を混乱させているのです。外国訪問が〈治療上も良い〉というご発言も、海外公務を
雅子さまの私的な治療に役立てるような印象を与えてしまう。海外訪問が雅子さまにとって
いかに重要かというのがよく分かります」
海外訪問だけではない。全般的に今回の会見では、雅子さまについての言及も多く見られた。
会見冒頭、一年を振り返って印象に残ったことについて皇太子は、国内での
自然災害から話を始められたが、
「会見が始まって早々に、被災地を〈雅子と共に訪問しました〉とか、〈雅子と共に、
被災地の復興に永く心を寄せていきたい〉と仰る。他にもオランダ訪問は〈(雅子さま)
本人の努力も実り、無事に訪問を終えることができました〉など、これではまるで
雅子さまの“スポークスマン”です」(千代田関係者)
(略)
あるベテラン宮内記者も、落胆を隠さない。
「皇太子ご自身の肺腑から滲み出てきたようなお言葉には感じられませんでした。
例えば、一年を振り返ってのご感想は、被災地、オリンピック、オランダご訪問、
マンデラ大統領の追悼式の話など、総花的で事象を網羅した非常に長い回答でしたが、
まるで論文を読み上げているようでした。特に何を仰りたいのか、わからないのです」
(略)
「被災地への思いも隔靴掻痒です。言葉数ではありません。昭和天皇は災害の被災者に向かって
『気の毒に思う』とただ一言だけでした。でもそれだけで見出しになる力があった。
一緒に歩んでいただいている、という思いを国民が感じるやめにはご自身の言葉が必要なのです」(同前)
昭和62年12月、同じ54歳の誕生日を前に、皇太子時代の天皇が臨まれた記者会見は柔軟で、
腹蔵無い、ハイレベルなものだった。当時の会見は、現在のように皇太子のお答えを
拝聴するだけでなく、皇太子と記者が会話のやり取りをしていた。
「当時皇太子だった陛下は天皇の地位について、憲法の解釈や天皇機関説事件などを
引きながら、当意即妙にお答えになり、記者も、中世以降の天皇の在り方を踏まえた上で
歴史的な質問をしていたのです。一方で、浩宮さまのご結婚に時期について問われると、
殿下は〈こういうことは、前にお答えしたように、お答えしないことにしています〉と
ぴしゃりと仰る。会見は殿下の威厳を感じる場でした」(皇室ジャーナリスト)
誕生日夕刻、ようやく騒動が収まった頃、東宮御所には天皇皇后や黒田清子さん夫妻、
雅子さまの妹家族らがお集まりになり、内宴が催されたという。
「この4月に愛子さまが進学される学習院女子中等科や、夜更かしをしながらご覧になった
オリンピックについてお話しになったそうです」(別の宮内庁関係者)
(略)

皇室関係者 秋篠宮家と皇太子一家の見られ方の差を懸念する

皇室関係者 秋篠宮家と皇太子一家の見られ方の差を懸念する
2014.08.29 07:00
終戦記念日翌日の8月16日、京王プラザホテルで催された対馬丸事件の犠牲者を追悼するための
「学童疎開船を語り継ぐつどい2014」に、秋篠宮一家の姿があった。
眞子内親王、佳子内親王、そして悠仁親王を伴う一家揃っての式典出席は各メディアで大きく報じられた。
対馬丸事件とは、学童疎開船・対馬丸が1944年8月22日、沖縄から九州に疎開する学童らを乗せて航行中、
米潜水艦の魚雷を受けて沈没、約1500人が死亡した出来事で、今年は70年の節目にあたる。
秋篠宮家の対馬丸慰霊のつどいへの出席について皇室ジャーナリストの松崎敏弥氏はこう話す。
「陛下のお気持ちを時代を超えて継承していくという秋篠宮さまのメッセージが込められています。
眞子さま、佳子さまだけでなく、まだ小さい悠仁さまをお連れしたのは、
陛下が少年時代に対馬丸事件に心を痛めたのと同じ体験を悠仁さまにさせることで、
“陛下の平和への思いを、私もまた子供へと受け継いでいきます”というお気持ちを示されたのでしょう」
しかし、この秋篠宮の式典出席が、皇太子一家の静養中というタイミングと重なったことが
宮内庁関係者の間で「秋篠宮家のご活動ばかりが目立ってしまうのではないか」と懸念されたという。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏はこう語る。
「秋篠宮さまは純粋に陛下を手助けしたいというお気持ちだと思います。
ご高齢である陛下を支え、助けていくのは当然のこと。皇位継承者を見れば、皇太子さま、秋篠宮さま、
悠仁さま、常陸宮さま、三笠宮さまの5人しかいない。常陸宮さまと三笠宮さまはご高齢で、
皇太子さまは6月にポリープ手術を受けて経過観察中です。
成年皇族4人のうち一番元気なのが自分だと受け止めておられると思います」
同じ8月16日、皇太子一家は静養先の須崎御用邸で過ごしていた。
「ご静養中の1週間、愛子さまは毎日のように、朝から晩まで海水浴を楽しまれたようです。雅子さまも
伊勢神宮参拝を終えられホッとされたのでしょう、晴れやかな笑顔でいらっしゃいました」(皇室担当記者)
皇太子一家はここ数年の夏休みには約3週間の静養をとり、須崎と那須の御用邸で過ごすのが恒例となっている。
「例年、東宮ご一家は変わらない夏休みを過ごされています。今年も那須御用邸に向かわれる予定でしたが、
今回は広島の土砂災害のため日程を見合わせた」(宮内庁関係者)
そうした皇太子一家の過ごし方に疑問が投げかけられることもここ数年の“恒例”となっていた。
東宮職関係者が語る。
「雅子さまの体調もあり、一家でのご公務が難しい状況の中、静養の前にはインターハイ観戦など、
できる限りの公務をこなされてきた。ところが、その後に長期ご静養に入られると、
静養をとるためにご公務を果たされているかのように取られてしまう」
批判も覚悟で皇太子は静養を重んじているのだと見るのはベテラン皇室記者だ。
「皇太子さまがまず家族を大切にされるという姿勢は批判されるものではないでしょう。
雅子妃がご病気になられてからの10年を振り返れば、無理して公務をされた後に症状が悪化するという
繰り返しでした。ご静養の大切さは皇太子さまが一番よく理解されていると思います。
終戦記念日の8月15日にはご一家で黙祷を捧げられた。
皇族として大切なことをお忘れになっているわけではありません」
前出・松崎氏はこういう。
「皇太子さまも対馬丸事件や沖縄の歴史について両陛下の思いを継いでいこうというお気持ちは
強くお持ちでしょう。しかし、今年は愛子さまが中等科へ進学された節目の年で、
当初は遅刻や欠席などなじまれるのにも苦労されていた。
気持ちをリフレッシュさせてあげたいという思いもあったのでしょう」
※週刊ポスト2014年9月5日号
http://www.news-postseven.com/archives/20140829_272941.html


週刊ポスト2014年2014年9月5日号
平成皇室「すれ違いの夏」に吹く秋風
皇太子は私的静養、秋篠宮は対馬丸慰霊、そして天皇陛下は1万2000ページの「昭和天皇実録」と向き合う

「皇室の方々は公務を通じて皇室の役割や在り方を国民に伝えていますが、静養の過ごし方など
ごく私的な時間での振る舞いの中にも、そうしたメッセージが込められていると思います」
1970年代から皇室取材を重ねてきたベテランジャーナリストの神田秀一氏はそう語る。
今夏、天皇・皇后、東宮一家、秋篠宮一家はそれぞれ「特徴ある夏休み」を過ごしている。
そこにはどのような思いが込められているのだろうか。

「対馬丸事件」への思い入れ
終戦記念日翌日の8月16日、京王プラザホテルで催された対馬丸事件の犠牲者を追悼するための
「学童疎開船を語り継ぐつどい2014」に、秋篠宮夫妻の姿があった。眞子内親王、佳子内親王、
そして悠仁親王を伴う一家揃っての式典出席は各メディアで大きく報じられた。
対馬丸事件とは、学童疎開船・対馬丸が1944年8月22日、沖縄から九州に疎開する学童らを乗せて航行中、
米潜水艦の魚雷を受けて沈没、約1500人が死亡した出来事で、今年は70年の節目にあたる。
秋篠宮一家は生存者や沖縄の小中学生ら出席者とともに黙禱を捧げた。
「悠仁さまも、紀子さまの説明を熱心に聞かれていた。ご自身と同じ年頃で命を落とした子供たちの
遺影をじっとみつめておられました」(皇室担当記者)
対馬丸事件は今上天皇が強い思い入れを持つことで知られる。
6月27日に沖縄県を訪問した際にも、天皇め皇后は那覇市にある対馬丸記念館を訪れ、事件の生存者や遺族と懇談し、
慰霊碑に供花した。秋篠宮一家が出席した経緯について「学童疎開船を語り継ぐ会」代表の山本和昭氏はこう話す。
「私が宮内庁にお声掛けいたしまして08年に初めて秋篠宮ご一家が慰霊の集いに出席されました。
今年で3回目で、悠仁さまは初めてご出席いただきました。
天皇陛下は皇太子さまや秋篠宮さまが3〜4歳の頃から対馬丸が撃沈された22日の午後10時23分に
ご一家で黙禱を捧げられておられます。ですから両殿下とも陛下の思いをよくご存知でいらっしゃると思います。
皇太子さまにもご出席いただけるように案内を差し上げましたが、
残念ながら今回は出席できないとのお返事をいただきました」
秋篠宮家の対馬丸慰霊のつどいへの出席について皇室ジャーナリストの松崎敏弥氏はこう話す。
「陛下のお気持ちを時代を超えて継承していくという秋篠宮さまのメッセージが込められています。
眞子さま、佳子さまだけでなく、まだ小さい悠仁さまをお連れしたのは、
陛下が少年時代に心を痛められたのと同じ体験を悠仁さまにさせることで、
“陛下の平和への思いを、私もまた子供へと受け継いでいきます”というお気持ちを示されたのでしょう」
しかし、この秋篠宮の式典出席が、皇太子一家の静養中というタイミングと重なったことが宮内庁関係者の間で
「秋篠宮家のご活動ばかりが目立ってしまうではないか」と懸念されたという。
前出神田氏はこう語る。
「秋篠宮さまは純粋に陛下を手助けしたいというお気持ちだと思います。ご高齢である陛下を支え、
助けていくのは当然のこと。皇位継承者をみれば、皇太子さまる秋篠宮さま、悠仁さま、常陸宮さま、
三笠宮さまの5人しかいない。常陸宮さまと三笠宮さまはご高齢で、皇太子さまは6月にポリープ手術を受けて
経過観察中です。成年皇族4人のうち一番元気なのが自分だと受け止めておられると思います」

静養先で捧げた黙禱
同じ8月16日。皇太子一家は静養先の須崎御用邸で過ごしていた。
「ご静養中の1週間、愛子さまは毎日のように、朝から晩まで海水浴を楽しまれたようです。雅子さまも
伊勢神宮参拝を終えられホッとされたのでしょう。晴れやかな笑顔でいらっしゃいました」(前出・皇室担当記者)
皇太子一家はここ数年の夏休みには約3週間の静養をとり、須崎と那須の御用邸で過ごすのが恒例となっている。
「例年、東宮ご一家は変わらない夏休みを過ごされています。今年も那須御用邸ら向かわれる予定でしたが、
今回は広島の土砂災害のため日程を見合わせるようです」(宮内庁関係者)
そうした皇太子ご一家り過ごし方に疑問が投げかけられることもここ数年の“恒例”となっていた。
東宮職関係者が語る。
「雅子さまの体調もあり、一家でのご公務が難しい状況の中、静養の前にはインターハイ観戦など、
できる限りの公務をこなされてきた。ところが、その後に長期ご静養に入られると、静養をとるために
ご公務を果たされているかのように取られてしまう」
批判も覚悟で皇太子は静養を重んじているのだと見るのはベテラン皇室記者だ。
「皇太子さまがまず家族を大切にされるという姿勢は批判されるものではないでしょう。
雅子妃がご病気になられてからの10年を振り返れば、無理して公務をされた後に症状が悪化するという
繰り返しでした。ご静養の大切さは皇太子さまが一番よく理解されていると思います。
終戦記念日の8月15日にはご一家で黙禱を捧げられた。
皇族として大切なことをお忘れになっているわけではありません」
前出・松崎氏はこういう。「皇太子さまも対馬丸事件や沖縄の歴史について
両陛下の思いを継いでいこうというお気持ちは強くお持ちでしょう。
しかし、今年は愛子さまが中等科へ進学された節目の年で、当初は遅刻や欠席などなじまれるのにも苦労されていた。
気持ちをリフレッシュさせてあげたいという思いもあったのでしょう」

「実録」から昭和天皇に学ぶ
例年、天皇・皇后の夏休みは初日に旧満州から引き揚げてきた住民が入植した長野県の大日向開拓地を訪問し、
苦労を重ねた開拓者を慰問してきた。
「対馬丸事件もそうですが、昭和天皇の名前で始められた戦争で犠牲になった国民への祈りの時間という意味が、
両陛下のご静養に込められているのだと思います」(前出・神田氏)
今夏も例年通りの予定だったが、広島の土砂災害で多くの犠牲者が出たことを受け、
宮内庁は22〜29日に予定していた長野、群馬での静養の全日程を取りやめると21日に発表した。
「当初は一部を取りやめる予定だったが、被害が拡大していることから全日程を取りやめられました」
(前出・宮内庁関係者)
その21日、「昭和天皇実録」が天皇に奉呈された。
「『天皇実録』とは先代、あるいは先々代の天皇についての記録を今上天皇のために作り奉呈されるもので、
『昭和天皇実録』には第2次大戦から闘病記まで綴られています。
現人神から人間天皇に変わる激動の人生を送られた昭和天皇が、皇室をどのように考えてきたかを知る
最も貴重な文献であり、同時に昭和史研究の第一級資料でもある。これを静養中に読まれたいという
両陛下のご意向もあったため21日に奉呈されたそうです。昭和天皇の平和への願い、
皇室の在り方についてのお考えを休みの間に学びたいというお気持ちだったのでしょう」(前出・皇室ベテラン記者)
90年から30人体制で編纂が始まり24年5か月かけて編まれた「昭和天皇実録」は全61巻、1万2000ページに及ぶ。
宮内庁によると奉呈の際、天皇は実録の完成についてうれしく思うとともに
編集作業に携わった関係者にねぎらいの気持ちを伝えるようにとの感想を述べた。
皇室の在り方をより深く考えようという天皇、家族での静養を第一に新しい皇室のあり方を考える皇太子、
積極的に慰霊と平和へのメッセージを発信し開かれた皇室を継承しようとする秋篠宮。
それぞれの考え方の違いは何が正しいという話ではなく、比較できるものでもない。
相変わらず皇族の「すれ違い」がメディアに多く取り上げられ。この夏もそれを印象づける面が強調された。
猛暑を過ごして吹き始めた秋風を心地良く感じるか、寒々しく感じるかは
皇族と国民の心がどれだけ寄り添っているかに左右されるのだろう。

雅子さま福島慰問直前 皇太子「小和田会」でのお立場

週刊文春2013年10月3日号
雅子さま福島慰問直前皇太子「小和田会」でのお立場
皇太子ご夫妻は9月22日、福島県郡山市を日帰りで訪問された。
約一ヵ月前の宮城県ご訪問に引き続き、今年二カ所目目となる被災地の慰問だ。
ご夫妻は郡山駅から車で15分ほどの場所にある、双葉町の住民が避難している仮設住宅を訪問された。
「そこではテントの下に、高齢者を中心とした住民、約50名を前後三列に並ばせていました。
三連休の中日ということで、外出している人も多く、接見希望者の人数も少なかったのですが、
それでも予定された時間内にお声掛けすることができたのは、50名のうち半分以下でした。
(同行した宮内庁担当記者)

今回の慰問は「慌ただしいまま終わったという印象でした」と、別の宮内庁担当記者は振り返る。
「午前11時に東宮御所を出発され、午後1時に郡山に到着。
現地滞在時間が5時間という非常に短いご訪問だったからでしょう。
どの訪問場所も郡山駅に近いところばかりで、“急ぎ足の慰問”という印象は拭えませんでした。
やはり雅子さまのご体調を最優先に組まれたスケジュールで、
被災者中心に考えられたものとは言えない」(同前)
(略)

「雅子さまは郡山駅に到着されたときは笑顔も強張っているように見えましたが、
ペップキッズでは子供たち囲まれ、緊張もほぐれたご様子でした。
お二人でエアマットで飛び跳ねる場面もありました。
砂場では、先に進もうとした皇太子に雅子さまが『お父さん待って』と話しかける一幕もあったのです。
リラックスされて思わずご家庭での呼び方が出てしまったのでしょう」(同前)

日帰り慰問はつつがなく終わり、雅子さまはご満足の様子で帰途に就かれた。
だが、ある千代田関係者は不安の色を隠さずにこう話した。
「相変わらず、東宮と両陛下の交流は少なく、“途絶状態”は続いています。
両陛下は13日から17日まで葉山の御用邸でご静養されましたが、
そちらに合流されたのも秋篠宮ご一家です。皇太子ご一家はいらっしゃいませんでした」

葉山御用邸の近くに住む住民が話す。
「ご滞在中の土曜日の夕方、天皇陛下と紀子さま、悠仁さまが御用邸前の海岸の岩場にいらっしゃいました。
陛下は悠仁さまと一緒に水に入って、悠仁さまが磯の生き物を探すのを手伝っておられました。
悠仁さまは陛下も追いつけないくらいあちこちと夢中で動き回っていましたよ」

一方、天皇と秋篠宮ご一家が葉山でお過ごしになっていた16日、
東宮御所には雅子さまのご両親である、小和田恆・優美子夫妻の姿があった。
「今回、小和田恆氏は、万国国際法学会が日本で初開催する総会に合わせて帰国しました。
小和田氏は学会の会長を務めており、12日には代表者の1名として、
東宮御所で皇太子ご夫妻の接見も受けています」(別の宮内庁担当記者)
折悪く16日は台風の関東接近が予想され、一度は参内が見送られたという。
「結局、小和田夫妻はいらっしゃることになりました。皆さんで軽食を召し上がり、
小和田夫妻は、翌日オランダにお帰りになったそうです。
恆氏もご家族の集まりでは、愛子さまやお孫さんの話題に目を細めていらっしゃるそうですから、
今回も愛子さまの夏休みのご様子などお聞きになったのではないでしょうか。
雅子さまはその席で非常にご機嫌がよろしかったそうです」(東宮職関係者)

天皇皇后と秋篠宮ご一家がご静養中に開かれた「小和田会」。
この対照的な構図に、前出・千代田関係者は憂いを隠さない。
「東宮家の予定は、職員を通じて両陛下の耳にも入るでしょう。
葉山ご静養の留守中に、小和田夫妻との会があったとお知りになった両陛下は、
どのようにお感じになるでしょうか。
最近では、皇室や皇位継承者としての在り方について両陛下がお伝えになりたいことを、
秋篠宮殿下が代弁して皇太子殿下にお伝えしているようです。
葉山で直接三家族がお話になれば大変喜ばしいことですが…」

しかし、昨年9月の葉山ご静養でも、秋篠宮ご一家が天皇皇后と合流する中、皇
太子ご一家は小和田夫妻と会食をしている。
小和田夫妻の金婚式を祝う会が、東麻布の高級中華料理店「富麗華」にて開かれ、
小和田夫妻の親族を含め総勢10名ほどが集まったのだ。
今回の小和田会を知った別の千代田関係者は、愛子さまが産まれたときの小和田夫妻の振る舞いを思い出したという。
「12年前、愛子さまがお生まれになった当日、小和田夫妻は両陛下に先んじて、宮内庁病院に駆け付け、
内親王殿下と面会をされました。さらにその後、宮内庁で会見まで開いたのです。たとえマスコミから
求められたのだとしても、両陛下がまだ内親王にお会いしていない段階にです。ご遠慮すべきでした」
その後も頻繁に里帰りされるなど、小和田家との距離の近さは変わらないままだ。

記憶に新しいのは今年5月、皇太子ご夫妻がオランダを訪問されたときの“サンバイザー事件”だ。
「ご帰国前日、小和田夫妻は皇太子ご夫妻の宿泊されていたホテルを突然訪れたのですが、
駐車場に小和田家の車が到着した際、ハンドルを握っていた恆氏が、
『撮るな』と言わんばかりに、報道陣のカメラを遮るように
サンバイザーを下ろし、走り去ったのです」(皇室ジャーナリスト)
終始憤然たる恆氏の面持ちはテレビでも報道され、
小誌ではまさに凍りつく報道現場の様子を報じた(「雅子妃が『小和田雅子』に戻られた夜5月16日号)。
この金箔の一幕は、恆氏の出身官庁である外務省内外でも話題になったという。
しかし、その評判が本人の耳に届いているかどうかは定かではない。

外務省関係者が話す。
「事務次官経験者で皇太子妃の父には誰も意見できませんから。
いま務められている国際司法裁判所の判事のポストだって、
後進もつかえていますが、ご本人の強い意思もあって再任されたのです。
任期があと7年半も残っているので、終えられる頃には小和田氏は89歳になられる。
普通はご自分から道を譲るところですが、非常に名誉欲の強いお人柄ですから…」
東宮御所での「小和田会」の背景には、こうした小和田ファミリー独得の“押しの強さ”がある。

別の千代田関係者はその態度を長らく疑問視してきたが、
「それを殿下もお許しになってきたという経緯もある」と説明する。
「殿下が療養中の雅子さまをお気遣いになるのは、素晴らしいことだと存じます。
しかし、そればかりになってはいけません。
次代の天皇として、これまで身に付けてこられた帝王学を大事になさっていただきたい。
今回も小和田夫妻との会食ではなく、葉山に合流すべきだとご決断するのが皇太子の役目です。
それなのに小和田家の予定を優先させている。まるで小和田家と一体のようです。
被災地慰問にしても、本当に被災地のことを考えるのならば、
妃殿下とお二人での訪問に拘らずに、皇太子お一人でもいっらしゃればよいのです」(同前)

元宮内庁担当記者が振り返る。
「いまは東宮職を去ってしまったある幹部の落胆した顔が忘れられません。
その人物は、東宮の現状を大いに心配し、雅子妃の公務復帰についてや、
愛子さまの取材設定を増やしたほうがいいなどと進言したのに、
皇太子がひと言、『その話はもういいですから』と仰ったそうなのです。
ふだんから雅子さまと会おうとしても、30分以上も平気で待たされたり、
皇太子とは話ができても、雅子さまが首を縦にふらないケースもあったそうです」
もちろん皇太子はご病気の雅子さまを守ろうとされているのだろうが、昭和の時代から
尊敬と期待を集めてきた皇太子が、最近では、雅子さまのご意向ばかりを気にされている、
と肩を落とす関係者も多い。
ご一家とご親交のある人物は、ご家族の日常の姿に驚いたという。
「以前、ご一家とお話をしていて、殿下のあだ名の話題になったことがありました。
殿下は“デンデン”とか趣味が年寄りくさいので“ジイ”というあだ名で呼ばれていました。
そのとき、愛子さまがゲラゲラと笑っていらしたのです。
雅子さまが殿下に話すときも『〜なのよ』という敬語ではない話し言葉でした」
皇太子の学生時代を知る学習院関係者の間にも、そのイメージが広まっているのだという。
「学生時代の浩宮さまは、リーダーシップのある方ではありませんでしたが、
噴水に放り込まれて先輩のトレパンを借りて帰ったりと、とても快活な方でした。
その頃を存じているだけに、雅子さまのママ友のお相手をなさったり、
参観日で長時間、初等科にいらっしゃるご様子を拝見すると、
つい“恐妻家”のイメージが先行してしまう。どこかに雅子さまへの気遣いを感じてしまうのです」

しかし、それこそご性格ゆえと、皇太子とご親交のある学習院OBの鎌田勇氏は話す。
「皇太子殿下は、まじめで私心のない方です。人の意見に熱心に耳を傾ける方です。
国や皇室のために良いことは何かと、しっかりとしたお考えをお持ちであると思います。
ただそのご性格上、本当に大切と思われる場合以外は、ご自分の意見を無理押しされることがないのでしょう」
かつての皇太子のそばに仕えた側近は、小誌記者の問いにこう言葉を濁した。
「殿下はお優しい方ですからね。意見をはっきりおっしゃらないにしても、
たぶん妃殿下のことだけでどうこうというわけでもないと思います」
その寛容なお人柄が多くの尊敬を集めている。だが、ご家族のことだけでなく、
公正無私の御心も長く受け継いでいって頂きたい。
が感じられる。