週に二回の公務は難しい

「雅子さま週2公務厳しいと医師判断」 東宮大夫発言の波紋
2015.02.26 07:00
2月23日、55才の誕生日を迎えられた皇太子さまは東宮御所で会見に臨まれた。
国民が気になるのは、ご療養生活が12年目に突入した雅子さまに対するお言葉だ。
皇室ジャーナリスト・神田秀一氏はこう話す。
「今年も期待できる発言はありませんでした。例年同様、前年の雅子さまのご活動を羅列しただけの内容で、
皇太子さまのご発言には具体的な治療状況や復帰へのメドなどが一切含まれていませんでした。
皇太子さまが“快方に向かっている”と言い続けて、何年経ちますでしょうか。
結局、以前と何も変わっていないのが現状なのです」
そんななか、皇太子ご一家をお側でサポートする東宮職のトップである東宮大夫が、
思わず漏らした発言が大きな波紋を広げている。
2月6日、『第60回青少年読書感想文全国コンクール』の表彰式とパーティーに、おひとりで出席された皇太子さま。
「表彰式当日に行われた東宮大夫の定例会見で、小町恭士東宮大夫(69才)は“雅子さまにご出席の気持ちはあったが、
2月3日に東宮御所でOECD東北スクールのイベントに参加した高校生たちとのご接見があったばかりで、
『週に2回の公務は厳しい』と医師が判断したため欠席しました”という旨の説明をしたそうです。
この発言を伝え聞いてびっくりしました。
もうご療養生活に入られて12年の歳月が流れているにもかかわらず、
週2のご公務も厳しいほど、病状は回復されていないんだなと感じて落胆してしまいました」(皇室記者)
2年前の誕生日会見で皇太子さまは、こんなことを述べられていた。
「私としましては、今まで見ておりますと、東宮職医師団が大変によくやってきていただいていますし、
その治療を私も非常に深く多としておりますので、今のところセカンドオピニオンという考え方は特にございません」
そんな皇太子さまのお考えに従って2年──結局、“快方に向かっている”とおっしゃられるが、
実際には雅子さまのプリンセスとしてのご活動には結びついていないのが現状。
「皇太子さまと雅子さまは私人ではなく国民のために存在する公人なのです。
ですから、医師との信頼関係を優先するのではなく、雅子さまのご病気の快方を優先させていただきたいのです。
今世の中は、セカンドオピニオンだけではなく、サードオピニオンとなっている時代です。
今からでも遅くはないので、新たな医師に診察してもらうなど、
次なる行動を示さなければ、国民の理解は得られないのではないでしょうか」(前出・神田氏)
※女性セブン2015年3月12日号
http://www.news-postseven.com/archives/20150226_306296.html

週刊文春2015年3月5日号
雅子さま「ご公務欠席」会見の緊迫場面
「そもそもご体調とは何なのか?」記者も苛立った。
「正直に申し上げると、皇太子の存在を強烈に印象付ける内容はありませんでした。
天皇陛下が即位されたのと同じ55歳となられたご感想は、
『身の引き締まる思いと共に、感慨もひとしおです』と首を捻りたくなるようなお答えでした。
次代を見据えたような、凛としたご覚悟を拝聴したかったのですが……」(東京大学名誉教授・御厨貴氏)
2月23日、皇太子は55歳の誕生日を迎えられた。
記者会見で、「天皇のあり方について昭和天皇のお姿から感じられたことは」という質問に対し、
皇太子はこう述べられた。
〈研究者としてのまなざしを肌で感じ、研究をするのというのはすばらしいことだなと、子供心に思った〉
この回答にベテラン皇室担当記者は本音を洩らす。
「そういうことではなく、祖父である昭和天皇との触れ合いの中でどのようなやり取りがあり、
そこに“帝王学が垣間見えるような話を期待したのです。しかし残念ながら、肩透かしの印象でした」
(中略)
会見の少し前、記者会では雅子さまの公務出欠問題を巡って事件が起きていた。
「2月6日、東宮大夫の定例会見でのことです。雅子さまが青少年読書感想文全国コンクールの表彰式を
欠席されたことについて、小町恭士大夫から
『今週二度目のご公務になられる式典へのご出席は難しいとの医師の判断があった』と説明がなされたのです。
そこで記者から『週二回の公務が難しいとはどういうことなのか』などと、
厳しい質問が飛んだのです」(宮内庁担当記者)

にわかに会見場は緊迫したという。記者たちはさらにこんな質問を投げかけた。
―何年も前からよくわからないのだが、そもそも(出席できない時の)妃殿下のご体調というのは、
ご自分の意思があっても体が動かないという状況なのか。
「ご体調などを踏まえて、最後は医師に相談されたということです」

―症状として例えば、めまいや血圧の変化があるとか、具体的には東宮大夫もわからないのですか。
「…はい」

―昨日まで様子を見て検討していたというのは、何を勘案していたのか。
「式典に出たいというお気持ちと、ご自分のご体調などを勘案しておられた」

―ご体調として、必ずしも万全ではない何かがあるということですか。
「ご体調を勘案されたのは事実。従って昨日医師と相談されたということです」

小町大夫の説明は要領を得ないが、実は記者会もそれは“想定内”だったという。
「記者も敢えて聞いているのです。ある程度、ご回復されているという情報は記者の耳にも入っているからです。
それでも出られないのであれば、説明がなければおかしい。皇太子が55歳を迎えられたことで、
雅子さまがどんな皇后になられるか、国民も注目しています。
まずは東宮職が記者会との齟齬を埋める努力をすべきです」(前出・宮内庁担当記者)
確かに雅子さまは一部の公務では、元気そうなお姿をお見せになることもある。
2月3日には復興人材育成プログラム「OECD東北スクール」に参加した高校生と接見されたが、
パリでの復興イベントの報告を受け、ご夫妻は非常に楽しそうな様子だったという。
「雅子さまにお疲れのご様子は全く見られませんでした。事前にお送りした報告書を丹念に読み込んでくださっていた。
途中、職員がドアをノックしたのですが、皇太子さまが『無視していいですよ』とおっしゃり、
両殿下ともにもっとお話しを続けたいご様子でした」(総括責任者の三浦浩喜氏)
雅子さまの公務への参加不参加についての判断は「ご体調次第で出られたら出る」という状態で、
宮内記者たちも当日まで分からないのが現状だ。
(中略)

(ある千代田関係者)
「…皇后陛下は昨年、東宮妃の体調が整わないことがあったとしても愛子が皇族にとって節目となるような場所へ行く機会や
陛下のお話を直接聞くことがてきる機会を持ってほしい、と仰せになったことがあるのです。
かつての紀宮さまのように、天皇陛下を支える内親王として成長してほしいというお気持ちでいらっしゃる。…」
皇太子の誕生日当日に進講者らが集まった茶会にも、雅子さまのお姿はなかったという。
新しい時代の皇室は“皇后不在”となるのだろうか。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150226-00000009-pseven-soci


女性セブン2015年3月12日号
雅子さま週2公務はご無理
東宮大夫の激震発言!
(皇太子のお誕生日の会見)
「…このように、雅子は、確かに快方に向かっておりますが、
これですぐに活動の幅が広がるわけではないと思います。
お医者様からもご助言を頂いているように、体調を整えながら、
引き続き、焦らず慎重に、少しずつ活動の場を広げていってほしいと思っています」
この皇太子のお言葉について皇室ジャーナリスト・神田秀一氏はこう話す。
「今年も期待できる発言はありませんでした。例年同様、前年の雅子さまのご活動を羅列しただけの内容で、
皇太子さまのご発言には具体的な治療状況や復帰へのメドなどが一切含まれていませんでした。
皇太子さまが“快方に向かっている”と言い続けて、何年経ちますでしょうか。
結局、以前と何も変わっていないのが現状なのです」
(中略)
そんななか、皇太子ご一家をお側でサポートする東宮職のトップである東宮大夫が、
思わず漏らした発言が大きな波紋を広げている。
2月6日、「第60回青少年読書感想文全国コンクール」の表彰式とパーティーに、おひとりで出席された皇太子さま。
「表彰式当日に行われた東宮大夫の定例会見で、小町恭士東宮大夫(69才)は、
“雅子さまにご出席の気持ちはあったが、2月3日に東宮御所でOECD東北スクールの
イベントに参加した高校生たちとのご接見があったばかりで、
『週に2回の公務は難しい』と医師が判断したため欠席しました”という旨の説明をしたそうです。
この発言を伝え聞いてびっくりしました。
もうご療養生活に入られて12年の歳月が流れているにもかかわらず、週2回のご公務も厳しいほど、
病状は回復されていないんだなと感じて落胆してしまいました」(皇室記者)
2年前の誕生日会見で皇太子さまは、こんなことを述べられていた。
「私としましては、今まで見ておりますと、東宮職医師団が大変によくやってきていただいていますし、
その治療を私も非常に深く多としておりますので、今のところセカンドオピニオンという考え方は特にございません」
そんな皇太子さまのお考えに従って2年――結局、“快方に向かっている”とおっしゃっられるが、
実際には雅子さまのプリンセスとしてのご活動には結びついていないのが現状。

皇太子54歳誕生会見 前代未聞の「ご発言改ざん騒動」

週刊文春2014年3月6日号
雅子さまの外国ご訪問をめぐり
皇太子54歳誕生会見 前代未聞の「ご発言改ざん騒動」
…そして皇太子が約40分にわたる会見の締めくくりに、ご一家での外国訪問について、こう回答されたのだ。
〈やはり雅子にとっても外国訪問が治療上も良いのであれば、そしてまた、愛子にとっても
視野を広めるという意味で外国の地を見ておくことが良いのであれば、様々なことを考えて、
今後ともどのような外国訪問ができるかということをいろいろ考えていく必要があると思います。
実際、私たちもそのようなことをいろいろ考えているところではあります。〉
宮内庁担当記者が話す。
「ずいぶん具体的に仰ったなと思いました。多くの記者が『両殿下はスイスご訪問に前向きなのだ』と
考えたはずです」
昨年のオランダご訪問、被災三県のご慰問などV字回復を期待された雅子さまのご体調だが、年明けから
再び停滞期に。今年一年の見通しも立っていない状態だが、
それを占う意味でも、海外訪問は重要なイベントだと言える。
(略)
外務省関係者が内々に明かす。
「一切報じられていませんが、実はスイス大使から招待状として、正式な外交文書である
『口上書』が既に送られているのです」(外務省報道課は「そのような事実はない」と回答)
スイスは“国連一家”とも言われる雅子さまのご実家・小和田家にとっても縁の深い国。
雅子さまの双子の妹である池田礼子さん、渋谷節子さんがジュネーブ生まれであり、
礼子さんはジュネーブに本部を置く国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)勤務の経験がある。
一方の節子さんは、夫が世界保健機関(WHO)に勤めていた関係で、ジュネーブに住んでいた。
「しかし、昨年のオランダご訪問の際、雅子さまのご体調の見極めに時間がかかり、
先方の王室からの招待の返事を一ヵ月以上も引き延ばしたことで、宮内庁だけでなく、
政府関係者からも『あり得ないことだ』と批判された。その轍を踏まないために、
スイス行きについては、公表の時期など、慎重かつ秘密裡に進めようとしているはずです。
被災地訪問より先に外国訪問検討というのがニュースになるのでは見場が悪いですから」(宮内庁関係者)
例年通り、誕生日会見の質問は、記者会が事前に宮内庁とやり取りするかたちで決められた。
準備されていた五つの質問について、皇太子は用意されたペーパーを見ながら淀みなくお答えになった。
「その後、関連質問として代表の記者から二つ質問し、アドリブでお答えいただいたのです。
殿下は一言一句、言葉を選んで慎重にお答えになっていましたが、最後の最後で
〈実際、私たちもそのようなことをいろいろ考えている〉と仰った。
お心がそのまま出てしまったように見えました。やはり殿下の中で、雅子さまと一緒に外国訪問をしたい、
という思いが大きなウェイトを占めているのでしょう。
(略)
だが、会見後に事態は急転直下。東宮職は宮内記者会に対し、“発言の追加”を申し出たのだ。
「皆が千代田の宮内倶楽部に戻ってきた後、東宮職から幹事社を通じて連絡があったのです。
『関連質問問二の会見録には“一般論として”と付け加えてほしい。
記事を掲載する際にはその真意を汲んで書いてほしい』という。
つまり、発言は特定の国を想定した上でのことではない、というのです。
皇太子が発言を修正するなんて前代未聞。記者会では『ご発言の改ざんになってしまう!』
という声も上がりました。けっきょく、全社一致で受け入れられない、と突き返したのです」(宮内庁担当記者)
記者会の強い主張に、東宮職は引き下がったという。
この騒動を、別の宮内庁担当記者はこう分析する。「結局、雅子さまへの行き過ぎた配慮が
事態を混乱させているのです。外国訪問が〈治療上も良い〉というご発言も、海外公務を
雅子さまの私的な治療に役立てるような印象を与えてしまう。海外訪問が雅子さまにとって
いかに重要かというのがよく分かります」
海外訪問だけではない。全般的に今回の会見では、雅子さまについての言及も多く見られた。
会見冒頭、一年を振り返って印象に残ったことについて皇太子は、国内での
自然災害から話を始められたが、
「会見が始まって早々に、被災地を〈雅子と共に訪問しました〉とか、〈雅子と共に、
被災地の復興に永く心を寄せていきたい〉と仰る。他にもオランダ訪問は〈(雅子さま)
本人の努力も実り、無事に訪問を終えることができました〉など、これではまるで
雅子さまの“スポークスマン”です」(千代田関係者)
(略)
あるベテラン宮内記者も、落胆を隠さない。
「皇太子ご自身の肺腑から滲み出てきたようなお言葉には感じられませんでした。
例えば、一年を振り返ってのご感想は、被災地、オリンピック、オランダご訪問、
マンデラ大統領の追悼式の話など、総花的で事象を網羅した非常に長い回答でしたが、
まるで論文を読み上げているようでした。特に何を仰りたいのか、わからないのです」
(略)
「被災地への思いも隔靴掻痒です。言葉数ではありません。昭和天皇は災害の被災者に向かって
『気の毒に思う』とただ一言だけでした。でもそれだけで見出しになる力があった。
一緒に歩んでいただいている、という思いを国民が感じるやめにはご自身の言葉が必要なのです」(同前)
昭和62年12月、同じ54歳の誕生日を前に、皇太子時代の天皇が臨まれた記者会見は柔軟で、
腹蔵無い、ハイレベルなものだった。当時の会見は、現在のように皇太子のお答えを
拝聴するだけでなく、皇太子と記者が会話のやり取りをしていた。
「当時皇太子だった陛下は天皇の地位について、憲法の解釈や天皇機関説事件などを
引きながら、当意即妙にお答えになり、記者も、中世以降の天皇の在り方を踏まえた上で
歴史的な質問をしていたのです。一方で、浩宮さまのご結婚に時期について問われると、
殿下は〈こういうことは、前にお答えしたように、お答えしないことにしています〉と
ぴしゃりと仰る。会見は殿下の威厳を感じる場でした」(皇室ジャーナリスト)
誕生日夕刻、ようやく騒動が収まった頃、東宮御所には天皇皇后や黒田清子さん夫妻、
雅子さまの妹家族らがお集まりになり、内宴が催されたという。
「この4月に愛子さまが進学される学習院女子中等科や、夜更かしをしながらご覧になった
オリンピックについてお話しになったそうです」(別の宮内庁関係者)
(略)

皇室関係者 秋篠宮家と皇太子一家の見られ方の差を懸念する

皇室関係者 秋篠宮家と皇太子一家の見られ方の差を懸念する
2014.08.29 07:00
終戦記念日翌日の8月16日、京王プラザホテルで催された対馬丸事件の犠牲者を追悼するための
「学童疎開船を語り継ぐつどい2014」に、秋篠宮一家の姿があった。
眞子内親王、佳子内親王、そして悠仁親王を伴う一家揃っての式典出席は各メディアで大きく報じられた。
対馬丸事件とは、学童疎開船・対馬丸が1944年8月22日、沖縄から九州に疎開する学童らを乗せて航行中、
米潜水艦の魚雷を受けて沈没、約1500人が死亡した出来事で、今年は70年の節目にあたる。
秋篠宮家の対馬丸慰霊のつどいへの出席について皇室ジャーナリストの松崎敏弥氏はこう話す。
「陛下のお気持ちを時代を超えて継承していくという秋篠宮さまのメッセージが込められています。
眞子さま、佳子さまだけでなく、まだ小さい悠仁さまをお連れしたのは、
陛下が少年時代に対馬丸事件に心を痛めたのと同じ体験を悠仁さまにさせることで、
“陛下の平和への思いを、私もまた子供へと受け継いでいきます”というお気持ちを示されたのでしょう」
しかし、この秋篠宮の式典出席が、皇太子一家の静養中というタイミングと重なったことが
宮内庁関係者の間で「秋篠宮家のご活動ばかりが目立ってしまうのではないか」と懸念されたという。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏はこう語る。
「秋篠宮さまは純粋に陛下を手助けしたいというお気持ちだと思います。
ご高齢である陛下を支え、助けていくのは当然のこと。皇位継承者を見れば、皇太子さま、秋篠宮さま、
悠仁さま、常陸宮さま、三笠宮さまの5人しかいない。常陸宮さまと三笠宮さまはご高齢で、
皇太子さまは6月にポリープ手術を受けて経過観察中です。
成年皇族4人のうち一番元気なのが自分だと受け止めておられると思います」
同じ8月16日、皇太子一家は静養先の須崎御用邸で過ごしていた。
「ご静養中の1週間、愛子さまは毎日のように、朝から晩まで海水浴を楽しまれたようです。雅子さまも
伊勢神宮参拝を終えられホッとされたのでしょう、晴れやかな笑顔でいらっしゃいました」(皇室担当記者)
皇太子一家はここ数年の夏休みには約3週間の静養をとり、須崎と那須の御用邸で過ごすのが恒例となっている。
「例年、東宮ご一家は変わらない夏休みを過ごされています。今年も那須御用邸に向かわれる予定でしたが、
今回は広島の土砂災害のため日程を見合わせた」(宮内庁関係者)
そうした皇太子一家の過ごし方に疑問が投げかけられることもここ数年の“恒例”となっていた。
東宮職関係者が語る。
「雅子さまの体調もあり、一家でのご公務が難しい状況の中、静養の前にはインターハイ観戦など、
できる限りの公務をこなされてきた。ところが、その後に長期ご静養に入られると、
静養をとるためにご公務を果たされているかのように取られてしまう」
批判も覚悟で皇太子は静養を重んじているのだと見るのはベテラン皇室記者だ。
「皇太子さまがまず家族を大切にされるという姿勢は批判されるものではないでしょう。
雅子妃がご病気になられてからの10年を振り返れば、無理して公務をされた後に症状が悪化するという
繰り返しでした。ご静養の大切さは皇太子さまが一番よく理解されていると思います。
終戦記念日の8月15日にはご一家で黙祷を捧げられた。
皇族として大切なことをお忘れになっているわけではありません」
前出・松崎氏はこういう。
「皇太子さまも対馬丸事件や沖縄の歴史について両陛下の思いを継いでいこうというお気持ちは
強くお持ちでしょう。しかし、今年は愛子さまが中等科へ進学された節目の年で、
当初は遅刻や欠席などなじまれるのにも苦労されていた。
気持ちをリフレッシュさせてあげたいという思いもあったのでしょう」
※週刊ポスト2014年9月5日号
http://www.news-postseven.com/archives/20140829_272941.html


週刊ポスト2014年2014年9月5日号
平成皇室「すれ違いの夏」に吹く秋風
皇太子は私的静養、秋篠宮は対馬丸慰霊、そして天皇陛下は1万2000ページの「昭和天皇実録」と向き合う

「皇室の方々は公務を通じて皇室の役割や在り方を国民に伝えていますが、静養の過ごし方など
ごく私的な時間での振る舞いの中にも、そうしたメッセージが込められていると思います」
1970年代から皇室取材を重ねてきたベテランジャーナリストの神田秀一氏はそう語る。
今夏、天皇・皇后、東宮一家、秋篠宮一家はそれぞれ「特徴ある夏休み」を過ごしている。
そこにはどのような思いが込められているのだろうか。

「対馬丸事件」への思い入れ
終戦記念日翌日の8月16日、京王プラザホテルで催された対馬丸事件の犠牲者を追悼するための
「学童疎開船を語り継ぐつどい2014」に、秋篠宮夫妻の姿があった。眞子内親王、佳子内親王、
そして悠仁親王を伴う一家揃っての式典出席は各メディアで大きく報じられた。
対馬丸事件とは、学童疎開船・対馬丸が1944年8月22日、沖縄から九州に疎開する学童らを乗せて航行中、
米潜水艦の魚雷を受けて沈没、約1500人が死亡した出来事で、今年は70年の節目にあたる。
秋篠宮一家は生存者や沖縄の小中学生ら出席者とともに黙禱を捧げた。
「悠仁さまも、紀子さまの説明を熱心に聞かれていた。ご自身と同じ年頃で命を落とした子供たちの
遺影をじっとみつめておられました」(皇室担当記者)
対馬丸事件は今上天皇が強い思い入れを持つことで知られる。
6月27日に沖縄県を訪問した際にも、天皇め皇后は那覇市にある対馬丸記念館を訪れ、事件の生存者や遺族と懇談し、
慰霊碑に供花した。秋篠宮一家が出席した経緯について「学童疎開船を語り継ぐ会」代表の山本和昭氏はこう話す。
「私が宮内庁にお声掛けいたしまして08年に初めて秋篠宮ご一家が慰霊の集いに出席されました。
今年で3回目で、悠仁さまは初めてご出席いただきました。
天皇陛下は皇太子さまや秋篠宮さまが3〜4歳の頃から対馬丸が撃沈された22日の午後10時23分に
ご一家で黙禱を捧げられておられます。ですから両殿下とも陛下の思いをよくご存知でいらっしゃると思います。
皇太子さまにもご出席いただけるように案内を差し上げましたが、
残念ながら今回は出席できないとのお返事をいただきました」
秋篠宮家の対馬丸慰霊のつどいへの出席について皇室ジャーナリストの松崎敏弥氏はこう話す。
「陛下のお気持ちを時代を超えて継承していくという秋篠宮さまのメッセージが込められています。
眞子さま、佳子さまだけでなく、まだ小さい悠仁さまをお連れしたのは、
陛下が少年時代に心を痛められたのと同じ体験を悠仁さまにさせることで、
“陛下の平和への思いを、私もまた子供へと受け継いでいきます”というお気持ちを示されたのでしょう」
しかし、この秋篠宮の式典出席が、皇太子一家の静養中というタイミングと重なったことが宮内庁関係者の間で
「秋篠宮家のご活動ばかりが目立ってしまうではないか」と懸念されたという。
前出神田氏はこう語る。
「秋篠宮さまは純粋に陛下を手助けしたいというお気持ちだと思います。ご高齢である陛下を支え、
助けていくのは当然のこと。皇位継承者をみれば、皇太子さまる秋篠宮さま、悠仁さま、常陸宮さま、
三笠宮さまの5人しかいない。常陸宮さまと三笠宮さまはご高齢で、皇太子さまは6月にポリープ手術を受けて
経過観察中です。成年皇族4人のうち一番元気なのが自分だと受け止めておられると思います」

静養先で捧げた黙禱
同じ8月16日。皇太子一家は静養先の須崎御用邸で過ごしていた。
「ご静養中の1週間、愛子さまは毎日のように、朝から晩まで海水浴を楽しまれたようです。雅子さまも
伊勢神宮参拝を終えられホッとされたのでしょう。晴れやかな笑顔でいらっしゃいました」(前出・皇室担当記者)
皇太子一家はここ数年の夏休みには約3週間の静養をとり、須崎と那須の御用邸で過ごすのが恒例となっている。
「例年、東宮ご一家は変わらない夏休みを過ごされています。今年も那須御用邸ら向かわれる予定でしたが、
今回は広島の土砂災害のため日程を見合わせるようです」(宮内庁関係者)
そうした皇太子ご一家り過ごし方に疑問が投げかけられることもここ数年の“恒例”となっていた。
東宮職関係者が語る。
「雅子さまの体調もあり、一家でのご公務が難しい状況の中、静養の前にはインターハイ観戦など、
できる限りの公務をこなされてきた。ところが、その後に長期ご静養に入られると、静養をとるために
ご公務を果たされているかのように取られてしまう」
批判も覚悟で皇太子は静養を重んじているのだと見るのはベテラン皇室記者だ。
「皇太子さまがまず家族を大切にされるという姿勢は批判されるものではないでしょう。
雅子妃がご病気になられてからの10年を振り返れば、無理して公務をされた後に症状が悪化するという
繰り返しでした。ご静養の大切さは皇太子さまが一番よく理解されていると思います。
終戦記念日の8月15日にはご一家で黙禱を捧げられた。
皇族として大切なことをお忘れになっているわけではありません」
前出・松崎氏はこういう。「皇太子さまも対馬丸事件や沖縄の歴史について
両陛下の思いを継いでいこうというお気持ちは強くお持ちでしょう。
しかし、今年は愛子さまが中等科へ進学された節目の年で、当初は遅刻や欠席などなじまれるのにも苦労されていた。
気持ちをリフレッシュさせてあげたいという思いもあったのでしょう」

「実録」から昭和天皇に学ぶ
例年、天皇・皇后の夏休みは初日に旧満州から引き揚げてきた住民が入植した長野県の大日向開拓地を訪問し、
苦労を重ねた開拓者を慰問してきた。
「対馬丸事件もそうですが、昭和天皇の名前で始められた戦争で犠牲になった国民への祈りの時間という意味が、
両陛下のご静養に込められているのだと思います」(前出・神田氏)
今夏も例年通りの予定だったが、広島の土砂災害で多くの犠牲者が出たことを受け、
宮内庁は22〜29日に予定していた長野、群馬での静養の全日程を取りやめると21日に発表した。
「当初は一部を取りやめる予定だったが、被害が拡大していることから全日程を取りやめられました」
(前出・宮内庁関係者)
その21日、「昭和天皇実録」が天皇に奉呈された。
「『天皇実録』とは先代、あるいは先々代の天皇についての記録を今上天皇のために作り奉呈されるもので、
『昭和天皇実録』には第2次大戦から闘病記まで綴られています。
現人神から人間天皇に変わる激動の人生を送られた昭和天皇が、皇室をどのように考えてきたかを知る
最も貴重な文献であり、同時に昭和史研究の第一級資料でもある。これを静養中に読まれたいという
両陛下のご意向もあったため21日に奉呈されたそうです。昭和天皇の平和への願い、
皇室の在り方についてのお考えを休みの間に学びたいというお気持ちだったのでしょう」(前出・皇室ベテラン記者)
90年から30人体制で編纂が始まり24年5か月かけて編まれた「昭和天皇実録」は全61巻、1万2000ページに及ぶ。
宮内庁によると奉呈の際、天皇は実録の完成についてうれしく思うとともに
編集作業に携わった関係者にねぎらいの気持ちを伝えるようにとの感想を述べた。
皇室の在り方をより深く考えようという天皇、家族での静養を第一に新しい皇室のあり方を考える皇太子、
積極的に慰霊と平和へのメッセージを発信し開かれた皇室を継承しようとする秋篠宮。
それぞれの考え方の違いは何が正しいという話ではなく、比較できるものでもない。
相変わらず皇族の「すれ違い」がメディアに多く取り上げられ。この夏もそれを印象づける面が強調された。
猛暑を過ごして吹き始めた秋風を心地良く感じるか、寒々しく感じるかは
皇族と国民の心がどれだけ寄り添っているかに左右されるのだろう。

2018年1月-4月 雑誌記事

雅子さまの即位に向け 小和田家もバックアップ始動か
2018.01.08 16:00
1月1日の午前、皇族方や総理大臣、各国の駐在大使公使夫妻などが新年の挨拶のため天皇皇后陛下のもとを訪れた。
朝9時30分頃、雅子さまは皇太子さまと愛子さまとご一緒に、半蔵門から皇居へと入られた。
その1時間ほど前の朝8時15分、乾門を1台のハイヤーが通過した。
乗っていたのは雅子さまの両親である小和田恒・優美子夫妻だった。
ご実家である小和田家の人々は、皇后という大役を引き継がれる雅子さまにとってかけがえのない存在のようだ。
外務省のトップエリートだった恒氏は、1999年に退官後、2003年に国際司法裁判所(オランダ・ハーグ)の
判事に任命され、2009年には日本人初の同裁判所の所長に就任した。
「2012年に所長を退任したあとも判事を務める恒氏は、生活の拠点をオランダに置いています。
日本には、年3〜4回の休暇に帰ってくる程度だそうです」(外務省関係者)
恒氏と、実業家の令嬢だった優美子さんとの間に雅子さまが誕生されたのは1963年。
3年後には、双子の妹・礼子さんと節子さんが生まれた。
恒氏の転勤の関係で幼少を欧米で過ごされ、ハーバード大学に進学、帰国後は東大在学中に
外交官試験をパスされた雅子さまは、1986年に皇太子さまと運命の出会いを果たされ、1993年に皇室に嫁がれた。
当時から、雅子さまと小和田夫妻、2人の妹たちとの結束は固かった。
◆思わぬ批判も発生した
「雅子さまは、皇太子さまからのプロポーズを“住む世界が違いすぎて、自信がありません”と、
一度断っていらっしゃいます。その不安は、相当なものだったでしょう。
民間初の皇太子妃として嫁がれた美智子さまは、かつて度重なるつらい思いをされました。
雅子さまに同じ経験をさせてはならないと、雅子さまとご実家との専用電話を設置され、
優美子さんはマイカーで荷物を運び込んだりと、当時の東宮仮御所を頻繁に訪れていました」(ベテラン皇室記者)
心細い思いはさせたくないという美智子さまの配慮だったのだろう。だが、それが思わぬ批判を呼んでしまう。
「ご結婚後2か月で、優美子さんが雅子さまの元を訪ねたのは十数回に及びました。
雅子さまとご実家との距離感が近すぎて、“嫁いだという自覚があるのか”という批判が起こりました。
さらに、美智子さまが嫁がれた際に正田夫妻が“娘は皇室に差し上げた”と話していたことを引き合いに出した、
小和田夫妻へのバッシングにも繋がったんです。結婚前、雅子さまと出かける優美子さんが毛皮をまとっていたことが、
“派手すぎる”と揶揄された火種も一気に燃え広がりました」(前出・ベテラン皇室記者)
2004年3月、前年末から体調を崩されていた雅子さまは愛子さまを連れ、
長野県軽井沢町にある小和田家の別荘で療養された。1か月に及ぶ療養には、優美子さんと礼子さんも付き添った。
「民間の別荘に滞在するのは警備上の問題もあり、加えて皇太子さまがお見舞いに行かれることに
“小和田家は皇太子殿下を呼びつけるのか”という批判まであがったのです」(前出・ベテラン皇室記者)
小和田夫妻を知る人物が明かす。
「娘のためを思うことが、娘をさらなるバッシングにさらしてしまうことに、夫妻は心を痛めていました。
そして、一定の距離を保つことが、雅子さまのためだという結論に達したようです。
恒さんは2012年に国際司法裁判所の所長を退任。高齢でもあり帰国すると思われていましたが、
その後も判事という立場を継続しオランダでの生活を続けています。
その理由は、雅子さまと物理的な距離を保つためだったそうです。
自分たちが日本にいると、娘にかえって迷惑になると考えたのでしょう」
一方、日本で暮らす2人の妹たちは、ずっと雅子さまの心のよりどころだった。
慶應大学からジュネーブ国際問題研究所に進んだ礼子さんは、国連難民高等弁務官事務所勤務などを経て、
現在は2児の母。皇太子ご一家のディズニーランドや那須でのご静養に同行したこともある。
「都内にある礼子さんのマンションで開かれるクリスマスやハロウィンパーティーに、
ご一家で足を運ばれることも多い。最近では、恒例となっているご一家のスキー旅行にも、
子供を連れて同行しているそうです」(宮内庁関係者)
一方の節子さんも、東大卒で文化人類学者として活動した才媛だ。現在は夫と目黒の実家に隣接する邸宅に住む。
「実は、節子さんは昨年の12月9日に赤坂御用地を訪れています。その日は雅子さまの誕生日だったので、
東宮御所での夕食会に足を運ばれて、一緒に誕生日を祝いました。
その前日の12月8日、政府は天皇陛下の退位の日取りを2019年4月末に正式に決定しました。
それで雅子さまが新皇后になられる日が決まったわけです。雅子さまの胸中には覚悟とともに
不安もあったと思いますが、その翌日に会われた妹の節子さんにも胸の内を明かされたのかもしれません。
かつてバッシングを受けたこともありましたが、やはり雅子さまにとってご実家は心安まる場所。
不安を抱えられる雅子さまにとって、美智子さまや皇太子さま、愛子さまの存在と同様に、
小和田家がバックアップに動き出すことに心強さを感じていらっしゃるのではないでしょうか」
(皇室ジャーナリスト)
撮影/本誌・田中麻以
※女性セブン2018年1月18・25日号
http://www.news-postseven.com/archives/20180108_642476.html

雅子さま、未来の皇后に向け前進 お休みの具体的理由示す
2018.01.19 07:00
太平洋戦争末期の沖縄戦最後の激戦地・糸満市には、18万人以上の遺骨が納められた『国立沖縄戦没者墓苑』がある。
その地を皮切りに、3月18日から3日間の日程で、天皇皇后両陛下が11回目の沖縄訪問を果たされる。
「来年4月末の退位までに残された時間は、天皇皇后としての両陛下の集大成といえます。
戦跡地や被災地訪問など、これまで両陛下が心を砕かれてきたお出ましなどが続くことになるでしょう」(皇室記者)
元日から行事や祭祀が立て続けに行われ、両陛下は多忙な新年を過ごされた。そんな最中の1月9日、
皇居で両陛下、皇太子ご一家、秋篠宮ご一家が集まる食事会が予定されていた。
「恒例の新年の食事会です。めまぐるしい日々から少しだけ離れて、毎年必ずご家族で集まって
ゆったりとしたお時間を過ごされつつ、今年1年間を平穏無事に過ごせるように祈念されるそうです。
ところが、今年は皇太子ご一家のお姿がありませんでした」(宮内庁関係者)
1月4〜6日の日程で長野県にスキー合宿にお出かけになった愛子さまが、
インフルエンザに罹ってしまったことが欠席の理由だった。
「1月5日には、ご一家で参加されないことが決まったそうです。両陛下はともに80才を超えられていますし、
もしうつしてしまうようなことがあれば一大事。当然の配慮だったのでしょう。
結局、両陛下と秋篠宮ご一家のみで行われました。
ですがせっかくなら、みなさまがお揃いになれる機会に延期するという選択肢もあったのではないかと思います。
皇太子家と秋篠宮家の足並みの揃わなさに、違和感を覚えてしまいます」(前出・宮内庁関係者)
◆雅子さまは動揺されなかった
翌10日、皇居・宮殿の松の間で『講書始の儀』が執り行われた。
陛下や皇族方が各分野の権威3名に講義を受けられる新年の行事で、雅子さまは2003年以来15年ぶりに出席された。
「日本史に認知科学、光科学と大変高度な内容でした。東大からハーバード大と才媛でいらっしゃる雅子さまは、
熱心なまなざしで講義をお聞きになっていました」(前出・皇室記者)
その2日後には、こちらも新年恒例の『歌会始の儀』が行われた。
だが、『講書始の儀』と同じく15年ぶりの雅子さまの出席は叶わなかった。
「連日の行事によるお疲れを考慮してのことだったと聞いています。
新しい年を迎え、雅子さまへの期待が膨らんでいただけに、落胆の声も聞こえました。
ですが、同じ欠席でも大きな変化があったんです。
東宮大夫の会見で、欠席の理由が“一定の所作があることと、所要時間が『講書始の儀』と比べて長いことが
負担になる”と明かされたのです。これまで、雅子さまが公務などをお休みになる場合
“医師団と相談して総合的に判断した”といったような言い回しばかりで、
具体的な理由が示されることはほとんどありませんでした。皇后となられる日が来年に迫ったことで、
より国民に詳しい状況を伝えなければいけないという雅子さま、ひいては皇太子さまのお考えなのでしょう」
(皇室ジャーナリスト)
その姿勢は、前述した愛子さまの不調にも見て取れる。
「愛子さまのインフルエンザ罹患は、わざわざ宮内庁ホームページに
発症の日付やその後の対処法が掲載されたのです。これは大変異例なことで、
その背景には、間もなく“天皇皇后の娘”となられる愛子さまについて、
広く国民に知らせるべきだというご夫妻のお考えもあったといわれています。
また、長野から愛子さまのご不調を伝え聞いた雅子さまは、大きな動揺は見せられなかったと聞きます。
これまで公より私を優先し、愛子さまとの“母娘密着”が批判の的になったこともありましたが、
母親としてのお気持ちの大きさに負けないくらい、未来の皇后としてのご自覚が芽生えた証左なのでしょう」
(前出・皇室ジャーナリスト)
撮影/本誌・田中麻以
※女性セブン2018年2月1日号
http://www.news-postseven.com/archives/20180119_645054.html

皇太子さま悲壮な訴え!雅子さま救う「宮中改革」への覚悟
《あたらしき住まひに入りて 閖上の人ら語れる 希望のうれし》
1月12日、皇居宮殿松の間で催された「新年歌会始の儀」で披露された、雅子さまのお歌である。
昨年11月に皇太子さまと一緒に訪問された、宮城県名取市の閖上地区。東日本大震災から6年目の夏、
ようやく復興住宅に入居して、新生活を始めた住民と語らったときのことをお詠みになったものだ。
宮内庁関係者はこう語る。
「ご療養以来、披露された雅子さまのお歌は、愛子さまをはじめとした“私的なテーマ”が多かったのです。
今回は、被災地訪問という“公的なテーマ”でした。来年のお代替わりに向けて
“皇后になる覚悟”も伝わってきました」
しかし今回、雅子さまご本人の歌会始へのお出ましはなかった。
「雅子さまは来年、新しい皇后になられる身ですし、久しぶりのご出席となればとりわけ注目を集めるでしょう。
歌人としても高く評価される美智子さまの前で、ご自身の歌が読み上げられることに、
プレッシャーもあったはずです」(前出・宮内庁関係者)
'19年4月30日に天皇陛下は退位され、皇太子さまが新天皇として即位される5月1日、雅子さまは皇后になられる。
政府も1月9日、一連の儀式のあり方や日程を検討するため、準備委員会を設置し初会合を開いた。
昭和から平成へのお代替わりでは『即位礼正殿の儀』『祝賀御列の儀』に続き、
その夜から4日間にわたり昼と夜、計7回の宴席『饗宴の儀』が催された。
雅子さまは1月10日に出席された講書始の儀でも、かなり緊張のご様子だった。長時間にわたる宴席、
十二単での出席となる『即位礼正殿の儀』は心身ともに大きな負担となる。皇室ジャーナリストが明かす。
「儀式や宴席の一部については、皇太子さまお1人で臨まれることを検討されているようです。
今回の『即位の礼』に関しては、陛下も皇太子さまも『できるだけ簡素に』というお考えです。
そのご意向には予算削減の意味以上に、雅子さまにご無理をさせないようにというお心遣いがあるのです」
雅子さまが適応障害での療養に入られてから、今年で15年。皇太子さまは
《雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です》と
'04年5月の会見で訴えられたこともあった。
「この異例の発言にバッシングもありましたが、身を挺して雅子さまをお守りする、
皇太子さまはそのお気持ちをずっと胸に秘めていらっしゃいます。
お代替わりを前に、皇后のお役目についても検討を続け、
“ご公務の大幅削減”さえも視野に入れていらっしゃるようです。
具体的にいえば、地方行幸啓でも、皇后は式典に出席しても、視察への同行は減らす、といったことです」
こうした“宮中改革”には、なぜ『皇后陛下は来られないのか』といった批判の声も予想される。
「10年近くの長い期間をかけて、慎重にご公務の取捨選択を行っていく必要もあります。
皇太子さまはそれでも、次期天皇の重圧に耐えながらも、雅子さまを守るために悲壮な覚悟を持たれているのです」
(前出・皇室ジャーナリスト)
幾度となく《時代に応じて求められる皇室の在り方を追い求めていきたい》と発言されてきた皇太子さま。
そのご胸中について、前出の宮内庁関係者はこう語る。
「国民に寄り添うお心は、ご公務の数だけで測れるものではありません。
雅子さまがお出ましになれないときも、国民に心を寄せるお2人の強い思いを伝えていく。
そういった新しい皇室像の確立は容易ではありませんが、揺るぎない皇太子さまのお気持ちは、
やがて国民の理解を得て支持されるはずです」
皇太子さまの雅子さまへの思いが、新しい皇室への道を切り開いていく――。
https://jisin.jp/serial/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84/imperial/32338

雅子妃、ご結婚から四半世紀 未だ貫く「ご実家至上主義」
社会週刊新潮 2018年2月15日号掲載
雅子妃(54)が「皇后陛下」となられる日まで400日強。来年からは「国民の母」の役割を担われるが、
宮中からは嘆きの声も絶えないという。
ご結婚から四半世紀。未だ「ご実家至上主義」を貫かれている――という哀しみの声が。
年明け、雅子妃には特筆すべき出来事があった。1月10日に行われた「講書始の儀」に、
15年ぶりの出席を果たされたのである。お代替わりを来年に控え、ご快復傾向か、と思えるけれど、
「いやいや、一進一退というご様子です」と指摘するのは、さるベテラン皇室記者だ。
「その2日後の『歌会始』には相変わらずご欠席でしたし、宮中祭祀もお出ましにならない状況が続いています。
同じような負担の行事であっても出られたり出られなかったり。不安定な状況はお変わりないのです」
1月12日には、療養に入って以来、ほとんどお姿を見せていない「勤労奉仕団」へのご会釈もなされたものの、
「これも青森県の松風塾という高校の生徒に対してです。雅子さまは不思議とこの高校が来た時には、
お姿を見せる。こうなると、どうしても公務を選り好みなさっている、と見られてしまいます」(同)

スキー、花火、ハロウィン
むろんこうしたお振舞いは、現皇后陛下のそれとは程遠い。そして残された「準備期間」も少ない――。
そんな状況では、周囲の焦燥が募るのは当然で、
「皇后になられても、妃殿下はお仕事をまっとうするのは難しいでしょう」
とは、さる宮内庁関係者。
今年でご夫妻は結婚25年。銀婚式を迎えられるが、
「妃殿下は、今でも何かにつけ、『ご実家自慢』をされるというのです。こうした様子を聞き及び、
皇后陛下にお仕えする女官たちの間からも“あの方は未だに、我が家は素晴らしいと、
ご実家至上主義でいらっしゃる”“早くご実家から離れるべきだとみんな心配しているのに
なかなかそれが出来ない”との嘆きの声が広がっているのです」(同)
これまでも、雅子妃と父親が外務省のトップ官僚だったご実家・小和田家との“密着”は指摘されてきた。
春のスキー、夏の花火大会、秋のハロウィンなど、事ある毎に雅子妃は行動を共にされてきたし、
そもそも2004年にご体調を崩された際、妃殿下が静養されたのは、軽井沢の小和田家の別荘。
「皇室に差し上げた娘ですので」と最後まで皇后陛下との距離を保たれた正田家と比べて異例で、
時に厳しく論じられてきた。
「愛子さまが大きくなるにつれ、そういった話が出るのも少なくなりましたが……」
と嘆息するのは、さる皇室ジャーナリスト。
「精神的には、未だご実家を向いていらっしゃるということなのでしょう。
しかし、皇室というのは、国民のために私を捨てる、言わば、特殊な家庭なのです。
一方のご実家は一般のそれ。皇室に嫁がれて25年も経つのに、未だそちら寄りの心構えでは、
ご公務などままならないのは言うまでもありません」
昨年12月の誕生日には「これから先のことを考えますと、身の引き締まる思いが致します」と
皇后へのご意欲を滲(にじ)ませた雅子妃。今度はそのご覚悟が問われる1年となりそうなのだ。
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/02210556/?all=1

雅子妃の「皇后即位」に向けた父と元上司を巡る気になる動き
2018.03.07 16:00
皇太子が2019年5月の天皇即位に向けた準備を進めているのと並行して、
雅子妃の「皇后即位」に向けた準備も動き出している。
その象徴といわれるのが、雅子妃の実家である小和田家の変化だ。2月13日、父の小和田恆氏(85)が、
オランダ・ハーグにある国際司法裁判所(ICJ)の裁判官を辞任する意向を安倍首相に伝えた。
外務事務次官や国連大使を歴任した小和田氏は2003年からICJで勤務。任期はあと3年残っているが、
6月に退任して帰国する予定だ。皇室ジャーナリストの山下晋司氏が言う。
「退任は雅子妃殿下が皇后となることを見据えた判断でしょう。
来年、小和田さんは国際親善の場では元首の扱いを受ける天皇の義父になります。
そういう立場の方が、国際司法裁判所の裁判官というのは好ましくありません。
政府・宮内庁の意向も影響していると思います」
雅子妃の両親がオランダに滞在中は、都内在住の2人の妹と時折会ってきた。
「皇后即位を控えたタイミングでの両親の帰国は、何より心強い支えとなるでしょう。
かつて小和田ご夫妻が東宮御所を訪れる回数が多すぎるとの批判もありましたが、
そうした声が出ないように配慮した上で、陰からバックアップをなさるのではないでしょうか」(宮内庁関係者)
もう一つ気になる動きがある。2月27日に駐米大使の退任会見を開いた佐々江賢一郎・元外務事務次官の動向だ。
佐々江氏は雅子妃の外交官時代の上司で、深い信頼関係にあるという。
「雅子妃をバックアップする体制に協力するのであれば非常に心強い存在で、
将来の侍従長候補とも言われています」(同前)
公務でも「平成流」とは違う新たなスタイルを模索する動きがあるという。
皇室ジャーナリストの渡辺みどり氏が語る。
「現在の天皇皇后両陛下は、常にお二人でお出ましになるという形が定着していますが、
皇太子ご夫妻は公務を分担して別々に活動するという可能性も考えられます。
雅子さまは元々活動的なお方ですし、英語だけでなくロシア語も堪能です。
皇后になって“海外の公務は雅子さま”というように分担されれば、さらなるご活躍が期待されるでしょう」
元外務官僚の雅子妃は結婚当初、新たな「皇室外交」の担い手として期待されていたが、
それが叶わぬことが体調を崩す原因のひとつとなったとされる。時を経てついにその期待が実現するのかもしれない。
※週刊ポスト2018年3月16日号
https://www.news-postseven.com/archives/20180307_656977.html

雅子さま、タイ訪問は厳しくも3年ぶりの海外訪問で「花の都」秋のパリへ
週刊女性2018年4月24日号
2018/4/10
「皇太子ご一家は、3月末に4泊5日の日程で、長野県で静養されていました。
県北部のホテルを拠点に、ブラジル訪問から帰国された皇太子さま(58)とともに、
“家族の時間”を楽しまれていました」(東宮職関係者)
3月20日に3学期の終業式を迎えた愛子さま。
一部では、お友達と都内のカラオケ店や、学習院高等科の野球部が臨んだ春季大会の試合に、
お忍びで足を運んだと報じられるなど、春休みを満喫されているようだ。
一方で、“勉学”にも励まれる予定のようだ。
「4月上旬に高校2年生の始業式を迎える愛子さまは、学習院以外の大学も視野に入れられています。
具体的には、一橋大学や筑波大学、上智大学のほか、海外の大学も候補に挙がっていると聞いています」
(東宮に近い人物)
高校2年生ともなれば、受験勉強も本格化する時期だが、今夏には海外留学も検討されていると
前出の東宮職関係者は話す。
「学習院の海外研修プログラムを利用し、短期留学をされる方向だそうです。
候補国は、イギリスやオーストラリアなどですが、
仲よしの友達といろいろ相談して決められるのではないでしょうか。
すでにご両親も留学を了承していて、愛子さまの意思を尊重される方針のようです」
勉強とプライベートのどちらも充実されている愛子さまだが、お母さまである雅子さまも、
とある“挑戦”を計画中とのこと。
実は今年、'15年に訪れたトンガ以来の海外公式訪問が検討されているという。
「時期はまだ未定ですが、今年中に皇太子さまがタイを訪問される予定です。
'16年に即位した同国のワチラロンコン国王の祝賀関連行事に臨席されるためなのですが、
その折に雅子さまも皇太子妃として同行される可能性があるのです」(宮内庁関係者)
しかし、とある皇室ジャーナリストは、雅子さまのタイ訪問は「現実的に厳しいのでは」と語る。
「まず、“気温”の問題があります。タイは平均気温が高く、1年中蒸し暑い気候なので、
『適応障害』で療養中の雅子さまにとってはハードルが高いかもしれません。
さらに今回のような祝賀行事は、格式ばった場が予想されますが、そういった緊張感のある公の場では、
“プレッシャー”も大きいでしょう」
皇室を長年取材するジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡邉みどりさんは、
今年1月の新年行事を例に出して説明する。
「今年初めにあった『講書始の儀』は、基本的に座って講義を聞くだけということもあり、
雅子さまも参加されました。
しかし、その2日後に行われた『歌会始の儀』では、決められた所作があるからなのか、ご出席を見送られました。
やはり、ご病気のことを考えると、厳かな雰囲気で、しかも段取りが決まっている緊張感のある行事への参加は、
難しいのかもしれません」

タイ訪問よりも可能性があるのは……
残念ながら、タイ訪問は厳しそうとのことだが、もうひとつ、雅子さまが訪問を検討されている国があるという。
それは、あの“花の都”─。
「今秋、フランスに皇太子ご夫妻がそろって行啓される可能性があるそうです。
今年は日仏外交関係160周年という節目で、政府から皇太子さまにフランスご訪問を打診しています。
この件は公務扱いとなり、“雅子さまも同行するのでは”と関係者の間でうわさになっているのです」(外務省関係者)
フランスといえば、'94年に両陛下が公式訪問された際、ミッテラン大統領(当時)が
“異例”の歓迎ぶりで、もてなした過去がある。
「エリゼ宮で開かれた大統領主催の晩さん会では、エリザベス女王の訪仏時を上回る240人が招待されました。

加えて、通常は大統領が顔を出さない在仏大使主催の答礼レセプションにも出席したり、
昼食会まで開くという手厚い配慮が行き届いていたんです」(皇室担当記者)
そんな良好関係が続くフランスで、おふたりがお立ち寄りになる可能性があるのは、
パリで開かれる日本文化を紹介する企画『ジャポニズム2018』だという。
「『ジャポニズム2018:響き合う魂』というタイトルのもと、両国の関係機関が連携して取り組んでいる一大行事です。
歌舞伎や茶道などの公演や、アニメ・漫画を紹介する展覧会などを開き、
日本文化の魅力を世界的に発信することを主目的としています」(前出・外務省関係者)
この計画が実現すれば、雅子さまにとって、皇室入りしてからは初めてのフランスご訪問となる。
実現する可能性を、前出の皇室ジャーナリストはこう示唆する。
「雅子さまは、昨年から体調が回復されているのは明らかで、
宿泊を伴う地方訪問や都内の公務にも積極的に参加されています。
さらに先日、皇居・東御苑の音楽堂で行われた『音楽大学卒業生演奏会』では、
皇太子さまがブラジル訪問で不在でしたが、きちんと参加されていました。
少し緊張した面持ちでしたが、美智子さまと談笑されるなど療養中だとは感じさせない雰囲気でしたね」
外国語も堪能な雅子さまは、昨年10月に来日したデンマークのメアリー皇太子妃と談笑された。
もともと雅子さまは、“国際親善”を目指して皇室入りしたといわれているため、
フランス訪問も前向きにお考えになっていることだろう。
「雅子さまは、以前から国連大学にたびたび足を運び国際関係の勉強をされています。
昨年4月にはスウェーデン皇太子、10月にはデンマーク皇太子夫妻が来日の際に、
夕食会を開いて、コミュニケーションをうまくとられていました。
1年後には皇后陛下になられる雅子さまですから、フランスご訪問は、
皇太子妃時代の“ご勉強の集大成”といえるでしょうね」(渡邉さん)
お代替わりまで約1年。皇太子妃として最後の海外訪問に期待がかかっている─。
http://www.jprime.jp/articles/-/12117

愛子さまの休日 カツ丼とお団子をペロリ 高円宮家の絢子様とバッタリ鉢合わせ
2018.4.16 12:26
4月15日の日曜日。学習院女子高等科の2年生に進級したばかりの愛子さまが、
学習院目白キャンパスで開かれた「オール学習院」に姿を見せた。
これまでほぼ毎年、愛子さまはチェロ、皇太子さまはビオラ奏者として「オール学習院合同演奏会」に出演し、
客席では雅子さまが父娘の共演を見守るのが常だった。だが、OGとしての演奏参加は中等科までという決まりがある。
今年は後輩たちに客席から拍手を送る役目に徹した。愛子さまの演奏がないためか、
皇太子ご夫妻もキャンパスに姿を見せなかった。
一昨年、愛子さまの15歳の誕生日写真が公開されるとその「激やせ」ぶりで、世間を驚かせたことは記憶に新しい。
昨年の「オール学習院」では、折れそうなほど細い身体や足に、記者も目を見張った記憶がある。
しかし、すぐに状況は好転。4ケ月後の昨年夏には、以前のふっくら愛子さまに戻っていた。
この日の愛子さまも、ぷくぷくのほっぺに、ぽっちゃりと健康的な姿を見せてくれた。
ポニーテールに小顔効果が高い「横髪」をさりげなく残した、ヘアアレンジ。
そして肩にかけた紺の通学バックには、ふわふわの青色の着ぐるみに包まれたミッキーとテディベア―など
いくつものキーチェーンがぶらさがるなど、キャンパスに現れた愛子さまは、16歳の女の子そのものである。
お友だちとふたりで、歩きまわってお腹がすいたのだろうか。お昼どき、愛子さまが学食で選んだのは、
ボリューミーなカツ丼(380円)。小鉢の豆腐とみそ汁がついて892キロカロリーのセットをペロリと平らげると、
売店でたっぷり餡子が絡んだお団子セット(150円)を購入。
きゃっきゃとはしゃぎながら、お友だちと建物の奥に消えていった。
デザートタイムを満喫したあとは食後の運動。緑に覆われたキャンパスを奥に進み茂みを下った先に馬場がある。
皇居を除けば都内で唯一の馬場だ。
「愛子さまは馬がお好きみたいですね」、とは学習院の関係者。初等科の頃から、オール学習院に参加すると
必ず馬場に立ち寄り、馬に餌を上げたり体験乗馬のイベントに参加してきた。
馬術部のお兄さん方が、手綱を引くなか馬場をゆっくり回った。毎年の恒例イベントとはいえ、
馬上から、くったくない顔でお友だちに笑いかける愛子さまだった。
次に立ち寄ったのは、「お楽しみ縁日」のスペース。侍従に通学バックをさっと預け、射的を楽しむ愛子さま。
ここでは、「親戚同士」ばったり鉢合わせというハプニングもあった。
輪投げコーナーでは、黄緑のスタッフ用上着をはおった、色白のきれいなお姉さんが優しい表情で
子どもに遊び方を教えていた。高円宮家の三女、絢子さま(27)である。城西国際大学で福祉を学び、
いまは同大学の福祉総合学部研究員として勤務しているだけあって、子どもへの接し方も堂にいったもの。
デニムのパンツに黒いスニーカー。ブルーシートやコンクリートの床にひざをついて子どもの目線に合わせながら、
可愛くて仕方がない、といった表情で話しかけている。以前よりもすっきりと痩せて、
明るい茶色のボブカットがよく似合っていた。
おもちゃを取りに来た愛子さまと鉢合わせた絢子さまは、愛子さまににっこりと笑いかけた。
しかし、愛子さまは学校で
「親戚」と会ったのが照れくさいのか、恥ずかしそうに笑って会釈をすると、
お友だちと走りながら縁日コーナーをあとにした。
昨年よりも走り回ることが減り、ジュースをお供に座ってお友だちとお喋りする時間が増えるなど、
お姉さんらしい時間の過ごし方が増えたように感じた。
「オール学習院」終了は午後4時――。この日も、蛍の光の曲が大音響で流れ、
イベント終了を告げるアナウンスが流れても気にするそぶりもなく、遊び続ける様子は例年と同じである。
この日も愛子さまとお友だちは、4時半を過ぎて再び馬場に向かい、馬に餌をあげに行ってしまう。
「もう終了時刻を大分過ぎているので」と学習院側のスタッフが慌てて追いかけるが、
付き添いの東宮職員が注意する気配もない。
身辺警護のためについている皇宮警察の側衛や警視庁職員ら大勢の大人たちは、
愛子さまが帰るまで付き添い、警備体制を敷く。結局、愛子さまが学習院をあとにしたのは、
終了時刻を1時間ほど過ぎた午後5時前だ。
来年の5月には天皇の代替わりの儀式が執り行われ、愛子さまは天皇と皇后の娘という立場になる。
天真爛漫な少女から、さらにひとまわり成長されることだろう。(本誌・永井貴子)
※週刊朝日 オンライン限定記事
https://dot.asahi.com/wa/2018041600022.html

愛子さま学習院内部進学へ 東大説囁かれるも受験クラス入らず
新学期を迎えてすぐの4月12日のこと。学習院女子中・高等科の通学路には、新緑まぶしい木々が風に揺れていた。
その下を愛子さまが、ご友人とガールズトークに花を咲かせながら、笑顔で校舎に向かわれた。
学習院女子高等科の保護者はこう語る。
「春休み期間中に、愛子さまは、お友達とご一緒に学習院高等科野球部の試合を観戦され、
別の日には、カラオケやボウリングも楽しまれたようです。
最近は、こうしたお出かけに、愛子さまのほうからお友だちを誘われることもあるようですね」
この春は愛子さまのはつらつとしたお姿を多くお見受けしている。
しかし、女子高等科2年に進級された愛子さまにとって、大きな転機があったようだと、学習院関係者が語る。
「高2からは5クラスのうち2クラスに、他大学への受験を希望する生徒が振り分けられるのですが、
愛子さまはその2クラスに入らなかったそうです。つまり、これまで報道の報道で名前の挙がっていた、
雅子さまの母校である東大、上智、ICU(国際基督教大学)などの受験をやめて、
学習院大学への内部進学を決められた可能性が高いのです」
学習院女子高等科では、約7割の生徒が内部進学で学習院大学に進み、外部の大学を受験するのは3割程度。
中等科のときから愛子さまと仲のよかったお友達の多くは、医学部や獣医学部を目指す“受験組”だという。
それでも愛子さまが、「外部受験をやめる」と決意された背景には、何があったのだろうか。
皇室ジャーナリストは、「眞子さまのご結婚延期が、影響している部分もあるのでは」と見る。
「眞子さまも小室圭さんとICUのキャンパスで出会われましたが、自由に外出することも難しい皇族方にとっては、
大学がご結婚相手を見つける貴重な“出会いの場”でもあるのです。
学習院は皇族のための学校でした。かつては旧皇族や旧華族の家の方達の多くも、学習院で学んでいます。
皇族方を支えたいと考えているOB、OGの人脈も残っています。
小室圭さんの借金トラブルが報じられ、眞子さまのご結婚が延期になった今、
関係者の間では『学習院で将来のお相手をお選びになれば安心だ』という声が日に日に大きくなっていたのです」
前出の学習院女子高等科の保護者は、喜びを隠さない。
「愛子さまに、学習院大学に進学していただけるのであれば、これほどうれしいことはありません。
眞子さまの後を追って佳子さまも、学習院大学を中退してまでICUに行かれてしまいました。
悠仁さまは、幼稚園からお茶の水女子大附属ですし……」
来年5月には皇太子さまが新天皇に即位され、愛子さまにも大きな注目が集まるようになる。
「雅子さまとしては、むしろ皇族の受入れ態勢がしっかりしている学習院のほうが、
愛子さまがと学生生活を送れるとお考えになったのでしょう。愛子さまも、昨年は外国の要人と英語で懇談されるなど、
皇族としてのご活動にもやりがいを見出されているように感じられます。
愛子さまが大学生になられる’20年には、東京オリンピックが開催されます。
世界中の王族や要人も東京に集まりますから、皇太子さまや雅子さまと一緒に、
愛子さまもご接遇のため、お出ましになるに違いありません。“新天皇の娘”として、私に何ができるのか――。
お代替わりが近づくにつれ“受験よりよりも大切なことがある”と、
愛子さまはお考えになったのでしょう」(宮内庁関係者)
この春、人生の転機となる決断をされた愛子さま。
1年後の新体制に向けて、皇族としてのご自覚を、日々強められていく――。
http://blogos.com/article/291783/

雅子さまを「会見拒否」に向かわせる“15年前のトラウマ”
2018年04月25日 16:00 JST
東京都港区の「ホテルオークラ東京」別館に到着された皇太子さまと雅子さまが式典会場に入られると、
招待客が万雷の拍手でお迎えした。
4月18日、皇太子さまご夫妻は日本とアメリカの交流団体「ジャパン・ソサエティー」の記念式典へご出席に。
「髪をアップにされた雅子さまは、ご表情も明るかったです」(宮内庁関係者)
お代替わりを1年後に控える皇太子さまと雅子さまは、6月9日に銀婚式を迎えられる。
今年に入ってから記者クラブ「宮内記者会」は、この日に向けて東宮職に、ある強い要望を出しているという。
「結婚25年を記念して、ご夫妻お揃いでの“銀婚式会見”を開いていただきたいという要望です」(宮内庁関係者)
天皇皇后両陛下も、皇太子ご夫妻時代の'84年、銀婚式をお迎えになり、おそろいで会見に臨まれている。
「雅子さまが最後に会見に出席されたのは、長期ご療養に入られる前の'02年12月。
それから実に15年半もの間、会見が開かれていません。
宮内記者たちにとって銀婚式は、雅子さまの貴重な肉声を取材・報道できる千載一遇のチャンスなのです」
しかし、前出の宮内庁関係者の表情は暗い。
「現時点で、銀婚式の記者会見を実現するのは、非常に難しい気配です。
なぜかというと、雅子さまご本人が、会見出席を断固として拒否されているからだそうです」
適応障害の療養に入られる前は雅子さまも、多くの記者会見に臨まれてきた。
「しかし、それが批判的な報道に繋がったこともあり、
雅子さまにとっては“トラウマ”というほどの体験だったようなのです」
そう話すのは、ベテランの社会部記者だ。
愛子さまご誕生後の'02年12月、ニュージーランド、オーストラリアご訪問に際しての会見では、
ご結婚後8年間お子さまに恵まれず、なかなか海外に出られなかった苦しさをお話しになった。
それは、海外生活が長く、外交官を志されていた雅子さまにとっては率直なお気持ちだった。
だが、言葉尻をとらえて「皇室の将来を担う男のお子さまを産むことより、
自分の好きな海外訪問のほうが大事なのか」などと筋違いの批判をする記事も散見された。
「雅子さまにとっては、悪夢のような出来事だったでしょう。
帯状疱疹を発症し緊急入院されたのは、その1年後、40歳のお誕生日会見の直前でした。
適応障害を発症されたのも、会見ご出席の重圧が要因の一つになった可能性があります。
それ以来、雅子さまは報道陣との接触を極端に避けられるようになりました。
地方でのお出ましでも、集まった記者団の前を車で素通りされることもあり、
記者クラブとは一時“冷戦状態”となってしまいました。
今回も理由を説明せず銀婚式会見を行わなければ、
再びその状態に陥ってしまう可能性もあります」(前出・社会部記者)
しかし、適応障害の回復期にある方たちにとって、自分の状況を周りの人たちに説明することは、
改善への大事なステップともいわれている。精神科医で立教大学教授の香山リカさんはこう話す。
「雅子さまもいずれ、会見で国民に説明される機会は、必要になってくるでしょう。
しかし、今は皇后となることが最優先です。それ以前に記者会見で失敗されると、
せっかくの回復傾向が逆に悪化に向かう可能性もあります。
皇太子妃として、ご自分のお言葉で語られることは大切ですが、新皇后になられてからでも遅くはないと思います」
雅子さまが会見のトラウマを払拭され、自ら語られる日が早く訪れることを願いたいーー。
https://jisin.jp/serial/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84/imperial/34133

政府文書から見えた皇室典範改正の「裏」

2006.5【検証】小泉政権下の危機
月間正論平成18年5月号
政府文書から見えた皇室典範改正の「裏」
産経新聞政治部記者 阿比留 瑠比

二年前に「女性・女系容認」
小泉純一郎首相が賛否が割れる女性・女系天皇を認める皇室典範改正を任期中に強行しようとしたことと、
そうしたときの最高権力者の政治的思惑が、秋篠宮紀子様もご懐妊という皇族の自然な営みによって、
まるで鮮やかな「平手打ち」をくらったように頓挫するさまは、実に多くのことを考えさせられた。
同時に、ふだんはあまり皇室に関心を持たない国民にとっても、
日本の守るべき伝統、世界に発信すべき文化とは何かを見直すいい機会になったのではないだろうか。
実際、この問題が現実の政治課題として浮上してきた昨年来、インターネットのブログ(日記風ホームページ)では、
単なる男系・女系の是非をめぐる論争だけではなく「初めて皇室の歴史や、世界の中での位置づけを意識した」
「日本にとって皇室とは何かを考えた」といった記述が目立った。
中には、「皇室が軽んじられると、どうしてこんなに腹が立つのか不思議だ」という
若者によるらしい書き込みも見られた。
小泉首相が、本心から皇室の将来を心配して皇室典範を改正しようとしたのか、
構造改革の一環として安易に「皇室改革」を思いついたのか、
あるいは「すでに忘れられつつある郵政民営化以外に、
歴史に残る業績が欲しかった」(自民党元派閥領袖)のかは分からない。
ただ、産経新聞が入手した政府の極秘文書によると、
小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」(座長・吉川弘之元東大総長)が発足する七ヵ月前の
平成16年5月に、内閣官房と内閣法制局、宮内庁などの官僚で構成する政府の非公式検討会が
女性・女系天皇容認を打ち出していたことが判明している(2月17日、産経新聞長官で既報)。
後に詳述するが、有識者会議の設置や論議の方向性は、非公式検討会の筋書きに沿って進められたとみられる。
小泉首相の「皇室典範改正意欲」にしても、このレールに乗っかったものであることは間違いない。

基本的な知識すらなかった有識者会議座長
有識者会議は、16年12月に十人のメンバーが発表され、17年1月に初会合を開催。
わずか十七回、十ヵ月の議論で有史以来の皇室伝統の大転換となる女系天皇容認を提言した。
有識者会議は、皇室の歴史や皇室制度の専門家がほとんどいないうえ、
委員の中には「何で私が選ばれたのかまったく分からない」と話す人物もいて
「あれは無識者会議」(元宮内庁長官)とも揶揄された。
吉川座長自身、初会合後の記者会見では憲法に定められた天皇の国事行為と宮中祭祀の区別もついておらず、
「委員間の知識の差がありすぎる」(政府関係者)ため、有識者会議発足後最初の五ヵ月は、議論というよりも
皇室の歴史・制度に関する「勉強会」に費やされたほど。
その一方で、委員の中には『男女共同参画社会 キーワードはジェンダー』という
論文集の序文を担当した吉川座長をはじめ、政府の男女共同参画審議会会長を務め、
「女性学」の専門家である岩男寿美子・武蔵工大教授、
国会で女性天皇実現を主張した園部逸夫・元最高裁判事(有識者会議副座長)らが入っていたことから、
「初めに女性天皇ようにんの結論ありきの会議」(皇室研究家)なのはいわば見え見えだった。
もっとも、有識者側は「われわれは白紙で議論した」(委員の古川貞二郎前官房副長官)と主張していた。
しかし、これも岩男氏が自身が編集長を務める海外向け雑誌『ジャパンエコー』2月号に、
有識者会議に対する拙速批判への反論として書いた次の一文が見事に打ち消している。
「奇妙な反論がある。それは、こんな重要な問題で、一年以内に結論を得るというのは拙速すぎるというものだ。
しかし、この問題は実は、われわれの有識者会議の設置に先立つ七、八年前に、
内閣官房のグループによって研究されていた」
有識者会議が先行する政府の非公式検討を下敷きにしたものであることを認めた形だが、
国内では口を閉ざしていても、海外に対してなら本音を話してもかまわないというのだろうか。
「ジャパンエコー」は在外公館を通じて世界各国の大学や研究機関に配布されており、影響力は少なくない。

「政府」の判断とは何か
それにしても強く感じるのは、この有識者会議の運営は実に下手だったということだ。
というよりも、国民にそっぽを向かれ、批判を招くようなやり方ばかりをとっていた。
平成8年ごろ、皇位継承問題について非公式に研究するよう古川氏に指示した橋本龍太郎元首相は
「プロセス、手順に非常に不満を持っている。
同じ結論に達するにしろ、少なくとももっと慎重さが必要だ」と指摘するが、まったくその通りだろう。
例えば、有識者会議の(1)論議は密室で行い、内容は吉川座長が概略を事後ブリーフィングで伝えるのみ。
発言者は一切明かさない
(2)委員には箝口令を敷き、個別取材には応じさせない
(3)皇室典範改正の当事者(改正により皇位継承順位が変わる)である
皇族方のご意見は聴こうともせず、それどころかご意見表明を軽く扱う―などである。
過度の政治的発言が封じられている皇族方の中にあって、あえて火中の栗を拾おうと
女系天皇容認に憂慮を示した天皇陛下のいとこ、寛仁さまの発言に対し、
吉川座長は「どうということはない」「議論に反映することはない」と言い放った。
また、岩男氏に至っては「ジャパンエコー」の中で「彼の時代錯誤には驚くしかない」とまで決め付けている。
橋本元首相は産経新聞の取材に対し、古川氏に二度にわたって皇族方の意見を求めるよう
申し入れて断られたことも明らかにしているが、こうした傲慢さ、思い上がりはどこから来るのか甚だ不思議だ。
有識者会議の人選は、「内閣官房が宮内庁と相談してリストアップした」
(柴田雅人・内閣官房皇室典範改正準備室長)というが、
政府は皇室や皇族に敬意を払わない人を集めて皇位継承のあり方を論じさせ、
一体どうするつもりだったのかと問いたい。
吉川座長は「(皇族に意見を)聴いてはいけないという政府の判断だった」とも述べているが、
昨年10月に就任した安倍官房長官は「前任者らからそういう引き継ぎは受けていない」と話している。
「政府」とはだれを指すのか。皇位継承のあり方を考えるという重要な役割を受けたにもかかわらず、
委員の出席率も高いとはいえない。緒方貞子・国際協力機構理事長は、
出欠が明らかにされている十五回の会合のうち、三分の一以上の六回も欠席している。
委員の中からも「一部の人は不まじめだ」との批判が出ていたのが実態であり、
別の委員からは「古川さんが全部仕切ってしまうので、出席しても仕方がない」という声も漏れていた。
有識者会議の報告書提出を受けて公明党の冬柴鉄三幹事長がコメントした
「有識者会議のメンバーは日本の良心」という言葉がいかにも白々しく感じられる。
ちなみに、インターネットなどでは吉川座長が学生時代、
共産党の下部組織である民主青年同盟に所属したとの情報が飛び交っているが、
柴田氏は「われわれが調べた限り、そういうことが具体的にあったとは承知していない」
(3月8日の参院予算委員会での答弁)としている。
柴田氏は厚生省出身で、同省出身の古川氏、羽毛田信吾・宮内庁長官の信頼が厚いとされる。

最初から結論ありき
ともあれ、「(われわれは)歴史をつくる立場だ」と高らかにうたった有識者会議には、
先行する非公式検討会があった。
以下、その検討過程と内容を見ていきたい。
【平成8年】宮内庁で勉強のための基礎資料を作成。
【9年4月‐11年3月】宮内庁、内閣官房、内閣法制局の官僚に、官僚出身の大学教授らが加わり、第一期研究会を開催。
後に有識者委員となる古川氏の名前もあるほか、大森政輔・内閣法制局長官らもメンバーとなっている。
皇位継承問題を最重要課題として念頭に置きつつ、皇室制度全般を対象とした。
皇室制度と戦後日本の政治社会とのかかわり、国民意識・社会情勢の変化への皇室制度の対応について考察した。
第一期研究会に参加した大学教授は「当時、宮内庁の鎌倉節長官、森幸男次長も出席して何回か会合を持った。
『女性天皇を認めてその配偶者が一般男性だった場合、皇統は女系に移る。女系天皇に対する国民感情がどうなるかが
最大の問題だ。その場合、天皇のありがたみはどうなるか。わからないなあ』というところで議論は終わった。
旧皇族の皇籍復帰は議論しなかった」と証言する。
【11年4月-12年3月】メンバーは第一期と一部重複しているほか、有識者会議委員となる園部氏も名を連ねている。
第一期研究を踏まえ、望ましい象徴天皇の法的位置づけのあり方を検討。
皇室制度に対する国民意識、皇室伝統の観点から皇室制度のあり方を考察した。
第二期研究会のメンバーの一人は「女性・女系天皇にどういう問題があるか、
認めるうえで妨げはあるかという観点から研究した」と説明する。
【13年4月-15年4月】皇位継承制度改定を検討する場合に必要となる資料の作成、整理などを実施した。
12年4月は、皇太子妃、雅子さまのご懐妊が判明した月に当たり、ご
懐妊、愛子さまご出産に合わせて一時、検討が中断されたことが分かる。
【15年5月-16年6月】内閣官房副長官、内閣法制局長官、内閣法制局次長、宮内庁長官、宮内庁次長の協議による
「基本方針」の下で、内閣総務官、内閣法制局第一部長、宮内庁長官官房審議官らが共同で検討。
この時期に、女性・女系天皇容認が政府内で既定方針となったとみられる。
【16年7月-12月】内閣官房と宮内庁が連絡をとりつつ、公式検討に向けて準備を行った。
現皇室典範改正準備室長の柴田氏も事務方として加わっていたようだ。

今回、産経新聞が入手した16年5月10日付の政府文書「皇位継承制度のこれからのあり方について」は、
「皇位継承制度の改正」と題した項で、「皇位継承資格を男系男子に限定する現行制度では、
象徴天皇制度が維持できず、皇位継承資格を女性にも認めるべきだ」と明確にしている。
皇位を男性に限定しない理由については、国民意識は、女性が皇位に就くことを認めている
▽歴史上、女性天皇が存在する▽女性に皇位継承資格を認めることにより、
直系による継承の可能性が拡大する(これは、世襲における直系優先という
一般的な国民意識に沿うとともに、直系による継承の尊重という皇位継承の歴史・伝統に沿う)
―の三点を挙げている。
男系に限定しない理由では、国民は、皇位は男系でなければならないと考えていない
▽皇位は天皇の血統に属する者が継承することが
本質であり、男系ではなくても皇位の意義は変わらない
▽男系維持のために養子制度を導入したり非嫡出子に皇位継承資格を
認めることは、多くの国民の理解を得ることは困難―の三点を示している。
いずれも主に「国民意識」「国民の理解」を根拠としており、
「国民の理解と支持」を強調した有識者会議の報告書と論理展開が似通っている。

改正に向けた手順まで
ただ、文書は皇位継承順位については「長男優先と長子(第一子)優先の二つの考え方がある。
いずれの案を採るべきかについては、
皇位継承のあり方についての国民意識を見極めて総合的に判断すべきだ」として結論を出していない。
この点は「制度として分かりやすい」として
長子優先を打ち出した有識者会議の方が一歩踏み込んでいる。
「長子優先」は、たとえ今後、皇太子ご夫妻や秋篠宮ご夫妻に男子が生まれても、
何が何でも愛子さまを皇位に就けるという「過激な案」(自民党幹部)。
これについては、政府内でも「国民になじむのか」(高官)と懸念する意見が根強かったが、有識者会議が
独自性を発揮した形だ。国民の間には、皇室を家族の模範・モデルととらえる見方もあるため、
皇位継承の長子優先が実現すると「一般家庭にも少なからず影響があるだろう」(皇室研究者)とされる。
実際、元内閣府男女共同参画局長の坂東真理子・昭和女子大副学長は17年12月、
読売新聞のインタビューで「正直言って驚きました。
報告書は世間の“常識”を一歩リードした感があります。一般社会に与える影響は小さくないでしょう」と語っている。
有識者会議による長子優先にの背景に、坂東氏と思想的に近い吉川座長や岩男氏の
強い意向をみるのはうがちすぎだろうか。
また、「検討課題」と題された政府文書の中には、皇位継承制度改正に向けた「手順」も示されている。
それによると、第一段階としてまず、「政府部内の関係者により非公式の検討に速やかに着手し、
平成16年3月末をめどに一応のとりまとめを行うべく検討を進める」とある。
さらに第二段階では、政治状況などを見極めつつ、有識者による懇談会を立ち上げ、
正式に検討を開始▽しかるべき時期に主旨、検討の方向についての中間報告をとりまとめ、公表
▽中間報告に対する世論の動向などを見ながら成案とりまとめに向けた検討を進める―と定められている。
文書と符合するように、有識者会議は16年12月に発足後、17年7月に女系容認と男系維持の両論を併記した
中間報告である「今後の検討に向けた論点の整理」を公表。吉川座長は夏休み明けの会合後の記者会見で、
「国民の反応はわずかだった」と男系尊重派の反発の少なさに拍子抜けしたように語り、
以後、女系容認に向け突っ走った。これに前後して、郵政解散を断行した
小泉首相が歴史的な大勝を果たした政治情勢も、「衆院選の結果次第ではどうなるかわからない」(委員の一人)
とみていた有識者会議にとって、強力な追い風となった。「検討課題」の「皇位継承資格」の項では、
(ア)女性天皇案(皇統に属する皇族女子に皇位継承資格を認める案)の意義
(イ)男系維持案(養子案、旧皇族の復帰案、非嫡出子による継承案、皇族の離婚および再婚案)の問題点とある。
女性天皇案には肯定的な「意義」、男系維持案には否定的な「問題点」という言葉をあてがう念の入れようで、
こうした姿勢も有識者会議に引き継がれている。
ところが、有識者会議が女系容認を急ぎすぎたことが、かえってまずかったようだ。
この間、国民にも男系と女系の違いや、二千年に及ぶ皇室伝統の重みが徐々に浸透しており、
男系維持を主張する学者や文化人らの活動も活発になっていった。
有識者会議の発足当時、男系尊重派の中には「最終的には、女系容認もやむをえないのではないか」
との意見は少なくなかったが、彼らの中には有識者会議の「高飛車」な運営手法に反発を強め、
だんだん強固な女系反対派へと先鋭化していった者も少なくないはずだ。
「最終的に国民の平均的な考え方で決めるしかない」「私たちは国民の代表という意識で議論してきた」
吉川座長はことあるごとにこのように述べ、国民意識と歩調を合わせることを強調していたが、
その国民意識、世論が割れ始め、有識者会議のへの「拙速批判」も高まっていった。
各種世論調査で、昨年夏ごろまでは八割前後あった女系天皇容認論は、
今年に入ってからは六割前後にまで落ちてしまった。
この数字はまだ高いとみることもできるが、有識者会議報告書が高らかにうたう
「(女性天皇が)幅広い国民の積極的な支持が得られる精度である限り、
正統性が揺らぐことはない」という記述の「積極的支持」という条件を満たしているかは疑問だ。
「私たちは歴史観や国家観で案を作ったのではない」(吉川座長)と伝統・文化を軽視し、
うつろいやすい世論に依拠した有識者会議の安易な進め方が、
しっぺ返しを受けたともいえる。


何のために急いだのか
3月7日に日本武道館で開かれた女系天皇容認に反対する「皇室の伝統を守る一万人大会」
(主催・皇室の伝統を守る国民の会)には、全国から約一万三百人が詰めかけた。
この種の国民集会で一万人もの人が集まることは極めて異例で、国民の関心・危機感の強さを印象付けた。
この大会では、来賓から「政府は大変請求にことを運ぼうとした。
日本政治史に類例のない拙速さだ」(中西輝政・京大教授)、
「有識者会議のあり方は民主主義のルールにもとる」(ジャーナリストの櫻井よしこ氏)、「皇室典範改正は、
先の大戦の敗北よりも日本の根幹を揺るがす国家的危機なのではないか」(台湾総統府国策顧問の金美齢氏)
といった問題提起がなされた。
こうした批判を招いたのは、男系・女系の区別も分からない国民が多いうちに
すべてを決めてしまおうとした有識者会議自身だといえる。
有識者会議の女系容認論に対しては、皇族の中からも反対意見が目立った。
本誌などで直接、ご意見を表明されているのは寛仁さまだけだが、
寛仁さまは父で、昭和天皇の弟である三笠宮さま、母の百合子さまも同意見であることを明らかにされている。
また、「(天皇陛下の弟の)常陸宮さまも強く反対されている」(神道関係者)、
「高円宮妃久子さまも疑念を示されている」(自民党長老)という有力な情報もある。
そうした中で今年2月、皇太子さまは四十六歳の誕生日を迎えるに当たっての記者会見で、
「『皇室典範に関する有識者会議』が最終報告書を提出したこと、そしてその内容については、
私も承知しています。親としていろいろと考えることもありますが、
それ以上の発言は控えたいと思います」としたうえで、皇室のあるべき姿について
「皇室の伝統を尊重しながら、天皇陛下をお助けしつつ、
国民の幸せを願い、国民と苦楽を共にしていくことだと思います」と語られた。
意思を明確に表明しにくい立場にある皇太子さまのご発言を勝手に解釈すべきではないが、
皇太子さまが有識者会議について「いろいろと考えることもある」とする一方で、
「皇室の伝統の尊重」を強調されたことの意味は大きいのではないか。皇太子さまは、
「(愛子さまの)皇族としての教育ということについては、もう少し先の段階だと思います」と
小泉首相が必要性を主張した早期の帝王教育を退けられ、
同時に「愛子には、一人の人間として立派に育ってほしい」との願いを表明されている。
これらのお言葉からは、少なくとも、有識者会議の報告書を歓迎し、
皇室伝統を変えてまで愛子さまの立場を早期に皇位継承者として確定させたいというご意思はうかがえない。
そうであるならば、政府も有識者会議も何のためにあれほどことを急いだのか。
「(有識者会議の委員に)女性天皇になることによって利益を得る人なんてだれもいない。
自分たちが考え抜いて、これしかないと思っている」委員の一人はこう主張する。
しかし、ポスト小泉の最有力候補である安倍官房長官は国会で、有識者会議報告書の扱いについて
「一般論として審議会の結論について新大臣が別途の検討を始めることができないわけではない。
政治の判断だと思う」と述べ、報告書が次期政権を拘束するものではないとの認識を表明した。
小泉首相も周囲に「皇室典範改正はもういい。じっくり時間をかけてやろう」と漏らし、改正意欲は薄れているようだ。
元東大総長二人に元最高裁判事、日本経団連会長…と、そうそうたるメンバーを集め、
鳴り物入りで報告書を提出した有識者会議。
官僚の用意した舞台で、脚本通りに役を演じてみせたものの、芝居の途中で世論という名の観客に見放され、
実を結ばない“あだ花”に終わったようだ。

雅子さま福島慰問直前 皇太子「小和田会」でのお立場

週刊文春2013年10月3日号
雅子さま福島慰問直前皇太子「小和田会」でのお立場
皇太子ご夫妻は9月22日、福島県郡山市を日帰りで訪問された。
約一ヵ月前の宮城県ご訪問に引き続き、今年二カ所目目となる被災地の慰問だ。
ご夫妻は郡山駅から車で15分ほどの場所にある、双葉町の住民が避難している仮設住宅を訪問された。
「そこではテントの下に、高齢者を中心とした住民、約50名を前後三列に並ばせていました。
三連休の中日ということで、外出している人も多く、接見希望者の人数も少なかったのですが、
それでも予定された時間内にお声掛けすることができたのは、50名のうち半分以下でした。
(同行した宮内庁担当記者)

今回の慰問は「慌ただしいまま終わったという印象でした」と、別の宮内庁担当記者は振り返る。
「午前11時に東宮御所を出発され、午後1時に郡山に到着。
現地滞在時間が5時間という非常に短いご訪問だったからでしょう。
どの訪問場所も郡山駅に近いところばかりで、“急ぎ足の慰問”という印象は拭えませんでした。
やはり雅子さまのご体調を最優先に組まれたスケジュールで、
被災者中心に考えられたものとは言えない」(同前)
(略)

「雅子さまは郡山駅に到着されたときは笑顔も強張っているように見えましたが、
ペップキッズでは子供たち囲まれ、緊張もほぐれたご様子でした。
お二人でエアマットで飛び跳ねる場面もありました。
砂場では、先に進もうとした皇太子に雅子さまが『お父さん待って』と話しかける一幕もあったのです。
リラックスされて思わずご家庭での呼び方が出てしまったのでしょう」(同前)

日帰り慰問はつつがなく終わり、雅子さまはご満足の様子で帰途に就かれた。
だが、ある千代田関係者は不安の色を隠さずにこう話した。
「相変わらず、東宮と両陛下の交流は少なく、“途絶状態”は続いています。
両陛下は13日から17日まで葉山の御用邸でご静養されましたが、
そちらに合流されたのも秋篠宮ご一家です。皇太子ご一家はいらっしゃいませんでした」

葉山御用邸の近くに住む住民が話す。
「ご滞在中の土曜日の夕方、天皇陛下と紀子さま、悠仁さまが御用邸前の海岸の岩場にいらっしゃいました。
陛下は悠仁さまと一緒に水に入って、悠仁さまが磯の生き物を探すのを手伝っておられました。
悠仁さまは陛下も追いつけないくらいあちこちと夢中で動き回っていましたよ」

一方、天皇と秋篠宮ご一家が葉山でお過ごしになっていた16日、
東宮御所には雅子さまのご両親である、小和田恆・優美子夫妻の姿があった。
「今回、小和田恆氏は、万国国際法学会が日本で初開催する総会に合わせて帰国しました。
小和田氏は学会の会長を務めており、12日には代表者の1名として、
東宮御所で皇太子ご夫妻の接見も受けています」(別の宮内庁担当記者)
折悪く16日は台風の関東接近が予想され、一度は参内が見送られたという。
「結局、小和田夫妻はいらっしゃることになりました。皆さんで軽食を召し上がり、
小和田夫妻は、翌日オランダにお帰りになったそうです。
恆氏もご家族の集まりでは、愛子さまやお孫さんの話題に目を細めていらっしゃるそうですから、
今回も愛子さまの夏休みのご様子などお聞きになったのではないでしょうか。
雅子さまはその席で非常にご機嫌がよろしかったそうです」(東宮職関係者)

天皇皇后と秋篠宮ご一家がご静養中に開かれた「小和田会」。
この対照的な構図に、前出・千代田関係者は憂いを隠さない。
「東宮家の予定は、職員を通じて両陛下の耳にも入るでしょう。
葉山ご静養の留守中に、小和田夫妻との会があったとお知りになった両陛下は、
どのようにお感じになるでしょうか。
最近では、皇室や皇位継承者としての在り方について両陛下がお伝えになりたいことを、
秋篠宮殿下が代弁して皇太子殿下にお伝えしているようです。
葉山で直接三家族がお話になれば大変喜ばしいことですが…」

しかし、昨年9月の葉山ご静養でも、秋篠宮ご一家が天皇皇后と合流する中、皇
太子ご一家は小和田夫妻と会食をしている。
小和田夫妻の金婚式を祝う会が、東麻布の高級中華料理店「富麗華」にて開かれ、
小和田夫妻の親族を含め総勢10名ほどが集まったのだ。
今回の小和田会を知った別の千代田関係者は、愛子さまが産まれたときの小和田夫妻の振る舞いを思い出したという。
「12年前、愛子さまがお生まれになった当日、小和田夫妻は両陛下に先んじて、宮内庁病院に駆け付け、
内親王殿下と面会をされました。さらにその後、宮内庁で会見まで開いたのです。たとえマスコミから
求められたのだとしても、両陛下がまだ内親王にお会いしていない段階にです。ご遠慮すべきでした」
その後も頻繁に里帰りされるなど、小和田家との距離の近さは変わらないままだ。

記憶に新しいのは今年5月、皇太子ご夫妻がオランダを訪問されたときの“サンバイザー事件”だ。
「ご帰国前日、小和田夫妻は皇太子ご夫妻の宿泊されていたホテルを突然訪れたのですが、
駐車場に小和田家の車が到着した際、ハンドルを握っていた恆氏が、
『撮るな』と言わんばかりに、報道陣のカメラを遮るように
サンバイザーを下ろし、走り去ったのです」(皇室ジャーナリスト)
終始憤然たる恆氏の面持ちはテレビでも報道され、
小誌ではまさに凍りつく報道現場の様子を報じた(「雅子妃が『小和田雅子』に戻られた夜5月16日号)。
この金箔の一幕は、恆氏の出身官庁である外務省内外でも話題になったという。
しかし、その評判が本人の耳に届いているかどうかは定かではない。

外務省関係者が話す。
「事務次官経験者で皇太子妃の父には誰も意見できませんから。
いま務められている国際司法裁判所の判事のポストだって、
後進もつかえていますが、ご本人の強い意思もあって再任されたのです。
任期があと7年半も残っているので、終えられる頃には小和田氏は89歳になられる。
普通はご自分から道を譲るところですが、非常に名誉欲の強いお人柄ですから…」
東宮御所での「小和田会」の背景には、こうした小和田ファミリー独得の“押しの強さ”がある。

別の千代田関係者はその態度を長らく疑問視してきたが、
「それを殿下もお許しになってきたという経緯もある」と説明する。
「殿下が療養中の雅子さまをお気遣いになるのは、素晴らしいことだと存じます。
しかし、そればかりになってはいけません。
次代の天皇として、これまで身に付けてこられた帝王学を大事になさっていただきたい。
今回も小和田夫妻との会食ではなく、葉山に合流すべきだとご決断するのが皇太子の役目です。
それなのに小和田家の予定を優先させている。まるで小和田家と一体のようです。
被災地慰問にしても、本当に被災地のことを考えるのならば、
妃殿下とお二人での訪問に拘らずに、皇太子お一人でもいっらしゃればよいのです」(同前)

元宮内庁担当記者が振り返る。
「いまは東宮職を去ってしまったある幹部の落胆した顔が忘れられません。
その人物は、東宮の現状を大いに心配し、雅子妃の公務復帰についてや、
愛子さまの取材設定を増やしたほうがいいなどと進言したのに、
皇太子がひと言、『その話はもういいですから』と仰ったそうなのです。
ふだんから雅子さまと会おうとしても、30分以上も平気で待たされたり、
皇太子とは話ができても、雅子さまが首を縦にふらないケースもあったそうです」
もちろん皇太子はご病気の雅子さまを守ろうとされているのだろうが、昭和の時代から
尊敬と期待を集めてきた皇太子が、最近では、雅子さまのご意向ばかりを気にされている、
と肩を落とす関係者も多い。
ご一家とご親交のある人物は、ご家族の日常の姿に驚いたという。
「以前、ご一家とお話をしていて、殿下のあだ名の話題になったことがありました。
殿下は“デンデン”とか趣味が年寄りくさいので“ジイ”というあだ名で呼ばれていました。
そのとき、愛子さまがゲラゲラと笑っていらしたのです。
雅子さまが殿下に話すときも『〜なのよ』という敬語ではない話し言葉でした」
皇太子の学生時代を知る学習院関係者の間にも、そのイメージが広まっているのだという。
「学生時代の浩宮さまは、リーダーシップのある方ではありませんでしたが、
噴水に放り込まれて先輩のトレパンを借りて帰ったりと、とても快活な方でした。
その頃を存じているだけに、雅子さまのママ友のお相手をなさったり、
参観日で長時間、初等科にいらっしゃるご様子を拝見すると、
つい“恐妻家”のイメージが先行してしまう。どこかに雅子さまへの気遣いを感じてしまうのです」

しかし、それこそご性格ゆえと、皇太子とご親交のある学習院OBの鎌田勇氏は話す。
「皇太子殿下は、まじめで私心のない方です。人の意見に熱心に耳を傾ける方です。
国や皇室のために良いことは何かと、しっかりとしたお考えをお持ちであると思います。
ただそのご性格上、本当に大切と思われる場合以外は、ご自分の意見を無理押しされることがないのでしょう」
かつての皇太子のそばに仕えた側近は、小誌記者の問いにこう言葉を濁した。
「殿下はお優しい方ですからね。意見をはっきりおっしゃらないにしても、
たぶん妃殿下のことだけでどうこうというわけでもないと思います」
その寛容なお人柄が多くの尊敬を集めている。だが、ご家族のことだけでなく、
公正無私の御心も長く受け継いでいって頂きたい。
が感じられる。

雅子さまの「金銭感覚」

週刊文春2013年3月21日号
宮内庁情報公開でわかった雅子さまの「金銭感覚」
「ティファニーに行ってあれやこれや買うような方では困る」。
かつて結婚相手について皇太子はこう述べられた。
だが今回、雅子さまが200万円のジュエリーなどをお持ちであることが判明。
公開情報からも“金銭感覚”が垣間見えた。別の角度から見た皇太子妃の実像。

ノンフィクションライター奥野修司氏が話す。
「とりわけ興味深いのは、一昨年、愛子さまが二泊三日の『校外学習』で山中湖に行かれた際、
雅子妃がつかず離れず付き添われた一件にかかった費用です。
当日は雅子妃を乗せた車を挟むように白バイ二台と
宮内庁職員や山梨県警の警察官を乗せた車七台が長い車列を作って警護に当たった。
ホテル周辺では検問所が置かれるなど、大規模な警備態勢が敷かれたそうです。
このお付き添いは当然、私的な行為ですが、そこにかかるお金はどういう使われ方をしているのか。
宮内庁が開示したデータを元に論考しています」
こうした費用の明細を宮内庁は自ら公開しない。
そこで情報公開請求によって明らかになったデータに基づいて、雅子さまの「金銭感覚」を考察した。

まず、皇室全体で言えば、2012年度の「皇室費」は約62億円。この皇室妃は三つに分割される。
最も多いのは地方行幸啓などに使われるオフィシャルマネーの「宮廷費」で、90%の約55億8千万円。
天皇家と東宮家の私的費用である「内廷費」は約3億2千4百万円。
残りの約2億9千万円は宮家の私的費用「皇族費」である。
ちなみに秋篠宮家の予算は5490万円だが、ここから私的使用人などの人件費を払うと、
実質使えるのは2千万円ほどといわれる。

では、愛子さまの校外学習に、皇室費からどれだけ支払われたのだろうか。
お付き添いは公務ではないが、皇太子妃の外出は「行啓」になる。行啓には必ず下見があり、
この「山梨県行啓」でも、8月25日から二日間と9月4日から二日間の「事前調査」で
のべ七人の東宮職員が動員された。この費用は「日当」(弁当代)と宿泊料をあわせて106950円。
本番前日には、雅子さまを迎えるために東宮職が一人山中湖に向かい、当日は東宮侍医、女官、女儒各1名、
東宮職5名、車馬課技官5名の計13名が、車七台と白バイ二台の車列を組んで山中湖に向かった。
このうち雅子さまとともに高級リゾートホテル「ホテルマウント富士」に宿泊した職員は10名。
残りは日帰りである。ホテルの東側に53室のホテル棟があり、雅子さまのために宮内庁はここを借り切った。
この「借り上げ」費は一人2万円で一日20万円。二日間で40万円。
雅子さまの私的行為の同行だが、いずれもオフィシャルな宮廷費から支払われている。
雅子さまが宿泊されたのは一泊12万円の「インペリアルスイート」だったが、
これは内廷費で払ったという理由で公開されなかった。職員の宿泊費も雅子さまの宿泊費も同じ税金だが、
内廷費は私的費用ということで非公開なのだ。ちなみに何を内廷費にして、
何を宮廷費にするかは宮内庁のさじ加減ひとつである。
この「山梨県行啓」でかかった費用は「事前調査」を含めて58万2430円。
13名もの職員が動いてこの程度なら安いと思われるかもしれないが、ここには内廷費で払った分、
職員の人件費、ガソリン代等々は含まれていない。
また、山梨県警は警護のために数十名の警察官を動員したが、彼らの人件費等も除外されている。
あくまで宮内庁が認めた経費だけである。費用すべてを推計すると、200万円を軽く超えるだろう。
いずれにしろ、国内だからこの程度の出費で済んだが、海外となるとひと桁以上も違ってくる。
(略)

雅子さまのご静養が目的だった06年の「オランダ訪問」の経費を推計してみたい。
これを、情報公開法によって詳らかにした論文が中嶋啓明氏の「外遊経費から見る象徴天皇制の現在」である。
この論文の内容などからその仔細を紹介したい。
オランダ訪問は8月17日から31日までの二週間。皇太子ご一家が乗られたのはJAL通常便で、随行員は11名だった。
ご一家と一緒にファーストクラスに乗ったのは、末綱隆東宮侍従長、野本勲東宮侍従、中村嘉宏東宮侍医(小児科)、
箱嶋明美東宮女官、福迫美樹子出仕の5名。
ビジネスクラスは川上泰男内閣府事務官、平山学東宮内舎人、小山内さち子東宮女儒、中川直美看護師の4名と、
このとき初めて宮内庁が名前を明らかにした雅子さまの担当医・大野裕氏(現国立精神・
神経医療研究センター認知行動療法センター長)と民間人ヘアドッレッサー水尻美雪氏の2名。
ご一家3名分に加え、医師とヘアドレッサーの2名分は内廷費から支払われた。
航空運賃は、ファーストクラスが往復で約165万円、愛子さまは子供割引きで約124万円、
ビジネスクラスは約62万円で、内廷費で払った5人分の運賃は578万円。宮廷費分とあわせて1652万円である。

当時を知る宮内庁担当記者が振り返る。
「なぜご静養でヘアドレッサーが必要なのか、という疑問の声は宮内記者からも上がりました。
しかし東宮職は『費用は内廷費から拠出されているから問題ない』と話していました」
ご一家はオランダ王室の離宮に宿泊されたが、随従員の大半は離宮近くのホテルに宿泊。
このホテル代が13日間で約157万円計上されている。
食事代に関しては、たとえば「山梨県行啓」の場合は1500円で予算を統一していたが、
オランダでは昼食が4500円で夕食は7500円。弁当代などを含めると約104万円である。
これらを合わせると宮廷費からの支出は1800万円。これに内廷費から払った航空運賃をくわえると2378万円である。
しかし、これも山中湖の一件と同じで、極めて表層的な額だ。
たとえばオランダ王室への「献上品荷造」という項目が損ざし、一個7000円で十個分7万円を計上、
さらに「献上品整理伝票」も作成しているのだから、手ぶらで宮殿に泊まったとは考えられない。
しかし、持参したはずの献上品は公開された情報には出てこない。また、ご一家を迎えるために
大勢の大使館員が動いたはずだ。中嶋氏も書いているように、〈直接関係する費用だけで、総額数千万円の
オーダーのカネが使われたのは明らか〉である。
果たして数千万円の海外旅行はご快復に寄与したのか。帰国後、東宮職医師団は〈自信につながる体験で
、今後の治療を進めていく上で有意義だった〉と評価した。
だが、七年後の現在でも、雅子さまの公務への本格復帰は実現していない。
「昨年の雅子さまは、人事異動者などへの『ご会釈』が主で、公務らしい公務はされていません。
去る3月11日の『東日本大震災二周年追悼式』には両陛下がご臨席されましたが、
皇太子ご夫妻はその日はとくにご予定もなく、御所で黙禱されただけでした。
また、両陛下は7月4日から二日間の日程で岩手県を訪問されますが、皇太子ご夫妻にはそういうご予定もない。
治療開始から十年、その間にオランダご静養も含めておそらく億単位の税金が投入されたと思われますが、
成果は見えない。
東宮職医師団が説明責任を問われても仕方がないでしょう」(別の宮内庁担当記者)

皇太子ご夫妻は今年6月、ご成婚二十周年を迎えられるが、この20年の雅子さまのご動静を振り返ると、
オランダご静養前後から大きく変化していることがわかる。
それまで、スキー旅行や友人の招待で食事することが年に一度あるかないかだったが、
06年以降は公務がなくても、お忍びで外出することが突然増えるのである。
たとえば06年にはご一家でディズニーリゾートに行かれ、夥しい数の私服警官や
警備陣で園内はパニック寸前になった。また、クリスマスにはウェスティンホテル東京の
レストラン「ビクターズ」に行かれている。この時分はほぼ月一回のペースで出かけられているが、
07年のくれには、銀座の三ツ星レストラン「ロオジエ」に行かれ、
深夜を過ぎて帰られたことが大きな話題になった。
外食されるのはご自由だが、皇太子一家が行かれるのとわれわれではまったく違う。
「諸君!」(08年7月号)で、鮫島敦氏が、六本木の「ラ・コリナ」の店長から聞いたという
次のような話を披露している。

〈ご来訪の一ヵ月ほど前から、宮内庁関係者が何度も来店し、非常時のための動線や窓からの景色などを
入念に確認し、写真撮影などを繰り返していました。当日は、奥の個室にご案内しました。
宮内庁の方数名が個室近くの席で待機した他、十数名ものSPが、店の内外を厳重に警護していました〉

両陛下がレストランで食事をしないのは、警備や場合によっては店を貸し切りにすることで
大勢の人に迷惑をかけるからだと、かつて渡辺允前侍従長がテレビで語ったが、
皇族にはこうした「配慮」が必要だということだろう。皇室ジャーナリストが説明する。
「06年から堰を切ったように増えた雅子さまの私的外出は、大野医師が主治医になったことと
無縁ではないでしょう。大野氏の著書『こころをほぐす小さな「開き直り」術』のオビには、
〈ちょっと「開き直る」ことができれば、すっとラクになり、明るい気持ちになれます〉
と書いてありますが、雅子さまにも普通の女性として『開き直る」ことを勧めたのかも知れません。
〈ゆっくり休んで、じっくり「自分の楽しみ」をつくろう〉と」

もっとも、「ロオジエ」を最後に外食が目立って少なくなったのは、
さすがに東宮職も、世間の強い批判をおそれたのかもしれない。
雅子さまが食事されたレストランは、いわゆる皇室ゆかりの店ではなく、雑誌に紹介されるような流行の店だった。
まるで皇族というよりも、普通の女性として振る舞おうとしているかのようである。
それは、ブランド品を身につけることにも相通じるものがある。
小誌では過去の写真などから、雅子さまが身に付けられた装飾品などを検証したところ、
フェラガモからシャネル、ジバンシイまで数多くのブランド品をお持ちであることがわかった。
なかにはとても庶民には手がでない高級品もあった。
「05年の愛知万博のときにつけているネックレスはブルガリの『バレンテシ』。
お召のものは、おそらく1980年代のものです」(ブルガリ・マーケティング部)
宝飾業関係者によれば、なんと推定200万円。
「09年8月の那須ご静養のときにお持ちのカバンは、クリスチャン・ディオールの
『マリス』です。もう十年以上作っていないので、
昔買われたものではないか。値段は当時十万円くらい」(ディオール店員)
三年前の那須ご静養の際、那須塩原駅に降り立った雅子さまがお持ちだったのは、
フェンディの新作バゲットバッグだった。服飾評論家の堀江瑠璃子氏が解説する。
「細長くてバゲットパンに似ていることから名付けられました。Fのモノグラムバックルで
ひと目でそれとわかります。雅子さまのものは2010年春夏コレクションの新作。
ベージュの麻地にレース風の刺繍が施されています」価格は11万1300円。

もっとも、最近は地味な恰好のことが多い。
「美智子さまは海外のものはお召しになりませんでしたが。
逆に雅子さまは日本のものはあまりお召しになりませんね。
皇室に海外ブランド品を持ち込んだのは雅子さまですが、
今はジャケットもパンツも新しいものはお召しになっていません。
どこか、ご成婚直後の自信や輝きがなくなって、服もPTAのお母さんのようにお地味。
これも病気のせいでしょうか」(同前)
奥野氏いわく、常に注目される皇太子妃は、“国民のスター”であることを求められるという。
「皇族はタレントではない。タレントは人気があっても尊敬の対象にはならないが、
スターの代わりは誰にも務まらない。だからこし畏敬もされる。国民の象徴的な存在に
なるというのは、下世話ながら、この国のスターになるということではないでしょうか」(奥野氏)

その意味で美智子さまは間違いなくスターである。
ある千代田関係者が話す。
「帽子や洋服を修理や仕立て直しをして、何年もお召しになる。絶対に贅沢はなさらない。
高度経済成長を過ごした我々国民には容易く真似できることではありません。
ゆえに、それが尊敬に転化するのでしょう」
皇后はかつて、象徴たらんとする思いそのもの、
その積み重ねが象徴であるということではないかしら、と仰ったという。
今回、垣間見えた雅子さまの金銭感覚は、国民にどう受け止められるのだろうか。

雅子さまと天皇家30人の証言

週刊朝日2013年5月3・10日号
雅子さまと天皇家30人の証言
友人、宮内庁、医療関係者、デザイナーらが明かす素顔の妃殿下

長い療養生活を送る雅子さまに久々の海外公務を決意させたのは、一本の国際電話だった。
「電話の主は、オランダのマキシマ妃でした。まもまく新国王に即位するアレキサンダー皇太子の妃です。
マキシマ妃は『ぜひ4月30日の即位式においでいただきたい」と直接、
雅子さまにお話しされたようです」(宮内庁関係者)
その言葉に背中を押され、11年ぶりの海外公務が実現したのだ。
雅子さまは2006年8月、オランダ王室の招きで、皇太子さま、愛子さまと一緒に
アベルドールンの離宮などで2週間、ご静養をされた経緯がある。
「『そのときの感謝をお伝えしたい』と雅子さまはおっしゃり、
当時も同行した主治医の大野裕医師(精神科)に相談されたそうです。
4月17日頃になってOKが出て、皇太子さまが電話で小町恭士東宮大夫に伝えたそうですが、
そのお声は弾んでいたそうです」(同前)
(略)

ご病気に至る経緯について、留学時代から雅子さまを知る知人はこう話す。
「帰国子女でハーバード大卒の元外交官である雅子さまがご意見をはっきり言うのは当然ですし、
中でも雅子さまは自由闊達なお嬢さんです。皇室という閉鎖空間に入るのは当初から無理だろうなと思いました」
東宮関係者も言う。
「ご結婚後、個性を封じ込め『お世継ぎ』を最優先させる皇室という環境に対し、
雅子さまは深く悩まれていました。皇室の将来を案じる両陛下や宮内庁幹部と行き違いも生じていました」

別の宮内庁関係者は闘病の様子をこう明かす。
「特に紀子さまが悠仁さまを出産されるまでお悩みは深く、
雅子さまが軽井沢にある小和田家の別荘にひきこもってしまわれた時期もありました。
母の優美子さんと愛子さま、雅子さまの3人が別荘で過ごされ、
思いつめた様子の皇太子さまが訪ねてくるような状況でした。
東宮御所に戻られても雅子さまの生活は昼夜逆転し、投薬治療を受ける状態が続きました。
大野医師をひたすら頼りにしていたようです。

雅子さまが例年夏の休暇を過ごす那須御用邸周辺でもこんな証言があった。
「雅子さまは毎日、日が沈むころに女官もつけずお一人で散歩されていました。
御用邸内には小道があるのですが、草が高く伸びた獣道のような場所をわざわざ歩いていかれるのです。
誰にも会いたくない、というお気持ちの表れだったのかもしれません」
(略)

「オランダ静養の翌年に来日したアレキサンダー皇太子は御所で両陛下と夕食をともにした際、
『静養中、明るく元気なときと、気分が沈んだときの雅子さまの落差があまりに大きく驚いた』
と言い、「自分にできることがあれば何なりと言ってください」と話したそうです。
(略)

その皇太子が母である女王の退位により、この4月末に新国王として即位することとなった。
即位式があることが発表されると、宮内庁、外務省では、招待を受ける前からこんな不安の声が広がった。
「これまで何度か雅子さまの海外公務を検討しましたが、
毎回かなり早い段階で厳しいという結果になっていた。
だが、オランダは特別なので、出席されるかもしれない…。
結局、ギリギリまで返事を先延ばしにされました」(外務官僚)

■母としての雅子さま。その私生活は…
(略)
今年はオランダを訪問するが、ゴールデンウイークの皇太子ご一家の旅行先は、
おおむね宮内庁の関連施設で栃木県にある御料牧場か那須の御用邸だった。
夏休みには、8月前半に開催される東京湾大華火祭を、
都内に住む雅子さまの妹の池田礼子さん宅をご一家で訪れ、鑑賞するのが恒例行事だ。
昨年は、花火大会の翌日から、プライベートビーチを持つ須崎御用邸(静岡県下田市)に滞在した。
愛子さまの通う学習院初等科では6年生になると恒例行事の遠泳がある。それに備えて、水泳の特訓が目的だ。
8月の後半は、那須御用邸に滞在するのが恒例となっている。
皇太子ご一家は、天皇、皇后両陛下が過ごされる御用邸とは別の「付属邸」と呼ばれる建物に滞在される。
「一帯は約660万平方メートルの広大な敷地で、深く緑が生い茂りキジが歩く小道もあります」(宮内庁関係者)
別荘とはいうものの、付属邸の建物は昭和10年建築のもので、レトロなものだ。
建物内にあるトイレには、水を流す際は、天井からつるされたひもをひっぱる仕組みのものもある。
今の天皇陛下が子どもの頃泳いだというプール跡もあり、天皇家の家族の歴史が深く刻まれている。
那須では、愛子さまと同世代の池田礼子さんの子どもや愛子さまの友達、
皇太子さまの同級生の家族が近くのリゾートホテルに滞在し、
一緒に休暇を楽しむこともある。時には彼らがホテルの会員ではなく利用資格がないケースもある。
東宮職が宿泊直前になって、緊急用に確保してある空室を利用できないかと依頼してきたことも過去にはあった。
皇太子ご一家のお出かけ先は、那須ステンドグラス美術館や、那須テディベア・ミュージアム。
那須どうぶつ王国に、りんどう湖ファミリー牧場では花火鑑賞も楽しむ。
ご一家のお出かけ先は、パパである皇太子さまが探すこともある。
ピザが人気の御用邸近くのイタリアンレストラン、じょいあ・ミーアはもう10年以上前からの御用達のレストランだ。
また、御用邸近くの高級ホテル「二期倶楽部」や「東急ハーヴェストクラブ那須」はご一家のお気に入りだ。
同行する家族との食事や、プール遊びも恒例のお楽しみになっている。
両ホテルとも、清掃で他の客が使用できない時間帯などに貸切る形で使用している。
東急ハーヴェストのレストランは、皇太子さまご自身もインターネットなどでリサーチをして訪問を決めたという。
天皇、皇后両陛下と皇太子ご一家の食事は、お食事を担当する宮内庁大膳課の職員によって
入念に献立が組み立てられ、調理される。
「普段は、あれを食べたいと希望を述べることはまずできないのでしょう。
ホテルのレストランは、普段は、コースメニューのみですが、好きなものを注文したい、というご一家の希望で
毎回、特別にアラカルトでのお食事を楽しまれました」(宮内庁関係者)
このときも、愛子さまの同級生の家族が一緒で、愛子さまと同級生の子どもは、
家族の祖母がお守りをする形で部屋に預けられた。
大人だけの食事会は盛り上がり、レストランの営業時間を大幅に過ぎた深夜まで食事を楽しみ、
愛子さまとともにご夫妻がホテルを出発したのは深夜0時過ぎだったという。
那須は、警備上の理由などから都内では自由に過ごせないご一家が、
「ふつうの家族」らしい時間を過ごせる数少ない場所なのだ。
(略)

毎年秋は、妹の礼子さん宅でハロウィーンパーティーを楽しんでいる。
「今年は(※原文ママ)、愛子さまが2人のいとことおそろいのジャック・オ・ランタン(カボチャのお化け)の
仮装姿で歩いている姿が見られました」(皇室記者)
クリスマス時期の名物行事は、イルミネーションの見物である。
「恵比寿ガーデンプレイス」にある高級クリスタルガラスブランド「バカラ」によるシャンデリアを見物し、
年末には表参道のイルミネーションを眺めるといった具合だ。
皇太子ご一家の冬のお楽しみはスキーだ。
春休みの家族行事は、長野県にある奥志賀高原でのスキーだ。
定宿は、「ホテルグランフェニックス奥志賀」である。
愛子さまが不登校になった2010年春だった。
ホテルのロッジで愛子さまと同年代の男の子が、
「愛子はどこ?」そう、たずねながらスキー場に向かう姿があった。
友人か親類だったのだろう。
ご一家が宿泊の期間は、ホテルは全室貸し切りで、館内のレストランでも開放時間を限定して、警備を徹底する。
長野県警も周辺のロッジに泊まり込むという限界徹底ぶりである。
「スキーはプロ級の腕前の皇太子さまは、おひとりで上級者コースをお滑りになっていました。
その間、雅子さまと愛子さまは2人で仲良くリフトに乗って初心者コースで楽しんでいましたね」(スキー客)
今シーズンは愛子さまは3回スキーを楽しんだ。2回はご一家で、1回は学校行事以外では初めて、
親元を離れてお友達やその家族とスキー合宿に参加した。
学校生活になじまない時期のあった愛子さまも、スキーを通じて友人たちとのきずなを深めている。
「雅子さまの体調が思わしくなく、皇太子さまのお誕生日に際し、ご一家の家族撮影が難しかった
05年でさえ、家族3人で雪遊びやスキーを楽しまれるお写真が公表されました」(宮内庁職員)
スキーはご一家にとって、単なる趣味の領域を超えた存在になっているのだ。

■妻としての雅子さま。「だよね」と会話 皇太子さまとリラックスムード
20年という結婚生活の中で、皇太子さまと雅子さまの離婚説が、幾度も流れては消えた。
実際のところ、お二人の中はどうなのだろうか。
ご夫妻を近くで見た人物は、その様子をこう話す。
「非常に仲がいい。お出かけのときなども後ろで聞いていると、
雅子さまは皇太子さまに『―だよね』といったふうにリラックスした雰囲気で話していますよ」
殿下の公務や執務が終わる夕方あたりから1時間程度、お二人仲良くテニスをすることもある。
場所は東宮御所内のテニスコートや、天皇陛下や皇族方も利用する東京ローンテニスクラブだ。
美智子さまは、スコート姿でテニスをすることが多いが、
普段もパンツスーツを愛用する雅子さまは、テニスの際も長いパンツ型のウエアを着用する。
「足を出す短パンやスコートを着用なさったのは見たことがありません」(宮内庁職員)
皇太子さまのテニスはかなりの腕前だ。それだけに、皇太子さまがサーブなどで失敗すると
雅子さまが、「あーあ」といった表情を見せて明るい顔で笑うなど、和やかな空気が流れている。
そうはいっても、雅子さまは、結婚当初から皇太子さまに気を配り、立ててきた。
宮内庁関係者によれば、雅子さまは、皇太子さまとの身長差を考えて、
ヒールが4、5センチのパンプスを履くように気遣いをしてきた。
また、公務の際にかぶる帽子もなるべく身長が低く見えるようなデザインを選んでいるという。

ご一家だけの空間では、リラックスした表情を見せる雅子さまだが時折、ひどくふさぎ込んでしまい、
皇太子さまが雅子さまをサポートする場面もよく目撃されている。
かつて天皇ご一家の警護の責任者を務め、東宮侍従長として皇太子ご一家に仕えた末綱隆氏は、
知人にこうこぼしていたという。「雅子さまとは直接、お話しできない状況です。
お出かけの有無などは皇太子さまを通じてお返事をいただくしかないのです…」
こんな話もある。
両陛下に近い人物が、偶然立ち寄り先に皇太子ご夫妻がいらっしゃることがわかり、
ごあいさつをしようとしたところ、ひどく待たされたことがあった。
あとで東宮職員に理由を尋ねると、こう説明したという。
「ご面会の旨をお伝えしたところ、妃殿下が取り乱されてしまったのです。
殿下が妃殿下の気を静めるのに時間を要したのです」
(略)

■プリンセス・ファッションと食器など御用達ブランド
プリンセスと言えば、どこの国でもファッションリーダーである。これまで報じられた
雅子さまの持ち物をみると、シャネルやクリスチャン・ディオール、フェンディのバッグや、
ブルガリのネックレスなど外国製をお好みのようだ。
「雅子さまは、青山ツインタワー内にあるドイツの老舗食器メーカー、
ピレロイ&ボッホの食器などを愛用されています」(皇室ジャーナリスト)
美智子さまは、普段から日本の伝統文化を少しでも多くの人に知ってもらいたいと気遣いを見せている。
日頃から着物や和のデザインを採り入れたドレスを身につけ、
食器やシルバーは大倉陶園に上田銀器などの国内メーカーを愛用する。
外国産の製品が市場に出回る中、日本の職人にとっても励みになる話だろう。
一方で、外国暮らしが長かった雅子さまは、外国製品になじみがあるだろうし、
クリスマスやハロウィーンなどイベントも西洋の行事を自然と受け入れている。
だが、雅子さまも療養生活以前は、メイド・イン・ジャパンの製品も多く愛用していた。
雅子さまが、皇太子さまとの婚約会見に臨んだ1993年1月。このときは、デザイナーの角田明美氏による
薄い黄色のスーツと、靴デザイナー河村龍介氏が手がけた、同じ布を貼り合わせたパンプス。
帽子は、「ベル・モード」が選ばれた。

「もともと角田さんは、外交官夫人御用達のデザイナーです。
やはり外交官夫人だった雅子さまの母親の小和田優美子さんも、お世話になっていた関係から、
雅子さまの婚約時の洋服を手がけるようになり、国内公務や外国訪問、
国内外で宮中晩餐の際のドレスなどもお作りしていました」(小和田家の知人)

だが、雅子さまは03年12月に帯状疱疹を発症し、入院する。このときから、長期療養生活に入ることになる。
雅子さまが公式に外国を訪問なさったのは、02年のニュージーランド・オーストラリアが最後で、療養以降、
外出を伴う公務は、ほとんどない。
必然的に、雅子さまが新たに洋服などを購入することは、ほとんどなくなった。
「療養以前は華やかな色の服もお召しになっていましたが、
ここ10年は濃いグレーか淡い色のものばかりです。
もともとぜいたく品は好まれない方ですが、
いまはお召し物自体にあまり興味がなくなってしまわれたように感じます。
既製服にサイズ調整などの手をいれてお召しになることもあります」(東宮職関係者)
4月14日に姿を見せた「オール学習院の集い」でも、雅子さまはチャコールグレーのパンツスーツと
白いタートルネックの黒っぽいパンプスを合わせていた。
このチャコールグレーは、雅子さまのお気に入りのカラーである。
ちなみに、パンツスーツとタートルネックを愛用するのは、寒がりの雅子さまなりの防寒対策のためだという。
こんな話もあった。
帽子デザイナーの平田暁夫さんが、記憶を振り返る。
「雅子さまは、普段から飾りのないシンプルなデザインが好みだ、とおっしゃっていました。
しかし、あるとき、こうご説明したのです。帽子のアクセントにリボンや花をつけると、
公務の際でも、周囲の人の視線が、顔だけに集中しなくなりますよ、と」
それを聞いた雅子さまは即座にこう答えた。「あっ、いいですね。そうしてください」
もともと、“シャイ”なご性格のようであるが、オランダ国王の即位式では、
雅子さまのファッションも注目されるだろう。

■皇太子ご一家は携帯派、皇族のIT事情
若い世代の皇族方は、ごく自然にパソコンや携帯電話を使いこなしている。
05年に結婚して皇族の身分を離れた両陛下の長女、黒田清子さんは、
黒田慶樹さんと交際中にメールで連絡を取り合った。
07年には、高円宮家の長女で英国留学中だった承子さまが
過激な内容のブログを投稿して話題になったのも記憶に新しい。
「また、秋篠宮家の眞子さまや佳子さまも携帯メールでご友人とやり取りをしています」
(皇室ジャーナリスト)
雅子さまも例外ではない。交流のある知人はこう話す。
「雅子さまの携帯番号から直にお電話を頂くこともありますし、必要があればメールも頂きます。
まだ、私は絵文字入りのメールをいただいたことはありませんね(笑い)」
皇太子さまの周辺環境もIT化が進んでいる。前述のように、パソコンでインターネットを使い、
飲食店を探すこともある。
また、水の研究をライフワークとする皇太子さまは、
今年3月にニューヨークの国連本部で開かれた「水と災害に関する特別会合」でパワーポイントを駆使し、
基調講演を行われていた。
愛子さまも昨年の那須ご静養中に、スマートフォンらしき機器を手に持つ姿が目撃されている。
昨年の8月24日。皇太子さまと愛子さまは、朝からお昼まで那須岳の南月山に登った。
雅子さまは当日になって参加を取りやめたとめ姿を見せなかったが、
学習院の同級生の男の子とその家族が一緒だった。
「この男の子は一昨年(10年)の南月山への登山でも一緒に登っています。
愛子さまのお気に入りのボーイフレンドなんですよ」(居合わせた登山客)
居合わせた登山客によれば、愛子さまは休憩をするたびに、ポケットからスマートフォンのような
薄い機器を取り出して、高山植物や皇太子さまや友達を撮影していた。とりおり、皇太子さまが愛子さまに、
「(写真)撮った?」と声を掛け、愛子さまが「うん」とうなずく場面もあった。
皇族方がITを駆使する時代がやってきたのだ。

雅子さま 忠告直電と心配メール

週刊女性2013年6月25日号
20カ月続いた雅子さまの愛子さま同伴登校と授業参観。
自分の娘のことばかりで国民に目が向いていないという非難が少なからず出た。
しかし雅子さまは愛子さまばかりを気にかけていたわけではなく、
他の児童の様子についても保護者に直電していた。
注意や叱責などというわけではなく、教えてあげなくてはという感覚だったのでは?
お宅の○○ちゃん授業中に〜なことしていましたよ…という感じ。(学習院初等科関係者)
クラスの連絡網というものはない。個人的に連絡先を交換して携帯電話でやり取りするケースが多い。
ごく親しいママ友だけではなく他のママ友にも連絡していたという。


女性自身2014年6月3日号 
雅子さま「新生活」のカゲで―
雅子さま「ご公務復帰」再び危機に!「夜も連日、眠れない…」
…ある宮内庁関係者は嘆息する。
「現在、雅子さまは、連日なかなか眠ることができず、朝にきちんと起きることができない状態なのです。
起床されても午前中は、もうろうとされているご様子なのだとか。
昨年秋ごろには早起きもされるようになったそうですが、また生活のリズムが大きく狂い始めたようです」
雅子さまを襲う不眠の理由とは―、
「愛子さまの学校生活についての不安をしきりにもらされていると伺っています」
ある学習院関係者は、
「初等科のころからお付き合いのあるお母さんたちの携帯電話に、メールが送られてきたそうです。
『お嬢さんは、どのクラブに入られるのでしょうか?」
「もし一緒のクラブになったら、(愛子を)よろしくお願いしますね』といった内容なのだそうです。
雅子さまのご意向を受けて、お仕えしている東宮女官さんが打っていて、かなりの長文なのです」
初等科時代もママ友たちに“雅子さまからのメール”はときおり届くことがあったが、
中等科入学以来、その頻度は増えているという。
皇室ジャーナリストの松崎敏弥さんは言う。
「ゴールデンウイーク中には、東宮御所に、愛子さまのご友人たちを招かれています。
初等科時代に不登校問題もあったからでしょう。いまだに雅子さまは愛子さまの人間関係には
非常に気を使われています。学校生活への不安を克服されたきっかけは、愛子さまが管弦楽部に入部され、
お友達も増えて、登校に積極的になられたことでした。
それだけに雅子さまとしては、愛子さまのクラブ活動選びも非常に気になられるのでしょう。

※結局愛子内親王は部活動には所属せず

愛子さま不登校Vol3雑誌記事

1週間お休みの愛子さま 「女帝論」がご不安との指摘も
2016.10.07 07:00
早朝からどんよりとした厚い雲が垂れ込めていた10月1日土曜日、
学習院女子中等科(東京・新宿区)の運動会が開催された。
徒競走やリレー、創作ダンスやバスケットに似たドリブル競争といった白熱の競技の連続に、
時折雨がぱらつく中でも生徒たちの大きな歓声がこだましていた。
ところがこの日、体育祭を心待ちにされていたはずの愛子さまのお姿は、校庭にはなかった──。
「愛子さまが欠席されたのは運動会当日だけではありません。
週の頭から丸々1週間学校を休まれました」(学習院関係者)
さらに翌週月曜の10月3日、翌4日も、他の生徒たちが普段通り校門をくぐっていったにもかかわらず、
愛子さまが姿を見せられることはなかった。
「夏休み中のご多忙に加え、2学期が始まってすぐに行われたテストや、運動会に向けた朝夕の練習で
『お疲れ』がたまった、というのが欠席の理由だと、東宮大夫は会見で明かしました。
愛子さまご自身は、中学校生活最後ということもあり“運動会に出たい”というお気持ちが強かったようですが、
医師と相談のうえ欠席を決められました」(皇室記者)
今夏、愛子さまがお姿を見せる機会は多かった。
毎年恒例となっている須崎(静岡)と那須(栃木)でのご静養を除いても、
7月21、22日には奈良と京都に足を運ばれ、初代天皇とされる神武天皇が祀られる陵を参拝。
8月10、11日には『「山の日」記念全国大会』へのご臨席のため長野を訪問された。
宿泊を伴うお出かけ以外にも、7月26日に国立新美術館(東京・港区)の『ルノワール展』や、
8月1日に科学技術館(東京・千代田区)で行われた『「水の週間」水を考えるつどい』などにお出ましになった。
「愛子さまは例年に比べて大変活動的でいらっしゃいました。ですが、運動会を含めて8日間も学校を欠席されるのは、
疲れがたまっているにしても、少し長すぎるように感じます。ここまで長くお休みにならないといけないというのは、
体調に重大な不安があるのではないかと案じてしまいます」(前出・皇室記者)
一方、皇室ジャーナリストは愛子さまの「前例」を想起させられたという。
「小学校時代のいじめ問題による『同伴登校』、中学校に上がってからの『不規則登校』と、
愛子さまと学校の関係には大きな波風が立ったことが2度ありました。
欠席が続いていると耳にしたとき、正直“また今回も…”と思ってしまいました」
現在の皇室を取り巻く環境が、愛子さまへの重圧となったのではないかという指摘もある。
天皇陛下の「生前退位」報道、さらに「お気持ち」表明は国民的議論を巻き起こしている。
皇室典範の改正まで議論を広めるべきだという意見もあり、
その延長上でにわかに取り沙汰されているのが「愛子さまを天皇に」という女帝論だ。
「12月で15才を迎えられる愛子さまは、ご自身の『皇族』というお立場を充分理解されています。
これまで内親王として育ってきた愛子さまは、
将来結婚されれば皇籍を離脱され一般人となるのが生まれたときからのいわば“決まり事”でした。
それが、もしかしたら天皇という重要な役割を担う可能性があるのです。『一般女性』になるのか『天皇』になるのか…
将来の不透明さに大きな不安を感じられ体調を崩されたと考えても、
決しておかしくはないと思います」(前出・皇室ジャーナリスト)
撮影■雑誌協会代表取材
※女性セブン2016年10月20日号
http://www.news-postseven.com/archives/20161007_454881.html


長期欠席の愛子さま 将来への夢への葛藤が理由との声も
2016.10.14 07:00
愛子さまの欠席は、3週目に突入した。だが、病院で検査を受けられても「特段の問題はなし」。
体調面だけでなく精神面でも不安を囁く声が増えている。
実は、長期欠席の前日、愛子さまは「お忍び」で、ある場所に足を運ばれていた。
「小学校時代のいじめ問題、中学校に入ってからの不規則登校の時でも、
2週間以上も続けて学校を休まれたことは一度もありませんでした。
宮内庁側は大きな心配はないと喧伝していますが、
これは尋常ならざる事態が起きていると考えざるをえません」(皇室記者)
9月26日から2週間以上、愛子さまは学習院女子中等科を欠席された。
10月6日には、雅子さまに連れられて宮内庁病院で検査を受けられた。
「7日の小田野東宮大夫の記者会見では愛子さまについて矢継ぎ早に質問が飛びました。
最近見るからにおやせになった愛子さまの健康面に何か重大な懸念があるのか、
学校生活への不安や、何かしらお心に大きな負担を抱えられているのではないか。
それでも大夫の説明は、ふらつきや胃腸の弱まりといった症状はあるものの、“特段の問題はなし”。
原因は夏休みの宿題の提出や運動会の練習による『お疲れ』の一辺倒でした」(前出・皇室記者)
本稿締切日の10月11日にも、愛子さまが姿を見せられることはなかった。お休みは、3週目に入った。
それにしても、同級生たちはいつも通りに登校しているし、
中学生が「疲労」を理由にして2週間以上学校を休むとは普通は考えられないことだ。
長期欠席に入られる直前、愛子さまの周辺で何か重大な事態が起きていたのではないか──
宮内庁関係者が明かす。
「実は、お休みに入られる前日の9月25日、
愛子さまは皇太子さまと雅子さまとご一緒にお忍びの行動をされていたんです。
お出かけされた先は、ホテルニューオータニ(東京・千代田区)でした」
その日、同ホテルで開かれていたのは『日本臨床獣医学フォーラム』(23〜25日)だ。
フォーラムには全国から「獣医師」や「動物看護師」ら約6500人が集まって、
動物を対象にした医療や、アニマルセラピーなど人間が対象の医療活動について活発に意見が交わされた。
「愛子さまは居合わせた人に小さく手を振ったり、丁寧にお辞儀をしていらっしゃいました。
終始笑顔で、お疲れの様子や顔色がすぐれないということはなかったように思うのですが…」(フォーラム関係者)
皇太子ご夫妻は毎年このフォーラムに行かれ、動物医療に携わる人の話を聞かれたり、
会場にいる動物たちと実際に触れ合われてきた。
「ご一家と親交のある獣医師が主催者に名を連ねているので、私的なお出かけとして足を運ばれてきました。
ご一家で飼われている『由莉』というメスの柴犬のミックス犬も、この獣医師を通じて譲り受けられました。
それ以前に飼われていた『ピッピ』と『まり』の健康診断を担当していたのもこの獣医師。
東宮御所を訪れることも多くあり、雅子さまとの交流も大変深いそうです。
愛子さまは今回が初めての参加でした。各展示をご覧になり、
『熊本地震と動物救護活動の報告』という講演に熱心に耳を傾けられていました」(前出・フォーラム関係者)
だが、お元気な姿を見せられていたはずの愛子さまは、この翌日から長期欠席に入られてしまう。
皇室ジャーナリストは、次のように指摘する。
「獣医師の仕事を間近に見聞きされた愛子さまが、ご自身を取り巻く『皇族』としての状況を考え、
少なからず影響があったのではないでしょうか。
雅子さまもそんな愛子さまの胸中をお察しになっているのでしょう」
今から2年前、中学1年生の愛子さまは
《私は看護師の愛子》という書き出しで始まる短編小説を書かれたことがあった。
とある診療所で働く愛子は、ある日、片足をけがした1羽のカモメを手当てする。
翌日には元気に飛び立っていったカモメ。
するとその後、けがをした海の生き物たちが次々と訪れるようになり、
愛子の診療所は生き物たちにたくさんの勇気と希望を与えていく──。
「学習院女子中等科・高等科の生徒に昨秋配布された『生徒作品集』に綴られたものでした。
もちろん架空の物語です。ですが、愛子さまが動物を相手に奮闘される姿を描いたような内容に、
将来、獣医師になることを夢見ていらっしゃるようにも感じました」(学習院関係者)
中高一貫教育の学習院女子中等科では、中3の2学期に進学の意思確認が行われる。
まさに今の愛子さまがその時期にあたる。
「ほとんどの生徒は他校を受験することなく、そのまま進学しますが、
より専門的な分野の勉強を希望する場合には、別の高校を受験する生徒もいます。
この時期には将来の夢や目指す職業が生徒同士の間で話題にのぼることも多いんです。
愛子さまも、ご自身の将来の職業、そこに至るプロセスに
思いを馳せることもあったのではないでしょうか」(前出・学習院関係者)
ただ、「皇族のための学校」である学習院を、愛子さまがそう簡単に離れることはできない。
「秋篠宮家の眞子さまと佳子さまは国際基督教大学へ、
悠仁さまはお茶の水女子大学附属小学校に通われるなど皇族方の学習院離れは進みました。
ですが、東宮家の子女である愛子さまはやはりお立場が違う。
別の高校へ進学というのはやはり現実的ではないと思います」(別の宮内庁関係者)
それだけにとどまらない。現行の皇室典範では、女性皇族は将来結婚すれば皇籍を離脱し、
その先の人生を一般人として歩むことになる。
「愛子さまも例外ではありません。ご結婚後、一社会人として働きに出ることもあるでしょう。
その選択肢の1つには、獣医師になる未来もないわけではないのです」(前出・皇室ジャーナリスト)
だが、天皇陛下の「生前退位」報道、それに続く「お気持ち」表明以降、
愛子さまの“明日”は不透明な状態になったといっていい。
「陛下に限って退位を認めるのか、皇室典範を改正するのか。
それと同時に、皇室を安定的に存続するための議論も深めていかねばなりません。
その中には“愛子さまを天皇に”という『女性・女系天皇論議』も含まれるでしょう」(政治記者)
もし愛子さまが天皇ということになれば、当然「獣医師の夢」は固く閉ざされてしまう。
「周囲が大いに夢を語っている。自分にも夢がある。でも、もしかしたらその夢は叶わないかもしれない…。
愛子さまは、ご自身の立場やご自身を取り巻く状況を充分に理解されています。
ですがそんな思いが巡っている時に、フォーラムで獣医師の仕事に触れることになった。
頭では理解できていても、憧れや希望をそう簡単に押さえ込むことはできない。
ご自身の宿命をお察しになり、それが体の不調として表出してしまったのかもしれません」
(前出・皇室ジャーナリスト)
愛子さまに、また弾けるような笑顔が一刻も早く戻ることを願ってやまない。
撮影■雑誌協会代表取材
※女性セブン2016年10月27日号
http://www.news-postseven.com/archives/20161014_456597.html


愛子さまの長期欠席 宮内庁からの説明なく学校も対応に苦慮
2016.10.22 07:00
10月18日、愛子さまが通われる学習院女子中等科は2学期の中間テスト初日を迎えた。
しかし、この日も愛子さまが学校にお姿を見せられることはなかった。
9月26日から始まった長期欠席は、運動会も含め4週目に入った。
異常事態に、学習院側も困惑の色を隠せないでいる。
「実は、先日愛子さまの欠席に関する臨時の職員会議が開かれたのですが、
宮内庁側からしっかりとした説明はされていないようで、マスコミ対応への注意がなされた程度でした。
となると、お休みの原因は学校生活にあるわけではなさそうですが…。
正直、学校側も対応に苦慮しています」(学習院関係者)
10月14日に行われた東宮大夫の定例会見では、快方に向かわれている一方で、
お疲れが抜けずふらつきも残っていると説明されたが、詳細は明かされないまま。
「ここまでお休みが長引く理由には、病名も明かせない重大なお体の異常があるのではないかと
心配する声もあります。最近の愛子さまは、目に見えて線が細くなられ、『激やせ』とも報じられました。
確かに“中学生のお年頃の女の子がダイエットをした”という程度は超えているように思います。
東宮大夫の会見でも、“胃腸の弱まりがある”という話でしたが、たとえば『摂食障害』のような、
お食事もままならないような状態にあるのではないかという懸念の声も聞こえるほどです」(皇室記者)
愛子さまは10月6日に宮内庁病院で検査を受けられた。公務ご多忙の中、雅子さまは愛子さまに付き添われた。
「雅子さまは医師の診断を聞かれたうえで、皇太子さまと愛子さまと相談され、欠席を決められたようです。
詳しい病名が明かされないということは、メンタル面も含めた体調不良だとも考えられます。
雅子さまは母親としてどう接するべきか悩んでいらっしゃるのではないでしょうか。
“学校へ行きなさい”と促すべきなのか、様子を見守るべきなのか…。理由も明かされずにお休みを続けることに
“甘やかしているのではないか”との声もあるようですが、“行きなさい”と言うことが
マイナスに働くこともあるかもしれない。
言えるかどうかの境界線をどこに置くのかは非常に難しい判断だと思います」
(宮内庁関係者)
撮影■雑誌協会代表取材
※女性セブン2016年11月3日号
http://www.news-postseven.com/archives/20161022_458966.html


長期欠席の愛子さま 「お疲れ」レベルは他の中学生と別次元
2016.11.02 07:00
ぐっと気温が下がり、行き交う人々の服装に冬の気配さえ感じられた10月最後の週末。
各地でハロウィンが盛り上がる中、学習院女子中等科で文化祭『八重桜祭』が開催された。
花をあしらったプラカードが飾りつけられた校門を、保護者や受験を控えた家族連れが続々とくぐっていく。
各クラスの出し物や学習発表の展示に人の輪ができ、あちこちで楽しそうな笑い声が響いていた――
しかし、年に1度のお祭りの日に、愛子さまのお姿はなかった。
「10月上旬の体育祭に続き、愛子さまは文化祭も欠席されました。
これで、9月26日から始まった長期欠席は1か月以上に及びます。
最近は、一時期細くなっていた食も戻られ、体調もかなり快復されてきています。
お部屋で本や教科書を開かれたり、お庭に出て少し散歩されることもあるそうです」(皇室記者)
お休み中、体調が悪くても愛子さまは学校とクラスメートに思いを馳せられていた。
「愛子さまは東宮御所の中でクラスの出し物の景品作りをされていたそうです。
文化祭は、体育祭などと並んで大きな学校行事の1つ。特に今年は中等科最後の文化祭でしたから、
何かしら協力したいというお気持ちも強かったのでしょう」(学習院関係者)
愛子さまのクラスの出し物は、『雅女』(みやびじょ)というタイトルで、
迷路とクイズを組み合わせた「体と頭」で楽しめる内容。迷路の途中で出題されるクイズに答えながら、
マネキンの頭にのせた毛糸で「三つ編みを作る」などといったチャレンジも。
7つの関門に挑戦し、獲得した得点によって景品がもらえるというものだった。
「景品には、細い毛糸にビーズを通して作ったミサンガや千代紙で彩られたマグネット、シュシュなど、
女性が“かわいい!”と思わず手に取りたくなるようなものばかり。景品は、生徒たちが手作りしたものでした。
愛子さまも、本番当日を思いながら、お休み中に景品作りをされたそうです」(前出・学習院関係者)
◆「あくびもできない。顔もかけない」
少しずつ、ご快復の様子が漏れ伝わってきた愛子さま。
「夏休みが明けて以降、体育祭、テスト、文化祭とイベントが続きましたが、ここで一段落。
通常の授業に戻るタイミングでもあり、
愛子さまの登校再開もご様子を見ながら検討されているといいます」(前出・皇室記者)
しかし、長期欠席に至った原因だけは隠され続けている。
「宮内庁側は欠席の理由をあくまで『お疲れ』によるものだと一貫して説明し、詳細を明かしてきませんでした。
その間に、『交友関係の問題』や『摂食障害』などさまざまな噂が飛び交いました」(前出・皇室記者)
真相はなんなのか。ある宮内庁関係者が愛子さまの未来を憂い、本誌・女性セブンにだけ重い口を開いた。
「愛子さまの欠席の理由は、お母さまの雅子さまと同じなんです。
つまり、皇族としての世間からの注目度の高さに、ショックを受けてしまわれたのです」
今夏、愛子さまは皇太子ご夫妻の公務に同行され、式典に参列されるなど、
それまでに増して人々の眼前にお出ましになる機会が多かった。
凜とされたそのお姿に「皇族としてのご自覚の強さ」を感じたという報道も少なくなかった。
「天皇陛下の生前退位報道、それに続くお気持ち表明を受けて、
愛子さまは新たに、“14才の内親王”が皇室のためにできることを精一杯お務めになりました。
もちろん、以前からご自分が皇族、さらには皇太子の娘であることは自覚されていますし、
多くの人の視線を一身に浴びることになることはおわかりになられていたと思います。
しかし、実際に多くのお出ましを経験される中で、
そのプレッシャーは予想以上に重かったのではないでしょうか。
砕けた言い方をしてしまえば、周囲の目がある時はあくびもできなければ顔がかゆいからとポリポリかけない。
一瞬たりとも気を抜けず、笑顔を崩すこともできないのです」(前出・宮内庁関係者)
民間から皇室に嫁がれた雅子さまにも、プリンセスフィーバーの怒濤の波が押し寄せた。
皇太子妃になることの現実は、予想だにしないほどハードルの高いものだった。
それと同様のことが、愛子さまを襲ったのだ。
「中学生が“お疲れ”を理由に長く休むのはおかしい、という意見もあったと聞きます。
ですが日本全国を見て、愛子さまのお立場にある中学生は、愛子さまご本人しかいらっしゃいません。
“お疲れ”も、他の中学生が経験するものとは別次元だと理解すべきでしょう」(前出・宮内庁関係者)
愛子さまが一日も早く笑顔を取り戻されることを願ってやまない。
撮影■雑誌協会代表取材
※女性セブン2016年11月17日号
http://www.news-postseven.com/archives/20161102_462689.html


愛子さまの長期ご欠席 雅子さまの体調との関係を指摘する声
2016年11月10日 5時57分
デイリー新潮
〈子は親を映す鏡〉とはいえ、これは如何ともし難い。
かれこれ6週間、中学校を欠席されていた皇太子ご夫妻の長女・愛子さま(14)。
その症状は詳らかにされないが、快復傾向にあった雅子妃のご体調と、少なからず関係があるというのだ。
小田野展丈・東宮大夫が、愛子さまの近況に言及したのは9月30日のことだった。
「定例会見で9月26日から休まれていると明かしたのです。
愛子さまは10月1日の運動会も欠席されました」(宮内庁担当記者)
翌週からは判で押したように〈お疲れが抜けず〉〈胃腸が弱まり〉
〈体力が消耗〉〈ふらつき〉といった語句を用いた会見が続く。
10月18日から4日間行われた中間試験もお休みで、
「これで我々も『ただ事ではない』と色めき立ちました。というのも、
中間試験以降の結果は高校進学への評価対象となる。
赤点を取れば追試が必要で、愛子さまは全ての科目を休まれたのだから、
年末にかけて学習面では相当の負担がのしかかることになります」(同)
20日に皇居で行われた皇后さまのお誕生日行事も欠席され、
さらには心待ちにされていた文化祭「八重桜祭」(10月29、30日)にもお出にならず──。
「とりわけ夏以降、愛子さまは明らかに体型の変化が窺えます。会見でも『随分お痩せになった。
食事はちゃんと摂られているのか』との質問が飛んだのですが、大夫は『普通に召し上がっていると思います』
『中身は存じませんが、胃腸が弱っているということは消化によいものなのでしょう』と答えるばかりでした」(同)
10月6日には宮内庁病院で検査を受けられ、
「『特段の問題なし』とのことでした。が、直近のお姿からするに、体が食べ物を受け付けない、
いわゆる摂食障害に罹られているのではと疑わざるを得ません」(同)
■夏の異変
11月8日になり、43日ぶりに登校された愛子さま。さる宮内庁関係者が言う。
「愛子内親王の欠席については、雅子妃殿下のコンディションが大きく影響していると拝察されます」
話は、今夏にさかのぼる。
「その頃、妃殿下が過剰なまでのハイテンションでおられるのを複数の職員が目にしています。
よくお話しになり“弾けるような明るさだ”と評していました。
ですが、適応障害からのご快復というには余りに違和感があり
『お元気すぎるのもいかがなものか』と、揺り戻しを案じていたのです」(同)
雅子妃は、9月28日から4日間で3回の外出を伴うご公務にあたられるなど
精力的なご活動が目立っていたのだが、前出記者は、
「10月21日から予定されていた2泊3日の岩手県行啓は、
『最近のご公務や愛子さまの看病でのお疲れがあって難しい』と、急遽前日に取りやめとなりました」
精神科医の和田秀樹氏が言う。
「食欲もふるわず、かつ内科的な検査で異常がなければ、何らかの心の問題を抱えているとみるのが普通です。
胃腸が弱っているというのなら『ストレス性胃腸炎』などを疑わねばならず、
また現代では標準体重を20%下回れば拒食症という診断もできるのです」
さらに雅子妃についても、
「元来、ご体調は良好でなかったのにお出ましが増え、あわせて愛子さまも衆人の目に触れる機会が多くなった。
これが結果としてストレスの要因になったとも考えられます。
愛子さまの心に問題が生じれば、雅子さまも溌剌とした状態から一転、
急激に落ち込まれることもあり得るのです」(同)
陛下のご在位にリミットが設けられつつある今、残された時間は無限ではない。
特大ワイド「ふりむけば百鬼夜行」より
「週刊新潮」2016年11月10日神帰月増大号 掲載
http://news.livedoor.com/article/detail/12261989/


愛子さま、1か月半ぶりのご登校で笑顔も午後のみの出席が続く
週刊女性2016年11月29日号
2016/11/16
「愛子さまは11月8日、43日ぶりに学習院女子中等科に登校されました。
まだ休みがちで時間を区切っての出席が続くと思いますが、温かく見守ってほしいですね」
皇太子ご夫妻の長女・敬宮愛子さまの近況について、そう話すのは東宮職関係者。
学習院女子中等科3年の愛子さまは、9月26日から学校をご欠席。
その間に行われた運動会や中間テスト、八重桜祭(文化祭)にも出席できず、心配な状況が続いていた。
「宮内庁の発表によると、愛子さまは夏休みの宿題や運動会の練習でお疲れが出て、
『ふらつき』や『胃腸の不調』が続いたものの、宮内庁病院での検査では異常なしということでした。
体調がいいときは、お住まいの庭を散策したり、教科書を開いたりされていたということです」(宮内庁担当記者)
冬の気配が漂ってきた8日の火曜日、午後1時半過ぎに、東京・新宿区にある学習院女子部の北門に
愛子さまを警護する車が入ると、テレビ局の取材陣が校門前に。
ほどなくして皇太子ご一家をお世話する宮内庁東宮職の職員も校内から出てきて、ひと悶着。
取材手法について、話し合っているようだった。
そうこうするうちに、愛子さまを乗せた白のワンボックスカーが、シルバーのセダン2台に挟まれながら校内へ。
愛子さまは1か月半ぶりの登校を果たされたが、東宮職のスタッフたちは身体を張って取材クルーを止め、
ピリピリとした「厳戒」ムードが漂っていた。
「やはり、久しぶりの登校で報道陣が殺到することを考え、それを避けるための“愛子さまシフト”だったと思います。
いままでは、学校から300メートルほど離れた場所への車通学で、残りは徒歩でしたが、
しばらくはやむをえないと思います」(冒頭・関係者)
8日当日は6時間目のみのご出席で、学校の滞在時間は75分ほどだったが、同級生には温かく迎えてもらったという。
翌9日は再び欠席で、10日も6時間目だけのご登校。
11日は午後から、目白の学習院大学キャンパス内で行われた「芸術鑑賞会」にのみ出席し、
12日土曜日は4時間目のみとなり2年前の“不規則登校”に近い状況に……。
そんな限定的なご登校が続く愛子さまについて、
「一般の子どもであっても、長期欠席後の最初の登校は負担になるので、時間を区切ったり、
保健室登校になったりするものです。
久しぶりの登校に、メディアの注目が集まっていた愛子さまにもかなりの緊張はあったはずで、
今回のような登校状況は当然だと思います」
と話すのは精神科医で教育評論家の和田秀樹さん。
東宮大夫の定例会見によると、愛子さまにはまだ「ふらつき」が残っているようだが、
和田さんは次のような可能性を指摘する。
「登校再開まで40日以上という日数がかかったのは、
やはり『ストレス性胃腸炎』や『拒食症』だった可能性が考えられます。
『拒食症』で食事をとれない人や、朝起きることができない『起立性調整障害』の人に多いことですが、
午前中は調子が悪くて登校できないということかもしれません。
また医師の判断があり、無理をさせないために日時を区切っての登校だった可能性もあります」。
この春からご両親の公務に同行することが増えた愛子さまは、夏休み中にも各地に出かけ笑顔をふりまかれたが、
おやせになった姿も話題に。そこで和田さんは、一連のお出かけの重圧やストレスで
「拒食症」(摂食障害)になった可能性を指摘していた。
しかし、 “復帰2日目”(10日)の愛子さまの姿を見る限り、マスクであごのラインはわからないが、
車に同乗していたスタッフたちと談笑されていたのだった。
http://www.jprime.jp/articles/-/8511

変則登校続く愛子さま、頑なに避けられている昼食時間
2016.11.17 16:00
東京・目白の学習院大学正門前に、1基の信号機がある。
11月11日の午後3時半、1人の警察官が信号機の前に立った。
根元にある配電盤のような箱の鍵を開けて操作する。信号が「青」で固定された直後、2台の警備車両に挟まれ、
愛子さまを乗せた白いワンボックスカーが正門の前を通過し、帰路についた──。
その日の午後、愛子さまが通われる学習院女子中等科の生徒たちは、大学で課外授業を受けた。
続々と構内へと入っていく生徒たちの中に、愛子さまのお姿はない。
間もなく始まろうかという午後1時半過ぎになって、愛子さまを乗せた車が到着した。
「9月26日から長期欠席していましたが、11月8日に久しぶりに登校されました。ご体調は万全ではないようで、
“6時限目だけ”といった変則登校。
その日も午前中の授業はお休みになり、課外授業だけのご出席でした」(皇室記者)
車を降りられた愛子さまは、前髪を左右に流し、後ろで1つにまとめられ、口元にはマスク。
5人ほどの警護に周囲を固められながら、建物の中へと入られた。
「長期欠席前と比べて、歩くスピードがとてもゆっくりという印象を受けました。
時折、足下を気にされるご様子もあって。一時の“激ヤセ”よりは戻りつつありますが、
手足の長い愛子さまはいつも颯爽と歩かれていたものですから、
まだご快復の途上であることを改めて感じました」(前出・皇室記者)
課外授業は「芸術鑑賞会」で、1時間ほどの外国映画をご覧になったという。
冒頭の「信号操作」は、愛子さまがお帰りの折のことだ。
「天皇皇后両陛下や皇太子ご夫妻がお車で移動される際には、綿密なスケジュールが組まれ、
信号操作が行われるのが通常です。つまり、赤信号で停車されることはありません。
しかし、愛子さまがおひとりの時には異例です。今回、特別に信号が操作されたのは、
愛子さまが最近、極度に周囲の視線や報道陣のカメラに対してデリケートになられているからだそうで、
愛子さま自身も車内で顔を伏せられたり、体勢を低くされたりすることもあるそうです」(宮内庁関係者)
午前中のみの授業だった翌12日土曜日、愛子さまは4時限目のみ登校された。週が明けた14日月曜日には、
午後1時に登校されると、5・6時限目の古文と英語の授業を受けられた。
少しずつ学校での滞在時間も延びてきている一方で、頑なに避けられている時間帯がある。
「登校再開後も、昼食の時間に学校にいたことはありません。学習院女子中等科は給食ではなくお弁当制で、
生徒たちにとっては授業の合間のリラックスタイム。仲のいい友達同士で机をつき合わせて、
隣のクラスの生徒が遊びに来ることもあるんです。
先生も教室にはいませんから、愛子さまにとってもとても楽しい時間でした。
以前、生徒たちの間でお弁当にスープを持参することがはやったときには、
愛子さまもメニューを雅子さまと相談され、魔法瓶で持ってこられたことがあったそうです」(学習院関係者)
憩いだったはずの時間を、なぜ愛子さまは避けられているのか。
「11日に行われた宮内庁の会見で、“まだ多少のふらつきは残っていて、快復にはもう少し時間が必要である”
という侍医の見解が示されました。愛子さまはまだ、胃腸にも不安を抱えられた状態なのでしょう。
時間を制限して授業に出ることはできますが、
これまでのようなお弁当のメニューのお昼が食べられないのかもしれません。
そのため、“午後の授業のみ”といった登校の仕方が続いているのでしょう」(前出・宮内庁関係者)
15日も、愛子さまはお昼の時間を避け、午後の授業のみ受けられた。
一刻も早く、愛子さまに“日常”が戻ることを願ってやまない。
撮影■雑誌協会代表取材
※女性セブン2016年12月1日号
http://www.news-postseven.com/archives/20161117_467318.html

愛子さま 上智大学への進学をご希望と関係者語る
2016.11.26 16:00
朝から暗く分厚い雲が垂れ込めた11月21日、長期欠席を経て変則登校が続く愛子さまは、
この日も6時限目の英語の授業のみの登校だった。
「少しずつご体調はよくなり“激やせ”といわれた時に比べるとだいぶ戻られたように思います。
ただ、すべての授業に出席できる状態ではなく、しばらくはご様子を見ての登校になるでしょう。
現在、愛子さまは車に乗られたまま学習院女子中等科の敷地内に入っていかれています。
欠席前は、学校から300mほど離れた場所で車を降りられ、歩いて門をくぐられていた。
やはり快復の途上であることがうかがえます」(皇室記者)
現在中学3年生の愛子さまは12月1日に15才を迎えられ、来年4月から高校へ進学される。
多くの皇族方がそうであったように、愛子さまは大学までエスカレーター式の学習院で学ばれている。
だが、最近になって周囲ではこんなことが囁かれている。
「愛子さまは、上智大学への進学を希望されているのではないか」
事情を知る宮内庁関係者が声低く明かす。
「少し前から愛子さまには、東宮御所で勉学を教えてくれる、いわゆる“家庭教師”がいるのです。
その女性は上智大学の出身で、英語が堪能。愛子さまの英語学習を助けているそうです。
彼女からは、英語の知識だけでなく上智大学の校風やカリキュラムについてもお聞きになり、
愛子さまはとても興味を抱かれているそうです。高校はこのまま学習院女子高等科へ進学され、
3年後に大学受験をなさるお考えもあると聞いています」
学習院は「皇族のための教育機関」である一方、近年は皇族の“学習院離れ”が顕著だ。
秋篠宮家の長女・真子さまが女子高等科を卒業後、国際基督教大学(ICU)へ進学されたのをはじめ、
次女の佳子さまも一度は学習院大学へ進学されたものの中退され、現在ICUで学ばれている。
また、悠仁さまはお茶の水女子大学附属小学校に通われている。
「愛子さまは東宮家の内親王ですから、真子さまや佳子さまのように自由に
進学先を選ぶことは簡単なことではありません。それでも、選択肢として別の大学をお考えになる理由には、
学習院側との埋められない溝が見え隠れしています」(別の宮内庁関係者)
初等科時代のいじめ問題、中等科に進学されてからの不規則登校など、
愛子さまの学校生活は決して平坦なものではなかった。
「雅子さまは学習院が愛子さまをあまりに“特別扱い”しすぎることや、
その一方で問題が起きたときの対応の遅さに、不満を漏らされたこともあったといいます。
今回の長期欠席中、宮内庁側は愛子さまの病状や様子について学習院側に詳細を伝えておらず、
変わらない溝があることが感じられました。かつて、雅子さまが愛子さまの進学先に
東大やハーバード大を検討されていると報じられたことがありましたが、
愛子さまの上智大学進学のご希望を、雅子さまが後押しされるのも考えられない話ではありません」
(前出・別の宮内庁関係者)
撮影■雑誌協会代表取材
※女性セブン2016年12月8日号
http://www.news-postseven.com/archives/20161126_469880.html

愛子さま、登校限られる心理状況に専門家「中学生以降の不登校は解決が難しい」
週刊女性2016年12月13日号
2016/11/30
「愛子さまは久しぶりに登校されてからも、午後からの登校が続いていましたが、
徐々に学校での滞在時間が増えてきましたね」
皇太子ご夫妻の長女・愛子さまの近況についてそう話すのは宮内庁関係者。
現在、学習院女子中等科3年の愛子さまは9月26日から長期欠席となり、
運動会や中間テストなども休まれる異例の事態に。
「宮内庁の発表では、欠席の原因は勉強などのお疲れからくる
『ふらつき』と『胃腸の不調』による体調不良ということでした。
病院での検査も異常なしで、病名や症状名の公表もありませんでした」(宮内庁担当記者)
しかし、夏ごろから公務でのお出ましが増え、おやせになった状態などから『週刊女性』では、
重圧やダイエットが原因の「拒食症」(摂食障害)の可能性があることを指摘。
「他誌でも『思春期やせ症』や『炭水化物ダイエット』による食事制限が原因では、
との内容が報じられました」(皇室ジャーナリスト)
愛子さまは11月8日に1か月半ぶりの出席となったが、
その後も午後2時(6時間目)からの車でのご登校になるなど、時間を区切っての学校生活が続いていた。
教育社会学が専門で子ども教育に詳しい東京成徳大学名誉教授の深谷昌志さんは、
愛子さまの心理状況をこう分析する。
「中学生以降の不登校は、小学校のころに比べて解決が難しくこじれるものです。
思春期になれば、自我が強くなり葛藤が生まれてきて“学校に行かなくてはいけない、
でも行けない”と思い悩み、心の傷が残るものです。
愛子さまの登校がまだ限られているのは、そのような苦しい心理状況があるのではないでしょうか」
そんな状況も徐々に改善されたのか、“復帰”から2週間がたった11月22日、
愛子さまは11時20分ごろ、4時間目から学校へ。
食事や摂食の問題も解消されつつあるようで、東宮職関係者はこんなエピソードを披露する。
「愛子さまは22日、お弁当を持参し、友達と楽しく召し上がられたそうです」
雪が降った24日は6時間目からだったが、25日は10時半前に校門をくぐり3時間目から─。
この日もお友達との昼食を楽しまれたのかもしれない。
翌土曜も同じ時間帯での登校となり、学校で過ごされる時間は着々と延びている。
「東宮大夫の記者会見によると、愛子さまは侍医(かかりつけの医師)との相談や助言によって、
その日の登校時間を決められているようです。
ふらつきもまだ残っていて、完全な回復までにはまだ時間が必要のようです」(同・記者)
12月1日には15歳のお誕生日を迎え、来年は高校生となられる愛子さまは、
学習院初等科3年になる直前には“イジメ問題”から「不登校」に。
女子中等科に進学した年も、「不規則登校」が続いたこともあり、学校生活の適応に苦しまれているようだ。
「特に愛子さまは内親王という特別なお立場にあることが、影響していると思います。
愛子さまは女性天皇として天皇になるか、女性宮家として結婚しても皇室に残る可能性もゼロではないようです」
前出の深谷さんは、愛子さまの“苦悩”をそう読み解きながら続ける。
「一方で、それが明確に決まっていない状態は、自分の将来を見通し、計画を立てることができず迷いが生じます。 
一般の思春期の子どもも、将来のことについて悩むので、愛子さまの悩みはさらに深いものではないかと思います」
http://www.jprime.jp/articles/-/8656

愛子さま 「完全登校」復活の前日には母校の文化祭へ
2016.12.05 07:00
朝8時を回ると、学習院女子中等科の校門に1人の警察官が立つ。
登校する生徒たちは、警察官の存在を気にすることなく校内へと歩を進める――。
それはこの3年間の“いつもの光景”だった。
ところが、愛子さまが長期欠席に入られてからは見られなかった。
11月28日の朝、ようやく見慣れた風景が戻ってきた。
「愛子さまはその日、およそ2か月ぶりに1時限目から登校され、
途中でお帰りになられることなく、6時限目まですべての授業を受けられました。
9月26日から長期欠席が始まった愛子さまは、11月8日から午後の1〜2時限だけのご出席などが続いていました。
その間にも欠席されることがあり、体調は一進一退のご様子でした。
それがこの日は久しぶりの『完全登校』。まだお車に乗ったまま校内に入っていかれるため、
欠席以前とまったく同じとはいえませんが、お体は順調に快復されていることがうかがえました」(皇室記者)
翌29日も、愛子さまは朝8時すぎに車で登校され、6時限目まですべての授業を受け、午後4時前にお帰りになった。
12月1日に15才の誕生日を迎えられた愛子さま。節目の日を目前にして完全登校を再開されたが、
その前日、愛子さまは「思い出の地」へと足を運ばれていた。
11月27日、学習院初等科で文化祭が催された。同校の卒業生である愛子さまが、
マスク姿にポニーテールにした髪を揺らし、紺色のコートに身を包んでお姿を見せられたのは朝9時半すぎ。
お友達の姿を見つけると足早に駆け寄られ、笑顔を見せながら校門をくぐられた。
愛子さまが初等科を卒業されてから、2年半経ったが、
愛子さまは昨年も一昨年も、この文化祭に足を運ばれていた。
「愛子さまにとって、初等科の校舎はとても落ち着かれる場所のようです。
初等科時代には仲の良い5〜6人のメンバーといつも一緒で、校内はもちろん、
休みの日に東京ディズニーランドや富士急ハイランドにお出かけになったこともありました。
初等科でのイベントは、そういった思い出に浸れる数少ない機会ですから、
愛子さまも楽しみにされていたのでしょう」(学習院関係者)
長期欠席の理由に胃腸の弱まりもあった愛子さまは、限定登校中にはお昼の時間を避けるようにされていた。
しかしこの日は、昼1時20分頃に3階にある食堂へ進まれ、ランチも楽しまれたという。
生憎の雨のため、午後に校庭で予定されていたフォークダンスは急きょ中止になり、
午後2時半頃から児童や保護者たちが帰り始めた。
だが、愛子さまがお友達と連れだって校門から出てこられた時には、すでに夕方4時を回っていた。
「卒業生が初等科の文化祭に来る理由は、展示を回ったりするのはもちろんのこと、
お世話になった先生方と久しぶりに顔を合わせるためなんです。
実際、愛子さまは図工クラブの作品が展示されている教室で、
初等科時代に担任だった先生と談笑されていました。
でも、文化祭が行われている最中は先生方も忙しいから、ゆっくり近況報告もできない。
そのため、閉会後に保健室なんかで“おしゃべりタイム”が始まって、帰りが遅くなるんですよ。
愛子さまも名残を惜しむようにその時間を楽しまれたのかもしれませんね」(前出・学習院関係者)
閉会から1時間半が過ぎてようやく校門を出られた愛子さま。お友達に別れを告げられた笑顔には、
久しぶりに懐かしの場所を訪れた充実感が滲んでいた。
一方で、紺色の傘を差して徒歩で帰路につかれた愛子さまの周囲を、警護の人間ががっちりと固めていた。
前出の学習院関係者はこう明かす。
「文化祭の最中も、愛子さまの背後にぴたりとくっついていたのが気になりました。
昨年お見かけしたときには、もう少し距離をあけていたように記憶しているんですが…。
どうやら、愛子さまに視線が集まることにかなりナーバスになっているようなんです」
宮内庁関係者が続ける。
「愛子さまはカメラを向けられること、特にフラッシュ撮影に対して恐怖心をおぼえていらっしゃるようなんです。
愛子さまがまだ幼い頃、皇太子ご夫妻とお忍びで美術館に足を運ばれたことがありました。
一般客のことも考慮して閉館後に行かれたため、お帰りの時にはあたりは暗くなり始めていた。
建物の外に出たときに、いきなりフラッシュをたいて至近距離から光が直撃するようにバシバシっと撮られた。
愛子さまは幼心にショックを受けられました。最近は特にそのトラウマが強く甦っているようです」
愛子さまにとっての、“いつもの光景”に戻るには、まだ少し時間がかかるのかもしれない。
撮影■雑誌協会代表取材
※女性セブン2016年12月15日号
http://www.news-postseven.com/archives/20161205_472190.html