オール学習院父娘共演の裏で

女性セブン2014年5月1日号
オール学習院父娘共演の裏で
美智子さまとの距離広げる
雅子さま「母と愛子さま」の極秘面会
オール学習院“父娘共演の裏で”―

(略)
「私は結婚により、私が大切にしたいと思うものをともに大切に思ってくれる伴侶を得ました。
皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、
これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています」
昨年、80歳の誕生日を迎えられた陛下は美智子さまへの感謝の思いをこう語られた。
陛下は“象徴天皇”の在り方をを模索され、「国民とともに」という皇室を目指されてきたが、
その過程で美智子さまがいかに大きなものだったかが伝わる。
結婚55年目は“エメラルド婚”と呼ばれているが、
この4月10日、両陛下は夕刻に赤坂御用地内になる東宮御所を訪ねられた。
「両陛下の結婚記念日を祝う夕食会が東宮御所で行われました。皇太子ご一家、秋篠宮ご一家、
そして黒田清子さん夫妻とご家族に囲まれた両陛下は楽しい時間を過ごされたようです。
この記念の夕食会を心に残るものにしようと、プロデュースされたのは雅子さまです。
お食事は両陛下が希望なさった和食を準備され、プレゼントに絵画を贈られたそうです」(宮内庁関係者)
皇太子さまのお祝いの言葉で始まった宴。
「ご一家は両陛下のご成婚から、これまでのアルバムを広げられて、おふたりのこれまでを振り返りながら
談笑されたそうです。また、眞子さまの大学ご卒業や愛子さまの中学ご入学の話題になると、
両陛下は目を細められていたみたいですよ」(前出・宮内庁関係者)
雅子さまが尽力されたのは、もちろん両陛下に喜んでいただきたいという思いからだが、もうひとつ理由があった。
一部で報じられたように、両陛下が伊勢神宮参拝中に、私的なスキー旅行に出かけられた皇太子ご一家。
また愛子さまの春休み中にも、ご一家は私的な外出が目立ったため、非難の声があがっていた。
「美智子さまの耳にも、そういった声が届いており、
“ご体調がまた逆戻りしてしまったのではないでしょうか”と危惧されていたのです。
雅子さまは心配されている美智子さまに“大丈夫ですよ”という思いを伝えたかったのでしょう。
先頭に立たれてお祝いの食事会を盛り上げられたようです」(前出・宮内庁関係者)
雅子さまの心遣いに、ひとまず安堵された美智子さまだったが、
その直後、周囲を心配させてしまう行動を雅子さまは取られていた。
4月13日、学習院創立百周年記念会館で催された「オール学習院大合同演奏会」で、
皇太子さまと愛子さまの久しぶりの“親子共演”が実現した。
まず登場されたのは愛子さま。初等科管弦楽部の一員(中1まで)としてステージに上がられると、
初等科4年生のときの運動会で踊った思い出の曲「ソーラン節」を黄色い法被を羽織って演奏された。
「『ソーラン節』は観客も巻き込んで盛り上がりました。
両殿下も身を乗り出して聴き入っていらっしゃいました」(居合わせた観客)
(略)
そんな雅子さまと少し離れた会場の隅で、愛子さまのご成長を眩しげな眼差しでみつめている婦人の姿があった。
「雅子さまのお母さまである小和田優美子さん(76歳)が(雅子さまの)妹の渋谷節子さんと一緒に
1階席の後方で鑑賞されていました。2人には東宮女官の岡山いちさんがずっと側に付いていました。
そして、演奏会が終わると楽屋に向かい、雅子さまと愛子さまと合流されたようです」(前出・宮内庁関係者)
国際司法裁判所判事を務める小和田恆さん(81歳)とともに、オランダ・ハーグで暮らしている優美子さんだが、
4月上旬に夫とともに帰国していたのだ。
「娘はあちらさまに差し上げたのですから」
こう言って、美智子さまの母・正田富美子さんは娘が皇室に嫁いでからは身を慎み、
その一線を越えぬように生きた。
だが、一方の小和田家はこれまで何度も取り沙汰されたように、雅子さまとの近すぎる距離が問題となった。
「特に’03年に雅子さまが体調を崩された当初は、頻繁に東宮御所を訪れる様子がキャッチされています。
昨年の皇太子ご夫妻のオランダ公式訪問の際も、オランダ王室の根回しに奔走、
さらに宿泊先のホテルまで足を運んで大騒動となったのは記憶に新しいです。
そんな批判があるのを知ってか、最近では優美子さんが東宮御所に出入りする機会は少なくなっていたんですが、
結局は外で極秘の面会を続けていたんですね」(皇室記者)
両陛下が皇太子・同妃の時代には、週に1度は皇居に参内され、昭和天皇と香淳皇后から“帝王学”を学ばれた。
しかし、皇太子ご夫妻が両陛下と会われるのは、前述のような何かご用事があるときばかり・・・。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏はこう語る。
「今回の演奏会も取材設定こそありましたが、私的な外出です。そこで母親を呼び出し、
家族の時間を持たれているのだとしたら、皇太子妃としての自覚が希薄だといわざるを得ません。
演奏会に出席できるのなら、公務に足を運ぶことも可能なわけですから・・・。
結局、雅子さまが本当に頼りにされているのは誰なのか。
美智子さまにとって、雅子さまのご実家との距離の近さは悩みの種なのではないかと思いますよ。
雅子さまが自分に心を開いてくれれば、もっと助言もできるわけですから・・・」
雅子さまには、形ばかりではなく、心から美智子さまとのコミュニケーションの時間を持たれることを期待したい。

かくすればかくなるものと

選択 2013.07月号 
皇室の風 岩井克己 かくすればかくなるものと

「かくすれば、かくなるものと解っていただきたいと足を運ぶのだが、
世の視線が厳しくなっているということがなかなか解っていただけない・・・・」
かつて皇太子と直に語らった宮内庁幹部の嘆息を思い出す。
皇太子家に仕えたが雅子妃の信頼が得られないまま去った元側近は、
「殿下は解っておられるのでは。ただ、妃殿下と激しいやりとりとなるのは避けたいのだと思う」と語り・・・。

皇太子夫妻結婚20年の節目に、10年に及ぶ雅子妃の「体調の波」について、
ぜひとも夫妻あるいは主治医らから丁寧な説明や見通しを示すべきだと本連載などで書いてきたが、
目立った反応はなかった。
メディアには元側近や友人らがコメントや手記を寄せたが、多くは具体性を欠く主観的擁護にとどまった。
批判的報道を「バッシング」「ステレオタイプの批判」と決めつけ抑え込もうとするかのような主張には、
皇室全体が傷つき危機的状況を抱え込んでいることについての真剣な顧慮や見識はうかがえず、
腑に落ちる説得力はなかったように思う。
肝心の主治医からも一切説明はなかった。
本人とともに国民に向き合い、誠実に説明を重ねて理解を求めることこそ皇族を預かる主治医や
側近の心構えではないかと思うだけに遺憾なことだった。

皇太子夫妻のオランダ訪問の決定と発表の取り運びについて、
筆者は「不明瞭で稚拙だったと言われても致し方ない」と「ウェブ論座」4/30付で書いた。
学習院の学校行事には出席するが、各界の功労者を招く最大規模の宮中行事である園遊会は欠席し、
一方でオランダは訪問するという雅子妃の「体調」の矛盾の不可解さに、
国民の積年の疑問と不満が表面化しつつあると指摘し主治医の説明を促したが、空しかった。
オランダでは即位式典とレセプション一部への出席が実現し、雅子妃回復への期待が膨らんだ。
しかし外務省関係者とは接見する一方で、多くの一般在留邦人との接見は欠席。
そのうちの旧知の二人だけ呼び出して懇談する「選り好み」がみられた。

帰国後も「体調の波」は続いている。
皇后が名誉総裁を務め、皇太子妃にとっても最も大切な行事の一つである全国赤十字大会は当然のように欠席。
皇太子夫妻の重要行啓のひとつ「全国『みどりの愛護』のつどい」や
両陛下が皇太子時代から長年熱心に取り組み皇太子夫妻に後を託した青年海外協力隊員との接見も欠席。
アフリカ開発会議各国首脳夫妻との宮中茶話会、オランド仏大統領国賓歓迎行事、
晩餐会といった外国親善行事にも雅子妃の姿はなく、スペイン公式訪問も皇太子単独となった。
一方で学習院幼稚園再開園50周年記念式典や外務省の進講には夫妻で出席。
国立科学博物館「グレートジャーニー 人類の旅」展には「私的鑑賞」として取材をシャットアウトして出かけている。

6/16午前中の香淳皇后を偲ぶ命日の例祭に欠席、
一方でスペインから帰国した皇太子の出迎えには車寄せに笑顔で姿を見せた。
6/18宮城県被災地訪問を直前でキャンセル。
今春以来、被災地訪問は何度か計画されてはキャンセルを重ねているという。

野村前東宮大夫のインタビュー
二年前、東宮大夫の定例会見で筆者は野村氏に
「皇太子妃は精神疾患を抱え、ほとんどの公務が皇太子単独となっている。
被災地訪問は夫妻そろってということにこだわっているように見えるがどのようなお気持ちからか」と質問した。
大夫は不快そうに
「殿下御一人でも行けと言いたいのですか。大災害お見舞いという重い勤めは両殿下で、
というのは自然なお気持ちではないか」と答えた。
ほとんどの重要公務や祭祀が皇太子単独で常態化しているだけに違和感を覚えたし、
今も違和感は解消されていない。
今回の宮城県訪問も、野村氏のインタビュー記事が掲載されたのと時を同じくして
キャンセルという皮肉な巡り合わせとなり、皇太子単独での訪問という対応もされなかった。
この二年間、両陛下や秋篠宮家ほか他の皇族は何度も被災地に足を運んで避難所を訪れたり
復興・除染作業を励ましたりしているが、皇太子夫妻は一度も現地入りしていない。
雅子妃の被災地訪問は体調に負担なのか、なぜ皇太子は単独でも足を運ばないのか、
東宮職は納得のいく丁寧は説明をすべきだろう。

他の皇族は公人中の公人として、体調が公務に影響を及ぼす場合はその都度、必ず発表し説明することが定着している。
元側近が登場して抽象的に「雅子妃は必ず快癒する」と援護射撃するのは、気持ちはわかるが筋違いで、
やはり主治医がきちんと会見して責任ある説明と見通しを丁寧に語るべきだろう。
公にしづらい事情もあることは筆者も把握している。公にすれば異論のある人もいるだろう。
周りは敵がいっぱいという心境なのかもしれない。
だとしても、病状・病態を覆い隠しつつ、後付けで言い訳を非公式なルートや特定の雑誌などで繰り返していても、
共感と信頼の輪は広がらないだろう。(敬称略)

これまで3度の頓挫!宮城県警が困惑!

週刊新潮2013年7月25日号
これまで3度の頓挫!宮城県警が困惑!
「雅子さま」8月20日の被災地ご訪問
皇太子ご夫妻の被災地ご訪問が実現すれば、2011年夏以来のこととなる。
それが、このたびの宮城県行啓を巡っては文字通り二転三転、実に目まぐるしい展開があったのだ。
その経緯を、宮内庁担当記者が振り返る。
「5月のオランダご訪問に先立ち、4月にいったんプランが浮上したのですが、
この時は宮内庁と県側とが詳細を打ち合わせる前に、あっさりと立ち消えになってしまいました」
その後は5月28日、続いて6月18日と、具体的なスケジュールが組まれたものの、
いずれも期日近くになって内々に取り止められてきた。
「理由はもちろん、雅子さまのご体調が思わしくないことに尽きます。それでも東宮職は、
『ご訪問は正式に発表したわけではなく、よって延期やキャンセルにはあたらない』との
“見解”を繰り返してきたのです」(同)
そうした建前はさておき、現地では少なからず支障が生じているのだ。
「往復の交通手段の確保はもちろんのこと、お迎えする自治体や宮城県警も、
態勢を一から整え直さなければならなくなります」とは、宮内庁関係者だが、
実際に警備を担うことになる宮城県警のさる関係者も、こう漏らすのである。
「そもそもは4月の両殿下ご来県に備え、
3月中旬から県警本部内に警衛警備対策室を設置、準備を進めてきたのですが…」
とりわけ、“6月18日案”がもたらされた際には、「5月中旬の早朝、私服警官が警察学校に集合し、
実際に配置予定地を視察する訓練が行なわれました。その後は警察庁が作成した、
およそ40分にわたる警衛の要諦をまとめたビデオを、
担当警官だけでなく一般職員まで視聴するほどに機運が高まっていたのです」(同)
加えて、本番直前には夜明け前の大がかりな模擬訓練も予定されていたという。
が、せっかく徐々に練り上げられてきた計画も、
「6月7日に『無期延期』との通達があり、すべて白紙に戻ってしまいました」(同)というのだ。
以降、今に至るまで目途は立たず、その間、両陛下は7月4日から岩手県をご訪問。
また今月22日からは「私的ご旅行」という形をとりながら、福島県へ行幸啓される予定である。
秋篠宮ご夫妻もまた、5月に福島を見舞われた折、
仮設住宅をはじめ、放射性物質の検査施設などをお訪ねになっていた。
結果、皇太子ご夫妻のみが懸案を抱え込まれたまま、盛夏に突入してしまった格好なのだ。
その矢先、またまた新展開が―。さる警察庁関係者が明かす。
「ご夫妻は、8月20日に宮城をご訪問なさる予定で調整が進んでいます。
宮内庁からの連絡を受け、我々もすでに県警に通達を済ませています」
とはいえ、今回はいささか趣を異にするようで、
「再三にわたって延期を繰り返したため、もはやその余地はない状況です。
万が一、雅子さまにアクシデントがあってお出ましが叶わない場合でも、
今度ばかりは皇太子さまお一人で行啓される、との意向が宮内庁から漏れ伝わってきています」(同)
両陛下はもちろん秋篠宮ご夫妻も然り、ご夫妻揃って被災地をお訪ねになることが、
これまで現地の人々の大きな励みになってきたはずである。その“大前提”が脆くも崩れかねないのだが、
それというのも、「対策室を立ち上げたからには当然、予算が組まれているわけです」とは、
警備に携わる宮城県警幹部である。
「6月ご訪問を見越して作った警備計画書は刷り直さねばならず、これだけで数百万円かかる見通し。
他にも、沿道で注意を促すための立て看板などを用意し、また文書を携行するためのストラップ付きホルダーや
雨合羽なども、すでに大量購入しています」
ご夫妻のお出ましは延期続きでも、春先から予算は確実に消化されているわけだ。こうしたことから、
「東京のほうで“速やかに実現を果たさなければ、
費用だけがかさんで事態の取捨が図れない”との判断に至ったのでしょう」(同)というのである。
もっとも、しわ寄せは現場へ向けられるのが世の常。本職の皇宮警察とは異なり、
宮城県警は通常任務のほか、ただでさえ選挙対策でてんてこ舞いのところ、
「県警にはおよそ4000人強の職員がおり、6月から9月の間、各自が順繰りに10日前後の
夏季休暇をとることになっていたのです」(前出・県警関係者)
今回は、さる10日に突然“通達”がなされたという。
仕事柄、不測の事態には慣れているはずの彼らでも、さすがに戸惑いは隠せないようで、
「8月20日には、毎年恒例の『広瀬川灯ろう流し』が催されます。
この所轄は県内有数の大規模署である仙台南署で、当日はイベントにかかりっきり。
ご夫妻の警備には人が割けません。そこで急きょ、
当初は要員に入っていなかった東北管区の機動隊100人ほどを充てられるかどうか検討を始めました。
いずれにせよ、警備部や交通部は夏休みどころではありません」
現在のところ、当日のご夫妻の行程は、
「午前中に東北新幹線で仙台にご到着、えきまえから専用車で長町インターを経由し、
仙台港北インターで降ります。目的地は面積の4分の1が浸水し、100人以上が犠牲となった七ヶ浜町。
ここで仮設住宅を訪問されて被災者と懇談なさり、また町内の高台に立つ複合施設「国際村」にて、
県知事と会談されることになります」(前出・宮内庁関係者)
これは、6月に予定されていたルートのままだという。それでも、わずか2ヵ月のブランクながら、
前回の「蓄積」は生かされず、計画は一から練り直しというのだ。
「道路のチェックは言うに及ばず、ルート上に新たにできた建造物、また反対に取り壊された家屋など、
すべてもう一度確認しなければならない。これは不審者対策でもあります。
さらに、ご訪問が予定されている仮設住宅の“調査”も不可欠。ご夫妻がお声掛けをなさる際、
くれぐれも「あらぬ事態」が生じないよう、住民の人となりを入念に調べておくわけです。
仮設は入れ替わりが激しいため、6月に行った調査は参考になりません」(同)
3月下旬のことである。ご一家が長野へスキー旅行に行かれた際、東京駅で雅子妃に「税金泥棒」などと、
心ない中傷を浴びせる男性がいた。状況は異なれど、大切なものを失って仮住まいの日々を送る被災者にも、
神経を使わざるを得ない場面も、或いはあるだろう。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏が言う。
「通常、“延期”といえば長々と日を置かないのが常識でしょうが、そんな表現を用いながら
ご訪問を先延ばしにする宮内庁や雅子妃に対し、疑問の声が上がるのは無理もありません。
まして震災から2年半、未だ厳しい生活を強いられている被災者の方々は、
一般国民よりもシビアな眼を持っているはずです」
先月末、山梨ご訪問を直前で取り止めらた雅子妃は、異例の弁明メッセージを出されたのだが、
「やむを得ずひねり出された、苦肉の策でしかありません。
ご自身が直接現地へ足を運ばずして、国民は納得しないと思いますよ」
現地でのお振舞いはさておき、お出ましそのものが重い意味を孕んでいる―
そう指摘するのは、文化学園大学客員教授で皇室ジャーナリストの渡辺みどり氏である。
「このところ、震災の流木を使ったビオラの演奏会や菊栄親睦会など、雅子さまのお出ましが相次いでいます。
とりあえず出来ることから実現していこう、というお気持ちの表れだと拝察されますが、
前もって期日が定められると、またご体調に障りかねないという懸念はあります。
そこで一歩勇気を出されて、ともかく体を運んで頂くだけでも、被災地へのお気持ちは十分伝わります。
ご体調が優れず、たとえ現地で倒れられるようなことがあっても、かえって誰もが有難く感じることでしょう」
この夏、被災地への想いが、まさに問われようとしているのだ。

テレビエコキャンペーンの不機嫌な真実

WiLL2008年9月号
テレビエコキャンペーンの不機嫌な真実
 水島 総(「日本文化チャンネル桜」社長)

−(略)−
 テレビメディアは、時代を映す鏡としての要素があり、そこに登場する「敵」役のイメージ設定は、
確実に日本メディアの方向性(偏向性)を表していると言っていい。
今テレビメディア全体で推進されているエコキャンペーンも例外ではない。
エコの「敵」が誰であり、誰で無いかを分析することは、日本メディアの現在を分析することでもある。
 エコキャンペーンの「地球愛」という中心的言葉は、
聞くところによると民放連のお偉方が決めたそうである。
だが、この言葉は、廣島の原爆死没者慰霊碑に刻まれた
「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」の碑文と同様、
「敵」を明らかにしない怪しさといかがわしさを伴っている。
 エコキャンペーンも、真の「敵」を明示せず、
人類全体を罪とするような自虐的歴史意識に持ち込もうとしているからである。

敵を倒さないウルトラマン
 実は、40年以上続いているテレビSFアクション「ウルトラマン」にも、
このいかがわしい傾向があったのである。
地球内外の敵と戦い、地球と人類を護るヒーロー「ウルトラマン」が、なんと敵と戦って倒すのではなく、
抱きしめたり、説得したり、あるいは戦っても相手を破壊せず(殺さず)、
許して何処かへ送還するというシリーズがあったというのである。
 インターネット等で色々調べてみると、確かにその事実が見つかった。
平成に入ってウルトラマンは『ティガ』『ダイナ』『コスモス』『メビウス』等の
シリーズが放送されたが、中でも注目すべきは『ガイア』と『コスモス』のシリーズで、
『ガイア』シリーズでは、これまでせん滅すべき敵でしかなかった怪獣との共存が謳われるようになり、
怪獣も同じ地球生物として、『根源的破滅招来体(ガイアの敵)』によりそそのかされたという設定にされ、
ウルトラマンガイアは怪獣をむやみに殺さない物語展開となった。

 +++++++++++

この「怪獣を殺さない」路線は2001年に製作された『コスモス』シリーズでさらに推進され、
ウルトラマン『コスモス』は怪獣と人間の共存を願い、
むやみに殺傷せず、登場する怪獣を「人間に害を及ぼす可能性はあるが、
基本的にコミュニケーションと共存が可能である存在」と考え、
「倒すべき相手」ではなく「捕獲して保護地域に隔離して守られるべきもの」として描いている。

 +++++++++++

何らかの原因で暴れだした怪獣とは戦うが、殺傷せずに怪獣を無害化して保護する。
怪獣が暴れる理由については、怪獣を敵視する人間側のいたずらな攻撃や、
怪獣に取り憑いて凶暴化させるカオスヘッダーという敵役が設定された
(広島の原爆碑文との類似性に注目!)登場した多くの怪獣は、
相手の感情を静めておとなしくさせる興奮抑制光線や怪獣に取り憑いた
カオスヘッダーを切り離す光線を受けて、殺されることなく保護されている。
 ここまで来ると、読者はウルトラマンの敵である地球上の怪獣とは、
実は「北朝鮮」という国を想定したものではないかと気づかれる方もいるのではないか。
ちょうど六ヵ国協議が始まったのも2003年6月でこの放送時期とも一致する。
読者は+で囲まれた部分の怪獣という言葉を北朝鮮と置き換えて再読いただきたい。
 ウルトラマンは米国、カオスヘッダーは共産主義一党独裁路線と置き換えられる。
日米経済摩擦が激化した1980年代、S・スピルバーグが制作した映画『グレムリン』に登場する変身怪獣は
「集団でアメリカ人に危害を加える日本人」をイメージした怪獣だと言われた。
この視点で見れば、ウルトラマンの怪獣は、まさに北朝鮮であり、
その戦いの方法は、北朝鮮に対する「圧力と対話」路線に近いものであったことは、単なる偶然とはいえないだろう。
 このウルトラマンの平和路線は、2006年から始まった『ウルトラマン メビウス」シリーズから変化し、
怪獣を殺さない路線は否定され、暴れだした怪獣はすべてウルトラマンが実力で倒すようになる。
昭和のウルトラマンへの原点回帰であり、ウルトラマンだけは「正常」に戻った。
それが安倍内閣の誕生の年である。
 子供向けのアクションドラマには、製作者のその時代に対する意識が反映されている。
ドラマの中の「敵」をどのように設定するかも、制作陣の時代意識から決められる。
 六月号で、私はNHKの「みんなのうた」偏向を取り上げ、
「戦わなくっていいんだよ 好きになっちゃえばいいんだよ 
顔も知らない同士 敵も味方もないでしょ?  
仕返しなんていらないよ 誰も嬉しくならないよ」(CRYSTAL CHILDRENより)の歌が、
NHK制作陣の政治的意図の反映だと指摘した。拉致や核兵器、環境汚染等の問題について、
真の敵の存在をあいまいにさせ、問題の本質をぼかして地球や人類全体の問題であるかのように扱う
日本メディアの無国籍性ヒューマニズムなるものは、
戦後日本のメディアがずっと続けてきた共産主義的リベラリズムの顕著な表れである。
 ウルトラマンは改心して原点に戻ったが、この敵を作らない(現実の敵がいるのに見て見ぬふりをする)
お花畑無国籍ヒューマニズム路線をひた走るのが、我が国の首相福田康夫氏である。
いや、彼だけではない。この傾向は、今やメディアの世界だけでなく、
政界官界財界、全ての分野の浸透しつつある。

日の丸は敵!?
 もうひとつの読者情報であるフジテレビ「スーパーニュース」のサミット警備訓練映像は、
その証拠の一端が示されている。
映像はテロリストの攻撃を想定した警備陣の実地訓練だが、何とテロリスト役の格好が日の丸の小旗を持ち、
車でテロを実行しようとする想定だったというのである。
 以前、ヘルメットに火炎瓶姿の過激派学生を想定した警察の治安訓練映像を見たことがあったが、
日の丸小旗に日の丸鉢巻という姿は初めてである。
おそらく警察は過激な右翼のテロ行為を想定し、テロリスト役にそんな格好をさせたのだろうが、
日の丸は国旗である。
鉢巻でも日の丸である。いくらなんでも軽率であり思慮不足であることは明らかだ。
 しかし、それ以上に重要なのは、警備担当者が日の丸という極めて「ナショナル」な象徴を
今回の環境サミットに敵対するものとして選んだことである。
実は戦後日本の現状を示す「正常な」感覚だったとも言えるのだ。
今回のサミットは、「地球はひとつ」「地球愛」なる言葉に象徴されるごとく、
グローバリズムの大合唱で貫かれたサミットだった。
日の丸の国旗と鉢巻は、反グローバリズム側の対立の象徴であり、
地球規模の環境問題を話し合うインターナショナルなイベントとは相容れないものだと判断されたのである。

つくられたエコキャンペーン
 その洞爺湖サミットに合わせたのだろうが、6月7月のテレビは、
NHKも民放もエコ番組やエコCMが目白押しだった。
集中的に推進されたこのエコキャンペーンは、以前、この欄で問題にした「韓流ブーム」の作り方そっくりだった。
 つまり、電通等の広告代理店とテレビメディアが主導して始めたのである。
私たちはこの作られたエコキャンペーンを警戒しなければならない。
 日本政府の対中国環境対策援助で金もうけを企む企業は目白押しであり、
大気汚染や環境破壊の元凶の中国などを「敵」とせず、
人類みんなの問題にすり替えようとする環境グローバリズムのいかがわしさは、
中国の対日(日本解体)工作の成果とも言えないわけではない。
テレビメディアの罪は余りにも深く重い。

愛子内親王中等科学校生活

2014年4月-11月 雑誌記事

女性自身2014年4月29日号
愛子さま 抜擢された中等科の新担任は黒田清子さんの“親友”同級生
愛子さまは5クラスあるうちの西組に在籍されることになったが、
「西組の主管(担任)は、古文の女性教諭・I先生です」
I先生は現在44歳のベテランで、実は愛子さまの"おばさま"黒田清子さんの同級生でもあるのだ。
「初等科時代から成績も抜群に優秀で、学級委員なども務めていたと思います。
髪型は和田アキ子さんみたいなショートカットで、そういえば背も昔から高かったですね。
清子さんとも仲良しでしたよ」(清子さんの同級生Aさん)
ある学習院関係者によれば、「行事における警備体制の一つをとっても、皇族が在籍している学年と
"皇族が在籍していない学年"とでは、明らかに異なります。
それが東宮家のご長女となればなおさらのことです。
数年前から女子中、高等科は、愛子さまを受け入れるための準備を綿密に進めてきました。
校舎の改築に、セキュリティ強化、人事。近日中には温水プールも改装されます。
特に愛子さまのクラスの担任は重要です。"成績ご報告"と呼ばれていますが、
主管は一人で東宮御所に参内して、皇太子ご夫妻とお話させていただく機会も多いですからね」
ご両親から教育についてのご要望を伺うのも、主管の役割だ。
’05年に黒田清子さんが結婚した際、中等科時代に主管を務めたことがある
元男性教諭は、新聞の取材に次のように答えている。「当時、妃殿下(美智子さま)から、
平等にやってくださいと言われ、(清子さんを)叱るときは、ほかの生徒と同じように叱りました」
今年の女子中等科の新入生は208人。その内58人は内部進学。
だが、残りの150人は、愛子さまにとって初対面である。
「外部から中等科に入学した生徒は、親御さんから"宮さまに失礼な事をしてはいけません"と
厳しく言われていたのかもしれませんが、清子さんに対してぎこちないというか、接し方が丁寧すぎて、
逆に清子さんが戸惑っているような印象を受けたこともあります。
清子さんはおおらかな性格でしたから、そのうちにみんな慣れていきましたが……。
愛子さまももしかしたら知らない生徒たちが大勢いることで、
最初は緊張されるかもしれませんね」(清子さんの別の同級生Bさん)
「Iさんは教師として優秀で、生徒たちからも慕われています。
そして初等科から大学まで16年間にわたり、東宮家のご長女だった清子さんを、友人として
間近で見続けていたことも、愛子さまの主管に抜擢された理由の一つなのです。
さらにIさんは秋篠宮家の佳子さまが女子高等科に在籍していた3年間も佳子さまの
クラスの主管を務めていました。すでの皇族教育の実績も持っています」(学習院関係者)

女性自身2014年5月6日号
愛子さま お小遣いを全部…「被災犬救いたい」
被災盲導犬スイミー(12歳)のために全額をはたいた中学生の初お小遣い
愛子さま「助かってよかったね」雅子さま(50歳)動物愛護の心を受け継がれて
「津波から助かってよかったね」愛子さんが優しくスイミーの頭を撫でる。
スイミーは福祉まで盲導犬として活躍していた。
4月13日オール学習院の集いでのこと。
キャンパス内のイベントの一つが盲導犬体験コーナーだった。
主催していたのはアイメイト協会。
(中略)
愛子さまはスイミーの波乱の3年にお心を強く打たれたようだ。
「動物愛護の心はお母様から受け継がれたのでしょう。雅子さまは毎年皇太子殿下とおしのびで
「日本臨床中医学フォーラム」に出席。11年には東北の被災動物に就いて聞いていらしたし、
13年には盲導犬、介助犬、聴導犬ともふれあわれていた。(皇室ジャーナリスト松崎敏彌)」
愛子さまはスイミーを撫でているうちに“盲導犬たちの役に立ちたい”と考えられた。
愛用の赤い財布に入っていた小銭を募金された。そしてサポートグッズのコーナーへ。
愛子さまはまずボトルを手に取られ、次にトートバッグを手にご覧になったのだが。
ボトルは800円、バッグは1900円だった。愛子様のお財布の中には2000円。
財布とグッズを見比べながら少し困ったように考え込まれていました。
どうやら小銭を募金してしまったこともあり、お小遣いが足りなくなってしまわれた(学習院関係者)」
愛子さまはご自身でお金を支払われる機会はほとんどといってない。
しかし、皇太子ご夫妻は今回のような学校関連のイベントに参加されるときなどには
愛子さまには一定額をお渡ししていたという。
この日お持ちだったのは愛子さまが中学生になられての初お小遣いだったのだ。
ご夫妻は少し離れた所から様子をご覧になっていたが、愛子さまが困惑されているのに気づかれた。
「皇太子さまが、足りない分を補てんされていました(学習院関係者)」
キャンパス内には様々な模擬店が並んでいたが、愛子様は盲導犬のためにお小遣いを全額はたかれたのだった。

雅子さま 愛子さまの中学ご入学で自作レシピでお弁当作る
NEWS ポストセブン 2014.05.20 07:00
今年に入ると再び公の場に姿を見せられる機会が極端に減っている皇太子妃雅子さま。
御所や東宮御所でのご進講やご会釈などの公務はされているものの、外出を伴う公務は
1月25日の『東日本大震災復興支援 東北の芸能4〜伝承の技、つながる心』公演のご鑑賞以来、
約4か月間“ゼロ”という状態なのだ。
そんな雅子さまは、今どんな生活を送られているのだろうか?
ゴールデンウイーク前の東宮大夫定例会見で、報道陣から雅子さまの近況について質問が出ると、
小町恭士大夫は、「妃殿下は内親王殿下(愛子さま)の新生活をサポートされ、
日々、ご腐心なさっています」といった旨の発言をしたという。
「つまり、雅子さまは愛子さまの新生活のことが、心配で仕方がないということです。
大夫の発言は、また公務より私的なことを優先していると取られかねないものでした」(皇室記者)
4月に学習院女子中等科に入学された愛子さま。
中学に入学して、初等科時代と最も変わったのが“給食”から“お弁当”になったことだ。
「初等科では児童全員が食堂に集まって給食を食べますが、女子中等科では教室内で各自がお弁当を
自由に食べます。ですから、仲の良い友達同士で食べることが多いんです。
このお弁当を食べるグループというのは、今後、学校生活を送るうえで、
ずっと続く仲良しグループになっていくわけですから、
最初に仲間に入り損ねたりすると結構大変で、クラス内で孤立するケースすらあります。
また生徒たちは、それぞれ友達がどんなお弁当を持ってきているかなどと比べたりするので、
母親たちには豪華すぎず、地味すぎないお弁当作りが求められるんです」(学習院関係者)
そのため、雅子さまも愛子さまのお弁当作りに尽力されているのだという。
本格的なお弁当作りは幼稚園時代以来、実に7年ぶりのこと。
「今、雅子さまは毎朝、東宮御所の台所に立たれて愛子さまのお弁当を作られているそうです。
食材こそ大膳課に用意してもらっているようですが、レシピはご自身で考えられているみたいです。
愛子さまの健康を考えて、卵焼きや野菜中心のメニューのようですが、愛子さまが唐揚げやハンバーグ、
春巻きなどの肉料理も入れてほしいと要望されているため、
バランスが良い献立になるようにと工夫されていると聞いています」(東宮職関係者)
雅子さまが公務をお休みされてまで、お弁当作りに勤しまれるのには、
初等科時代の“いじめ”のトラウマがあったようだ。
「女子中等科には、初等科からの持ち上がり組以外に、多くの受験組の生徒が入学しています。
初等科時代とは、まったく異なる人間関係になるわけですから、新たなトラブルなどが起こる可能性も
否定できません。ですから、少しでも心配を減らそうと、
“お弁当”はご自身の手で作っていらっしゃるようです」(前出・東宮職関係者)
※女性セブン2014年5月29日号
http://www.news-postseven.com/archives/20140520_256686.html

愛子さまがLINEを開始 初等科時代の同級生らと連絡取り合う
2014.06.20 16:00
この4月に学習院女子中等科(豊島区目白)に入学された愛子さまは6月上旬の放課後、
初等科時代のご学友男女数名とお忍びで母校である学習院初等科を訪れていた。
「夕方5時前に愛子さまたちは初等科の最寄り駅・四ツ谷駅で待ち合わせをして、
そこから徒歩で学校に向かわれたようです。一緒に行かれたのは愛子さまと仲良しグループのご学友です。
前もって“遊びに行きたい”と学校側に連絡していたみたいで、主管(担任)の先生を訪ねたみたいですよ。
30分ほどの滞在だったようですが、ひさしぶりの再会に愛子さまも嬉しそうでした」(宮内庁関係者)
ある学習院OBがこう話す。
「中学生になると通う学校が別々になるので、男女グループはバラバラになってしまうことが多いんですが、
愛子さまは今でも男子と連絡を取られているんでしょうね」
愛子さまのコミュニケーションの手助けをしているのが、スマートフォンのアプリ『LINE』なのだという。
特に10代の約70%が利用しているともいわれ、若者のコミュニケーションには欠かせないものとなっている。
「愛子さまは初等科のころからスマホをお持ちになっていて、『LINE』デビューも果たされています。
女子だけでなく、学校が別になってしまい、なかなか会えない男子とも『LINE』で連絡を取られているようですよ。
仲が良い男子は“昨日、トシ(敬宮)から連絡来た!”とか話してるみたいですからね」(学習院関係者)
ちなみに愛子さまが通われる女子中等科では、2011年の東日本大震災以降、
携帯電話やスマホを持参することを容認している。
「通学途中などに災害や事故が起きた場合に親と連絡が取り合えるようにという措置で認めました。
ただ登校後は、ロッカーなどに入れておき、授業中や休み時間には見てはいけないきまりになっています」
(前出・学習院関係者)
そのためか、ほとんどの生徒がスマホを所有しているという。
「今、委員会活動や部活動の連絡も『LINE』が中心です。ですから、学校生活においても
スマホはマストアイテムとなっているんです。一部にはガラケーを使っている生徒もいるんですが、
ホームルームでの話し合いも、始まる前に『LINE』で行っていて、いざ始まったら、
もうすべて決まった後で“仲間はずれ”になっていたという状況も起こっているんです」(前出・学習院関係者)
とはいえ、LINEを使ったいじめによる自殺者がでているのも事実。
「こんな悲しいニュースを耳にするたび、雅子さまは心を痛めていらっしゃいます。
同時に、いつ愛子さまも『LINE』いじめに巻き込まれるかと不安でたまらないご様子なのです」
(前出・宮内庁関係者)
※女性セブン2014年7月3日号
http://www.news-postseven.com/archives/20140620_261872.html

不登校再び?

中等科運動会 



週刊女性2014年10月14日号
イジメ不登校・雅子さまお付き添い問題から4年半
愛子さま繰り返される「不規則登校!」
(9月27日 運動会)
「皇太子ご夫妻も朝9時には会場入りして熱心に観戦されていましたけど
愛子さまは楽しんでいるご様子には見えませんでした」(学習院の生徒の保護者)
お得意のバスケットボールのドリブルとシュートを行う「ドリブル競技」でも籠にボールが入らず苦戦

この日は、8時10分ごろに登校。
秋分の日の翌9月24日、愛子さまは大幅に遅刻をされていた。
朝8時には、警備の車や宮内庁職員が学習院女子部に入りスタンバイ。しかし、1時間目の予鈴が鳴るころ、
校門前で生徒たちを出迎えていた科長(校長)に、東宮侍従が声をかけ学校を離れてしまう。
そして、12時過ぎに校門前で関係者の出入りが慌ただしくなり、
12時40分ごろ夏服にマスク姿でうつむき加減の愛子さまがようやく登校された。
翌25日は8時20分ごろに登校されたが、運動会の前日の26日は、午後2時過ぎにやっと校門をくぐられた。

「女子中等科に進学されてからは、学校から300メートルほど離れた場所まで車で来て、残りは徒歩でご登校。
8時25分の予鈴が鳴ってから30分の本鈴までのギリギリでいつも走って登校されていると報じられましたが、
概ね順調な学校生活をお送りしてるようにみえました」(皇室ジャーナリスト)
ところが、6月中旬ごろから愛子さまの登校は不規則になったようだ。
小町恭士東宮大夫は記者会見で「新しい環境でお疲れが出たのでは」などと釈明。
サッカー・ワールドカップで日本対ギリシャ戦があった6月20日には、
午後2時過ぎに登校されているところを本誌は目撃している。
その後も遅刻や欠席が続き、病気療養中で夜型生活でという雅子さまに合わせて夕食が遅くなり、
愛子さまの生活リズムが崩れているとも報じられた。
9月7日の「毎日新聞」の取材で学習院の幹部は「宿題を夜遅くまでされていたため、
朝がつらいこともあったようだ」とも話している。
その後も7月4日には「腹痛」、7日には「体調不良」で期末試験を2日間ご欠席。
17日にはプライベートで「富士急ハイランド」には行かれたが、19日の終業式は欠席。
この日は、母校の学習院初等科で卒業アルバムが配付されることになっていたが、
愛子さまは取りに行かれることはなかった。
ある東宮職関係者も、こう訝る。
「この夏、愛子さまは皇族としての活動も立派にこなされ、心身に不調があるとも思えません。
7月13日には、皇后陛下主催の天皇陛下傘寿をお祝いする民俗芸能の公演にご出席。
15日は、昭和天皇と香淳皇后が眠る武蔵野陵墓地を初めて参拝され、夏休みには伊勢神宮も初めて訪問されています。
8月に入り都内で開かれた高校総体にも当初ご予定にはなかったにもかかわらず、急きょ出席されました」
しかし、2学期が始まってから1か月もしないうちにぶり返してしまった「不規則」な登校。
「愛子さまの遅刻は、常習化している可能性があります。一般的に夏休み明けの2学期前半は、
学校生活を頑張るので9月末から疲れが出て休みがちになる生徒もいます。
しかし、愛子さまはその時期より早いので、そもそも学校生活に適応できていない可能性があります」
そう指摘するのは、子どもの教育に詳しい東京成徳大学名誉教授(教育社会学)の深谷昌志さん。

午後登校の愛子さま「ストレスが限界」というシグナルの可能性
2014.10.03 16:00
9月27日、学習院女子中等科・高等科の合同運動会。愛子さま(12才)は、
学年対抗の「ドリブル競争」と中1生徒のみで行う「みのむし」と「ダンス」に出場された。
しかし、今回の運動会はマスコミ非公開、保護者の写真撮影も名札着用が要請されるなど、
厳戒態勢が敷かれていた。
このような状態となったのには、愛子さまの“登校状況”が大きく影響していた。
運動会では、こんなシーンが見かけられた。
「午後のダンスのプログラムでは、愛子さまも他の生徒たちと一緒に『チキチキバンバン』を踊られました。
前半は近くのご学友と顔を見合わせて笑い合ったりするほど、きちんと踊れていたんですが、
途中から少しずつ踊りが遅れ始めて…。
振り付けを完全に覚えられていないのが目に見えてわかりました。
ダンスは一学期から授業で練習し体得するものですから、
やはり愛子さまは準備不足だったのかもしれませんね」(学習院関係者)
愛子さまは一学期後半、“登校拒否”状態になってしまわれた。
遅刻や欠席の回数が増え、さらには期末試験や終業式までも欠席されている。
心配の声が高まる中、スタートした二学期。
女性セブン9月25日号が報じた通り、始業式当日は定刻前に元気に登校され、不安を一掃したかに見えた。
しかし、その後は再び逆戻りされていたのだ…。
「始業式の翌週には、理由は明らかになっていませんが、早速学校を欠席されています。
また9月24日はお昼を過ぎた午後12時40分頃に登校。さらに9月26日には、
一日の授業が終わる直前の午後2時過ぎに登校されています。
うなだれて元気のない足取りでした。そのためか関係者の間からは“これでは運動会当日も欠席、
もしくは遅刻されるのでは?”という声も出たそうです。
また遅刻をするにも、一学期は午前中には登校されていましたが、今では登校時間は午後になることもしばしばで…。
愛子さまの状態は悪化しているといって過言ではありません。
ダンスの振り付けを覚えられなかったのも仕方がない状況だったんですよ」(皇室記者)
この愛子さまの登校状況に、不登校問題のエキスパートである
『カウンセリング研修センター・学舎「ブレイブ」』の大熊雅士室長は、こう警鐘を鳴らす。
「午後からの登校というのは、愛子さまがご自身のストレスが限界に来ているという
シグナルを出されているんだと思いますよ。
ご自身に“皇族である”という自覚も芽生えられているのなら、
“なぜ私だけがこんなに不自由なんだろう?”と苦悩されているのではないでしょうか。
これは皇太子ご夫妻をはじめとする周囲の人間が適切にサポートしなければ、
身体的な病気にまでなってしまいかねません」
※女性セブン2014年10月16日号
http://www.news-postseven.com/archives/20141003_279794.html

愛子さまが不規則登校で転校計画浮上説 受験見据えた人事も
2014.10.31 07:00
爽やかな秋晴れの空が広がった10月27日。この朝も、愛子さまが定刻通りに通学されることはなかった…。
「この日、愛子さまが登校されたのは午後1時頃です。大幅に遅刻されているのに、
急ぐそぶりもなく、足取りも重く、夏服にマスク姿でのご登校でした」(皇室記者)
一学期後半から始まった愛子さまの“不規則登校”。二学期の始業式こそ、定刻前に元気に登校されたものの、
その後は再び逆戻りされていた。
「9月末には一日の授業が終わる直前の午後2時過ぎに登校されたこともありました。
10月15日には二学期の中間テストが行われましたが、愛子さまは中間テストを欠席されています。
一学期の期末テストも休まれているだけに、続けてのテスト欠席となりました」(学習院関係者)
10月24日にも欠席されており、遅刻もさることながら、このところは欠席も目立つようになってきている。
そんななか、『週刊文春』(10月30日号)は、愛子さまがおひとりだけの“特別授業”を受けている、
またそのことを耳にされた美智子さまが胸を痛められ、心配されていると報じた。
こうした緊迫した状況下、東宮職周辺からはこんな声が聞こえてくる。
かつて本誌は、雅子さまが、将来、愛子さまに学習院大学ではなく、
東京大学やご自身が卒業されたハーバード大学に進学されることを望まれていると報じたことがあったが、
今そのお気持ちに変化が…。
「雅子さまは愛子さまが“不規則登校”状態に陥ってしまったのは学習院側にも責任があるとお考えのようです。
皇太子ご夫妻は“愛子さまを特別扱いしないで欲しい”と学習院側に希望されていました。
しかし、女子中等科に入学されてから、“特別扱い”が目に余るようになったんです。
これによって、愛子さまと同級生との間に距離ができてしまったため、
雅子さまの学習院への不信感が膨らんでいったようです。
そこで雅子さまは現在の状況を打破されるために、大学進学を待たずに前倒しして高校受験をして、
学習院以外の高校へ転校させる計画をお考えなのです」(東宮職関係者)
この受験計画を裏付けるように、10月16日にはこんな人事が宮内庁から発表された。
宮内庁は御用掛として名門高校の元数学教師・大橋志津江さんを採用した。
「彼女は文科省の中央教育審議会の部会で算数・数学専門部会委員を務めた数学のエキスパートです。
勉強がお得意な愛子さまですが、唯一数学が苦手なんです。そこで苦手克服のために、
雅子さまが彼女を呼ばれたみたいなんです。しかも彼女は都立戸山高校在任中には、
進路指導主任も経験していますから、雅子さまにとっても愛子さまにとっても将来を考える上で
本当に頼りになる人物だと思いますよ」(前出・東宮職関係者)
※女性セブン2014年11月13日号
http://www.news-postseven.com/archives/20141031_284369.html

不規則登校「愛子さま」に英才教育を施すスーパー数学教師〈週刊新潮〉
BOOKS&NEWS 矢来町ぐるり 11月2日(日)11時0分配信
いじめ、不登校問題を克服され、新たな学舎では心機一転、実り多き学校生活を送られるものと期待されていた。
しかし、学習院中等科入学から半年。またもや愛子さま(12)は、遅刻頻発の「不規則登校」状態に陥っている。
そんな折、東宮家に新任の家庭教師が採用された。公立高校の元数学教師、大橋志津江さん(60)。
スーパー教師の呼び声高い彼女は、愛子さまの現状を改善し、英才教育を施す重責を果たせるのか。
文科省の中央教育審議会の部会で算数・数学専門部会委員を務めたこともある大橋さん。
その彼女を、愛子さまの家庭教師役として、宮内庁が御用掛に採用したのは16日のことだ。
前任の元公立小学校教諭、糸川順子さんの退職に伴い、人選が進められていた。
「愛子さまは初等科時代、一部男児の粗野な振る舞いをいじめと受け止め、不登校になられた。
状況が好転しない中、4年時についた家庭教師が糸川さんでした」と、宮内庁担当記者。
「専門の国語を教えるだけでなく、学習院に不信感を抱かれた皇太子ご夫妻に代わり、学校との折衝役も果たされた。
結果、不登校は改善されました。大橋さんが選ばれたのは、糸川さんらの人脈による推薦があったからでしょう」
すでに家庭教師は成果を挙げたはずだが、愛子さまは新たな環境への適応に難渋されているのか。
中学へ進み、今また不規則登校を繰り返されているのだ。
「春頃は朝8時20分の予鈴が鳴ってから校門前に姿を見せ、遅刻ギリギリ、駆け足で登校されることが多かった。
それが6月頃になって、遅刻が増え、登校が不規則になりました。しかも2学期に入ると、午後登校というケースも。
先月など、もう一日の授業が終わろうかという午後2時過ぎに登校されたこともありました」(皇室ウォッチャー)
これに、教育社会学が専門の深谷昌志・東京成徳大学名誉教授は懸念を抱く。
「不規則登校が事実とすれば、もはや愛子さまは現在の学習院に適応できないのではないでしょうか。
本来なら、仲の良い友達とお喋りしたり、クラブ活動が楽しくて登校するものですが、部活もされていません。
親しい友達が作れず、学校で孤立されているのではないかとの疑念を禁じ得ません」
事態はより深刻さを増している。こうした状況下で抜擢された大橋さんは、どういう経歴の持ち主か。
■東大、ハーバード大狙い!?
彼女は長野県出身。東京教育大学(現・筑波大学)の数学科を卒業後、東京都の数学教師に採用された。
都立上野高校などを経て、2005年から名門、戸山高校で教鞭を執った。昨年、定年1年前に退職。
現在は青山高校で非常勤教員を務めている。
09年までの3年間、戸山高校の校長を務めた揚村洋一郎・東海大付属仰星高校校長はこう語る。
「大橋先生は学年主任の他、全体の進路指導主任もされていました。戸山高校は進学校ですから、
学校運営で進学指導は一番の要。
私はそれを彼女にお任せしていたわけです。そのため生徒とのつながりも深く、すごく信頼されていましたよ。
学習面では、高い専門知識を持ち、高校数学の検定教科書の執筆もされていた。
生活指導の面でも、問題を抱えた不真面目な生徒には安易な妥協はせず、厳しく指導される方でした。
以前は、学校に適応できない不登校児も受け容れる桐ヶ丘高校にもいたので、幅広い指導ができる。
極めて優秀なスーパー教師でした」
愛子さまの不規則登校にもスパルタで臨むのだろうか。
一方、彼女が採用された理由について、「英才教育に主眼を置いたもの」と見るのは、宮内庁関係者だ。
「愛子さまは数学が苦手のようです。そのため雅子さまは有能な数学のエキスパートをつけて、
愛子さまの学力アップを図りたいと考えられたのでしょう。他大学受験のため、
本腰を入れられたものと思われます」
元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司氏も、
「愛子さまはとても聡明で、勉強がおできになる。苦手な数学を克服し、
各教科、バランスよく好成績を収められるようになれば、国立大学も目指せる。
それこそ、雅子さまと同じ東大やハーバードも狙えます」
当の大橋さんの意気込みやいかに。
「選ばれた経緯などはお話しできません。学校生活全般というより、私は数学の教師ですから、
“数学をお教えするのでしたら”とお引き受けしたのです。
どのお子様に対しても、数学を楽しく学べるよう、教えたいという気持ちでおります」
スーパー数学教師の手腕が試されようとしている。
その結果、愛子さまが他校に進学されれば、学習院に通う皇族はゼロとなる。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141102-00010000-shincho-soci

女性セブン2014年11月13日号
放課後、初等科の運動会へ
「仲良しのお友達グループでいらして、最前列で応援されていました。このとき、
愛子さまはお友達から"食べる?"と差し出されたマドレーヌを大勢の人々が見ている前で食べ始めたのです。
他のお友達は目立たないように隠れて食べていたんですが、愛子さまは堂々と…。
初等科の運動会では、昼食時以外は初等科生も保護者も飲食してはいけない決まりになっています。
ですから、愛子さまのお行儀の悪さが目立っていました。」

皇太子一家「深夜お出かけ」で愛子さま「大遅刻の日々」再び
2014.11.03 07:00
今年4月に学習院中等科に進学した愛子さま。6月中旬からしばしば見られるようになった「不規則登校」が、
秋の深まりとともに状況が悪化していると週刊ポスト11月14日号(11月1日発売)が報じている。
学習院関係者の証言によれば、9月末から遅刻が増え、午後の登校が目立つようになり、
最後の6時限目が始まる直前の午後2時過ぎになることもあるという。
ただ、これらは愛子さまの体調の問題というより、夜が遅すぎて朝早く起きられない面が大きいとの指摘も紹介された。
実際、愛子さまが午後1時に登校することなった10月27日の前日、日本橋高島屋で開かれた
天皇・皇后両陛下の傘寿を記念した展覧会を訪問した皇太子ご一家が帰途についたのは、午後10時過ぎだった。
秋篠宮家が朝9時に訪問したのとは対照的に、夜8時からの訪問だったようだ。
中等科に進学した愛子さまが初めて学校を欠席したのは6月17日だった。
この時期、サッカーのブラジルW杯が開催されていた。「6月17日から皇太子さまがスイスを訪問された。
残された愛子さまと雅子さまはW杯を深夜まで観戦してしまった。
この頃から夜更かし癖がついたといわれます」(皇室記者)という声もあるという。
10月29日、雅子さまは11年ぶりとなる宮中晩餐会に出席した。
長く皇室外交への参加を敬遠してきが雅子さまの変化の背景には、
順調とはいえない愛子さまの学校生活を変えたいという思いが秘められていたのではないか、と同誌は指摘している。
http://www.news-postseven.com/archives/20141103_284758.html

愛子さまが午後登校を繰り返す「魔の金曜日」の時間割を入手
2014.11.14 11:00
10月末には、国賓として来日したオランダ国王夫妻を歓迎する行事や宮中晩餐会に出席された雅子さま。
それに続き、11月9日には国連教育科学文化機関(ユネスコ)などが主催する
「持続可能な開発のための教育(ESD)」世界会議にご出席のため、愛知県を訪問された。
宿泊を伴う地方ご公務としては、昨年11月の被災地・岩手県慰問以来1年ぶり。
そのご様子を見る限り、雅子さまのご公務へのお気持ちが前向きになられているように感じられた。
とはいえ、実際にはまだ体調に波があり、“一進一退”を繰り返されていて、
ご公務への完全復帰は、ほど遠いという現状だという。
それに加え、雅子さまを悩ませているのが、愛子さまの登校問題である。
二学期に入ってからも“午後登校”を繰り返されるなど、いまだ“不規則な登校状況”が続く愛子さま。
特に学習院関係者の間で問題になっているのが、“毎週、金曜日は午後に登校される”という実態である。
実際、1か月近く金曜日は午後に登校されている。
この“魔の金曜日”の謎を解くべく、女性セブンは愛子さまのクラスの金曜日の時間割を入手した。
1限目 HR
2限目 数学
3限目 理科
4限目 数学
これまで理数系、特に数学が苦手と伝えられてきた愛子さま。
金曜日の午前中は、その苦手な科目がずっと続くのだ。
「中等科から学習院に入ってきた生徒たちは受験の際、
厳しい受験勉強をして狭き門をかいくぐっていますから、レベルが高い生徒が多いんです。
一方で初等科からの持ち上がりの生徒たちは、受験戦争に揉まれていませんから、
中等科入学後に受験組との学力の差に驚くんです。
初等科時代、“優秀”だと評判が高く、自覚がある生徒は、特に数学で劣等感を持ちやすいんです。
初等科では、学年トップ10の成績だった愛子さまは、もしかしたら苦手科目で悔しい思いをされるのが嫌で、
午後からの登校になっているのかもしれません」(学習院関係者)
こんな状況を心配された雅子さまは、10月から数学のエキスパートを御用掛として呼ばれ、
その対策を講じられているが、もし愛子さまが苦手科目を克服できなければ、この状況が続く可能性も高い。
そうなれば、また雅子さまのご公務復帰は遠のいてしまう。
しかし、雅子さまが愛知県に出発される2日前の11月7日金曜日──。
「愛子さまは珍しく、朝から登校されました。
もしかしたら、日曜日からご公務で地方へ行かれる雅子さまを心配させないようにと
愛子さまも気持ちを奮い立たせて、朝から登校なさったのかもしれませんね」(皇室記者)
愛娘の行動に雅子さまも普段とは違う表情を見せられていた。
※女性セブン2014年11月27日号
http://www.news-postseven.com/archives/20141114_286862.html


愛子内親王中等科学校生活2
愛子内親王中等科学校生活3
愛子内親王中等科学校生活4

宮内庁組織図

文藝春秋2016年10月号
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  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

「江戸城において幕府の政庁を表、将軍の公邸と私邸部分を奥と呼んだように、
皇居の表玄関である坂下門から入って正面にある宮内庁本庁舎が表。
それに対して本庁舎の裏にある内廷庁舎(第二庁舎)や、さらにその背後にある天皇の私生活の場が
奥にあることからついた通称です」(宮内庁OB)
その奥を代表する職が、天皇の側近である侍従と皇后の側近である女官。
彼らは、各省庁の課長補佐から課長クラスだ。
皇太子ご夫妻にはそれぞれ東宮侍従、東宮女官が付く。
宮中で男女は厳しく分けられ、侍従は、皇后の部屋に入ってはいけない。
同様に女官が天皇の部屋に入るのもご法度。
彼らは、自分たちのことをお側に仕える職員という意味で「お側の者」という言い方をする。
その仕事内容は公私問わず皇族のお世話をすることとされ、外遊や地方ご訪問にも同行するなど多岐にわたる。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

参与
宮内庁には皇室の重要事項について天皇皇后両陛下の相談役となる参与が置かれている。
吉田茂、小泉信三は参与制度が始まったころの顔ぶれだが、
最近では平岩外四元経団連会長、藤森昭一元宮内庁長官・日本赤十字社長、
元最高裁判事だった中島敏次郎、大西勝也と四人そろった時期を経て、
現在は湯浅利夫前宮内庁長官、栗山尚一元駐米大使、三谷太一郎東大名誉教授の三人が無給で務めている。
宮内庁は多年にわたり長官を頂点とするオモテと、
侍従長を頂点とするオクに分立して相互性に欠けていた組織だったが、
実務家肌の天皇陛下はオモテを秘書として使い込み、交流・協力の実をあげてきた。
それにしても両輪の意思疎通を図りえる場はこの参与会にほかならず、
長官、次長、オクを代表する侍従長、女官長、さらに前侍従長などが出席して両陛下のご心境を承り、
方向性を探る機会となっている。
(平成皇室論 橋本明 朝日新聞出版2009年7月)

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


宮中の職人―庭園課、大膳課、編修課

雅子さまはなぜ罵声を浴びるのか

雅子さまはなぜ罵声を浴びるのか
Flash 2013年11月19日号
ジャーナリスト橋本明
(略)
…まず橋本氏は雅子さまのご病状は国民が思っているより深刻ではないかと指摘する。
「’09年、末綱隆東宮侍従長はが現職のとき、当時の東宮大夫・野村一成氏と3人で会食しました。
その際、野村氏に『妃殿下はいったい何のご病気ですか』と尋ねたところ、
はっきりと『精神疾患』だと答えました。
さらに末綱氏は『よくないときの妃殿下のお姿を外に出したら、大変なことになる』とも言うんです。
皇太子妃の最も大切な仕事は男子をお産みになること。
現在の皇室典範では側室が禁じられているので、皇太子妃に皇統存続の全責任がかかっている。
まして弟夫婦は子宝に恵まれた。秋篠宮家の面々が皇后陛下と楽しく語らっていらっしゃるところへ、
東宮家の2人が現れるとみんな気を遣って黙っておしまいになる。そういったものの醸し出す空気は、
雅子さまにとって重圧であられたのでしょう。精神疾患の患者の治療は専門医師が向き合っておこなう。
大野裕医師が退場していない現象こそ、雅子妃の病気が治癒していない証拠となります。
もちろん私もご快癒なさってほしいと思っています」
そのうえで、橋本氏が問題視するのは、雅子さまがご公務を十分になされない期間が、
あまりに長く続いていることである。春と秋の園遊会を、雅子さまは今年も欠席された。
「皇太子殿下はご結婚されたとき、こんな事態は考えてもみなかったでしょう。
皇太子殿下は、雅子さまのご回復を待っておられます。ただ、雅子さまが皇后になられた場合、
国民はどのように認識するかに思いを馳せなくてはなりません」
たとえば、多くの人前にでる公務が苦手な雅子さまは、年始におこなわれる歌会始を、
ご病気を理由に欠席されている。
「妃殿下のお立場だと、ご欠席でも恰好がつくかもしれません。でも、皇后陛下には
「皇后宮御歌(きさいのみやのみうた)」を二度にわたって講ずるという重要な役割があり、
お出にならない、では伝統的な格式が守れないのです」
また天皇家は、国家と国民の安寧と繁栄を祈ることを目的に、宮中祭祀をおこなっていらっしゃるが、
ご病気になられてからの雅子さまはほとんど出ておられない。
将来、皇太子殿下が即位することになったときのことを、橋本氏は大いに不安がる。
「そもそも雅子さまは、即位の礼にお出になれるのか。新しい皇后陛下は五衣、唐衣、裳(十二単)の
正装で、御帳台にお昇りにならなくてはならない。
雅子妃殿下は、その緊張感に耐えることが、おできになるのでしょうか」
雅子さまはいま以上の重責を担うことになる。それは雅子さまご自身にとっても大変なのではないだろうか。
ご体調以外にも、橋本氏が気にかけていることがある。’04年5月、海外訪問前の会見で皇太子さまは
「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と
ご発言され、物議を醸した。橋本氏はご発言の背景に、皇室の持つ独自の文化と、
雅子さまのご実家・小和田家の合理主義的な考え方の衝突があると考えている。

■皇室文化と衝突する小和田家の家風
「ご発言の背後には、雅子さまのご意向が隠されていると誰しもが感じました。はたして雅子さまの職歴は、
キャリアと呼ぶにふさわしいものなのでしょうか。数多くの国を訪問し、全国各地を回って
国民のために尽くしてこられた皇后陛下の仕事ぶりこそ、キャリアと呼ばれるべきです。
皇太子妃というきわめて高い身分を、外務省の一外交官レベルに貶めて考えてはならないと思います」
ご発言以降、雅子さまは軽井沢にある小和田家の親族の別荘でご静養するなど、小和田家との交流が
目立つようになった。今年春のオランダご訪問の際も、オランダでわざわざご両親とお会いになっていた。
美智子皇后はご実家である正田家と一線を引いていただけに、雅子さまは批判を浴びることとなる。
「父親である小和田恆氏はマグナカルタからの基本的人権を大切になさる方だと思います。
彼が国連大使の時代に国際婦人年があり、国連総会で決まった男女共同参画を日本に持ち帰って
法律化しようと尽力したのが小和田氏です。それは1つの見識です。しかし、皇室にはそういった
一般人に与えられた平等の概念や、人権といった近代的な考え方と相いれない部分がある」と橋本氏は力説する。
「長女が嫁いだ先は、日本最古の家族です。唯一連綿と男系で繋がってきた重みを受け入れ、
ひれ伏すような思いを抱くよう、雅子さまを諭すべきでした。ところが逆に、家族をあげて
雅子さまを応援するというような形になり、皇太子さまさえ取り込んでしまった。雅子さまは
皇族で、小和田家のご両親は民間人。絆はスパッと断ち切らなくてはならないのです。
皇族になれば、名字も戸籍もなくなる。
「皇太子妃の御位につくということは、民間で生きてきた生活の全否定のうえに成り立つ。
それを断ち切る精神力、ご覚悟をお持ちでなくてはなりません。皇太子さまは、雅子さまに対し、
外交官をいう仕事を捨てて皇室へ来てくれたというお気持ちがあるのでしょう。ただ、思いが強すぎるのか、
雅子さまに振り回され、皇族としての本分をお忘れになっておられるきらいがあります。皇太子さまご自身は
公務も祭祀もきっちりとなされ、次の天皇にふさわしい方だと思っているだけに、残念でなりません」
’04年7月、雅子妃のご病状は「適応障害」と発表された。翌年の東宮職医師団見解では「慢性の適応障害」とされ、
以降、細かくご病状が公表されることはない。常にご病状は「よくなっている」と発表があるが、
実際には波があるように思われる。

■隠される本当の病状 別居治療には先例が
「ご高齢の天皇皇后両陛下がご公務に励まれる一方、雅子さまはこの10年で2度しか祭祀に
出ておられません。ご病気なのですから仕方がないのでしょうが、国民を納得させるためにも、
ご病状は細かく発表すべきです。’06年1月には歌会始をご欠席なさりながら、同じ日に
宮内庁馬場で乗馬をされたと報じられ批判を浴びました。隠すから、マスコミはご病状を
想像を交えて報道するのです。次の皇后になられるお方のご病状であるのに、現状はどんな状態で、
今後の回復の道のりはどのようなものになるのか、治療方針が国民に知らされていない。
天皇皇后両陛下のご体調は細かく公表されるだけに、比べられてしまいます。公務に耐えうるお時間は
どれくらいなのかといった情報も開示すべきでしょう」
そして橋本氏が皇室の未来の反映と、東宮夫妻のお幸せのために、あえて提言するのが冒頭の選択肢、なかでも別居だ。
「まずは『別居なさっての治療』。皇室でのご生活がストレスの原因ということですから、
一日も早くご回復していただくため、伸びやかな生活を保障するところに移り住んでいただきます」
これには先例もある。
「’04年ごろから、三笠宮信子妃がご病気で、軽井沢にこもられて久しいときがありました。その際、
なるべく人前に出なくてもすむようにとのご配慮から、夫の故・三笠宮寛仁さまは東京で別居生活を保っておられた。
その後、都内に妃殿下を住まわせておられましたが、2人の女王はご自身の膝下から離さず、
信子さまはずっとお一人の状況でした。雅子さまも世間からお姿を隠すべし」
そして第2の選択肢は「離婚」。
「英国王室での、チャールズ皇太子と故・ダイアナ妃との離婚が思い起こされますね。
これはお二人の意思が重要となってきますが、国民より家庭なのか、家庭より国民なのかを天秤にかけたとき、
答えが導きだされるでしょう。正常なお姿に戻れば可能と思いますが、雅子妃側から身を引かれるのが最上です」
そして3つめは「廃太子」である。
「皇太子殿下の位を退き、天皇になることから降りられるという道を、選択肢に入れるべきです。
秋篠宮さまがいらっしゃるので、皇太子の座を譲ることは可能だと思います。皇太子殿下は
家族を最も大事にされるならば国務を降り、けじめをつけられるべきです。幸いにして
皇太子さま、秋篠宮さま、黒田清子さまのご兄弟は仲がいい。3人で皇位継承について、
どのような方法がいちばんいいのか話し合っていただき、最終的には天皇陛下にご判断を仰ぐ。
それが最もよい道だと考えます」

雅子妃「うつ病」原因は「外交官の死」と報じた英紙

週刊新潮2006年6月22日号
雅子妃「うつ病」原因は「外交官の死」と報じた英紙
サンデー・タイムズの記事を下敷きに、奥大使と雅子妃の「ロマンスのうわさがあった」と記載。
二人が外務省にいた期間は2ヶ月ほど。
奥大使と雅子妃の「ロマンス」は、奥大使の死が雅子妃の引きこもりのきっかけになった。
奥大使の死が雅子妃の精神を崩壊させた。

日刊ベリタ
2006年07月08日04時01分掲載
雅子妃の病、きっかけは奥参事官の死 日本メディアが黙殺した英紙報道 「二人は親密な友人だった」
東京8日=高瀬宏】英紙タイムズは今年6月4日号(日曜版)で日本の皇室、
特に皇太子妃の雅子さんについてセンセーショナルな特集記事を報じていた。
日本の大手メディアが「黙殺」したマイケル・シェリダン氏執筆の同記事は、
雅子さんがなぜ、2003年末から精神のバランスを崩し、
鬱状態に陥ったかについて核心に迫る「ある事実」を明らかにしている。
雅子さんの心の病は、03年11月に起きたイラクの日本人外交官殺害事件がきっかけだったという内容で、
日本のメディア関係者の間でもひそかにささやかれていた「真相」だ。
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200607080401426

原武史 宮中祭祀廃止論者

週刊女性 2006年7月11日号
体力的に無理である事と、「祈り」に対する抵抗感がある。
皇后はキリスト教の学校で学んだので儀式的な事は勿論、
宗教的思想にもすんなりなじめているが、皇太子妃はそうではない。

岩波「世界」2009年6月号 
岐路に立つ象徴天皇制
雅子妃は合理的な家庭に育った、シャーマニズムとは相容れない。

女性セブン2009年8月6日号
合理主義精神は祈りに何の意義も見いだせないため、適応障害を起こしても不思議ではないだろう。


■中央公論2005年4月号 
語られていない「宮中祭祀」という鍵
原 宮中祭祀には、大きく分けて大祭と小祭があり、
大祭には天皇夫妻 や皇太子夫妻のほか、皇族や三権の長も出席します。
ただし、宮中三殿に上がらなければならないのは
天皇、皇后と皇太子、皇太子妃までです。それ以外の皇族は三殿には上がらず外で見ている。
秋篠宮夫妻もそうです。
ただ、いままでのお祭りを見ていくと、どうしても皇太子妃だけが出ていないというのが非常に多い。
天皇夫妻や皇太子、秋篠宮夫妻は出席しているのに、皇太子妃だけが欠席している祭祀が目立つのです。

天皇と皇后に比べると、皇太子と皇太子妃には?がかなりある。とりわけ、皇太子妃にはそれが多い。
まず1999年9月の秋季皇霊祭から2000年1月の孝明天皇例祭までは、元始祭を除いて出欠が確認できていない。
2002年4月の神武天皇祭から翌年の神武天皇祭までの1年間も、持統天皇1300年式年祭を除けば不明である。
なお別表には掲げられていないが、2002年12月10日に宮中三殿で行われた
「皇太子皇太子妃ニュージーランド国及びオーストラリア国御訪問につき賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」には、
皇太子は出席したのに対して、皇太子妃は欠席したことが確認されている(『神社新報』2002年12月16・23日号)。
皇太子妃は、同年6月の皇太后死去と、2001年5月の懐妊発表、そして同年12月の内親王出産に伴い、
少なくとも2000年4月から2002年3月までの約2年間は、宮中祭祀に全く出ていない。
また、帯状疱疹で入院する2003年12月以降、今日(2004年10月現在)に至るまでも同様である。
なお、秋篠宮夫妻は別表で掲げたほぼすべての祭祀に出席している。

平成11年から15年までの40回の宮中祭祀について
天皇陛下 7回欠席 (前立腺がん手術のため)
皇后陛下 1回欠席 (実父死去の服喪)  出欠の記載なし 7回
皇太子殿下  1回欠席(ヨルダン訪問中) 出欠の記載なし 14回
皇太子妃殿下  9回欠席         出欠の記載なし 19回 
 はっきりと出席が確認できるのは12回のみ

原 武史氏「アリエス」2004年秋号初出
福田和也氏「文芸春秋」2005年4月号転載分より
雅子妃は、確認できる欠席が、ヨルダン国王の国葬参列・流産による静養・御懐妊・御出産に伴う静養など九回。
その他確認できない回が十九回ある。出席が確認できるのは十二回である。
この出席率の差に、原氏は、天皇御夫妻と皇太子御夫妻の祭祀への思いの違い、ずれを見ているわけである。


宮中祭祀というブラックボックス
対談
原武史
保阪正康


週刊朝日2007年3月9日号
明治学院大 原武史教授が読み解く
皇太子47歳の誕生日会見で浮かび上がった雅子さまの回復が進まぬ本当の理由
記者会見の2問目の回答に原教授は注目「公的な性格のある活動」は「宮中祭祀」と読める。
昨年の皇太子の誕生日会見で「宮中祭祀」を「公務」より後ろに位置づけている。
あれは宮中祭祀のほうが公務より負担が大きいことを認めたようなもの。
つまり、皇太子妃は宮中祭祀には耐えられないというメッセージである。
2004年の「人格否定」後の皇太子の発言でも「伝統やしきたり」が
雅子さまを苦しめる要因のひとつであったと告白している。
宮中祭祀は体調を崩すことになった原因のひとつというよりもっと根が深く解決しがたい問題。
プレッシャーとして皇室独特の文化をあげる。
「血の穢れ」(生理という究極のプライバシーを明かすこと)
それ以上にのしかかってくるのは天皇家に繋がる神話性を信じることができるかどうかというプレッシャー。
合理性を重んじる海外での生活を重ね、外交という現実の世界を生き抜いてきた雅子さまにとって
そうした物語を信じることは簡単ではないだろう。
信じることができなければ、祈ること自体が苦しくなるに違いない。
天皇皇后両陛下は70歳を超えてなお宮中祭祀に精勤されており、
皇太子夫妻との間に横たわる溝がくっきりと見えてくるように思える。
明治、大正、昭和天皇と比較してもいまの天皇の頻繁な礼拝振りは際立っている。
皇后もキリスト教への理解があることから「祈り」の行為をしっかり身に刻んでいる。
天皇、皇后がそこまで宮中祭祀を重んじるのは
「皇太子夫妻が国民に見えやすい公務のあり方により関心を向けている分、
自分たちがしっかりしなければという責任感と、時代の天皇制がきちんと守られていくかどうかという
不安があるからではないでしょうか」
皇太子の今年の誕生日会見の悲壮な決意
「わたくしとしては一日一日を大切にしながら、皇太子としていま行うべき仕事に邁進していく所存です」は、
雅子さまが病気療養のため果たせない役割を少しでも埋めようという意識と無縁ではないだろう。
皇太子自身は宮中祭祀には出ているが、天皇皇后秋篠宮夫妻には「雅子さまの不在」が印象づけられるだろう。
天皇家における「祈り」の行為、つまり宮中祭祀を雅子さまが受け入れられるようにならない限り、問題は解決しない。
だからこそ、皇太子は「宮中祭祀改革」の構想をひそかに温めているのではないか。
女性により負担のかかる妻子を簡略化するか廃止するかすれば、雅子様を救うことができる。
同時に、いまは棚上げになっている皇室典範改正論に再び火がついて
女性・女系天皇が認められるようになったとしても、愛子さまへの負荷は取り除けるというわけだ。
「それは新しい皇室の形であると同時に、天皇制の根幹を揺さぶる挑戦にもなるでしょうが、
荒唐無稽な話というわけではありません。
そもそもいまの宮中祭祀は明治天皇になってから生まれたものが多く
いわば『つくられた伝統』なのですから」明治より前の時代に戻ると考えれば不自然とはいえない。
昭和天皇が人間宣言によって象徴となった戦後、天皇制は質的な転換を遂げたと思われているものの、
実際には宮中祭祀は温存され戦後の天皇家の神秘性は保たれてきたのだという。
皇太子は47歳の会見では宮中祭祀に直接触れることはなかった。
「本当は、そこに皇太子妃が苦しんでいる本質があると知って欲しい。
でも、それが明らかになれば『回復は永遠に絶望的』と言うに等しくなる。
だから<公的な性格のある活動>という表現をとったのではないでしょうか」


諸君!2008年7月号 平成皇室二十年の光と影
「提言 われらの天皇家、かくあれかし」 より
宮中祭祀の見直しを 原武史 (明治学院大学教授)
…「お濠の外側」では、急速に都市化が進み、農耕儀礼が廃れてゆくのに、
「お濠の内側」では相変わらず宮中祭祀を続けている。
首都圏で手つかずの自然が、東京の中心部にしか残されなくなるという逆説は、
このギャップを鮮やかに示すものとなった。それでも、戦前に生まれ、59年に結婚した現天皇夫妻の世代までは、
日本がまだ農業国だった時代の記憶が濃厚に共有され、村落の氏神で行われる祭りを通して、
新嘗祭のような宮中祭祀が行われることの深い意味を、おのずから感得することができた。
ところが、それ以降の世代になると、11月23日は「勤労感謝の日」となり、
その日に宮中で新嘗祭が行われているという事実自体を知らなくなる。
高度成長期に当たる60年代に生まれた現皇太子夫妻の世代がまさにそうである。
言うまでもなく、今日の日本はこうした世代が多数派を占めている。
昭和から平成になり、皇室で顕在化した問題の多くは、ここから生じているのではないか。
「お濠の内側」と「お濠の外側」のギャップは、
いまやかつてないほど大きくなっている。全く土着的なにおいのしない東急沿線の高級住宅地で育ち、
田園調布のカトリック系の私立学校に通った雅子妃が、
2003年9月以来、宮中祭祀に全く出られなくなり、適応障害と診断されたのは、ある意味で当然のことであった。
…おそらく、道は二つしかない。「外側」を「内側」に合わせるか、「内側」を「外側」に合わせるかである。
前者の場合は、都市を解体し、農村をよみがえらせ、村々の祭りを復活させなければならない。
そして勤労感謝の日を新嘗祭に、春分の日や秋分の日を春季皇霊祭や秋季皇霊祭に改めるとともに、
天皇や皇族がその日に祭祀を行っていることを国民に周知徹底させなければならない。
後者の場合は、日本社会の現状にかんがみ、宮中祭祀のあり方を見直さなければならない。
より具体的に言えば、もはや社会の現実から完全に遊離した宮中祭祀をやめるとともに
「瑞穂の国」のイデオロギーに代わる新たなイデオロギーを構築することを検討しなければならない。 …

皇太子さまに55歳のご覚悟をお聞きしたい!

週刊文春2015年2月26日号
皇太子さまに55歳のご覚悟をお聞きしたい!

東京大学名誉教授の御厨貴氏はこう話す。「皇太子が会見などて発信するお言葉は、
誰に向かって何を言ったらいいのか、はっきりしないという印象を受けます。
というのも、皇太子のお言葉には、過去の出来事を反芻するという『歴史回顧』の要素がないからです。
歴史との対話が欠如しているので、現代を生き、次代を担う皇太子としての生身の言葉として伝わってこない。
例えば、先の大戦や国内外の情勢、さらには、ご本人が取り組みたいとおっしゃった
『時代に即した新しい公務』などについて、具体的に何を思い描いていらっしゃるのかがわからず、
誰もが思いつくような“公約数的”な発言しか出てこない。
唯一、具体的なエピソードと実感を伴って語られるりは雅子妃と愛子さまのことだけです。
お言葉についての注目がそこにぱかり集まってしまうのは無理からぬことでしょう」

新しい公務については、人格否定発言のあった04年以降、繰り返し「これまでの公務を整理し、
時代に即した新しい公務ができれば」と発言されているが、
「宮内庁では、湯浅利夫長官時代に参与を差し向け、
新しい公務について、皇太子の考えを聞く機会を設けたこともありました。
しかし、結局皇太子の目指すところはよく分からない。天皇陛下が一番案じられていたのは、
考えがあってのことではなく、安易に時流に縛られているだけではないか、という点でしょう」
(ベテラン宮内庁担当記者)
京都大学名誉教授・中西輝政氏は「皇太子としてのお言葉の重みを改めて認識していただきたい」と言う。
「天皇とは、仰ぎ見るものであり、それが日本国民統合の象徴であるということです。
全国民の上に立って『国民と共に歩む』ということが天皇制度の根幹にあるのです。
昭和天皇の玉音放送、今上天皇の東日本大震災に際したビデオメッセージ。
これは日本の天皇と国民が一体になった瞬間でした。こういった未曾有の事態に国民に寄り添い、
語りかけて下さる天皇皇后両陛下を頂きたいと願うのは、国民の自然な期待だと思います」
作家の三浦朱門氏は、天皇の存在こそ日本を知るための、物差しの役割を果たしていると説く。
「宮内庁から発表される両陛下の穏やかな御日常とは、天皇陛下が稲作をなさり、皇后さまが養蚕をなさるお姿です。
謙虚さのある慎ましい生活を国民と共に歩まれるお心の現れではないでしょうか。
皇室は不動であり、天皇陛下を仰げば現在の日本は過去と比べてどう変わり、
どの方向に変わりつつあるか分かるでしょう」
1989年8月4日。55歳の天皇は、即位後初めての記者会見を行い、淡々とした語り口調の中にも
はっきりと平成皇室の方針を打ち出された。
当時、取材に当たっていた皇室ジャーナリストの松崎敏弥氏が振り返る。
「憲法を尊重し、伝統に学び、現代にふさわしい皇室の在り方を求める、
という三本柱を明確に捉えておられました。
中韓を含めた外国訪問や、昭和天皇が果たされなかった沖縄慰問にも
強い意欲があるということをご自身の言葉で語られた。
現在の皇太子にこれほど立派な“所信表明”ができるでしょうか。どこか平板に見える皇太子のお言葉には、
内なる強い決意といったものが見えません。国民が感じるのは、療養の続く雅子さまに配慮しつつ、
思春期特有の不安定さを抱える愛子さまを守るのに精一杯な、夫や父のイメージだけです。
日本悠久の歴史の中でたった一人、第百二十六代の天皇になられるお方として、崇高な視座をお示し頂きたいのです」
今上天皇が、昭和天皇の“遺産”とも言える戦没者の慰霊について力強いお言葉を述べられたのは、
ご自身の戦争体験も大きかった。
天皇と学習院初等科の同学年で、最後まで疎開を共にした明石元紹氏が語る。
「1945年11月7日、皇太子殿下と私たちは疎開先の国鉄日光駅から特別列車に乗って東京に帰ってきたのです。
原宿の皇族専用のプラットホームに降りると、本当に驚きました。辺り一面焼け野原で何もなかった。
電信柱もなければ、東京中が見渡せるかと思うぐらい、建物がなかったですね。当時の殿下も
この光景を印象深くご記憶されたのではないでしょうか。
平和な時代にお育ちになった今の皇太子殿下は、先の大戦について実感を持たれることが難しいのかもしれません。
お言葉を拝見するとご家庭などに対する内向きなお優しさが目立っているように思いますが、
日本の近代史をより深く学ばれて、拠り所となるご活動をなさることが今後の課題でしょう」
今上天皇は皇太子時代から沖縄慰問を拠り所の一つとしていた。折に触れて訪問し、81(昭和56)年、
48歳の誕生日会見で「どうしても記憶しなければならない」四つの日として6月23日の沖縄戦終結の日を
挙げられたのだ。「沖縄が復帰を果たす前の63年、沖縄の子供たちを学校新聞の記者として本土に派遣し、
皇太子殿下(今上陛下)に会っていただきたいと考え、実現しました。それ以降、本土の生徒との
交歓会には70数回にわたりお出ましいただきました」(全国豆記者交歓会代表の山本和昭氏)
93年には歴代天皇として初めて沖縄県を公式訪問。当時、天皇皇后が全国植樹祭の出席に加えて、
沖縄戦没者墓苑などを訪れた慰霊の旅に対し、一部県民からは反発の声も上がっていた。
元沖縄県知事の大田昌秀氏はその後、赤坂御所で天皇とこんな言葉を交わした。
「『沖縄の人たちは皇室のことをどう思っているのでしょう』」とお尋ねになりました。
香淳皇后の母が、琉球を支配した島津家の出身であることにも配慮なさっていました。
私は陛下のご質問に、両陛下の車両に向かってTシャツ姿の農家の女性らが嬉しそうに手を振り、
深々とお辞儀した様子をお話ししました」
こうした天皇のお心遣いについて、前出の千代田関係者が解説する。
「沖縄をはじめ、広島や長崎、東北の被災地など傷ついた国内への暖かい目配りによって
どれほどの国民が癒されてきたでしょうか。
一方で皇太子は昨今の会見で、地球温暖化や生物多様性の減少などの世界の問題に触れていました。
もちろん大事なことですが、順番が違うのではないか、という印象が拭えません」
肢体不自由児の“家や学校”として、日本で初めて設立された養護施設「ねむの木学園」園長の宮城まり子氏が語る。
「94年、両陛下が即位された後に初めて学園をご訪問いただいたとき、子どもたちは
『お帰りなさい、両陛下!」と大声で手を振っていました。両陛下は『ただいま』と微笑みながら
応えてくださいました。実は、皇太子さまの頃から絵の展覧会に足を運んでくださっていたのです」
初めてハンセン病療養所を訪問したのは1968年の奄美和光園。皇太子時代に6カ所を訪れ、昨年で
全国の療養所全14カ所の入所者と懇談された。
14歳から多摩全生園に入所している平沢保治氏がご訪問当時を振り返る。
「77年に皇太子ご夫妻が来てくださった時、何のためらいもなく手を取って明るく声をかけてくださった
ことには、驚きと感動が入り混じった気持ちがしました。伝染性が強調され、厚生省の職員でさえ
感染を恐れていた時代でした。現代でも差別がなくなることはありません。
今の皇太子殿下が独身の頃、87年に一度お出でいただいた際、『殿下にふさわしい妃殿下と巡り合って
ご一緒に来てください』と申し上げました。入所者は、雅子さまとご一緒のご来園を心持ちにしております」
天皇が、思わぬ災害に遭って悲嘆に暮れる人々を慰問され、ひざをついて見舞われるのも皇太子時代からだ。
全国の災害情報にはいち早く対応されいてた。
「東宮御所に、たまたま私が参内していた日に地震がありました。
応接間に熱帯魚の水槽があって、水面が揺れたのです。陛下は地震だと気付かれると、
ぱっと電話を取り上げて、職員にどの位の地震が起きたかすぐ調べるように指示を出されました。
この時は別の部屋でお過ごしになっていた美智子さまから、内線で現状は大丈夫ですとの
ご報告の電話がかかってきました。いかなる時も日本国民の安全を気にかけておられるのだと実感しました」
(学習院の後輩・織田和雄氏)
“平成流”は一日にしてならず――。だが、今でこそ、国民から絶大な信頼を得ている平成流も、
昭和天皇の晩年は逆風のほうが強かったという。
「今上陛下は『行動あってこその象徴』。一方、昭和天皇の時代は、より天皇の神聖性が強かった。
今上陛下は当初、『少し軽い』と一部宮内庁内で囁かれていたのは事実です。ところが平成に入り、
雲仙普賢岳の噴火と火砕流をはじめ、奥尻島地震、阪神・淡路大震災と続いた大災害に対し、
一人ひとりに声をかけることで国民との距離が縮まっていきました。確固たる姿勢がいつしか
賞賛の声を大きくしたのです」(皇室ジャーナリスト・山下晋司氏)
もちろん、天皇の周囲には、皇太子時代からその信念を支え仕えた“皇室の藩屏”が数多くいたという。
「現在の東宮にも、そうした頼り甲斐のある藩屏たちがいるのならば『国民は天皇陛下のお言葉と
ご姿勢に強く心惹かれているのです。ぜひ皇太子殿下にも陛下の言行一致の精神を受け継いで頂きつつ、
分かりやすく雄弁に発信をしていただきたい』と殿下にご忠言申し上げるべきではないでしょうか。
藩屏たるもの、それくらいの矜持を持ち合わせていてほしいものです」(前出・中西氏)
今度こそ、国民は腹蔵無い提言をお伺いしたいのだ。


皇太子さまは55歳目前に
美智子さまと雅子さま、”伴侶”としての大きな違いとは?
2015年02月21日(土) 16時00分
〈週刊女性3月3日号〉
「現在の皇太子さまが55歳のときの陛下に比べて足りないのは、皇太子妃のお支えではないでしょうか」
と言うのは、ジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡辺みどりさん。
「天皇陛下は、価値観を共有でき、公務をともにして、自分をたててくれる美智子さまという
伴侶を得たからこその現在があると思います。美智子さまは歴代皇后の役割を発展させ、
陛下に従い全国各地を訪れ、自然災害が起こればすぐに現地へお見舞いに出かけるスタイルを確立されました。
その一方で、雅子さまは病気療養という事情があるにせよ、
結婚してからの半分の10年以上、公務がほとんどできていない状態です」
今年の4月は戦後70年の戦没者慰霊の旅で、太平洋の島国・パラオも訪問されることになっている両陛下。
「今年は、皇太子ご夫妻にも戦後70年に関連した公務が期待されています。
ほかには両陛下が平成になって始めた『こどもの日』と『敬老の日』に関連施設を訪問される公務を、
今年から前者は皇太子ご夫妻が、後者は秋篠宮さまが引き継がれることになっています」(宮内庁担当記者)
一方、両陛下が築き上げた他の公務やお出ましを、
病気がちの雅子さまを支えながら皇太子さまは、どうお務めになるのだろうか。
「皇太子ご夫妻は、愛子さまが中学校に不登校ぎみであるという問題も抱えています」
と渡辺さんは心配顔だが、次のようなアイデアがあるという。
「例えば、雅子さまの名前を冠した女子小学生の英語コンクールはいかがでしょうか。
英語なら雅子さまがお得意の分野ですし、愛子さまを同伴させやすい行事で、教育的意義もあると思います。
雅子さまが中・高校生時代に熱中したソフトボール関連の公務もよろしいのではないでしょうか。
ソフトボールは2020年の東京五輪で、正式種目に復帰するかどうか注目されている競技でもあるので、
関係者には励みになるはずです」
昭和、平成とそれぞれの時代や世代ならではのご苦労がありそうだが、
皇太子ご夫妻がさらに前向きな姿勢になれば、美智子さまも安心されることだろう。
http://www.jprime.jp/tv_net/imperial_household/8442/