「生前退位」のご意向について

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週刊朝日2016年7月29日号
8月に天皇陛下自ら「生前退位」を説明か 5年前に摂政を内々に調査
天皇陛下が明治以降初となる「生前退位」の意向を示している──。
7月13日夜にNHKが報じた「スクープ」を受けて、世間は騒然となった。
高齢に無理を押しての天皇の公務と、次代の皇太子が世間でいう60歳定年に差し掛かろうとしている現実。
陛下自ら説明するとの話が出ているが、その内容とは……。
「年齢のこともありますから、私たちも疲れてしまったわ」
数カ月ほど前、皇后さまは、親しい知人にこう漏らした。
両陛下と親交のある人たちの幾人かは、こうしたため息を耳にしている。
天皇陛下は82歳、そして皇后さまは81歳。ともに高齢の両陛下の日程は、執務や公務でほぼ毎日埋まり、
心身ともに休むいとまもない。両陛下は11日から神奈川県にある葉山御用邸に静養のため滞在していたが、
この間も天皇陛下は執務を続けていた。
そして両陛下の静養が続く13日、NHKが午後7時のニュースで、
「天皇、皇后両陛下が、生前退位の意向を持っている」と報じたのだ。
新聞・テレビの皇室担当記者が詰める宮内記者会は、蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。
だが、宮内庁も首相官邸側も当初から一貫して「報道されたような事実は一切ない」と否定を続けた。
14日の会見で、宮内庁トップの風岡典之長官は、
「陛下は憲法上の立場から制度について具体的な言及を控えており、そういう事実はない」と発言。
天皇は国政に関する権能を有しないと定めた憲法第4条を引き合いに出し、
官邸の政権幹部も「憲法上の問題から(皇室典範改正を伴う)生前退位は無理だ」と語った。
肝心の陛下の胸中はどうなのか。風岡長官や山本信一郎次長、そして宮内庁幹部は、
「陛下のお気持ちを第三者が、あれこれ忖度するわけにはいかない」と口をそろえる。
それでも、冒頭のように両陛下が気力、体力ともに衰えたとの嘆きを周囲に漏らしている話は聞こえてくる。
実際、昨年夏の全国戦没者追悼式や他の式典で、
天皇陛下がお言葉や式典における手順のタイミングを誤ったことが注目された。
その件が念頭にあったのだろう。天皇陛下は、12月の誕生日会見で
「年齢というものを感じることも多くなりました」と語った。
「生前退位」問題では、NHKはすでに第一報の段階で、
「陛下が自らお気持ちを公表したいと考えている」とまで踏み込んだ。
皇室担当の記者が言う。
「実際、陛下は、ご自身の状況をご自分の言葉で、国民に説明したいと願っていらっしゃるようです。
それが3.11のときのように、陛下のビデオメッセージになるのか、文書になるのかはわかりません。
すでに、陛下の文書の内容も大筋は固まっているとの情報もあります。
あとは公表の時期。早ければ8月とも言われています」
陛下が、「退位」「譲位」という表現を用いたかはわからない。
天皇家の家族会議などで皇太子さま、秋篠宮さまも了承しているとも言われている。
「象徴天皇として人びとに寄り添い、なぐさめ、祈り続けることで平成の天皇像を築き上げてきた」
(前出の宮内庁幹部)陛下にとって、天皇としての仕事が十分にできないまま、
天皇の地位にとどまることを潔しとされないのだろう。
元朝日新聞編集委員の岩井克己氏は14日付の朝日新聞で、
「務めを果たせるうちはベストをつくす」と負担軽減に消極的だった天皇陛下の姿勢を、
「積極的象徴天皇」観と表現した。
岩井氏は記事で、5年ほど前から、天皇陛下は大正天皇の病状の深刻化に伴い、
皇太子だった昭和天皇が摂政を務めた詳しい経緯や制度的背景について周囲に検討させたと明かした。
宮内庁書陵部から資料を取り寄せ、なぜ摂政しか認めていないのかといったことを丹念に調べさせたようだ。
5年前といえば、2011年2月に天皇陛下は心臓の周りにある冠動脈の精密検査を受けている。
このとき、部分的に冠動脈に血管が狭くなる狭窄が見つかり、翌年に心臓のバイパス手術が行われた。
つまり、陛下が高齢による健康不安や死生観を意識しだした時期と符合する。
皇室制度について、さまざまな角度から検証を始めた陛下について、
先の岩井氏は同じ記事中で、「皇室の制度と歴史的真実、現代と皇室の伝統について
科学者らしい手堅い思索を重ねてきた様子がうかがえる」と記した。
ところで、毎日新聞は、皇室ウォッチャーが気になる記事を掲載した。
天皇陛下の意向を受け、今年5月以降、宮内庁幹部が水面下で検討を進めていたというのだ。
風岡長官、山本次長らオモテの宮内庁トップ2と、陛下を私的に支える河相周夫侍従長らオクのトップ2人。
そこに皇室制度や歴史に詳しい元職員1人が加わった「4+1」で会合を持ち、
皇室制度の重要事項について検討と会合を重ねて、首相官邸とも調整を重ねてきたという内容だ。
「このOB職員は、宮内庁の指示で20年以上前から王室制度の調査のために欧州へ赴くなど、
研究を重ねてきた専門家です。小泉内閣が進めた女性・女系天皇に関する皇室典範改正問題のときも関わり、
今年春に定年退職しましたが、まだ宮内庁に残り、研究を続けています」(宮内庁関係者)
この6月の人事異動で、首相官邸では警察庁出身の杉田和博官房副長官を軸に、
各省庁からエース級の人材を集めた極秘検討チームを作っている。
その目的が、長年の懸案である皇族の減少に伴う、女性宮家の創設に関する皇室典範改正なのか、
「生前退位」や「摂政制度」に関するものなのかは、はっきりしない。
※週刊朝日 2016年7月29日号より抜粋
http://dot.asahi.com/wa/2016071900214.html

「生前退位」実現で皇室は新たな危機に? 元宮内庁職員が警告
(更新 2016/7/20 07:00)
13日にNHKが報道した天皇陛下の「生前退位」の意向は、国民に大きな衝撃を与えた。
現状では「憲法上の問題から(皇室典範改正を伴う)生前退位は無理だ」(官邸の政権幹部)ということだが、
もし実現すれば、安倍政権、そして天皇の在り方にも影響を及ぼす。
首相官邸は天皇陛下の意向を尊重し、典範改正など必要な法整備に向けて検討を始め、
来年の通常国会で必要な法改正を目指す方針との情報も出ている。
宮内庁幹部は「政権との調整がこれから始まるタイミングだっただけに、うまくいかないおそれもある」と話す。
政治部記者が言う。
「参院選の勝利で地盤が固まった安倍政権としては、緊急事態条項を含む憲法改正に向けて議論を始めたい。
より安定した政治環境をつくろうと、年末までに衆院の解散・総選挙に打って出る可能性もある。
現政権は、女性宮家創設を含む皇室典範の改正に消極的で、どの程度進むのかは不透明です」
第2次安倍政権が発足して3年半が経過したが、皇室の制度改革は進まなかった。
政治的なエネルギーを要する典範改正に着手すれば、憲法改正が吹き飛ぶとの懸念があるのか。
逆に、官邸情報に強いNHKがスクープしたことで、政権が典範改正を突破口に、
憲法改正への機運を盛り上げるとの疑念が野党側に広がる。
仮に、幾つものハードルを乗り越えて、「生前退位」を含む典範改正が実現したとする。
そのとき、皇室は新たな危機にさらされると、元宮内庁職員の山下晋司氏が警告する。
「平成の象徴天皇としてふさわしい働きができない、という理由で生前退位を認めたとしましょう。そして、
徳仁新天皇と雅子新皇后の仕事ぶりが国民の期待に応えないもので、
『象徴天皇としてふさわしいものではない』と評価された場合、次に『ふさわしい』
秋篠宮殿下に譲位しろとの声が起きかねない」
旧皇室典範は1889(明治22)年に、大日本帝国憲法と時を同じくして制定された。
元勲・伊藤博文らは、天皇が随意にその位を退かれるのはもってのほかと論じ、
天皇の終身在位の仕組みを作った。それは、天皇が政治的な思惑で「退位」に追い込まれたり、
退位した天皇が上皇として権力を振るう危険性を排除するためである。
国民の感情で判断する余地が生まれれば、究極には天皇の人気投票につながりかねないと、山下氏は危惧する。
「天皇陛下がご高齢で働かされてお気の毒」「早く退位の制度を整えてお休みになって」
天皇の「生前退位」報道が出ると、感傷的な声がテレビ画面や新聞の紙面を覆った。
だが、皇室制度の根幹をかきまわすような事態は避けるべきであろう。
1987年から87歳で崩御するまでの1年4カ月間、昭和天皇は病に倒れていたが、摂政は置かれなかった。
いまの天皇陛下と、皇太子さまが国事行為を昭和天皇に代わり臨時代行した。
摂政は、天皇が精神的・身体的に機能していないことが前提だ。あるジャーナリストはこう解説する。
「それは、周囲が天皇陛下は、たとえ何もできないとしても、在位してくださるだけでいい、
それこそが国民の敬愛にかなうのだ、と昭和天皇へ伝え続けたためです。
ところが今回は、天皇陛下が、『高齢で象徴天皇として十分に仕事ができない』という話が漏れ聞こえたとたん、
『お疲れ様』の大合唱が始まった。まるで『蛍の光』を大音量で流して、
舞台から強制退場させているふうにすら感じる。それはご本人の思いとはすれ違うような気もする」
天皇公務のさらなる軽減や、皇太子ご夫妻への大幅な仕事の引き継ぎなど、可能な範囲で対応できないのだろうか。
平成の天皇が、魂を注ぎ込むように築き上げた象徴天皇と、
二人三脚で歩んできた皇后の姿を、国民はもう少し見ていたいと感じているのではないだろうか。
※週刊朝日 2016年7月29日号より抜粋
http://dot.asahi.com/wa/2016071900223.html

週刊新潮2016年8月4日号
前天皇と比較される「新天皇」はやりづらい?〈生前退位の大疑問〉
国を象徴する唯一無二の存在である陛下も、
皇太子さまにとっては幼少のみぎりから背中を見て育ってこられた、
頼もしい父という面を併せ持つ。
下世話に申せば、巷では隠居した先代と後継ぎの二代目は何かと比べられ、
時に粗探しまでされるもの。仮に陛下が身を引かれ、皇太子さまが新天皇と相成れば、
「陛下と皇后さまは、ともに公的ご活動からは完全にリタイアされるはず。
その面では、新天皇のお振舞いに不都合はないでしょう」
とは、さる皇室記者。が、むしろ国民の目が“難関”となりかねないという。
「“象徴の二重構造”が起こり得ます。皇室に関心が集まるのは結構ですが、
先帝と新天皇がいらっしゃる場合、国民の尊敬の対象が定まらなくなる。
例えば被災地のお見舞いに新天皇が来られた時、
現場で『前の陛下にいらしてほしかった』などと、率直な感想が出てくる可能性は否めません」
(皇室ジャーナリストの山下晋司氏)
かてて加えて、
「ここ数年、雅子さまの問題もあって皇太子さまご一家には“公より私を優先する”とのイメージが
ついて回っている。これを払拭するとなると一朝一夕にはいきません。ご公務から退かれるとはいえ、
両陛下の近況は映像などで時折報じられることもあるでしょう。
そのたび世間は、まだ記憶に新しい陛下の現役時代を思い起こさずにいられないはずです」(前出記者)
新天皇におかれては、思いがけぬ試練が加わりそうな予感なのだ。
http://www.dailyshincho.jp/article/2016/07301001/?all=1

「雅子さま」追っかけおばさんが生活保護だった

皇室写真集を2冊出版でも 「雅子さま」追っかけおばさんが生活保護だった〈週刊新潮〉

BOOKS&NEWS 矢来町ぐるり 1月5日(月)12時20分配信
夢を見させてくれる」。これが誰かを“追っかけ”る者に働く心理だ。
もっとも、皇室の追っかけ歴21年。
自ら撮影した雅子さまや愛子さまの写真集を2冊も出版した女性の場合、
その情熱は人並み外れたものがある。何しろ、生活保護を受けながらも追っかけを続けているのだから。
彼女は、これまで小林春美の名義で『あこがれの雅子さま』(2001年)と
『愛子さま こっちをお向きになって』(02年)を出版している。
年の頃は40代後半で独身。関東近郊に住み、
皇室を取材するマスコミや警備を担当する皇宮警察官の間では超有名人なのだという。
そもそも、高校生の頃、現在の天皇・皇后両陛下が乗る車に遭遇。
車から手を振る美智子妃の姿に感激し、皇室ファンになった。
1993年3月、雅子さまのお妃教育が始まったが、これを機に小和田邸に通うようになり、
本格的な「追っかけ生活」が始まったそうだ。
「お二人が結婚されてからは、地方でもどこでも行きました。
98年10月、長野の車山高原に行かれた際は、頂上付近で皇太子さまが『空気がきれいですね』などと、
話しかけてくださった。もう、感動して涙が止まりませんでした。
また、03年、皇太子ご一家が葉山で静養されている時、皇太子さまから
『(写真集の)ご出版おめでとうございます』と声をかけられ、
この時も嬉しくて涙が止まらなかったですね」(小林さん)
皇太子ご夫妻“公認”の追っかけというわけだ。
「皇室の方々はみんな美しくて気さく。追っかけは私の生きがいです。
14年は一般参賀に始まり、3月には愛子さまの学習院初等科の卒業式を見に行きました。
ただ、雅子さまはご静養中ですし、追っかけをする機会もめっきり少なくなりました」(同)

■「内緒ですよ」
そんな彼女に、追っかけ仲間からは、こんな声が上がっている。
「実を言うと、彼女は生活保護を受けているそうなんです。にもかかわらず、
地方にもよく出没している。追っかけ仲間の間でも、
交通費や宿泊費をどうやって捻出しているのかしら、と話題になっています」
最近では、島根県出雲大社で行われた高円宮典子さまの結婚式(10月5日)、
両陛下の長崎訪問(10月11日〜13日)、広島訪問(12月4日)で、小林さんの姿が目撃されている。
さて、この点を彼女に聞くと、「前夫が病気で働けなくなり、15年くらい前から生活保護を受けています。
離婚したのは4、5年程前で、私自身は警備の仕事をしながら毎月8万円支給されていた。
ところが、私も体調を崩し仕事を辞め、14年6月から毎月12万円もらっています」
毎月、家賃や光熱費、電話代を引くと、残るのは5万円。このうち食費は2万5000円で、
娯楽や趣味に使えるのは2万5000円とか。
「追っかけの費用は、東京駅とか電車で行けるような近場の場合、
毎月の生活保護で手元に残った2万5000円の中から。
地方へ行くときは、前の仕事で貯めていたお金から出してます。あっ、貯金の話は内緒ですよ」(同)
生活保護受給者にしてヘソクリがあろうとは、皇族方も苦笑いを禁じ得まい。
「ワイド特集 羊の皮を被った狼 虎の皮を着た羊」より
※「週刊新潮」2015年1月1・8日新年特大号
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150105-00010003-shincho-soci

「愛子さまと呼ばないで」−彼女が天皇になる日

週刊現代 2014年7月19日号
「男だったらよかったのに」と傷つけられ続ける人生、でも……
「愛子さまと呼ばないで」−彼女が天皇になる日
(略)
あるご学友の父兄は、こう証言する。
「初めのうちこそ、クラスの子供たちも興味津々で『どんな子なんだろう』と話題にしていたのですが、
ここ最近は『無愛想』『人見知りなんじゃない?』といった評判をよく聞きます。
友達と呼べるご学友は少なく、部活にも入られず、
初等科のクラブ活動で一緒に管弦楽やバスケットボールをしていた5〜6人と過ごされることが多いようです。
逆に言えば、他の子とはほとんど付き合っていらっしゃらない。
遅刻の話は本当ですよ。5分や10分ならまだしも、
午後から登校されて、先生もそのことを全く注意しないのですから、
他の子たちは不公平だという思いを募らせている。
しかし、不満を大っぴらに口にするわけにもいかない。
陰で『うざい』『面倒くさい』とこぼす子も出始めています」
(中略)
友人の輪には今一つ馴染めない。天真爛漫な「プリンセス」として生きられればよいのだが、
それも許されない。希望に満ちているはずの中学校生活は、
進むべき方向が見えない愛子さまにとっては閉塞感ばかりだ。
愛子さまの本音はおそらく、もう「愛子さま」と「さま」付けで腫れ物に触るように扱われるよりも、
普通の女の子にしてくれたほうがよっぽど気が楽でいいのに――といったところだろう。

ジャーナリストで、今上天皇のご学友でもある橋本明氏がこう言う。
「私は、悠仁さまが成長されるまでの間だけでも、
愛子さまを女性天皇候補として認めてはどうかと申し上げたい。
そうすれば、雅子さまと愛子さまにも目的意識をもって日常生活を送っていただくことができる。
それが可能な環境が、東宮家には整っているはずです」
しかし、すでに皇室の内部において、愛子さまと悠仁さまの将来設計の違いは、
皇太子ご一家と秋篠宮ご一家の「教育方針」の違いとして表れている。

精神科医の香山リカ氏が話す。
「皇太子ご一家は、愛子さまをひとりの人間として幸せにしたい、というご希望が強いようです。
一方で秋篠宮ご一家は、昨年3月に悠仁さまと伊勢神宮を参拝されたり、
天皇皇后両陛下のもとへ頻繁に連れてゆくなど、
皇室の一員という自覚を早くから促すような育て方をしていると言えます。
現在は、女性宮家創設の議論も中途半端になったままです。
そのうえ、将来愛子さまが皇室にとどまるのか、
それともご結婚されて民間のお立場になるのか、という点さえ不透明ですから、
皇太子ご一家はなかなか教育方針を定めることもできないというのが実情ではないでしょうか」
(中略)
眞子さまや佳子さまはこのところ、休日になると2人で連れだって買い物を楽しんでいるというほど、
比較的自由な生活を送っている。
しかし、愛子さまの周辺に目を移すと、中等科に進学して以降、周囲の警戒はむしろ厳しくなった。
「登下校の際には6〜8人のSPが警護に付き、
皇宮警察の覆面車両が何台も学習院の周囲をグルグル走り回る厳戒態勢です。
生徒の間にも、初等科の頃よりもきつい箝口令が敷かれ、
もちろんインターネット上での愛子さまに関する書き込みもかたく禁じられています。
クラスメイトの父兄の中には、先生に『もう面倒だから、
ウチの子のクラスを替えてくれないか』と申し出る人まで出ている」(前出と別のご学友の父兄)
(中略)
ひとりの女の子として学校生活を楽しもうとすれば、ご学友たちに敬して遠ざけられる。
皇室の内部では、まるで悠仁さまの「補欠」のように扱われる。
それなのに、国民からは「女性天皇」の期待をかけられる
――そんな愛子さまの気持ちを、真剣に考えようとする人はどれだけいるのだろう。
皇族として生きることに、それなりの義務や責任が伴うのは確かだ。
しかし少なくとも、人生を否定されるほどの理不尽を味わういわれはない。
国民はもっと愛子さまの内心を慮り、そのお立場に敬意を払って見守るべきではないだろうか。

2017年10月-12月雑誌記事

愛子さま、高校野球大会を観戦 過去に野球を巡る秘話も
2017.10.14 07:00
秋に似つかわしくない暑さとなった10月8日、明治神宮球場(東京・新宿区)に隣接する第二球場で、
高校野球秋季大会の試合が行われた。第1試合でぶつかったのは、学習院高等科と駿台学園高校。
午前10時のプレーボールを前にして、両チームのアルプススタンドは応援の熱気に包まれる。
そのとき、学習院側の応援席に、愛子さまがお忍びで姿を見せられた。
デニムスカートに白い半袖のカットソー、足元は白のスニーカーという出で立ちの愛子さま。
トレードマークのポニーテールを若草色のシュシュで結ばれ、
首元には白い花びらがデザインされたネックレスをされていた。
「お友達とご一緒にいらっしゃったようで、バックネット裏の前から8番目の
“絶好ポイント”に着席されました。愛子さまが通われる学習院女子高等科と学習院高等科は、
いわば姉妹校。水色の帽子にタオル、メガホンで用意万全、大きな声援を送られていました」(学習院関係者)
愛子さまの野球好きは有名で、ご一家でプロ野球の試合を観戦されたこともある。
毎年6月、学習院と筑波大附属中・高の間で、野球や陸上競技、バスケットボールなどの試合が行われる
通称「附属戦」というイベントがある。愛子さまは今年の附属戦で、野球部の試合を観戦された。
「学習院初等科5年生の時には野球クラブに入りたいというお気持ちもあったそうです。
結局、男子児童しか入れないため断念されました」(宮内庁関係者)
2回に4点、3回に2点を奪われ序盤から苦戦を強いられる展開の中、
チャンスのシーンでは飛び跳ねんばかりにバッターにエールを送られていた。
「赤い双眼鏡を取り出されて終始熱心に応援されていましたが、一際声援が大きくなったのが、
愛子さまと同学年のA君がバッターボックスに立ったときでした。
デジカメをバッグから取り出され、パシャパシャと撮影をされていたのです。
終盤にA君がヒットで出塁し、続くバッターのヒットでホームに帰ってくると、
愛子さまは両手を上げられて大喜び。隣のお友達に笑顔で話しかけられ、
何度もうなずきながら拍手を送られていました。A君は学習院中等科出身。
もしかしたら、初等科で愛子さまと机を並べられていたのかもしれません。
年頃の女の子なら誰でも通る道と申しましょうか、大変おかわいらしいご様子でした」(前出・学習院関係者)
まさに「神宮球場の青春」。実は愛子さまの中で、「野球」と「恋心」が結びつくのは初めてではない。
「初等科6年生の頃、愛子さまと仲良しだった女子児童が、
意を決して野球クラブに入っていた男子にラブレターを渡して告白したことがあったそうです。
そのとき、緊張して怖がる女子児童に付き添った女の子の1人が愛子さまでした」(別の学習院関係者)
残念ながら、試合は学習院が1-11の大差で敗北。それでも、グラウンドを駆け回るA君の勇姿は、
愛子さまの心にしっかりと焼き付けられたことだろう。
※女性セブン2017年10月26日号
https://www.news-postseven.com/archives/20171014_620675.html

雅子さまの「愛子さまファースト」に対し懸念の声出る
1年半後にやってくる次代の到来に向け、雅子さまへの期待は日を追うごとに膨らんでいる。
だが、皇太子さまに「おひとり公務」を託された雅子さまの、連日の私的お出ましが波紋を呼んで──。
「愛子さまは頭に白いバンダナを巻き、カラフルな柄をあしらったクリーム色のエプロン姿で、
てきぱきとお弁当を売っていらっしゃいました。メニューはおこわや天むす、すき焼き弁当など。
お友達とご一緒に、笑顔で“看板娘”を務められていました」(目撃した人)
10月最後の週末、愛子さまが通われる学習院女子高等科(東京・新宿区)で、
恒例の文化祭『八重桜祭』が開催された。
「終日雨でしたが、台風を吹き飛ばすくらい校内は活気に溢れていました。
各教室では書道や華道の作品が展示されていたほか、
愛子さまは高校3年生のダンスパフォーマンスなどをご覧になったそうです」(学習院関係者)
中等科3年だった昨年、長期欠席のさなかにあった愛子さまは文化祭を欠席された。
「毎年心待ちにされているイベントだっただけに、ご体調が整わなかったことは大変残念だったことでしょう。
昨年は、欠席中でもクラスの出し物の景品のミサンガ作りなどをお手伝いされていましたが、
やはり今年参加できたことに大変満足されているようでした」(宮内庁関係者)
土、日の2日間にわたって行われた文化祭には、雅子さまも両日足を運ばれた。
「愛子さまとお友達のツーショットを撮られたり、お友達のママも含め4人で写真に収まられたりしたそうです。
また、国際交流部の展示教室に立ち寄られたり、東日本大震災で被災した福島県の復興協力をした
ボランティア同好会の写真やレポートをご覧になったそうです」(前出・学習院関係者)
土曜は14時前に到着され、17時過ぎにお帰りに。日曜は、13時頃から16時頃まで滞在された。
「文化祭は子供たちの日頃の様子を間近で感じられるいい機会ですから、
これまで、愛子さまの学校生活を心配されたことのある雅子さまも、
愛子さまがはつらつと参加される姿にほっと胸をなで下ろされたことでしょう。
ですが“今回ばかりは、自重すべきだったのではないか”という意見も宮内庁内部には散見されるのです。
まして2日間連続でお出ましになられなくても、と」(前出・宮内庁関係者)
その“諫言”の理由は、東京から遠く離れた四国・愛媛にあった。

陛下の意向で誕生した大会
10月27〜29日の2泊3日の日程で、皇太子さまは『全国障害者スポーツ大会』の開会式に出席されるため、
愛媛県で“おひとり公務”に臨まれていた。
「開会式では、“3年後の東京パラリンピックに向けて力強く羽ばたく選手が数多く誕生することを
期待しております”と挨拶され、車椅子バスケットボールや聴覚障害者のバレーボールなどを観戦されました。
また、サイクリング推進の取り組みを視察されるためレンタサイクル施設に足を運ばれたほか、
造船会社のドックで建造中の船舶をご覧になり、その大きさに感嘆の声を上げられていました」(皇室記者)
皇室と障害者スポーツのかかわりは深い。
「もともとこの大会は、皇太子時代の天皇陛下のご意向で誕生しました。
1964年の東京五輪と同時開催されたパラリンピックを両陛下は連日観戦。
大会後、陛下が“このような大会を国内でも毎年行えないものだろうか”と述べられたのをきっかけに、
翌年前身となる大会がスタートしました」(皇室ジャーナリスト)
その後、両陛下はこのイベントに熱心に取り組まれた。思い入れのある大事な公務を引き継がれたのが、
皇太子さまと雅子さまだった。
「残念ながら、療養生活に入って以降、都内で行われた年を除いて、雅子さまはお出ましになっていません。
2泊3日のスケジュールのため、ご負担が大きいということで今回も見送られたのでしょう。
また直後の11月1日には東日本大震災の被災地訪問のため、宮城県に足を運ばれる予定でした。
翌週には秋の園遊会を控えていて、愛媛行きを断念されたことには致し方のない面もあったのでしょう」
(前出・皇室記者)
着実にお出ましの機会が増えている中にあって、今から1年半後には皇后となられる雅子さまへの期待は
日を追うごとに大きくなっている。
「一方、その声に応えようと無理をされ、また病状が後戻りしてしまうことに不安を覚える声も聞こえてきます。
ですから、愛媛にお出ましにならないという判断は理解もできます。しかし問題は、その期間に私的外出として
愛子さまの文化祭に、しかも2日間とも足を運ばれるべきだったのかということです。
文化祭をご覧になることは“できることからする”という治療方針の雅子さまにとってプラスだったかもしれませんが、
このことを障害者スポーツ大会の関係者が知ったらどう感じるか。
“愛子さまファースト”の外出を自粛されるという選択肢もあったのではないでしょうか」(前出・皇室ジャーナリスト)
文化祭2日目の10月29日、天皇皇后両陛下は『全国豊かな海づくり大会』の式典行事や
7月の集中豪雨の被災地訪問のため、福岡県を訪れられていた。
大会の式次第が終わり両陛下が退場される際、ちょっとしたハプニングが起こった。
「壇上に、作文コンクールの受賞者の小学2年の男子児童がいました。
そのとき、席を立たれた陛下が児童の前を素通りしてステージ脇に向かわれてしまったのです。
美智子さまからお声があったようで、陛下はそこで踵を返され、改めて児童にお声掛けをされました」(別の皇室記者)
年間300件を超える公務は、80才を超えられている両陛下にとって大きなご負担であることは明白だろう。
対して、雅子さまの公務の数は50件前後に留まっている。
「皇后になられた雅子さまが、いきなり美智子さまと同じ公務の数を担われることは現実的ではないでしょう。
天皇となった皇太子さまがおひとりでお出ましになる公務も引き続きあると思います。
そうなったとき、雅子さまの“行動選択”が新たな火種とならないか、一抹の不安を覚えます」
(前出・皇室ジャーナリスト)
「次代の皇后」と「母」の間で、雅子さまの心は揺れ動いている。
※女性セブン2017年11月16日号
https://www.news-postseven.com/archives/20171103_626185.html

愛子さまがふっくら! 12月1日にお誕生日を迎えられて16歳に
週刊女性2017年12月19日号
2017/12/6
「愛子さまは、12月1日に16歳のお誕生日をお迎えになりました。
当日の午後6時ごろ、両陛下に挨拶するため皇居を訪れた際に、
周囲から“敬宮さま〜、おめでとうございます!”と声をかけられると、
車の窓を開けて見えなくなるまで笑顔で手をふられていました」
皇太子ご夫妻の長女で学習院女子高等科1年生の愛子さまの近況をそう話すのは、東宮職関係者。
高校生になり学校の勉強や行事にも積極的に取り組まれている愛子さま。
「愛子さまは、高等科から新しく漢文や世界史などの科目が加わり、これまで以上に勉学に励んでおられます。
10月末の文化祭『八重桜祭』では、上級生と2人1組で受験生に学校施設を案内したり、
高等科のダンスチームの公演の司会を務めるなど学校行事でも活躍されました。
11月に入って気温が下がった時期に熱を出して数日間、学校を欠席したこともありましたが、
2学期はほとんど登校してお元気に過ごされていましたよ」(同・東宮職関係者)
昨年のお誕生日では、体調不良のためにかなりおやせになっていたものの、
今年は顔もふっくらしてとても元気そうなご様子。周囲も国民も安心していることだろう。
http://www.jprime.jp/articles/-/11229

秋の園遊会で見せたご快復ぶり「雅子さま」15分の壁
社会・政治 2017.12.08
「この秋以降、地方公務を多数こなされて、ご快復ぶりが自信につながっているようでした。
そこで今回は『15分の壁』を越えるのではないかと期待されていたのです」(皇室ジャーナリスト)
11月、東京・元赤坂の赤坂御苑で催された秋の園遊会。皇太子妃・雅子さま(53)は、またも途中でご退席された。
14時15分ごろ、三笠山と呼ばれる丘に皇族方と整列された雅子さま。
式典行事を終え、数十メートルの距離を歩いて招待客と懇親されたが、
皇太子さまが「そろそろ……」と合図なさると、名残り惜しそうな笑顔を見せながら、
浅黄幕の切れ間に消えていった。
雅子さまは、2004年7月に「適応障害」というご病名が発表されて以降、長らく園遊会に出席されなかった。
2015年秋のご出席は、じつに12年ぶりのこと。
以来、4回連続(2016年秋は三笠宮殿下薨去により中止)の園遊会ご出席となるが、
いずれも15分以内で中座なさっている。だが2017年、宮内庁関係者には、たしかな兆しが感じられたという。
「ご退席までの時間は長くなっている。雅子さまが招待客とじっくりお話しなさっていたためだ。
参議院議員の朝日健太郎氏の前では、雅子さまが手を挙げて “身長が高いですね” と示されたようで、
和やかな雰囲気が見て取れた。
また、退席場所付近で皇太子殿下が合図を送られた後、雅子さまはさらに招待客に声をかけていた。
皇太子ご夫妻の前を進まれる両陛下との距離が、最大で30メートル近くも空くほどだった」
じつは開催前日まで、雅子さまの完全出席が検討されていた。皇室ジャーナリストの山下晋司氏が解説する。
「今回、退出されたのは過去3回と同じ場所。ここを越えると50メートルほど先の取材カメラの前を通り過ぎるまで、
退出する機会はありません。無理はされないように中座されたのでしょう」
園遊会での女性皇族の装いを決めるのは皇后陛下だ。春が和装の場合は、秋は洋装をお召しになるのが定例。
労力がかかり、体を締めつける和装を、雅子さまは苦手とされている。しかし、今回は春に続き和装が選ばれた。
「和装が予定されていた昨年秋の園遊会が中止になったことで、今回和装が続いたとの見方がある。
だが、装いを決めた美智子さまの思いもこめられていたのではないか。雅子さまの体調を慮りながら、
皇后となるまでに皇族として人前で振る舞うことに少しずつ慣れていけるように、
雅子さまの快復を後押ししようとされたのかもしれない」(前出・宮内庁関係者)
2019年の皇后となる日へ向けて、ご快復の道を進んでいる雅子さまは、園遊会のみならず、
今後も「皇后への壁」を越えていかなければいけない。
「雅子さまは、皇族と接する機会の多い人との接触に、特に重圧を感じるようだ。
繰り返し参加する人の多い皇居の勤労奉仕団へのご会釈や、記者会見には現在参加されていない。
今後これらに復帰されれば、大きなご快復の目安になるだろう」(皇室ジャーナリスト)
行事を欠席しがちな雅子さまが、美智子さまと同様に振る舞えるのかーーそんな疑念の声もある。
だが皇室研究家の高森明勅氏はこれに異を唱える。
「たしかに雅子妃殿下のおつとめのなかで、宮中祭祀は身体的にも精神的にも、
もっともハードルが高いと理解していいでしょう。
ですが、皇后におなりになったら、ご公務や祭祀が増えるかというと、そうではないのです。
地方公務は皇太子殿下のほうが多いですし、祭祀の回数は皇后陛下と皇太子妃殿下は同じ。
そもそも、美智子さまと同じように振る舞う必要はありません。
雅子さまの新しい皇后像を求めていかれればいいのです」
「壁」は必ず越えられる。
(週刊FLASH 2017年11月28日号)
https://smart-flash.jp/sociopolitics/29566

雅子さま 美智子さまに直訴!「外国元首とお忍び懇談」
「政府は、新しい天皇陛下となられる皇太子さまの『即位の礼』を19年秋に行う方向で調整を進めています。
外国からの賓客も大勢招かれ、盛大なものになることでしょう」
そう語るのは、宮内庁関係者。政府は年明けにも菅義偉官房長官をトップとする準備組織を設置し、
譲位・即位に向けた準備を本格化させていくという。
12月9日、雅子さまの54歳のお誕生日に発表されたご感想には、こんなご心境がつづられている。
《これから先のことを考えますと、身の引きしまる思いが致しますが、両陛下のお導きをいただきながら、
皇太子殿下をお支えしつつ務めを果たしていくことができますよう、努力を重ねて参りたいと思っております》
このお言葉通り、雅子さまは“新皇后”に向けての努力を密かに重ねられている。
本誌は、それを裏付けるエピソードをキャッチした。ある外務官僚は、本誌にこう明かした。
「まったく報道されていませんが、実は皇太子さまと雅子さまは11月30日に、
千代田区にある在日ルクセンブルク大公国大使館をお忍びで訪問されたのです」
ルクゼンブルクのアンリ大公と長女のアレクサンドラ王女が、国賓として日本に滞在していたのは、
11月下旬のことだった。
「基本的に、アンリ大公のおもてなしは、“同格”である天皇陛下と美智子さまがなさいました。
もちろん皇太子さまと雅子さまも宮中晩餐会には出席されましたが、その場では、ご挨拶程度しかされず、
親しくお話しする機会はほとんどなかったと思います」(前出・宮内庁関係者)
皇太子ご夫妻がルクセンブルク大使館を訪問されたのは、宮中晩餐会の3日後。前出の外務官僚が続ける。
「ご訪問の目的は、離日直前のアンリ大公と懇談されるためでした。ご到着は午後3時ごろ。
大公と王女に迎えられた皇太子ご夫妻は、まず大使館の1階に飾られている写真をご覧になったのです」
写真は、写真家やエッセイストとしても人気があり、国際的に活躍するハービー・山口氏が、
ルクセンブルクの街並みを撮影したものだった。
「明るい雰囲気で写真をご覧になった後、皇太子ご夫妻と大公と王女は、
お茶とお菓子を楽しまれながらお話しをされたそうです」
宮内庁のHPには、皇太子ご夫妻の日程も記載されているが、
ここに11月30日の大使館ご訪問についての記載はない。だが、前出の宮内庁関係者は言う。
「その情報を聞いてから該当部署などに確認したところ、確かに皇太子ご夫妻は、
アンリ大公とお会いになっていたことがわかり、私も非常に驚きました。
皇太子ご夫妻が、お忍びで大使館を訪問され、相手国の元首と会談をされたわけですが、
こうしたケースはこれまでにはなかったことだと思います」
この“前例なき会談”は、皇太子さまと雅子さまが強く望まれたことだったという。宮内庁関係者が続ける。
「皇太子ご夫妻はお代替わり後を見すえられ、『私どもも、日本の皇室とご縁の深い、
ルクセンブルクの王室との関係を大事にしたいと考えています』と、天皇陛下と美智子さまに相談され、
お許しを受けたそうです」
いわば“直訴”によって、実現したものだというのだ。
「ご婚約以来25年、雅子さまにとって“皇室外交”は夢であり続けたと思います。
そして皇位継承が目に見える時期になったいま、ついに動き出されたのではないでしょうか。
これまでのご活動から、雅子さまの目指されている皇室像も、おぼろげながら見えてきます。
その未来の構想の1つが、世界の恵まれない子どもたちを救うというものなのです。
先日のお誕生日にも《広く世界に目を向けても、困難な状況に苦しんでいる人々が数多くいることに心が痛みます》
と、国際的な協力が大切だと訴えられました。ルクセンブルク大公国との絆を深められることも、
その第一歩とお考えになられたのでしょう」
きっと大使館での懇談では、国民との関係の両国の差についても語りあわれたに違いない。
https://jisin.jp/serial/社会スポーツ/imperial/32048

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『文藝春秋』は腹がすわっていない

wiLL2009年3月
皇室問題 『文藝春秋』は腹がすわっていない
 西尾幹二(評論家)

皇室と日本の分水嶺
人間の発する言葉自体にはさしたる力がありません。
他の人がどう感じ、社会がどう反応するかで力が生じるのです。
田母神前航空幕僚長の過日のケースでも、発言内容自体よりも、
それが強い刺激を与えて引き起こした社会における波紋に意味があると思います。
思想それ自体よりも、反響そのものが思想であるといっても過言ではないでしょう。
なにゆえに権力側が田母神発言を押さえ込んだのか、
なにゆえに朝日新聞、NHKはじめ大マスコミがヒステリーに陥ったのか。
この喜劇的おかしさは、一般の国民にもはっきりと見えたと思います。

『文藝春秋』が左翼雑誌に?
田母神論文についてなされた様々な発言の中で、特にインターネット上の書き込みの中では、
「自由民主党はいつ左翼政党になったのか」というものが多くありました。
これは多数の国民の心の中に潜んでいた声でもあります。
選挙前のトラブルは嫌だという程度の考えで与党は逃げを打ったのだと思っていたら、
あの保守派の期待の星・麻生総理が
「自衛隊の中で二度とこのようなことが起こらないための再教育と監察を行え」と言い出しました。
「いったい麻生総理はどうなってしまったのか?」と驚きましたが、
事実、その方針に則って防衛大臣は動いています。
二人の動きは、かなり確信犯的なものだったので、その理由がまだ私にはわかりません。
NHKの番組「クローズアップ現代」は、ことにひどい内容でした。
かねてからNHKはあのようなものだということは百も承知ですが、
「自民党は左翼政党だったのか」という驚きとともに首を傾げたのが
「『文藝春秋』はいつ左翼雑誌になったのか」というものでした。
これについては同じ文藝春秋社から発行されている『諸君!』12月号に私が批評していますので、
ご存じの方も多いかもしれません。
敗北的平和主義と左翼リベラリズムを代弁する二つの言論雑誌、
講談社の『現代』と朝日新聞社の『論座』が昨年廃刊となった後、
中道右派と見られていた『中 央公論』と『文藝春秋』が事実上
最左翼になったという皮肉な逆説を申し述べたものです。
今度も『文藝春秋』は早速に石破前防衛大臣に田母神論文への反論を書かせています。
アメリカの核の傘の無効化、日米安保の見直しに必要、
核武装論議ほか我が国の軍事的自立への努力の表明、などの切実な現実正視をできるだけ逃げたい人々が
問題先送り心理に浸っていて、憲法九条死守とアメリカ依存心理を結びつけ、
左翼と親米派が手を組むというのが今の大雑把な現状維持派の構造なのですが、
『文藝春秋』はそれと戦うという姿勢をいつの間にか失ってしまって、
そちらのサイドに立ったように私には見えてなりません。

この国の「ビンの蓋」
文藝春秋の社内のある幹部の方から、「半藤一利、保阪正康、立花隆氏などを起用するのは、
『文藝春秋』のビンの蓋だからだ」ということを私は聞きました。
うまい言葉だ、と思ったものです。文藝春秋の社内からの発言ですから、
会社の体制に疑問を持っている人がいるということを物語っていて、
その点まだ救われた思いがしています。
「ビンの蓋」というのは、ご存じのように1990年3月、
スタックポール在沖縄米海兵隊司令官が「在日米軍は日本の軍事大国化を抑える『ビンの蓋』だ」と
使った言葉です。ですから、『文藝春秋』がきわ立つ保守系雑誌にならないための「ビンの蓋」、
つまり『文藝春秋』は朝日新聞のサイドに立ちますよという宣言のために半藤一利、
保阪正康、立花隆氏らをしきりに起用 しているというわけです。  
さらに田母神論文にまつわる発言で驚いたのが、自衛隊出身者のものです。
元来、保守だと思っていた方々、例えば森本敏氏らの発言には驚かされました。
「え?この人が?」という言葉が自衛隊出身者の口から出て、一方では浜田防衛大臣の言動もあった。
つまり、「自衛隊はいつ左翼になったのか」という驚きです。
自民党が? 『文藝春秋が』が? 自衛隊が? というのは、
私たちにとって驚きであり、深刻な事態でもあります。
これが外国などの外からの圧力があっての 反応でしょうか。心の内側からの自己規制ではないでしょうか。
この国全体が何かを必死で押さえていて、それに対して「ビンの蓋」が必要であるという
「空気」がもたらした事態でしょう。
すでに「ビンの蓋」は取れかかっているからこそ、その役割を果たしている知識人が必要なのだと、私は見ています。
私は「ビンの蓋」を早く外して、言論界は現実を直視する人が主流になっていくべきだと思っています。
問題視すべきは「九条の会」でも「姜尚中」でもありません。彼らはもう底が割れています。
『文藝春秋』を占領し、半ば保守の顔をしていて、
そのじつ朝日新聞やNHKや共同通信などとしっかりつながっているような知識人が
この国の「ビンの蓋」になっている、ということをよく知らなければならないのです。

天皇陛下の御意向
もう一つ、自民党や『文藝春秋』や自衛隊だけがおかしいのではなく、
皇室はどうなのかという問題があります。皇室で何かが起こっているのではないか。
それは、平成20年12月9日の天皇陛下がご心痛と内心の怒りを洩らしたお言葉についての宮内庁長官発言、
それに口答えするかのような東宮大夫の発言からも窺えます。
宮内庁長官の発言は天皇陛下の意を受けての言葉と考えてよいでしょう。
天皇陛下のご意向を無視して長官が勝手に見解を述べるはずはありません。
直接に発表することができない天皇陛下の胸のうち、真意を表したものだと言えます。
その宮内庁長官発言は、私が『WiLL』平成20年5月号に書いたものとほとんど同じ方向にありました。
非常にソフトにカモフラージュして述べられていますが、
内容的には『WiLL』に書いてきたようなことを天皇陛下がご心配されているのだと考えてよいと思います。
この長官発言は断片的に報道され、新聞によって内容が少しずつ異なるので、
陛下のご心痛が国民にいまひとつ伝わっていないように思います。
文書Aとして掲載しておきますのでこれを基礎資料としてください。

文書Aの(3)には、
《妃殿下の適応障害との診断に関し「皇室そのものが妃殿下に対するストレスであり、ご病気の原因ではないか」、
また「妃殿下がやりがいのある公務をなされるよ うにすることが、ご快復の鍵である」
といった論がしばしばなされることに対し、
皇室の伝統を受け継がれて、今日の時代の要請に応えて一心に働き続けてこられた両陛下は、深く傷つかれた》
という、このうえなく重要で、相当に思い切った表現が示されています。
ここで言う「皇室そのものが妃殿下に対するストレス」といった論を叙べ立てたのは、
『文藝春秋』平成20年4月号の斎藤環医師が最初です。
斎藤氏は「適応障害」とは環境に適応できないのだから、環境が変われば病気は治る、という見方を一貫して披露し、
数年間をヨーロッパで暮らすような処方箋を提案していました。
精神科医の香山リカ氏も同じ意見でした。医師ではありませんが、
都副知事の猪瀬直樹氏も外国長期滞在を勧めていました。
このような考えがあちこちに見られることに、両陛下は「深く傷つかれた」と仰せられているのです。
これは皇太子ご夫妻にもっと自由を与えよ、という医師をはじめとする多方面の、
妃殿下を弁護する一連の論調に対して向けられた両陛下の感想といってよいものですが、
形を変えた妃殿下に対する批判、ないしご叱責であると私には読めます。
さらに、「妃殿下がやりがいのある公務をなされるようにすることが、ご快復の鍵である」
というもうひとつの意見ですが、これは東宮医師団、つまり大野裕医師が最初から言っていることです
(平成17年12月「東宮職医師団の見解」)。
このような認定と議論こそが、両陛下を傷つけたと宮内庁長官、つまり陛下が述べていらっしゃるのです。
好きなことだけやるとか、忍耐を要する宮中祭祀はやらないとか、だから講書始も歌会始も出ないとか、
外国訪問もブラジルとトンガには行かないがスペインには行きたかったり、
チャールズ皇太子が来日されたら大喜びでお迎えするというような、
ご自分のやりたいことだけやるというのは皇室のご公務の本来の姿ではありません。
ご病気を理由にいつまでつづくのか、それが多くの国民の苛立ちや疑問の元でもあります。

医療体制への苛立ち
さらには、次のように続きます。
《皇太子妃殿下のご公務、及び皇太子殿下の新しいご公務については、
殿下の記者会見における公務見直しのご発言のあった直後、
両陛下から、当時の宮内庁長官、前任の長官、参与などが、両殿下のご意向をよく伺って、
ご相談に乗るようにとのご依頼を受け、
御前にも出て[西尾註/皇太子殿下妃殿下の]、いろいろと申し上げているが、
今も、具体的なご提案をお待ちしているところである》
つまり、深く傷つかれた両陛下は、両殿下に対して「新しい公務とは何か」
「いったいどうしたいのか」問い続けてきたけれども、
いまだに公務見直しの内容について具体的な返答がない、ということに苦言を述べられたのです。
これは国民もよく承知のことでしょう。
そして、長官発言資料(4)において、医療体制についても見解を述べておられます。
資料中に「東宮職」とあるのは野村一成東宮大夫、
「皇室医務主管」とあ るのは宮内庁側の医師・金沢一郎氏です。
また、「東宮医師団」とは慶應大学教授の大野裕医師のことで、
妃殿下の治療に当たっているのは周知の通りもっぱらこの方お一人です。
《皇太子妃殿下の健康診断の問題であるが、従来、妃殿下のご病気の性格上、
また東宮職の意向もあり皇室医務主管が直接に妃殿下の健康管理にかかわることは、差 し控えてきた。(中略)
今、すべきこととして、今後は、東宮医師団が直接の責任者となり、
両殿下の定期的な検診の実施、検査結果の把握などに当たってもらうことを考えている。
もとより、東宮職から依頼があった際には、医務主管が万全の協力を行うことは申すまでもない》
つまり、これまでは責任の所在が不明確で、宮内庁側の医師が病気の性格上遠慮して、
直接関与を差し控えてきたため、情報が把握できなかったと語り、
心配と 苛立ちを隠しません。ポリープのことなどで話題を散らしていますが、
今後は「責任」を明確にするようにと求め、必要があれば宮内庁側の
「医務主管」が介入する用意があるということを遠まわしに述べておられます。
ここで「責任」とか「責任者」という言葉が使われていることに注目する必要があります。
つまり、東宮医師団の責任の所在はどこにあるのか、ということをあ らためて問い詰めている形で、
裏返せば、大野裕医師が独占している今の医療体制はおかしいという疑問を披露し、
不満を表明しているものと解することができます。
大野医師の私的独占行動だけではもうどうしようもない状況にきているということです。
私はそれについて、「医師を複数に」という提言をこれまで何度も書いてきましたが、
いまだそれはなされていないようです。
東宮職医師団が雅子妃のご病状を「適応障害」と発表した平成17年12月当時のことを思い出してください。
当時も、宮内庁長官は「実は私も皇室医務主管も妃殿下にお目にかかっておりません」と明かし、
「私どもがご快復に尽力できる状態になればと思っています」と当惑を隠さないでいます。 
当時と今回の発言を見比べても、より宮内庁の苛立ちは募っているように思えます。

=================
文書A
〈天皇陛下の検査結果に関する医務主管等の説明及び
妃殿下お誕生日に係るご感想と東宮医師団見解を踏まえての宮内庁長官発言〉平成20年12月9日
天皇陛下には、かねて、国の内外にわたって、いろいろと厳しい状況が続いていることを
深くご案じになっておられ、また、これに加えて、ここ何年かにわたり、
ご自身のお立場から常にお心を離れることのない将来にわたる皇統の問題をはじめとし、
皇室にかかわるもろもろの問題をご憂慮のご様子を拝しており、このようなさまざまなご心労に関し、
本日は私なりの所見を述べる。
(1)さる9日、 皇太子妃殿下のお誕生日に際し、妃殿下のご感想が発表された。
この中で、妃殿下ご自身が「天皇、皇后両陛下には、これまで私の体調についてご心配くださり、
温かくお見守りいただいているお心遣いに深く感謝申し上げます」とお述べになっているように、
天皇陛下は、皇后陛下とともに妃殿下の快復を願われ、心にかけてこられた。
この数年、一部の報道の中に「両陛下は、皇太子妃殿下が公務をなさらないことを不満に思っている」
「両陛下は、皇太子、同妃殿下がオランダに赴かれたことに批判的であった」といった記事が散見されるが、
妃殿下がご病気と診断されてこの方、両陛下からこのたぐいのお言葉を伺ったことは一度もない。
(2) この間、両陛下がずっとご心配になっておられたことは、
妃殿下の適応障害のみならず、妃殿下の更に広義におけるご健康のことであった。
昨年皇太子殿下がポリープの切除手術を受けられたが、その時、両陛下はポリープの大きさに驚かれ、
相当期間検査がなされていなかったことに強い不安を持たれた。
以後、殿下が 定期健診を避けられることのないよう、願っておられる。
皇太子妃殿下についても、現状のご病気のことと共に、
妃殿下ががんをはじめさまざまな成人病にかかりやすい年齢におられることを深く案じておられ、
健康チェックを定期的になさるよう、また、そのことに誰かが責任を持ち、
妃殿下の健康をお守りすることを 願っておられる。
(3) 次に、妃殿下の適応障害との診断に関し
「皇室そのものが妃殿下に対するストレスであり、ご病気の原因ではないか」、
また「妃殿下がやりがいのある公務をなされるようにすることが、ご快復の鍵である」
といった論がしばしばなされることに対し、
皇室の伝統を受け継がれて、今日の時代の要請に応えて一心に働き続けてこられた両陛下は、
深く傷つかれた。
その中でなお、お二方のために、両陛下として何ができるか、
宮内庁、掌典職と何をはかっていくべきかを考え続けてこられたことを指摘したい。
皇太子妃殿下のご公務、及び皇太子殿下の新しいご公務については、
殿下の記者会見における公務見直しのご発言のあった直後、
両陛下から、当時の宮内庁長官、前任の長官、参与などが、
両殿下のご意向をよく伺って、ご相談に乗るようにとのご依頼を受け、
御前にも出て、いろいろと申し上げているが、今も、具体 的なご提案をお待ちしているところである。
(4) 最後に、上記(2)の皇太子殿下の健康診断の問題であるが、
従来、妃殿下のご病気の性格上、また東宮職(編集註/野村東宮大夫)の意向もあり、
皇室医務主管(編集註/天皇皇后をはじめ皇族の医師で天皇のご病状会見の中心人物であった金沢医師)が
直接に妃殿下の健康管理にかかわることは、差し控えてきた。
医務主管が検診の種目を指示し、検査結果を把握することがなし得ず、
このことが、結果として妃殿下のみならず、
殿下の定期健診の責任を誰が持つかを不明確にし、また、ご検査を間遠にし、
ポリープのご手術の時のように、両陛下に非常なご心配をおかけしてしまった。
このことだけは繰り返してはならない。今、すべきこととして、
今後は、東宮医師団(雅子妃殿下が依頼したとされる慶応義塾大学の大野裕医師の他は
人数も不明)が直接の責任者となり、両殿下の定期的な検診の実施、
検査結果の把握などに当たってもらうことを考えている。
もとより、東宮職から依頼があった際には、医務主管が万全の協力を行うことは申すまでもない。
(結語)今年は、毎年行われるいろいろな行事に加えて、
4年ごとに開催されるオリンピックやパラリンピック、50周年、100周年、150周年、
さらには「源氏物語千年紀」など、さまざまな事項の節目の年に当たり、
記念行事や、式年祭が多かったこともあり、通常の年に比較して、お忙しい一年であった。
かねて、私は、天皇陛下が75歳びお誕生日をお迎えになり、平成の御代(みよ)が20年を超えるこの機会に、
ご負担の軽減を進めさせていただきたいと考えてきたが、一昨日の医師団の判断にかんがみ、
当面の対応として、陛下のお疲れを減らし、ストレスになりそうな状況をできるだけ減らすために、
ここ1ヵ月程度は、ご日程を可能な限り軽いものに致したく、
天皇誕生日やもろもろの年末年始の行事などについて、所要の調整を行いたい。

=================
東宮大夫の「口答え」
この宮内庁長官発言に対して、三日後の12月12日、驚くべき東宮大夫の発言がありました。
文書Bとして全文を掲載しておきます。
《両陛下が妃殿下の適応障害との御診断に関して、
「皇室そのものが妃殿下に対するストレスであり、御病気の原因ではないか。」
といった論がなされることに対して、深く傷つかれたとのことでございますが、
このような論に対しては、妃殿下御自身も深く傷つかれたことと思います》
これではまるで「口答え」です。
天皇陛下が心配して下さったことに対してはありがとうとは述べていますが、
天皇の大御心を傷つけたことに対しては何も言及していません。
本来であれば、不徳の致す処であり慙愧に堪えない、と皇太子殿下のお言葉をもって
謝罪の意を伝えることから始めるべきでしょう。
東宮大夫は「その点については妃殿下ご自身が深く傷つかれている」という言葉遣いです。
これは単なる混ぜっ返しです。この発言を私は信じられません。
天皇陛下が深く傷つかれたという発表があれば、
「我が身の存在が陛下のお心を悩ませたまいし」と自分を呪うのが妃殿下のあり方です。
「我が身にとって許されざることでございます」という姿勢でなくてはならない。
その言葉があって何か言うなら、まだ許せますが、そのような配慮はまるで見られない。
「陛下が傷つかれた」と言ったら「私のほうが傷ついたのよ」と、
こう言っているわけです。何をかいわんや、です。
たとえ父子とはいえ、東宮は国民の前で礼儀の型を守ってみせなければなりません。
東宮大夫はその演出をしてみせなければなりません。
平成の皇室は国民が期待しているそのような「型」を失ってしまったのでしょうか。
これについて、複数の週刊誌が「千代田(皇居)と赤坂(東宮)の対立」という構図で取り上げました。
ただし、そのような週刊誌報道があったためか、宮内庁は文書Cのような発表を行いました。
どのような経緯で、宮内庁がトーンダウンしたのかはわかりませんが、
当初の長官発言、そして東宮大夫の会見から素直に読み取れば、
私が今述べたような詠み方になるかと思います。
いずれにしても、天皇陛下はご自身のご病気もおありになり、さらに皇統の問題でお悩みのため、
皇太子殿下、雅子妃殿下に宮内庁長官を使って、玉を投げたのです。
これに対して、皇太子殿下が二月のご誕生日の会見でなんとおっしゃるか。
まさか、「雅子が」「愛子が」とばかりはおっしゃれないと思います。皇太子殿下がどのようにお考えを述べられるか、
私も国民の一人として期待しています。

=================
文書B
〈宮内庁長官発言を受けた野村東宮大夫の発言〉平成20年12月2日
私の方から、昨日の長官の会見でのご発言について一言触れます。
長官のご発言は、先般の陛下の御不例とその後の医師団の判断を受けて
長官が個人的な所見を述べられたものと理解しており、
その中には、皇太子同妃両殿下にかかわる部分がありますが、
これについて私が私の立場で(長官と)同様に個人的な所見を述べることは控えます。
ただ、はっきりとしていることとして指摘しておいた方がいいという点がいくつかございます。
一つは妃殿下の病気治療に対して両陛下から賜っておりますお心遣いとお励ましを
妃殿下が心から有り難く思っておられるということでございます。
もう一つは、両陛下の御健勝を両殿下が常に強く願っておられ、
この度の陛下の御不例に対しては心から御案じ申し上げ、
お早く御回復されることを願っておられるということでございます。
それから両陛下が妃殿下の適応障害との御診断に関して、
「皇室そのものが妃殿下に対するストレスであり、御病気の原因ではないか。」
といった論がなされることに対して、深く傷つかれたとのことでございますが、
このような論に対しては、妃殿下御自身も深く傷つかれたことと思います。
妃殿下は皇室の伝統も御公務も大切に考えておられるわけでございます。
それらを十分に行うことができるようになるよう御治療に鋭意努めておられます。
両陛下に両殿下の健康診断のことでお心遣いを賜っていることを両殿下は有り難く思っておられると思います。

=================
文書C
宮内庁発表〈宮内庁長官発言と東宮大夫の記者会見をめぐる最近の皇室関連報道について〉平成20年12月24日
最近の皇室関連報道において、羽毛田宮内庁長官および野村東宮大夫の記者会見での発言を取り上げ、
東宮大夫が宮内庁長官に対し、皇太子妃殿下が長官発言に傷つかれた、
あるいは妃殿下の方がより傷つかれている旨の反論を行ったなど、
あたかも宮内庁内部が対立しているかのうに報道する記事が見受けられます。
しかし実際は、宮内庁長官は、「皇室そのものが妃殿下に対するストレスであって、
ご病気の原因ではないか」といった論調がしばしば報道等で見られることに対し、
両陛下が深く傷つかれた旨発言し、東宮大夫も長官の発言に同調し、
このような論調には妃殿下も深く傷ついている旨述べたものです。
また、皇太子妃殿 下が長官発言に傷つかれた、
あるいは妃殿下の方がより傷つかれているとの東宮大夫からの発言は一切ありません。
したがって、東宮大夫が公の場で宮内庁長官に反論したとし、
あたかも宮内庁内部が対立しているかのような報道は全くの誤報です。
宮内庁としては、報道各社に対し、客観的事実に基づいた記事を掲載するよう要請してきているところですが、
本件につきましては、宮内庁ホームページを通じ、正確な事実につき、直接、国民の皆様にもお知らせいたします。

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『文藝春秋』2月号への疑問
『文藝春秋』2月号が保阪正康氏の筆で「秋篠宮が天皇になる日」という大胆な論文を掲げましたので、
一読後の感想を述べておきます。「総力取材」とか「核心取材」といった語が踊っていますから、
よほど確かな見通しのある証拠や証言に基づく記述かと思って読みましたが、
必ずしもそうとはいえません。国民が抱く皇室への不安の唯中でのこのタイトルの論文ですから、
当然、現皇太子が継承をとり止め、秋篠宮が次の天皇になるというかなり確かな取材中の証拠か、
感触かを得ての執筆だろうと思ったのですが、私の読み落しかもしれませんが、そういう風にも読めません。
あるいは言外に確実な見通しを語っているのかな、と反芻しましたが、
やはりそうとは思えません。内容はこれまでにも報道されてきた兄弟の比較です。
天皇皇后にも周辺の人々にも気配りと配慮のある弟君に比べ、
次第に存在感が薄くなっている皇太子像が描かれています。
社会性のある秋篠宮の見識や能力の高さは多分論文に書かれている通りであろうと思います。
明日天皇になっても大丈夫だ、といわんばかりの好意と敬意を込めて描かれた
秋篠宮の人間像はよく分かりました。私もこれで安心しました。
しかし、こうした特別論文をわざわざ掲げた意味と目的が単にその程度のものなら、
何もこんな驚かすようなタイトルを付けなくともよいのにと思いました。
次 の天皇、第百二十六代の天皇が秋篠宮であってもよいと言おうとしているのか、
あるいはあるべきだと言おうとしているのか、その辺が判然としません。
もし後者であるなら、私が本論で考察した妃殿下のご病気と公務の問題、
皇室のストレスという医師の認定が陛下を傷つけているという新たに分かった事実、
「新しい公務」への陛下の拒否感情、大野医師ひとりに頼る医療体制の不自然に対する
陛下の責任追究の意識・・・・・・等々を『文藝春秋』も取り上げ、
正面から見据えて究明し、雑誌としての態度表明をするべきではないのでしょうか。
目次に「天皇の心痛と怒りの核心は?」とあるのですからなおさらです。
秋篠宮が次の天皇であるべき理由は、これらの諸問題が風雲急を告げている結果にほかならないからです。

天皇の現実の苦悩
まず何よりも皇位継承の不安に関する天皇の苦悩にわれわれは目を向けなければなりません。
天皇の苦悩は、皇室問題は国家の問題だという認識に立っています。
その認識は私たち国民も天皇と共有しています。
そしてそれは現実のきわめて厳しい問題です。厳しくしてしまっているのは皇太子ご夫妻です。
『文藝春秋』2月 号は現下の雅子妃問題についてひとことも触れていません。
秋篠宮の皇位継承を唱えるのはいいですが、
その手前にある現実の問題をどう解決しようとしているのでしょうか。
解決しなければならない諸案件、例えばいよいよここへ来ての天皇陛下への御聖断の要請、
皇室会議の招集の準備とか、手続き上の数多くの理由づけなどもきちんと考えた上で
「秋篠宮が天皇になる日」は書かれたのでしょうか。
単なる願望や希望を述べただけだというのなら少し無責任すぎます。
そして、例えば私の昨年の『WiLL』での発言を当てつけて
「一部のメディアの雅子妃バッシング」などと言い放つのは無礼であるだけでなく、
当の現実を見届けようとしてきた私の問題への対応を真に理解してもいないのです。
『文藝春秋』の当該論文は秋篠宮の昨日と今日についてよく調べて書かれていますが、
雅子妃をお可哀そうにと書く友納尚子さんの文章とどこでどう違うか、
よく分かりません。言いにくい問題からは逃げている点では同じに見えるからです。
田母神問題の言いにくい側面をも結局は逃げ、「ビンの蓋」に甘んじている
最近の『文藝春秋』の論文の性格は、ここにも現れているように思えてなしません。
しかし、そうではない、「秋篠宮が天皇になる日」だけは皇太子夫妻の廃位を前提としているのですから、
「ビンの蓋」をスパッと思い切って取り除いた決断的 行為であると言いたいのかもしれません。
であるなら、次号にも引き続き具体的で現実的なそこへ至る手続きについて、
御聖断を求める声があるならそれを、政界はじめ要路の人々の真剣な討議のための方法論や
事実報道を展開していただきたい。
時間が切迫していることを考慮し、そこまで本当に思い詰めての論考かどうかを疑う内容の一文を、
私は論文中の最後の部分に見出しました。
「私には天皇・皇后が皇太子・雅子妃に求めていることは、
まさに秋篠宮が実践しているようなコミュニケーションの回路を開くことではないか、と思われる。
なによりもまず、皇太子は雅子妃が病気のため難しいというのなら、愛子内親王だけでもいいから、
その手を引きながら、天皇・皇后のもとを訪れるべきではないだろうか:
こう書いているまだ呑気でいる保阪氏に、私は斎藤環医師の診断の示した一番の深刻さを
ご理解になっていないと申し上げたい。
医師は、治療のためには妃殿下 が参内を控える判断が妥当であるだけでなく、
皇太子が一人で参内するのも、愛子さまを連れて参内するのも、
彼女の孤立感を深め、精神状態にダメージを与えるからやってはいけないと言っているのです。
私はかつてこの部分を読んだときに、病気がこういうことであるなら、
ここから先はもはや国家の問題を優先させる提案以外に、
国民の一人としてはもう何もできないと思ったのです。
昨年『WiLL』5月 号に第一稿を書いたときの隘路に陥った私の絶望は深かったのです。
保阪氏はその絶望を潜っているように思えません。
従って深く傷ついたと語った天皇の苦悩と怒りも察してはおられないように思えます。
もしそうでなければ「秋篠宮が天皇になる日」がなぜ雅子妃問題を避けたのか、
皇室は日本国家の問題だとなぜ叫 ばないか、
どうしても理解できないからです。ただし、すでに確証をつかんでいて、
論文の標題は内裏の決定路線であるというのなら以上の批判は撤回します。

権力が機能しない日本
さて過日、私は「新しい歴史教科書をつくる会」の運動を長年されてきた南九州に住む友人から、
手紙を頂きました。友人のご長男は自衛隊員であり、海軍少尉くらいのポジションにおられるようです。
そのご子息は、エルキャックという戦車を3台も積める水陸両用の戦闘艦「ホーパークラフト」の艦長の訓練を、
歓び勇んで受けているそうです。 
しかし、その艦長になるためには「特別防衛秘密」、略して特防の資格を持っていなければならないそうです。
8年前には簡単に下りた特防の資格が、もう1年以上、下りないでいるらしい。
ある一等陸佐の話では、「今の自衛隊は腐っているよ。
両親がシナ人であろうが朝鮮人であろうが幹部への登用はフリーパスだが、
右翼は駄目なんだよ」ということだそうです。
友人は「どうも私が原因で息子の特防が下りないらしいのです」として手紙を締めくくっています。
自衛隊はもともと保守運動をしている人たちの魂の拠り所で、
逆に自衛隊にとってみれば保守運動をしている人たちは大事な支持者であるはずです。
これはとんでもないことが起こっているな、と私は心配しています。
田母神前空幕長にお聞きしたところ、「んー、そんなことが・・・・・・」と
まさに寝耳に水というご様子ですたが、
先頃まで当事者だった方にもよくわからないところで事態は進行しているのかもしれません。
もちろん、これは一つの邪推にすぎません。
しかし、こういうヘンなことが起こっているのと、まさにシンクロするように
「村山談話」の思想を体現しなければ自衛隊幹部になれないという教育が今、行われようとしているのです。

国際法は河野太郎私案が元
もう一人、私の友人で地方議員をしている60代の方が以下のようなことをお書きになっていました。
《外務省の中にチャイナスクールがあったのは去年までで、
今はそれが拡大して政府も防衛省も全部がチャイナスクールになりました。
「つくる会」と自衛官だけがそれに犯されて侵されていない。
今度の国籍法の改悪問題ですが、国の崩壊は一挙にくるのですね。
ある朝、我が家の前の刈り取り終わった田んぼの中に10以上のテント村が出現し、
地主が咎めたら殴り倒され、駐在さんは手が出せない。
翌日、テントは50に増える。今度は警察署が来ても手が出せない。
その晩、周辺の民家が襲われ、それを知った住民は大挙して避難を開始する。
翌朝、その地域全体がチャイナ人に支配される。1週間後、周辺の自治体が支配される。
海岸から楽々チャイナ軍が上陸してくる。
自衛隊は駐在地を明け渡す。1週間後、中日合邦がなったことが発表され、
かつて反チャイナの言動をした人がどこかに連れて行かれたままになる。
アメリカ軍は飛行機や船で全員が帰国する。まあこんな悪夢を見るこの頃です》
決してこれが明日すぐ現実になると言っているのではなく、私の友人の悪夢にすぎません。
しかし、笑っていられないのも事実です。今の政治家の質の劣化が、
このような悪夢を引き起こす可能性をつねにはらんでいるからです。
 国籍法の改悪問題にしても、平成20年11月14日の閣議で国籍法の問題点を見逃してしまいました。
そこで問題にしていれば、この法律は止められたのに、
吟味もせず通過させてしまいました。辛うじて付帯条件でDNA鑑定をするかどうかを検討するとしていますが、
付帯条件は法的効力がなく、犯罪が多発したときの改正案に役立つにすぎません。
周知のとおり最高裁が違憲判決を出したのを受けての国籍法改正でした。
憲法で「国籍の要件は国会で定める」となっているにもかかわらず、
最高裁は違憲判決のあと判決文に「『父又は母が認知した』に改める」まで書き込むなどして、
明らかに立法権を侵害していたのです。
しかしこれを疑問とした国会議員はいませんでした。国会議員は最高裁と聞いただけで金縛りになって、
自分たちの権限が侵害されても何とも思わない体たらくぶりです。
三権分立は立法府にもチェック機能を認めているはずです。今の政治状況は本当に恐い。
永田町から国家の根幹が次々と全部破壊されて行きかねません。
さらにまた、重国籍法が新たに問題になりかかっているのですが、誰もまだ気づいていません。
重国籍法とは、韓国籍や中国籍のまま日本国籍を取れるという二重国籍が許される法案です。
しかも、その二重国籍のままで、警察庁長官、公安調査庁長官、各県知事、
海上保安庁長官、東大総長、宮内庁長官と何にでもなれます。
二重国籍のままつくことができないのは、皇室、大臣、国会議員、外交官、判事、自衛隊の士官だけで、
他はよしとしているのです。
自衛隊でも下士官以下、実力行使部隊には二重国籍の人がつくことができます。
これを法的に許す法案を、河野太郎議員は座長私案として提出しているのです。
この体たらくの責任は、自民党政調会の下部組織である自民党法務部会にあります。
その中の「国籍法問題プロジェクトチーム」座長である河野太郎議員の私案がこの重国籍法の元になっているからです。

立法府の資格なし
この事態に敏感に気づいた議員が動き出していますが、彼らが嘆いているのは、
その部会に国会議員が何十人と出席していたにもかかわらず、
問題の存在に誰も 気づかないということです。ですから今度も座長一任で通ってしまう可能性があったといいます。
敏感な議員のおかげで辛うじて「待て」がかかっているという情況です。
これらの国籍法や重国籍法の問題は、外国人参政権を通そうとしてきた勢力が、
反対が多くてなかなか通らないために
裏の手を使い出していると見たほうがよいでしょう。先の二つの法案が通れば、
外国人参政権が通らなくても、事実上同じ効果が得られるからです。
以上のように、この国は本当に不思議な国で、国家を壊そう壊そうとする勢力が次々と沸き起こってきます。
そして、自由民主党はその歯止めにはならなくなったということです。
総理大臣もこの悪法(国籍法)を認識していなかった。
そもそも今の国会議員には法律をつくる能力がないのです。
官僚にそれを見透かされて、いいように操られています。
ここに人権擁護法が成立の日の目を見たら、警察以外の者が捜査権や逮捕権を握れるのですから、
何でもやれてしまうでしょう。
私は法務省を危険官庁と見ています。恐らく法務省に特定のイデオロギーを持つ確信犯的官僚がいて、
これまでの危うい法案のすべてを操作しているに違いない と睨んでいます。
今の国会議員は目の前にこれら官僚の姿を見ていながら、それを追究する意志も見識もまったくないのです。
日本は今、国家の分水嶺に差し掛かっているということを切実に感じないではいられません。

権力はアメリカにあった
なぜ、このような事態が起こっているのか。それは、この国に権力が存在しなくなってしまっているからです。
「権力の顔」をしている政治家が、たとえば森喜朗氏だとしたら、申し訳ないが、何とも様にならない。
権力が機能していると、それは当然ながら暗部も抱えているわけですから、恐い。
しかし、権力がしっかりしていれば、反権力も成立します。
権力も反権力もなくなったこの国は、自由でのどかでいいじゃないかとリベラル派は喜びますが、
それが様々な事態を統御できない国家崩壊の状況を生み出しています。心棒を失ってしまっているのです。
もちろん皇室は権力ではなく、権威です。皇室は権力から遠い位置にあるものであり、
しかし一方で権力に守られる存在です。
そして権力に敵対しない。権力に包容されて、権力の上に立つご存在が皇室です。
しかし困ったことにその権力はアメリカでした。そのことがはっきり分かってきた。
平成になって以降、冷戦の崩壊、マネー敗戦、そして失われた15年と言われる経済の衰弱の時代に、
日本はナショナリズムを失ってしまいました。
それ以前の時代には、日本は経済ナショナリズムを爆発させることができました。
プラザ合意(1985年)に至るまでは、アメリカは日本に手こずっていました。
日本は敗戦国ではなかったか。戦勝国は本当は日本だったのではないか。
これが、冷戦崩壊時のアメリカの激しい叫びでした。
その時、日本は状況打破のためにアメリカが何をしてくるかわからず、恐かった。私も恐かったことを覚えています。
そうこうしているうちに日本のバブルが崩壊したため、アメリカは矛を収めました。そして日本を恐がらなくなった。
アメリカが日本を忘れたかのごとく振る舞うようになりました。
 
アメリカの忠犬ハチ公
日本はその後も潰れたわけではない。着実に、強く、日本人の暮らしは続いています。
しかし、パワーの爆発力は落ちました。
これを、私はよかったとさえ思っていた時期があります。
というのは、これ以上、アメリカを追い込んだらわが国はやられてしまうのではないか、
という不安な状況が90年代前後にあったからです。
そしてアメリカは日本を無視するようになった。「ジャパン・パッシング」という言葉さえ生まれました。
本当ならば、あの時、日本はナショナリズムを爆発させるべきでした。
つまり、経済ナショナリズムが駄目になった後、わが国に政治ナショナリズムや外交ナショナリズムがあれば、
国家としてこれからも持ちこたえる基盤ができたでしょう。しかし、結果が逆でした。
わが国はアメリカの従属国になり、おとなしい忠犬ハチ公になってしまいました。アメリカに服属しながら、
気力のない総理大臣を1年ごとに取り替えても、どうしようもない。なぜなら権力はアメリカにあるからです。
権力が国家にないからこし、誰が権力者になろうが関係ない。
アメリカに従順で、国民の富をアメリカに捧げることにうまく立ち回ってくれる人が権力者であれば、
かえって便利でのどかに暮らせると、この国は20年間それでやってきてしまったのです。
いよいよそのツケが廻ってきました。アメリカはなぜ、中国に顔を向けたのか。 
9・11同時多発テロの前までは、「中国包囲網」が着実に進んでいました。
ブッシュ政権の最初のプログラムだったのです。
日本もオーストラリアと手を組んで、中国包囲網に参加する。
アメリカは中央アジアにまで軍事力を発展させ、ロシアの南下を防ぐ。
そして中国を包囲する封鎖体制をアメリカは着実に作っていました。
ところが、9・11同時多発テロが起こってから、状況は一変しました。
アメリカは「テロとの戦い」を看板に掲げ、中国には弱腰になりました。

アメリカの変心の理由
このアメリカの変心には、同時多発テロ以外にもう一つ、要因があります。
それまでは日米経済同盟がうまく運営されていました。今もなお根強く存在していますが、
そもそもはこの経済同盟が世界の富の半分以上を押さえていました。

ニクソンショックで金本位体制を捨て、基軸通貨国となってから、
アメリカはドル札を自由に刷ることができるようになった。
その基軸通貨国としての特権は、 軍事力と資本の力と企業の技術力、
そして映画や音楽、ITなどの文明の最先端を走る国であるという
アメリカの強さに支えられていました。
しかもそれを裏で買い支えたのはわが国でした。ですから日米経済同盟はうまく機能し、
そのおかげで日本も発展し、繁栄していたのです。 
ところがある時期からアメリカは、日本がドル国債を買い支えることに限界がきたと気づきました。
その頃からアメリカは中国に目を向けています。
ですから、冷戦の崩壊と同時に、アメリカは中国に顔を向けていると言えます。
クリントン政権を見れば明らかでしょう。
ただし、アメリカが中国を信用しているかどうかは、まだわかりません。
それでも日米同盟の代わりに、米中共同体制を築いています。
中国が元の切り下げを 行っても、今までしきりに切り上げを迫っていたアメリカは文句の一つも言えません。
日本は頼りにならないし、中国しか米国国債を買ってくれる国はないと思っているからです。
それくらいアメリカは中国を頼みの綱とし、同時にアメリカは弱くなったということです。

北朝鮮も「ビンの蓋」
アメリカが無力であるという現実に、戦後はじめて日本はぶつかります。
もう何年も前から、日本の外交と軍事のお手伝いはしませんよ、というサインをアメリカは送っています。
それでも日本はのほほんとして、何かあればアメリカが守ってくれる、
アメリカが守ってくれる、アメリカが救ってくれると思い続けてきています。
これは平成20年間のわが国の大失態です。
その間、アメリカは北朝鮮という国をとことん利用しました。
北朝鮮があるおかげで、アメリカは簡単に日本を押さえることができたわけです。
アメリカは最初 から、拉致も核も解決する気がありません。
いえ、あったかもしれませんが、今となっては最初からなかっただろうと言われても仕方がない。
北朝鮮という国をいつまでも生かし続けることが、日本を押さえるために都合がよかった。
北朝鮮は日本の首根っこだからです。
日本は愚かですから、無力感にさいなまれています。平和が軍事力になっている時代です。
奇異な言い方かもしれませんが、平和の名において、戦争と同じ効果を発揮することができます。
核を持たないこの国は、自ら行動することができない。アメリカは平和の名において支配ができるということです。
アメリカも中国も平和の名において、日本をコントロールしているのです。
ですから私は、日本は六ヵ国協議を直ちに離脱すべきだと思います。これは北朝鮮をどうこうするものではなく、
日本を核武装させないための「ビンの蓋」なのです。
また、アメリカが北朝鮮のテロ支援国家指定を解除したのですから、
日本は自らが北朝鮮をテロ支援国家として指定すべきです。
こういうことをすることによってはじめて、行うべき課題に気がつく。
日本がテロ支援国家指定をしたところで、北朝鮮からはあざ笑われるでしょう。
その時に、この国は自らの本当の無力に気づき、恥を覚えるはずです。

アメリカの衰退と皇室
平成の20年 間はアメリカの衰退、ドルの乱発による経済危機の醸成がなされていたわけで、
わが国は少しずつ来たるべき時に備えて、準備をしなければならなかった。
日本人が精神的に自分を守る糧としていた経済ナショナリズムがなくなってから、
それに代わる何かを見つけることが必要だったのです。
守るものがなくなった時、人間は楽なものです。安堵感さえ広がります。
こんな快楽はないので、そこに甘んじてしまいます。
アメリカはニヤニヤ笑いながら、日本を快楽に溺れさせる政策をとっているのです。
責任を持って自分を律するというのは辛いことです。
しかし、その困難を乗り越えて日本人が自らを何かで守るということがなければ、
屈服し、屈辱的な立場に甘んじたままです。
今、世界の多極化ということが言われます。これは一言で言えば、パックス・アメリカーナが終わったということです。
ロシアとフランスが急接近しているのは、露仏同盟のようなものです。
かつての三国協商や三国同盟のような世界になっているのです。
おかげで我々にも、見えないものが見えてくるようになりました。
日本は戦前の日本に立ちかえることが可能になった。
戦前のアメリカ、戦前のイギリス、戦前の諸外国と、戦前の日本は利害を争奪しあってぶつかっていました。
今その時代が再び近づいています。
外交と軍事はアメリカに預けっぱなしで考えることも放棄するというのは、いわゆる戦後思想です。
この戦後民主主義思想は、敗北的主義と言ってもよいでしょう。
これは自分の国のことを考えなさい、という状態ですが、これからは戦前のあの感覚が蘇ってきます。
そうしなければ生き残れないからです。
日本が自立しなければならないという状況の中で、国民と天皇陛下の関係、国民と皇室の関係は、
また新たな局面を迎えるでしょう。
それがどういうものになるのかは分かりません。
日本の権力はアメリカにあった。しかし、アメリカが衰退して権力としての体をなさなくなったとします。
その時、日本の皇室はどの権力がお守りすればよいのか。
日本の中枢以外に権力がどこかへ移行するという最悪の状況が私は恐ろしくてなりません。

2016春の園遊会雑誌記事

今夏からご多忙になられて
雅子さま、秋の園遊会に”意欲” 13年ぶりに和装でのご出席か
2016年05月10日(火) 14時36分
〈週刊女性2016年5月24日号〉
4月27日に東京・赤坂御苑で開かれた『春の園遊会』に出席された皇太子妃・雅子さま。
園遊会は毎年、天皇・皇后両陛下をはじめ皇族方が、各界の功労者をねぎらう2000人規模の行事で、
昨秋に続いての雅子さまのご参列も注目されていた。
今回も前回と同様に雅子さまは冒頭の10分弱のみの出席となり、
園遊会後の“宴”にも駆けつけられたという。東宮職関係者が説明する。
「雅子さまは途中退席した後、東宮御所で休憩し、散会後に赤坂東邸で開かれた小宴に参加されました。
園遊会の後は、御用地内の施設で両陛下をはじめ皇族方が休憩をとり、
最後に皇居に帰る両陛下をお見送りすることになっています。
雅子さまは今回も出席され、和やかな雰囲気で終わったそうです。
美智子さまのお喜びも、ひとしおだったのではないでしょうか」
美智子さまのそんな期待を背負われながら、次回の『秋の園遊会』が雅子さまにとっては“正念場”となる。
すでに『週刊女性』でも報じたが、次回と次々回の“ドレスコード”は、
雅子さまが苦手とされる「和装」の予定になっているからだ。
しかし、雅子さまはすでに意欲をにじませているようで、こんな計画が持ち上がっているという。
別の宮内庁関係者が打ち明ける。
「今回、現場で若干の混乱があったので次回以降、
途中退出する際のご挨拶は園遊会の冒頭部分でしていただくことで検討が始まったそうです。
つまり、雅子さまの出席の可能性が高いということで、13年ぶりの和服でのご参列が期待できそうです。
4月の神武天皇式年祭の宮中祭祀でも、雅子さまは古式ゆかしい髪型や装束で臨まれたそうなので、
負担ではなくなってきているのでしょう」
折しも、検討されていた皇太子ご夫妻のベルギー訪問が、3月のテロの影響で、
取りやめの方向になっているようだが、今後の予定について前出・東宮職関係者が解説する。
「皇太子ご夫妻は、両陛下に続いて熊本地震の被災地に足を運ばれる可能性もあります。
9月前後には、両陛下から昨年引き継ぎ、秋篠宮ご夫妻と交互に担当する『こどもの日』と『敬老の日』の訪問で、
お年寄りの施設を視察されることにもなっています。夏から秋にかけて、ご多忙になると思います」
この秋は、そんな公務をやり遂げ、今回以上に充実した表情をされた「和服姿」の雅子さまを
赤坂御苑で拝見できることになりそうだ。
http://www.jprime.jp/tv_net/imperial_household/26999

突然の動きに職員も慌ただしくーー
雅子さま、春の園遊会で両陛下に”予定外”のご挨拶
2016年05月11日(水) 16時00分
〈週刊女性2016年5月24日号〉
4月27日に東京・赤坂御苑で開かれた『春の園遊会』での皇太子妃雅子さまについて内庁担当記者はこのように語る。

中座する直前、両陛下に笑顔で挨拶をされた雅子さま(4月27日)。ご休憩後、赤坂東邸へ
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「雅子さまは、オフホワイトの帽子とスーツ姿で、
前回ほど緊張した様子もなく、招待者に声をかけ途中で退席されました」
園遊会は毎年、天皇・皇后両陛下をはじめ皇族方が、各界の功労者をねぎらう2000人規模の行事だが、
熊本地震の影響で実は今回、開催を危ぶむ声も。
「両陛下は地震直後の静岡県訪問や歌舞伎の観劇をお取りやめになり、
余震が続き犠牲者も増えるなか園遊会も……という憶測も流れました。
しかし宮内庁の説明によれば、園遊会は自粛すべき華やかなものではなく、
国の功労者をねぎらう厳粛な行事ということで、予定どおり行われました」(同・記者)
タレントの黒柳徹子さんや元女子サッカー日本代表の澤穂希さんなどが招待されたが、
昨秋に続いての雅子さまのご参列も注目されていた。
「雅子さまは昨年の秋、園遊会に12年ぶりに参加されましたが長年、困難なご活動のひとつとされてきました。
多数の報道陣が待ち構えるなか、不特定多数の人にお声がけをしなくてはならず、
両陛下や皇族方との歩調にも気をつけ、和服を着ることもあるからです」(皇室ジャーナリスト)
そんな理由もあってか、昨年は冒頭の10分弱のみの出席だったので、今回はより多くの招待者との懇談や、
黒柳さんら「特別誘導者」が待つ場所までの参列が期待されていた。
「雅子さまは今回も昨年と同様、冒頭の式典に参加してから、苑道を数十メートル歩き、
招待者の一部と歓談し、会場を後にされましたが、その際にハプニングがありました」
と話すのは別の宮内庁担当記者。
「雅子さまは中座する直前に、前を歩き歓談されていた両陛下に挨拶をして退出されたのです。
これは昨秋にはみられなかったことで驚きました」
しかも、今回のご挨拶は“予定外”だったようだ。
「雅子さまは退出する直前に、儀式などを担当する式部職の女性職員に会釈をしたい旨をお伝えしたようです。
その職員が両陛下の先導役に伝令するなど、少し慌ただしい様子でしたね」(同)
両陛下と招待者とのご歓談が一段落するまで雅子さまは側で待ち、深々と頭を下げ、にこやかにご挨拶。
皇太子さま(56)や周りの招待者にも会釈をして、雅子さまは会場を後にされた。
一部には、「ご歓談中の両陛下に失礼ではないか」という声も上がったようだが─。
「それだけ、美智子さまへの感謝のお気持ちが、自然に湧き起こったということではないでしょうか」
と、雅子さまのお気持ちを読み解くのは、皇室を長年取材するジャーナリストで、
文化学園大学客員教授の渡辺みどりさん。
「美智子さまは常日ごろから陛下を支えながら、療養中の雅子さまに配慮してか、
園遊会のドレスコードを変更するなど気を配られています。
今回、中座されることも事前に両陛下のお許しがあったと思いますが、
そのようなことも含めた美智子さまのご配慮に感謝の念をもったからこそ、だと思います」(渡辺さん)
美智子さまも、突然のことに驚いたかもしれないが、雅子さまの「気遣い」と、「余裕」に喜ばれたことだろう。
http://www.jprime.jp/tv_net/imperial_household/26998

いちゃもん

「秋篠宮ご夫妻」銀婚式「架空対談」の波紋
 「紀子妃は可」の行間に滲んだ「雅子妃は不可」
あたかも、お身内から矢が飛んできた格好である。
6月29日にご成婚25周年を迎えられた秋篠宮ご夫妻は、異例の対話形式によるご感想を発表。
ともに歩まれた四半世紀を振り返り、お互いの「自己採点」までなさっていたのだが、
そこで思わぬハレーションが……。

 ***
その文書は、前代未聞のスタイルであった。銀婚式を迎えるにあたり、
秋篠宮さまと紀子妃が思い出を整理しつつ、話し言葉で感想を述べられているのだ。宮内庁担当記者が言う。
「記者会は春先からご夫妻の会見を宮内庁に申し入れてきましたが受け入れられず、
質問への文書回答も不可となった。結局、『ご感想』のみが発表されることで落ち着いたのです」
それでも、こうした形は全くの想定外だったようで、
「記者会にリリースされたのは26日の夜。A4の用紙に横書きで9枚というボリュームもさることながら、
その斬新さに驚かされました。何しろ、いきなり『今年は結婚をしてから25年が経つようです』と、
秋篠宮さまが紀子さまに呼び掛けられる形で始まっている。
これまで出された皇室のご感想の中で、ひときわ異彩を放っていました。
ご発言ごとに『文仁』『紀子』とお名前が記されており、冒頭の学生時代の『出会い』から、
『結婚の日と新居』や『子どもたちのこと』、
そして最後の『夫、妻、親として』まで、7章にわたって展開されていたのです」(同)
もっとも、対談は実際には行われておらず、ご夫妻がパソコン上で構成されたというのだが、
中でも目を引くのは、「子どもたちのこと」の章である。ここでは秋篠宮さまが、
〈先日、英国にいる眞子から父の日のカードが送られてきました。
普段は必要最小限の連絡事項をメールでしているだけなので、
妙にうれしい気分になりました。久しぶりだったからかな〉
と振り返られ、紀子妃は以下のようにご返答される。
〈すてきですね。私も眞子より母の日に羊の親子のカードを受け取りましたときは、胸が熱くなりました〉
さらに秋篠宮さまは、次女の佳子さまについても、こんな“素顔”を明かされていた。
〈珍しく一緒に買い物に出かけたことがありました。
父親にたいしてつっけんどんな態度のことが多いのですが、意外と優しいところもあり、
私が自由に選んだものについて、代わりに会計をしてくれました〉
ところがこの後、
〈もっとも、帰りに彼女にそのまま荷物を持たせていたら注意されましたけれどね〉
で、ここでも紀子妃は、
〈ほほえましいですね〉
そう相槌を打たれるのであった。
「留学中の眞子さまの優しさや、お父様に似て“導火線が短い”と
自認されている佳子さまのお振舞いの一端が如実に表れています」
とは、先の記者。
「ご夫妻は、もちろん悠仁さまにも言及されています。
秋篠宮さまが『悠仁もしばしば折り紙などの作品を届けてくれます』
『最近は、絵も上手になってきました』と述べられると、
紀子さまも『私たちの手許には、子どもたちの小さいときからの作品がいくつもあります。
どれも大事な宝物』と応じられているのです」
仲睦まじさが、文面から匂い立ってくるのだ。

■「ダブル受賞」と「満点以上」
もう一つ、驚きをもって受け止められた箇所がある。結びの「夫、妻、親として」の章で、
ご夫妻はこれまでの結婚生活を自己採点なさっているのだ。まず秋篠宮さまが、
〈さて、ときどき夫もしくは親としてどのように認識されているのか気になることがあります。
あなたも同様でしょう。最後に評価でもしてみませんか〉
持ちかけられた紀子妃も、
〈面白そうですね〉
そう意欲を示され、これに秋篠宮さまは、
〈あなたと子どもたちから私の評価を聞くことは、今までの自分の行いを考えると少し怖い気もするので、
今回はあくまで自己点検・評価でいきましょう〉
そして、ご自身を「優・良・可・不可」のカテゴリーに当てはめられ、
〈漠然としたメルクマールからすると、私の場合には
限りなくボーダーラインに近い「可」といったところでしょうか〉
紀子妃も続き、
〈私も仲良く「可」にいたします。いろいろな可能性を秘めている「可」ということでいかがでしょうか〉
と、上手におまとめに。今後はさらなる高評価を「努力目標」としていくことで一致なさり、
ご感想文は結ばれている。 

が、その自己採点は、まるで予期せぬ波紋を呼んでしまった。
ご成婚以来、一途に皇后さまをお手本とし、お二人の内親王を健やかに育てられ、
その上お世継ぎまで誕生させるという“実績”を以てしてもなお、自らを「可」と評された紀子妃。
これにより、比較の対象とされることの少なくない東宮家とのコントラストが
否応なく浮き彫りになってしまうというのだ。さる宮内庁関係者が危惧する。
「御輿入りされて以降、これほどまで皇室に“過剰適応”なさり、ご公務は言うに及ばず、
お世継ぎという最大のお役目まで果たされた紀子妃殿下が『可』であるならば、
雅子妃殿下のお立場などありません。もとより異なる家同士、単純に比較するわけには参りませんが、
ご成婚から22年。うちご病気での療養生活は11年余になります。
こうした点を踏まえると、ご夫妻がことさら自らを厳しく評した今回の対談の行間から、
『雅子妃殿下の22年間は不可』といったニュアンスを汲み取る方がいても不思議でないのではないでしょうか。
むろんご夫妻にそのおつもりがなくても、皇室の周辺でかように受け取った方がいたことは事実です」
思い出されるのは、かつて今上天皇が皇太子だった1984年、
やはり銀婚式を迎えられた際にご夫妻で臨まれた会見である。
皇室ジャーナリストの山下晋司氏が言う。
「記者から『お互いに点数をつければ何点くらいでしょうか』と尋ねられた陛下は
『点をつけるのは難しいが、まあ努力賞というか』と仰り、
皇后陛下も『私もお点ではなく、差し上げるとしたら感謝状を』と応じられました。
このやりとりは当時、大きな話題になったものです。
さらに両陛下は、09年のご成婚50周年の際にも会見され、
今度はお互いに『感謝状を贈りたい』とのお気持ちを表されていましたね」
こうした「相互採点」の伝統は、皇太子さまのご成婚10周年の際にも窺えた。
「03年の6月、皇太子ご夫妻は文書で回答を寄せられ、殿下は妃殿下を『いろいろとありがとう。と言いたい』
『努力賞と感謝状ならぬ感謝賞のダブル受賞ではないかと思います』と労(ねぎら)われました。
妃殿下もまた『(殿下は)満点以上でいらっしゃることは確か』と、大いに讃えられていたのです」(同)
これに比して「可」という今回の辛口評。先述した3例と異なり自己採点である点、
また秋篠宮ご夫妻が皇室でのご身位を勘案なさったであろう事情を措いても、なお衝撃を禁じ得ないのだ。

■過去にも「あてつけ」が
秋篠宮家の事情に詳しい、さる関係者が明かす。
「今回の対話形式によるご感想は、そもそも殿下のアイデア。
これを知らされた妃殿下も大いに乗り気で、例を見ないご感想文が公表されたわけですが、
“架空対談”と言ってもご夫妻は各自のパートを熟考されています。
時には同じ画面を覗き込まれ、またお忙しい時にはわずかな空き時間を利用し、
メモリーに入れたデータをそれぞれのお部屋に持ち込まれ、
個別に作業なさってきた。つまりは“完全合作”なのです」
お互いの厳しい採点も、「ひとえにご謙遜のお気持ちの表れでしょう。
何より、両陛下の銀婚式の時の“採点”を踏襲し、さらに努力を続けていくという、
紀子妃殿下の強いご意思が拝察されます」
とはいえ、何事も過剰は禁物。ご謙遜のあまり、より大きな問題を呼び起こしてしまった感は否めない。
「秋篠宮殿下は、一昨年のお誕生日会見で
『(子どもが)20代でも私たちは40代でいられるというのは良かった』と述べられ、
その前年には『私は余り子どもの学校のことをふだん聞くことはない』と仰った。
長らくお子さまに恵まれず、また授業参観などで愛子内親王をたえず気にかけてこられた東宮ご夫妻への、
いわばあてつけと見られかねないご発言でした。
今回も、そうした延長線上にあると捉えられても致し方ないのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)
折しも雅子妃は、2年2カ月ぶりとなる海外公務で、皇太子さまとともにトンガにご出発。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏も、
「紀子さまがお子さまを3人育てられ、多くの公務をこなされている中での『可』という評価は、
84年の両陛下と同じく、ご自身のお気持ちをひたすら抑えていらっしゃるのが明らかです。
自ら『150点の出来です』などとは仰れませんし、そこには嗜(たしな)みを感じます」
その一方で、「トンガから戻られた雅子さまが、この先どうなるかは誰にも見通せません。
先回りした予測など無意味で、結果がすべてなのです」
銀婚式まで3年。果たして、評価を“合格圏内”に滑り込ませられるだろうか。
週刊新潮 2015年7月9日号 掲載
http://www.gruri.jp/article/2015/07130815/

オール学習院父娘共演の裏で

女性セブン2014年5月1日号
オール学習院父娘共演の裏で
美智子さまとの距離広げる
雅子さま「母と愛子さま」の極秘面会
オール学習院“父娘共演の裏で”―

(略)
「私は結婚により、私が大切にしたいと思うものをともに大切に思ってくれる伴侶を得ました。
皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、
これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています」
昨年、80歳の誕生日を迎えられた陛下は美智子さまへの感謝の思いをこう語られた。
陛下は“象徴天皇”の在り方をを模索され、「国民とともに」という皇室を目指されてきたが、
その過程で美智子さまがいかに大きなものだったかが伝わる。
結婚55年目は“エメラルド婚”と呼ばれているが、
この4月10日、両陛下は夕刻に赤坂御用地内になる東宮御所を訪ねられた。
「両陛下の結婚記念日を祝う夕食会が東宮御所で行われました。皇太子ご一家、秋篠宮ご一家、
そして黒田清子さん夫妻とご家族に囲まれた両陛下は楽しい時間を過ごされたようです。
この記念の夕食会を心に残るものにしようと、プロデュースされたのは雅子さまです。
お食事は両陛下が希望なさった和食を準備され、プレゼントに絵画を贈られたそうです」(宮内庁関係者)
皇太子さまのお祝いの言葉で始まった宴。
「ご一家は両陛下のご成婚から、これまでのアルバムを広げられて、おふたりのこれまでを振り返りながら
談笑されたそうです。また、眞子さまの大学ご卒業や愛子さまの中学ご入学の話題になると、
両陛下は目を細められていたみたいですよ」(前出・宮内庁関係者)
雅子さまが尽力されたのは、もちろん両陛下に喜んでいただきたいという思いからだが、もうひとつ理由があった。
一部で報じられたように、両陛下が伊勢神宮参拝中に、私的なスキー旅行に出かけられた皇太子ご一家。
また愛子さまの春休み中にも、ご一家は私的な外出が目立ったため、非難の声があがっていた。
「美智子さまの耳にも、そういった声が届いており、
“ご体調がまた逆戻りしてしまったのではないでしょうか”と危惧されていたのです。
雅子さまは心配されている美智子さまに“大丈夫ですよ”という思いを伝えたかったのでしょう。
先頭に立たれてお祝いの食事会を盛り上げられたようです」(前出・宮内庁関係者)
雅子さまの心遣いに、ひとまず安堵された美智子さまだったが、
その直後、周囲を心配させてしまう行動を雅子さまは取られていた。
4月13日、学習院創立百周年記念会館で催された「オール学習院大合同演奏会」で、
皇太子さまと愛子さまの久しぶりの“親子共演”が実現した。
まず登場されたのは愛子さま。初等科管弦楽部の一員(中1まで)としてステージに上がられると、
初等科4年生のときの運動会で踊った思い出の曲「ソーラン節」を黄色い法被を羽織って演奏された。
「『ソーラン節』は観客も巻き込んで盛り上がりました。
両殿下も身を乗り出して聴き入っていらっしゃいました」(居合わせた観客)
(略)
そんな雅子さまと少し離れた会場の隅で、愛子さまのご成長を眩しげな眼差しでみつめている婦人の姿があった。
「雅子さまのお母さまである小和田優美子さん(76歳)が(雅子さまの)妹の渋谷節子さんと一緒に
1階席の後方で鑑賞されていました。2人には東宮女官の岡山いちさんがずっと側に付いていました。
そして、演奏会が終わると楽屋に向かい、雅子さまと愛子さまと合流されたようです」(前出・宮内庁関係者)
国際司法裁判所判事を務める小和田恆さん(81歳)とともに、オランダ・ハーグで暮らしている優美子さんだが、
4月上旬に夫とともに帰国していたのだ。
「娘はあちらさまに差し上げたのですから」
こう言って、美智子さまの母・正田富美子さんは娘が皇室に嫁いでからは身を慎み、
その一線を越えぬように生きた。
だが、一方の小和田家はこれまで何度も取り沙汰されたように、雅子さまとの近すぎる距離が問題となった。
「特に’03年に雅子さまが体調を崩された当初は、頻繁に東宮御所を訪れる様子がキャッチされています。
昨年の皇太子ご夫妻のオランダ公式訪問の際も、オランダ王室の根回しに奔走、
さらに宿泊先のホテルまで足を運んで大騒動となったのは記憶に新しいです。
そんな批判があるのを知ってか、最近では優美子さんが東宮御所に出入りする機会は少なくなっていたんですが、
結局は外で極秘の面会を続けていたんですね」(皇室記者)
両陛下が皇太子・同妃の時代には、週に1度は皇居に参内され、昭和天皇と香淳皇后から“帝王学”を学ばれた。
しかし、皇太子ご夫妻が両陛下と会われるのは、前述のような何かご用事があるときばかり・・・。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏はこう語る。
「今回の演奏会も取材設定こそありましたが、私的な外出です。そこで母親を呼び出し、
家族の時間を持たれているのだとしたら、皇太子妃としての自覚が希薄だといわざるを得ません。
演奏会に出席できるのなら、公務に足を運ぶことも可能なわけですから・・・。
結局、雅子さまが本当に頼りにされているのは誰なのか。
美智子さまにとって、雅子さまのご実家との距離の近さは悩みの種なのではないかと思いますよ。
雅子さまが自分に心を開いてくれれば、もっと助言もできるわけですから・・・」
雅子さまには、形ばかりではなく、心から美智子さまとのコミュニケーションの時間を持たれることを期待したい。

かくすればかくなるものと

選択 2013.07月号 
皇室の風 岩井克己 かくすればかくなるものと

「かくすれば、かくなるものと解っていただきたいと足を運ぶのだが、
世の視線が厳しくなっているということがなかなか解っていただけない・・・・」
かつて皇太子と直に語らった宮内庁幹部の嘆息を思い出す。
皇太子家に仕えたが雅子妃の信頼が得られないまま去った元側近は、
「殿下は解っておられるのでは。ただ、妃殿下と激しいやりとりとなるのは避けたいのだと思う」と語り・・・。

皇太子夫妻結婚20年の節目に、10年に及ぶ雅子妃の「体調の波」について、
ぜひとも夫妻あるいは主治医らから丁寧な説明や見通しを示すべきだと本連載などで書いてきたが、
目立った反応はなかった。
メディアには元側近や友人らがコメントや手記を寄せたが、多くは具体性を欠く主観的擁護にとどまった。
批判的報道を「バッシング」「ステレオタイプの批判」と決めつけ抑え込もうとするかのような主張には、
皇室全体が傷つき危機的状況を抱え込んでいることについての真剣な顧慮や見識はうかがえず、
腑に落ちる説得力はなかったように思う。
肝心の主治医からも一切説明はなかった。
本人とともに国民に向き合い、誠実に説明を重ねて理解を求めることこそ皇族を預かる主治医や
側近の心構えではないかと思うだけに遺憾なことだった。

皇太子夫妻のオランダ訪問の決定と発表の取り運びについて、
筆者は「不明瞭で稚拙だったと言われても致し方ない」と「ウェブ論座」4/30付で書いた。
学習院の学校行事には出席するが、各界の功労者を招く最大規模の宮中行事である園遊会は欠席し、
一方でオランダは訪問するという雅子妃の「体調」の矛盾の不可解さに、
国民の積年の疑問と不満が表面化しつつあると指摘し主治医の説明を促したが、空しかった。
オランダでは即位式典とレセプション一部への出席が実現し、雅子妃回復への期待が膨らんだ。
しかし外務省関係者とは接見する一方で、多くの一般在留邦人との接見は欠席。
そのうちの旧知の二人だけ呼び出して懇談する「選り好み」がみられた。

帰国後も「体調の波」は続いている。
皇后が名誉総裁を務め、皇太子妃にとっても最も大切な行事の一つである全国赤十字大会は当然のように欠席。
皇太子夫妻の重要行啓のひとつ「全国『みどりの愛護』のつどい」や
両陛下が皇太子時代から長年熱心に取り組み皇太子夫妻に後を託した青年海外協力隊員との接見も欠席。
アフリカ開発会議各国首脳夫妻との宮中茶話会、オランド仏大統領国賓歓迎行事、
晩餐会といった外国親善行事にも雅子妃の姿はなく、スペイン公式訪問も皇太子単独となった。
一方で学習院幼稚園再開園50周年記念式典や外務省の進講には夫妻で出席。
国立科学博物館「グレートジャーニー 人類の旅」展には「私的鑑賞」として取材をシャットアウトして出かけている。

6/16午前中の香淳皇后を偲ぶ命日の例祭に欠席、
一方でスペインから帰国した皇太子の出迎えには車寄せに笑顔で姿を見せた。
6/18宮城県被災地訪問を直前でキャンセル。
今春以来、被災地訪問は何度か計画されてはキャンセルを重ねているという。

野村前東宮大夫のインタビュー
二年前、東宮大夫の定例会見で筆者は野村氏に
「皇太子妃は精神疾患を抱え、ほとんどの公務が皇太子単独となっている。
被災地訪問は夫妻そろってということにこだわっているように見えるがどのようなお気持ちからか」と質問した。
大夫は不快そうに
「殿下御一人でも行けと言いたいのですか。大災害お見舞いという重い勤めは両殿下で、
というのは自然なお気持ちではないか」と答えた。
ほとんどの重要公務や祭祀が皇太子単独で常態化しているだけに違和感を覚えたし、
今も違和感は解消されていない。
今回の宮城県訪問も、野村氏のインタビュー記事が掲載されたのと時を同じくして
キャンセルという皮肉な巡り合わせとなり、皇太子単独での訪問という対応もされなかった。
この二年間、両陛下や秋篠宮家ほか他の皇族は何度も被災地に足を運んで避難所を訪れたり
復興・除染作業を励ましたりしているが、皇太子夫妻は一度も現地入りしていない。
雅子妃の被災地訪問は体調に負担なのか、なぜ皇太子は単独でも足を運ばないのか、
東宮職は納得のいく丁寧は説明をすべきだろう。

他の皇族は公人中の公人として、体調が公務に影響を及ぼす場合はその都度、必ず発表し説明することが定着している。
元側近が登場して抽象的に「雅子妃は必ず快癒する」と援護射撃するのは、気持ちはわかるが筋違いで、
やはり主治医がきちんと会見して責任ある説明と見通しを丁寧に語るべきだろう。
公にしづらい事情もあることは筆者も把握している。公にすれば異論のある人もいるだろう。
周りは敵がいっぱいという心境なのかもしれない。
だとしても、病状・病態を覆い隠しつつ、後付けで言い訳を非公式なルートや特定の雑誌などで繰り返していても、
共感と信頼の輪は広がらないだろう。(敬称略)

このままでは「天皇制」が壊される

SAPIO2006年2月8日号
『このままでは「天皇制」が壊される』

伊沢元彦氏
『「万世一系」の神話を死守した先人の”執念”を知らずに「女系天皇」を語るなかれ』
という文を書いていて道教事件の話も出てきます。
その文の中にこの時代の知識人は皆、完全に”中国かぶれ”していたことが謎を解く鍵だ。
昔も今も日本人は外来思想を盲信する傾向にあり、
当時の中国は東アジアで 最も高度な文明を誇る超大国だったのである。
存命中、称徳天皇はみずからを「宝字称徳孝謙皇帝」と”皇帝”を名乗っていた。
中国の皇帝制は「より徳のある者が国を統治する」というもので、
建前上、 徳が高ければ誰でも皇帝になれた。
当時の日本の知識人には、中国のシステムの方が優れていると映ったにちがいない。
つまり、道教事件とは、称徳天皇がこの国の統治システムを天皇制から皇帝制に替える、
すなわち易姓革命によって道鏡に皇位を禅譲しようとした事件だったと考えられる。
・・・中略・・・易姓革命は失敗に終ったのだ。
この事件の結果、「日本アマテラスの子孫が統治する」という天皇制システムが確立したのである。