水木しげる氏

水木しげる著 本日の水木サン 大泉実成著 草想社

ぼくの小学校の頃は、入り口に「奉安殿」という、小さな建物があって、
学校のゆきかえりに、頭を下げて通らねばならなかった。
ぼくは朝寝坊だったから、よく遅れて小学校にゆく。
すると、かけ足で「奉安殿」の前を通り過ぎ、頭を下げるのを忘れて教室に入ることがあった。
それを校長先生が見ていて、よく注意されたものだ。
子供心に、複雑なものが入り口にあるなあ、と思ったものだった。

その次は軍隊だった。
「天皇陛下」と叫ぶ場合”気を付け”をしなければならないのに、
それをしなかったというので、ひどく殴られた。
南方の最前線に行ったとき”陛下”から頂いた”小銃を落とした”というので、
半殺しの目にあった。
その頃は、何でも「天皇陛下」という名でいじめられた。

昭和から「平成」になって、なぜかぼくの心もヘイセイ(平静)になった。
それは、あの戦争への「やり場のない怒り」から、開放されたような気になったからだろう。
戦争中はすべて天皇の名ではじめられ、兵隊もその名でいじめられたものだから、
ついやり場のないイカリを、天皇にはわるいけど、なんとなく無意識に「天皇」にむけていたのだった。
それがなくなってしまったのだ。

大久保(編集者)
先生は勲章(1991:紫綬褒章、2003:旭日小綬賞)をもらった際に実物の天皇に会っているでしょう。
そのときはどんな感じがしました?


水木
いやあ、あの天皇ってのは他人に頭を下げて人をアリガタがらせる演技ってのが、
すごくうまくってねえ。最高でしたよ。あの時は。
へっへっへっ

大久保
なるほど。
水木さんは天皇制そのものについては何か意見はありますか?

水木
(天皇制については)ど〜だっていいですけどね。
ただ昔みたいに天皇制ってのが拡大解釈されて軍部が利用して、みたいのはいやで‥‥。
だけど実際に会ってあの人の「挨拶さの上手さ」を見たら、
やっぱりこういう人はいなきゃいかんのかなあ〜、と思いましたのですね。
日本人は昔から「大国主(おおくにぬし)」じゃないが、
「池の主」とか「森の主」とかいって、何かの 「主(ぬし)」という
心のよりどころみたいなものが好きな国民だ。
そういう意味において、日本の一番古い家柄である「天皇家」が、「国の主」として、
やさしく国民を見守ってくださるというのは、決して悪い制度ではないと思う。
愛国心があまり強くないと思っているぼくでも、ラバウルから日本に帰る際、
海から富士山を見たときは、「日本に帰った」と思い、「日本人」だと思った。
日本人の中心である「主」としての天皇はかけがえのない存在であると思う。
ただ、あの「戦争中の主」は、ぼくには恐ろしかった。
「カミサマ」であらせられるより、「人間」であらせられる方が、われわれには好ましい。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

産経皇室ウイークリー(201)
2011.10.15 07:00
天皇、皇后両陛下が主催される秋の園遊会が13日、約2千人を招き、東京・元赤坂の赤坂御苑で開かれた。
天皇陛下と、サッカー女子ワールドカップ(W杯)で優勝した日本代表「なでしこジャパン」の
佐々木則夫監督・沢穂希主将とのやり取りは当日の記事で詳しく書いたので、
ウイークリーでは、漫画家・水木しげる(本名・武良茂)さんと皇室の方々との「お化け談義」を紹介したい。
「ゲゲゲの鬼太郎」で知られる水木さんに陛下は「あの、テレビで、『ゲゲゲの女房』を…」と、
水木夫妻の自伝小説のテレビドラマを見ていたことを明らかにされた。
陛下は「あれを見ていると、絵を描くのは大変なことですねえ」と述べられた。
終了後に報道関係者に囲まれると、“水木節”が全開に。「両陛下だから特別の気持ちですね。
天皇陛下は日本に一人しかいないからね。一人しかいない人というのは珍しいから…」
といった調子で記者たちを煙に巻き、妻の武良布枝さんに「あんまりふざけないで」とたしなめられる場面があった。
最もインパクトがあったのは、「いやぁ、天皇家はお化け好きですよ」の一言。
「根っからのお化け好き。近づいたときに感じます」と、確信した口調で続く水木さんの言葉に、
今度は布枝さんも「いろんな妃殿下が、みなさん関心がおありのようでした」。さらに、
「ゲゲゲの鬼太郎」などの作品についても
「礼宮さま(秋篠宮さま)は子供のときから関心があったとおっしゃってました」と同調した。
水木さんと皇族方との会話では、常陸宮さまが「カッパは妖怪ですか?」と尋ねられているのが記者の耳に入った。
晴れやかな園遊会の場で妖怪話に花が咲くのは、長い歴史の中でも珍しいことだろう。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111015/imp11101507010001-n1.htm

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

水木しげるさんがお亡くなりになった際には天皇陛下からご香典があった

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悠仁さまへ 秋篠宮家に受け継がれる愛の系譜

悠仁さまへ 秋篠宮家に受け継がれる愛の系譜
皇室ジャーナリスト 高清水有子 Gakken


P3
『幸せな人に育てるというよりも、どんな境遇に立たされても幸福になれる人に育てたい。
これは天皇皇后両陛下がお子さまをお育てになるにあたり、つねにお持ちになった御心です。子を持つ親の思いを、見事なまでに表現しているこの言葉は、多くの方の心に響くのではないでしょうか。

“親が子どもに何をさせる”のではなく、子どもが生きていくうえで大切な事柄を自然に学び身につける環境を整えること、子どもの良いところを伸ばす手助けをすることが、親の大事な役割であると秋篠宮ご夫妻は折々の記者会見で語られています。
 そのなかで、眞子さまと佳子さま、そして悠仁さまはごく自然に、人を大切にすること、感謝の気持ちを忘れないこと、自分が生活する環境を大事にすること、夢を持つこと、歴史・伝統を大切にすること、そして、どんな境遇にあってもそれを切り開く方法を考えることなど、人生を歩むうえで大事なことを身につけていかれるはずです。


P19
秋篠宮家のご長男・悠仁親王殿下がご誕生になったのは、平成18年9月6日、午前8時27分のことです。身長が48.3cm、体重は2558gでした。
紀子さまは、悠仁さまご懐妊中に部分前置胎盤と診断され、ご出産は帝王切開によるものでした。皇室にとっても、紀子さまご自身のとっても、初めての帝王切開でしたが、紀子さまは、医療チームを信頼され、すべてを前向きにとらえて、医師の指示通りにされたそうです。

同時に、秋篠宮ご夫妻は、お生まれになるお子さまについて、そのすべてを受け入れるお考えでした。それはつまり男女の性別、障害の有無も含め、どのような状態の子であっても受け止めようということです。世間では、生まれてくるお子さまが男の子か女の子かと騒がれていましたが、おふたりは、男女の性別についても前もって知る必要はないと、医師に伝えられていました。ご出産後、秋篠宮さまは、医師からご誕生になったお子さまが親王殿下(男の子)だと伝えられたとき、淡々と「ありがとう」とお答えになったそうです。このとき、医師は、「平常心を失わない方だ」と驚いたというエピソードがあります。


P24
 悠仁さまご誕生の日は、天皇皇后両陛下にとっても忘れえない一日のひとつとなったことでしょう。両陛下は、「秋篠宮家のご慶事にあたってのご感想」として、次のようなコメントを発表されています。

『秋篠宮より、無事出産の報せを受け、母子ともに元気であることを知り安堵しました。さまざまな心労を重ねた十か月であったと思いますが、秋篠宮夫妻がそのすべてを静かに耐え、この日を迎えたことを喜び、心からのお祝いの気持ちを伝えたく思います。
 ふたりの内親王もこの困難な時期を一生懸命、両親に協力して過ごしていましたので、今はさぞ安心し、喜んでいることと思います。
 医療関係者をはじめ、出産に携わった人々の労をねぎらい、このたびの秋篠宮家の慶事に心を寄せ、安産を祈願された内外の人々に、深く感謝の意を表します』


P28
…秋篠宮ご夫妻は、ご出産の2か月ほど前から、男女のどちらが生まれてもいいように、両方の名前を考え、いくつか候補をあげておられたそうです。文字を決めるときには、宮内庁が調べた歴代天皇や皇族の名に使われていない文字から絞られました。また、漢学者や国文学者の意見も聞き、天皇陛下にも相談され、最終的には秋篠宮様が決定されました。

 皇室では、男子には「仁」、女子には「子」をつけて、二文字以上の名前になっています。また、天皇陛下が名前をおつけになるのは、ご自身の子どもと皇太子の子どもに限られています。秋篠宮家の場合は、お子さまの名前は、すべて秋篠宮さまが、文字の音と意味を大切にして決定されたそうです。
 お印は、名前の代わりに身のまわりのものにつけられます。悠仁さまのお印「高野槇」は日本固有種の常緑樹で高さ30〜40m、幹まわり1mにもなる大木です。ご夫妻は、大きくまっすぐに育ってほしいという気持ちを込めて、「高野槇」にお決めになりました。

 秋篠宮家の場合、命名されたお名前には、親として大きな期待を寄せるような漢字は使われていません。つねに伸びやかでおおらかに育てていきたいという、ご夫妻の気持ちが伝わってきます。さらに、自然界の動植物に造詣の深い秋篠宮様の人生観がうかがえるような気がします。自然体でゆったりして、秋篠宮家の姿勢ともいえる“あわてず”“さわがず”をそのまま感じられます。


P62
 皇族の方々は、世界各国の王族や元首らの賓客と会う機会が多くあります。しかし、それ以前に秋篠宮ご夫妻は、「あいさつ」を人と人との交流の基本として考えられ、お子さまたちがきちんとあいさつができるように、お育てになっていらっしゃるのではないでしょうか。


P66
 秋篠宮さまは、お子さまたちへの望みとして、
 『(私たちの日常は)まわりで多くの人たちが、その生活に関わっているわけです。私は、そういう人たちへの、簡単な言葉で言うと、感謝の気持ちを持ってほしいと思うし、いろいろな意味で負担をかけないような配慮をする…、そういうことが私はとても大事なことだと思います』と述べられています。


P84
 秋篠宮様は、平成9年、夏の思い出をこう語られています。
 『うちの子どもたちが、まだ蛍を見たことがなかったものですのでね。私も実は久しぶりに、何年ぶりだかわからないのですが、久しぶりに見て、明かりのないところで蛍が光っているというのは、こんなにきれいだったかというふうにあらためて認識した次第です』

 秋篠宮ご夫妻は、当時5歳の眞子さまと、2歳の佳子さまとともに伊豆へお出かけになった際、ご家族で蛍の光の美しさを堪能されたのです。夏を彩る“光”の風物詩に、お子さま方も、感激して、とても喜ばれたそうです。


P120
 民間から皇室に嫁がれた当時、紀子さまにとって、皇后さまがいらっしゃるということが、どんなに心強いことだったでしょうか。皇后さまが紀子さまをご覧になるまなざしは、包み込むような優しさをたたえ、紀子さまは、尊敬と信頼、ときにはあこがれをも交えた笑顔でおこたえになります。そのおふたりのご様子は、まわりにいるすべての人々まで、ほのぼのと温かい気持ちにさせてしまう愛に溢れています。


P130
 そして、40代になられた紀子さまは、こうおっしゃっています。
 『結婚してから今まで、家族の理解と協力を得ながら、公的な仕事と家庭の務めをできる限り果たせるように努めてまいりました。
 公的な仕事も家庭の務めも一つ一つていねいにしようと思うと、時間が足りなく、また十分に役割を果たしているだろうかと考え、不安になることもあり、気がついてみますと心の余裕がなくなっていることもたびたびございました』(平成19年)


P146 皇室のお子さまのお祝い行事
(略)
 ここでは、皇太子さまと秋篠宮さまの「着袴(ちゃっこ)の儀」と「深曾木(ふかそぎ)の儀」の様子をご紹介します。

 儀式が行われたのは、おふたりとも当時の東宮御所の大食堂で、真新しい畳が敷かれました。着用されたのは、「落滝津(おちたきづ)」の服という、滝の流れを金糸と銀糸で浮織にした衣装です。実は、天皇陛下の「着袴の儀」で使用されたものを、使われたということです。この着物姿に、白絹の袴をつけ、その上に腰ひもを締めて、「着袴の儀」は終了します。女のお子さまは、ここで儀式は完了します。眞子さま、佳子さま、敬宮愛子さまも滞りなく儀式を済まされました。男のお子さまは、この後、「深曾木の儀」にうつります。

 皇太子さまと秋篠宮さまのときは、昭和天皇、香淳皇后より贈られた童形服を着用されました。紫の地に亀甲模様の入った装束で式場に入り、右手に檜扇(ひおうぎ)、左手に小松二本と山橘一本を持ち、碁盤の上に立ちます。当時は、東宮大夫が櫛で髪の毛をなでて、毛先にはさみをあて、左、右、真ん中の三か所を少しずつ切る“髪置祝”を行いました。次いで碁盤の上に置かれた二個の青石を踏みつけ、南の方向に「エイッ」とかけ声をかけて飛び降り、儀式は終了です。髪の毛は、紙に包んで川に流すそうです。
 飛び降りる所作は、大地に足をしっかりとつけることを意味し、石を踏むのは“みそぎ”を象徴しています。その後、童形服のままで、宮中三殿を参拝されます。
(略)


P156
私が秋篠宮ご夫妻を取材してきたなかで、もっとも過酷だったのではと想像するご公務は、平成3年2月に行われた新潟県での冬季国体開会式へのご臨席です。ご夫妻のご結婚後8か月のころで、後にわかったことですが、このとき、すでに紀子さまのおなかには、新しい生命が宿っていたのです。

 ご夫妻は、第46回国民体育大会冬季スキー競技開会式へのご臨席のため、上越新幹線で新潟県にお入りになりました。当日の、新潟地方は、10m先も見えづらいほどの猛烈な吹雪でした。私たちも取材車両で移動中、暖房を「強」に設定しても寒さを感じるなか、秋篠宮ご夫妻は、移動中の車の窓をためらうことなく全開になさり、沿道に集まった人々の声援におこたえになっていました。
 国体開会式は、ご夫妻が新潟入りをされた日の午後に、地元の中学校のグラウンドで行われました。猛吹雪は、いっこうに止む気配はなく、水分の多い重たい雪がどんどん降り積もってきます。ご夫妻は、会場内に設営されているステージの上から、入場する選手にあたたかい微笑みをうかべ、拍手を送られていました。

 あまりの強風のため、紀子さまの帽子は二度も飛ばされ、急きょ、白いニット帽に取りかえられました。横なぐりの風雪は、さえぎるものがないために、容赦なくご夫妻を打ち続けます。紀子さまの前髪は凍りつき、ご夫妻のお召しのコートは雪で真っ白に。しかし、厳しい気候条件でのご臨席にも、ご夫妻は、お疲れの表情は一切お見せにならず、じっと耐え、つねに微笑みを絶やしませんでした。

 後日、このときのことを、当時の秋篠宮付宮務官の富士亮氏にうかがったことがあります。富士氏は、
「式典終了後、両殿下に寒さのことをうかがいました。すると両殿下ともに、
『私たちが、いちばん滞在時間が短かったのだから、みなさんより寒くありませんでした。みなさんのことを考えると、寒さも忘れてしまいます』とおっしゃいました。
 そして、その後、妃殿下がおっしゃった言葉で、今もはっきりと覚えていることがあります。
『女性のほうが、男性に比べて皮下脂肪が若干多いので、私は殿下より寒くありませんでした』とにっこり笑われたのです」と教えてくれました。

 紀子さまご自身、ご懐妊を知らずに臨まれたご公務とはいえ、極寒のなか、大事に至らず、本当によかったとつくづく思います。


P181
秋篠宮さまは「御寺泉涌寺(みてらせんにゅうじ)を護る会」(昭和41年5月設立)の総裁もお務めになっています。平成8年に、三笠宮崇仁さまのあとをお受けになり総裁に就任されたのです。泉湧寺には、鎌倉時代の御堀河天皇、その皇子のわずか12歳で崩御された四条天皇、御水尾天皇から孝明天皇までの江戸時代のすべての天皇、合わせて16人の天皇の陵墓があり、皇后や皇族の陵墓も366もあるそうです。


P190
『お日さまが照らすようなあたたかさ』
『安心できる場所』
『ほっとするような場所』
 秋篠宮ご夫妻は、天皇皇后両陛下とのふれあいのときを、このようにお話しになっています。これらの言葉は、私たち多くの国民が皇室のみなさまから感じ取る気持ちを見事に表現されているのではないでしょうか。


P192
…そしてまた、両陛下のお子さまである秋篠宮さまと、紀子さまを拝見していると、歳月を重ねるごとに、天皇皇后両陛下から大切なことをしっかりと受け継がれ、それらを実行されているように私は強く感じます。

 そのことをもっとも実感したのは、秋篠宮ご夫妻が平成20年7月20日、岩手・宮城内陸地震で被災した人々の避難所をお見舞いされたときのお姿です。秋篠宮ご夫妻は、その翌日の7月21日に岩手県でご公務があったことから、秋篠宮さまのご判断で1日早く岩手にお入りになり、被災地のお見舞いをされました。
 被災地での秋篠宮さまと紀子さまは、その場にいたすべての人々にお声をおかけになり、目線を合わせて優しく励まされました。

 前日にも大きな余震があり、精神的にも、肉体的にも厳しい環境にあった多くの被災者の方々は、秋篠宮ご夫妻とお会いして「生きる力と元気をいただきました」と、私の問いに笑顔で答えてくれました。被災地での移動は、被災者に迷惑をかけないようにとの配慮から、両陛下がそうされたのと同じように、マイクロバスをお使いになっています。避難所を後にするマイクロバスは、田んぼのあぜ道を進み、遠く見えなくなるまでバスの窓は全開で、ご夫妻は被災地の人々の心におこたえになるように、いつまでも手をお振りになっていらっしゃいました。このときのことを秋篠宮さまは、記者会見でこう語られています。

『岩手・宮城内陸地震の1か月ちょっと経ってからでしょうか、岩手県において行事があったときに、宮城県と岩手県両方の被災地へ見舞いに参りました。もちろん行く前に、新聞ですとかテレビなどで、地震の被害が甚大であることを認識しているわけですけれども、実際にそこの場所に行って被災した方々から話を聞いてその様子を知ることで、更にそのときの状況を深く理解できるということを改めて感じました。つまり、できる限り実際の場所で、災害とかそういうことのみならずいろいろなことを、見聞することの大切さということを感じております』

 同じ会見で紀子さまは、
『今年の7月には、宮様も先ほど話されましたように、岩手県と宮城県を訪れ、被災された方々にお会いいたしました。深い悲しみの中にも、復興に尽くされた方への感謝の気持ちを抱きつつ、お互いに励まし合い協力して、今後の生活を力強く進もうとする姿に心が動かされました』
 とお話になっています。

 私はこのコメントを聞き、現地で取材中にお二方にお声をかけられて感激で涙を流す人々、優しいまなざしで真剣に話をお聞きになる両殿下の姿が鮮明によみがえってきました。幼い子どもからお年寄りまで、両殿下との時間は永く心に刻み込まれたのではないでしょうか。まさに両陛下から秋篠宮ご夫妻へ受け継がれた“国民とともに”というスタンス、“国民への愛”を肌で感じたひとときでした。

 帰京されたご夫妻は、現地の様子について、両陛下にご報告されています。このご慰問は、両陛下が時代の要請にこたえて一心に働き続けてこられた思いを、秋篠宮ご夫妻が、見事に形にした出来事のように思います。

 地震(なゐ)うけし地域の人らの支へあひ
 生きる姿に励まされたり 秋篠宮妃紀子殿下 お歌

 被災地ご慰問の翌年、平成21年1月15日、皇居・宮殿で行われた歌会始で紀子さまがお詠みになった歌です。歌会始が行われる時期の東北は、厳しい冬の最中です。その寒さの中で暮らす被災された人々にとって、この紀子さまのお歌はどんなにか元気づけられたことでしょう。


P198
『両陛下をはじめ、まわりの方々のご意見を伺いながら、必要なことは時を追って私たちもともに学びたいと考えております』

 私はこの会見を聞いて、ほんとうに両殿下らしいご発言だと感じました。初めてのことやわからないことをそのまま自然体で受け入れ、まわりの方々の意見やアドバイスを参考にされながら、必要なことは自分たちもともに学ぶというスタンス。これまでの両殿下のお考えそのものなのです。多忙な両親であればなおさら、子どもの成長の過程で周囲の協力やサポートは大きな支えになります。

『一番大切なのは、両親が子どもの個性や発達のかたちを見極めて、深い愛情と忍耐で子どもの心を育てることだと思います』

 このお言葉は、天皇皇后両陛下が昭和の時代にお子さま方をお育てになった際に語られたスタンスです。
 秋篠宮ご夫妻は、お子さま方の個性を大切に、心豊かにご成長されるよう、深い愛情を注いでいらっしゃいます。それは、長女・眞子さまのときから貫かれ、佳子さま、悠仁さまに対してもまったく揺らぎはないのです。
 天皇皇后両陛下にとっては、初めての男のお孫さんになる悠仁さま…。秋篠宮さまは、両陛下との交流の機会をとても大切にされ、できる限り日程も調整してご一緒の時間をお作りになっています。両陛下との共通の時間をお持ちになることで、自然なかたちで多くのことを学ばれ、日々の生活や暮らし、ご公務にも生かされているのではないでしょうか。


P204
 両陛下にとって初孫の眞子さまご誕生のとき、とてもすてきな贈り物がありました。それは、両陛下から贈られたベビーベッドです。真ちゅう製で銀メッキを施したものと籘製のものの2つが贈られました。実はこれらは、皇太子さま、秋篠宮さま、黒田清子さんもお使いになった年代物です。皇后さまが手入れをおさせになった上で、秋篠宮家に贈られたといいます。さすが質素・倹約をモットーにされている天皇ご一家らしいと感心しました。ご自分もお使いになったベビーベッドに、わが子を寝かせた秋篠宮さまの感動は、どんなに大きいことだったでしょう。近年では、置き場所に困るベビーベッドや育児用品などをレンタルですませる家庭も多いようですが、天皇ご一家のように代々伝えられて、使っていくことができたら、とてもすてきなことだと思います。

 悠仁さまのときには、ベビーベッドは新しく購入されたようですが、ベビーカーは眞子さまと佳子さまがお使いになったものです。お歩きになる前の悠仁さまは、そのベビーカーにお乗りになって、ご家族とともに、赤坂御用地内を散策されていました。

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天皇家の食事

昭和天皇のお食事 渡辺誠著・文春文庫より

そうそう、サンドイッチのサイズで思い出したことがあります。
後に美智子皇后から、もう少しサイズを小さくしてほしいというご要望がありました。
お客様とお話をしているときに、口の中に食べ物を入れてお話をするわけにはいかないので、
うんと小さくすればさりげなく食べることができるということで、それまでの九つ切りから十二切りにしました。
しかし、これにはかなりのテクニックを必要としました。切りづらいため、つい力が入り
パンの表面に指のあとがついたりしたら、作り直しということになります。
大膳のサンドイッチへのこだわりは、当然ことながら箱に詰めたときの美しさにもあります。
切り口を見せずに真平らになるよう、切り口が横を向くように詰め込みます。
表面がデコボコになってはいけない。
切られていない一枚の白いパンがそこにあるように見せなければいけないといった具合です。
ということは、サンドイッチの中身によって厚さがそれぞれ違いますから、それを全部調整するわけです。
例えば、ジャムを他の具と同じ厚さに挟むと甘すぎることになるますから、パンの厚みで調整します。
そして、大高檀紙の紙箱に、隙間がないように、きれいに詰めます。
この箱から取り分けるのが主膳の役目ですが、新人がこのサンドイッチを初めて見たときは、
パンとパンの境目がわからないように、あまりにびっしりときれいに入っているので
「本当に切れているんでしょうか」と聞くのが定番の質問でした。
このサンドイッチで、昭和天皇をますます敬愛することになったエピソードがあります。
大膳にはいりたての若い頃の話です。先輩がサンドイッチを作り、
私はそのサンドイッチを持って初めて陛下のお供をして那須の山をほかの皆さんと歩きました。
主膳さんが侍従に「そろそろお時間でございます」と伝え、
侍従が陛下に「そろそろお時間でございます。いかがでございましょう」と申し上げると、
陛下は「じゃあお昼にしようか」というようなことをおっしゃいます。
そこで私たちはすぐにテーブルを出してセッティングします。
旅先のことですから、ごくごく簡単なテーブルです。
そのときに、生まれて初めて陛下のもとにサンドイッチをお持ちしました。
本来は主膳さんがするべきことですが、主膳さんはテーブル・セッティングをしていて、
旅先ということもあり、「渡辺さん、あなた自分で持っていきなさい」と言われ、
そのときは私が主膳さんのかわりに、女官さんのもとへ運びました。
おそばで女官さんとのやりとりをうかがっていると、陛下は、「イチゴジャムを」とおっしゃいました。
「他にはいかがでしょうか」
「イチゴジャム」とまたおっしゃる。
生まれて初めて陛下のおそばにいたので、私はブルブル震えるぐらい大変に緊張していましたが、
そういう雰囲気の中でも、陛下はジャムだけをとおっしゃるので、
陛下はイチゴジャムがよほどお気にいりなのだと思った記憶があります。
そうして、イチゴジャムのサンドイッチを三切れほど、陛下のお皿にお箸でお取りしたら、
「あとは、皆に」とおっしゃるのです。残ったものを皆で分けるようにというのではありません。
陛下はまだお食事の前です。私は聞き間違いかと思い、きょとんとしていたら、
女官さんから「皆さんに回してあげてください」と指示がありました。
サンドイッチの箱には結構な数が入っているとはいえ、随員が三十人ぐらいいるわけですから、
一切れずつ分けたら、陛下が召し上がる分がなくなってしまうわけです。
職員には弁当の用意があることは、陛下はよくご存じのはずです。
しかし、女官さんからの申しつけですから、私はそのサンドイッチを皆さんにお持ちし、
一切れずつお取りいただきました。そして、「皆さんにお取りいただきました」と女官さんに伝えました。
女官さんが陛下に「みんなの手元にいったようです」といった意味あいのことを
お伝えになったのではないでしょうか。「あ、そう」というお声が聞こえました。
「じゃあ、食べようね」とおっしゃって、
陛下がご自分の好きなイチゴジャムのサンドイッチをお口に入れられた瞬間に
「美味しいね」というお声が耳に入りました。私が作ったわけではありませんが、
自分に言われたことのようにうれしくなりました。
たぶんそのときは、私の記憶に間違いがなければ、皇后陛下のほうを向いて
おっしゃっておられたように思います。
私はそのとき、陛下が残りものをみんなで分けるという発想ではなく、
ご自分が召し上がるときに、ご自分のものを一口ずつでも分け与えて、
同じものを食べようという、まるで家族のようなお気持ちの温かさに心を打たれたのです。
これがきっかけで、昭和天皇のことをとても身近に感じると同時に、憧れが尊敬に変わり、
陛下にお仕えする臣下としての誇りをさらに強く持つようになりました。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

天皇家の食事 1日1800kcal、化学調味料使わず塩分10g以内
ともに78才というご高齢で、さらにご病気も抱え、体調も万全でないなか、ほとんど休みもなく
“国民のために”と激務を続けられている天皇皇后両陛下。
お体の健康を維持するため、日々、細心の注意を払われ、ケアしてこられたが、
日々、どのようなお食事を召し上がっているのだろうか。
「陛下は高校生の頃の体形をいまも維持されているんですよ。スーツなどの寸法はほとんど変わっていない。
それほど健康のために食事には気を使われているんです」
こう話すのは、陛下の学習院初等科時代からのご学友でジャーナリストの橋本明氏だ。
天皇家の食生活は、医食同源として食で健康を目指す“食養学”に基づいている。
両陛下の食事を実際に作るのは、宮内庁大膳課の職員。大膳課は5つの係に分かれ、
第1係は和食、第2係は洋食、第3係は和菓子、第4係はパンと洋菓子、
そして第5係が東宮御所担当となっており約50人が勤務している。
メニューは主厨長と副厨長が2週間分を考える。
基本的に朝は毎日、トーストやオートミールなど軽めの洋食で、
昼食と夕食は和食と洋食が交互に出される。
昭和天皇時代に約5年にわたって宮内庁大膳課に勤め、現在は東京・江古田で
『ビストロ サンジャック』を開いている工藤極氏はこう語る。
「大膳課の職員は陛下のことを“聖上”とお呼びしていました。私が大膳課に入って、
まず言われたのが“聖上には糖分・脂分は控えるように”ということでした。
素材が本来持っている淡い味を引き出すような調理を心がけました。
それととにかく食材を使い切れということを口酸っぱく言われました」
侍医から“1日1800kcal”という指示があり、市販の化学調味料は一切使わず、塩分も1日10g以内だったという。
そして調理の基本とされたのが「一物全体食」という食材を余すことなく使い切るという考えだったという。
「それが栄養のバランスが偏らないようにする大膳課に伝わる伝統なんです。例えば、野菜の皮は、
後でスープの具にしたり、葉物なら後日漬け物にします。鶏肉も、胸肉、もも肉は主菜に使い、
手羽は後日、スープの具に。骨はスープのだしを取るのに使い
、ぼんじりは軽く揚げてつけ合わせにするといったようにです」(前出・工藤氏)
材料は厳選されたものを使うのだが、新鮮な肉、野菜、乳製品といった食材のほとんどが
栃木県高根沢町にある御料牧場で生産されている。
広さは約252ヘクタール(東京ドーム約54個分)と広大な敷地ながら、
“天皇家の台所”である場所だけに周囲の至るところには“関係者以外立ち入り禁止”の
看板が設置される徹底ぶり。それだけ安全・安心な食材を細心の注意を払って天皇家の食卓に届けている。
前出の工藤氏がもうひとつ叩き込まれた基本が「明治の料理の三大原則」だった。
「“焦がすな”“捨てるな”“腐らすな”と非常にシンプルなことでした。
つまり商品にならないものを作らない、余った食材は捨てる前に何か使えないか考えろ、
在庫を把握して常に鮮度を見ろというものでした」
そんな徹底した“食養学”の下、食卓に並ぶ料理。昭和天皇は絶大なる信頼を置き、召し上がっていたという。
「聖上はいつも腹八分目で終え、おかわりをされることは一度もありませんでした。
食事に対してリクエストや好き嫌いを言われることはなく、出されたものだけを召し上がり、
食後のお菓子以外は間食もしない。アルコールも一切口にされませんでした。
ちなみに好物はバナナのベーコン巻きや鰻茶漬けでしたよ」(前出・工藤氏)
※女性セブン2012年11月29日・12月6日号
http://getnews.jp/archives/274511

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深く心に刻み忘れてはいけない日

入江日記より

(昭和の頃の)東宮家では常日頃から
日本人には深く心に刻み忘れてはいけない日が四つある。
それは
6月23日 沖縄戦終結日(現・沖縄慰霊の日)
8月6日  広島原爆投下日(広島原爆慰霊祭)
8月8日  長崎原爆投下日(長崎原爆慰霊祭)
8月15日 太平洋戦争終結日(戦没者慰霊祭)である
そして、「当日は家族全員が式典に合わせその方角に向かって黙祷し、
全ての犠牲者への慰霊と平和への誓い・願いを続けられている。
それは全ての事から優先され、欠かす事のない大切な行事になっている。
(役所方でもその日は黙祷・慰霊が優先して出来るように予定を組んでいた。

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敬称について 三笠宮寛仁親王殿下

(※平成14年)

総裁コラム  三笠宮寛仁
    ―矛盾―
昨年の12月20日、長女の彬子が、20歳の誕生日を迎えました。
随分以前から、宮内記者会が、宮務課( 宮内庁の各宮家担当課)を通じて依頼していたので、
「女王殿下の成人式に伴う記者会見」を、前日の午後、公邸に於て実施しました。
メディアで御覧になった会員もいらっしゃる事と思います。
会見には私は同席しませんでしたが、記録用のテープ起こし原稿の校正をしたので、
内容はすべて承知していますし、終了後開催した茶会で、数多くの、「ブン屋さん」達が、
「素晴らしい会見でした」「彬子様のファンになってしまいました」
「どの様な躾をなさると、あの様に素敵なお嬢様に成長されるのでしょうか?」等々、
大変高い評価を得たので、企画者としてはとても満足でした。
が、しかし、翌日の各社の誌面を見て、怒り心頭に発しました。
毎日新聞を除いて、天下の産経も含めて全紙が、
「三笠宮寛仁さまの長女彬子さまが成人式を迎え……」とやったからです。
「戦後初の、『女王殿下の成人式』であるので会見をして欲しい、取材がしたい…… 」が、
記者会の総意だったにも拘わらず、皇室典範の条文に規定されている処の、
「女王」「殿下」といった、「身位」と、「敬称」を抜かして、「さま」と書き、
一般国民と同じ扱いをしたわけですから、何の為の、女王殿下の記者会見」であったのか、
皆目分からなくなりました。
だいたい、私は、「三笠宮」(父の宮号)では無く、「寛仁親王」であり、彬子は、
「身位」が、「女王」で、敬称は、「殿下」でなければなりません。
従って正しくは、「寛仁親王殿下の第一女子彬子女王殿下には……」となるべきでした。
きちんと書く気が無い、つまり皇族としての記事を作らないのなら、
何も記者会見を要望する必要はありませんし、天皇制に反対で、皇族を認めたくないのならば、
いい機会ですから、「皇室反対論」を載せるべきでした。
公共の報道機関たるメディアが、こういう、「矛盾」を平気で押し通す事に対し、
我々は常にチェックしなければならないという、最も分かり易い証例になってしまいました。

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殿下の料理番

殿下の料理番 渡辺誠著 小学館文庫
現在の皇太子殿下がまだ小学生か中学生でいらしたころのこと。
学校でミカンがひとつずつ配られたことがあったのだそうです。
ところが、お直しのミカンしかご存知なかった殿下は、
ミカンの皮の剥き方がわからず、そのまま持ってお帰りになりました。
その話をお聞きになった美智子さまが、なにごとも皇室のやり方だけでなく、
世間一般ではどのようにされているかということも殿下には知っていただくようにしたい、
とご要望になったと伝えられています。


「フォアグラのおもてなし」
皇太子から侍従を通して「ロッシーニはできますか?」という問い合わせがありました。
ロッシーニはフィレ肉の上にフォアグラをのせたお料理。
ふだん高級食材を使う料理を指名なさることはないので珍しいと思いました。
殿下は、雅子さんは肉類がお好きらしいということをお知りになって「ロッシーニを」と望まれたのでしょう。
あとで知ったのだが、その日は雅子さんのお誕生日だったということです。
皇太子はずっとメニューのリクエストなどしたことなどなかった。
フォアグラは通常は缶詰のものを出していたけれど、外国から空輸された「フレッシュフォアグラ」を所望された。
中国料理のときは初め渡辺さんが提案したメニューにダメ出しして、もっと豪華なものに変更した。

やがて、私は妃殿下から「ミスター渡辺」と読んでいただくようになりました。
一般職員に「ミスター」の敬称は過ぎた呼び名なのですが、
お料理をお教えしたりするところから、敬意を表してくださったようでした。
私は、「ミスター渡辺を呼んでください」というお声がかかるのを、心待ちにするようになりました。

宮内庁が管理する宮殿の酒類貯蔵室に本格的なワインセラーが設けられたのは意外に最近で、
平成九(一九九七)年のことです。(中略)
宮殿の貯蔵室ほどではありませんが、東宮御所にも常時、銘醸ワインのストックがありました。
愛好家垂涎の高級ワインに囲まれているからといって、ふだんそれを召し上がることはありません。
それはあくまでも大切なお客さまのためのものでした。


紀宮様
食事会にラップで包んで蒸したムースをお出しした時、戻ってきた紀宮様のお皿に、
ナイフとフォークに隠すようにしてラップの切れ端が置かれていた。真っ青になってお詫びに行くと
「いいえ、私のところでよかったです。大丈夫ですから、気にしないで下さい」と微笑んで下さった。

昭和天皇
和食担当のお出ししたマナガツオの焼き物が生焼けで給仕の女官が気づき問題になりかけたが、
陛下は「マナガツオというのは、一年で一週間だけ生で食べられる時期がある。
においがなくて、そのまま刺身で食べる地域もあるという。今日のはそれだったんだね」とおっしゃった。
このお言葉のお陰で、担当者は注意だけで済まされた。

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外国報道に見る御成婚

「外国報道に見る御成婚」文藝春秋[編]1993年7月25日第1刷

アメリカ ザ・ボストン・グローブ 1993年1月14日
1971年、家族とともに日本に帰国した。帰国子女ということで、
公立小学校三年生のときひどいいじめにあうが、四年生になると、
外交官やビジネスマンの帰国子女の多い私立小学校に転校した。
1985年、第二位(※?)の成績でハーバードを卒業し、
東大の大学院で経済を勉強するため日本に帰国した。

オーストラリア ジ・オーストラリアン・マガジン 1993年2月13-14日号
世界をかけめぐり、高等教育を受けた彼女は、五つの言語を話し、
戦後の政治について職業的な専門知識をそなえ、その外交手腕も、
パーティーでのおしゃべりや優雅な着物の着こなし(※?)などというレベルにとどまらない。
食事が毒味され、作法に少しでもはずれれば厳しく批判され、
公の席ではかならず夫の三歩うしろを歩き、検閲ずみの言葉以外は話してはならない世界に入ることを、
彼女は十分承知している(※?)からだ。

イギリス ジ・オブザーバー・マガジン 1993年3月7日号
ある未成年者を使って発禁ビデオを撮っていたプロデューサーが警視庁の取り調べを受けた。
サングラスをかけただけの十九歳の東京大学の女子学生が
「外交官試験に向けて勉強しています」というキャプションつきで、
トップレスで写っているのが問題の写真である。
この女性は、シカゴで、プレーボーイ誌の見開きページに載った小和田だとされており、
一部千円で東京で売られているが、専門家は電子的に偽造したものだと言っている。

・シンガポール ハー・ワールド 1993年4月号
何か変えようと願うよりも、まず彼女は皇室について多くを学ばねばならないだろう。
そして「すべきこと」よりも「してはならないこと」のほうが多いと気づくことになるだろう。

アメリカ ザ・ニューヨーカー 1993年5月10日号
温厚でハンサム(※?)な青年(日本女性週刊誌によれば「マイケル・J・フォックスのタイプ」)
は、確かに女性に会ったのだ。
このお茶会への招待は、(同じく官僚組織の一部である宮内庁に電話をかけることによって)
父親が取り付けたものである。

外務省は宮内庁にぞっこんだったのだと言う人々もいる。これはばかげた意見ではない。
これといった国内的影響力のない外務省は、あらゆるコネを必要としているのだ。それに、
誇り高い父親が、自分の聡明な娘には上等すぎる相手などいないと考えたとしても、許されるだろう。
父親がそう考えたとしても、娘のほうはそんなことは知らなかった。
元駐ソ大使・中川融がミス・オワダを皇太子に紹介する手はずになっていた。
ところが、皇太子の学友が紹介をすませてしまった。
さわやかな容貌だから何を着ても似合うだろうが、彼女は美人コンテストの女王ではない。
モデルの周旋業者だったら、身長が足りない点
(5フィート4インチ半。対するに皇太子は5フィート4インチ)、鼻が大きいこと、
意思の強さを示す顎、不揃いな歯などを指摘することだろう。
マサコの祖父、銀行家だった江頭豊は一家にとってありがたくない存在だ。
彼は1962年に、問題を抱えたチッソに転じた。チッソは水俣湾に有機水銀を流しつづけ、
地元の多くの漁師やその家族を苦しめていたのである。
江頭は、一部を政府が支払うことになる総額二億ドルの補償の交渉に当たった。
江頭は汚染そのものに関係したわけではなかったが、しかし、補償は通例もっと寛大なものである。
昨年までマサコはきわめてノーマルな日常生活を送っていた。
野心的な父親をもった外交官の卵としてはノーマルという意味だが。
母親は大学でフランス語を修め、かつてエールフランスの極東支社長秘書を務めていた。
娘もオックスフォード大学ベリオール・カレッジに二年間留学し、父親と同じく国際関係論を専攻した。
彼女は皇太子が五年前に見つけた中華料理店を発見し(麻婆豆腐)、スイスでスキーを楽しみ、
ときにロンドンの日本大使館へ郵便を受取りに出かけた。大使館員たちは彼女に対して
自分の娘に対するような目を注いでいた
一つには、彼女が皇太子妃候補として報じられることがあったからだが、
さらに大きな理由は、彼女が上司の娘だったからだろう。
洋服を買う場面も放映された。デザイナーものではなく吊し。彼女の衣装で
最も高価なのは1500ドルのコートだが、これも何十着と売られたもの。

外国人女性は”ランクによる規制”とは無縁であり、御所でのお茶に招ばれて
ブルック・シールズがやってきたときには皇太子は大喜びしたものである。

「ニューヨークのティファニーであれやこれや買うというのでは困る」
経済観としては正しいのかどうかわからないが−
ティファニーで買物をすれば、少なくとも日本の貿易黒字削減には貢献できるわけだ−
皇太子にはどうやら意中の人がいるようだった。

明仁が天皇であり、彼の子供が皇太子であるのは、彼らが世襲的に聖職の長であるからだ−
理屈の上では、太陽の女神であり、大和の地にあった朝廷の始祖であると伝えられる
天照大神の、彼らは直系の子孫であり、象徴的な崇拝者なのである。
太陽の女神の恩恵を利して軍事独裁の道を歩むことに天皇が反対であるという
事実にいらいらしているのは、極右の連中だけだ。太陽の女神自身は日本人が
崇める多くの神々のなかの一人にすぎない存在になったのである。
小和田雅子の父親は、娘の結婚問題に悩んだ末、外務省に近いある神社にお参りしたが、
その神社は天照大神ではなく八幡神が祀られている神社だった。
八幡神は戦争の神として武士が尊んだ神である。

アメリカ ヴァニティ・フェア 1993年6月号
東京の皇室のコンピュータは、名だたる候補者たちの家系をしらみつぶしにチェックしてきたが、
これまで、ナルヒトが少しでも興味を示したお妃候補者は、やんわり断るか、
ほかの男と結婚するか、自殺をほのめかすか、または行く先も告げず国外に脱出してしまった。
小和田雅子は大ぶりの鼻と浅黒い肌の持ち主である。
フィリピン人やネパール人と間違えられることがよくあった。
だがショート・スカートをはいて大股で闊歩する二十九歳のマサコは、
「解放された日本女性」のイメージそのものだった。
マサコは疑問を声に出して訊いた。皇太子と結婚すれば、皇后さまを苦しめたのと
同じ恐ろしい宿命に悩まされなければならないのでしょうか。
皇后はこう答えた。
「あなたが自分の感情に正直になり、自分の判断に従っているかぎり、
いかなる問題も決して起こさせません」
その意味するものは明白だった。
皇后は、息子と結婚する者には個人的な庇護を与えると約束したのだ。
じっさい、マサコと日本の両方に「これから暫く大変」なときがやってきそうだ。
今回「インペリアル・ドラマ」を見守った人々の多くはこう予言する。
皇太子妃の育ちや性格を見れば、マサコは夫を支配しそうだし、皇室を根本から変えることになろう。

ところが天皇制のもうひとつの機能についてはほとんど語られることがない。
つまり皇居にある神社の社殿奥深く、秘密の場所で古の礼服を身にまとった人々が
何をやっているのか、という点だ。
きわめてモダンなマサコは、外国の首都に自分の足で立つよりはるかに多くの時間を
神道のセレモニーの場でお辞儀して過ごさねばならないというのに。

ワシントン・ポスト紙極東総局記者・東郷茂彦
彼女の決断については、これまで以下の二説があったとする。
日本のメディアが報じているような「古典的なロイヤル・ロマンス」、すなわち「ハンサムな王子がチャーミングな女性を好きになり、誠実と献身によってその心をつかんだ」ためで、
雅子さまは、外国語からファッション、料理までできる万能女性、「完璧なプリンセス」であるという説。
アメリカの一部週刊誌で唱えられているような「いやいやながらのプリンセス」説。
つまり、人生に成功を収めてきたキャリア・ウーマンが、仕事と自由を放棄するような圧力を受け、
その才能をつぶされていく悲劇と犠牲の物語という説。
ところがワシントン・ポストは第三の見方をとる。
「この見解によれば、マサコ・オワダは彼女の求めたものを正確に獲得したのだ」
ワシントン・ポストが経済的な意味での御成婚ブームが空振りに終わったことを、
「日本のウェディング・ベルのブルース」と題してビジネス面で大きく報道

十三日付のワシントン・ポストは、小和田恒氏の外務次官退官後の身の振り方に焦点をあてた。
駐米大使のような諸外国との政策が激しく対立するような第一線の激職は、
「未来の天皇の義父」にとってふさわしくないとの見方を紹介している。

時事通信・服部健司
皇太子妃が内定した1月には、中国共産主義青年団の機関誌「中国青年報」が、
婚約にいたるまでの経緯を5回にわたって連載した('93年1月8日より)。
昨年の天皇訪中への答礼か、この慶祝記事は外交的配慮にみちており、
友好的かつ客観的報道に貫かれていた。

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保守の怒り

保守の怒り
西尾幹二×平田文昭
第二章 皇室の危機
誰も指摘しない陛下の重大な発言

西尾
「雅子妃行状問題」はもうあまり関心がない。
昭和天皇と戦争、今上陛下と平和の問題の方が大きなテーマ。

皇后陛下のご発言の衝撃
皇后陛下の「古い慣習のもとで」云々発言について
女系容認の典範改正も「国民主権」の考え方からよしとされるのではないか

平田 
麻生内閣で正統、つまり男系を維持できるように皇室典範を改正しようとしていた。
内閣の中で進めているはずだったが、全く進んでいないことが判明した。
政府高官の中にもこの改正に非協力的な人がいた。何とも無念。


西尾 
皇后陛下のご発言の真意は分からない。
しかし両陛下が典範問題について口を閉ざしておられることは事実。
こと典範問題に関しては、天皇陛下であろうとも従わなければならない掟というものがあると考える。
万世一系の天皇と言う男系の皇統を守るという一点において、 過去の天皇家はどんな無理でもした。
天皇信仰は一つの神話。神話が失われればもう・・・・


平田 
秋篠宮の12年の空白について東宮ご夫妻は責任を感じていないのか。両陛下はどうお考えか。
300万人が命を捧げ、守ってきた皇室を嫁のわがまま、
跡継ぎの身勝手のやり放題に放置して損なうなら、
春秋2回靖国神社にお差し遣わしになっている勅使は
どの面下げて英霊にまみえたらいいのでしょうか。


どのような憲法に改正されようとしているのだろうか
今上陛下の憲法遵守ご発言について

平田
「憲法第9条を改正し、交戦権を認めると天皇が国事行為として宣戦布告することになり、
そのため敗戦となった場合、責任が追及され、皇統の維持に危機が生ずる」ので
憲法改正に反対「という主張」を保守の雑誌で最初に提示したのは佐藤優氏。
ひじょうにひじょうにひじょうに興味深いことです。


血と宗教


平田 
陛下が祭祀を正しく御熱心になさっているのはその通りだと思うが、
一方で皇后陛下がキリスト教と接せられるときのお姿はなんとも・・・・
このままいくと環境と人権と平和の伝道師みたいな、
NPOの会長みたいな感じになってくるんじゃないか。

西尾 
キリスト教に基づく平和・人権用のNPO化する皇室、すごいことを言うね。

平田 
あれを見ていると、多くの後進国にいる上流階級、おセレブの姿にしか見えない。
長い歴史を持つ神話からつながっている皇室というのではなくて・・・

西尾 
大変なことだよ、これは。今あなたがうかつにぽろっと言ったけれど。
後進国の上流階級のセレブ、私も東宮家を見ているとそう思うんですよ。
でも、皇室がすでにそっくりそうなっていうようには見えない。

平田 
その国の本源的文化、土と言ってもいいんですが、
それから離れて欧米のお綺麗な花瓶の切り花になったら、
いずれ国民から見放されてしまいます。

西尾 
君主ではなくて文化の象徴でいいというとなると、君主制はなくなってしまう。
時間の問題。百年持たない。もつかもしれないけど、なんとなくなしくずしにね・・・・

平田 
異民族を支配してなくしていくときには必ず「血と宗教」
まずキリスト教を強要、上流の配偶者をヨーロッパの人たちと組み合わせていく。
上流階級はヨーロッパ社交界に取り込まれ、国民と離れてしまう。
皇室のお嫁さんをどうするかはとても大事。
日本は白人と結婚させることはできないがバナナと一緒にしてしまえば同じこと。

西尾 
雅子妃の問題はまさにそれですよ。
外国暮らしをしたいとか、外国に行けないからノイローゼになるとか。

平田 
ヨーロッパに行くのは好きだけど、中南米や東南アジアは行かない。
着任離任の各国大使の接見でも、欧米のしかるべき大使には会うが、それ以外は無視。差別がひどい。

西尾 
ブラジルやトンガには行きたくないとか言って行かなかったしね。
あまりに見えすいていて、西洋から見れば日本の東宮家は西洋かぶれした「土侯国」
これは深刻な問題。皇后陛下も皇太子妃殿下もカトリックの学校をご卒業。
今上陛下はクェーカー教徒バイニング夫人の教育を受け、
戦後の申し子のようなアメリカニズムの洗礼を浴びた。

平田 
敗戦のとき、昭和天皇の改宗に失敗したのは痛恨の極みでしょう。
戦後、大衆社会化が進むにつれ、サンパウロでなされたブラジル移民百年記念行事で
皇太子殿下が池田大作の息子と並んで壇上に立たれるまでに草加学会が入りこみました。
由々しきことですが、「多様な国民を多様なままで統合する」との世迷いごとになずんでいると
危機感もわいてこないかもしれません。

平成皇室とは何なのか
橋本明氏の「平成皇室論」を取り上げる

平田 
これは不思議な本。夢で始まり夢で終わっている。
最初の夢は天皇陛下が文鮮明の部下にすぎない社長の車の運転手をしている。
とんでもない夢を橋本氏は肯定的に取り扱っている。不敬夢を誰も指摘していない。
非常に気になるのは皇室典範の問題に関して、男系維持の主張はよろしくない、
身分制度を復活することだと言っている。

西尾 
橋本氏によると陛下の一番の悩みは
「一部の旧皇族を源流とする皇室問題の立論が天皇皇后の足元をすくう方向で行われている」
ことだという。
雅子妃の不行跡問題が起こってから、やはり民間立妃はだめだよと。
問題は美智子妃にまでさかのぼるからそれでお悩みになったんだと。
はたしてそうかなあ。
これは個人の問題で、紀子妃にはそういう非難が起こってない。
やっぱりお人柄がどうかということが、一番基本に横たわっている問題で

平田 
美智子様は完璧路線。ご結婚の頃のいやがらせも影響しているのだろうが
批判しようにも批判できないようにすべてを完璧に行おうとしてこられた。
しかし完璧路線は袋小路。隠蔽に隠蔽を重ねなければならなくなる。
東宮問題を解決できないかなり重要な一因は、この完璧主義が崩壊するからだと思います。
皇太子殿下と雅子様の問題は人格否定発言で一気に表面化。
東宮夫妻が隠し立てしている愛子様問題もいずれそうなるでしょう。
雅子様批判が東宮批判に及びそうになってくると、
その先への波及を防ぐため、美智子様礼讃がはじまった。
「美智子様聖母論」で、小林よしのりの「天皇論」もそうだし、
「SAPIO」「女性自身」などを使った必死の美化工作も数多く見られます。
でもこれらはあまりに虚妄に過ぎるのです。

西尾 
私の世代の男性はみんなあの方が好きなのです。深窓の令嬢の理想のモデルでしたから。
その後の生涯かけた御苦労の多いいばらの道にも同情あるばかりで、
よくここまで努力なさったなあと
ですから完璧主義はあの方の歩みの必然の帰結で、完璧主義以外何ができたかというと、
もうそれはないものねだりです。
しかしそれゆえちょっとしたひび割れや傷口が大きく
致命傷になるというあなたの指摘は正鵠を射ているかもしれない。
そうなると外からお見守りするしかなく、
人間的努力が努力のゆえに破局も大きいということになると
私なんかはお気の毒で見ていられなくなります。
橋本さんの本で私が感心したのは、東宮問題は天皇陛下ご自身が決意して
お決めになって下さいと、国民からの最後のメッセージを述べていること。

平田 
これはまさしく悲劇なんです。「美智子さま礼讃」「美智子様聖母論」は
皇后陛下を究極のところまで追い詰めてしまうんです。
ですから「美智子さま礼讃」を盾にして皇室の問題を取り繕うことは、不忠の極みだと思います。
東宮問題は本来内廷なり宮中で解決すべきものです。

平田 
今の皇太子殿下妃殿下は御成婚以来15年、何をなさってきたのか。
外国に行きたいと言うだけではないですか。
我々の戦争とどう向き合ってこられましたか。
歌会始の御歌でも奥さんと娘のことばかりで、われわれの「将来の日本国の総大将」
としての気概をお示しにならなくてよいのでしょうか。
靖国神社の英霊には自分の奥さんも子供も人生もなかったのではないですか。
家族もやりたいことも、それらを一切捨てて祖国のために敵に殺されたのではないですか。
このままでは「かくばかり情けなき皇室になりたれば捧げし人のただに惜しまる」になってしまいます。

水は金融に並ぶ巨大ビジネスで、食糧とともに世界政治闘争の渦中にあります。
WTOの会議が反グローバリストの市民なるものに包囲されて粉砕された
今後、水に関する国際機関、国際会議はそのような攻撃対象になる投機資金も流れ込んでいる。
極めて政治的で火傷しそうに熱い。れに御気付きでない。

西尾 
周りの人も言わない。言論界の人も論じない。
小和田恒氏が国際司法裁判所の裁判長に選ばれたことについて
御辞退なさるべきだと私は「諸君」「週刊朝日」で言ってるんですが他の誰も言わない。
新聞も雑誌も何も語らない。絶対にそんなものやったらいけない。
国際的トラブルの長に立つわけでしょう。常識はずれもいいところですよ。

編集部 
あれはどうして阻止しなかったのか。

西尾 
阻止どころか、自分がなりたくてしょうがないんでしょう。

編集部 
本当に、小和田さんという人はどういう人なんでしょうか。

西尾 
道鏡ですよ、弓削道鏡。

平田 
出世欲がものすごく強いひとですからね。
平田 
人格否定発言、殿下のご発言にもひじょうに驚きましたけど、
皇后陛下が陛下と共に築いてきたものが
音を立てて崩れていくような感じがしたとおっしゃったのをきいて、非常な衝撃を受けたんです。

西尾 
(保坂さんの「秋篠宮が天皇になる日」に関して)
保坂さんは雅子妃問題については逃げて書かなかった。肝心なことを書かない人なんだよね。

平田 
「週刊ポスト」2009年1月寛仁親王に竹田氏がインタビュー
かなり踏み込んだ内容だったが保守会では話題にもならなかった。
(ポイントは?という西尾氏の問いに対して)
雅子妃は病気じゃない、ああいうこと(人格否定)を皇太子殿下はおっしゃるべきではなかった
自分の子供を自分の手元で育てればどういうことになるかは三笠宮家を見ていればわかったでしょう
=両陛下の子育てに対する批判
かなりの危機感からのご発言、しかしみんなスルー
みんなが隠し合って守っているものがある。それはなにか。
雅子妃への批判を封じる。
それは皇太子様批判になって、両陛下批判になることを避けるため。

西尾 
雅子妃を追跡する専属のネットがありますから。
見ているとけっして民間立妃そのものを掲げて皇后陛下に批判が及ぶという話ではないと思う。
あくまで雅子妃と小和田家の問題ですと橋本氏にも申し上げたんですが、
あなたは心配が相当、宮中にも広がっていると…

平田 
と思います。東宮家の状況は東宮だけで起こってきたものではなく、
これまでの両陛下がなさってきたことの結果なんです。
いいこともあったが、まずいこともあった。
このまずいことを反省できない。指摘できないでいるのは逆に危険。

西尾 
(橋本氏と野村東宮大夫末綱前東宮侍従会食時の「精神疾患」発言)
東宮夫妻が天皇皇后になられたら公務の質がガラッと変わる
もういやだということで。それで病気はあっという間に治る。
国民は元気になられたと喜んでだまされて、緊密な一体感は壊れていく。

推論で申し上げているが、皇太子を始めご皇族は清らかで素直で受け身で弱弱しく、
一般社会人はその気になれば、条件次第で赤子の手をねじるように左右することが可能。
雅子妃は一般社会人でしたから、私たち外の一般社会にいる人間には
何が起こっているか想像がつくのです。
ご夫妻が相思相愛の仲だとは私は全く考えていません。

平田 
今上陛下は憲法についてあそこまでおっしゃったのに皇室典範については何もおっしゃっていない
もし内々にでも宮内庁にはっきり、皇室の掟は男系であるとおっしゃっているのであれば
これほどしばしば女系容認の典範改訂が出てこないのではないかと思う。
そこについては非常に心配になります。
両陛下が作ってこられたものが何から発しているかと言えば、それは戦争と敗戦。
占領というものを考えなきゃいけない。皇室を残すために日本は色々と妥協をした。
そういうことをやってまでも残してきた皇室なんだから、ご一代のいきがかりだけで変えてはいけない。
これは皇太子殿下や雅子さま、両陛下にだって申し上げられること。
特に隠されている占領下、東京裁判にまつわる諸問題ももう一度考えてみることが必要。


(昭和天皇とマッカーサーの会談について)
その土台の上に成り立っている。
天皇陛下が非政治的平和主義者というのは自己欺瞞。
憲法について陛下のご発言は左翼に利用されるだけ。


西尾 
(皇室批判言論封殺)そういう硬直ぶりというのは、
今の時代に何か新しいことが起こっている証拠だと私は見ているんですよ。
伸び伸びと語られているのは寛仁親王殿下だけで、あとは何も言いませんしね。
親王殿下は女系になるのを恐れているし、皇后陛下の子育てに対する批判もあるし、
現状を何とかしなくちゃいけないという真摯な気持ちから長い手紙をおかきになった。
おなじ気持がわれわれ民の方にだってあって当然で、
堂々と言わなくちゃならないのに言うことをためらうというのはなんなんでしょう。

(ライター・論客に対する批判)

平田 
今の皇室は自分の方から押し出してくる。
見てください、私ってこんなにいい人なんですよ、素晴らしい人なんです、
見てくださいという感じなんです。
なぜかってそれは人格主義だからでしょう。
昭和天皇は、あの方はあくまでも君主でいらっしゃって・・・・
(皇太子殿下の「御医者様」発言。ワゴン車に押し込められていること)

西尾 
今上陛下に関してはひとつ同情もあるの。
昭和天皇とは変わって戦後は自分で役割を見つけ、それを国民の前で証明していかなきゃならなかった。
それを陛下とともにやっと築きあげたと皇后陛下がおっしゃった。
いわば人格押し売りというよりも、他に存在証明ができなかった。
そういうことではありませんか。

平田 
だからこそ人格主義の危うさに気づいていただかないと困る。
人格だけでいったら必ずこういう破綻に陥ることになる。

西尾 
天皇というのは人格と関係がない。本来血統なので。日本の天皇は「無」
しかし無を我々は人格といつの間にかすり替えてしまう弱さがある。
平田氏の指摘は辛辣だがポイントを突いている。
しかし下の世代にもっとひどい例が出てきたから、(=雅子妃)
その人を考察するためには両陛下の人格主義は肯定しなければならない。

平田 
残念なのは皇室批判が起こってくると、妙に急いで手当をされる。反応が早い。
不要な人気取りだと思う。天皇には天皇の分があると思います。
それを超えられると危ういです。

西尾 
戦後左翼の激しい60年安保の嵐の中で恐怖があったでしょう。
皇后陛下にはあんまりないと思うけれど、今上陛下には心の奥にあって
そういうお気の毒な立場で威厳のある立場とは遠いところで
自分を生かそうとするご努力をせざるを得なかった。私は気の毒で涙が出ますよ。

平田 
だからこそ平成の時代にはそういう必要はないし、
このままでは反転して悪い方向に行ってしまう。
意見を全部封殺してしまっては「隠れたる人の声」を陛下に届けることができません。
非常に衝撃的だったのは、皇后陛下が雅子様のことについてわたしたちの家族にとって大事な人云々と。

西尾 
あれは私の周辺でも怒っていた人が多いですね。
そんなことを言われたら何だという話でね、がっかりしたと。

平田 
この一言は決定的で、ご覧になっている視線が家族なんですよ。
皇后陛下が公の立場、国家の立場で
皇太子妃という公の存在を語られたものでなかったのが残念なんです。

西尾 
皇族というのは頭のてっぺんからつま先までパブリックなんですよ。

平田 
誰だって家族は大事なんですから。
結局皇室ってどういうものであって、何をなさるのかというのが、
いつしか抜けてしまっていたのです。
皇后陛下の雅子様への対処が、普通の家族意識からするものになっていたことが
明らかになってしまいました。
問題はなぜそうなってしまったかなんです。


「美智子様天皇制」崩壊の兆し

平田
皇室の平成流とは「美智子様天皇制」。
常に完璧で、ミッションスクール的意味で崇高な人格という。
しかしそれはいま破綻の危機に瀕している。
皇后陛下が大内糺のあれこれにお言葉を失われるなら、
跡継ぎ御夫婦の行状にはどうなんですか。
ご自分への直接批判があると引きこもられるけれど、跡継ぎならいいのですか。
家族家族とおっしゃるなら、ご家族の中で解決すべき問題に
なぜ国民の手を煩わされるのですか。
今上さま御夫婦は宮中の伝統に対して国民をもって弾丸とし、
国民をもって盾として逆うこともなにもかも、
皇太子時代からお好きなようにやってこられたのです。
跡継ぎご夫婦も同じようにやってるだけだから、何もいえないのではないですか。
それとも跡継ぎの結婚に際して何か特段のことがあったのでしょうか。

今上陛下も皇太子時代にいろいろ批判されたがご即位になられてからは御立派にお務め、
だから東宮ご夫妻も、という主張もあります。
しかし今上が皇太子時代に申し上げられたことははたして不当だったでしょうか。
危惧されていたことが現実化してしまったのではないでしょうか。
戦前・戦中・占領下・復興とわが日本の苦しい時代の昭和天皇を支えられた
香淳皇后に対してどうだったでしょうか。


問題がおおありだった雅子様をわざわざお妃に選んだについて
「民間・カトリック・英米」ということはなかったでしょうか。
小和田集団がわがもの顔に東宮御所に出入りして御所を私物化していること、
雅子様が実家徒のへその緒が切れていないこと、こういう国民を愚弄する
ふるまいをなぜお身内の中で糺し正すことができないのですか。
常識を備えた人間なら、誰しも何か弱みがあるんじゃないかと思うでしょう。
離婚の危機もあったはずです。そのなかで小和田集団の都合も、
好き勝手放題できる立場を手放したくない雅子様の欲も、
キャリアでハバドの嫁が自慢の跡継ぎの錯覚も、そして完璧人格の完璧ご家族という
平成流を維持しなければならないご都合もと、四者四様のそれぞれの利益が合致して
維持されているのが平成皇室ではないのでしょうか。


私は国家の名において小和田集団への取り調べを始めるべきだと思います。
東宮御所の備品についても在庫照合すべきです。
靖国神社へな天皇陛下より勅使が差し遣わされ、
秋篠宮・常陸宮・三笠宮・高円宮・桂宮・宮内庁から玉串料が奉られているのに
そこに東宮の名はありません。こんなことでいいのですか。

一億二千万人いるのですから、何をなさっても批判は出ます。
それに対抗するのに完璧をもってして批判者を黙らせるのは帝王のなさることではありません。


西尾
本書を平田さんとの対談本として計画したのは、
もう老人になった私には言えない言葉を新しい世代がきっと言ってくれるに相違ないと
期待していたからでした。
皇室に関する両者の考えに微妙に食い違いがあることは既にみられるとおりです。
しかし平田さんの結論には強い日本への愛と歴史への責任感があり、発見があります。
すべては両陛下のご決意とご行動にかかっているという点では、
平田さんも私も橋本さんも同じなのです。
国民をこれ以上苦しめないで貰いたいものです。

最後に一言、雅子妃殿下の主治医のポストが長期にわたり
大野医師に私物化され占有されたままであることの間違いを
私は再三言葉にしてきましたが、何ら変更されていません。
何十年か経って取り返しのつかぬことにならぬよう、
当局は同医師の宗教心情や政治思想をご調査になるべきです。
外国の情報部員はどこで何をしているかわからないというのが世界の常識だということも付記しておきます。

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西尾幹二×所功

超・天皇論
DISC-2「論客決戦!西尾幹二×所功」
テーマは 皇室とメディア

西尾:NHKを含むマスメディアは皇后にスポットを当てすぎている。皇后陛下はすばらしいお方であり、
民間から嫁いで深い努力をされたことに我ら国民も敬意を抱いてはいるが、
マスコミも民間の価値判断を当てはめて、そこばかり強調している。
このような報道は、皇室を人格主義の枠組みに当てはめてしまうことになる。
皇后を人格的にすばらしいという枠組みに当てはめ、
皇太子妃を裏返しの意味での人格的な枠組みを当てはめて非難することになる。
本来の皇室報道とは「天皇陛下の血統の神秘さと尊厳を暗黙のうちに知らしめる」ものであった。
昭和天皇の代まではそうなっていて、香淳皇后が前にでることはほとんどなかった。
ところが今は、「国民のウケがいい」と今上陛下よりも皇后陛下をメインに出すことが多くなっている。
これは報道の堕落である。マスコミは、皇太子が天皇になられたとき、何をメインに出すのか? 
皇后陛下を前に出すことはできないんですよ。
天皇家は、人格とか努力とか無関係に血統の尊厳ということが大事なのであって、
そのことをメインとする(国民への)教育もなされてないし、報道もしていない。
今、(マスコミが)やっていることは「破壊行為」なんです。
皇后陛下を過度に持ち出すのは皇室に対する”破壊行為”なんです。これは逆説的な言い方ですよ。
私は皇后陛下を大変評価しているし、何度も皇后陛下論を書いている。
その人間が申し上げるが、マスコミのやり方は皇室を破壊する行為だ。

所:西尾先生がおっしゃったことは非常に大事なことで、全体的にはまさにそのとおり。
皇室にとって何が一番大事かというと、その中心にいる天皇陛下です。次に皇太子殿下です。

西尾:天皇はコマの芯みたいなもので、芯がしっかりしていればコマ(国民)も動かない。
(天皇がしっかりしているときは国もしっかりしている。)二千年の間も今も、そうなんです。
北朝鮮に侮られ、韓国に蔑まれ、中国に脅されるような時代は昭和天皇の御代には無かった。
今上陛下が悪いわけではなく、米ソ冷戦が終わったということだけれども、
その結果、皇室の位置というものが危うくなってきている。
というのは、皇室は武家よりも高い位置にあって、武家が無言のうちに守ってくれるものだったが、
1945年以来、武家はアメリカが取って代わってしまった。日米関係がぐらついて、
皇室は危機に瀕している。そうであれば、日本が国家権力を取り戻して皇室を守らねばならない。
それができない日本が一番の問題。次の126代天皇の時代は外交上の立場が苦しくなり、
さらに厳しい時代になる。よほど英明の君でなければ象徴天皇の役割は務まらないのではないか。

所:現在の「象徴世襲天皇制度」について、教育が足りない。憲法の第一章に書いてあることなのに、
公民や歴史の教科書で説明しない状態が60年以上続いている。

西尾:天皇無視がますます強くなっていますよ、私どもの教科書以外はね。
所:「礼賛」するという意味ではなく、天皇制度についての教育(2000年以上続いてきたことや、
政治家とは別の役割があるということなど)を客観的に行うのが大事。

西尾:「愛子様不登校問題」について、天皇・皇后両陛下からすばらしいお言葉があった。
『学校や数名の児童が関係することがらであり、いずれかが犠牲になる形での解決が
図られることのないよう十分に配慮することが必要ではないかと思う』
私は学習院側に落ち度があるとは思わない。
子供の頃は「お前のかあちゃん、デ〜ベ〜ソ〜」と言ってはしゃぎまわる年齢で、
そういう中でもまれてなければ一人前になれない(皇室の方であろうと)。
さすがは両陛下のお心配りだと私も安心した。
ところが、皇太子ご夫妻からは「私たちも心を痛めております」の発言があったけれど、
国民の皆様に心を痛めているんではなくて、「愛子の運命に心を痛めている」という風にしか読めない。
それからしばらくして、複数の週刊誌報道だから間違いはないと思うが、
雅子妃殿下が学習院側に謝罪を要求した、と。子供の親と学校側に謝罪を要求した、と。
その話を聞いて天皇・皇后両陛下は「えーっ」と驚かれた、愕然とされた、と・・・
この大きな心の差はどこにあるのか。本当に病気なのか、それとも生まれや育ちのことに
関わるのか、そういう言葉が出てくると言うことは。または単なる性格なのか。

所:西尾さんと私が異なるところは、問題は東宮側よりも学習院側の認識にあると思う。
現在の学習院が皇室の方々をお迎えできる状態なのか、ということ。
このことで悠仁様がお茶の水大附属幼稚園に通うことになったのではないか。
学習院の幼稚園は敗戦とともに廃止されたものの、現皇太子の誕生により、
当時の学習院の院長が浩宮様のために幼稚園をつくる必要があると提言し、再び開園した。
そのくらい、学習院とは皇室という特別な方々のための存在であるはず。
悠仁様に3年保育を求められたのであれば、学習院幼稚園も2年保育から3年保育に変えたらよかった。
将来の天皇になられる悠仁様のためにはそういう体制をとればよかった。
同様に、敬宮様の問題でも、『ふつうにしてください』と言われたから
普通の子と同じ扱いをした、ということだが、それは違うと思う。
学習院の教職員だけでなく、学習院に子供を通わせている父兄も含め
「特別な方々」との認識をしっかりと持って、深い配慮の元で「特別扱い」すべきだ。

西尾:このままでは天皇や皇室が続いて行かなくなる

勝谷:皇室というのは「血統」以上に「魂」なんですよ。
魂が受け継がれなくなる可能性があるってことなんです。

西尾:天皇御一家に対する私たちの思いというのは、つつましやかさ、謙虚、正直、清潔さ、
清らかさといった日本的美徳を体現されることを望んでいるし、国難にあって皇室の方々がそれに耐えているのを見て
「陛下が忍耐してくださってる」ということが国民の勇気になるんです。
「陛下が耐えてくださってる、だったら我々も耐えようじゃないか」と、今までずっとそうだったんですよ。
陛下が民を思う心を持ってくださり、国民は陛下を見上げるという構造、
これはキリスト教のような絶対神に対する祈りとも、中国の皇帝のような絶対君主でもなくて、
生きている方々が神もしくは祭祀者(神であり人である)ということで、他の国々に例のないものなんです。

西尾:雅子妃殿下の病状というか、見ていると皇室の行事がいやでいやでたまらない、という感じなんですね。
それはさながら「君が代と日の丸が大嫌いな日教組の教師」と同じように、
目の前に日の丸を見たらイヤになるとか、君が代を歌えと言われたら拒否反応が起こるというような、
そんなような心理状態にあるからこそ、皇室に入ったら病気になるか・・・・・
見てたら、陛下に会うまい、会うまいとしていますね。天皇陛下との御面談を極力避けておられますね。

西尾:学習院を非難するのは酷だ。(雅子さまが)写生大会や一泊旅行に参加させず、囲い込んでしまう、
これは愛子様に問題児的なことがあるためなのか、
妃殿下が子離れできていないためなのか、問題があるとしか思えない。
基本的に先生方を信頼していないということ。悠仁様の話がでたけど、私は、秋篠宮様は
大変賢明な道をとられたと思う。(宮様は)愛子様の入学以来、学習院で何が起こっていたかわかっていた。
愛子様を巡るトラブルに巻き込まれたくない、ということ。
秋篠宮家の懸命なる対応だ。夫たるもの、もっとしっかりしてほしいと思うが、
(東宮では)お二人の間になにか深い溝があるように見える。

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静養5年動静伝わらず 公務欠席めぐり憶測も

北海道新聞 2008年12月9日
静養5年動静伝わらず 公務欠席めぐり憶測も

皇太子妃雅子さまが病気療養に入り今月で丸五年。
病状は一進一退で好転の兆しはうかがえない。
皇室や皇太子ご一家を世話する宮内庁東宮職が回復の状況を明らかにしないため、
国民に雅子さまの動静が十分に伝わらず憶測を呼んでいる。

東京都内で十一月中旬に開かれた日本PTAの式典。参加者約千人の視線が注がれる中、
皇太子さまの隣席には笑顔を浮かべる雅子さまがいた。
同月はスペイン国王夫妻の歓迎行事など、人目が集まる公務にも出席した。
ただ、野村一成東宮大夫は会見で「続いてくれればとは思うが、波が依然ある」と語った。
宮内庁が発表した、この一年の雅子さまの外出を伴う公務は、
両陛下へのあいさつや都内での展覧会など計二十五回で前年並み。
宿泊を伴う地方訪問は前年が長野と徳島の二ヶ所だったが、今年は一月の長野だけだった。
本格的な復帰が遅れている中、十月に大分で開かれた全国障害者スポーツ大会には、
皇太子さま一人が出席し、雅子さまは長女愛子さま(七つ)の運動会を見学した。
メディアなどは「公務よりプライベート優先」と書き立てた。
東宮職は「可能な活動の中での選択」と理解を求めた。それ以上の説明はなかった。
東宮職が病状を語らないのは
「主治医と雅子さまの間の信頼関係が壊れ治療にマイナスになる」(皇太子ご夫妻側近)
と考えているからだ。
このため、病状に関しては東宮職医師団が毎年「見解」として発表する文書だけ。
皇太子さまをはじめ皇室も容体にはほとんど言及せず「見守り、支えていきたい」
(十月の皇后さま誕生日の文書回答)との立場。
皇室研究家の高橋紘静岡福祉大教授は
「宮内庁には国民が納得いくような形での説明責任がある」と指摘する。

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