悠仁親王殿下の机に刃物 お茶の水付属中

悠仁さまの学校の席に包丁 何者かが侵入か
2019年4月27日 11時35分
秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまが通われる東京・文京区にある中学校で、
26日、悠仁さまの席に包丁2本が置かれているのが見つかりました。
警視庁は、防犯カメラの映像などから、
何者かが工事業者を装って学校内に侵入したとみて捜査するとともに、警備態勢を強化することにしています。
捜査関係者によりますと、26日、悠仁さまが通われる東京・文京区にあるお茶の水女子大学附属中学校の教室で、
悠仁さまの席に包丁2本が置かれているのが見つかったということです。
包丁はポールのようなものにくくりつけられていて、
悠仁さまと隣の生徒の席の間にまたがるように置かれていたということです。
当時は教室の外で授業が行われていて、教室内は無人だったということで、
26日、最寄りの警察署に届け出があったということです。
警視庁が防犯カメラの映像などを調べたところ、
26日の正午ごろにヘルメットをかぶって青色っぽい上下の服を着た中年くらいの男が
工事業者を装って侵入する姿が映っていたということです。
学校に入る際に訪問用の受付は通っていないとみられ、警視庁は、建造物侵入などの疑いで捜査を進めています。
また、天皇陛下の退位や皇太子さまの即位に伴う一連の儀式を控えていることから、
警視庁は警備態勢を強化することにしています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190427/k10011899041000.html

悠仁さまの席に刃物 防犯カメラに不審な男 東京・文京区のお茶の水女子大付属中
2019.4.27 12:12
秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまが通われるお茶の水女子大付属中学校(東京都文京区)で、
悠仁さまの席に刃物が置かれていたことが27日、捜査関係者への取材で分かった。
校内の防犯カメラに26日昼ごろ、ヘルメットをかぶった作業員風の不審な男の姿が写っており、
警視庁捜査1課は、建造物侵入などの容疑で男の行方を追っている。
捜査関係者によると、刃物は2本あり、棒に粘着テープで固定された状態で、
悠仁さまの席と隣の席にまたがるような形で置かれていた。
男は工事業者などを装って受付を通らずに校内に侵入し、
悠仁さまのクラスが授業で教室を外している間に、刃物を置いたとみられる。
警視庁は防犯カメラの解析を進めている。
悠仁さまは4月にお茶の水女子大付属小学校から中学校に内部進学された。
8日の入学式では新入生代表としてあいさつ。秋篠宮ご夫妻も保護者席から見守られた。
入学式前に報道陣から中学進学の感想を問われた悠仁さまは、
「これから充実した中学校生活を送りたいと思います」と話された。
皇太子さまが5月に天皇に即位されると、悠仁さまの皇位継承順は父で皇嗣となる秋篠宮さまに次ぐ2位となる。
https://www.sankei.com/life/news/190427/lif1904270015-n1.html

悠仁さまの机に刃物 2本巻き付けられ お茶の水大付属中、警視庁捜査
2019年4月27日16時30分
秋篠宮家の長男悠仁さまが通う東京都文京区の中学校で26日、
悠仁さまの机の上に刃物が2本置かれていたことが分かった。
学校の防犯カメラには同日昼ごろ、不審な男が侵入する姿が映っていたといい、
警視庁は建造物侵入の疑いで調べている。
捜査関係者によると、26日夕、お茶の水女子大学付属中学校の関係者から
「不審なものを拾った」と警視庁に連絡があった。
同庁が調べたところ、棒状のものにテープで巻き付けられた果物ナイフのような刃物が
悠仁さまの机の上に置かれていた。刃物は2本巻き付けられ、悠仁さまの机と隣の机にまたがるように置かれていた。
文字などは書かれていなかった。机は一見しただけでは悠仁さまの席とは分からないという。
同校では26日、授業が通常通り、行われていた。刃物が見つかったのは同日午後といい、
その直前、悠仁さまの学級はこの教室外での授業だった。
同校の防犯カメラには同日昼前、工事業者のような青い服を着た男が1人で侵入する姿が映っていたという。
悠仁さまはお茶の水女子大学付属小学校を卒業し今春、同中学校に入学した。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13995931.html

ピンクに塗られた刃、悠仁さまの机に 内部詳しい人物か
2019年4月27日19時08分
秋篠宮家の長男悠仁(ひさひと)さまが通う東京都文京区のお茶の水女子大学付属中学校の教室で26日、
悠仁さまの机の上に刃物が2本置かれていたことが、捜査関係者への取材でわかった。
防犯カメラには不審な中年の男が敷地内に入る姿が映っていた。
教室が無人になった際に侵入したとみられ、
警視庁は内部に詳しい人物の可能性があるとみて建造物侵入の疑いで調べている。
捜査関係者によると、26日夕、付属中の関係者から「不審なものを拾った」と警視庁に連絡があった。
1年生の教室で、棒状のものにテープで巻き付けられた刃物2本が、
悠仁さまの机と隣の机にまたがるように置かれていた。刃の部分はピンク色に塗られていた。
机には生徒の名前が書かれたシールが貼られており、悠仁さまの机を把握した可能性がある。
見つかった刃物やその周辺に文字などは書かれておらず、犯行声明のようなものも見つかっていない。
学校の正門付近の防犯カメラには、同日昼前、青っぽい作業着姿でヘルメットをかぶった中年の男が
1人で敷地内に入る姿が映っていた。インターホンで「工事の者です」と告げたという。
また、中学校の校舎付近の防犯カメラにもこの男が校舎に侵入する姿が映っていた。
教室内で刃物が見つかったのは同日午後で、その直前に悠仁さまの学級はこの教室の外で授業を受けていたという。
警視庁は、男が工事業者を装い、教室が無人になった際に侵入したとみている。
悠仁さまは同付属小を卒業して今春、付属中に入学した。皇位継承順位は、現在第3位。
付属中は大学の敷地内にあり、付近には高校も含め、多くの建物がある。
代替わりに伴う諸行事を前に、警視庁は警備を強化する方針だ。
https://www.asahi.com/articles/ASM4W5J03M4WUTIL014.html

両陛下に宮内庁長官説明 悠仁さまの机に“刃物”事件
2019年4月28日 日曜 午後6:22
お茶の水女子大学付属中学校で、秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまの机の上に刃物が置かれていた事件について、
天皇皇后両陛下は28日午前、宮内庁長官らから説明を受けられた。
両陛下は、こうした事件が起きたことに、心を痛められているという。
https://www.fnn.jp/posts/00416900CX/201904281822_CX_CX

手袋着用で侵入、痕跡残さず犯行か 悠仁さま机に刃物
2019年4月28日20時07分
秋篠宮家の長男悠仁(ひさひと)さまが通うお茶の水女子大学付属中(東京都文京区)の
悠仁さまの机に刃物が置かれた事件で、防犯カメラに映っていた敷地内に入る不審な男が、
手袋をしていたことが捜査関係者への取材でわかった。
警視庁は、男が身元特定につながる痕跡を残さないようにして刃物を置いた疑いがあるとみて、詳しく調べている。
また、捜査関係者によると事件前、学校に悠仁さまの進学を批判する内容の不審な電話があったことも判明した。
電話は事件直前ではないが、警視庁は関連を慎重に調べる。学校正門付近の防犯カメラ映像などから、
26日昼ごろ、青っぽい作業着姿のヘルメットをかぶった中年の男が
「水道工事の者です」と告げて侵入したことが確認されている。男はその際、手袋を着用していたという。
お茶の水女子大はホームページに室伏きみ子学長名で
「このたびの事件につきまして多大なご心配をおかけしましたことをお詫(わ)び申し上げます。
早急に警備体制を見直して今後このようなことが二度と起こらないよう安全確保に努めてまいります」
とのコメントを27日付で出した。
https://www.asahi.com/articles/ASM4X65P4M4XUTIL02P.html

悠仁さま机にピンクに塗った刃物 作業員風の男、正門前通過 お茶の水女子大付属中
2019.4.27 18:12
秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまが通われるお茶の水女子大付属中学校(東京都文京区)で、
悠仁さまの机の上に刃物が置かれていたことが27日、捜査関係者への取材で分かった。
学校の防犯カメラにヘルメットをかぶった作業員風の不審な男の姿が写っており、
警視庁捜査1課は建造物侵入などの容疑で男の行方を追っている。
捜査関係者によると、26日正午ごろ、刃の部分がピンク色に塗られた果物ナイフのような2本の刃物が、
アルミ製の棒に粘着テープで固定された状態で、
悠仁さまの机と隣の机にまたがるような形で置かれているのが見つかった。
教員が発見し、同日夕に「不審な物を拾った」と警視庁大塚署に届け出た。
悠仁さまのクラスは当時、授業で教室を外しており、悠仁さまやほかの生徒にけがはなかった。
教室内の机には生徒の名前を書いたテープが貼られており、生徒の席が分かるようになっていた。
同大の広報担当によると、中学校は大学のキャンパス内にあり、キャンパスの入り口は正門と南門の2カ所。
いずれの門でも、来訪者には記帳と身分証の提示を求めている。
捜査関係者によると、大学の正門付近の防犯カメラに同日昼前、ヘルメットをかぶり、
上下青色っぽい作業着風の服を着た男が、正門前を通過する様子が写っていた。
また、この男とみられる人物が同じ時間帯に、学校職員につながるインターホン越しに
「工事の者です」などと名乗り、中学校の出入り口を解錠させて校舎内に侵入したとの情報がある。
同大は「当時、工事が行われていたかどうかは把握していない」としている。
捜査1課は、防犯カメラの画像を解析するなどして侵入経路の特定を進めている。
悠仁さまは4月、お茶の水女子大付属小学校から中学校に内部進学された。
宮内庁関係者によると、悠仁さまは、住まいがある東京・元赤坂の赤坂御用地から外出される際、
皇室の身辺警護をする皇宮警察の護衛官と、都内であれば警視庁の警察官が警備につく。
ただ、登校後は護衛官や警察官は学校内で待機し、授業に立ち会うようなことはない。
警視庁は今後、学校側と協議して警備態勢を強化する方針。
https://www.sankei.com/life/news/190427/lif1904270030-n1.html

悠仁さま安全は…改元前の異様な犯行 問われる管理体制
2019.4.27 19:24
平成から令和への改元を間近に控える中、皇位継承順位3位の悠仁さまが通われている中学校で、
机に刃物が置かれるという異様な事件が起きた。
学校に不審者が侵入する事件はこれまでも発生しており、管理体制の不備が問われそうだ。
「代替わりを前に思想的な背景があるのかどうかは分からないが、
刃物に細工するなど意図や目的が分からず不気味だ」。警察幹部はこう話す。
学校の安全が見直される契機となったのが、平成13年に発生し児童8人が死亡、
教員を含む15人が重軽傷を負った大阪教育大付属池田小(大阪府池田市)の事件。
刃物を持った男が無施錠だった門から侵入し、児童や教員らを教室内や中庭で次々と襲った。
文部科学省は翌14年、学校に不審者が侵入した際に取るべき行動をまとめた「危機管理マニュアル」を作成。
動きを封じる「さすまた」の配備や登下校時以外の校門の施錠、
来訪者にリボンを着けてもらうなどの対策をとるよう全国の学校に促してきた。
今回、事件があったお茶の水女子大付属中学校は、お茶の水大のキャンパス内にあり、
幼稚園から大学まで同じ敷地内に立地している。校舎が独立している他の学校に比べて、外来者も増える傾向にある。
立正大の小宮信夫教授(犯罪学)は、「キャンパスに入るときだけでなく、
中学校に入る際にも不審者かどうかをチェックする多層防御体制が十分でなかった可能性がある。
防犯カメラも、ただ設置するだけでなく、不審者の姿が長く写るような場所に取り付けるなど工夫が必要だ」と指摘する。
教育関係者らでつくる「学校安全教育研究所」(千葉県松戸市)の岩切玲子副代表も、
「新年度が始まって間もない時期は多くの業者が学校に出入りする。
教職員も多忙になりがちだが、危機管理意識を持って不審者には積極的に声をかけるなどの対応が必要だ」と訴えている。
https://www.sankei.com/life/news/190427/lif1904270031-n1.html

悠仁さまの中学に侵入容疑、56歳男を逮捕 神奈川のホテルで身柄確保 京都が関係先か
2019.4.29 23:14
秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまが通われるお茶の水女子大付属中学校(東京都文京区)で、
悠仁さまの机の上に刃物が置かれているのが見つかった事件で、警視庁捜査1課は29日、
建造物侵入容疑で、住居・職業不詳、自称・長谷川薫容疑者(56)を逮捕した。調べに対し、
「学校に入ったことは間違いない」と容疑を認めている。男の関係先として京都市が浮上しおり、
動機や経緯を詳しく調べる。
捜査関係者によると、防犯カメラの画像などから長谷川容疑者が浮上。
中学校近くの地下鉄の駅のカメラによく似た人物が写っていたことから、
カメラ画像をたどるなどして移動経路を特定した。
29日夜に神奈川県平塚市内のホテルに戻ってきた長谷川容疑者の身柄を確保したという。
事件は26日昼ごろに発覚。刃の部分がピンク色に塗られた果物ナイフのような2本の刃物が、
アルミ製の棒に粘着テープで固定された状態で、悠仁さまの机と隣の机にまたがるように置かれているのを教員が見つけた。
悠仁さまのクラスは当時、授業で教室を外しており、無人だった。悠仁さまやほかの生徒にけがはなかった。
校内の複数の防犯カメラに同日昼前、ヘルメットをかぶり、上下青色っぽい作業着風の服を着た男が写っていた。
https://www.sankei.com/affairs/news/190429/afr1904290027-n1.html

悠仁さまの机に包丁、56歳の男逮捕…侵入容疑
4/29(月) 22:03
お茶の水女子大付属中学校(東京都文京区)で、
秋篠宮家の長男悠仁ひさひとさま(12)の机に包丁が置かれた事件で、警視庁は29日、
住所・職業不詳、長谷川薫かおる容疑者(56)を建造物侵入容疑で逮捕した。警視庁が動機を調べる。
発表によると、長谷川容疑者は4月26日午前11時頃、水道工事の関係者を装い、
お茶の水女子大の構内にある同中学校に侵入した疑い。
悠仁さまの机の上には包丁2本が置かれているのが発見され、警視庁は、長谷川容疑者が置いたとみて裏付けを進める。
当時、悠仁さまのクラスは別の場所で体育の授業中で、教室は無人だった。
大学構内の防犯カメラにはヘルメットをかぶり、作業着姿で手袋をつけた男が中学校の校舎へ向かう姿が映っていた。
事件後、近くの地下鉄駅に移動しており、警視庁は、周辺の防犯カメラをたどる「リレー方式」で解析。
長谷川容疑者と特定し、建造物侵入容疑で逮捕状を取って行方を追っていた。
警視庁は29日午後、神奈川県平塚市内のビジネスホテルで長谷川容疑者を発見し、身柄を確保した。
長谷川容疑者は同日午後9時25分頃、ホテル裏口から捜査員に連れられて姿を現し、
無表情のまま警察車両に乗り込んだ。短髪で眼鏡をかけ、えんじ色のシャツに黒色のジャンパー、黒色の長ズボン姿だった。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20190429-OYT1T50195/

悠仁さま中学校に刃物 逮捕の男 校内熟知か
2019年4月30日 5時12分
東京・文京区の中学校で秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまの机に刃物が置かれていた事件で、
29日夜、逮捕された56歳の男は、防犯カメラの映像などから、
校舎に侵入してからわずか20分後には立ち去っていたことが捜査関係者への取材でわかりました。
警視庁は、校内の構造を熟知し短時間で事件を起こしたとみて、動機などを捜査しています。
今月26日、東京・文京区のお茶の水女子大学附属中学校の教室で、
ナイフ2本を棒にくくりつけてやり状にしたものが悠仁さまの机に置かれているのが見つかり、
警視庁は、29日夜、住所、職業ともに不詳の長谷川薫容疑者(56)を建造物侵入の疑いで逮捕しました。
長谷川容疑者は工事業者を装って校内に侵入したとみられていますが、
警視庁が防犯カメラの映像を詳しく調べたところ、午前10時50分ごろに校舎内に侵入し、
わずか20分後の午前11時10分ごろには正門から出ていく姿が写っていたことが捜査関係者への取材でわかりました。
わずか20分の間に、教室に移動し、机に貼られている生徒の名前が書かれたシールを見て、
悠仁さまの席を把握したとみられています。
調べに対し「間違いありません」と容疑を認めているということです。
警視庁は、校内の構造を熟知し短時間で事件を起こしたとみて、
30日から本格的に取り調べを進め、事件の動機を捜査することにしています。

侵入と逃走の経緯は
事件が起きたのは、今月26日の金曜日の白昼の時間帯でした。
捜査関係者によりますと、午前10時半ごろ、正門前の防犯カメラに、
ヘルメットをかぶって青色っぽい服を着た男が通り過ぎる姿が写っていたということです。
その後、午前10時50分ごろ、校舎内に侵入する姿が写り、
わずか20分後の午前11時10分ごろには何事もなかったかのように正門から出て行く姿が残されていました。
当時、教室の外で授業が行われていたため生徒はいませんでしたが、
正午すぎに教室に戻ってきた教員がナイフ2本を棒にくくりつけてやり状にしたものが
悠仁さまの机に置かれているのを見つけたということです。
学校から警視庁に通報があったのは、男が侵入してから7時間以上たった午後6時半前だったということで、
その間、学校から600メートルほど離れた東京メトロ・丸ノ内線の茗荷谷駅の防犯カメラには、
特徴がよく似た男の姿が写っていたということです。
警視庁は、天皇陛下の退位や皇太子さまの即位に伴う一連の儀式を控えていることから、
殺人事件の捜査にあたる捜査1課を投入し、捜査を進めていました。

「こんな場所に潜伏とは」
長谷川容疑者は東京・文京区の中学校から60キロ余り離れた神奈川県平塚市内のホテルで確保されました。
ホテルはJR平塚駅から300メートルほどの人通りの多い場所にあり、多くの宿泊客などが出はいりしていました。
身柄が確保された時間帯にホテルの周辺にいた20代の男性は「午後9時半ごろにホテルの前を通ったときに、
銀色の覆面パトカーが発進するのを見ました。こんな場所に潜伏していたとは驚きで怖いです」と話していました。
また、60代の男性は「夕方くらいから警察がいて、神奈川県警ではなく警視庁だというので何かなと思っていました。
午後9時すぎくらいに覆面パトカーがサイレンを鳴らして走って行きました。
なぜこのようなことをしたのかわかりませんが、捕まってよかったです」と話していました。

中学校近くの住民「ほっとした」
事件が起きた中学校の周辺では、容疑者が逮捕されたことを受けて安どの声が聞かれました。
中学校の近くに住む40代の女性は「犯人が逮捕されたことをニュースで知って、ただただ、ほっとしました。
小学生の子どもは、連休中、近くの公園で遊びたいと話していましたが、犯人が捕まるまでは自粛していました。
これからは元気に遊べると思うのでよかったです」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190430/k10011901071000.html

悠仁さまの机に刃物 逮捕の男 防犯カメラの配線切断か
2019年4月30日 17時24分
東京・文京区の中学校で秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまの机に刃物が置かれていた事件で、
学校の一部の防犯カメラの配線が切断されていたことが捜査関係者への取材でわかりました。
周辺では園芸用のハサミが捨てられているのが見つかり、
警視庁は、逮捕された男が自分の姿が写らないよう配線を切断したとみて捜査しています。
今月26日、東京・文京区のお茶の水女子大学附属中学校の教室で、
ナイフ2本を棒にくくりつけてやり状にしたものが悠仁さまの机に置かれているのが見つかり、
警視庁は、29日夜、住所、職業ともに不詳の長谷川薫容疑者(56)を建造物侵入の疑いで逮捕しました。
学校の防犯カメラには、ヘルメットをかぶり青色っぽい作業着のような服を着て
工事業者を装って侵入する姿が写っていましたが、その後の調べで、
そのほかの一部の防犯カメラの配線が切断されていたことが捜査関係者への取材でわかりました。
周辺では園芸用のハサミが捨てられているのが見つかったということです。
警視庁は、長谷川容疑者が自分の姿が写らないよう防犯カメラの配線をハサミで切断したとみて調べています。
調べに対し長谷川容疑者は「間違いありません」と容疑を認めている一方で、
詳しい動機などは供述していないとみられ、警視庁は事件の経緯を捜査しています。

門以外に出はいり可能か確認も
中学校には30日も警視庁の警察官が訪れ、門以外に侵入できる場所がないか確認する姿がみられました。
このうち敷地の西側にある「西門」は、近くに住む人によりますと、ふだんは閉まっていて、
緊急の際に消防車や救急車が出はいりする時に使われるということですが、
ほかの場所よりも低くなっているため、警察官が状況を調べながら今後の対策を検討していました。
西門の近くで建築業を営む60代の男性は、「昔は高いブロック塀があったが、数年前に取り払われました。
よじ登って越えようと思えば越えられる高さです。
警察から“西門に柵を作ることを検討しているから資材を撤去してほしい”と言われました」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190430/k10011901981000.html

男が果物ナイフ置いたことを認める お茶の水女子大は学長名で反省のコメント
毎日新聞2019年5月1日 01時56分(最終更新 5月1日 04時37分)
お茶の水女子大付属中学校(東京都文京区大塚2)で秋篠宮家の長男悠仁さまの机に果物ナイフが置かれていた事件で、
警視庁捜査1課に建造物侵入容疑で逮捕された自称長谷川薫容疑者(56)が、
果物ナイフを置いたことを認める趣旨の供述を始めた。取材に対して捜査関係者が明らかにした。
捜査関係者によると、長谷川容疑者は同校に侵入したことも認めており、同課は動機について追及している。
長谷川容疑者は4月26日午前11時ごろに同校に侵入したとみられ、
同11時10分ごろには大学正門から出る様子が防犯カメラに映っていた。
事件を受け同大は30日、室伏きみ子学長名で「警備体制が十分に働いていなかったこと、
また危機対応意識に甘さがあったことを深く反省しております」とするコメントを、ホームページで発表した。
【山本佳孝、金森崇之、土江洋範】
https://mainichi.jp/articles/20190501/k00/00m/040/012000c

数日前から都内に 関係先を捜索
05月01日 12時22分
東京・文京区の中学校で、秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまの机に刃物が置かれていた事件で、
逮捕された男は、事件の数日前から都内のホテルに滞在していたことが捜査関係者への取材でわかりました。
数日前から機会をうかがっていたとみられ、警視庁は1日、
男が住所地としていた京都市の関係先を捜索し、動機などを捜査しています。
先月26日、東京・文京区のお茶の水女子大学附属中学校の教室で、
ナイフ2本を棒の片側の先端にくくりつけてやり状にしたものが、悠仁さまの机に置かれているのが見つかり、
警視庁は、職業不詳の長谷川薫容疑者(56)を、建造物侵入の疑いで逮捕しました。
警視庁は1日午前9時前、長谷川容疑者が契約書類などに自宅の住所として記していた、
京都市西京区にある集合住宅の1室を関係先として捜索しました。
その後の調べで、長谷川容疑者は事件の数日前から都内のホテルに滞在していたことが、
捜査関係者への取材でわかりました。
そして、工事業者を装う際に使ったヘルメットやナイフをホームセンターなどで次々に買いそろえていったということです。
長谷川容疑者はその後の調べに対し、ナイフを置いたことについても認める供述をしているということで、
警視庁は、数日前から準備を進めるなど機会をうかがっていたとみて、動機などを捜査しています。
https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20190501/0029142.html

悠仁さまの中学に刃物の男  綿密で計画的な犯行の動機は「皇室批判」
2019.5.2 10:10
お茶の水女子大学付属中学校(東京都文京区)で、秋篠宮ご夫妻の長男・悠仁さまの机の上に刃物が置かれていた事件で、
警視庁捜査1課は5月1日、建造物侵入容疑で、自称・長谷川薫容疑者(56)を送検した。
警視庁は長谷川容疑者の京都市内の自宅などを家宅捜索し、
悠仁さまの机にナイフを置いた動機などについて追及しているが、事件は謎が多い。
「長谷川容疑者は関西から上京し、都内のホテルに数日、泊まって犯行に及んだ。都内のホームセンターで枝切りばさみ、
ナイフ、ヘルメットなどを買っている。すべて一人で用意したようだ。
数年前まで母親と京都市内の集合住宅で二人暮らしだったが、最近は母親が病気になっていたようだ。
右、左系の団体に所属していた形跡も見当たらない」(捜査関係者)
学校内の防犯カメラの映像などから長谷川容疑者が一人で事件を起こしたとみられているが、不可解な点がある。
「犯行があった4月26日は、併設の小学校で保護者会があり、それが終わり、周囲に人が多い時を見計らって、
長谷川容疑者は学校のフェンスをよじ登って侵入。その時、近くの防犯カメラの配線を切断し、
工事業者を装い中学校に入った。防犯カメラの映像から、中学校舎まで迷うことなく、
悠仁さまの教室にたどり着いている。その時、悠仁さまのクラスは体育で教室外で授業中だった。
ある程度、内部情報を知っていた模様だ。だから、教室にナイフを置いて、
正門から逃走するまでわずか20分という手際の良さだ。協力者がいた可能性もあります」(別の捜査関係者)
長谷川容疑者は悠仁さまの机の上に、長さ約60センチのアルミ製の棒の先端に粘着テープで固定した果物ナイフ2本を置いた。
ナイフの刃はピンクに塗られていた。
「取り調べに対し、長谷川容疑者は皇室の在り方について批判的なことを語っている。そのあたりが動機のようだ」(同前)
※週刊朝日  2019年5月17日号
https://dot.asahi.com/wa/2019050200001.html?page=1

悠仁さまを「刺そうと思った」 机に刃物、中学侵入の男供述
2019.5.8 07:00
秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまが通われるお茶の水女子大付属中学校(東京都文京区)で、
悠仁さまの机の上に刃物が置かれた事件で、建造物侵入容疑で逮捕された住居・職業不詳の長谷川薫容疑者(56)が
「(悠仁さまを)刺そうと思った」などと供述していることが7日、捜査関係者への取材で分かった。
警視庁捜査1課は長谷川容疑者が悠仁さまに危害を加える目的で校舎内に侵入したとみて調べている。
捜査関係者によると、長谷川容疑者は調べに対し、悠仁さまの机の上に果物ナイフを置いたことを認め、
「天皇制や、皇位継承のあり方に不満があった」という趣旨の供述をしているという。
事件数日前から都内のホテルに滞在してナイフなどを購入しており、
1日の代替わり直前のタイミングを狙って犯行を計画していたとみられる。
長谷川容疑者は4月26日午前10時50分ごろ、事前に購入したヘルメットなどで工事業者に変装し、
大学の敷地内にある中学校の校舎に侵入。悠仁さまのクラスが授業で不在の間に、
悠仁さまの机の上に粘着テープでアルミ棒に巻き付けた果物ナイフ2本を置き、約20分後に大学の正門から逃走した。
https://www.sankei.com/affairs/news/190508/afr1905080001-n1.html

悠仁さま、刃物事件に「驚いたご様子」 皇嗣職大夫が会見
2019.5.10 18:09
秋篠宮ご夫妻を支える皇嗣職大夫(こうししょくだいぶ)の定例会見が10日開かれ、
加地隆治皇嗣職大夫は、ご夫妻の長男、悠仁さまが通うお茶の水女子大付属中学校(東京都文京区)で
先月26日、悠仁さまの机に刃物が置かれた事件を受け、
悠仁さまが「驚かれた様子だったと聞いている」と近況を明らかにした。
ご夫妻については「児童生徒や保護者らが不安に思っておられるだろうと心配されている」と話した。
加地皇嗣職大夫によると、皇嗣職が事件を把握したのは27日朝。
悠仁さまはお一方で26日夕方から私的に地方を訪問中で、連絡を受けて27日中に帰京された。
同中は事件対応で連休明けも休校となり、悠仁さまは今週、宮邸で過ごされた。
同中は13日に授業が再開する。
https://www.sankei.com/life/news/190510/lif1905100032-n1.html

悠仁親王殿下 小学校御卒業、御参拝、中学校御入学

悠仁さま、お茶の水女子大付属小学校をご卒業
2019.3.15 12:07
秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまは15日、お茶の水女子大付属小学校(東京都文京区)を卒業された。
卒業式にはご夫妻も参列し、成長された姿を見守られた。4月から同大付属中学校(同)に進学される。
卒業式を終えた悠仁さまは、紺色の制服姿でご夫妻と記念撮影に臨み、
報道陣から「おめでとうございます」と声を掛けられると、「ありがとうございます」とにこやかに応じられた。
同小によると、式では卒業生113人の最初に「秋篠宮悠仁」と名前を呼ばれ、大きな声で「はい」と返事をし、
校長から卒業証書を受け取られた。他の卒業生らと「仰げば尊し」を歌われ、
ご夫妻は保護者席からご覧になったという。
ご夫妻はご卒業にあたり「小学校の6年間、良き友人たちや教職員の方々にも恵まれて、
楽しくそして充実した学校生活を送ったように思います」との感想を発表された。
https://www.sankei.com/life/news/190315/lif1903150026-n1.html

悠仁さま、お茶の水小を卒業 卒業記念文集や写真を公開
多田晃子2019年3月15日12時10分
秋篠宮家の長男悠仁さま(12)が15日、お茶の水女子大付属小学校(東京都文京区)卒業の日を迎えた。
4月からは同大付属中に進学する。
宮内庁はこの日に合わせ、悠仁さまが卒業記念文集に寄せた作文や、運動会など小学校生活の写真を公開した。
作文のタイトルは「お茶小の六年間」。
掲載された文集のページの真ん中には「人は自然界の中で生きている」という直筆の言葉と署名も添えられている。
作文では、広い大学のキャンパスで野草や樹木を探すオリエンテーリング形式の学習をしたことを振り返り、
「みんながペースを合わせて行動し、協力することが大切です」とつづった。
また、東京都の市町村について調べたことに触れ、友達の発表を聞き、
話し合うことで「わかりやすく説明することの大切さを知りました」とも。
小学校での学びや体験を生かし、
「これからも自分が興味を持っていることを大事にしながら、過ごしていきたい」と結んだ。
宮内庁によると、6年生の夏休みには火山・地震や防災、戦争に関係する施設を訪れ、
新聞記事のようにまとめたり発表したりした。図画工作の授業では「12年後のわたし」をテーマに、
自身がトンボの生息する里山の水場を観察・調査する情景を紙粘土で表現したという。
卒業にあたり、ご夫妻は「良き友人たちや教職員の方々にも恵まれて、
楽しくそして充実した学校生活を送ったように思います」との感想を公表した。(多田晃子)

悠仁さまの卒業記念文集の作文
お茶小の六年間
秋篠宮 悠仁
お茶の水女子大学附属小学校で過ごした六年間、さまざまな思い出を作ることができました。
そこで、印象に残ったことを少し振り返ってみたいと思います。
一年生のころ、毎日ライオン池で遊んだり、畑の植物や虫を観察したりして楽しみました。
そして、いくつかのテーマから自分の関心があるものを決めて取り組む学習、
「えらぶ」の時間に、春見つけ、秋見つけなど「きせつ見つけ」をしていたことをよく覚えています。
これは、その季節で感じたことを絵や言葉で表します。
例えば春の場合だと、サクラやオタマジャクシなどを探しました。
校庭や大学キャンパスに出て春夏秋冬、それぞれの特徴を見つけていくことは、
四季のある日本の自然を理解する上でも大事なことだと思います。
これが中学年や高学年になると、広い大学のキャンパスで、
指定された野草や樹木を探すオリエンテーリング形式になります。
低学年の「きせつ見つけ」と違って、それぞれの班で、
それらがどこにあるのかを自分たちの記憶や勘を頼りにしながら、キャンパスの中を自由にまわります。
したがって、みんながペースを合わせて行動し、協力することが大切です。
また、時間制限もあるので、常にいろいろなことに集中していないといけません。
そしてオリエンテーリングが終わると、先生から野草や樹木についての説明を受けます。
私は、このような機会を通して、身近な自然と楽しくふれ合うことができました。
三年生以上になると、「えらぶ」は自学につながっていきます。
「えらぶ」は、決められた時間内で課題を進めていきますが、
「自学」では、一人一人が長い時間をかけて、自分が選んだ課題に取り組み、興味を深めていくことができます。
私は、「自学」で東京都の市町村について調べました。
学校の図書コーナーで市町村が発行している副読本を読み、東京の歴史について書かれた本を用いて、
各地域の歴史や特産物についてまとめました。自分の計画にそった資料を探し、
調べたことをまとめていくためには時間がかかります。しかし、好きなテーマを調べ続けることができるので、
多くの人たちにとって、また自分にとっても、とても楽しい時間でした。
「自学」では、四年生以上になると、クラス別の発表やテーマ別の交流があります。
その時は、画用紙に内容をまとめたり、表を作ったりして、みんなが理解できるように工夫しました。
友達の発表を聞き、話し合うことで、わかりやすく説明することの大切さを知りました。
この他にも、お茶小で楽しかった、よかったと思える素晴しい時間がありました。
緑が多く、自然が豊かな学校で、他学年の仲間と一緒にいろいろな課題に取り組み、学んだことで、
新しいことに気づいたり考えたりしました。そして、自分の力になったと思うことがいくつもありました。
お茶小で学んだことや体験したことをいかし、これからも自分が興味を持っていることを大事にしながら、
過ごしていきたいと思っています。
https://www.asahi.com/articles/ASM3F5H5SM3FUTIL02D.html

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秋篠宮悠仁さま きょう小学校を卒業
2019年3月15日 13時47分
秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまは15日、小学校を卒業されました。
悠仁さまは午前10時から東京・文京区のお茶の水女子大学附属小学校の卒業式に臨み、
その後、大学の中庭で秋篠宮ご夫妻とともに記念撮影に臨まれました。
紺の制服姿の悠仁さまは卒業証書の入った筒を手に持ち、
報道陣から「小学校ご卒業おめでとうございます」と声をかけられると、
小さくおじぎをしながら「ありがとうございます」と笑顔でこたえられました。
学校によりますと、悠仁さまは113人の卒業生の1人として卒業式に出席し、
「秋篠宮悠仁」と名前が読み上げられると、元気よく「はい」と返事をして壇上に上がり、
校長から卒業証書を受け取られたということです。
戦後、皇族が学習院初等科以外の小学校で学んだのは初めてで、
悠仁さまは6年間、さまざまな学校行事や学習を通じて社会や自然に対する理解を深められたということです。
悠仁さまは来月からお茶の水女子大学附属中学校に通われることになっています

【秋篠宮ご夫妻「楽しく充実した学校生活】
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悠仁さまの卒業にあたって、秋篠宮ご夫妻は文書でお気持ちをあらわし、
「小学校の6年間、よき友人たちや教職員の方々にも恵まれて、
楽しくそして充実した学校生活を送ったように思います。
私たちも機会があるごとに学校の行事に参加いたしましたが、
そのような機会を親子ともども楽しむことができました」と述べられました。

【学校行事での写真公開】
悠仁さまの卒業にあたって、宮内庁は学校行事に臨まれる様子を写したさまざまな写真を公開しました。
1年生の時の音楽会の写真では「だれにだっておたんじょうび」という歌を歌い、
9月生まれの人が呼ばれた時に大きく手を挙げてこたえられる様子が写されています。
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3年生の時の運動会の写真では4人一組のリレー競技を終え、友達と一緒に笑顔を見せられています。
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5年生で長野県の白樺湖周辺での林間学校に参加した時には、
登山の途中で大勢の同級生に囲まれながらひと休みされています。
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6年生の時、福島県の高原でトレッキングに参加した際には、
雨に見舞われながらも雨がっぱ姿で元気よく歩みを進められる様子が写されています。
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【卒業記念文集に「自然への思い」】
悠仁さまは小学校の卒業記念文集に「人は自然界の中で生きている」という手書きのメッセージとともに、
「お茶小の六年間」と題した作文を寄せられました。
この中で悠仁さまは、6年間自然に親しみながら過ごした学校生活を振り返り、
「校庭や大学キャンパスに出て春夏秋冬、それぞれの特徴を見つけていくことは
四季のある日本の自然を理解するうえでも大事なことだと思います」と述べられました。
そして、「緑が多く自然が豊かな学校で他学年の仲間と一緒にいろいろな課題に取り組み学んだことで、
新しいことに気付いたり考えたりしました。
お茶小で学んだことや体験したことを生かし、これからも自分が興味を持っていることを
大事にしながら過ごしていきたいと思っています」と結ばれています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190315/k10011849391000.html


悠仁さまが宮中三殿をご参拝 小学校卒業をご報告
2019.3.16 11:05
秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまは16日、皇室の祖先などをまつる皇居・宮中三殿を参拝し、
お茶の水女子大付属小学校(東京都文京区)を卒業したことを報告された。
車で半蔵門を通過する際、居合わせた人から手を振られた悠仁さまは、笑顔で一礼された。
悠仁さまは4月から、同大付属中学校に進学される。
皇室では、卒業や結婚などの節目に宮中三殿を参拝されることが慣例になっている。
https://www.sankei.com/life/news/190316/lif1903160030-n1.html

悠仁さま、武蔵野陵を参拝=小学校卒業で
2019年03月16日15時39分
秋篠宮妃紀子さまと長男悠仁さま(12)は16日午後、東京都八王子市の武蔵陵墓地を訪れ、
昭和天皇の武蔵野陵と香淳皇后の武蔵野東陵を参拝された。悠仁さまの小学校卒業に伴う参拝。
スーツにネクタイ姿の悠仁さまは、紀子さまに続いて玉串をささげ、拝礼した。
これに先立ち、悠仁さまは同日午前、皇居の宮中三殿を参拝した。
悠仁さまは15日にお茶の水女子大付属小学校を卒業し、4月から同大付属中に進学する。
(2019/03/16-15:39)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019031600429&g=soc

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悠仁さま、お茶の水女子大付属中学校ご入学
2019.4.8 10:05
秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまは8日、お茶の水女子大付属中学校(東京都文京区)の入学式に臨まれた。
式を前に、制服姿の悠仁さまはご夫妻とともに記念撮影に応じ、小雨が降る中、
中学生活への期待について「これから充実した中学校生活を送りたいと思います」と話された。
講堂で開かれた入学式には、同級生113人とともにご出席。新入生一人一人の名前が読み上げられ、
「秋篠宮悠仁」と呼ばれた悠仁さまは、元気よく返事をして立ち上がられた。
新入生を代表して「宣誓」を行い、抱負を述べられた。秋篠宮ご夫妻は保護者席から見守られたという。
5月の代替わりに伴い、悠仁さまは皇位継承順位2位となられる。
https://www.sankei.com/life/news/190408/lif1904080015-n1.html

悠仁さま、お茶大付属中入学 「可能性や視野広げたい」
緒方雄大 2019年4月8日11時42分
秋篠宮家の長男悠仁(ひさひと)さま(12)は8日午前、
東京都文京区のお茶の水女子大学付属中学校の入学式に出席した。
午前8時10分過ぎ、紺色の制服姿で秋篠宮ご夫妻とともに中庭で記者団の写真撮影に応じた。
報道陣から祝福の声をかけられると、
「ありがとうございます。これから充実した中学校生活を送りたいと思います」と笑顔を見せた。
式には114人が出席。悠仁さまは入学者を代表し、「私たちはそれぞれが持っている力を大事に伸ばし、
可能性や視野を広げていきたいと思います」と宣誓したという。(緒方雄大)
https://www.asahi.com/articles/ASM455TC8M45UTIL04N.html

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悠仁さまが中学入学式出席
新入生代表としてあいさつ
2019/4/8 11:39
秋篠宮家の長男悠仁さま(12)は8日、お茶の水女子大付属中(東京都文京区)の入学式に出席した。
悠仁さまは新入生代表として「私たちはそれぞれが持っている力を大事に伸ばし、
可能性や視野を広げていきたい」とあいさつした。
紺色の制服姿の悠仁さまは入学式前、報道陣から中学進学の感想を問われ
「これから充実した学校生活を送りたいと思います」と話した。
入学式には新入生114人が出席。大学側は新入生代表について
「学業や人格的成長を総合的に判断して選出した」としている。
秋篠宮ご夫妻も保護者席から見守った。1年生は蘭、菊、梅、竹の4組があり、悠仁さまは菊組に入った。
https://this.kiji.is/487813345653015649


悠仁さま お茶の水女子大附属中学校に入学
2019年4月8日 12時21分皇室
秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまは、8日、中学校に入学されました。
悠仁さまは、東京・文京区のお茶の水女子大学附属中学校の入学式を前に、
大学の中庭で秋篠宮ご夫妻と記念撮影に臨まれました。
真新しい詰め襟の制服姿の悠仁さまは、報道陣から「ご入学おめでとうございます」と声をかけられると、
小さくおじぎをしながら「ありがとうございます」とこたえられました。
そして、入学の気持ちを尋ねられると
「これから充実した中学校生活を送りたいと思います」と笑顔でこたえられていました。
悠仁さまは、午前10時前から113人の同級生とともに入学式に出席し、
入学を許可する者として「秋篠宮悠仁」と名前が読み上げられると、
元気に「はい」と返事をして立ち上がられたということです。
そして、新入生を代表して宣誓を行い「それぞれが持っている力を大事に伸ばし、
可能性や視野を広げていきたいと思います」と述べられたということです。
戦後、皇族が学習院以外の中学校で学ぶのは初めてで、悠仁さまは、4つあるクラスのうちの菊組で学ばれます。
悠仁さまは10日に皇居を訪れて天皇皇后両陛下に入学のあいさつをされます。

悠仁さま 新入生代表の宣誓要旨
「私たち114名の入学を認めていただき、また入学式を挙行していただき、感謝いたします。
附属小学校ではお茶の水女子大学キャンパス内の恵まれた自然に親しみながら、
友人たちと遊び、学ぶことが好きで、楽しい時間を持つことができました。
また、自主学習ではテーマを選び、自由に調べ、まとめることの面白さを経験しました。
中学校では、みずから課題を設定し、研究し、発表する自主研究があり、
大学の研究室への訪問や、大学と連携した授業への参加、国際交流留学生プラザの利用ができると聞きました。
広い視点から新たな研究課題について探求したいです。
中学校生活では、見通しを持って計画を立て、よく学び、また関心を持っていることに積極的に取り組んで、
充実した生活を送りたいと考えています。
教職員の皆様、上級生の方々には多くの場面でご指導をいただくことになると思います。
よろしくお願いします。これからはお茶の水女子大学の附属学校園の一員として、
私たちはそれぞれが持っている力を大事に伸ばし、可能性や視野を広げていきたいと思います。」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190408/k10011876821000.html

幕末維新から平成、そして未来へ−近現代史と皇室を考える

【彰往考来 新時代のヒストリア】幕末維新から平成、そして未来へ−
近現代史と皇室を考える 所功・京都産業大名誉教授(1)
2019.4.2 10:00
歴史(往事・往時)を彰(あき)らかにすることによって新時代(未来)を考える−。
「平成」から「令和」という歴史の転換点を迎えた現代こそ、
こうした「彰往考来(しょうおうこうらい)」(※1)が求められるであろう。
その最初の試みとして、皇室史の第一人者である所功・京都産業大学名誉教授に
明治から平成にいたる時代と歴代天皇や皇室、
そしてファミリーヒストリーについて語ってもらった。(編集委員 関厚夫)

◆「万機公論(ばんきこうろん)に決すべし」 戦前と戦後をつなぐ五箇条の御誓文
大化の改新・建武中興(新政)・明治維新は「日本史上の三大改革」と言われています。
昨年は「明治150年」という節目でしたが、残念だったのは明治の初めに掲げられた五箇条の御誓文(※2)が
あまり注目されなかったことです。
「広く会議を興し、万機公論に決すべし」をはじめとする五箇条の御誓文は単に明治元(1868)年3月、
明治天皇が国是(国家の基本方針)である5カ条の順守を天地神明に誓約されたのみならず、
新政府の副総裁だった三条実美以下、総勢七百数十人の文武百官らが一人一人、
「この御誓文を命がけで実行します」という決意を示す誓約の署名をしています。
それゆえ従来は260にも分かれていた諸藩が一つにまとまり、
翌年の版籍奉還、そして廃藩置県(明治4年)という近代的統一国家をつくる大前提が整いました。
その意義はいくら強調してもしすぎることがないほど重要だと考えています。
しかも、「天皇人間宣言」の通称でしられる昭和21(1946)年元日に公表された
「新日本建設に関する詔書」は、昭和天皇のご意向により五箇条の御誓文が冒頭に掲げられ、
日本は敗戦・占領下にあるけれども、誓いを新たにして
「このご趣旨にのっとり、新日本を建設すべし」などと述べられています。
つまり戦後の日本は五箇条の御誓文を新国是として再出発したといえるのです。

◆故郷・岐阜と「ご一新」
〈司馬遼太郎の短編に『美濃浪人』という佳作がある。主人公の志士、所郁太郎は西濃(岐阜県南西部)出身で、
適塾で学んだ蘭方医でもあった。幕末長州藩の内紛で襲撃され、瀕死だった後の顕官、
井上馨の一命を救ったことでしられる。しかし、まもなく病に倒れ、“無名の志士”のまま、数え歳28で生涯を終える。
郁太郎(旧姓・矢橋)の養子先の所家は、所さんの実家の隣町にあたる現在の岐阜県大野町にある〉
お国自慢の一つですが、西濃は江戸時代から非常に教育熱心です。
とくに大垣近辺は明治中期以降、数少ない博士号取得者を輩出したため「博士の町」とも呼ばれていました。
また、所姓はところどころにいるのですが(笑)、郁太郎も、長生きをすれば大きな働きをしたかもしれません。
故郷の西濃は幕末期、譜代大名の大垣藩(戸田氏)領や御三家の一つの尾張藩領、
それに天領(幕府の直轄地)などがモザイクのように入り組んでいました。
わが家は平凡な農家ですが、江戸時代の庶民がすごいと思うのは、かなり読み書きそろばんができたことです。
10年ほど前に仏壇を整理していたら、幕末のころに書かれた上手な手紙をみつけました。
なんと、それは恋文でした(笑)。
少し横道にそれましたが、私の故郷にとっても明治維新は大きな変革でした。
幕末まではすぐ隣の地区でも天領か尾張藩領か、あるいは大垣藩領かどうかで意識が異なり、
お互いに張り合ったり争ったりしたことが少なくなかったようです。
それが版籍奉還や廃藩置県によって解消されるようになったのです。

◆近代国家建設を可能にした歴代天皇と「帝王教育」の担い手たち
その後、明治10年の西南戦争を乗り越え、22年2月11日には欽定の大日本帝国憲法が公布され、
その施行とともに翌23年11月、帝国議会が開設されました。
このようにしてわが国は、天皇を中心として全国民が一致協力するという「君民一体の国柄」を堅持しながら、
西洋に学んだ立憲君主政体のもとで三権が機能する近代国家を構築しました。
やがて朝鮮半島をめぐる対立から日清戦争(明治27〜28年)や
日露戦争(同37〜38年)が起こったさいには政・軍・民が一体となって戦い抜き、
清とロシアという2つの大国に勝利をおさめました。特に日露戦争は長引けば危ういところでしたが、
外交的に英米などを味方にして奇跡的な勝利を実現したのです。
その結果、白人絶対であった欧米の主要国も植民地化されていた有色人種の国々も
日本を評価し、敬意を払うに至りました。
これらのことを可能にしたのは、近代を迎えたわが国に数多くの人材がいたからです。
しかも、その中核に明治天皇という格別な精神的リーダーがおられた、ということが非常に大きかったと思われます。
大和朝廷を中心とする統一国家の形成以降、隋・唐に学んだ律令体制のもと、
名門の貴族や武家が政治・軍事の実務を運用し、そのうえに伝統的な権威をもつ天皇が
一貫して全体を統合するという日本的なあり方が続いてきました。
日本の近現代はその延長線上に形成されてきたのです。
その中心におられる天皇は、2千年来の歴史を受け継いでこられた皇統のご子孫ですから、
一般とは異なる資質や伝統を備えておられます。
しかも同時に人間であられますから、幼少期より多くの教育を受けられます。
明治から戦後に至るまで、非常に優れた「帝王学」の指導者がいました。
立派な天皇の周辺には優れた奉仕者がおり、いろんなかたちでお導きしてきたのです。
明治天皇についていえば、西郷隆盛や山岡鉄舟をはじめとする側近たちが帝王教育に渾身の努力をしました。
その明治天皇に信任され、昭和天皇にも大きな影響を与えたのが後年、
学習院院長を務めた陸軍大将の乃木希典(のぎ・まれすけ)です。

 ※1 彰往考来 『春秋左氏伝』の研究者としてもしられる
中国西晋の武将・学者、杜預(222〜84)の著書にある言葉。
「黄門さま」こと水戸藩主の徳川光圀が『大日本史』を編集するために開設した彰考館は
この言葉にちなんで命名されている。
 ※2 五箇条の御誓文全文 一、広く会議を興し、万機公論に決すべし 
一、上下心を一にして盛(さかん)に経綸(けいりん)を行うべし 
一、官武一途庶民に至る迄、各(おのおの)其志を遂げ、人心をして倦(うま)ざらしめん事を要す 
一、旧来の陋習(ろうしゅう)を破り、天地の公道に基くべし 
一、智識を世界に求め、大に皇基を振起すべし(カタカナをひらがな表記にし、句読点を補うなどの編
https://www.sankei.com/life/news/190402/lif1904020003-n1.html


幕末維新から平成、そして未来へ−近現代史と皇室を考える 
所功・京都産業大名誉教授(2)
2019.4.3 10:00
明治時代の中ごろまで、天皇に和漢洋書を講義する「侍講(じこう)」という官職がありました。
この侍講を長期間にわたって務めた元田永孚(ながざね)(※1)が果たした役割は
きわめて大きかったと考えています。
明治天皇と元田の関係は、まさに「水魚の交わり」でした。
元田は「天皇・皇室は別格」という信念のもと、あえて明治天皇に厳しいことも申し上げました。
それでいて厚いご信任を受け、「御手許機密の顧問」として活動したのです。
伊藤博文が大日本帝国憲法の制定や帝国議会の開設というハード面で明治天皇を支えたのに対して、
元田は帝王学というソフト面で支えた忠臣です。

◆昭和天皇と乃木希典
同様に明治天皇のご信任を得たのが陸軍大将の乃木希典(のぎ・まれすけ)です。
乃木が学習院の院長に就任したのは明治40(1907)年1月。
当時5歳で翌年に学習院に入学される皇孫・裕仁親王(後の昭和天皇)の“薫陶役”をも兼ねるという大任でした。
そこで乃木は、裕仁親王が心身ともに強健な立憲君主として成長されるよう尽力しました。
その証しの一つが先日確認された、昭和天皇晩年の直筆歌稿のなかにもみられます。

 雨(の)時は馬車(うまぐるま)にて學校にかよひたること(りしが)のぎはさとせり

この御製(歌稿)には「赤坂御殿より通ふ のぎは乃木大将のこと」というご自身の「説明」が添えられています。
つまり、当時は東宮御所だった赤坂離宮(現・迎賓館)から四谷の学習院初等(学)科に通学するさい、
裕仁親王が晴の日は徒歩で、雨の日は馬車を利用されていたところ、
乃木院長から「雨の日も歩いて通われるように」と諭された、という思い出を詠まれたのです。
昭和天皇は昭和46年のある会見(※2)で、前述の御製に詠まれた出来事について
「(乃木から)質実剛健(が大事だということ)を教えられたと思います」と語っておられます。
その後、晩年の昭和62年に至ってもこの御製のように詠まれました。
小学校時代に乃木から学ばれたことが、いわば一生を貫く精神的な中核をなしていたことがわかります。
乃木や元田のような側近たちは、あえて苦言・諌言を申し上げたことも少なくありません。
それらを天皇は寛大に受け入れられ、道徳的に自らを高めていかれたのです。
以上、申し上げたのは「帝王教育」に関する話ですが、一般庶民にとりましても明治以後に学校教育が普及し、
充実したことはきわめて重要なことだと考えています。
たとえ裕福な家の出身ではなくても、勉強し、努力すればその才能を認めてもらえるような社会が到来したのですから。

◆庶民に根付き、花開く明治以後の学校教育
都会でも田舎でもほとんどの親たちは、苦労を重ねながらも、
自分の子供たちについては小学校だけは通わせようとしました。
立身出世のためという現実的な動機もあったでしょう。
でもそれとともに、教育がないのは人間として恥ずかしい、教育を受けて立派な人間になりたい、
というような意識が日本国中に広がっていたからではないかと思われます。
身内の話ですが、私の父は男2人、女3人という5人きょうだいの長男に生まれました。
田舎の貧しい小作農でしたが、父の両親とも「尋常小学校にだけは行かせたい」と考えていました。
ですので、小学校時代の父の生活は田畑の仕事をしてから学校へ行き、
授業が終わると田畑の仕事に帰ってくる、という日々の繰り返しでした。
それでも1日も学校を休まず、毎年「皆勤賞」をもらったことが父にとって何よりの自慢だったようです。
母も尋常小学校しか出ていませんが、良い先生に恵まれ、
明治天皇やおきさきの昭憲皇太后の御歌(和歌)をたくさんそらんじていました。
また、家計を助けるため住み込みで働いていたときにいろいろな習い事を覚え、かなりの教養を身につけていました。
 遠縁にあたる父と母が見合いの後、結婚に至ったさい、
母は嫁入り道具の一つに漢和辞典を携えてきました。
「嫁ぎ先で手紙を書くときにわからない字があったら恥ずかしいから」というのがその理由だと言っていました。
このように田舎の普通の主婦でも向学心があり、和歌や俳句を詠む豊かな感性を備えていました。
教育というものは学歴云々ではありません。基礎さえしっかりしていれば、
後は置かれた環境に応じて生きる楽しみを養ってゆくことができる。そんな「人間力」だと考えています。
〈所さんの父、久雄さんは大正元(1912)年、母のかなをさんは大正5年生まれ。
久雄さんは尋常小学校を卒業後、青年学校(勤労青年のための定時制の中等教育機関)に通い、
そこでも皆勤を続けた。また家業を継いだ後、農閑期には町工場で働き、生きた技術を身につけたという。
2人は昭和13年に結婚し、16年12月に長男の所さんが誕生した。
しかし、半年後に久雄さんは「赤紙召集」され、戦地へ。
この後、一家3人で再び相見る機会が訪れることはなかった〉
 
 ※1 元田永孚(1818〜91) 熊本藩出身。枢密顧問官。
「日本大百科全書」によると、「明治天皇の君徳輔導に尽力。立憲制に対しては天皇の徳治を、
教育政策では開明派の知的啓蒙に対して仁義忠孝の徳育を主張。(中略)教育勅語の草案作成に参画し、
(中略)明治公教育の理念形成を主導」した。
 ※2 昭和46年4月20日、ご訪問先の松江市での記者会見。
同月29日付の本紙によると、乃木と元帥、東郷平八郎にまつわるエピソードを尋ねられた昭和天皇は、
乃木についてふれた後、「東郷元帥たちからは帝王学の基礎を教えてもらいました。
それぞれ、いまも尊敬しています」と述べられた。
(編集委員 関厚夫)
https://www.sankei.com/life/news/190403/lif1904030003-n1.html


幕末維新から平成、そして未来へ−近現代史と皇室を考える 
所功・京都産業大名誉教授(3)
2019.4.4 10:00

◆「大正」の光と影
大正天皇(1879〜1926年)とその時代に話を移したいと思います。
大正天皇は幼少のころからご病弱でした。
しかし、東宮(皇太子)輔導となった有栖川宮威仁(ありすがわのみやたけひと)親王(※1)が
ご健康の回復に尽力されました。そして皇太子時代の大正天皇は、全国各地へ出かけられるようになり、
一般国民と直にふれあって一体感を醸成されました。
これは父君の明治天皇が地方を巡幸されたよりも自由な形で行われました。
今上陛下のお出ましのスタイルの先駆けといえるかもしれません。
明治後期に起きた日露戦争(1904〜05)に勝利した後から大正の終わりごろまで、
日本は表向き景気がよく、社会的にも「大正デモクラシー」のムードが広がりました。
しかし、即位の大礼を終えられたころから大正天皇の病状が進行し、
大正10(1921)年11月に20歳の皇太子、すなわち後の昭和天皇に摂政を委ねられることになります。
関東大震災をはさんでその5年後に大正天皇が崩御するまで、昭和天皇は摂政として立派な働きをされましたが、
非常にお辛かったと思われます。なぜなら、摂政を委ねられた皇太子がその役割を果たすということは、
父君の大正天皇がもはや公務を何もおできにならないことを裏付けることになるからです。
昭和に入りますと、厳しい内外情勢のなか、25歳で即位された昭和天皇は、
大日本帝国憲法が規定する元首として、また陸海軍を統帥する大元帥として非常なご苦労をなさいます。
もちろん近代的な立憲君主制ですから、政治・軍事の実務は臣下に委ねられ、
政府や軍部の決定を承認する無答責(法律上の責任を負わなくてもよいこと)というお立場にありました。
とはいえ、昭和4(1929)年、「張作霖(ちょうさくりん)爆殺事件」の
真相究明における首相、田中義一の食言を問責されたことで内閣が総辞職した(※2)結果、
国政に混乱を招いてしまったと反省され、ご真意の表明を控えられるようになります。

◆国民がことほぐ「皇太子さまお生まれなつた」
こうしたなかで何よりの朗報は、昭和8年12月23日の「皇太子さま(今上陛下)ご生誕」のニュースです。
昭和天皇と香淳皇后の間には4人の皇女(内親王)が次々と誕生されました。
しかし、皇位を継承できる皇子のご生誕はまだでしたから、この朗報に皇室も国民も大喜びだったようです。
そのころ、私の母(かなをさん)は岐阜市の会社重役方に住み込みで働いていました。
祝砲代わりのサイレンを聴いて飛び出し、みなでちょうちん行列をしたそうです。

〈ご生誕のさい、東京近辺では皇子さまならば祝砲代わりのサイレンは2度、
皇女さまならば1度鳴らされることになっていた。
「日の出だ、日の出に/鳴つた、鳴つた、ポーオ、ポー、/サイレンサイレン、ランラン、チンゴン、
/夜明けの鐘まで。/天皇陛下お喜び、/皆々(みんなみんな)かしは手、
/うれしいな、母さん、/皇太子さま、お生まれなつた。」
北原白秋が作詞した奉祝歌『皇太子さまお生まれなつた』の第一番である。
これに「カチューシャの唄」や「てるてる坊主」でしられる「大衆歌曲の父」の
中山晋平が曲をつけた奉祝歌は国民に愛された。
また与謝野晶子は「新しき光さし出(い)づあなかしこ 東方の主をおん父として」
という和歌でご生誕をことほいだ〉

◆日露戦争後の暗雲
少し話を戻します。わが国は、明治後半の日清戦争と日露戦争では全国民が一体となって戦い、勝利しました。
これを機に産業革命が進み、国際的に高く評価されるようになったことは確かです。
ただ、それによって日本人は一種の錯覚に陥ったのではないか。
つまり、「自分たちは世界の一等国になった」という意識が次第におごりとなり、
たとえば中国やロシアに優越感をもち、彼らを蔑視するような傾向が強まったとみられます。
大正の前半に起きた第一次世界大戦(1914〜18)で
日本は英仏露を中核とする協商国側として参戦しました。
結果、戦勝国の恩恵に浴し、一時的な好景気にわきました。
「にわか成金」という言葉に代表されるようにお金さえもうければよい、
自分さえよければよいという利己主義・刹那主義の風潮が広がりました。
その矢先、昭和に入って世界的な大恐慌に巻き込まれ、国際的に孤立するような道をたどります。
ちなみに、東宮侍従や侍従次長などを歴任した木下道雄氏(1887〜1974)が
残したノートをもとに編集された「側近日誌」が平成元年春に公開されました。
そこに昭和20年8月の終戦当時、日光に疎開されていた皇太子殿下−−
11歳当時の今上陛下がつづられた「八月十五日 新日本の建設」という題の作文が書き写されています。
その作文では、前線で戦った人々や銃後を守った人々の辛苦をねぎらうとともに、
敗戦の原因について「英米の物量が我が国に比べ物にならない程多く、
(中略)科学の力が及ばなかつた」からと冷静に分析されています。
のみならず、「日本人が大正から昭和の初めにかけて国の為よりも私事を思つて自分勝手をした」
ということも敗因として挙げられています。
これを初めて読んだとき、従来そんなことをまったく思ってもみませんでしたから、たいへん驚きました。
このご指摘が意味するところを、私共は直視しなければならないと痛感しています。

 ※1 有栖川宮威仁親王(1862〜1913) 幕末維新と明治前期に活躍した
有栖川宮幟仁(たかひと)親王の第4王子。有栖川宮家を継承。海軍大将・元帥。
 ※2 昭和3年6月、中華民国陸海軍大元帥の張作霖が関東軍高級参謀、
河本(こうもと)大作大佐の謀略により奉天で爆殺された。
真相が秘匿されるなか、首相の田中義一は当初、軍法会議を開いて関係者を処分する方針を昭和天皇に上奏した。
しかし、結果として真相が明らかになることなどから陸軍や閣僚、与党の政友会幹部らが一致して反対。
このため田中は「警備上の不行き届き」として、より軽い行政処分にとどめるという内容の再上奏を行った。
それに対して昭和天皇は「それでは前と話が違ふではないか、
辞表を出してはどうかと強い語気で云つた」(『昭和天皇独白録』)という。
(編集委員 関厚夫)
https://www.sankei.com/life/news/190404/lif1904040002-n1.html


幕末維新から平成、そして未来へ−近現代史と皇室を考える 
所功・京都産業大名誉教授(4)
2019.4.5 10:00

◆史上の名君
〈昭和天皇崩御から12日後にあたる平成元年1月19日付本紙「正論」欄で、
作家の阿川弘之さんは次のように述べている。
「対米開戦の詔書が天皇裕仁の名前で出されているにもかかわらず、陛下は世界に類い稀な、
二十世紀の名君だったという私の印象には変わりがない。
愚かな臣下どもが、半ば自分をだますようにして、勝てるはずのない無謀のいくさに突入し、
あげ句の果て、徹底的敗北を喫して、全国の都市が焼野原になり、国民は餓え、国土は戦勝国の軍隊に占領された。
その時、占領軍最高司令官のもとへ自ら出向いて行って、
『自分の一身はどうなっても構わない。どうか国民を救ってやってほしい』と懇願した、
そんな帝王が、世界の近代史の上にだれかいただろうか」(※1)
所さんもまた、昭和天皇を「類い稀な二十世紀の名君」と評価する一人である〉

「大東亜戦争」は開戦も終戦も同じ天皇のもとで行われたわけですから、
当然外部からその責任を問われかねません。それをだれよりも自覚しておられたのが昭和天皇ご自身です。
また、法的に立憲君主は無答責(法律上の責任を負わなくてもよいこと)となっていても、
自分には道義的な責任があることを晩年にいたるまで痛感しておられました。
たとえば、昭和61(1986)年の天皇誕生日(4月29日)に
在位60年の祝典が開催されたさいの御製(和歌)の草稿が先日、確認されました。

 國民の祝ひをうけてうれしきもふりかへりみればはづかしきかな
お祝いをしてくれるのは確かにうれしい。しかし、戦争によって多くの命が失われ、
国民が塗炭の苦しみを味わったことを思うと、そのようなお祝いを受けることは恥ずかしく、
自責の念にたえない。昭和天皇のそんな悔恨・痛悔の念がにじみ出ています。

◆戦死した父の「導き」

〈所さんの父、久雄さんは昭和17年7月に「赤紙召集」され、1年後、南太平洋のソロモン諸島で戦死した。
30歳だった。昭和47年夏、30歳の所さんが現地に住む日本人の協力を得て
ジャングルをかきわけて捜索したさい、偶然にも「所」と刻まれた飯ごうのふたを発見した。
さらにその翌日の7月27日朝、わずかに残っていた遺骨を拾い上げた。
「くしくも足かけ30年目の命日だった」という。
「私も人並に教育を受けて、いわゆる合理主義というものを身につけたつもりの人間であるが、
(中略)もしも霊の導きというものがあるならば、このことではないかと思わざるをえない」。
所さんはそう記している〉

小学校を卒業してからも青年学校(勤労青年のための定時制の中等教育機関)に通い、
そこで機械工学の基礎も身につけていたのか、出征先で父は、機関銃など機械類の操作に秀でていた、
と生還した戦友が言っていました。大東亜戦争では兵隊の質が落ちたと言われていますけれど、
名もなき兵士たちが自分がもつ知識や技能の限りを尽くし、まさに命懸けで戦ったことは確かだと思います。
父が戦死したとき、母は26歳、私は1歳半でした。父方の祖父母はすでに他界しており、
いわゆる母子家庭となりましたが、当時、故郷(現・岐阜県揖斐川町)では、
隣近所や親戚、とりわけ母の両親が本当によく助けてくれました。
いまもありがたいと思うのは、お互いに困ったときには助け合うのがまったく当たり前だったことです。
国全体としては大戦に敗れ、占領下に置かれても、昭和天皇は毅然としておられました。
また戦争で傷ついた人々を慰め、励ますため、全国を巡幸しておられます。
占領下にある国民が立ち直るためにできることは何でもしたい、という
強い気持ちをもたれていた昭和天皇は自分を省みず、固い意志で実行に移されたのです。
その結果、多くの国民が勇気づけられ、再建への道を歩み始めることになったわけです。

◆至高の名文「遺児の皆さんへ」との出会い

〈昭和30年、中学2年生の所さんが夏休みに日本遺族会の世話で靖国神社へ参拝したさい、
小冊子を受け取った。そこには「遺児の皆さんへ」の題で小泉信三(※2)の文章がつづられていた。
「身を殺して仁をなすは仁の最も大なるものであるといいます。即(すなわ)ち人を愛し、
人を救うために自分が死ぬということは、最高の愛の行為だということです。
戦死者は特定の人を救うために死んだのではありませんが、日本国民という、
過去から未来に及ぶ同胞の全体のために身を殺したものであって、
その人々に身を殺させた同胞国民としては、その人々とその行為とを忘れては済まないのです。
皆さんのお父さん、私の伜(せがれ)、その他無数の戦死者の死は、このような意味を持つのです。
その人々の死にも拘(かかわ)らず、日本が敗れ、彼等の死を空しくしたのは、
まことに忍びないことですが、貴とい犠牲の価値は、敗戦の故に亡びるものではありません」(※3)〉

戦後、戦没者遺族を戦争協力者として非難するような風潮もありました。
そんななか、小泉先生は遺児の私共を励ましてくださったのです。
小泉先生の最愛の一人息子だった信吉さんは海軍士官となり、戦死されています。
また小泉先生自身、空襲で家を焼かれ、顔と両手にやけどを負い、一時は重篤に陥りました。
しかし、節を変えることなく、占領下に置かれた日本が何とか精神的な独立を回復できるようにと
論壇で活躍されました。そのうえ、昭和24年から東宮御教育常時参与として
皇太子時代の今上陛下の教育に尽力しておられます。その功績については改めて述べたいと思います。

〈前述の小泉の一文は次のように続けられている。
「どうか今後、国民が国を護(まも)るために身を殺さなければならないような事態の起らぬようにしたいものです。
けれども、そういう事態の起らぬ世界の来るのを待ち望むということは、
身を殺して同胞を護ろうとした人々と、その行為の貴とさを忘れるということではありません。
皆さんのお父さんがなされたように、国のために死ぬというのはこういうことなのです」〉

 ※1 『阿川弘之全集』(第18巻=新潮社)では旧仮名遣いで収載され、ごく一部に表現の違いがある。
 ※2 小泉信三 1888〜1966 経済学者。慶應義塾の名塾長。
 ※3 引用はすべて『小泉信三全集 16』(文芸春秋)から。
(編集委員 関厚夫)
https://www.sankei.com/life/news/190405/lif1904050002-n1.html


幕末維新から平成、そして未来へ−近現代史と皇室を考える 
所功・京都産業大名誉教授(5)
2019.4.6 10:00
所さんは故郷(現・岐阜県揖斐川町)の公立小・中学校を経て、
県下でも有数の進学校である県立大垣北高校に入学したが、高校卒業後は就職を考えていた。
しかし、クラス担任から奨学金制度の活用を勧められたことをきっかけに方針を転換。
「授業料の安い国立大で、しかも家から通える範囲なら」という母、かなをさんの意をうけて
名古屋大学文学部を受験し、合格した。通学には往復で5時間あまりかかるなか、
帰路には家庭教師などのアルバイトを続けた〉

◆『風流夢譚(ふうりゅうむたん)』の衝撃

私が名古屋大に入学した昭和35(1960)年春は「60年安保闘争」(※)の真っ最中でした。
民主青年同盟(民青)の指導する学生自治会が授業拒否のストを行い、
大規模なデモにはノンポリの学生も動員されていました。
また彼らは、反米・親ソを連日吹聴しましたので、
「ひょっとしたら日本にも共産革命が起こるのではないか」という懸念がありました。
このような騒然とした世情のなかでさらに衝撃を受けたのが、
それまで良心的な総合雑誌だと思っていた「中央公論」の12月号(この年の11月10日発売)に
『風流夢譚』が掲載されたことでした。

〈『風流夢譚』は『楢山節考』の著者として知られる深沢七郎(1914〜87)の短編小説。
夢の中という設定ながら、「革命の様なこと」が起き、群衆が皇居を占拠。お祭り騒ぎのなか、
当時の皇太子ご夫妻や天皇・皇后両陛下を処刑する−−というセンセーショナルな内容だった。
掲載後、宮内庁は法的措置を検討。批判(一部には「革命への恐怖を語った寓話(ぐうわ)的な文学作品」
として擁護する声もあった)が高まるなか、中央公論社側は編集長が宮内庁に出向いて陳謝した。
宮内庁もこれを受け入れたが、右翼団体は抗議行動を継続。
そして翌36年2月、右翼少年が中央公論社社長方に侵入、家政婦を刺殺し、
夫人に重傷を負わせるテロ事件が起きた。前後して深沢は世間から身を隠し、放浪生活に入った〉

私は学内生協の書店で偶然これを見つけて立ち読みし、がくぜんとしました。
たとえ夢物語とはいえ、現行の憲法に「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と明記される
天皇とご家族を斬殺して嘲笑するような小説が公表される、というのは異常です。もしこれを放置すれば、
やがて本当に天皇制度が抹殺されるような事態になるのではないかという危機感に襲われました。

◆孤軍奮闘
そこでまもなく「皇室の尊厳をお守りする運動」があることを知り、その署名運動に協力しました。
気の小さい田舎者の私がそんなことに参加したのは、高校時代の恩師、稲川誠一先生の影響です。
先生は戦争末期に東大に入り、戦後も東大大学院で日本中世史の研究をしておられましたが、
両親に孝養を尽くすために郷里へ帰られ、ちょうど私の高校入学の年に赴任してこられました。
先生のユニークな授業とご人徳に引かれて私は心底、歴史が好きになりました。
当時は日本教職員組合(日教組)全盛の時代でした。先生は教育正常化のために日教組を脱退し、
彼らから猛烈な非難にさらされましたが、堂々と信念を貫かれ、後には日本教師会の会長も務めておられます。
この稲川先生が「皇室の尊厳をお守りする運動」に奔走され、私にも協力を求められたのです。
私は政治的なことに関わることが嫌いでして、いろんな誘いを受けても断ってきました。
ただ、このときばかりは別でした。学内でも署名活動をしなければならないと思い立ち、
行動に移したところ、たちまち総スカンどころか、罵詈雑言を浴びせられる毎日となりました。
当時の名古屋大は学生運動が盛んで、校舎のあちこちに赤旗が立てられ、
教室ではアジビラがまかれていました。
「天皇制は有害無益どころか、早急に廃止・撲滅すべきである」といった考え方が、
学生自治会のリーダーだけでなく、一般のノンポリ学生にも共有されているようでした。
だから私が「日本の象徴として天皇が続いてゆくためには、皇室の尊厳を守る必要がある」などと言っても、
耳を傾けてくれる人はほとんどいませんでした。

◆皇室観が激変した理由
あれから60年近くたったいま、当時を振り返りますと、隔世の感があります。
天皇・皇室と一般国民の関係が激変したと言っても過言ではありません。
それはなぜか。いろいろな内外情勢の変化が背景に考えられます。
でも何より、60年以上在位された昭和天皇のご人徳とご活動が多くの人々に理解されたこと、
さらに今上陛下が昭和天皇をお手本に「国民統合の象徴」としての務めに全身全霊を注いでこられたこと
−−こうした実績によるところが大きいと思われます。
ですので、いまでは「天皇が皇后とともに大きな役割を果たしておられる」
「われわれにとって重要な存在だ」というような理解をする人の方が圧倒的に多くなっています。

〈所さんは名古屋大学を卒業後、同大大学院に進学する。
そして昭和41年春、文学研究科修士課程(国史学)を修了し、皇學館大学文学部助手に就任した。
皇學館大は明治15(1882)年の神宮皇學館(後に内務省所管の官立専門学校を経て
文部省所管の官立大学に昇格)創設以来の歴史をもつ。
神宮皇學館は昭和21年、連合国軍総司令部(GHQ)から廃学処分を受けたが、
私立皇學館大として37年に再興されていた〉

 ※60年安保闘争 岸信介政権(当時)が、昭和27年に発効した日米安保条約を改定するために、
国会の承認を得ようとしたことに対する反対運動。野党や左派言論人などが主導し、大規模な国会デモやストが行われた。
(編集委員 関厚夫)
https://www.sankei.com/life/news/190406/lif1904060002-n1.html


幕末維新から平成、そして未来へ−近現代史と皇室を考える 
所功・京都産業大名誉教授(6)
2019.4.7 10:00

◆生きた歴史の宝庫・伊勢
昭和41(1966)年春、文学部助手として赴任した皇學館大には
あこがれの日本古代史研究者、田中卓(たかし)教授(のち学長)をはじめ、
国史・国文の大家がたくさんおられました。
またここのキャンパスは故郷・岐阜県に近い三重県の伊勢市にありますから、
週末には帰省して母の手助けをすることもできました。
奉職の3年後に妻(京子さん)とスピード結婚しました。
彼女は京都女子大の史学科を卒業してからソーシャルワーカーの資格を取り、
ある病院に勤務した後、母校の大学院で平安貴族社会の研究をしていました。
ですから、田舎住まいや農作業なんかできないと思っていたところ、むしろ私の実家や故郷に喜んで溶け込み、
母にとって嫁というより実の娘のようになり、そのおかげで私は研究と教育に専念することができました。
妻にはまったく感謝のほかありません。
私の文献的な歴史研究は名古屋大でスタートしましたが、皇學館大に勤めてから
古代以来の伝統を体感することができました。とくに伊勢神宮で昭和48年に行われた第60回式年遷宮は、
数年前の準備段階から完成後にいたるまでの祭儀を継続的に間近で見聞させていただけた。
これは、伝統文化を保存し継承してゆくのに、どれほど多くの知恵と工夫が必要かということを
具体的に学ぶ機会となりました。
しかも、そこで展開される祭儀に用いられる衣装や調度などは、
私の専門とする平安時代の宮廷儀式や行事にきわめて似ています。
ですから、文献史料と伊勢神宮での見聞を照らし合わせることにより、
実によく理解できるようになったと思います。

◆思わぬ転機

〈昭和50年の少し前、所さんに転機が訪れる。
文部省から「初等中等教育局の教科書調査官(社会科)に」との就任要請を受けたのだ〉

文部省からは「ぜひ来てほしい」と言われたのですが、私は穏やかな伊勢に永住するために土地を買った直後でした。
お断りしようと思って田中先生に相談しましたところ、
先生から「ここにいてほしいが、東京へ行って全国を見渡せる研究者になるほうが重要だ」と言われ、
「いばらの道」に進む決意をしました。
いざ東京に出てみますと、確かに田中先生のおっしゃる通りでした。全国から集まる多彩な人々と出会い、
一挙に視野を広げることができました。
ただ、教科書調査官の仕事は、大学の先生や現場の方々が書かれた検定申請用の教科書原稿に
明らかな誤記や著しい偏向などがないかどうかを丹念に調べて審議会に検討材料を提出し、
その判定結果を編著者に伝達することの繰り返しでした。教育的な意義は大きいですが、
研究者としては気分が晴れない毎日でした。
そこで計6年間にわたって小・中・高の社会科検定を2回り担当した後、
昭和56年春、京都産業大学教養部の教授に転出しました。
ところが、その翌年、歴史教科書の「書き換え」をめぐる大騒動が起き、
それにしばらく振り回されることになりました。

◆「教科書書き換え」誤報事件と教科書裁判

〈昭和57年夏、高校教科書検定で文部省が「(中国)華北に侵略」という記述を「進出」に書き換えさせた
−などとマスコミ各社が一斉に報道した。誤報だった。しかし、訂正を出したのは本紙だけだった〉

私にはいまなお、マスコミの人たちに複雑な思いがあります。
もちろん、貴紙が誤報の訂正を出されたことには敬意を表します。
けれども、57年の教科書検定報道については事実と違う内容を各社とも
よく調べもせずにうのみにしてしまいました。
そのうえ、中国や韓国の報道まで利用して一斉に文部省を袋だたきにするという異常な事態に空恐ろしい思いをしました。
あるとき、すでに退官していた私のところに若い記者が来ました。
「文部省による教科書検定の実態を正確に報道したいので詳しく話をしてほしい」と言うので、
応じることにしました。取材は3日間にわたり、双方とも録音を取りました。
ところが、実際の記事をみると、まるきり違う話になっていたのです。
即刻、その記者に抗議をしたところ、「デスクに既定方針があって、それにそった記事となってしまい…」。
そんな弁解を聞いてあきれかえりました。
これ以降、私は一時期マスコミ不信に陥りました。しかしその後、さまざまな出会いを重ね、
「どの社でも現場の人ほど真摯に相手の話を聞き、伝えようとしている。
それに応えて少しでも正確に報道してくれるよう誠意を尽くすほかない」と考えるようになりました。
ただ、私のコメントが掲載されるときには、新聞でも週刊誌でも一字一句を事前チェックすることにしました。
苦い目にあったおかげで少し知恵がついた、ということかもしれません。
ちなみに、私の在任中から続いていた家永三郎先生の教科書裁判(※)には、私も文部省側の証人として出廷しました。
家永先生は日本思想史の大家であり、非常に純粋な方です。
思想的には右でも左でもない自由主義者(リベラリスト)を自認されていました。
しかし、一連の裁判では、反権力闘争の運動グループから支援を受けて、
かなりエキセントリックな主張をかたくなに続けておられました。そんな姿をみて気の毒に感じました。
 ※ 教科書裁判(家永教科書裁判) 家永三郎氏が自著の高校教科書に対する
検定不合格処分や条件付き合格処分は学問の自由や検閲の禁止などに反し、
違憲・違法−−などとして国や文部相を相手取って提訴。計3次にわたり、30年あまりにわたって争われた。
(編集委員 関厚夫)
https://www.sankei.com/life/news/190407/lif1904070002-n1.html 


幕末維新から平成、そして未来へ−近現代史と皇室を考える 
所功・京都産業大名誉教授(7)
2019.4.8 10:00

◆小泉信三の教え
以前、乃木希典(のぎ・まれすけ)の薫陶が昭和天皇に大きな影響を与えた話をしました。
同じことをまもなく譲位される今上陛下について考えますと、
穂積重遠先生(※1)をはじめとしてその「帝王教育」に献身された先生を幾人も挙げることができます。
その代表が昭和24(1949)年に東宮(皇太子)御教育常時参与に就任した小泉信三先生(※2)です。
小泉先生の教育内容については「御進講覚書」や「メモ」などが先年、公開されました。
これらを読んだとき、いくつもの新鮮な驚きがありました。
 まず小泉先生は、世界史を見渡すと、敗戦国では民心が王室から離れるか、
怨嗟(えんさ)の対象となって君主制は終焉するのが通則である
−などとしたうえで「ひとり日本は例外をなし、悲(かなし)むべき敗戦にも拘(かかわ)らず、
民心は皇室をはなれぬのみか、或(ある)意味に於ては
皇室と人民とは却(かえっ)て相近づき相親しむに至ったといふことは、
これは殿下に於て特と御考へにならねばならぬことであると存じます」と問題提起しています。
小泉先生はその“解”として昭和天皇の「御君徳」を挙げます。
昭和天皇は平和を愛好し、学問・芸術を尊重し、天皇としての義務に忠実であり、
人に対する思いやりが深いということを国民は存じ上げていた−−などと説明します。
また、それが「敗戦といふ日本の最大不幸に際しての混乱動揺を
最小限に止(とど)めさせた所以(ゆえん)であると存じます」とも指摘しています。
そのうえで「この事を深くお考へになり、皇太子として、将来の君主としての責任を
御反省になることは殿下の些(いささ)かも怠(おこた)る可(べか)らざる義務であることを
よく御考へにならねばなりませぬ」「殿下の御勉強とは修養とは
日本の明日の国運を左右するものと御承知ありたし」などと結んでいます。
さらに「人の顔を見て話をきくこと、人の顔を見て物を言ふこと」という具体的な心得もあります。
今上陛下が各地にお出ましになったさいには、必ず相手の顔を見ながらその悲しみや苦しみを理解しようと努められ、
その気持ちを受け止めたうえで、相手の心にしみいるような言葉をかけられる。
これは小泉先生の教えの影響であり、すでに昭和天皇がそのお手本でもありました。

◆天皇陛下の「旅」への畏敬
昨年末の会見でもふれておられましたように、ご成婚まもない昭和34年秋、
伊勢湾台風(※3)に襲われた東海地方を見舞われたのが、今上陛下の初めての被災地訪問です。
現地に行って関係者に直接会い、その顔を見ることによって学ばれたことは多いと思われます。
その後の被災地や国内外にわたる「慰霊の旅」は、悲しみ苦しむ人々のもとを訪れ、
その心に寄り添うことの意味と意義を実感としてよく理解されているからこそ、
おできになることではないでしょうか。
明治維新以来150年にわたる日本の近現代史において、ときどきの天皇は重要な役割を果たしてこられました。
その延長線上で、今上陛下が父君の昭和天皇をお手本とされ、
新たに大きな務めを重ねてこられたことには敬服し、感謝するほかありません。
今上陛下は、国民統合の象徴として現に生きている人々だけでなく、
亡くなった人々のためにも真心を尽くしてこられました。
象徴たる天皇は何をすべきか、何ができるかということを常に考えられ、政府と十分に協議をされたうえで、
慎重かつ積極的にその務めを続けられ、はや85歳となられたのです。
明治以来、「終身在位」が原則とされてきました。
けれども、7世紀の半ばから江戸時代までを概観すると、生前に譲位しておられる天皇が多い。
陛下はそういう歴史的な事実をふまえ、高齢化を理由とした譲位のご希望を表明されました。
そして一昨年、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が与野党合意に基づき、
衆参両院で可決され、成立したのです。

◆「平成後」の皇室と日本国憲法

〈歴史的な「御代替わり」は目前に迫っている。
所さんの胸中には、皇室の将来に関する期待と不安が混在しているという〉

実は一昨年12月、私個人として最後の皇居勤労奉仕(※4)に参加し、2日目に東宮御所へ参りました。
そのさい、皇太子殿下から思いがけない激励の言葉を賜りました。また、あの凛とした立ち居振る舞いとともに、
あらゆる人々を包み込むような笑顔を拝見して一同、深い感銘を受けました。
皇太子殿下は、天皇・皇后両陛下や昭和天皇・香淳皇后のご薫陶を受けて育たれました。
また英オックスフォード大学での留学経験などから国際的な広い視野と見識を養われています。
そのすぐれた能力と心やさしいお人柄は、世界からも高く評価されるに違いありません。
明治維新以来150年の間、日本は何度も難しい局面に至りながら、中心に天皇がおられ、
皇室があるおかげで、なんとかそれを乗り越えることができました。
それがいまも続き、これからも続いてゆくという展望をもつことができるのは、
まことにありがたいことだと思います。
とはいえ、このままでは皇室が人数的にやせ細ってしまい、やがて衰微する恐れがないとはいえません。
そこで今日、いろいろな考え方を出すのはよいことです。
何より日本国憲法の第1章(1〜8条)が「天皇」の規定になっている事実に注目する必要があります。
そこには「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であるとともに
「皇位は、世襲のもの」と明記されています。
この世襲の具体的なあり方については、2千年来の伝統を大事にしながら
少子高齢化が進む現代と未来にふさわしい改革を加え、近未来に備える必要があると考えています。
(この項終わり)
 ※1 穂積重遠(1883〜1951) 東京帝大教授や最高裁判事などを歴任。
「日本家族法の父」とも称される。
祖父は『論語と算盤(そろばん)』の著書でもしられる実業家、渋沢栄一。
 ※2 小泉信三 本稿第4回参照。
 ※3 伊勢湾台風 高潮による水害などで愛知・三重の両県を中心に
死者・行方不明者が5千人を超えるなど戦後最大の台風被害をもたらした。
 ※4 皇居や赤坂御用地で平日に4日間行われる除草や清掃などのボランティア奉仕。
満15〜75歳の15〜60人で構成される団体が対象(詳細は宮内庁のHP参照)。
(編集委員 関厚夫)
https://www.sankei.com/life/news/190408/lif1904080004-n1.html  
 

 ところ・いさお 昭和16(1941)年12月、岐阜県揖斐川町に生まれる。
41年、名古屋大学大学院文学研究科修士課程(国史学)修了。
慶大大学院法学研究科で法学博士号取得。専門は日本法制文化史。
文部省初等中等教育局教科書調査官や京都産業大学法学部教授、同大日本文化研究所長などを歴任。

新元号

「令和」と決定 菅官房長官が発表
2019.4.1 11:42
政府は1日午前、「平成」に代わる新元号を「令和(れいわ)」と決定した。
菅義偉(すが・よしひで)官房長官が記者会見で発表した。
新元号を記した政令は同日中の天皇陛下による署名・公布後、
皇太子さまが新天皇に即位される5月1日午前0時に施行される。
皇位継承前の公表は憲政史上初めてで、改元に伴う国民生活への影響を最小限にすることを重視した。
645年の「大化」から数えて248番目の元号となる。
菅氏の記者会見に続き、安倍晋三首相も正午ごろ記者会見し、談話を発表。
新元号の意義を自ら国民に説明する異例の対応で臨む。
天皇一代で元号一つを定める「一世一元」制が確立した明治以降は、天皇崩御に伴い改元した。
今回は一代限りの譲位を可能とする皇室典範特例法に基づく。
政府は譲位が天皇の政治関与を禁じた憲法に抵触しないよう平成改元時の元号選定手続きを原則踏襲した。
1日は菅氏の会見に先立ち、政府が各界有識者の懇談会で複数の原案を示し意見を求めた。
原案は国文学、漢文学、日本史学、東洋史学の専門家が考案した候補名から絞り込んだ。
衆参両院の正副議長に意見を聴き、全閣僚会議を経て臨時閣議で政令を決定した。
https://www.sankei.com/life/news/190401/lif1904010025-n1.html

「令和」の出典は万葉集 日本の歌集から初採用 菅長官
2019.4.1 11:55
菅義偉(すが・よしひで)官房長官は1日午前の記者会見で、
新元号「令和」の出典は万葉集であることを明らかにした。
中国ではなく日本の歌集から採用されたのは確認される限り、初めて。
https://www.sankei.com/politics/news/190401/plt1904010016-n1.html


首相談話全文「希望とともに花咲かせる日本でありたい」
2019.4.1 13:25
安倍晋三首相は1日、新元号「令和(れいわ)」に関する談話を発表した。首相談話の全文は次の通り。

本日、元号を改める政令を閣議決定いたしました。
新しい元号は「令和」であります。
これは、万葉集にある「初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして 
気(き)淑(よ)く風(かぜ)和(やわら)ぎ 梅(うめ)は
鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き 蘭(らん)は
珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」との文言から引用したものであります。
そして、この「令和」には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ、という意味が込められております。
万葉集は、1200年余り前に編纂(へんさん)された日本最古の歌集であるとともに、
天皇や皇族、貴族だけでなく、防人(さきもり)や農民まで、
幅広い階層の人々が詠(よ)んだ歌が収められ、わが国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります。
悠久(ゆうきゅう)の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然。
こうした日本の国柄を、しっかりと次の時代へと引き継いでいく。
厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、
一人ひとりの日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。
そうした日本でありたい、との願いを込め、「令和」に決定いたしました。
文化を育み、自然の美しさを愛(め)でることができる平和の日々に、
心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ちあふれた新しい時代を、
国民の皆さまとともに切り拓(ひら)いていく。新元号の決定にあたり、その決意を新たにしております。
5月1日に皇太子殿下がご即位され、その日以降、この新しい元号が用いられることとなりますが、
国民各位のご理解とご協力を賜りますようお願いいたします。
政府としても、ほぼ200年ぶりとなる、歴史的な皇位の継承が恙(つつが)なく行われ、
国民こぞって寿(ことほ)ぐことができるよう、その準備に万全を期してまいります。
元号は、皇室の長い伝統と、国家の安泰と国民の幸福への深い願いとともに、
1400年近くにわたるわが国の歴史を紡(つむ)いできました。
日本人の心情に溶け込み、日本国民の精神的な一体感を支えるものともなっています。
この新しい元号も、広く国民に受け入れられ、日本人の生活の中に深く根ざしていくことを心から願っております。
https://www.sankei.com/life/news/190401/lif1904010038-n1.html


新元号は「令和」 出典は万葉集 首相「希望とともに花咲かす日本に」
2019.4.1 17:50
政府は1日、「平成」に代わる新元号を「令和(れいわ)」と決定した。
菅義偉(すが・よしひで)官房長官が記者会見し、墨書を掲げて公表した。
安倍晋三首相も記者会見で自ら談話を発表し
「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ意味が込められている」と述べた。
出典はわが国最古の歌集「万葉集」で、日本古典からの引用は初めて。
645年の「大化」以降、248番目の元号となる。
新元号を記した政令は天皇陛下が1日に署名・公布され、
皇太子さまが新天皇に即位される5月1日午前0時に施行される。
政府は、憲政史上初めてとなる天皇陛下の譲位に伴う皇位継承の準備に万全を期す。
「令和」の出典は「万葉集」巻五の「梅花(うめのはな)の歌三十二首并(あわ)せて序(じょ)」。
「初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、
梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」から引用された。
首相は「厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、
日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる日本でありたい、
との願いを込めた」と語った。
菅氏は、「令和」について「日本人の生活の中に深く根ざすよう努める」と強調した。
考案者や決定前の原案を明らかにすることは「適当ではない」として公表しなかった。
政府は午前9時半ごろ、京都大iPS細胞研究所所長の山中伸弥教授ら各界の有識者9人を起用し、
首相官邸で開いた「元号に関する懇談会」に6つの原案を示して意見を求めた。
原案は国文学、漢文学、日本史学、東洋史学の専門家が考案した候補名から絞り込んだ。
その後、衆院議長公邸で衆参両院の正副議長に意見を聴取し、
全閣僚会議を経て、臨時閣議で新元号を定める政令を決定した。
https://www.sankei.com/life/news/190401/lif1904010066-n1.html

安倍晋三首相、初の国書由来で日本の誇り世界に示す
2019.4.1 18:26
安倍晋三首相は1日、記者会見で新元号を「令和」と決めた理由を「一人ひとりの日本人が明日への希望とともに、
それぞれの花を大きく咲かせることができる時代を築きたい」と説明した。
日本最古の歌集である万葉集から引用し、新元号が国民に広く親しまれることを意識した。
「広く国民に受け入れられ、日本人の生活の中に深く根ざすものとしたい」
首相は昨年1月、新元号について訪問先のブルガリアでこう述べている。
「大化」(645年)から「平成」まで計247ある元号は、これまで全て中国の古典(漢籍)に由来してきた。
一方、現代の日本社会は国際化が進んで日常生活で西暦が定着していることもあり、元号不要論もくすぶっている。
そうした中で、首相は決定の1年以上前から新元号を日本の古典から引用する意志をにじませていた。
新時代への願いを示す元号に悠久の歴史や四季折々の自然など
「日本の決して色あせることがない価値」を反映させたい思いがあった。
ただし、権威ある学者から集めた候補から一つに絞るのは容易ではなかった。
選定作業が本格化した3月上旬には、首相の手元に「漢字2文字」「俗用されていない」
「明治(M)、大正(T)、昭和(S)、平成(H)の頭文字と重複しない」など条件が記され、
計100案ほどの候補名が考案者ごとに列記されたA3サイズの紙が届いた。
首相はこれを見て、周囲に「選ぶのは難しい」とこぼしたという。
30年続いた平成が幕を閉じようとする現在、日本は人口減少や変化の激しい国際情勢、
デジタル社会などで大きな転換点を迎えている。戦後70年、日本の繁栄を支えた外交や経済、社会保障など、
制度の抜本改革なしに次の時代に待ち受ける厳しい国際社会の荒波を乗り越えることは難しい。
「令和」の典拠に出てくる梅は中国原産で、古く日本に伝わり、
厳しい寒さが残る早春に桜に先駆けて凜(りん)と咲く。
首相は歴史上、初めて国書を由来とする元号を選ぶことで日本人の誇りとともに、
改革を前に進め、平和で豊かな日本を次世代に引き継ぐ覚悟を示した。(小川真由美)
https://www.sankei.com/life/news/190401/lif1904010069-n1.html

陛下と皇太子さまへ公表前に伝達 ご公務は普段通りに
2019.4.1 20:57
天皇陛下は1日午前、皇居・御所で宮内庁の山本信一郎長官から、
皇太子さまは東京・元赤坂の東宮御所で西村泰彦次長から、
それぞれ菅義偉(よしひで)官房長官による公表前に新元号の報告を受けられた。
山本氏によると、臨時閣議終了後に官邸から新元号決定の連絡があり、
東宮御所に待機する西村氏に電話した上で御所へ。メモ書きした新元号を陛下に示して報告した。
山本氏は「いつも通りの表情でお聞き届けいただいた」と話した。
西村氏によると、皇太子さまはにこやかに「分かりました」と応じられたという。
両陛下は同日午後、普段通り公務に臨まれた。
午後4時から皇居などで清掃をするボランティア「勤労奉仕団」の約160人と皇居・蓮池参集所で懇談し、
陛下は岡山県から来た男性に「去年は災害もありましたね。今はどうですか」と気遣われたという。
続いて今年1月の歌会始の儀で選者を務めた歌人らを御所に招いてご歓談。
出席者の一人は「新元号の出典となった万葉集も話題にのぼったが、
両陛下が新元号に言及することはなく、選者それぞれの話をくつろいだ表情で聞かれていた」と話した。
https://www.sankei.com/life/news/190401/lif1904010090-n1.html

和暦やめ西暦の原則使用、外務省が検討 読み替え煩雑で
清宮涼 2019年4月1日20時29分
外務省が元号を使った和暦の使用を原則的にやめ、西暦を使う方向で検討していることが1日、わかった。
これまで外交交渉で西暦を使用する一方、省内の文書は西暦と和暦が混在していたため、
読み替えが煩雑で間違う恐れもあった。
外務省幹部は取材に対し、「(省内の文書を含めて)基本は西暦を使うように変えていく」と明言した。
外務省関係者によると、西暦表記を原則とする手続きや時期について現在、検討を進めている。
会計年度や閣議の資料などの表記には例外的に元号を使わざるを得ないとみられるが、
外務省関係者は「わかりやすさを重視していく」と話した。
河野太郎外相は3月29日の記者会見で、「2019年が元年になると、計算をどうするのか。
西暦と元号の間の行ったり来たりというときに間違いがないように、しっかり対応していきたい」と述べていた。
(清宮涼)
https://www.asahi.com/articles/ASM416CQ4M41UTFK027.html

新元号、政府提示6案に英弘・広至など 典拠に古事記も
2019年4月2日01時30分
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新元号「令和(れいわ)」を決めるにあたり、政府は1日、六つの原案を選び、
有識者による「元号に関する懇談会」などに提示した。
政府は原案の数も含めて公表していないが、「令和」のほか、
「英弘(えいこう)」「広至(こうじ)」「万和(ばんな)」「万保(ばんほ)」などがあったことがわかった。
複数の政府関係者が1日夜、朝日新聞の取材に明らかにした。
6案の典拠は国書と漢籍が三つずつで、国書は「令和」の万葉集に加え、日本書紀、古事記だった。
「万和」は、6世紀に中国で成立した全30巻の詩文集「文選(もんぜん)」が典拠。
漢詩研究の第一人者として知られる石川忠久・元二松学舎大学長(86)が
政府に提出した13案の一つだったことも判明した。
https://www.asahi.com/articles/ASM4201XCM41UTFK02T.html

「令」の字形、下の部分「マ」でもOK 文化審「習慣の差」
毎日新聞2019年4月1日 22時04分(最終更新 4月2日 08時16分)
新元号「令和」の「令」は、下の部分が片仮名の「マ」の字形で表記されることがあるが、
同じ文字で、意味や由来が異なるわけではない。
官房長官が元号発表の記者会見で掲げた書は「令」で、常用漢字表も明朝体の一種を用いて「令」と表記している。
一方、小学校の教科書には「マ」の形が使われている。多くがより手書きに近い字形を採用するためだ。
文化審議会国語分科会は、2016年に出した常用漢字表の字体・字形に関する指針で
「それぞれが正しい形」「印刷文字と手書き文字の表し方における習慣の差」などと見解を示している。
【水戸健一】
https://mainichi.jp/articles/20190401/k00/00m/040/274000c

新元号案 残る1つは「久化」 6案すべて判明
4月2日 10時54分
新元号の選定作業で、政府が示した6つの原案すべてが明らかになりました。
新元号に決まった「令和」以外は、
▽「英弘(えいこう)」、
▽「久化(きゅうか)」、
▽「広至(こうし)」、
▽「万和(ばんな)」、
▽「万保(ばんぽう)」の5つの案でした。
新元号の選定にあたって政府は、考案を委嘱した専門家から提出された候補名を、
読みやすく、書きやすいなどの「元号選定手続」に定められた留意点に沿って絞り込み、
1日、「元号に関する懇談会」などに6つの原案として示しました。
関係者によりますと、新元号に決まった「令和」以外の原案は、
▽「英弘」、
▽「久化」、
▽「広至」、
▽「万和」、
▽「万保」の5つの案でした。
「英弘」は日本の古典を、また「広至」は日本と中国の古典の両方を典拠、
いわゆる出典にしているということです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190402/k10011870221000.html

公的機関は元号使用継続、「国民は自由」 菅長官
2019.4.3 12:37
菅義偉(すが・よしひで)官房長官は3日の記者会見で、
新元号「令和(れいわ)」への改元に関し「元号の使用は政府として強制するものではない。
国民は元号、西暦を自由に使い分けてもらっていい」と述べた。
各省庁や地方自治体など公的機関については「従来、元号を使用してきた。
この慣行は当然続けられるべきだ」と強調した。
国民が公的機関の窓口に提出する書類で元号を使うかどうかは
「あくまで協力要請であり、西暦で記入したものも受け付けられる」とも語った。
https://www.sankei.com/life/news/190403/lif1904030026-n1.html

2019年3月

複数元号案、皇太子さまに=安倍首相、月内に報告
2019年03月02日15時15分
4月1日に決定する新元号に関し、安倍晋三首相が3月中に
複数候補を皇太子さまに直接伝える方向で調整していることが分かった。
政府関係者が2日明らかにした。
5月1日に皇太子さまが新天皇に即位される前に
新元号が公表されることに不満を抱く保守層への配慮もあるとみられる。
首相は先月22日に東京・元赤坂の東宮御所を訪れ、皇太子さまに国内外の諸情勢を説明した。
首相は今月中、さらに皇太子さまと複数回の面会を調整しており、
こうした機会を捉えて元号候補を伝える見通しだ。
ただ、天皇の政治関与を禁じた憲法4条に抵触しないよう、
首相は複数案を提示するにとどめ、皇太子さまに意見は求めない。
政府の責任で新元号を選定することを明確にするためで、皇太子さまに事前に伝えたかも公表しない。
新元号を定める政令は4月1日に現在の天皇陛下が署名し、公布される。
首相の支持基盤でもある保守層は、新元号の公布などが、新天皇に即位する皇太子さまではなく、
現天皇の下で行われることについて、天皇一代に一つの元号を使う「一世一元制」に反すると主張している。
こうした反発を和らげるため、政府は決定した新元号に関しても4月1日の発表直前に、
天皇陛下とともに皇太子さまにも伝える。 
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019030200428&g=pol

新天皇の一般参賀、5月4日に皇居・宮殿で
2019年3月4日
皇太子さまが5月1日に新天皇に即位後、初めて国民から祝福を受けられる一般参賀が
同月4日に皇居・宮殿で行われることがわかった。宮内庁幹部が明らかにした。
平成の代替わりでは、天皇陛下が1990年11月12日、
「即位礼正殿せいでんの儀」で内外に即位を宣明され、
その6日後に一般参賀が行われた。宮内庁は前例を踏襲し、
今回も10月22日の即位礼正殿の儀が終わった後の10月26日に行う予定だったが、
新天皇、新皇后となる皇太子ご夫妻や皇嗣となる秋篠宮さまらが
国民の前に立たれる時期が早い方が良いと判断した。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20190304-OYT1T50017/

新天皇の侍従長は現東宮大夫 御代替わり円滑に
2019.3.8 21:41
5月の代替わり後に新天皇を支える側近トップの侍従長に、
現在、皇太子ご一家のお世話をする宮内庁東宮職の長を務める
小田野展丈(のぶたけ)東宮大夫(だいぶ)が就任することが8日、政府関係者への取材で分かった。
持ち上がりの人事とすることで、約200年ぶりとなる天皇の譲位に伴う代替わりを円滑に進める狙いがある。
小田野氏は昭和45年に外務省入りし、駐ミャンマー大使や欧州連合(EU)日本政府代表部大使などを歴任。
平成24年9月から2年間、宮内庁で皇室の儀式や国際親善を担当する式部官長を務め、
28年5月から現職。代替わりに伴う儀式を議論する同庁大礼委員会の副委員長も担う。
天皇陛下の譲位を可能とする皇室典範特例法でいずれも新設され、
譲位後の陛下を支える上皇職トップの上皇侍従長には現在侍従長の河相周夫(かわい・ちかお)氏が、
皇位継承順位1位の皇嗣(こうし)となられる秋篠宮さまとご家族を支える皇嗣職大夫には、
宮務主管の加地(かち)隆治氏が就く。
小田野氏と河相氏の認証式は5月1日、新天皇が即位に伴う重要儀式として
皇居・宮殿で臨まれる「剣璽(けんじ)等承継の儀」と
「即位後朝見(ちょうけん)の儀」を執り行った後、実施される。
https://www.sankei.com/life/news/190308/lif1903080040-n1.html

両陛下 沖縄の伝統芸能の公演を鑑賞 東京
2019年3月9日 18時53分皇室
天皇皇后両陛下は9日、東京都内で、かねてから関心を寄せてきた沖縄の伝統芸能の公演を鑑賞されました。
両陛下は、9日午後、東京・千代田区の国立劇場に到着し、観客の拍手に笑顔で会釈をしてこたえられました。
公演は、天皇陛下の在位30年などを記念して行われたもので、
沖縄の伝統芸能で国の重要無形文化財に指定されている組踊と琉球舞踊が上演されました。
両陛下は、先の大戦で激しい地上戦が行われた沖縄に心を寄せ続ける中で、伝統文化の理解にも努め、
平成16年に伝統芸能の拠点となる「国立劇場おきなわ」がオープンすると、
沖縄県を訪問して記念の公演を鑑賞されました。
9日も両陛下の強い希望で鑑賞が実現したということで、
踊り手たちが歌や三線などの演奏に合わせて情感豊かに演目を披露すると、盛んに拍手を送られていました。
公演のあと、両陛下は出演者たちと懇談され、天皇陛下は、
「これからも元気で伝統舞踊を続けてください」と話されたということです。
両陛下と40年以上にわたる親交があり、9日も踊りを披露した琉球舞踊家の志田房子さん(81)は、
「きょうが天皇として最後にご覧になる公演かなと思うと、踊っていて胸が熱くなりました。
後輩を指導しよい文化を残していきたいと強く思いました」と話していました。

両陛下 沖縄の文化に心を寄せられ
天皇皇后両陛下は、先の大戦で激しい地上戦が行われた沖縄に心を寄せ続ける中で、
歴史や文化の理解にも努められてきました。
皇太子夫妻のころから、組踊の踊り手や三線の演奏者をたびたびお住まいに招き、
沖縄の伝統芸能への理解を深められました。
天皇陛下は、戦後もアメリカの統治下に置かれるなど苦難の道を歩んできた沖縄への思いをたびたび表し、
平成15年の記者会見では、沖縄の本土復帰を振り返って「沖縄の人々を迎えるに当たって、
日本人全体で沖縄の歴史や文化を学び、
沖縄の人々への理解を深めていかなければならないと思っていたわけです」と述べられました。
天皇陛下は、戦争で多くの文化財が失われた沖縄に、
伝統芸能を上演できる国立劇場をつくってはどうかという考えを長年にわたって示し続け、
平成16年に「国立劇場おきなわ」が浦添市にオープンすると、
記念の公演を鑑賞するため、皇后さまと沖縄県を訪問されました。
両陛下は、その後も折に触れて伝統芸能の公演に足を運ぶなど、沖縄の文化に心を寄せ続けられています。

出演者「大変ありがたい」
天皇皇后両陛下が平成16年に沖縄を訪問された際に懇談した「組踊立方」の宮城能鳳さん(80)と、
「組踊音楽歌三線」の西江喜春さん(78)は、9日の公演のあと再び両陛下と懇談しました。
宮城さんは「天皇陛下は、組踊のことをすばらしい文化財だと話されました。
退位が近づく中、最後の最後まで沖縄の伝統芸能へのお気持ちがおありなのはとてもありがたいことで、
われわれも頑張らなければという気持ちでいます」と話していました。
西江さんは「天皇陛下から『昔からのものを伝統として引き継ぐには
大変な努力が必要でしょうね』とことばをかけていただきました。
最後まで組踊のことを大切に思っていただき、大変ありがたいです」と話していました。

両陛下、沖縄・伝統芸能公演ご鑑賞
2019.3.9 18:54
天皇、皇后両陛下は9日、国立劇場(東京都千代田区)で、
沖縄の伝統芸能公演「組踊と琉球舞踊」を鑑賞された。この日の公演は天皇陛下の在位30年記念でもあり、
観客から拍手を送られた陛下は、笑顔で手を振って応じられた。
組踊は300年前の琉球王国時代、中国皇帝の使者を歓待するために始まったとされる歌舞劇。
公演では古典の「二童敵討」が披露され、優雅な音楽にのせ、
鮮やかな衣装で繰り広げられた報復劇に、両陛下は盛んに拍手を送られた。
沖縄の伝統芸能に長年関心を持つ両陛下は平成16年に沖縄県を訪れた際、
「国立劇場おきなわ」のこけら落とし公演で組踊をご覧になった。
この日は出演者らと懇談する場も設けられ、国立劇場おきなわの開場後、
舞台上演の機会が増えているとの話を聞き、陛下は「良かったですね」と喜ばれていたという。
https://www.sankei.com/life/news/190309/lif1903090025-n1.html

戦争、繰り返さない 東京大空襲74年で法要
2019.3.10 11:13
一晩で約10万人が犠牲になったとされる東京大空襲から74年を迎えた10日、
遺骨が納められている東京都慰霊堂(墨田区)で法要が営まれ、遺族らが犠牲者を追悼し、
二度と戦争を繰り返してはならないとの思いを新たにした。
法要には遺族ら約600人が出席。東京都の小池百合子知事は追悼の辞で
「戦後生まれの世代が大半を占めるようになった今だからこそ、
私たちには戦争の悲惨さを風化させることなく、
命の尊さや平和の大切さを次の世代に語り継いでいく重要な使命がある」などと述べた。
秋篠宮ご夫妻も参列し、焼香された。
https://www.sankei.com/life/news/190310/lif1903100025-n1.html

「東京大空襲」から74年 都内で慰霊祭
2019年3月10日17:36
約10万人が亡くなったとされる「東京大空襲」から74年を迎えた10日、都内で慰霊祭が行われた。
1945年3月10日のアメリカ軍による東京大空襲から10日で74年を迎えた。
墨田区の東京都慰霊堂では、慰霊祭が行われ、遺族ら約600人と秋篠宮ご夫妻も参列された。
東京大空襲では下町を標的にした無差別攻撃とそれに伴う大規模な火災で、
市民約10万人が亡くなり、100万人以上が被害を受けたとされている。
訪れた人たちは犠牲者を追悼し、平和への祈りをささげていた。
http://www.news24.jp/articles/2019/03/10/07420620.html

秋篠宮さま「教訓を後世へ」 政府主催追悼式
社会
2019/3/11 18:36
秋篠宮ご夫妻は11日、国立劇場(東京・千代田)で開かれた
政府主催の東日本大震災8周年追悼式に出席された。
秋篠宮さまは被災地の復興に触れる一方、
「今なお多くの被災者が被災地で、また避難先で不自由な暮らしを続けている厳しい現実があります」と指摘。
「教訓を決して忘れることなく後世へと伝え、災害の危険から多くの人々が守られること
を心より願っております」と述べられた。
宮内庁によると、天皇、皇后両陛下は震災の発生時刻に合わせ、お住まいの皇居・御所で黙とうされた。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO42308750R10C19A3CR8000/

天皇、皇后両陛下、東日本大震災の発生時刻にご黙祷
2019.3.11 15:41ライフ皇室
宮内庁によると、天皇、皇后両陛下は11日、お住まいの皇居・御所で、
東日本大震災の発生時刻に合わせて黙祷(もくとう)された。
両陛下は、発生5年まで追悼式に臨席されていたが、以降は秋篠宮ご夫妻が引き継がれている。
https://www.sankei.com/smp/life/news/190311/lif1903110032-s1.html

東日本大震災八周年追悼式
2019年3月11日 15時39分震災8年
東日本大震災の発生から8年となる11日、政府主催の追悼式が東京で開かれ、
地震の発生時刻に合わせて、出席者全員が黙とうをささげ、犠牲者を悼みました。
政府主催の「東日本大震災八周年追悼式」は11日午後、東京の国立劇場で開かれ、
秋篠宮ご夫妻や安倍総理大臣、遺族の代表らが出席しました。

そして、地震が発生した午後2時46分に合わせて、出席者全員が黙とうをささげ、犠牲者を悼みました。
首相「切れ目のない支援で復興を加速」
続いて安倍総理大臣が「震災から8年がたち、被災地の復興は着実に前進している。
今後も被災者一人一人が置かれた状況に寄り添いながら、切れ目のない支援を行い、復興を加速していく。
原子力災害被災地域においては帰還に向けた生活環境の整備などを着実に進めていく」と式辞を述べました。

秋篠宮さま「心を一つに末永く寄り添っていくことが大切」
また秋篠宮さまが「困難な状況の中にいる人々が誰一人取り残されることなく、
少しでも早く平穏な日常の暮らしを取り戻すことができるよう、
これからも私たち皆が心を一つにして被災した地域や人々に末永く
寄り添っていくことが大切でありましょう」とおことばを述べられました。

岩手県遺族代表「あの日を決して忘れない」
このあと岩手、宮城、福島の3県の遺族の代表があいさつしました。
岩手県の遺族代表の高橋勇樹さん(41)は、「8年前のあの日からずっと、母を待ち続けています。
親孝行を何一つできなかった自分。一生このむなしさと悔しさを抱えて私はこれから生きていくのだと
8年たった今でも心が忘れさせない。あの日を決して忘れない」と述べました。

宮城県遺族代表「心の中に大きな穴が開いたまま」
宮城県の遺族代表の今野昌明さん(52)は、「津波が一瞬のうちに、足の悪い母を飲み込みました。
手がかりは全く見つけることができず、悔しさと無力さ、絶望の悲しみと辛さで、
心の中に大きな穴が開いたままです。母さん、どこにいるのですか?世界中からの心温まる支援のおかげで、
復興が目に見える形で進んでいますので、安らかに天から見守っていてください」と述べました。

福島県遺族代表「妻の分まで精いっぱい生きていく」
福島県の遺族代表の叶谷守久さん(79)は「うしろを振り返ると、
真っ黒な壁のような津波が襲って来るのが見えました。山によじ登り、
妻を引き上げようと手をひいているうち、瞬く間にのみ込まれ、その手が離れていったことを覚えています。
妻がいなくなって8年がすぎました。最愛の妻の笑顔と、共に過ごした思い出を心に刻み、
妻の分まで精いっぱい生きていこうと思っています」と述べました。
このあと、追悼式では、参列者による献花が行われました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190311/k10011843751000.html

「安らかな日々が戻ることを祈念」東日本大震災8年追悼式 秋篠宮さまお言葉全文
2019.3.11 15:24
今日、3月11日、未曽有(みぞう)の地震とそれに伴う津波が、東北地方を中心に東日本を襲い、
2万人を超える死者および行方不明者が生じた東日本大震災から8年になりました。
この当時の状況は、8年を経た今でも決して脳裏から離れるものではありません。
本日ここに、一同と共に、震災によって亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を表します。
 被災地においては、この間、人々が幾多の困難を乗り越え、手を携えて、
復興に向けての努力を弛(たゆ)みなく続けてきました。こうした努力を支援するため、
国や全国の自治体、そして国内外の多くの人々が、様々な形で力を尽くしてきました。
その結果、住宅の再建や生活環境の整備、産業の再生、沿岸部の鉄道の復旧、防災施設の整備など、
復興の歩みは着実に進展してきております。また、原子力発電所の事故により
避難を余儀なくされた地域においても、多くの地域で避難指示が解除されるなど、
本格的な復興・再生に向けての動きが進んでいます。
しかし、その一方では、今なお多くの被災者が、被災地で、また避難先で、
依然として不自由な暮らしを続けている厳しい現実があります。
とりわけ、いまだに放射線量が高いことなどによって自らの家に帰還できない人々が多いことや
児童および生徒数の減少、さらに根強い風評被害により農林水産業などへの影響が残っていることに
思いを馳(は)せると心が痛みます。さらに、避難生活が長期化する中で、
齢(よわい)を重ねていく高齢者を始め、被災者の心身の健康のことは、深く心に掛かります。
困難な状況の中にいる人々が、誰一人取り残されることなく、
少しでも早く平穏な日常の暮らしを取り戻すことができるよう、また復興の歩みが着実に進展していくよう、
これからも私たち皆が心を一つにして被災した地域や人々に末永く寄り添っていくことが大切でありましょう。
東日本大震災による大きな犠牲の下で、私たちは平素からの避難訓練や防災教育の重要性を強く認識し、
そして過去の災害の記録と記憶が忘れ去られることなく、これを継承していくことがいかに大切であるかを学びました。
この教訓を決して忘れることなく後世へと伝え、災害の危険から多くの人々が守られることを心より願っております。
今なお困難を背負いながらも、復興に向けて日々努力を続けている人々に思いを寄せ、
一日も早く安らかな日々が戻ることを皆で祈念し、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。
https://www.sankei.com/life/news/190311/lif1903110030-n1.html

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正式呼称は「秋篠宮皇嗣殿下」=宮内庁
2019年03月11日16時24分
宮内庁は11日、皇太子さまが新天皇として即位された後の秋篠宮さまの呼称を
「秋篠宮皇嗣殿下」とすると発表した。皇位継承順位1位の皇嗣であると同時に、
秋篠宮家の当主でもあることを明確にするためという。
同庁の西村泰彦次長が定例会見で明らかにした。ご夫妻での呼称は「秋篠宮皇嗣同妃両殿下」、
紀子さま単独の場合は「秋篠宮皇嗣妃殿下」とし、場合によっては
「秋篠宮殿下」や「皇嗣殿下」なども使うという。
一方、宮家や宮邸は従来通り「秋篠宮家」「秋篠宮邸」とし、お子さま3人の呼び方も変わらない。
ご夫妻にはこうした内容について既に説明し、了承を得たという。(2019/03/11-16:24)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019031100894&g=soc

両陛下、パラオ大統領夫妻を御所にお招き
2019.3.11 13:51
天皇、皇后両陛下は11日、お住まいの皇居・御所に、
来日しているパラオのレメンゲサウ大統領夫妻を招き、昼食を共にされた。
両陛下は御所の車寄せで大統領夫妻を出迎え、にこやかに握手を交わされた。
両陛下は平成27年4月、戦没者慰霊のためパラオをご訪問。
激戦地のペリリュー島で両陛下が慰霊碑を巡り、祈りをささげられた際、同大統領夫妻も立ち会った。
https://www.sankei.com/life/news/190311/lif1903110027-n1.html

厳かに「退位奉告の儀」=一連の儀式スタート−皇居
2019年03月12日10時54分
天皇陛下の一連の退位儀式の最初となる「退位及びその期日奉告の儀」が12日午前、
皇居内の宮中三殿で行われた。陛下が退位されることと、その期日を先祖などに報告する儀式で、
皇太子さまや秋篠宮ご夫妻ら皇族方、宮内庁や皇宮警察の職員ら約40人が参列。
憲政史上初めてとなる一連の退位儀式がスタートした。
参列者が見守る中、午前10時すぎ、「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」と呼ばれる
天皇専用の装束を身に着けた陛下が、楠本祐一掌典長の先導で、天照大神を祭る賢所(かしこどころ)へ入った。
陛下は中に入る際、深々と一礼。後に装束の裾や剣を持った侍従が続いた。
賢所の内陣に座った陛下は拝礼の後、自身が退位することと、
その期日が4月30日であるとの趣旨の「御告文(おつげぶみ)」を読み上げた。(2019/03/12-10:54)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019031200172&g=soc

陛下、宮中三殿で譲位ご奉告 一連の儀式始まる
2019.3.12 10:14
天皇陛下が4月末の譲位を歴代天皇や神々に告げられる「退位及びその期日奉告の儀」が12日、
皇居の宮中三殿で行われた。一連の譲位関連儀式の始まりとなるもので、
皇太子さまをはじめとする皇族方が陪席されたほか、宮内庁職員ら約40人が参列した。
陛下は午前10時、参列者が見守る中、天皇のみが着ることが許される
祭儀の正装「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」に身を包み、三殿中央の賢所(かしこどころ)に進まれた。
陛下は拝礼の後、譲位することとともに、譲位が4月30日となる趣旨の
「御告文(おつげぶみ)」を日本古来の大和言葉(やまとことば)で読み上げられた。
次いで陛下は皇霊殿、神殿にも同じ趣旨をご奉告。この後、皇太子さまをはじめ皇族方も拝礼される。
皇后さまは持病の頸椎(けいつい)症性神経根症により、髪形や装束が首に負担となるため、
皇居・御所で慎み深く過ごされた。長期療養中の皇太子妃雅子さまも出席を見送られた。
12日午後には皇居・御所で、陛下が伊勢神宮などに日程を告げる使いを差し向けられる
「勅使発遣(ちょくしはっけん)の儀」が行われる。
一連の儀式で、両陛下は今後、26日に神武天皇陵(奈良県橿原市)、
4月18日に伊勢神宮(三重県伊勢市)、同月23日に昭和天皇陵(東京都八王子市)を、それぞれご参拝。
譲位当日は午後5時から、宮殿「松の間」で「退位礼正殿の儀」が国事行為として行われ、
陛下が最後のお言葉を述べられる。
https://www.sankei.com/life/news/190312/lif1903120012-n1.html

皇太子ご夫妻、授賞式に=ヘルシー・ソサエティ賞−東京
2019年03月13日20時55分
皇太子ご夫妻は13日夜、東京都千代田区のホテルで開催された
「第15回ヘルシー・ソサエティ賞」授賞式に出席された。
同賞は国民の生活の質向上に貢献した人をたたえる目的で、日本看護協会などが2004年に創設。
皇太子さまは09年の授賞式に出席したほか、2年に1度受賞者と懇談している。
式典で皇太子さまは「皆さんの活動が、この賞の受賞を通じて広く人々に理解されるとともに、
今後、他者を思いやり社会に貢献する活動がさらに広がっていくことを希望いたします」とあいさつした。
(2019/03/13-20:55)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019031301303&g=ryl

両陛下の1年のご活動、DVDに
2019.3.14 18:41
宮内庁は14日、天皇、皇后両陛下のご活動をまとめたDVD
「天皇皇后両陛下の一年 〜ご譲位を前にされて〜」を製作したと発表した。
新年から始まる各儀式や地方訪問などの様子のほか、
天皇陛下によるチェロご演奏といったプライベート映像もおさめられている。
政府インターネットテレビで視聴できるほか、
公益財団法人菊葉文化協会(03・5222・0012)に申し込み、1500円で購入も可能。
https://www.sankei.com/life/news/190314/lif1903140031-n1.html

政府インターネットテレビ 天皇皇后両陛下の一年 〜ご譲位を前にされて〜
https://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg18579.html

悠仁親王殿下お茶の水女子大付属小学校をご卒業

伊勢神宮などで「奉幣の儀」=天皇陛下の退位を報告
2019年03月15日14時25分
天皇陛下が4月30日に退位されることを、陛下の使者が伊勢神宮(三重県伊勢市)と
神武天皇陵(奈良県橿原市)、昭和天皇はじめ前四代の天皇陵に報告し、
供え物をささげる「奉幣の儀」が15日行われた。
12日から始まった一連の退位儀式の一環。
15日午前は伊勢神宮外宮と昭和天皇陵(東京都八王子市)、孝明天皇陵(京都市)で、
午後は伊勢神宮内宮と明治天皇陵(京都市)、大正天皇陵(八王子市)で儀式が行われた。
(2019/03/15-14:25)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019031500853&g=soc

「奉幣の儀」で伊勢神宮内宮の正宮へ向かう陛下の使者ら。
右から3人目は黒田清子さん=15日午後、三重県伊勢市
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新元号墨書は公文書扱い=「平成」は竹下家私物に
2019年03月16日14時49分
政府は、平成に代わる新元号の発表時に使う墨書を公文書扱いにし、歴史的文書として保存する方針を固めた。
前回改元時に小渕恵三官房長官(当時)が掲げた「平成」の書は
いったん竹下登首相(同)の私物となっており、前回と異なる。
2011年の公文書管理法施行が背景にあり、この30年間の時代の流れを映している。
政府は2月、新元号の選定手続きは前例を踏襲するとの基本方針を決定。選定後の段取りについても前回と同様、
内閣府の「辞令専門官」が筆で書き、菅義偉官房長官が発表する流れだ。
書の見せ方は大型スクリーンの活用も取り沙汰されたが、長官が手で掲げる方法になるとみられる。
墨書を公文書扱いにするのは、「歴史公文書」の適切な保存・利用を定めた公文書管理法に基づく対応だ。
政府が新元号の書を公文書とする背景には、前回改元時の反省もある。
小渕氏が「平成」の書を掲げたのは自身のアイデア。
発表直前に辞令専門官だった河東純一氏にひそかに指示し、河東氏が予備を含めて2枚したためた。
小渕氏はそのうちの1枚を携えて記者会見に臨んだ。
当時は公文書管理法がなく、発表に使われた原本は竹下家、予備は小渕家に渡り、
一般には行方知れずになっていた。
ところが、竹下氏の孫のタレント、DAIGOさんがテレビ番組で平成の書が竹下家にあると暴露。
国立公文書館が竹下家と連絡を取り、09年9月に書を借り受け、10年3月に寄贈を受けた。
平成の書の原本は現在、「特定歴史公文書」として公文書館に永久保管されている。
(2019/03/16-14:49)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019031600159&g=pol

即位30年と結婚60年 両陛下を昼食会でお祝い
2019年3月17日 16時20分
天皇皇后両陛下は17日、天皇陛下の即位30年と両陛下の結婚60年にあたって、
皇太子さまや秋篠宮さまなどが開かれたお祝いの昼食会に臨まれました。
両陛下は、17日正午前、車で東京港区の赤坂御用地に入られました。
門を通過する際、集まった人たちや報道陣ににこやかに手を振ってこたえ、
皇太子ご夫妻のお住まいの東宮御所に向かわれました。
17日の昼食会は、天皇陛下の即位30年と両陛下の結婚60年を祝うため、
皇太子ご夫妻と秋篠宮ご夫妻、それに長女の黒田清子さん夫妻によって開かれたもので、
皇族方や元皇族などおよそ50人が集まりました。
宮内庁によりますと、両陛下は出席者と和やかに歓談し、
食事のあと、3人のお子さま方が相談して招かれたシャンソン歌手と
ピアニストによる演奏を楽しまれたということです。
昼食会はおよそ3時間に及び、両陛下は、赤坂御用地をあとにして皇居に戻る際、
贈られた花束を手に報道陣に再び笑顔を見せられていました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190317/k10011851491000.html

即位30年祝い昼食会=皇太子ご夫妻ら主催−東宮御所
2019年03月17日15時48分
天皇陛下の即位30年と結婚60年を祝う皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、
黒田慶樹さん、清子さん夫妻主催の昼食会が17日、東京・元赤坂の東宮御所で開かれた。
天皇、皇后両陛下をはじめ、皇族方や元皇族、親族ら約50人が出席。
宮内庁によると、昼食会の後には歌手の桜井ハルコさんと仲マサコさん、
ピアニストの小林ちからさんによるシャンソンが披露されたという。(2019/03/17-15:48)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019031700326&g=ryl

高円宮妃殿下もご観覧、YOSHIKIが天皇陛下への感謝を込めて「Anniversary」披露
2019年3月18日 4:00
YOSHIKI(X JAPAN)が3月16、17日に東京・文京シビックホール 大ホールで行われた
牧阿佐美バレヱ団の公演「プリンシパル・ガラ2019」にゲスト出演し、
天皇陛下御即位10年の奉祝曲「Anniversary」などのコラボパフォーマンスを披露した。
(中略)
天皇陛下への奉祝曲「Anniversary」を制作した時期はX JAPANの解散、
メンバーの死と大変な出来事が重なり精神的にギリギリの状態だったが、
「天皇陛下御在位十年をお祝いする国民祭典」での御前演奏の話を受けたことが
音楽家としての再スタートを切るきっかけになったことを振り返った。
そしてそんな思い入れのある曲を牧阿佐美バレヱ団と共演できること、
平成最後の年に再び演奏する機会を得たことに感謝を示し、
「もうすぐ平成も終わりますが、次の時代を少しでも彩れるように……。
今日は高円宮妃久子殿下もいらしているということで、緊張していますががんばります」と述べた。
(中略)
高円宮妃久子殿下の観覧席の近くでYOSHIKIも公演を観劇。
来場客と共に「プリンシパル・ガラ2019」を楽しんだ。
(後略)
https://natalie.mu/music/news/324272

両陛下、即位30年記念の雅楽鑑賞
2019年03月18日11時28分
天皇陛下の即位30年を記念する雅楽演奏会が18日、皇居東御苑内の宮内庁楽部で行われ、
天皇、皇后両陛下は、皇太子さまや秋篠宮ご夫妻らと共に鑑賞された。
演奏されたのは、文武天皇時代に中国から伝えられたと言われる「五常楽急(ごしょうらくのきゅう)」など。
2階席から鑑賞した両陛下は、笙(しょう)やひちりきなど伝統楽器の音色に耳を傾け、曲が終わると拍手を送った。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019031800455&g=soc

両陛下、雅楽を鑑賞 即位30年記念の特別演奏会
中田絢子2019年3月18日13時58分
天皇、皇后両陛下は18日、皇居内にある宮内庁楽部を訪れ、
天皇陛下の即位30年を記念して開かれた春季雅楽特別演奏会を鑑賞した。
皇太子さま、秋篠宮ご夫妻、眞子さま、佳子さまと高円宮妃久子さまも同席した。
曲目は、管弦が「五常楽急(ごしょうらくのきゅう)」、「雞徳(けいとく)」など、
舞楽が「萬歳楽(まんざいらく)」「延喜楽(えんぎらく)」。
両陛下は熱心に聴き入っていた。(中田絢子)
https://www.asahi.com/articles/ASM3K7RM9M3KUTIL01P.html

「天皇陛下御即位30年記念春季雅楽特別演奏会」に臨む天皇、皇后両陛下、
秋篠宮ご夫妻、眞子さま、佳子さま=2019年3月18日午前、皇居、嶋田達也撮影
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両陛下、ハゼやタヌキの研究実績展示をご覧
2019.3.18 18:52
天皇、皇后両陛下は18日、国立科学博物館(東京都台東区)を訪れ、
天皇陛下の即位30年を記念した展示「天皇陛下の御研究と皇居の生きものたち」をご覧になった。
陛下が専門とするハゼ類の分類や、皇居に生息するタヌキの食性といった研究のご実績などを展示。
陛下は、博物館の研究員らの調査で発見された皇居に生息する絶滅危惧種の昆虫などの標本を前に
「調査をやっていただいてよかったわけですね」と話されていた。
これに先立ち、両陛下は同日、皇居・東御苑内の楽部庁舎で、即位30年を記念した雅楽の特別演奏会も鑑賞された。
https://www.sankei.com/life/news/190318/lif1903180043-n1.html

陛下、皇太子さま、秋篠宮さまが皇居でご会談
2019.3.19 11:19
皇太子さまと秋篠宮さまは19日午前、天皇陛下との「3者会談」に臨むため、皇居・御所を訪問された。
代替わりを間近に控え、皇室の課題を話し合われる貴重な機会とみられる。
午前10時45分ごろに秋篠宮さま、同50分ごろに皇太子さまの順で半蔵門を車で通過された。
お二方とも窓を開けて沿道の人々に会釈され、皇太子さまはにこやかに手を振られていた。
3者会談は平成24年春ごろ、皇后さまのご発案で始まった。
月1回程度、宮内庁長官が立ち会い、意見交換をされる。
陛下が28年8月に譲位の意向を公表して以降は、
公務の分担など代替わりに向けた具体的な議論も重ねられたとされる。
https://www.sankei.com/life/news/190319/lif1903190019-n1.html

皇位継承安定策「男系の重み踏まえ慎重に検討」 菅官房長官
2019.3.19 11:57
菅義偉(すが・よしひで)官房長官は19日午前の記者会見で、
女性皇族が結婚後も皇室にとどまる「女性宮家」創設などの皇位継承の安定策について
「男系継承が古来例外なく維持されてきたことの重みなどを踏まえながら、
慎重かつ丁寧に検討を行う必要がある」との認識を示した。
菅氏は皇族数の減少について「皇族方のご年齢からしても先延ばしすることができない重要な課題だ」と強調。
一方で「さまざまな意見があり、国民のコンセンサスを得るには
十分な分析、検討と慎重な手続きが必要だ」とも語った。
国会は天皇陛下の退位特例法の付帯決議で、皇位継承の安定策を代替わり後、速やかに検討するよう政府に求めた。
菅氏は「天皇陛下のご退位と皇太子殿下のご即位が国民の祝福の中でつつがなく行われるよう全力を尽くし、
その上で付帯決議の趣旨を尊重して対応していきたい」と話した。
https://www.sankei.com/life/news/190319/lif1903190022-n1.html

新天皇、5月1日午前に初のおことば 退位・即位儀式
2019/3/19 18:04
政府は19日の皇位継承に関する式典委員会で、天皇陛下の退位と新天皇の即位の儀式の詳細を決めた。
新天皇が即位後に初めて三権の長ら国民の代表の前でお言葉を述べる「即位後朝見の儀」は
5月1日午前11時10分から開く。服装はそれぞれの儀式の性格を考慮し、
男性は即位では慶事に使うえんび服、退位ではえんび服に比べて略式とされるモーニングとした。
4月30日の「退位礼正殿の儀」は午後5時から皇居・宮殿の「松の間」で開く。
宮中行事を統括する式部官長と宮内庁長官が先導し、侍従が歴代天皇に伝わる三種の神器のうち
剣と璽(じ=まがたま)などを運ぶ。陛下は神器に触れない。
皇太子さまに神器などを目に見える形で引き渡すと
自ら皇位を譲る意思を示されたと受け取られ憲法に抵触しかねないからだ。
天皇陛下の最後のお言葉に先立ち、首相が国民の代表として
皇室典範の特例法に基づく陛下の退位を表明する。
参列者は三権の長、地方自治体の代表者とその配偶者ら338人を想定する。
翌5月1日は即位の儀式が続く。まず午前10時半から神器など皇位の証しを新天皇に引き継ぐ「剣璽等承継の儀」を催す。
参列者は三権の長や閣僚ら26人。皇族は成年男性に限る。
皇室典範は皇位継承権を男系の男子に限ると定め、1989年の「平成」への代替わりでも女性が参列しなかった。
皇位継承権のない女性皇族の参列を認めれば、女性・女系天皇の是非をめぐる論争を招く可能性があるからだ。
剣璽等承継の儀に続き午前11時10分から「即位後朝見の儀」に移る。
新天皇が即位後、三権の長ら国民の代表の前でお言葉を述べる最初の場だ。
新天皇がお言葉を述べた後に首相があいさつする。退位礼正殿の儀と同じ338人の参列を見込む。
服装は儀式ごとに定めた。剣璽等承継の儀と即位後朝見の儀の場合、
男性は新年祝賀の儀など慶事に使うえんび服や紋付き羽織はかまだ。
女性はロングドレス、白襟紋付きなどと定めた。
平成の代替わりでは、昭和天皇の崩御から準備期間が短かったため、
男性の服装はえんび服より略式のモーニングだった。
一方、退位礼正殿の儀では男性はモーニングと紋付き羽織はかまとした。
女性はロングドレスなどとともにデイドレスも加えた。山本信一郎宮内庁長官は1月の式典委員会で
「お見送りの場としての性格があり、粛々と静かに執り行うのが適当だ」と、
退位礼正殿の儀では簡素な服装が望ましいとの見解を示していた。
皇太子さまが国内外に即位を宣明される10月22日の即位礼正殿の儀への外国からの参列者の範囲も決めた。
国交がある195カ国の元首ら祝賀使節夫妻と駐日大使、海外在住日系人の代表と定めた。
即位礼正殿の儀は平成の代替わりと同様に国内外2500人程度の参列を見込む。国内の参列者は5月以降に固める。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO4266252019032019PP8000/

皇后さま、音大卒業生演奏会に=皇太子ご夫妻らも出席−皇居
2019年03月20日17時19分
皇后さまは20日午後、皇居・東御苑の桃華楽堂で開かれた音楽大学卒業生の演奏会を鑑賞された。
同楽堂は香淳皇后の還暦を記念して建てられ、
毎年音大卒業生の代表による演奏会が開かれるのが恒例となっている。
演奏会には皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻らも出席。
東京芸術大など5大学の卒業生による箏(そう)やピアノ、バイオリン演奏などが披露されると、
盛んに拍手を送っていた。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019032000950&g=ryl

東久邇信彦氏が死去 昭和天皇の孫
2019.3.20 18:31
昭和天皇の孫で、天皇陛下のおいに当たる旧皇族の
東久邇信彦(ひがしくに・のぶひこ)氏が20日、死去した。74歳。
通夜は26日午後6時、葬儀・告別式は27日午後1時、東京都文京区大塚5の39の1、豊島岡墓地参集所で。
喪主は妻、吉子(よしこ)さん。
祖父は、終戦直後に首相を務めた東久邇宮稔彦(ひがしくにのみやなるひこ)氏。
母親は昭和天皇の長女、成子(しげこ)さん。昭和22年に開かれた皇室会議で皇籍離脱した。
大学卒業後、三井銀行に勤務し、日本タイ協会常務理事や全日本野球会議名誉会長などを務めた。
https://www.sankei.com/life/news/190320/lif1903200031-n1.html

安倍首相、旧宮家の皇籍復帰に言及=安定的な皇位継承めぐり
2019年03月20日18時27分
安倍晋三首相は20日の参院財政金融委員会で、安定的な皇位継承を実現する方策について
「旧宮家の皇籍復帰も含めたさまざまな議論があることは承知している」と述べ、
戦後に皇籍離脱した旧宮家の復帰に言及した。
ただ、「国民のコンセンサスを得ることも必要だ」と述べ、他の選択肢も含めて慎重に検討を進める考えを示した。
旧宮家は戦後、連合国軍総司令部(GHQ)による皇室財産の国庫帰属の指令を踏まえて皇籍を離れた経緯がある。
首相は「皇籍を離脱した方々は、今は民間人としての生活を営んでいる。
私自身がGHQの決定を覆すことは全く考えていない」とも語った。
 旧宮家の皇籍復帰は保守派の間で支持する声が強い。
政府は5月1日の皇太子さまの新天皇即位後、間を置かずに皇位継承に関する議論を始める方針を示している。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019032001065&g=pol

佳子内親王殿下 ICU御卒業
佳子内親王殿下の国際基督教大学ご卒業に際しての文書回答

皇太子さま、「世界水の日」シンポに
2019年03月22日16時54分
皇太子さまは22日午後、東京都渋谷区の国連大学を訪れ、
「世界水の日」にちなんだ記念シンポジウムを聴講された。
皇太子さまは水問題をライフワークとしており、
2007年から15年まで国連「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁も務めた。
この日のシンポジウムには、バチェレ国連人権高等弁務官も出席。
国連大学の沖大幹上級副学長(東大教授)が、飲み水のグローバル目標の達成状況について基調講演すると、
皇太子さまは何度もうなずき、終わると拍手を送った。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019032201012&g=soc

眞子さまと佳子さま、オーケストラを鑑賞 並んで座って
2019年3月24日17時50分
秋篠宮家の長女眞子さまと次女佳子さまは24日、
東京都港区のサントリーホールで開かれた「千葉県少年少女オーケストラ」を鑑賞した。
小中高生や大学生ら140人以上が出演し、モーツァルトの「ピアノ協奏曲第9番」などを演奏。
お二人は並んで座り、拍手を送っていた。会場を出る際は出演者に笑顔で手を振った。(緒方雄大)
https://www.asahi.com/articles/ASM3S3QV9M3SUTIL007.html

眞子さまと佳子さま 少年少女オーケストラを鑑賞
2019年3月24日 18時00分皇室
秋篠宮ご夫妻の長女の眞子さまと次女の佳子さまは24日、
千葉県の少年少女オーケストラの演奏を鑑賞されました。
眞子さまと佳子さまは24日午後、東京港区のサントリーホールを訪れ、
観客の拍手に笑顔で会釈をして応えられました。
千葉県の10歳から20歳までのメンバーで作る「千葉県少年少女オーケストラ」は、
ことしで結成から23年目を迎えました。
24日はおよそ150人のメンバーが、モーツァルトやショスタコーヴィチ、
それに「ゴジラ」のテーマで知られる伊福部昭さんの曲を演奏しました。
メンバーはダイナミックな指揮に合わせて力強い演奏を披露し、眞子さまと佳子さまは演奏に聴き入り、
曲が終わるたびに拍手を送られていました。
またアンコールの曲では、ほかの観客と一緒に眞子さまと佳子さまも手拍子をして、会場が一つになり、
公演が終わるとステージの子どもたちに手を振って会場を後にされました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190324/k10011859091000.html

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皇太子ご一家 きょうから長野で静養
2019年3月25日 15時43分
皇太子ご一家は、静養のため25日から長野県を訪れ、
JR長野駅前では、集まった人たちに笑顔で手を振って応えられました。
皇太子ご一家は、25日正午すぎ、新幹線でJR長野駅に到着されました。
ご一家が駅前に姿を見せると、集まったおよそ160人の人たちから大きな歓声があがり、
ご一家は笑顔で手を振って応えられました。
そして、皇太子ご夫妻は愛子さまとともに集まった人たちのそばに歩み寄り、
腰をかがめて「お元気ですか」、「お体を大切になさってください」などとことばをかけられていました。
ご一家は、このあと車に乗り込み、立ち寄り先のホテルに向かわれました。
ご一家は例年、愛子さまが春休みのこの時期に長野県を訪れスキーなどを楽しんでいて、
今回も5日間程度県内に滞在し、静養される予定です。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190325/k10011859901000.html

皇太子ご一家、長野で静養
2019年03月25日15時49分
皇太子ご一家は25日、静養のため新幹線で長野県入りされた。県北部に数日間滞在する。
ご一家は午後0時半すぎ、JR長野駅前に姿を見せた。市民ら約160人が待ち受ける中、
笑顔で何度も手を振り、数人と言葉を交わした。
車いすの40代の女性は毎年出迎えに来ており、
皇太子さまから「今年もありがとうございます」と、雅子さまからは「体調はどうですか」と声を掛けられた。
女性が「来年も来てください」と言うと、皇太子さまは「来られたら来たいです」とほほ笑んだという。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019032500748&g=ryl

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両陛下、京都・奈良ご訪問へ
2019.3.25 11:29
天皇、皇后両陛下は25日午前、天皇陛下の4月30日の譲位を前に、
神武天皇陵(奈良県橿原市)参拝などのため、新幹線で京都に向かわれた。
両陛下は同日午後、京都御所(京都市)に近畿地方の2府4県から各界代表者らを招いた茶会を催される。
計11に上る一連の譲位関連儀式の1つとして、26日に神武天皇陵を参拝される。
27日には、宮内庁職員が陛下の即位30年と結婚60年を祝い、京都御所で開く茶会にご出席。
滞在中は京都大宮御所(京都市)に宿泊し、28日に新幹線で帰京される予定。
両陛下は今後、4月18日に三重県伊勢市の伊勢神宮を、
同月23日に東京都八王子市の昭和天皇陵をそれぞれ参拝される。
京都市の孝明天皇陵と明治天皇陵、八王子市の大正天皇陵へのご参拝は、譲位後となる。
https://www.sankei.com/life/news/190325/lif1903250016-n1.html

佳子さま、昭和天皇に大学卒業ご報告
2019.3.25 16:20
秋篠宮家の次女、佳子さまは25日、昭和天皇が埋葬されている武蔵野陵(東京都八王子市)を参拝し、
国際基督教大(ICU)を卒業したことを報告された。
グレーの洋装に黒い帽子姿の佳子さまは、陵の前で深く拝礼し、玉串をささげられた。
その後、敷地内にある香淳皇后の武蔵野東陵も参拝された。
佳子さまは今月22日にICUの卒業式にご出席。在学中は英国リーズ大への留学も経験された。
https://www.sankei.com/life/news/190325/lif1903250027-n1.html

両陛下、神武天皇陵をご訪問
2019.3.26 12:09
京都府を訪問中の天皇、皇后両陛下は26日、臨時専用列車で奈良県に入り、
橿原神宮の神武天皇陵(同県橿原市)を訪問された。
計11に上る譲位関連儀式の1つ「神武天皇山陵に親謁(しんえつ)の儀」で、
天皇陛下はモーニング姿で祭壇に玉串をささげて拝礼し、4月30日に譲位することをご報告。
続いて皇后さまもロングドレスの参拝服で拝礼される。
陛下は12日、お住まいの皇居・御所で、譲位を報告するため
伊勢神宮(三重県伊勢市)や神武天皇陵などに天皇の使い「勅使」を差し向ける「勅使発遣(はっけん)の儀」に臨み、
神前で読み上げる「御祭文(ごさいもん)」を託された。
15日には各陵で陛下からの奉納品を供え、勅使が譲位を報告する「奉幣(ほうべい)の儀」が行われている。
両陛下は26日中に京都御所に戻り、27日には宮内庁職員が主催する茶会に臨席される。
https://www.sankei.com/life/news/190326/lif1903260030-n1.html

複数の元号案を29日提示 皇太子さまに安倍首相
2019.3.27 05:00
安倍晋三首相が4月1日の新元号の公表を前に、今月29日に皇太子さまに面会することが26日、分かった。
複数の新元号案について説明するとみられる。
皇太子さまとの面会は2月以来で、短期間での面会は極めて異例となる。複数の政府関係者が明らかにした。
政府は5月1日の改元による国民生活の混乱を最小限にするため、4月1日に新元号を決定し、公表する。
ただ、天皇一代で元号一つを定める「一世一元」制を重視する保守層は、
5月1日に皇太子さまが新天皇に即位される前の新元号の公表を懸念しており、首相はこうした声に配慮した。
首相は皇太子さまとの面会で、最終的に3案程度に絞り込まれた原案について伝達するものとみられる。
憲法4条は「天皇は国政に関する権能を有しない」として天皇の政治関与を禁じているため、
首相は原案を示すだけにとどめ、皇太子さまのご意見は求めない。
政府の責任で新元号を選定することを重視し、皇太子さまに事前に伝えたかどうかも明らかにしない意向だ。
首相は2月22日に東京・元赤坂の東宮御所を訪れ、皇太子さまと約30分間面会し、
国内外の情勢について報告した。その際、天皇陛下の譲位から皇太子さまの新天皇ご即位までの流れや、
新元号の選定作業についても説明したもようだ。
元号の選定手続きをめぐっては、菅義偉(すが・よしひで)官房長官が
3月14日に複数の専門家に考案を正式に委嘱したことを記者団に明らかにした。
すでに国文学、漢文学、日本史学、東洋史学の学識を有する専門家からそれぞれ複数の案を提示されており、
今週中に正副官房長官や内閣法制局長官らで構成する「元号選定手続検討会議」を開いて準備を加速させる。
https://www.sankei.com/politics/news/190327/plt1903270003-n1.html

両陛下、京都御苑の桜をご観賞
2019.3.27 11:11
京都府を訪問中の天皇、皇后両陛下は27日午前、京都御苑(京都市)の近衛邸跡を訪れ、
見頃を迎えたシダレザクラなどを観賞された。
近衛邸跡は両陛下が宿泊されている京都大宮御所と同じ京都御苑の北西の一画にあり、
約60本の桜が白やピンクの花を咲かせている。
両陛下は30分近くにわたり、居合わせた観光客に「どちらからですか」などと声をかけながら、
笑顔で桜を楽しまれていた。
両陛下は平成22年3月の京都訪問の際にも、同じシダレザクラをご覧になっている。
https://www.sankei.com/life/news/190327/lif1903270018-n1.html

政府、女性天皇04年に容認方針
97年から極秘検討
2019/3/28 18:21
政府が1997〜2004年、皇位継承資格者を女性皇族に拡大できるかどうか
極秘の検討会を開いていたことが分かった。
共同通信が28日までに入手した政府の内部文書や証言で確認。
04年春の文書には、女性・女系天皇を認める皇室典範の早期改正方針が記されていた。
小泉純一郎首相が設置した有識者会議の結論(05年)を受け、小泉氏は典範改正に乗り出そうとしたが、
秋篠宮家に06年、長男悠仁さまが生まれ断念した。
検討会開始の背景には、天皇陛下の孫の世代に当時、継承資格者がいないという危機感があった。
悠仁さま以外に同世代の継承資格者はおらず、課題は残ったままだ。
https://this.kiji.is/483917797902976097

皇太子ご一家が帰京
2019年03月29日17時20分
長野県で25日から静養していた皇太子ご一家は29日午後、新幹線で帰京された。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019032901020&g=soc

両陛下が「平成の災害と赤十字」展を鑑賞
島康彦 2019年3月29日19時22分
天皇、皇后両陛下は29日夕、東京都港区の日本赤十字社を訪れ、
天皇陛下の在位30年記念「平成の災害と赤十字」展を鑑賞した。
雲仙・普賢岳噴火や東日本大震災など、自然災害における同社の救護活動を写真パネルで紹介。
両陛下は熱心に見入り、天皇陛下は「高齢化が進む中での救助は大変ですね」と話していた。
皇后さまは同社の名誉総裁を務めている。(島康彦)
https://www.asahi.com/articles/ASM3Y3T4ZM3YUTIL00T.html

安倍首相は皇太子さまと面会重ねる 新元号は4月1日午前11時半発表 
2019.3.29 20:41
政府は29日、首相官邸で「平成」に代わる新元号の選定手続きに関する
検討会議(議長・菅義偉(すがよしひで)官房長官)を開き、4月1日に決定・公表する日程を決めた。
午前11時半ごろに菅氏が新元号を発表する。安倍晋三首相が正午ごろに記者会見し、
自ら談話を読み上げ、新元号に込められた意義などを国民に説明する。
首相は29日午前、皇居を訪れ、天皇陛下と面会した。同夜には東京・元赤坂の東宮御所を訪問し、
皇太子さまとも面会。国内外の諸情勢の報告とともに、新元号公表の段取りを伝達したものとみられる。
皇太子さまとは2月22日にも面会しており、短期間で面会を重ねるのは極めて異例だ。
菅氏は29日の記者会見で、4月1日の新元号公表に向けて
「緊張感を持って滞りなく発表できるよう、しっかり取り組んでいきたい」と述べた。
4月1日は、菅氏が横畠裕介内閣法制局長官の見解を聞き取った後、新元号の原案を複数選んだ上で、
午前9時半から首相官邸で開く有識者懇談会で示し、意見を求める。
懇談会のメンバーは、ノーベル医学・生理学賞を受賞した京都大iPS細胞研究所所長の山中伸弥教授や、
直木賞作家の林真理子さんらを起用する方向で内定しているが、
「事柄の性質上、迷惑がかかる」として1日朝に正式発表する。
その後、菅氏が懇談会の内容を首相に報告。午前10時20分ごろから
衆院議長公邸で衆参両院の正副議長に意見を聴取した上で、全閣僚会議を経て、
臨時閣議を開き、新元号を定める政令を決定する。菅氏の発表直前に、
天皇陛下と皇太子さまにも新元号を伝達するとみられる。
1日中に政府が承認する計195カ国に外交ルートを通じ、新元号決定を通知する。
菅氏は4月1日の記者会見で、平成改元時を踏まえ、墨書された新元号を掲げた上で、
新元号とともにその由来となる「典拠」を説明する。
政令は4月1日中に天皇陛下が署名・公布され、皇太子さまが即位される5月1日に施行される。
元号は同日午前0時に改められる。
新元号の選定をめぐっては、新元号候補名の考案を依頼する専門家を国文学、漢文学、日本史学、
東洋史学の分野から選び、3月14日付で正式に委嘱した。
4月1日の懇談会では最終的に5つ前後の原案が示される見通しだ。
https://www.sankei.com/life/news/190329/lif1903290047-n1.html

88年に皇太子訪韓「期待」 日本外務省、韓国に伝達
2019.3.31 12:19
韓国外務省は31日、1988年までの外交文書を公開した。
88年9月に村田良平外務事務次官(故人、肩書は当時、以下同)が
韓国の李源京駐日大使と行った非公式協議の場で、
日本外務省としては皇太子殿下(現在の天皇陛下)の速やかな韓国訪問の実現を「期待している」と述べたと、
李大使が韓国外務省に報告していたことが分かった。
日韓は当時、盧泰愚大統領の訪日へ向けた協議をしていた。
李大使の報告では村田次官は、大統領訪日が実現すれば、竹下登首相との首脳会談で
皇太子殿下の訪韓問題を対外秘の議題として取り上げる方法もあると言及していた。(共同)
https://www.sankei.com/politics/news/190331/plt1903310006-n1.html

両陛下 長女の黒田清子さんの自宅を訪問 夕食を共に 2019年3月31日 18時48分
天皇皇后両陛下は31日、東京都内にある長女の黒田清子さんの自宅を訪れ、
黒田さん夫妻と夕食を共にされました。
両陛下は、31日午後6時、東京 豊島区にある黒田清子さんと慶樹さん夫妻の自宅マンションを訪問されました。
両陛下は、到着する際、車の窓を開けて地元の人などににこやかに手を振り、
会釈をしてマンションの中に入られました。
両陛下は、このあと、黒田さん夫妻と夕食を共にされたということです。
天皇陛下は、退位まで31日であと1か月となり、1日は、新元号を定める政令が臨時閣議で決定されたあと、
お住まいの御所で政府から送られてきた政令の文書に署名・押印されることになっています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190331/k10011868101000.html

皇太子さま、即位後ご公務の一部を赤坂御所で 宮内庁、雅子さまに配慮
2019.3.31 23:50
皇太子さまが新天皇に即位される5月1日以降、従来は皇居・宮殿で行う行事の一部を当面の間、
お住まいの赤坂御所(現在の東宮御所)で実施する方向であることが31日、分かった。
皇太子ご夫妻は天皇、皇后両陛下のご公務を原則全て引き継ぐが、宮内庁は移動の負担も含め、
長期療養中の皇太子妃雅子さまが務めに励まれやすい環境づくりを模索する。
皇太子さまのご即位まで1日で1カ月となった。
皇太子さまのご即位後、両陛下は御所から高輪皇族邸に移り住まれ、御所に皇太子ご一家が入られる。
ただ、両陛下が転居されるまでに一定期間を要する上、御所も改修工事を行うため、
天皇、皇后となる皇太子ご夫妻は当面の間、赤坂御所から皇居に通う形で公務に臨まれる。
宮内庁幹部は「雅子さまは引き続き療養しながら公務に取り組まれる。体調への負担を減らす環境を整える必要があり、
そのための工夫は欠かせない」と指摘。現在も東宮御所で行っている外国大使との面会や
外国賓客との食事会などを赤坂御所で行うことを想定し、皇太子さまと今後、調整を図る。
両陛下は東日本大震災後、電力消費の大きい宮殿の使用を避け、年間約200件の行事のうち、
外国大使との面会を含む約60件を御所で行われており、皇太子ご夫妻がこれにならわれる可能性もあるという。
別の同庁幹部は「公的施設の宮殿と異なり、私邸といえる御所での面会を特別な対応と
歓迎する賓客や大使も少なくない」と指摘し、国際親善の面でも支障がないことを強調する。
皇太子ご一家を支える新侍従職の職員もしばらくは赤坂御所に常駐する見込み。
事務作業の上で効率的であるほか、ご夫妻が赤坂御所と皇居の間を移動されることが減るため、
警備面のメリットもあるという。
https://www.sankei.com/life/news/190331/lif1903310044-n1.html

判事が「反天皇制」活動

判事が「反天皇制」活動 集会参加、裁判所法抵触も
2019.3.13 05:00
名古屋家裁の男性判事(55)が昨年、「反天皇制」をうたう団体の集会に複数回参加し、
譲位や皇室行事に批判的な言動を繰り返していたことが12日、関係者への取材で分かった。
少なくとも10年前から反戦団体でも活動。一部メンバーには裁判官の身分を明かしていたとみられ、
裁判所法が禁じる「裁判官の積極的政治運動」に抵触する可能性がある。
昨年10月にはツイッターに不適切な投稿をしたとして東京高裁判事が懲戒処分を受けたばかり。
裁判官の表現の自由をめぐって議論を呼びそうだ。
関係者によると、判事は昨年7月、東京都内で行われた「反天皇制運動連絡会」(反天連、東京)などの
「なぜ元号はいらないのか?」と題した集会に参加。今年6月に愛知県尾張旭市で開催され、
新天皇、皇后両陛下が臨席される予定の全国植樹祭について
「代替わり後、地方での初めての大きな天皇イベントになる」とし、「批判的に考察していきたい」と語った。
昨年9月には反戦団体「不戦へのネットワーク」(不戦ネット、名古屋市)の会合で
「12月23日の天皇誕生日に討論集会を開催し、植樹祭を批判的に論じ、反対していきたい」と発言。
さらに「リオ五輪の際、現地の活動家は道を封鎖したり、ビルの上から油をまいたりしたようだ。
日本でそのようなことは現実的ではないが、東京五輪に対する反対運動を考えていきたい」とも語っていた。
判事は昨年2月と5月、不戦ネットの会報に「夏祭起太郎」のペンネームで寄稿し、
「天皇制要りません、迷惑です、いい加減にしてくださいという意思表示の一つ一つが天皇制を掘り崩し、
葬り去ることにつながる」「世襲の君主がいろいろな動きをする制度は、
やっぱり理不尽、不合理、弱い立場のものを圧迫する」と記していた。
判事は集会などで実名でスピーチしていたほか、団体の一部メンバーには「裁判所に勤務している」と話していたという。
判事は平成5年に任官。名古屋家裁によると、現在は家事調停や審判事件を担当している。
判事は産経新聞の複数回にわたる取材に対し、何も答えなかった。
https://www.sankei.com/affairs/news/190313/afr1903130002-n1.html

昭和の日を「無責任の日」と批判 判事、過激派参加団体で活動も
2019.3.13 06:00
4月末の天皇陛下の譲位を前に、名古屋家裁の男性判事(55)が
「反天皇制」をうたう団体の集会に参加していたことが12日、明らかになった。
判事は平成21年以降、少なくとも3つの団体で活動。反皇室、反国家、反権力などを掲げ、
中には過激派活動家が参加する団体もあった。過去には自治体が当事者となる訴訟も担当しており、
法曹関係者からは「判決など判断の公平性、中立性に疑問が生じかねない」との指摘が出ている。
「人々から敬愛、理解、共感をかすめ取る天皇・皇族」「各地の『天皇要らない』の声とつながり、
大きな反天皇制のうねりをつくりだしていきたい」
「反天皇制運動連絡会」(反天連、東京)などが呼びかけた「代替わり」反対集会では、
皇室を批判する激しい発言が繰り返される。判事は昨年、こうした反天連による別の集会に複数回にわたって参加し、
自らも「批判的に考察していきたい」などと発言していた。
関係者によると、判事は津地家裁四日市支部勤務だった21年、
広島県呉市で行われた反戦団体「ピースリンク広島・呉・岩国」(呉市)の集会に参加。実名でスピーチした。
その後、広島地家裁呉支部に異動し、同団体の活動に参加した。
名古屋家裁に異動すると、反戦団体「不戦へのネットワーク」(名古屋市)に参加。
会報に「夏祭起太郎」の名前で論考を寄稿した。
昨年2月4日付では「昭和の日」を「無責任の日」と書いたほか、
天皇、皇后両陛下が臨席される全国植樹祭について「天皇が一本の木を植えるために
数十億単位の公費を使って、たくさんの木を伐採し、『国土の緑を大切に』という
まったくもって不思議で呪術(じゅじゅつ)的なイベント」
「過剰警備や人権侵害など様々な問題をはらんでいる」などと批判した。
団体メンバーの一部には、夏祭起太郎のペンネームを使っていることを明かしていた。
判事は過去に自治体が当事者となる訴訟も複数担当していただけに、
法曹関係者は「裁判官が反権力の活動をしているのであれば、行政事件の訴訟では、
最初から反自治体の立場で判断するのではないかとの疑念が生じる。
裁判に公平、中立を求める国民の信頼を得られないのではないか」と疑問を投げかける。
産経新聞は今年2月、判事に複数回、直接取材を申し込んだが、いずれも無言で足早に立ち去った。
名古屋家裁には昨年11月に判事の政治運動疑惑を伝え、見解を質問した結果、
書面で「承知していない」「仮定の質問にはお答えできない」との回答があった。
今年2月に再度取材したが、家裁は判事に事情を聴くなどの調査をしたかについても明らかにせず、
「お答えすることはない」とした。

裁判官の身分、憲法で手厚く保障
裁判官の身分は「司法の独立」の観点から憲法で手厚く保障されている。
裁判官が不祥事を起こしても、懲戒処分は戒告か1万円以下の過料しかなく、
他の公務員のように停職や減俸といった処分はない。
懲戒処分は憲法で行政機関が行うことはできないと規定。地裁、家裁、簡裁裁判官の懲戒は、
裁判官分限法に基づき、管轄する高裁の分限裁判で決められる。
停職や減俸の処分がないのは、そもそも裁判官は「法の番人」として
不祥事を起こさないとの考えもあるためとされるが、現行制度は実情に合っていないとの指摘もある。
一方、罷免については、国会が設ける弾劾裁判所が判断する。国民から罷免すべきだとする請求を受け、
国会の裁判官訴追委員会が弾劾裁判を開く必要があると判断すれば、弾劾裁判所に訴追される。
今月4日には、裁判官訴追委員会が、ツイッターに不適切な投稿をして裁判当事者の感情を傷つけたとして、
昨年10月に最高裁から戒告処分を受けた東京高裁の岡口基一判事(53)から事情聴取している。
https://www.sankei.com/affairs/news/190313/afr1903130004-n1.html

公平・中立に裁けるのか 判事「反天皇制」活動
2019.3.13 05:01
「反天皇制」をうたう団体の集会に参加し、皇室行事などに批判的な言動を繰り返していたことが12日、
明らかになった名古屋家裁の男性判事(55)。
「裁判官の積極的政治運動」を禁じた裁判所法に反するか否かは、
裁判官の身分を名乗って活動していたかどうかがポイントになる。
裁判官も私生活では一市民である以上、表現の自由があるからだ。
平成10年、仙台地裁の判事補が、組織的犯罪対策3法案に反対する集会に身分を名乗って参加し、
「パネリストとして発言するつもりだったが、地裁所長から懲戒処分もあり得るとの警告を受けたので
発言を辞退する」と発言。この言動が積極的政治運動にあたるとして戒告処分を受けた。
この際、最高裁大法廷は積極的政治運動の禁止規定について「表現の自由を一定範囲で制約することになるが、
合理的でやむを得ない限度にとどまる限り憲法の許容するところ」とし、合憲との初判断を示した。
今回の判事の場合、集会などで裁判官を名乗って発言してはいなかった。しかし、団体の一部メンバーには実名のほか、
裁判所に勤務していることを明かしており、団体内部で身分が広まっていた可能性もある。
裁判所関係者は「裁判官としてではなく、一個人として発言しているのであれば、
裁判所法の規定に抵触するかどうかは議論の余地がある」との見方を示す。
だが判事が行っていた活動は、天皇を「日本国民統合の象徴」と規定した憲法を否定する行為だ。
国の統治機構のあり方に反対を唱える裁判官が、国や自治体が当事者となる訴訟を公平、中立に裁けるのか。
「司法の独立」の観点から憲法で手厚く身分保障されている裁判官には、
国民の信頼に値する言動や品位が求められている。(大竹直樹)
https://www.sankei.com/affairs/news/190313/afr1903130005-n1.html

【主張】表現の自由と判事 職責による制約は当然だ
2019.3.18 05:00
表現の自由は、憲法が国民に保障している。ただし、無制限に認められたものではない。
憲法には「国民は、これを濫用(らんよう)してはならないのであつて、
常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」とあり一般の国民でさえ、
表現の自由にはその範囲に制限がある。
他者の尊厳をむやみに傷つける差別的言辞や、著しく品位を欠き公共の福祉に反する言動を保障するものではない。
その範囲も職責によって異なる。裁判官は裁判所法によって「積極的に政治運動をすること」を禁じられている。
裁判とは、対立する意見や主張に対して、中立的な裁判官が十分な審理を経て、
公正に判決や判断を下すものだ。政治的立場を明らかにしている裁判官に公平な判断を求めることはできない。
最高裁大法廷は平成10年、裁判所法の積極的政治運動の禁止規定について
「表現の自由を一定範囲で制約することになるが、合理的でやむを得ない限度にとどまる限り
憲法の許容するところ」と合憲の判断を示している。
名古屋家裁の男性判事は昨年、「反天皇制」をうたう団体の集会に複数回参加し、
譲位や皇室行事に批判的な言動を繰り返したとされる。反戦団体の会報にはペンネームで
「天皇制要りません、迷惑です、いい加減にしてくださいという意思表示の一つ一つが天皇制を掘り崩し、
葬り去ることにつながる」などとも記していた。
これは明確に積極的な政治運動であろう。判事としての発言か、一個人としての発言かを問うことにも違和感がある。
個人として天皇制を否定する同じ人間が、判事として国や自治体が
当事者となる訴訟を中立的立場で裁くことができるのか。
一定の政治的主張を持つ団体が、恣意(しい)的に判事を選んで訴訟を起こすことも可能である。
昨年10月には、東京高裁の男性判事がツイッターに不適切な投稿をして
裁判当事者の感情を傷つけたとして、最高裁から戒告処分を受けた。
最高裁が懲戒理由に挙げた「品位を辱める行状」については、
「裁判官への国民の信頼を損ね、裁判の公正を疑わせる言動をいう」と説明した。
説明は、そのまま名古屋家裁判事に当てはまる。司法の信用に関わる問題である。厳正な調査と処分が必要だ。
https://www.sankei.com/affairs/news/190318/afr1903180003-n1.html

「反天皇制」活動判事、最高裁が事情聴取 判事は事実関係を否定
2019.3.22 13:27
名古屋家裁の男性判事(55)が「反天皇制」をうたう団体の集会で
譲位や皇室行事に批判的な言動を繰り返していた問題で、最高裁は22日、事実関係を調査していると明らかにした。
同日の衆院法務委員会で、最高裁の堀田真哉人事局長が串田誠一氏(維新)の質問にこたえた。
堀田局長は「裁判官の私生活上の自由や思想、表現の自由にも配慮しつつ慎重に調査している」と答弁。
判事から事情聴取したが、判事は事実関係を否定したため、
「服務規律違反の事実があったことは確認できていない」とした。
これに対し、串田氏は「積極的な政治活動に参加することは裁判官として適切でない。
(判事に事実関係を)否定されたからといってそのままにするのではなく、
厳正な審査、調査を続けてほしい」と求めた。
産経新聞の報道後、国会の裁判官訴追委員会(委員長・田村憲久衆院議員)の委員や
衆参両院の法務委の委員らからは判事の言動を疑問視し、裁判所のガバナンス(組織統治)を問う声が上がっていた。
訴追委は、国民から罷免すべきだとする請求を受け、弾劾裁判を開く必要があると判断すれば、弾劾裁判所に訴追する。
訴追委のメンバーは衆参各10人の国会議員。衆参各7人以上が出席し、3分の2が賛成すれば訴追する。
訴追委は今月4日、ツイッターに不適切な投稿をして裁判当事者の感情を傷つけたとして、
昨年10月に最高裁から戒告処分を受けた東京高裁の岡口基一判事(53)から事情聴取している。
関係者によると、名古屋家裁の判事は昨年7月、東京都内で行われた「反天皇制運動連絡会」(東京)などの集会に参加。
今年6月に開催され、新天皇、皇后両陛下が臨席される予定の全国植樹祭について
「代替わり後、地方での初めての大きな天皇イベントになる」とし、「批判的に考察していきたい」と語った。
昨年2月と5月には、反戦団体「不戦へのネットワーク」の会報にペンネームで寄稿し、
「天皇制要りません、迷惑です、いい加減にしてくださいという意思表示の一つ一つが天皇制を掘り崩し、
葬り去ることにつながる」などと記した。
https://www.sankei.com/affairs/news/190322/afr1903220012-n1.html

佳子内親王殿下 ICU御卒業

佳子さま、国際基督教大学ご卒業
2019.3.22 10:04
秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまは22日、国際基督教大(ICU、東京都三鷹市)の卒業式に出席された。
宮内庁によると進学や就職の予定はなく、今年6月には、これまで秋篠宮妃紀子さまが務められてきた
「産経児童出版文化賞」の贈賞式に臨席するなど、成年皇族として本格的に公務に取り組まれる。
佳子さまは同日、卒業式前に黒の帽子とガウン姿で取材に応じ
「充実した学生生活を送ることができ、感謝しています」と話された。
卒業にあたり、佳子さまは宮内記者会の質問に文書で回答を寄せられた。
この中で今後の公務について「依頼を頂いた仕事に、一つ一つ丁寧に取り組むというのが
基本的な考え方」と意欲を示された。自らの結婚は「遅過ぎずできれば良い」とする一方、
姉の眞子さまのご結婚に関する一連の儀式が延期されている現状についてもご言及。
「結婚においては当人の気持ちが重要」との認識を示した上で、
「姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています」と気遣われた。
佳子さまは平成25年に学習院大にご進学。2年生途中で中退し、27年にICUに入学された。
教養学部で3年生から心理学を専攻し、
卒業論文では「ワーキングメモリとMind Wanderingが読解力に及ぼす影響」との題で、
人間の読解力について考察された。在学中は29年9月から30年6月、英国のリーズ大学で舞台芸術なども学ばれた。
https://www.sankei.com/life/news/190322/lif1903220015-n1.html

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秋篠宮ご夫妻の次女の佳子さま大学卒業「意義ある経験」
2019年3月22日 10時22分
秋篠宮ご夫妻の次女の佳子さまは22日、国際基督教大学を卒業するのにあたって、
記者団の質問に文書で回答を寄せられました。
この中で、佳子さまは、学生生活を「あっという間であったと感じています」と振り返り、
1年半近く教育の分野を学んだ学習院大学を中途退学し、国際基督教大学に移ったことについて
「一つの分野を集中的に学ぶことも、幅広く学ぶことも、
どちらも非常に意義のある経験であったと感じています」と述べられました。
印象深かったこととしてはイギリスへの留学を挙げ、
「英語で学び、英語で生活をしたこと、様々な国の人と交流し、いろいろな文化に触れたこと、
今までになかった新しい視野を持つことができたことなど、多くの経験ができた」と振り返られました。
そして、卒業後は公的な活動の機会が増えることになるとしたうえで、「私が何をやりたいかではなく、
依頼を頂いた仕事に、一つ一つ丁寧に取り組むというのが基本的な考え方です」と記されました。
ご自身の結婚については「遅過ぎずできれば良いと考えています」と述べたうえで、
理想の男性像については「一緒にいて落ち着ける方が良いと考えています」とこたえられました。
一方、お相手の有無を尋ねる質問に対しては
「このような事柄に関する質問は、今後も含めお答えするつもりはございません」と記されました。
また、姉の眞子さまと、婚約が内定している小室圭さんの結婚に向けた行事が延期されていることについては
「私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。
ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています」と述べられました。
そのうえで、「姉の件に限らず、以前から私が感じていたことですが、メディア等の情報を受け止める際に、
情報の信頼性や情報発信の意図などをよく考えることが大切だと思っています。今回の件を通して、
情報があふれる社会においてしっかりと考えることの大切さを改めて感じています」と記されました。
最後に、来月30日に退位される天皇陛下と皇后さまについて
「様々な事柄に対して、まるでご自身のことのように、時にはお心を痛められ、
時には喜ばれるご様子に触れ、強く心に残るものがございました」と述べられました。
そして、新たに即位される皇太子さまと皇后になられる雅子さまについては
「私は大学を卒業し、皇族の一員としての活動が以前より多くなってまいりますので、
そのような中で、少しでもお二方のお役に立つことができれば誠に嬉しく思います」と記されました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190322/k10011856481000.html

佳子内親王殿下の国際基督教大学ご卒業に際しての文書回答(平成31年)
佳子内親王殿下の国際基督教大学ご卒業に当たり宮内記者会質問とご回答
http://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/27

問1 大学卒業を迎えての感想をお聞かせ下さい。
学習院大学から国際基督教大学へ移られて学ばれたご感想や
英国リーズ大学への短期留学などで印象深かったことは何でしょうか。
学業以外も含め,エピソードを交えてご紹介ください。

ご回答
大学卒業を迎え,学生生活が過ぎるのはあっという間であったと感じております。
また,恵まれた環境で過ごせたことを大変ありがたく思っております。
学習院大学では,約1年半,教育の分野を学びました。国際基督教大学では,英語で学ぶことも含め,
幅広い分野を学び,最終的に心理学を専攻いたしました。
一つの分野を集中的に学ぶことも,幅広く学ぶことも,どちらも非常に意義のある経験であったと感じております。
学業以外では,仲良くなった友人達と一緒に食事をしながら会話を楽しむなど,
どちらの大学でも思い出深い学生生活を過ごすことができました。

国際基督教大学の在学中に短期留学をしたリーズ大学では,日本では学ぶ機会の少ない,
舞台芸術に関わる分野や,国際基督教大学で専攻していた心理の分野などを含め,幅広く学びました。
上に書いたことと重なりますが,一つの分野を集中的に学ぶことも,幅広く学ぶことも,
どちらも非常に意義のある経験であったと感じております。
印象深かったことは,留学中の一連の経験と言えます。
英語で学び,英語で生活をしたこと,様々な国の人と交流し,いろいろな文化に触れたこと,
今までになかった新しい視野を持つことができたことなど,多くの経験ができたので,
留学をしていた約9ヶ月間は非常に印象深い期間でした。

どの大学においても,教職員の方,仲良くなった友人達,大学に通うに当たりお世話になった方々など,
関わってくださった方々に非常に感謝しております。

問2 今後の進路と将来の夢についてお聞かせください。
卒業後は公務に臨まれる機会もさらに増えてくるかと思いますが,
大学での経験を活かし,どういった活動に力をいれていきたいとお考えでしょうか。
同じ国際基督教大学で学ばれた眞子さまは大学卒業後,イギリスのレスター大学大学院に留学されましたが
佳子さまはそういったご希望はありますか。

ご回答
公的な仕事は以前からしておりましたが,卒業後はその機会が増えることになると思います。
どのような活動に力を入れたいかについては,以前にもお答えしたことがありますが,
私が何をやりたいかではなく,依頼を頂いた仕事に,一つ一つ丁寧に取り組むというのが基本的な考え方です。
これまで行った仕事は様々な分野のものがありました。大学生活で,一つの分野を集中的に学んだ経験も,
幅広く学んだ経験もこれからの仕事に活かすことができれば嬉しく思います。

将来の夢は,あくまでも夢ですので,以前と変わらず自分の中で温めておきたいと思っています。
大学院への進学は現時点では考えておりません。

問3 ご家族についてお伺いします。ご両親,眞子さま,悠仁さまと普段はどのようにお過ごしでしょうか。
ご家庭でのエピソードをお聞かせ下さい。卒業にあたってご両親に伝えたいことや,
眞子さまこの春中学生になられる悠仁さまへのメッセージ,
ご両親や眞子さまから受けられた印象的なアドバイスもあわせてお聞かせ下さい。

ご回答
両親には,公的な仕事に関することや,意見を聞いたほうが良いと感じる事柄について
アドバイスを求めることがあります。姉とは日常の出来事をお互いに報告しあったり,相談事をしたりします。
弟とは,姉と同じように日常の会話をしたり,一緒にテレビを見たり,遊んだりしています。
姉と弟と3人で話をしていると,非常に楽しく,たわいもないことで笑いが止まらなくなることもあります。

卒業に当たり両親に伝えたいことですが,上に書いたように,私は公的な仕事に関することや,
意見を聞いたほうが良いと感じる事柄について両親にアドバイスを求めることがあります。
そのような際にアドバイスをもらえることに感謝しています。
姉は,小さい頃から私のことを非常にかわいがってくれましたし,いつでも私の味方でいてくれました。
いつもありがとうと思っています。
今年の春から中学生になる弟へのメッセージですが,楽しく充実した日々を過ごしてほしいと思います。

印象的なアドバイスについては,公的な活動への取り組み方ということが挙げられます。
問2でお答えしていることと重なりますが,公的な仕事は,自分が何をしたいかで選ぶものではなく,
依頼を頂いたものを一つ一つ丁寧に行うという考え方は父からのアドバイスであり,
母と姉も共通して持っている認識であると思います。

問4 秋篠宮さまは去年11月のお誕生日にあたっての記者会見で,
佳子さまの結婚について「それほど遅くなくしてくれたらいいとは思います」と話されました。
結婚の時期や,理想の男性像についてどのようにお考えでしょうか。お相手はいらっしゃいますか。
眞子さまは,結婚に関する儀式を延期されていますか,家族としてどのように受け止めていらっしゃいますか。

ご回答
結婚の時期については,遅過ぎずできれば良いと考えております。
理想の男性像については,以前もお答えしていますが,一緒にいて落ち着ける方が良いと考えております。
相手がいるかについてですが,このような事柄に関する質問は, 今後も含めお答えするつもりはございません。

姉が結婚に関する儀式を延期していることについてですが,
私は,結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。
ですので,姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています。

また,姉の件に限らず,以前から私が感じていたことですが,
メディア等の情報を受け止める際に,情報の信頼性や情報発信の意図などをよく考えることが大切だと思っています。
今回の件を通して,情報があふれる社会においてしっかりと考えることの大切さを改めて感じています。

問5 まもなく皇位継承が行われます。これまで象徴としての務めを果たしてこられた天皇陛下と
支えてこられた皇后さまのご活動をどのようにご覧になってきましたか。
新天皇皇后となられる,皇太子ご夫妻へのお気持ちとともに,
皇族の減少など皇室の抱える課題についてのお考えもあわせてお聞かせください。

ご回答
天皇陛下と皇后陛下のご活動についてですが,両陛下は約60年の長きにわたり,
様々なご活動に心を込めて取り組んでこられました。このことを,大変尊敬申し上げております。
様々な事柄に対して,まるでご自身のことのように,時にはお心を痛められ,
時には喜ばれるご様子に触れ,強く心に残るものがございました。公的な場以外でお目にかかる際にも,
私たち若い世代にとって大切なことをお話し下さいます。
このように,真剣な思いを持っていらっしゃる両陛下であるからこそ,
ご活動の際にそのお心が自然と伝わってくるのではないかと思っております。

皇太子殿下,皇太子妃殿下についてですが,両殿下は5月に天皇皇后両陛下になられます。
私は大学を卒業し,皇族の一員としての活動が以前より多くなってまいりますので,
そのような中で,少しでもお二方のお役に立つことができれば誠に嬉しく思います。
皇族の減少などの課題につきましては,制度のこととも関係しますので,回答は控えたいと思います。



佳子さまがICU卒業 「充実した学生生活に感謝」
毎日新聞2019年3月22日 10時00分(最終更新 3月22日 11時08分)
秋篠宮家の次女佳子さま(24)が22日、国際基督教大(ICU、東京都三鷹市)の卒業式に出席された。
宮内庁によると、大学院進学や就職の予定はなく、卒業後は公務が増える見込み。
角帽、ガウン姿の佳子さまは報道陣の問いかけに
「充実した学生生活を送ることができ、感謝しています」と笑顔で応じた。 
佳子さまは心理学を専攻した。卒業論文は、読解力について約30人への実験を通して考察した内容だという。
宮内記者会からの質問に文書で回答し、今後の活動について
「何をやりたいかではなく、依頼をいただいた仕事に丁寧に取り組む」とつづった。
姉の眞子さまの結婚延期への質問には「当人の気持ちが重要。
姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい」と記した。
過熱する報道を念頭に「情報の信頼性や情報発信の意図などをよく考えることが大切」との意見も示した。
幼稚園から学習院に通った佳子さまは、学習院大文学部に進学したが、2年生だった2014年に中退。
その後、眞子さまも学んだICUに特別入学選考(AO入試)で合格し、
15年4月に教養学部アーツ・サイエンス学科に入学した。
約9カ月間の英リーズ大の留学では舞台芸術などを学んだ。【山田奈緒】

秋篠宮ご夫妻の感想
大学で過ごした期間に、さまざまな分野のことを学ぶ機会に恵まれたように聞いております。
また、その間には英国での短期留学も経験し、視野を広げることができたのではないかと思います。
これまでの経験を生かし、今後の仕事に取り組んでほしいと願っております。
https://mainichi.jp/articles/20190322/k00/00m/040/049000c


佳子さま「充実した学生生活で感謝」ICU卒業
秋篠宮家の次女佳子さま(24)は22日、東京都三鷹市の国際基督教大学(ICU)の卒業式に出席された。
午前7時半頃、式に先立って大学構内で黒の帽子とガウン姿で記念撮影に応じ、
「充実した学生生活を送ることができ、感謝しています」と笑顔を見せられた。
佳子さまは学習院大を中退し、2015年にICUに入学された。
宮内記者会の質問に対する文書回答では、二つの大学で教育や英語、心理学を学び
「非常に意義のある経験であったと感じております」と振り返られた。
特に印象深かったこととして、舞台芸術などを学んだ英リーズ大学での約9か月の留学を挙げ、
「様々な国の人と交流し、新しい視野を持つことができた」とつづられた。
宮内庁によると、今のところ大学院への進学や就職の予定はなく、
皇室の一員として公務の幅を広げていかれるという。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20190322-OYT1T50160/

佳子さま「結婚、姉の希望かなう形に」 報道にも言及
中田絢子 2019年3月22日10時03分
秋篠宮家の次女、佳子さまは22日の大学卒業にあたり、宮内記者会の質問に文書で回答した。
佳子さまは文書で、延期となっている姉・眞子さまと小室圭さんとの結婚についての質問にも答えた。
「私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています」とし、
「姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい」と記した。
眞子さまについては「いつでも私の味方でいてくれました」と振り返り、
「いつもありがとうと思っています」と感謝した。
また「姉の件に限らず、以前から私が感じていたことですが、メディア等の情報を受け止める際に、
情報の信頼性や情報発信の意図などをよく考えることが大切だと思っています」と言及。
「今回の件を通して、情報があふれる社会においてしっかりと考えることの
大切さを改めて感じています」と述べた。過熱する報道などを念頭に置いた発言とみられる。
一方、自らの結婚は「遅過ぎずできれば良い」とし、相手がいるかどうかについては
「今後も含めお答えするつもりはございません」とした。(中田絢子)
https://www.asahi.com/articles/ASM3N648MM3NUTIL06L.html



佳子さま、昭和天皇に大学卒業ご報告
2019.3.25 16:20
秋篠宮家の次女、佳子さまは25日、昭和天皇が埋葬されている武蔵野陵(東京都八王子市)を参拝し、
国際基督教大(ICU)を卒業したことを報告された。
グレーの洋装に黒い帽子姿の佳子さまは、陵の前で深く拝礼し、玉串をささげられた。
その後、敷地内にある香淳皇后の武蔵野東陵も参拝された。
佳子さまは今月22日にICUの卒業式にご出席。在学中は英国リーズ大への留学も経験された。
https://www.sankei.com/life/news/190325/lif1903250027-n1.html



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

佳子さま、メディア報道に言及 「信頼性や意図などをよく考えることが大切」
2019/3/22 18:48
秋篠宮家の次女、佳子さま(24)が2019年3月22日、国際基督教大学(ICU)の卒業式に出席した。
佳子さまは学習院大学を中途退学後、15年4月にICU教養学部アーツ・サイエンス学科へ入学。
在学中には約9か月間のイギリス留学も経験した。
卒業にあたって佳子さまは、宮内庁の記者クラブ「宮内記者会」からの質問に書面で回答。
そこでは、姉・眞子さまと小室圭さんの婚約問題などを念頭におき、
メディアリテラシーについても触れられている。

「姉の件に限らず、以前から私が感じていたことですが...」
宮内記者会と佳子さまの質疑応答は、NHKや新聞各社などの加盟社が、
ウェブ版の記事として全文公開している。メディアや情報について触れたのは、
自身や眞子さまの結婚について問われた、4つ目の質問への回答だ。
佳子さまは、結婚時期を「遅過ぎずできれば良い」とし、理想の男性像は「一緒にいて落ち着ける方が良い」。
お相手がいるかについては、「このような事柄に関する質問は、
今後も含めお答えするつもりはございません」と答えた。
また、眞子さまの結婚については「当人の気持ちが重要」との考えを示して、
「姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい」と思いを述べる。そのうえで、こう続けた。
「姉の件に限らず、以前から私が感じていたことですが、メディア等の情報を受け止める際に、
情報の信頼性や情報発信の意図などをよく考えることが大切だと思っています。
今回の件を通して、情報があふれる社会においてしっかりと考えることの大切さを改めて感じています」
佳子さまの回答は、あくまで情報の受け手である「私」を主語にしているが、裏返すと、
信頼性の低い情報や、強い意図を持った情報を発信するメディア側に、クギを刺しているようにも読み取れる。
小室さんの金銭問題は、雑誌やテレビが連日のように報道している。

ICU受験報道時にもコメント
情報に対する考え方に加えて、お相手についての質問には強い表現で返答したこともあり、ツイッターでは、
「メディアにクギ刺してて草」
「メディア取材へのお答えが素晴らしい...」
「佳子さま、メディアに物申す。物腰は柔らかいけど御立腹の様子」
といった声が見られる。
以前にも佳子さまは、メディア報道について言及している。
成人するにあたって、14年12月に行われた会見では、母である紀子さまについて、こう語っていた。
「週刊誌などでは様々な取り上げ方をされているようですが、
娘の私から見ると、非常に優しく前向きで明るい人だと感じることが多くございます」
加えて、ICU受験をめぐる報道が、合格以前から出ていたことについても、宮内庁発表ではないとしつつ、
「合格するかどうか分からない中でこのような報道があったことで様々な誤解があったと思いますし、
ICUの方々にもご迷惑をかけたのではないかと思い、申し訳なく思っております」
とコメントしていた。
https://www.j-cast.com/2019/03/22353336.html

佳子さま「情報の信頼性や発信の意図を考えることが大切」と言及も 引用不正確な記事が出回る
楊井人文 | 日本報道検証機構代表・FIJ事務局長・弁護士
3/27(水) 17:04
佳子さま(内親王殿下)が大学卒業にあたって記者団に寄せたコメントが、波紋を呼んでいる。
眞子さま(同)の結婚の儀式が延期になっている問題について
「私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。
ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています」と述べた。
この発言にネット上で賛否両論があがっているようだ。
ネット上には、「佳子さま『結婚は個人の勝手』発言に、国民の“怒り”が爆発 
『秋篠宮家廃嫡論』も」という記事も出回っている。
掲載されたのは「論壇net」という運営者不詳のサイトである。(*)
しかし、佳子さまは「結婚は個人の勝手」などという発言はしていない。佳子さまのコメントを引用する。

「姉が結婚に関する儀式を延期していることについてですが、
私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。
ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています。」
出典:佳子さま 大学卒業にあたって(回答全文)(NHK NEWS WEB 2019/3/22)

これが「眞子さまは、結婚に関する儀式を延期されていますが、
家族としてどのように受け止めていらっしゃいますか」という記者団の質問に答えた部分だ。
この趣旨は「結婚は個人の勝手」と言えるだろうか。

「勝手」という佳子さまの使っていない言葉で印象操作も
「勝手」というのは「自分勝手」「勝手気儘(きまま)」という形で使われることが多いように、
どちらかというとネガティブな文脈で使われる言葉だ。
辞書的にも「他人のことはかまわないで、自分だけに都合がよいように振る舞うこと。
また、そのさま」(デジタル大辞泉)という意味だ。
佳子さまが発したかったメッセージは何であろうか。
少なくとも本人の意思や希望を尊重してほしい、という意味は読み取れる。
だが、周囲の意向は構わずに自分の意思を貫く、という意味での「勝手」な行動を
姉に勧めているとまで言えるだろうか。
百歩譲って、受け手がそう「解釈」するのは勝手だとしても、ただの「解釈」にすぎないものを、
実際の発言であるかのような括弧つきで伝え、報じるのはご法度である。
括弧は発言を忠実に引用する場合に用いるというルールに反するからだ。
もしそのようなルールが守られなければ、発言の引用なのか、書き手の解釈なのか、わからなくなる
(日本では、強調の意味で括弧を使うことも多いが、それは文脈でわかる。
ここで問題としているのは、発言引用という印象を与える括弧使用である)。
「結婚は個人の勝手」という見出しをみた第一印象は、その大半が否定的な反応になるのではないか
(もちろん、「結婚は個人の勝手」という価値観に賛同し、好印象をもつ人がいることも否定しないが)。
「勝手」というワードがそのような感情的反応を呼び起こすために仕掛けられており、印象操作の典型例とも言える。
この種の、読者の感情を刺激する文言が入った記事を目にしたときに、
まずすべきは「本当なのかどうか」と立ち止まって考えることだ。
佳子さまが本当に「結婚は個人の勝手」という趣旨の発言をしたのか。
筆者の主観的感想に基づいて、事実を捻じ曲げて伝えていないかどうかー。
本当に「秋篠宮家廃嫡論」が広がっているのか。いったい誰がどういう目的で書いたものなのか、
他にどんな記事を書いているのか。運営者は実名で書いて責任の所在を明記しているのかどうかー。(*)

主要メディアは率先して引用ルールの確立を
残念ながら、この種の粗雑な引用符の濫用は、低質なネットメディアに限らず、
伝統的な大手メディアにも広く蔓延している悪習と言える。
新聞やテレビにも、発言内容をメディア側が解釈して文言を改変して、
本人の発言であるかのように伝える手法はあとを絶たない。
「言い換えた方が読者のためにわかりやすくなるからだ」というのがメディア側の建前なのだが、
端的に読者の興味を引きつけたいという商業主義ないしセンセーショナリズムによるものが大きい。
引用時の修正は、趣旨を損なわない程度に一部省略するなどに留めるべきだろう。
特に新聞など大手メディアには「歴史の記録者」という役割があるのだから、
率先して、本人が使っていない言葉を引用符の中に勝手に入れるのはご法度だ、という
ニュース記事のルールを確立すべきではないか。

メディアだけでなく、情報の受け手(であると同時に拡散・発信の担い手)である人々も、
記事に対する接し方を考える必要がある。
佳子さまは、先ほどのコメントに続いて、メディアリテラシーの重要性を訴えていた。

「姉の件に限らず、以前から私が感じていたことですが、メディア等の情報を受け止める際に、
情報の信頼性や情報発信の意図などをよく考えることが大切だと思っています。
今回の件を通して、情報があふれる社会においてしっかりと考えることの大切さを改めて感じています。」
出典:佳子さま 大学卒業にあたって(回答全文)(NHK NEWS WEB 2019/3/22)

メディアの記事やネット情報に脊髄反射的に反応し、拡散する人々が多い中、しっかりかみしめたい言葉である。
(*) このほかにも眞子さま結婚問題に関する記事を大量に出しており、
1月29日から本日までの約2ヶ月間で「特集『小室圭問題』」というカテゴリーに118件の記事も表示されている。
https://news.yahoo.co.jp/byline/yanaihitofumi/20190327-00119831/

皇位の維持は男系の検討が先だ

正論
皇位の維持は男系の検討が先だ 国士舘大学特任教授、日本大学名誉教授・百地章
2019.3.15

≪政府の画期的な方針が示された≫

2月27日の衆議院予算委員会第1分科会で、菅義偉官房長官は鬼木誠衆議院議員の質問に対して次のように答えた。
「安定的な皇位の継承を維持することは、国家の基本にかかわる極めて重要な問題であると認識しています。
男系継承が古来例外なく維持されてきたことの重みなどを踏まえながら、
慎重かつ丁寧に検討を行っていく、その必要があると思います」

これは画期的な答弁だ。退位特例法の付帯決議は、
冒頭に「安定的な皇位継承を確保するための諸課題」をあげているが、
その際、「男系継承の重みなどを踏まえながら」検討していくとの政府の基本方針が示されたからだ。
憲法制定以来、政府は「皇位の世襲」について「男系」ないし「男系重視」の答弁を繰り返してきた。
このことは先に本欄で指摘した通りである(「皇位の安定的継承は男系が前提」2月4日)。

ところが、内閣法制局が平成29年10月付で作成した『憲法関係答弁例集』には、
不思議なことに、「男系重視」の一連の答弁は、一つも紹介されていない。
それどころか、法制局は「憲法第2条の趣旨」として、「この〔憲法第2条の〕『世襲』とは、
皇位が代々皇統に属する者によって継承されるということであると考えられる」とだけ述べ、
「皇統」に属するならば男系でも女系でも構わないかのように説明している。

その上で、「皇位の継承に係る事項」については「皇室典範」つまり「法律」で定めることになっているという。
つまり、皇室典範第1条に定める「男系男子」の原則も、法律だから国会で自由に変更できるといいたいようだ。

≪法制局は「女系」へ誤導するのか≫

これは非常に問題ではないか。確かに、言葉だけ見れば「世襲」には男系と女系が含まれるとも言え、
そのような政府答弁もある(安倍晋三官房長官、平成18年1月27日、衆議院予算委員会。
山本庸幸法制局長官、平成24年2月13日、衆議院予算委員会)。
ただ、それに続けて安倍官房長官は「政府としては、男系継承が古来例外なく維持されてきたことを認識し、
その重みを受けとめつつ、皇位継承制度のあり方を検討すべきである」と述べているし(同前)、
山本長官の発言の直後に野田佳彦首相も「その〔男系の〕伝統を重く受けとめるということを
明確に申し上げさせていただく」(同前)と答弁している。

しかし、この答弁例集だけみた国会議員は「世襲」の原則さえ守れば、「女系天皇」の採用も自由であり、
憲法上全く問題ないと誤解するであろう。だが、安易な女系天皇の容認は憲法違反の疑いさえあることは
前掲の拙稿で述べた通りである。内閣法制局は、意図的に国会議員を誤導(ミスリード)するつもりだろうか。

実は平成17年、小泉純一郎内閣の下で設置された「皇室典範に関する有識者会議」
(座長・吉川弘之元東大総長、座長代理・園部逸夫元最高裁判事)の第1回会議に提出された「資料」にも、
同じような仕掛けが施されていた。そこには「男系重視」の政府答弁は一つもあげられておらず、
「皇位継承資格者を女系にも認めるためには、憲法改正を要しない」との説明と
「憲法第2条は男系の男子と限定していない」(金森徳次郎国務大臣)といった政府答弁が引用されていただけであった。

有識者会議のメンバー10人は、座長を初めさまざまな学問領域の錚々(そうそう)たる方々ばかりであったが、
法律の専門家は2人だけで、皇室制度に通じているとおぼしき方も探すのは困難であった。
したがってほとんどのメンバーは、政府側の説明と「資料集」だけで、
「女系天皇」の容認に何の疑問も挟まなかったのではないか。
こうして、「女系容認派」の園部座長代理の主導の下に、
「女系天皇」と「女性宮家」を容認する報告書が作成されてしまった。

≪旧宮家から適格者を迎えよ≫

この報告書は、悠仁親王のご生誕により事実上棚上げとなった。
しかし、報告書は十分な検討もしないまま、男系を維持するための「旧皇族の皇籍復帰等」は
「問題点があり、採用することは極めて困難である」と簡単に結論付けており、非常に疑問である。

それを証明するかのように、その後、座長代理だった園部氏自身が、
岩井克己・朝日新聞記者との対談の中で次のように語っている
(「どうする皇室の将来」『週刊朝日』2014年8月22日号)。

岩井氏が「有識者会議の議論では、なぜ旧皇族復帰がダメなのか説明不足だと感じました」というと、
園部氏は「そもそも、どの政府も旧皇族方がいま、どうなっているのか、
十分な把握ができていないのでは」と答えている。
そして「〔旧皇族の中に〕適格者がいらっしゃれば養子を考えてもよいのですが」とも発言している。
これは、大いに注目すべきだ。

政府は「男系重視」の立場から、旧宮家の男系男子の中でふさわしい方を皇族に迎えるべく、
速やかに法制度の検討に着手すべきではなかろうか。(ももち あきら)
https://special.sankei.com/f/seiron/article/20190315/0001.html

2019年2月

秋篠宮ご夫妻訪欧へ 皇位継承後の皇室で初の外国公式親善訪問
2019年2月1日 5時42分皇室
秋篠宮ご夫妻は、日本との外交関係樹立100周年を迎えるポーランドとフィンランドを、
この夏、訪問される見通しになりました。
皇位継承後の皇室で初めての国際親善を目的とした外国公式訪問となります。
ポーランドとフィンランドは、いずれも、この春、日本との外交関係樹立から100周年を迎えます。
関係者によりますと、秋篠宮ご夫妻は国際親善のため、ことし6月下旬から7月上旬にかけて、
10日間余りの日程で、両国を公式訪問される方向で調整が進められています。
ご夫妻は、それぞれの国で大統領を表敬訪問することが検討されているほか、
外交関係樹立100周年を記念する行事や食事会などに出席され、
秋篠宮さまが、日本との友好関係の発展を願うおことばを述べられる見通しです。
天皇陛下や皇太子さまが、ことし外国を訪問される予定はなく、
皇位継承順位1位の皇嗣となる秋篠宮さまが、紀子さまとともに、
皇位継承後の皇室で初めての国際親善を目的とした外国公式訪問に臨まれることになります。
秋篠宮家では、長女の眞子さまも、ことし7月頃、
日本人が移住を始めて120周年を迎えた南米のペルーなどを訪問される方向で検討が進められています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190201/k10011798931000.html

皇后さま、ミュンヘンの児童図書館名誉会員ご就任
2019.2.1 18:02
宮内庁は1日、皇后さまが同日付でドイツのミュンヘン国際児童図書館の名誉会員に就任されたと発表した。
皇后さまは平成26年に亡くなった詩人のまど・みちおさんの詩集を英訳するなど児童文学振興への関わりが深く、
5年に天皇陛下と欧州を歴訪した際、国際的な児童書の研究センターとしても知られる同図書館を訪問されている。
同館館長から昨夏、就任の要請があったという。
https://www.sankei.com/life/news/190201/lif1902010029-n1.html

秋篠宮ご一家、仮のお住まいへ=宮邸改修に伴い−宮内庁
2019年02月04日16時15分
宮内庁の西村泰彦次長は4日の定例会見で、秋篠宮ご一家が10日、
現在のお住まいの秋篠宮邸から近くに建設された御仮寓所(かぐうしょ)に移られることを明らかにした。
宮邸の改修工事に伴うもので、工事が完了する2022年3月末まで御仮寓所に住む予定。
現在の宮邸は手狭なほか、配水管が水漏れするなど施設の老朽化が激しくなっていた。
代替わりで秋篠宮さまが皇位継承順位1位の「皇嗣」となることに伴い
接見スペースの拡充も必要なことなどから、改修工事は宮邸の隣接地にある赤坂東邸と一体で行われる。
工事後、御仮寓所は事務所と収蔵庫として使われる予定。(2019/02/04-16:15)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019020400734&g=soc

悠仁さま、お茶の水女子大付属中に進学へ
17:43
宮内庁は4日、秋篠宮ご夫妻の長男で、お茶の水女子大付属小6年の悠仁ひさひとさま(12)が
4月から同大付属中に進学されると発表した。
5月1日に皇太子さまが即位した後、悠仁さまは秋篠宮さまに次いで、皇位継承順位2位になられる。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20190204-OYT1T50173/

悠仁さま、お茶大付属中へ 今春、内部進学 
2019/2/4 18:24
宮内庁は4日、秋篠宮ご夫妻の長男で、お茶の水女子大付属小6年の悠仁さま(12)が4月から、
同大付属中に内部進学すると発表した。3日に必要な筆記試験を受け、4日夕に合格が発表された。
宮家の職員が確認し、本人に伝えた。
秋篠宮さまは昨年11月の誕生日記者会見で、中学の進学先について具体名は明かさず
「いい教育をしてくれるところだといいなと親としては思っています」と話されていた。
宮内庁幹部によると、悠仁さまは別の学校への進学も検討したが、両親と相談し、
慣れ親しんだ学校での内部進学を選んだという。
お茶の水女子大付属高は女子校のため、高校は外部に進学する見通し。
https://this.kiji.is/465083071840420961?c=39546741839462401

悠仁さま、お茶の水付属中へ 4月から
2019/2/4 19:11
宮内庁は4日、秋篠宮家の長男、悠仁さま(12)が
4月からお茶の水女子大付属中学校(東京・文京)に進学されると発表した。
同大付属小6年の悠仁さまは3日に付属中の入試を受験。4日夕に合格発表があった。
悠仁さまは2010年4月に同大付属幼稚園に入園、13年4月に付属小に入学された。
付属中は自主性を重んじる教育方針で知られ、宮内庁幹部によると、
秋篠宮ご夫妻と悠仁さまは内部進学を希望された。
他校は受験されなかったという。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40872450U9A200C1CR8000/

悠仁さま、本人の希望で片道24時間旅 一般客とお忍び
2019年2月4日20時07分
4月にお茶の水女子大付属中学校への入学が決まった秋篠宮家の長男悠仁さま。
代替わり後は皇位継承順位第2位となる。
悠仁さまは一昨年、自ら希望して紀子さまとお忍びで船旅をした。その行き先とは――。
悠仁さまは天皇陛下の孫の世代で唯一、皇位継承権がある男性皇族だ。
関係者によると、最近は関心の幅が広がり、様々な土地に足を運んでいる。
2017年7月。悠仁さまは紀子さまと東京・小笠原諸島の父島や母島を訪れた。
一般客と同じフェリーで24時間の船旅。塹壕(ざんごう)や軍道など戦争の痕跡をめぐった。
「東京の島を見たい」と本人が希望したという。
関係者によると、悠仁さまは小学4年生の頃、自分の暮らす東京をはじめ、各地にどんな人々が暮らし、
どのような作物や祭り、文化があるのか、などに興味を持ったという。
昨年8月には宮邸に昭和史研究家の男性を招き、戦争の歴史を聞いた。
約2時間半、悠仁さまはじっと聴き入り、「原子爆弾はなぜ広島に落とされたんですか」などと質問した。
皇室の歴史に詳しい名古屋大大学院の河西秀哉准教授は、
天皇陛下が疎開先の日光などで寺社や自然の名所などを巡り、
皇太子さまも小学生時代から側近を伴ってではあるが各地への「一人旅」で見聞を広めたことに照らし、
「机の上で学ぶだけでなく、足を運んで学ぶことは天皇家が大事にしてきたこと。
その系譜に連なる活動とみることができる」と話した。
https://www.asahi.com/articles/ASM1X6DL3M1XUTIL05F.html

天皇陛下、メルケル独首相と会見
2019年02月05日15時32分
天皇陛下は5日午前、来日中のドイツのメルケル首相と皇居・御所で約20分間会見された。
宮内庁によると、皇居での新年一般参賀に多くの人が訪れた様子をテレビで見たと
メルケル首相が話したのに対し、陛下は「天皇としては最後の一般参賀でしたので。
この春には譲位しますが、これは光格天皇以来の約200年ぶりのことです」と応じた。
メルケル首相は「日本の人々は陛下がご高齢であることは理解しつつも、
寂しく感じていることと思います」と話した。
海洋汚染問題や資源のリサイクルなども話題に上ったという。(2019/02/05-15:32)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019020500749&g=pol

皇太子さまがオペラ鑑賞  代替わり前最後
2019/2/6 19:19
皇太子さまは6日、東京都渋谷区の新国立劇場を訪れ、
ドイツの音楽家ワーグナー作曲のオペラ「タンホイザー」を鑑賞された。
4時間以上にわたる公演の最初から足を運び、熱心に聞き入って拍手を送った。
皇太子さまはオペラ鑑賞が趣味だが、今回が代替わり前の最後の機会となる。
タンホイザーはワーグナー中期の人気作で、中世ドイツを舞台に、
官能的な愛と精神的な愛の間で葛藤する騎士タンホイザーの物語。
皇太子さまにとっては3回目の鑑賞となった。
https://this.kiji.is/465822310494422113

秋篠宮ご一家仮住まい「御仮寓所」公開 10日引っ越し
中田絢子 2019年2月7日15時29分
月の天皇の代替わりに伴い、「皇嗣(こうし)」となる秋篠宮さまの住居・宮邸が改修される。
工事の間、ご一家は御用地内に約9億8千万円かけて新設された「御仮寓所(ごかぐうしょ)」に移り住む。
その外観が7日、報道各社に公開された。引っ越しは10日で、宮邸の工事は4月以降にも始まる予定という。
御仮寓所は鉄筋コンクリート造りの3階建てで、延べ床面積は約1378平方メートル。
1、2階はベージュ、3階はクリーム色の落ち着いた雰囲気の外観で、
居間や食堂のほか、応接室や執務室、職員の事務室などがある。
ご一家が宮邸に戻った後は、事務所と収蔵庫として使用される。清水建設が施工した。
現在の宮邸は旧秩父宮邸を改修し1997年3月から使用。宮内庁は2006年と11年、
設備の老朽化や悠仁さま誕生などを理由に改修を検討したが、
「より古い宮邸の改修優先を」「社会情勢に鑑みて控えて」とする秋篠宮さまの意向で見合わされた。
今回は皇嗣としての活動が広がることから、約33億円をかけて大規模改修することになった。(中田絢子)
https://www.asahi.com/articles/ASM267RJMM26UTIL094.html

皇太子ご夫妻、読書感想文コンクール表彰式ご臨席
2019.2.8 16:58
皇太子ご夫妻は8日、経団連会館(東京都千代田区)で開かれた
「青少年読書感想文全国コンクール」の表彰式に臨席された。
皇太子さまは、天皇陛下が皇太子時代、同式典で「考える読書」の習慣を身に付け、
視野の広い人になってほしいと述べられた際の言葉を引用し
「読書によって若い人々が、多くの感動を経験し、心豊かに成長されることを期待いたします」とあいさつをされた。
療養中の皇太子妃雅子さまが同式典に臨席されるのは平成14年以来、17年ぶり。
表彰式後には、ご夫妻が小学生から高校生までの受賞者らと懇談する機会も設けられ、
雅子さまは「良い本に出会えましたね」「今はどんな本を読んでいるの」などと語りかけられていた。
https://www.sankei.com/life/news/190208/lif1902080048-n1.html

「良い本とたくさん出会って」 感想文コンクール表彰式
2019年2月8日 金曜 午後5:34
皇太子ご夫妻は8日、青少年による読書感想文コンクールの表彰式に出席された。
皇太子さま
「皆さんもぜひ、大人になった時に、子ども時代に読んだ本の何冊かをもう一度読んでみてください」
表彰式では、全国の小・中・高校生による410万編以上の中から優秀な作品が表彰され、
皇太子さまは、成長に応じて本を読み返すことで、「新たな発見の喜びを見いだすことができる」と呼びかけられた。
式には17年ぶりに雅子さまも出席され、皇太子さまは、入賞した児童らに、課題図書に関係する
スコットランドの写真を見せ、「これからも良い本とたくさん出会ってくださいね」などと声をかけられていた。
https://www.fnn.jp/posts/00411623CX

百合子さまがご退院 インフルご回復
2019.2.9 12:27
宮内庁は9日、95歳の三笠宮妃百合子さまが同日、聖路加国際病院(東京都中央区)を退院されたと発表した。
百合子さまは1月24日にインフルエンザA型との診断を受け、そのままご入院。
同25日にはほぼ平熱に戻ったが、高齢であることも考慮し、入院を継続されていた。
https://www.sankei.com/life/news/190209/lif1902090023-n1.html


平成31年2月8日
「建国記念の日」を迎えるに当たっての内閣総理大臣メッセージ
「建国記念の日」は、「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨のもとに、
国民一人一人が、今日の我が国に至るまでの古からの先人の努力に思いをはせ、
さらなる国の発展を願う国民の祝日であります。
我が国は、四季折々の豊かな自然に恵まれ、長い歴史を経て、
諸外国に誇れる日本固有の文化や伝統を育んできました。
私たちは、五穀豊穣を祈り、田畑をともに耕し、水を分かち合い、
乏しきは補い合い、共に手を携え助け合う、麗しい社会を築いてまいりました。
知恵と創意工夫により、自然に向き合い、自然との調和を図りながら、
科学技術の発展をはじめ、様々な分野において、人類の営みに大きく貢献してきました。
長い歴史の中で、我が国は、幾度となく、大きな困難や過酷な試練に直面してきましたが、
その度に、先人たちは、勇気と希望をもって立ち上がり、
一人一人のたゆまぬ努力により今日の平和で豊かな国を築き上げ、
自由と民主主義を守り、人権を尊重し、法を貴ぶ国柄を育ててきました。
そうした努力の礎の上に、今日の発展があります。
今を生きる私たちは、先人たちの足跡の重みをかみしめ、国際社会とも緊密に連携しながら、
この尊い平和と繁栄を次の世代に引き継いでいくため、能う限りの力を尽してまいります。
伝統を守りながら、同時に、変化をおそれず、困難な課題に対しても果敢に挑み、乗り越えていく。
平成の時代においても、私たちは、そうした努力を積み重ねてまいりましたが、
平成の、その先の時代に向かって、私たちの子や孫の世代のために、
今後も努力を重ね、より良い未来を切り拓いてまいります。
平成最後の「建国記念の日」を迎えるに当たり、私はその決意を新たにしております。
「建国記念の日」が、我が国のこれまでの歩みを振り返りつつ先人の努力に感謝し、
さらなる日本の繁栄を希求する機会となることを切に希望いたします。

平成31年2月11日
内閣総理大臣 安倍 晋三
https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/discourse/20190211message.html

世界らん展始まる 高円宮承子さま参加
2019.2.15 17:30 共同通信
世界各地の華やかなランやバラ、多肉植物などを堪能できる「世界らん展2019―花と緑の祭典―」が15日、
東京都内の東京ドームで始まった。

祭典には高円宮家の長女承子さまと次女千家典子さんが出席した。
190215.jpg
https://www.47news.jp/news/3275493.html

皇后さま、クラリネットコンサートご鑑賞
2019.2.16 16:45
皇后さまは16日、東京文化会館(東京都台東区)を訪れ、
クラリネット奏者の二宮和子さんのリサイタルを鑑賞された。
皇后さまは皇居・御所に音楽家を招いて演奏会を開くことがあり、
二宮さんとは平成3年から交流を持たれているという。
この日はヴァインガルトナーのクラリネット五重奏曲などの楽曲に耳を傾け、盛んに拍手を送られていた。
https://www.sankei.com/life/news/190216/lif1902160025-n1.html

共産、在位30年式典を欠席 天皇の政治的利用を懸念
2019.2.20 18:01
共産党の穀田恵二国対委員長は20日の記者会見で、
24日に開く政府主催の天皇陛下在位30年記念式典に党として出席しないことを明らかにした。
理由について安倍晋三首相が施政方針演説で明治天皇の短歌を引用したことに触れ
「今の政府には、天皇の政治的利用の動きがあると感じざるを得ない」と語った。
穀田氏によると、政府から出席の打診があったが、事前に断ったため招待状は来ていないという。
共産党は在位10年、20年式典にも出席していない。
https://www.sankei.com/life/news/190220/lif1902200038-n1.html

首相が皇太子さまと異例の面会
2019/2/22 15:49
安倍晋三首相は22日、東宮御所を訪れ、皇太子さまと面会した。
天皇陛下の退位から皇太子さまの新天皇即位までの流れについて報告したとみられる。
皇太子さまへの報告は異例。
https://this.kiji.is/471569804301075553

安倍晋三首相、皇太子さまと異例の面会 皇位継承の流れ報告か
2019.2.22 18:44
安倍晋三首相は22日、東京・元赤坂の東宮御所を訪れ、皇太子さまと面会した。
天皇陛下の譲位から皇太子さまの新天皇即位までの皇位継承の流れを報告したとみられる。
皇太子さまへの報告は異例で、宮内庁東宮職は「聞いたことがない」としている。
菅義偉(すが・よしひで)官房長官は22日の記者会見で、面会の目的や内容を問われ
「コメントを控えたい。宮内庁に聞いてほしい」と述べた。
その上で、憲政史上初となる譲位による皇位継承に関し
「国民がこぞって祝意を表することができるよう関連儀式の準備を進め、万全を期したい」と語った。
https://www.sankei.com/life/news/190222/lif1902220051-n1.html

皇太子さま59歳「人々と共に喜び、悲しむ」ご決意
2019.2.23 00:00
皇太子さまは23日、59歳の誕生日を迎えられた。
これに先立ち、東京・元赤坂の東宮御所で記者会見し、5月1日の即位を前に
「人々と共に喜び、あるいは共に悲しみながら、象徴としての務めを果たしてまいりたい」と決意を示された。
皇太子として会見されるのは、今回が最後の機会となった。
会見では、皇太子としての公務について「国民の中に入り、国民に少しでも寄り添うこと」を
目指して向き合われてきたとご回想。人々と接する場を広く持つことを心がけ、
即位後も「自分の活動の大きな柱」にするお考えという。
天皇陛下が譲位という形で代替わりするご意向に至った背景は「十分にお察し申し上げます」と推し量り、
両陛下と重ねたやり取りは「大きな道標(みちしるべ)となる」とも表現された。
5月に皇后となる皇太子妃雅子さまは長期療養中ながらも、近年は活動の幅を広げられている。
皇太子さまは「一朝一夕に全てをこなせるようになるわけではない」と気遣う一方で
「本人だからできるような取組というのが、今後出てくる」と期待を示された。
秋篠宮さまが昨年の誕生日会見で在り方を疑問視された、
代替わりに伴う大嘗祭(だいじょうさい)を含む皇室行事については
「前例を踏まえ、政府において十分な検討を行った上で決定したもの」と述べるにとどめられた。
https://www.sankei.com/life/news/190223/lif1902230004-n1.html

即位に向け「とても厳粛な気持ち」 皇太子さま、59歳の誕生日
2019/2/23 00:00
皇太子さまは2019年2月23日、59歳の誕生日を迎えた。
これに先立つ2月21日に東京・元赤坂の東宮御所で記者会見に臨んだ。
皇太子さまは5月1日に新天皇への即位を控えており、皇太子としての会見はこれが最後になる見通し。
即位後のことを想像すると「とても厳粛な気持ち」になるとした上で、
「国民に常に寄り添い人々とともに喜び、あるいはともに悲しみながら、
象徴としての務めを果たしてまいりたいと思います」と述べた。

「人々とともに喜び、あるいはともに悲しみながら、象徴としての務めを...」
天皇陛下が16年8月のビデオメッセージで退位の意向を強く示唆して以降、
皇太子さまは「これから私が担うことになる重責」について改めて思いをめぐらせる機会が増え、
そのたびに天皇皇后両陛下の「ご苦労とご努力に感謝と尊敬の念」を覚えたという。「象徴」のあり方については、
「これからのことを思うと、とても厳粛な気持ちになりますが、引き続き自己研鑽に勤めながら、
過去の天皇のなさりようを心にとどめ、国民を思い、国民のために祈るとともに、
両陛下がなさっておられるように、国民に常に寄り添い、人々とともに喜び、
あるいはともに悲しみながら、象徴としての務めを果たしてまいりたいと思います」
と述べた。これまでの公務の一例として被災地訪問を挙げ、
「国民の中に入り、国民に寄り添うことを目指し、行く先々で皆さんのお話を聞き、
皆さんの置かれている状況や関心、皇室が国民のために何をすべきかなどについて、
的確に感じ取れるように、国民と接する機会を広く持つよう、心がけてまいりました」
と言及。こういった活動について「今後とも自分の活動の大きな柱として大切にしていきたい」とした。

皇后としてのご公務「一朝一夕にすべてをこなせるようになるわけではない」
新皇后となる雅子さまは療養生活が続く。皇太子さまは、
「今後は、自身の置かれる立場が変わることで公務も多くなる中、
一朝一夕にすべてをこなせるようになるわけではないと思います」
とした上で、
「これからも体調に気を付けながら、回復を目指して更に努力を重ねていくと思いますので、
国民の皆様には引き続き回復を温かく見守っていただければと思います」
と理解を求めた。
(J-CASTニュース編集部 工藤博司)

皇太子殿下お誕生日に際し(平成31年)
http://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/26

天皇陛下御在位三十年記念式典


両陛下と紀子さまが出席 結核予防全国大会
2019年2月28日 12時41分
結核の予防を呼びかける「結核予防全国大会」の式典が28日、
天皇皇后両陛下と秋篠宮妃の紀子さまも出席されて、東京で開かれました。
この大会は、結核予防会が毎年開いているもので、70回目となることしの大会の式典は、
両陛下と、結核予防会の総裁を務める紀子さまも出席されて、東京・文京区のホテルで開かれました。
式典では、紀子さまが国内外でいまだに多くの人が結核を発病し、亡くなっているとして
「結核は今も世界の重要な課題の1つです」と述べられました。
そのうえで両陛下が結核の治療や予防などの取り組みに心を寄せられていることにお礼を述べ、
「これからも結核を予防することの大切さを広く伝え、
人々の健康を支えるために力を尽くして参ります」と結ばれました。
天皇陛下は、20歳の頃に結核と診断され、薬によって治ったということで、
平成に入ってから10年ごとに皇后さまとともにこの大会に出席し、関係者をねぎらい励まされてきました。
式典では、このあと結核の予防に大きな功績があった人と団体が表彰され、
紀子さまが受賞した医師や保健師らに表彰状を手渡されると、両陛下は拍手を送られていました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190228/k10011831011000.html

両陛下、第70回結核予防全国大会にご臨席
2019.2.28 11:20
天皇、皇后両陛下は28日、東京都文京区のホテル椿山荘東京を訪れ、
結核予防会創立80年を記念する「第70回結核予防全国大会」に臨席された。
同会総裁の秋篠宮妃紀子さまも出席された。
両陛下は即位後、10年ごとの節目の大会に足を運ばれ、今回で4回目。
式典では、紀子さまがあいさつに立ち、結核予防の功労者らに表彰状をご授与。両陛下は盛んに拍手を送られた。
https://www.sankei.com/life/news/190228/lif1902280017-n1.html

2019年2月28日
第70回結核予防全国大会、両陛下が出席
天皇、皇后両陛下は28日、東京都内のホテルで開かれた第70回結核予防全国大会の式典に出席された。
陛下は即位後、皇后さまとともに10年に1度出席されており、今回で4回目。
今年は結核予防会創立80周年で、同会の総裁を務める秋篠宮妃紀子さまは
「これからも結核を予防することの大切さを広く伝え、
人々の健康を支えるために力を尽くして参ります」とあいさつされた。
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20190228-OYTET50042/