天皇陛下御在位三十年記念式典

首相官邸HP
天皇陛下御在位三十年記念式典
https://www.kantei.go.jp/jp/headline/kouikeisyou_gishikitou/gozaii30_shikiten.html

政府広報オンライン
天皇陛下御在位三十年記念式典
平成31年2月24日
https://www.gov-online.go.jp/sp/gozaii30/index.html

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

天皇陛下即位30年 皇居で祝賀行事
2019年2月24日 11時28分
天皇皇后両陛下は24日、皇居で天皇陛下の即位30年を祝う行事に臨み、
皇太子ご夫妻など皇族方から祝賀を受けられました。
天皇陛下は、先月7日に即位30年を迎えられ、24日の午後には、
これを記念する政府主催の式典が、両陛下も出席されて東京の国立劇場で開かれます。
これに先立って、皇居・宮殿の「松の間」では、
午前中、天皇陛下が皇后さまとともに、皇族方の祝賀を受けられました。
はじめに、皇太子さまが雅子さまとともに天皇陛下の前に進み出て
「ご即位30年心からお祝い申し上げます」と述べられると、天皇陛下が「どうもありがとう」と答えられました。
続いて、秋篠宮ご夫妻など皇族方が、それぞれお祝いを述べられました。
午後の記念式典では、安倍総理大臣や衆参両院の議長のほか、
国民を代表して福島県の内堀知事などが祝辞を述べたあと、天皇陛下がおことばを述べられます。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190224/k10011826311000.html

両陛下、在位30年で祝賀 皇太子ご夫妻をはじめ皇族方から
2019.2.24 12:33
天皇陛下の在位30年を記念した政府主催の式典が行われるのを前に、
天皇、皇后両陛下は24日午前、皇居・宮殿「松の間」で、
皇太子ご夫妻をはじめとする皇族方から在位30年の祝賀を受けられた。
皇太子さまが「ご即位30年、心からお祝い申し上げます」と述べられると、
陛下は「どうもありがとう」と応じられた。
この日は皇居・宮内庁庁舎前で、一般からの祝いの記帳受け付けも実施。
午後の式典では、国民代表として、東日本大震災で被災した福島県の内堀雅雄知事と、
海外訪問に同行した川口順子元外相が感謝の言葉を述べる。
陛下が読まれた琉歌(沖縄の歌)に皇后さまが曲をつけた「歌声の響」を
沖縄県出身の歌手三浦大知さんが披露する。
夜には住まいの皇居・御所で、両陛下が皇太子さまや
秋篠宮さま、長女の黒田清子さんら家族と祝いの夕食を共にされる。
https://www.sankei.com/life/news/190224/lif1902240043-n1.html

天皇陛下「象徴としての模索は遠く」在位30年記念式典
島康彦 2019年2月24日15時07分
天皇陛下の在位30年を祝う政府の記念式典が24日、
東京都千代田区の国立劇場で天皇、皇后両陛下を迎えて開かれた。
天皇陛下は「憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く」と
自らの歩みを振り返り、今後の皇室に向け「次の時代、更に次の時代と象徴のあるべき姿を求め、
先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています」と語った。
式典には安倍晋三首相や衆参両院議長、外国大使らが出席。
安倍首相は式辞で「30年の長きにわたって、国民に常に寄り添ってこられた両陛下のお姿を、
私たちは決して忘れることはありません」と述べた。
福島県の内堀雅雄知事は国民代表として「明日に向けて歩みを進める勇気をいただきました」と
東日本大震災での激励に感謝を伝えた。
宮内庁庁舎前には記帳所も設けられ、多くの人たちが足を運んだ。(島康彦)
https://www.asahi.com/articles/ASM2L4SVJM2LUTIL00W.html

ご在位30年式典 天皇陛下、お言葉全文
2019.2.24 15:16
在位三十年に当たり、政府並びに国の内外から寄せられた祝意に対し、深く感謝いたします。
即位から三十年、こと多く過ぎた日々を振り返り、今日(こんにち)こうして国の内外の祝意に包まれ、
このような日を迎えることを誠に感慨深く思います。
平成の三十年間、日本は国民の平和を希求する強い意志に支えられ、
近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちましたが、それはまた、決して平坦な時代ではなく、
多くの予想せぬ困難に直面した時代でもありました。世界は気候変動の周期に入り、
我が国も多くの自然災害に襲われ、また高齢化、少子化による人口構造の変化から、
過去に経験のない多くの社会現象にも直面しました。
島国として比較的恵まれた形で独自の文化を育ててきた我が国も、今、グローバル化する世界の中で、
更に外に向かって開かれ、その中で叡智(えいち)を持って自らの立場を確立し、
誠意を持って他国との関係を構築していくことが求められているのではないかと思います。
天皇として即位して以来今日まで、日々国の安寧と人々の幸せを祈り、
象徴としていかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました。
しかし憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、
これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、更に次の時代と象徴のあるべき姿を求め、
先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています。
天皇としてのこれまでの務めを、人々の助けを得て行うことができたことは幸せなことでした。
これまでの私の全ての仕事は、国の組織の同意と支持のもと、初めて行い得たものであり、
私がこれまで果たすべき務めを果たしてこられたのは、その統合の象徴であることに、
誇りと喜びを持つことのできるこの国の人々の存在と、過去から今に至る長い年月に、
日本人がつくり上げてきた、この国の持つ民度のお陰でした。
災害の相次いだこの三十年を通し、不幸にも被災の地で多くの悲しみに遭遇しながらも、
健気(けなげ)に耐え抜いてきた人々、そして被災地の哀(かな)しみを我が事とし、
様々な形で寄り添い続けてきた全国の人々の姿は、私の在位中の忘れ難い記憶の一つです。

今日この機会に、日本が苦しみと悲しみのさ中にあった時、少なからぬ関心を寄せられた諸外国の方々にも、
お礼の気持ちを述べたく思います。数知れぬ多くの国や国際機関、また地域が、
心のこもった援助を与えてくださいました。心より深く感謝いたします。
平成が始まって間もなく、皇后は感慨のこもった一首の歌を記しています。
 ともどもに平(たひ)らけき代(よ)を築かむと諸人(もろひと)のことば国うちに充(み)つ
平成は昭和天皇の崩御と共に、深い悲しみに沈む諒闇(りょうあん)の中に歩みを始めました。
そのような時でしたから、この歌にある「言葉」は、決して声高に語られたものではありませんでした。
しかしこの頃、全国各地より寄せられた「私たちも皇室と共に平和な日本をつくっていく」という
静かな中にも決意に満ちた言葉を、私どもは今も大切に心にとどめています。
在位三十年に当たり、今日このような式典を催してくださった皆様に厚く感謝の意を表し、
ここに改めて、我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。
https://www.sankei.com/life/news/190224/lif1902240046-n1.html

天皇陛下在位30年 記念式典で国民への感謝の思い
2019年2月24日 15時33分
ことし春の皇位継承を前に、天皇陛下の在位30年を祝う政府主催の記念式典が、
24日午後、天皇皇后両陛下も出席されて、東京 千代田区の国立劇場で行われました。
天皇陛下は、平和を願う気持ちや国民への感謝の思いを込めたおことばを述べられました。
記念式典には、安倍総理大臣など三権の長をはじめ、国会議員や経済界の代表、
それに、各国の駐日大使ら、およそ1100人が出席しました。
安倍総理大臣は、式辞で「この30年、天皇陛下は、日本国と日本国民統合の象徴として、
一つひとつのご公務を、心を込めてお務めになり、国民に寄り添ってこられました。
私たちはこれまでの陛下の歩みを胸に刻みながら、激動する国際情勢の中で、
希望に満ちあふれ、誇りある日本の輝かしい未来を創り上げていく決意です」と述べました。
また、国民の代表として、福島県の内堀知事と天皇皇后両陛下の外国訪問の際、
首席随員を務めた経験がある川口元外務大臣があいさつしました。
このうち内堀知事は、東日本大震災の発生のあと、
天皇陛下がビデオメッセージの形で国民に語りかけられたことについて
「大いに励まされ、国民の気持ちが一つになりました」と述べ、感謝の意を示しました。
続いて、天皇皇后両陛下が沖縄県のハンセン病療養所の人たちとの交流を通じて作られた歌を、
沖縄県出身の歌手・三浦大知さんが独唱しました。
このあと天皇陛下が、おことばを述べられました。
この中で天皇陛下は、平成の30年間について「日本は国民の平和を希求する強い意志に支えられ、
近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちました」と振り返られました。
そして「平成が始まって間もない頃、全国各地より寄せられた
『私たちも皇室と共に平和な日本をつくっていく』という静かな中にも決意に満ちた言葉を、
私どもは今も大切に心にとどめています」と述べられました。
また、天皇としてのこれまでの務めを振り返り「私がこれまで果たすべき務めを果たしてこられたのは、
その統合の象徴であることに、誇りと喜びを持つことのできるこの国の人々の存在と、
過去から今に至る長い年月に、日本人がつくり上げてきた、この国の持つ民度のお陰でした」と、
国民への感謝の思いを表されました。
そして「憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、
これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、更に次の時代と象徴のあるべき姿を求め、
先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています」と述べられました。
最後に、万歳を三唱し、式典は終了しました。
政府は、天皇陛下の在位10年、20年の際にも祝意を示す式典を開いてきました。

最新の顔認証システム導入
政府は、今回の式典で、出席者が本人かどうかを確認するため、最新の顔認証システムを導入しました。
対象となるのは、およそ1100人の出席者のうち、行政機関や民間企業、報道機関などの関係者およそ550人です。
式典会場の入り口にはカメラが設置され、出席者が、配布されたQRコード付きの受付票を読み取り機にかざすと、
事前に登録した顔写真と同一人物かどうかの確認が行われていました。
このシステムでは、99%以上の確率で、瞬時に本人確認ができるということで、
政府は混雑緩和を含めた効果が認められれば、ことし10月22日に行われる、
新天皇が即位を内外に宣言する儀式「即位礼正殿の儀」などでも使用することにしています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190224/k10011826421000.html

天皇陛下「務めを行うことができ幸せでした」 ご在位30年式典
2019.2.24 17:55
政府主催の「天皇陛下御在位30年記念式典」が24日、東京・隼町の国立劇場で開かれた。
天皇、皇后両陛下が出席され、安倍晋三首相をはじめとする三権の長や各界の著名人ら
約1100人から祝意を受けられた。4月30日に譲位される陛下は
「天皇としてのこれまでの務めを人々の助けを得て行うことができたことは幸せなことでした」と述べ、
国民への謝意を示された。
首相は両陛下のこれまでの歩みを振り返り、
「30年の長きにわたって国民に常に寄り添ってこられた両陛下のお姿を
私たちは決して忘れることはありません」と式辞を述べた。衆参両院議長らも祝辞を述べた。
国民代表として、東日本大震災で大きな被害を受けた福島県の内堀雅雄知事らがあいさつ。
内堀氏は被災地に何度も足を運び、被災者に寄り添われてきた両陛下に対し、
「明日に向けて歩みを進める勇気をいただきました」と感謝の意を示した。
また、沖縄県のハンセン病療養所の入所者との交流をきっかけに陛下が作詞され、
皇后さまが曲をつけられた「歌声の響」を同県出身の歌手、三浦大知さんが独唱。
ソプラノ歌手の鮫島有美子さんは、皇后さまが幼いころの皇太子さまの枕元で口ずさんだという
子守歌「おもひ子」を歌った。
陛下は感極まったご様子も見せながら、
「今日このような式典を催してくださった皆さまに厚く感謝の意を表し、
ここに改めてわが国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」と述べられた。
その後、首相の音頭で万歳三唱。両陛下は何度もお辞儀を繰り返しながら、参列者の祝意に応えられていた。
両陛下はこの日午前、皇居・宮殿で皇太子ご夫妻をはじめとする皇族方から祝賀を受けられた。
https://www.sankei.com/life/news/190224/lif1902240058-n1.html

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飛んだおことば、皇后さまが気づく 涙声で感謝の8分半
緒方雄大、島康彦 2019年2月24日19時35分
24日の在位30年の記念式典で、天皇陛下のおことばは8分半に及んだ。
退位当日の4月30日、皇居・宮殿での「退位の礼」で最後のおことばが予定されるが、
皇居外では今回が最後となる見通し。涙声で国民への感謝の思いを語った。
おことばは象徴天皇の歩みを振り返る集大成とも言える内容だった。
平成の30年間を「国民の平和を希求する強い意志」によって
「近現代において初めて戦争を経験せぬ時代」と総括しつつ、
決して平坦(へいたん)な時代ではなかった、とも述べた。
震災などを念頭に「多くの予想せぬ困難に直面した時代」だったとし、「日々国の安寧と人々の幸せを祈り、
象徴としていかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました」と振り返った。
陛下は天皇の務めを人々の助けを得て行えたことを「幸せなこと」と振り返り、「この国の持つ民度のお陰でした」とも述べた。

 ともどもに平(たひ)らけき代(よ)を築かむと諸人(もろひと)のことば国うちに充(み)つ

おことばの中で、天皇陛下は平成が始まって間もない時期に皇后さまが詠んだ歌を紹介した。
当時、全国各地から「私たちも皇室と共に平和な日本をつくっていく」との
「決意に満ちた言葉」が寄せられたと明かし、
「私どもは今も大切に心にとどめています」と声を詰まらせながら語った。

途中、天皇陛下が用意した原稿を読み間違えてしまう場面があった。
天皇陛下は昨年5月にもベトナムの国家主席夫妻を歓迎した宮中晩餐(ばんさん)会で、
おことばの原稿を1枚分飛ばしたことがあった。
今回はかたわらにいた皇后さまがすぐに気付いて伝え、陛下は安堵(あんど)した様子で再び読み始めた。
宮内庁関係者によると、皇后さまはおことばの作成を支え、内容を理解して式典に臨んでいたという。
式典が終わり、天皇陛下は会場内を見渡しながら手を振った。
そばには笑みをうかべる皇后さま。お二人に大きな拍手が送られた。

式典には安倍晋三首相や衆参両院議長、外国大使ら約1100人が出席。
安倍首相は式辞で「30年の長きにわたって、国民に常に寄り添ってこられた両陛下のお姿を、
私たちは決して忘れることはありません」と述べた。
福島県の内堀雅雄知事は国民代表として「明日に向けて歩みを進める勇気をいただきました」と
東日本大震災での激励に感謝を伝えた。(緒方雄大、島康彦)
https://www.asahi.com/articles/ASM2L4SVKM2LUTIL00X.html

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安倍首相「どれだけの国民に勇気と希望を与えてくださったか」 30年式典の式辞全文
2019.2.24 21:35
安倍晋三首相は24日に東京・隼町の国立劇場で開かれた
「天皇陛下ご在位30年記念式典」の式辞を述べた。全文は次の通り。
  ◇
天皇陛下には、本年、ご在位30年をお迎えになりました。
国民こぞってお祝いするため、本日、この式典を挙行した次第であります。
今ここに国民とともに、謹んで心からお祝い申し上げます。
この30年、陛下は日本国と日本国民統合の象徴として、
一つ一つのご公務を、心を込めてお務めになり、国民に寄り添ってこられました。
「内平(うちたい)らかに外成(そとな)る」。
私たちは、この思いの下、陛下とともに30年の歩みを進めてまいりました。
わが国は、豊かな自然に恵まれる一方で、平成7年の阪神・淡路大震災や平成23年の東日本大震災など、
地震や豪雨などの自然災害が相次いで起こっております。
このようなとき、両陛下は、現地の救援活動への影響にもお気遣いなさりながら、
被災地をお見舞いになり、犠牲になられた方々を悼まれるとともに、被災された方々をお励ましになりました。
避難所に足を運ばれ、被災された方々を間近で励まされるお姿は、人々の心に深く刻み込まれております。
被災地の方々はもとより、どれだけ多くの国民に、明日への勇気と希望を与えてくださったことか。
また、両陛下は、国内各地はもとより、戦地となった外国にもご訪問され、
戦争で亡くなられた方々のご冥福をお祈りされるとともに、平和を祈念してこられました。
ご即位以来、公式にご訪問された国は、35カ国に上ります。
日本と各国との友好親善関係は、両陛下の数々のご活動により、一層深まったものと実感いたしております。
国内においては、全国47都道府県を二度以上にわたりご訪問になりました。
地方ご訪問時、多くの福祉施設をお訪ねになり、人々の声に耳を傾け、寄り添ってこられました。
30年の長きにわたって、国民に常に寄り添ってこられた両陛下のこうしたお姿を、
私たちは決して忘れることはありません。
本年4月、両陛下はご結婚60年をお迎えになります。
皇后陛下とともに仲むつまじく歩んでこられたこの60年。
3人のお子さまを育てられ、ご家族の絆を大切にしてこられた両陛下。
そのお姿にも、また、私たちは深い敬愛と親しみを抱く次第であります。
私たちは、これまでの陛下の歩みを胸に刻みながら、激動する国際情勢の中で、
希望に満ちあふれ、誇りある日本の輝かしい未来を、創り上げていく決意であります。
ここに、国民を挙げて、ご在位30年をお祝いし、
天皇陛下、皇后陛下のご健康と皇室のご繁栄を心からお祈り申し上げます。
https://www.sankei.com/life/news/190224/lif1902240076-n1.html

天皇陛下 即位30年 ご家族が集まり夕食会
[2019/02/25 05:56]
24日夜、皇居では即位30年を祝う両陛下とご家族による夕食会が開かれました。
夕食会は午後7時ごろから開かれ、皇太子ご夫妻や秋篠宮ご夫妻、
黒田清子さん夫妻が両陛下がお住まいの御所を訪れて食事をともにされました。
天皇陛下:「天皇としてのこれまでの務めを人々の助けを得て行うことができたことは幸せなことでした」
また、24日は即位30年を祝う記念式典に合わせて皇居や京都御所など
全国各地に記帳所が設けられました。約1万5000人分の記帳が寄せられたということです。
https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000148412.html


【主張】天皇陛下在位30年 全霊の祈りに感謝したい
2019.2.25 05:00
天皇陛下ご在位30年を祝う政府主催の記念式典が行われた。
陛下は「天皇としてのこれまでの務めを、人々の助けを得て行うことができたことは幸せなことでした」と、
お言葉に国民への感謝の気持ちを込められた。
国と国民の安寧と幸せを祈る天皇の務めを、全身全霊で果たされてきた陛下に感謝を申し上げたい。
皇居などの記帳所には、多くの人々がお祝いに訪れた。平成を回顧し、この目に焼き付けられているのは、
陛下が皇后さまとともに鎮魂の祈りをささげ、国民を気遣い、見舞われる姿である。
先の大戦の戦没者を慰霊する旅で、戦後60年の平成17年に初めて海外の激戦地サイパン島を訪れ、
皇后さまとともに黙礼された。記憶に刻んでいる人も多いだろう。
戦後70年の27年にはパラオのペリリュー島を訪れ、昨年は沖縄を再訪された。
多くの人々の犠牲の上に今日の日本が築かれたとの、強い思いを持たれている。
式典で披露された「歌声の響」は、天皇陛下が詠まれた沖縄伝統の琉歌に、皇后さまが曲をつけられた。
大戦末期に激戦地となり、戦後も本土復帰まで苦難の道を歩んだ沖縄への思いは、昭和天皇から引き継がれている。
災害があれば、人々の無事を祈り、復興を願われた。23年の東日本大震災の際にはビデオを通じ、
苦難を分かち合うことを直接、呼びかけられた。どれほど皆が、勇気づけられたことだろう。
宮中祭祀(さいし)についても、もっと知っておきたい。
陛下は、収穫を祝う新嘗祭(にいなめさい)などを、厳格に心を込めて執り行ってこられた。
激動の時代といわれた昭和から平成に移り、陛下は時代を踏まえた象徴天皇のあり方に心を砕かれ、
皇室の伝統を守り、広く国民から敬愛されている。天皇陛下は85歳、皇后さまは84歳である。
大変なお疲れもあるだろう。改めてご健勝をお祈りしたい。
5月に即位される皇太子さまは誕生日の際の会見で、皇室が国民と心を共にすることは
「時代を超えて受け継がれてきているもの」と話された。
こうして守られてきた皇位が安定して続いていくことは、国民の願いである。
平成も残り少ない。国民とともにある陛下の歩みを振り返り、
歴代天皇、皇室と国民が強い絆で結ばれてきた日本の国柄と伝統に、一層の理解を深めたい。
https://www.sankei.com/life/news/190225/lif1902250004-n1.html


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

天皇陛下「おことば」でハプニングも皇后さまがサポート 「絆の深さ感じる」の声
天皇陛下は「おことば」の後半部分で、「平成」改元の頃に皇后さまが読まれた短歌を紹介された。
2019/02/24 16:15
2月24日に国立劇場で開かれた「天皇陛下御在位30年記念式典」。
この日、天皇陛下が式典を受けての「おことば」を述べられた。
その途中、「おことば」を記した紙を読む順番を間違えられ、皇后さまがサポートする場面があった。
陛下は、およそ8分半の「おことば」の中で、「平成」の30年間を回顧。
平和を希求する国民の強い意志や、誠意をもって諸外国との関係構築などの重要性、
災害の被災地について言及された。また、象徴天皇としての務めについて、次の世代への期待を述べられた。

「おことば」の順番でハプニング
「おことば」がはじまり、5分半ほどが過ぎたころだった。
天皇陛下は「在位30年にあたり政府、並びに国の内外から…」と、冒頭部分を再び読まれた。
ここで、隣で天皇陛下を見守られていた皇后さまが間違いに気づき、陛下に知らせた。
陛下は「え?どうして?」と戸惑われたが、皇后さまが「違いますよ」と陛下の手元の原稿を確認。
陛下は「あ、そうか。どうも」と応じられ、すぐに「おことば」を再開された。

「絆の深さを改めて感じた」の声
ハプニングに際しても協力し合うお二人の姿を見た人々からは、
「天皇陛下と皇后さまとの絆の深さを改めて感じた。素晴らしいです」
「内容覚えていたんだなってのが分かる早さでのフォロー。いつもの皇后さま。
いつだって皇后さまは天皇陛下をささえている」といった声がTwitterであがった。

天皇陛下は「おことば」の後半部分で、「平成」改元の頃に皇后さまが読まれた短歌を紹介。

ともどもに 平(たひ)らけき代を 築かむと
諸人(もろひと)のことば 国うちに充(み)つ

その上で、こう述べられた。
「平成は昭和天皇の崩御と共に、深い悲しみに沈む諒闇の中に歩みを始めました」
「そのような時でしたから、この歌にある『言葉』は、決して声高に語られたものではありませんでした」
「しかしこの頃、全国各地より寄せられた『私たちも皇室と共に平和な日本をつくっていく』
という静かな中にも決意に満ちた言葉を、私どもは今も大切に心にとどめています」

天皇陛下、皇后さま 支え合った60年
2018年12月、天皇陛下は85歳の誕生日に際しての会見で「天皇としての旅を終えようとしている」とした上で、
時折り言葉をつまらせながら皇后さまへの感謝の思いを述べられている。
「皇后は常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました」
「私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、
私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、
自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、
60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います」

2019年4月、お二人はご成婚60周年を迎える。
https://www.buzzfeed.com/jp/keiyoshikawa/okotoba


ご即位30年で宮中茶会 両陛下、安倍首相らとご歓談
2019.2.25 20:41
皇陛下の即位30年にあたり、天皇、皇后両陛下は25日、皇居・宮殿「豊明殿」で茶会を催された。
安倍晋三首相ら三権の長や閣僚ら446人が出席。皇太子さまや秋篠宮ご夫妻をはじめ皇族方も陪席された。
陛下は「ともにひとときを過ごすことを、誠にうれしく思います」とあいさつをし、招待者と歓談された。
宮中茶会は26日にも開かれる。
https://www.sankei.com/life/news/190225/lif1902250045-n1.html


在位30年 両陛下主催の宮中茶会 きのうの式典のお礼に
2019年2月25日 20時52分
天皇陛下の在位30年を記念する政府主催の式典が24日行われたのを受けて、
皇居では25日夜、天皇皇后両陛下が安倍総理大臣や国会議員などを招いて茶会を催されました。
茶会は24日の式典に対するお礼として、両陛下の主催で、25日から26日、
3回に分けて皇居 宮殿で開かれるもので、午後6時半から1回目が催されました。
会場の豊明殿には、安倍総理大臣や閣僚、国会議員などおよそ450人が集まり、
皇太子さまや秋篠宮ご夫妻など皇族方も出席されました。
はじめに安倍総理大臣が「ご在位30年を迎えられ、まことにおめでとうごさいます」とお祝いのことばを述べました。
これに対し天皇陛下は「本日こうして茶会を催し、ともにひとときを過ごすことをまことにうれしく思います。
この機会に、皆さんとともに国の発展と国民の幸せを願います」と述べられました。
このあと乾杯が行われ、両陛下は招待者たちと和やかにことばを交わされていました。
茶会に先立って宮殿の「春秋の間」で宮内庁の「楽部」による古式ゆかしい舞楽も披露されました。
26日の茶会には、地方自治体の代表や、平成の時代にスポーツや学術、文化などの分野で活躍した人たち、
外国の大使夫妻なども招かれることになっています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190225/k10011827791000.html

TBS
天皇陛下 即位30年で茶会、皇居で開催
天皇陛下の即位30年を記念した茶会が、皇居で行われました。
「この機会に皆さんとともに国の発展と国民の幸せを願い、あわせて出席者一同の健康を祈ります」
茶会は午後6時半から皇居・宮殿で開かれ、
総理ら三権の長、国会議員などおよそ450人が参加しました。
この茶会は24日に政府主催で行われた陛下の即位30年を祝う記念式典の御礼として
両陛下が主催されたもので、皇太子さまや秋篠宮ご夫妻ら皇族方も出席し、
参加者と、にこやかに懇談されました。
これに先立ち、参加者には伝統の装束を身にまとった楽師による演奏に舞を組み合わせた舞楽が披露されました。
茶会は26日も午前と午後あわせて2回行われ、各界の功労者や各国の大使らが参加します。
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3608102.html

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宮中茶会に五輪メダリストら 陛下の即位30年を祝う
中田絢子 2019年2月26日11時43分
即位30年を祝い、天皇、皇后両陛下が主催する宮中茶会が26日午前、皇居・宮殿で始まった。
五輪メダリストら平成を彩った各界の功労者のほか、都道府県知事らが招かれ、
天皇陛下は「本日こうして茶会を催し、ともにひとときを過ごすことを誠にうれしく思います。
この機会に、出席された皆さんのこれからのご健康と幸せを祈ります」と述べた。
茶会は宮殿・豊明殿で、皇太子さま、秋篠宮ご夫妻をはじめとする皇族方を迎え開かれた。
スポーツ界からは王貞治さんや、五輪メダリストの浅田真央さん、伊調馨さん、北島康介さん、
サッカーの三浦知良さん、プロゴルファーの石川遼さんらが集った。
学術界からは大隅良典さん、大村智さん、梶田隆章さんらノーベル賞受賞者も出席した。(中田絢子)
https://www.asahi.com/articles/ASM2T3S0PM2TUTIL014.html

「もう一度感謝を」駆けつけた元日本兵ら 宮中茶会
中田絢子、緒方雄大 2019年2月26日12時37分
天皇陛下の即位30年を祝う26日の宮中茶会には、陛下が心を寄せてきた戦没者慰霊の関係者も招かれた。
天皇陛下と皇后さまに「もう一度感謝を伝えたい」と高齢を押して皇居・宮殿に集まった。
南洋のパラオ共和国であった日米の激戦から生還した倉田洋二さん(92)は車椅子で現れた。
「陛下にお会いできるのもこれが最後と思い、やってきました」と話す。
両陛下が戦後70年の2015年にパラオ・ペリリュー島を訪れた際、現地で出迎えた。
自身はペリリュー島の近くのアンガウル島の戦いに参戦し、左半身に重傷を負いながら生還。
両陛下がアンガウル島に向かって頭(こうべ)を垂れるのを、約1200人の戦死者名簿を抱えて見守った。
あれから4年。すっかり体の自由が利かなくなったが、
「戦友に代わり、もう一度『ありがとう』と伝えたい」と、茶会に臨んだ。
皇后さまから、戦死者名簿について「送ってくだされば必ず拝見します」と声をかけられ、
万感の思いがこみ上げた。
太平洋戦争中、沖縄から長崎に向かう途中で米軍に撃沈された疎開船・対馬丸に乗り、
一緒に乗った家族9人を失った高良政勝さん(78)も訪れた。
天皇陛下は自身と同年代の児童を多く含む約1500人が犠牲になった対馬丸の悲劇に長く思いを寄せ、
14年6月、皇后さまと共に那覇市の対馬丸記念館を訪れた。案内役を務めたのが館長の高良さんだった。
両陛下は300人以上の子どもたちの遺影を熱心に見つめた。
予定時間を大幅に超え、集まった遺族や生存者一人一人に声をかけた。
高良さんは「国民のために尽くす『象徴』とはこういうものだと感じた。
新天皇の皇太子さまにも、陛下の思いを引き継いでいただきたい」と話した。(中田絢子、緒方雄大)
https://digital.asahi.com/articles/ASM2Q62DJM2QUTIL046.html

朝日新聞映像報道部
@asahi_photo
天皇陛下の即位30年を祝い、天皇、皇后両陛下が主催する宮中茶会。
秋篠宮家の長女眞子さまと次女佳子さまは午前は洋装、午後は和装でした。
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宮中茶会、平成のスターら即位30年祝う
26日、皇居では天皇陛下の即位30年にあたって茶会が催され、
平成を彩ったスターたちが両陛下と和やかな時間を過ごしました。
26日午前、皇居・宮殿で催された茶会。
天皇陛下の即位30年にあたり、両陛下が感謝の気持ちとして開かれたものです。
「本日 こうして茶会を催し 共にひとときを過ごすことを誠にうれしく思います」
皇居に招待されたのは、平成を彩った数多くのスターたちです。
オリンピックのメダリストの浅田真央さん、伊調馨さん。
福岡ソフトバンクホークスの王貞治会長、
それにノーベル賞受賞者の大隅良典さんらおよそ500人が出席しました。
さらにこんな人も・・・
24日の政府主催の記念式典で「歌声の響」を歌った三浦大知さんも出席しました。
今も現役のプロサッカー選手の三浦知良さん、水泳の北島康介さんらも両陛下と言葉を交わしました。
「(両陛下から)今は何をされているのですかとお話がありましたので、
今、全国でアイスショーを回っていますと話をさせていただきました」(浅田真央さん)
「野球をもっと盛んにしてくださいと言われました」(王貞治さん)
「(皇后さまに)『ずっとサッカー界を引っ張ってきてくれてありがとうございます』と言われました。
(自分の)誕生日で、こういう日に茶会に招いてもらって本当に光栄です」(三浦知良さん)
「僕も世界に出たのが30年前、ちょうど高校1年生の時だったので、同じ時期を過ごせたというか、
それが本当にうれしく思っています」(葛西紀明さん)
また、茶会には、両陛下が4年前に訪問された先の大戦の激戦地、
パラオ・ペリリュー島から生還した元日本兵の永井敬司さん(97)も招待されました。
「『ご苦労さまでした』ということでした」(ペリリュー島から生還した 永井敬司さん)
茶会には、皇太子さま、秋篠宮ご夫妻、眞子さま、佳子さまら皇族方の姿もあり、
出席者とにこやかに懇談されていました。
両陛下は会場を出る際、名残惜しそうな様子で一礼され、会場からは大きな拍手が起こりました。
出席者には、皇室のお祝い事に作られる砂糖菓子を入れたボンボニエールが贈られたということです。
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3608712.html

「希望を持ちましょう」 宮中茶会で皇后さま、「救う会」会長にお言葉
2019.2.26 18:13
26日に催された宮中茶会では、皇后さまが、
北朝鮮による拉致問題解決に取り組む「救う会」の西岡力会長に
「希望を持ちましょう」と励ましの言葉をかけられた。
拉致問題をめぐっては、皇后さまが84歳の誕生日を迎えた昨年10月、
文書で「平成の時代の終焉(しゅうえん)とともに急に私どもの脳裏から
離れてしまうというものではありません」と思いを示されていた。
西岡氏によると、皇后さまは茶会で、長期化する拉致問題について
「長いことご苦労さま。拉致被害者のご家族は年を取られていますね」と声をかけ、
「希望を持ちましょう。何もできませんが解決を願っています」と続けられたという。
西岡氏は「いつも心にかけて下さり、ありがとうございます」と伝えたといい、
「お言葉は横田早紀江さんら家族にも伝えた。勇気をもらい、前向きな気持ちになれた」と話した。
https://www.sankei.com/life/news/190226/lif1902260038-n1.html

天皇陛下即位30年を祝う宮中茶会の会場に入られる天皇、皇后両陛下、皇太子さま、秋篠宮ご夫妻ら皇族方
=皇居・宮殿「豊明殿」で2019年2月26日午後3時30分、(代表撮影)
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両陛下が職員主催の祝賀の茶会に出席
毎日新聞2019年3月5日 19時47分(最終更新 3月5日 19時47分)
天皇、皇后両陛下は5日、皇居内の施設であった天皇陛下の即位30年と
両陛下の結婚60年を祝う茶会に出席された。宮内庁職員の主催で職員約650人が参加した。
天皇陛下は冒頭のあいさつで「即位以来30年、この間にあって、
職員のみなさんがそれぞれの分野で力を尽くしてくれていることに、改めて深く感謝いたします」と述べた。
その後、両陛下は職員と約40分間懇談。職員からは花束が贈られた。【稲垣衆史】
https://mainichi.jp/articles/20190305/k00/00m/040/226000c

文喜相発言

「天皇が手を握り謝罪すべき」 慰安婦問題で韓国国会議長 米メディアのインタビューで
2019.2.9 14:35
【ソウル=名村隆寛】韓国の文喜相(ムン・ヒサン)国会議長が
米ブルームバーグ通信のインタビューで慰安婦問題に触れ、
解決には天皇陛下の謝罪が必要との趣旨の発言をし、韓国メディアが9日、発言内容を一斉に報じた。
インタビューの記事は8日報道された。
文氏は「一言でいい。首相、もしくは近く退位する天皇が元慰安婦のおばあさんらの手を握り、
謝罪の言葉を伝えれば(問題は)すっきりと解決する」と語った。
また、天皇陛下について「戦争犯罪の主犯の息子ではないか」とも述べたという。
慰安婦問題をめぐる2015年12月の日韓合意で「日本政府は責任を痛感している」と記されたことについては、
「それは法的な謝罪だ。国家間での謝罪はあるが、問題は被害者がいるということだ」と主張。
元慰安婦への直接謝罪を訴えた。文氏は04〜08年に韓日議員連盟の会長を務めた人物。
https://www.sankei.com/politics/news/190209/plt1902090003-n1.html

菅官房長官「甚だしく不適切で極めて遺憾」 韓国国会議長発言の謝罪と撤回要求
2019.2.12 11:13
菅義偉官房長官は12日午前の記者会見で、
韓国国会の文喜相議長が天皇陛下による謝罪で慰安婦問題が解決すると発言したことについて、
外交ルートを通じて抗議し、謝罪と撤回を求めたことを明らかにした。
「甚だしく不適切な内容を含むもので極めて遺憾である旨を厳しく申し入れ、強く抗議した」と述べた。
菅氏によると、8日に外務省の局長級で申し入れを行い、
9日には長嶺安政駐韓大使が韓国外務省第1次官に申し入れた。
韓国政府からは文氏の発言が意図とは違うように報じられたと説明があったという。
文氏は米ブルームバーグ通信のインタビューで
「日本を代表する(安倍晋三)首相から(謝罪の)一言でいい。
近く退位されるのだから、天皇がそれを行うことを願う」とし、
陛下は「戦争犯罪の主犯の息子ではないのか」と指摘。
「そのような人が、高齢の元慰安婦の手を握り本当に申し訳なかったといえば、
これを最後に問題は解決する」と語った。
https://www.sankei.com/politics/news/190212/plt1902120004-n1.html

天皇謝罪発言で韓国国会議長が釈明 日本の何度もの謝罪に「そんなことはない」とも
2019.2.12 14:54
【ソウル=名村隆寛】韓国の文喜相(ムン・ヒサン)国会議長が米メディアに対し
「慰安婦問題の解決には天皇の謝罪が必要」とし、天皇陛下について「戦争犯罪の主犯の息子」と発言をした問題で、
文氏は12日までに「重要な地位にある指導者の心からの謝罪を強調する流れで出た表現」と釈明した。
訪問先の米ワシントンで11日、韓国メディアに語ったもので、
文氏は「戦犯主犯の息子」という表現を「戦時の日本国王(天皇陛下)の息子という意味だ」と述べた。
その上で、「日本の責任ある指導者が元慰安婦に
納得できる誠意ある謝罪を行うことが優先されねばならない」とし、
「日本側は数十回謝罪したと言うが、そんなことはない」と強調したという。
自身の発言に日本で反発が起きていることについて文氏は
「両国間の不必要な論争は望ましくなく、起きてもならない」と語った。
韓国外務省報道官は12日の定例会見で、文氏の発言について
「日本側が誠意ある姿勢を見せる必要があるとの点を強調する趣旨と理解している」と擁護した。
https://www.sankei.com/world/news/190212/wor1902120013-n1.html

韓国国会議長発言に政府が3度の抗議 「甚だしく不適切」
2019.2.12 18:58
安倍晋三首相は12日の衆院予算委員会で、慰安婦問題について
天皇陛下による謝罪で問題が解決するとした韓国国会の文喜相議長の発言について
「本当に驚いた。直ちに外交ルートを通じ、甚だしく不適切な内容を含み極めて遺憾だと厳しく申し入れた」と述べ、
韓国側に抗議するとともに謝罪と撤回を求めたことを明かした。
政府は8日に外務省の局長級で、9日には長嶺安政駐韓大使が韓国外務省第1次官に抗議した。
さらに、12日も外務省の金杉憲治アジア大洋州局長が
在日韓国大使館の金敬翰次席公使を同省に呼び、改めて抗議している。
菅義偉官房長官は記者会見で、日本側が謝罪と撤回を求めたことに対し、
韓国側から「早期の日韓関係改善を願う文氏の思いから出たものであり、
報道のされ方は本意ではなかった」との説明があったと語った。
河野太郎外相は衆院予算委で「(文氏の発言は)到底受け入れられない。極めて無礼な発言だ」と批判した上で、
「韓国側が誠意を持った対応をすると期待している」と語った。
河野氏は10日、訪問先のフィリピンで「発言には気を付けていただきたい」などと苦言を呈していた。
また、公明党の山口那津男代表も12日の記者会見で「どういう思いで発言したのか定かではないが、
天皇陛下の謝罪を求めるというのはいかがなものか」と不快感を示した。
文氏は米ブルームバーグ通信のインタビューで、慰安婦問題をめぐり、
天皇陛下は「戦争犯罪の主犯の息子ではないのか」と指摘。
「そのような人が、高齢の元慰安婦の手を握り本当に申し訳なかったといえば、
これを最後に問題は解決する」と述べた。
https://www.sankei.com/world/news/190212/wor1902120018-n1.html

首相、韓国議長発言に「多くの国民が驚きや怒り」
2019.2.13 12:52
安倍晋三首相は13日午前の衆院予算委員会で、
慰安婦問題について天皇陛下による謝罪で問題が解決するとした
韓国国会の文喜相(ムン・ヒサン)議長の発言に関し「多くの国民が驚きや怒りを感じたと思う。
文議長はその後も同趣旨の発言を繰り返しており、極めて遺憾。
引き続き謝罪と撤回を求める」と重ねて強調した。
河野太郎外相は韓国側に5回ほど抗議や謝罪・撤回を申し入れたことを明かした。
河野氏は「現時点で謝罪や撤回に応じるとの(韓国側の)反応はない」としつつ、
「わが国の厳しい立場を累次にわたり伝達している。
韓国側から誠意ある対応があるものと期待し、注視したい」と語った。
また、首相は慰安婦問題について「完全かつ不可逆的に解決した。
日韓両国が国と国とで約束をした」と改めて説明。
「政権が変わったからといってそれが覆されれば、国と国の関係はそもそも成り立たない」と述べ、
韓国側の姿勢を批判した。
https://www.sankei.com/politics/news/190213/plt1902130013-n1.html

韓国国会議長 慰安婦問題発言の謝罪と撤回を拒否
2019年2月13日 15時29分
韓国のムン・ヒサン(文喜相)国会議長は、慰安婦問題をめぐり、
天皇陛下が謝罪すれば解消されるなどと述べた自身の発言に対し、日本政府が謝罪と撤回を求めていることについて、
「なぜこのように大きな問題になるのか、到底理解できない。謝罪することではない」などとして拒否しました。
韓国のムン・ヒサン国会議長が先に、慰安婦問題をめぐり、
天皇陛下が謝罪すれば解消されるなどと述べたことについて、
安倍総理大臣は「甚だしく不適切な内容を含み、極めて遺憾だ」などとして謝罪と撤回を求めています。
韓国国会の報道官によりますと、これについてアメリカを訪問中のムン国会議長は記者団に対し、
「なぜこのように大きな問題になるのか、安倍総理大臣まで出てきたことは、到底理解できない」
と述べたということです。
そのうえでムン国会議長は「謝罪することではない。私がした話は持論であり、
根本的な解決方法だと今でも考えている」と述べ、日本政府が求める謝罪と撤回を拒否したということです。

ムン氏は革新系与党の重鎮
去年7月に韓国の国会議長に選出されたムン・ヒサン氏は73歳。
当選回数は6回に上る革新系の与党「共に民主党」の重鎮です。
2003年、ノ・ムヒョン(盧武鉉)政権の発足とともに、大統領の最側近の秘書室長に就任したのに続いて、
2004年から4年間にわたって、韓日議員連盟の会長を務めました。
さらには、おととし、9年ぶりの革新政権となるムン・ジェイン(文在寅)政権が誕生した直後には、
ムン大統領の特使として日本を訪問し、安倍総理大臣と会談するなど、
韓国の政界では「知日派」の1人と位置づけられてきました。
一方、ムン氏は率直な物言いでも知られ、去年12月には記者会見の中で、慰安婦問題をめぐる日韓合意に関連して、
「元慰安婦が望むのはカネではなく、安倍総理大臣の謝罪のひと言だ。
なぜ、それができないのか」などと発言しました。
また、太平洋戦争中の「徴用」をめぐる問題で、韓国の最高裁判所が
日本企業に賠償を命じる判決を言い渡したことについても、「判決は韓国国民ならば受け入れるしかない。
正しいとか間違っているということではなく、守らなければならない」と述べ、
あくまで判決を尊重すべきだという考えを強調していました。

韓国世論は日韓関係への関心低い
韓国では、日韓関係の悪化に危機感を募らせる外相経験者や元駐日大使らが
「国交正常化以降、最悪の状況だ」として、ムン・ジェイン政権に前向きな対応や、
日韓首脳のシャトル外交の再開、それに民間交流の推進などを促す意見を新聞に寄稿する動きも見られます。
しかし、先月行われた世論調査によりますと、韓国政府に求める日本政府への対応としては、
「より強硬に対応すべき」が45.6%、次いで「現在の対応が適切」が37.6%を占めたのに対し、
「自制すべき」は12.5%にとどまりました。
一方で、ムン政権が北朝鮮との関係改善を最優先課題に位置づけるとともに、
国民の間で懸念が強い経済政策に全力を挙げる姿勢を強調する中、
日韓関係に対する韓国世論の関心は低いのが実情です。
13日朝の韓国の主要な新聞も、ムン・ヒサン(文喜相)国会議長や安倍総理大臣の発言について、
いずれも1面や社説では扱わず、国際面などで淡々と伝えるにとどまっています。
ただ、日本の植民地支配からの独立運動が始まった日から来月1日で100年、
その翌月にも朝鮮半島出身の独立運動家たちが上海に韓国臨時政府を発足させてから100年の節目が控えており、
韓国国内でナショナリズムが高まる可能性も指摘されています。

専門家が懸念「底が見えない」
韓国政治を長年研究している東京大学大学院の木宮正史教授は、NHKとの電話インタビューで、
最近の日本と韓国の関係について「いちばん心配なのは底が見えないことだ」として、
改善の兆しすら見いだせない現状に懸念を示しました。
そのうえで「日韓が、『自分のほうに正義がある』と主張し、あらゆる局面で相手に負けられないと考えている。
お互いに妥協ができない状況だ」と述べ、解決は容易ではないと指摘しました。
関係悪化のきっかけとなった「徴用」をめぐる問題で、韓国政府から対応策が示されないことについては
「韓国の世論が日本に対して妥協することへの強い拒否感がある。
そのため、韓国政府は日本政府との約束と世論の双方をどう尊重させるか悩んでいて、
解決策が見つかっていない」と述べ、板挟みになっている韓国政府の立場を分析しました。
また木宮教授は、日韓関係の悪化は北朝鮮の非核化をめぐる対応や安全保障環境などに悪い影響を及ぼすとして、
お互いの利益を確保するためにも両国が協力すべきだと強調しました。
そして、韓国から日本への観光客や日本企業に就職する若者が近年増加するなど、
日韓の民間交流が活発になっていることを指摘し、
「韓国語が周りで飛び交い、私たちにとって韓国という存在が近くなり、顔の見える関係になっている。
反日だけではない、さまざまな関係から日韓関係を考えてほしい」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190213/k10011813411000.html


天皇陛下と韓国・文議長「御面会になった記録はありません」 宮内庁、夕刊フジに正式回答で「完全否定」
2019.2.23
「天皇陛下への謝罪要求」など、常軌を逸した非礼発言を続ける
韓国国会の文喜相(ムン・ヒサン)議長について、宮内庁が夕刊フジに正式回答を寄せた。
文議長が、韓国メディアのインタビューで、天皇陛下から訪韓の仲介を頼まれた−
といった趣旨の話をしていたが、陛下と文議長の面会について完全否定したのだ。
「御面会になった記録はありません」
宮内庁長官官房総務課報道室は21日、文書で明確にこう回答した。
聯合ニュース(日本語版)は18日、文議長のインタビューとして、
《文氏は10年前に天皇から韓国に行きたい、仲立ちしてほしいと言われた時、
「何はともあれ、(慰安婦被害者の)ハルモニ(おばあさん)たちが集まっているところに行き、
ひと言『すまない』と言うだけでいい」と話した》と報じた。
政治的発言を避けられてきた陛下のご発言とは考えにくいため、
夕刊フジは同日、(1)天皇陛下が、文議長と面会された事実はあるのか(2)面会された場合、いつのことか
(3)天皇陛下から韓国訪問をご希望される発言があったのか
(4)文議長の発言が事実と異なる場合、宮内庁として抗議される考えはあるのか−という質問状を宮内庁に送った。
宮内庁から21日午後、回答書が届いた。
(1)と(2)、(3)については「回答」として冒頭の「御面会になった記録はありません」と記されていた。
(4)については「宮内庁としてはコメントを差し控えさせていただきます」とあった。
天皇陛下を政治利用することは、他国の「三権の長」といえども、絶対に許されない。
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/190223/soc1902230004-n1.html

「外国に誇れる文化の最たるものが皇室です」と書いたプリントを校長が無断回収・廃棄

生徒に配布のプリント、校長ら無断で回収・廃棄 千葉の特別支援学校
2019.2.8 09:36
千葉県立湖北特別支援学校(同県我孫子市)で、校長や教頭らが生徒の下校後、
授業で配布したプリントを無断で生徒の個人用ファイルから抜き取り、
廃棄していたことが同校関係者への取材で8日、分かった。
プリントは道徳の授業を担当した教員が皇室について考えてもらうために作成し
昨年1月に配布したものだったが、
学校側は「『外国に誇れる文化の最たるものが皇室』と記述するなど
教員の主観が強く出ており、問題」などとして同年3月に回収していた。
廃棄された事実は生徒や保護者には知らされず、プリントを配布した教員はその後、道徳の担当を外された。
関係者によると、無断で廃棄されたのは昨年1月の高等部流通サービス科の授業で配布された
「皇室について知ろう」と題したプリント。
担当教員は「国を愛する心」というテーマ設定で年間の授業計画案を提出し、
稟議で校長らの了承を得た上で授業を行っていた。
だが、授業後の同年3月に当時の教頭が「教員の主観が強く入っている」とプリントの内容を問題視。
校長を含む管理職の教員で話し合い、配布済みのプリントを回収することを決めた。
話し合いの直後に、生徒の下校後、校長らが教室にある生徒の個人用ファイルからプリントを回収して処分したという。
ファイルは生徒の学習状況などを確認できるよう、常に教室に置いておく決まりになっていた。
生徒の1人は産経新聞の取材に「確かにいつの間にかプリントがなくなっていたが、
先生から説明などもなく何でだろうと思っていた」と話している。
同校の西村昭男校長は取材に対し、回収の事実を認めた上で、
「プリントには『外国に誇れる文化の最たるものが皇室です』といった記述があり、
教員の主観が強く出ていて問題だと思った。回収は管理職で話し合って決めたことであり、
(後で)生徒や保護者から説明を求められれば対応するつもりだった」と語った。
https://www.sankei.com/life/news/190208/lif1902080016-n1.html

<代替わり考>退位儀式に天皇家私費 伊勢神宮参拝 陛下の意向を尊重

<代替わり考>退位儀式に天皇家私費 伊勢神宮参拝 陛下の意向を尊重
2019年1月31日 朝刊
天皇陛下が四月に伊勢神宮(三重県)へ退位を事前に報告する儀式について、
政府は天皇家の私費である「内廷費」を充てる方針を決めた。
宮内庁関係者によると「簡素な形で儀式に臨みたい」との陛下の意向も踏まえたという。
新設される十一の退位関連儀式のうち、内廷費の支出が決まったのは初めて。
政府は皇太子さまの即位関連儀式を国費で行う方針を決めているが、
退位関連ではほかの儀式にも内廷費の支出を検討している。

伊勢神宮には皇祖神の天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀(まつ)られており、
陛下は四月十八日の「神宮に親謁の儀」で、同月三十日の退位を報告する。
皇位の証しとされる三種の神器のうち、剣と勾玉(まがたま)(璽(じ))も携行する予定だ。
両陛下の神宮参拝は、式年遷宮後の二〇一四年以来五年ぶり。
即位後は、一九九〇年十一月に即位礼や大嘗祭(だいじょうさい)の終了を親謁の儀で報告して以降、五回目となる。
九〇年の親謁の儀では、国費の宮廷費を使い、陛下は古式の黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)姿、
皇后さまは十二単(じゅうにひとえ)姿で、二頭立て馬車に乗り、神宮の内宮と外宮の正殿前まで、それぞれ移動した。
今回はモーニングコートを着用し、馬車行列もないシンプルな参拝を想定する。

宮内庁幹部は「退位直前の私的な皇室行事であり、儀式の前例もない。
簡素な形での儀式を望まれた陛下の意向も尊重して判断した」と話す。
内廷費の支出は両陛下の交通費などを予定している。

退位関連の十一儀式のうち、政府が責任を負う国事行為は、
陛下が天皇として最後に国民の代表である首相らと会う四月三十日夕の「退位礼正殿の儀」だけで、
国費が充てられる。このほか皇居内の宮中三殿や伊勢神宮、
神武天皇陵や昭和天皇以前の四代の天皇の山陵に退位を報告する儀式などは宗教色が否めず、
皇室行事である「大礼関係の儀式」として行われる。

政府は皇太子さまの即位関連儀式のうち、二十余りの皇室行事について、
前回を踏襲する形で国費の宮廷費を充てる方針を決めている。
秋篠宮さまは昨年十一月、宗教色の強い大嘗祭について内廷費で行うべきだと発言して波紋を広げた。
 (編集委員・吉原康和)

<内廷費と宮廷費> 宮内庁の皇室費は、内廷費と皇族費、宮廷費の三つに分類される。
内廷費は天皇家、皇太子家の生活費や宮中祭祀(さいし)などの私的費用に充てるもので、
2018年度は3億2400万円。
宮廷費は、外国賓客の接遇、地方訪問など公的な活動の必要経費で、同年度は約92億円。
皇太子さまの即位関連費用では、大嘗祭など総額約38億円が宮廷費から支出される。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201901/CK2019013102000120.html

2019年1月

天皇ご一家、平成最後の新年穏やかに
2019.1.1 00:07
天皇ご一家は1日、代替わりを前に、平成最後となる新年を穏やかに迎えられた。
宮内庁が公表した写真には、ご一家が皇居・御所の応接室に集まり、
日本地図を前に平成30年中に訪れた地域の思い出を、それぞれが語り合われる様子が収められている。
今年は4月10日に天皇陛下と皇后さまがご成婚60年を迎えられた後、同月30日に陛下が譲位し、
翌5月1日に皇太子さまが新天皇に即位される。陛下は毎年担ってきた恒例の地方公務を全て終えており、
譲位までに地方を訪れて国民と触れ合う機会は、3月26日の奈良県橿原市の神武天皇陵、
4月18日の三重県伊勢市の伊勢神宮を訪問される際などに限られる。
https://www.sankei.com/life/news/190101/lif1901010007-n1.html

両陛下の御製・御歌計8首を発表
2019.1.1 00:07
宮内庁は新年に当たり、天皇、皇后両陛下が平成30年中に詠まれたお歌のうち、
天皇陛下の御製(ぎょせい)5首、皇后さまの御歌(みうた)3首を発表した。
陛下は30年10月に高知県で行われた全国豊かな海づくり大会でイシダイの稚魚を放流した際、
幼少期の飼育体験を思い出しながら臨まれた気持ちを詠まれた。
同庁によると、学習院中等科時代に沼津御用邸に滞在中、
地引き網にかかったイシダイなどの稚魚を水槽で飼われたことがある。
同3月に11回目となる訪問を果たした沖縄県では、市民らが提灯(ちょうちん)を振って歓迎するのに、
宿泊先の上階からお応えに。陛下はこの際、互いに語り合うように提灯を振り合った思い出を歌に込められたという。
皇后さまは同じく沖縄県を訪問した際、日本最西端の与那国島に足を運び、
水揚げされた巨大なカジキや日本在来種の与那国馬を見学したことを懐かしんでお詠みになった。
譲位後、両陛下は5年から過ごした皇居・御所を離れ、高輪皇族邸に引っ越される。
皇后さまは御所に入って間もない時期、庭に出られた今より若かった陛下のことを思い起こされて詠み上げられた。
  ◇
【天皇陛下】(5首)
《第69回全国植樹祭》
 生ひ立ちて防災林に育てよとくろまつを植う福島の地に
《第73回国民体育大会開会式》
 あらし迫る開会前(まへ)の競技場福井の人ら広がりをどる
《第38回全国豊かな海づくり大会》
 土佐の海にいしだひを放つこの魚(うを)を飼ひし幼き遠き日しのぶ
《沖縄県訪問》
 あまたなる人ら集ひてちやうちんを共にふりあふ沖縄の夜
《西日本豪雨》
 濁流の流るる様を写し出だすテレビを見つつ失せしをいたむ
【皇后さま】(3首)
《与那国島》
 与那国の旅し恋ほしも果ての地に巨(おほ)きかじきも野馬(のうま)も見たる
《晩夏》
 赤つめくさの名ごり花(ばな)咲くみ濠べを儀装馬車一台役(やく)終(を)へてゆく
《移居といふことを》
 去れる後(のち)もいかに思はむこの苑(その)に光満ち君の若くませし日
https://www.sankei.com/life/news/190101/lif1901010006-n1.html

陛下「国の発展と国民の幸せを祈ります」 皇居で新年祝賀の儀
2019.1.1 11:50
天皇、皇后両陛下が皇族方や三権の長から新年のお祝いを受けられる「新年祝賀の儀」が
1日、皇居・宮殿で開かれた。
宮殿「松の間」では、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻と長女、眞子さまら皇族方がごあいさつ。
皇太子さまが天皇陛下に「新年につき恭悦(きょうえつ)申し上げます」と述べると、
陛下は「新年おめでとう」と応じられた。
その後、両陛下が、皇族方とともに宮殿の各部屋を回り、
安倍晋三首相や閣僚、衆参両院議長、最高裁長官らから祝賀を受けられた。
衆参両院議長のあいさつに対し、陛下は「衆議院議長、参議院議長をはじめ、
一同の祝意に対し、深く感謝いたします。新しい年をともに祝うことを誠に喜ばしく思います。
年頭にあたり、国の発展と国民の幸せを祈ります」と述べられた。
皇太子妃雅子さまは平成15年以来、16年ぶりに三権の長らの新年祝賀の儀に出席された。
午後には各国の駐日大使らも宮殿を訪れ、新年のあいさつをする。
https://www.sankei.com/life/news/190101/lif1901010016-n1.html

平成最後 新年祝賀の儀 雅子さま、16年ぶりご出席
2019年1月1日 火曜 午後2:27
皇居では、天皇皇后両陛下が、皇族方や国会議員らからあいさつを受けられる、
平成最後の新年祝賀の儀が行われた。
皇居・宮殿の松の間では、午前10時から皇族方による祝賀の儀が行われ、
皇太子さまが雅子さまとともに両陛下の前に進み、
「新年につき、恭悦(きょうえつ)申し上げます」とあいさつされると、陛下は「新年おめでとう」と応じられた。
その後、国会議員らから祝賀を受けた陛下は、「年頭にあたり、国の発展と国民の幸せを祈ります」と述べられた。
雅子さまが、午前中の一連の儀式に出席されたのは、16年ぶり。
皇居では2日、平成最後の新年一般参賀が行われる。
https://www.fnn.jp/posts/00408887CX

雅子さま実家前で警察官に殺虫剤噴射容疑、75歳男逮捕
2019年1月2日22時45分
皇太子妃雅子さまの東京都目黒区の実家前で警察官に向けて殺虫剤を噴きかけたなどとして、
警視庁は2日、同区の無職の男(75)を公務執行妨害の疑いで現行犯逮捕した。
碑文谷署への取材でわかった。
男は「警察に恨みがあった」と述べているというが、署は動機に思想的背景はないとみている。
男は意味の通らないことも話しており、刑事責任能力の有無を調べる。
署によると、男は2日午後7時15分ごろ、目黒区の雅子さまの実家前で警備をしていた女性署員に向けて
スプレーの殺虫剤を噴射し、ライターで火をつけた疑いがある。
殺虫剤に引火して炎が上がったが署員にけがはなく、その場で男を取り押さえた。
https://www.asahi.com/articles/ASM1275PTM12UTIL01S.html

新年参賀に平成最多15万人 陛下「多くの人々にとり良い年に」
2019.1.2 19:09
新年恒例の一般参賀が2日、皇居で行われ、天皇、皇后両陛下と皇太子ご夫妻をはじめ
皇族方が宮殿「長和殿」のベランダで、集まった人々に応えられた。
天皇陛下は「本年が少しでも多くの人々にとり、良い年となるよう願っています。
年頭に当たり、わが国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」と述べられた。
今回は平成最後ということもあり、参賀者は15万4800人と
平成最多だった昨年(12万6720人)を大きく上回った。
宮内庁は5回の予定だった参賀の回数を7回に増やして対応。
同庁は6回目でいったん終了の案内をしたが、入門が続く様子を見た両陛下が参賀者に配慮して
お出まし追加の意向を示され、急遽、7回目が実施された。
陛下は譲位後、全ての公務を皇太子さまに譲られる。
同庁は来年以降、両陛下の新年一般参賀へのご出席は「未定」としている。
https://www.sankei.com/life/news/190102/lif1901020011-n1.html

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天皇陛下、在位中最後の新年一般参賀 早朝から長蛇の列
多田晃子、緒方雄大 2019年1月2日11時38分
新年恒例の一般参賀が2日、皇居であった。
4月末に退位する天皇陛下にとって在位中最後となる一般参賀。
陛下の姿を一目見ようと、前日や早朝から大勢の人々が長蛇の列を作った。
宮内庁はこの日、開門時間を約15分早めて対応した。午前10時10分ごろ、
天皇陛下が皇后さまや皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻ら皇族方と宮殿のベランダに立つと、
集まった人たちから大きな歓声が上がった。
陛下は笑顔で手を振って応え、マイクを通じ、
「新年おめでとう。晴れ渡った空のもと、皆さんとともに新年を祝うことを誠に喜ばしく思います。
本年が少しでも多くの人々にとり、良い年となるよう願っています。
年頭にあたり、我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」と語った。
天皇、皇后両陛下を中心に皇族方が並ぶ一般参賀はこの日で見納め。
平成最後の参賀をカメラやビデオで記録する人々の姿が多く見られた。(多田晃子、緒方雄大)
https://www.asahi.com/articles/ASM122J1VM12UTIL001.html

新年の一般参賀に訪れた人たちに手を振る紀子さま、
眞子さま、佳子さま=2019年1月2日午前10時14分、皇居、嶋田達也撮影
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昭和天皇しのび三十年式年祭 両陛下、武蔵野陵をご参拝
2019.1.7 13:35
昭和天皇の崩御から30年となる7日、東京都八王子市にある武蔵野陵(むさしののみささぎ)で
昭和天皇三十年式年祭の山陵(さんりょう)の儀が行われ、
天皇、皇后両陛下と、秋篠宮ご夫妻をはじめとする皇族方が拝礼された。
元皇族や安倍晋三首相ら約80人も参列した。
天皇陛下は墳丘前の祭壇に玉串をささげて拝礼し、
「どうぞ、国家、国民をお守りくださり、さらに繁栄させていただきますよう、お願い申し上げます」
という趣旨の「御告文(おつげぶみ)」を読み上げられた。続いて皇后さまも拝礼された。
一方、皇室の祖先を祭る皇居・宮中三殿の皇霊殿(こうれいでん)で行われた三十年式年祭では、
両陛下の名代として皇太子ご夫妻がご拝礼。
療養中の皇太子妃雅子さまが、心身を清める潔斎をへて、
皇室の伝統的な装束を身につける宮中祭祀(さいし)に臨まれるのは、
平成28年4月の神武天皇二千六百年式年祭以来約3年ぶり。
https://www.sankei.com/life/news/190107/lif1901070024-n1.html

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昭和天皇の崩御30年、両陛下が武蔵野陵に拝礼
2019年01月07日 13時41分
昭和天皇の崩御から30年となる7日、「昭和天皇三十年式年祭の儀」が
東京都八王子市の武蔵野陵皇居・宮中三殿で行われた。
武蔵野陵で行われた「山陵の儀」には、きょう即位30年を迎えられた天皇陛下と皇后さまのほか、
秋篠宮ご夫妻ら皇族方が出席。陛下の長女・黒田清子さんら親族や安倍首相を始め三権の長ら約80人も参列した。
陛下は午前11時20分頃、玉串をささげて拝礼し、
「改めてご慈愛を思い起こし、お祭りをさせていただきます。国家、国民をお守りくださり、
更に繁栄させていただきますよう、お願い申し上げます」という趣旨の御告文を日本古来の大和言葉で読み上げられた。
皇居・宮中三殿では午前10時から「皇霊殿の儀」が行われ、
皇太子ご夫妻が両陛下の名代として装束姿で拝礼された。
秋篠宮家の長女眞子さま、次女佳子さまら皇族方も参列された。
昭和天皇の式年祭は3年、5年、10年、20年の節目に行われている。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20190107-OYT1T50032.html

ルワンダ大統領に天皇陛下「紛争要因は民族問題ですか」
緒方雄大 2019年1月8日20時19分
天皇、皇后両陛下は8日、皇居・御所でルワンダのカガメ大統領夫妻と会見した。
宮内庁によると、天皇陛下が「アフリカ全体として最大の問題は何ですか」と質問すると、
大統領は「紛争の問題です。アフリカには各地で紛争が残っており、これがアフリカ開発を妨げています」と答えた。
陛下が「紛争の要因はやはり民族問題ですか」と尋ねると、大統領は「民族問題のみならず、テロの問題など様々です。
これらを克服することが最大の課題です」と語ったという。
ルワンダは現在、アフリカ連合の議長国。(緒方雄大)
https://www.asahi.com/articles/ASM183F9GM18UTIL00D.html

雅子さまが風邪で「講書始の儀」ご欠席へ
2019.1.10 18:58
宮内庁東宮職は10日、皇太子妃雅子さまに風邪の症状がみられるため、
天皇、皇后両陛下が年頭に学界の第一人者から講義を受けられる11日の
「講書始(こうしょはじめ)の儀」への陪席を見送られると発表した。37度台前半の微熱がおありという。
雅子さまは昨年、平成15年以来15年ぶりに講書始の儀に陪席されていた。
https://www.sankei.com/life/news/190110/lif1901100041-n1.html

雅子さま 風邪で発熱
2019年1月10日 木曜 午後7:53
皇太子妃雅子さまは、発熱をともなう風邪の症状のため、
11日、皇居で行われる新年の宮中行事への出席を取りやめられることになった。
宮内庁によると、雅子さまは、37度台前半の微熱をともなう風邪の症状があり、11日、
天皇皇后両陛下や皇族方などが、学問の第一人者から講義を受けられる
「講書始(こうしょはじめ)の儀」への出席を取りやめられるという。
雅子さまは2018年、この行事に15年ぶりに出席していて、今回の取りやめを大変残念に思われているという。
https://www.fnn.jp/posts/00409462CX

皇居で講書始の儀 両陛下、本庶氏らの講義ご聴講
2019.1.11 11:36
天皇、皇后両陛下が年頭に学界の第一人者から講義を受けられる恒例の
「講書始(こうしょはじめ)の儀」が11日、皇居・宮殿「松の間」で行われた。
宮内庁によると、両陛下のご臨席は今回が最後となる見通し。皇太子さまをはじめとする皇族方も陪席された。
皇太子妃雅子さまは風邪の症状があるため、陪席を見送られた。
進講者は昨年、ノーベル医学・生理学賞を受賞した京都大の本庶佑(ほんじょたすく)特別教授(76)ら3人。
「免疫の力でがんを治せる時代」と題した本庶氏の講義に、両陛下は熱心に耳を傾けられていた。
ほかの進講者とテーマは、国際日本文化研究センター(京都)の小松和彦所長(71)の「日本妖怪文化再考」、
東京大の江頭憲治郎名誉教授(72)の「日本のコーポレート・ガバナンス」。
講書始の儀は、明治時代に始まった「御講釈始(ごこうしゃくはじめ)」が由来とされる。
現在の形式になったのは昭和28年からで、人文科学、社会科学、
自然科学の各分野の研究者が、それぞれ進講者となっている。
https://www.sankei.com/life/news/190111/lif1901110016-n1.html

両陛下、ルーベンス展を鑑賞=東京
2019年01月14日18時38分
天皇、皇后両陛下は14日夕、東京・上野の国立西洋美術館を訪れ、
開催中の「ルーベンス展−バロックの誕生」を鑑賞された。
ルーベンスはバロック期を代表する欧州の画家で、
今回の展覧会には日本初公開を含む同氏の作品約40点が展示。
天皇陛下は、3メートル近くある巨大な宗教画を見て、
「これを描くには大変な時間がかかるんでしょうね」と感慨深そうに話した。(2019/01/14-18:38)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019011400561&g=soc

雅子さま、「歌会始の儀」は欠席
風邪の症状続く 2019/1/15 19:16
宮内庁は15日、皇太子妃雅子さまが副鼻腔炎やせきなどの風邪の症状があるため、
16日に皇居・宮殿で開かれる新春恒例の「歌会始の儀」への出席を取りやめられると発表した。
療養中の雅子さまは2004年から欠席が続いている。
雅子さまは8日から37度台前半の微熱などの症状があり、11日の「講書始の儀」も欠席した。
現在は熱は下がっている。
歌会始の儀は、新春恒例の宮中行事で、天皇、皇后両陛下や皇族をはじめ一般入選者らの歌が披露される。
https://this.kiji.is/457851157763081313?c=39546741839462401

平成最後の歌会始 お題は「光」
2019.1.16 11:56
新年恒例の「歌会始の儀」が16日、皇居・宮殿「松の間」で「光」をお題に行われた。
天皇、皇后両陛下と皇太子ご夫妻、秋篠宮さまのお歌、
一般応募の2万1971首(選考対象)の中から入選した10人の歌などが古式ゆかしい節回しで披露された。
両陛下にとって最後の歌会始の機会で、来年以降、上皇、上皇后のお歌の披露もない見通し。
天皇陛下のお招きで歌を詠む召人(めしうど)は俳人で日本芸術院会員の
鷹羽狩行(たかはしゅぎょう)さん(88)が務めた。皇太子妃雅子さまは、風邪のため陪席を見送られた。
宮内庁によると、陛下は平成17年、阪神大震災10周年追悼式で、
遺族の少女から贈られたヒマワリの種が葉を広げ成長する様子を詠まれた。
種は震災で犠牲になった加藤はるかさん=当時(11)=の自宅跡地で採集されたもので、
両陛下は毎年、御所の庭にまいて大切に育てられている。
皇后さまは年を重ね、心が弱ることもある中、御所のバラが美しく咲く様子を見て、
残された日々を大切に生きていこうという静かな喜びを表現された。
皇太子さまは高校1年生だった昭和50年、山梨・長野県境の金峰山(きんぷさん)に登り、
雲間からのぞく光に導かれるように歩みを進めた際のことを歌にされた。
雅子さまは両陛下が育てられた東宮御所の庭のシラカバの木を見て過ごしたご結婚後の生活に、感謝の気持ちを込められた。

天皇、皇后両陛下と皇族方のお歌、入選者らの歌は以下の通り(仮名遣い、ルビは原文のまま)

贈られしひまはりの種は生え揃ひ葉を広げゆく初夏の光に 天皇陛下
今しばし生きなむと思ふ寂光に園(その)の薔薇(さうび)のみな美しく 皇后陛下

皇太子さま
雲間よりさしたる光に導かれわれ登りゆく金峰(きんぷ)の峰に
皇太子妃雅子さま
大君と母宮の愛でし御園生(みそのふ)の白樺冴ゆる朝の光に
秋篠宮さま
山腹の洞穴(どうけつ)深く父宮が指したる先に光苔見つ
秋篠宮妃紀子さま
日の入(い)らむ水平線の輝きを緑閃光(グリーンフラツシユ)と知る父島の浜に
秋篠宮家長女眞子さま
日系の百十年の歴史へて笑顔光らせ若人(わかうど)語る
秋篠宮家次女佳子さま
訪れし冬のリーズの雲光り思ひ出さるるふるさとの空
常陸宮妃華子さま
つかの間に光る稲妻さ庭辺の樹木の緑を照らしいだし来(く)
寛仁親王妃信子さま
被災者の苦労話を聴きにける七歳(ななさい)が光れる一語を放つ
三笠宮家彬子さま
らふそくの光が頼りと友の言ふ北の大地を思ひ夜更けぬ
高円宮妃久子さま
窓べより光のバトンの射し込みて受くるわれらのひと日始まる
高円宮家長女承子さま
朝光(あさかげ)にかがやく御苑(みその)の雪景色一人と一匹足跡つづく
(以下略)
https://www.sankei.com/life/news/190116/lif1901160020-n1.html

両陛下、農林水産祭受賞者と懇談
皇居でねぎらい
2019/1/18 18:56
天皇、皇后両陛下は18日、皇居・宮殿で、農業や畜産業などの分野で優れた成果を上げ、
農林水産祭の天皇杯を受賞した7組14人と懇談された。
陛下は「皆さんの業績が、農林水産業に携わる人々の励ましとなることを期待しています」
とねぎらいの言葉を掛けた。
両陛下は受賞者が作った商品や農作物、取り組みなどを記したパネルを見ながら熱心に説明を聴いた。
京都市で九条ネギの加工を手掛ける「こと京都」の山田敏之代表から、
ネギを粉末にした調味料を紹介された陛下は「新しい発明になるわけですね」と感心した様子だった。
https://this.kiji.is/458920643506881633?c=39546741839462401

皇太子さま、フェルメール展ご鑑賞
2019.1.18 23:15
皇太子さまは18日夜、上野の森美術館(東京・上野公園)で開催中の
「フェルメール展」(産経新聞社など主催、特別協賛・大和ハウス工業、
ノーリツ鋼機 協賛・第一生命グループ、リコー)を鑑賞された。
会場には、17世紀オランダの画家、ヨハネス・フェルメールの作品のうち、
日本初公開となる「ワイングラス」「取り持ち女」など8点を一堂に展示。
皇太子さまは、フェルメールブルーと呼ばれる特徴的な青色が使われた代表作の「牛乳を注ぐ女」を前に
「すごく鮮やかですね」と色彩に興味をお示しに。
鑑賞後には「大変楽しく見させていただきました」と感想を話されていた。
https://www.sankei.com/life/news/190118/lif1901180061-n1.html

秋篠宮ご夫妻、ラグビー・トップリーグご観戦
2019.1.19 16:50ライフ皇室
秋篠宮ご夫妻は19日、秩父宮ラグビー場(東京都港区)で行われた
ラグビーのトップリーグ・カップ決勝戦をご覧になった。
秋篠宮さまは昨年9月、2019年ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会の名誉総裁に就任されている。
ご夫妻は双眼鏡を使い、得点が決まると拍手をするなど熱心にご観戦。
関係者によると、秋篠宮さまは試合中、「身体が大きいですね」「また見に来たいです」と話されていたという。
https://www.sankei.com/smp/life/news/190119/lif1901190034-s1.html

両陛下、大相撲ご観戦 平成最後の「天覧相撲」
2019.1.20 19:09
天皇、皇后両陛下は20日、両国国技館(東京都墨田区)を訪れ、大相撲初場所中日の取組を観戦された。
両陛下の大相撲観戦は平成29年初場所以来2年ぶりで、ご即位以来23回目。
4月の天皇陛下の譲位を前に、天皇、皇后としては最後の機会となった。
両陛下は、幕内後半の計9番を貴賓席から身を乗り出したり、取組表に目を落としたりしながら見守り、
勝敗がつくたびに盛んに拍手を送られた。
日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)によると、引退した元横綱稀勢の里について、
両陛下は「今後どうするんですか」とお尋ねに。
ひざの負傷で途中休場した小結御嶽海について、
陛下が「ひざは大事ですからね」と気遣われる場面もあったという。
国技館を後にする際、陛下は八角理事長に「良い相撲をありがとう」と声をかけられたという。
https://www.sankei.com/life/news/190120/lif1901200041-n1.html

両陛下 太平洋戦争で犠牲の民間船員らを慰霊 神奈川 横須賀
2019年1月21日 17時51分皇室
天皇皇后両陛下は21日、神奈川県横須賀市を訪れ、
太平洋戦争で犠牲になった民間の船員らの慰霊に臨まれました。
両陛下は21日正午ごろ、横須賀市の観音崎公園にある「戦没船員の碑」を訪ねられました。
昭和46年に建てられたこの慰霊碑には、太平洋戦争で軍に徴用されて軍事物資の輸送などにあたり、
攻撃を受けて犠牲になった6万人を超える民間の船員らの名簿が納められています。
両陛下は折に触れて慰霊碑を訪れるなど犠牲者に心を寄せ続けていて、8回目となった21日の訪問でも、
白菊の花束を手向けて深く一礼し、犠牲者の霊を慰められました。
そして、見送りに並んだ遺族の代表の女性に、
「残念なことでしたね。戦後、ずっと元気で過ごされましたか」などとことばをかけられました。
天皇陛下は先月、天皇として最後となった記者会見で、
「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安どしています」などと語り、
戦争の歴史や平和への思いをあらわされています。
両陛下はこのあと、神奈川県の葉山御用邸で静養に入り、
午後3時ごろには御用邸の裏にある「小磯の鼻」と呼ばれる海岸を散策されました。
そして、集まった人たちに歩み寄り、両陛下の結婚記念日の4月10日に入籍したという30歳の夫婦が、
生後7か月の息子の名前に平成の「成」の字を入れたと伝えると、
「健やかに成長されることを願っています」と話されたということです。
両陛下は今月25日まで葉山に滞在されることになっています。

遺族代表「心から感謝」
戦時中、民間の船員の立場で徴用された父親を9歳の時に亡くした後藤美津子さん(86)は
遺族の代表として天皇皇后両陛下を出迎えました。
後藤さんは「皇后さまから『ご苦労なさいましたね』とことばをかけていただき、
『戦後は苦労しましたが、今は元気にしています』と申し上げました。
天皇陛下の退位前のお忙しい中、両陛下に来ていただき、
心を寄せていただいたことに、心から感謝申し上げます」と話していました。

節目ごとに追悼式に出席たびたび慰霊碑も訪問
天皇皇后両陛下は先の大戦で激しい地上戦が行われ、苦難の歴史を歩んだ沖縄などと同じように、
戦争の犠牲になった民間の船員にも心を寄せ続けられてきました。
先の大戦では、数多くの民間の商船や漁船が軍に徴用されて、
軍事物資などの輸送や敵の監視にあたりましたが、攻撃を受けてほぼ壊滅し、
6万人を超える船員が犠牲になりました。
犠牲者のおよそ3割が20歳未満の少年だったとされています。
両陛下は昭和46年、「戦没船員の碑」が建てられたことを記念して行われた第1回の追悼式に出席し、
激しい雨の降る中、犠牲者を悼まれました。その後も、節目ごとに追悼式に出席するとともに、
葉山御用邸での静養に合わせて、たびたび慰霊碑を訪ねられてきました。
戦後70年を迎えた平成27年の記者会見で、天皇陛下は犠牲となった民間の船員について触れ、
「制空権がなく、輸送船を守るべき軍艦などもない状況下でも、
輸送業務に携わらなければならなかった船員の気持ちを本当に痛ましく思います」と述べられました。
両陛下は、亡くなった船員たちを歌にもされていて、天皇陛下は、平成4年に慰霊碑を訪問した時のことを、
「戦日(いくさび)に逝(ゆ)きし船人(ふなびと)を悼む碑の彼方に見ゆる海平(たい)らけし」と詠まれました。
また、皇后さまは昭和46年に雨の中で追悼式に臨んだことを、
「かく濡れて遺族らと祈る更(さら)にさらにひたぬれて君ら逝(ゆ)き給ひ(たまい)しか」と詠まれました。
船員らの慰霊碑のそばには、両陛下が詠まれた短歌の碑が建てられています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190121/k10011785501000.html

両陛下、御用邸裏の海岸もご散策 住民らとの交流お楽しみに
2019.1.21 19:03
戦没船員の碑を訪れた天皇、皇后両陛下は、静養のため
25日まで滞在する葉山御用邸(神奈川県葉山町)に入られた。
「小磯の鼻」と呼ばれる近くの海岸を寄り添って散策し、富士山などの景観を堪能された。
昨年末に風邪の症状が見られ、新年も宮中行事で多忙な日々を送った天皇陛下は、
報道陣から体調を気遣う声をかけられると、「大丈夫だと思いますよ」と笑顔で応じられた。
御用邸に戻る道すがら、地元住民らとの交流も楽しまれた両陛下。
同県藤沢市の新久田(あらくた)泰史さん(30)が昨年6月に生まれた長男に
「平成」から一文字取って名付けたことを話すと、
皇后さまは「健やかに成長することを願っています」と語りかけられた。
https://www.sankei.com/life/news/190121/lif1901210040-n1.html

政府が3月11日に東日本大震災8年追悼式 東京・国立劇場で
2019.1.22 12:53
政府は22日の閣議で、東日本大震災から8年となる3月11日、
東京都千代田区の国立劇場で追悼式を開くと決定した。
天皇、皇后両陛下は出席せず、秋篠宮ご夫妻や安倍晋三首相、閣僚らが参加。
地震が起きた午後2時46分に全員で黙祷(もくとう)する。
https://www.sankei.com/politics/news/190122/plt1901220011-n1.html

秋篠宮ご夫妻 新潟市を訪問 開港150年式典に出席のため
2019年1月22日 18時14分
秋篠宮ご夫妻は、23日開かれる新潟港開港150年の記念式典に出席するため新潟市を訪れ、
22日は、地元の中学校などを視察されました。
秋篠宮ご夫妻は、22日午後、新潟市を訪れ、ラムサール条約に登録されている新潟市西区の湿地、
「佐潟」の環境保全の取り組みを視察されました。
ご夫妻は、はじめに地元の赤塚中学校で中学2年生の授業をご覧になりました。
生徒たちが湿地の環境を保つための清掃活動などについて説明すると、ご夫妻は静かに耳を傾けられていました。
秋篠宮さまは「水鳥には何を餌にあげているのですか」などと質問し、
「これからも頑張ってください」と生徒たちに声をかけられたということです。
授業で発表した高橋美咲紀さんは「秋篠宮さまは優しい雰囲気で、うなずきながら聞いてもらえてうれしかったです。
佐潟を守る活動の大切さを再認識する場になりました」と話していました。
ご夫妻は、このあと、学校の近くにある環境省の施設、「佐潟水鳥・湿地センター」を視察されました。
秋篠宮ご夫妻は23日、新潟港開港150年の記念式典に出席したあと東京に戻られる予定です。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190122/k10011786911000.html

皇太子さま、最後の講義=研究生活振り返る−学習院女子大
2019年01月23日17時34分
皇太子さまは23日午後、東京都新宿区の学習院女子大で、
「史料と向き合う−40年の研究生活を振り返って−」と題し、学生を相手に講義を行われた。
皇太子さまは同大で、2003年からほぼ年1回のペースで講義を続け、今回で14回目。
冒頭、「今回でこの講義も最後になると思います」と述べた上で、
大学時代以降続けてきた水運史や古文書に関する自身の研究内容や、
史料を読み込む重要性について約1時間20分にわたり説明した。
講義の終わりには、「赤毛のアン」の主人公の「曲がり角を曲がった先に何があるかは分からない。
でもきっと一番良いものに違いない」という言葉を引用。
「皆さんも希望を持って学生生活やその後の人生を歩んでいただきたいと思います」とエールを送った。
講義は国際文化交流学部の学生と同大大学院生の計133人が聴講した。(2019/01/23-17:34)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019012301052&g=soc

秋篠宮ご夫妻、新潟開港150周年式典にご臨席
2019.1.23 12:56
新潟開港150周年を記念する式典が23日、新潟市中央区の朱鷺(とき)メッセで行われた。
式典には秋篠宮ご夫妻が出席された。
式典には国内や海外の関係者ら約560人が出席。
秋篠宮さまは、これまで新潟港が歩んできた歴史を振り返り
「開港150年が一つの契機となり、今後ともわが国の経済発展や
国際交流における重要な役割を果たしていくことを心から願っております」と話された。
また、同市の中原八一市長は「開港150周年を契機に、新たなまちづくりにつなげていきたい」と述べた。
花角英世知事は「新潟の豊かな自然や多様な地域資源、食文化を国の内外に発信する絶好の機会だ」と強調した。
https://www.sankei.com/life/news/190123/lif1901230025-n1.html

百合子さまがインフルで入院
大事をとり、1週間予定
2019/1/24 15:51
宮内庁は24日、三笠宮妃百合子さま(95)がインフルエンザA型と診断されたため、
東京都中央区の聖路加国際病院に入院されたと発表した。
宮内庁によると、症状は重くなく、入院は大事をとったもので、期間は1週間程度を予定している。
百合子さまは、22日ごろから37度台の熱が続いていた。
24日午前に同病院でインフルエンザと診断され、そのまま入院した。
昨年11月、インフルエンザの予防接種も受けていたという。
今年1月2日の新年の一般参賀に出席して以降、百合子さまの公務はなかった。
入院期間中に予定されている公務もない。
https://this.kiji.is/461040813535675489?c=39546741839462401

紀子さま キルト展示会の開会式に出席
日テレNEWS24  2019/1/24 18:36
23日、新潟県の公務から帰京した秋篠宮妃紀子さまは、24日午前、東京ドームで開かれた、
日本最大級のキルトの展示会の開会式に出席された。
長女の眞子さまとの婚約が延期となっている小室圭さんが、
22日に母親の金銭トラブルの経緯について文書を公表したことで、連日報道が続いているが、
紀子さまは、いつもと変わらない笑顔で公務にあたられていた。
開会式の後、紀子さまは展示会を鑑賞し、着物の生地で作った作品の制作者に、
「どのようなところが自分の着物ですか」などと質問しながら熱心に説明を聞き、
「濃い色が少しずつ入っていていいですね」と感想を述べられたという。
http://www.news24.jp/articles/2019/01/24/07415150.html

両陛下「ともに歩まれた60年」写真展ご鑑賞
2019.1.26 20:00
天皇、皇后両陛下は26日、東京都中央区の日本橋三越本店を訪れ、
両陛下の足跡をたどる写真展「天皇皇后両陛下 ともに歩まれた60年」を鑑賞された。
会場には、ご成婚前の写真から、被災地お見舞いや戦没者慰霊をはじめとする公務、
ご家族とのプライベートな場面など135点を展示。
天皇陛下は皇后さまに「これはいつの」と質問しながらご鑑賞。
お子さま方の子供時代の写真を見た皇后さまは「まあ、小さい」と述べられていた。
https://www.sankei.com/life/news/190126/lif1901260028-n1.html

陛下、国会開会式でお言葉 健康診断日程ずらし最後のご臨席
2019.1.28 14:28
天皇陛下は28日、4月末の譲位を控え、最後の機会となる見通しの国会開会式に臨席された。
議長席後方に設けられた椅子に座り、衆院議長の式辞を聞いた後、椅子から立ち上がり、
時折、議場を見やりながらゆっくりした口調でお言葉を読み上げられた。
陛下は国事行為として国会の召集詔書を公布しており、国会開会式への臨席はこれに関連するご公務。
前立腺がん手術を終えた直後だったため、
皇太子さまがお言葉を代読された平成15年1月以外は毎回、足を運ばれてきた。
国会開会式への臨席の際、陛下は通常は使わない皇居正門(二重橋)からご出発。
全国戦没者追悼式など限られた公務のみに使われるトヨタ・センチュリーロイヤルの
「御料車(ごりょうしゃ)」で国会へ向かわれる。
28日は当初は終日、定例の健康診断の日程が組まれていたが、一部検査を前倒しして国会ご臨席を優先させた。
「重要行事との認識のもと、大切にされてきた公務の一つ」(宮内庁幹部)だ。
国会での陛下のお言葉の骨格は昭和天皇時代と大きく変わらない。
ただ、元年2月、天皇として最初に臨んだ国会では
「幾多の苦難を乗り越え、国民の英知とたゆまない努力により、国民生活の安定と繁栄を実現し、
平和国家として国際社会に名誉ある地位を占めるに至りました」との一文を加えられた。
阪神大震災直後の7年1月には「速やかな救済と復興は現下の急務」と指摘されている。
国会開会式でのお言葉をめぐっては21年、民主党政権下の岡田克也外相(当時)が
「陛下の思いが少しは入ったお言葉がいただけるような工夫を」
「ある意味で官僚的対応」などと注文を付けたこともある。
宮内庁関係者は「政治的中立を踏まえながら、場にふさわしいお言葉を常に吟味されてきた」と話している。
https://www.sankei.com/life/news/190128/lif1901280030-n1.html

高円宮妃久子さま、2月に英国へ ケンブリッジ大に
2019/1/29 16:54
宮内庁は29日、高円宮妃久子さまが、2月13〜18日、英国を訪問されると発表した。
滞在中、卒業したケンブリッジ大ガートン・カレッジの創立150年を記念した講演に臨む。
現地時間の13日に英国入りした久子さまは、エリザベス女王の三男エドワード王子夫妻と懇談。
講演が行われる15日には、同カレッジの名誉研究員の称号が授与される。
久子さまは高円宮と結婚する前の1972〜75年、同カレッジで考古学などを学んだ。
https://this.kiji.is/462888475656029281?c=39546741839462401

天皇陛下、カタール首長と会見…環境問題話題に
2019年01月30日 21時06分
天皇陛下は30日、皇居・御所で中東カタールのタミム首長と会見された。
宮内庁によると、会見は約20分間。
タミム首長は、同じく首長を務めた父、祖父と親交があった陛下に、敬意を払っている様子だったという。
環境問題が話題になり、首長が商業発展と環境保護の両立が難しいと語ると、
陛下は「東京もかつては空気が汚染されていましたが、近年はだいぶきれいになりました。
環境は努力によって変えていくことができると実感しています」と述べられた。
首長はその後、都内のホテルで、皇太子さまとも会見した。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20190130-OYT1T50119.html

小室圭さん説明文書公表

小室圭さん説明文書公表 金銭問題「解決済みと理解」
2019.1.22 09:47
篠宮ご夫妻の長女、眞子さまとのご婚約が延期になっている小室圭(けい)さん(27)が22日、
週刊誌で報じられた母と元婚約者の男性との金銭トラブルについて、
代理人の弁護士を通じて、事情説明を行う文書を発表した。内容は以下の通り(原文のまま)。

いつも温かいご厚情を賜り、御礼を申し上げます。
私小室圭の母とその元婚約者の方との過去の関係について、一昨年からご心配をおかけしており、
たいへん申し訳ありません。これまでに多くの報道があったことについては承知しておりますし、
私がこの問題について明確なご説明を差し上げてこなかったことで
多くの方々にご迷惑をおかけする結果になってしまったことをたいへん心苦しく感じています。
元婚約者の方との関係について母に代わってご説明したいと考え、このような方法をとらせていただきました。
私の母と元婚約者の方は、平成22年9月に婚約し、結婚生活を始める準備をしていました。
母の再婚については私も嬉しく思いましたし、私自身も元婚約者の方とはとても親しくさせていただきました。
婚約期間中、元婚約者の方から金銭的な支援を受けたこともあります。
当時、母も私も元婚約者の方とは既に家族のようにお付き合いしており、ご厚意にたいへん感謝しておりました。
平成24年9月、元婚約者の方から母に対して婚約を解消したいというお申し入れがありました。
母は、突然の一方的な申し入れであり、また婚約を解消したい理由について
明確なご説明をしていただけなかったことから憔悴した様子を見せていましたが、
最終的には元婚約者の方のお気持ちは変わらないと理解し、お申し入れを受け入れました。
その際に母が婚約期間中に受けた支援については清算させていただきたいとお伝えしたところ、
元婚約者の方から「返してもらうつもりはなかった」という明確なご説明がありました。
支援や慰謝料の点を含めて金銭的な問題はすべて解決済みであることを二人は確認したのです。
実際に婚約解消後しばらくの間は、私や母が元婚約者の方から金銭の返還を求められることはありませんでした。
ところが、婚約を解消して1年ほどが経った平成25年8月ころ、
母は元婚約者の方から交際していた期間に負担した費用の返還を求めるお手紙を受け取りました。
婚約解消時の確認事項に反する突然の要求に驚いた母は、専門家に相談してアドバイスを受けるとともに、
元婚約者の方と直接お目にかかって、ご要望には応じかねることとその理由をお伝えしました。
母の話を聞いた元婚約者の方からは、私も専門家に相談して
何かあればこちらから連絡しますという反応がありましたが、連絡が入ることはありませんでした。
その後はご近所にお住まいだった元婚約者の方と自宅周辺で偶然お会いすることもありましたが、
金銭の話題が出たことはありませんでした。
私の母と元婚約者の方との過去の関係は以上のとおりです。
多くの報道において借金トラブルが残っているとされていますが、
このような経緯ですから母も私も元婚約者の方から支援については解決済みの事柄であると理解してまいりました。
そのため、平成29年12月から元婚約者の方のコメントだとされるものが連日報道される事態となり、
私も母もたいへん困惑いたしました。元婚約者の方のご意向を測りかねたからです。
報道されている問題に関する母と私の認識は以上のとおりですが、
私も母も元婚約者の方からご支援を受けたことには今も感謝しておりますので、
今後は元婚約者の方からご理解を得ることができるよう努めたいと考えております。
私は、現在、米国にて勉学に勤しむ機会をいただいております。多くの方々に日々感謝いたしております。
ご心配をいただいている方々のご納得をいただけるよう努力を重ねる覚悟でおりますので、
どうか温かく見守っていただけますと幸いでございます。
平成31年1月22日
小室圭
https://www.sankei.com/life/news/190122/lif1901220020-n1.html

金銭問題「解決済み」 小室圭さんが文書公表、説明不足を謝罪も
2019.1.22 14:09
秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまとのご婚約が延期になっている小室圭(けい)さん(27)が22日、
週刊誌で報じられた母と元婚約者の男性との金銭トラブルについて「解決済みの事柄」と主張する文書を、
代理人の弁護士を通じて公表した。小室さん側が金銭トラブルについて説明するのは初めて。
秋篠宮さまは昨年11月の誕生日会見で、トラブルを念頭に小室さん側に
「それ相応の対応をするべきだ」と求められていた。
小室さんは文書の中で「明確なご説明を差し上げてこなかったことで
多くの方々にご迷惑をおかけする結果になってしまった」と謝罪。「母に代わってご説明したい」とした。
文書によると、小室さんの母、佳代さん(52)と男性は平成22年9月に婚約。
婚約中に金銭支援を受けた。24年9月に男性から婚約解消の申し入れがあり、
佳代さんが金銭支援を清算する意向を示したが、男性は断ったという。
このため、小室さんは金銭問題について「解決済みの事柄であると理解してまいりました」としている。
一方、25年8月ごろになって男性から返済を求める手紙が届き、佳代さんは「要望には応じかねる」と回答。
男性からの連絡はその後、途絶えたが、今後は男性から理解を得られるよう努めたいとしている。
一連の問題はご婚約内定後の29年12月、週刊誌が佳代さんに約400万円の金銭トラブルがあると報じたのが発端。
宮内庁は30年2月、結婚関連儀式を32年まで延期すると発表した。
代理人の弁護士によると、小室さん側はプライバシーに関わる問題のため、
以前から一連の報道に対して事情を説明すべきか悩んでいたという。
今回、文書公表に至ったのは、昨年11月の秋篠宮さまの会見でのご発言がきっかけとなったとしている。
眞子さまも、文書公表について事前に把握されていたという。
https://www.sankei.com/life/news/190122/lif1901220044-n1.html

小室 圭さんの母親の元婚約者「解決していない」
2019年1月22日 19時58分
小室 圭さんの母親の元婚約者の男性は22日、NHKの取材に応じ、
「金銭的な問題はまだ解決していない」と述べました。
そして、小室さんが文書で、婚約解消の際に母親が返済の意向を示したものの、
男性が返してもらうつもりはないと応じなかったと説明したことについて、
「提示された月々の返済額が少なく、もう一度考えてほしいという理由で応じなかったもので、
今後も返済を求めていく考えに変わりはない」と話しています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190122/k10011787131000.html 


小室さん文書公表に「対応考えていない」 宮内庁次長
2019.1.28 14:55
宮内庁の西村泰彦次長は28日の定例会見で、
秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまとの婚約が延期になっている小室圭さん(27)が
母親と元婚約者の男性との金銭トラブルについて「解決済み」と主張する文書を公表したことに関し、
「コメントする立場になく、今後特段の対応も考えていない」と説明した。
公表文書が、秋篠宮さまが小室さん側に求めた「相応の対応」に当たるかは
「秋篠宮さまを含め関係者が判断されること」と述べるにとどめた。
https://www.sankei.com/life/news/190128/lif1901280031-n1.html

「平成」経緯の記録、公開は2044年 内閣府、手続きなく延期

「平成」経緯の記録、公開は2044年 内閣府、手続きなく延期
毎日新聞2019年1月21日 06時00分(最終更新 1月21日 08時09分)

1989年1月に元号を「平成」に改めた経緯の記録を、政府から国立公文書館へ移管する時期が、
公文書管理法で定める「1〜30年」を大幅に上回り、
約55年後の2044年3月末となっていることが毎日新聞の情報公開請求で明らかになった。
同法は「作成、取得」から1〜30年後の移管か、理由と期間を首相に報告して延長手続きを取ることを求める。
だが文書を保存する内閣府総務課は「元号事務が13年に当課に移った際、
移管資料を新たに取得した」とし、14年4月1日が起算日だと説明した。【野口武則】

公文書館に移管された文書は原則公開される。移管前は開示請求などを受け、政府機関が個別に判断する。
毎日新聞は、「平成」の選定過程に関する文書を開示請求。内閣府は官房長名の文書で「不開示」と回答した。
理由として「将来の元号考案者に不必要な予断を与え、元号選定事務の適正な遂行に支障を及ぼすおそれ」や、
「個人を識別でき、考案者がどのような案を考案したかなどが詮索され」ることなどをあげた。
文書には「平成」の考案者が記されているとみられるが、
この見解が変わらない限り、公開は公文書館への移管後の44年以降となる。

こうした運用に関し、内閣府公文書管理委員会の委員長代理を務めたこともある三宅弘弁護士は
「明らかに脱法的だ」と指摘。「『作成』は行政官が自分の権限で作ったもの。
『取得』は第三者から新たに得たものを指す。
政府内でたらい回しすれば公文書館への移管が遅れ、法の趣旨に反する」と述べた。

総務課の担当者は毎日新聞の取材に「元号事務が内閣官房副長官補室(89年当時は内閣官房内政審議室)から
内閣府総務課に移り、文書を新たに取得した」と説明した。
一方、内閣府公文書管理課は取材に文書で回答。総務課の手続きは「承知していない」としつつ、
「行政機関内の所管課変更をもって保存期間を設定し直すことは、原則、想定されない」とした。

公文書管理法は09年6月に成立し11年4月施行。「歴史的資料」として重要な公文書を公文書館に移管する。
役所側が公開制限を求める意見も付けられるが、その是非は公文書館長が判断する。
89年1月作成の文書は、本来は19年に移管対象となる。

「大正」「昭和」への改元の経緯は、公文書館が詳細な記録を保管し、
91年度から01年度までに順次公開されている。

NPO法人「情報公開クリアリングハウス」の三木由希子理事長の話 
「公文書の管理に関するガイドライン」では、組織改編に伴う文書の移管は「取得」ではなく、
「引き継ぎ」に該当するとしている。当初の所管課の保存期間で引き継がなければおかしい。
こういう処置を容認すれば、保存期間が必要以上に延びてしまう。

公文書管理法のポイント
・文書を作成、取得した時は「保存期間」を設定。重要な文書は「1〜30年間」
・保存期間満了時、歴史資料として重要な文書は国立公文書館に移管。廃棄の場合は首相の同意を得る
・職務で必要なら保存期間を延長。首相に期間と理由を報告
・公文書館に移管後の文書は、個人情報や国の安全に関する情報などを除き原則として公開
(施行令、ガイドラインの内容も含む)
https://mainichi.jp/articles/20190121/k00/00m/010/009000c



「平成」への改元文書 保存起算日を遅らせいまだ非公開
2019年1月21日 20時17分
平成の代替わりの際の手続きなどを記した行政文書について、
内閣府が、文書保存の起算日を元号が改められた当時ではなく、
内閣官房から内閣府に所管が移ったあとの2014年としていることが分かり、
菅官房長官は経緯を確認するよう事務方に指示しました。
元号を「昭和」から「平成」に改めた際の手続きなどを記した行政文書について、
元号を所管する内閣府総務課が、文書を保存する起算日を元号が改められた当時ではなく、
2014年として保存していることが分かりました。
行政文書は保存期間が原則として「1年から30年」と定められていて、
元号が改められた当時を起算日としていれば、
この文書はことしから国立公文書館に移管して、公開される可能性がありました。
担当者は、起算日を2014年とした理由について「元号に関する行政事務の所管が内閣官房から内閣府に移り、
分散していた文書をファイルとしてまとめた時点を起算日としたもので、問題はない」と説明しています。
これについて菅官房長官は記者会見で
「個別の文書や行政ファイルを作成した時点の状況をよく確認するように事務方に指示した」と述べ、
起算日を2014年とした経緯などを確認するよう指示したことを明らかにしました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190121/k10011785771000.html

御代替わり 感謝と敬愛で寿ぎたい 皇統の男系継承確かなものに

産経
【主張】御代替わり 感謝と敬愛で寿ぎたい 皇統の男系継承確かなものに
2019.1.3 05:00
天皇陛下が、皇太子殿下へ皇位を譲られる歴史的な年を迎えた。
立憲君主である天皇の譲位は、日本の国と国民にとっての重要事である。
譲位は江戸時代後期の文化14(1817)年に、
第119代の光格天皇が仁孝天皇へ譲られて以来、202年ぶりとなる。
陛下は譲位によって上皇になられるが、4月30日に位を退かれるまでは、
天皇として、宮中の祭祀(さいし)や国事行為その他のお務めを果たされる。

≪歴史と伝統踏まえよう≫
長くお務めに精励されてきた上皇への感謝の念と、新しい天皇(第126代)への敬愛と期待の念を持ちながら、
国民こぞって御代(みよ)替わりを寿(ことほ)ぎたい。
安倍晋三首相はじめ政府、宮内庁は、諸行事の準備に万遺漏(ばんいろう)なきを期してもらいたい。
新天皇の即位の式典には友好国からの賓客も多く列席する。日本のみならず世界からも祝福されることになる。
初めて譲位を目の当たりにする経験は、国民それぞれが天皇、皇室のことを改めて知り、考える貴重な機会になる。
「私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながら
その務めを行い、今日までを過ごしてきました」
天皇陛下が昨年12月、85歳の御誕生日を前に記者会見された際のお言葉である。
現憲法は第1条で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基(もとづ)く」と定めている。

天皇はなぜ、憲法の筆頭条文に記されているのか。
それは、近代憲法が定められるはるか昔、国の始まりから今に至るまで、
天皇が日本の首座にいらしたからにほかならない。
歴史と伝統の重みが「国民の総意」をうたう憲法の記述を導いている。
「国平らかに民やすかれ」と願われる天皇を、国民は敬愛の念をもって支えてきた。
天皇と国民が共に紡いできた日本の歴史を、新たな代へ引き継ぎたい。
そのためにも、天皇や皇室の行事は、歴史と伝統を損なわないような憲法、法令解釈で挙行されるべきである。
新天皇が国家国民の安寧や五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈る大嘗祭(だいじょうさい)を、
天皇の私事とみなす議論が一部にある。これは「祈り」という天皇の本質を損なう考えといえる。
大嘗祭が私事として行われたことは一度もない。
君主である天皇にとって永続性は極めて重要だ。
時代が変遷していく中で、かなう限り伝統、歴史に沿うのが正しい在り方である。
今の陛下による平成2年の大嘗祭も公的行事として行われた点を重視しなければならない。

≪2つの重要課題対応を≫
5月の改元をめぐり、政府は新元号を4月1日に閣議決定し、同日中に公表する方針を固めた。
新元号が御代替わりよりも前に発表された前例はない。
コンピューターが発達した時代に、譲位に伴う改元があるのは初めてだ。
円滑な国民生活のため、5月1日の新天皇即位より前に新元号が示されるのは望ましい。
その一方で、政府が4月1日に今の陛下に新元号を定める政令に署名していただき、
一両日中に公布する手順を想定している点は残念である。
元号は、天皇の御代を表すという根本的性格がある。
改元の政令は、これからの時代を担われる新天皇が署名されるのが自然だ。
政府が新元号を内定という形で発表し、新天皇が即位日に政令に署名、公布される段取りが本来望ましかった。
手続きを柔軟かつ迅速にすれば可能ではなかったか。

御代替わりの後には、2つの重要事に取り組むべきだ。
1つは、秋篠宮殿下の長男で皇位継承順位2位となられる悠仁さまのご教育の問題である。
未来の天皇としてふさわしいお心構えを身につけていただくよう、政府と宮内庁は対応を急いでほしい。
もう1つは、確かな皇位継承を保つことだ。
古代から現代まで、一度の例外もなく天皇の即位に貫かれてきた大原則は、男系による継承である。
「女性宮家」は皇室のご公務の担い手としてはともかく、男系を継承する手立てではない。
今も親族として皇室と交流する旧宮家の皇籍復帰などの本格的検討が迫られている。
https://www.sankei.com/column/news/190103/clm1901030001-n1.html

昭和天皇の直筆原稿見つかる

昭和天皇の直筆原稿見つかる まとまった状態で初めて
2019年1月1日04時58分
昭和天皇が晩年、御製(ぎょせい、和歌)を推敲(すいこう)する際に使ったとみられる原稿が見つかった。
近しい人が保管していた。直筆を知る歌人も本人の字だと認めた。
「宮内庁」の文字が入った罫紙(けいし)29枚、裏表57ページ。
鉛筆でつづられた歌が少なくとも252首確認できる。欄外に注釈や書き込みもある。
まとまった状態で直筆の文書が公になるのは初めて。専門家は「人柄を深くしのぶ一級の史料」としている。
保管者は匿名を希望しており、今後、研究機関など適切な場所に原稿の管理を委ねることを検討している。
朝日新聞は保管者らへの取材を重ね、1月7日で昭和天皇逝去から30年となる節目を前に、
昭和天皇の歌を研究する所功(ところいさお)・京都産業大名誉教授(日本法制文化史)に協力を求め、
共同で確認、分析した。
昭和天皇の歌の晩年の相談役で直筆を見たことのある歌人の岡野弘彦さんに筆跡と内容を、
昭和史に詳しい作家・半藤一利さんにも内容を確認、評価してもらった。
その結果、筆跡、文体、内容から29枚はすべて昭和天皇によるもので、
1985(昭和60)年ごろから病に伏す88年秋までに書かれたとの判断で一致した。
所さんの調査によると、昭和天皇の歌は宮内庁侍従職編の歌集「おほうなばら」や、
宮内庁の「昭和天皇実録」に計870首が掲載されている。
今回の原稿には、それらに掲載済みの歌の推敲段階とみられるものが41首、未掲載のものが211首含まれていた。
題材は、戦争や家族、地方訪問など多岐にわたる。

あゝ悲し戰の後思ひつゝしきにいのりをさゝげたるなり

これは昭和天皇の最後の公式行事となった88年8月15日の全国戦没者追悼式に寄せた歌で、
約310万人の国民が亡くなった先の大戦への思いが「あゝ悲し」と表現されている。
86年4月29日の85歳の誕生日にあった在位60年記念式典の際はこう詠んだ。

國民の祝ひをうけてうれしきもふりかへりみればはづかしきかな

大元帥として開戦や敗戦を宣明した昭和天皇。
60歳の時に「われかへりみて恥多きかな」、70歳では「かへりみればただおもはゆく」と歌に詠んでおり、
通底する思いがうかがえる。
原稿の欄外には「この義式は國の行事なれどこれでよきや」と記されていた。
「筆者は本人以外あり得ないだろう」
〈所功・京都産業大名誉教授の話〉
これまで側近の日記などは公表されてきたが、ご本人の直筆の原稿が公になるのは初めてで驚きだ。
まとまった状態で大切に保存されていたことは素晴らしい。筆跡は昭和天皇の署名と矛盾なく、
「きさきは皇后のこと」などの表現、記述の内容からも、筆者は本人以外あり得ないだろう。
私の知る保管者と昭和天皇の関係からも疑いようがない。
推敲段階の和歌には平和や国民、家族への深い思いが率直につづられ、人柄が改めてしのばれる。
几帳面に旧字体を使い、武骨につづられた文字にも人柄がにじみでている。
在位60年記念式典の「はづかしき」という1首からは、
国家国民のために尽くす自らの役割を自問自答しておられることが推察される。
1929年に張作霖爆殺事件を巡って田中義一首相を叱責(しっせき)し辞任に追い込んだ事件から、
立憲君主として自らの言動を律した昭和天皇は、
戦後、その抑制的な態度が「戦争を止められなかった」と批判されることになる。
還暦、古希の時の歌と合わせて考えると、国民のために務めを果たせてきたのか、
生涯にわたり深い内省の中にあったことが伝わってきて胸に迫る。
https://www.asahi.com/articles/ASLDZ538RLDZUTIL00Q.html

人柄にじむその直筆 昭和天皇、激動の半生は歌と共に
2019年1月1日06時59分
平和を願う心、旅の思い出、親しい人との別れ――。昭和天皇が晩年つづった和歌の原稿に、
激動の半生への述懐や、日々の思いが残されていた。
余白をも埋める肉筆に几帳面(きちょうめん)な人柄もにじむ。歴史研究の資料として貴重だと、専門家は指摘する。

いつのまによそぢあまりもたちにけるこのしきまでに(のうちに)やすらけき世みず

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1988年の終戦の日に寄せた歌=迫和義撮影

1988(昭和63)年8月15日の終戦の日に寄せ、昭和天皇はこんな歌を残していた。
所功・京都産業大名誉教授は「戦後40年余りたっても、世界では争いが絶えない状況をはかなんだ歌ではないか。
昭和天皇にとって日本と世界の平和はつながっていたように思える」とみる。
陸軍大将として日露戦争を戦い、後に学習院長を務めた乃木希典(のぎまれすけ)とのエピソードを詠んだ歌もある。
(以降有料記事)
https://www.asahi.com/articles/ASLDZ53F7LDZUTIL00R.html

「陛下の字ですね」作歌の相談役が語る逝去直前の出来事
2019年1月1日07時01分
昭和天皇が晩年、御製(ぎょせい、和歌)を推敲(すいこう)する際に使ったとみられる原稿が見つかった。
宮内庁御用掛として昭和天皇の作歌の相談役を務めた歌人、岡野弘彦さん(94)は、
今回見つかった原稿を「陛下の字ですね」と語り、昭和天皇が「生涯歌と共にあった」と振り返った。
昭和天皇は未発表のものも含めると生涯で1万首はお作りになったと思う。
ご日常の出来事をこまごまと歌に詠まれ、生涯、歌と共にあった。
作風は簡明で天皇たる独特の格調があり、今の日本人の心にも響く。
私は昭和天皇の直筆を見たことがある。お隠れ(逝去)になる数カ月前、88年秋のこと。
徳川義寛・元侍従長がやってきて、昭和天皇が終戦の際の感想として詠まれた
「爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも」を、
病床で7〜8通りに推敲(すいこう)した紙を持ってきた。
「この歌の表現を心ゆくまで整えておきたい」とのことで、
今回見つかった宮内庁の罫紙(けいし)のような紙に、直筆で記されていた。
 その中の「身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて」
が「一番よろしいと思います」と言うと、
徳川さんは「お上(天皇のこと)もこれで安心なさいます」とほっとして帰られた。
今回の原稿も陛下の字ですね。見覚えのある歌もある。一つの事柄にいく通りもの歌を詠んだり、
丁寧な注釈があることからも、一つひとつの歌を丹念につくられた跡がうかがえて、
歌が本当にお好きだったことがわかる。
ご生前は発表するものが選抜されたが、今となっては全てが貴重な作品。
昭和史の核であった方の気持ちが表現されており、誰でも読めるように整理して発表してほしい。
     ◇
〈おかの・ひろひこ〉 94歳。歌人。
宮内庁御用掛(1983〜2007)として昭和天皇や天皇家の和歌の相談役を担った。
https://www.asahi.com/articles/ASLD0562SLD0UTIL00K.html

昭和天皇の和歌直筆草稿
250首、大半が未公表
象徴や戦争への思い吐露
昭和天皇が晩年、和歌を推敲する際に使ったとみられる草稿が見つかった。
大半が未公表の歌だ。保管者から託された朝日新聞社が1日、一部を報道陣に公開した。
昭和天皇の和歌の相談役で、直筆を見たこともある歌人岡野弘彦さんは
「昭和天皇自身が書かれたもので間違いない。見覚えのある歌もある。
推敲を何度も重ねた丁寧さがにじみ出ている」と指摘した。
他の専門家も「歌の背景となった昭和天皇の思いが見て取れる。戦争や象徴への思いの一端が伝わる
貴重な史料だ」と評価している。
朝日新聞によると、草稿には、1985〜88年に詠んだ和歌が、宮内庁の罫紙29枚に表裏で57ページ分書かれている。
鉛筆で縦書きされ、題材は戦争や地方訪問など多岐にわたる。
保管していたのは昭和天皇に近い人物で匿名を希望。
分析に当たった京都産業大の所功名誉教授(日本法制文化史)によると、草稿には約250首あり、
うち約200首は未公表だった。
86年4月に催された在位60年式典の際にはこう詠んだ。
 國民の祝ひをうけてうれしきも ふりかえみればはづかしきかな
所氏は「自らを顧み『象徴としても役割を果たせているのか』との謙虚さが伝わる」と話した。
昭和天皇は戦争責任を巡り、後半生まで苦悩していたことは侍従だった故小林忍の日記で明らかになっている。
草稿を解析した歴史家の半藤一利氏はこうした事情を踏まえ「自らの来し方に悔いを感じてこられ、
それを『はづかしき』と表現したように思う」と指摘した。
最後の出席となった88年8月15日の全国戦没者追悼式に寄せた歌も、戦争に触れている。
 あゝ悲し戰の後思ひつゝ しきにいのりをさゝげたるなり
大元帥として開戦と終戦に臨んだ昭和天皇の最晩年の悲哀がにじんでいる。
87年8月に亡くなった岸信介元首相をはじめ、側近だった侍従の死去を受けて詠んだ歌もあり、
記述は余白にまで及ぶ。所氏は「昭和天皇の誠実さと細やかさが伝わってくる」としている。
昭和天皇は生涯、約1万首の和歌を詠んだとされる。所氏によると、昭和天皇時代を記録し
刊行されている「昭和天皇実録」や、歌集「おほうなばら」には計870首が掲載されている。
(和歌の表記は原文のまま)
河北新報2019年1月3日