新天皇、皇后の地方公務

新天皇、4大地方行事に=国民文化祭加わる−宮内庁
1/31(木) 18:18配信 時事通信
宮内庁は31日、5月以降の新天皇、皇后が毎年出席する地方行事について、
これまで皇太子ご夫妻が出席されてきた国民文化祭が加わると発表した。
これにより、新天皇、皇后の主要地方行事は、全国植樹祭、国民体育大会、
全国豊かな海づくり大会の三つから四つになる。
同庁の山本信一郎長官が定例会見で明らかにした。
国民文化祭は、皇太子ご夫妻による七つの主要地方行事の一つ。
皇太子さまは昭和時代の第1回に出席するなど縁が深いことから、
山本長官は「お気持ちにかなうと理解している」と話した。
ただ、雅子さまについては療養中のため、出席が難しいこともあり得るという。
国民文化祭を除いた六つの行事のうち、全国「みどりの愛護」のつどい、
全国高等学校総合体育大会、全国障害者スポーツ大会、全国育樹祭の四つが
皇位継承順位1位の「皇嗣」となる秋篠宮さまと紀子さまに、献血運動推進全国大会は紀子さま単独、
全国農業担い手サミットは寛仁(ともひと)親王妃信子さまが引き継ぐことも決まった。
皇太子ご夫妻が毎年出席する東京都内の三つの行事について、国際青年交流会議は新天皇、皇后が出席し、
文化庁芸術祭オープニングは秋篠宮ご夫妻、
「日本賞」教育コンテンツ国際コンクール授賞式は紀子さまが単独で引き継ぐことになった。 
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019013101171&g=soc

新天皇、4重要地方公務に出席 代替わり後の分担発表、宮内庁
宮内庁は31日、天皇代替わり後の公務の分担策を発表した。
天皇、皇后両陛下は毎年、各地で開催される「全国植樹祭」「国体」
「全国豊かな海づくり大会」への出席に伴う三つの重要地方公務に臨まれてきたが、
新天皇、皇后の活動に「国民文化祭」への出席が加わる。
新天皇、皇后となる皇太子ご夫妻は、両陛下の現在の活動を基本的に全て引き継ぐ。
国際生物学賞の授賞式は天皇陛下の意向で、理学博士の学位を持つ秋篠宮さまと妻紀子さまが出席する。
新天皇、皇后の活動に加わる国民文化祭は、
1986年の第1回から皇太子さまが出席してきたため即位後も続けることが決まった。
(共同)
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2019013101002121.html

新天皇、皇后の地方公務は「四大行幸啓」に 「国民文化祭」をご継続
2019.1.31 18:31
宮内庁は31日、天皇陛下の譲位後の公務の分担に関連し、
皇太子ご夫妻が毎年臨席してきた地方での7つの行事(七大行啓)のうち、
「国民文化祭」を新天皇、皇后となった後も引き続き担われることを明らかにした。
天皇、皇后両陛下が恒例とされた「国民体育大会」など3つの行事(三大行幸啓)に加えられる。
皇太子ご夫妻が両陛下の公務を原則全て引き継がれる一方、
ご夫妻の公務を譲り受ける秋篠宮ご夫妻が多くの公務を抱えられており、分担の調整が難航していた。
宮内庁は今回、都内を含む恒例の地方公務を行事の趣旨などを踏まえて整理し、
皇太子さまと秋篠宮さまのご了承を得た。皇居や赤坂御用地内での行事は継続的に検討する。
国民文化祭は、浩宮時代の皇太子さまが昭和61年の第1回に臨席し、
平成以降も皇太子ご夫妻が務められてきたことを考慮。
ご夫妻の結婚記念事業である「国際青年交流会議」などゆかりの深い都内の3つの行事も引き続き臨まれる。
平成27年以降、秋篠宮ご夫妻と交互に担う「こどもの日」と「敬老の日」にちなむ施設訪問は、
新天皇、皇后が双方とも受け持たれる。
七大行啓のうち国民文化祭以外の6つの行事は、皇嗣、皇嗣妃となる秋篠宮ご夫妻が4つをご負担。
「献血運動推進全国大会」は主催する日本赤十字社の名誉副総裁を務める秋篠宮妃紀子さまが、
「全国農業担い手サミット」は寛仁親王妃信子さまが担われる。
また、秋篠宮ご夫妻の負担軽減のため、一部行事を長女の眞子さまがご担当。
秋篠宮さまは13団体の名誉総裁・総裁職を皇嗣としても継続するが、臨席行事を限定される。
宮内庁の山本信一郎長官は「宮中行事の増加を考えると、まだ見直しが必要で、代替わり後も続けていく」と述べた。
https://www.sankei.com/life/news/190131/lif1901310025-n1.html



<代替わり考>退位儀式に天皇家私費 伊勢神宮参拝 陛下の意向を尊重

<代替わり考>退位儀式に天皇家私費 伊勢神宮参拝 陛下の意向を尊重
2019年1月31日 朝刊
天皇陛下が四月に伊勢神宮(三重県)へ退位を事前に報告する儀式について、
政府は天皇家の私費である「内廷費」を充てる方針を決めた。
宮内庁関係者によると「簡素な形で儀式に臨みたい」との陛下の意向も踏まえたという。
新設される十一の退位関連儀式のうち、内廷費の支出が決まったのは初めて。
政府は皇太子さまの即位関連儀式を国費で行う方針を決めているが、
退位関連ではほかの儀式にも内廷費の支出を検討している。

伊勢神宮には皇祖神の天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀(まつ)られており、
陛下は四月十八日の「神宮に親謁の儀」で、同月三十日の退位を報告する。
皇位の証しとされる三種の神器のうち、剣と勾玉(まがたま)(璽(じ))も携行する予定だ。
両陛下の神宮参拝は、式年遷宮後の二〇一四年以来五年ぶり。
即位後は、一九九〇年十一月に即位礼や大嘗祭(だいじょうさい)の終了を親謁の儀で報告して以降、五回目となる。
九〇年の親謁の儀では、国費の宮廷費を使い、陛下は古式の黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)姿、
皇后さまは十二単(じゅうにひとえ)姿で、二頭立て馬車に乗り、神宮の内宮と外宮の正殿前まで、それぞれ移動した。
今回はモーニングコートを着用し、馬車行列もないシンプルな参拝を想定する。

宮内庁幹部は「退位直前の私的な皇室行事であり、儀式の前例もない。
簡素な形での儀式を望まれた陛下の意向も尊重して判断した」と話す。
内廷費の支出は両陛下の交通費などを予定している。

退位関連の十一儀式のうち、政府が責任を負う国事行為は、
陛下が天皇として最後に国民の代表である首相らと会う四月三十日夕の「退位礼正殿の儀」だけで、
国費が充てられる。このほか皇居内の宮中三殿や伊勢神宮、
神武天皇陵や昭和天皇以前の四代の天皇の山陵に退位を報告する儀式などは宗教色が否めず、
皇室行事である「大礼関係の儀式」として行われる。

政府は皇太子さまの即位関連儀式のうち、二十余りの皇室行事について、
前回を踏襲する形で国費の宮廷費を充てる方針を決めている。
秋篠宮さまは昨年十一月、宗教色の強い大嘗祭について内廷費で行うべきだと発言して波紋を広げた。
 (編集委員・吉原康和)

<内廷費と宮廷費> 宮内庁の皇室費は、内廷費と皇族費、宮廷費の三つに分類される。
内廷費は天皇家、皇太子家の生活費や宮中祭祀(さいし)などの私的費用に充てるもので、
2018年度は3億2400万円。
宮廷費は、外国賓客の接遇、地方訪問など公的な活動の必要経費で、同年度は約92億円。
皇太子さまの即位関連費用では、大嘗祭など総額約38億円が宮廷費から支出される。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201901/CK2019013102000120.html

2019年1月

天皇ご一家、平成最後の新年穏やかに
2019.1.1 00:07
天皇ご一家は1日、代替わりを前に、平成最後となる新年を穏やかに迎えられた。
宮内庁が公表した写真には、ご一家が皇居・御所の応接室に集まり、
日本地図を前に平成30年中に訪れた地域の思い出を、それぞれが語り合われる様子が収められている。
今年は4月10日に天皇陛下と皇后さまがご成婚60年を迎えられた後、同月30日に陛下が譲位し、
翌5月1日に皇太子さまが新天皇に即位される。陛下は毎年担ってきた恒例の地方公務を全て終えており、
譲位までに地方を訪れて国民と触れ合う機会は、3月26日の奈良県橿原市の神武天皇陵、
4月18日の三重県伊勢市の伊勢神宮を訪問される際などに限られる。
https://www.sankei.com/life/news/190101/lif1901010007-n1.html

両陛下の御製・御歌計8首を発表
2019.1.1 00:07
宮内庁は新年に当たり、天皇、皇后両陛下が平成30年中に詠まれたお歌のうち、
天皇陛下の御製(ぎょせい)5首、皇后さまの御歌(みうた)3首を発表した。
陛下は30年10月に高知県で行われた全国豊かな海づくり大会でイシダイの稚魚を放流した際、
幼少期の飼育体験を思い出しながら臨まれた気持ちを詠まれた。
同庁によると、学習院中等科時代に沼津御用邸に滞在中、
地引き網にかかったイシダイなどの稚魚を水槽で飼われたことがある。
同3月に11回目となる訪問を果たした沖縄県では、市民らが提灯(ちょうちん)を振って歓迎するのに、
宿泊先の上階からお応えに。陛下はこの際、互いに語り合うように提灯を振り合った思い出を歌に込められたという。
皇后さまは同じく沖縄県を訪問した際、日本最西端の与那国島に足を運び、
水揚げされた巨大なカジキや日本在来種の与那国馬を見学したことを懐かしんでお詠みになった。
譲位後、両陛下は5年から過ごした皇居・御所を離れ、高輪皇族邸に引っ越される。
皇后さまは御所に入って間もない時期、庭に出られた今より若かった陛下のことを思い起こされて詠み上げられた。
  ◇
【天皇陛下】(5首)
《第69回全国植樹祭》
 生ひ立ちて防災林に育てよとくろまつを植う福島の地に
《第73回国民体育大会開会式》
 あらし迫る開会前(まへ)の競技場福井の人ら広がりをどる
《第38回全国豊かな海づくり大会》
 土佐の海にいしだひを放つこの魚(うを)を飼ひし幼き遠き日しのぶ
《沖縄県訪問》
 あまたなる人ら集ひてちやうちんを共にふりあふ沖縄の夜
《西日本豪雨》
 濁流の流るる様を写し出だすテレビを見つつ失せしをいたむ
【皇后さま】(3首)
《与那国島》
 与那国の旅し恋ほしも果ての地に巨(おほ)きかじきも野馬(のうま)も見たる
《晩夏》
 赤つめくさの名ごり花(ばな)咲くみ濠べを儀装馬車一台役(やく)終(を)へてゆく
《移居といふことを》
 去れる後(のち)もいかに思はむこの苑(その)に光満ち君の若くませし日
https://www.sankei.com/life/news/190101/lif1901010006-n1.html

陛下「国の発展と国民の幸せを祈ります」 皇居で新年祝賀の儀
2019.1.1 11:50
天皇、皇后両陛下が皇族方や三権の長から新年のお祝いを受けられる「新年祝賀の儀」が
1日、皇居・宮殿で開かれた。
宮殿「松の間」では、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻と長女、眞子さまら皇族方がごあいさつ。
皇太子さまが天皇陛下に「新年につき恭悦(きょうえつ)申し上げます」と述べると、
陛下は「新年おめでとう」と応じられた。
その後、両陛下が、皇族方とともに宮殿の各部屋を回り、
安倍晋三首相や閣僚、衆参両院議長、最高裁長官らから祝賀を受けられた。
衆参両院議長のあいさつに対し、陛下は「衆議院議長、参議院議長をはじめ、
一同の祝意に対し、深く感謝いたします。新しい年をともに祝うことを誠に喜ばしく思います。
年頭にあたり、国の発展と国民の幸せを祈ります」と述べられた。
皇太子妃雅子さまは平成15年以来、16年ぶりに三権の長らの新年祝賀の儀に出席された。
午後には各国の駐日大使らも宮殿を訪れ、新年のあいさつをする。
https://www.sankei.com/life/news/190101/lif1901010016-n1.html

平成最後 新年祝賀の儀 雅子さま、16年ぶりご出席
2019年1月1日 火曜 午後2:27
皇居では、天皇皇后両陛下が、皇族方や国会議員らからあいさつを受けられる、
平成最後の新年祝賀の儀が行われた。
皇居・宮殿の松の間では、午前10時から皇族方による祝賀の儀が行われ、
皇太子さまが雅子さまとともに両陛下の前に進み、
「新年につき、恭悦(きょうえつ)申し上げます」とあいさつされると、陛下は「新年おめでとう」と応じられた。
その後、国会議員らから祝賀を受けた陛下は、「年頭にあたり、国の発展と国民の幸せを祈ります」と述べられた。
雅子さまが、午前中の一連の儀式に出席されたのは、16年ぶり。
皇居では2日、平成最後の新年一般参賀が行われる。
https://www.fnn.jp/posts/00408887CX

雅子さま実家前で警察官に殺虫剤噴射容疑、75歳男逮捕
2019年1月2日22時45分
皇太子妃雅子さまの東京都目黒区の実家前で警察官に向けて殺虫剤を噴きかけたなどとして、
警視庁は2日、同区の無職の男(75)を公務執行妨害の疑いで現行犯逮捕した。
碑文谷署への取材でわかった。
男は「警察に恨みがあった」と述べているというが、署は動機に思想的背景はないとみている。
男は意味の通らないことも話しており、刑事責任能力の有無を調べる。
署によると、男は2日午後7時15分ごろ、目黒区の雅子さまの実家前で警備をしていた女性署員に向けて
スプレーの殺虫剤を噴射し、ライターで火をつけた疑いがある。
殺虫剤に引火して炎が上がったが署員にけがはなく、その場で男を取り押さえた。
https://www.asahi.com/articles/ASM1275PTM12UTIL01S.html

新年参賀に平成最多15万人 陛下「多くの人々にとり良い年に」
2019.1.2 19:09
新年恒例の一般参賀が2日、皇居で行われ、天皇、皇后両陛下と皇太子ご夫妻をはじめ
皇族方が宮殿「長和殿」のベランダで、集まった人々に応えられた。
天皇陛下は「本年が少しでも多くの人々にとり、良い年となるよう願っています。
年頭に当たり、わが国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」と述べられた。
今回は平成最後ということもあり、参賀者は15万4800人と
平成最多だった昨年(12万6720人)を大きく上回った。
宮内庁は5回の予定だった参賀の回数を7回に増やして対応。
同庁は6回目でいったん終了の案内をしたが、入門が続く様子を見た両陛下が参賀者に配慮して
お出まし追加の意向を示され、急遽、7回目が実施された。
陛下は譲位後、全ての公務を皇太子さまに譲られる。
同庁は来年以降、両陛下の新年一般参賀へのご出席は「未定」としている。
https://www.sankei.com/life/news/190102/lif1901020011-n1.html

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天皇陛下、在位中最後の新年一般参賀 早朝から長蛇の列
多田晃子、緒方雄大 2019年1月2日11時38分
新年恒例の一般参賀が2日、皇居であった。
4月末に退位する天皇陛下にとって在位中最後となる一般参賀。
陛下の姿を一目見ようと、前日や早朝から大勢の人々が長蛇の列を作った。
宮内庁はこの日、開門時間を約15分早めて対応した。午前10時10分ごろ、
天皇陛下が皇后さまや皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻ら皇族方と宮殿のベランダに立つと、
集まった人たちから大きな歓声が上がった。
陛下は笑顔で手を振って応え、マイクを通じ、
「新年おめでとう。晴れ渡った空のもと、皆さんとともに新年を祝うことを誠に喜ばしく思います。
本年が少しでも多くの人々にとり、良い年となるよう願っています。
年頭にあたり、我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」と語った。
天皇、皇后両陛下を中心に皇族方が並ぶ一般参賀はこの日で見納め。
平成最後の参賀をカメラやビデオで記録する人々の姿が多く見られた。(多田晃子、緒方雄大)
https://www.asahi.com/articles/ASM122J1VM12UTIL001.html

新年の一般参賀に訪れた人たちに手を振る紀子さま、
眞子さま、佳子さま=2019年1月2日午前10時14分、皇居、嶋田達也撮影
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昭和天皇しのび三十年式年祭 両陛下、武蔵野陵をご参拝
2019.1.7 13:35
昭和天皇の崩御から30年となる7日、東京都八王子市にある武蔵野陵(むさしののみささぎ)で
昭和天皇三十年式年祭の山陵(さんりょう)の儀が行われ、
天皇、皇后両陛下と、秋篠宮ご夫妻をはじめとする皇族方が拝礼された。
元皇族や安倍晋三首相ら約80人も参列した。
天皇陛下は墳丘前の祭壇に玉串をささげて拝礼し、
「どうぞ、国家、国民をお守りくださり、さらに繁栄させていただきますよう、お願い申し上げます」
という趣旨の「御告文(おつげぶみ)」を読み上げられた。続いて皇后さまも拝礼された。
一方、皇室の祖先を祭る皇居・宮中三殿の皇霊殿(こうれいでん)で行われた三十年式年祭では、
両陛下の名代として皇太子ご夫妻がご拝礼。
療養中の皇太子妃雅子さまが、心身を清める潔斎をへて、
皇室の伝統的な装束を身につける宮中祭祀(さいし)に臨まれるのは、
平成28年4月の神武天皇二千六百年式年祭以来約3年ぶり。
https://www.sankei.com/life/news/190107/lif1901070024-n1.html

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昭和天皇の崩御30年、両陛下が武蔵野陵に拝礼
2019年01月07日 13時41分
昭和天皇の崩御から30年となる7日、「昭和天皇三十年式年祭の儀」が
東京都八王子市の武蔵野陵皇居・宮中三殿で行われた。
武蔵野陵で行われた「山陵の儀」には、きょう即位30年を迎えられた天皇陛下と皇后さまのほか、
秋篠宮ご夫妻ら皇族方が出席。陛下の長女・黒田清子さんら親族や安倍首相を始め三権の長ら約80人も参列した。
陛下は午前11時20分頃、玉串をささげて拝礼し、
「改めてご慈愛を思い起こし、お祭りをさせていただきます。国家、国民をお守りくださり、
更に繁栄させていただきますよう、お願い申し上げます」という趣旨の御告文を日本古来の大和言葉で読み上げられた。
皇居・宮中三殿では午前10時から「皇霊殿の儀」が行われ、
皇太子ご夫妻が両陛下の名代として装束姿で拝礼された。
秋篠宮家の長女眞子さま、次女佳子さまら皇族方も参列された。
昭和天皇の式年祭は3年、5年、10年、20年の節目に行われている。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20190107-OYT1T50032.html

ルワンダ大統領に天皇陛下「紛争要因は民族問題ですか」
緒方雄大 2019年1月8日20時19分
天皇、皇后両陛下は8日、皇居・御所でルワンダのカガメ大統領夫妻と会見した。
宮内庁によると、天皇陛下が「アフリカ全体として最大の問題は何ですか」と質問すると、
大統領は「紛争の問題です。アフリカには各地で紛争が残っており、これがアフリカ開発を妨げています」と答えた。
陛下が「紛争の要因はやはり民族問題ですか」と尋ねると、大統領は「民族問題のみならず、テロの問題など様々です。
これらを克服することが最大の課題です」と語ったという。
ルワンダは現在、アフリカ連合の議長国。(緒方雄大)
https://www.asahi.com/articles/ASM183F9GM18UTIL00D.html

雅子さまが風邪で「講書始の儀」ご欠席へ
2019.1.10 18:58
宮内庁東宮職は10日、皇太子妃雅子さまに風邪の症状がみられるため、
天皇、皇后両陛下が年頭に学界の第一人者から講義を受けられる11日の
「講書始(こうしょはじめ)の儀」への陪席を見送られると発表した。37度台前半の微熱がおありという。
雅子さまは昨年、平成15年以来15年ぶりに講書始の儀に陪席されていた。
https://www.sankei.com/life/news/190110/lif1901100041-n1.html

雅子さま 風邪で発熱
2019年1月10日 木曜 午後7:53
皇太子妃雅子さまは、発熱をともなう風邪の症状のため、
11日、皇居で行われる新年の宮中行事への出席を取りやめられることになった。
宮内庁によると、雅子さまは、37度台前半の微熱をともなう風邪の症状があり、11日、
天皇皇后両陛下や皇族方などが、学問の第一人者から講義を受けられる
「講書始(こうしょはじめ)の儀」への出席を取りやめられるという。
雅子さまは2018年、この行事に15年ぶりに出席していて、今回の取りやめを大変残念に思われているという。
https://www.fnn.jp/posts/00409462CX

皇居で講書始の儀 両陛下、本庶氏らの講義ご聴講
2019.1.11 11:36
天皇、皇后両陛下が年頭に学界の第一人者から講義を受けられる恒例の
「講書始(こうしょはじめ)の儀」が11日、皇居・宮殿「松の間」で行われた。
宮内庁によると、両陛下のご臨席は今回が最後となる見通し。皇太子さまをはじめとする皇族方も陪席された。
皇太子妃雅子さまは風邪の症状があるため、陪席を見送られた。
進講者は昨年、ノーベル医学・生理学賞を受賞した京都大の本庶佑(ほんじょたすく)特別教授(76)ら3人。
「免疫の力でがんを治せる時代」と題した本庶氏の講義に、両陛下は熱心に耳を傾けられていた。
ほかの進講者とテーマは、国際日本文化研究センター(京都)の小松和彦所長(71)の「日本妖怪文化再考」、
東京大の江頭憲治郎名誉教授(72)の「日本のコーポレート・ガバナンス」。
講書始の儀は、明治時代に始まった「御講釈始(ごこうしゃくはじめ)」が由来とされる。
現在の形式になったのは昭和28年からで、人文科学、社会科学、
自然科学の各分野の研究者が、それぞれ進講者となっている。
https://www.sankei.com/life/news/190111/lif1901110016-n1.html

両陛下、ルーベンス展を鑑賞=東京
2019年01月14日18時38分
天皇、皇后両陛下は14日夕、東京・上野の国立西洋美術館を訪れ、
開催中の「ルーベンス展−バロックの誕生」を鑑賞された。
ルーベンスはバロック期を代表する欧州の画家で、
今回の展覧会には日本初公開を含む同氏の作品約40点が展示。
天皇陛下は、3メートル近くある巨大な宗教画を見て、
「これを描くには大変な時間がかかるんでしょうね」と感慨深そうに話した。(2019/01/14-18:38)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019011400561&g=soc

雅子さま、「歌会始の儀」は欠席
風邪の症状続く 2019/1/15 19:16
宮内庁は15日、皇太子妃雅子さまが副鼻腔炎やせきなどの風邪の症状があるため、
16日に皇居・宮殿で開かれる新春恒例の「歌会始の儀」への出席を取りやめられると発表した。
療養中の雅子さまは2004年から欠席が続いている。
雅子さまは8日から37度台前半の微熱などの症状があり、11日の「講書始の儀」も欠席した。
現在は熱は下がっている。
歌会始の儀は、新春恒例の宮中行事で、天皇、皇后両陛下や皇族をはじめ一般入選者らの歌が披露される。
https://this.kiji.is/457851157763081313?c=39546741839462401

平成最後の歌会始 お題は「光」
2019.1.16 11:56
新年恒例の「歌会始の儀」が16日、皇居・宮殿「松の間」で「光」をお題に行われた。
天皇、皇后両陛下と皇太子ご夫妻、秋篠宮さまのお歌、
一般応募の2万1971首(選考対象)の中から入選した10人の歌などが古式ゆかしい節回しで披露された。
両陛下にとって最後の歌会始の機会で、来年以降、上皇、上皇后のお歌の披露もない見通し。
天皇陛下のお招きで歌を詠む召人(めしうど)は俳人で日本芸術院会員の
鷹羽狩行(たかはしゅぎょう)さん(88)が務めた。皇太子妃雅子さまは、風邪のため陪席を見送られた。
宮内庁によると、陛下は平成17年、阪神大震災10周年追悼式で、
遺族の少女から贈られたヒマワリの種が葉を広げ成長する様子を詠まれた。
種は震災で犠牲になった加藤はるかさん=当時(11)=の自宅跡地で採集されたもので、
両陛下は毎年、御所の庭にまいて大切に育てられている。
皇后さまは年を重ね、心が弱ることもある中、御所のバラが美しく咲く様子を見て、
残された日々を大切に生きていこうという静かな喜びを表現された。
皇太子さまは高校1年生だった昭和50年、山梨・長野県境の金峰山(きんぷさん)に登り、
雲間からのぞく光に導かれるように歩みを進めた際のことを歌にされた。
雅子さまは両陛下が育てられた東宮御所の庭のシラカバの木を見て過ごしたご結婚後の生活に、感謝の気持ちを込められた。

天皇、皇后両陛下と皇族方のお歌、入選者らの歌は以下の通り(仮名遣い、ルビは原文のまま)

贈られしひまはりの種は生え揃ひ葉を広げゆく初夏の光に 天皇陛下
今しばし生きなむと思ふ寂光に園(その)の薔薇(さうび)のみな美しく 皇后陛下

皇太子さま
雲間よりさしたる光に導かれわれ登りゆく金峰(きんぷ)の峰に
皇太子妃雅子さま
大君と母宮の愛でし御園生(みそのふ)の白樺冴ゆる朝の光に
秋篠宮さま
山腹の洞穴(どうけつ)深く父宮が指したる先に光苔見つ
秋篠宮妃紀子さま
日の入(い)らむ水平線の輝きを緑閃光(グリーンフラツシユ)と知る父島の浜に
秋篠宮家長女眞子さま
日系の百十年の歴史へて笑顔光らせ若人(わかうど)語る
秋篠宮家次女佳子さま
訪れし冬のリーズの雲光り思ひ出さるるふるさとの空
常陸宮妃華子さま
つかの間に光る稲妻さ庭辺の樹木の緑を照らしいだし来(く)
寛仁親王妃信子さま
被災者の苦労話を聴きにける七歳(ななさい)が光れる一語を放つ
三笠宮家彬子さま
らふそくの光が頼りと友の言ふ北の大地を思ひ夜更けぬ
高円宮妃久子さま
窓べより光のバトンの射し込みて受くるわれらのひと日始まる
高円宮家長女承子さま
朝光(あさかげ)にかがやく御苑(みその)の雪景色一人と一匹足跡つづく
(以下略)
https://www.sankei.com/life/news/190116/lif1901160020-n1.html

両陛下、農林水産祭受賞者と懇談
皇居でねぎらい
2019/1/18 18:56
天皇、皇后両陛下は18日、皇居・宮殿で、農業や畜産業などの分野で優れた成果を上げ、
農林水産祭の天皇杯を受賞した7組14人と懇談された。
陛下は「皆さんの業績が、農林水産業に携わる人々の励ましとなることを期待しています」
とねぎらいの言葉を掛けた。
両陛下は受賞者が作った商品や農作物、取り組みなどを記したパネルを見ながら熱心に説明を聴いた。
京都市で九条ネギの加工を手掛ける「こと京都」の山田敏之代表から、
ネギを粉末にした調味料を紹介された陛下は「新しい発明になるわけですね」と感心した様子だった。
https://this.kiji.is/458920643506881633?c=39546741839462401

皇太子さま、フェルメール展ご鑑賞
2019.1.18 23:15
皇太子さまは18日夜、上野の森美術館(東京・上野公園)で開催中の
「フェルメール展」(産経新聞社など主催、特別協賛・大和ハウス工業、
ノーリツ鋼機 協賛・第一生命グループ、リコー)を鑑賞された。
会場には、17世紀オランダの画家、ヨハネス・フェルメールの作品のうち、
日本初公開となる「ワイングラス」「取り持ち女」など8点を一堂に展示。
皇太子さまは、フェルメールブルーと呼ばれる特徴的な青色が使われた代表作の「牛乳を注ぐ女」を前に
「すごく鮮やかですね」と色彩に興味をお示しに。
鑑賞後には「大変楽しく見させていただきました」と感想を話されていた。
https://www.sankei.com/life/news/190118/lif1901180061-n1.html

秋篠宮ご夫妻、ラグビー・トップリーグご観戦
2019.1.19 16:50ライフ皇室
秋篠宮ご夫妻は19日、秩父宮ラグビー場(東京都港区)で行われた
ラグビーのトップリーグ・カップ決勝戦をご覧になった。
秋篠宮さまは昨年9月、2019年ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会の名誉総裁に就任されている。
ご夫妻は双眼鏡を使い、得点が決まると拍手をするなど熱心にご観戦。
関係者によると、秋篠宮さまは試合中、「身体が大きいですね」「また見に来たいです」と話されていたという。
https://www.sankei.com/smp/life/news/190119/lif1901190034-s1.html

両陛下、大相撲ご観戦 平成最後の「天覧相撲」
2019.1.20 19:09
天皇、皇后両陛下は20日、両国国技館(東京都墨田区)を訪れ、大相撲初場所中日の取組を観戦された。
両陛下の大相撲観戦は平成29年初場所以来2年ぶりで、ご即位以来23回目。
4月の天皇陛下の譲位を前に、天皇、皇后としては最後の機会となった。
両陛下は、幕内後半の計9番を貴賓席から身を乗り出したり、取組表に目を落としたりしながら見守り、
勝敗がつくたびに盛んに拍手を送られた。
日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)によると、引退した元横綱稀勢の里について、
両陛下は「今後どうするんですか」とお尋ねに。
ひざの負傷で途中休場した小結御嶽海について、
陛下が「ひざは大事ですからね」と気遣われる場面もあったという。
国技館を後にする際、陛下は八角理事長に「良い相撲をありがとう」と声をかけられたという。
https://www.sankei.com/life/news/190120/lif1901200041-n1.html

両陛下 太平洋戦争で犠牲の民間船員らを慰霊 神奈川 横須賀
2019年1月21日 17時51分皇室
天皇皇后両陛下は21日、神奈川県横須賀市を訪れ、
太平洋戦争で犠牲になった民間の船員らの慰霊に臨まれました。
両陛下は21日正午ごろ、横須賀市の観音崎公園にある「戦没船員の碑」を訪ねられました。
昭和46年に建てられたこの慰霊碑には、太平洋戦争で軍に徴用されて軍事物資の輸送などにあたり、
攻撃を受けて犠牲になった6万人を超える民間の船員らの名簿が納められています。
両陛下は折に触れて慰霊碑を訪れるなど犠牲者に心を寄せ続けていて、8回目となった21日の訪問でも、
白菊の花束を手向けて深く一礼し、犠牲者の霊を慰められました。
そして、見送りに並んだ遺族の代表の女性に、
「残念なことでしたね。戦後、ずっと元気で過ごされましたか」などとことばをかけられました。
天皇陛下は先月、天皇として最後となった記者会見で、
「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安どしています」などと語り、
戦争の歴史や平和への思いをあらわされています。
両陛下はこのあと、神奈川県の葉山御用邸で静養に入り、
午後3時ごろには御用邸の裏にある「小磯の鼻」と呼ばれる海岸を散策されました。
そして、集まった人たちに歩み寄り、両陛下の結婚記念日の4月10日に入籍したという30歳の夫婦が、
生後7か月の息子の名前に平成の「成」の字を入れたと伝えると、
「健やかに成長されることを願っています」と話されたということです。
両陛下は今月25日まで葉山に滞在されることになっています。

遺族代表「心から感謝」
戦時中、民間の船員の立場で徴用された父親を9歳の時に亡くした後藤美津子さん(86)は
遺族の代表として天皇皇后両陛下を出迎えました。
後藤さんは「皇后さまから『ご苦労なさいましたね』とことばをかけていただき、
『戦後は苦労しましたが、今は元気にしています』と申し上げました。
天皇陛下の退位前のお忙しい中、両陛下に来ていただき、
心を寄せていただいたことに、心から感謝申し上げます」と話していました。

節目ごとに追悼式に出席たびたび慰霊碑も訪問
天皇皇后両陛下は先の大戦で激しい地上戦が行われ、苦難の歴史を歩んだ沖縄などと同じように、
戦争の犠牲になった民間の船員にも心を寄せ続けられてきました。
先の大戦では、数多くの民間の商船や漁船が軍に徴用されて、
軍事物資などの輸送や敵の監視にあたりましたが、攻撃を受けてほぼ壊滅し、
6万人を超える船員が犠牲になりました。
犠牲者のおよそ3割が20歳未満の少年だったとされています。
両陛下は昭和46年、「戦没船員の碑」が建てられたことを記念して行われた第1回の追悼式に出席し、
激しい雨の降る中、犠牲者を悼まれました。その後も、節目ごとに追悼式に出席するとともに、
葉山御用邸での静養に合わせて、たびたび慰霊碑を訪ねられてきました。
戦後70年を迎えた平成27年の記者会見で、天皇陛下は犠牲となった民間の船員について触れ、
「制空権がなく、輸送船を守るべき軍艦などもない状況下でも、
輸送業務に携わらなければならなかった船員の気持ちを本当に痛ましく思います」と述べられました。
両陛下は、亡くなった船員たちを歌にもされていて、天皇陛下は、平成4年に慰霊碑を訪問した時のことを、
「戦日(いくさび)に逝(ゆ)きし船人(ふなびと)を悼む碑の彼方に見ゆる海平(たい)らけし」と詠まれました。
また、皇后さまは昭和46年に雨の中で追悼式に臨んだことを、
「かく濡れて遺族らと祈る更(さら)にさらにひたぬれて君ら逝(ゆ)き給ひ(たまい)しか」と詠まれました。
船員らの慰霊碑のそばには、両陛下が詠まれた短歌の碑が建てられています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190121/k10011785501000.html

両陛下、御用邸裏の海岸もご散策 住民らとの交流お楽しみに
2019.1.21 19:03
戦没船員の碑を訪れた天皇、皇后両陛下は、静養のため
25日まで滞在する葉山御用邸(神奈川県葉山町)に入られた。
「小磯の鼻」と呼ばれる近くの海岸を寄り添って散策し、富士山などの景観を堪能された。
昨年末に風邪の症状が見られ、新年も宮中行事で多忙な日々を送った天皇陛下は、
報道陣から体調を気遣う声をかけられると、「大丈夫だと思いますよ」と笑顔で応じられた。
御用邸に戻る道すがら、地元住民らとの交流も楽しまれた両陛下。
同県藤沢市の新久田(あらくた)泰史さん(30)が昨年6月に生まれた長男に
「平成」から一文字取って名付けたことを話すと、
皇后さまは「健やかに成長することを願っています」と語りかけられた。
https://www.sankei.com/life/news/190121/lif1901210040-n1.html

政府が3月11日に東日本大震災8年追悼式 東京・国立劇場で
2019.1.22 12:53
政府は22日の閣議で、東日本大震災から8年となる3月11日、
東京都千代田区の国立劇場で追悼式を開くと決定した。
天皇、皇后両陛下は出席せず、秋篠宮ご夫妻や安倍晋三首相、閣僚らが参加。
地震が起きた午後2時46分に全員で黙祷(もくとう)する。
https://www.sankei.com/politics/news/190122/plt1901220011-n1.html

秋篠宮ご夫妻 新潟市を訪問 開港150年式典に出席のため
2019年1月22日 18時14分
秋篠宮ご夫妻は、23日開かれる新潟港開港150年の記念式典に出席するため新潟市を訪れ、
22日は、地元の中学校などを視察されました。
秋篠宮ご夫妻は、22日午後、新潟市を訪れ、ラムサール条約に登録されている新潟市西区の湿地、
「佐潟」の環境保全の取り組みを視察されました。
ご夫妻は、はじめに地元の赤塚中学校で中学2年生の授業をご覧になりました。
生徒たちが湿地の環境を保つための清掃活動などについて説明すると、ご夫妻は静かに耳を傾けられていました。
秋篠宮さまは「水鳥には何を餌にあげているのですか」などと質問し、
「これからも頑張ってください」と生徒たちに声をかけられたということです。
授業で発表した高橋美咲紀さんは「秋篠宮さまは優しい雰囲気で、うなずきながら聞いてもらえてうれしかったです。
佐潟を守る活動の大切さを再認識する場になりました」と話していました。
ご夫妻は、このあと、学校の近くにある環境省の施設、「佐潟水鳥・湿地センター」を視察されました。
秋篠宮ご夫妻は23日、新潟港開港150年の記念式典に出席したあと東京に戻られる予定です。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190122/k10011786911000.html

皇太子さま、最後の講義=研究生活振り返る−学習院女子大
2019年01月23日17時34分
皇太子さまは23日午後、東京都新宿区の学習院女子大で、
「史料と向き合う−40年の研究生活を振り返って−」と題し、学生を相手に講義を行われた。
皇太子さまは同大で、2003年からほぼ年1回のペースで講義を続け、今回で14回目。
冒頭、「今回でこの講義も最後になると思います」と述べた上で、
大学時代以降続けてきた水運史や古文書に関する自身の研究内容や、
史料を読み込む重要性について約1時間20分にわたり説明した。
講義の終わりには、「赤毛のアン」の主人公の「曲がり角を曲がった先に何があるかは分からない。
でもきっと一番良いものに違いない」という言葉を引用。
「皆さんも希望を持って学生生活やその後の人生を歩んでいただきたいと思います」とエールを送った。
講義は国際文化交流学部の学生と同大大学院生の計133人が聴講した。(2019/01/23-17:34)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019012301052&g=soc

秋篠宮ご夫妻、新潟開港150周年式典にご臨席
2019.1.23 12:56
新潟開港150周年を記念する式典が23日、新潟市中央区の朱鷺(とき)メッセで行われた。
式典には秋篠宮ご夫妻が出席された。
式典には国内や海外の関係者ら約560人が出席。
秋篠宮さまは、これまで新潟港が歩んできた歴史を振り返り
「開港150年が一つの契機となり、今後ともわが国の経済発展や
国際交流における重要な役割を果たしていくことを心から願っております」と話された。
また、同市の中原八一市長は「開港150周年を契機に、新たなまちづくりにつなげていきたい」と述べた。
花角英世知事は「新潟の豊かな自然や多様な地域資源、食文化を国の内外に発信する絶好の機会だ」と強調した。
https://www.sankei.com/life/news/190123/lif1901230025-n1.html

百合子さまがインフルで入院
大事をとり、1週間予定
2019/1/24 15:51
宮内庁は24日、三笠宮妃百合子さま(95)がインフルエンザA型と診断されたため、
東京都中央区の聖路加国際病院に入院されたと発表した。
宮内庁によると、症状は重くなく、入院は大事をとったもので、期間は1週間程度を予定している。
百合子さまは、22日ごろから37度台の熱が続いていた。
24日午前に同病院でインフルエンザと診断され、そのまま入院した。
昨年11月、インフルエンザの予防接種も受けていたという。
今年1月2日の新年の一般参賀に出席して以降、百合子さまの公務はなかった。
入院期間中に予定されている公務もない。
https://this.kiji.is/461040813535675489?c=39546741839462401

紀子さま キルト展示会の開会式に出席
日テレNEWS24  2019/1/24 18:36
23日、新潟県の公務から帰京した秋篠宮妃紀子さまは、24日午前、東京ドームで開かれた、
日本最大級のキルトの展示会の開会式に出席された。
長女の眞子さまとの婚約が延期となっている小室圭さんが、
22日に母親の金銭トラブルの経緯について文書を公表したことで、連日報道が続いているが、
紀子さまは、いつもと変わらない笑顔で公務にあたられていた。
開会式の後、紀子さまは展示会を鑑賞し、着物の生地で作った作品の制作者に、
「どのようなところが自分の着物ですか」などと質問しながら熱心に説明を聞き、
「濃い色が少しずつ入っていていいですね」と感想を述べられたという。
http://www.news24.jp/articles/2019/01/24/07415150.html

両陛下「ともに歩まれた60年」写真展ご鑑賞
2019.1.26 20:00
天皇、皇后両陛下は26日、東京都中央区の日本橋三越本店を訪れ、
両陛下の足跡をたどる写真展「天皇皇后両陛下 ともに歩まれた60年」を鑑賞された。
会場には、ご成婚前の写真から、被災地お見舞いや戦没者慰霊をはじめとする公務、
ご家族とのプライベートな場面など135点を展示。
天皇陛下は皇后さまに「これはいつの」と質問しながらご鑑賞。
お子さま方の子供時代の写真を見た皇后さまは「まあ、小さい」と述べられていた。
https://www.sankei.com/life/news/190126/lif1901260028-n1.html

陛下、国会開会式でお言葉 健康診断日程ずらし最後のご臨席
2019.1.28 14:28
天皇陛下は28日、4月末の譲位を控え、最後の機会となる見通しの国会開会式に臨席された。
議長席後方に設けられた椅子に座り、衆院議長の式辞を聞いた後、椅子から立ち上がり、
時折、議場を見やりながらゆっくりした口調でお言葉を読み上げられた。
陛下は国事行為として国会の召集詔書を公布しており、国会開会式への臨席はこれに関連するご公務。
前立腺がん手術を終えた直後だったため、
皇太子さまがお言葉を代読された平成15年1月以外は毎回、足を運ばれてきた。
国会開会式への臨席の際、陛下は通常は使わない皇居正門(二重橋)からご出発。
全国戦没者追悼式など限られた公務のみに使われるトヨタ・センチュリーロイヤルの
「御料車(ごりょうしゃ)」で国会へ向かわれる。
28日は当初は終日、定例の健康診断の日程が組まれていたが、一部検査を前倒しして国会ご臨席を優先させた。
「重要行事との認識のもと、大切にされてきた公務の一つ」(宮内庁幹部)だ。
国会での陛下のお言葉の骨格は昭和天皇時代と大きく変わらない。
ただ、元年2月、天皇として最初に臨んだ国会では
「幾多の苦難を乗り越え、国民の英知とたゆまない努力により、国民生活の安定と繁栄を実現し、
平和国家として国際社会に名誉ある地位を占めるに至りました」との一文を加えられた。
阪神大震災直後の7年1月には「速やかな救済と復興は現下の急務」と指摘されている。
国会開会式でのお言葉をめぐっては21年、民主党政権下の岡田克也外相(当時)が
「陛下の思いが少しは入ったお言葉がいただけるような工夫を」
「ある意味で官僚的対応」などと注文を付けたこともある。
宮内庁関係者は「政治的中立を踏まえながら、場にふさわしいお言葉を常に吟味されてきた」と話している。
https://www.sankei.com/life/news/190128/lif1901280030-n1.html

高円宮妃久子さま、2月に英国へ ケンブリッジ大に
2019/1/29 16:54
宮内庁は29日、高円宮妃久子さまが、2月13〜18日、英国を訪問されると発表した。
滞在中、卒業したケンブリッジ大ガートン・カレッジの創立150年を記念した講演に臨む。
現地時間の13日に英国入りした久子さまは、エリザベス女王の三男エドワード王子夫妻と懇談。
講演が行われる15日には、同カレッジの名誉研究員の称号が授与される。
久子さまは高円宮と結婚する前の1972〜75年、同カレッジで考古学などを学んだ。
https://this.kiji.is/462888475656029281?c=39546741839462401

天皇陛下、カタール首長と会見…環境問題話題に
2019年01月30日 21時06分
天皇陛下は30日、皇居・御所で中東カタールのタミム首長と会見された。
宮内庁によると、会見は約20分間。
タミム首長は、同じく首長を務めた父、祖父と親交があった陛下に、敬意を払っている様子だったという。
環境問題が話題になり、首長が商業発展と環境保護の両立が難しいと語ると、
陛下は「東京もかつては空気が汚染されていましたが、近年はだいぶきれいになりました。
環境は努力によって変えていくことができると実感しています」と述べられた。
首長はその後、都内のホテルで、皇太子さまとも会見した。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20190130-OYT1T50119.html

小室圭さん説明文書公表

小室圭さん説明文書公表 金銭問題「解決済みと理解」
2019.1.22 09:47
篠宮ご夫妻の長女、眞子さまとのご婚約が延期になっている小室圭(けい)さん(27)が22日、
週刊誌で報じられた母と元婚約者の男性との金銭トラブルについて、
代理人の弁護士を通じて、事情説明を行う文書を発表した。内容は以下の通り(原文のまま)。

いつも温かいご厚情を賜り、御礼を申し上げます。
私小室圭の母とその元婚約者の方との過去の関係について、一昨年からご心配をおかけしており、
たいへん申し訳ありません。これまでに多くの報道があったことについては承知しておりますし、
私がこの問題について明確なご説明を差し上げてこなかったことで
多くの方々にご迷惑をおかけする結果になってしまったことをたいへん心苦しく感じています。
元婚約者の方との関係について母に代わってご説明したいと考え、このような方法をとらせていただきました。
私の母と元婚約者の方は、平成22年9月に婚約し、結婚生活を始める準備をしていました。
母の再婚については私も嬉しく思いましたし、私自身も元婚約者の方とはとても親しくさせていただきました。
婚約期間中、元婚約者の方から金銭的な支援を受けたこともあります。
当時、母も私も元婚約者の方とは既に家族のようにお付き合いしており、ご厚意にたいへん感謝しておりました。
平成24年9月、元婚約者の方から母に対して婚約を解消したいというお申し入れがありました。
母は、突然の一方的な申し入れであり、また婚約を解消したい理由について
明確なご説明をしていただけなかったことから憔悴した様子を見せていましたが、
最終的には元婚約者の方のお気持ちは変わらないと理解し、お申し入れを受け入れました。
その際に母が婚約期間中に受けた支援については清算させていただきたいとお伝えしたところ、
元婚約者の方から「返してもらうつもりはなかった」という明確なご説明がありました。
支援や慰謝料の点を含めて金銭的な問題はすべて解決済みであることを二人は確認したのです。
実際に婚約解消後しばらくの間は、私や母が元婚約者の方から金銭の返還を求められることはありませんでした。
ところが、婚約を解消して1年ほどが経った平成25年8月ころ、
母は元婚約者の方から交際していた期間に負担した費用の返還を求めるお手紙を受け取りました。
婚約解消時の確認事項に反する突然の要求に驚いた母は、専門家に相談してアドバイスを受けるとともに、
元婚約者の方と直接お目にかかって、ご要望には応じかねることとその理由をお伝えしました。
母の話を聞いた元婚約者の方からは、私も専門家に相談して
何かあればこちらから連絡しますという反応がありましたが、連絡が入ることはありませんでした。
その後はご近所にお住まいだった元婚約者の方と自宅周辺で偶然お会いすることもありましたが、
金銭の話題が出たことはありませんでした。
私の母と元婚約者の方との過去の関係は以上のとおりです。
多くの報道において借金トラブルが残っているとされていますが、
このような経緯ですから母も私も元婚約者の方から支援については解決済みの事柄であると理解してまいりました。
そのため、平成29年12月から元婚約者の方のコメントだとされるものが連日報道される事態となり、
私も母もたいへん困惑いたしました。元婚約者の方のご意向を測りかねたからです。
報道されている問題に関する母と私の認識は以上のとおりですが、
私も母も元婚約者の方からご支援を受けたことには今も感謝しておりますので、
今後は元婚約者の方からご理解を得ることができるよう努めたいと考えております。
私は、現在、米国にて勉学に勤しむ機会をいただいております。多くの方々に日々感謝いたしております。
ご心配をいただいている方々のご納得をいただけるよう努力を重ねる覚悟でおりますので、
どうか温かく見守っていただけますと幸いでございます。
平成31年1月22日
小室圭
https://www.sankei.com/life/news/190122/lif1901220020-n1.html

金銭問題「解決済み」 小室圭さんが文書公表、説明不足を謝罪も
2019.1.22 14:09
秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまとのご婚約が延期になっている小室圭(けい)さん(27)が22日、
週刊誌で報じられた母と元婚約者の男性との金銭トラブルについて「解決済みの事柄」と主張する文書を、
代理人の弁護士を通じて公表した。小室さん側が金銭トラブルについて説明するのは初めて。
秋篠宮さまは昨年11月の誕生日会見で、トラブルを念頭に小室さん側に
「それ相応の対応をするべきだ」と求められていた。
小室さんは文書の中で「明確なご説明を差し上げてこなかったことで
多くの方々にご迷惑をおかけする結果になってしまった」と謝罪。「母に代わってご説明したい」とした。
文書によると、小室さんの母、佳代さん(52)と男性は平成22年9月に婚約。
婚約中に金銭支援を受けた。24年9月に男性から婚約解消の申し入れがあり、
佳代さんが金銭支援を清算する意向を示したが、男性は断ったという。
このため、小室さんは金銭問題について「解決済みの事柄であると理解してまいりました」としている。
一方、25年8月ごろになって男性から返済を求める手紙が届き、佳代さんは「要望には応じかねる」と回答。
男性からの連絡はその後、途絶えたが、今後は男性から理解を得られるよう努めたいとしている。
一連の問題はご婚約内定後の29年12月、週刊誌が佳代さんに約400万円の金銭トラブルがあると報じたのが発端。
宮内庁は30年2月、結婚関連儀式を32年まで延期すると発表した。
代理人の弁護士によると、小室さん側はプライバシーに関わる問題のため、
以前から一連の報道に対して事情を説明すべきか悩んでいたという。
今回、文書公表に至ったのは、昨年11月の秋篠宮さまの会見でのご発言がきっかけとなったとしている。
眞子さまも、文書公表について事前に把握されていたという。
https://www.sankei.com/life/news/190122/lif1901220044-n1.html

小室 圭さんの母親の元婚約者「解決していない」
2019年1月22日 19時58分
小室 圭さんの母親の元婚約者の男性は22日、NHKの取材に応じ、
「金銭的な問題はまだ解決していない」と述べました。
そして、小室さんが文書で、婚約解消の際に母親が返済の意向を示したものの、
男性が返してもらうつもりはないと応じなかったと説明したことについて、
「提示された月々の返済額が少なく、もう一度考えてほしいという理由で応じなかったもので、
今後も返済を求めていく考えに変わりはない」と話しています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190122/k10011787131000.html 


小室さん文書公表に「対応考えていない」 宮内庁次長
2019.1.28 14:55
宮内庁の西村泰彦次長は28日の定例会見で、
秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまとの婚約が延期になっている小室圭さん(27)が
母親と元婚約者の男性との金銭トラブルについて「解決済み」と主張する文書を公表したことに関し、
「コメントする立場になく、今後特段の対応も考えていない」と説明した。
公表文書が、秋篠宮さまが小室さん側に求めた「相応の対応」に当たるかは
「秋篠宮さまを含め関係者が判断されること」と述べるにとどめた。
https://www.sankei.com/life/news/190128/lif1901280031-n1.html

「平成」経緯の記録、公開は2044年 内閣府、手続きなく延期

「平成」経緯の記録、公開は2044年 内閣府、手続きなく延期
毎日新聞2019年1月21日 06時00分(最終更新 1月21日 08時09分)

1989年1月に元号を「平成」に改めた経緯の記録を、政府から国立公文書館へ移管する時期が、
公文書管理法で定める「1〜30年」を大幅に上回り、
約55年後の2044年3月末となっていることが毎日新聞の情報公開請求で明らかになった。
同法は「作成、取得」から1〜30年後の移管か、理由と期間を首相に報告して延長手続きを取ることを求める。
だが文書を保存する内閣府総務課は「元号事務が13年に当課に移った際、
移管資料を新たに取得した」とし、14年4月1日が起算日だと説明した。【野口武則】

公文書館に移管された文書は原則公開される。移管前は開示請求などを受け、政府機関が個別に判断する。
毎日新聞は、「平成」の選定過程に関する文書を開示請求。内閣府は官房長名の文書で「不開示」と回答した。
理由として「将来の元号考案者に不必要な予断を与え、元号選定事務の適正な遂行に支障を及ぼすおそれ」や、
「個人を識別でき、考案者がどのような案を考案したかなどが詮索され」ることなどをあげた。
文書には「平成」の考案者が記されているとみられるが、
この見解が変わらない限り、公開は公文書館への移管後の44年以降となる。

こうした運用に関し、内閣府公文書管理委員会の委員長代理を務めたこともある三宅弘弁護士は
「明らかに脱法的だ」と指摘。「『作成』は行政官が自分の権限で作ったもの。
『取得』は第三者から新たに得たものを指す。
政府内でたらい回しすれば公文書館への移管が遅れ、法の趣旨に反する」と述べた。

総務課の担当者は毎日新聞の取材に「元号事務が内閣官房副長官補室(89年当時は内閣官房内政審議室)から
内閣府総務課に移り、文書を新たに取得した」と説明した。
一方、内閣府公文書管理課は取材に文書で回答。総務課の手続きは「承知していない」としつつ、
「行政機関内の所管課変更をもって保存期間を設定し直すことは、原則、想定されない」とした。

公文書管理法は09年6月に成立し11年4月施行。「歴史的資料」として重要な公文書を公文書館に移管する。
役所側が公開制限を求める意見も付けられるが、その是非は公文書館長が判断する。
89年1月作成の文書は、本来は19年に移管対象となる。

「大正」「昭和」への改元の経緯は、公文書館が詳細な記録を保管し、
91年度から01年度までに順次公開されている。

NPO法人「情報公開クリアリングハウス」の三木由希子理事長の話 
「公文書の管理に関するガイドライン」では、組織改編に伴う文書の移管は「取得」ではなく、
「引き継ぎ」に該当するとしている。当初の所管課の保存期間で引き継がなければおかしい。
こういう処置を容認すれば、保存期間が必要以上に延びてしまう。

公文書管理法のポイント
・文書を作成、取得した時は「保存期間」を設定。重要な文書は「1〜30年間」
・保存期間満了時、歴史資料として重要な文書は国立公文書館に移管。廃棄の場合は首相の同意を得る
・職務で必要なら保存期間を延長。首相に期間と理由を報告
・公文書館に移管後の文書は、個人情報や国の安全に関する情報などを除き原則として公開
(施行令、ガイドラインの内容も含む)
https://mainichi.jp/articles/20190121/k00/00m/010/009000c



「平成」への改元文書 保存起算日を遅らせいまだ非公開
2019年1月21日 20時17分
平成の代替わりの際の手続きなどを記した行政文書について、
内閣府が、文書保存の起算日を元号が改められた当時ではなく、
内閣官房から内閣府に所管が移ったあとの2014年としていることが分かり、
菅官房長官は経緯を確認するよう事務方に指示しました。
元号を「昭和」から「平成」に改めた際の手続きなどを記した行政文書について、
元号を所管する内閣府総務課が、文書を保存する起算日を元号が改められた当時ではなく、
2014年として保存していることが分かりました。
行政文書は保存期間が原則として「1年から30年」と定められていて、
元号が改められた当時を起算日としていれば、
この文書はことしから国立公文書館に移管して、公開される可能性がありました。
担当者は、起算日を2014年とした理由について「元号に関する行政事務の所管が内閣官房から内閣府に移り、
分散していた文書をファイルとしてまとめた時点を起算日としたもので、問題はない」と説明しています。
これについて菅官房長官は記者会見で
「個別の文書や行政ファイルを作成した時点の状況をよく確認するように事務方に指示した」と述べ、
起算日を2014年とした経緯などを確認するよう指示したことを明らかにしました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190121/k10011785771000.html

御代替わり 感謝と敬愛で寿ぎたい 皇統の男系継承確かなものに

産経
【主張】御代替わり 感謝と敬愛で寿ぎたい 皇統の男系継承確かなものに
2019.1.3 05:00
天皇陛下が、皇太子殿下へ皇位を譲られる歴史的な年を迎えた。
立憲君主である天皇の譲位は、日本の国と国民にとっての重要事である。
譲位は江戸時代後期の文化14(1817)年に、
第119代の光格天皇が仁孝天皇へ譲られて以来、202年ぶりとなる。
陛下は譲位によって上皇になられるが、4月30日に位を退かれるまでは、
天皇として、宮中の祭祀(さいし)や国事行為その他のお務めを果たされる。

≪歴史と伝統踏まえよう≫
長くお務めに精励されてきた上皇への感謝の念と、新しい天皇(第126代)への敬愛と期待の念を持ちながら、
国民こぞって御代(みよ)替わりを寿(ことほ)ぎたい。
安倍晋三首相はじめ政府、宮内庁は、諸行事の準備に万遺漏(ばんいろう)なきを期してもらいたい。
新天皇の即位の式典には友好国からの賓客も多く列席する。日本のみならず世界からも祝福されることになる。
初めて譲位を目の当たりにする経験は、国民それぞれが天皇、皇室のことを改めて知り、考える貴重な機会になる。
「私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながら
その務めを行い、今日までを過ごしてきました」
天皇陛下が昨年12月、85歳の御誕生日を前に記者会見された際のお言葉である。
現憲法は第1条で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基(もとづ)く」と定めている。

天皇はなぜ、憲法の筆頭条文に記されているのか。
それは、近代憲法が定められるはるか昔、国の始まりから今に至るまで、
天皇が日本の首座にいらしたからにほかならない。
歴史と伝統の重みが「国民の総意」をうたう憲法の記述を導いている。
「国平らかに民やすかれ」と願われる天皇を、国民は敬愛の念をもって支えてきた。
天皇と国民が共に紡いできた日本の歴史を、新たな代へ引き継ぎたい。
そのためにも、天皇や皇室の行事は、歴史と伝統を損なわないような憲法、法令解釈で挙行されるべきである。
新天皇が国家国民の安寧や五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈る大嘗祭(だいじょうさい)を、
天皇の私事とみなす議論が一部にある。これは「祈り」という天皇の本質を損なう考えといえる。
大嘗祭が私事として行われたことは一度もない。
君主である天皇にとって永続性は極めて重要だ。
時代が変遷していく中で、かなう限り伝統、歴史に沿うのが正しい在り方である。
今の陛下による平成2年の大嘗祭も公的行事として行われた点を重視しなければならない。

≪2つの重要課題対応を≫
5月の改元をめぐり、政府は新元号を4月1日に閣議決定し、同日中に公表する方針を固めた。
新元号が御代替わりよりも前に発表された前例はない。
コンピューターが発達した時代に、譲位に伴う改元があるのは初めてだ。
円滑な国民生活のため、5月1日の新天皇即位より前に新元号が示されるのは望ましい。
その一方で、政府が4月1日に今の陛下に新元号を定める政令に署名していただき、
一両日中に公布する手順を想定している点は残念である。
元号は、天皇の御代を表すという根本的性格がある。
改元の政令は、これからの時代を担われる新天皇が署名されるのが自然だ。
政府が新元号を内定という形で発表し、新天皇が即位日に政令に署名、公布される段取りが本来望ましかった。
手続きを柔軟かつ迅速にすれば可能ではなかったか。

御代替わりの後には、2つの重要事に取り組むべきだ。
1つは、秋篠宮殿下の長男で皇位継承順位2位となられる悠仁さまのご教育の問題である。
未来の天皇としてふさわしいお心構えを身につけていただくよう、政府と宮内庁は対応を急いでほしい。
もう1つは、確かな皇位継承を保つことだ。
古代から現代まで、一度の例外もなく天皇の即位に貫かれてきた大原則は、男系による継承である。
「女性宮家」は皇室のご公務の担い手としてはともかく、男系を継承する手立てではない。
今も親族として皇室と交流する旧宮家の皇籍復帰などの本格的検討が迫られている。
https://www.sankei.com/column/news/190103/clm1901030001-n1.html

昭和天皇の直筆原稿見つかる

昭和天皇の直筆原稿見つかる まとまった状態で初めて
2019年1月1日04時58分
昭和天皇が晩年、御製(ぎょせい、和歌)を推敲(すいこう)する際に使ったとみられる原稿が見つかった。
近しい人が保管していた。直筆を知る歌人も本人の字だと認めた。
「宮内庁」の文字が入った罫紙(けいし)29枚、裏表57ページ。
鉛筆でつづられた歌が少なくとも252首確認できる。欄外に注釈や書き込みもある。
まとまった状態で直筆の文書が公になるのは初めて。専門家は「人柄を深くしのぶ一級の史料」としている。
保管者は匿名を希望しており、今後、研究機関など適切な場所に原稿の管理を委ねることを検討している。
朝日新聞は保管者らへの取材を重ね、1月7日で昭和天皇逝去から30年となる節目を前に、
昭和天皇の歌を研究する所功(ところいさお)・京都産業大名誉教授(日本法制文化史)に協力を求め、
共同で確認、分析した。
昭和天皇の歌の晩年の相談役で直筆を見たことのある歌人の岡野弘彦さんに筆跡と内容を、
昭和史に詳しい作家・半藤一利さんにも内容を確認、評価してもらった。
その結果、筆跡、文体、内容から29枚はすべて昭和天皇によるもので、
1985(昭和60)年ごろから病に伏す88年秋までに書かれたとの判断で一致した。
所さんの調査によると、昭和天皇の歌は宮内庁侍従職編の歌集「おほうなばら」や、
宮内庁の「昭和天皇実録」に計870首が掲載されている。
今回の原稿には、それらに掲載済みの歌の推敲段階とみられるものが41首、未掲載のものが211首含まれていた。
題材は、戦争や家族、地方訪問など多岐にわたる。

あゝ悲し戰の後思ひつゝしきにいのりをさゝげたるなり

これは昭和天皇の最後の公式行事となった88年8月15日の全国戦没者追悼式に寄せた歌で、
約310万人の国民が亡くなった先の大戦への思いが「あゝ悲し」と表現されている。
86年4月29日の85歳の誕生日にあった在位60年記念式典の際はこう詠んだ。

國民の祝ひをうけてうれしきもふりかへりみればはづかしきかな

大元帥として開戦や敗戦を宣明した昭和天皇。
60歳の時に「われかへりみて恥多きかな」、70歳では「かへりみればただおもはゆく」と歌に詠んでおり、
通底する思いがうかがえる。
原稿の欄外には「この義式は國の行事なれどこれでよきや」と記されていた。
「筆者は本人以外あり得ないだろう」
〈所功・京都産業大名誉教授の話〉
これまで側近の日記などは公表されてきたが、ご本人の直筆の原稿が公になるのは初めてで驚きだ。
まとまった状態で大切に保存されていたことは素晴らしい。筆跡は昭和天皇の署名と矛盾なく、
「きさきは皇后のこと」などの表現、記述の内容からも、筆者は本人以外あり得ないだろう。
私の知る保管者と昭和天皇の関係からも疑いようがない。
推敲段階の和歌には平和や国民、家族への深い思いが率直につづられ、人柄が改めてしのばれる。
几帳面に旧字体を使い、武骨につづられた文字にも人柄がにじみでている。
在位60年記念式典の「はづかしき」という1首からは、
国家国民のために尽くす自らの役割を自問自答しておられることが推察される。
1929年に張作霖爆殺事件を巡って田中義一首相を叱責(しっせき)し辞任に追い込んだ事件から、
立憲君主として自らの言動を律した昭和天皇は、
戦後、その抑制的な態度が「戦争を止められなかった」と批判されることになる。
還暦、古希の時の歌と合わせて考えると、国民のために務めを果たせてきたのか、
生涯にわたり深い内省の中にあったことが伝わってきて胸に迫る。
https://www.asahi.com/articles/ASLDZ538RLDZUTIL00Q.html

人柄にじむその直筆 昭和天皇、激動の半生は歌と共に
2019年1月1日06時59分
平和を願う心、旅の思い出、親しい人との別れ――。昭和天皇が晩年つづった和歌の原稿に、
激動の半生への述懐や、日々の思いが残されていた。
余白をも埋める肉筆に几帳面(きちょうめん)な人柄もにじむ。歴史研究の資料として貴重だと、専門家は指摘する。

いつのまによそぢあまりもたちにけるこのしきまでに(のうちに)やすらけき世みず

190101.jpg
1988年の終戦の日に寄せた歌=迫和義撮影

1988(昭和63)年8月15日の終戦の日に寄せ、昭和天皇はこんな歌を残していた。
所功・京都産業大名誉教授は「戦後40年余りたっても、世界では争いが絶えない状況をはかなんだ歌ではないか。
昭和天皇にとって日本と世界の平和はつながっていたように思える」とみる。
陸軍大将として日露戦争を戦い、後に学習院長を務めた乃木希典(のぎまれすけ)とのエピソードを詠んだ歌もある。
(以降有料記事)
https://www.asahi.com/articles/ASLDZ53F7LDZUTIL00R.html

「陛下の字ですね」作歌の相談役が語る逝去直前の出来事
2019年1月1日07時01分
昭和天皇が晩年、御製(ぎょせい、和歌)を推敲(すいこう)する際に使ったとみられる原稿が見つかった。
宮内庁御用掛として昭和天皇の作歌の相談役を務めた歌人、岡野弘彦さん(94)は、
今回見つかった原稿を「陛下の字ですね」と語り、昭和天皇が「生涯歌と共にあった」と振り返った。
昭和天皇は未発表のものも含めると生涯で1万首はお作りになったと思う。
ご日常の出来事をこまごまと歌に詠まれ、生涯、歌と共にあった。
作風は簡明で天皇たる独特の格調があり、今の日本人の心にも響く。
私は昭和天皇の直筆を見たことがある。お隠れ(逝去)になる数カ月前、88年秋のこと。
徳川義寛・元侍従長がやってきて、昭和天皇が終戦の際の感想として詠まれた
「爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも」を、
病床で7〜8通りに推敲(すいこう)した紙を持ってきた。
「この歌の表現を心ゆくまで整えておきたい」とのことで、
今回見つかった宮内庁の罫紙(けいし)のような紙に、直筆で記されていた。
 その中の「身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて」
が「一番よろしいと思います」と言うと、
徳川さんは「お上(天皇のこと)もこれで安心なさいます」とほっとして帰られた。
今回の原稿も陛下の字ですね。見覚えのある歌もある。一つの事柄にいく通りもの歌を詠んだり、
丁寧な注釈があることからも、一つひとつの歌を丹念につくられた跡がうかがえて、
歌が本当にお好きだったことがわかる。
ご生前は発表するものが選抜されたが、今となっては全てが貴重な作品。
昭和史の核であった方の気持ちが表現されており、誰でも読めるように整理して発表してほしい。
     ◇
〈おかの・ひろひこ〉 94歳。歌人。
宮内庁御用掛(1983〜2007)として昭和天皇や天皇家の和歌の相談役を担った。
https://www.asahi.com/articles/ASLD0562SLD0UTIL00K.html

昭和天皇の和歌直筆草稿
250首、大半が未公表
象徴や戦争への思い吐露
昭和天皇が晩年、和歌を推敲する際に使ったとみられる草稿が見つかった。
大半が未公表の歌だ。保管者から託された朝日新聞社が1日、一部を報道陣に公開した。
昭和天皇の和歌の相談役で、直筆を見たこともある歌人岡野弘彦さんは
「昭和天皇自身が書かれたもので間違いない。見覚えのある歌もある。
推敲を何度も重ねた丁寧さがにじみ出ている」と指摘した。
他の専門家も「歌の背景となった昭和天皇の思いが見て取れる。戦争や象徴への思いの一端が伝わる
貴重な史料だ」と評価している。
朝日新聞によると、草稿には、1985〜88年に詠んだ和歌が、宮内庁の罫紙29枚に表裏で57ページ分書かれている。
鉛筆で縦書きされ、題材は戦争や地方訪問など多岐にわたる。
保管していたのは昭和天皇に近い人物で匿名を希望。
分析に当たった京都産業大の所功名誉教授(日本法制文化史)によると、草稿には約250首あり、
うち約200首は未公表だった。
86年4月に催された在位60年式典の際にはこう詠んだ。
 國民の祝ひをうけてうれしきも ふりかえみればはづかしきかな
所氏は「自らを顧み『象徴としても役割を果たせているのか』との謙虚さが伝わる」と話した。
昭和天皇は戦争責任を巡り、後半生まで苦悩していたことは侍従だった故小林忍の日記で明らかになっている。
草稿を解析した歴史家の半藤一利氏はこうした事情を踏まえ「自らの来し方に悔いを感じてこられ、
それを『はづかしき』と表現したように思う」と指摘した。
最後の出席となった88年8月15日の全国戦没者追悼式に寄せた歌も、戦争に触れている。
 あゝ悲し戰の後思ひつゝ しきにいのりをさゝげたるなり
大元帥として開戦と終戦に臨んだ昭和天皇の最晩年の悲哀がにじんでいる。
87年8月に亡くなった岸信介元首相をはじめ、側近だった侍従の死去を受けて詠んだ歌もあり、
記述は余白にまで及ぶ。所氏は「昭和天皇の誠実さと細やかさが伝わってくる」としている。
昭和天皇は生涯、約1万首の和歌を詠んだとされる。所氏によると、昭和天皇時代を記録し
刊行されている「昭和天皇実録」や、歌集「おほうなばら」には計870首が掲載されている。
(和歌の表記は原文のまま)
河北新報2019年1月3日

2018年12月

愛子さま17歳に、海外研修など経験 「由莉」の世話も
島康彦2018年12月1日00時00分
皇太子ご夫妻の長女愛子さまが1日、17歳の誕生日を迎えた。現在、学習院女子高等科2年生。
宮内庁によると、夏に英国での海外研修に参加し、秋には文化祭で仲間とダンスに出場。
奈良や京都への修学旅行で文化遺産を熱心に見学するなど、充実した学校生活を送っている。
学業のほかにも、5月に皇居の養蚕の作業場を訪れて皇后さまから説明を受けたり、
10月に映画のチャリティー試写会にご夫妻と出席したり、様々な経験を重ねている。
犬の「由莉(ゆり)」や猫の「みー」「セブン」の世話をし、
学校からの帰宅後や休日には宮内庁職員とソフトボールやバレーボールを楽しむこともあるという。
1日はお住まいの東宮御所で宮内庁長官らのあいさつを受け、
夕方には天皇、皇后両陛下にあいさつするため皇居・御所を訪れる。(島康彦)
https://www.asahi.com/articles/ASLCZ431VLCZUTIL01H.html

愛子さま17歳 皇室の伝統・歴史学ばれる機会も
2018.12.1 00:00
皇太子ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さまは1日、17歳の誕生日を迎えられた。
この1年には、皇后さまから皇室に伝わるご養蚕の説明を初めてお受けに。
学習院女子高等科2年の修学旅行では、皇室にゆかりの深い神社仏閣を見学するなど、
来春の代替わりを前に、天皇家の伝統や歴史に触れる機会を持たれている。
皇太子ご夫妻とともに、皇居内の紅葉山御養蚕所を訪問されたのは5月13日。
新皇后としてご養蚕作業を引き継ぐ皇太子妃雅子さまが、
皇后さまから養蚕にまつわる儀式や作業について説明を受けられる場に同席された。
https://www.sankei.com/life/news/181201/lif1812010006-n1.html

皇太子さま、山岳会会合に
2018年12月01日17時14分
皇太子さまは1日午後、東京都内のホテルで開かれた日本山岳会の年次記念講演会に出席し、
60年前に世界で初めてパキスタン・カラコルム山脈の高峰チョゴリザの登頂に成功した
京都大学学士山岳会の平井一正さん(87)らの講演に、熱心に耳を傾けられた。
皇太子さまはこの後、同日17歳の誕生日を迎えた愛子さまの関連行事に出席するため、
いつもは参加する夕食会には出ず、会場を後にした。(2018/12/01-17:14)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018120100250&g=ryl

愛子さま、17歳の誕生日 両陛下にごあいさつ
2018.12.1 18:30
皇太子ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さまは1日夕、
天皇、皇后両陛下に17歳の誕生日を迎えたあいさつをするため、皇居・御所を訪問された。
ご夫妻は同行されなかった。
愛子さまは半蔵門を車で入る際、「おめでとうございます」と声を掛けられると、
会釈をしながら笑顔で「ありがとうございます」と応じられた。
これに先立ち、お住まいの東宮御所では、宮内庁長官や職員からの祝賀をご夫妻とともに受けられた。
https://www.sankei.com/life/news/181201/lif1812010051-n1.html

秋篠宮さま発言で宮内庁謝罪 「ご叱責」と受け止め
カテゴリ:国内2018年12月3日 月曜 午後7:10
宮内庁は、秋篠宮さまからの「叱責(しっせき)」と受け止め、謝罪した。
秋篠宮さまが、誕生日にあたっての記者会見で、天皇の代替わりにともない行われる
「大嘗祭(だいじょうさい)」への国費支出について疑問を呈されたことに対し、
宮内庁の西村次長は、3日の定例記者会見で、
「宮内庁としての考えを十分ご理解いただけなかったことは、大変申し訳ない」、
「宮内庁に対するご叱責と受け止めている」と謝罪した。
一方、皇太子ご一家と秋篠宮ご一家は3日午後、天皇皇后両陛下のお住まいの御所へと向かわれた。
新年に公開予定の写真や映像を撮影するためで、ご一家そろっての撮影は、平成最後となる。
https://www.fnn.jp/posts/00406866CX

【国立医療研究センター】創立150周年で記念式典‐兵隊仮病院から歴史振り返る
2018年12月5日 (水)
国立国際医療研究センター(NCGM)は3日、秋篠宮殿下の出席を得て、都内で創立150周年記念式典を開催した。
記念式典には秋篠宮殿下が出席し、おことばを述べたほか、根本匠厚生労働相や横倉義武日本医師会会長、
山本信夫日本薬剤師会会長などの来賓から祝辞があった。
NCGMの前身である東京陸軍病院の軍医を努めた文豪・森鴎外の功績を記念した銅像の除幕も行われた。
式典の冒頭、NCGMの國土典宏理事長があいさつし、1868年に設立された兵隊仮病院としてのスタートから、
国立研究開発法人として感染症や免疫疾患などの研究や
高度な医療を提供する現在に至るまでの取り組みを振り返った上で、
「今後も国家戦略に基づく研究開発法人としての使命を果たしていく。皆様への感謝の気持ちを伝えると共に、
さらに親しまれるセンターとなるよう努力することを誓う」と述べた。
https://www.yakuji.co.jp/entry68902.html

眞子さま、案内役に…「新浜鴨場」の外交団接待
2018年12月07日 13時25分
秋篠宮家の長女眞子さま(27)は7日、宮内庁が駐日大使ら外交団を
「新浜鴨場」(千葉県市川市)に招いた接待で案内役を務められた。
鴨場での外交団の接待は「埼玉鴨場」(埼玉県越谷市)と合わせて年に5回行われており、
眞子さまが案内役を務められるのは昨年12月以来。
スペインなどの大使が参加し、眞子さまはカモを放ち、飛び立つ様子を見つめられた。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20181207-OYT1T50049.html

【雅子さま55歳】活動の幅広げられ
2018.12.9 00:01
9日に55歳の誕生日を迎えた皇太子妃雅子さまはこの1年、
療養前以来の公務を果たすなど着実に活動の幅を広げられた。
新皇后となるのを控え、専門家から子供の貧困など関心事の話を聞かれる機会も増加。
公務が自信につながっている現状を東宮職医師団は「望ましい」と評価した。
11月9日に催された平成最後の秋の園遊会。雅子さまは負担が大きいとされる和服姿で、
療養前以来15年ぶりに全行程に参加された。
前を歩かれる天皇、皇后両陛下、皇太子さまとの距離が開くのを気にせず、
招待者一人一人に丁寧に声をかけられていた。
9月下旬、昨年の豪雨被災地見舞いのため1泊2日で福岡県を訪れ、
帰京翌日に東京都内で国際交流イベントにご臨席。
泊まりがけの地方訪問の後に外出されての公務が続いたのは「療養に入ってから初のケース」(東宮職)だった。
15年ぶりの臨席だった5月16日の全国赤十字大会では、
皇后さまが雅子さまを出席者に紹介するように並んで一礼される場面があり、
雅子さまは誕生日の感想の文書で「温かいお心遣い」と謝意を示された。
東宮職医師団は「さまざまな行事に意欲的に取り組まれた」と指摘。
一方、園遊会での負担を考慮し、直前の山形県訪問を控えられたこともあり、
「依然としてご体調には波がある。大きい行事の後や行事が続いた場合、
疲れがしばらく残り、ご体調が優れないこともある」(同医師団)。
来春以降、代替わりの儀式が続くことを見据え、同医師団は
「無理をせず、周囲の理解と支援を受けながら、治療を続けていただくことが大切」と強調した。

子供、環境…「次世代」への思いも
「健全な形で将来の世代に引き継いでいくために、私たちが何をすべきなのか」−。
雅子さまはご感想の中で、子供の貧困や難民、地球温暖化、環境問題などを
「国際社会が一致して取り組む必要のある課題」として例示し、次世代への思いもつづられた。
雅子さまは国内では貧困や虐待、国外では内戦や紛争を挙げ、社会的弱者に及ぼす影響をご憂慮。
全ての人が安心して暮らせる社会の実現のため「それぞれが真剣に考えていくことが必要な時代」とつづられた。
また、東京五輪・パラリンピックなどが
「日本と世界の交流や相互理解が深められていく機会」となることも願われた。
この1年は関係省庁幹部から環境や子供をめぐる問題について講義を受ける「ご進講」も増やされ、
前年(7回)から14回に倍増。ご夫妻で熱心に耳を傾けられた。
皇太子さまもライフワークとする「水」問題から派生した同様のテーマに言及されることが多く、
新天皇、皇后の活動の軸の一つとなりそうだ。
https://www.sankei.com/life/news/181209/lif1812090011-n1.html

雅子さま55歳「国民の幸せのために力尽くす」
2018年12月09日
皇太子妃雅子さまは9日、55歳の誕生日を迎え、文書で感想を発表された。
新皇后となる来年5月以降、皇太子さまの力になり、国民の幸せのために力を尽くせるよう、
「研鑽けんさんを積みながら努めてまいりたい」と決意をつづられた。
天皇、皇后両陛下が国民に尽くされてきたことに敬意を示し、
ご自身を「広いお心で導き、お見守り下さった」と謝意も伝えられた。
引き続き、体調の快復かいふくに努められるという。
来年即位関連行事が続くことについて、東宮職医師団は同日、
「無理をされず、治療を続けていただくことが大切」と見解を発表した。
https://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000304/20181208-OYT1T50128.html

皇太子妃殿下お誕生日に際し(平成30年)
http://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/24

皇太子妃殿下のお誕生日に際しての東宮職医師団見解
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/kohyo/d-kenkai-h301209.html

皇太子さまがビオラご演奏 学習院定期演奏会 55歳誕生日の雅子さま、愛子さまもご鑑賞
2018.12.9 15:26
太子さまは9日午後、東京・目白の学習院創立百周年記念会館で開かれた
学習院OB管弦楽団の定期演奏会に出演し、ビオラを演奏された。
この日、55歳の誕生日を迎えた皇太子妃雅子さまは2階席で、
長女の敬宮(としのみや)愛子さまは1階の客席で友人と並んでそれぞれ鑑賞し、演奏が終わると拍手を送られた。
皇太子さまは、夏と冬にある定期演奏会に毎回のように出演しており、
この日もオーケストラの一員としてメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲ホ短調を真剣な表情で演奏された。
宮内庁東宮職によると、皇太子さまは今回の演奏会のため、11月から練習に励まれていたという。
https://www.sankei.com/life/news/181209/lif1812090040-n1.html

秋篠宮ご夫妻、タイへ出発
2018年12月12日11時13分
秋篠宮ご夫妻は12日午前、タイで名誉博士号授与式などに出席するため、
東京・羽田空港からバンコクに向け出発された。
秋篠宮さまは13日、同国東北部にあるマハーサーラカーム大から生物学の名誉博士号を授与されるほか、
14日には中北部のピッサヌロークも訪問。
紀子さまは両日ともバンコクで第11回母子手帳国際会議に参加し、ご夫妻とも15日に帰国する。
(2018/12/12-11:13)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018121200290&g=soc

宮内庁で職員文化祭美術展=両陛下、皇族方の作品も
2018年12月13日10時27分
宮内庁で13日、職員や関係者の作品を展示する恒例の職員組合文化祭美術展が始まり、
天皇、皇后両陛下や皇族方も書や写真などを出品された。一般には非公開で、15日まで開催される。
会場には両陛下直筆の和歌をはじめ、皇室からの出品計24点が展示された。
カメラが趣味の皇太子さまは、東宮御所や地方で撮影した写真6点をご夫妻で出品した。

第61回宮内庁職員組合文化祭美術展に出品された天皇陛下の作品
=13日、宮内庁(代表撮影)
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第61回宮内庁職員組合文化祭美術展に出品された秋篠宮家の長男悠仁さまの作品
=13日、宮内庁(代表撮影)
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長女愛子さま(17)も、短期留学先の英国で撮影した思い出の写真を「イートンの夏」と題して出品。
秋篠宮家の長男悠仁さま(12)は、赤坂御用地内で観察したトンボを粘土細工で再現した。
(2018/12/13-10:27)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018121300208&g=soc

天皇皇后両陛下や皇族方の作品を展示 宮内庁で美術展
2018年12月13日11時26分
皇居内にある宮内庁で13日、「宮内庁職員組合文化祭美術展」(一般は非公開。15日まで)が始まった。
天皇、皇后両陛下の歌や皇族方の作品が特別出品された。
13日午前には秋篠宮家の長女眞子さま、長男悠仁さまが鑑賞に訪れた。
皇太子ご夫妻の長女愛子さまは、今夏に参加した英国研修の際に撮影した写真を出品。
皇太子さまが留学したオックスフォード大学などをカメラに収めた。
悠仁さまはお住まいの赤坂御用地で観察したトンボを紙粘土や針金などを使って作製した。
図鑑を参考にしたといい、今にも動き出しそうなリアルな出来栄えが注目を集めていた。
美術展は毎年この時期に開かれ、愛子さまが栃木・御料牧場のブタをモデルに作った
紙粘土の「ぶたちゃん」(2007年)、
悠仁さまが作製したほぼ実物大の「車両用電球信号灯の模型」(15年)などが話題になった。
https://www.asahi.com/articles/ASLDD42YWLDDUTIL018.html

秋篠宮さまに名誉博士号 タイの大学で授与式
社会
2018/12/13 17:46
【バンコク=榎本行浩】タイを訪問中の秋篠宮さまは13日、東北部のマハサラカム大を訪れ、
生物学の名誉博士号授与式に出席された。
タイでの長年にわたる淡水魚や家禽(かきん)に関する研究が評価されたことに
「私一人にではなく、両国の多くの方々の尽力を顕彰し、
両国間の親密な関係を祈念する気持ちから(の授与)だと思います」とスピーチされた。
秋篠宮さまがタイの大学から名誉学位を授与されるのは11回目。この日は養蚕やキノコの研究施設も視察された。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO38899950T11C18A2CR8000/

秋篠宮さま ナマズ研究でタイの大学から名誉博士号
2018年12月13日 17時39分皇室
秋篠宮さまは、13日、タイの国立大学でナマズなどの研究に関する名誉博士号を受けられました。
秋篠宮さまは、12日からタイを訪れていて、13日は、
東北部にある国立大学、マハーサーラカーム大学を訪問されました。
秋篠宮さまは、メコン川流域のナマズなどに関する研究が評価され、
大学から生物学の名誉博士号を贈られることになり、授与式に出席して学位記などを受け取られました。
そして、大学の関係者を前に感謝の気持ちをあらわしたうえで、
今回の授与について「協力して下さった多くの方々の尽力を顕彰し、
今後とも両国間の親密な関係を祈念するとのお気持ちからであろうことに
思いをいたしています」とあいさつされました。
また、同じ時期にタイを訪れている秋篠宮妃の紀子さまは、
13日、首都バンコクで開かれた母子手帳の普及や役割について話し合う国際会議の開会式に、
日本の「母子愛育会」の総裁として出席されました。
この中で、紀子さまは長女の眞子さまの母子手帳を紹介し、
英語で「母と子が、世界のどのような場所に住もうと、どんな状況のもとにあろうと、
適切な継続的ケアを可能にするうえで、母子手帳にはとても重要な役割があると思います」とスピーチされました。
秋篠宮さまと紀子さまは、15日帰国されます。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181213/k10011745961000.html

久子さま、日韓交流を表彰
2018年12月13日 / 18:51
高円宮妃久子さまは13日、東京・四谷にある在日韓国大使館の文化交流施設「韓国文化院」を訪れ、
名誉総裁を務める高円宮記念日韓交流基金の顕彰式典に出席された。
久子さまは「日本と韓国は、隣国として多くの価値観を共有する大切なパートナーです。
地道な草の根活動によって、日本と韓国の人々の出会いの場が広がり、
交流の絆がさらに強くなることを期待しています」とあいさつ。
交流事業に尽力した新潟県南魚沼市の中学校や韓国の民間団体などに高円宮賞が贈られた。
【共同通信】
https://jp.reuters.com/article/column-china-murky-moves-idJPKBN1OC0PL

秋篠宮さま、ニワトリ展に=民俗博物館も訪問−タイ
2018年12月14日18時00分
【ピッサヌローク(タイ北部)時事】タイを訪問中の秋篠宮さまは14日、
北部ピッサヌロークのナレスワン大学で開かれている「人とニワトリ展」を見学された。
家禽(かきん)類の研究をしている秋篠宮さまは、地元コンテストで入賞したニワトリや闘鶏の実演を視察。
大学職員の説明を受けながら、熱心にメモを取った。
これに先立ち、1989年にも訪れた地元の民俗博物館を見学。館員によると、魚のわなや牛車に興味を示したという。
案内したタウィー館長(86)は「ご訪問は言葉にできないほどうれしい」と涙ぐんだ。(2018/12/14-18:00)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018121400789&g=soc

移動“貸し切りしない” 皇太子さまが検討
皇太子さまが新天皇に即位後、国内移動の新幹線などの貸し切りをやめることも検討されていることが分かった。
来年、皇太子さまが新天皇に即位された後、国内移動の飛行機や新幹線は貸し切りとせず、
一般客を乗せることも検討されていることが関係者への取材で分かった。
これまで天皇皇后両陛下の移動では、警備上の理由などから新幹線は全車両を貸し切り、
飛行機は機体ごと貸し切りとなっていたが、費用がかかることを皇太子さまが気遣われているという。
http://www.news24.jp/articles/2018/12/15/07411851.html

秋篠宮ご夫妻タイからご帰国 名誉博士号授与式など終えられ
2018.12.15 12:40
秋篠宮ご夫妻は15日朝、私的に訪れていたタイから羽田着の民間機で帰国された。
12日からの滞在中、秋篠宮さまは、東北部のマハサラカム大からメコンオオナマズやニワトリの研究が認められ、
13日に名誉博士号の授与式に臨まれた。
14日は北部のナレスワン大で研究の一環としてニワトリの品評会を見学された。
紀子さまは、バンコクで母子手帳国際会議の開会式に出席したほか、
バンコクにある子供病院や、日本の児童書を所蔵する図書館を視察された。
http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/181215/lif18121512400014-n1.html

新天皇の移動、専用列車で=JRの要望踏まえ−宮内庁
2018年12月17日16時00分
宮内庁の西村泰彦次長は17日の定例会見で、代替わり後の新天皇、皇后両陛下の列車での移動方法について、
現在の両陛下と同様に借り上げの専用臨時列車を使う方針を明らかにした。
一般客と同じ列車にすると、負担が大きくなるとのJR側の要望を踏まえたという。
次長は、航空機での移動も現在の両陛下と同じ特別機になるとの見通しを示した。
一方、秋篠宮ご夫妻については、秋篠宮さまが皇位継承順位1位の「皇嗣」となった後も、
現在と同様に一般の旅客車が使われるという。(2018/12/17-16:00)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018121701334&g=ryl

天皇陛下、閣僚らと昼食会=皇居
天皇陛下は17日、安倍晋三首相や閣僚、副大臣らを皇居・宮殿に招き、昼食を共にされた。
年末の恒例行事で、皇太子さまも同席した。
安倍首相が招待へのお礼を述べると、陛下は「皆さんが国民のために日夜国務に
精励されてきたことを深く感謝しております」と話した。(2018/12/17-14:08)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018121701000&g=soc

新天皇、皇后は新幹線全車両貸し切りご利用
2018.12.17 16:59
宮内庁の西村泰彦次長は17日の定例会見で、
来年5月の即位後に新天皇、皇后が地方訪問で利用される新幹線について、
臨時専用列車を全車両貸し切りとすることを明らかにした。
現在の天皇、皇后両陛下と同じ対応で、西村氏は「一般の乗客への影響などJRと検討した結果」と述べた。
皇太子ご夫妻は現在、通常ダイヤの新幹線の一部車両を貸し切る形だが、
新天皇、皇后になるのに伴い、臨時列車を全車両貸し切りで使われる。
両陛下は上皇、上皇后となった後も、臨時列車を利用される。
航空機についても、新天皇、皇后、上皇、上皇后は現在の両陛下と同様、
全座席貸し切りの特別機とする方向で検討している。
一方、皇嗣、皇嗣妃となる秋篠宮ご夫妻は従来通り、新幹線、航空機ともに
随行の職員や警備関係者を含め、必要な座席分だけを確保して利用される方針。
https://www.sankei.com/life/news/181217/lif1812170034-n1.html

天皇陛下に風邪の症状
12/21(金) 21:10配信
宮内庁は、天皇陛下に風邪の症状があると発表しました。
2、3日前から喉に痛みがあり、咳(せき)もされていて、熱はないということです。
また、10月から咳などの症状が続き、「咳ぜんそく」と診断された皇后さまは、
いったん症状が落ち着いていましたが、今も日中に熱が出ているほか、
このところ、また咳が出始めてきているということです。
「咳ぜんそく」以外の可能性も考え、宮内庁病院で複数回にわたり検査を受けられていますが、
症状が長引いている原因は特定できていません。(21日18:31)
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20181221-00000068-jnn-soci

平成30年天皇誕生日

風邪の症状続く天皇陛下、儀式への出席取りやめ
2018年12月25日 11時10分
宮内庁は25日、風邪の症状が続く天皇陛下が
同日午前に皇居・宮中三殿で予定していた「大正天皇例祭の儀」への出席を取りやめられたと発表した。
この儀式は、大正天皇の命日に行われる宮中祭祀さいしで、
陛下の代わりに祭祀を担当する掌典次長が拝礼した。
同庁によると、陛下に発熱はないが、先週からせきや喉の不快感が続いている。
午後に予定されている閣議決定書類への署名や押印は行われるという。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20181225-OYT1T50069.html

両陛下、皇族方招き昼食会=皇居
天皇、皇后両陛下は27日、皇族方や元皇族、親族らを皇居・宮殿での昼食会に招き、
併せて年末のあいさつを受けられた。
皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻と長女眞子さま、次女佳子さまら約30人が出席。
皇太子ご夫妻は半蔵門から皇居に入る際、集まった人々の歓声に笑顔で手を振って応えていた。
寛仁(ともひと)親王妃信子さまは風邪気味のため欠席した。(2018/12/27-15:09)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018122702454&g=soc

皇太子ご一家、六本木にお忍びでイルミネーションを
28日 18時43分
皇太子ご一家が、東京・六本木のけやき坂をお忍びで訪れ、
車の中からイルミネーションを見て楽しまれました。
観光客や買い物を楽しむ人で賑わうけやき坂は、
およそ70万ものLED電球で装飾されていて、青と白の幻想的な光に彩られています。
皇太子さまと雅子さま、愛子さまの3人を乗せた車は、
400メートルほどの並木道をゆっくりと進み、冬の風物詩を楽しまれました。
この後、ご一家は、都内にあるイルミネーションの名所を巡り、皇居のライトアップもご覧になる予定です。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3561238.html

秋篠宮家の佳子さま24歳に 両陛下にあいさつ
2018年12月29日 11時52分 テレ朝news
秋篠宮ご夫妻の次女・佳子さまが29日、24歳の誕生日を迎えられました。
午前11時ごろ、佳子さまは天皇皇后両陛下に誕生日のあいさつをするため皇居に到着されました。
国際基督教大学4年の佳子さまは、今年6月まで約9カ月イギリス中部のリーズ大学に留学し、
心理学や舞台芸術などの勉強をされました。
帰国後は高校生のプログラミング能力を競う大会で英語であいさつをされたり、
手話パフォーマンスの開会式に出られたりするなど学業のかたわら、成年皇族として公的な行事にも出席されています。
秋篠宮さまは先月の記者会見で佳子さまの近況について卒業論文の作成に取り組み、
夜遅くまで作業をしている様子がうかがえると明かされていました。
http://news.livedoor.com/article/detail/15808462/

平成30年天皇誕生日

天皇陛下お誕生日に際し(平成30年)
http://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/25

天皇としての旅、支えられ感謝 陛下85歳 最後の会見
2018.12.23 00:00
天皇陛下は23日、85歳の誕生日を迎えられた。
これに先立ち、皇居・宮殿で記者会見に臨み、来年4月30日の譲位を前に
「天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、
私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝する」と謝意を伝えられた。
また、象徴天皇として「譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、
日々の務めを行っていきたい」と決意を示された。
今後、陛下が記者会見を行う予定はなく、今回が最後の機会となった。
陛下はこの中で、先の大戦以降の日本の復興の歩みをご回想。
苦難の道をたどった沖縄県の歴史を踏まえながら、今後も「耐え続けた犠牲に心を寄せていく」ことを誓われた。
陛下は即位した平成元年当時、国際社会が平和へ向かう希望を持っていたとしたが、
その後は「必ずしも望んだ方向には進みませんでした」との認識を示された。
こうした中、日本の平和と繁栄について「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、
心から安堵(あんど)しています」との心情を明かされた。
続いて平成の時代で「心に残る」こととして、阪神大震災や東日本大震災など
多くの犠牲者を出した自然災害を挙げ「言葉に尽くせぬ悲しみ」を覚えると述べられた。
また、普及に尽力してきた障害者スポーツの広がりを喜んだほか、
外国訪問で面会を重ねてきた日系人や、増加する訪日外国人を例に
「各国との親善友好関係が進むこと」を改めて願われた。
会見の最後では、家族への思いを吐露された。来年4月にご結婚から60年を迎える皇后さまに対しては、
公私にわたる献身的な働きに「心から労(ねぎら)いたく思います」と涙声で感謝を伝えられた。
来年5月に即位される皇太子さまと、皇嗣(こうし)となられる秋篠宮さまについては、
多くの経験を積み重ねてきているとし「皇室の伝統を引き継ぎながら、
日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います」と厚い信頼を寄せられた。
https://www.sankei.com/life/news/181223/lif1812230010-n1.html

天皇陛下「国民に感謝」85歳の誕生日で天皇として最後の会見
2018年12月23日 0時03分
天皇陛下は、23日、85歳の誕生日を迎えられました。
これを前に、天皇として最後となる記者会見に臨み「象徴としての私の立場を受け入れ、
私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝したい」と述べられました。
天皇陛下は、誕生日を前に、皇居・宮殿で記者会見に臨まれました。
来年4月の退位を前に、天皇として最後となる会見で、これまでの歩みを振り返りつつ今の心境を述べられました。
この中で天皇陛下は、象徴として歩んだ歳月や退位までの残された日々について
「即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、
今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、
日々の務めを行っていきたいと思います」と述べられました。
続いて、戦後の日本を振り返る中で沖縄の戦争や苦難の歴史に触れ
「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、
これからも変わることはありません」と話されました。
そして、時折声を震わせながら「先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、
このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、
戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。
平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と述べられました。
続いて、天皇陛下は、阪神・淡路大震災や東日本大震災など平成に起きた数多くの災害を挙げ
「多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。
ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、
防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます」と話されました。
会見の終盤、天皇陛下は、来年4月で結婚して60年になる皇后さまについて
「結婚以来、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、
私の立場と務めを支えてきてくれました」と思いを述べられました。
そして、ひときわ声を震わせながら「天皇としての旅を終えようとしている今、
私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、
自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、
皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います」と述べられました。
天皇陛下は、最後に、来年の春、新しい時代が始まるとしたうえで
「天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、
皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います」と話されました。
皇居では、23日、さまざまな祝賀行事とともに一般参賀が行われ、
天皇陛下は、皇族方とともに、午前中3回、宮殿のベランダに立ちお祝いを受けられます。

声を震わせ思いを語る
今回の記者会見は、天皇陛下の思いがこれまでにないほど強く表れたものとなりました。
天皇陛下は誕生日を前にした今月20日、皇居・宮殿の一室で会見に臨まれました。
記者の代表から退位を前にした心境や、国民に伝えたいことを尋ねられた天皇陛下。
象徴の務めとして大切にしてきた事柄を1つずつ取り上げ、
話題が沖縄の苦難の歴史や先の大戦による犠牲者に及ぶと、声を震わせながら思いを語られました。
天皇陛下は、戦後の平和と繁栄が多くの犠牲と国民の努力によって築かれてきたことを
正しく伝えていくことが大切だとする部分では、「正しく」ということばを強く述べられました。
会見の終盤、国民への感謝や、ともに歩んできた皇后さまをねぎらう気持ちを語る時には、
込み上げる思いにひときわ声を震わせられました。
これについて、両陛下の側近の1人は「その時々のさまざまな出来事が脳裏に去来し、
感じ取られたものを踏まえて、心を込めてお気持ちを話されたのだと思う。
国民に伝えるべきことを余すことなく伝えられた会見だったと思う」と話しています。

天皇陛下の歩み
昭和天皇の長男で、皇太子として生まれた天皇陛下は、
戦争が続く中で子どもの時期を過ごし、11歳で終戦を迎えられました。
戦後の復興期に青春時代を送り、大学生活を終えた翌年、
軽井沢のテニスコートで皇后・美智子さまと出会い、25歳で結婚されました。
一般の家庭からお妃が選ばれたのは初めてで、祝賀パレードに50万人を超える人たちが詰めかけるなど、
多くの国民から祝福を受けられました。皇后さまと国内外で公務に励むとともに、
3人のお子さまを手元で育て、新たな皇室像を示されました。
昭和天皇の崩御に伴い、55歳で、今の憲法のもと、初めて「象徴天皇」として即位されました。
天皇陛下は、翌年の記者会見で「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴として
現代にふさわしく天皇の務めを果たしていきたいと思っています」と述べられました。
天皇陛下は、皇后さまとともに一貫して戦争の歴史と向き合われてきました。
戦後50年を迎えた平成7年には、「慰霊の旅」に出かけ、被爆地広島と長崎、
そして沖縄を訪ねられました。先の大戦で激しい地上戦が行われ
20万人以上が犠牲になった沖縄への訪問は、合わせて11回に及びます。
戦後60年には、太平洋の激戦地サイパンを訪問されました。
天皇陛下の強い希望で実現した異例の外国訪問でした。
そして戦後70年には、悲願だったパラオのペリリュー島での慰霊も果たされました。
天皇陛下は毎年、8月15日の終戦の日に「全国戦没者追悼式」に臨み、
戦争が再び繰り返されないよう願うおことばを述べられてきました。
天皇陛下は、また、皇后さまとともに全国各地の福祉施設を訪れるなどして、
社会で弱い立場にある人たちを思いやられてきました。障害者スポーツにも強い関心を持ち、
「全国身体障害者スポーツ大会」が開かれるきっかけを作るとともに、
平成に入って皇太子ご夫妻に引き継ぐまで、大会に足を運んで選手らを励まされました。
大きな災害が相次いだ平成の時代。両陛下は被災地に心を寄せ続けられました。
始まりは平成3年。雲仙普賢岳の噴火災害で43人が犠牲になった長崎県島原市を訪れ、
体育館でひざをついて被災者にことばをかけられました。
その後も、平成7年の阪神・淡路大震災など大きな災害が起きるたび現地に出向き、
被災した人たちを見舞われてきました。
東日本大震災では、天皇陛下が異例のビデオメッセージで国民に語りかけられるとともに、
7週連続で東北3県などを回り、その後も折に触れて被災地を訪ねられました。
国民に寄り添い、世界の平和と人々の幸せを願われてきた天皇陛下。
来年4月の退位が決まったあとも、「象徴」としての務めを果たし続けられています。

世界地図をご覧になる両陛下
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天皇陛下の誕生日に合わせて、天皇皇后両陛下がお住まいの御所で世界地図をご覧になる映像が公開されました。

この世界地図は、両陛下がこれまで訪れた場所にピンで目印をつけているもので、
皇太子夫妻として訪れた都市には青色のピンが、天皇皇后として訪問された都市には赤色のピンが、
天皇陛下が皇太子として1人で訪問された都市には緑色のピンが立てられています。
天皇陛下は、これまでに58か国を訪れて国際親善などに努められてきました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181223/k10011757511000.html

【主張】天皇誕生日 平成振り返り感謝したい
2018.12.23 05:00
天皇陛下は、85歳の誕生日を迎えられた。国民と苦楽をともにし、
歩まれてきた陛下に、心からお祝いと感謝を申し上げたい。
来春の譲位を控えて、平成最後の天皇誕生日である。
陛下は、これに先立つ記者会見で「象徴としての私の立場を受け入れ、
私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝する」と述べられた。常に国民を思うお気持ちが察せられる。
陛下は平成15年に前立腺がんの手術、24年には心臓のバイパス手術を受けるなど大きな病を経験された。
ご高齢にもかかわらず、長くお務めに精励されてきた。
そのお姿に、どれだけ国民が勇気づけられたことだろう。
7年の阪神大震災、23年の東日本大震災など、大災害があれば、皇后さまとともに現地に赴き、
避難所の床に膝をつき、被災者に声をかけ励まされた。
今年も災害の多い年で、西日本豪雨や北海道地震の被災地などを訪問されている。
先の大戦戦没者の「慰霊の旅」も続けられてきた。
戦後50年の節目に広島、長崎、沖縄などを訪問された。戦後60年にはサイパン島、
戦後70年にはパラオのペリリュー島など、遠い激戦の地にも足を運ばれた。
諸外国との親善交流などで果たされてきた役割は計り知れない。
陛下の歩みとともに、平成史を改めて振り返る機会としたい。
日々のご公務などは多く、激務である。目に見える以外にも、宮中祭祀(さいし)を通じ、
国民の安寧と豊穣(ほうじょう)を祈られている。
古来、国民は「大御宝(おおみたから)」といわれる。
天皇は国民のために祈り、国民は天皇に限りない敬意と感謝の念を抱いてきた。
それが日本の歴史と国柄である。「祈り」は天皇の本質的、伝統的役割であることを国民は知っておきたい。
陛下は皇室の伝統を守りつつ、時代を踏まえて行動され、国民の支持を集めてきた。
記者会見では、ともに歩まれてきた皇后さまへの感謝も明かされた。
来年、ご結婚から60年を迎える。皇位を継がれる皇太子さまの誕生日は2月23日である。
天皇は日本国と国民統合の象徴であり、皇位が安定して続いていくことは国民の願いである。
皇室に一層の理解を深め、弥栄(いやさか)を祈りたい。
https://www.sankei.com/life/news/181223/lif1812230012-n1.html

天皇陛下、85歳…戦争なく「心から安堵」
2018年12月23日
天皇陛下は23日、85歳の誕生日を迎えられた。これに先立つ在位中最後の記者会見で
「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵あんどしている」と胸中を語り、
「天皇としての旅」を支えてくれた国民に対し「衷心より感謝」を伝えられた。
皇居・宮殿で20日、会見に臨んだ陛下は、即位以来、天皇の望ましいあり方を求めてきたといい、
退位の日まで務めを全うすると決意を述べられた。
戦後の平和と繁栄は、先の大戦の犠牲と国民の努力の上に築かれたことを
「戦後生まれの人々にも正しく伝えていくことが大切」と思われてきた。
沖縄の犠牲に今後も変わらず心を寄せられていくという。
東日本大震災や阪神大震災などの甚大な被害に「言葉に尽くせぬ悲しみ」を覚える中、
人々が助け合い、規律正しく対応する姿に心を打たれたと明かされた。
    ◇
陛下が学習院初等科時代に学んだ鈴木弘一教授(1989年死去)の記録に、
4〜6年生の時に書かれた作文・詩の題名計44点を載せたリストが含まれていることがわかった。
1943〜44年の4年生の作文・詩計20点を書き写した指導記録の詳細も判明した。
6年生のリストには、終戦翌月の45年9月に提出された「新日本の建設」の前に
「沖縄の友達へ」という文題があった。所功・京都産業大名誉教授は
「作文があれば、本土防衛の盾となった当時の沖縄を少年皇太子がどう見ていたのかわかるに違いない」とみている。
2018年12月23日
https://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000304/20181222-OYT1T50103.html

皇室の将来・平和…誕生日のおことば、直前まで熟考重ね
島康彦、緒方雄大 2018年12月23日07時01分
天皇陛下が23日、85歳の誕生日を迎えた。
在位中最後となる記者会見では、象徴として歩んだ平成時代を振り返った。
天皇陛下は即位後、誕生日を前にほぼ毎年、記者会見に応じてきた。
会見が開かれるのは、皇居・宮殿の「石橋(しゃっきょう)の間」。
獅子の能面を着けた演者が舞う、日本画家・前田青邨(せいそん)作「石橋」を背に、
天皇陛下が宮内記者会から事前に提出された質問にこたえる形式だ。
平成最初の誕生日前会見は、即位翌年の1990年だった。
宮内記者会の要望で、皇后さまと一緒に会見に臨んだ。
今後の皇室について「象徴として現代にふさわしく天皇の務めを果たしていきたい」と抱負を語った。
17問の質問にこたえた。
即位時から象徴とされた初の天皇だけに、その後も皇室のあり方への質問が続いた。
「国民の期待しているものを念頭に置きながら、常によりよいものを求めていく」(92年)、
「和の精神をもって、お互いに助け合い、国や国民のために尽くす皇室であって欲しい」(93年)。
自らの考えを率直に語ってきた。
戦争を経験した最後の天皇として平和への思いも折々に語った。
戦後50年の前年の94年は「とりわけ戦争の禍(わざわい)の激しかった土地に
思いを寄せていくつもりでいます」と言及。言葉通り、95年に長崎、広島などへの「慰霊の旅」を行った。
80歳を迎えた2013年は、これまで最も印象に残っていることに「先の戦争」を挙げ、
「前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、
若くして命を失ったことを思うと本当に痛ましい限り」と述べた。
宮内庁幹部によれば、陛下は毎年の会見を「思いや考えを直接国民に伝える場」として、大切にしてきた。
皇室行事が立て込む年末と重なり、「かなりのご負担だが、会見直前まで回答を熟考されていた」。
加齢に伴い、負担軽減のため質問数は徐々に減っていった。
14年には事前に用意した質問2問になり、記者が即興でたずねる関連質問はなくなった。
15年からは質問は1問に限られた。
そして今年、陛下は万感の思いを込め、最後の会見に臨んだ。(島康彦、緒方雄大)
https://www.asahi.com/articles/ASLDB66XTLDBUTIL077.html

「明けてくる年が明るい良い年となるよう願っています」 誕生日一般参賀で陛下
天皇陛下の85歳の誕生日を祝う一般参賀が23日、皇居で行われた。
陛下は皇后さま、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻と長女の眞子さま、佳子さまとともに
宮殿・長和殿のベランダに並んで立ち、参賀者に笑顔で手を振って応えられた。
陛下は今年、発生した災害で被災した人々を案じた上で
「明けてくる年が皆さんにとり、明るい良い年となるよう願っています。
皆さんの健康と幸せを祈ります」とあいさつをされた。
来年4月30日に譲位する陛下のお誕生日の一般参賀は、今回が最後の機会となった。
今年は多くの人出が予想されており、宮内庁は午前9時30分の予定だった開門時間を10分早めて対応した。
また今回、初めて東庭に大型スクリーンを設置した。
この日は朝から宮殿や御所で祝賀行事が続き、午前は皇太子ご夫妻ら皇族方が
陛下と皇后さまにそれぞれお祝いを述べられる。午後は安倍晋三首相ら三権の長による祝賀、
皇族や首相、国会議員らが集う祝宴、各国駐日大使らを招いての茶会などが催される。
夕方には皇太子ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さまと
秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまもお祝いを伝えに御所を訪問される。
夜は皇太子ご夫妻や秋篠宮ご夫妻、両陛下の長女、黒田清子さん夫妻が御所に集まり、夕食を共にされる。
https://www.sankei.com/life/news/181223/lif1812230025-n1.html

天皇陛下85歳、お言葉全文「今も不自由な生活を送っている人々のことを思い、深く案じています」
2018.12.23 11:01
天皇陛下が23日の誕生日の一般参賀で述べられたお言葉の全文は以下の通り。
  ◇
誕生日にあたり、大勢の皆さんからこのように祝意を受けることを誠にうれしく思います。
今年も残念なことに各地で災害が起こり、これにより家族や親しい人を失い、
あるいは被害を受け、今も不自由な生活を送っている人々のことを思い、深く案じています。
冬至が過ぎ、あとわずかで新しい年を迎えます。
明けてくる年が皆さんにとり、明るい良い年となるよう願っています。皆さんの健康と幸せを祈ります。
https://www.sankei.com/life/news/181223/lif1812230028-n1.html

天皇陛下の一般参賀に大勢の人 平成最後の誕生日
緒方雄大、多田晃子 2018年12月23日12時22分
天皇陛下の85歳の誕生日を祝う一般参賀が23日、皇居であった。
陛下は来年4月末に退位するため、誕生日の一般参賀は最後。
宮内庁によると、午前11時半時点で平成に入ってから最も多い約5万7千人が集まった。
午前10時20分ごろ、天皇陛下が皇后さま、皇太子ご夫妻、
秋篠宮ご夫妻と長女眞子さま、次女佳子さまとともに宮殿のベランダに立つと、歓声が上がった。
陛下は「大勢のみなさんからこのように祝意を受けることを誠にうれしく思います」と述べた後、
今年各地で発生した災害で家族を亡くしたり、不自由な生活を送ったりしている人々について
「深く案じています」と語った。
今回は後方からでもよく見えるように、前方に大型スクリーンが2台設置された。
宮内庁によると、陛下は数日前からのどの痛みなどの風邪の症状があり、
皇后さまも日中に熱が上がるなどの症状があるという。(緒方雄大、多田晃子)
https://www.asahi.com/articles/ASLDQ61W1LDQUTIL011.html

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一般参賀、平成最多に 悠仁さまもお忍びで
2018年12月23日 19時33分 日テレNEWS24
天皇陛下が85歳の誕生日を迎えられ、
皇居で行われた最後の誕生日一般参賀には、平成で最も多くの人が訪れた。
天皇陛下「誕生日にあたり、大勢のみなさんからこのように祝意を受けることを誠にうれしく思います。
今年も、残念なことに各地で災害が起こり、これにより家族や親しい人を失い、
あるいは、被害を受け、今も不自由な生活を送っている人々のことを思い、深く案じています。
冬至が過ぎ、あとわずかで新しい年を迎えます。明けてくる年が皆さんにとり、
明るい良い年となるよう願っています。皆さんの健康と幸せを祈ります」
皇居で行われた誕生日の一般参賀には、去年よりおよそ3万人多い8万2850人が皇居を訪れ、
平成最多を更新した。
また、秋篠宮ご夫妻の長男・悠仁さまも一回目の一般参賀にお忍びで訪れたという。
神奈川県から来た参賀者「(子どもが)平成生まれなんですけど平成最後なので。
もしかしたら覚えてないかもしれないんですけど、この天皇陛下の時に生まれたんだよって見せてあげたかったので」
また、誕生日にあたって行われた記者会見で、陛下は、
皇后さまと国民に対して声を震わせながら、感謝の気持ちを伝えられた。
天皇陛下「天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、
私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、
私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、
真心を持って果たしてきたことを、心からねぎらいたく思います」
宮内庁によると、陛下は、これが最後の記者会見になるという思いで臨まれたという。
午後には、宮殿で天皇皇后両陛下が安倍首相らおよそ500人と昼食を共にする「宴会の儀」が行われたほか、
外国大使などを招いた「茶会の儀」が行われ、陛下や皇族方は外国大使らに囲まれ、親しく懇談されていた。
http://www.news24.jp/articles/2018/12/23/07412573.html


天皇陛下の誕生日を祝う「茶会の儀」を終え、
退出される天皇、皇后両陛下=23日午後、皇居・宮殿「春秋の間」【時事通信社】
https://www.jiji.com/jc/p?id=20181223181135-0029173656
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両陛下、皇太子殿下、秋篠宮両殿下、眞子内親王殿下、佳子内親王殿下
寛仁親王妃信子様、三笠宮彬子様、三笠宮瑤子様、高円宮妃久子様、高円宮承子様

仁徳天皇陵で初の内部公開

【萌える日本史講座】仁徳天皇陵で初の内部公開 地面はふかふかだった
2018.12.17 16:00
国内最大の前方後円墳、堺市堺区の仁徳天皇陵=大山(だいせん)古墳、
墳丘長486メートル=で、宮内庁と堺市による共同発掘が行われた。
同庁が外部機関と調査するのは初めてで、墳丘を囲む堤(つつみ)から円筒埴輪(はにわ)や石敷きが出土。
埴輪の型式から築造時期が5世紀前半〜中頃の可能性が高まった。
発掘現場が報道関係者に公開されたのも初めてだった。立ち入りは墳丘本体ではなく堤の一部とはいえ、
これまでベールに包まれた天皇陵の内部をうかがい知ることができた。(小畑三秋)

■まるで森の中
「土はふかふかしている」
堤に足を踏み入れたときの第一印象だ。報道関係者への現地公開が行われたのは11月22日。
約50人が、前方部側の鳥居が設けられた「拝所」の脇を歩いて、発掘現場へ向かった。
堤は幅が30メートルほどだが、マツやカシ、クスなどが生い茂り、森の中に入ったようだった。
堤には、宮内庁職員が古墳内を見回るための幅2メートルほどの巡回路が延びていた。
この部分は下草もなく歩きやすいが、巡回路から外れた部分は枯れ葉などによる腐植土が堆積。
ふかふかした感触は、このためだった。
発掘は、墳丘を囲む2重の堤のうち内側の「第1堤」に3カ所の調査区
(幅2メートル、長さ30メートル)を設けて10月下旬から実施された。
「腐植土の下にはヘドロのような浚渫(しゅんせつ)土があり、そのすぐ下から築造当初の石敷きが検出されました」
調査をした宮内庁の徳田誠志(まさし)陵墓調査官が説明した。
江戸時代、周濠(しゅうごう)の水は農業用水として使われ、
当時の人たちが浚渫のため周濠の水を抜いて掘り出したヘドロを堤に積み上げたものという。
浚渫土からは、江戸時代ごろの陶磁器や瓦などの破片が見つかった。
腐植土は、明治以降に100年以上かけて堆積したものだった。

■枝の隙間から後円部
地表から20〜40センチ掘り下げると、約1600年前の古墳築造時の石敷きがほぼ当時の状態で残っていた。
後世に掘り返された跡もなかったという。
「古墳築造後の長い歴史のなかで、後世の人が触った感じはなかった」と徳田さん。
地元では「仁徳さん」として親しまれ、敬われてきただけに、建物を建てたり畑を耕したりすることもなく、
大切に維持されてきたことが発掘調査でも浮かび上がった。
堤は全体に木々が生い茂っていたが、前方部側の拝所一帯だけは木もなく、墳丘がよく見渡せた。
幅約300メートルの前方部が東西方向に一直線に延び、水をたたえた周濠に浮かぶ姿は、
「巨艦」を思わせる人工的な構造物そのものだった。
墳丘をはっきり見ることができたのは、拝所付近からの前方部だけ。
後円部を見ようと堤を少し移動すると、木の枝や葉に遮られ、
わずかな隙間から後円部の湾曲した姿が分かる程度だった。

■埴輪生産へ大量動員
発掘調査では、円筒埴輪の基底部が接するように据えられた状態で残っていた。
直径は35センチ程度で、上部は割れて失われていたが、本来は高さ1メートル近くあったともみられる。
堤の長さは約2・5キロあり、7千本以上が並んでいた計算になる。
円筒埴輪の一部には、基底部を意図的に割ったものもあった。
築造時、埴輪を立て並べる際に高さをそろえるため、地下に埋める部分を打ち割って調整したという。
調査担当者は「築造時に古墳に運び込んでみると、円筒埴輪の高さがまちまちだった。
そこで、円筒埴輪の列がきれいに見えるように現地で調整したんでしょう」と話す。
また、表面が白っぽい円筒埴輪の隣に茶色い埴輪も立てられていた。
埴輪の表面の色は焼く温度によって変わるため、複数の工房で作られたことが分かった。
巨大古墳築造のため、急ピッチで作業が進められた様子が埴輪からうかがえた。

■古墳の崩壊どう防ぐ
空中写真では優美で堂々とした姿を見せる仁徳天皇陵だが、大正時代の測量図の等高線を見ると、
墳丘全体が大きく崩れていることが分かる。宮内庁の平成7〜10年に行われた墳丘の測量調査でも、
至るところが大きく崩れていることが判明。
墳丘縁辺部も、周濠の水によって浸食が進んでいることが明らかになった。
今回の発掘は、墳丘や堤の崩壊を食い止めるため、保全措置を検討する基礎データを得るのが目的だった。
そのなかで、地表からわずか20センチ下に築造当初の遺構があることを確認したことに、
大きな意義があったという。
徳田さんは「保全工事をする際に作業用車両が入る場合、
その重みで遺構が壊れないよう地面に土嚢(どのう)を置いてその上に鉄板を敷くなど、
さまざまな保護措置が必要になる」と指摘。今後も堤全体の状況を把握するために数年かけて調査を行う予定だ。
全国的に注目を集めた発掘調査だったが、一般を対象にした現地説明会は行われなかった。
「皇室の祖先をおまつりする陵墓であり、尊厳と静謐(せいひつ)を保つため」(宮内庁)というのが理由だ。
仁徳天皇陵では毎年、仁徳天皇の命日に当たる2月8日に
「正辰祭(しょうしんさい)」が行われており、今も祈りの場であり続ける。
「仁徳陵をきちんとお守りするのが私たちの役目」と徳田さん。
末永く古墳の姿を保つためにも詳細な調査と有効な保全策が望まれる。
https://www.sankei.com/premium/news/181217/prm1812170002-n1.html