小室圭さん説明文書公表

小室圭さん説明文書公表 金銭問題「解決済みと理解」
2019.1.22 09:47
篠宮ご夫妻の長女、眞子さまとのご婚約が延期になっている小室圭(けい)さん(27)が22日、
週刊誌で報じられた母と元婚約者の男性との金銭トラブルについて、
代理人の弁護士を通じて、事情説明を行う文書を発表した。内容は以下の通り(原文のまま)。

いつも温かいご厚情を賜り、御礼を申し上げます。
私小室圭の母とその元婚約者の方との過去の関係について、一昨年からご心配をおかけしており、
たいへん申し訳ありません。これまでに多くの報道があったことについては承知しておりますし、
私がこの問題について明確なご説明を差し上げてこなかったことで
多くの方々にご迷惑をおかけする結果になってしまったことをたいへん心苦しく感じています。
元婚約者の方との関係について母に代わってご説明したいと考え、このような方法をとらせていただきました。
私の母と元婚約者の方は、平成22年9月に婚約し、結婚生活を始める準備をしていました。
母の再婚については私も嬉しく思いましたし、私自身も元婚約者の方とはとても親しくさせていただきました。
婚約期間中、元婚約者の方から金銭的な支援を受けたこともあります。
当時、母も私も元婚約者の方とは既に家族のようにお付き合いしており、ご厚意にたいへん感謝しておりました。
平成24年9月、元婚約者の方から母に対して婚約を解消したいというお申し入れがありました。
母は、突然の一方的な申し入れであり、また婚約を解消したい理由について
明確なご説明をしていただけなかったことから憔悴した様子を見せていましたが、
最終的には元婚約者の方のお気持ちは変わらないと理解し、お申し入れを受け入れました。
その際に母が婚約期間中に受けた支援については清算させていただきたいとお伝えしたところ、
元婚約者の方から「返してもらうつもりはなかった」という明確なご説明がありました。
支援や慰謝料の点を含めて金銭的な問題はすべて解決済みであることを二人は確認したのです。
実際に婚約解消後しばらくの間は、私や母が元婚約者の方から金銭の返還を求められることはありませんでした。
ところが、婚約を解消して1年ほどが経った平成25年8月ころ、
母は元婚約者の方から交際していた期間に負担した費用の返還を求めるお手紙を受け取りました。
婚約解消時の確認事項に反する突然の要求に驚いた母は、専門家に相談してアドバイスを受けるとともに、
元婚約者の方と直接お目にかかって、ご要望には応じかねることとその理由をお伝えしました。
母の話を聞いた元婚約者の方からは、私も専門家に相談して
何かあればこちらから連絡しますという反応がありましたが、連絡が入ることはありませんでした。
その後はご近所にお住まいだった元婚約者の方と自宅周辺で偶然お会いすることもありましたが、
金銭の話題が出たことはありませんでした。
私の母と元婚約者の方との過去の関係は以上のとおりです。
多くの報道において借金トラブルが残っているとされていますが、
このような経緯ですから母も私も元婚約者の方から支援については解決済みの事柄であると理解してまいりました。
そのため、平成29年12月から元婚約者の方のコメントだとされるものが連日報道される事態となり、
私も母もたいへん困惑いたしました。元婚約者の方のご意向を測りかねたからです。
報道されている問題に関する母と私の認識は以上のとおりですが、
私も母も元婚約者の方からご支援を受けたことには今も感謝しておりますので、
今後は元婚約者の方からご理解を得ることができるよう努めたいと考えております。
私は、現在、米国にて勉学に勤しむ機会をいただいております。多くの方々に日々感謝いたしております。
ご心配をいただいている方々のご納得をいただけるよう努力を重ねる覚悟でおりますので、
どうか温かく見守っていただけますと幸いでございます。
平成31年1月22日
小室圭
https://www.sankei.com/life/news/190122/lif1901220020-n1.html

金銭問題「解決済み」 小室圭さんが文書公表、説明不足を謝罪も
2019.1.22 14:09
秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまとのご婚約が延期になっている小室圭(けい)さん(27)が22日、
週刊誌で報じられた母と元婚約者の男性との金銭トラブルについて「解決済みの事柄」と主張する文書を、
代理人の弁護士を通じて公表した。小室さん側が金銭トラブルについて説明するのは初めて。
秋篠宮さまは昨年11月の誕生日会見で、トラブルを念頭に小室さん側に
「それ相応の対応をするべきだ」と求められていた。
小室さんは文書の中で「明確なご説明を差し上げてこなかったことで
多くの方々にご迷惑をおかけする結果になってしまった」と謝罪。「母に代わってご説明したい」とした。
文書によると、小室さんの母、佳代さん(52)と男性は平成22年9月に婚約。
婚約中に金銭支援を受けた。24年9月に男性から婚約解消の申し入れがあり、
佳代さんが金銭支援を清算する意向を示したが、男性は断ったという。
このため、小室さんは金銭問題について「解決済みの事柄であると理解してまいりました」としている。
一方、25年8月ごろになって男性から返済を求める手紙が届き、佳代さんは「要望には応じかねる」と回答。
男性からの連絡はその後、途絶えたが、今後は男性から理解を得られるよう努めたいとしている。
一連の問題はご婚約内定後の29年12月、週刊誌が佳代さんに約400万円の金銭トラブルがあると報じたのが発端。
宮内庁は30年2月、結婚関連儀式を32年まで延期すると発表した。
代理人の弁護士によると、小室さん側はプライバシーに関わる問題のため、
以前から一連の報道に対して事情を説明すべきか悩んでいたという。
今回、文書公表に至ったのは、昨年11月の秋篠宮さまの会見でのご発言がきっかけとなったとしている。
眞子さまも、文書公表について事前に把握されていたという。
https://www.sankei.com/life/news/190122/lif1901220044-n1.html

小室 圭さんの母親の元婚約者「解決していない」
2019年1月22日 19時58分
小室 圭さんの母親の元婚約者の男性は22日、NHKの取材に応じ、
「金銭的な問題はまだ解決していない」と述べました。
そして、小室さんが文書で、婚約解消の際に母親が返済の意向を示したものの、
男性が返してもらうつもりはないと応じなかったと説明したことについて、
「提示された月々の返済額が少なく、もう一度考えてほしいという理由で応じなかったもので、
今後も返済を求めていく考えに変わりはない」と話しています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190122/k10011787131000.html 


小室さん文書公表に「対応考えていない」 宮内庁次長
2019.1.28 14:55
宮内庁の西村泰彦次長は28日の定例会見で、
秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまとの婚約が延期になっている小室圭さん(27)が
母親と元婚約者の男性との金銭トラブルについて「解決済み」と主張する文書を公表したことに関し、
「コメントする立場になく、今後特段の対応も考えていない」と説明した。
公表文書が、秋篠宮さまが小室さん側に求めた「相応の対応」に当たるかは
「秋篠宮さまを含め関係者が判断されること」と述べるにとどめた。
https://www.sankei.com/life/news/190128/lif1901280031-n1.html

「平成」経緯の記録、公開は2044年 内閣府、手続きなく延期

「平成」経緯の記録、公開は2044年 内閣府、手続きなく延期
毎日新聞2019年1月21日 06時00分(最終更新 1月21日 08時09分)

1989年1月に元号を「平成」に改めた経緯の記録を、政府から国立公文書館へ移管する時期が、
公文書管理法で定める「1〜30年」を大幅に上回り、
約55年後の2044年3月末となっていることが毎日新聞の情報公開請求で明らかになった。
同法は「作成、取得」から1〜30年後の移管か、理由と期間を首相に報告して延長手続きを取ることを求める。
だが文書を保存する内閣府総務課は「元号事務が13年に当課に移った際、
移管資料を新たに取得した」とし、14年4月1日が起算日だと説明した。【野口武則】

公文書館に移管された文書は原則公開される。移管前は開示請求などを受け、政府機関が個別に判断する。
毎日新聞は、「平成」の選定過程に関する文書を開示請求。内閣府は官房長名の文書で「不開示」と回答した。
理由として「将来の元号考案者に不必要な予断を与え、元号選定事務の適正な遂行に支障を及ぼすおそれ」や、
「個人を識別でき、考案者がどのような案を考案したかなどが詮索され」ることなどをあげた。
文書には「平成」の考案者が記されているとみられるが、
この見解が変わらない限り、公開は公文書館への移管後の44年以降となる。

こうした運用に関し、内閣府公文書管理委員会の委員長代理を務めたこともある三宅弘弁護士は
「明らかに脱法的だ」と指摘。「『作成』は行政官が自分の権限で作ったもの。
『取得』は第三者から新たに得たものを指す。
政府内でたらい回しすれば公文書館への移管が遅れ、法の趣旨に反する」と述べた。

総務課の担当者は毎日新聞の取材に「元号事務が内閣官房副長官補室(89年当時は内閣官房内政審議室)から
内閣府総務課に移り、文書を新たに取得した」と説明した。
一方、内閣府公文書管理課は取材に文書で回答。総務課の手続きは「承知していない」としつつ、
「行政機関内の所管課変更をもって保存期間を設定し直すことは、原則、想定されない」とした。

公文書管理法は09年6月に成立し11年4月施行。「歴史的資料」として重要な公文書を公文書館に移管する。
役所側が公開制限を求める意見も付けられるが、その是非は公文書館長が判断する。
89年1月作成の文書は、本来は19年に移管対象となる。

「大正」「昭和」への改元の経緯は、公文書館が詳細な記録を保管し、
91年度から01年度までに順次公開されている。

NPO法人「情報公開クリアリングハウス」の三木由希子理事長の話 
「公文書の管理に関するガイドライン」では、組織改編に伴う文書の移管は「取得」ではなく、
「引き継ぎ」に該当するとしている。当初の所管課の保存期間で引き継がなければおかしい。
こういう処置を容認すれば、保存期間が必要以上に延びてしまう。

公文書管理法のポイント
・文書を作成、取得した時は「保存期間」を設定。重要な文書は「1〜30年間」
・保存期間満了時、歴史資料として重要な文書は国立公文書館に移管。廃棄の場合は首相の同意を得る
・職務で必要なら保存期間を延長。首相に期間と理由を報告
・公文書館に移管後の文書は、個人情報や国の安全に関する情報などを除き原則として公開
(施行令、ガイドラインの内容も含む)
https://mainichi.jp/articles/20190121/k00/00m/010/009000c



「平成」への改元文書 保存起算日を遅らせいまだ非公開
2019年1月21日 20時17分
平成の代替わりの際の手続きなどを記した行政文書について、
内閣府が、文書保存の起算日を元号が改められた当時ではなく、
内閣官房から内閣府に所管が移ったあとの2014年としていることが分かり、
菅官房長官は経緯を確認するよう事務方に指示しました。
元号を「昭和」から「平成」に改めた際の手続きなどを記した行政文書について、
元号を所管する内閣府総務課が、文書を保存する起算日を元号が改められた当時ではなく、
2014年として保存していることが分かりました。
行政文書は保存期間が原則として「1年から30年」と定められていて、
元号が改められた当時を起算日としていれば、
この文書はことしから国立公文書館に移管して、公開される可能性がありました。
担当者は、起算日を2014年とした理由について「元号に関する行政事務の所管が内閣官房から内閣府に移り、
分散していた文書をファイルとしてまとめた時点を起算日としたもので、問題はない」と説明しています。
これについて菅官房長官は記者会見で
「個別の文書や行政ファイルを作成した時点の状況をよく確認するように事務方に指示した」と述べ、
起算日を2014年とした経緯などを確認するよう指示したことを明らかにしました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190121/k10011785771000.html

御代替わり 感謝と敬愛で寿ぎたい 皇統の男系継承確かなものに

産経
【主張】御代替わり 感謝と敬愛で寿ぎたい 皇統の男系継承確かなものに
2019.1.3 05:00
天皇陛下が、皇太子殿下へ皇位を譲られる歴史的な年を迎えた。
立憲君主である天皇の譲位は、日本の国と国民にとっての重要事である。
譲位は江戸時代後期の文化14(1817)年に、
第119代の光格天皇が仁孝天皇へ譲られて以来、202年ぶりとなる。
陛下は譲位によって上皇になられるが、4月30日に位を退かれるまでは、
天皇として、宮中の祭祀(さいし)や国事行為その他のお務めを果たされる。

≪歴史と伝統踏まえよう≫
長くお務めに精励されてきた上皇への感謝の念と、新しい天皇(第126代)への敬愛と期待の念を持ちながら、
国民こぞって御代(みよ)替わりを寿(ことほ)ぎたい。
安倍晋三首相はじめ政府、宮内庁は、諸行事の準備に万遺漏(ばんいろう)なきを期してもらいたい。
新天皇の即位の式典には友好国からの賓客も多く列席する。日本のみならず世界からも祝福されることになる。
初めて譲位を目の当たりにする経験は、国民それぞれが天皇、皇室のことを改めて知り、考える貴重な機会になる。
「私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながら
その務めを行い、今日までを過ごしてきました」
天皇陛下が昨年12月、85歳の御誕生日を前に記者会見された際のお言葉である。
現憲法は第1条で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基(もとづ)く」と定めている。

天皇はなぜ、憲法の筆頭条文に記されているのか。
それは、近代憲法が定められるはるか昔、国の始まりから今に至るまで、
天皇が日本の首座にいらしたからにほかならない。
歴史と伝統の重みが「国民の総意」をうたう憲法の記述を導いている。
「国平らかに民やすかれ」と願われる天皇を、国民は敬愛の念をもって支えてきた。
天皇と国民が共に紡いできた日本の歴史を、新たな代へ引き継ぎたい。
そのためにも、天皇や皇室の行事は、歴史と伝統を損なわないような憲法、法令解釈で挙行されるべきである。
新天皇が国家国民の安寧や五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈る大嘗祭(だいじょうさい)を、
天皇の私事とみなす議論が一部にある。これは「祈り」という天皇の本質を損なう考えといえる。
大嘗祭が私事として行われたことは一度もない。
君主である天皇にとって永続性は極めて重要だ。
時代が変遷していく中で、かなう限り伝統、歴史に沿うのが正しい在り方である。
今の陛下による平成2年の大嘗祭も公的行事として行われた点を重視しなければならない。

≪2つの重要課題対応を≫
5月の改元をめぐり、政府は新元号を4月1日に閣議決定し、同日中に公表する方針を固めた。
新元号が御代替わりよりも前に発表された前例はない。
コンピューターが発達した時代に、譲位に伴う改元があるのは初めてだ。
円滑な国民生活のため、5月1日の新天皇即位より前に新元号が示されるのは望ましい。
その一方で、政府が4月1日に今の陛下に新元号を定める政令に署名していただき、
一両日中に公布する手順を想定している点は残念である。
元号は、天皇の御代を表すという根本的性格がある。
改元の政令は、これからの時代を担われる新天皇が署名されるのが自然だ。
政府が新元号を内定という形で発表し、新天皇が即位日に政令に署名、公布される段取りが本来望ましかった。
手続きを柔軟かつ迅速にすれば可能ではなかったか。

御代替わりの後には、2つの重要事に取り組むべきだ。
1つは、秋篠宮殿下の長男で皇位継承順位2位となられる悠仁さまのご教育の問題である。
未来の天皇としてふさわしいお心構えを身につけていただくよう、政府と宮内庁は対応を急いでほしい。
もう1つは、確かな皇位継承を保つことだ。
古代から現代まで、一度の例外もなく天皇の即位に貫かれてきた大原則は、男系による継承である。
「女性宮家」は皇室のご公務の担い手としてはともかく、男系を継承する手立てではない。
今も親族として皇室と交流する旧宮家の皇籍復帰などの本格的検討が迫られている。
https://www.sankei.com/column/news/190103/clm1901030001-n1.html

昭和天皇の直筆原稿見つかる

昭和天皇の直筆原稿見つかる まとまった状態で初めて
2019年1月1日04時58分
昭和天皇が晩年、御製(ぎょせい、和歌)を推敲(すいこう)する際に使ったとみられる原稿が見つかった。
近しい人が保管していた。直筆を知る歌人も本人の字だと認めた。
「宮内庁」の文字が入った罫紙(けいし)29枚、裏表57ページ。
鉛筆でつづられた歌が少なくとも252首確認できる。欄外に注釈や書き込みもある。
まとまった状態で直筆の文書が公になるのは初めて。専門家は「人柄を深くしのぶ一級の史料」としている。
保管者は匿名を希望しており、今後、研究機関など適切な場所に原稿の管理を委ねることを検討している。
朝日新聞は保管者らへの取材を重ね、1月7日で昭和天皇逝去から30年となる節目を前に、
昭和天皇の歌を研究する所功(ところいさお)・京都産業大名誉教授(日本法制文化史)に協力を求め、
共同で確認、分析した。
昭和天皇の歌の晩年の相談役で直筆を見たことのある歌人の岡野弘彦さんに筆跡と内容を、
昭和史に詳しい作家・半藤一利さんにも内容を確認、評価してもらった。
その結果、筆跡、文体、内容から29枚はすべて昭和天皇によるもので、
1985(昭和60)年ごろから病に伏す88年秋までに書かれたとの判断で一致した。
所さんの調査によると、昭和天皇の歌は宮内庁侍従職編の歌集「おほうなばら」や、
宮内庁の「昭和天皇実録」に計870首が掲載されている。
今回の原稿には、それらに掲載済みの歌の推敲段階とみられるものが41首、未掲載のものが211首含まれていた。
題材は、戦争や家族、地方訪問など多岐にわたる。

あゝ悲し戰の後思ひつゝしきにいのりをさゝげたるなり

これは昭和天皇の最後の公式行事となった88年8月15日の全国戦没者追悼式に寄せた歌で、
約310万人の国民が亡くなった先の大戦への思いが「あゝ悲し」と表現されている。
86年4月29日の85歳の誕生日にあった在位60年記念式典の際はこう詠んだ。

國民の祝ひをうけてうれしきもふりかへりみればはづかしきかな

大元帥として開戦や敗戦を宣明した昭和天皇。
60歳の時に「われかへりみて恥多きかな」、70歳では「かへりみればただおもはゆく」と歌に詠んでおり、
通底する思いがうかがえる。
原稿の欄外には「この義式は國の行事なれどこれでよきや」と記されていた。
「筆者は本人以外あり得ないだろう」
〈所功・京都産業大名誉教授の話〉
これまで側近の日記などは公表されてきたが、ご本人の直筆の原稿が公になるのは初めてで驚きだ。
まとまった状態で大切に保存されていたことは素晴らしい。筆跡は昭和天皇の署名と矛盾なく、
「きさきは皇后のこと」などの表現、記述の内容からも、筆者は本人以外あり得ないだろう。
私の知る保管者と昭和天皇の関係からも疑いようがない。
推敲段階の和歌には平和や国民、家族への深い思いが率直につづられ、人柄が改めてしのばれる。
几帳面に旧字体を使い、武骨につづられた文字にも人柄がにじみでている。
在位60年記念式典の「はづかしき」という1首からは、
国家国民のために尽くす自らの役割を自問自答しておられることが推察される。
1929年に張作霖爆殺事件を巡って田中義一首相を叱責(しっせき)し辞任に追い込んだ事件から、
立憲君主として自らの言動を律した昭和天皇は、
戦後、その抑制的な態度が「戦争を止められなかった」と批判されることになる。
還暦、古希の時の歌と合わせて考えると、国民のために務めを果たせてきたのか、
生涯にわたり深い内省の中にあったことが伝わってきて胸に迫る。
https://www.asahi.com/articles/ASLDZ538RLDZUTIL00Q.html

人柄にじむその直筆 昭和天皇、激動の半生は歌と共に
2019年1月1日06時59分
平和を願う心、旅の思い出、親しい人との別れ――。昭和天皇が晩年つづった和歌の原稿に、
激動の半生への述懐や、日々の思いが残されていた。
余白をも埋める肉筆に几帳面(きちょうめん)な人柄もにじむ。歴史研究の資料として貴重だと、専門家は指摘する。

いつのまによそぢあまりもたちにけるこのしきまでに(のうちに)やすらけき世みず

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1988年の終戦の日に寄せた歌=迫和義撮影

1988(昭和63)年8月15日の終戦の日に寄せ、昭和天皇はこんな歌を残していた。
所功・京都産業大名誉教授は「戦後40年余りたっても、世界では争いが絶えない状況をはかなんだ歌ではないか。
昭和天皇にとって日本と世界の平和はつながっていたように思える」とみる。
陸軍大将として日露戦争を戦い、後に学習院長を務めた乃木希典(のぎまれすけ)とのエピソードを詠んだ歌もある。
(以降有料記事)
https://www.asahi.com/articles/ASLDZ53F7LDZUTIL00R.html

「陛下の字ですね」作歌の相談役が語る逝去直前の出来事
2019年1月1日07時01分
昭和天皇が晩年、御製(ぎょせい、和歌)を推敲(すいこう)する際に使ったとみられる原稿が見つかった。
宮内庁御用掛として昭和天皇の作歌の相談役を務めた歌人、岡野弘彦さん(94)は、
今回見つかった原稿を「陛下の字ですね」と語り、昭和天皇が「生涯歌と共にあった」と振り返った。
昭和天皇は未発表のものも含めると生涯で1万首はお作りになったと思う。
ご日常の出来事をこまごまと歌に詠まれ、生涯、歌と共にあった。
作風は簡明で天皇たる独特の格調があり、今の日本人の心にも響く。
私は昭和天皇の直筆を見たことがある。お隠れ(逝去)になる数カ月前、88年秋のこと。
徳川義寛・元侍従長がやってきて、昭和天皇が終戦の際の感想として詠まれた
「爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも」を、
病床で7〜8通りに推敲(すいこう)した紙を持ってきた。
「この歌の表現を心ゆくまで整えておきたい」とのことで、
今回見つかった宮内庁の罫紙(けいし)のような紙に、直筆で記されていた。
 その中の「身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて」
が「一番よろしいと思います」と言うと、
徳川さんは「お上(天皇のこと)もこれで安心なさいます」とほっとして帰られた。
今回の原稿も陛下の字ですね。見覚えのある歌もある。一つの事柄にいく通りもの歌を詠んだり、
丁寧な注釈があることからも、一つひとつの歌を丹念につくられた跡がうかがえて、
歌が本当にお好きだったことがわかる。
ご生前は発表するものが選抜されたが、今となっては全てが貴重な作品。
昭和史の核であった方の気持ちが表現されており、誰でも読めるように整理して発表してほしい。
     ◇
〈おかの・ひろひこ〉 94歳。歌人。
宮内庁御用掛(1983〜2007)として昭和天皇や天皇家の和歌の相談役を担った。
https://www.asahi.com/articles/ASLD0562SLD0UTIL00K.html

昭和天皇の和歌直筆草稿
250首、大半が未公表
象徴や戦争への思い吐露
昭和天皇が晩年、和歌を推敲する際に使ったとみられる草稿が見つかった。
大半が未公表の歌だ。保管者から託された朝日新聞社が1日、一部を報道陣に公開した。
昭和天皇の和歌の相談役で、直筆を見たこともある歌人岡野弘彦さんは
「昭和天皇自身が書かれたもので間違いない。見覚えのある歌もある。
推敲を何度も重ねた丁寧さがにじみ出ている」と指摘した。
他の専門家も「歌の背景となった昭和天皇の思いが見て取れる。戦争や象徴への思いの一端が伝わる
貴重な史料だ」と評価している。
朝日新聞によると、草稿には、1985〜88年に詠んだ和歌が、宮内庁の罫紙29枚に表裏で57ページ分書かれている。
鉛筆で縦書きされ、題材は戦争や地方訪問など多岐にわたる。
保管していたのは昭和天皇に近い人物で匿名を希望。
分析に当たった京都産業大の所功名誉教授(日本法制文化史)によると、草稿には約250首あり、
うち約200首は未公表だった。
86年4月に催された在位60年式典の際にはこう詠んだ。
 國民の祝ひをうけてうれしきも ふりかえみればはづかしきかな
所氏は「自らを顧み『象徴としても役割を果たせているのか』との謙虚さが伝わる」と話した。
昭和天皇は戦争責任を巡り、後半生まで苦悩していたことは侍従だった故小林忍の日記で明らかになっている。
草稿を解析した歴史家の半藤一利氏はこうした事情を踏まえ「自らの来し方に悔いを感じてこられ、
それを『はづかしき』と表現したように思う」と指摘した。
最後の出席となった88年8月15日の全国戦没者追悼式に寄せた歌も、戦争に触れている。
 あゝ悲し戰の後思ひつゝ しきにいのりをさゝげたるなり
大元帥として開戦と終戦に臨んだ昭和天皇の最晩年の悲哀がにじんでいる。
87年8月に亡くなった岸信介元首相をはじめ、側近だった侍従の死去を受けて詠んだ歌もあり、
記述は余白にまで及ぶ。所氏は「昭和天皇の誠実さと細やかさが伝わってくる」としている。
昭和天皇は生涯、約1万首の和歌を詠んだとされる。所氏によると、昭和天皇時代を記録し
刊行されている「昭和天皇実録」や、歌集「おほうなばら」には計870首が掲載されている。
(和歌の表記は原文のまま)
河北新報2019年1月3日

2018年12月

愛子さま17歳に、海外研修など経験 「由莉」の世話も
島康彦2018年12月1日00時00分
皇太子ご夫妻の長女愛子さまが1日、17歳の誕生日を迎えた。現在、学習院女子高等科2年生。
宮内庁によると、夏に英国での海外研修に参加し、秋には文化祭で仲間とダンスに出場。
奈良や京都への修学旅行で文化遺産を熱心に見学するなど、充実した学校生活を送っている。
学業のほかにも、5月に皇居の養蚕の作業場を訪れて皇后さまから説明を受けたり、
10月に映画のチャリティー試写会にご夫妻と出席したり、様々な経験を重ねている。
犬の「由莉(ゆり)」や猫の「みー」「セブン」の世話をし、
学校からの帰宅後や休日には宮内庁職員とソフトボールやバレーボールを楽しむこともあるという。
1日はお住まいの東宮御所で宮内庁長官らのあいさつを受け、
夕方には天皇、皇后両陛下にあいさつするため皇居・御所を訪れる。(島康彦)
https://www.asahi.com/articles/ASLCZ431VLCZUTIL01H.html

愛子さま17歳 皇室の伝統・歴史学ばれる機会も
2018.12.1 00:00
皇太子ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さまは1日、17歳の誕生日を迎えられた。
この1年には、皇后さまから皇室に伝わるご養蚕の説明を初めてお受けに。
学習院女子高等科2年の修学旅行では、皇室にゆかりの深い神社仏閣を見学するなど、
来春の代替わりを前に、天皇家の伝統や歴史に触れる機会を持たれている。
皇太子ご夫妻とともに、皇居内の紅葉山御養蚕所を訪問されたのは5月13日。
新皇后としてご養蚕作業を引き継ぐ皇太子妃雅子さまが、
皇后さまから養蚕にまつわる儀式や作業について説明を受けられる場に同席された。
https://www.sankei.com/life/news/181201/lif1812010006-n1.html

皇太子さま、山岳会会合に
2018年12月01日17時14分
皇太子さまは1日午後、東京都内のホテルで開かれた日本山岳会の年次記念講演会に出席し、
60年前に世界で初めてパキスタン・カラコルム山脈の高峰チョゴリザの登頂に成功した
京都大学学士山岳会の平井一正さん(87)らの講演に、熱心に耳を傾けられた。
皇太子さまはこの後、同日17歳の誕生日を迎えた愛子さまの関連行事に出席するため、
いつもは参加する夕食会には出ず、会場を後にした。(2018/12/01-17:14)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018120100250&g=ryl

愛子さま、17歳の誕生日 両陛下にごあいさつ
2018.12.1 18:30
皇太子ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さまは1日夕、
天皇、皇后両陛下に17歳の誕生日を迎えたあいさつをするため、皇居・御所を訪問された。
ご夫妻は同行されなかった。
愛子さまは半蔵門を車で入る際、「おめでとうございます」と声を掛けられると、
会釈をしながら笑顔で「ありがとうございます」と応じられた。
これに先立ち、お住まいの東宮御所では、宮内庁長官や職員からの祝賀をご夫妻とともに受けられた。
https://www.sankei.com/life/news/181201/lif1812010051-n1.html

秋篠宮さま発言で宮内庁謝罪 「ご叱責」と受け止め
カテゴリ:国内2018年12月3日 月曜 午後7:10
宮内庁は、秋篠宮さまからの「叱責(しっせき)」と受け止め、謝罪した。
秋篠宮さまが、誕生日にあたっての記者会見で、天皇の代替わりにともない行われる
「大嘗祭(だいじょうさい)」への国費支出について疑問を呈されたことに対し、
宮内庁の西村次長は、3日の定例記者会見で、
「宮内庁としての考えを十分ご理解いただけなかったことは、大変申し訳ない」、
「宮内庁に対するご叱責と受け止めている」と謝罪した。
一方、皇太子ご一家と秋篠宮ご一家は3日午後、天皇皇后両陛下のお住まいの御所へと向かわれた。
新年に公開予定の写真や映像を撮影するためで、ご一家そろっての撮影は、平成最後となる。
https://www.fnn.jp/posts/00406866CX

【国立医療研究センター】創立150周年で記念式典‐兵隊仮病院から歴史振り返る
2018年12月5日 (水)
国立国際医療研究センター(NCGM)は3日、秋篠宮殿下の出席を得て、都内で創立150周年記念式典を開催した。
記念式典には秋篠宮殿下が出席し、おことばを述べたほか、根本匠厚生労働相や横倉義武日本医師会会長、
山本信夫日本薬剤師会会長などの来賓から祝辞があった。
NCGMの前身である東京陸軍病院の軍医を努めた文豪・森鴎外の功績を記念した銅像の除幕も行われた。
式典の冒頭、NCGMの國土典宏理事長があいさつし、1868年に設立された兵隊仮病院としてのスタートから、
国立研究開発法人として感染症や免疫疾患などの研究や
高度な医療を提供する現在に至るまでの取り組みを振り返った上で、
「今後も国家戦略に基づく研究開発法人としての使命を果たしていく。皆様への感謝の気持ちを伝えると共に、
さらに親しまれるセンターとなるよう努力することを誓う」と述べた。
https://www.yakuji.co.jp/entry68902.html

眞子さま、案内役に…「新浜鴨場」の外交団接待
2018年12月07日 13時25分
秋篠宮家の長女眞子さま(27)は7日、宮内庁が駐日大使ら外交団を
「新浜鴨場」(千葉県市川市)に招いた接待で案内役を務められた。
鴨場での外交団の接待は「埼玉鴨場」(埼玉県越谷市)と合わせて年に5回行われており、
眞子さまが案内役を務められるのは昨年12月以来。
スペインなどの大使が参加し、眞子さまはカモを放ち、飛び立つ様子を見つめられた。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20181207-OYT1T50049.html

【雅子さま55歳】活動の幅広げられ
2018.12.9 00:01
9日に55歳の誕生日を迎えた皇太子妃雅子さまはこの1年、
療養前以来の公務を果たすなど着実に活動の幅を広げられた。
新皇后となるのを控え、専門家から子供の貧困など関心事の話を聞かれる機会も増加。
公務が自信につながっている現状を東宮職医師団は「望ましい」と評価した。
11月9日に催された平成最後の秋の園遊会。雅子さまは負担が大きいとされる和服姿で、
療養前以来15年ぶりに全行程に参加された。
前を歩かれる天皇、皇后両陛下、皇太子さまとの距離が開くのを気にせず、
招待者一人一人に丁寧に声をかけられていた。
9月下旬、昨年の豪雨被災地見舞いのため1泊2日で福岡県を訪れ、
帰京翌日に東京都内で国際交流イベントにご臨席。
泊まりがけの地方訪問の後に外出されての公務が続いたのは「療養に入ってから初のケース」(東宮職)だった。
15年ぶりの臨席だった5月16日の全国赤十字大会では、
皇后さまが雅子さまを出席者に紹介するように並んで一礼される場面があり、
雅子さまは誕生日の感想の文書で「温かいお心遣い」と謝意を示された。
東宮職医師団は「さまざまな行事に意欲的に取り組まれた」と指摘。
一方、園遊会での負担を考慮し、直前の山形県訪問を控えられたこともあり、
「依然としてご体調には波がある。大きい行事の後や行事が続いた場合、
疲れがしばらく残り、ご体調が優れないこともある」(同医師団)。
来春以降、代替わりの儀式が続くことを見据え、同医師団は
「無理をせず、周囲の理解と支援を受けながら、治療を続けていただくことが大切」と強調した。

子供、環境…「次世代」への思いも
「健全な形で将来の世代に引き継いでいくために、私たちが何をすべきなのか」−。
雅子さまはご感想の中で、子供の貧困や難民、地球温暖化、環境問題などを
「国際社会が一致して取り組む必要のある課題」として例示し、次世代への思いもつづられた。
雅子さまは国内では貧困や虐待、国外では内戦や紛争を挙げ、社会的弱者に及ぼす影響をご憂慮。
全ての人が安心して暮らせる社会の実現のため「それぞれが真剣に考えていくことが必要な時代」とつづられた。
また、東京五輪・パラリンピックなどが
「日本と世界の交流や相互理解が深められていく機会」となることも願われた。
この1年は関係省庁幹部から環境や子供をめぐる問題について講義を受ける「ご進講」も増やされ、
前年(7回)から14回に倍増。ご夫妻で熱心に耳を傾けられた。
皇太子さまもライフワークとする「水」問題から派生した同様のテーマに言及されることが多く、
新天皇、皇后の活動の軸の一つとなりそうだ。
https://www.sankei.com/life/news/181209/lif1812090011-n1.html

雅子さま55歳「国民の幸せのために力尽くす」
2018年12月09日
皇太子妃雅子さまは9日、55歳の誕生日を迎え、文書で感想を発表された。
新皇后となる来年5月以降、皇太子さまの力になり、国民の幸せのために力を尽くせるよう、
「研鑽けんさんを積みながら努めてまいりたい」と決意をつづられた。
天皇、皇后両陛下が国民に尽くされてきたことに敬意を示し、
ご自身を「広いお心で導き、お見守り下さった」と謝意も伝えられた。
引き続き、体調の快復かいふくに努められるという。
来年即位関連行事が続くことについて、東宮職医師団は同日、
「無理をされず、治療を続けていただくことが大切」と見解を発表した。
https://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000304/20181208-OYT1T50128.html

皇太子妃殿下お誕生日に際し(平成30年)
http://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/24

皇太子妃殿下のお誕生日に際しての東宮職医師団見解
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/kohyo/d-kenkai-h301209.html

皇太子さまがビオラご演奏 学習院定期演奏会 55歳誕生日の雅子さま、愛子さまもご鑑賞
2018.12.9 15:26
太子さまは9日午後、東京・目白の学習院創立百周年記念会館で開かれた
学習院OB管弦楽団の定期演奏会に出演し、ビオラを演奏された。
この日、55歳の誕生日を迎えた皇太子妃雅子さまは2階席で、
長女の敬宮(としのみや)愛子さまは1階の客席で友人と並んでそれぞれ鑑賞し、演奏が終わると拍手を送られた。
皇太子さまは、夏と冬にある定期演奏会に毎回のように出演しており、
この日もオーケストラの一員としてメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲ホ短調を真剣な表情で演奏された。
宮内庁東宮職によると、皇太子さまは今回の演奏会のため、11月から練習に励まれていたという。
https://www.sankei.com/life/news/181209/lif1812090040-n1.html

秋篠宮ご夫妻、タイへ出発
2018年12月12日11時13分
秋篠宮ご夫妻は12日午前、タイで名誉博士号授与式などに出席するため、
東京・羽田空港からバンコクに向け出発された。
秋篠宮さまは13日、同国東北部にあるマハーサーラカーム大から生物学の名誉博士号を授与されるほか、
14日には中北部のピッサヌロークも訪問。
紀子さまは両日ともバンコクで第11回母子手帳国際会議に参加し、ご夫妻とも15日に帰国する。
(2018/12/12-11:13)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018121200290&g=soc

宮内庁で職員文化祭美術展=両陛下、皇族方の作品も
2018年12月13日10時27分
宮内庁で13日、職員や関係者の作品を展示する恒例の職員組合文化祭美術展が始まり、
天皇、皇后両陛下や皇族方も書や写真などを出品された。一般には非公開で、15日まで開催される。
会場には両陛下直筆の和歌をはじめ、皇室からの出品計24点が展示された。
カメラが趣味の皇太子さまは、東宮御所や地方で撮影した写真6点をご夫妻で出品した。

第61回宮内庁職員組合文化祭美術展に出品された天皇陛下の作品
=13日、宮内庁(代表撮影)
20181213at17_p.jpg

第61回宮内庁職員組合文化祭美術展に出品された秋篠宮家の長男悠仁さまの作品
=13日、宮内庁(代表撮影)
20181213at18_p.jpg

長女愛子さま(17)も、短期留学先の英国で撮影した思い出の写真を「イートンの夏」と題して出品。
秋篠宮家の長男悠仁さま(12)は、赤坂御用地内で観察したトンボを粘土細工で再現した。
(2018/12/13-10:27)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018121300208&g=soc

天皇皇后両陛下や皇族方の作品を展示 宮内庁で美術展
2018年12月13日11時26分
皇居内にある宮内庁で13日、「宮内庁職員組合文化祭美術展」(一般は非公開。15日まで)が始まった。
天皇、皇后両陛下の歌や皇族方の作品が特別出品された。
13日午前には秋篠宮家の長女眞子さま、長男悠仁さまが鑑賞に訪れた。
皇太子ご夫妻の長女愛子さまは、今夏に参加した英国研修の際に撮影した写真を出品。
皇太子さまが留学したオックスフォード大学などをカメラに収めた。
悠仁さまはお住まいの赤坂御用地で観察したトンボを紙粘土や針金などを使って作製した。
図鑑を参考にしたといい、今にも動き出しそうなリアルな出来栄えが注目を集めていた。
美術展は毎年この時期に開かれ、愛子さまが栃木・御料牧場のブタをモデルに作った
紙粘土の「ぶたちゃん」(2007年)、
悠仁さまが作製したほぼ実物大の「車両用電球信号灯の模型」(15年)などが話題になった。
https://www.asahi.com/articles/ASLDD42YWLDDUTIL018.html

秋篠宮さまに名誉博士号 タイの大学で授与式
社会
2018/12/13 17:46
【バンコク=榎本行浩】タイを訪問中の秋篠宮さまは13日、東北部のマハサラカム大を訪れ、
生物学の名誉博士号授与式に出席された。
タイでの長年にわたる淡水魚や家禽(かきん)に関する研究が評価されたことに
「私一人にではなく、両国の多くの方々の尽力を顕彰し、
両国間の親密な関係を祈念する気持ちから(の授与)だと思います」とスピーチされた。
秋篠宮さまがタイの大学から名誉学位を授与されるのは11回目。この日は養蚕やキノコの研究施設も視察された。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO38899950T11C18A2CR8000/

秋篠宮さま ナマズ研究でタイの大学から名誉博士号
2018年12月13日 17時39分皇室
秋篠宮さまは、13日、タイの国立大学でナマズなどの研究に関する名誉博士号を受けられました。
秋篠宮さまは、12日からタイを訪れていて、13日は、
東北部にある国立大学、マハーサーラカーム大学を訪問されました。
秋篠宮さまは、メコン川流域のナマズなどに関する研究が評価され、
大学から生物学の名誉博士号を贈られることになり、授与式に出席して学位記などを受け取られました。
そして、大学の関係者を前に感謝の気持ちをあらわしたうえで、
今回の授与について「協力して下さった多くの方々の尽力を顕彰し、
今後とも両国間の親密な関係を祈念するとのお気持ちからであろうことに
思いをいたしています」とあいさつされました。
また、同じ時期にタイを訪れている秋篠宮妃の紀子さまは、
13日、首都バンコクで開かれた母子手帳の普及や役割について話し合う国際会議の開会式に、
日本の「母子愛育会」の総裁として出席されました。
この中で、紀子さまは長女の眞子さまの母子手帳を紹介し、
英語で「母と子が、世界のどのような場所に住もうと、どんな状況のもとにあろうと、
適切な継続的ケアを可能にするうえで、母子手帳にはとても重要な役割があると思います」とスピーチされました。
秋篠宮さまと紀子さまは、15日帰国されます。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181213/k10011745961000.html

久子さま、日韓交流を表彰
2018年12月13日 / 18:51
高円宮妃久子さまは13日、東京・四谷にある在日韓国大使館の文化交流施設「韓国文化院」を訪れ、
名誉総裁を務める高円宮記念日韓交流基金の顕彰式典に出席された。
久子さまは「日本と韓国は、隣国として多くの価値観を共有する大切なパートナーです。
地道な草の根活動によって、日本と韓国の人々の出会いの場が広がり、
交流の絆がさらに強くなることを期待しています」とあいさつ。
交流事業に尽力した新潟県南魚沼市の中学校や韓国の民間団体などに高円宮賞が贈られた。
【共同通信】
https://jp.reuters.com/article/column-china-murky-moves-idJPKBN1OC0PL

秋篠宮さま、ニワトリ展に=民俗博物館も訪問−タイ
2018年12月14日18時00分
【ピッサヌローク(タイ北部)時事】タイを訪問中の秋篠宮さまは14日、
北部ピッサヌロークのナレスワン大学で開かれている「人とニワトリ展」を見学された。
家禽(かきん)類の研究をしている秋篠宮さまは、地元コンテストで入賞したニワトリや闘鶏の実演を視察。
大学職員の説明を受けながら、熱心にメモを取った。
これに先立ち、1989年にも訪れた地元の民俗博物館を見学。館員によると、魚のわなや牛車に興味を示したという。
案内したタウィー館長(86)は「ご訪問は言葉にできないほどうれしい」と涙ぐんだ。(2018/12/14-18:00)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018121400789&g=soc

移動“貸し切りしない” 皇太子さまが検討
皇太子さまが新天皇に即位後、国内移動の新幹線などの貸し切りをやめることも検討されていることが分かった。
来年、皇太子さまが新天皇に即位された後、国内移動の飛行機や新幹線は貸し切りとせず、
一般客を乗せることも検討されていることが関係者への取材で分かった。
これまで天皇皇后両陛下の移動では、警備上の理由などから新幹線は全車両を貸し切り、
飛行機は機体ごと貸し切りとなっていたが、費用がかかることを皇太子さまが気遣われているという。
http://www.news24.jp/articles/2018/12/15/07411851.html

秋篠宮ご夫妻タイからご帰国 名誉博士号授与式など終えられ
2018.12.15 12:40
秋篠宮ご夫妻は15日朝、私的に訪れていたタイから羽田着の民間機で帰国された。
12日からの滞在中、秋篠宮さまは、東北部のマハサラカム大からメコンオオナマズやニワトリの研究が認められ、
13日に名誉博士号の授与式に臨まれた。
14日は北部のナレスワン大で研究の一環としてニワトリの品評会を見学された。
紀子さまは、バンコクで母子手帳国際会議の開会式に出席したほか、
バンコクにある子供病院や、日本の児童書を所蔵する図書館を視察された。
http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/181215/lif18121512400014-n1.html

新天皇の移動、専用列車で=JRの要望踏まえ−宮内庁
2018年12月17日16時00分
宮内庁の西村泰彦次長は17日の定例会見で、代替わり後の新天皇、皇后両陛下の列車での移動方法について、
現在の両陛下と同様に借り上げの専用臨時列車を使う方針を明らかにした。
一般客と同じ列車にすると、負担が大きくなるとのJR側の要望を踏まえたという。
次長は、航空機での移動も現在の両陛下と同じ特別機になるとの見通しを示した。
一方、秋篠宮ご夫妻については、秋篠宮さまが皇位継承順位1位の「皇嗣」となった後も、
現在と同様に一般の旅客車が使われるという。(2018/12/17-16:00)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018121701334&g=ryl

天皇陛下、閣僚らと昼食会=皇居
天皇陛下は17日、安倍晋三首相や閣僚、副大臣らを皇居・宮殿に招き、昼食を共にされた。
年末の恒例行事で、皇太子さまも同席した。
安倍首相が招待へのお礼を述べると、陛下は「皆さんが国民のために日夜国務に
精励されてきたことを深く感謝しております」と話した。(2018/12/17-14:08)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018121701000&g=soc

新天皇、皇后は新幹線全車両貸し切りご利用
2018.12.17 16:59
宮内庁の西村泰彦次長は17日の定例会見で、
来年5月の即位後に新天皇、皇后が地方訪問で利用される新幹線について、
臨時専用列車を全車両貸し切りとすることを明らかにした。
現在の天皇、皇后両陛下と同じ対応で、西村氏は「一般の乗客への影響などJRと検討した結果」と述べた。
皇太子ご夫妻は現在、通常ダイヤの新幹線の一部車両を貸し切る形だが、
新天皇、皇后になるのに伴い、臨時列車を全車両貸し切りで使われる。
両陛下は上皇、上皇后となった後も、臨時列車を利用される。
航空機についても、新天皇、皇后、上皇、上皇后は現在の両陛下と同様、
全座席貸し切りの特別機とする方向で検討している。
一方、皇嗣、皇嗣妃となる秋篠宮ご夫妻は従来通り、新幹線、航空機ともに
随行の職員や警備関係者を含め、必要な座席分だけを確保して利用される方針。
https://www.sankei.com/life/news/181217/lif1812170034-n1.html

天皇陛下に風邪の症状
12/21(金) 21:10配信
宮内庁は、天皇陛下に風邪の症状があると発表しました。
2、3日前から喉に痛みがあり、咳(せき)もされていて、熱はないということです。
また、10月から咳などの症状が続き、「咳ぜんそく」と診断された皇后さまは、
いったん症状が落ち着いていましたが、今も日中に熱が出ているほか、
このところ、また咳が出始めてきているということです。
「咳ぜんそく」以外の可能性も考え、宮内庁病院で複数回にわたり検査を受けられていますが、
症状が長引いている原因は特定できていません。(21日18:31)
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20181221-00000068-jnn-soci

平成30年天皇誕生日

風邪の症状続く天皇陛下、儀式への出席取りやめ
2018年12月25日 11時10分
宮内庁は25日、風邪の症状が続く天皇陛下が
同日午前に皇居・宮中三殿で予定していた「大正天皇例祭の儀」への出席を取りやめられたと発表した。
この儀式は、大正天皇の命日に行われる宮中祭祀さいしで、
陛下の代わりに祭祀を担当する掌典次長が拝礼した。
同庁によると、陛下に発熱はないが、先週からせきや喉の不快感が続いている。
午後に予定されている閣議決定書類への署名や押印は行われるという。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20181225-OYT1T50069.html

両陛下、皇族方招き昼食会=皇居
天皇、皇后両陛下は27日、皇族方や元皇族、親族らを皇居・宮殿での昼食会に招き、
併せて年末のあいさつを受けられた。
皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻と長女眞子さま、次女佳子さまら約30人が出席。
皇太子ご夫妻は半蔵門から皇居に入る際、集まった人々の歓声に笑顔で手を振って応えていた。
寛仁(ともひと)親王妃信子さまは風邪気味のため欠席した。(2018/12/27-15:09)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018122702454&g=soc

皇太子ご一家、六本木にお忍びでイルミネーションを
28日 18時43分
皇太子ご一家が、東京・六本木のけやき坂をお忍びで訪れ、
車の中からイルミネーションを見て楽しまれました。
観光客や買い物を楽しむ人で賑わうけやき坂は、
およそ70万ものLED電球で装飾されていて、青と白の幻想的な光に彩られています。
皇太子さまと雅子さま、愛子さまの3人を乗せた車は、
400メートルほどの並木道をゆっくりと進み、冬の風物詩を楽しまれました。
この後、ご一家は、都内にあるイルミネーションの名所を巡り、皇居のライトアップもご覧になる予定です。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3561238.html

秋篠宮家の佳子さま24歳に 両陛下にあいさつ
2018年12月29日 11時52分 テレ朝news
秋篠宮ご夫妻の次女・佳子さまが29日、24歳の誕生日を迎えられました。
午前11時ごろ、佳子さまは天皇皇后両陛下に誕生日のあいさつをするため皇居に到着されました。
国際基督教大学4年の佳子さまは、今年6月まで約9カ月イギリス中部のリーズ大学に留学し、
心理学や舞台芸術などの勉強をされました。
帰国後は高校生のプログラミング能力を競う大会で英語であいさつをされたり、
手話パフォーマンスの開会式に出られたりするなど学業のかたわら、成年皇族として公的な行事にも出席されています。
秋篠宮さまは先月の記者会見で佳子さまの近況について卒業論文の作成に取り組み、
夜遅くまで作業をしている様子がうかがえると明かされていました。
http://news.livedoor.com/article/detail/15808462/

平成30年天皇誕生日

天皇陛下お誕生日に際し(平成30年)
http://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/25

天皇としての旅、支えられ感謝 陛下85歳 最後の会見
2018.12.23 00:00
天皇陛下は23日、85歳の誕生日を迎えられた。
これに先立ち、皇居・宮殿で記者会見に臨み、来年4月30日の譲位を前に
「天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、
私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝する」と謝意を伝えられた。
また、象徴天皇として「譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、
日々の務めを行っていきたい」と決意を示された。
今後、陛下が記者会見を行う予定はなく、今回が最後の機会となった。
陛下はこの中で、先の大戦以降の日本の復興の歩みをご回想。
苦難の道をたどった沖縄県の歴史を踏まえながら、今後も「耐え続けた犠牲に心を寄せていく」ことを誓われた。
陛下は即位した平成元年当時、国際社会が平和へ向かう希望を持っていたとしたが、
その後は「必ずしも望んだ方向には進みませんでした」との認識を示された。
こうした中、日本の平和と繁栄について「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、
心から安堵(あんど)しています」との心情を明かされた。
続いて平成の時代で「心に残る」こととして、阪神大震災や東日本大震災など
多くの犠牲者を出した自然災害を挙げ「言葉に尽くせぬ悲しみ」を覚えると述べられた。
また、普及に尽力してきた障害者スポーツの広がりを喜んだほか、
外国訪問で面会を重ねてきた日系人や、増加する訪日外国人を例に
「各国との親善友好関係が進むこと」を改めて願われた。
会見の最後では、家族への思いを吐露された。来年4月にご結婚から60年を迎える皇后さまに対しては、
公私にわたる献身的な働きに「心から労(ねぎら)いたく思います」と涙声で感謝を伝えられた。
来年5月に即位される皇太子さまと、皇嗣(こうし)となられる秋篠宮さまについては、
多くの経験を積み重ねてきているとし「皇室の伝統を引き継ぎながら、
日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います」と厚い信頼を寄せられた。
https://www.sankei.com/life/news/181223/lif1812230010-n1.html

天皇陛下「国民に感謝」85歳の誕生日で天皇として最後の会見
2018年12月23日 0時03分
天皇陛下は、23日、85歳の誕生日を迎えられました。
これを前に、天皇として最後となる記者会見に臨み「象徴としての私の立場を受け入れ、
私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝したい」と述べられました。
天皇陛下は、誕生日を前に、皇居・宮殿で記者会見に臨まれました。
来年4月の退位を前に、天皇として最後となる会見で、これまでの歩みを振り返りつつ今の心境を述べられました。
この中で天皇陛下は、象徴として歩んだ歳月や退位までの残された日々について
「即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、
今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、
日々の務めを行っていきたいと思います」と述べられました。
続いて、戦後の日本を振り返る中で沖縄の戦争や苦難の歴史に触れ
「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、
これからも変わることはありません」と話されました。
そして、時折声を震わせながら「先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、
このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、
戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。
平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と述べられました。
続いて、天皇陛下は、阪神・淡路大震災や東日本大震災など平成に起きた数多くの災害を挙げ
「多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。
ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、
防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます」と話されました。
会見の終盤、天皇陛下は、来年4月で結婚して60年になる皇后さまについて
「結婚以来、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、
私の立場と務めを支えてきてくれました」と思いを述べられました。
そして、ひときわ声を震わせながら「天皇としての旅を終えようとしている今、
私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、
自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、
皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います」と述べられました。
天皇陛下は、最後に、来年の春、新しい時代が始まるとしたうえで
「天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、
皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います」と話されました。
皇居では、23日、さまざまな祝賀行事とともに一般参賀が行われ、
天皇陛下は、皇族方とともに、午前中3回、宮殿のベランダに立ちお祝いを受けられます。

声を震わせ思いを語る
今回の記者会見は、天皇陛下の思いがこれまでにないほど強く表れたものとなりました。
天皇陛下は誕生日を前にした今月20日、皇居・宮殿の一室で会見に臨まれました。
記者の代表から退位を前にした心境や、国民に伝えたいことを尋ねられた天皇陛下。
象徴の務めとして大切にしてきた事柄を1つずつ取り上げ、
話題が沖縄の苦難の歴史や先の大戦による犠牲者に及ぶと、声を震わせながら思いを語られました。
天皇陛下は、戦後の平和と繁栄が多くの犠牲と国民の努力によって築かれてきたことを
正しく伝えていくことが大切だとする部分では、「正しく」ということばを強く述べられました。
会見の終盤、国民への感謝や、ともに歩んできた皇后さまをねぎらう気持ちを語る時には、
込み上げる思いにひときわ声を震わせられました。
これについて、両陛下の側近の1人は「その時々のさまざまな出来事が脳裏に去来し、
感じ取られたものを踏まえて、心を込めてお気持ちを話されたのだと思う。
国民に伝えるべきことを余すことなく伝えられた会見だったと思う」と話しています。

天皇陛下の歩み
昭和天皇の長男で、皇太子として生まれた天皇陛下は、
戦争が続く中で子どもの時期を過ごし、11歳で終戦を迎えられました。
戦後の復興期に青春時代を送り、大学生活を終えた翌年、
軽井沢のテニスコートで皇后・美智子さまと出会い、25歳で結婚されました。
一般の家庭からお妃が選ばれたのは初めてで、祝賀パレードに50万人を超える人たちが詰めかけるなど、
多くの国民から祝福を受けられました。皇后さまと国内外で公務に励むとともに、
3人のお子さまを手元で育て、新たな皇室像を示されました。
昭和天皇の崩御に伴い、55歳で、今の憲法のもと、初めて「象徴天皇」として即位されました。
天皇陛下は、翌年の記者会見で「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴として
現代にふさわしく天皇の務めを果たしていきたいと思っています」と述べられました。
天皇陛下は、皇后さまとともに一貫して戦争の歴史と向き合われてきました。
戦後50年を迎えた平成7年には、「慰霊の旅」に出かけ、被爆地広島と長崎、
そして沖縄を訪ねられました。先の大戦で激しい地上戦が行われ
20万人以上が犠牲になった沖縄への訪問は、合わせて11回に及びます。
戦後60年には、太平洋の激戦地サイパンを訪問されました。
天皇陛下の強い希望で実現した異例の外国訪問でした。
そして戦後70年には、悲願だったパラオのペリリュー島での慰霊も果たされました。
天皇陛下は毎年、8月15日の終戦の日に「全国戦没者追悼式」に臨み、
戦争が再び繰り返されないよう願うおことばを述べられてきました。
天皇陛下は、また、皇后さまとともに全国各地の福祉施設を訪れるなどして、
社会で弱い立場にある人たちを思いやられてきました。障害者スポーツにも強い関心を持ち、
「全国身体障害者スポーツ大会」が開かれるきっかけを作るとともに、
平成に入って皇太子ご夫妻に引き継ぐまで、大会に足を運んで選手らを励まされました。
大きな災害が相次いだ平成の時代。両陛下は被災地に心を寄せ続けられました。
始まりは平成3年。雲仙普賢岳の噴火災害で43人が犠牲になった長崎県島原市を訪れ、
体育館でひざをついて被災者にことばをかけられました。
その後も、平成7年の阪神・淡路大震災など大きな災害が起きるたび現地に出向き、
被災した人たちを見舞われてきました。
東日本大震災では、天皇陛下が異例のビデオメッセージで国民に語りかけられるとともに、
7週連続で東北3県などを回り、その後も折に触れて被災地を訪ねられました。
国民に寄り添い、世界の平和と人々の幸せを願われてきた天皇陛下。
来年4月の退位が決まったあとも、「象徴」としての務めを果たし続けられています。

世界地図をご覧になる両陛下
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天皇陛下の誕生日に合わせて、天皇皇后両陛下がお住まいの御所で世界地図をご覧になる映像が公開されました。

この世界地図は、両陛下がこれまで訪れた場所にピンで目印をつけているもので、
皇太子夫妻として訪れた都市には青色のピンが、天皇皇后として訪問された都市には赤色のピンが、
天皇陛下が皇太子として1人で訪問された都市には緑色のピンが立てられています。
天皇陛下は、これまでに58か国を訪れて国際親善などに努められてきました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181223/k10011757511000.html

【主張】天皇誕生日 平成振り返り感謝したい
2018.12.23 05:00
天皇陛下は、85歳の誕生日を迎えられた。国民と苦楽をともにし、
歩まれてきた陛下に、心からお祝いと感謝を申し上げたい。
来春の譲位を控えて、平成最後の天皇誕生日である。
陛下は、これに先立つ記者会見で「象徴としての私の立場を受け入れ、
私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝する」と述べられた。常に国民を思うお気持ちが察せられる。
陛下は平成15年に前立腺がんの手術、24年には心臓のバイパス手術を受けるなど大きな病を経験された。
ご高齢にもかかわらず、長くお務めに精励されてきた。
そのお姿に、どれだけ国民が勇気づけられたことだろう。
7年の阪神大震災、23年の東日本大震災など、大災害があれば、皇后さまとともに現地に赴き、
避難所の床に膝をつき、被災者に声をかけ励まされた。
今年も災害の多い年で、西日本豪雨や北海道地震の被災地などを訪問されている。
先の大戦戦没者の「慰霊の旅」も続けられてきた。
戦後50年の節目に広島、長崎、沖縄などを訪問された。戦後60年にはサイパン島、
戦後70年にはパラオのペリリュー島など、遠い激戦の地にも足を運ばれた。
諸外国との親善交流などで果たされてきた役割は計り知れない。
陛下の歩みとともに、平成史を改めて振り返る機会としたい。
日々のご公務などは多く、激務である。目に見える以外にも、宮中祭祀(さいし)を通じ、
国民の安寧と豊穣(ほうじょう)を祈られている。
古来、国民は「大御宝(おおみたから)」といわれる。
天皇は国民のために祈り、国民は天皇に限りない敬意と感謝の念を抱いてきた。
それが日本の歴史と国柄である。「祈り」は天皇の本質的、伝統的役割であることを国民は知っておきたい。
陛下は皇室の伝統を守りつつ、時代を踏まえて行動され、国民の支持を集めてきた。
記者会見では、ともに歩まれてきた皇后さまへの感謝も明かされた。
来年、ご結婚から60年を迎える。皇位を継がれる皇太子さまの誕生日は2月23日である。
天皇は日本国と国民統合の象徴であり、皇位が安定して続いていくことは国民の願いである。
皇室に一層の理解を深め、弥栄(いやさか)を祈りたい。
https://www.sankei.com/life/news/181223/lif1812230012-n1.html

天皇陛下、85歳…戦争なく「心から安堵」
2018年12月23日
天皇陛下は23日、85歳の誕生日を迎えられた。これに先立つ在位中最後の記者会見で
「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵あんどしている」と胸中を語り、
「天皇としての旅」を支えてくれた国民に対し「衷心より感謝」を伝えられた。
皇居・宮殿で20日、会見に臨んだ陛下は、即位以来、天皇の望ましいあり方を求めてきたといい、
退位の日まで務めを全うすると決意を述べられた。
戦後の平和と繁栄は、先の大戦の犠牲と国民の努力の上に築かれたことを
「戦後生まれの人々にも正しく伝えていくことが大切」と思われてきた。
沖縄の犠牲に今後も変わらず心を寄せられていくという。
東日本大震災や阪神大震災などの甚大な被害に「言葉に尽くせぬ悲しみ」を覚える中、
人々が助け合い、規律正しく対応する姿に心を打たれたと明かされた。
    ◇
陛下が学習院初等科時代に学んだ鈴木弘一教授(1989年死去)の記録に、
4〜6年生の時に書かれた作文・詩の題名計44点を載せたリストが含まれていることがわかった。
1943〜44年の4年生の作文・詩計20点を書き写した指導記録の詳細も判明した。
6年生のリストには、終戦翌月の45年9月に提出された「新日本の建設」の前に
「沖縄の友達へ」という文題があった。所功・京都産業大名誉教授は
「作文があれば、本土防衛の盾となった当時の沖縄を少年皇太子がどう見ていたのかわかるに違いない」とみている。
2018年12月23日
https://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000304/20181222-OYT1T50103.html

皇室の将来・平和…誕生日のおことば、直前まで熟考重ね
島康彦、緒方雄大 2018年12月23日07時01分
天皇陛下が23日、85歳の誕生日を迎えた。
在位中最後となる記者会見では、象徴として歩んだ平成時代を振り返った。
天皇陛下は即位後、誕生日を前にほぼ毎年、記者会見に応じてきた。
会見が開かれるのは、皇居・宮殿の「石橋(しゃっきょう)の間」。
獅子の能面を着けた演者が舞う、日本画家・前田青邨(せいそん)作「石橋」を背に、
天皇陛下が宮内記者会から事前に提出された質問にこたえる形式だ。
平成最初の誕生日前会見は、即位翌年の1990年だった。
宮内記者会の要望で、皇后さまと一緒に会見に臨んだ。
今後の皇室について「象徴として現代にふさわしく天皇の務めを果たしていきたい」と抱負を語った。
17問の質問にこたえた。
即位時から象徴とされた初の天皇だけに、その後も皇室のあり方への質問が続いた。
「国民の期待しているものを念頭に置きながら、常によりよいものを求めていく」(92年)、
「和の精神をもって、お互いに助け合い、国や国民のために尽くす皇室であって欲しい」(93年)。
自らの考えを率直に語ってきた。
戦争を経験した最後の天皇として平和への思いも折々に語った。
戦後50年の前年の94年は「とりわけ戦争の禍(わざわい)の激しかった土地に
思いを寄せていくつもりでいます」と言及。言葉通り、95年に長崎、広島などへの「慰霊の旅」を行った。
80歳を迎えた2013年は、これまで最も印象に残っていることに「先の戦争」を挙げ、
「前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、
若くして命を失ったことを思うと本当に痛ましい限り」と述べた。
宮内庁幹部によれば、陛下は毎年の会見を「思いや考えを直接国民に伝える場」として、大切にしてきた。
皇室行事が立て込む年末と重なり、「かなりのご負担だが、会見直前まで回答を熟考されていた」。
加齢に伴い、負担軽減のため質問数は徐々に減っていった。
14年には事前に用意した質問2問になり、記者が即興でたずねる関連質問はなくなった。
15年からは質問は1問に限られた。
そして今年、陛下は万感の思いを込め、最後の会見に臨んだ。(島康彦、緒方雄大)
https://www.asahi.com/articles/ASLDB66XTLDBUTIL077.html

「明けてくる年が明るい良い年となるよう願っています」 誕生日一般参賀で陛下
天皇陛下の85歳の誕生日を祝う一般参賀が23日、皇居で行われた。
陛下は皇后さま、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻と長女の眞子さま、佳子さまとともに
宮殿・長和殿のベランダに並んで立ち、参賀者に笑顔で手を振って応えられた。
陛下は今年、発生した災害で被災した人々を案じた上で
「明けてくる年が皆さんにとり、明るい良い年となるよう願っています。
皆さんの健康と幸せを祈ります」とあいさつをされた。
来年4月30日に譲位する陛下のお誕生日の一般参賀は、今回が最後の機会となった。
今年は多くの人出が予想されており、宮内庁は午前9時30分の予定だった開門時間を10分早めて対応した。
また今回、初めて東庭に大型スクリーンを設置した。
この日は朝から宮殿や御所で祝賀行事が続き、午前は皇太子ご夫妻ら皇族方が
陛下と皇后さまにそれぞれお祝いを述べられる。午後は安倍晋三首相ら三権の長による祝賀、
皇族や首相、国会議員らが集う祝宴、各国駐日大使らを招いての茶会などが催される。
夕方には皇太子ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さまと
秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまもお祝いを伝えに御所を訪問される。
夜は皇太子ご夫妻や秋篠宮ご夫妻、両陛下の長女、黒田清子さん夫妻が御所に集まり、夕食を共にされる。
https://www.sankei.com/life/news/181223/lif1812230025-n1.html

天皇陛下85歳、お言葉全文「今も不自由な生活を送っている人々のことを思い、深く案じています」
2018.12.23 11:01
天皇陛下が23日の誕生日の一般参賀で述べられたお言葉の全文は以下の通り。
  ◇
誕生日にあたり、大勢の皆さんからこのように祝意を受けることを誠にうれしく思います。
今年も残念なことに各地で災害が起こり、これにより家族や親しい人を失い、
あるいは被害を受け、今も不自由な生活を送っている人々のことを思い、深く案じています。
冬至が過ぎ、あとわずかで新しい年を迎えます。
明けてくる年が皆さんにとり、明るい良い年となるよう願っています。皆さんの健康と幸せを祈ります。
https://www.sankei.com/life/news/181223/lif1812230028-n1.html

天皇陛下の一般参賀に大勢の人 平成最後の誕生日
緒方雄大、多田晃子 2018年12月23日12時22分
天皇陛下の85歳の誕生日を祝う一般参賀が23日、皇居であった。
陛下は来年4月末に退位するため、誕生日の一般参賀は最後。
宮内庁によると、午前11時半時点で平成に入ってから最も多い約5万7千人が集まった。
午前10時20分ごろ、天皇陛下が皇后さま、皇太子ご夫妻、
秋篠宮ご夫妻と長女眞子さま、次女佳子さまとともに宮殿のベランダに立つと、歓声が上がった。
陛下は「大勢のみなさんからこのように祝意を受けることを誠にうれしく思います」と述べた後、
今年各地で発生した災害で家族を亡くしたり、不自由な生活を送ったりしている人々について
「深く案じています」と語った。
今回は後方からでもよく見えるように、前方に大型スクリーンが2台設置された。
宮内庁によると、陛下は数日前からのどの痛みなどの風邪の症状があり、
皇后さまも日中に熱が上がるなどの症状があるという。(緒方雄大、多田晃子)
https://www.asahi.com/articles/ASLDQ61W1LDQUTIL011.html

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一般参賀、平成最多に 悠仁さまもお忍びで
2018年12月23日 19時33分 日テレNEWS24
天皇陛下が85歳の誕生日を迎えられ、
皇居で行われた最後の誕生日一般参賀には、平成で最も多くの人が訪れた。
天皇陛下「誕生日にあたり、大勢のみなさんからこのように祝意を受けることを誠にうれしく思います。
今年も、残念なことに各地で災害が起こり、これにより家族や親しい人を失い、
あるいは、被害を受け、今も不自由な生活を送っている人々のことを思い、深く案じています。
冬至が過ぎ、あとわずかで新しい年を迎えます。明けてくる年が皆さんにとり、
明るい良い年となるよう願っています。皆さんの健康と幸せを祈ります」
皇居で行われた誕生日の一般参賀には、去年よりおよそ3万人多い8万2850人が皇居を訪れ、
平成最多を更新した。
また、秋篠宮ご夫妻の長男・悠仁さまも一回目の一般参賀にお忍びで訪れたという。
神奈川県から来た参賀者「(子どもが)平成生まれなんですけど平成最後なので。
もしかしたら覚えてないかもしれないんですけど、この天皇陛下の時に生まれたんだよって見せてあげたかったので」
また、誕生日にあたって行われた記者会見で、陛下は、
皇后さまと国民に対して声を震わせながら、感謝の気持ちを伝えられた。
天皇陛下「天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、
私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、
私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、
真心を持って果たしてきたことを、心からねぎらいたく思います」
宮内庁によると、陛下は、これが最後の記者会見になるという思いで臨まれたという。
午後には、宮殿で天皇皇后両陛下が安倍首相らおよそ500人と昼食を共にする「宴会の儀」が行われたほか、
外国大使などを招いた「茶会の儀」が行われ、陛下や皇族方は外国大使らに囲まれ、親しく懇談されていた。
http://www.news24.jp/articles/2018/12/23/07412573.html


天皇陛下の誕生日を祝う「茶会の儀」を終え、
退出される天皇、皇后両陛下=23日午後、皇居・宮殿「春秋の間」【時事通信社】
https://www.jiji.com/jc/p?id=20181223181135-0029173656
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両陛下、皇太子殿下、秋篠宮両殿下、眞子内親王殿下、佳子内親王殿下
寛仁親王妃信子様、三笠宮彬子様、三笠宮瑤子様、高円宮妃久子様、高円宮承子様

仁徳天皇陵で初の内部公開

【萌える日本史講座】仁徳天皇陵で初の内部公開 地面はふかふかだった
2018.12.17 16:00
国内最大の前方後円墳、堺市堺区の仁徳天皇陵=大山(だいせん)古墳、
墳丘長486メートル=で、宮内庁と堺市による共同発掘が行われた。
同庁が外部機関と調査するのは初めてで、墳丘を囲む堤(つつみ)から円筒埴輪(はにわ)や石敷きが出土。
埴輪の型式から築造時期が5世紀前半〜中頃の可能性が高まった。
発掘現場が報道関係者に公開されたのも初めてだった。立ち入りは墳丘本体ではなく堤の一部とはいえ、
これまでベールに包まれた天皇陵の内部をうかがい知ることができた。(小畑三秋)

■まるで森の中
「土はふかふかしている」
堤に足を踏み入れたときの第一印象だ。報道関係者への現地公開が行われたのは11月22日。
約50人が、前方部側の鳥居が設けられた「拝所」の脇を歩いて、発掘現場へ向かった。
堤は幅が30メートルほどだが、マツやカシ、クスなどが生い茂り、森の中に入ったようだった。
堤には、宮内庁職員が古墳内を見回るための幅2メートルほどの巡回路が延びていた。
この部分は下草もなく歩きやすいが、巡回路から外れた部分は枯れ葉などによる腐植土が堆積。
ふかふかした感触は、このためだった。
発掘は、墳丘を囲む2重の堤のうち内側の「第1堤」に3カ所の調査区
(幅2メートル、長さ30メートル)を設けて10月下旬から実施された。
「腐植土の下にはヘドロのような浚渫(しゅんせつ)土があり、そのすぐ下から築造当初の石敷きが検出されました」
調査をした宮内庁の徳田誠志(まさし)陵墓調査官が説明した。
江戸時代、周濠(しゅうごう)の水は農業用水として使われ、
当時の人たちが浚渫のため周濠の水を抜いて掘り出したヘドロを堤に積み上げたものという。
浚渫土からは、江戸時代ごろの陶磁器や瓦などの破片が見つかった。
腐植土は、明治以降に100年以上かけて堆積したものだった。

■枝の隙間から後円部
地表から20〜40センチ掘り下げると、約1600年前の古墳築造時の石敷きがほぼ当時の状態で残っていた。
後世に掘り返された跡もなかったという。
「古墳築造後の長い歴史のなかで、後世の人が触った感じはなかった」と徳田さん。
地元では「仁徳さん」として親しまれ、敬われてきただけに、建物を建てたり畑を耕したりすることもなく、
大切に維持されてきたことが発掘調査でも浮かび上がった。
堤は全体に木々が生い茂っていたが、前方部側の拝所一帯だけは木もなく、墳丘がよく見渡せた。
幅約300メートルの前方部が東西方向に一直線に延び、水をたたえた周濠に浮かぶ姿は、
「巨艦」を思わせる人工的な構造物そのものだった。
墳丘をはっきり見ることができたのは、拝所付近からの前方部だけ。
後円部を見ようと堤を少し移動すると、木の枝や葉に遮られ、
わずかな隙間から後円部の湾曲した姿が分かる程度だった。

■埴輪生産へ大量動員
発掘調査では、円筒埴輪の基底部が接するように据えられた状態で残っていた。
直径は35センチ程度で、上部は割れて失われていたが、本来は高さ1メートル近くあったともみられる。
堤の長さは約2・5キロあり、7千本以上が並んでいた計算になる。
円筒埴輪の一部には、基底部を意図的に割ったものもあった。
築造時、埴輪を立て並べる際に高さをそろえるため、地下に埋める部分を打ち割って調整したという。
調査担当者は「築造時に古墳に運び込んでみると、円筒埴輪の高さがまちまちだった。
そこで、円筒埴輪の列がきれいに見えるように現地で調整したんでしょう」と話す。
また、表面が白っぽい円筒埴輪の隣に茶色い埴輪も立てられていた。
埴輪の表面の色は焼く温度によって変わるため、複数の工房で作られたことが分かった。
巨大古墳築造のため、急ピッチで作業が進められた様子が埴輪からうかがえた。

■古墳の崩壊どう防ぐ
空中写真では優美で堂々とした姿を見せる仁徳天皇陵だが、大正時代の測量図の等高線を見ると、
墳丘全体が大きく崩れていることが分かる。宮内庁の平成7〜10年に行われた墳丘の測量調査でも、
至るところが大きく崩れていることが判明。
墳丘縁辺部も、周濠の水によって浸食が進んでいることが明らかになった。
今回の発掘は、墳丘や堤の崩壊を食い止めるため、保全措置を検討する基礎データを得るのが目的だった。
そのなかで、地表からわずか20センチ下に築造当初の遺構があることを確認したことに、
大きな意義があったという。
徳田さんは「保全工事をする際に作業用車両が入る場合、
その重みで遺構が壊れないよう地面に土嚢(どのう)を置いてその上に鉄板を敷くなど、
さまざまな保護措置が必要になる」と指摘。今後も堤全体の状況を把握するために数年かけて調査を行う予定だ。
全国的に注目を集めた発掘調査だったが、一般を対象にした現地説明会は行われなかった。
「皇室の祖先をおまつりする陵墓であり、尊厳と静謐(せいひつ)を保つため」(宮内庁)というのが理由だ。
仁徳天皇陵では毎年、仁徳天皇の命日に当たる2月8日に
「正辰祭(しょうしんさい)」が行われており、今も祈りの場であり続ける。
「仁徳陵をきちんとお守りするのが私たちの役目」と徳田さん。
末永く古墳の姿を保つためにも詳細な調査と有効な保全策が望まれる。
https://www.sankei.com/premium/news/181217/prm1812170002-n1.html

退位日決めた議事録、宮内庁「不存在」 異論隠す狙いか

退位日決めた議事録、宮内庁「不存在」 異論隠す狙いか
二階堂友紀
2018年12月12日19時13分
天皇陛下の退位日を決めるために開いた昨年12月の皇室会議について、
朝日新聞が議事録を情報公開請求したところ、
宮内庁は「不存在」と回答し、公表済みの議事概要を開示した。
同時に請求した1989年と93年の皇室会議の議事録は存在し、同庁は詳細に開示した。
憲政史上初の退位をめぐる意思決定の重要過程が検証できない恐れがあり、公文書のあり方が問われる。

昨年12月1日の皇室会議には三権の長や皇族らが出席。
議長の安倍晋三首相が、退位日にあたる退位特例法の施行日について
「2019年4月30日」を求める意見案を示し、その通り決定した、と議事概要(A4判5枚)に記している。
当時の記者会見で菅義偉官房長官は「国民がこぞってお祝いすべき日に関するもので、
どなたがどのような発言をされたかを明らかにすることは必ずしも好ましくない」とした。
朝日新聞の取材では、立憲民主党出身の赤松広隆・衆院副議長が会議で
「18年12月31日退位」を求めたことが判明しているが、議事概要には記載がない。
議事録を「不存在」としたのは、異論が出たことを表面化させない狙いからだとみられる。
一方、秋篠宮ご夫妻の結婚が議題となった89年9月、
皇太子ご夫妻の結婚が議題だった93年1月の皇室会議は議事録が存在し、いずれもA3判8枚が開示された。
93年の会議では、当時の藤森昭一・宮内庁長官の説明として、
雅子さまの実家である小和田家が交際の打診をいったん辞退したとの記述のほか、
チッソ社長を務めた雅子さまの祖父が水俣病の発生に関与していなかったか慎重に検討した経緯が残っていた。
平成の30年で開かれた3回の皇室会議で、議事録を「不存在」としたのは昨年12月分だけ。
公文書管理法は、行政の意思決定過程が検証できるよう文書の作成を求めており、同法の趣旨に反する可能性がある。
同庁は会議を録音した音声データは、3回のいずれも「不存在」としている。(二階堂友紀)
https://www.asahi.com/articles/ASLDD3TF9LDDUTFK00B.html

大正天皇は“暗愚”だったのか− 御製にあふれる鋭敏な知性

大正天皇は“暗愚”だったのか− 御製にあふれる鋭敏な知性
2018.12.1 07:00
大正天皇崩御
大正9年以降、長く療養中だった大正天皇の容体が急変したのは、15年12月8日である。
天皇は夜から食欲がまったくなくなり、鼻腔(びこう)から栄養補給をする状態となった。
裕仁皇太子と良子皇太子妃は11日、神奈川県の葉山御用邸に日帰りで大正天皇を見舞い、
13日からは泊まりがけで看病した。このとき、病床につきっきりだった貞明皇后から、
天皇の熱を冷ますため「おしぼり(をとってきて)」と言われた良子皇太子妃が、
緊張のあまり手袋をつけたままおしぼりを絞って天皇の額に当てたと伝えられる(※1)。
病状はその後、小康状態と重篤とを繰り返しながら推移し、25日の未明を迎えた。
午前1時12分《侍従詰所の非常鈴が鳴り、侍従・侍従武官一同は天皇の御前に伺候する。
同十五分御病勢ますます増進し、御危険に迫られる旨が発表される。午前一時二十五分、
天皇は心臓麻痺により遂に崩御される。宝算四十八歳、御在位十五年に渉らせられる。
(病床で看病していた)皇后は、侍医より御臨終の旨の言上をお聞きの後、直ちに綿棒に水を浸し、
天皇の御口元に奉り、皇太子・皇太子妃・宣仁親王・崇仁親王・昌子内親王・房子内親王・
允子(のぶこ)内親王・聰子(としこ)内親王及び女官一同がこれに続く》(昭和天皇実録13巻162頁)
大正天皇の生涯は、病気との闘いの連続だった。誕生後間もなく髄膜炎にかかり、
その後も百日咳、腸チフス、胸膜炎などに罹患(りかん)。青年期になって学習の後れを取り戻そうと、
東宮職員らが詰め込み式の帝王教育を急いだことも、大正天皇の心身に負担を強いたとされる。
貞明皇后と結婚してからは急速に健康を回復し、指南役である有栖川宮威仁(たけひと)親王とともに、
精力的に地方巡啓を重ねるなどした。思ったことをすぐに口にし、行動する性格だったため、
巡啓先の関係者らを慌てさせることもあったが、明治天皇とは異なる気さくな人柄として国民の人気は高かった。
明治40年10月には、皇太子として初めて韓国の地を踏み、
日韓併合前の悪化した反日感情を和らげようと努めている。
これを機に韓国皇太子との親交を深め、自らの意思でハングルを勉強するなどした(※2)。
健康状態が再び悪化したのは、即位後しばらくたってからだ。
何事も先帝のようにと求める山県有朋ら元老との折り合いが悪く、ストレスが増大。
大正5年ごろから言語障害も発症し、ついに政務をとることが出来なくなったのである。
大正天皇の病気が何だったのかは、現在でもはっきりしない。
侍医の一人はアルツハイマー病を疑い、あるいはパーキンソン病の一種と推測する近年の研究もある(※3)。
ところが大正10年11月、裕仁皇太子の摂政就任と同時に宮内省が発表した病状報告により、
国民の間にあらぬ憶測を呼んでしまう。「御脳力御衰退…」「諸脳力漸次御衰へ…」
「御意思の御表現甚(はなはだ)御困難」などと、大正天皇の「脳力」の低下を
ことさら強調する内容だったからだ(※4)。この発表後、大正天皇は暗愚だったとする誤解まで生まれ、
それは現在も続いている。
だが、実際の大正天皇は日常的に漢詩を詠むほど聡明だった。鋭敏な知性は、和歌にもあふれている。
たとえば大正10年の、「社頭暁」と題された1首−。

神まつる わが白妙の 袖の上に かつうすれ行く みあかしのかげ

この感性はどうだ。国家と国民の平安を祈る未明の祭祀で、
純白の御祭服に灯明の光(みあかしのかげ)が反射してゆらめき、
暁が近づくとともに薄れゆく情景が、痛いほど鋭利に詠まれている。
国民への深い愛情も、数多の和歌から読みとれよう。

われを待つ 民の心は ともし火の 数かぎりなき 光にもみゆ(大正3年)

日露戦争などの戦利品をみたときは、こう詠んだ。

武夫(もののふ)の いのちにかへし 品なれば うれしくもまた 悲しかりけり(明治時代)

人間性も豊かで、子煩悩だったことはすでに書いたとおりだ。

しばらくは 世のうきことも 忘れけり 幼き子らの 遊ぶさまみて(大正6年)

崩御の数日前から、病床で看病する裕仁皇太子の食事量は半分以下に減っていた。
その悲しみは、どれほどだっただろう。
だが、それを表に出すわけにはいかない。

崩御の日、裕仁皇太子は天皇となった−−。
(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)


(※1) 貞明皇后は「おしぼり」の一言で、緊張して何も出来ないでいた良子皇太子妃に
看病するきっかけをつくったとも、叱責したとも解釈されている
(※2) 大正天皇は即位後も韓国語の勉強を続けた
(※3) 杉下守弘著「大正天皇の御病気に関する文献的考察」(医学誌『認知神経科学』14巻1号収録)では、
大正天皇の病名を「大脳皮質基底核症候群」や「原発性進行性失語症」と推測している
(※4) 大正10年11月25日の東京朝日新聞夕刊に掲載された宮内省発表の「聖上陛下御容体書」は以下の通り
「天皇陛下に於かせられては禀賦御孱弱(ひんぷせんじゃく=生まれつき身体が弱いこと)に渉らせられ、
御降誕後三週日を出てさるに脳膜炎様の御疾患に罹(かか)らせられ、御幼年時代に重症の百日咳、
続いて腸チフス、胸膜炎等の御大患を御経過あらせられ、其の為め御心身の発達に於いて
幾分後れさせらるゝ所ありしが、御践祚(せんそ)以来内外の政務御多端に渉らせられ、
日夜御宸襟(しんきん)を悩ませられ給ひし為め、近年に至り遂に御脳力御衰退の徴候を拝するに至れり。
目下御身体の御模様に於ては引続き御変りあらせられず、御体量の如きも従前と大差あらせられざるも、
御記銘、御判断、御思考等の諸脳力漸次衰へさせられ、御思慮の環境も随(したがっ)て
陝隘(きょうあい)とならせらる。殊に御記憶力に至りては御衰退の兆最も著しく、
之に加ふるに御発語の御障碍(しょうがい)あらせらるる為め、
御意志の御表現甚(はなはだ)御困難に拝し奉るは洵(まこと)に恐懼に堪へざる所なり」
この発表には、摂政設置を国民に納得させる狙いもあったが、批判も多く、
大正天皇の侍従武官だった四竈(しかま)孝輔は日記に「嗚呼(ああ)、何たる発表ぞ。
昨日までは叡慮文武の聖上と其の御聖徳を頌(しょう)しつゝ、今日俄然此の発表あり。(中略)
今や統治の大権施行を摂政殿下に托し給ひ、専ら御静養あらせ給はんとする聖上陛下に対し、
何の必要ありてか此の発表を敢てしたる」とつづっている
なお、大正天皇が暗愚だったする風説の一つに、帝国議会の開院式で勅語を読み上げた後、
持っていた証書をクルクルと丸め、遠めがねのようにして議場を見回したとされる「遠眼鏡事件」があるが、
事実とする1次史料はなく、信憑性は低いとされる


【参考・引用文献】
○主婦の友社編「貞明皇后」
○宮内庁編「昭和天皇実録」13巻
○宮内省編「大正天皇実録」71巻
○原武史著「大正天皇」(朝日新聞出版)
○四竈孝輔記「侍従武官日記」(芙蓉書房)
○大正天皇御集刊行会編「大正天皇御集」
○岡野弘彦解説「おほみやびうた」(邑心文庫)
https://www.sankei.com/life/news/181201/lif1812010003-n1.html

秋篠宮殿下53歳

文仁親王殿下お誕生日に際し(平成30年)


秋篠宮さま53歳 大嘗祭「身の丈にあった儀式に」代替わり行事でご見解 眞子さまご結婚延期にご言及
2018.11.30 00:00
秋篠宮さまは30日、53歳の誕生日を迎えられた。
これに先立ち、東京・元赤坂の宮邸で秋篠宮妃紀子さまとともに記者会見に臨み、
代替わりに伴う大嘗祭(だいじょうさい)について、国費ではなく、
天皇ご一家の私的活動費「内廷会計(内廷費)」でまかなうべきだとし
「身の丈にあった儀式」とすることが「本来の姿」との認識を示された。
政府決定と異なる見解を皇族方が明らかにされるのは異例。
長女の眞子さまのご結婚延期に関しては、婚約内定相手の小室圭さん(27)側に対し、
母親の金銭トラブルなどを指摘する報道を念頭に「相応の対応をするべきだ」とし、
多くの人が納得する状況にならなければ、婚約にあたる納采(のうさい)の儀を行えないと述べられた。
眞子さまのご結婚延期について、秋篠宮さまが公の場で発言されるのは初めて。
秋篠宮さまは会見で、大嘗祭について「絶対にすべきもの」とする一方で、
「ある意味の宗教色が強いもの」と言及された。その上で、政教分離を定めた憲法上の問題から、
国費ではなく「内廷会計で行うべきだ」との見解を示された。
こうした意見は宮内庁の山本信一郎長官にも伝えたが「聞く耳を持たなかった」とも述べられた。
政府は来年11月の大嘗祭に関し、皇室行事とするものの、
皇室の公的活動費「宮廷費」(国費)を充てた平成の代替わりを踏襲することを決定している。
山本長官は秋篠宮さまのご発言に対し、大嘗祭のあり方が決定済みであることを踏まえ
「かねての持論を述べられたもの。政治的な発言ではない」と述べた。
天皇陛下からは、即位関連儀式は皇太子さまと相談するようお話があったといい、
「(皇太子さまには)理解をいただきながら進めている」としている。
秋篠宮さまは陛下の譲位に伴い、来年5月に皇位継承順位1位の「皇嗣(こうし)」となられる。
秋篠宮さまは陛下と、陛下を支えてこられた皇后さまに対し「深く敬意を表するところ」と述べた上で、
改めて謝意を示された。

大嘗祭
新天皇が即位後初めて行う新嘗(にいなめ)祭で、皇位継承に伴う一世一度の最重要儀式。
宗教的な側面もあり、現憲法下で初めて行われた平成の代替わりでは国事行為ではなく、皇室の行事と位置づけられた。
ただ、新嘗祭など通常の宮中祭祀が天皇ご一家のお手元金である「内廷費」でまかなわれるのに対し、
大嘗祭は皇位の世襲制をとる憲法下において公的性格があるとされ、
費用約22億円は皇室の公的活動費「宮廷費」から支出された。
https://www.sankei.com/life/news/181130/lif1811300006-n1.html

【秋篠宮さま53歳】皇室制度などでご発言、過去にも 識者「検討と整合性ご指摘」
2018.11.30 07:28
秋篠宮さまは大嘗祭以外でも、皇室制度などへの踏み込んだご発言で議論を呼んだことがあった。
宮内庁幹部は「秋篠宮さまは日頃から、皇室の中にもいろいろな意見があって良く、
それを国民に知らせることは意義があるとお考えになっている」と推し量る。
皇太子さまが皇太子妃雅子さまに関する「人格否定」発言をされた後の平成16年11月、
秋篠宮さまは会見で「せめて陛下とその内容について話をして、
その上での話であるべきではなかったか」と懸念された。
大嘗祭と同様、国民の負担を抑えたい気持ちからのご発言も。
皇族の減少を懸念する声がある中で行われた21年の会見では、
「国費負担という点から見ますと、皇族の数が少ないというのは、
私は決して悪いことではないというふうに思います」と述べられた。
天皇陛下の負担軽減が改めて取り沙汰された23年には、「定年制」の是非を問われ
「やはり必要になってくると思います」と回答された。当時、陛下は周囲に譲位の意向を示されており、
こうしたことも念頭にあったとみられる。
陛下の譲位後、皇太子さまとの公務の分担が課題となる中、
秋篠宮さまは29年の会見で自分の公務を「譲る先がない」とご憂慮。
「できる範囲、できる仕事をしていくのが適当ではないか」と訴えられた。
https://www.sankei.com/life/news/181130/lif1811300011-n1.html

【秋篠宮さま53歳】悠仁さまの広い視野、成長ご期待 佳子さまは卒論でご多忙
2018.11.30 07:35
秋篠宮ご夫妻は記者会見で、長男の悠仁さまと次女の佳子さまの近況や成長ぶりにも触れられた。
お茶の水女子大付属小学校6年の悠仁さまは夏休み中の8月、
紀子さまと広島市を初めて訪れ、原爆死没者慰霊碑にご供花。被爆体験も聞かれた。
秋篠宮さまは、悠仁さまが「是非広島に行きたい」と希望されたことを明らかにされた。
紀子さまは「早めにいろいろと計画を立てて見通しをもって行動をする、
そのようなことができるようになった」とご指摘。中学の進学先は言及を避けたが、
秋篠宮さまは「物事を見るときに一面的ではなくて広い視野、
多角的に見られるようになってほしい」と今後の成長に期待された。
国際基督教大(ICU)4年の佳子さまは6月に短期留学先の英国からご帰国。
紀子さまは「自分の考えを深めたりする貴重な機会」と振り返られた。
現在は公務を担いつつ、卒業論文の執筆でご多忙という。
秋篠宮さまは大学卒業後に公務の依頼が来ることを踏まえ、
「一つ一つ大切に思いながらそれらに取り組んでいってほしい」と望み、
結婚については「それほど遅くなくしてくれたらいい」と述べられた。
https://www.sankei.com/life/news/181130/lif1811300012-n1.html

【秋篠宮さま53歳】皇族意見「聞く耳持たれず」 違和感吐露される
2018.11.30 07:42
代替わりの重要祭祀(さいし)「大嘗祭(だいじょうさい)」に関し、
皇位継承順位1位の「皇嗣(こうし)」となる秋篠宮さまが、
国費ではなく天皇ご一家の私的活動費でまかなうべきだとする、政府決定と異なる見解を示された。
背景には、皇室をめぐる議論の当事者である皇族方の意見が反映されないことへ長年の違和感があったとみられる。
「平成のときの大嘗祭のときにもそうするべきではないという立場だった」。
30年前から同様の考えだったことを明かされた秋篠宮さま。当時は多少意見した程度だったが、
その後議論の時間が十分あったのに、平成を踏襲する形で「国費負担」の結論が導かれたことに
「すっきりしない」とする心情を吐露された。
皇室行事に関し、秋篠宮さまは「私の考えというものもあっても良い」とご指摘。
平成21年の会見では、将来の皇室のあり方について「当事者になる皇太子ほかの意見を聞くという過程も
私は必要なのではないかと思っております」と主張されたこともある。
24年春ごろからは月1回、天皇陛下、皇太子さまと意見交換の場を持たれ、宮内庁長官も同席。
こうした場で大嘗祭に関する考えも伝えたとみられるが、
会見では「(長官は)聞く耳を持たなかった」と強い言葉で非難された。
これに対し、同庁の山本信一郎長官は秋篠宮さまにも前例踏襲の妥当性を説明してきたとし
「(ご発言は)ちょっとつらいが、そう受け止められたのであれば申し訳ない」と語った。
別の宮内庁幹部は「皇室は国民に受け入れられて成り立つわけで、
国民の負担を少なくしたいとお考えなのではないか」とした。
■小田部雄次・静岡福祉大名誉教授(日本近現代史)の話
「現行憲法は、皇室の祭祀について政教分離の原則という一言で片付け、即位に関する儀式まで想定していない。
大嘗祭は即位後初の新嘗祭であり、皇室の私的活動と位置づけられている宮中祭祀の一つと解釈すれば、
内廷費でまかなうのが筋だ。なぜ大嘗祭だけ国費を使うのか説明が十分でなく、
国民とともに歩む皇室の一員として、憲法との整合性に矛盾を抱えたまま多額の国費を使うことに、
ためらいをお持ちなのではないか。ご自身の代までには検討してほしいという課題を提起されたものと考えたい」
■大原康男・国学院大名誉教授(宗教行政論)の話
「政府は来年の大嘗祭について、平成度の前例を踏襲することを決めている。
前回は政教分離の観点から大嘗祭の違憲性を問う訴訟も起きたが、原告の訴えはことごとく最高裁で却けられた。
皇位の世襲は憲法で定められており、皇位継承儀礼も公的な性格を有する。
国費を節約し簡素化を求められたご発言はありがたいものだが、
大嘗祭に限らず宮中祭祀は国家国民の安寧慶福を祈るもので、一般の宗教とは同視できない。
したがって、大嘗祭は国費で行われるべきである」
https://www.sankei.com/life/news/181130/lif1811300013-n1.html

眞子さまの婚約、現状では「できない」 秋篠宮さま言及
中田絢子
2018年11月30日00時00分
30日の誕生日を前に、紀子さまとともに記者会見した秋篠宮さま。
来年5月から皇嗣(こうし)となる心境とともに、
結婚が延期されている長女眞子さまと小室圭さんについても語った。
「多くの人が納得し、喜んでくれる状況にならなければ、婚約にあたる納采の儀を行うことはできません」。
秋篠宮さまは、ゆっくりとした口調でこう述べ、眞子さまの結婚準備が暗礁に乗り上げていることを認めた。
お二人は昨年9月に婚約が「内定」し、今年11月4日に結婚式が行われるはずだった。
だが昨年末から、小室さんの家族をめぐる金銭トラブルなどが週刊誌で相次いで報道され、
今年2月、結婚は2020年まで延期されることが発表された。
この際、お二人は文書で「充分な準備を行う時間的余裕がないことを認識するようになりました」と理由をつづった。
小室さんは8月から米国に留学中だ。
秋篠宮さまは、小室家のトラブルをめぐる報道を承知していると明かし、
「今でも二人が結婚したいという気持ちがあるのであれば、
それ相応の対応をするべきだと思います」と問題を解決するよう求めた。
小室さんからは報道の一部について「これは事実と違う」という説明があり、
2、3カ月に1度ほどの頻度で連絡があることも明かした。だが、事実と異なる点について、
具体的に行動するかどうかは分からないという。
紀子さまによると、眞子さまは昨年末から体調が優れないことが多くなり、不調が長く続いたという。
「大丈夫だろうか、どのような思いで過ごしているだろうかと、私は大変心配でした」
紀子さまは「家族として非常に難しい状況の中にあります」とも明かし、
「これからも長女への思いは変わることなく、大切に見守りたい」と母親としての思いを語った。
来春の代替わり後、秋篠宮さまは皇位継承順位第1位の「皇嗣」となることへの抱負も語った。
秋篠宮さまは毎年定例の公務を例に「前年度とか、その前の機会と同じようにすればいいと思いがちです。
一つ一つを、その都度その都度考えながら、仕事もしくは務めを進めていくようにしたい」と述べた。
将来の皇位継承者である長男悠仁さまについては
「自分の意見もはっきり言うようになったなという印象はある」と成長を明かし、
「物事を見る時に広い視野、多角的に見られるようになって欲しい」と希望した。
https://digital.asahi.com/articles/ASLCV5K79LCVUTIL028.html

秋篠宮さま、大嘗祭支出に疑義「宮内庁、聞く耳持たず」
多田晃子、中田絢子
2018年11月30日00時00分
秋篠宮さまが30日の53歳の誕生日を前に紀子さまと記者会見し、
天皇の代替わりに伴う皇室行事「大嘗祭(だいじょうさい)」について、
「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と述べ、
政府は公費を支出するべきではないとの考えを示した。
この考えを宮内庁長官らに伝えたが「聞く耳を持たなかった」といい、「非常に残念なことだった」と述べた。
記者会見は誕生日当日の30日に報道されることを前提に、22日に行われた。
政府が決定した方針に、皇族が公の場で疑義を呈することは異例。
秋篠宮さまは来年5月の代替わり後、皇位継承順位第1位で皇太子待遇の「皇嗣(こうし)」となる。
大嘗祭は、新天皇が新穀を神々に供えて世の安寧や五穀豊穣(ごこくほうじょう)などを祈る儀式。
1990(平成2)年に行われた前回の大嘗祭では、
国から皇室の公的活動に支出される公費「宮廷費」約22億5千万円が使われ、
「政教分離に反する」という批判は当時から根強くあった。政府は今回も、儀式に宗教的性格があると認めつつ、
「極めて重要な伝統的皇位継承儀式で公的性格がある」として宮廷費を支出する方針を決めた。
前回を踏襲して同規模の儀式を想定しているが、人件費や資材の高騰で費用が増す可能性もある。
これに対し、秋篠宮さまは天皇家の「私費」にあたる「内廷会計」で賄うべきだと述べた。
遺産や国から支出されている内廷費などだが、使途は天皇家の裁量で、通常の宮中祭祀(さいし)にも使われている。
秋篠宮さまは「身の丈にあった儀式」にすることが本来の姿、とも述べた。
前回の代替わりでも同様の意見を述べていたといい、
今回も宮内庁の山本信一郎長官らに「かなり言った」というが、考えてもらえなかったという。
山本長官は直後の会見で「聞く耳を持たなかったと言われるとつらいが、
そのようにお受け止めになったのであれば申し訳ない」と話した。
一方、天皇陛下からは即位関係の諸儀式などは皇太子さまとよく相談して進めるよう伝えられているといい、
「ご理解を頂いて進めている」としている。(多田晃子、中田絢子)
     ◇
〈大嘗祭〉 新たに即位した天皇が1代に1度限り行う重要な儀式。
稲作農業を中心とした古代社会の収穫儀礼に根ざしたもので、7世紀の天武天皇の大嘗祭が最初とされる。
中核の「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」では、新天皇がその年に収穫された米などを神々に供え、
自身も食し、五穀豊穣(ほうじょう)や国家安寧を祈る。今回は来年11月14〜15日に予定。
このために皇居・東御苑に大嘗宮(前回は建設費約14億円)が新設され、儀式後に解体・撤去される。
https://www.asahi.com/articles/ASLCQ44BQLCQUTIL01F.html

秋篠宮さま、53歳…大嘗祭への公費支出に疑問
2018年11月30日
秋篠宮さまは30日、53歳の誕生日を迎えられた。これに先立つ記者会見で、
来年、代替わりを迎える心境を語った上で、皇位継承に伴う儀式「大嘗祭」の費用について、
天皇家の私的な活動費に当たる内廷会計で行うべきだとの考えを明かされた。
大嘗祭に公費を支出するという政府の決定に対し、皇族が疑問を公にする異例の発言といえる。
秋篠宮さまは、大嘗祭の費用に皇室の公的活動を賄う「宮廷費」を充てるという政府の決定を
「宗教行事と憲法との関係はどうなのか」と疑問視。「内廷会計で行うべきだ」と述べられた。
大嘗祭は絶対にすべきだが「身の丈に合った儀式で行うのが本来の姿」という。
山本信一郎・宮内庁長官らに伝えたが、「聞く耳を持たなかった」「非常に残念なこと」と苦言も呈された。
新天皇として大嘗祭に臨む皇太子さまは、公費支出を了解されている。
来年の代替わり後の公務については「一つ一つをその都度考えながら進めていきたい」と
前例にとらわれない姿勢を示された。平成時代を振り返り、経済が低迷し、自然災害が多かったが、
環境への関心が高まり、日本人が様々な分野で活躍した時代と総括された。
     ◇
長女、眞子さま(27)と小室圭さん(27)の結婚延期を巡る問いに対しては
「今でも二人が結婚したい気持ちがあるのであれば、相応の対応をするべきだ」との考えを初めて明かされた。
昨年末から小室さん側の金銭問題が週刊誌で報じられ、
お二人は今年2月、「準備不足」を理由に儀式の延期を発表された。
秋篠宮さまはこうした報道を念頭に置き、「多くの人が納得し、喜んでくれる状況にならなければ、
婚約に当たる納采儀は行えない」と小室さん側に対応を求められた。
https://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000304/20181129-OYT1T50111.html

秋篠宮さま、小室さん側へ「相応の対応は大事」
2018年11月30日
秋篠宮さまは誕生日に先立ち、妃殿下の紀子さまとともに臨んだ記者会見で、
長女、眞子さま(27)と小室圭さん(27)の結婚の延期について発言された。
小室さん側のトラブルを巡る報道を懸念し、「多くの人が納得し、喜んでくれる状況」を整えることが、
正式な婚約に進むためには必要だとの考えを明かされた。
「婚約前ですので、人の家のことに何か言うのははばかられますが」。
お二人の結婚延期について、慎重に言葉を選び、語られた秋篠宮さま。
「それ相応の対応は大事」と、小室さん側が報道について説明することを強く求められた。
お二人は昨年9月に婚約が内定し、一般の結納に当たる「納采の儀」を経て、
今年11月に結婚式を挙げられる予定だった。だが、昨年暮れ頃から、
小室さんの母が知人男性から提供された400万円以上を返済していないと、複数の週刊誌が報じた。
今年2月、結婚関連の諸行事を2020年に延期すると発表。
小室さんは8月に渡米し、3年間の予定で米ニューヨークで法律を勉強している。
小室さん側からは2、3か月に1回ほど連絡があり、報道が事実と異なるという説明も受けられた。
「じゃあ何か行動するのかどうか、連絡からは知ることができない」。言葉に不信感がにじむ場面もあった。
紀子さまは、眞子さまの近況について、週刊誌の報道が始まった昨年暮れ頃から
体調が優れないことが多くなったと明かされた。
「家族として非常に難しい状況にありますが、眞子がいとおしくかけがえのない存在と感じます」。
ひと言ひと言を絞り出すように娘への思いを語られた。
https://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000304/20181129-OYT1T50114.html

「まさか会見で」戸惑う宮内庁…秋篠宮さま発言
2018年11月30日
秋篠宮さまは誕生日に先立つ22日の記者会見で、
大嘗祭に公費を支出するという政府の決定に対し、疑問を示された。
政府は方針を変更しないが、皇族の政治的な発言ととらえ、問題視する声もある。
◆苦渋の表情
「まさか記者会見で述べられるとは」。宮内庁幹部は、秋篠宮さまの突然の発言に戸惑いの色を隠せない。
大嘗祭の費用について、政府は今年4月、平成の整理を踏襲し、公費を支出すると閣議で了解していた。
異例の発言から間もない22日午後、宮内庁の山本信一郎長官は記者会見で
「政府の方針に従って準備を進める」と話した。意見を聞いた上で、
大嘗祭は皇位継承に伴う重要な、伝統的な儀式で、
平成の代替わりで様々な議論を経て公費支出が決まったと、秋篠宮さまに説明してきたという。
「聞く耳を持たない」という苦言について
「私もつらいが、そう受け止められたのであれば申し訳ない」と苦渋の表情を浮かべた。
https://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000304/20181130-OYT1T50017.html

秋篠宮さま発言、「憲法上問題ない」官房副長官
2018年11月30日
西村康稔官房副長官は30日午前の記者会見で、秋篠宮さまが皇位継承に伴う
「大嘗祭」に宮廷費(公費)を充てる政府決定を疑問視されたことに関し、
「国政に影響を与えるものではないことから憲法上の問題は生じない」との認識を示した。
秋篠宮さまの発言を巡っては、皇族の政治的発言として問題視する声がある。
西村氏は「(秋篠宮さまは)記者からの質問に
あくまでご自身のお考えを述べられたものと理解している」と繰り返すにとどめた。
政府は、来年11月に予定される大嘗祭について、平成への代替わりを踏襲して公費を支出する方針を
今年4月の閣議で口頭了解しており、この方針で準備を進める考えだ。
https://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000304/20181130-OYT1T50055.html

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「宮内庁に対する叱責」 秋篠宮さま大嘗祭ご発言で同庁次長が見解
2018.12.3 15:41
宮内庁の西村泰彦次長は3日、秋篠宮さまが誕生日に先立つ会見で、
代替わりに伴う大(だい)嘗(じょう)祭(さい)を政府決定の国費ではなく
天皇ご一家の私的活動費でまかなうべきとし、
同庁の山本信一郎長官に対し「聞く耳を持たなかった」と発言されたことについて、
「しっかりした返答をしなかったことへの宮内庁に対するご叱責と受け止めている」との見解を示した。
西村次長は同日行われた定例会見の中で、秋篠宮さまのご発言に対する見解を問われ
「『大嘗祭は必ず行われるべきだ』という大前提のもとで、ご自身の考えを率直に発言された」としたうえで
「今回の(陛下の)譲位が具体化する前から、宮内庁長官などに伝えられていたものと聞いている」と述べた。
さらに、宮内庁としての考えを十分理解いただけなかったことについては「大変申し訳なく感じている」と謝罪。
ご発言は政府決定への反対ではなく「宮内庁に対する叱責」との認識を示した。
今後は意見が違うことがあっても理解いただくことが必要とし
「二度とこのようなことがないよう、しっかりと対応してまいりたい」と話した。
また、秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまのご結婚延期をめぐり、
秋篠宮さまが婚約内定相手の小室圭さん(27)側に「相応の対応をするべき」と発言されたことについて、
西村次長は「重い課題を課されたと理解している」と述べた。
https://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/181203/lif18120315410010-n1.html


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

秋篠宮さま「異例の疑義」に批判的な読売、理解を示した朝日


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

私費で賄う大嘗祭、秋篠宮さま自ら提案 既存の神殿活用
2018年12月25日03時00分
天皇の代替わりに伴う皇室行事「大嘗祭(だいじょうさい)」への公費支出について、
秋篠宮さまが宗教色が強いとして宮内庁に疑義を呈した際、代替案として、
宮中の「神嘉殿(しんかでん)」を活用して費用を抑え、
それを天皇家の私費で賄うという具体案を示していたことがわかった。
使用後に解体・撤去される「大嘗宮(だいじょうきゅう)」を新設しない分、大幅に費用を抑えられる。
こうした考えは前長官の代から伝えていたが、宮内庁は前回の代替わり時に議論を尽くしたなどとし、
本格的に検討しなかった。
複数の関係者が明らかにした。政府の方針では、来年の大嘗祭の関係費は
前回1990(平成2)年の22億4900万円から27億1900万円へと増大。
皇居・東御苑に新造される大嘗宮の設営費関連だけで19億700万円かかる。
関係者によると、秋篠宮さまは「天皇の代替わりに伴う諸行事は
国民の理解のもとで執り行われるべきだ」との考えで、
天皇陛下の退位の意向が内々に明らかになったことを受け、
風岡典之・前宮内庁長官(2012〜16年)に「公費支出はなじまない」と伝え、
今の山本信一郎長官にも繰り返し意見を述べてきた。
政府が公費支出を決める前の段階で宮内庁に熟考を求める意図があったという。
意見した際に「大嘗宮を建てず、宮中にある神嘉殿で執り行っても
儀式の心が薄れることはないだろう」とも述べた。神嘉殿は国中の神々をまつる神殿で、
収穫に感謝する毎年の新嘗(にいなめ)祭が行われている場。
これを使い、天皇家の私的な積立金のうち数億円で賄える範囲で実施を、という提案だった。
秋篠宮さまは誕生日を前にした11月22日の記者会見で大嘗祭に
公費支出をするべきではないと発言したほか、「身の丈にあった儀式」にすることが本来の姿とも述べた。
こうした意見を宮内庁長官らに伝えたが「聞く耳を持たなかった」とも語っていた。
秋篠宮さまは代替わり後は皇位継承順位1位の「皇嗣(こうし)」となる立場。
政府方針と違う発言をしたことを疑問視する意見もあったが、発言の理由については
「政府決定に異を唱える意図はない。皇室内部でもさまざまな意見があることを国民に知ってもらうことで、
今後の議論の参考の一つになれば」と周囲に語っているという。実際に皇嗣となれば、
憲法で政治的な権能を持たないと定められた天皇に次ぐ立場で、発言はより慎重さを求められる。
関係者は「今回の記者会見がお気持ちを示すぎりぎりのタイミングだったのでは」としている。
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〈大嘗祭と公費支出〉 新たに即位した天皇が1代に1度限り行う儀式。
稲作農業を中心とした古代社会の収穫儀礼に根ざしたもので、7世紀の天武天皇の代が最初とされる。
戦乱などにより、中世から約220年間行われなかったが江戸時代に再興された。
中核の「大嘗宮の儀」では新天皇がその年に収穫された米などを神々に供え、
自身も食し、五穀豊穣(ほうじょう)や国家安寧を祈る。
 公費支出を巡っては、平成への代替わりの時に大きな議論となった。
政府は宗教的な性格があるため「国事行為とはしない」とする一方で、「皇位継承の重要儀式」として公費を支出。
だが、政教分離を定めた憲法に反するとの意見があり、知事らの参列の合憲性を問う訴訟が相次いだ。
最高裁は支出そのものへの憲法判断を下しておらず、今も違憲性を指摘する声がある。
今回政府は前例を踏襲し早々に公費支出を決定。宗教者や市民らが支出差し止めを求めて東京地裁に提訴している。
https://www.asahi.com/articles/ASLD561DXLD5UTIL050.html

私費で賄う大嘗祭の提案、宮内庁「長官、記憶にない」
多田晃子 2018年12月25日19時49分
代替わりに伴う皇室行事「大嘗祭(だいじょうさい)」を巡り、
秋篠宮さまが山本信一郎・宮内庁長官に既存の宮中の「神嘉殿(しんかでん)」を活用し
費用を抑制する具体案を示していたと報じられたことについて、宮内庁の西村泰彦次長は25日の定例会見で、
「一つの考え方」として長官が事前に秋篠宮さまから聞いていた、と認めた。
だが、前回の代替わり時の整理や、古来皇位継承があった際は常設の施設ではなく
臨時の宮を建ててきたことなど歴史的経緯を踏まえ、
従来通り「大嘗宮(だいじょうきゅう)」を新設して行うこととしたという。
一方、秋篠宮さまは天皇家の私的な積立金のうち数億円で賄える範囲で実施を、とも提案していたと報じられたが、
西村次長は「長官は『記憶にない』と言っている」と述べた。
秋篠宮さまは11月22日の会見で、大嘗祭は宗教色が強いため公費支出はなじまず、
天皇家の「私費」にあたる「内廷会計」で賄うべきだとの考えを示し、
山本長官らに伝えたが「(長官らが)聞く耳を持たなかった」と語っていた。(多田晃子)
https://www.asahi.com/articles/ASLDT5GNVLDTUTIL02K.html