小林忍侍従日記

昭和天皇、戦争責任「つらい」
故小林忍侍従の日記
昭和天皇が85歳だった1987(昭和62)年4月に、戦争責任を巡る苦悩を漏らしたと
元侍従の故小林忍氏の日記に記されていることが分かった。共同通信が22日までに日記を入手した。
昭和天皇の発言として「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。
辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。
兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と記述している。
日中戦争や太平洋戦争を経験した昭和天皇が晩年まで戦争責任について
気に掛けていた心情が改めて浮き彫りになった。
小林氏は昭和天皇の側近として長く務め、日記は昭和後半の重要史料といえる。
https://this.kiji.is/405044604695348321?c=39546741839462401


小林忍侍従日記の詳報
昭和天皇の侍従だった小林忍氏の日記の詳報は次の通り。(表記は原文のまま)
1974年4月26日 田中氏から宮殿菊の間つつじ庭の桐の花が咲き始めたとの連絡あり、
お上に申しあげたところ、お庭にお出まし。
お供してつつじの庭左側の桐というのでみて回られたがわからずじまいで、場所を確かめておくようにとのおおせ。

5月5日 
午前御散策。(中略)お上が最初「小林、暑ければ上衣をとっていいよ」とおっしゃられた。

9月13日 
佐藤達夫氏(※注1)の献上のアヅマシライトの所で
「遺品だな。持って来た人は死んでしまった。遺品だな」とおっしゃった。しんみりさせられた。

9月25日 
東宮四殿下御参(中略)礼宮やんちゃで広間のドラを一発ならす。

1975年4月28日 
今日は沖縄デーでデモ行進あり。失念していたところ、(中略)お召しで混乱の有無をお尋ねあり。
全く報道されなかったので何もなかった旨申しあげた。「それはよかった。それはよかった」と非常にお喜びだった。

5月13日 
「天皇の外交」伊達宗克著(NHK記者)(現代企画室刊)につき毎日新聞に広告が出ており、
それに戦争のつぐないとして戦後平和外交を推進しているかの如く広告しているが、
そのような内容ならそれはおかしい。戦前も平和を念願しての外交だったのだからと仰せあり。
内容を調べてほしいといわれた。

11月24日 
お上の近況について侍従長のお話(11月22日昼食事の時)。
御訪米、御帰国後の記者会見等に対する世評を大変お気になさっており、
加えて御体調がお風邪、下痢なども重なり御疲れが三重国体後もなお十分でないこともあり、
御自信を失っておられるので(中略)記者その他専門家筋の批評が、
お上の素朴な御行動が反ってアメリカの世論を驚威的にもりあげたことなど具体的につぶさに申しあげ、
自信をもって行動なさるべきことを累々申しあげたところ、涙をお流しになっておききになっていたと。
それで大変御気嫌よく19日の御訪米随員等のお茶御出ましの時は非常にお元気であったと。

76年2月26日 
2・26事件の当日に当るので、宮殿にお出ましなし。

78年4月29日 夜は東宮五殿下、常陸宮両殿下吹上においでお祝い御膳。7
時ごろから35分野生の王国(吹上御苑の野鳥)(NHK)(※注2)を皆様で御覧。

5月19日 
東宮殿下がお上のお風邪の間色々と行事をなさったことについて天皇の代行なのか東宮殿下としてなさったものか、
御名代とは何かなど論議が再燃している。今回の諸行事は急ぎきまったため十分な理論づけ、
詰めがなされて行われたものでないため、その形式が先行して処理されたきらいがあり、
そのために理論づけが曇ることになることを恐れる。

5月26日 宮内庁長官異動 のびのびになっていた長官の異動今日認証式、発令。(中略)
激動の戦後から新しい皇室制度の定着をはかったのは宇佐美氏のがんこさの功績であろう。
新長官(※注3)がなお残る旧来のろう習にどのように立ち向うか、仲々むずかしいと思われる。
入江、徳川両長老(※注4)のいる侍従職への発言力が高まると同時に、侍従長の重責がさらに高まろう。

6月20日 
那須御用邸行幸啓。(中略)夜、那須から電話。日本帰化植物図鑑と高知植樹祭日程表をお忘れにつき送付されたしと。

10月23日 
ケ小平副総理午餐。(中略)日中平和条約批准書の交換のため来日したものだが、大変な歓迎ぶり。(中略)
国賓以上の報道ぶり。右翼の妨害に対する警戒ぶり厳重であることの報道ないのはどうしたことか。

79年8月17日 
那須御用邸行幸啓。(中略)お庭御散策の際「山ユリの花が今日までにすっかり終ったことは
例年より1週間位早いのではないか。マルバダケブキの花がもう咲いているところから、
今年の秋は早く、寒さが早くくるのではないか」とおっしゃった。

80年2月19日 
三宮様御参晩餐。(中略)大食堂からお戻りの際、はじめ高松宮さまが皇后さまのお手をお持ちだったが、
お上がお焼きになるからと宮様がおっしゃり皆様大笑い。
お上がなさったらということでお上が皇后さまとお手をつないでお談話室にお戻り。
大変ほほえましい、珍らしい情景だった。

5月27日 
華国鋒首相との御引見にあたり、陛下は日中戦争は遺憾であった旨先方におっしゃりたいが、
長官、式部官長は今更ということで反対の意向とか。侍従長は結構という意見らしいが、
長官などの反対は、右翼の動きが気になるためという。
しかし、国際的に重要な意味をもつことに右翼が反対しているから、止めた方がよいというのでは余りになさけない。
かまわずお考えどおり御発言なさったらいい。大変よいことではないか。

81年5月5日 
レンゲツツジ(赤と黄)満開。
これは毒なので山野(那須でも)では馬も食べないためこれだけ残り、繁茂しているとお上。

6月6日 
御生研からのお帰り時、大池通りにクサイチゴの赤い実が多く熟していた。
「クサイチゴの実は野生のイチゴとしては最もうまいものである」
「ヘビイチゴの実は、以前には毒だと言われていたが、毒ではない。
しかし今では味がない(すっぱくも、甘くもない)といわれている」

85年2月26日 
昭和12年(※注5)の2・26事件の日のため、午前中宮殿へのお出ましなし。午後は進講あり。

6月27日 
国立防災科学センター、筑波実験植物園においで。
植物園ではカワラナデシコについて強い疑問をおもちで、ハマナデシコではないかと。
記者会見のあと黒川園長にお上のお考えをそっと伝えたところ、言下に否定した。

87年2月3日 
高松宮殿下薨去(こうきょ)。

24日 
全くお行事なく、お上も26日の2・26事件に当る日であるが1週に2回も何もない日があることは珍らしい。
何か特別のわけでもあるのかのお尋ね。国会との関係、喪中であることなどから偶然そうなっただけと申しあげた。

4月6日 
土曜日の御研究を午前中だけにすることについて御意見あり。(中略)
午前中は1時間くらいしか時間がないので、須崎の採集物など研究するひまが少なくなってしまうので、
午後を切ることは賛成しかねる。

7日 
お行事軽減について御意見

仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛(つら)いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。
兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれるなど。
これに対し、戦争責任はごく一部の者がいうだけで国民の大多数はそうではない。
戦後の復興から今日の発展をみれば、もう過去の歴史の一こまにすぎない。
お気になさることはない。個人的には色々おつらいこともおありでしょうが、
国のため国民のためにお立場上、今の状態を少しでも長くお続けいただきたい旨申し上げた。昨夕のこと。

29日 
豊明殿の宴会途中御退席。(中略)お席でお上がお食事をおもどしになったので、(中略)
お歩きで泉の間にご退場。(中略)侍医の診察あり。一段と平常に近ずいていると。
(当初、血圧70−130 お脈85、お体温5・6°)。朝から胃のつかえがあった御様子で、
基本的にはお疲れがあったところに(1週間前の記者会見の前後の緊張も原因の一つと思われる)
気候不順など重なりこうなったと思われる。

7月19日 
お上御異常。御車寄前植込横(東側)においでの時急にお立ち止り、
不審に思っているとふらふらなさり始めたので、高木侍医長と田中侍従が左右からお支えしたところ
その場におくずれになった。(中略)侍医長のお尋ねに少し胸苦しい旨おっしゃった。(中略)
心電図をお取りしたが格別の異常はないとのこと。(中略)4時からは大相撲のテレビを御覧になり、
夜は御夕食も割合良く召上がり、8時からの「伊達政宗」を御覧になった。(中略)
看護婦長にお話しになったところによると少しむかついたとのことで、
エレベーターでの「胸苦しい」というのは「むかつき」をそう表現なさったのか。
要するに脳貧血だったということであるが、その原因は結局よくわからないということ(中略)

9月21日 
沖縄に浩宮さんに同行する筈だった宮内記者会の連中は出発当日19日の朝全員出発取り止めて、
陛下の取材に動いたという。侍従室にも記者入れかわりやってくる。
宮内庁発表(午)後3時 8月下旬から時々おなかが張るなどの御異常。(中略)
明22日宮内庁病院にご入院手術の予定。(中略)
概略以上のような発表。報道されている実状からみて何とも間が抜けている。

22日 
御入院・手術 国事行為の臨時代行 東宮殿下 当分の間 御署名は「裕仁 明仁」となさる(御訪米時と同じ)
(中略)〈記者の質問攻めに遭い〉手術の時間は事前の診断やら、
麻すいの用意やらで手術後も麻すいの状況など見守るため順調にいっても2時間半くらいかかるらしい
事前にそういう説明がないので、長びいていて悪い個所があったのではとか、いらぬおくそくが飛び交うことになる。

88年2月9日 
「皇居の植物」原稿御覧。数日前から愈(いよいよ)。
原稿お手許に出たので御熱心に御検討。あれこれ御注文やらお尋ねが当直の侍従にある。
一度お答えしたものについて更にお尋ねなどあり、
お上は根をつめて御検討なので御疲れが出るのではないかと心配される。

9月19日 
御容態急変 (中略)わが家には0時半と1時ころの2回朝日新聞社会部青柳氏から電話
(最初は氏名不明)あり(中略)宮内庁から連絡はないかときいてきた。文子が寝ている旨答えた。
何かあったと思ったが、もしそうなら当直の田中氏は対応に追われていると思い確認の電話はせず。

22日 
国事行為臨時代行の委任 (中略)御沙汰書には本来御署名があるところ今回それがおできにならないので
陛下の委任する旨の御意思を明確にしておく必要があるとの法制局の意向で、
御沙汰を伺った当直侍従から宮内庁長官宛に次のような文書を提出しておいてほしいとのことであったので、
事務主管の卜部侍従の名前で提出した。(9月22日付)
「天皇陛下から、国事に関する行為を委任する旨の御沙汰がありましたので、
御報告します。宮内庁長官 藤森昭一殿 侍従 卜部亮吾(印)」

11月14日 
案外持ちこたえ新嘗祭(にいなめさい)までは大丈夫という予想も出ている。

お召し 夜8時半すぎ侍従をお呼びというので御寝室に出た。
言語不明瞭というより言葉になっていないので侍医2人、看護婦3人と何とおっしゃっているのか
聞き耳をたてたが全く分からない。(中略)「明日にまた」と伺ってもそれは御承知にならない。
今知りたいということらしい。お疲れになるばかりというので、
侍医が安定剤を点滴に入れお眠りになるようにした。先週9日に安定剤を投与してからお眠りが多くなり、
言語も不明瞭になってきたらしい。その分御病状は安定している。

12月1日 
摂政問題 御容態が現状のように傾眠状態が続き、意識が明確でなくなってくると、
一時的でも意思表示ができればよいが、さもないと国事行為の代行では済まなくなる
虞(おそ)れが出てくる。(中略)常時意識がはっきりしない状態であるとなると代行制度はなじまず、
摂政を立てざるをえなくなるのではないか。幹部の間でも論議されている。

20日 
昨日は「おじゃじゃ」ということもおっしゃったと。「痛い」とか「いや」とかも。
侍医も驚いているというが、一時的なものかどうか。

23日 
昨夜 侍医の「お寒くありませんか」の呼びかけにお首を左右にお振りになるなど反応をお示しになったという。

31日 
9月の御発病以来、侍従長と侍従次長は日曜、祭日もなく毎日吹上に勤務を続けている。
御容態の安定しているときぐらいはどちらか交替で休めばよいと思うのだが、
東宮両殿下が毎日お見舞に吹上においでのこともあるのか休まれない。

89年1月6日 
このところ輸血の効果が仲々出にくくなっている。すべての機能が衰えてきているためという。
尿も殆ど出ない状況が続き、愈(いよいよ)今度こそはという時期にきている。

7日 
崩御 前・6時33分 朝5時すぎ当直の井原侍従から電話。御容態悪化したので待機していてほしいと。
更に6時ころ電話で来るようにと。(中略)8時ころ吹上へ。すぐ御寝室に急ぎゆく。お別れの拝礼。
既に侍医、看護婦の手でお体の清拭など行われ丁度終るところだった。
間もなくお召ものをお着せすることが始まり、卜部氏と小生が主になって申又、袖なり肌着、
小袖、襪(シタウズ)(足袋指なし)、帯をおきせする。(中略)肌着は右手は袖を通したが
左手は腕関節が既に固くなって曲がらないので袖に通すことができず、左手は肌着の中に包んで前部ボタンを掛けた。
小袖の袖も同様にせざるを得ず、左手は袖を通さず、従ってたもとはお体にかけたようなぐあいになった。
お体の下を小袖をくぐらせる時はお腰をもちあげたり、横にしたり仲々重い。まだ暖かみが残っていた。

23日 
殯宮(ひんきゅう)一般拝礼は昨日1日だけで16万3400名の人が来たという。
好天で割合暖かったせいもあろうが、それにしても大行天皇に対する国民の敬愛、哀惜の情の深いのを感ずる。

11月29日 
「皇居の植物」完成。懸案だった「皇居の植物」が納入された。(中略)立派なできばえ。

90年8月21日 
徳川参与侍従室に来られ暫(しばら)くお話し。靖国神社への総理参拝で
毎年問題となる戦犯合祀(ごうし)で東條など取りあげられるが、
最も問題となるのはむしろ松岡、広田の文官(非軍人)が入っていることである。
また特に松岡は日米開戦の張本人ともいうべきもので、日米交渉の最中、
ルーズヴェルト大統領の出した条件に、陸軍も海軍も賛成していたのに松岡が
自分が交渉に当らなかった故をもって反対したために交渉がまとまらなかったという。
松岡は日独伊三国同盟をまとめて帰国の途中、ソ連に寄り、日ソ不可侵条約を結んで、
そのためドイツをひどく怒らせたとか、とにかく異常の人だった。
松岡はA級戦犯の判決後2年くらいで病気のため入院死亡した。処刑されたのではない。と

11月17日 
大嘗祭習礼。今日初めて大嘗宮を見る。仲々立派だが、14億円とはとても考えられない。

22日 
陛下が悠紀殿にお入りになると剣璽及びお裾の侍従は同殿の西側簀子(すのこ)に出て坐り、
陛下のお帰りを待つが、このあと2時間40分の間この3人だけで待機するのは大変だからというので
他のお供の侍従6人も3人ずつ組んで20分ずつ交替で簀子に坐る。(中略)
采女、掌典の内部における神饌供饌の儀の終るのを待つ間庭燎の明りだけがともされ神秘的な雰囲気をかもし出す。

(※注1)74年9月13日の「佐藤達夫氏」は、法制局長(当時)を務めたこともある人事院総裁だった佐藤氏。9月12日に死去した。
(※注2)78年4月29日の「NHK」は「TBS」の誤りとみられる。
(※注3)78年5月26日の「新長官」は、警察官僚の富田朝彦氏。
(※注4)同じ日付の「入江、徳川両長老」は、当時の入江相政侍従長と徳川義寛侍従次長。
(※注5)85年2月26日の「昭和12年」は「昭和11年」の誤りとみられる。
(共同通信社)
https://www.toonippo.co.jp/feature/notice/kobayashi

皇太子ご夫妻秋田

雅子さま、今年初の地方公務 皇太子さまと秋田の小学校
中田絢子2017年7月11日18時45分
秋田県を訪問中の皇太子ご夫妻は11日、潟上市立大豊小学校を訪れ、
児童が地元の魅力を発信する授業を視察した。雅子さまの地方公務は今年初めて。
この日は、6年生の児童42人が5班に分かれ、地元の歴史や名所を模造紙に書き込み、
発表する授業を行った。皇太子ご夫妻は各班を回り、腰をかがめて児童の顔をのぞき込みながら
発表に聴き入った。佃煮(つくだに)など地域の特産品について調べた班の児童には、
雅子さまが「どこが面白かったですか」などと質問していた。
ご夫妻はその後、秋田市の県立博物館に移動し、県立金足農業高校の生徒ら7人が
稲わらを使った伝統的な履物づくりに取り組む様子を視察した。(中田絢子)
http://www.asahi.com/articles/ASK7B35FWK7BUTIL00G.html

皇太子ご夫妻、秋田入り
2017年07月11日 19時02分
皇太子ご夫妻は11日、第53回献血運動推進全国大会に出席するため、空路で秋田県入りされた。
療養中の雅子さまが宿泊を伴う地方公務をされるのは、昨年11月の岐阜県訪問以来。
ご夫妻は、潟上かたがみ市の小学校で6年生のグループから、
八郎潟の水質改善の取り組みなどについて説明を聞き、
「色々調べたんですね」「どこが楽しかったですか」と声を掛けて回られた。
秋田市の県立博物館では、地元の高校生による藁わらの履物製作を見学。
皇太子さまは「技術の伝承が非常に大事ですね」と語られた。献血大会は12日、同市で開催される。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20170711-OYT1T50055.html

皇太子さま
日赤秋田看護大を視察
毎日新聞2017年7月12日 10時38分(最終更新 7月12日 10時38分)
秋田県を訪問中の皇太子さまは12日、秋田市の日本赤十字秋田看護大・同秋田短大を視察された。
皇太子さまは、学生が患者役の人の体を起こしたり、手を洗う実習などを見学した。
宮内庁によると、雅子さまは同日午後に同市である献血運動推進全国大会への出席に備えて、
体調を整えるため視察は見送られた。【高島博之】
https://mainichi.jp/articles/20170712/k00/00e/040/242000c

皇太子さま、短大生の介護実習など視察 秋田県を訪問中
秋田県を訪問中の皇太子さまは12日午前、秋田市の日本赤十字の秋田看護大学と秋田短期大学を視察した。
皇太子さまは、介護を学ぶ短大の2年生が、ベッドに寝ている人を車いすに移したり、
シーツを交換したりする実習を見守り、「この段階で一番気をつけることは何ですか」
「どうですか、演習は」などと質問した。
http://www.asahi.com/articles/ASK7B35X2K7BUTIL00H.html

皇太子さま、豪雨被害に「哀悼」
秋田市の献血大会に出席
2017/7/12 17:02
秋田県を訪問中の皇太子ご夫妻は12日午後、
秋田市の県立武道館で開かれた第53回献血運動推進全国大会に出席された。
皇太子さまはあいさつの冒頭、福岡、大分両県で大きな被害が出た九州北部の豪雨に触れ
「大雨による災害で亡くなられた方々に心から哀悼の意を表します」と述べた。
皇太子さまは「被災地での救援と復旧の作業が速やかに進むことを願っております」と話した。
大会には「献血に対する社会全体の理解がさらに深まることを希望します」との言葉を寄せ、
功労者らを表彰。雅子さまも拍手を送っていた。
雅子さまは同日午前、体調を整えるため日本赤十字秋田看護大の視察を見送っていた。
https://this.kiji.is/257777569811202056

愛子さまサマースクールへ

愛子さま、22日から英留学へ
宮内庁は6日、皇太子ご夫妻の長女愛子さま(16)=学習院女子高等科2年=が
同校の海外研修プログラムに参加するため、22日から8月9日まで英国に短期留学されると発表した。
愛子さまが単独で海外を訪れるのは初めて。
同プログラムは夏休みの期間を使い、英国の名門イートン校で英語教育を受けるサマースクール。
愛子さまは同級生ら約40人と寮生活を送りながら、英語の授業のほか、
英国文化の体験学習としてロンドンやポーツマス、オックスフォードなどで施設を見学する。
(2018/07/06-17:35)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018070601060&g=soc

愛子さま、宮中三殿参拝
皇太子ご夫妻の長女愛子さま(16)=学習院女子高等科2年=は21日午前、
英国への短期留学を前に、皇居の宮中三殿を参拝された。
愛子さまは22日から8月9日まで、同校の海外研修プログラムに参加。
同級生らとともに英国の名門イートン校で英語教育を受ける。
制服姿の愛子さまは午前10時15分ごろ、車で半蔵門から皇居の中へ。
集まった人に笑顔で手を振った。(2018/07/21-11:04)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018072100319&g=soc

宮中三殿に参拝のため皇居に入る愛子さま=21日午前、皇居・半蔵門(代表撮影)
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2018.7.21 16:49
皇太子ご一家、両陛下にあいさつ 愛子さまの英国留学前に

天皇、皇后両陛下へのあいさつのため、皇居に入られる皇太子ご夫妻と愛子さま
=21日午後、皇居・半蔵門(代表撮影)
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皇太子ご一家は21日、長女、敬宮(としのみや)愛子さま(16)の英国短期留学を前に、
天皇、皇后両陛下にあいさつするため、両陛下の住まいがある皇居・御所を訪問された。
これに先立ち愛子さまは同日午前、歴代天皇などを祭った皇居・宮中三殿を単独で参拝。
愛子さまは22日、英国に向け出発する。
愛子さまは、通学する学習院女子高等科の海外研修プログラムの一環として、
英国ロンドン郊外にある名門私立イートン校のサマースクールに参加する。
ご夫妻と離れて海外に滞在するのは初めて。8月9日に帰国する予定。
http://www.sankei.com/life/news/180721/lif1807210017-n1.html

愛子さま、英留学に出発
皇太子ご夫妻の長女愛子さま(16)=学習院女子高等科2年=は22日朝、
英国で行われる同校の海外研修プログラムに参加するため、
お住まいの東宮御所(東京・元赤坂)を出発された。
ロンドン郊外の名門イートン校で英語教育を受けるなどし、8月9日に帰国する。
宮内庁によると、愛子さまは滞在中、同級生らと一緒にイートン校の学生寮で生活を送る。
英語で行われる授業を受けるほか、ポーツマスやオックスフォードなど各地も訪ね、英国の文化を体験する。
愛子さまは4歳の時、静養のためご一家でオランダを訪れたことがあるが、
ご夫妻と離れて海外を訪れるのは初めて。
出発前は、英国で新しい体験ができることを楽しみにしている様子だったという。
(2018/07/22-10:38)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018072200128&g=soc


愛子さま、英から帰国=笑顔で「楽しかった」
英国の名門イートン校でのサマースクールに参加していた
皇太子ご夫妻の長女愛子さま(16)=学習院女子高等科2年=は9日午後、羽田空港着の民間機で帰国された。
愛子さまは午後4時半すぎ、お住まいの東宮御所(東京・元赤坂)に到着。
集まった報道陣が「お帰りなさい」「いかがでしたか」と声を掛けると、
車中から「楽しかったです」と笑顔で答えていた。
愛子さまは7月22日に英国へ出発。滞在中は同級生らと学生寮で生活しながら英語教育を受け、
オックスフォードなど各地を訪ねて同国の文化を体験した。
(2018/08/09-17:44)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018080900994&g=soc

愛子さま「すべてが新鮮」=英留学終え感想
英国への短期留学を終えた皇太子ご夫妻の長女愛子さま(16)=学習院女子高等科2年=は10日、
「初めは少し不安もありましたが、すべてが新鮮で、また日がたつにつれて英語の授業にも慣れ、
とても楽しく充実した滞在になりました」などとする感想を宮内庁東宮職を通じて発表された。
愛子さまは7月22日に英国に出発し、同級生とともに英国の名門イートン校でのサマースクールに参加。
学生寮で生活しながら英語教育を受け、オックスフォードなど各地を訪ねて同国の文化を体験し、
9日帰国した。(2018/08/10-18:20)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018081001001&g=soc

愛子さま、皇居・宮中三殿を参拝
英国からの帰国を報告
2018/8/11 11:25
皇太子ご夫妻の長女愛子さま(16)は11日午前、英国短期留学を終え帰国したことを報告するため、
歴代天皇などを祭った皇居・宮中三殿を単独で参拝した。
愛子さまは7月22日に出発。通っている学習院女子高等科の海外研修プログラムの一環で、
ロンドン郊外にある名門私立イートン校のサマースクールに参加、8月9日に帰国した。
https://this.kiji.is/400830810099909729

愛子さま、両陛下にあいさつ=英留学終え−皇居
皇太子ご夫妻の長女愛子さま(16)=学習院女子高等科2年=は11日午後、
ご夫妻とともに皇居・御所を訪れ、天皇、皇后両陛下に英国への短期留学を終えたことのあいさつをされた。
愛子さまは午後4時ごろ、ご夫妻と同じ車で半蔵門から皇居に入り、
集まった人に笑顔で手を振った。これに先立ち同日午前には、皇居の宮中三殿を参拝した。
(2018/08/11-17:07)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018081100427&g=soc


女子中・高等科 イートンサマースクール2018
BLOG7月
BLOG8月

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

愛子さまイギリス・イートン校へ短期留学 雅子さまとの“母子シンクロ”のゆくえ
7/23(月) 11:00
http://bunshun.jp/articles/-/8202

皇太子ご夫妻の長女・愛子さま(16)が、学習院女子高等科2年の夏休みに
イギリスの名門私立・イートン校のサマースクールへ参加されるため、7月22日、羽田空港から出国された。
午前7時40分頃、愛子さまが車で東宮御所を出発されたときは、窓を開け、満面の笑みで何度も会釈されていて、
イギリスへの短期留学を心待ちにされていたことが、ひしひしと伝わってきた。
この週末に髪をカットされたようで、夏らしい短めの前髪がお似合いだった。
3週間にわたる留学プログラムでは、ロンドン郊外に位置するイートン校敷地内の寮で、
他の女子生徒とともに生活されるという。

「The Times」のウェブサイトでは、7月に入り
「日本のプリンセス・アイコがイートン校のサマースクールに参加する
(Japan’s Princess Aiko to attend Eton summer school)」と報じた。
この記事の中では、「愛子さまの父親は、来年即位して天皇陛下になる方」と紹介され、
「愛子さまの両親である皇太子ご夫妻は共に、1980年代にオックスフォード大に留学し、
皇太子妃雅子さまは、天皇ご一家の中でもっとも高学歴である一人で、
オックスフォード大のベリオールカレッジの前は、東京大の法学部とハーバード大の経済学部で学んだ。
彼女の娘である愛子さまにとっては、イートン校での滞在が
“金の鳥かご”の外に出るという経験になるだろう」と述べられており、
現地メディアからも注目を集めていることがうかがえる。
雅子さまと愛子さまが3週間もの長い間、離ればなれになるのは、おそらく初めてのことだ。

雅子さまと愛子さまは、ファッションやヘアスタイルをお揃いに
雅子さまと愛子さまの関係性は、長らく“母子密着”と言われた。
愛子さまが学習院初等科3年から不登校のような状態になる少し前から、お二人とも髪を非常に長く伸ばされて、
ほとんど同じ髪型になさるなど、ファッションやヘアスタイルをお揃いにされていた。
愛子さまが順調だと雅子さまのお加減もよくなることもあり、“母子シンクロ”とも言われた。
愛子さまが初等科6年だった2013年の夏、那須どうぶつ王国にいらした際に
グッチのキッズラインのバッグをお持ちになっていたときの衝撃はいまでも忘れられない。
私の目には、雅子さまの海外ブランド志向が影響しているように見えた。
他のお友達は布製のポシェットなど、実に子どもらしい持ち物だったのに、
愛子さまだけが4万円相当のグッチのバッグをお使いになっていた。
レジャー先で高価なブランド物を持たせる感覚に、強い違和感を覚えたのだ。

「思春期やせ症」を思わせるような痩せたお姿
愛子さまは、学習院女子中等科へ進学されてもなお、欠席や午後からの登校が目立つ時期があった。
中等科3年だった2016年の夏頃は「山の日」の公務など、
皇太子ご夫妻とご一緒にはつらつとしたお姿を見せられる機会が多かったのだが、
その年の秋頃から、体調不良を理由に学校を長期欠席された。
過度なダイエットによる「思春期やせ症」を思わせるような痩せたお姿を拝見した国民は、
愛子さまを案じるとともに大きなショックを受けただろう。
だが、女子高等科1年の1学期頃から、徐々に愛子さまは快活なご様子に戻られた。
ご通学の状況を現場で取材していた私は、深く安堵した。
そして、次第にお召し物や身につけられる小物に「愛子さまらしさ」が感じられることが増えてきた。
少しずつ自主性が芽生え、親離れがおできになっているのでは、と拝察していた。

愛子さまは「ガーリー」なテイストがお好き
最初に気になったのは、ご通学用に持参されていた「ラデュレ」の猫柄ビニールトートバッグ。
お弁当などを入れられていたのではないだろうか。
淡いグレー地に、手鏡の中にうつった黒猫がプリントされた可愛らしいデザインだった。
愛子さまは「ガーリー」なテイストがお好き。このことを確信したのは、
昨年4月に目白の学習院大キャンパスで開催された恒例行事「オール学習院の集い」でのこと。
売店の食べ物や自動販売機の飲み物を購入されるとき、愛子さまはご自身のお財布からお金を出されていたのだが、
遠くからそのご様子を拝見していたところ、ピンク色の2つ折り財布をお使いになっていた。
お財布を手にされているとき、内側のネイビーのボーダー柄がちらりと見え、「もしかして」と思い
確認してみると、高校生にも人気のブランド「ケイト・スペード ニューヨーク」のものだった。
また、ポップな花柄が人気のイギリスのブランド「キャスキッドソン」もお好きなようで、
昨年10月の「高校野球秋季大会」で学習院高等科と駿台学園高校の試合を観戦された際に、
このショルダーバッグをお持ちになっていた。
ゆったりとした白Tシャツのすそにフリルがデザインされたトップスに、
デニム風のやわらかい素材“デニット”のミニスカートを合わせ、
ポニーテールを若草色のシュシュでまとめられていたのも、女の子らしいコーディネイトだった。
赤い双眼鏡を手に終始声援を送られて、学習院高等科1年の同学年である男子がバッターボックスに立ったときは、
デジカメでその勇姿を撮影されていた。
お友達とボウリングやプリクラ、カラオケを楽しまれている
このところは、お友達とのお出かけ先も思春期ならではの場所に変わってきている。
高等科2年に進学されたばかりの今年4月、都内でボウリングを楽しまれた際は、
お友達とプリクラを撮ったり、カラオケ店にも足を運ばれた。
この時の愛子さまのファッションはぐっと大人びていた。
ベージュのスカートに、白地にネイビーのボーダーシャツをイン。グ
レーのロングカーディガンを羽織って、赤いバッグをお持ちになっていた。
胸元から大ぶりのネックレスがのぞき、パールのようなイヤリングを身につけられていた。
一方の雅子さまは、来年の5月に皇太子さまが即位されるにあたり、皇后になられる。
6月には、腰椎ねんざ(ぎっくり腰)が原因で一部行事を欠席されたことが報じられたが、
愛子さまの留学中にも、雅子さまの公務が予定されている。
8月5日、皇太子さまは、甲子園球場で 「第100回全国高校野球選手権記念大会」開会式へ出席され、
第1試合を観戦される。
雅子さまもご体調次第ではお出ましになるという。
緩やかではあるが着実に、雅子さまと愛子さまが、かつての“母子密着”状態を克服されることで、
お二人ともに前向きなご姿勢で、公務や学業に励まれるようになったのでは、と私は拝察している。
新時代を担われる皇太子ご夫妻と愛子さま。ご即位までの約10カ月間、
皇太子ご一家への注目がさらに高まることは必至だろう。
佐藤 あさ子



愛子さま 初の単独海外訪問で心配される英国式歓迎との相性
2018.07.24 07:00
https://www.news-postseven.com/archives/20180724_724687.html

皇室外交を担う立場となる以上、皇族に“海外経験”は欠かせないものとされてきた。
英国の名門・イートン校への短期留学は、学習院女子高等科2年生の愛子内親王にとって初の単独での海外訪問だ。
「学習院全体がグローバル人材の育成を推進していて、
女子高等科でも積極的に留学プログラムへの参加を奨励しています。
40名の枠は、毎年希望者で早々に埋まる」(学習院関係者)
イートン校は1440年に国王ヘンリー6世が創設した寄宿制の男子校で、
ウィリアム王子やヘンリー王子といったロイヤルファミリーのほか、貴族の子息も数多く通う。
「夏休み中の特別なプログラムなので、女子生徒も参加が可能です。
留学期間中、午前は英語学習や英国史などの授業を受け、
午後はスポーツや博物館見学など、学校外でのアクティビティに出かけるというのが基本的なスケジュール。
勉強はもちろん、思い出作りに参加する生徒も多いようです」(同前)
愛子内親王より一足早く、秋篠宮家の佳子内親王が、同じくイギリスでの留学から6月に帰国した。
「頬やあごのあたりが、全体的にすこしふっくらしたという印象でした。
年頃の女性であれば、ちょっとくらいの体型の変化は普通のことでしょうが、
愛子さまについては他の皇族方より少し心配なところがあります」(皇室記者)
例年、留学プログラムではグループワークとして、
構内のダイニングでスコーンを作ってアフタヌーンティーを楽しんだり、
インド料理店でのディナーや、湖畔でのバーベキューといった「食」のイベントが立て続けに催されている。
「2016年末頃から見られた愛子さまの『激ヤセ』の引き金は、
過度な炭水化物制限ダイエットだったと言われています。
普段と違う食生活になる上、留学期間中は気の合う同級生たちとずっと一緒に行動することもあり、
開放的な気分になりがちです。
もし佳子さまのような“体型変化”があり、帰国後、それを気にした愛子さまがまたダイエットに励もうとしたら……
と周囲は気を揉んでいます」(宮内庁関係者)
帰国は3週間後の予定だ。
※週刊ポスト2018年8月3日号


愛子さまがサマースクールに参加 電話も禁止された英語漬けの日々
2018年8月8日 8時0分 デイリー新潮
http://news.livedoor.com/article/detail/15128200/

学習院女子高等科2年に在学中の愛子さま(16)は、7月22日に羽田空港を出発。
8月9日まで、学校の海外研修プログラムである英国・イートン校でのサマースクールに参加されている。
「イートン校は、言わずと知れた名門私立男子校。600年近い歴史を有し、
ウィリアム王子やヘンリー王子もOBです。
また19人の首相も輩出するなど、英国のエスタブリッシュメントを形成してきました」
とは、宮内庁担当記者。
その名門が、夏期に世界の若者に向け門戸を開放。学習院女子も毎年、生徒を送り出してきた実績がある。
イートン校のHPでは、
〈日本人学生のための英語及び文化コース〉
として、以下のような説明がなされている。
〈最大で320名の日本の男女高校生に、カレッジで英語を学ぶとともに、
18日間にわたり英国文化に親しむ機会を提供します。(略)
約50時間のTEFL(外国語としての英語教授)を受講してもらうことを企図しており(略)
コース修了時点までに、学生は英語での会話に参加することができるようになります〉
空港では40人ほどの生徒らとともに、スーツケースを手に搭乗された愛子さま。さる宮内庁関係者によれば、
「今回はあくまで学校行事の一環。皇族としてのご旅行ではなく、現地で英王室との交流などもありません。
愛子さまは、他の生徒さんと一緒にエコノミークラスに乗られました。
ベテランの東宮女官と若い女性職員が1人ずつ同行していますが、身の回りのお世話をするわけではないのです」
というのも、
「愛子さまは、現地に到着したのちロンドン西郊に位置するイートン校の敷地内にある学生寮に入られ、
3週間近く、他の生徒さんと共同生活を送られています。
女官や職員は、学校内にあるスタッフの部屋を借りて宿泊していますが、寮からは離れており、
できるだけ愛子さまには近づかず、学校の方針にお任せすることになっています」(同)
遠巻きに見守り、日々の出来事を宮内庁に伝える役回りに徹するというのだ。
「それにしても印象的だったのは、出発の際の愛子さまのご表情です」
とは、先の記者である。
「22日の朝8時前、お一人で東宮御所を発たれた愛子さまは、
報道陣から『行ってらっしゃいませ』と声をかけられると、窓を開けながら嬉しそうに何度も会釈なさったのです。
それは最近では拝見したことのない、まさしく“満面の笑み”でした。
また、一時期の激やせが嘘であるかのようにお顔がふっくらなさっているのが
誰の目にも明らかで、我々も安心しました」
中等科3年生だった一昨年秋には、思春期にしばしば見受けられる摂食障害のような症状に陥られ、
学校を長期欠席なさったこともあった。当時に比べれば、まさしく別人のようになられたのは疑うべくもない。

英語漬けの日々
ご一行の様子は、学習院女子中・高等科HPの「イートンサマースクール2018」ブログで、こう記されている。
〈約12時間のフライトを経て、無事ロンドン・ヒースロー空港に到着しました。
多くのイートンスタッフに出迎えられ、ハウス(寮)に着くと自分で部屋に荷物を運び込み、
IDタグを受け取って、点呼の取り方等の説明を受けました〉(7月23日)
同校には5人のスタッフがついたといい、
〈時差もあったので、眠気と闘う人もいました。その後、食堂で夕食をとり、早目の就寝となりました。
到着時は湿気が少ないので日本ほど暑さを感じませんでしたが、
就寝中は、暑さで目が覚めることもありました〉(同前)
現地では、朝の授業は8時30分から始まるという。
教室での授業のほか、郊外へのエクスカーション(小旅行)もプログラムに含まれており、
今回はウィンザー城やバッキンガム宮殿、ロンドン市内での「ライオン・キング」観賞など、盛り沢山である。
が、そこは学校行事。観光旅行とは大いに異なる“制約”が、生徒らには課せられている。
例えば、授業中はおろか課外学習の間も日本語でのやりとりは禁じられ、
また日本との電話やメールも、緊急の場合を除いて不可。
引率の教諭もむやみに助け船を出せず、身の回りのことはイートンOBらスタッフに相談せねばならないなど、
参加者は英語漬けの日々を余儀なくされるという。
こうした環境に一生徒として臨まれた愛子さまは、
「ご出発を心待ちになさっていました。もともと英語はお得意で、
昨年10月、デンマークの皇太子夫妻が来日した際には、
皇太子さまや雅子さまとともに歓談、流暢な英語を披露されていた。
今回は、ご自分の英語力を本場で試してみたいとのお気持ちに満ちていたのです」(前出記者)

佳子さまのアドバイス
加えて、この上なく心強い“応援”を得ていたと明かすのは先の関係者である。
「実はご出発に先立ち、愛子さまは佳子さまのもとをお訪ねになっています。
英国中部のリーズ大学での留学を6月に終えたばかりの佳子さまに、
英国の雰囲気や現地での過ごし方、気候などについてお尋ねになり、
アドバイスを受けながら準備を進めてこられました」
愛子さまは、かねてより7歳上の佳子さまをお慕いなさってきたといい、
「愛子さまにとって佳子さまは幼い頃からの憧れで、また気さくにお相手をして下さるお姉さまのような存在。
フィギュアスケートを始めたのも佳子さまの影響で、最近ではファッションや髪型もお手本にされている。
佳子さまを真似て、髪を編み込んで後ろでティアラのような形に束ねるヘアスタイルになさったこともありました」(同)
今回の渡航前日、愛子さまは長かった前髪を切り、眉毛の上で揃えられている。さる皇室ウオッチャーが言うには、
「これもまた、以前に佳子さまがなさっていた髪型です。また、佳子さまは日常のご公務や宮中晩餐会での衣装など、
淡い青や緑などのパステルカラーの御召し物が“定番”となっていますが、
ご出発日の愛子さまも、普段見慣れない薄緑色の半袖姿でした。このあたりも、お手本にされているのが窺えます」
佳子さまはいわば“精神的支柱”になられているというのだ。
「週刊新潮」2018年8月9日号 掲載

陛下 退位議論に「ショック」 宮内庁幹部「生き方否定」

陛下 退位議論に「ショック」 宮内庁幹部「生き方否定」
毎日新聞2017年5月21日 06時30分(最終更新 5月21日 06時30分)

天皇陛下の退位を巡る政府の有識者会議で、昨年11月のヒアリングの際に保守系の専門家から
「天皇は祈っているだけでよい」などの意見が出たことに、
陛下が「ヒアリングで批判をされたことがショックだった」との
強い不満を漏らされていたことが明らかになった。
陛下の考えは宮内庁側の関係者を通じて首相官邸に伝えられた。
陛下は、有識者会議の議論が一代限りで退位を実現する方向で進んでいたことについて
「一代限りでは自分のわがままと思われるのでよくない。
制度化でなければならない」と語り、制度化を実現するよう求めた。
「自分の意志が曲げられるとは思っていなかった」とも話していて、政府方針に不満を示したという。

宮内庁関係者は「陛下はやるせない気持ちになっていた。陛下のやってこられた活動を知らないのか」と話す。
ヒアリングでは、安倍晋三首相の意向を反映して対象に選ばれた平川祐弘東京大名誉教授や
渡部昇一上智大名誉教授(故人)ら保守系の専門家が、
「天皇家は続くことと祈ることに意味がある。それ以上を天皇の役割と考えるのはいかがなものか」などと発言。
被災地訪問などの公務を縮小して負担を軽減し、宮中祭祀(さいし)だけを続ければ
退位する必要はないとの主張を展開した。
陛下と個人的にも親しい関係者は「陛下に対して失礼だ」と話す。
 陛下の公務は、象徴天皇制を続けていくために不可欠な国民の理解と共感を得るため、
皇后さまとともに試行錯誤しながら「全身全霊」(昨年8月のおことば)で作り上げたものだ。
保守系の主張は陛下の公務を不可欠ではないと位置づけた。
陛下の生き方を「全否定する内容」(宮内庁幹部)だったため、陛下は強い不満を感じたとみられる。
宮内庁幹部は陛下の不満を当然だとしたうえで、「陛下は抽象的に祈っているのではない。
一人一人の国民と向き合っていることが、国民の安寧と平穏を祈ることの血肉となっている。
この作業がなければ空虚な祈りでしかない」と説明する。
陛下が、昨年8月に退位の意向がにじむおことばを表明したのは、
憲法に規定された象徴天皇の意味を深く考え抜いた結果だ。
被災地訪問など日々の公務と祈りによって、国民の理解と共感を新たにし続けなければ、
天皇であり続けることはできないという強い思いがある。
【遠山和宏】
【ことば】退位の有識者会議
天皇陛下が昨年8月、退位の意向がにじむおことばを公表したのを踏まえ、政府が設置。
10月から議論を始めた。学者ら6人で構成し、正式名称は「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」。
11月に16人の専門家から意見聴取し、今年1月の会合で陛下一代限りの特例法制定を事実上推す論点整理をまとめた。
4月に最終報告を首相に提出した。
https://mainichi.jp/articles/20170521/k00/00m/010/097000c


2017.5.22 18:16
宮内庁、毎日「陛下 公務否定に衝撃」報道を否定 有識者会議意見に不満のご発言「事実ない」 
毎日は「十分な取材に基づいている」

毎日新聞が21日付朝刊で天皇陛下の譲位に関する政府の有識者会議内での一部意見について、
陛下が強い不満を漏らされていたとの記事を掲載したことを受け、
宮内庁の西村泰彦次長は22日の定例会見で
「天皇陛下のご発言の報道があったが、そうした事実はない」と全面的に否定した。
毎日新聞の記事は、「陛下 公務否定に衝撃」「『一代限り』に不満」などの見出しで1面トップで掲載。
昨年11月の有識者会議のヒアリングで、保守系の専門家から
「天皇は祈っているだけでよい」などの意見が出たことに、
陛下が「批判をされたことがショックだった」と強い不満を漏らされていたと紹介した。
また、有識者会議の議論が陛下一代限りでの譲位を実現する方向で進んでいたことについても、
陛下は「自分の意志が曲げられるとは思っていなかった」と話し、政府の方針に不満を示されたとしている。
記事は、陛下のお考えが宮内庁側の関係者を通じて首相官邸に伝えられたとしているが、
西村次長は「陛下が(お考えを)話された事実はなく、
従って、宮内庁として内閣に報告していない」と重ねて否定。「極めて遺憾だ」と述べた。
毎日新聞社長室広報担当は「十分な取材に基づいて報道しております」とのコメントを出した。
http://www.sankei.com/life/news/170522/lif1705220035-n1.html


陛下ご発言報道、毎日新聞と宮内庁職員が刑事告発される…毎日「十分な取材」と反論
天皇陛下の退位をめぐり、「自分の意志が曲げられるとは思っていなかった」などとする
陛下の「ご発言」を大きく取り上げた毎日新聞。
この記事について、チャンネル桜の水島総社長ら11人が7月24日、
宮内庁職員(氏名を特定せず)と毎日新聞社長、記者を国家公務員法違反(守秘義務違反)の共同正犯として、
東京地検特捜部に刑事告発した。
宮内庁職員から毎日新聞に対し、職務上知り得た秘密の漏えいがあったとしている。

●毎日新聞「記事は十分な取材に基づいている」
告発されたことに対し、毎日新聞社社長室は弁護士ドットコムニュースの取材に対し、
「記事は十分な取材にもとづいております。今後も皇室と国民の望ましいあり方を考えながら
真摯に皇室報道を続けてまいります」とコメントしている。
問題の記事は、5月21日付の毎日新聞朝刊に「陛下公務否定に衝撃」「『一代限り』に不満」などとして掲載された。
退位の問題をめぐり、陛下が(1)有識者から「ヒアリングで批判をされたことがショックだった」と発言されたこと、
(2)退位の議論について、「一代限りでは自分のわがままと思われるのでよくない。制度化でなければならない」、
(3)「自分の意志が曲げられるとは思っていなかった」と述べられたことが記されている。
告発人たちは、天皇陛下に近しい職員から毎日新聞へのリークがあったと断定。
発言の内容は、天皇の権能について「国事行為のみ」と定めた憲法4条1項に違反する恐れがあるため、
「天皇陛下の権威にかかわる重大な秘密として外部に伝わらないよう
厳重に秘匿すべき法律上の義務」があったなどとして、告発した。
(弁護士ドットコムニュース)
https://www.bengo4.com/internet/n_6403/


2017.7.24 21:02
毎日新聞の陛下ご発言報道 東大名誉教授らが社長らの告発状
天皇陛下の譲位に関する政府の有識者会議内での一部意見について、
陛下が強い不満を漏らされていたとした毎日新聞の記事をめぐり、
陛下のご発言を記者に漏洩(ろうえい)したなどとして、東大名誉教授の小堀桂一郎氏ら11人が24日、
氏名不詳の宮内庁幹部職員と毎日新聞社の社長、記者に対する国家公務員法違反(秘密漏洩)罪の
告発状を東京地検特捜部に提出した。
記事は5月21日付朝刊に掲載。昨年11月の有識者会議のヒアリングで、
専門家から「天皇は祈っているだけでよい」などの意見が出たことに、
陛下が「批判をされたことがショックだった」と強い不満を漏らされていた、などと紹介した。
告発状はこうした「ご発言」について「重大な秘密として厳重に秘匿すべき法律上の義務があるのに、
これに反して、宮内庁幹部職員が毎日新聞記者にだけ伝えた」としている。
毎日新聞社は「記事は十分な取材にもとづいております」とコメントした。
http://www.sankei.com/affairs/news/170724/afr1707240037-n1.html



「正道」示した渡部昇一氏を悼む



眞子内親王殿下ブラジル御訪問

眞子さま、7月ブラジル訪問へ
日本人移住110周年で
日本人移住110周年に当たり、秋篠宮家の長女眞子さまが7月17〜31日、
ブラジルを公式訪問されることが22日、閣議で了解された。
17日に羽田発の民間機で出発。ドイツを経由し、現地時間18日にリオデジャネイロに入る。
28日までのブラジル滞在中、飛行機やヘリコプター、自動車を利用し、5州14都市を訪問する。
18日にリオデジャネイロで歓迎行事に出席。日系人が多く住むマリンガで20日、
サンパウロで21日にそれぞれ開かれる移住110周年記念式典に出席し、あいさつする。
大統領を表敬訪問するほか、マナウスやトメアスなども訪れ、日系人らと交流する。
https://this.kiji.is/382688645993596001?c=39546741839462401

眞子さま、ブラジル訪問へ 日本人移住110周年記念で
緒方雄大 2018年6月22日10時13分
秋篠宮家の長女眞子さま(26)が7月17〜31日にブラジルを訪問する。
22日の閣議で了解された。今年は日本人のブラジル移住110年で、ブラジル政府から
招待があった。サンパウロやリオデジャネイロなど14都市を訪れ、
移住110周年記念式典への出席や移住先没者慰霊碑への献花、大統領への表敬などが
予定されている。訪問の途中で、ドイツやアメリカにも立ち寄る。(緒方雄大)
https://www.asahi.com/articles/ASL6P5FLDL6PUTIL040.html

眞子さま、ブラジル訪問を前に御所へ
2018年7月14日12時27分
秋篠宮家の長女眞子さま(26)は14日、ブラジル訪問(17〜31日)を前に
天皇、皇后両陛下にあいさつするため、皇居・御所を訪れた。今年は日本人のブラジル移住110周年。
眞子さまはブラジル政府から招待され、サンパウロやリオデジャネイロなど14都市を巡り、
記念式典などに出席する。
https://www.asahi.com/articles/ASL7G2PZ7L7GUTIL001.html

2018.7.17 11:38
眞子さま、ブラジルへご出発 日本人移住110周年で
日本人移住110周年記念式典への臨席などのため、秋篠宮ご夫妻の長女、
眞子さまは17日午前、羽田発の民間機でブラジルに向かわれた。
眞子さまの海外公式訪問は4回目で、31日に成田着の民間機で帰国される。
羽田空港で眞子さまは、見送りの宮内庁職員らに笑顔で会釈し、搭乗口に向かわれた。
現地時間18日午前(日本時間同日午後)にリオデジャネイロにご到着。
ブラジル滞在中は、5州14都市を訪問し、最大の日系人社会があるサンパウロで
移住110周年記念式典に臨むほか、大統領への表敬、移住先没者慰霊碑への献花、
現地の日系人とのご交流などが予定されている。
http://www.sankei.com/life/news/180717/lif1807170014-n1.html

いよいよ眞子さまご来伯、一世最後の周年行事
2018年7月17日
いよいよ、明日18日に眞子さまがリオにご到着になる。19日にはパラナ州に足を運ばれ、
21日からはサンパウロ、今週末は県連日本祭り、日本移民110周年式典だ。
平均年齢が80歳前後とみられる一世の大半にとっては、10年ごとの大きな周年行事としては
今回が「最後」だろう▼祭典実行委員長の菊地義治さん、県連会長の山田康夫さんなど、
今回の式典には、まだ一世が主体的に関わっている。だが10年後は難しいかも
▼眞子さまは皇室としては実に60年ぶりに聖州奥地に足を運ばれる。これは本当に貴重な機会だ。
120周年に皇室に来て頂けるとして、その時に生き残っている一世は、数えるほどしかいないからだ。
しかも足を運ばれるのはマリリア、プロミッソン、平野植民地、アラサツーバと、いずれも戦争前後まで、
数千人単位で日本人が住んでいた大集団地ばかり▼例えば3年前に県連故郷巡りで、リンス西本願寺を訪ねた際、
プロミッソンや平野植民地を含めたリンス周辺の日本移民と日系人全員三千数百人分の名前が書かれた
過去帳を見せてもらい驚いた。それを見た本橋幹久団長は「過去帳の1921、2年を開けて驚いた。
なんと0歳、3カ月、3歳とかの赤子がたくさん死んでいる。多い所では1頁の半分がそんな状態。
今ではあり得ない事と目を疑った。移民が他の国に住み着くことのむずかしさが、改めて痛感させられました。
県連もイビラプエラ公園に無縁仏の慰霊碑で毎年法要をしている。
皇室も政治家も必ずそこに立ち寄り、一礼してくれる。先祖を敬う気持ちを大切にしたい」と挨拶した
▼イビラプエラの無縁仏慰霊碑建設を提唱したのは、日本海外移住家族会連合会の初代事務局長、
藤川辰雄さんだ。彼は同連合会から16年間に渡って移民を送り出した。
自分が送った移民はその後どうなったかと気になって現地視察をしたら、
無縁仏になった人があまりに多いのに愕然とし、供養せねばとの心境に至って辞職、
57歳で出家した人物だ▼1986年9月20日、藤川さんはアマゾン河中流の日本人墓地を望む対岸で、
忽然と消息を絶った。地元警察の公式な記録は「水浴中の溺死」。
でも記録映像作家、岡村淳さんは実録映画『アマゾンの読経』(04年)の中で
「今思えば最初から計画的な行動だったようにも思える」との驚くべき証言を集めた
▼同映画によれば、藤川さんが最後に残した絶筆メモには「無縁仏が呼んでいる声が聞こえる」
「事故死の霊感を受けるに至る」とある。覚悟の上でアマゾン河に入水し、
自ら無縁仏の側へ渡ってしまったこと伺われる。それらが祀られているのが件の慰霊碑だ
▼今回、眞子さまがお立ち寄りになる場所では、パラー州のトメアスー移住地も同様だ。
昨年11月の開拓先亡者追悼法要がトメアスー西本願寺で行われた際、
入植以来の88年間に亡くなった913人の過去帳が奉納された。
09年にアマゾン入植80周年の取材で訪れた際、現地の角田修司さんが
「ここには素晴らしい宝物があります。見てください」と言って持ってきたのは
『アカラ植民地英霊録』という表紙がボロボロになった巻物だった。アカラはトメアスーの旧名だ
▼巻物を開いてみると、英霊録の1人目は、アメーバ赤痢で21歳の若さで亡くなった石井島一さん、
死亡日は1929年2月19日。同年に亡くなった6人中、彼ともう一人以外の4人は
第1回移民が連れてきた幼子だった。1930年には5人、31年には14人、
32年には25人と急増し、その半分以上は4歳以下。
「この巻物には先輩たちの血と汗と涙が染みこんでいます」――角田さんが静かにそう言い、
そっと目頭をおさえた姿が今も忘れられない▼今回お立ち寄りにならないが、
奥ソロのアルヴァレス・マッシャードの日本人墓地で墓石も見て回った時も同じ印象をもった。
とにかく1歳までに亡くなる赤子がどれだけ多かったかを見ると愕然とする。
皇族にそのような地にお立ち寄り頂き、献花してもらうことが、先駆者への最高の供養となるだろう
▼加えて、聖州奥地は勝ち負け抗争がもっとも激しかった〃激戦地〃だ。
だからこそ今回の110周年は「インテグラソン(統合)」「次世代への橋渡し」を意識して参加したい。
プロミッソンでは勝ち負け抗争以来、二つに分かれてきた日系団体が今回を機に統合する準備が進んでいる。
終戦から73年も経った。当時、抗争に関わった人物の大半は鬼籍に入った。
それゆえ、終戦直後に勝ち組が収監されたアンシェッタ島唯一の生き残りと言われるマリリア在住の日高徳一さん
、同じく収監者・山内房俊の息子の山内明さん(ツッパン在住)、
収監者・青木勘次の息子の俊一郎、俊二、俊三3氏(同)らには、ぜひマリリア式典に参加してもらえるよう、
現地で配慮してもらえないか。今回を、勝ち負けを超越・統合する機会にしてほしい。
そして日系人気質が強く残る地方部の若者に、一世らが皇室を敬愛する様を目に刻んでもらいたい
▼そして可能であれば眞子さまには日本祭りの会場、特に県人会の食のブースで裏方をする
婦人部や青年部の皆さんとの交流を、ぜひ持っていただけないだろうか。
海外最大といわれる日本文化の大祭典を、割烹着を着ながら舞台裏で支えている重要人物ばかりだ。
県人会が作った郷土食を、ぜひご賞味いただきたい▼ポ語新聞NIPPAK電子版の
眞子さまご来伯報道記事(http://bit.ly/2JnIWP8)には、あっという間に「
いいね」ボタンが約3千も押された。ご来伯への期待が高まっていることが伺われる数字だ。
と同時、邦字紙もまた「次世代」ポ語コミュニティ新聞に入れ替わる時代になっていることを示している。
ぜひ子や孫にNIPPAK購読を薦めてほしい。(深)
http://www.nikkeyshimbun.jp/2018/180717-column.html

眞子さま ブラジルへ出発 日本人移住110周年記念行事出席で
2018年7月17日 11時50分
秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまは17日、日本人の移住110周年を迎えたブラジルを公式訪問するため、
羽田空港を出発されました。
眞子さまは、羽田空港で宮内庁幹部などから見送りのあいさつを受ける際、
報道陣から「いってらっしゃいませ」と声がかかると、笑顔で会釈をして応えられました。
そして、午前11時半前、民間機でブラジルに向けて出発されました。
ブラジルは、日本人が移住を始めてことしで110年になり、世界最大の200万人近い日系人社会があります。
訪問は15日間の日程で、眞子さまは、最大の都市、サンパウロなど14の都市を回り、
各地で移住110周年の式典や日系人らが主催する歓迎行事などに臨んで交流を深められます。
また、日本の文化を紹介するイベントや施設を視察するなどして両国の親善にも努め、
友好関係の発展を願う「おことば」を10回にわたって述べられる予定です。
眞子さまが外国を公式訪問するのは、去年、ブータンを訪ねられて以来で、4回目になります。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180717/k10011536241000.html

眞子さま 公式訪問先のブラジルで現地の日系人と交流
2018年7月19日 10時08分皇室
秋篠宮ご夫妻の長女の眞子さまは、日本人の移住110周年を迎えた公式訪問先のブラジルに到着し、
現地の日系人と懇談して交流を深められました。
眞子さまは、現地時間の18日早朝(日本時間の18日夕方)、ブラジルのリオデジャネイロに到着し、
現地時間の午後、巨大なキリスト像で知られるコルコバードの丘を訪ねられました。
眞子さまは、地元の司祭から説明を受けながら、高さおよそ38メートルのキリスト像や、
丘の下に広がる街の様子を笑顔で眺められていました。
このあと眞子さまは、リオデジャネイロに住む日系人などが主催する歓迎行事に臨まれました。
ブラジルは、日本人が移住を始めてことしで110年になり、会場には日系人など100人余りが集まりました。
はじめに、日本語を学んでいる日系人の子どもなどが、沖縄の伝統の踊り「エイサー」を披露しました。
そして眞子さまがあいさつに立ち、「今日の日系社会を築き、大切に支え、
両国の懸け橋となってこられた皆様のご努力に、心より敬意を表します」と述べられると、
会場から大きな拍手が送られました。
続いて眞子さまは日系人などと懇談し、一人一人と握手をしながら
「これからもお元気で」などと言葉をかけられていました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180719/k10011539311000.html

51年前に両陛下の植えた木から…眞子さま植樹
2018年07月19日
【リオデジャネイロ=田口直樹】ブラジル訪問中の秋篠宮家の長女眞子まこさま(26)は18日、
リオデジャネイロの植物園で日本人のブラジル移住110周年を記念して植樹をされた。
 植物園で眞子さまは、天皇、皇后両陛下が皇太子夫妻時代の1967年に
ブラジルを訪問した際に植えた「パウ・ブラジル」の枝から育てられた苗木を植樹された。
その後、眞子さまは歓迎行事に出席し、日系人ら約120人を前に
「両国の懸け橋となってこられた皆様のご努力に心より敬意を表します」と話された。
https://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000304/20180719-OYT1T50026.html

《ブラジル》眞子さま、リオ日系社会と交流=110周年・歓迎式典にご臨席=「皆様の努力に心より敬意」
2018年7月20日
【リオ発=國分雪月記者】とうとうブラジルに眞子さまがご到着――
18日午前5時にリオ・デ・ジャネイロ(以下、リオ)市の国際空港に到着された眞子さまは、
午後からリオ植物園、コルコヴァードのキリスト像に足を運ばれた。
その後、リオ日系協会(松浦實(みのる)会長)の会館で行われた
ブラジル日本移民110周年記念式典・眞子さま歓迎式典にご臨席され、当地日系人らと親しく交流された。
式典には同日系協会役員らをはじめテレゾポリス、マカエー、フンシャル移住地などリオ州各地、
ミナス州から100人が出席した。
眞子さまが到着した際はリオ州日伯文化体育連盟の森巍(たかし)理事長・アナマリア夫妻が迎え、
同日系協会日本語モデル校に通うユゲ・ウララ、ニコレちゃん姉妹が眞子さまに花束を渡した。
同日系協会会館の入り口には1967年の皇太子夫妻時代に訪問された天皇皇后両陛下、
15年の秋篠宮同妃両殿下の訪問記念プレートが飾られている。
当日朝に眞子さま訪問記念プレートも並べられたことを森理事長が説明した。
眞子さまが着席した後、森理事長が挨拶に立った。
森理事長は眞子さまのご訪問、出席に感謝を述べ、「110周年記念式典出席のためブラジル各地を訪問されるにあたり、
その皮切りにリオに来ていただき光栄。長旅お疲れ様です」と語った。
その後モデル校とリオデジャネイロ日本人学校の生徒約20人がエイサー太鼓を披露。
終了後に生徒らが「ありがとうございました」と大きな声で返事をすると、眞子さまは一層力を入れて拍手した。
眞子さまはお言葉でリオ訪問への喜びを語り、「ブラジルとの距離は遠いが、幼い頃から心の距離は近かった」と述べた。
植樹園で今回パウ・ブラジルを植樹したことに関して、天皇皇后陛下が67年にも植樹されていたことを回想し、
「時間の流れ、日系社会の歴史を考えた」とした。
「長い船旅を経て移民した方々が、各地で勤勉さと誠実さで困難を乗り越え、ブラジルの発展を支えた。
皆様のご努力に心より敬意を示し、未来へ繋がることを祈ります。ムイト・オブリガーダ」と述べた。
お言葉の後は会場内の10卓を回り、出席者らと言葉を交わされた。
全卓を回り終えた眞子さまは参加者らの拍手の中で退場。
途中、会場後方に並んでいたエイサーグループの前で立ち止まり、
子供の背丈に合わせ膝をかがめるなどの優しさをみせながら一人一人と握手した。
「素敵なエイサーをありがとうございました」と眞子様から声を掛けられた一団は、
「ありがとうございました!」と大きな声で返事をし、会場から一層あたたかい拍手が贈られた。(終)
http://www.nikkeyshimbun.jp/2018/180720-71colonia.html

日本人移住110年の式典に出席 眞子さまブラジルご訪問
07/21 17:52
ブラジルを公式訪問中の秋篠宮家の長女・眞子さまは、日本人の移住から110年を記念した式典に臨まれた。
眞子さまは20日、ブラジル南部の都市・マリンガで、
日本人がブラジルに移住を始めてから110年を記念した式典に出席し、
会場に集まった多くの日系人らを前にあいさつをされた。
眞子さまは、「移住者とそのご子孫が、努力を積み重ねて今日の日系社会の発展を築き、
支えてこられたことに、心より敬意を表します」と述べられた。
会場では、ブラジルのダンスや日本の伝統芸能が披露され、眞子さまは笑顔で拍手を送られていた。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00396883.html

眞子さま「心より敬意」ブラジル移住110年式典お祝い
サンパウロ=岡田玄
2018年7月22日12時22分
ブラジルを公式訪問している秋篠宮家の長女、眞子さま(26)は21日、
サンパウロ市内で開かれた日本からブラジルへの移住110周年記念式典に出席し、
「移住者とそのご子孫が努力を積み重ねて今日の日系社会の発展を築き、
支えてこられたことに心より敬意を表します」とお祝いの言葉を述べた。
日本からブラジルへの移民は1908年に始まった。
在サンパウロ総領事館によると、ブラジルには現在190万人の日系人がおり、
世界最大の日系コミュニティーがある。最も若い世代は6世になる。
記念式典は、ブラジル日本都道府県人会連合会が主催する日本祭りの中で行われた。
眞子さまは式典で、「日系社会のみなさまが両国の懸け橋となり、
ブラジル社会で、日本の文化が広く受け入れられていることを喜ばしく思います」などとあいさつした。
眞子さまはその後、サンパウロ市内のイビラプエラ公園にある開拓先没者慰霊碑に献花し、
日本館を訪問するなどした。(サンパウロ=岡田玄)
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     ◇
ご列席のみなさま。
1908年6月に最初の移民船笠戸丸がサンパウロ州のサントス港に到着してから、110年が経ち、
ブラジル日本人移住110周年という記念すべき年を迎えられたことをお喜び申し上げます。
このような年にブラジル政府のお招きによりブラジルを訪れることができました。
本日はここサンパウロで、各地よりお集まりになったみなさまとともに、本式典に出席し、
日本人移住110周年をお祝いできますことを大変うれしく思います。
ただいま、マルコス・カルバン外務大臣代理、マルシオ・フランサ・サンパウロ州知事、
ブルーノ・コーパス・サンパウロ市長より、日系社会に対する温かいお言葉をいただきましたことに
感謝申し上げますとともに、今回の訪問に際し、様々なご配慮をいただきましたみなさまに
あつく御礼申し上げます。 わたくしにとってのブラジルは幼い頃より、
地理的には遠く離れていても親しみを感じる国でございました。それは、これまでブラジルを訪れた方々から、
その思い出を幾度となくうかがってきたことによるものであると思います。
そして今回、3年前に私の両親も訪問したここサンパウロを訪れることができましたことは、大きな喜びでございます。
わたくしはブラジルに到着して以降、リオデジャネイロとパラナ州を訪問し、
本日ここサンパウロに到着いたしました。本式典の後には、
式典会場において世界最大級の規模を誇る日本祭り「フェスティバル・ド・ジャポン」を視察いたします。
日系社会のみなさまが両国の懸け橋となり、ブラジル社会で、
日本の文化が広く受け入れられていることを喜ばしく思いながら、
その一端を見せていただくことを楽しみにしております。
日本から長い船旅を経て移住された方々は、大変な苦労をされながら
各地での生活を築かれたとうかがっております。
その中で、数多くの困難を勤勉さと誠実さをもって乗り越えて、ブラジルの発展に貢献し、
社会のあつい信頼を得てこられました。
現在に至るまで、あらゆる世代の日系の方々が多様な分野で活躍されています。
日本からの移住者を温かく受け入れてくださったブラジル政府とブラジルの方々に感謝するとともに、
移住者とそのご子孫が努力を積み重ねて今日の日系社会の発展を築き、支えてこられたことに心より敬意を表します。
そして、みなさまが歩んでこられた長い道のりに思いをはせるとともに、
その歴史は未来を担う世代にも大切に引き継がれていきますことを願っております。
終わりに、ご列席のみなさまのご健勝と日系社会及びブラジルの繁栄、
そして両国の友好関係の一層の深化を願い、わたくしのあいさつといたします。
https://www.asahi.com/articles/ASL7Q235VL7QUHBI008.html
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眞子さま 日本人の移住紹介する史料館に 公式訪問のブラジルで
2018年7月23日 5時13分
ブラジルを公式訪問している秋篠宮ご夫妻の長女の眞子さまは、
日本人の移住の歴史を紹介する史料館を訪問されました。
眞子さまは22日、サンパウロにある「ブラジル日本移民史料館」を訪ねられました。
ここは、40年前、当時皇太子夫妻だった天皇皇后両陛下が立ち会われて開館した施設です。
110年前に日本人がブラジルに移住を始めてから世界最大の200万人近い日系人社会が築かれるまでの歴史が、
写真や模型などで紹介されています。
眞子さまは、移住者たちが粗末な小屋に住み、危険な動物や風土病と闘いながら未開の地を開拓していったと説明を受け、
「大変な苦労だったんですね」などと話されていました。
これに先だって眞子さまは、サンパウロ中心部にある日本文化の発信拠点「ジャパン・ハウス」を訪ねられました。
この施設では、日本を紹介するさまざまなイベントが行われていて、眞子さまは、
日本でなじみ深い香りや味を紹介する展示会場に足を運ばれました。
眞子さまは、つり下げられた81個のボトルからサクラの香りがするものを探し出すコーナーで、
サクラのボトルを手に取り「いい香りですね」などと話されていました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180723/k10011544471000.html

眞子さま日本人開拓の農村視察 訪問先のブラジルで(2018/07/24 15:08)
秋篠宮ご夫妻の長女・眞子さまが、公式訪問中のブラジルで、
100年以上前に日本人が開拓した農村を視察されました。
眞子さまは、1915年に日本人移民がブラジルで最初に開いた農村「平野植民地」を訪問されました。
カフェランジア市で、記念碑の除幕式が行われ、着物姿の日系人の女の子から眞子さまに花束が贈られました。
平野植民地は開拓当初の1年間で、マラリアによって80人近くが亡くなるなど、
過酷な環境だったことで知られています。日本の皇室がこの地を訪れるのは初めてで、
眞子さまは犠牲者の遺骨が眠る慰霊碑にユリなどの花を手向けられました。
日系3世の68歳の女性が涙を流して迎えると、
眞子さまは女性の両手を握り「お元気でいてくださいね」と声を掛けられました。
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000132443.html?r=rss2

「眞子さま」という癒し
2018年7月25日
「眞子さまのお言葉は僕らに癒しを与えてくれた。
ブラジルに暮らしている僕らのことを、日本の人たちは忘れていないんだと思わせてくれた」。
21日、県連日本祭りで110周年記念式典が終った直後、なにげなく参加者の声を会場で集めていたとき、
小西ジューリオ武雄さん(60、二世)からそんな感想を聞いて考えさせられた。
「そんな切実な気持ちでこの式典にきていたんだ」と思い、
癒しがなかった日々のことを想像するに、どこか胸の奥深くをえぐられるような感じがした。
翌22日のマリリアでも、眞子さまの歓迎式典を取材するなかで癒しを感じた。
(中略)
市立劇場での歓迎式典に出席された眞子さまは、その足ですぐ近くの市役所前庭に向かわれ、
200人ほどの市民が歓迎の小旗を振る中、三笠宮さま同様、イッペーを植樹された。
植樹の後、車に乗り込まれる直前、眞子さまは突然、沿道に並ぶ市民一人ひとりと握手を始められた。
子供には子供の目線まで腰をかがめて握手をされ、高齢者には両手で包み込むように優しく握っていた。
これはマスコミへの事前説明にはなかったこと。
みるみる市民の興奮が高まり、10分以上かけて握手し終わって車に乗り込むときには、市民の感激は最高潮に達していた。
別れを惜しんで熱烈に振られる小旗が波のように見え、眞子さまが日伯両旗の海に浮いているような幻想的な光景となった。
(後略)
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http://www.nikkeyshimbun.jp/2018/180725-column.html

眞子さま アマゾン川を視察 ブラジル訪問中
2018年7月26日 木曜 午後1:38
ブラジルを公式訪問中の秋篠宮家の長女・眞子さまは、世界最大の流域面積を持つアマゾン川などを視察された。
眞子さまは25日、アマゾン川流域の都市マナウスにあるアマゾナス劇場を訪問された。
この劇場は、19世紀にイタリア・ルネサンス様式で建築されたもので、
眞子さまは、天井の絵画や観覧席を興味深そうに見て回られた。
眞子さまはその後、アマゾン川の船着き場から色の異なる2つの川が合流する地点に向かい、
船のデッキで説明を受けながら、黒と茶色の川が並行して流れる様子や、周辺を泳ぐイルカの姿をご覧になった。
https://www.fnn.jp/posts/00397236CX

眞子さま アマゾン訪問 皇室としては初
2018年7月28日 6時17分皇室
ブラジルを公式訪問している秋篠宮ご夫妻の長女の眞子さまが、
日本の皇室としては初めて、アマゾン地域のトメアスを訪れ、日系開拓者の慰霊碑に花を捧げたほか、
現地の日系人が経営する農園などを見学されました。
眞子さまは27日、ブラジルのアマゾン地域の都市トメアスに到着されました。
日本の皇室として、トメアスを訪問されたのは眞子さまが初めてで、
町には「ようこそ」などと書かれた看板が数多く掲げられていました。
トメアスはアマゾン地域の奥地にあり、自然環境も厳しいことから、
多くの日系人が病気などに苦しみ、移住に最も苦労した地域の一つと言われています。
眞子さまははじめに、日系開拓者ら900人余りが眠るトメアスの墓地を訪ねられました。
眞子さまは、案内した人と「日本人のお墓が、こんなに多くあるんですね」などとことばを交わしたあと、
墓地の中央に設けられた慰霊碑に花を捧げられました。
また、現地の日系人が経営する農園も見学し、アマゾン地域で日本人が栽培している豊富なフルーツや、
今では日本にもチョコレートの原料として輸出されているカカオなどについて説明を受けられていました。
眞子さまは、地元の日本人移住者が主催する歓迎式典にも出席されました。
眞子さまが壇上で、「先ほど開拓者の慰霊碑に献花し開拓に力を尽くされた方々に思いをはせました。
両国の架け橋となってきた皆様に心より敬意を表します」とあいさつされると、
会場に詰めかけた人たちから盛んな拍手が送られていました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180728/k10011552831000.html

平野植民地=眞子さま、マラリア犠牲者に祈り=泣き崩れた老夫人をご抱擁
=開拓先没者への最高の供養に
2018年7月28日
【カフェランジア発=大澤航平記者】1915年、入植僅か半年で80人以上もの日本人が
マラリアで次々と斃れていった、血と汗と涙が滲む開拓の上に拓かれたカフェランジアの平野植民地――
23日午前、そこにご到着された眞子さまは、見渡す限りの砂糖黍畑が広がり開拓の名残をとどめる
「開拓先没者慰霊之碑」の前に立たれ、深々と頭を垂れて鎮魂の祈りを捧げられた。
その姿を見て、感極まって泣き崩れた地元のご婦人を、眞子さまは優しく抱きしめられた。
すると村民の間にみるみる感激の輪が広がった。
午前10時頃、砂糖黍畑を車でお通りになり、純白のスーツ姿で慰霊碑に到着された。
同地在住の川市清美さん(64、三世)からこの地で起きた悲劇について3分間ほど説明を受け、
沈痛な面持ちで話を聞かれた。慰霊之碑が立つ第一ブロックは、米作のために入植者が川沿いに住居を構え、
マラリアの犠牲者が次々に出た〃開拓の原点〃だ。
リンス西本願寺の岡山智浄住職(83)によれば、戦後46年に慰霊之碑が建造される以前には、
牧草地帯となっており、その場所には伯人牧場主の家が建っていた。
同住職いわく、「その牧場主は昼夜を問わず、女子供の泣き声が何処からともなく聞こえてきていた。
『なんでここに連れてこられたの?』とすすり泣く女性の声を聴いていた」という。
その後、「同ブロックに埋没していた遺骨を収集、慰霊之碑に一カ所に納めてから
泣き声がぴたりと止まったんです」と同住職は語る。
眞子さまは慰霊之碑に花束を捧げ、開拓先没者の御霊に祈られた。
その様子を感激の面持ちで見守っていた村民一人一人の手を、眞子さまは優しく両手で包み込み、声をかけられた。
その一人、森部静代さん(68、三世=カフェランジア在住)は感極まって泣き崩れてしまった。
眞子さまはそれを見て、森部さんを優しく抱きしめられた。
「大丈夫ですよ、大丈夫ですよ」――そう声をかけながら寄り添われ、森部さんが落ち着くまでじっと抱きしめられた。
森部さんは「なんとお優しいおかた。声をかけて頂けるなんて、ただただ涙がでて。
抱きしめて頂けるなんて夢にも思わなかった」と呆然とした様子。
眞子さまは最後に「どうかお元気でいてください」と声をかけられたという。
会館で村民や子孫、元村民など260人に熱烈に歓迎された眞子さまは、移民110周年記念碑の除幕式に臨まれた。
そこでも、腰を屈めて一人一人に握手を求められた。
眞子さまは、植物に遮られて少し離れた場所にいる村人にも自ら手を伸ばし、
随員が「お気をつけください」と声をかけても、「大丈夫ですよ」とご返答をされ、身を乗り出して握手に応じられていた。
 重松一雄さん(69、三世)は「ここは父母が育ち、私が生まれた地。
小さい頃に村を出たけれども、いつも平野運平先生の話を聞いて育ってきた」という。
来年は平野運平没後百周年の節目を迎える。重松さんは「苦労して志半ばで亡くなられた平野先生、
そして先没者にとって今日は最高の供養になったはず。
天国で皆が喜んでいますよ」と目に涙を浮かべ、笑顔を見せていた。(終)
http://www.nikkeyshimbun.jp/2018/180728-71colonia.html

眞子さま=聖市内ホテルで御接見に=JICA隊員と若手日系人
2018年7月28日
眞子さまは21日夜、聖市内のホテルでJICAボランティア50人、若手日系リーダー44人と御接見された。
各ボランティアの仕事内容や若手日系リーダーの活動内容を熱心に質問されるなど、時間をかけて交流された。
着任したばかりの人を含め、日本語教育、スポーツやシニアなど様々な分野のJICAボランティアが集まった。
眞子さまは1グループずつまわり、自己紹介、グループ代表者の仕事内容を聞いて回った。
サンカエターノ・ド・スル日系協会でバドミントンを教える今枝麻衣さんは、自分の活動について
「スポーツを教えることで日本文化普及や青少年教育を目的としている」と説明。
眞子さまは同協会のバドミントンの会員数や練習方法について尋ねられた。
その後、若手日系リーダーとの御引見へ。聖市議の林ロドリゴ・ゴウラールさんは
2012年にコリンチャンスの試合のため訪日したエピソードを披露。
「また日本に行きたいです」と締めくくると、眞子さまは「ぜひ日本に来て下さい」と笑顔で応えられた。
https://www.nikkeyshimbun.jp/2018/180728-62colonia.html

眞子さま=聖州総合大学の博物館視察=魚標本や恐竜の化石にご興味
2018年7月28日
眞子さまは24日午前、聖市のサンパウロ州総合大学動物学博物館(マリオ・デ・ピンナ館長)を視察された。
同館に展示されている1978年に訪問された皇太子時代の天皇陛下が
同大学に寄贈した魚の標本や恐竜の化石などについて
案内役を務めたピンナ館長、ヴァハン・アゴピヤン学長らに質問するなど興味を示された。
博物館に到着した眞子さまは館長、学長らと挨拶し、展示品の見学へ。
カルノタウルスなど恐竜の化石の発掘年や骨の仕組みについて説明を聞き、
「腕がとても小さいんですね」などと感想を述べられた。
地上階奥の標本が並べられた部屋では日伯の蝶の標本や、
天皇陛下が寄贈したニホンウナギやフグの標本を手に取り眺められた。
案内にあたったピンナ館長は「眞子さまの来館は博物館の歴史の1ページに刻まれるだろう。
ユーモアもあり、聡明な印象を受けた。
天皇陛下寄贈の魚の標本も気に入っていただけたようだった」と眞子さまの来館を喜んだ。
https://www.nikkeyshimbun.jp/2018/180728-63colonia.html

眞子さまが帰国
秋篠宮家の長女眞子さまは31日午後、ブラジル公式訪問を終え、
経由地の米ニューヨークから成田空港着の民間機で帰国された。
眞子さまは、日本人のブラジル移住110周年記念式典に合わせ、15日間で同国の14都市を訪問。
サンパウロやプロミッソンなど4都市の同式典に出席するなどした。
ハードスケジュールだったにもかかわらず、関係者らの出迎えには笑顔で応じていた。
(2018/07/31-17:26)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018073101003&g=soc



平成30年8月2日(木)
ご日程
眞子内親王殿下 宮内庁人事異動者ご会釈(宮邸)
眞子内親王殿下 ブラジルご訪問からご帰国につき天皇皇后両陛下へご挨拶(御所)
眞子内親王殿下 武蔵野陵及び武蔵野東陵ご参拝(ブラジルご訪問からご帰国につき)(武蔵陵墓地(八王子市))
http://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/show/3?quarter=201803

眞子内親王殿下 ブラジルご訪問を終えられてのご印象
http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/39

2018年7月

陛下 初等科同窓会にご出席 同窓生と親交深められる
2018年7月2日 月曜 午前6:55
天皇陛下は1日、学習院の同窓生と親交を深められた。
天皇陛下は1日、東京・新宿区の学習院初等科に到着された。
学習院初等科では大同窓会が行われ、陛下は、これまでにもしばしば足を運ばれている。
陛下は懇親会に出席し、同級生や後輩などと楽しそうに会話をされていたという。
https://www.fnn.jp/posts/00395401CX

陛下、体調不良で2日の公務取りやめ 絢子さまとの面会も
宮内庁は2日、天皇陛下に脳貧血とめまい、吐き気の症状があり、同日の公務を取りやめられると発表した。
同日午前4時ごろ、激しい発汗があったため、侍医の診察を受けられた。
安静と経過観察が必要だが、入院の予定はないという。
陛下は同日午前10時から、皇居・御所で皇后さまとともに高円宮家の三女、絢子さまと面会し、
婚約内定の報告を受ける予定だった。体調不良のため、皇后さまがお二人と面会し、
陛下のお祝いの気持ちを伝えられたという。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32485610S8A700C1CR0000/

2018.7.2 11:37
天皇陛下、めまいや吐き気のご症状 公務お取りやめ
宮内庁は2日、体調不良を訴えている天皇陛下の症状について、脳貧血によるめまいや吐き気がおありだと発表した。
現在は皇居・御所で安静にし、症状は落ち着いているが、
しばらくの間、安静と経過観察が必要で、同日に予定していた公務は延期される。
宮内庁によると、陛下は同日午前4時ごろ、皇后さまに急な気分の不快を訴え、
激しい発汗もあったことから、侍医の診察を受けられた。脳貧血は高齢者によく見られ、
熱中症でも似た症状があるが、直接の原因は不明だという。
http://www.sankei.com/life/news/180702/lif1807020026-n1.html

脳貧血の天皇陛下、症状は安定し快方に向かう
毎日新聞2018年7月2日 21時30分(最終更新 7月2日 22時22分)
天皇陛下は2日、脳貧血によるめまいや吐き気の症状があり、
予定されていた外国大使夫妻との面会など、すべての日程を取りやめられた。
宮内庁によると、同日午前4時ごろ、陛下は激しい発汗があったため侍医の診断を受けた。
侍医は、しばらくの安静と経過観察が必要と判断した。症状は安定し、快方に向かっているという。
高円宮家の三女絢子さま(27)と母の久子さまから婚約内定の報告を受ける予定もあったが、
皇后さまがお一人で対応。皇后さまが陛下のお祝いの気持ちを伝えたという。【山田奈緒】
https://mainichi.jp/articles/20180703/k00/00m/040/125000c

政府、「女性宮家」腰重く=野党分裂で機運後退
高円宮家の三女絢子さまの婚約内定を受け、政界で、皇族減少にどう対応するかの議論が再燃する可能性がある。
女性皇族が結婚後に皇室を離れる皇室典範の規定を維持すれば、皇室は公務の担い手不足に直面するためだ。
結婚後も皇籍に残れるようにする「女性宮家」創設に期待する声もあるが、
安倍政権は否定的で、創設に前向きだった野党の分裂もこの議論に影を落としている。
菅義偉官房長官は2日の記者会見で、皇族減少への対応について「いろんな意見があり、
国民のコンセンサスを得るには十分な分析と検討、慎重な手続きが必要だ」と述べるにとどめた。
昨年成立した天皇陛下の退位特例法の付帯決議には、退位後に速やかに女性宮家の創設を検討するよう
政府に求めると明記。政府内には、天皇が退位する来年4月30日以降に検討組織か有識者会議を設置する案がある。
ただ、政権の腰は重く、政府関係者は「来年夏の参院選までに結論を示す必要はない」と話す。
女性宮家に関しては、保守派が「女性・女系天皇に道を開きかねない」と警戒し、安倍晋三首相も否定的。
このため、政府内で検討する場合でも、女性皇族が結婚後も公務を継続できるようにする案などに
とどまるとみられる。
一方、女性宮家創設に前向きだった民進党が分裂したこともあり、与野党による議論の機運は後退している。
旗振り役だった野田佳彦前首相は無所属となり、発言力が低下している。(2018/07/02-18:53)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018070201039&g=soc

2018.7.3 11:26
陛下、3日のご公務も延期
宮内庁は3日、脳貧血によるめまいなどの症状を訴えられていた天皇陛下の同日の公務について、
2日に続き延期すると発表した。軽い腹痛の症状もおありという。
陛下は3日午前、お住まいの皇居・御所で、皇后さまとともに
同庁総務課長による地方訪問に関する説明を受けられる予定だったが、皇后さまお一人で臨まれた。
午後に予定されていた法務大臣や検事総長らとの昼食会や、ご執務も4日以降に延期される。
陛下は2日早朝、気分の不快や激しい発汗があり、
安静と経過観察が必要との診断を受け、同日の公務を延期されていた。
http://www.sankei.com/life/news/180703/lif1807030009-n1.html

天皇陛下 4日も皇居での行事出席を見送り
2018年7月4日 12時18分
脳貧血によるめまいや軽い腹痛のため、2日から静養している天皇陛下は、症状は改善傾向にあるものの、
4日も皇居での行事への出席を見送られました。
天皇陛下は2日から脳貧血によるめまいや軽い腹痛の症状が見られ、
予定されていた公務を取りやめたり延期したりして、お住まいの御所で静養されています。
宮内庁によりますと、症状は改善傾向にあるものの、医師の判断で、
4日も大事を取って静養されることになりました。
このため、皇居・宮殿で天皇皇后両陛下と秋篠宮ご夫妻で臨まれる予定だった外国大使夫妻との昼食会は、
皇太子さまが天皇陛下の代理を務められることになりました。
天皇陛下は、政府から送られてきた書類に署名や押印をする執務には、静養の合間に臨まれるということです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180704/k10011508091000.html

2018.7.4 11:46
陛下、ご症状「改善傾向」 昼食会には皇太子さまが代理でご出席
宮内庁は4日、脳貧血によるめまいなどの症状を訴えられている天皇陛下のご症状について
「改善傾向にある」と発表した。同日、予定されていた外国大使夫妻との昼食会への出席は
大事をとって取りやめ、御所で静養される。
陛下は4日午後、皇后さまとともに皇居・宮殿に在京の外国大使夫妻を招き、
秋篠宮ご夫妻ご陪席の下で昼食会を催される予定だったが、同日は陛下の代理として皇太子さまが出席される。
陛下は2日早朝、気分の不快や激しい発汗があり、安静と経過観察が必要との診断を受けられていた。
http://www.sankei.com/life/news/180704/lif1807040017-n1.html

天皇陛下、宮殿での公務再開
天皇陛下は5日午前、皇居・宮殿で外国大使の信任状奉呈式に出席された。
お住まいの御所で午後行われる退官した高裁長官らとの懇談にも参加する予定で、
公務を本格的に再開することになった。
陛下は2日未明に体調不良を訴え、脳貧血によるめまいと吐き気の症状があると診断。
侍医の判断で4日まで御所で静養が続いていた。
ただ、内閣からの書類を決裁する執務は4日午後に御所で行った。(2018/07/05-11:29)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018070500416&g=soc

2018.7.5 18:15
陛下、ご公務に本格復帰
脳貧血によるめまいなどの症状を訴えていた天皇陛下は5日、
皇居・宮殿で、新任の外国大使から信任状を受け取る「信任状捧呈式」に臨み、本格的に公務に復帰された。
宮内庁は「ご症状は、ほぼ改善された」としている。
同日は御所で、退官した高裁長官、高検検事長を招いた茶会も催された。
http://www.sankei.com/life/news/180705/lif1807050021-n1.html

両陛下の仮住まいの改修費削減
意向受け宮内庁が、3億円減に
宮内庁は6日、天皇陛下が退位後、皇后さまと共に仮住まいされる東京都港区の
高輪皇族邸(旧高松宮邸)の改修費が、2018年度当初予算に計上された8億4千万円より約3億円少ない、
5億円台半ばにとどまる見通しになったと発表した。
「費用を極力節約したい」という天皇、皇后両陛下の意向に沿って、同庁が一部工事の見直しをした。
皇族邸の敷地内に予定していた運動や研究のための施設の建設計画を取りやめた。
両陛下は仮住まい中、皇居内の運動施設を訪れたり、
陛下のハゼの研究拠点で皇居内にある生物学研究所に足を運んだりする。
両陛下は皇族邸に最長で約1年半住む予定だ。
https://this.kiji.is/387887272194049121


皇后さま、日本フィル鑑賞
2018/7/6 19:48
皇后さまは6日夜、東京都港区のサントリーホールを訪れ、日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を鑑賞された。
めまいなどの症状がほぼ回復し、5日に公務に本格復帰した天皇陛下は、元々同行される予定はなかった。
皇后さまは前半部分を鑑賞。演奏会ではバッハ作の管弦楽組曲などが披露された。
皇后さまはこれまでも度々、日本フィルの演奏会に足を運んでいる。
https://this.kiji.is/387918195904283745

両陛下、静岡県への私的旅行中止…西日本豪雨で
2018年07月07日
西日本を中心にした豪雨被害を受け、宮内庁は7日、
天皇、皇后両陛下が9〜10日に予定していた静岡県訪問を取りやめられると発表した。
今回は私的な旅行で、長年交流のある肢体不自由児療護施設「ねむの木学園」(掛川市)などを訪ねられる予定だった。
https://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000304/20180707-OYT1T50050.html

2018.7.7 15:39
両陛下、静岡訪問をお取りやめ 大雨被害にご配慮
宮内庁は7日、天皇、皇后両陛下が9〜10日に予定していた静岡県への私的旅行を取りやめられると発表した。
両陛下は、記録的な大雨の影響で土砂崩れや水害が相次ぎ、各地で多数の死者や安否不明者が出るなど、
被害の拡大に懸念を示された。8日に予定していた都内でのコンサート鑑賞も中止される。
両陛下は9日に静岡県入りし、親交のある女優の宮城まり子さんが運営する養護施設
「ねむの木学園」(掛川市)を訪ねるなど県内各所を巡られる予定だった。
http://www.sankei.com/life/news/180707/lif1807070017-n1.html

2018.7.9 11:59
皇太子さま、岡山県訪問お取りやめ 西日本豪雨の災害対策ご考慮 献血大会も中止に
宮内庁は9日、皇太子さまが献血運動推進全国大会などのため
11〜12日に予定していた岡山県訪問を取りやめられると発表した。
西日本を中心とした豪雨の影響で、同大会が中止になったことに加え、
県知事をはじめとする関係機関が災害対策に専念できるようにと考えられたという。
岡山県には、体調に問題がなければ皇太子妃雅子さまも同行される予定だった。
https://www.sankei.com/life/news/180709/lif1807090005-n1.html

2018.7.9 13:40
両陛下、大雨被災3県に見舞いの気持ちお伝え
西日本を中心とした豪雨被害を受け、宮内庁は9日、天皇、皇后両陛下が侍従長を通じ、
被災者への見舞いと、災害対応に従事する関係者に対するねぎらいの気持ちを
広島、愛媛、岡山3県の知事に伝えられたと発表した。
http://www.sankei.com/life/news/180709/lif1807090007-n1.html

2018.7.12 17:50
両陛下、天蚕の繭をご収穫
天皇、皇后両陛下は12日、皇居にある屋外の養蚕施設を訪れ、
野生種で日本固有の「天蚕(てんさん)」の繭を収穫された。
両陛下はクヌギの木にできた緑色の繭を、はさみで枝ごと切ってご収穫。
天皇陛下は「病気は出ませんでしたか」と質問され、皇后さまは「きれいね」と喜ばれていた。
皇居の養蚕は明治以降、歴代皇后が継承。屋内で行う今年の養蚕は終了しており、
皇后さまにとって、天蚕の繭の収穫が最後のご養蚕作業となった。
http://www.sankei.com/life/news/180712/lif1807120028-n1.html

両陛下、那須の静養取りやめ=西日本豪雨受け
宮内庁は13日、西日本豪雨災害を受け、天皇、皇后両陛下が17日から予定していた
那須御用邸(栃木県那須町)での静養を取りやめられたと発表した。
両陛下は、広範囲にわたり甚大な被害が発生し、今も関係機関による安否不明者の救出、
捜索活動などが続いているほか、6000人を超える人々が
不自由な避難所生活を余儀なくされていることを案じているという。
(2018/07/13-12:07)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018071300599&g=soc

京都
桂離宮の参観有料化へ 宮内庁管理施設では初
毎日新聞2018年7月14日 05時00分(最終更新 7月14日 05時00分)
宮内庁が、無料で参観者を受け入れている桂離宮(京都市西京区)について、
11月初旬にも定員を拡充した上で有料化する方針を決めた。
7月21日までパブリックコメントを実施し、強い反対がなければ7月下旬には有料化を正式決定する。
有料化は宮内庁管理施設では初めて。
1日の定員を2倍強の480人に増やし、対象も現在の18歳以上から12歳以上(小学生除く)に拡大。
参観料は18歳以上(高校生除く)1回1000円とする。高校生以下と障害者・付添人は無料とする。
外国人向けに英語によるガイドを雇うことも検討中。
関係者によると、桂離宮は皇室の伝統や文化、庭園に興味のある国内外の観光客から人気を集める一方、
施設や景観の維持管理の費用負担のあり方が議論されていた。【中津川甫】
https://mainichi.jp/articles/20180714/k00/00m/040/216000c


「アジアこども会議」30周年、福岡で式典…信子さま出席
2018年07月16日
アジア太平洋地域の11歳前後の子どもたちが福岡に集まる
「アジア太平洋こども会議・イン福岡(APCC)」の30周年記念式典が15日、
福岡市・天神のアクロス福岡であり、三笠宮家の寛仁親王妃信子さまが出席された。
APCCは1989年、福岡青年会議所などが国際交流事業として開始。
キャンプやホームステイ、小学校での交流を含む約2週間のプログラムで、
これまで55か国・地域から9000人以上を招いた。
式典には、今年参加した234人を含む計約720人が出席。
信子さまは「それぞれの国に戻られ、わが国との親善大使になって下さっていることと信じています」
とあいさつされた。
子どもたちが伝統的な踊りを披露する場面もあった。
http://www.yomiuri.co.jp/kyushu/news/20180716-OYS1T50001.html

日本赤十字九州国際看護大学へェ仁親王妃信子殿下がお成りになりました
7月14日、日本赤十字九州国際看護大学(宗像市)へェ仁親王妃信子殿下がお成りになりました。
当日は学生によるパネル発表、学生サークル「KDNS」による熊本地震および平成29年九州北部豪雨災害における
ボランティア活動報告、学生奉仕団の活動報告を行いました。
発表後にはェ仁親王妃信子殿下からお言葉を頂きました。
学生らは「頂いたお言葉を忘れず、今後の活動がより良いものとなるよう努力したい」と話しました。
http://www.fukuoka.jrc.or.jp/topics/other/2018071704.html

皇太子さま、古代の出雲大社本殿模型などを観覧
2018年07月17日 19時59分
皇太子さまは17日、東京・六本木の森美術館で開かれている
「建築の日本展 その遺伝子のもたらすもの」を観覧された。
会場には、縄文の住宅から現代建築までの模型や資料など400点超を展示。
皇太子さまは、古代の出雲大社本殿や東京スカイツリーの模型などを約1時間半かけてじっくり見て回り、
案内役に「日本の建築は強いんですね」と感心されていたという。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20180717-OYT1T50115.html

2018.7.18 20:47
秋篠宮ご夫妻が新潟入り 海フェスタのイベントご覧に
秋篠宮ご夫妻は18日、海の日の意義を再認識するためのイベント
「海フェスタにいがた」記念式典臨席などのため新潟県に入られた。ご夫妻の新潟ご訪問は約2年ぶり。
18日は聖籠町立図書館(同町)と水の駅「ビュー福島潟」(新潟市北区)をご訪問。そ
の後、新潟日報メディアシップ(同市中央区)で、海について学ぶ「海の総合展」を視察された。
同ビル20階では、イベントの一環として開かれている「海の絵画コンクール入賞作品展」をご覧になった。
秋篠宮さまは、小学校高学年の部で金賞を受賞した佐渡市立両津小4年、橋本梨央さん(9)に
「素晴らしいですね」と声を掛けられた。紀子さまは「上手に描かれてますね」と感想を述べられた。
19日は新潟市歴史博物館(中央区)を視察し、市民芸術文化会館(同区)で開かれる記念式典などに臨席した後、
帰京される予定だ。
http://www.sankei.com/life/news/180718/lif1807180047-n1.html

秋篠宮ご夫妻が来県 福島潟など視察 /新潟
毎日新聞2018年7月19日 地方版
秋篠宮さまと紀子さまが18日、新潟市や佐渡市などで開催中の
「海フェスタにいがた」を視察するため来県した。
秋篠宮さまは2016年にも長岡市の県農業総合研究所を視察しており、来県は2年ぶり。
この日は聖籠町立図書館で地元の子供たちと交流したほか、新潟市内最大の潟、福島潟などを視察した。
秋篠宮さまは鶏の起源についての研究で理学博士の学位を取得するなど鳥類への造詣が深く、
1988年にも福島潟を訪れている。
福島潟ではまず潟の紹介施設「ビュー福島潟」を訪問。
職員から現状の説明を受けると「当時より鳥の数が増えているんですね」と感想を話した。
その後、冬に多く飛来する国の天然記念物オオヒシクイの模型を興味深く観察。
職員に「飛来は何月ですか」などと尋ねていた。
また、潟の水上カメラに映る水鳥を見て「これはカンムリカイツブリですね」と一発で回答。
実物と同じ約5キロのオオヒシクイのぬいぐるみも抱き「意外と軽いな」と笑顔も見せ、
自然指導員の佐久間昌孝さん(45)は「気さくな方だなと驚いた。他の季節の福島潟もぜひ見て頂きたい」と話した。
ご夫妻は19日には市歴史博物館「みなとぴあ」などを視察し、帰途につく。【南茂芽育】
http://mainichi.jp/articles/20180719/ddl/k15/040/101000c

秋篠宮ご夫妻 「海フェスタ」記念式典に出席
秋篠宮ご夫妻が19日、新潟市で開かれた「海フェスタにいがた」の記念式典に出席された。
18日から来県されている秋篠宮ご夫妻は19日、新潟市歴史博物館を視察された。
ご夫妻は江戸から明治にかけて新潟の港を行き来していた北前船について説明を受けると、
模型を見ながら「これは舵ですか?」などと質問されていた。
その後、ご夫妻は市内で開かれた「海フェスタにいがた」の記念式典に出席された。
「海フェスタ」は海の大切さについて理解を深めてもらおうと毎年開かれているもので、
ことしは開港から150周年を迎える新潟市で開催されている。
秋篠宮さまは「開港150周年を迎える新潟で、海フェスタが開かれることは意義深い」とあいさつされた。
[ 7/19 12:43 テレビ新潟]
http://www.news24.jp/nnn/news88213180.html

両陛下が記念演奏会に=日越外交樹立45年で
天皇、皇后両陛下は20日夜、東京都港区のサントリーホールを訪れ、
日本とベトナムの外交関係樹立45周年を記念したベトナム国立交響楽団の日本公演を後半から鑑賞された。
両陛下は昨年2〜3月にベトナムを公式訪問している。
演奏会では、楽団の音楽監督を務める本名徹次さんの指揮で
ドボルザークの交響曲第9番「新世界より」が披露され、
両陛下は迫力あふれる演奏に盛んに拍手を送っていた。(2018/07/20-21:58)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018072001252&g=ryl

愛子さまサマースクールへ

三笠宮彬子さまが展覧会で講演
07月21日 18時52分
皇室の文化に関する展覧会が秋田市の千秋美術館で始まり、
初日の21日は、三笠宮彬子さまが皇族の女性の服装について講演されました。
「華ひらく皇室文化」展は、明治維新から150年になるのを記念して、全国を巡回して開かれている展覧会です。
千秋美術館でのオープニングセレモニーには、天皇陛下のいとこにあたる
故・三笠宮寛仁さまの長女、彬子さまが出席され、
「明治天皇が巡幸で訪れた秋田県で、この展覧会を行えることをうれしく思います」と述べられました。
このあと、彬子さまは学芸員の案内で館内をまわり、
明治天皇のきさき、昭憲皇太后が身につけた大礼服などの展示をご覧になりました。
また、初日の21日は、美術館と同じ建物にあるアトリオンで彬子さまの講演会が開かれ、
およそ400人の参加者が皇室の女性の服装についての講演に耳を傾けました。
講演のなかで彬子さまは、日本が西洋化を進めるなかで、明治の中頃から、
皇室の女性も公の場で洋服を着るようになったと説明されました。
その一方で、明治政府のアドバイザーを務めていたドイツの外交官が、
当時の日本の急速な西洋化を危ぶみ、和服などの伝統文化を大切にするべきだと
明治政府に提言していたことも紹介されました。
展覧会「華ひらく皇室文化」は9月2日まで、秋田市の千秋美術館で開かれていて、
高校生以下は無料で見ることができます。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/akita/20180721/6010001294.html


皇位継承式典事務局、8月設置 関係省庁と連絡調整担う
2018年7月24日13時24分
菅義偉官房長官は24日午前の記者会見で、来春の天皇陛下の退位に伴う皇位継承の準備を進めるため、
来月1日に「皇位継承式典事務局」を設置すると発表した。
次官級の事務局長には、総務省の山崎重孝・自治行政局長をあてる。計26人を専従として、
一連の式典の円滑な実施をめざす。
政府は今秋、首相を長とする「式典委員会」と、官房長官を長とする「式典実施連絡本部」を立ち上げ、
退位と皇太子さまの新天皇即位の儀式の大綱を決定する方針だ。
事務局は両方の組織の下で、関係省庁との連絡調整などを担う。
秋篠宮さまが皇位継承順位第1位の皇嗣(こうし)となったことを国内外に示す2020年の
「立皇嗣の礼」を終えるまで、設置される見通しだ。
https://www.asahi.com/articles/ASL7S32Z7L7SULFA006.html

佳子さま、馬術競技の高校生激励 出迎えた園児に笑顔
島康彦
2018年7月25日11時30分
秋篠宮家の次女佳子さまは25日、
静岡県御殿場市で開かれた「第52回全日本高等学校馬術競技大会」の開会式に出席した。
6月に英国短期留学から帰国後、地方での初公務となった。
佳子さまは紺色のジャケット姿。開会式であいさつに立ち、
西日本を中心とした豪雨被害に触れ「亡くなられた方々に哀悼の意を表しますとともに、
被災された方々にお見舞いを申し上げます」と述べた。
さらに「きょう参加されている方々にも大きな被害があったと聞いております。
心よりお見舞い申し上げますとともに、被災地の復旧が速やかに進むことを願っております」と話した。
これに先立ち、会場に車で到着する際には、出迎えた保育園児たちに「待っててくれてありがとう」と歩みより、
「みんな保育園?」「何をして遊んでいるんですか」などと笑顔で声をかけた。(島康彦)
https://www.asahi.com/articles/ASL7R622VL7RUTIL054.html

佳子さま、西日本豪雨に気遣い
馬術競技大会開会式であいさつ
秋篠宮家の次女佳子さまは25日、静岡県御殿場市で開かれた全日本高校馬術競技大会の開会式に出席し、
冒頭のあいさつで広島、岡山、愛媛の3県を中心に大きな被害が出ている西日本豪雨に触れ
「被災地の復旧が速やかに進むことを願っております」と気遣われた。
大会には全国36校から約180人が出場。
「今までの経験を糧に日ごろの練習の成果を存分に発揮してください」と選手にエールを送った。
https://this.kiji.is/394689225464923233?c=39546741839462401

佳子さま、馬術競技観戦 西日本豪雨に気遣い
[2018年7月25日13時15分]
秋篠宮家の次女佳子さまは25日、静岡県御殿場市で開かれた全日本高校馬術競技大会の開会式に出席し、
冒頭のあいさつで広島、岡山、愛媛の3県を中心に大きな被害が出ている西日本豪雨に触れ
「被災地の復旧が速やかに進むことを願っております」と気遣われた。
大会には全国36校から約180人が出場。
「今までの経験を糧に日ごろの練習の成果を存分に発揮してください」と選手にエールを送った。
午後には競技を観戦した。
広島県立西条農業高校3年の井川未結さん(17)は選手宣誓で
「豪雨による被害があった中でこの華やかな舞台に立てる喜び、
支えてくれたすべての方への感謝を胸に正々堂々と競技します」と力を込めた。
佳子さまは紺色のジャケット姿で会場に到着。地元の保育園児から出迎えを受け、
「待っていてくれてありがとうございます」「何歳ですか」と声を掛けていた。
佳子さまは、約9カ月間にわたる英国リーズ大での留学生活を終え、今年6月に帰国した。
この大会の開会式出席は2年連続。2015年の開会式では、公務での式典として初めてあいさつした。
16年は秋篠宮さまが出席した。(共同)
https://www.nikkansports.com/general/news/201807250000445.html

両陛下、愛媛知事と面会=西日本豪雨の状況説明
天皇、皇后両陛下は25日午後、お住まいの皇居・御所で愛媛県の中村時広知事と面会し、
西日本豪雨の被害や対応の状況について説明を受けられた。
中村知事によると、両陛下は被災者の生活や産業への影響、復興に向けた課題などについて熱心に質問。
40分ほど説明を受けた後、知事に「暑さに負けずに頑張ってください」とねぎらいの言葉を掛けたという。
宮内庁によると、両陛下は豪雨で多くの死者、行方不明者が出ていることに心を痛め、
甚大な被害が出た広島、岡山、愛媛各県の知事との面会を希望。
各知事が公務で上京する機会に実現することになった。
広島、岡山両県の知事とは8月2日に面会する。(2018/07/25-15:40)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018072500799&g=ryl

両陛下が毎日書道展を鑑賞
毎日新聞2018年7月25日 21時04分(最終更新 7月25日 21時06分)
天皇、皇后両陛下は25日、東京・六本木の国立新美術館で開かれている
第70回毎日書道展(毎日新聞社、毎日書道会主催)を鑑賞された。
同館の青木保館長と、毎日書道会理事長を務める朝比奈豊・毎日新聞社会長が出迎えた。
両陛下は、同展で最高賞の文部科学大臣賞を受賞した鬼頭墨峻(ぼくしゅん)さん(77)らの書を見て回った。
また、同時開催の特別展示「墨魂の昴(すばる)−近代書道の人々」の会場にも足を運び、
清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀と弟の溥傑の書も鑑賞。
会場内で溥傑の次女の福永嫮生(こせい)さん(78)と懇談した。
東京での毎日書道展は後期展1期が30日まで、
2期が8月1〜5日(午前10時〜午後6時、火曜休館、水曜は午後1時開場)。【高島博之】
https://mainichi.jp/articles/20180726/k00/00m/040/113000c

秋篠宮さま 広島被災地へ 病院や避難所へ
2018年7月26日 木曜 午後0:37
秋篠宮さまは、26日午前、西日本豪雨で被災した広島県に入り、
このあと県内の病院や避難所などを回られる。
午前10時半すぎ、広島空港に到着した秋篠宮さまは、バスに乗り込み、
西日本豪雨で被災した地域にある病院に向かわれた。
秋篠宮さまはこれまでも、2017年7月の九州北部豪雨など、
大きな災害が起きた際には現地に足を運び、被災者を見舞われている。
今回の訪問では、地域の病院のほか、避難所などを回られるという。
そんな中、広島・呉市では26日、神奈川・川崎市からゴミ収集チームが派遣され、ごみの回収にあたっている。
川崎市は、26日から8月5日までの2週間、延べ32人の職員とごみ収集車5台を派遣することになっていて、
被害の大きかった呉市天応地区や安浦地区のごみの回収にあたる。
https://www.fnn.jp/posts/00397218CX

秋篠宮さま、広島の被災地に 被災者らにねぎらいの言葉
秋篠宮さまが、西日本豪雨で被災した広島県を訪問されました。
秋篠宮さまは6日午前、広島県に入り、坂町にある病院や避難所をまわられました。
社会福祉法人「済生会」の総裁として、済生会の職員の被災地での活動状況を視察するためで、
職員や被災者らにねぎらいの言葉をかけられていました。
「(秋篠宮さまから)『大変ですね』ということで心強かった本当」(避難所の女性)
秋篠宮さまは、済生会の総裁として熊本地震の際にも被災地を訪れ、活動状況を視察されています。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3431205.html

秋篠宮さま 広島被災地を訪問 病院などを私的に
2018年7月26日 木曜 午後6:52
秋篠宮さまは、西日本豪雨の被災地を訪問された。
秋篠宮さまは26日午前、広島空港からバスに乗り込み、
西日本豪雨で大きな被害を受けた広島・安芸郡坂町にある済生会広島病院に向かわれた。
病院を運営する済生会の総裁を務めている秋篠宮さまは、大きな災害の際には、
被災地の関連施設を訪れ、医療活動に従事する人たちをねぎらわれている。
避難所の男性は、「腰ぐらいまで水位が来ましたと言ったら、『大変ですね』、
『体に気をつけてください』と言われましたので、『ありがとうございます』と」と話した。
秋篠宮さまは今回、済生会が運営する特別養護老人ホームや、
医師や看護師が派遣されている避難所に足を運び、川沿いの被害状況を確認しながら、
被災者たちの話にも耳を傾けられていた。
https://www.fnn.jp/posts/00397264CX

秋篠宮ご夫妻と悠仁さま、戦傷病者史料館ご視察
2018.7.30 16:18更新
秋篠宮ご夫妻と長男の悠仁さまは30日、
東京都千代田区にある戦傷病者史料館「しょうけい館」を私的に訪問された。
同施設は戦傷病者や家族の労苦を後世に伝えるための国の施設。平成21年には天皇、皇后両陛下も訪問されている。
お茶の水女子大付属小学校6年の悠仁さまは、戦場で止血に使われた日章旗や、
兵士から取り出された摘出弾などを熱心にご見学。
秋篠宮さまが、負傷した状態について「壊疽(えそ)って分かる? 腐っちゃうことね」と説明される場面もあり、
悠仁さまは真剣な表情でうなずかれていた。
https://www.sankei.com/life/news/180730/lif1807300025-n1.html


悠仁さま、戦傷病者史料館に
秋篠宮ご夫妻と長男悠仁さま(11)=お茶の水女子大付属小6年=は30日午後、
東京都千代田区の戦傷病者史料館「しょうけい館」を訪れ、戦場で負傷した兵士らに関する常設展を見学された。
悠仁さまの夏休みを利用した私的な訪問。
悠仁さまは秋篠宮さまから「壊疽(えそ)」や「検閲」といった言葉について説明を受けながら、
弾丸が貫通した眼鏡や血染めの日章旗などの展示を真剣な表情で見て回った。
野戦病院の様子を再現した実物大のジオラマや、
両手と片目の視力を失った元兵士の証言映像なども見学したという。
(2018/07/30-16:43)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018073000675&g=soc


秋篠宮ご夫妻と悠仁さま 戦傷病者の史料館を訪問
2018年7月30日 17時34分
秋篠宮ご夫妻と長男の悠仁さまは、戦争で負傷した元兵士の体験などを伝える史料館を訪ねられました。
秋篠宮ご夫妻と悠仁さまは30日午後、東京・千代田区の「しょうけい館」を訪ねられました。
「しょうけい館」は、戦争で負傷したり病気になったりした元兵士の体験を基に戦争の悲惨さを語り継ぐ施設で、
元兵士の写真や戦争の爪痕の残る装備品などおよそ300点が展示されています。
このうち、爆撃を受けた兵士の体から取り出された砲弾のかけらの前で、
秋篠宮さまが「かなり大きいですね」と述べられると、悠仁さまも真剣な表情でうなずかれていました。
また野戦病院を再現したジオラマでは、秋篠宮さまが当時は麻酔が不足し手術にも使えなかったと説明されると、
悠仁さまは身を乗り出すようにして見つめられていたということです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180730/k10011556401000.html

皇太子夫妻、豆記者と交流
沖縄と北海道・函館の小中学生
皇太子ご夫妻は30日午後、沖縄県や北海道函館市から訪れた小中学生約60人の「豆記者」たちを、
東京・元赤坂にある住まいの東宮御所に招き、懇談された。
宮内庁東宮職によると懇談は約1時間。ご夫妻は一人一人と言葉を交わし、終始和やかな雰囲気だったという。
2016年には、中学生だった長女愛子さまも懇談に同席した。
豆記者の派遣は1962年、沖縄と本土の子どもたちの交流を目的に始まった。
天皇、皇后両陛下は皇太子夫妻時代から豆記者との交流を重ね、即位後に皇太子さまが引き継いだ。
両陛下は今年3月の沖縄県訪問でも、豆記者と懇談している。
2018/7/30 20:25
https://this.kiji.is/396624848476406881

悠仁さま、戦争に関する史料館へ 夏休みを利用して訪問
多田晃子
2018年7月30日21時26分
秋篠宮ご夫妻と長男悠仁(ひさひと)さま(11)は30日、
東京都千代田区の「しょうけい館」(戦傷病者史料館)を訪れた。
悠仁さまはお茶の水女子大付属小学校の6年生。この日は夏休みを利用して訪れた。
同館は、戦傷病者とその家族らが戦中・戦後に体験した労苦を後世に伝える施設。
悠仁さまは、摘出弾や止血に使われた日章旗などを時折のぞき込むようにしながら見て回り、
真剣な表情で説明を聞いていた。秋篠宮さまが「壊疽(えそ)ってわかる?」と話しかけたり、
軍事郵便について「届く前に全部見るんだよ」と教えたりする場面もあった。
ご夫妻は悠仁さまが折々に戦争について学ぶ機会を設けてきた。
天皇、皇后両陛下から戦時中の体験を聞いたり、
原爆投下の日などにはご一家で黙禱(もくとう)を捧げたりしたこともある。
2016年には長崎市の「原爆落下中心地碑」に供花をしたほか、長崎原爆資料館を訪れた。
昨夏には紀子さまと東京・小笠原諸島を訪れ、戦争の痕跡を巡った。(多田晃子)
https://www.asahi.com/articles/ASL7Z3F27L7ZUTIL01H.html

皇太子さま、伊勢神宮参拝
皇太子さまは31日午後、三重県伊勢市にある伊勢神宮の外宮と内宮を参拝された。
皇太子さまの参拝は、ご一家で訪れた2014年7月以来。
モーニング姿の皇太子さまは、砂利道をゆっくりと進み、玉串をささげて拝礼した。
皇太子さまは8月1日に同市で開催される全国高校総合体育大会の開会式に出席し、2日帰京する。
(2018/07/31-17:17)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018073100986&g=soc

水俣病慰霊式、来年は10月
新天皇即位日と重なり延期
2018/7/31 18:10
熊本県水俣市などは31日、水俣病の公式確認から63年となる来年5月1日に予定していた犠牲者慰霊式を、
同10月19日に延期することを決めた。新天皇の即位日と重なるため。
来年は春に統一地方選があるほか、夏の酷暑を避けるため、秋に行うことになった。
悪天候で10月に開催できない場合、11月9日に再延期する。
慰霊式実行委員会の委員長を務める市立水俣病資料館「語り部の会」の緒方正実会長(60)は
「式は、二度と公害を起こさないというメッセージを届ける場。
新天皇即位日に無理して行うのではなく、全員が落ち着いて祈りをささげられる日にしたほうがよい」と語った。
https://this.kiji.is/396952505420825697

皇室アルバム 3000回でパーティー 秋篠宮ご夫妻出席
毎日新聞2018年7月31日 20時11分(最終更新 7月31日 20時11分)
毎日映画社が協力し、毎日放送(MBS)とTBS系列で毎週放映しているテレビ番組
「皇室アルバム」の3000回を記念したパーティーが31日、
東京都内のホテルで開かれ、秋篠宮ご夫妻が出席された。
ご夫妻は三村景一・MBS社長らの出迎えを受けた後、撮影に使われた古いカメラや録音機、
同番組の概要などを紹介するパネルなどの展示を見学した。
朝比奈豊・毎日新聞グループホールディングス社長が乾杯した記念パーティーでは、番組の歴史を振り返る映像を上映。
秋篠宮さまが自身の幼少の姿にほほ笑む場面もあった。
皇室アルバムは皇族の動静などを約15分間に編成。
天皇、皇后両陛下が結婚された1959(昭和34)年に始まり、
今年8月に3000回を迎える長寿番組となっている。【大久保和夫】
https://mainichi.jp/articles/20180801/k00/00m/040/078000c

陛下 光格天皇の事例ご研究 宮内庁に調査依頼

2017.1.24 07:00
陛下 光格天皇の事例ご研究 宮内庁に調査依頼 6年半前
天皇陛下が約6年半前に譲位の意向を示した当初、最後に譲位した光格天皇の事例を調べるよう
宮内庁側に伝えられていたことが23日、分かった。
陛下が譲位の具体例に言及されていたことが判明するのは初めて。
光格天皇は譲位後に権力から遠ざかっており、
陛下が持たれている譲位のイメージに合致していた可能性がある。
光格天皇は江戸後期の1779年、閑院宮家から後桃園天皇の養子になり、第119代天皇に即位。
1817年に皇太子だった仁孝天皇に譲位し、太上天皇(上皇)となった。
在位中は朝廷の儀式を再興させるなど近代天皇制の礎を築いたとされる。
陛下は光格天皇の直系にあたられる。
陛下は遅くとも平成22年7月には、相談役の宮内庁参与らを集めた会合、
いわゆる参与会議の場で譲位の意向を示したが、関係者によると、その前後に、
宮内庁幹部らに光格天皇の譲位の事例を調べるよう依頼されたという。
関係者の一人は「譲位後の光格天皇は、中世の後鳥羽上皇らと異なり、権力をふるっていない。
譲位の直近の事例で資料が残っていることもあるが、
陛下の思い描く譲位後のイメージと重なる部分もあったのではないか」と指摘する。
陛下の譲位に関する政府の有識者会議で、宮内庁側は陛下が譲位する場合、
象徴としての行為を基本的に全て新天皇に譲られるとの見解を示し、
「象徴が二元化することはあり得ない」と説明している。
専門家の間で懸念される譲位後の天皇と新天皇が併存する権威の二元化を否定した形で、
こうした考えには陛下の意向が反映されているとみられる。
別の関係者は「陛下は天皇の歴史を誰よりもよくご存じだ。
歴史から学び、譲位の意向を徐々に固められたのだろう」と話した。
     ◇
光格天皇 第119代天皇。閑院宮典仁親王の第六皇子として誕生。
1779年に即位し、中世以来の神事の再興や朝権の回復に努めたほか、
後の学習院の基となる公家の教育機関を構想した。
1817年に仁孝天皇に譲位。1840年に70歳で崩御した。 
http://www.sankei.com/life/news/170124/lif1701240001-n1.html



光格天皇の「あるべき天皇像」を模索した姿は天皇陛下に通じる

急遽参加その後ドタキャン

両陛下と皇太子ご夫妻、進講受けられる
2012.7.3 12:26
皇太子ご夫妻は3日、今月30日に崩御されてから100年を迎える明治天皇のご事跡についての進講を、
天皇、皇后両陛下と一緒に受けるため、皇居・御所を訪問された。
宮内庁によると、当初は皇太子さまが単独で訪問される予定だったが、
当日朝になって急遽(きゅうきょ)、雅子さまも同席されることが決まった。※
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120703/imp12070312280001-n1.htm

※産経皇室ウイークリ―(237)
皇太子ご夫妻は3日、今月30日に崩御されてから100年を迎える明治天皇のご事跡についての進講を
両陛下といっしょに受けるため、皇居・御所を訪問された。
当初は皇太子さまが単独で訪問される予定だったが、当日朝に急遽(きゅうきょ)雅子さまも
同席されることが決まったという。皇居には皇太子さまが先に入られ、雅子さまは進講が始まる
午前11時の少し前にお1人で入られた。
宮内庁関係者によると、両陛下とご夫妻は進講後にいっしょに昼食を取られる予定だった。
だが、ご夫妻は結局、予定を早めて東宮御所に戻られたという。
2回目の「予定変更」の理由について、小町氏は6日の会見で問われたものの、説明しなかった。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120707/imp12070707000001-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120707/imp12070707000001-n4.htm



週刊新潮2012年7月19日号
「天皇皇后」昼食は颯爽とご辞退の「雅子妃」
前日までは皇太子さまお一人で(明治天皇ご事蹟のご進講に)出られる予定。
当日の朝、急遽雅子妃まも出席されることになった。
10時ごろ皇太子さまが御所へ。10時40分ごろに突然、宮内庁から記者会へ
「妃殿下もおいでになります」との連絡が入った。その10分後雅子妃がお見えになる。
記者会のカメラはすでに引き揚げており、雅子妃のお出ましには間に合わず。
まるで皇太子さまが両陛下への(東南アジア歴訪の)ご報告を終えられた頃を見計らったかのように、
ご進講へと滑り込まれた。
これはかねてから「撮影取材」を好まない雅子妃の明確な意図なのではないか。
雅子妃は、最近ではもっぱら不規則な生活。9〜10時のお目覚めはよいほうで、
実際にはお昼近くになる日もままある。
この日の昼食には、黒田清子さんもご一緒されることになっていた。
両陛下は殿下の土産話をはじめ、お子様方との語らいを楽しみになさっていただろう。
しかし両殿下は予定を急遽変更され、東宮御所に帰られてしまった。
本来は親子水入らずのお食事会が予定されていたのに、雅子妃が追加エントリー。
ところが肝心のご体調が”何らかの事情”で急変。その挙げ句、ご夫妻そろっての退出を余儀なくされたというのだ。
そもそも東宮職は、両陛下との昼食がセッティングされていたことすら明かそうとしなかった。
「雅子さまのその日のご様子については、何も申し上げられません。」(ご進講を務めた西川教授)
お出ましと聞いて少なからず驚きを覚えました。両陛下との間に生じたディスコミニケーションが
深い溝となり、現在の妃殿下にとっては参内されて両陛下お目にかかること自体が
ストレスとなるような状態が続いていたからです。(宮内庁関係者)
同じ日の朝と昼に繰り広げられた、2つの不可解なお振舞い。
よもや「ご体調の波」で片付けられる類のものではあるまい。
どんな思いが雅子妃を駆り立て、無理を押してご進講へ向かわせたのか。
両陛下とのご会食となればお話をしなければならず、緊張が高まったのか。
皇太子さまもそのような様子の雅子妃をお一人にすることができず、やむなく一緒にお帰りになったのでは。
(快復を妨げている一因として)紀子さまのお振舞いに対する『焦り』もあったのだろう。(松崎敏弥氏)
この30日の明治天皇式年祭についても、雅子妃はいまだ出欠を明らかにしていない。
18日には両陛下が明治神宮に参拝されることになっており、
雅子妃としては昼食会で皇后さまから『一緒に参拝しましょう』とお誘いされるのでは、
という懸念があったのではないか。(渡辺みどり氏)
雅子妃に焦りを覚えさせた秋篠宮家では“慢性の人手不足”。
悠仁さまの小学校入学、眞子さまの留学など、職員が一層多忙を極めている。
そもそも東宮職の人数は、両殿下で通常通り公務をされる前提での配置となっている。
妃殿下の療養生活も9年目。職員の配置はこれで適正といえるのか。
もっと“現実”に即した定数配分に改めるべき。(皇室ジャーナリスト 山下晋司氏)

テーミス2012年8月号
天皇皇后両陛下との距離感は依然としてあるようだ。
7月3日のこと。雅子さまは突然、皇居に参内し、明治天皇のご事跡についてのご進講を受けられた。
皇太子さまも両陛下に陪席された。
7月30日には、両陛下と皇太子ご夫妻が宮中三殿の高霊殿に参拝する
明治天皇の崩御100年を記念した大祭が控えていた。
ご進講の後は皇居を訪問していた黒田清子さんも交え、両陛下と昼食を共にする予定だったが、
両殿下は急遽、東宮御所にお帰りになったのである。
宮内庁関係者が話す。「まず皇太子さまが6月25日から7月1日までの東南アジア歴訪のご挨拶のため、
10時頃、皇居に到着された。
雅子さまがお出ましになると連絡が入ったのが10時40分で、15分ほどして到着されたが、
すでに取材陣は引き上げていました。
撮影取材を好まれない雅子さまが意図的になさったとしか思えない。
両陛下とのご会食はいまだにご負担になられるのでしょうかね」

秋篠宮殿下広島ご訪問2013年

秋篠宮さま 平和公園に
31日から広島市を訪れている秋篠宮さまは、1日、
広島市の平和公園を訪問し、原爆慰霊碑に祈りをささげられました
秋篠宮さまは1日と2日に広島市で開かれる「日本動物園水族館協会」の会議に出席するため、
31日夜、広島に到着されました。
開会を前に1日、広島市の平和公園を訪問し、たくさんの人の出迎えを受けられました。
そして、広島市の松井市長に案内されて原爆慰霊碑の前で献花したあと、深々と一礼し、
犠牲者に祈りをささげられました。
このあと、秋篠宮さまは広島国際会議場で始まった「日本動物園水族館協会」の会議の開会式に出席されました。
この協会は、希少動物の保護や繁殖の研究を行っていて、秋篠宮さまは総裁として、
1日午後からは動物園や水族館の飼育員たちが日ごろの研究成果を話し合うグループ会議に出席されます。
また、広島市の安佐動物公園で全国でも有数のオオサンショウウオの繁殖施設を視察されます。
2日は広島市の原爆養護ホームを訪問し、東京に戻られます
http://www3.nhk.or.jp/lnews/hiroshima/4005465381.html

秋篠宮さま、広島訪問 平和公園で献花
2013年11月2日03時00分
秋篠宮さまが1日、平和記念公園(広島市中区)を訪れた。
松井一実・広島市長の案内で原爆死没者慰霊碑に白いランの花束を手向け、ゆっくりと頭を下げた。
秋篠宮さまは広島国際会議場で1日に始まった第18回種保存会議に参加するため、前日に広島入りしていた。
平和記念公園に足を運んだ後は、市安佐動物公園を視察し、キリンにエサを与えるなどした。
http://www.asahi.com/articles/OSK201311010116.html

秋篠宮さま 原爆養護ホームご訪問
会議ご出席のため広島を訪問された秋篠宮さまが、2日、
東区の原爆養護ホーム「神田山やすらぎ園」を訪れ、被爆者と交流された。
秋篠宮さまは、お年寄りたちが作った宮島のちぎり絵をご覧になり
「宮島はきれいですよね」とお言葉をかけられた。
[ 11/2 17:55 広島テレビ]
http://news24.jp/nnn/news8663735.html

秋篠宮さま、被爆者らと交流
秋篠宮さまは2日、広島市東区の原爆養護ホーム「神田山やすらぎ園」で被爆者と交流を深められた。
同日午後、広島空港(三原市)から帰京された。
秋篠宮さまは、機能回復訓練室などを視察された。松野禎水園長(60)からは1982年に開設し、
約100人が暮らす施設の歩みやリハビリ器具の説明を受けられた。
廿日市市宮島町の紅葉した弥山や厳島神社の大鳥居のちぎり絵を作っていた金藤久代さん(84)たちには、
「きれいですね」とほほ笑みながら声を掛けられた。
金藤さんは「親しみのある言葉をかけていただき、大変うれしかった」と喜んでいた。
'13/11/3
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201311030014.html

秋篠宮殿下広島ご訪問

秋篠宮さまが広島を訪問 被災地視察、原爆慰霊碑に献花
2015年4月6日19時36分
秋篠宮さまは6日、総裁を務める山階鳥類研究所(千葉県我孫子市)の
「中国地区賛助会員の集い」に出席するため、広島市を訪れた。
集いに先立ち、平和記念公園で原爆死没者慰霊碑に献花した。
秋篠宮さまは、被爆して亡くなった約29万2300人の名簿が奉納された慰霊碑に
白いコチョウランを供えて拝礼した。
昨年8月に74人が死亡した土砂災害の被災地も視察し、被災者たちをいたわった。
http://www.asahi.com/articles/ASH465726H46PITB00V.html

秋篠宮さまが被災者激励 広島土砂災害
秋篠宮さまは6日、昨年8月の土砂災害で大きな被害が出た広島市安佐南区の被災地を訪れ、
出迎えた住民ら約70人に「大変でしたね」などと声をかけて激励された。
曇天の下、市消防局長が現地で、秋篠宮さまに当時の様子を説明した。
同区八木3丁目の無職立川新三さん(78)が、亡くなった兄夫婦の自宅跡に毎日線香を供えていることを話すと、
「おつらいでしょうが、ずっと供養してあげてください」と慰められたという。土砂災害では74人が死亡した。
被災地を視察後、秋篠宮さまは、広島市中区の平和記念公園にある原爆慰霊碑に献花した。
2015/04/06 18:31 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201504/CN2015040601002158.html

秋篠宮さま、広島の土砂災害被災地を視察
2015年04月06日 21時49分
秋篠宮さまは6日、広島市北部で74人が犠牲となった昨年8月の土砂災害の被災地を視察し、被災者らと懇談された。
41人が亡くなった安佐南区八木3の住宅跡に立ち、滝沢宏二・市消防局長から被害や復旧状況の説明を受けられた。
その後、兄夫婦を亡くした男性(78)らを「おつらいでしょう」などといたわられたという。
男性は「優しいお言葉でありがたかった」と涙ぐんだ。
秋篠宮さまはこの後、同市内の平和記念公園を訪れ、原爆死没者慰霊碑に献花された。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150406-OYT1T50073.html