皇太子さまフランス御訪問

「相互理解の一助に」=皇太子さま、フランス訪問前に会見
皇太子さまは5日午後、7日からのフランス公式訪問を前に、お住まいの東宮御所で記者会見し、
「今回の訪問が、将来の相互理解と友好関係を深めていく上での一助となるよう願っております」と述べられた。
会見では、フランスが19世紀以降、交易や技術交流などで日本の近代化に大きな役割を果たしたことも紹介。
「今回の訪問を通じて、わが国とフランスの間に培われてきた交流の歴史に思いをはせたい」と語った。
雅子さまが同行を見送ったことについては、
「依然として体調には波もありますので、外国訪問を含め活動の幅がすぐに広がるわけではありません」と説明。
「外国で暮らした経験、あるいは仕事で外交に携わってきたことは必ず役に立つものと思います」と期待を寄せた。
(2018/09/05-19:58)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018090501135&g=soc

2018.9.5 22:41
新天皇像 陛下が「基礎」 皇太子さま、国際親善でご見解
皇太子さまは5日、フランスを7日から公式訪問するのを前に東京・元赤坂の東宮御所で記者会見に臨まれた。
来年5月の即位後、新天皇として担う国際親善について、
天皇陛下が築き上げられてきたことが「基礎」とした上で、
「自分に何ができるかということを常に、真剣に考えていきたい」と述べられた。
フランスへの公式訪問は初めてで、皇太子として最後の外国ご訪問となる見通し。
皇太子さまは国際親善のための外国訪問が「皇族が果たすべき役割の中で重要な柱」とし、
将来を見据えて外国との相互理解の促進に努められてきた天皇、皇后両陛下の気持ちを引き継ぐ姿勢を示された。
今回は日本との友好160周年を迎えたフランス側の招待で、日本文化を紹介する記念行事に参加し、
能や歌舞伎を鑑賞される機会もある。皇太子さまは、日本の伝統文化や最近のポップカルチャーの評価について
「実際に肌で感じ取れることを楽しみにしています」と述べられた。
療養中の皇太子妃雅子さまも招待を受けたが、同行を見送られており、
皇太子さまは「大変残念に思っております」と雅子さまの気持ちを代弁された。
一方で、国際親善が外国訪問に限らず、日本での賓客のもてなしや
国際的な行事への出席などの形もあると前置きし、新皇后となられる雅子さまが
「外国で暮らした経験、あるいは仕事で外交に携わってきたことは必ず役に立つ」と期待を込められた。
https://www.sankei.com/life/news/180905/lif1809050033-n1.html


018.9.7 11:51
皇太子さま、フランスへご出発
皇太子さまは7日、日本との友好160周年を迎えたフランスを初めて公式訪問するため、
政府専用機で羽田空港を出発された。リヨンとパリに滞在しながら各地を巡り、15日に帰国される。
来年5月の即位を控え、皇太子としての外国ご訪問は最後となる見通し。
7日夕(日本時間同日夜)に同国南東部ブルゴーニュ地方のリヨンにご到着。
リヨンは明治期に養蚕業を通じ、日本との交流が深く、皇太子さまは8日に現地の織物博物館を視察される。
9日には近郊のワイナリーに赴き、ブドウ畑や貯蔵庫を見て回られる。
10日にパリに移り、12日にはマクロン大統領を表敬訪問し、大統領主催の晩(ばん)餐(さん)会に臨まれる。
滞在中、日本文化を紹介する「ジャポニスム2018」で能や歌舞伎の公演を鑑賞するほか、
エッフェル塔の記念ライトアップで点灯役を務められる機会もある。
http://www.sankei.com/life/news/180907/lif1809070021-n1.html

皇太子さま、パリに到着 リヨン空港で滑走路に男侵入
09/11 09:19 更新
【リヨン、パリ共同】フランスを訪問中の皇太子さまは10日夕(日本時間11日未明)、
南東部のリヨン空港から政府専用機でパリに到着された。
リヨン空港では出発前、警察に追跡されていた車が滑走路に侵入、運転していた男が拘束される事件があった。
滑走路は閉鎖され、多数の便が欠航となったが、政府専用機の運航に支障はなかった。
皇太子さまは11日に、パリのアンバリッド(廃兵院)で歓迎行事に出席。
国民議会副議長主催の昼食会であいさつする。
14日までの滞在中、マクロン大統領との会見や日仏友好160周年の関連行事に臨む。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/227034

皇太子さま「王冠、持ってくれば良かったね」園児に笑顔
リヨン=中田絢子2018年9月8日20時46分
皇太子さまは7日、政府専用機でフランス南東部のリヨンに到着した。日仏友好160周年を記念した訪問。
8日はリヨン近郊で、日本国籍を持つ現地の子どもが通う「リヨン補習授業校」を訪れ、子どもたちと交流した。
補習校には幼稚園児から中学生までの120人が在籍。視察を終えて学校を出る際、
見送りに出たバイウ江美里ちゃん(4)が「頭が違う」と指摘。
周囲の先生らが「王冠がないからでは」と言うと、
皇太子さまは「ああ、持ってくれば良かったね」と笑顔で返し、和やかな雰囲気に包まれた。(リヨン=中田絢子)
https://www.asahi.com/articles/ASL957T95L95UTIL05Z.html

2018.9.9 10:13
皇太子さま仏リヨンの織物博物館に なでしこ熊谷選手を激励も
フランス滞在中の皇太子さまは8日午後(日本時間同日夜)、南東部リヨンで織物博物館を視察された。
リヨンは18世紀に絹織物産業の最盛期を迎え、19世紀後半には養蚕業を通じて日本とも交流した。
博物館で当時のリヨンで織られた日本風の模様の布を見た皇太子さまは
「お互いが刺激し合って交流を深めていたんですね」と感心していた。
その後、現地で暮らす日本人らと懇談。サッカー女子日本代表の主将で
フランス1部リーグのリヨンに所属する熊谷紗希選手には
「チームをまとめるのは大変ですか」と質問し「ますますのご活躍を」と激励した。
夜には内務大臣主催の夕食会にも出席した。(共同)
http://www.sankei.com/life/news/180909/lif1809090019-n1.html

皇太子さま、ワイナリー視察=日帰りでブルゴーニュ地方に−仏
【リヨン時事】フランス公式訪問中の皇太子さまは9日、
滞在している南東部のリヨンから日帰りでブルゴーニュ地方のサントネ村を訪れ、
ワイナリー「ドメーヌ・フルーロ・ラローズ」を視察された。
このワイナリーはグランクリュ(特級)のぶどう畑を所有する1872年創業の老舗。
皇太子さまは「きょうこちらにうかがうのを楽しみにしておりました」と
経営者のニコラ・フルーロさんにあいさつした後、収穫の時期を迎えた広大なぶどう畑を見学した。
続いて、敷地内の地下にあるワイン貯蔵庫に入り、整然と並べられたワインのたるやボトルを見て回った。
100年前に造られたワインも保管されており、
皇太子さまは「たるの木はどういう木を使っているんですか」などと興味深そうに質問。
2015年に造られたワインを試飲した際は、色や香りを確かめながら
「すごくおいしいですね」と笑顔で話していた。(2018/09/09-21:31)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018090900467&g=soc

皇太子さま、仏のワイナリー視察 「おいしいですね」
サントネ=中田絢子2018年9月9日22時11分
フランス訪問中の皇太子さまは9日、ブルゴーニュ地方のサントネ村を訪れ、老舗ワイナリーを視察した。
4代目のニコラ・フルーロさんの案内でブドウ畑を歩き、今年の出来栄えなどについて説明を受けた。
ワインだるが並ぶ地下の貯蔵庫では代表的なワインを試飲。「すごくおいしいですね」と話した。
貯蔵庫には所狭しと樽(たる)が並び、100年前につくられたワインも。
ニコラさんの妻で、日本人の久美子さん(51)は
事前の取材に「祖先を尊敬し、努力を惜しまないこのブルゴーニュ地方の気風も伝えたい」と話していた。
(サントネ=中田絢子)
https://www.asahi.com/articles/ASL981PK5L98UTIL001.html

皇太子さま、ブルゴーニュのブドウ畑を視察
2018年9月9日 23:34
日仏友好160周年でフランスを公式訪問している皇太子さまは、
ブルゴーニュの老舗ワイナリーを訪れ、ブドウ畑を視察された。
皇太子さまは、現地時間9日午後、フランスを代表するワイン文化に触れるため、
ブルゴーニュ地方サントネ村のブドウ畑を訪問された。
収穫期を迎えてたっぷり実ったブドウを前に、皇太子さまは、ブドウの品種や出来具合などの説明を受けられた。
その後、ワインの貯蔵庫に移動した皇太子さまは、木の樽での保存の仕方や、
100年前のものなど年代物のワインについて聞き、このワイナリーを代表する白と赤のワイン4本を試飲された。
皇太子さまはパリに移動後、マクロン大統領主催の晩さん会などに臨まれる予定。
http://www.news24.jp/articles/2018/09/09/07403680.html

仏訪問の皇太子さま、最先端の研究開発拠点を視察
フランスを公式訪問中の皇太子さまが、ヨーロッパを代表する最先端の研究開発拠点を視察されました。
現地時間10日午前、皇太子さまが訪問されたのは、
フランス南東部グルノーブルにあるマイクロ・ナノテクノロジー分野を中核とした最先端の研究開発拠点です。
皇太子さまは、有機ELを使って様々な情報をメガネに映し出す技術などを興味深そうに見て回り、
「フランスの最近のテクノロジーの進捗は著しいですね」などと話されていたということです。
また、グルノーブルは、雅子さまが学生時代にフランス語の語学研修に来た場所で、
皇太子さまは、グルノーブル大学の関係者に「雅子も大変良い思い出だった」と話されていました。
この後、皇太子さまは、政府専用機でパリに入られました。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3469522.html

パリで「友好実感」と皇太子さま
仏語でスピーチ
【パリ共同】フランス滞在中の皇太子さまは11日午前(日本時間同日午後)、パリで歓迎行事に出席された。
午後には国民議会副議長主催の昼食会に招かれ、
「長い歴史の中で両国民が紡いできた強固な友好関係を実感しております」とフランス語でスピーチした。
パリ中心部のアンバリッド(廃兵院)での歓迎行事後には、パリ近郊の日本人学校を訪問。
小学4年の社会科授業で「水の使われ方」についての児童らの発表を聞いた皇太子さまは
「世界中の水についていろんなことを学んでください。水を大切にね」と語り掛けた。
2018/9/11 20:32
https://this.kiji.is/412209421513393249

訪仏の皇太子さま フランス語でおことば 昼食会で
毎日新聞2018年9月11日 20時31分(最終更新 9月11日 21時39分)
【パリ山田奈緒】フランス滞在中の皇太子さまは11日、
パリ市内で国民議会(下院)の副議長主催の昼食会に出席され、
「フランスに長く在住する日本人の方々や、日本と手を携えて活躍するフランス人の方々のお話を伺い、
両国民の強固な友好関係を実感しております」とフランス語でおことばを述べた。
皇太子さまは中学時代からフランス語を学んでいる。
前日まで南東部の都市リヨンに滞在していて、パリでの日程はこの日が初日。
昼食会に先立ち、アンバリッド(廃兵院)で歓迎行事が行われた。
仏政府の閣僚の出迎えを受け、儀仗(ぎじょう)隊を閲兵した。
https://mainichi.jp/articles/20180912/k00/00m/040/074000c

皇太子さま、パリの公園散策=カメラ片手、風景楽しむ
【パリ時事】フランス公式訪問中の皇太子さまは12日、パリ市内の観光名所リュクサンブール公園を散策された。
この日は晴天に恵まれ、皇太子さまは「ボンジュール」と声を掛けたパリ市民に笑顔で応じるなどして、
園内の雰囲気を楽しんでいた。
グレーのジャケット姿の皇太子さまは、愛用のコンパクトカメラを片手に、園内を約30分間散策。
居合わせた日本人女性らに「旅行されているのですか?楽しんで」と声を掛けたり、
公園の風景を写真に収めたりと、終始リラックスした様子だった。
皇太子さまはこれに先立ち、パリ市内にある「ネッカー小児病院」を視察。
数日前に盲腸の手術を受けたばかりという少女(15)の病室を訪れ、
「早く良くなるといいですね」とお見舞いの言葉を掛けた。
 続いて、病院の付属研究所などに留学している日本人研究者らと面会。
「日本では小児科の先生が少なくなっていますが、フランスではどうですか」などと質問して回った。
(2018/09/12-23:08)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018091201118&g=ryl

皇太子さま 仏大統領を表敬訪問し 晩さん会に
2018年9月13日 7時04分
フランスを公式訪問中の皇太子さまは、マクロン大統領を表敬訪問したあと、歓迎の晩さん会に臨まれました。
皇太子さまは、現地時間の12日午後6時半すぎ、ベルサイユ宮殿に到着し、
出迎えたマクロン大統領と笑顔で握手を交わされました。
続いて懇談に移り、両国の国旗の前で大統領と親しく言葉を交わされました。
そして、皇太子さまは、大統領とともに、日本とフランスの友好160周年を記念して開かれている
イベント「ジャポニスム2018」の企画の1つの能を鑑賞したあと、大統領が主催する歓迎の晩さん会に臨まれました。
晩さん会には両国の政府関係者などおよそ100人が招かれ、はじめにマクロン大統領がスピーチし、
西日本豪雨や北海道の地震を受けて、日本との連帯の気持ちを示しました。
続いて、皇太子さまがあいさつに立ち、日本国民への親愛と連帯に対する感謝の気持ちを表されました。
そのうえで、フランスを訪問して長い歴史の中で両国民が織りなしてきた強固な友好関係を実感しているとして、
「『ジャポニスム2018』等の機会を通して、日仏間の交流がさらに飛躍し、
両国民の絆がますます深まることを期待しています」と述べられました。
このあと乾杯が行われ、皇太子さまは大統領夫妻などと和やかに歓談されていました。

マクロン大統領 被災者に連帯の気持ち示す
フランスを公式訪問中の皇太子さまを歓迎する晩さん会を主催したマクロン大統領は、
「皇太子さまをここにお迎えできるのは私と妻、
そしてここにいるすべてのフランス人にとって、とても名誉なことです」と述べました。
そして、「7月に日本を襲った豪雨という試練に対してフランスの支援と友情を表明します。
北海道で起きた地震による苦難についても悲しく思っています」と述べ、
西日本豪雨や北海道で震度7の揺れを観測した地震などの被災者に対する連帯の気持ちを示しました。
このほか、日本とフランスの友好160周年を記念して開かれている「ジャポニスム2018」について、
「両国の限りなく続く絆、歴史、発見をさらに深める機会になることを確信しています」と述べました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180913/k10011627581000.html


皇太子さまエッフェル塔の点灯式出席
毎日新聞2018年9月14日 10時17分(最終更新 9月14日 11時09分)
【パリ山田奈緒、賀有勇】フランス滞在中の皇太子さまは13日夜(日本時間14日未明)、
エッフェル塔のライトアップの点灯式に出席された。
塔の前にある国立シャイヨー劇場で皇太子さまが点灯ボタンを押すと、
パリのシンボルに、白や赤の光を使って日の出の様子が浮かび上がった。
ライトアップはパリで開かれている日本博「ジャポニスム2018」の一環。
皇太子さまは演出を手がけた照明デザイナーの石井幹子(もとこ)さん(79)と
長女の石井リーサ明理(あかり)さん(47)に「大変素晴らしいですね」と声をかけた。
点灯式に先立ち、パリ市立プチ・パレ美術館で同行記者団の取材に応じ
「フランスのみなさんの日本に対する関心の深まりを強く感じました」と今回の訪仏の感想を語った。
https://mainichi.jp/articles/20180914/k00/00e/040/247000c

2018.9.14 08:10
【皇太子さま仏ご訪問】「若い人同士の交流が友好親善の増進に」 一問一答
7日からフランスを公式訪問している皇太子さまは現地時間13日午後、
パリの美術館「プティ・パレ」で開催中の伊藤若冲展を鑑賞した後、
同行した宮内記者会の取材に応じられた。一問一答は以下の通り。

--滞在中、数多くの行事に臨まれましたが、振り返って印象に残っていることや感想をお聞かせください

「まず最初にこの度の北海道での地震により亡くなられた方々に心から哀悼の意を表しますとともに、
ご遺族の皆様、そして被災された方々にお見舞いを申し上げます。
今回、日仏修好通商条約160周年という年に初めてフランスを公式訪問することができましたことを
大変うれしく思っております。今回ご招待いただいたフランス国政府に対して心からお礼を申し上げます。
私にとっては以前に、留学中にフランスを訪問したことはありますが、
今回7回目にして初めての公式訪問となりました。
昨晩はベルサイユ宮殿において、マクロン大統領ご夫妻に大変心温まる晩餐(ばんさん)会を催していただき、
大統領ご夫妻の心温まるおもてなしに心から感謝致します。そしてまた、最初に訪れたリヨンにおいても、
コロン内相はじめ多くの方々に本当に温かく迎えていただいたこと、
また、国民の皆様にも大変温かく迎えていただいていること、それに対して心から感謝致します。
今も申し上げましたように、フランスには以前留学中も含めて6回にわたって訪問をしておりまして、
そしてフランスのこの美しい景色、そして豊かな文化、歴史と伝統に満ちあふれたこの国のことについては
以前から私も承知しておりましたけども、今回こういう形でもって訪れてみまして、
フランスの方々が日本に対して非常に大変高い関心を寄せていただいていること、
そしてより多くの方が日本について知ろうとしておられるということを大変実感いたしました。
そしてまた、今回、場所としては例えばグルノーブルですとか、それからもちろんパリにおいても、
色んな場所で施設を訪問しましたけれども、それぞれの場所でもって日本人の方々も多く活躍しておられ、
そしてまたフランスでもっても、日本にゆかりのある方々とも多くお会いすることができました。
こういった多くの方々が相互に理解をさらに深め、そして日本の一般の方々も、
多くの方々がさらにフランスに対して関心を寄せられるようになると本当に良いと思います。
この日仏修好通商条約160周年というこの年、ジャポニスム2018年もありまして、
いろいろ各地でもってさまざまな行事が行われますけども、そういった諸行事を通じて、
日仏間の相互理解がさらに深まることを心から願っておりますし、
またこのたびの私の訪問が、そのための一助になるのであればと思っております。
さらに話を続けますと、日本とフランスとの関係は言ってみれば
絹を紡ぐということによって始まったわけですけれども、今回いろいろな施設を訪れてみまして、
そういった交流が文化、それから芸術、そしてさらに先端技術の分野においてもさらに深められて、
言ってみれば、美しいいろいろな色の下糸が紡がれて美しい織物が出来上がってくると、
そういうふうな過程を何か私自身目の当たりにしているような感じがして、大変うれしく思いました」

--即位前最後の外国訪問となる可能性がありますが、殿下にとって改めて国際親善というのはどういうもので、
即位後の在り方について今回の訪問でヒントになるようなものはございましたでしょうか

「国際親善というのは、それぞれの国の人々がお互いの国を理解し、そして協力し合って、
そしてそういった良い関係を次の世代に語り継いでいくという、非常に重要な基盤となっていると思います。
そういう意味でも、皇室の場合でも両陛下がなさっておられますように、常に相手国と、
それから日本との歴史に思いを致して、そしてお互いの相互理解、
そして友好親善の増進にするためにはどうしたらいいかということを常に心に留めながら、
各地での諸行事に臨んでおられることと思います。私もそのような両陛下のなさりようをこれからも学び、
従ってそういうものを引き継いでいきたいと思います。
そしてまた、さらに言いますと、国と国との関係というのは、これはもう一人一人の、
人と人との関係によるものだと思います。今回もフランス国内でさまざまな、日本人で活躍している方、
そしてまた日本にゆかりのあるフランスの方々とお話をしまして、
そして、それぞれの皆さんがそれぞれの国に対して非常に強い思いを持たれていることを肌で感じました。
そのような良い関係、これを次の若い世代の人たちにもぜひ引き継いでいってもらいたいと思いますし、
そういったまた若い人たち同士の交流が今後さらに、
日本とフランスとの友好親善の増進につながるものではないかと思っております。

--日本人学校の小学生の授業で殿下が水についてお話しされました。
ああいう場面はあまりないことだと思うのですが、どういうお気持ちでお話しされたのでしょうか

「たまたま参観した授業で水について、しかも子供たちがいい内容のある発表をしておりました。
それから学校の方からも何かコメントが…というお話もありましたし、
私自身も水の問題に取り組んできておりますし、次の世代を担う若い子供たちがやはり水問題について
より知識を深めてほしいという気持ちは強くありましたので、簡単ではありましたけれども、
私の方から私の思うことについてお話をさせていただきました」

--日本語を学ぶ生徒の学校へのご訪問も含めて、若い世代と交流を深める機会も
今回の旅では多かったかと思いますが、今回の旅を通じて日本、フランス両国の
次世代を担う若者に対する思いを新たにされたことはありますか

「以前にもお話をしたことがあるかもしれませんが、いまはインターネットとか
さまざまな通信手段が発達していって、世界は本当に、例えば、
日本にいても世界中のさまざまな情報がすぐに手に取るようにわかるような時代になったと思います。
でもやはり、世界というのは行ってみなければわからないということがたくさんあると思います。
私自身もやはり留学生活を通じて、イギリスに行ったからこそわかること、新しい発見、
新しく学んだこと、色んな事があったと思います。そういう意味でもより多くの人たちが海外に出て、
そして自分の目でさまざまなものを確かめて、そして学んでいってもらいたいという風に思っています。
そして、そういうことを通じて相手国を知ることによってお互いの国の理解も深まり、
それが結果的に国際親善というものの発展につながっていくのではないかと思います」

--今回、各ご視察先ですごく歓迎が大きかったなという印象を持ちました。
また、殿下ご自身も例えば補習校でのお声かけですとか、
あるいは障害者施設で手を取って一緒にリズムを取られるですとか、
目線を合わせて向き合っていらっしゃったなという印象だったんですけれども、
今回のご訪問で、国際親善の在り方というところで、手応えというものはございましたでしょうか

「先ほどもお話しましたように、やはり今回伺ってみて、
やはりフランスの皆さんの日本に対する関心の高まりというもの、これを私自身強く感じました。
それは1カ所に限らず、本当に訪問した各場所でそういうものを感じました。
そういうものをやはり受けて、私自身も微力ではありますけれども日本とフランスとの友好親善の増進に
少しでもお役に立てればという気持ちで今回の滞在中、過ごしてまいりました」

--このところ殿下は若い世代の国際親善、そういった思いをつないでいくんだという話をたびたび話されているように、
若い世代に視点を向けたお話を繰り返しされていますけど、そういったものはどんどん積み重ねられてきたものなのか。
来年即位を迎えられますけれど、そういったご自身の今後の活動に向けたもの、
こうしていこうというふうに固まりつつあるということなんでしょうか

「それについてはやはり、私自身ももちろん留学もありましたし、少しずつそういうものを通して、
世界というものも、自分自身の世界も広がってきたと思いますし、また自分自身も年齢を重ねながら、
やはり次の世代の方々の活躍ということに、少しずつ考えを及ぼすようになってきたんだと思います。
ですから、だんだんいろいろな自分自身も経験を積むことによって、次の世代のことも考える必要が出てくる、
考えてくることが大切になってきたというふうに自分自身、自覚してきている、そういうことだと思います」

--次世代という意味で言うと、マクロン大統領も年齢的には次世代の政治家かと思いますし、
殿下とお親しくお話しているのを拝見しましたけども、マクロン大統領のご印象は

「私も今回マクロン大統領とは初めてお会いしましたが、やはり若い世界のリーダー、
若いリーダーとして本当にフランスの国のことを考えて、フランスの国に対して奉仕をする。
そしてどういうふうに国を、フランスを導いていったらいいかということを真剣に追い求めておられて、
そしてまた諸外国との関係についても、非常に真剣に考えておられる。
そういったことが言葉の節々に感じましたし、私自身もそういう面で
今回マクロン大統領と初めてお会いをしまして、本当にいろいろなことを学ぶことができたように思います。
それと同時に非常に心温まる、しかもベルサイユ宮殿という場所でもって、
昨晩は晩餐会を開いていただいたわけですけども、マクロン大統領ご夫妻の非常に細かいお心遣い、
そういったものを大変ありがたく思いました」
http://www.sankei.com/life/print/180914/lif1809140004-c.html


2018.9.15 11:45
皇太子さま、フランスからご帰国
フランスを訪問していた皇太子さまは15日午前、羽田着の政府専用機で帰国された。
日本との友好160周年を迎えての初の公式訪問で、7〜14日にリヨンとパリにご滞在。
マクロン大統領夫妻主催の晩餐会で日仏の招待客と交流するなど友好親善に励まれた。
帰国後、宮内庁東宮職を通じ、日仏関係が養蚕・絹織物から始まったことを踏まえ
「交流分野が広がるにつれて、様々な色に染まった糸も生まれ、
今や、多彩な色の糸が織りなす美しい織物に発展しつつあることを、とてもうれしく思います」との感想を示された。
http://www.sankei.com/life/news/180915/lif1809150020-n1.html


2018.9.15 11:47
皇太子さま「自然体」の国際親善 フランスご訪問
皇太子さまが即位前最後の外国訪問とみられるフランスへの旅を終えられた。
国内外で長年力を入れる子供たちと触れ合われる機会を多く持ち、
時々での臨機応変の振る舞いは、新天皇の飾らない人柄として好意的に受け止められた。
国際親善のあり方を「自然体」(側近)のつながりに見いだされようとしている。
「地球は水の惑星ですが…」。滞在5日目の11日に視察されたパリ近郊の日本人学校。
皇太子さまは小学4年の授業で水の使われ方についての発表を聞いた後、
感想を求められ、おもむろに話し始められた。
ライフワークの「水問題」に関する即席のご講義。13日に取材に応じた皇太子さまは
「次の世代を担う若い子供たちが水問題について知識を深めてほしいという気持ちは強くあります」と説明された。
同校の帰り際には、女子生徒に「フランスの友達にも日本のことを伝えてください」とも語りかけられた。
取材に「国際親善は互いの国を理解し協力し合って、良い関係を次の世代に語り継いでいく重要な基盤」
「国と国との関係は人と人との関係」と強調された皇太子さま。
補習授業校、日本語を教える現地校などの視察先でも日仏両国の子供たちと交流された。
要人との食事会でも皇太子さまらしい気遣いを見せ、
公にされずに学んでいた相手の母国語・フランス語でのスピーチをご披露。
一方で「若い世界のリーダー」と評した大統領との初対面の場では通訳抜きの英語で会話し
「隠し事なしの人柄が伝わり、距離を縮められた」(側近)。
現在はスペイン語の習得も目指されている。(伊藤真呂武)
http://www.sankei.com/life/news/180915/lif1809150021-n1.html

皇太子殿下のご感想
平成30年9月15日(土)
フランスご訪問を終えて
http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/show/31#135

悠仁親王殿下12歳

2018.9.6 05:00
悠仁さま12歳 戦争学び平和への思いご継承 下級生のお世話も
秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまは6日、12歳の誕生日を迎えられた。
お茶の水女子大付属小学校の6年生となり、下級生と活動する班のリーダーをご担当。
放課後に友人らと「手打ち野球」を楽しむなど、活発に学校生活を送られている。
夏休みには、広島市の平和記念公園で折り鶴を供えるなど、天皇陛下の平和への思いも継承されている。
宮内庁によると、悠仁さまは1〜6年生で構成し、学校行事の準備などに取り組む班のリーダーとなり、
低学年のお世話をされている。
放課後は学校で、バットを使わず素手でボールを打つハンドベースボール(手打ち野球)に
熱中されているという。
夏休みには調査課題に取り組むため、秋篠宮妃紀子さまと各地の施設を訪ねられた。
社会科の戦争に関する学習で、初めて平和記念公園をご訪問。
原爆の子の像に、ご家族や宮邸職員と作った折り鶴をささげたほか、
広島平和記念資料館を見学し、被爆体験者の話に耳を傾けられた。
理科の課題では、火山や地震、防災について調べるため、新潟県糸魚川市の博物館を訪問し、
噴火の仕組みや日本列島の成り立ちについて学ばれたという。
来年の代替わり後、皇位継承順位第2位となられる悠仁さま。
6月にはご家族でインドネシアとの国交樹立60周年記念コンサートを鑑賞し、
公務に臨まれるご両親の姿を間近で見る機会も持たれた。小学校卒業後の進路は、ご家族で相談を重ねられているという。
https://www.sankei.com/life/news/180906/lif1809060003-n1.html

赤坂御用地内で、カメラを手にする秋篠宮家の長男悠仁さま=8月10日、東京・元赤坂の赤坂御用地(宮内庁提供)
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赤坂御用地内で、シャボン玉を作る秋篠宮家の長男悠仁さま=8月10日、東京・元赤坂(宮内庁提供)
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悠仁さま、12歳に…夏休み中は各地巡る
2018年09月06日 05時00分
秋篠宮ご夫妻の長男で、お茶の水女子大付属小6年の悠仁さまは6日、12歳の誕生日を迎えられた。
宮内庁によると、6年生になってから1日も休まず登校されている。
下級生の面倒をみる機会が増え、放課後には手打ち野球を楽しまれている。
8月の林間学校では、福島県の裏磐梯高原の湿原をトレッキングし、自然に親しまれた。
夏休み中は火山や地震、戦争をテーマに各地を巡られた。
広島市では原爆死没者慰霊碑に拝礼後、被爆者から話を聞かれた。
新潟県糸魚川市では博物館で火山噴火の仕組みなどを学び、周辺の断層も見学された。
宮邸では、トマトやオクラなどの野菜を栽培。土の状態や肥料の種類にも気を使われた。
収穫された野菜はご一家の食卓に上っているという。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20180906-OYT1T50009.html

悠仁さま、12歳の誕生日 野菜や田んぼ作り、熱心に
緒方雄大、島康彦
2018年9月6日07時33分
秋篠宮ご夫妻の長男悠仁(ひさひと)さまが6日、12歳の誕生日を迎えた。
お茶の水女子大付属小学校の6年生。宮内庁によると、1〜6年生で構成する縦割り班のリーダーとして
下級生の世話をしたり、放課後に友人と手打ち野球を楽しんだりするなど、充実した学校生活を送っている。
野菜作りや田んぼ作りにも熱心で、生き物がすみやすい環境になるように工夫しているという。
宮内庁は卒業後の進路について、「ご家族でご相談を重ねられている」としている。

戦争の記憶継承、大切さ学ぶ
悠仁さまは平成最後の夏、戦争の歴史と積極的に向き合った。
8月8日には秋篠宮ご夫妻と、都内のホテルで開かれた沖縄戦を考えるつどいに出席した。
「鉄血勤皇隊」として戦争に動員された少年の遺書などの展示に見入り、
負傷兵の看護にあたった中山きくさん(89)の体験談を聞いた。
中山さんは「次世代の人が同じ過ちを繰り返さぬよう、私は伝え続けています」と話すと、
悠仁さまはうなずいたという。
2日後の10日には、紀子さまと広島市を訪れた。原爆死没者慰霊碑や広島平和記念資料館に足を運んだほか、
被爆者の山本玲子さん(80)から体験談を聞いた。山本さんは「天皇陛下が体現していた平和への思いを受け継ぎ、
『二度と戦争はしない』というメッセージを伝えていってもらいたい」と期待している。
宮内庁はこうした経験を踏まえ「戦争の記憶と記録の継承の大切さについてお考えを深められたようです」としている。
これまでも秋篠宮ご夫妻は悠仁さまが折々に戦争や平和について学ぶ機会を設けてきた。
天皇、皇后両陛下から戦時中の体験を聞いたり、原爆投下の日などにはご一家で黙禱(もくとう)を捧げたり
悠仁さまはご夫妻とともに2013年に沖縄県で慰霊碑に供花したほか、
16年には長崎市の平和公園で「原爆落下中心地碑」に供花した。
昨夏には紀子さまと東京・小笠原諸島を訪れ、戦争の痕跡を巡った。(緒方雄大、島康彦)
https://www.asahi.com/articles/ASL945GC6L94UTIL02G.html

元気に登校、充実の日々=悠仁さま、12歳に
秋篠宮ご夫妻の長男悠仁さまは6日、12歳の誕生日を迎えられた。
お茶の水女子大付属小学校の6年生で、宮内庁によると、進級後1日も学校を休むことなく元気に登校。
最近は、放課後に学校でハンドベースボールを頻繁に楽しむなど充実した日々を過ごしている。
夏休みの理科の課題に出された火山・地震や防災に関する自主研究では、
8月中旬に母の紀子さまとともに新潟県糸魚川市の「フォッサマグナミュージアム」を訪問。
鉱物などの展示を見て火山の噴火の仕組みや日本列島の成り立ちについて学んだほか、
火砕流の再現実験にも参加。周辺にある地層や断層も訪れ、採取した火山灰を顕微鏡で観察した。
また、戦争に関する施設を訪れて調べる社会科の課題のため、7月末には東京都の戦傷病者資料館「しょうけい館」を見学。
戦傷病者が使った義手の模型を触り、その労苦について理解を深めた様子だったという。
8月上旬には、初めて広島市の平和記念公園と平和記念資料館を訪問。
ご家族と作った折り鶴をささげたほか、資料館では被爆者の話も聞いた。
学校の行事として8月下旬には2泊3日の林間学校に参加し、福島県会津若松市と裏磐梯高原に滞在。
期間中には座禅も体験した。
来年4月からは中学生になるが、進学先について宮内庁は「
ご家族で相談しているが、具体的な進路は承知していない」としている。
悠仁さまは来年5月の皇太子さまの新天皇即位に伴い、秋篠宮さまに次ぐ皇位継承順位2位となる。
(2018/09/06-05:24)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018090600198&g=soc


秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さま 12歳の誕生日
2018年9月6日 8時16分皇室
秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまは、6日、12歳の誕生日を迎えられました。
宮内庁によりますと悠仁さまは、大きな病気にかかることもなく健やかに成長されています。
この春、小学6年生に進級してから1日も休むことなく登校していて、
最高学年として1年生から6年生の各学年1人ずつでつくる縦割り班のリーダーを務め、
下級生の行動を見守り世話をされる機会が増えているということです。
夏休みには、1学期に社会科で学んだ戦争などについて、
関係する施設を訪ねて調べた結果をまとめる課題が出され、
先月、母親の紀子さまとともに広島市の平和公園や原爆資料館を初めて訪問されました。
悠仁さまは、原爆の被害についての展示を見たり、被爆者から直接話を聞いたりして、
戦争の記憶と記録の継承の大切さについて、ご自身の考えを深められたということです。
また、6月には、秋篠宮ご一家の公的な活動として、
日本とインドネシアの国交樹立60周年を記念したコンサートを鑑賞し、
出演したインドネシアや東日本大震災の被災地の子どもたちと交流されました。
小学校は今月3日から2学期が始まっていて、悠仁さまは元気に通学されています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180906/k10011612371000.html


2018.9.6 17:25
悠仁さま誕生日、両陛下にごあいさつ
6日に12歳の誕生日を迎えた秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまは同日、
秋篠宮妃紀子さまとともに皇居・御所を訪れ、天皇、皇后両陛下にあいさつをされた。
午後4時55分ごろ、半蔵門から車で皇居に入る際には、沿道の人から「おめでとうございます」と祝福の声が上がり、
ネクタイ姿の悠仁さまは、にこやかに会釈をされていた。
http://www.sankei.com/life/news/180906/lif1809060024-n1.html

公文書クライシス 宮内庁のファイル所在不明 人事や給与

公文書クライシス 宮内庁のファイル所在不明 人事や給与
毎日新聞2018年8月17日 14時00分(最終更新 8月17日 14時00分)
宮内庁の職員人事や給与、マスコミ対応など26項目をとじ込んだ公文書ファイル1件が、
所在不明になっていることが毎日新聞の閲覧請求で明らかになった。
このファイルは、公文書管理法で永久保存が義務付けられ、市民が請求すれば閲覧できる。
誤って廃棄されたのかどうかも分からないといい、同庁書陵部は「大変申し訳ない」としている。
所在が分からなくなっているファイルは「重要雑録 平成9年度」。1997年度に作成された、
天皇、皇后両陛下が南米を訪問された際に裏方として尽力した人たちのリスト
▽同庁職員の各種手当に関する調査結果▽テレビ番組への取材協力−−に関する記載などが含まれているという。
本紙は6月、「重要雑録 平成9年度」を含む85〜99年度の公文書ファイル14件に関して、
宮内庁に内容の閲覧請求を行った。
いずれも宮内公文書館に移管され、永久保存となった公文書だ。同庁は閲覧に向けた準備を進めていたが、
同ファイルだけ所在が分からないという。
このファイルは、2013年11月に宮内公文書館の所蔵資料目録に登録され、請求があれば閲覧できるようになった。
書陵部によると、その時点では書陵部庁舎内の書棚で保管されていることが確認できていた。
宮内公文書館では、明治期以降、宮内省、宮内府、宮内庁が作成・取得し、
永久保存すべきだと判断された文書を所蔵している。
所蔵件数は約9万1000件に上る。【後藤豪】
http://mainichi.jp/articles/20180817/k00/00e/040/273000c

デンマーク殿下が妻女王の隣への埋葬望まず、称号に不満

2017年 08月 4日 14:05 JST
デンマーク殿下が妻女王の隣への埋葬望まず、称号に不満

[コペンハーゲン 3日 ロイター] - デンマークのヘンリク殿下(83)は3日、
妻であるマルグレーテ女王と同等に扱われたことがなく不満だったとして、
妻の隣に埋葬されることを望まないとの考えを明らかにした。
ヘンリク殿下は1967年に女王と結婚し、女王の配偶者である「王配殿下」の称号を与えられたが、
「陛下」の称号がほしかったと繰り返し発言している。
王室の広報担当者はタブロイド紙に対し
「殿下が長年にわたり、ご自分の役割と称号に不満だったのは周知のことであり、
近年、その不満が一段と強まっていた」と述べた。
ヘンリク殿下は昨年引退して称号を返上。以来公務にはほとんど出席せず、
大半の時間をフランスで個人所有するブドウ園で過ごしている。
ただ、女王とはまだ婚姻関係にあり、公式には同居している。
https://jp.reuters.com/article/queen-idJPKBN1AK0D8

日本会議国会議員懇談会

日本会議、女性皇族のあり方について議論 女性宮家創設は否定
2014.6.9 21:52
日本会議国会議員懇談会(会長・平沼赳夫日本維新の会国会議員団代表)は9日、
国会内で皇室のあり方を考える「皇室制度プロジェクトチーム」(座長・衛藤晟一首相補佐官)の初会合を開き、
百地章・日本大法学部教授が女性皇族のご活動に関して講演した。
公務などで女性皇族のご活動の幅が広がるなか、女性皇族が結婚で皇籍を離れられ、
皇族が減少することが危惧されている。百地氏は、女性宮家の創設に否定的な見解を示した上で、
元女性皇族が民間人や特別公務員として公務を続けられるような制度設計の必要性を説いた。
衛藤氏は会合後、記者団に「政府にも検討の機会がつくられると思う」と述べた。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140609/imp14060921520007-n1.htm

2015.3.4 18:38
超党派の保守系議員でつくる「日本会議国会議員懇談会」の平沼赳夫会長(次世代の党党首)は4日、
菅義偉官房長官を首相官邸に訪ね、女性皇族がご結婚後も皇室活動が継続できるよう求める要望書を提出した。
平沼氏によると、同氏は「ご結婚した女性皇族が公務におつきになるような方策を閣議決定してほしい」と要請し、
菅長官は「しっかり検討する」と応じた。
平沼氏は会談後、記者団に「菅氏から具体的な話はなかったが、
われわれの意図していることは分かっていると思う」と語った。
http://www.sankei.com/life/news/150304/lif1503040038-n1.html

女性宮家に反対=保守系議連
超党派の保守系議員でつくる「日本会議国会議員懇談会」は23日、
皇室制度プロジェクト(座長・衛藤晟一首相補佐官)の会合を参院議員会館で開き、
天皇陛下の退位を実現する特例法案の付帯決議をめぐり議論した。
民進党が求めている「女性宮家」創設の検討明記について、
出席者からは「皇位安定継承の唯一の道ではない」などと反対論が相次いだ。
座長代行の柴山昌彦首相補佐官は終了後、
「女性宮家が議論の最初に出てくるのはおかしいとの認識を共有した」と記者団に語った。
(2017/05/23-11:11)
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017052300453&g=soc

2018年8月

皇位継承へ準備加速、「式典事務局」が発足
2018年08月01日
来年4月30日の天皇陛下の退位と5月1日の皇太子さまの即位に伴う儀式の準備を行う
政府の「皇位継承式典事務局」が1日付で発足した。
事務局は内閣府と内閣官房の共同組織として設置され、事務局長、次長各1人、
参事官4人ら計26人態勢で始動した。次官級の事務局長には山崎重孝・前総務省自治行政局長が就任した。
菅官房長官は1日午前の記者会見で「事務局設置を機に皇位継承に伴う式典の諸準備を加速させ、
式典がつつがなく行われるよう準備していきたい」と述べた。
政府は今秋、儀式の詳細を検討する「式典委員会(仮称)」(委員長・首相)と、
省庁間の連絡調整にあたる「式典実施連絡本部(仮称)」(本部長・官房長官)を設ける方針だ。
https://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000304/20180801-OYT1T50049.html

平成30年8月1日
皇位継承式典事務局看板掛け及び職員への訓示
平成30年8月1日、安倍総理は、皇位継承式典事務局の看板掛け及び職員への訓示を行いました。
総理は、訓示で次のように述べました。
「いよいよこの準備室、スタートするわけでございますが、一連のこの式典につきましては、
来年の今上陛下の御在位30年の記念式典がございます。
これがスタートとなり、そしてその後、退位の礼、即位の礼、
そして、再来年の文仁親王殿下の立皇嗣(りっこうし)の礼があるわけでございます。
こうした一連の式典につきましては、正に時代の節目を彩る国家的な式典となるわけでありまして、
来年の2月からスタートし、そして文仁親王殿下の立皇嗣の礼まで、
この2年間にわたって続くこの式典、極めて重要な期間となるわけでございます。
国民と、そして皇室の長いこの歴史と伝統に思いをはせながら国民の皆様がこぞって寿(ことほ)ぐような、
そして、世界中の人々から祝福されるような式典としていきたいと思いますので、
皆様方におかれましては、正にこの歴史的な、国家的な行事に当たって準備万端、
全力を尽くしていただくように、お願い申し上げたいと思います。」
https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/actions/201808/01kunji.html

2018.8.1 21:47
【天皇陛下譲位】皇位継承式典事務局が発足 安倍晋三首相「準備万端、全力尽くして」 来年に向けて準備加速
政府は1日、来年の天皇陛下の譲位と皇太子さまの即位に伴って行われる一連の式典の準備作業を担う
「皇位継承式典事務局」を設置した。外務省も新天皇の即位を国内外に示す
「即位礼正殿の儀」(即位の礼)などに出席する外国賓客の受け入れや接遇を行うため、
「即位の礼準備事務局」を立ち上げた。政府は準備を加速する。
安倍晋三首相と菅義偉官房長官は同日、内閣府内の事務局前に看板を取り付けた。
首相は職員に「国民がこぞって寿ぎ、世界中の人々から祝福されるような式典としたい。
歴史的、国家的な行事に当たり、準備万端、全力を尽くしてほしい」と訓示した。
事務局は26人の専従職員からなり、事務局長には山崎重孝元内閣総務官が就任した。
政府は今秋に首相を委員長とする「式典委員会(仮称)」と、
官房長官を本部長とする「式典実施連絡本部(仮称)」を立ち上げる。
事務局は両組織の発足準備のほか、式典の実務も担う。
政府は今年4月、式典などの在り方を定めた基本方針を閣議決定した。
来年2月24日の陛下ご在位30年記念式典を皮切りに、4月30日に「退位礼正殿の儀」(退位の礼)、
5月1日に新天皇の即位に伴う「剣璽等承継の儀」や「即位後朝見の儀」を開催する。
即位の礼は10月22日となる。再来年には秋篠宮さまが皇位継承順位1位の「皇嗣」となられたことを
広く明らかにする儀式「立皇嗣の礼」が行われる。
各式典については今後、式典委員会が大綱などを策定するが、初めての退位の礼や、
30年ぶりの即位の礼などの準備に残された時間は多くない。
とりわけ、外国賓客の受け入れと接遇をめぐる相手国との調整は容易でない。
外務省によると、平成2年11月の即位の礼には約160カ国・機関から外国賓客が出席した。
うち約120カ国が首相級以上で、人数は約250人(配偶者含む)に上った。
その後、日本と外交関係を持つ国は195カ国に膨れ上がっており、
外務省の担当者は「想像を絶する規模の集まりになる」と話している。
http://www.sankei.com/life/news/180801/lif1808010034-n1.html

2018.8.1 11:48
皇太子さま、高校総体開会式にご臨席
三重県を訪問中の皇太子さまは1日、伊勢市の三重県営サンアリーナで行われた
全国高校総体の総合開会式に臨席された。
皇太子さまはあいさつの冒頭、西日本豪雨で亡くなった人に哀悼の意を示し、
「被災された方々が安心して暮らすことができるようになることを心から願っております」と述べられた。
選手には、厳しい暑さの中での体調管理を気遣った上で「皆さんのご健闘を心からお祈りします」と激励された。
ダンスなどの歓迎演技も鑑賞し、盛んに拍手を送られた。
http://www.sankei.com/life/news/180801/lif1808010019-n1.html

皇太子さまが高専学生と交流 三重・鳥羽
毎日新聞2018年8月1日 19時48分(最終更新 8月1日 21時29分)
三重県に滞在中の皇太子さまは1日、鳥羽商船高専(鳥羽市)で、
船員を目指す学生やロボット製作に取り組む学生らと交流された。
同高専は商船学科と工学系2学科がある。
皇太子さまは、海技実習や学生が開発した養殖魚への自動給餌システムなどの説明を感心した表情で聴いた。
風船を割る競技ロボットの実演も見学して笑顔で拍手し、
学生らに「これからも活躍してください」とエールを送った。【山田奈緒】
http://mainichi.jp/articles/20180802/k00/00m/040/077000c

2018.8.2 20:00
皇太子さま、高校総体ソフトテニス観戦し、ご帰京
三重県を訪問していた皇太子さまは2日夜、2泊3日の日程を終え、新幹線で帰京された。
これに先立ち、鈴鹿市のスポーツ施設で開催された高校総体ソフトテニスの女子ダブルスをご観戦。
奈良代表と新潟代表による白熱した試合を楽しまれた。
この日は、津市の県立子ども心身発達医療センターにもご訪問。
車いすの生徒ら4人が障害者スポーツ「ボッチャ」に取り組む様子を見学された。
「殿下もどうぞ」と誘われた皇太子さまが1球投げると、球が的から大きく外れ「難しいですね」と話されていた。
http://www.sankei.com/life/news/180802/lif1808020037-n1.html

「思い出に残る3日間」 皇太子さま三重訪問で感想 知事見送りに
鈴木英敬三重県知事は2日、近鉄白子駅で皇太子さまを見送った後の取材に、
皇太子さまが特急電車に乗る直前、
「思い出に残る3日間でした。インターハイの成功をお祈りします」と話されていたと明かした。
鈴木知事によると、皇太子さまは昼食時に「愛子も高校野球が好きなんです。
サッカーのワールドカップも見ていました」と話したという。
提供されたブラックカレーにも「おいしいですね」と感想を話した。
このほか、昼食時には真宗高田派本山専修寺(津市一身田町)の御影堂と如来堂が
昨年11月に国宝に指定されたことや、県内で南海トラフ巨大地震が懸念されているなど防災にも話が及んだという。
鈴木知事は「殿下に『思い出に残る3日間だった』とおっしゃっていただき、
大変うれしく感慨深い。多くの皆さんに歓迎していただいたことや、
交通規制に協力してもらったことに感謝している」と話した。
◆鈴木英敬知事の謹話 「皇太子殿下ご来訪、大変光栄」
皇太子殿下におかれましては、この度三重県に4年ぶりにご来訪いただき、
先ほど帰京の途につかれました。ご即位前の殿下をお迎えし、
無事にお送りできたことに安堵するとともに、大変光栄に存じます。
殿下からは最後に「思い出に残る3日間でした。インターハイの成功をお祈りします」
とのお言葉を賜りました。そのような滞在となることを願い、
多くの関係者の皆さまとともに準備を進めてまいりましたので大変うれしく思います。
記録的な暑さが続く中にもかかわらず、どのような場面においても終始優しい笑顔で、
高校生をはじめ県民一人一人に分け隔てなく気さくに接していただいた殿下のお姿を心にとどめ、
そのお言葉を心に刻み、県民の皆さまとともに、あらためて即位された後のご来県を心待ちにしたいと思います。
猛暑の中、ご視察先や沿道などで熱烈な歓迎の気持ちを示していただいた非常に多くの県民の皆さまに
心から感謝申し上げるとともに、知事としてうれしく誇りに思います。
また、宮内庁、警察関係者、交通機関各社、伊勢市、鳥羽市、津市、鈴鹿市をはじめ、
皇太子殿下をお迎えするにあたってさまざまな準備をしていただいた県民の方々など、
本当に多くの方々にご協力いただき、滞りなく終えることができたことに感謝申し上げます。
https://this.kiji.is/397929711534490721

皇太子ご夫妻が兵庫入り=夏の甲子園開会式出席へ
皇太子ご夫妻は4日午後、第100回全国高校野球選手権大会の開会式に出席するため、
羽田空港を民間機で出発し、兵庫県入りされた。
5日午前に甲子園球場(西宮市)で行われる開会式に出席し、続いて行われる第1試合を観戦する。
ご夫妻は滞在先の神戸市内のホテルで知事から県内の概要について説明を受けた後、
市内にある神戸陽子線センターを訪問。小児がんの治療などに用いられる陽子線照射装置などを見学した。
続いて、同センターと連携している県立こども病院も訪れ、
小児がんなどで入院中の子どもたちとプレイルームで交流。
皇太子さまは「どんな遊びが好きですか」などと一人ひとりに話し掛け、
雅子さまも「治療がつらいときはないですか」と闘病の苦労を気遣っていた。
(2018/08/04-18:55)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018080400375&g=hsb

【夏の甲子園】皇太子ご夫妻、開会式ご臨席 運営の高校生ともご交流
2018.8.5 22:00
皇太子ご夫妻は5日、夏の甲子園大会の開会式に臨席し、帰京された。
皇太子さまの開会式ご臨席は平成21年以来、春夏通じて4回目。
ご夫妻そろって臨まれたのは初めて。
開会式で皇太子さまは「国民の大きな関心を集めてきた高校野球が果たしてきた役割には、
大きなものがあります」とごあいさつ。「力の限りプレーすることを期待しています」と球児を激励された。
ご夫妻は同日、第1試合途中まで観戦した後、開会式の運営に関わった高校生8人をねぎらわれた。
https://www.sankei.com/life/news/180805/lif1808050030-n1.html

皇太子さま、9月に仏訪問=日仏友好160周年で
皇太子さまが9月7〜15日の日程でフランスを公式訪問されることが、7日の閣議で了解された。
今年は日仏修好通商条約が締結されてから160周年の節目に当たり、同国政府から招待があった。
皇太子さまが同国を訪れるのは1991年9月以来で4回目、公式訪問は初めて。
雅子さまの同行も検討されたが、日程や長距離移動の体調への影響などを考慮し、見送られた。
宮内庁によると、皇太子さまは9月7日に政府専用機でリヨン入りし、
ブルゴーニュ地方のワイナリーやグルノーブルにある研究施設を日帰りで訪問。
その後パリに拠点を移し、日本の文化や芸術を紹介する祭典「ジャポニスム2018」の
関連イベントなどを視察する。ベルサイユも日帰りで訪れる。
滞在中は日本人学校や博物館、障害者関連施設などを見学し、在留邦人とも交流。
パリでは江戸期の画家、伊藤若冲の美術展や中村獅童さんらが出演する歌舞伎公演を鑑賞するほか、
エッフェル塔に日本文化をイメージしたライトアップを行うイベントにも出席する。
(2018/08/07-10:29)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018080700346&g=ryl

懲戒免除「あり得ぬ」=菅官房長官
菅義偉官房長官は7日午前の記者会見で、2019年4〜5月に予定される天皇陛下の退位と
皇太子さまの天皇即位に合わせた国家公務員の懲戒免除は行わない方針を明らかにした。
政府が検討を始めたとする毎日新聞報道について「あり得ない。明快に否定する」と述べた。
政府は皇位継承に合わせ、減刑をはじめとする恩赦の実施を検討中。
昭和天皇逝去時には恩赦とともに懲戒免除が行われている。
(2018/08/07-12:14)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018080700527&g=ryl

北國新聞
皇太子さま、石川入り
2018/08/07 16:13
皇太子さまは7日、珠洲市内で開催中のボーイスカウトの祭典
「第17回日本スカウトジャンボリー」と地方視察のため、能登空港から石川県入りされた。
来年5月の新天皇即位を控え、皇太子さまとしての県内視察は最後の機会とみられる。
空港から珠洲へ向かう道路沿いには大勢の県民が日の丸の小旗を振って歓迎し、皇太子さまはにこやかな表情で応えた。
皇太子さまの石川県入りは昨年6月に金沢市で開かれた全国「みどりの愛護」のつどいに続き2年連続で、
浩宮さまの時代を含めて12回目となる。
皇太子さまは、羽田発の全日空機で午前9時50分すぎ、能登空港に到着した。
谷本正憲知事、作野広昭県議会議長、名和振平(なわしんぺい)中部管区警察局長、
河原淳平県警本部長、梶文秋輪島市長、椿原正洋同市議会議長、石川宣雄穴水町長、
加世多(かせだ)善洋同町議会議長、持木一茂能登町長、向峠茂人(たかと)同町議会議長が出迎えた。
皇太子さまは到着後、谷本知事から県勢概要の説明を受けた。
来年には新天皇に即位される皇太子さまを一目見ようと能登空港には約200人が集まり、小旗を振って歓迎した。
穴水町老人クラブ連合会の目年(めどし)健吉会長(82)は
「時代の変わり目に、能登で皇太子さまをお出迎えすることができ感慨無量だ」と話した。
金沢市の会社員池田美里さん(30)は7カ月の長女結葵(ゆあ)ちゃんと訪れ、
「平成の終わりに子どもに皇太子さまの姿を見せることができてよかった」と感激していた。
輪島市職員は熱中症対策で塩あめを配った。
皇太子さまは続いて、1768(明和5)年の創業から250年を迎えた珠洲市の宗玄酒造を訪れ、
徳力暁(さとる)社長、泉谷満寿裕市長、三盃(さんばい)三千三(みちぞう)市議会議長の出迎えを受けた。
徳力社長の案内で、日本酒の瓶詰めやラベル貼り作業を視察した。
7日午後にジャンボリーが開催されている珠洲市の「りふれっしゅ村鉢ケ崎」を訪ねて
ボーイスカウトの活動を視察、同日夜の「大集会」でお言葉を述べる。
8日は珠洲、輪島市内を視察し、能登空港から帰京する。
https://www.hokkoku.co.jp/subpage/E20180807001.htm

2018.8.7 11:04
皇太子さま石川ご訪問 ボーイスカウトの集会ご臨席へ
皇太子さまは7日午前、ボーイスカウトの国際キャンプ大会
「第17回日本スカウトジャンボリー」の集会などに臨席するため、民間機で石川県入りされた。
大会は4年に1度、青少年が自立的に成長することを目的として、
国内外から集まったボーイスカウトがキャンプを行うイベント。
皇太子さまは昭和53年の第7回大会から参加されている。
皇太子さまは同日、珠洲(すず)市の酒造会社をご視察。
続いて同市内のキャンプ会場などで大会参加者と交流した後、夜の集会に臨まれる。8日に帰京される。
http://www.sankei.com/life/news/180807/lif1808070011-n1.html

高校総合文化祭が開幕、秋篠宮さまがあいさつ
2018年08月07日 20時36分
全国から約2万人の高校生が集う文化イベント
「第42回全国高等学校総合文化祭 2018信州総文祭」
(文化庁、公益社団法人全国高等学校文化連盟、長野県など主催、読売新聞社など特別後援)が
7日、長野県で開幕した。
松本市で行われた総合開会式には、秋篠宮ご夫妻が出席。
秋篠宮さまは西日本豪雨の被害に触れ、
「被災地から来られている方もおられましょう。心からのお見舞いを申し上げます」と述べられた。
その上で「日頃の活動で培われた創造性を発揮し、文化芸術、
そして友好の輪を広げることを期待します」とあいさつされた。
その後、総合開会式の舞台裏をテーマにダンスや吹奏楽などを組み合わせた演劇が披露された。
豪雨被害の大きかった広島県の代表として式に参加し、
マーチングバンド・バトントワリング部門に出演する同県立安古市高2年、
中村早希さんは「大舞台に立てることを楽しみ、被災地にも伝わるような演技をしたい」と力強く話していた。
11日まで、書道など計28部門で発表や展示を行う。
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20180807-OYT1T50103.html

松本で「信州総文祭」の開会式
08月07日 17時30分
高校生が演劇や美術など日頃の部活動の成果を発表する全国高校総合文化祭「信州総文祭」が7日開幕し、
秋篠宮ご夫妻も出席されて、松本市で開会式が開かれました。
「信州総文祭」には全国のおよそ2万人の高校生が参加し、県内の17の市と町を会場に、演劇や吹奏楽、
それに美術・工芸など28の部門で発表を行います。
初日の7日は松本市の「まつもと市民芸術館」で総合開会式が開かれ、
秋篠宮ご夫妻も出席されました。この中で秋篠宮さまは
「豪雨災害で参加がかなわなかった方々や大きく被災している地域から来られている方に
心からのお見舞いを申し上げます」と述べられた上で、
「日ごろの活動のなかで培われた創造性を発揮し、参加者の交流を通じて、国内外に文化と芸術、
そして友好の輪を広げていくことを期待しています」とおことばを述べられました。
続いて伊那北高校の3年生で長野県生徒実行委員会委員長の桐山尚子さんが
「今だから伝えられる情熱を全国へ発信し、最高の総文祭にしましょう。
信州を舞台に思いっきり輝いてください」と歓迎のことばを述べました。
このあと、辰野町の高校生による和太鼓の演奏や、
招待を受けて参加している韓国やアメリカの高校生による踊りや演奏がそれぞれ披露され、開会式を盛り上げました。
「信州総文祭」は今月11日まで5日間にわたって開かれます。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/nagano/20180807/1010004806.html

皇太子さま、老人ホームを訪問 石川・輪島
社会
2018/8/8 16:46
石川県を訪問していた皇太子さまは8日、
輪島市の特別養護老人ホーム「ゆきわりそう」を訪問された。
入所者が手や指の機能回復を目的に水墨画に取り組む様子などを見学し、
「お上手ですね。お好きですか、絵は」などと声を掛けられた。
これに先だち、同市の棚田「白米千枚田」や珠洲市の塩田にも立ち寄られた。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3395089008082018CR8000/

2018.8.8 18:10
皇太子さま、石川からご帰京 
石川県を訪問していた皇太子さまは8日、珠洲(すず)市で国の重要無形民俗文化財に指定されている
「揚浜式(あげはましき)」と呼ばれる伝統の製塩作業を視察後、帰京された。
皇太子さまは江戸時代から続く製法を継承する親子に「古い伝統を守っていただきたい」と声をかけられていた。
同市では地元中高生らによる民謡もご観賞。
輪島市では日本海に面した棚田で国指定名勝の「白米千枚田(しろよねせんまいだ)」も視察された。
http://www.sankei.com/life/news/180808/lif1808080031-n1.html

眞子さま鳥取入り 米子市美術館の特別展ご覧に
山陰中央テレビ
2018年8月8日 水曜 午後5:32
大山開山1300年祭の記念式典に合わせて、秋篠宮ご夫妻の長女眞子さまが鳥取入りされ、
米子市美術館をご訪問された。大山開山1300年祭に合わせて開催されている特別展をご覧になった。
大学では美術や文化財の研究をされていたという眞子さまは、
国の重要文化財になっている平安時代の伯耆国の刀匠・安綱の刀剣などを熱心に鑑賞され、
「昔の輝きを今も見られるのですね」と感銘を受けていた。
眞子さまは刀剣のほか、大山伝統のたたら製鉄を紹介する展示や、
大山寺、大神山神社に残る仏像などを約1時間にわたってご覧になった。
https://www.fnn.jp/posts/515TSK

眞子さま、鳥取県で高校生と交流
秋篠宮家の長女眞子さまは8日、鳥取県入りし、
同県伯耆町のホテルで開かれた伯耆国「大山開山1300年祭」の交流レセプションに出席された。
眞子さまは、ホテル側と一緒に料理を作った米子南高校の女子生徒4人に
「得意料理は何ですか」などと声を掛けた。1人が「卵焼きです」と答えると、
眞子さまは「私は一回も成功したことがないんです」と笑顔で応じたという。
 同ホテルでは、聴覚障害者支援施設の石橋大吾センター所長らとも手話で会話を楽しんだ。
(2018/08/08-21:09)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018080801172&g=soc

眞子さま「恵みを再確認」…大山開山1300年
2018年08月09日
秋篠宮家の長女眞子さまは9日、鳥取県米子市で開かれた「大山開山1300年祭」の記念式典に出席された。
大山は中国地方最高峰で、平安時代から山岳修験の拠点として信仰を集めてきた。
眞子さまはあいさつで、「積み重ねられてきた大山の恵みの価値が再確認され、
国内外に知られていることは誠に意義深い。大山が多くの人に笑顔、憩いをもたらすことを願います」と述べられた。
https://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000304/20180809-OYT1T50044.html

眞子さま、大山開山1300年記念式典に出席
秋篠宮家の長女、眞子さまが、鳥取県で行われた名峰・大山の開山1300年を記念する式典に出席されました。
「大山のさまざまな恵みの価値が再確認され、国内外に知られていくことは誠に意義深いことと思います」
9日午前、鳥取県米子市では大山寺がつくられて1300年を記念する式典が行われ、
眞子さまが挨拶されました。眞子さまは、冒頭、西日本豪雨に触れ、
「被災された方々にお見舞いを申し上げます」と述べるとともに、
「伯耆国(ほうきのくに)・大山が多くの人に笑顔や憩いをもたらすことを願います」と期待を寄せられました。
これに先立ち、8日夜、大山寺を訪れた眞子さまは、和傘のライトアップ「大献灯」を鑑賞。
「美しいですね」などと話し、幻想的な光景に見入られていました。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3443131.html

宮内庁長官「必要なお支えしていく」眞子さまと小室さん
2018年8月9日16時30分
秋篠宮ご夫妻が、長女眞子さま(26)との婚約が内定中の小室圭さん(26)と母親に
「現在のままでは(皇族の正式な婚約にあたる)納采の儀は行えない」と伝えたと
朝日新聞などが報じたことについて、宮内庁の山本信一郎長官は9日の定例会見で
「事実関係を承知していない」としたうえで、「私どもとしては必要なお支えをしていくことに尽きる」と述べた。
「(結婚関連の)ご日程については、お二方と両家がご相談してお決めになること」との認識も示した。
https://www.asahi.com/articles/ASL894TNFL89UTIL01C.html

悠仁さま、原爆慰霊碑に=資料館も見学−広島
秋篠宮妃紀子さまと長男悠仁さま(11)=お茶の水女子大付属小6年=は10日午後、
広島市の平和記念公園を私的に訪問された。
紀子さまとポロシャツ姿の悠仁さまは午後1時半すぎ、公園内にある原爆死没者慰霊碑に立ち寄り、黙礼。
その後、平和記念資料館を訪ね、約1時間にわたり展示物を見学した。
資料館によると、悠仁さまは放射線による被害状況の展示を熱心に見たほか、
原爆の熱線でゆがんだガラス瓶も触って確認していたという。(2018/08/10-16:15)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018081000842&g=soc

悠仁さま 広島の平和公園訪問し原爆犠牲者を慰霊
2018年8月10日 17時26分
秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまは、10日、母親の紀子さまと広島市の平和公園を訪れ、
原爆で犠牲になった人たちの霊を慰められました。
悠仁さまと紀子さまは、悠仁さまの小学校の夏休みに合わせて日帰りで広島県を訪れ、
10日午後、広島市の平和公園に到着されました。
悠仁さまが広島県を訪れるのは初めてで、
紀子さまとともに31万4118人の原爆死没者名簿が納められた原爆慰霊碑の前にゆっくりと進まれました。
そして、市民らも見守る中、静かに頭を下げ、原爆で犠牲になった人たちの霊を慰められました。
お二人は、続いて原爆資料館も訪問され、悠仁さまは、原爆が広島の街を襲う様子を再現した映像や、
ぼろぼろになった子どもの服などを驚いたような表情で見つめられていたということです。
このあと、お二人は市内のホテルに移動し、被爆者から直接、体験を聞かれたということです。
悠仁さまは、これまでも小学校の休みを利用して、沖縄県の平和祈念公園や長崎市の平和公園など、
戦争の悲惨さを今に伝える場所を訪ねられています。
原爆資料館で悠仁さまを案内した加藤秀一副館長は、
「真剣に資料をご覧になって原爆の悲惨さを学ばれ、大変喜ばしくありがたいことだと思います。
しきりにうなずかれ、ご自身で考えて理解を深められているように感じました」と話していました。

証言した被爆者
被爆者の山本玲子さん(80)は悠仁さまと紀子さまにおよそ30分にわたって、被爆の体験を語ったということです。
山本さんによりますと悠仁さまは、山本さんが見せた被爆直後の惨状が描かれた絵を
真剣に見ながら話を聞かれていたということです。
また、紀子さまからは「体に気をつけて元気でいてくださいね」と言葉をかけられたということです。
山本さんは「短い時間でしたが、広島に来て直接、被爆の話を聞いていただくのはとてもよいことだと思います。
また来ていただきたいです」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180810/k10011572361000.html

全国総文祭が閉幕・秋篠宮ご夫妻がご訪問
(11日18時27分)
県内できょうまで開かれていた全国高校総合文化祭の会場を秋篠宮ご夫妻が訪問され、
生徒の作品などをご覧になりました。
美術・工芸部門が行われた上田市のサントミューゼでは。
秋篠宮殿下と紀子さまが、全国の高校生が作ったおよそ400点の絵画や立体作品を熱心に鑑賞されました。
会場では上田高校3年の柴ア瑞希さんが作品について説明し、
両殿下がお言葉をかけられていました。
一方、産業部門が開かれた下諏訪総合文化センターでは、
諏訪地方特産の寒天で御神渡りをあしらった作品も展示され、両殿下が興味深そうにご覧になっていました。
全国高等学校総合文化祭は、7日から5日間の日程で県内では初めて開かれ、きょう閉幕しました。
http://sbc21.co.jp/news/index.cgi?page=seventop&date=20180811&id=0334477&action=details

2018.8.14 09:44
両陛下、西日本豪雨の被災地ご訪問へ 2回に分けヘリ移動検討、9月中旬めど
天皇、皇后両陛下が西日本豪雨の被災地を見舞うため、
広島、岡山、愛媛の3県を訪問される方向で検討していることが14日、
宮内庁関係者への取材で分かった。復旧状況などを見ながら、
早ければ9月中旬をめどに宮内庁と県が調整している。
両陛下は豪雨の発生直後から被災地の状況を気にかけ、訪問を強く希望されていた。
西日本豪雨では、広島、岡山、愛媛の3県を中心に死者が220人以上に上り、
現在も避難生活を余儀なくされている被災者が多い。
両陛下の被災地ご訪問は現地への負担を少なくするため、いずれも日帰りで調整。
2回程度に分け、ヘリコプターで移動されることも検討している。
両陛下は7〜8月、3県の知事を皇居・御所に招き、被害状況の説明を受けられた。
猛暑が続くことによる被災者の健康状態を気遣い、岡山、広島両県知事と面会した際には、
「これから復興がしっかりと進むよう祈っています」と慰労されていた。
今回の豪雨災害で被害が拡大していることを受け、
両陛下は7月に予定していた静岡県への私的旅行と、栃木県の那須御用邸での静養を取りやめられた。
http://www.sankei.com/life/news/180814/lif1808140008-n1.html

終戦から73年 平成最後の戦没者追悼式
2018年8月15日 13時25分
終戦から73年を迎えたきょう、およそ310万人の戦没者を慰霊する
政府主催の全国戦没者追悼式が東京の日本武道館で行われました。
平成最後となる式典には、全国から遺族の代表など6500人余りが参列しました。
天皇皇后両陛下が菊の花で飾られた式壇に着かれたあと、安倍総理大臣が「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。
歴史と謙虚に向き合い、この決然たる誓いを貫いてまいります。
争いの温床となるさまざまな課題に真摯(しんし)に取り組み、
万人が心豊かに暮らせる世の中を実現することに不断の努力を重ねてまいります」と式辞を述べました。
そして、参列者全員で1分間の黙とうをささげました。
続いて天皇陛下が「さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、
深い悲しみを新たにいたします。戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、
ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、
全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、
世界の平和とわが国の一層の発展を祈ります」とおことばを述べられました。
来年4月の天皇陛下の退位を前に両陛下が追悼式に出席されるのはことしが最後となります。
このあと遺族を代表して昭和19年8月に北マリアナ諸島のテニアン島で父親を亡くした
宮城県石巻市の鈴木喜美男さん(75)が「遺品となった戦地からの便りは
東日本大震災により流失してしまいましたが、父の生きた証しを伝えていくことは、
遺族としての役割と考えております。再び悲惨な戦禍を繰り返すことなく、
世界の平和、命の大切さをしっかりと後世に受け継いでいくため、
たゆまぬ努力を続けることをお誓い申し上げます」と述べました。
式典ではこのあと、参列者が式壇に菊の花を手向けて戦争で亡くなったおよそ310万人の霊を慰めました。
終戦から73年を迎えて遺族の高齢化が進み、参列した遺族の78%は、70歳以上となり、
参列した戦没者の妻も13人にとどまりました。
そのひとりで、最年長の参列者でもある東京 練馬区に住む102歳の芹ヶ野春海さんは
昭和20年6月に沖縄本島で、結婚してまもない夫の博さん(当時31)を亡くしました。
芹ヶ野さんは「戦争は絶対やってはだめだ。自分もとても悲しい思いをしたし、みんな困っていた。
人生でいちばん嫌な記憶です」と涙を流しながら話していました。
また、戦争の記憶を受け継いでいこうと、18歳未満の若い世代合わせて121人が式典に参列しました。
このうち香川県丸亀市の高校1年生、原淳一郎さん(16)は、
昭和20年に曽祖父の前田馨さん(当時29)と田中茂さん(当時33)の2人がフィリピンのルソン島で戦死しています。
原さんは「これまで祖父などからひいおじいちゃんが戦死したという話を聞いたことはあったが、
聞くだけでなく、もらった資料を読んで戦死したことが本当にあったことなんだと現実味をおびて感じました。
二度と戦争が起きないためには自分に何ができるかを考えていきたいです」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180815/k10011577461000.html

2018.8.15 12:20
戦没者追悼式での天皇陛下のお言葉全文
本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、
さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、
深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来既に七十三年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、
苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。
戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、
今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、
心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
http://www.sankei.com/life/news/180815/lif1808150024-n1.html

2018.8.15 21:48
【最後の「8・15」】記憶の継承、次代へ 皇太子さま、秋篠宮さま
天皇陛下は即位前から、戦後生まれの皇太子さま、秋篠宮さまに平和を希求する姿を示してこられた。
陛下が象徴として臨まれている最後の夏に、皇太子ご夫妻と秋篠宮ご夫妻は戦争の記憶の継承に取り組まれている。
皇太子ご夫妻は7月30日、お住まいの東宮御所に、沖縄などから来た「豆記者」の子供ら
約60人を招いて懇談された。同席した沖縄県豆記者交歓会の松原健蔵会長(58)によると、
かりゆし姿の皇太子さまは沖縄と本土の文化、風土の違いを感じ、交流を深めるよう語りかけられたという。
懇談は両陛下から引き継いだもので、2年前の懇談の場には長女の敬宮(としのみや)愛子さまも伴われた。
陛下は皇太子時代、「忘れてはならない4つの日」として、終戦の日と沖縄戦終結の6月23日、
広島と長崎に原爆が投下された8月6、9日を挙げられた。
皇太子さまは戦後70年だった平成27年2月の誕生日会見で、幼少期から「4つの日」には
両陛下と黙祷(もくとう)を続けてきたと明かされている。
今年も8月15日正午には、東宮御所で皇太子妃雅子さま、愛子さまと黙祷をささげられたという。
一方、秋篠宮ご夫妻は、8日に長男の悠仁さまと都内で開かれた沖縄戦に関するシンポジウムに出席し、
看護要員として動員された「白梅学徒隊」の生存者の話に耳を傾けられた。
7月30日には戦傷病者史料館もご見学。同館関係者は
「秋篠宮さまが悠仁さまに、かみ砕いて説明されている姿が印象的だった」と話す。
近年は陛下の譲位で皇位継承順位2位となられる悠仁さまを伴い、
ご夫妻は先の大戦で多くの犠牲者が出た地域へ足を運ばれている。
悠仁さまは沖縄(25年)、長崎(28年)に続き、今月10日には広島を初めて訪問された。
http://www.sankei.com/life/news/180815/lif1808150037-n1.html

「平和な歳月に思い」平成最後の戦没者追悼式
2018年08月15日
73回目の終戦の日となった15日、政府主催の全国戦没者追悼式が、東京都千代田区の日本武道館で開かれた。
来年4月30日に退位される天皇陛下と皇后さまをお迎えし、平成最後の式典となった。
戦没者の遺族や安倍首相ら各界の代表者など約6800人が参列し、
先の大戦で犠牲となった約310万人を追悼した。
正午の時報に合わせて参列者全員で1分間、黙とうをささげた後、天皇陛下が追悼のお言葉を述べられた。
戦後70年の2015年に初めて言及した「深い反省」という表現を4年連続で使い、
新たに「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」と述べられた。
陛下は1989年の即位以来、皇后さまと毎年出席されており、今回が30回目となった。
安倍首相は「戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。歴史と謙虚に向き合い、
どのような世にあっても、この決然たる誓いを貫いてまいります」と式辞を述べた。
https://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000304/20180815-OYT1T50106.html

皇太子ご一家が御用邸に 取材も応じられる
2018年8月16日 17:56
皇太子ご一家は16日から静岡県下田市の須崎御用邸で静養に入り到着後、近くの海岸をにこやかに散策された。
皇太子ご一家「(Q:お手元には何を持っているんですか?)貝、貝がら」
皇太子さま「何貝かな?ムラサキガイ?」
愛子さま「うん。(Q:学校で習われたんですか?貝のことを)自由研究でだいぶ調べました」
ご一家が須崎の海岸で取材に応じられたのは16年ぶり。
http://www.news24.jp/articles/2018/08/16/07401595.html

皇太子ご一家が下田で静養 須崎御用邸に
毎日新聞2018年8月16日 18時30分(最終更新 8月16日 18時30分)
皇太子ご一家は16日、静養のため静岡県下田市の須崎御用邸に入られた。
ご一家は御用邸近くの浜辺を散策し、拾った貝殻の名前を長女愛子さまがご夫妻に教える場面もあった。
また、最寄りの伊豆急下田駅では、出迎えた市民らに近づき、25分ほど交流。
皇太子さまは高齢の女性に「暑い中を来ていただいて。気を付けてください」などと声をかけていた。
【高島博之】
ttps://mainichi.jp/articles/20180817/k00/00m/040/030000c

須崎で「平成」最後の夏 皇太子ご一家、下田入り
伊豆新聞 下田版 2018年08月17日
皇太子ご一家が16日、静養のため下田入りされた。ご一家の下田訪問は、8年連続9回目。
須崎御用邸に1週間程度滞在し、「平成」最後の下田の夏を楽しまれる。
ご一家は、午後1時29分着のスーパービュー踊り子号で伊豆急下田駅に到着された。
構内の貴賓室でしばらく休憩した後、コンコースに姿を見せられた。
コンコースと駅前ロータリーには約230人の市民や観光客が詰めかけ、日の丸の小旗を振って歓迎した。
ご一家は笑顔で手を振り、何度も立ち止まって会話を交わされた。
このうち、下田市吉佐美の佐藤奈海さん(37)は「太鼓祭りの宮入りを見学した話をしました。
皇太子さまは『あっ、そうですか。きのうは太鼓祭りだったんですね』と、良くご存知の様子でした。
3人ともとても気さくで…」と感激していた。
ご一家を迎えた川勝平太知事は「3人とも下田の夏が楽しみな様子で、
特に愛子さまは『下田の海はきれいなので大好き。今回はバタフライをマスターしたい』と話され、
早く泳ぎたいという弾んだ気持ちが表れていました」と話した。
http://izu-np.co.jp/shimoda/news/20180817iz1000000003000c.html

両陛下、退位前に最後の国際学会
東大安田講堂
2018/8/20 12:26
天皇、皇后両陛下は20日、東京都文京区の東大安田講堂を訪れ、
国際生産工学アカデミー第68回総会の開会式に臨席された。
天皇陛下は来年4月30日で退位するため、国際学会への臨席は今回が最後の機会。
国際生産工学アカデミーは、第2次世界大戦後の復興を進めるため、生産工学の研究者が集まって1951年に設立された。
両陛下は開会式後、レセプションにも出席。
天皇陛下は学術奨励を目的として、95年から毎年、国内で開催されるさまざまな国際学会の開会式などに足を運んできた。
皇后さまも体調不良だった2011年を除き、欠かさず同行してきた。
https://this.kiji.is/404108536588878945

皇太子ご一家が帰京
静養のため16日から静岡県下田市の須崎御用邸に滞在していた皇太子ご一家は21日夕、帰京された。
(2018/08/21-18:36)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018082100940&g=soc

2018.8.21 07:00更新
両陛下の「儀装馬車」30年ぶり活用へ、秋から修復、代替わり後の伊勢神宮参拝でご使用か
ご成婚パレードや即位の礼後の伊勢神宮ご参拝。
天皇、皇后両陛下が重要な皇室行事で使われた「儀装(ぎそう)馬車」の修復が今秋にも始まる。
来年の代替わりに伴い、皇太子ご夫妻が新天皇、皇后として伊勢神宮参拝時に使用されることを想定。
実現すれば皇室の方を乗せた運行は約30年ぶりとなる。
昭和3年の製造から90年の歴史を誇る皇室の馬車。
昭和、平成を経て次代へと走り続ける。
【走る工芸品】
漆塗りの車体はえび茶色。胴部に菊葉と唐草の模様をあしらい、金色の菊紋章が中央に輝く。
「馬車は西洋のものだが、随所に日本文化が取り入れられている。“走る伝統工芸品”といってもいい」。
馬車を扱う宮内庁職員は誇らしげに語った。
宮内庁が管理する儀装馬車には4種類あり、それぞれ1号、2号、3号、4号と呼ばれる。
屋根に金色の鳳凰(ほうおう)を頂く神輿(みこし)のようなデザインの1号は、
昭和3年、昭和天皇が即位の礼の際に使用した。現在は馬車庫で保管されている。
一方、日常的に運行しているのは4号だ。新任の外国大使が天皇陛下にあいさつする
「信任状捧呈式(しんにんじょうほうていしき)」の送迎に使われている。
昨年12月、改修工事を終えた東京駅から10年ぶりに発着するようになり、観光客の視線を集めている。
【90年の歴史】
今回修復されるのは昭和3年製造の2号と3号。それぞれ両陛下と縁の深い馬車でもある。
2号は昭和34年、結婚の儀式後に両陛下が都内をパレードした際に使われた。
平成2年11月、即位の礼と大嘗祭(だいじょうさい)を終えた両陛下が伊勢神宮を参拝した際には、
参道で陛下が2号、皇后さまが3号に乗車された。長年保管し、メンテナンスを重ねてきた。
来年の代替わりが決まり、新天皇、皇后が伊勢神宮の参拝時に使用されることを想定し、
今年度予算に修復費を計上。2号は馬に取り付ける革製のベルト類を、
3号は御者台(ぎょしゃだい)の飾り布や幌(ほろ)などを修復し、本番に備える。
【パレードも可能】
自動車が普及した現代でも、世界の王室では重要儀式で馬車を使っている。
日本の皇室では、2年の即位の礼と5年の皇太子ご夫妻のご成婚の際にパレードが行われたが、
いずれもオープンカーだった。
来年の即位の礼で政府は、国事行為「祝賀御列(おんれつ)の儀」としてパレードを実施するが、
宮内庁が管理していたオープンカーは一時抹消登録をしている。
再び修理して使うのか、新たに購入するのかなど方針は未定だ。
宮内庁内には馬車によるパレードの可能性を探る声もある。
警察関係者は「警備上の理由で馬車が全く使えないということはない」と指摘。
宮内庁車馬課幹部は「日頃から準備しており、仮にそうなっても問題はない」と話している。
https://www.sankei.com/life/news/180821/lif1808210002-n1.html

2018.8.22 18:51
両陛下、ご静養で軽井沢入り
天皇、皇后両陛下は22日、静養のため長野県軽井沢町に入られた。
両陛下は新幹線でJR軽井沢駅にご到着。両陛下は駅前に集まった約550人の住民らに笑顔で手を振られていた。
27日には群馬県草津町に移動し、29日に帰京される。
滞在中には旧満州から引き揚げた人々が入植した大日向(おおひなた)開拓地の散策のほか、
草津町ではコンサートご観賞などが予定されている。
http://www.sankei.com/life/news/180822/lif1808220033-n1.html

皇太子さま、縄文時代の土器や土偶を鑑賞
23日 21時34分
皇太子さまは、東京・上野で開催中の縄文時代の土器や土偶を集めた特別展を鑑賞されました。
皇太子さまは、23日午後6時すぎ、東京国立博物館の平成館に到着されました。
特別展「縄文−1万年の美の鼓動」では、日本の各地で出土した
今からおよそ1万3000年前の縄文時代の土器や土偶などが展示されていて、
国宝や重要文化財に指定されているものもあります。
皇太子さまは、新潟県十日町市で出土した火焔型土器などについて
「美しいですね」と感想を述べ、また、土偶の表面の模様について
「どうやってつけるのですか?」などと質問しながら、熱心に鑑賞されました。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3454894.html

大嘗祭「公費支出避けるべきでは」秋篠宮さまが懸念
毎日新聞2018年8月25日 06時30分(最終更新 8月25日 06時30分)
来年5月に即位する新天皇が五穀豊穣(ほうじょう)を祈る皇室の行事
「大嘗祭(だいじょうさい)」について、秋篠宮さまが
「皇室祭祀(さいし)に公費を支出することは避けるべきではないか」との懸念を
宮内庁幹部に伝えられていることが関係者への取材で判明した。
大嘗祭は来年11月14日から15日にかけて皇居・東御苑での開催が想定されている。
政府は来年度予算案に費用を盛り込む。
宗教色が強い大嘗祭に公費を支出することには、憲法で定める政教分離原則に反するとの指摘がある。
政府は今年3月に決定した皇位継承の儀式に関する基本方針で、
「宗教的性格を有することは否定できない」としながらも、
「皇位が世襲であることに伴う重要儀式で公的性格がある」と位置付けた。
費用は平成の代替わりの際と同様、皇室行事として公費である皇室の宮廷費から支出する。
平成の大嘗祭では、中心的な行事「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」の祭場建設のための
約14億円を含めて費用は総額約22億5000万円に上った。
関係者によると、同程度の儀式を行った場合、物価の変動などを考慮すると、費用は大幅に増える可能性がある。
通常の皇室祭祀は、天皇、皇后両陛下と皇太子ご一家の私的生活費である内廷費で賄われる。
これに対して、皇室の公的活動は宮廷費から支出される。
政府は大嘗祭について宮廷費で予算措置を講じる方針だが、
秋篠宮さまは宮内庁幹部に対して多額の宮廷費が使われることへの懸念を示したうえで
「内廷費で挙行できる規模にできないだろうか」とも話しているという。
今年度の内廷費は3億2400万円だった。
 秋篠宮さまは、新天皇が即位すると、皇位継承順位第1位の皇嗣となる。
同庁幹部は秋篠宮さまの懸念について、毎日新聞の取材に「承知していない」としている。
 皇室祭祀などに詳しい宗教学者の島薗進・上智大学教授は
「皇嗣となる方の素直な意見として歓迎したい。大嘗祭に公的な費用が使われることは、
国の宗教的な活動を禁じる憲法20条に抵触する恐れがあり、本来好ましくない。
政府は多様な意見を踏まえて、慎重に皇位継承儀式を進めてほしい」と話している。
http://mainichi.jp/articles/20180825/k00/00m/040/169000c

皇太子ご一家が那須で静養 愛子さま「自然が楽しみ」
島康彦2018年8月25日19時22分
皇太子ご夫妻と長女愛子さまは25日、静養のため、栃木県那須町の那須御用邸付属邸に入った。
皇太子さまは9月1日まで、雅子さまと愛子さまはその後も数日間滞在する。
25日夕には御用邸の敷地内で、愛犬の「由莉(ゆり)」を連れて散策した。
愛子さまは報道陣の問いかけに「那須の自然に触れるのが一番楽しみです」と話した。(島康彦)
https://www.asahi.com/articles/ASL8T4J5FL8TUTIL00P.html

皇太子ご一家 那須で静養 愛犬のユリも一緒に...
2018年8月25日 土曜 午後6:22
皇太子ご一家が、栃木県にある那須御用邸で、初めて取材に応じられた。
那須御用邸に25日午後、到着した皇太子ご一家は、その後、「嚶鳴亭」と呼ばれる
建物周辺を散策し、愛犬のユリとともに取材に応じられた。
愛子さまは「(那須は、どんなことが楽しみですか?)全部です。
(宿題はいかがですか?)途中です」と話された。
ご一家は1週間ほど滞在し、平成最後の夏休みを過ごされる。
https://www.fnn.jp/posts/00399467CX

眞子さま、手話交えてあいさつ…開会式に出席
2018年08月25日
秋篠宮家の長女、眞子さま(26)は25日、東京都千代田区で開かれた
「第35回全国高校生の手話によるスピーチコンテスト」に出席された。
眞子さまは開会式で、「このコンテストを含む活動を通して、手話に親しみを持つ人が増え、
より手話を使いやすい環境が作られていくことを願っています」と手話を交えてあいさつされた。
https://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000304/20180825-OYT1T50087.html

皇太子ご一家、ご静養で栃木・那須入り
2018.8.25 22:22
皇太子ご一家は25日、静養のため、栃木県那須町の那須御用邸付属邸に入られた。
御用邸には10日ほど滞在される。
ご一家は同日、愛犬を連れ、草花などを観賞しながら敷地内をご散策。
長女の敬宮(としのみや)愛子さまは、記者から滞在中の楽しみを尋ねられ
「那須の自然に触れるのが一番楽しみです」と笑顔で応じられた。
御用邸最寄りの那須塩原駅では住民らに歩み寄り、約20分間ご交流。
皇太子さまは「暑い中ありがとうございます」、皇太子妃雅子さまは小学生の女児らに
「宿題は終わりましたか」と声をかけられていた。
https://www.sankei.com/life/news/180825/lif1808250034-n1.html

2018年8月25日
久子さまと絢子さま 9月2日に八戸訪問
高円宮妃久子さまと高円宮家の三女絢子さまが9月2日、八戸海洋少年団の訓練視察のため、
青森県八戸市を訪問される。日本海洋少年団連盟が24日、発表した。
久子さまは同連盟の名誉総裁を今年2月まで務め、絢子さまが引き継いだ。
県によると、久子さまの来県は2011年10月に弘前市で行われた全日本弓道遠的選手権大会以来、
7年ぶり7回目となり、絢子さまは初めて。
当日は、八戸港ポートアイランドから八戸海上保安部の巡視船に乗船して、
八戸海洋少年団のカッター訓練を視察するほか、同市鮫町の八戸シーガルビューホテルで手旗訓練を視察する。
絢子さまが名誉総裁就任後、海洋少年団の日常訓練を視察するのは初めて。
絢子さまは10月に結婚式を控えている。
https://www.toonippo.co.jp/articles/-/75478

2018.8.27 17:44
信子さま、9月にイタリアご訪問へ
宮内庁は27日、寛仁親王妃信子さまが9月18〜26日の日程でイタリアを訪れ、
ミラノで開かれる伊日研究学会の年次総会などに臨席されると発表した。
三笠宮家の彬子さまは、昨年3月に総裁に就任した三笠宮記念財団の記念行事などに臨席するため、
9月8〜14日の日程でトルコをご訪問。
高円宮妃久子さまの長女、承子さまは同10〜14日の日程で東ティモールを訪れ、
勤務先である日本ユニセフ協会への募金で新設された小学校などを視察される。
https://www.sankei.com/life/news/180827/lif1808270026-n1.html

018.8.27 19:07
皇后さま、草津でピアノご演奏
長野県軽井沢町で静養していた天皇、皇后両陛下は27日、群馬県草津町に移動し、
「第39回草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル」のコンサートをご鑑賞。
バイオリン奏者のウェルナー・ヒンクさんらが演奏するシューベルトのピアノ五重奏曲「ます」に耳を傾けられた。
これに先立ち、皇后さまは会場近くで、1時間ほどピアノのレッスンに臨まれた。
チェコの若手ホルン奏者とサン=サーンスの「白鳥」を練習し、
「きれいなホルンね」と感想を述べられていた。両陛下は29日に帰京される。
http://www.sankei.com/life/news/180827/lif1808270028-n1.html

両陛下、静養を終え帰京
在位中最後の軽井沢・草津
天皇、皇后両陛下は29日午後、長野県軽井沢町と群馬県草津町での静養を終え、北陸新幹線で帰京された。
来年4月末に天皇陛下が退位するため、恒例となった毎年夏の軽井沢・草津静養は在位中最後となる見通し。
両陛下は、22日に軽井沢入りした。23日には中国の旧満州から引き揚げてきた人たちが
戦後に入植した大日向開拓地を訪問。25日、なれそめの場となったテニスコートにも足を運んだ。
27日には群馬県草津町に移り、コンサートを鑑賞。皇后さまはピアノのワークショップに参加し、演奏にも臨んだ。
https://this.kiji.is/407478874750911585?c=92619697908483575

即位関連で19億円計上=36人増員−宮内庁概算要求
宮内庁は30日、来年度予算の概算要求を発表し、即位関連費用として19億1600万円を計上した。
代替わりに伴う御所の工事や、上皇職や皇嗣職新設による人件費が中心。
ただ、大嘗祭など儀式関連の費用はまだ確定していないため、金額を明示しない「事項要求」とした。
関連費の主な内容は、御所の給排水機械交換費として7億9400万円、
老朽化し手狭となっている秋篠宮邸の増築改修工事費として2億3100万円。
秋篠宮邸は、秋篠宮さまが皇位継承順位1位の「皇嗣」となることに伴い
公務スペースの拡充も必要なことから、3年間をかけ隣接する赤坂東邸と一体活用できるよう
整備する方針で、現在の計画では費用として33億円程度を見込んでいる。 
一方、天皇陛下の退位と皇太子さまの即位に伴う側近などの体制整備のため、
36人の増員を要求し、その人件費として2億9100万円を計上した。
新天皇即位後の側近などの体制は、上皇職65人、侍従職75人、皇嗣職51人とした。
(2018/08/31-05:42)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018083100192&g=ryl

昭和天皇 日記執筆か

(河北新報2018年8月24日)

昭和天皇 日記執筆か
小林忍侍従日記「お机に向い おつけになっておられた」
定説覆す可能性も

「日記らしきものをおつけになっておられた」―。
「小林忍侍従日記」の記載で、昭和天皇自身が生前に日記をつけていた可能性が浮上した。
記載があるのは1976年の元日。皇居・吹上御所で新年早朝の祭祀を昭和天皇に代わり
側近が済ませたことを、小林氏が居間で待機していた昭和天皇に報告しに行ったところ
「お上(かみ)はお机に向い日記らしきものをおつけになっておられた」とつづっている。

昭和天皇の記録としては、戦後すぐに回想を側近が聞き取った「昭和天皇独白録」や「拝聴録」、
昭和天皇が亡くなった後、宮内庁が24年余りをかけて編集した「昭和天皇実録」などがあるが、
自ら筆を執った日記類の存在は確認されず、存在しないというのが定説だった。
ただ、思わせぶりな記述は、これまでの史料にもあった。「卜部亮吾侍従日記」には、
香淳皇后が亡くなった後の2000年6月24日「女官長に例の『お日記』お忘れものとして
副葬品にお入れいただくようお預けする」と書かれている。昭和天皇の日記が形見として
“埋葬”されてしまったとも解釈できる内容だ。
一方、「拝聴録」は入江相政侍従長が昭和天皇から聞き取った記録で、見つかったり、
不明になったりを繰り返した。
卜部日記の88年5月23日の記述には、入江氏の後任の徳川義寛侍従長と「(皇居・宮殿の)
表御服所に赴き、入江侍従長の『拝聴録』を探索す。断念しかけたが最後にキャビネット最下段から発見。
内容確認しリストを作り元の場所に収納」とある。
その後また行方が分からなくなったが、卜部日記によると、2001年2月7日に再発見された。
現在は再び不明となっている。

早世の娘命日終生慎み
60年間悲しみ忘れず
昭和天皇は1961年に長女の東久邇成子(ひがしくにしげこ)(照宮)さん=当時(35)を、
28年に次女祐子(久宮)さん=生後訳6ヵ月を亡くしている。
「小林忍侍従日記」には、昭和天皇が晩年までそれぞれの命日は外出を控えていたことが記されており、
早世した娘たちを思いながら静かに過ごしていた様子がうかがえる。
成子さんの命日は7月23日。小林氏が侍従に就いた74年は「故東久邇成子様御命日につき終日吹上御所においで」
と書き、昭和天皇が一日中、住まいの吹上御所にいたと記録している。
昭和天皇は夏のこの時期、栃木県の那須御用邸に滞在していることが多かったが、
日記には「照宮さまの御命日のためお出ましなし」(76年)、「東久邇成子様御命日のため
終日お出ましなし」(83年)、「東久邇成子様御命日のためおでましなし」(85年)とあり、
日課としていた御用邸内での散策や植物観察を慎み、室内にこもっていたことが分かる。
祐子さんの五十年式年祭に当たる78年3月8日は「宮殿へのお出ましなし」と記述。
85年の命日も「久宮祐子内親王殿下御命日につき宮殿へのお出ましなし」と記録している。
この日は閣議のある金曜日で、通常なら宮殿の執務室で政府文書の決済をする日だが、
吹上御所で執務に当たったとみられる。
昭和天皇が亡くなる前年の88年の命日も「久宮内親王殿下御命日お出ましなし」。
60年前の悲しみを忘れることはなかった。

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平成の即位礼「ちぐはぐな舞台」

平成の即位礼「ちぐはぐな舞台」
故小林忍侍従、日記に先例化懸念
2018/8/24 05:21
c一般社団法人共同通信社
昭和天皇の侍従だった故小林忍氏(1923〜2006年)が、90年11月に催された天皇陛下の「即位礼正殿の儀」を巡り、
「ちぐはぐな舞台装置」「新憲法下初めてのことだけに今後の先例になることを恐れる」と
当時の政府対応を批判する見解を日記に記していたことが23日、分かった。
戦後初めて行われた即位の礼は、政教分離を巡り違憲論議も起きた。
政府は宗教色を抑えようと配慮したが、一貫性がないとして宮内庁内に不満があったことがうかがえる。
政府は、来年10月に予定されている新天皇の「即位礼正殿の儀」も基本的に前例踏襲とする方針で、
小林氏の見解が一石を投じる可能性もある。
https://this.kiji.is/405406848033440865?c=39546741839462401

(続き)
河北新報2018年8月24日

日記は政教分離の在り方に直接触れていないが、小林氏本人が参列した儀式の所作や内容について、
費用も含めて手厳しい意見を記している。小林氏は昭和天皇死去後も宮中に仕えていた。
記載があるのは、即位の中心儀式「即位礼正殿の儀」が皇居・宮殿で催された90年11月12日。
陛下が儀式の際に立った高御座に、三種の神器の剣と勾玉に加え、宗教色を抑えるために国の印の国璽と
天皇の印の御璽を目立つ位置に置いたことに言及。内閣法制局の幹部が「細かなくちばしを入れていた」と
不快感を示し「持ち込めば十分であって、目立たない所におくと(中略)目的が達成されないというの
だろうが、何と小心なることか」と私見をつづっている。
両陛下や皇族、出席した宮内庁職員の多くが古風な装束を身にまとっていたのに対し、宮殿のデザインや
当時の海部俊樹首相ら三権の長がえんび服だったことを「現代調」と表現。「全くちぐはぐな舞台装置の中で
演ぜられた古風な式典」と皮肉り、全員が三権の長らと同じ洋装にすれば「数十億円の費用をかけることもなくて
終わる」と指摘している。
平成の即位の礼や大嘗祭に関しては、政教分離を巡って各地で違憲訴訟が起こされ、
いずれも訴えは退けられたものの、両儀式への国費支出が「憲法の政教分離規定に反する疑いがある」と
違憲性を指摘した95年の大阪高裁判決が確定している。大嘗祭は、新天皇即位後初めての五穀豊穣に
感謝する新嘗祭。
来年10月22日に予定されている即位礼正殿の儀については、宮内庁が細部を検討中だが、ある幹部は
「一点の曇り(批判)もない儀式を行うと言うのは至難の業だ」と話している。
(日記の引用部分は基本的に原文のまま)

小林忍侍従日記

昭和天皇、戦争責任「つらい」
故小林忍侍従の日記
昭和天皇が85歳だった1987(昭和62)年4月に、戦争責任を巡る苦悩を漏らしたと
元侍従の故小林忍氏の日記に記されていることが分かった。共同通信が22日までに日記を入手した。
昭和天皇の発言として「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。
辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。
兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と記述している。
日中戦争や太平洋戦争を経験した昭和天皇が晩年まで戦争責任について
気に掛けていた心情が改めて浮き彫りになった。
小林氏は昭和天皇の側近として長く務め、日記は昭和後半の重要史料といえる。
https://this.kiji.is/405044604695348321?c=39546741839462401


小林忍侍従日記の詳報
昭和天皇の侍従だった小林忍氏の日記の詳報は次の通り。(表記は原文のまま)
1974年4月26日 田中氏から宮殿菊の間つつじ庭の桐の花が咲き始めたとの連絡あり、
お上に申しあげたところ、お庭にお出まし。
お供してつつじの庭左側の桐というのでみて回られたがわからずじまいで、場所を確かめておくようにとのおおせ。

5月5日 
午前御散策。(中略)お上が最初「小林、暑ければ上衣をとっていいよ」とおっしゃられた。

9月13日 
佐藤達夫氏(※注1)の献上のアヅマシライトの所で
「遺品だな。持って来た人は死んでしまった。遺品だな」とおっしゃった。しんみりさせられた。

9月25日 
東宮四殿下御参(中略)礼宮やんちゃで広間のドラを一発ならす。

1975年4月28日 
今日は沖縄デーでデモ行進あり。失念していたところ、(中略)お召しで混乱の有無をお尋ねあり。
全く報道されなかったので何もなかった旨申しあげた。「それはよかった。それはよかった」と非常にお喜びだった。

5月13日 
「天皇の外交」伊達宗克著(NHK記者)(現代企画室刊)につき毎日新聞に広告が出ており、
それに戦争のつぐないとして戦後平和外交を推進しているかの如く広告しているが、
そのような内容ならそれはおかしい。戦前も平和を念願しての外交だったのだからと仰せあり。
内容を調べてほしいといわれた。

11月24日 
お上の近況について侍従長のお話(11月22日昼食事の時)。
御訪米、御帰国後の記者会見等に対する世評を大変お気になさっており、
加えて御体調がお風邪、下痢なども重なり御疲れが三重国体後もなお十分でないこともあり、
御自信を失っておられるので(中略)記者その他専門家筋の批評が、
お上の素朴な御行動が反ってアメリカの世論を驚威的にもりあげたことなど具体的につぶさに申しあげ、
自信をもって行動なさるべきことを累々申しあげたところ、涙をお流しになっておききになっていたと。
それで大変御気嫌よく19日の御訪米随員等のお茶御出ましの時は非常にお元気であったと。

76年2月26日 
2・26事件の当日に当るので、宮殿にお出ましなし。

78年4月29日 夜は東宮五殿下、常陸宮両殿下吹上においでお祝い御膳。7
時ごろから35分野生の王国(吹上御苑の野鳥)(NHK)(※注2)を皆様で御覧。

5月19日 
東宮殿下がお上のお風邪の間色々と行事をなさったことについて天皇の代行なのか東宮殿下としてなさったものか、
御名代とは何かなど論議が再燃している。今回の諸行事は急ぎきまったため十分な理論づけ、
詰めがなされて行われたものでないため、その形式が先行して処理されたきらいがあり、
そのために理論づけが曇ることになることを恐れる。

5月26日 宮内庁長官異動 のびのびになっていた長官の異動今日認証式、発令。(中略)
激動の戦後から新しい皇室制度の定着をはかったのは宇佐美氏のがんこさの功績であろう。
新長官(※注3)がなお残る旧来のろう習にどのように立ち向うか、仲々むずかしいと思われる。
入江、徳川両長老(※注4)のいる侍従職への発言力が高まると同時に、侍従長の重責がさらに高まろう。

6月20日 
那須御用邸行幸啓。(中略)夜、那須から電話。日本帰化植物図鑑と高知植樹祭日程表をお忘れにつき送付されたしと。

10月23日 
ケ小平副総理午餐。(中略)日中平和条約批准書の交換のため来日したものだが、大変な歓迎ぶり。(中略)
国賓以上の報道ぶり。右翼の妨害に対する警戒ぶり厳重であることの報道ないのはどうしたことか。

79年8月17日 
那須御用邸行幸啓。(中略)お庭御散策の際「山ユリの花が今日までにすっかり終ったことは
例年より1週間位早いのではないか。マルバダケブキの花がもう咲いているところから、
今年の秋は早く、寒さが早くくるのではないか」とおっしゃった。

80年2月19日 
三宮様御参晩餐。(中略)大食堂からお戻りの際、はじめ高松宮さまが皇后さまのお手をお持ちだったが、
お上がお焼きになるからと宮様がおっしゃり皆様大笑い。
お上がなさったらということでお上が皇后さまとお手をつないでお談話室にお戻り。
大変ほほえましい、珍らしい情景だった。

5月27日 
華国鋒首相との御引見にあたり、陛下は日中戦争は遺憾であった旨先方におっしゃりたいが、
長官、式部官長は今更ということで反対の意向とか。侍従長は結構という意見らしいが、
長官などの反対は、右翼の動きが気になるためという。
しかし、国際的に重要な意味をもつことに右翼が反対しているから、止めた方がよいというのでは余りになさけない。
かまわずお考えどおり御発言なさったらいい。大変よいことではないか。

81年5月5日 
レンゲツツジ(赤と黄)満開。
これは毒なので山野(那須でも)では馬も食べないためこれだけ残り、繁茂しているとお上。

6月6日 
御生研からのお帰り時、大池通りにクサイチゴの赤い実が多く熟していた。
「クサイチゴの実は野生のイチゴとしては最もうまいものである」
「ヘビイチゴの実は、以前には毒だと言われていたが、毒ではない。
しかし今では味がない(すっぱくも、甘くもない)といわれている」

85年2月26日 
昭和12年(※注5)の2・26事件の日のため、午前中宮殿へのお出ましなし。午後は進講あり。

6月27日 
国立防災科学センター、筑波実験植物園においで。
植物園ではカワラナデシコについて強い疑問をおもちで、ハマナデシコではないかと。
記者会見のあと黒川園長にお上のお考えをそっと伝えたところ、言下に否定した。

87年2月3日 
高松宮殿下薨去(こうきょ)。

24日 
全くお行事なく、お上も26日の2・26事件に当る日であるが1週に2回も何もない日があることは珍らしい。
何か特別のわけでもあるのかのお尋ね。国会との関係、喪中であることなどから偶然そうなっただけと申しあげた。

4月6日 
土曜日の御研究を午前中だけにすることについて御意見あり。(中略)
午前中は1時間くらいしか時間がないので、須崎の採集物など研究するひまが少なくなってしまうので、
午後を切ることは賛成しかねる。

7日 
お行事軽減について御意見

仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛(つら)いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。
兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれるなど。
これに対し、戦争責任はごく一部の者がいうだけで国民の大多数はそうではない。
戦後の復興から今日の発展をみれば、もう過去の歴史の一こまにすぎない。
お気になさることはない。個人的には色々おつらいこともおありでしょうが、
国のため国民のためにお立場上、今の状態を少しでも長くお続けいただきたい旨申し上げた。昨夕のこと。

29日 
豊明殿の宴会途中御退席。(中略)お席でお上がお食事をおもどしになったので、(中略)
お歩きで泉の間にご退場。(中略)侍医の診察あり。一段と平常に近ずいていると。
(当初、血圧70−130 お脈85、お体温5・6°)。朝から胃のつかえがあった御様子で、
基本的にはお疲れがあったところに(1週間前の記者会見の前後の緊張も原因の一つと思われる)
気候不順など重なりこうなったと思われる。

7月19日 
お上御異常。御車寄前植込横(東側)においでの時急にお立ち止り、
不審に思っているとふらふらなさり始めたので、高木侍医長と田中侍従が左右からお支えしたところ
その場におくずれになった。(中略)侍医長のお尋ねに少し胸苦しい旨おっしゃった。(中略)
心電図をお取りしたが格別の異常はないとのこと。(中略)4時からは大相撲のテレビを御覧になり、
夜は御夕食も割合良く召上がり、8時からの「伊達政宗」を御覧になった。(中略)
看護婦長にお話しになったところによると少しむかついたとのことで、
エレベーターでの「胸苦しい」というのは「むかつき」をそう表現なさったのか。
要するに脳貧血だったということであるが、その原因は結局よくわからないということ(中略)

9月21日 
沖縄に浩宮さんに同行する筈だった宮内記者会の連中は出発当日19日の朝全員出発取り止めて、
陛下の取材に動いたという。侍従室にも記者入れかわりやってくる。
宮内庁発表(午)後3時 8月下旬から時々おなかが張るなどの御異常。(中略)
明22日宮内庁病院にご入院手術の予定。(中略)
概略以上のような発表。報道されている実状からみて何とも間が抜けている。

22日 
御入院・手術 国事行為の臨時代行 東宮殿下 当分の間 御署名は「裕仁 明仁」となさる(御訪米時と同じ)
(中略)〈記者の質問攻めに遭い〉手術の時間は事前の診断やら、
麻すいの用意やらで手術後も麻すいの状況など見守るため順調にいっても2時間半くらいかかるらしい
事前にそういう説明がないので、長びいていて悪い個所があったのではとか、いらぬおくそくが飛び交うことになる。

88年2月9日 
「皇居の植物」原稿御覧。数日前から愈(いよいよ)。
原稿お手許に出たので御熱心に御検討。あれこれ御注文やらお尋ねが当直の侍従にある。
一度お答えしたものについて更にお尋ねなどあり、
お上は根をつめて御検討なので御疲れが出るのではないかと心配される。

9月19日 
御容態急変 (中略)わが家には0時半と1時ころの2回朝日新聞社会部青柳氏から電話
(最初は氏名不明)あり(中略)宮内庁から連絡はないかときいてきた。文子が寝ている旨答えた。
何かあったと思ったが、もしそうなら当直の田中氏は対応に追われていると思い確認の電話はせず。

22日 
国事行為臨時代行の委任 (中略)御沙汰書には本来御署名があるところ今回それがおできにならないので
陛下の委任する旨の御意思を明確にしておく必要があるとの法制局の意向で、
御沙汰を伺った当直侍従から宮内庁長官宛に次のような文書を提出しておいてほしいとのことであったので、
事務主管の卜部侍従の名前で提出した。(9月22日付)
「天皇陛下から、国事に関する行為を委任する旨の御沙汰がありましたので、
御報告します。宮内庁長官 藤森昭一殿 侍従 卜部亮吾(印)」

11月14日 
案外持ちこたえ新嘗祭(にいなめさい)までは大丈夫という予想も出ている。

お召し 夜8時半すぎ侍従をお呼びというので御寝室に出た。
言語不明瞭というより言葉になっていないので侍医2人、看護婦3人と何とおっしゃっているのか
聞き耳をたてたが全く分からない。(中略)「明日にまた」と伺ってもそれは御承知にならない。
今知りたいということらしい。お疲れになるばかりというので、
侍医が安定剤を点滴に入れお眠りになるようにした。先週9日に安定剤を投与してからお眠りが多くなり、
言語も不明瞭になってきたらしい。その分御病状は安定している。

12月1日 
摂政問題 御容態が現状のように傾眠状態が続き、意識が明確でなくなってくると、
一時的でも意思表示ができればよいが、さもないと国事行為の代行では済まなくなる
虞(おそ)れが出てくる。(中略)常時意識がはっきりしない状態であるとなると代行制度はなじまず、
摂政を立てざるをえなくなるのではないか。幹部の間でも論議されている。

20日 
昨日は「おじゃじゃ」ということもおっしゃったと。「痛い」とか「いや」とかも。
侍医も驚いているというが、一時的なものかどうか。

23日 
昨夜 侍医の「お寒くありませんか」の呼びかけにお首を左右にお振りになるなど反応をお示しになったという。

31日 
9月の御発病以来、侍従長と侍従次長は日曜、祭日もなく毎日吹上に勤務を続けている。
御容態の安定しているときぐらいはどちらか交替で休めばよいと思うのだが、
東宮両殿下が毎日お見舞に吹上においでのこともあるのか休まれない。

89年1月6日 
このところ輸血の効果が仲々出にくくなっている。すべての機能が衰えてきているためという。
尿も殆ど出ない状況が続き、愈(いよいよ)今度こそはという時期にきている。

7日 
崩御 前・6時33分 朝5時すぎ当直の井原侍従から電話。御容態悪化したので待機していてほしいと。
更に6時ころ電話で来るようにと。(中略)8時ころ吹上へ。すぐ御寝室に急ぎゆく。お別れの拝礼。
既に侍医、看護婦の手でお体の清拭など行われ丁度終るところだった。
間もなくお召ものをお着せすることが始まり、卜部氏と小生が主になって申又、袖なり肌着、
小袖、襪(シタウズ)(足袋指なし)、帯をおきせする。(中略)肌着は右手は袖を通したが
左手は腕関節が既に固くなって曲がらないので袖に通すことができず、左手は肌着の中に包んで前部ボタンを掛けた。
小袖の袖も同様にせざるを得ず、左手は袖を通さず、従ってたもとはお体にかけたようなぐあいになった。
お体の下を小袖をくぐらせる時はお腰をもちあげたり、横にしたり仲々重い。まだ暖かみが残っていた。

23日 
殯宮(ひんきゅう)一般拝礼は昨日1日だけで16万3400名の人が来たという。
好天で割合暖かったせいもあろうが、それにしても大行天皇に対する国民の敬愛、哀惜の情の深いのを感ずる。

11月29日 
「皇居の植物」完成。懸案だった「皇居の植物」が納入された。(中略)立派なできばえ。

90年8月21日 
徳川参与侍従室に来られ暫(しばら)くお話し。靖国神社への総理参拝で
毎年問題となる戦犯合祀(ごうし)で東條など取りあげられるが、
最も問題となるのはむしろ松岡、広田の文官(非軍人)が入っていることである。
また特に松岡は日米開戦の張本人ともいうべきもので、日米交渉の最中、
ルーズヴェルト大統領の出した条件に、陸軍も海軍も賛成していたのに松岡が
自分が交渉に当らなかった故をもって反対したために交渉がまとまらなかったという。
松岡は日独伊三国同盟をまとめて帰国の途中、ソ連に寄り、日ソ不可侵条約を結んで、
そのためドイツをひどく怒らせたとか、とにかく異常の人だった。
松岡はA級戦犯の判決後2年くらいで病気のため入院死亡した。処刑されたのではない。と

11月17日 
大嘗祭習礼。今日初めて大嘗宮を見る。仲々立派だが、14億円とはとても考えられない。

22日 
陛下が悠紀殿にお入りになると剣璽及びお裾の侍従は同殿の西側簀子(すのこ)に出て坐り、
陛下のお帰りを待つが、このあと2時間40分の間この3人だけで待機するのは大変だからというので
他のお供の侍従6人も3人ずつ組んで20分ずつ交替で簀子に坐る。(中略)
采女、掌典の内部における神饌供饌の儀の終るのを待つ間庭燎の明りだけがともされ神秘的な雰囲気をかもし出す。

(※注1)74年9月13日の「佐藤達夫氏」は、法制局長(当時)を務めたこともある人事院総裁だった佐藤氏。9月12日に死去した。
(※注2)78年4月29日の「NHK」は「TBS」の誤りとみられる。
(※注3)78年5月26日の「新長官」は、警察官僚の富田朝彦氏。
(※注4)同じ日付の「入江、徳川両長老」は、当時の入江相政侍従長と徳川義寛侍従次長。
(※注5)85年2月26日の「昭和12年」は「昭和11年」の誤りとみられる。
(共同通信社)
https://www.toonippo.co.jp/feature/notice/kobayashi

皇太子ご夫妻秋田

雅子さま、今年初の地方公務 皇太子さまと秋田の小学校
中田絢子2017年7月11日18時45分
秋田県を訪問中の皇太子ご夫妻は11日、潟上市立大豊小学校を訪れ、
児童が地元の魅力を発信する授業を視察した。雅子さまの地方公務は今年初めて。
この日は、6年生の児童42人が5班に分かれ、地元の歴史や名所を模造紙に書き込み、
発表する授業を行った。皇太子ご夫妻は各班を回り、腰をかがめて児童の顔をのぞき込みながら
発表に聴き入った。佃煮(つくだに)など地域の特産品について調べた班の児童には、
雅子さまが「どこが面白かったですか」などと質問していた。
ご夫妻はその後、秋田市の県立博物館に移動し、県立金足農業高校の生徒ら7人が
稲わらを使った伝統的な履物づくりに取り組む様子を視察した。(中田絢子)
http://www.asahi.com/articles/ASK7B35FWK7BUTIL00G.html

皇太子ご夫妻、秋田入り
2017年07月11日 19時02分
皇太子ご夫妻は11日、第53回献血運動推進全国大会に出席するため、空路で秋田県入りされた。
療養中の雅子さまが宿泊を伴う地方公務をされるのは、昨年11月の岐阜県訪問以来。
ご夫妻は、潟上かたがみ市の小学校で6年生のグループから、
八郎潟の水質改善の取り組みなどについて説明を聞き、
「色々調べたんですね」「どこが楽しかったですか」と声を掛けて回られた。
秋田市の県立博物館では、地元の高校生による藁わらの履物製作を見学。
皇太子さまは「技術の伝承が非常に大事ですね」と語られた。献血大会は12日、同市で開催される。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20170711-OYT1T50055.html

皇太子さま
日赤秋田看護大を視察
毎日新聞2017年7月12日 10時38分(最終更新 7月12日 10時38分)
秋田県を訪問中の皇太子さまは12日、秋田市の日本赤十字秋田看護大・同秋田短大を視察された。
皇太子さまは、学生が患者役の人の体を起こしたり、手を洗う実習などを見学した。
宮内庁によると、雅子さまは同日午後に同市である献血運動推進全国大会への出席に備えて、
体調を整えるため視察は見送られた。【高島博之】
https://mainichi.jp/articles/20170712/k00/00e/040/242000c

皇太子さま、短大生の介護実習など視察 秋田県を訪問中
秋田県を訪問中の皇太子さまは12日午前、秋田市の日本赤十字の秋田看護大学と秋田短期大学を視察した。
皇太子さまは、介護を学ぶ短大の2年生が、ベッドに寝ている人を車いすに移したり、
シーツを交換したりする実習を見守り、「この段階で一番気をつけることは何ですか」
「どうですか、演習は」などと質問した。
http://www.asahi.com/articles/ASK7B35X2K7BUTIL00H.html

皇太子さま、豪雨被害に「哀悼」
秋田市の献血大会に出席
2017/7/12 17:02
秋田県を訪問中の皇太子ご夫妻は12日午後、
秋田市の県立武道館で開かれた第53回献血運動推進全国大会に出席された。
皇太子さまはあいさつの冒頭、福岡、大分両県で大きな被害が出た九州北部の豪雨に触れ
「大雨による災害で亡くなられた方々に心から哀悼の意を表します」と述べた。
皇太子さまは「被災地での救援と復旧の作業が速やかに進むことを願っております」と話した。
大会には「献血に対する社会全体の理解がさらに深まることを希望します」との言葉を寄せ、
功労者らを表彰。雅子さまも拍手を送っていた。
雅子さまは同日午前、体調を整えるため日本赤十字秋田看護大の視察を見送っていた。
https://this.kiji.is/257777569811202056