大正元年 白洋舎 ボア事件

1912年に白洋舍が皇太后の襟巻を溶かした「ボア事件」時の神対応の真相
2017年3月20日 22時0分

街のクリーニング屋さんとして知られる白洋舍(はくようしゃ)=東京都大田区=。
国内のドライクリーニングの先駆けとして2017年で創業111周年を迎える老舗ですが、
創業6年目に一大事件を乗り越えています。

1912(大正元)年、明治天皇の妃だった昭憲皇太后から預かった白鳥の羽毛製の高級襟巻(ボア)を、
誤って溶かしてしまったのです。
この出来事について、2月3日にあるユーザーがTwitterに投稿したことから再び注目が集まりました。

当時の対応について、同社に確認しました。

通称「ボア事件」
くだんの一件は「ボア事件」として社内で語り継がれています。
創業者・五十嵐健治氏(以下、健治)が自伝「恩寵(おんちょう)の木漏れ日」で詳細を語っています。
明治天皇が崩御して4カ月ほどの11月のある朝。
お墓である伏見桃山陵(京都市)を昭憲皇太后がお訪ねになるのに合わせ、
宮内省から「白い襟巻を黒く染めてほしい」という電話が、
かねてからシーツなどの洗濯を請け負っていた健治宛にありました。

期限はわずか3日間。少しためらったものの、染色の勉強もしていたこと、
何より急ぎの要件だったため引き受けることにしました。
自宅に丁重に持ち帰った襟巻を前に「責任がなかなか重大である」と感じ、
なじみの染物店に作業を見守ってほしいと頼みます。
これが思わぬ事態を招きます。

どうして待ってくれなかった
翌日、健治は部下に品物を持たせて先に染物店に行かせ、自分は所用を済ませてから向かいました。
到着すると、なんと店の主人はすでに大釜で襟巻の煮染めを始めているではありませんか。
直感的に不安を覚えた健治は、棒を差し入れて襟巻の端をすくい上げます。

“……指先で羽毛をつまんで見ると、芯がなくっていて、たわいもなく切れてしまう。
よく見ると羽毛は全くとけてしまっていて、質を失っている。
ああたいへんなことになった。
(五十嵐健治自伝「恩寵の木漏れ日」より)


原因は、色づきを良くするための薬剤の間違い。
どうして私が来るまで待たなかったのか……
ため息を吐きつつ、溶けた襟巻をバケツに入れて帰宅しました。

“こんなことになるなら、人に頼まず自分でやればよかったと後悔するのみである。
その晩、まんじりともせずに、煩悶の中に夜を明かした。


「申し訳のために自決しよう」
考えた末、健治は「とにかく代わりとなる襟巻を探そう」と、日が昇りきらぬうちから街に出ます。
東京市内の洋服店や横浜の外国人居留地、はては神戸の商館に電話を掛けて羽毛の襟巻を探し続けました。
しかし、見つかったのは東京・新橋の洋品店にあった短い2本のみでした。

“納期はいよいよ明日に迫っている。
しかるに代品を得る見込みさえなくなった。
絶望とはかかる時のことをいうのであろう。


健治は悩みます。期日を守れなければ、皇太后陛下だけでなく、
自分を頼ってくれた宮内省の担当者にも迷惑を掛けると。

“じつのところ一時絶望して、神経衰弱に陥り、
申し訳のために自決しようとさえ思い迫ったほどであったが……(後略)


キリスト教徒だった健治は、夜通し神に祈ることで気持ちを落ち着かせました。

神に祈り続けて冷静に
浅い眠りから目覚めた納期当日。祈り続けたおかげか「頭脳が鎮まってはっきり」してきました。
前日に見つけた新橋の襟巻2本をつなげ、1本にできるのではないか。
過去にやったことがないアイデアでしたが、「やってやれまいことはあるまい」と早速購入。
一度、“より”をほどいた襟巻の先端を切り、それぞれの芯を麻糸でがっちりと縫い付けてより直します。
そして、期待を上回る立派な1本の長い襟巻を作り上げました。

労作を慎重に黒色に染め、夕方、みごと約束の時間に納入したのです。

“皇后官職へお納めしたところ、見事の出来栄えであると御褒めの御言葉を賜り、
御菓子さえ頂戴して、大いに面目を施した。


のちに宮内省の幹部に「染色異変の事情」を詫びたところ、
幹部はひどく気の毒に感じて皇太后との間を取り繕ったそうです。

真の責任は自分にある
健治は実際に作業を誤った染物店について、わざと名前を伏せて書き残しており、
強い自責の念がうかがえます。
「この事件の原因を究明してみると、真の責任は自分にある」と断言した上で、
染物店の主人との意思疎通が不十分だったこと、本当に重要な品はみずから運ぶべきだったと述懐しています。

この「昭憲皇太后ボア事件」の項目は、自戒の言葉で締められています。

“世の中の間違いというものは、ささいの不注意からおこるものである。
ことばの不明確と、軽率な行為は、時に思わぬ大失敗を招くものであるから、つつしまねばならない。


通信技術や物流網が進化した現代でも、そのまま通じる姿勢です。
ボア事件以降も、健治は関東大震災や東京大空襲、会社乗っ取り事件など
幾多の障害を乗り越え白洋舍を存続させます。
彼の波乱万丈の生涯は小説「夕あり朝あり」(三浦綾子作、新潮文庫)で追うことができます。
企業や役所が不祥事を起こすと、その度合いに関係なく徹底的に叩きのめす風潮が強い昨今。
健治の懸命な事後対応と宮内省のおおらかな姿勢には、学べる部分があります。

http://news.livedoor.com/article/detail/12825262/

天皇家の財産

皇族の美術品 相続に莫大な税金がかかるため一部を寄付
2017.05.09 07:00
皇居・東御苑にある「三の丸尚蔵館」は、昭和天皇崩御後の1989年6月に
皇室から国庫に寄贈された美術品を研究、展示するため、1993年に開設された。
天皇陛下がすべての財産を相続すると莫大な税金がかかってしまうことから、一部を寄付したのだ。
「現在では、皇室に代々受け継がれた絵画・書・工芸品などの美術品類に加え、
香淳皇后や故秩父宮妃の遺贈品、三笠宮家からの寄贈品など約9800点を収蔵しています」(宮内庁関係者)
宮内庁管理の美術品は、慣例的に国宝や重要文化財に指定されないのだが、
狩野永徳の『唐獅子図屏風』、葛飾北斎の『西瓜図』、
伊藤若冲の『動植綵絵』など歴史的・文化的価値の高い物も数多い。
昨年春に東京都美術館で開催され、約45万人が来場した若冲展にも三の丸尚蔵館所蔵の作品が展示された。
「もともとは研究と保管のみが目的で、一般への公開については博物館や美術館への貸し出しを行う予定でした。
しかし、陛下をはじめとした皇族方の意向もあって館内に展示室が設けられました。
ただ、なにぶん手狭で定期的に展示会を行っても公開できるのはほんの一握りのみ。
外国人観光客を含め来館者が増加していることから、近いうちに増築が行われる予定です」(前出・宮内庁関係者)
今回の生前退位でも宝物が増えそうだ。入館料は無料。皇室の歴史を感じに足を運ぶのも一興だろう。
撮影/雑誌協会代表取材
※女性セブン2017年5月11・18日号
https://www.news-postseven.com/archives/20170509_536042.html



天皇家の財産 GHQにより大半が消えバブル時は20億円に増加
2017.06.09 11:00
眞子内親王の婚約報道に際し、ご結婚時に1億円を超える一時金が払われることが話題になった。
そんな中、政府や有識者が意見を戦わせてきた「生前退位」をめぐる議論においても、
皇室の財産をめぐる議題が浮上したというのだ。それは「相続税」である。
これはもうひとつの「皇位継承問題」である。
ここで天皇家の財産の歴史について振り返ってみる。戦前、皇室財政は国家財政と分離しており、
全国規模の林業経営などで莫大な収益を上げた。三井、三菱などの大財閥を優に超える資産を形成していた。
終戦直後の1945年11月、GHQ(連合国軍総司令部)は
「天皇は世界有数の財閥であり、ただちに財産税賦課によって適切に処理されるべき」として、
皇室財産の解体に着手した。GHQによる評価の結果、弾き出された昭和天皇の財産は37億1563万円だった。
主な内訳は、皇居や赤坂御用地といった土地(7憶7263万円)、宮内庁舎などの建物(2億3414万円)、
皇室所有の御料林の木材である立木竹(16億3976万円)、美術品(4億4949万円)、
有価証券(2億2012万円)、現金預金(5500万円)などとなっている。
GHQによって評価された天皇家の財産はいきなり大半が消えることとなる。
資産1500万円超の財産所持者には90%もの「財産税」が課されることになり、
昭和天皇は33億4268万円を納めることになったのだ。
さらに新しく制定された憲法では、〈すべて皇室財産は、国に属する〉ことが定められ、
皇室による不動産保有は禁じられた。皇居など天皇家が使い続けるものは国有財産へと移管された。
その結果、昭和天皇の私有財産は、「何か大きな出費に備えるため」という名目で
金融資産1500万円が残されたほか、由緒物の美術品と宝石、身の回りの品だけになってしまったのである。

◆バブルで20億円に
それから40数年後、昭和天皇が崩御した1989年、驚きの事実が明らかになる。
その遺産は約20億円まで増えていたのだ。
皇室経済に詳しい成城大学文芸学部マスコミュニケーション学科教授の森暢平氏が解説する。
「主な要因は株式投資など資産の積極運用です。昭和天皇が自ら運用していたわけではなく、
天皇家には『経済顧問』という私的なアドバイザーがいます。
特に高度経済成長期には大いに資産を増やしたことでしょう。
その背景には、昭和天皇の代替わりの儀式の費用面の懸念がありました。
当時は公費で賄えるかどうか不確定な面があり、
天皇と宮内庁幹部が私有財産から支出しなければならない事態に備えたのです」
結果的に、総額42億円ともいわれる代替わり儀式は国費で行なわれたため、昭和天皇の懸念は杞憂だったといえる。
約20億円の昭和天皇の遺産のうち、葬儀費用の一部と日本赤十字社への寄付5000万円を差し引いた上で
債務を整理し、課税遺産額は18億6911万4000円となった。皇室ジャーナリストの山下晋司氏が言う。
「今上天皇以外のお子さま方は相続を辞退されたため、二分割した9億3455万7000円ずつを、
香淳皇后と今上天皇が相続されました。さらに2500万円ずつを『長寿科学振興財団』に寄付されたため、
実際の相続額は9億955万7000円。今上天皇は約4億2800万円の相続税を納め、差し引いた5億円弱を相続されました」
配偶者控除により相続税が非課税となった香淳皇后は2000年に逝去。
遺産は今上天皇が相続したが、その額は、公示対象(一人あたり2億円以上)を下回ったとして、公示されなかった。
「約9億円もあった香淳皇后の遺産が激減したのは、
バブル崩壊によって所有株が軒並み下落したことが要因だと見られています」(前出・森氏)
今上天皇が香淳皇后から引き継いだ遺産は、相続税を差し引けば多くても1億円以下と見られる。
昭和天皇の遺産5億円と合わせて、多く見積もって計6億円に満たないと考えられる。

※週刊ポスト2017年6月16日号
https://www.news-postseven.com/archives/20170609_561354.html?PAGE=1#container


安倍首相 皇太子 両陛下

天皇在位30年式典の裏で安倍首相が皇太子取り込みを画策! 力ずくの圧力でも天皇・皇后を封じ込められず…
2019.02.24 03:03
政府主催の明仁天皇の在位30年式典がきょう、東京の国立劇場で開かれている。
だが、その一方で、安倍首相が奇妙な行動に出た。
22日の午後、元赤坂の東宮御所を訪れ、約30分間、皇太子と面会したのだ。
総理大臣が天皇に国内外の情勢を報告することは「内奏」と呼ばれ、年に数回ほど行われているが、
現役の首相が皇太子と一対一で面会をするのは異例のことで、
政府は内容を明らかにしておらず、菅義偉官房長官も定例記者会見でノーコメントを貫いた。

マスコミ各社は〈5月1日に新天皇に即位されることを踏まえた対応とみられる〉(毎日新聞)、
〈皇位継承の流れを報告したとみられる〉(産経)などと伝えているが、
実際、安倍首相の面会の目的が「代替わり」に関する説明だけだったはずがない。
そこで話された内容は不明だが、少なくとも安倍首相にとっては、
直々に皇太子と会って話すという行為自体に価値があったのだろう。宮内庁担当記者がこう解説する。

「周辺では元号関連の調整をしたのではないかとも見られているが、それだけなら側近間で終わるはず。
わざわざ、皇太子と面会したのは、直接会うことで“取り込み”を図ったのではないでしょうか。
周知の通り、安倍政権と今の天皇皇后両陛下の関係は良くない。
安倍首相から見れば、皇太子の新天皇即位は皇室との関係を修復するまたとないタイミングですから」

本サイトでも何度も指摘しているように、天皇と安倍首相の関係は非常に悪い。
明仁天皇と美智子皇后は、安倍首相が推し進める改憲や歴史修正主義、
“沖縄いじめ”に対して不快感を抱き、釘を刺しているとしか思えないメッセージを発してきた。
一方、安倍政権は天皇の口をふさごうと、陰に陽にプレッシャーを与えてきた。

対立のはじまりは、2013年4月28日に政府主催で初めて「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」だった。
安倍首相は天皇と皇后を出席させたが、このときも天皇・皇后は事前段階から
周辺に拒絶感を吐露していたといわれている。
実際、2016年12月24日付の毎日新聞朝刊記事によれば、
〈陛下は、式典への出席を求める政府側の事前説明に対し、
「その当時、沖縄の主権はまだ回復されていません」と指摘されていた〉という。

そして2013年末、明仁天皇が誕生日に際した会見のなかで踏み込んだ“護憲発言”を行うと、
翌2014年の「正論」(産経新聞社)5月号に
「憲法巡る両陛下のご発言公表への違和感」と題した文書が掲載された。
執筆したのは、安倍首相のブレーンのひとりと言われる八木秀次・麗澤大学教授。
〈両陛下のご発言が、安倍内閣が進めようとしている憲法改正への
懸念の表明のように国民に受け止められかねない〉〈宮内庁のマネジメントはどうなっているのか〉と
明仁天皇の“護憲発言”を批判するもので、すなわち「改憲の邪魔をするな」という
安倍側からの圧力に他ならなかった。

また、「生前退位」に関しても、明仁天皇は少なくとも2015年の秋には
宮内庁を通じて官邸に伝えていたとされる。主な窓口は当時の風岡典之宮内庁長官と杉田和博官房副長官。
だが、官邸は難色を示した。翌年に控えていた参院選と改憲スケジュールへの影響、
そして天皇の地位や権威が揺らぐのではないかとの懸念から、「生前退位」問題を棚上げにしてきたのだ。

その結果、天皇側が出さざるをえなかったのが、2016年7月のNHKによる「生前退位の意向」のスクープと、
その後の明仁天皇による「おことば」だったわけだが、これに官邸は激怒し風岡長官を事実上更迭。
次長の山本信一郎氏を長官に繰り上げ、後任次長には
警察官僚出身で内閣危機管理監だった西村泰彦氏を充てるという“報復人事”を行なっている。

皇太子は秋篠宮が問題提起した「大嘗祭への国費拠出批判」にコメント拒否
その後も、「生前退位」をめぐる有識者会議では、
安倍首相が送り込んだ日本会議系のメンバーが明仁天皇を公然と批判するなど、
政権と天皇・皇后との溝はどんどん深まっていった。
事実、昨年10月23日に行われた「明治150年」を記念する式典に、天皇・皇后の姿はなかった。
この明治日本=大日本帝国を礼賛する政府主催式典は安倍首相の肝いり。
前述の西村泰彦次長は「政府からお声がけがなかった」としているが、
実際には、欠席には天皇と皇后の強い意向が背景にあったという見方が強い。

「安倍首相も当初は、陛下の周辺に様々なルートを使って働きかけてたいたようですが、
最近は懐柔するのを完全に諦め、自由な発言を封じるような動きばかりしていた。
毎日新聞のベテラン記者に月刊誌で暴露されていましたが、
オフレコの席で天皇を批判するような言動をしていたという話もありました」(前出・宮内庁担当記者)

そんな安倍首相がある時期から期待をかけ、しきりにアプローチしていたのが、皇太子だったという。
今度はベテラン皇室ジャーナリストがこう分析する。

「皇太子殿下は波風を立てるのが嫌いな性格ですし、雅子妃は小和田恆元外務省事務次官の娘で、
本人もエリート外交官で、政治的には安倍首相の考えに近い可能性がある。
しかも、皇太子夫妻は天皇皇后両陛下と距離をとっていますから、
安倍首相としては、皇太子夫妻なら取り入れると考えても不思議はない。
2016年に外務省出身の小野田展丈氏を東宮大夫にしたのもその一環といわれていますし、
ほかにも、別の外務省ルートを使って雅子妃にアプローチをしているという話もあります」

もしかしたら、安倍首相のそうした目論見はすでに成功しつつあるのかもしれない。
今月21日には、23日の皇太子の誕生日に際した記者会見が東宮御所で行われたが、
そこで記者から「大嘗祭のあり方」について質問を受けた皇太子は、
「今回政府が決定をした内容について、私がこの場で何か述べることは控えたいと思います」
とコメントを避けた。昨年、秋篠宮が「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか
「身の丈にあった儀式にすればよいと思う」と踏み込んだ発言を行ったのとは対照的だ。
皇室ジャーナリストがさらに続ける。
「秋篠宮殿下の発言は天皇陛下の意向を代弁したものでした。
皇太子殿下が立場上、明言できないのはわかりますが、婉曲的な表現さえなかったというのは、
安倍政権のアプローチが効いているのかもしれません。
いずれにしても、官邸は今後も、皇太子殿下への働きかけを強めていくでしょう。
とくに雅子妃に狙いを定めてくる可能性が高い。
もともと、雅子妃は結婚の際『皇室外交をしていただく』と説得されたといわれます。
これから官邸が、そうした雅子妃の自己実現を材料にして、皇太子殿下をコントロールしようとするかもしれない。
一方で、秋篠宮殿下は陛下の意志を継承しようとする。
安倍政権がご兄弟の対立をつくりだす構図になるかもしれません」(前出・ベテラン皇室ジャーナリスト)
いずれにしても、安倍首相は、平和主義や護憲の立場を示す明仁天皇の在位が終わり、
新たな天皇を即位させるときに一気に動いてくるだろう。引き続き注視する必要がある。
(編集部)
最終更新:2019.02.24 03:11
https://lite-ra.com/2019/02/post-4566.html

皇太子さま「ベレー帽を被ったら?」同窓会で見せたユーモア

皇太子さま「ベレー帽を被ったら?」同窓会で見せたユーモア
記事投稿日:2019/02/23 11:00 最終更新日:2019/02/23 11:00

2月23日に59歳の誕生日を迎えられた皇太子さま。
幼少期からのご学友である小山泰生(たいせい)さん(59)と乃万暢敏(のま・のぶとし)さん(59)、
学習院大学のゼミや音楽部で後輩だった竹内尚子さん(58)が、懐かしのエピソードを語り合った。

乃万「小山は幼稚園から殿下とご一緒だったわけだけれど、そのころから特別な方だと思っていた?」

小山「いや、実はそんな感覚はなかったんだ。
初めて東宮御所に招かれたときの話をよく聞かれるけれど、
だいたいほかの友達の家も大きいから、東宮御所だけが特別広いとも思わなかったよ」

――皇太子さまのことはなんとお呼びしていたのですか。

小山「幼稚園のときは『宮ちゃまとお呼びしなさい』と先生に言われました」

乃万「初等科では『宮さま』でした。中学になってからはすっと『殿下』ですね」


《少年時代は生真面目なご印象もあった皇太子さまが変わられたのは大学時代だったという》

小山「僕は大学は別でしたけれど、オックスフォードまで遊びに行ったこともあって、
殿下にとってイギリス留学は大きかったと思う。
オックスフォード大学から帰った殿下はずいぶんお変わりになって、リラックスした雰囲気だった。
あのころ、殿下と食事をご一緒したあと、よくみんなで東宮御所まで歩いたじゃない。
ああやって夜の街を歩くのは、オックスフォードのころの癖だったんじゃないかな」

竹内「なるほど」

小山「東宮御所の門まで行くと、いつもの御料車が待っているの。
歩いて帰ってきて、門に入ってから車に乗るわけで、あべこべなんだけど(笑)
何度も殿下の街歩きにはお付き合いさせていただきました。
殿下の大学時代については、乃万と竹内さんに話してもらいましょう」

竹内「乃万さんは、後輩の私たちから見ると『常に殿下のお隣にいる方』というイメージでした。
そのころから今の格好と同じ、ダブルの背広にきちんとしたネクタイで、
赤いポケットチーフをさしていらっしゃって。そんな学生いないでしょう」

小山「まさか殿下の同級生とは思わなかったでしょうね」

竹内「ええ。みんな『あの人は皇宮警察官よ』と言っていて、そう思い込んでいました(笑)」

乃万「実際に『週刊新潮』が『殿下はいつも皇宮警察の人を連れている』
『それは赤いポケットチーフでわかる』と書いていたんだ。まさしく僕のこと(笑)」

竹内「乃万さんが大学1年生のときからあの格好だったのですか?」

乃万「ええ、もちろん」

竹内「えーっ!」

小山「そうやって、殿下の『付き人』をあえて務めていたのは、
学校から『殿下の面倒をみてほしい』と言われたという経緯もあるわけだよね」

乃万「そう。殿下と同じ文学部史学科に入った男子学生の何名かが、
入学式の数日前に呼び出されて『殿下をサポートしてもらいたい』と言われて。
さらに『入学式では殿下の両脇に座ってほしい』と言うんですよ」

小山「ボディガード代わりでもあったのかな。あのころは過激な学生運動もまだ下火になっていなかったから」

乃万「もう覚悟を決めて殿下のお隣に座って。もちろん入学式は無事に終わったけれど、
今度は『これは大学が君たちに強制するものではないが、
できたら、殿下と同じ科目を履修してもらいたい』という話になった。
もう否応なくお付き添いすることになったのです」

《乃万さんたちは、療養中の雅子さまをお支え続けた皇太子さまのお姿も目撃していた》

乃万「’04年に殿下ご自身が、雅子妃殿下について
『人格を否定するような動きがあったことも事実』と会見で述べられました。
それから5、6年は相当な葛藤がおありだったのだろうと思います。
でも、それについて私たちがお聞きすることも、殿下が口にされることもありませんでした」

竹内「私のような後輩にも悩みなどはお話しになりませんが、
去年くらいから、殿下のとても明るく前向きなお気持ちを感じています。
『来年の一般参賀は、殿下が真ん中ですね』といったお話もしました。ただ、私は一度も行ったことがなくて……」


――皇太子殿下が即位されたら、一般参賀に行かれますか。

竹内「ええ。実は安田ゼミの同窓会でもそういう話題になり、
後輩が殿下に『大勢の参賀者の中から見つけてください!』とばかなお願いをしまして……。
そうしたら殿下が『ベレー帽なんかを目印にするのもいいかもしれない』と提案されたんです。
みんなで『何色がいいかしら』と話して、一番目立つ真っ白のベレー帽をお揃いで被りますと言ったら、
殿下も笑っていらっしゃいました。ゼミの同窓会には、殿下は毎年のように来てくださった、
私たちのたわいのない話にもお付き合いくださいます」

小山「ゼミのお仲間との交流を大切にしていらっしゃるのは、
今後も歴史学などの研究もお続けになりたいということなのでしょうね」

乃万「今年のお正月にも、私が殿下の『水問題』の研究についてお聞きしたら、熱心にお話くださいました」

小山「天皇陛下におなりになっても、ライフワークの研究はぜひ、続けていただきたいです」

https://jisin.jp/domestic/1714450/

儀式と憲法 その課題とは

NHK政治マガジン
2019年2月20日
儀式と憲法 その課題とは

「平成」に代わる新時代の幕開けまで、残すところ2か月余り。
新元号への関心は高まるばかりだ。
一方、前回の平成への代替わりの際は、憲法に定める政教分離の原則などをめぐって、大論争が巻き起こったが、
今回は国会論戦で取り上げられることもほとんどない。
政府は、前例踏襲を前面に着々と準備を進めているが、前回の課題は解消されたのか。議論すべきことはないのか。
有識者や国会議員へのインタビューを通じて、探った。
(政治部官邸クラブ 小口佳伸、後藤匡、清水大志)

前回は大論争だったが…
伝統的儀式と、憲法の国民主権や政教分離との整合性をどう図るのか。
かつて、国民的な大論争が巻き起こった大きな要因は、天皇の代替わりに関する規定が、
現在の皇室典範には詳細に明記されていないためだった。
皇位継承に伴う儀式は神道形式で行われるものが多い。
一方、憲法は、「国は、いかなる宗教的活動もしてはならない」と政教分離の原則を定めている。
当時の政府は、有識者からヒアリングを行いながら、宗教色を薄めるよう努めたが、
国会では与野党の間で意見が鋭く対立し、激論が交わされた。
とりわけ「大嘗祭」をめぐる政府の対応が政教分離の原則に反するとして、各地で裁判が起こされるなど、
平成という新たな時代は、式典と憲法の整合性をめぐる論争で幕開けしたとも言って良い状況だった。
今回の一連の儀式について、政府は、静かな環境で議論を進めることを重視する姿勢を強調し、
つつがなく儀式を終えることを目指している。
こうしたことも影響したのか、統計不正問題をめぐる論争とは対照的に、
皇位継承と憲法との関わりについては国会でも大きな議論とはなっていない。
では今回の皇位継承をめぐる一連の儀式をめぐって課題や論点はないのか。
取材を進めるとさまざまな課題が浮き彫りになってきた。

最初の儀式「成年男子に限る」
皇位を継承した新天皇が最初に臨む儀式が「剣璽等承継の儀(けんじとうしょうけい)」だ。
この儀式は、戦前の大日本帝国憲法下では「剣璽渡御の儀(けんじとぎょのぎ)」という名称で、
明治から大正、大正から昭和への代替わりの際に行われた。
この際に新天皇に「供奉(ぐぶ)」、つまり付き従う皇族は、成年の男性皇族に限られていた。
政府は、今回も供奉するのは成年の男性皇族に限ることを決めた。
一方、閣僚などは、男女の区別なく参列することを認めることにした。
前回・平成の代替わりの際には、参列者は男性だけだったが、
政府によると、これは女性閣僚がいなかったからで、参列を認めていなかった訳ではないという。

女性閣僚はOKで、女性皇族はダメ
成年の男性皇族に限ると決めたことについて、
皇室制度や元号について詳しい京都産業大学の所功名誉教授は「大変に遺憾だ」と述べた。
その理由として、所氏は、天皇の地位を継げるのは男系男子に限られているが、
天皇が重い病気の場合などに代役を務める摂政(せっしょう)や国事行為の臨時代行には、
女性皇族が就く場合があることから、儀式を見ておくことは必要なことだとして、
女性皇族の参加を認める必要があったと主張した。
そして、政府が女性の閣僚などの参列を認めたことを踏まえて
「天皇という存在の継承をしっかり見守るという意味において、閣僚であろうと、皇族であろうと関係ない。
政府なり宮内庁が柔軟に考えて欲しかった」と述べた。
また、未成年の皇族が出席できない点についても
「戦前、未成年の昭和天皇が、大正天皇の即位礼に出ている」と指摘し、
判断能力や理解力がある未成年皇族の陪席も認めるべきだと指摘した。
日本近現代史が専門の静岡福祉大学の小田部雄次名誉教授も
「戦後日本の男女平等という考え方に直結する問題だ。
日本国憲法が定める男女平等と皇室の伝統が同じ土俵に乗せられていることに、違和感を覚える」と指摘した。
「日本人のライフスタイルと皇室の常識が随分かけ離れてしまっている。
儀式への参加を、成年の男性皇族に限るのであれば、女性閣僚の参列も認めないという遠慮が必要だった」
これに対して、自民党内でも保守的な立場を取る木原稔衆議院議員は
「皇位継承権のある男性皇族のみが参列するというのは、
皇室の長い歴史・伝統に基づくもので、それに配慮することは必要だ」と理解を示した。
さらに女性の閣僚などの参列についても「男女平等」という時代の要請に基づいた対応だとして、
賛同する考えを示した。

三種の神器「宗教的」か「もの」か
憲政史上、初めて行われる「退位礼正殿の儀」と「剣璽等承継の儀」の際、
侍従が、歴代天皇に伝わる剣と曲玉、それに国事行為の際に印として使う国璽と御璽を持って入り、
儀式が執り行われる部屋の中に置くことが決められた。
これについて小田部氏は「国民主権の観点から違和感があり、違憲の疑いがある」という認識を示した。
「平成になった際、慌ただしく行ったやりかたを議論なく踏襲してしまった。
皇室が皇位継承の神器を受け取るのは構わないが、国事行為とされてしまっている。
神器の承継だけ皇室が私的行事として行い、
それから国爾と御璽を受け取るという形で分離することもできたはずだ」と指摘した。
また、日本共産党の政策委員長を務める笠井亮衆議院議員も、剣璽というのが天皇の地位の証明であって、
その継承が代替わりと一体のものだというのは、これは戦前の旧皇室典範の規定だと指摘。
現行憲法の国民主権、政教分離の原則から剣や曲玉は置くべきではないと主張した。
一方、所氏は「いまの剣璽は神器ではない。
皇室経済法には、皇位とともにつたわるべき由緒あるものは、これをただちに継承するという規定がある。
あくまで皇位の継承に伴う『もの』にすぎない」
「天皇と一体であるべき宝器(レガリア)を常に身近に置くということは、皇位の正統性を保証するものだ。
宗教性がなく、大切にしてきた『もの』をセレモニーとして運んでおくことは必要だ」として、理解を示した。
木原氏も、剣璽は神器ではないとした上で
「天皇陛下の即位の礼の時も、会場に剣璽が安置されていたのだから、
退位される時も陛下とともにある剣璽を置くことに問題はなく、きわめて自然なことだ」と述べ、
問題がないという認識を示した。
こうして見てみると、剣や曲玉を、皇位継承に伴う「もの」と見るか、
宗教色の強い「三種の神器」と捉えるのかが争点となっていることが分かる。
儀式の宗教色を指摘した、小田部氏と笠井氏は、政府が「剣璽等承継の儀」を国事行為としたこと自体にも、
憲法上問題があると指摘し、議論を深めるべきだったと主張している。

「大嘗祭」めぐる根強い違憲論
前回・平成への代替わりの際、訴訟が相次いで提起されたのが「大嘗祭」(だいじょうさい)だ。
「大嘗祭」は、新天皇が即位後初めて、新しく収穫された米などを天照大神とすべての神々に供えた上で、
みずからも食べて国と国民の安寧や五穀豊穣などを祈る儀式だ。
毎年11月に宮中祭祀として行われる「新嘗祭」(にいなめさい)という儀式がある。
この儀式の名称を変え、即位後、初めて大規模に行うものが「大嘗祭」で、
皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式とされている。
「大嘗祭」について、政府は、前回同様、皇室の公的な資金である宮廷費から費用を支出し、
皇室行事として行うことにしていて、前回、訴訟が相次いだことについては、
いずれも国などが勝訴しており、憲法上、問題ないとしている。
しかし、宗教関係者や大学教員など240人余りが去年12月、
「大嘗祭」や「即位の礼」など、皇位継承に伴う一連の儀式に、
公的な費用を支出することは政教分離を定めた憲法に違反するとして、
国に対し、支出をやめるよう求める訴えを起こした。
また、秋篠宮さまは、去年11月、憲法の政教分離の観点から
天皇の生活費などにあてられる「内廷費」から費用を支出すべきだという考えを示した。
皇族が公の場で、政府の決定と異なる意見を述べるのは極めて異例のことだ。
笠井氏は、政府は宗教色が強いとして「大嘗祭」を国事行為にはしていないが、多額の宮廷費を使う以上、
「事実上の国家的行事だ」と指摘し、憲法の国民主権・政教分離の原則に反すると厳しく批判した。
その上で、秋篠宮さまのご発言については、「皇室行事として宗教色の強い儀式であって、
これに国費を支出するのは妥当かと言われたのは道理にかなった発言だ」と評価した。
これに対し、木原氏は、大嘗祭は、五穀豊穣や国家の安寧を祈る公的性格が強い儀式で、
費用を宮廷費から捻出することについて何ら問題ではないと指摘した。
そのうえで、秋篠宮さまの発言について、最初は驚いたとしつつ、
「総合して秋篠宮さまのお気持ちを考えると、
経費、国費を節約して簡素化を求められた発言だと捉えている」と理解を示した。
一方、所氏は、大嘗祭について、宗教色はあるものの皇位継承に伴って行うもので、
強い宗教性は有しておらず問題はないと主張した。
その上で、秋篠宮さまの発言については
「お立場からいろいろな考えがあっておっしゃられたことだと思う」とした上で、
「(秋篠宮さまは)『宗教性が強い』とか、『強い宗教性を有する』とか2回も言っておられるが、
これは明らかに誤解というより認識不足だと思う」と指摘した。
「大嘗祭」は、憲法に定める政教分離との関係で、前回の訴訟の判決が確定してもなお、
根強い議論があることが分かる。

女性宮家の創設は
天皇陛下の退位に向けた特例法の採決にあたっては、皇族の減少が進む中、衆参両院の委員会で、
安定的な皇位継承を確保するための課題や女性宮家の創設などについて、
政府に速やかに検討することを求める付帯決議が可決された。
政府は、皇族数の減少の問題は先延ばしできない重要な課題だとしつつ、
女性宮家をめぐる議論が進んでいる形跡は見られない。
小田部氏は、秋篠宮さまが皇位継承順位1位を意味する「皇嗣」になられることを
広く国民に明らかにする「立皇嗣の礼」が、皇位継承の一年後となる来年の4月19日に行われることで、
女性宮家や女性天皇の議論が置き去りにされてしまうと指摘する。
「女性宮家や女性天皇の問題を議論しないまま、式典という形で道筋を決めていいのか。
政治家や官僚は、機会主義的な態度で目の前の式典をどうするかということばかり考え、先のことを見ていない」
そして「立皇嗣の礼」を通じて、秋篠宮さまに続いて、
悠仁さまに皇位が継承されていくという道筋が示されたことになりかねないという考えを示した。
小田部氏は、皇室が、皇族数の減少などの課題に直面する中、
皇室のあり方を考える機会を奪ってはいけないとして、
「立皇嗣の礼」を行うのは、もう少し後でも良かったのではないかと主張する。
笠井氏は、象徴天皇制のあるべき姿について、国民が主体となって議論することが重要だと主張した。
象徴天皇制は、新憲法下での新しい概念であり、過去の歴史にとらわれる必要はなく、
女性宮家の創設なども含めて活発な議論をすべきだと強調した。
これに対して、木原氏は、「歴史と伝統を継承していくことが原則だ」として、
皇位継承を男系男子で維持すべきだという考えを示した。
過去に議論に浮上した女性宮家の創設の前に、たとえば女性皇族が、
結婚後も引き続き皇室活動ができる仕組みをつくるなどして、
状況をみながら必要に応じて少しずつ制度を変えていくべきだと訴えた。

国民的議論を求める声
政府の対応に批判的な立場に立つ小田部氏は、取材の最後に、
「いろいろ批判したが、一連の儀式を『やめろ』と言っているのではない。
政府は、国民とともに皇室の課題を考える場を作るなどして、
残された課題を次の時までに議論して欲しい。それを強く願う」と述べた。
また笠井氏は「今回の式典は前例踏襲が多いが、平成への代替わりの際に、
現行憲法下での十分な検討は行われたとは言えず、象徴天皇制の下で、
国民主権と政教分離という原則がある中で、
どういうあり方がいいのか立場の違いを超えて議論すべきだった」と指摘した。
皇位継承まで2か月余り。「平成」が終わり、新しい時代の幕が開ける。
政府は先月、憲法の定める国事行為として、
憲政史上初めて行う天皇陛下の退位の儀式「退位礼正殿の儀」や、
新天皇が歴代天皇に伝わる剣や曲玉などを受け継ぐ「剣璽等承継の儀」の次第概要などを決定した。
しかし、前回・平成への代替わりの際に浮上した課題は、
今回の代替わりでも、解消されないまま残っているようにも見える。
こうした課題に、どのように向き合っていけばよいのか、皇位継承に向けて引き続き取材をしていきたい。
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/14392.html

週刊朝日2019年1月18日号 保阪氏×岩井氏

続く皇室からの発信 雅子さまに触れなかった意図は?
永井貴子2019.1.9 07:00

天皇陛下の涙の誕生日会見や秋篠宮さまの大嘗祭(だいじょうさい)発言など、
代替わりを目前に控えたいま、皇室からの発信が続いている。
歴史から皇室のあり方を読み解くノンフィクション作家の保阪正康氏と、
宮内庁取材の第一人者である元朝日新聞編集委員の岩井克己氏が語り合った。

■「長官は聞く耳を持たなかった」 秋篠宮さま発言に込められた深謀遠慮

保阪:あの会見で、秋篠宮さまは記者の質問に答える形ではなく、意図して大嘗祭の話題を切り出しました。
天皇陛下と皇太子さま、秋篠宮さまの三者会談で事前によく意思を確認し合っていた、という印象です。

岩井:そもそも、大嘗祭については、昭和天皇も私的なお金の内廷費を積み立てて行うべきものと考えていました。
さらに、弟の高松宮も「大嘗宮を建てなくても、毎年の新嘗祭(にいなめさい)を行っている
神嘉殿(しんかでん)でやればいいじゃないか」と話すなど、政教分離のけじめをつける前提で考えていた。

憲法の定める政教分離の原則に照らして、大嘗祭への国費支出が合憲かどうか、いまだ議論は尽くされていません。
前回、内閣法制局は「公的色彩のある私的行事」という強引でグレーなカテゴリーを作り、
大嘗宮建設などに22億円もの国費を支出した。批判は消えていないし、
大阪高裁も「違憲の疑いは一概には否定できない」と指摘しています。

保阪:なのに官邸は、前例踏襲で議論をしないまま進めてしまった。

岩井:秋篠宮さまの発言は、皇室内でもこうした意見があるのだと、
記録にとどめておこう、という意味の発信だった。

大嘗祭に反対というわけではない。既に大嘗宮の造営が決定している兄の即位儀式に波風を立てたいのではない。
将来、秋篠宮さまが即位する場合は、政教分離のけじめをつけたいという宣言だったのでしょう。

保阪:なるほど。ところで、山本信一郎宮内庁長官への「聞く耳を持たなかった」というのは、
普通であればケンカごしの強い言葉です。秋篠宮さまは、言葉の強さをどこまで意識していたのか。

岩井:あれは、秋篠宮流の深謀遠慮でしょう。

つまり、早々と「前例踏襲」の方針を固めていた官邸に対し、
山本長官がのっぴきならない立場に立たされないよう、あえて「長官にスルーされた」と発信し、
山本長官が「申し訳なかった」と応じ、官邸と皇室との「平行線」を印象づけたのだと思います。

■天皇誕生日涙の会見で皇太子妃に触れなかった理由/明確化したい雅子さまの皇室行事参加ルール

岩井:涙もろくなられた。沖縄の犠牲に触れたあたりから感極まられた。
沖縄については、退位後も心を寄せるとの気持ちまで述べられている。一生懸命やってこられたのだと感じました。

ぎょっとしたのは、30年を振り返る中で、
「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」という一語が出てきたこと。
近現代4代の天皇のうち、在位中に戦争がないのは平成が初めてですが、「安堵」と表現したのが、すごいなと思いました。

保阪:生前譲位だからこそ、こうしたことが言えたわけです。
明治、大正、昭和の天皇が「生前譲位」をしていたら、どう言ったのだろうかと興味がありますね。

気になったのは、天皇は「安堵」の直前に、「先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、
このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、
戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切」と話した部分です。
つまり、戦争と犠牲、そして沖縄を忘れず、「正しい歴史」を継いで、若い人に理解してほしいというメッセージです。
一般的に「正しい」という主観的な表現がいいとは思わない。
しかし、この会見には自分でつくってきた天皇像への自負が込められており、
歴史的な透視力のあるプロパガンダだと理解できました。

天皇陛下は、誕生日のメッセージの終わりに、新しい皇室について、
「天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、
皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います」
と皇太子さまと秋篠宮さまを出す一方で、皇太子妃である雅子さまについては、触れていませんでしたね。

岩井:伴侶の皇后について大変な支えであったと万感こもる感謝のことばを出しているのに。

保阪:あまり指摘されていないが、しっくりこないとの声もあるでしょう。本質的に重要なところだと思ったけれど。

岩井:触れると本人たちの負担になると、そう解釈するしかないですよね。

保阪:代替わり後のことだけど、雅子さまはどうなるのか。
たとえば宮中祭祀には、ほとんど出席なさっていませんね。
祭祀は、合理性や理屈では成立しない、近代知識で納得することが難しい面があるし……。
しかし、雅子さまは「どうして、こうする必要があるのか」と、頭で考えるタイプなんですね。
皇室の伝統や務めに対して。

岩井:最近、皇太子妃殿下も状態が良くおなりになって、
全国赤十字大会や「みどりの愛護」のつどいにもお出になったし、
15年ぶりに園遊会も最後まで出席なさったと報じられています。
ですが、皇太子さまお独りのものも含めても、皇太子ご夫妻が地方や外国にお出かけになるのは、
年間を通じて秋篠宮ご夫妻の半分ぐらい。そんな大勢はさほど改善されていない。

雅子さまは代替わりについて、「身の引きしまる思いが致します」とおっしゃっているけれども、
皇后の仕事のご負担は、量的にも質的にも、皇太子妃時代とは、ケタ違いに重くなる。
祭祀に至っては、長期療養に入ってからの15年間で皇太子妃の出番は300回くらいあったはずですが、
出席はわずか2回です。
このままでは、皇后は出ないが、皇嗣妃の紀子さまは出るという、深刻な問題が起きかねない。
東宮の機能不全が続いている現状について国民の理解を得ないままごまかして、
代替わりへと進めば、平成はじめの皇室バッシングのような批判が再び噴出しないとも限らない。
十分に承知した側近や宮内庁幹部が心してかかり、主治医が責任ある説明をていねいに重ね理解を求めないといけない。
まず今年、代替わりの重要な儀式を乗り越えられるか。
そしてその後の「新時代」にどのような軌道を敷いていくか。
皇后はあまり表には出ないというパターンをつくるならつくるで、はっきりさせることが重要だと思う。
ヨーロッパの王室のようにごくたまに国民の前に出てきて手を振るというのなら、それも仕方ない。

保阪:そんな時代になるのかもしれませんね。

(構成/本誌・永井貴子)

※週刊朝日  2019年1月18日号
https://dot.asahi.com/wa/2019010800044.html?page=1


「悠仁さまは2回、いまの天皇を救った」元朝日新聞編集委員が思う理由
永井貴子2019.1.11 06:00

平成皇室の30年が終わりに近づき、皇室のあり方などが議論されている。
歴史から皇室のあり方を読み解くノンフィクション作家の保阪正康氏と、
宮内庁取材の第一人者である元朝日新聞編集委員の岩井克己氏は、歴史の重みが継がれていくのか語り合った。

■過去の歴史の重みはどのように引き継がれるのか

岩井:保阪さんは昭和史の第一人者として、昭和の歴史、平成の歴史、その中で皇室についていろいろと取材し、
関係者の証言を積み重ねてこられました。
皇室側が歴史を正しく継承しなければならないと、皇太子家も秋篠宮家も子どもたちに聞かせたり
体験させたりしてらっしゃるが、こういう言い方をする人もいる。
「今の天皇はトランジットエンペラーだから昭和の負の遺産を清算するんだ。
そして次の世代は明るい屈託のない皇室であってほしい」と。
ですが、そんな軽いものではなく、過去にこんな重いことがあったのだ、
という事実を引き継がなければ皇室は成り立たない。そんな思いもあります。
ですが、そもそも引き継ぐことが可能なのでしょうか。

保阪:今の天皇は当然引き継いでいる。
記者会見で「私は昭和天皇の言うことがわかるようになりました」と述べていた。

今の天皇は自らにも、天皇の名前や地位、それ自体のなかにも戦争に伴う責任があるのだと、
直接、間接を問わず、思っているでしょう。やはりあの名前において、
何百万人も死んだ。直接命令したわけではなくとも、歴史的史実に対し、
父親である昭和天皇が責任を背負い込むのと同じように、今の天皇も感じていると思うんですよ。

岩井:両陛下がそうした問題について、自らができることは何だろうと日夜考え続けるのは本当に大変なことです。
ましてや死者たちの記憶を胸にとどめることがいかに大変なことか、察するにあまりあります。

保阪:昭和天皇は御学問所で教育を受けて帝王学を学んでいて、
「あなたの名前でいろんなことを行うけれど、それは国家の一機関として行うのであって、
あなたの人格や性格は関係ない、別問題なのだ」と言われ続けた。
今の天皇はそうした教育を受けていないから、天皇という名において行われること全体が、
自分の形として歴史を受け継ぎ、責任を背負い込むとのお考えだと思います。
だから追悼をする。それは心理的な清算なのだと思う。沖縄に行く、満蒙開拓平和記念館に出かける。
そして全国を島々まで回る。国民の声に耳を傾けたいと言うけれど、
国全体を戦争に巻き込んだことへの贖罪(しょくざい)意識があるのではないかと思えます。

ただ、沖縄やサイパンを訪問し、犠牲者のために祈るのは霊に対して祈るのか、
戦争に対する忌避の感情、憎しみ、繰り返してはいけないと誓うためなのか。
その考え方はまだ十分に知らされていない。

岩井:皇室としてそれをどうすべきか。次の天皇が考えていくのか。

保阪:考えるようになった瞬間、言葉と対応が違ってくるでしょう。
戦地に行って慰霊する意味を天皇は説明する義務があるわけです。
説明が単なる戦跡を訪ねて黙祷を捧げる、その行為だけで判断してほしいというだけでは済まないと思いますよ。
戦争の本質を天皇の人格やメッセージからどう読みとるか。

岩井:次の天皇となる皇太子さまは、天皇陛下、秋篠宮さまとの「三者会談」でどのように話し合われているのか。
近年、日本の繁栄は平和憲法によると繰り返しておられるが、それを引き継いでどのように実践するのか。
片鱗(へんりん)でもいいから胸中を国民に示していただきたい。
これから代替わりで発信する機会はいろいろとあるわけですから。その意識は孫の世代にまで伝わると思いますか。

保阪:孫に引き継ぐべきかという問題について僕は……。
そういえば、ある研究者が、秋篠宮家の悠仁さまに歴史について教えたことがあると聞きました。
6年生だけど、ものすごく勉強しているそうです。
悠仁さまは「どうして日本に原爆が落ちたのか」「どうして戦争になったのか」といくつも質問をしてきて、
その研究者はその経緯を易しく説明したそうです。
秋篠宮さまは、「統帥権」問題などについても質問し、紀子さまはそばでメモをとるなど、
親子で一生懸命勉強している様子がうかがえたようです。

岩井:悠仁さまは2回、いまの天皇を救ったと、僕は思っている。
ひとつは、小泉内閣で女性・女系天皇の論議が国論分裂に至ったタイミングで、生まれたとき。

保阪:悠仁さまが誕生したとたん、国を二分した議論は、ピタリと収まった。見事なほどでしたね。

岩井:2回目は、葉山の御用邸で陛下が孫の悠仁さまを和船に乗せたときです。
昭和天皇の和船に乗せて、一生懸命にこいで発作が起きたことで心臓病が明らかになり、
冠動脈バイパス手術で乗り切れた。そしてここまで、頑張れたのだと思う。

保阪:5月の代替わりまでわずか4カ月です。時代とどう向きあうか、
平成の天皇とどのような共通点があり、相違点があるのか。
皇統を守る「目的」のためにどのような「手段」が考えられていくのか、名実ともに問われていくように思います。

(構成/本誌・永井貴子)

※週刊朝日  2019年1月18日号
https://dot.asahi.com/wa/2019010900048.html?page=1

秋篠宮さま「異例の疑義」に批判的な読売、理解を示した朝日


MAG2 NEWS
2018年12月03日 07:54
秋篠宮さま「異例の疑義」に批判的な読売、理解を示した朝日
53歳の誕生日を迎えられた秋篠宮さまの、大嘗祭への公費支出に疑問を呈されたご発言が波紋を呼んでいます。
「憲法上の問題」を巡り専門家の意見も大きく割れていますが、新聞各紙はどのように扱ったのでしょうか。
ジャーナリストの内田誠さんが自身のメルマガ『uttiiの電子版ウォッチ DELUXE』で詳細に分析しています。

秋篠宮さまの「大嘗祭への公費支出に疑問」を新聞各紙はどう伝えたか

◆1面トップの見出しから……。
《朝日》…「大嘗祭 国費支出「適当かどうか」」
《読売》…「『保存・修理・公開』一体に」
《毎日》…「仏、日本に首脳交渉要請」
《東京》…「大嘗祭 公費に異議」

◆解説面の見出しから……。
《朝日》…「秋篠宮さま『政教分離』発言 波紋」
《読売》…「徴用工 賠償判決の流れ」
《毎日》…「民間力導入 水道分岐点」
《東京》…「政府決定に異論 波紋」

【基本的な報道内容】
秋篠宮さまは53歳の誕生日を前に会見し、天皇の代替わりに行う皇室行事である大嘗祭について、
政府は公費を支出すべきではないとの考えを示した。
この考えを宮内庁長官らに伝えたが「聞く耳を持たなかった」として、「非常に残念なことだった」と述べた。
政府が決定した方針に、皇族が公の場で疑義を呈するのは異例。
秋篠宮さまは来年5月の天皇代替わり後、皇位継承順位1位で、皇太子待遇の「皇嗣」となる。

前回、90年に行われた大嘗祭では公費である宮廷費22億5000万円が使われたため、
「政教分離に反する」との批判があった。今回も政府は「宗教的性格」を認めつつ、
「伝統的皇位継承儀式で公的な性格がある」として宮廷費から支出することを決めている。
秋篠宮さまは公費である「宮廷費」からではなく、私費である「内廷会計」で賄う、
「身の丈に合った儀式」にすべきとの考えで前回から同様の意見を述べていたという。
秋篠宮さまによれば、天皇陛下からは、即位関係の儀式などは皇太子さまとよく相談して進めるよう伝えられていて、
「ご理解を頂いて進めている」としている。
宮内庁の山本長官は「聞く耳を持たなかったと言われるとつらいが、
そのようにお受け止めになったのであれば申し訳ない」と話している。


秋篠宮さまの会見での発言の該当部分
具体的にもし言うのであれば、例えば、即位の礼は、これは国事行為で行われるわけです、その一連のものは。
ただ、大嘗祭については、これは皇室の行事として行われるものですし、ある意味の宗教色が強いものになります。
私はその宗教色が強いものについて、それを国費で賄うことが適当かどうか、
これは平成のときの大嘗祭のときにもそうするべきではないという立場だったわけですけれども、
その頃はうんと若かったですし、多少意見を言ったぐらいですけれども。
今回も結局、そのときを踏襲することになったわけですね。もうそれは決まっているわけです。
ただ、私として、やはりこのすっきりしない感じというのは、今でも持っています。
整理の仕方としては、一つの代で一度きりのものであり、大切な儀式ということから、
もちろん国もそれについての関心があり、公的性格が強い、ゆえに国の国費で賄うということだと。
平成のときの整理はそうだったわけですね。
ただ、今回もそうなわけですけれども、宗教行事と憲法との関係はどうなのかというときに、
それは、私はやはり内廷会計で行うべきだと思っています。今でも。
ただ、それをするためには相当な費用が掛かりますけれども。
大嘗祭自体は私は絶対にすべきものだと思います。ただ、そのできる範囲で、
言ってみれば身の丈にあった儀式にすれば。
少なくとも皇室の行事と言っていますし。そういう形で行うのが本来の姿ではないかなと思いますし、
そのことは宮内庁長官などにはかなり私も言っているんですね。
ただ、残念ながらそこを考えること、言ってみれば話を聞く耳を持たなかった。
そのことは私は非常に残念なことだったなと思っています。


渾身の問題提起
【朝日】は1面トップに2面の解説記事「時時刻刻」、33面会見要旨、35面にも。見出しから。
1面
大嘗祭 国費支出「適当かどうか」
「宮内庁 聞く耳を持たなかった」
秋篠宮さま、皇位継承行事巡り
2面
秋篠宮さま「政教分離」発言 波紋
大嘗祭 公費支出すべきでない
私費が妥当か なお賛否
「政治的発言」疑問視も
深まらぬ議論に一石(視点)
35面
婚約 現状では「できない」
眞子さま・小室さんめぐり 秋篠宮
「考えながら務めを」 皇嗣へ抱負

uttiiの眼
《朝日》は秋篠宮さまの発言に理解を示しつつ、様々な見方を伝えている。
2面「時時刻刻」は例によって“時系列”的な記述で、
秋篠宮さまの会見の周辺情報を伝えた後、専門家らの評価を書き並べている。
横田耕一氏は「大嘗祭は宗教儀式。公金を使うことは政教分離を定めた憲法に照らして許されない。
発言はもっともだ」という。

島薗進氏も「大嘗祭への公費支出は日本の立憲体制にそぐわない。
秋篠宮さまは皇室の神道行事が戦前のように国家行事的な性格を持つことを懸念し、
政府や国民に問題提起したのでは」と推量。
反対に批判的なのは所功氏で、「大嘗祭は皇位継承の伝統行事として、
公費を支出した前回の方法はおおむね国民の了解を得ている」と、
また「大嘗宮の建設だけでも莫大な費用が掛かり、内廷会計(私費)ではまかなえないのでは」とも。
また、秋篠宮さまの発言自体を「政治的発言」とみるかどうかについても議論が分かれている。
今回秋篠宮さまは、即位の礼など「国事行為」に意見を述べることはできないが、
「皇室の行事」である大嘗祭については「私の考えというものもあってよいのでは」と前置きして持論を述べている。
これについて河西秀哉氏は、「政府の決定に公の場で異論を唱えており不適切だ」と明確に否定している。

他方、横田耕一氏は「憲法の制約を受けるのは天皇のみで、皇族は政治的発言が可能」という。
しかも、今回の発言は決定済みのことについての意見で、問題ないとする。
山本宮内庁長官が「政治的発言ではない」としているのも同じ意味合いのようだ。
秋篠宮さまを含め、天皇家の人々は、まともな感覚を保持している人たちだなあとつくづく思う。
象徴天皇の代替わりという国家的な行事に対応するのは「即位の礼」であって、大嘗祭などの宮廷行事は宗教的な行為。
節約という意味はむしろ副次的で、本来の行事の伝統性を厳格に守るためにも、そ
のような切り分けが必要という面もあるだろう。
2面記事の末尾には皇室担当キャップ・島康彦記者による「視点」が付いていて、
それによれば、昭和天皇は生前、内廷費を節約して積み立ててはどうかと話したことがあり、
弟の高松宮さまなどは「大嘗宮を建てなくてもいいのでは」とまで言っていたらしい。
秋篠宮さまは、宮内庁が「聞く耳を持たなかった」と言ったが、
政府は戦後ずっと、天皇家の人々からの呼び掛けに「聞く耳を持たない」状態だったとは言えまいか。
このことこそ、そうした政府の姿勢こそ、天皇の「政治利用」と見做すことも可能だろう。
秋篠宮さま自身は、来年の天皇代替わりとともに皇嗣となる身。
今回の発言は、ほとんどラストチャンスと見定めての、渾身の問題提起だったのではないだろうか。

秋篠宮さまに対して「批判的」なトーン
【読売】は1面左肩に2面の関連記事、35面に会見要旨と特集、38面にも関連記事。見出しから。
1面
秋篠宮さま53歳
大嘗祭への公費支出 疑問視
2面
秋篠宮さま
異例発言 戸惑う宮内庁
公費支出 変更せず
38面
小室さん側へ「相応の対応を」
週刊誌報道 説明求める

uttiiの眼
1面記事は「本記」的な内容だが、気になる表現があった。
秋篠宮さまが大嘗祭は絶対にすべきだが「身の丈に合った儀式で行うのが本来の姿」だとし、
「聞く耳を持たなかった」宮内庁長官に苦言を呈したとした後、
「新天皇として大嘗祭に臨む皇太子さまは、公費支出を了解されている」と書いている。
これは、「了解している」と発言したという意味だろうか。
主催者である新天皇が、政府が決めた支出に対して「了解している」という意味の発言を
敢えて行うようなことがあったのではあれば、ニュースになっていると思うが…。

2面の記事は、秋篠宮さまに対する、かなり批判的なトーンの記事になっている。
まず、宮内庁長官は「大嘗祭は皇位継承に伴う重要な、伝統的な儀式で、
平成の代替わりで様々な議論を経て公費支出が決まったと、秋篠宮さまに説明してきた」として、
政府、宮内庁側の「努力」を強調。それに納得しない頑迷固陋の秋篠宮さまという印象が
文章の裏側に滲む書き方になっている。

さらに、平成の大嘗祭に対する訴訟は最高裁の判決が確定していて、
「憲法問題は決着済みだ」と畳みかける。平成の大嘗祭の費用は22億円かかり、
「秋篠宮さまが言及された内廷会計内の貯蓄を充てても、規模の縮小など、
大幅な見直しを迫られる」とする(秋篠宮さまは「身の丈に合った」という言い方で、
まさに規模の縮小を望んでいるのだが…)。

発言の政治性についての専門家の意見も、秋篠宮さまに「同情的」という小田部雄次氏を別とすれば、
政治的な発言として問題視するという八木秀次氏、
「憲法違反とまでは言えないが、皇族の行動規範がないため、こうした発言が問題になる」と指摘したという
「別の憲法学者」まで、批判的な評価が並んでいて、「問題ない」という有力な意見が全く紹介されていない。
全体にかなりバランスを失した記事内容になっている。

問題提起は8月から始まっていた
【毎日】は1面左肩と社会面30面に関連記事。見出しから。
1面
大嘗祭に公費 違和感
秋篠宮さま「宗教色強い」
小室さん側は相応の対応を
眞子さま結婚延期
30面
秋篠宮さま 問題提起
大嘗祭へ公費 国民負担増も懸念
皇族の言動 過去にも注目
紀子さま「見守りたい」
眞子さまへの思い語る

uttiiの眼
《毎日》は比較的サラッとした報道ぶり。
実は、今年8月末に、秋篠宮さまが大嘗祭に公費を支出するべきではないという考えを
宮内庁幹部に伝えていることが分かったというスクープ記事を掲載していた。
他誌の後追いはなく、続報もなかったが、今回と全く同じ話を《毎日》が報じていたわけだ。
1面記事は、秋篠宮さまの今回の発言について、
「皇族が政府の判断に否定的な見解を公言するのは珍しい」と書いていて、
こうしたケースではつい「異例」と書きたくなるものだが、「珍しい」という柔らかい表現を選んでいる。
30面記事の大見出しは「秋篠宮さま 問題提起」となっていて、発言に理解を示す、
《毎日》の姿勢が出ている。さらにリードには、大嘗祭への公費支出について
「懸念を抱いていることは、これまでも関係者への取材で明らかになっていたが、
来年5月に皇位継承順位1位の皇嗣となる皇族が公言する意味は重い」として、
発言の意義を積極的に捉えている。因みに、「これまでも関係者への取材で明らかになっていた」という部分が、
上記した8月末のスクープに対応している。
30面記事の後段はこれまでも注目された皇族の発言のなかから、
三笠宮さまが紀元節を「建国記念の日」として復活させることに反対したこと、
三笠宮さまの長男、寛仁親王が女性・女系天皇容認論に異を唱えたこと、
そして秋篠宮さまが天皇の定年制に言及したことを挙げている。
最後に今回の秋篠宮発言についての専門家の評価として、「問題とは思わない」という高橋和之氏と、
表現に配慮すべきだったとする所功氏の意見を紹介し、バランスを取っている。

憲法上の問題はないのか
【東京】は1面トップに2面の解説記事「核心」、6面に会見詳報、31面にも関連。見出しから。
1面
大嘗祭 公費に異議
秋篠宮さま「宗教色強い」
「宮内庁、聞く耳持たず残念」
平成大嘗祭 経費25億円
皇室行事 議論深める契機(解説)
2面
政府決定に異論 波紋
秋篠宮さま大嘗祭言及
「求められる中立 慎重に」
「皇族が発言 憲法上問題ない」
31面
大嘗祭発言に識者ら驚き・評価
前例踏襲 公的祭祀化を危惧
伝統儀式 政教分離抵触せず
秋篠宮さま会見
小室さん側は「きちんと説明を」
眞子さま結婚延期巡り

uttiiの眼
《東京》は、1面記事のリード末尾で、「皇族が公の場で、政府方針に異を唱えたのは極めて異例」としている。
また末尾に編集委員である吉原康和記者による「解説」があり、
記者は「憲法は天皇の国政関与を禁じているが、皇族についての明文規定はない。
皇族も天皇に準じて政治的発言は控えるべきだとの声はある。
だが、今回の発言は、皇室行事について皇族の立場から『身の丈に言った儀式が本来の姿』との考えを示したものだ。
本来、宮中祭祀を含む私的な皇室行事の中身については、皇室自身が決めるべきだ」と秋篠宮発言に理解を示している。
至極真っ当な考え方だと思う。
2面で注目されるのは次の記述。秋篠宮さまの発言は「税の使途に厳しい目を向ける庶民の感覚に近く、
歓迎されそうだ」としている部分。
バブル経済のただ中に、22億円超という巨費を投じて行われた前回の大嘗祭のようなものを否定し、
まさしく「身の丈に合った」ものを皇室の私的な行事として行いたいという感覚は、
やはり正常なものと言えるだろう。
また、秋篠宮さまの発言には、「節約」や、「公費支出を遠慮する」感覚を読み取ることも可能だろう。
勿論、それだけではないが。
2面記事は、この秋篠宮さまの発言が憲法上問題となるか否かについて、
対立する専門家の意見を紹介している。
南野森氏は、「天皇は政治的中立性が求められ、皇位継承順位が高い皇族も同様と考えられている」としなから、
「皇室の私的行事に関係者の1人として私見を述べたことは、ぎりぎり憲法上の問題はないとの評価も可能」」とする。
しかし同時に、「皇族が政府決定に異を唱えるようなことになると、
憲法の定める象徴天皇制との緊張関係が高まるため、発言は慎重であるべきだ」と指摘したというが、
否定から肯定へ、また肯定から否定へと評価が揺れていては、何が言いたいのか分からない。

一方、園部逸夫氏は秋篠宮発言が記者の質問に答えたものである点を捉え、
「所管や感想を述べることは当然あるし、発言すべきでないというなら会見する意味がない」と分かりやすい。
さらに、《朝日》も紹介していた横田耕一氏は「政治的権能を持たない象徴天皇とは違うので、
皇族が政治的発言をすること自体は憲法上の問題はない」と言い切っている。
《東京》が紹介している専門家は、リベラルに偏っているが、その中でもかなり厳しい意見の対立がありそうだ。
天皇制にかかわる議論の細部は、依然としてかなりの程度に論争的な分野になっていることが分かる。
今回の秋篠宮さまの発言は、天皇制を巡る様々な議論の、非常に微妙なところを抉ったということだけは言えそうだ。
https://blogos.com/article/342649/

庶民の暮らしを知るために… 美智子皇后「お忍び日記」

庶民の暮らしを知るために… 美智子皇后「お忍び日記」
2018年11月3日 7時0分 FRIDAYデジタル
https://friday.kodansha.ne.jp/other/106078

10月20日、84歳の誕生日に「おことば」を発表された美智子皇后。
退位を半年後に控えている今回が、皇后として最後の誕生日ご感想となるが、
そこでは、〈読み出すとつい夢中になるため、これまで出来るだけ遠ざけていた探偵小説も、
もう安心して手許に置けます。〉といった率直な気持ちが明かされている。

元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司氏は
「今回の文書回答を見て、皇后さまが映画試写会に来られた時のことを思い出しました」と語る。
「出演者との懇談で『子供の頃、三本立ての映画を見ましたが、(喜劇王の)エノケンもありました』と話され、
皇后陛下の口からエノケンという言葉が出てきたので、その場が和んだそうです」

もともと庶民派だった皇后は、天皇にも積極的に庶民の暮らしを体験してもらおうとした。
’10年夏、両陛下は群馬県中之条町の一般家庭を訪ねている。
その主・登坂昭夫さんは、皇居で育てられている天蚕(てんさん)を飼育している希少な養蚕農家だ。
登坂さんが言う。
「見学したいというご要望だったんですが、こんな山の中に両陛下が来るなんて畏れ多くて固辞したんです。
でも何度も連絡が来るし、警察がウチまで調べに来ちゃってねぇ。
クヌギ畑を見学した後、私の家でお休みになるっていうんで腰を抜かすほど驚きました」

掘り炬燵に二人で座って
’10年8月29日、両陛下を乗せた車が農道を上がってきた。登坂家に繋がる道は狭すぎて閉鎖されたので、
関係者以外は出迎えない"お忍び行幸啓"だった。
「陛下の車がセンターラインのない道を通ることは珍しいんですよ、と侍従の方が笑っていました。
畑を見学後、我が家の奥の間にご案内しようとしたら、居間の掘り炬燵を珍しがって、
皇后さまが『こちらのほうがよろしいですね』と。
両陛下がそこに腰を下ろされて、私たち夫婦らと気さくにお話しされました」

登坂さんが「蚕(かいこ)は触られますか?」とたずねたところ、
「私は大丈夫ですよ」と微笑まれた皇后に続けて、
天皇が「私は実は苦手でね……」と打ち明け、居間は笑いに包まれたという。

ノンフィクション作家の保阪正康氏はこう語る。
「私は作家の半藤一利氏と共に昭和史をお話しするため、皇居に伺ったことがあります。
話を聞く両陛下の様子を拝見して、ふだんから様々なことを二人で話し合われているのだろうと思いました。
美智子皇后の『誕生日のおことば』からは、社会のことに対する関心の広さがわかります。
しかも皇后は、世間で注目を集めていることではなく、むしろ国民が忘れがちなことを拾い上げて言及する。
今年の誕生日には拉致被害者のことを書かれたし、昨年は国連軍縮担当の中満泉さん、
そして’13年には明治期の市民憲法運動だった『五日市憲法草案』を取り上げるなど、
その幅広さと知識に驚かされます。
象徴天皇とは何か、そのスタイルを一から構築してきたのは間違いなく今上天皇であり、そして美智子皇后です」

天皇皇后両陛下は、夫婦で平成という時代を作ったのである。

http://news.livedoor.com/article/detail/15540821/

皇太子ご一家 映画試写会 猫逃げる

皇太子ご一家が映画鑑賞
2018.10.15 20:35
皇太子ご夫妻と長女の敬宮(としのみや)愛子さまは15日夜、東京・有楽町で、
映画「旅猫リポート」のチャリティー試写会に臨席された。
映画は作家の有川浩(ひろ)さんの小説を映画化したもので、人間と動物の強い絆を描いた作品。
主演を務めた俳優の福士蒼汰(そうた)さんらに出迎えられたご一家は、笑顔で言葉を交わされていた。
https://www.sankei.com/life/news/181015/lif1810150042-n1.html


皇太子ご一家が映画鑑賞 ネコが逃げ出すハプニング [2018/10/16/07:30]
皇太子ご一家が飼い猫との旅を描いた映画の試写会を鑑賞されました。
出演している猫がご一家の前から逃げてしまうハプニングもありました。
ご一家は15日午後7時ごろから、東京・有楽町で映画
「旅猫リポート」のチャリティー試写会を鑑賞されました。
この映画は猫と飼い主の旅を描いたもので、会場では日本動物愛護協会の募金活動も行われました。
鑑賞前に主演の福士蒼汰さんが出演した猫を抱いて出迎えましたが、
雅子さまや愛子さまが「可愛いですね」と猫をなでられると猫が福士さんの腕から逃げてしまい、
笑いが起こる場面もありました。
https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000138529.html

皇太子ご一家、チャリティー試写会を鑑賞
皇太子ご一家が、チャリティー試写会として上映された
青年と猫の絆を描いた映画「旅猫リポート」を鑑賞されました。
15日夜、皇太子ご一家が、東京・千代田区内の映画館を訪れると、
主演を務めた福士蒼汰さんが、映画に登場する猫とともに出迎えました。
ご一家は、笑顔を浮かべながら猫の口元を触り、
雅子さまが「ニャー」と猫の鳴き声で語りかける場面もありました。
映画「旅猫リポート」は、新しい飼い主を探す旅に出た青年と猫の絆を描いた作品で、
チャリティー試写会として上映されました。
皇太子ご一家は東宮御所で「セブン」という猫を飼っており、
主演した猫の名前が「ナナ」という名前だったこともあり、
上映後、愛子さまは福士さんに「お互い不思議な縁がありますね」などと話されていたということです。
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3498983.html


福士蒼汰「とても光栄です」『旅猫リポート』試写会に皇太子ご一家がご臨席
2018/10/16 13:29Movie Walker
人気作家・有川浩の同名小説を、福士蒼汰主演で映画化した『旅猫リポート』
(10月26日公開)のチャリティ試写会が15日に東京・丸の内ピカデリーで開催。
皇太子殿下、皇太子妃殿下、内親王殿下がご臨席され、主演を務める福士らと共に映画をご鑑賞された。
本作は心優しいネコ好きの青年・悟と、彼に助けられた元野良ネコのナナの旅路を描いた感動作。
5年間一緒に暮らしてきたナナを、とある事情で手放さなくてはならなくなった悟は、
ナナを連れて新しい飼い主を探すための旅に出る。
ナナの声を高畑充希が演じるほか、広瀬アリスや竹内結子など豪華俳優陣の共演でも注目を集めている。
福士は主役ネコのナナと、メガホンをとった三木康一郎監督と共に
皇太子殿下ご一家のお出迎えをし、その際に福士が抱いているナナに興味を示された皇太子妃殿下と内親王殿下。
「可愛い」というお言葉と共にナナを優しくお撫でになる姿も見受けられた。
また皇太子殿下とご懇談した後、インタビューに答えた福士は
「このような機会はなかなかないので少し緊張しましたが、
一緒に映画を鑑賞することができてとても光栄です」と語る。
さらに福士は、上映前に内親王殿下から「ご自分がご出演されている映画を観るのはどんな気分ですか?」
と訊ねられたとのことで
「不思議な気持ちです。客観的に感情移入して観ることができた映画は本作が初めてだったので、
とても不思議な気分でした」と答えたという。
そして福士は上映終了直後に内親王殿下より「感動しました」とのお言葉を頂いたと明かす。
ご懇談の場では撮影時の苦労や楽しい思い出を語ったほか
「皇太子殿下ご一家が飼われているペットたちのお写真を見せていただきながらお話を伺いました」と振り返る福士。
ご一家が飼われているネコの名前が“セブン”と“みー”ということを聞き、
本作の“ナナ”と不思議な縁があることを感じたようだ。
文/久保田 和馬
https://news.walkerplus.com/article/165904/

福士蒼汰、皇太子ご一家と「旅猫リポート」鑑賞 猫トークで盛り上がる
2018年10月16日 14:30
[映画.com ニュース] 皇太子ご夫妻と長女の敬宮愛子さまが10月15日、
東京・丸の内ピカデリーで行われた映画「旅猫リポート」のチャリティ試写会にご出席された。
ご鑑賞には主演の福士蒼汰をはじめ、メガホンをとった三木康一郎監督も同席した。
本作は、「図書館戦争」シリーズや「植物図鑑」などで知られる有川浩氏の同名小説を原作に、
青年・悟(福士)が猫のナナとともに新しい飼い主を探す旅に出る物語。
ご鑑賞前には、福士と猫のナナ、三木監督によるお出迎えがあり、皇太子ご一家がナナを撫でる様子もあった。

福士は「このような機会はなかなかないので、少し緊張しましたが、
一緒に映画を鑑賞することができてとても光栄です」と感慨深げで、
「愛子さまはナナやほかの動物が登場するシーンでは笑顔になられているような場面がうかがえました。
皇太子妃殿下からは時折、笑い声も聞こえましたし、
映画の終盤では、涙をこらえているようなご様子もうかがえました」と伝えた。
鑑賞後には「愛子様より『感動しました』とおっしゃっていただきました。
そして、皆さんからは、ナナの猫の種類の話であったり、映画はどんな雰囲気の中で撮影したのかなど、
ナナの話を中心にたくさんのご質問をいただきました。
撮影の初めの頃は上手くいかないこともあり苦労したこと、
それでもナナとの仲を深めていくうちに撮影を楽しめた思い出などを話しました」と明かした。

また、皇太子ご一家が飼っている猫セブンの話題にもなったといい、
「お写真を見せていただきながらお話をうかがいました。
そして飼われている猫のお名前が『セブン』と『みー』というお話をうかがって、
愛子さまが本作の主演猫が『ナナ』なので、お互い不思議な縁がありますね、と話をしていただきました」と語った。
「旅猫リポート」は10月26日から全国公開。
https://eiga.com/news/20181016/11/

宮内庁という「とんでもない役所」 皇后が声を失った真実

宮内庁という「とんでもない役所」 皇后が声を失った真実
2018.10.16 07:00
平成の時代があと半年で終わりを告げる。
皇室取材を30年続けてきた、朝日新聞元編集委員の岩井克己氏が、
皇室の「楽屋裏」から見た秘話を通じて、平成皇室の姿を語る。

──岩井さんが宮内庁担当となったのは1986(昭和61)年でした。

そうです。皇居の守りを固める最大の門である坂下門を閉門時刻を過ぎて出入りする際には、
皇宮護衛官が2人がかりで太いかんぬきを外し、全体重をかけて巨大な扉を開けてくれます。
「江戸城開門」を実感するこの場所は、1862(文久2)年1月、
開国を進める幕府の老中安藤信正を水戸藩士らが襲った「坂下門外の変」の舞台でした。
1945(昭和20)年8月15日。玉音盤を奪い降伏を阻止しようと
近衛歩兵を率いて乱入した青年将校が切腹したのも、このそばです。

86年の夏、初めて取材した国賓の歓迎晩餐(ばんさん)会。
宮殿の豊明殿で昭和天皇と皇族方がずらりと並ぶなか、
シャンデリアに照らされた高松宮宣仁親王殿下の頬がげっそりとこけて痩せておられるのに気づいた。

皇室の取材においては、天皇、皇后両陛下の私生活を支える侍従や侍医らへの取材は欠かせません。
すぐに、肺がんだとつかめた。しかし秋には、他社も気づきはじめ、
普段は誰も取材しなかった殿下の公務にわんさか記者が群がるようになってしまった。
ご本人は苦笑いしておられましたが、痛々しかったですね。

翌87(昭和62)年2月に逝去されると、いろいろと問題が持ち上がりました。
皇族の葬儀は53(昭和28)年の秩父宮以来34年ぶり。役人も記者も経験者がほとんどいない。
双方が手探りでしたね。土日はガラガラで当直しかいない役所ですが、
ある日曜日に幹部連中がひそかに集合していた。せわしげに打ち合わせに動きまわる幹部を捕まえて、
「何事ですか」と迫った。しぶしぶ答えてくれたのは、
「シルクハットに喪章を巻くやり方がわからない」。
元内舎人(うどねり)に知っている人がいたから、ようやく解決した、と。
とんでもない役所だと思ったのを覚えています。
つまりは儀式官庁なのですね。時代が昭和から平成に移ろうとも、
天皇制の議論や日々のご公務とは別に、しきたりや作法が重視され受け継がれる。
特に、天皇、皇族方の冠婚葬祭で歴史や伝統が顔をのぞかせる。

──平成に入ると、90(平成2)年の礼宮さまの結婚、
93(平成5)年には皇太子、徳仁親王の結婚で慶事が続きました。
一方、2000(平成12)年6月には昭和の象徴たる香淳皇后の逝去もありました。

香淳皇后が亡くなったときに、皇室に受け継がれるべき作法が十分に伝わっていない、と
問題になったことがあります。

葬儀の一連の儀式では、女性皇族はベールを被ります。
皇后は腰まである長いベール。皇太子妃はこの長さ、皇族妃はここまで、とご身位が重いほど長くなる。
6月の逝去から、通夜にあたる殯宮祗候(ひんきゅうしこう)をはじめ多くの儀式が続きました。
当初、雅子さまがとても短いベールを被って来られ、違和感を覚えたことがありました。
他の女性皇族のほうが長いベールでした。(※)

赤坂御用地にある東宮御所は、ある意味で離れ小島。
皇后さまが作法に通じたベテランの女官を配属する配慮をされたのですが、
新しい女官たちに煙たがられたのか、うまく継承されていなかったらしい。
皇后は、天皇陛下の母であり昭和の時代を象徴する香淳皇后の葬儀を、
完璧に営みたいと、不眠不休で頑張っておられた。
そうしたなかで、問題が起き、雅子さまが本葬に欠席するという事態にまでなってしまった。
ベールひとつとっても、特殊なもので、たまたま高松宮妃が生地をたくさん持っておられ、
何とか間に合ったという状況でした。厳格な作法が求められる一例です。

──来年4月の天皇退位まであと半年。思い起こされるのが、
昭和から平成への代替わり間もないころに起きた皇室バッシングです。
皇后さまは1993年10月20日の誕生日の朝に倒れ、声を失う事態となりました。

「私の天皇像とは、天皇制を遂行できる天皇である。もしそれができない天皇ならば退位してもらいたい」
いまの天皇の退位をめぐる議論ではありません。

93年の「諸君!」12月号に掲載された加地伸行・大阪大学名誉教授の論文です。
平成が本格的に船出し、東南アジアや中国を訪問した時期に、守旧派は平成の皇室に対する批判を強めました。
そして、バッシングは皇后に集中していったのです。

「皇后の役目は、ダンスでもなければ災害地見舞でもない」(加地氏)
天皇、皇后は傷つき、
「だれもわかってくれないのでは」
と孤立感を抱いたようです。
ただ、皇后が倒れ声を失ったのは、バッシング報道で自らを見失い、
くずおれたという単純なものではないと、私は思っています。
「最終的な引き金は、ある親しい人の周辺からの手紙だった」と聞いたからです。
皇太子妃決定過程に関連した人の手紙の一部に傷つくような表現があったとか。
「雑誌などの平成流皇室に対する批判に苦悩する最中、
心にかけていた相手側のメッセージだっただけに、強い衝撃と絶望感で倒れた」のだそうです。
差出人を見て、十分に中身を確かめずに手紙を届けた古参侍従は、自らを責め、後悔の涙を流した、とも聞きました。
皇后が倒れた朝に公表された誕生日の文書回答で、皇后はこう記していた。
「どのような批判も、自分を省みるよすがとして耳を傾けねばと思います(中略)
批判の許されない社会であってはなりませんが、事実に基づかない批判が、
繰り返し許される社会であって欲しくはありません」

言論の自由が萎縮してはならない、と述べたのです。
「皇室の務めは災害見舞いではない」「皇居の奥で祈るだけでよい」との守旧派の批判に、
天皇、皇后は耳を傾けつつも決して屈しなかった。
その後も戦争の犠牲、災害の犠牲に現地を訪れて祈りを捧げ、
国内外の人々とふれあい、絆を結ぶことに全身全霊で努め続けた。
生前退位も、こうした象徴のありようを十全な形で次世代に継いでもらいたいとの思いからでしょう。
(構成/本誌・永井貴子)
※週刊朝日  2018年10月19日号より抜粋

https://dot.asahi.com/wa/2018101200024.html?page=1



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

ベール事件おさらい

週刊新潮2013年5月2・9日号
「2000年6月16日、皇太后さまが崩御されましたが、その際のことです」
そう振り返るのは、さる宮内庁の古参職員だ。
7月25日には豊島岡墓地で、一般の本葬にあたる「斂葬の儀」が営まれたのだが、雅子妃はこれをご欠席。
「前日には東宮大夫の会見で、妃殿下は『暑さが続き、夏バテのような状態』で体調を崩され
『お体を大切にしていただく見地からお取り止めになった』との発表がありましたが、
案の定、懸念や批判の声が相次ぎました」(同)
これに先立ち、皇族方や宮内庁職員らが24時間交代でお棺の側に詰める
「殯宮祗候(ひんきゅうしこう)」が、40日間にわたって続けられていた。
実はこの時期に、今に至るまでトラウマとなっている「出来事」が、雅子妃に起きていたというのだ。
「殯宮祗候と並行し、斂葬の儀当日までは連日、さまざまな儀式が続きました。
その際、妃殿下は現場で行事におけるきまりごとについて、
皇后陛下からごく簡単なアドバイスを受けたのですが…」(同)
それは、お召し物のベールの長さなど、これまで営々と続けられてきた、しきたりに関するものであったという。
が、「妃殿下は、この皇后陛下とのやりとりを『叱責』と受け止めてしまわれたのです。
大勢の皇族方や職員の前で自分だけが咎められたのだと解釈なさり、ショックを受けてしまいました」(同)
こうした“アクシデント”もあり、斂葬の儀だけでなく、前日に吹上大宮御所で営まれた儀式なども、
雅子妃は欠席された。
実際には「叱責」の事実などなかったのだが、
「後に妃殿下はこの一件を、主治医である大野裕医師のカウンセリングを受けた際、お話しになっています。
そして、この時の体験が大きな心の傷となり、御所への参内もままならないという趣旨のご説明をされている。
御所の側にもそうした“思い込み”は漏れ伝わっており、念のため儀式に携わった人たちに
当日の様子を確かめたところ、そうした場面は一切なかったことが分かったといいます」(同)
一方的な思い込みがあらぬ誤解を生み、ご自身の中でも大きなわだかまりとして燻っているというのだ。