香淳皇后と美智子さま

皇室ジャーナリストがぎくり 天皇一家にあった嫁姑バトル
(更新 2014/9/26 07:00)
皇后・美智子さまは今年10月で80歳、傘寿を迎えられる。ジャーナリストの渡邉みどりさん(80)が、
テレビ中継で飛び込んだ衝撃的な映像を振り返る。

*  *  *

昭和50(1975)年9月30日。昭和天皇と香淳皇后が戦後30年の節目に、アメリカ訪問にご出発になる日でした。
日本テレビのディレクター職にあった私は、ご出発の様子をニュースで中継するために、
音声担当など十数人のスタッフと早朝から千代田区麹町近くにあった社屋内の副調整室に詰めていました。
この時にモニター越しに目に飛び込んだ衝撃的な映像。
危うくテロップの指示を間違えそうになったことを覚えています。
そのシーンを振り返ってみます。羽田空港で待機する特別機のタラップの脇には
皇太子ご夫妻(現・天皇、皇后両陛下)、常陸宮ご夫妻、秩父宮妃、高松宮ご夫妻、三笠宮ご夫妻、
そして三木首相ご夫妻の順に並んでおられました。昭和天皇、香淳皇后がいよいよ機内にお入りになるとき、
おふた方は、宮様方のごあいさつに対し丁寧に返礼をなさいます。
特に昭和天皇は美智子さまにお辞儀をされた後、皇太子殿下に「あとをよろしく頼みますよ」というように
深く頭を下げられ、皇太子さまも父君に「お元気で」といったご様子で最敬礼なさいました。

次の瞬間、モニターを見ていた私は、ぎくりとしました。
数歩遅れた香淳皇后は常陸宮さまにゆっくりとお辞儀をなさったあと、
美智子さまの前を、すっと通り過ぎて皇太子さまに深くお辞儀をされたのです。
モニターの画面に映る映像は、後ろ姿でしたが、素通りされたのははっきりわかりました。
香淳皇后は手に、つい先ほど美智子さまから贈られたカトレアの花束をお持ちでした。
そのまま、美智子さまにも、深々とお辞儀をなさるとばかり思っていましたのに。

この「天皇訪米」の一部始終の映像はテレビで日本中に放送されたのです。
私自身その時は、昭和天皇の訪米という歴史的なニュースを無事に中継することで、頭がいっぱいでした。
昭和天皇と香淳皇后がご出発したあと、思わずスタッフと顔を見合わせて、「お気の毒に」とつぶやきました。
東宮ご一家に長年仕えた浜尾実元東宮侍従は当時、私の取材に対しこう話してくれました。
「私もテレビを見ていて驚きました。東宮侍従をしていたころ、美智子さまのお供で吹上御所に行った時など
何か皇后さまの態度がよそよそしいことは感じたことがありました。それは美智子さまの人間性というより、
そのご出身(平民)が美智子さまを孤立させることになっていたんだと思います。
ただ、あのお見送りの時は人前で、それもテレビカメラの前のことですからね。
美智子さまはやはり大変なショックをお受けになったと思いました」

美智子さまのご苦労については、昭和天皇の侍従長であった入江相政氏が残した昭和42(67)年11月13日付の
日記にも記載があります。美智子さまは、入江氏に、胸の内を吐露しています。

<三時半から五時四十分迄二時間以上、妃殿下に拝謁(はいえつ)。(中略)
終りに皇后さまは一体どうお考へか、平民出身として以外に自分に何かお気に入らないことがあるか等、
おたづね。夫々(それぞれ)お答へして辞去>

皇位継承者である親王を2人もお産みになっていても、ここまでご苦労なさるのかと感じました。
高松宮ご夫妻に取材した際など、喜久子妃は美智子さまのことを、
「あまり気をお使いになるからお痩せになるのよ。おしおらしい」とおっしゃっていたことを記憶しています。
時は流れ、昭和天皇は逝去され、平成の御代になりました。おひとりになった皇太后良子(ながこ)さまは、
皇居内の旧吹上御所にそのままお住まいになりました。

平成5(93)年に、天皇陛下と美智子さまもそれまでの旧赤坂御所から皇居・吹上御苑に完成した新御所にお移りになります。
当時の美智子皇后をお側で支えた井上和子元女官長が先日、亡くなりました。
井上元女官長は当時、私にこう話してくださいました。
「明治の昭憲皇太后さま、大正の貞明皇后さま。近代の天皇陛下の母君のお住まいはお堀を隔てて別のところにありました。
平成に入り、陛下と皇后さまは、良子さま(香淳皇后)に
『スープの冷めない距離』にお住まいになっていただきました。これは、すごいことなのですよ」

平成7(95)年に美智子さまが詠んだお歌です。
 緑蔭
 母宮のみ車椅子をゆるやかに
 押して君ゆかす緑蔭の道

天皇陛下が母君の車椅子を押し親孝行なさっている情景を詠まれたものです。
天皇家のお歌に車椅子が登場したのです。時代を感じ胸が熱くなりました。
皇后美智子さまも折に触れ吹上のバラ園で皇太后良子さまの車椅子を押してご一緒に散歩なさいました。
平成10(98)年6月。英国、デンマークへの外国訪問からお帰りになった時も、同じ光景がありました。
旧知の間柄でおられる英国のクイーン・マザーやエリザベス2世女王陛下の近況をお話しになったのかもしれません。
毎週末、良子さまがお住まいの吹上大宮御所は華やいだ雰囲気に包まれたものでした。
それはお子様やお孫様方のお見舞いがあったからです。
今上陛下と皇后美智子さま、そして孫の紀宮さまは、お庭伝いに吹上大宮御所の良子さまを訪問されたのです。
秋篠宮ご夫妻と幼い眞子さま、佳子さまも、大広間でご一緒にビデオなどをご覧になりました。
昭和天皇が逝去されて10年余りの時が流れた平成12(2000)年6月16日に良子さまは逝去されました。
同年春には97歳のお誕生日をお迎えになり、歴代皇后のなかでは最長寿でした。
人生の最晩年を吹上大宮御所でお過ごしになったことは今上陛下と美智子さまのあたたかい親孝行でした。
黒田清子さんとなられた天皇家の一人娘、紀宮清子内親王は、良子さま逝去の折の印象をこう書かれています。
<陛下が、駆け寄られるように皇太后様のおそばにお寄りになって、じっとその御最期をお見守りになり、
そのお後で皇后様が、丁寧にお掛け布団などをお直しになりながら、「ご立派でいらっしゃいましたよ。」と
ささやくようにおっしゃったその時に、周りの人々の悲しみがふっとあふれるように感じられました。
(以下略)>(『ひと日を重ねて 紀宮さま 御歌とお言葉集』から)
美智子さまはご結婚以来、毎週、昭和天皇と香淳皇后をお訪ねになりました。当時、侍従に取材した限りでは、
お会いになった回数は、昭和と平成を合わせると千回を優に超えたと聞いています。
恩讐(おんしゅう)を超えたご交流が、そこにはあったのでしょう。

※週刊朝日  2014年10月3日号
http://dot.asahi.com/wa/2014092400103.html?page=1

皇太子ご夫妻 子供の日公務

東宮が担当のこどもの日公務 雅子妃体調故か日程発表されず
2015.05.19 07:00
皇室の公務に大きな変化が起きている。
天皇・皇后が担ってきた「こどもの日」「敬老の日」の施設訪問が、
今年からそれぞれ東宮家と秋篠宮家に引き継がれることになった。
今年の分担は皇太子が「こどもの日」、秋篠宮が「敬老の日」。宮内庁が両家と相談し、決まったという。
しかしやはりというべきか、宮内庁関係者は雅子妃の進まぬ公務復帰がもたらす影響に懸念を抱いている。
2つの公務の継承について宮内庁関係者がいう。
「両陛下が毎年大事にされていたご公務でしたが、お2人とも80代になられ、
次世代の皇室を考えてのご決断でしょう。それを重く受け止めた皇太子殿下と秋篠宮殿下は
膝をつき合わせて分担をご相談されたと聞いています。
皇太子さまがこどもの日を選ばれたのは、限られた回数とはいえ
雅子さまがこれまで主に青少年に関する公務に出席されてきたことを勘案されたからと聞きます」
しかしそれほど細心を払って行なわれた引き継ぎにもかかわらず、
「こどもの日公務」の日程は例年より大きく遅れ、本稿締め切りの5月14日に至っても発表されなかった。
宮内庁担当記者が訝しむ。
「ゴールデンウィーク後の東宮大夫会見(5月8日)でも“いつ、どこでやるのか”と質問が出ましたが
“まだ申し上げられません”と返答に窮していた。ゴールデンウィーク前から質問を続けているのに、
ずっとはぐらかされてきた。例年は連休明けすぐに行なわれていました。
昨年は5月8日に葛飾区立花の木小学校を訪問されています」
2013年は5月23日(江東区立越中島小学校)、2012年は6月11日(港区立芝浦アイランドこども園)、
2011年は5月25日(あい・ぽーとステーション子育てひろば)と遅めの日程だったが、
2013年は4月下旬に皇后が頸椎症性神経根症で体調を崩し、
2011、2012年は5月に東日本大震災の被災地を訪問するなどいずれも特別な理由があった。
それ以前は外国訪問などがあったケースを除き、ほとんどが5月前半のうちに行なわれている。
受け入れ先の施設にも4月頃には内々に打診があり、
宮内庁記者会にも公務当日の1週間ほど前に発表があるのが通常である。
記者たちが不安視するのも無理はない。
「5月の東宮ご一家のスケジュールは目立ったものがなく、日程調整の障害になる理由は見当たりません。
ここまで決定が延びたのは、やはり雅子妃の体調が理由なのでしょう」(同前)
※週刊ポスト2015年5月29日号
http://www.news-postseven.com/archives/20150519_323109.html


先延ばしした揚句
香淳皇后の例祭の日に決行

宮内庁HPご日程より
平成27年6月16日(火)
天皇皇后両陛下 香淳皇后例祭の儀(皇霊殿)
皇太子殿下 香淳皇后例祭の儀(皇霊殿)
皇太子同妃両殿下  ご訪問(子育て支援施設「ゆったりーの」(こどもの日にちなみ))(新宿区)
文仁親王同妃両殿下 香淳皇后山陵例祭の儀ご参列(武蔵陵墓地(八王子市))



皇太子ご夫妻 子育て支援施設を訪問
6月16日 17時48分
皇太子ご夫妻は、東京都内の子育て支援施設を訪問し、施設を利用する親子らと交流されました。
この訪問は、去年まで毎年「こどもの日」の前後に
子どもの施設を訪ねてこられた天皇皇后両陛下から引き継がれたもので、
皇太子ご夫妻は16日午後、東京・新宿区の子育て支援施設「ゆったりーの」を視察されました。
この施設は、地元の人たちで作るNPO法人が運営していて、ご
夫妻は、0歳から4歳までの乳幼児とその母親合わせて20人が参加した、
絵本の読み聞かせの様子をご覧になりました。
絵本の中では、主人公の猫が履くスニーカーの色が、訪れる場所ごとに変化していく様子が描かれ、
ご夫妻は、子どもたちが読み手の歌に合わせて声を上げたり、手を振ったりするのを笑顔で見守られました。
このあと、ご夫妻は、参加した親子らと交流されました。
皇太子さまは、母親たちに「初めての子育ては大変ですね。私も愛子のことを思い出します」などと話され、
雅子さまは「お子さんは今どんなことに興味がありますか」などとことばをかけられたということです。
ご夫妻とことばを交わした30歳の母親は「雅子さまから『幼稚園の送り迎えやお弁当作りが大変ですね』と
温かいまなざしで話しかけていただき、うれしかったです」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150616/k10010116691000.html

2015.6.16 17:45
皇太子ご夫妻、子育て支援施設をご視察 両陛下のご公務引き継がれ
皇太子ご夫妻は16日、東京都新宿区の子育て支援施設「ゆったりーの」を訪問された。
同施設は0〜5歳児と保護者を対象に、遊び場を提供し、子育ての情報交換や相談などができる。
皇太子ご夫妻は、絵本の読み聞かせの様子を見学した後、利用者らとご懇談。
皇太子さまは「ここにはよく来られるのですか」などと熱心に質問され、
皇太子妃雅子さまは「かわいいですね」などと笑顔で声をかけられていた。
懇談後、雅子さまは「お子さんとの触れ合いが楽しかった」と感想を述べられたという。
天皇、皇后両陛下が毎年続けてきたこどもの日と敬老の日にちなんだ施設訪問を、
両陛下がともに80代となられたため、今年から皇太子ご夫妻と秋篠宮ご夫妻が引き継がれたもの。
初めてとなる今年は、児童施設が皇太子ご夫妻、高齢者施設は秋篠宮ご夫妻が訪問されることになっていた。
http://www.sankei.com/life/news/150616/lif1506160018-n1.html

皇太子ご夫妻、地域一体の子育て支援施設を訪問
皇太子ご夫妻は16日、東京・新宿区の0歳児から利用できる子育て支援施設を訪問されました。
この施設では、乳幼児の一時預かりをするなど健やかな子育てを支援する取り組みを地域一体で進めています。
ご夫妻はまず、読み聞かせの様子を視察し、その後、利用者となごやかに懇談されました。
雅子さまは、自らのハンドバッグに興味を示した子供に「これ何かわかる?」と、優しく話しかけられたということです。
今回の訪問は、両陛下がこどもの日にちなみ、毎年行われてきた施設訪問を初めて引き継いだものです。
(16日17:14)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2518913.html

雅子さま 名画鑑賞も「こどもの日」公務は6月にズレ込み
2015.06.05 07:00
5月25日の夜、閉館後の国立新美術館(東京・六本木)に皇太子夫妻の姿があった。
開催中の「ルーヴル美術館展」を鑑賞する「公務」である。この日の雅子妃は終始にこやかな笑顔で、
日本初公開となるフェルメールの『天文学者』などに見入った。雅子妃の皇居外での公務は
1月に東京・広尾の山種美術館で東山魁夷の特別展を鑑賞して以来、約4か月ぶりだった。
体調回復の兆しと考えれば喜ばしいことでもあるが、ポジティブに捉えている宮内庁関係者は多くない。
「雅子様が美術館にいらっしゃることは、当日に急遽決まりました。つまり、それだけ体調の波が激しいということ。
その日も閉館後で国民の視線に晒されない形でのご公務だったからお務めできたのでしょう。
まだ本格的な公務復帰への道のりは長いと思われます」
むしろ気がかりなのは、本来は5月中に行なわれるはずの重大な公務の日程が
5月28日になっても明らかにされなかったことだ。
天皇・皇后が担ってきた「こどもの日」「敬老の日」の施設訪問が今年から、
東宮家と秋篠宮家に引き継がれることになった。
今年の分担は皇太子が「こどもの日」、秋篠宮が「敬老の日」とされた。宮内庁担当記者が声を潜める。
「分担は宮内庁が両家と相談して決めたのですが、記者会が東宮大夫に何度尋ねても、なかなか日程が発表されない。
天皇・皇后両陛下時代に『こどもの日』の公務が6月になったのは2度しかありません(1992年と2012年)から、
異例といっていい事態です。さすがに6月にはどこかに訪問されるとは思いますが、
引き継ぎ1年目の大事な年に、そんなことになるなんて……。
“一体どうなっているんだ”“雅子様の体調はそこまで良くないのか”と記者の間で憶測が広がっています」
本誌は5月18日発売号で、この「なかなか決まらない皇太子夫妻の公務」をレポートしたが、
それから2週間近く日取りが発表されないとは予想しなかった。
「ご体調がままならないことは仕方ありませんが、
もしご夫妻がそろって『こどもの日』の公務に出席されなければ、両陛下の悲しみはいかばかりか……。
ぜひ一刻も早い実現を願うばかりです」(前出・宮内庁関係者)
※週刊ポスト2015年6月12日号
http://www.news-postseven.com/archives/20150605_326481.html

雅子さまが「こどもの日」公務で見せた”ユーモア”
2015年06月24日(水) 05時00分
〈週刊女性7月7日号〉
「ご懇談中に、雅子さまが持つクラッチバッグに女の子が興味を持つと、
”開けてみる?”という感じで雅子さまが差し出されたので、本当に開けないかドキドキでした」
ご夫妻の間を駆け抜けようとした子が転び、皇太子さまを”支え”にする場面も
そんな微笑ましい話をしてくれたのは、6月16日に皇太子ご夫妻が視察のため訪問された新宿の子育て支援施設
『ゆったりーの』の小原聖子施設長。
雅子さまは、皇太子さま(55)に同行し、施設を利用する母親や子ども、ボランティアと歓談し激励されたが、
今回の訪問の経緯を宮内庁担当記者が説明する。
「そもそもは『こどもの日』と『敬老の日』前後に関連施設を視察する公務として、
天皇・皇后両陛下が平成になって始めたものです。今年から、皇太子ご夫妻と秋篠宮ご夫妻に受け継がれ、
今回は、皇太子ご夫妻が子どもの施設を視察されることになりました。
両陛下のときは5月中の訪問が多かったのですが、6月半ばまで延びたので、
雅子さまのご体調に配慮し、宮内庁も慎重に対応していたのかもしれません」
長期療養に入ってから12年がたとうしている雅子さまにとって、
両陛下から引き継いだ大切な公務は重圧になっていたのかもしれない。
しかし、7月2日から南太平洋の島国・トンガを訪問されることも正式に決まり、雅子さまのご体調は上向きのようだ。
「今年前半の雅子さまは、公の場へのお出ましは限られたものでしたが、
お住まいの東宮御所での接見や説明は例年より増加しました。
そして、5月19日にお忍びで国連大学のインド・ミニチュア絵画展覧会をご覧になったのを皮切りに、
25日には『ルーヴル美術展』に急きょお出かけに。
6月は、雅子さまにとってハードルが高いといわれている宮中晩餐にも出席されるなど、
活動の幅は広がっていると思います」(東宮職関係者)
雅子さまは、トンガではトゥポウ6世国王の戴冠式と、その後の昼食会のみに出席され、
ほかの行事は皇太子さまおひとりでの出席予定だが、
「2年前のオランダ訪問のとき、雅子さまの同行が直前まで決まらなかったことを考えると、
今回、1か月近く前に訪問が決定したことは前進だと思います。
主治医も同行しないということは、それだけ回復傾向にあるといっていいのかもしれません」(前出・記者)
そんな”余裕”が、今回の施設でもみられた雅子さま。小さな子どもでも、”お母さんごっこ”ができる
『ぽぽちゃん』という赤ちゃん人形で遊んでいた女の子が、そのパンツを人形の頭にかぶせていたところ、
「熊ちゃんの帽子をかぶっているのね。お耳が生えてくるかな?」
雅子さまはユーモアを交えながら、そう声をかけられたという。
人形にかぶせられたパンツの裾(穴)部分を熊の耳に見立てて、そう微笑まれたのだろう。
雅子さまの回復ぶりに、皇室関係者がこう期待感を示す。
「今年の『敬老の日』の老人施設訪問は、秋篠宮ご夫妻になっていますが、来年以降は未定です。
実は、どちらを訪問するかは、皇太子さまに一任されているので、
来年は皇太子ご夫妻が老人施設を訪問されるかもしれません」
http://www.jprime.jp/tv_net/imperial_household/14682/

女性セブン2016年1月7・14日号
「2015年6月、両陛下から引き継がれた、こどもの日の公務の際に、小さな子供たちへのお土産に選ばれていました。
黄色の地にお猿さんなど、多くの動物が描かれていて、子供が好きそうなお菓子です」(宮内庁関係者)

皇室追っかけ女性 写真集を出版し小和田家から礼状が届いた

皇室追っかけ女性 写真集を出版し小和田家から礼状が届いた
2014.08.05 07:00
7月下旬、「天皇皇后両陛下が仙台、気仙沼に行かれるのでお見送りにきました」と
声を弾ませながら東京駅に来ていたのは皇室追っかけ歴21年の西川春美さん(48才)だ。
皇太子妃・雅子さまが皇室に嫁がれたとき、「こんなにキレイな人がいるなんて」と一目惚れし、
追いかけて写真を撮るようになった。
「これまで、北は青森から南は神戸まで遠征しました。資金がないときは東京駅でお見送りし、
戻られたときにお迎えに伺います。必ず持って行くのは、
遠くからでも撮影できるよう望遠レンズがついたカメラ。
待ち時間が多いので、百円均一で買った折りたたみ椅子も欠かせません」(西川さん)
スケジュールを把握するため宮内庁のホームページをチェックしたり
仲間内で情報交換したりするのはもちろん、独自のネットワークで思いもよらぬ情報を入手することも。
「読みどおりに、待ち構えた場所を通っていかれるときほど嬉しいことはありませんね」(西川さん)
追っかけを始めて5年がたった1998年には、皇太子同妃両殿下から声をかけられた。
「長野県の車山高原に行ったとき、山頂で必死におふたりの写真を撮っていたら、
『空気がいいですね』『いいお写真は撮れましたか』とお声をかけていただきました。
緊張しましたが、本当に嬉しかった」(西川さん)
そして2001年、それまで撮りためていた膨大な写真を写真集『あこがれの雅子さま』(徳間書店刊)として出版。
翌年には『愛子さま』(リヨン社刊)を出版した。
「後日、写真集を雅子さまに渡していただけるようご実家の小和田家にお送りしました。
すると数日後、ご両親からお礼のはがきが届いたんです。もうびっくりしました! 一生の宝物ですよ。
そして2003年、皇太子ご一家が葉山で静養されていたとき、皇太子さまが私に
『西川さん、ご出版おめでとうございます』と声をかけてくださったんです! 
私のことを覚えていてくださったんだと感動して、涙が溢れました」(西川さん)
西川さんは自分の体が動かなくなるまで、死ぬまで追っかけを続けると決めている。
※女性セブン2014年8月14号
http://www.news-postseven.com/archives/20140805_269260.html

典子さん別居?

高円宮家「典子さま」が別居状態 縁結びの神・出雲大社に垂れこむ暗雲
週刊新潮 2017年12月7日号掲載
宮司家嫡男と高円宮家「典子さま」 夫婦破綻で進む遠大なる離婚計画(上)
高円宮典子さま(29)と出雲大社の宮司嫡男・千家国麿(せんげくにまろ)氏(44)が華燭の典をあげたのは
3年前のことである。眩しく煌めく1日――。だが、既に2人は別居状態にある。
よりにもよって縁結びの神を祀る大社に垂れこむ暗雲……。
 ***
高円宮憲仁親王(2002年に薨去)と久子妃殿下(64)の間に次女として典子さまが生を享(う)けたのは、
1988年だった。ご夫妻はこれに先立つ86年に承子(つぐこ)さま、
そして90年に絢子(あやこ)さまと3姉妹に恵まれている。
本稿ではその典子さまと伴侶との結婚生活の破綻、そして奇異な“離婚計画”を取り上げるが、
まず、結婚までの経緯に触れておく。
典子さまは11年に学習院大を卒(お)えてからは進学や就職はせず、皇族としての公務に臨んでいた。
14年5月、千家国麿氏(現・出雲大社権宮司)との婚約内定を発表。
彼は出雲大社トップの宮司・千家尊祐(たかまさ)氏(74)の嫡男である。その折に、2人の出会いが
07年4月であること、共通の趣味であるバードウォッチングで愛を育んだことが明らかになった。
そして10月5日、出雲大社での挙式――。
午前11時、出雲大社の参道をゆっくりと進む典子さんは髪をおすべらかしに結い、黄色の袿(うちき)、紫の袴姿。
隣を歩く国麿氏も千家家伝統の黒の衣冠に身を包み、両名揃って絵巻物から飛び出してきたような恰好である。
あとに続く親族の顔はみな晴れやかで、沿道は多くの人が笑顔で振る日の丸の小旗で彩られ、
祝福の声に満ちていた――。
戦後に結婚して皇籍を離脱した女子が黒田清子さんに続いて6人目となった瞬間。
典子さまから典子さんになったこの14年10月5日が光であるとして、結婚にはむろん影もつきまとう。
これまでも、2人の仲を詮索する声がないわけではなかった。関連記事の見出しを拾ってみたら、
〈憂慮される“雅子さまとの符合”… 典子さん出雲から消えた!〉
〈千家典子さん別居説も出る頻繁すぎる里帰り〉
と、物々しい。概して「出雲で典子さんをほとんど見かけない」「宮邸に里帰りする頻度が高すぎる」
とコメントする関係者が登場する一方、「出雲ではオーラを消しているだけ」
「いやいや大事な行事の時には出雲にいますよ」と語る人物もいる。何があるのかないのか、判然としない内容だった。

「関係が芳しくない」
出雲大社の歴史をひもといた原武史著『〈出雲〉という思想』によると、
〈そもそも出雲大社では、出雲国造(いずもこくそう)と呼ばれる世襲の神主が、祭祀をつかさどっていた。
出雲国造は、国造制が消えたはるか後の近代日本にあっても、全国でただ一つ国造を名乗っており、
その祖先は天皇と同じく、アメノホヒノミコトという神とされていた。つまり出雲国造とは、
天皇と並ぶもう一人の「生き神」であったのであり、天皇にも匹敵する宗教的な権威をもっていたのである(略)〉
脈々と繋がるこの出雲国造の84代目が他ならぬ千家家の当代で、先に挙げた宮司の尊祐氏に当たるのだ。
そんな歴史を誇る家柄だから、知り合いに千家一族がいるという人物は、
「その彼が、“あの家とは先の戦争で対立して以来……”とポツリと言ったりしたので、
てっきり太平洋戦争のことかと尋ねたら、“いやいや応仁の乱のことです”と言うんですよ」
と、平成の次を覗き見ようかという時代に、時間軸が混線しそうなエピソードを披露する。
夫婦の仲について、千家家の事情に明るい関係者によると、
「確かに、我々はみな2人の関係が芳しくないという認識をしています。典子さんは都会で、
東京のど真ん中でずっと暮らしてきて、突然あんな田舎に連れてこられても土台無理。
出雲の冬の寒さに音をあげられたというのも大きい。若い頃にちょっと会っただけでロクにデートもせず、
“大丈夫?”って声はしきりにありましたけどね。基本的に別居しており、もうその期間は長くなっています」
宮内庁担当記者も、「典子さんは、東京での滞在時間の方が
圧倒的に長いというような話は前から聞いておりました」と同調するように継ぎ、
「彼女の日常生活は完全にお姫様状態なんです。構われ過ぎてしまうので居心地が良くないんだと、
ちらほら聞こえて来ている。もう1つ、国麿さんがちょっと心身症気味なんじゃないかということも耳にしました」

“慶事後”に?
出雲大社に祀られる主祭神は縁結びの神様である。大社はホームページにそう喧伝しており、
今ここに挙げた話が事実なら笑えないジョークでしかない。
「すぐに離婚というのはないんです。千家家は、国家的な慶事を大事にするという考えで動いている。
それに久子さまは五輪招致の立役者でいらっしゃる。
付け加えると、その前には天皇陛下の退位や新元号のスタートなどの大イベントもあるので、
水を差すような離婚などできようもありません。
裏返せば、その後に離婚は避けられないということでもある」(先の関係者)
自分の家のことになぜ五輪が関係するのか。そんな疑問が湧くのは無理からぬこと。
しかし実際、当代から2つ遡った第82代の出雲国造は自著『出雲大社』で、
「皇室の弥栄(いやさか)と国家、民族の繁栄とを祈りつづけてきたわが家の使命を(略)」
と明示する。国家を背負う自負と自恃とが、彼らを国造たらしめているのだ。

「病気が長引いて…」
出雲に入って千家家に関係する面々に当たって行くと……まず、国麿氏の叔父の隆比古(ながひこ)氏の奥方は、
「別居については、そんな話聞いてません。新築の自宅で、義母と一緒にご飯を作ったりもしている」
他方で、千家家の菩提寺の住職は、
「国麿さんのご病気については、何かもともと気鬱だって聞きますね。それで気分的に塞いでいるというか。
普通の公立小中に通ったおとなしい人なので、皇族として育った典子さまとうまくいくのかと気になっていたんです。
結婚直後の正月の行事には典子さまが出ると思ったら出なかったし、
去年8月の千家家先祖供養の霊祭では国麿さんはおらず、典子さまだけ。
最近は2人で出かけるという話は耳にしません」と、また違った反応。
続いて地元自治会幹部は、
「この前も宮司(=国麿氏父)は、“礼子(あやこ)(=国麿氏母)と典子が一緒に食事を作ってくれる。
最近は塩分控えめにされており、あまりおいしくないんだよね”と嬉しい悩みのようなことを明かしていましたよ」
隆比古氏の奥方の話にもあった「嫁姑料理話」。そこで“お世継ぎ”に話を振ると、
「国麿さんが85代になられるから、早く86代目が生まれないととは思いますけど。
色々と事情があってなかなか難しいですわ。どんな事情? う〜ん、国麿さんと典子さんが2人で(出歩いていた)
というのは聞かないし、そもそも国麿さんをここ1年半くらい見かけていません……ちょっとどう言っていいか、
以前から体調を崩しがちで、病気が長引いているということなんでしょう。
国麿さんが元気になられて早く例祭(大事な祭事)などに出られるようになるといいなと思います」
菩提寺住職の話と合わせ、国麿氏がそう短くない期間、病を養ってきたことは疑いないようだ。
https://www.dailyshincho.jp/article/2017/12110800/


「典子さま」と「千家国麿さん」不仲説 “夫の健康問題”と“頻繁な東京行”
社会週刊新潮 2017年12月7日号掲載
宮司家嫡男と高円宮家「典子さま」 夫婦破綻で進む遠大なる離婚計画(下)
3年前に挙式した高円宮家の次女・典子さま(29)と、
出雲大社の宮司嫡男・千家国麿(せんげくにまろ)氏(44)夫婦について、千家家の事情に明るい関係者は
「関係が芳しくないと認識をしています」と、2人が長い別居状態にあると証言する。
この関係者によれば、国家的な慶事を大事にする千家家の考えゆえに、
東京五輪を控えた現在すぐの離婚はないものの、「裏を返せば、その後に離婚は避けられない」(同)。
国麿氏の心の問題にまつわる証言も浮上し、縁結びの神を祀る出雲大社には暗雲が垂れこめる。
 ***
東京の取材班は、典子さんの祖母・鳥取二三子(ふみこ)さん(90)に話を聞いていた。
年齢を全く感じさせない、かくしゃくとした口ぶりである。
「神官さん(国麿氏)は結婚式でお疲れになったうえに、お父様が修行に厳しいそうです。
結婚式が終わってから身体を壊して寝込んでいらしたこともありました。別に夫婦の仲が悪いわけではありません。
ただ典子さまもしょっちゅう東京にはお出でになられています。
宮中では色んな催し物がございますから。それにお友達のクラス会もあるようです」
国麿氏はと言うと、
「あちらはお忙しいからいらっしゃらないですが、お義母さまと一緒に上京されることも多いんですよ。
向こうにいらしても、(典子さまは)皆さんのところに出ていらっしゃる用事がないわけです。
ほとんど土地の方とは交流がおありにならない。本当にお暇らしいです。
神官さんの奥さまというのは本当に何にもすることがないそうで」
 出雲では時間を持て余し、東京で用事が立て込んでいる。
だから、「しょっちゅう東京にはお出でになられてい」ると仰る。

「別居状態と言われれば」
取材後程なく二三子さんから「誤解して頂きたくない」と記者に連絡があり、2度目の取材と相成った。
以下はそのやりとりである。
「典子さまがこっちにちょくちょくいらっしゃった理由としては、三笠宮さまが亡くなられて1年間は喪でしたから。
その式のたびに千家さんのご両親と出ていらして。それで、権宮司さん(国麿氏)は
出雲にいなきゃならないですから。それともう1つ。典子さまは出雲にお知り合いはないから。
散歩なんかをして買物なんかなさったりされる方じゃないから。チャリティでビーズのブローチを作ったり。
結局、千家さんのお母さまと一緒に1日過ごしていらっしゃる」
次いで2人の仲に触れて、「別居はしていません。今は、あちらのご両親と4人一緒に過ごされています。
ただ、新居がなかなか建ちませんでね。
何か、ああでもない、こうでもないって。それが、やっと建ちまして。広いきれいなお家です。
あの、今、引っ越しなさってご夫婦そっちに。お食事やなんかはどっちかのお家で、
典子さまがお作りになったり。お義母さまとご一緒に」
(上)でも紹介したとおり、ここでも「嫁姑料理」が語られている。ちなみに登記簿謄本によれば、
新居は昨年10月に新築されている。現地で確認したところ、「広いきれいなお家」である。
もっとも、人の匂い、住んでいる形跡は全くない。プランターも自転車も見当たらないのだ。
「ただ、別居状態と言われれば確かに……。国麿さんを置いて東京にいらしている、
お泊りになっていらしている時は(そう思われるかもしれない)。お泊りになられる際は宮邸だと思います。
ご実家ですし、お部屋もあるわけですから。(典子さまは)2、3日いらっしゃる時もあれば、
日帰りになっちゃうのもあります。しばらくいらっしゃらない時もある。離婚なんてないですよ。
それは大丈夫です。お姿が見えないのは、(外に)出ていらっしゃらないだけです」

“将来の離婚を…”
誰かの言うように、21世紀の新しい結婚の形と言ってしまえばそれまでかもしれない。
しかし、東京のど真ん中で育ち、嫁ぎ先に知り合いが皆無で、振り向けば常に姑という毎日。
その息苦しさに耐えかねた「頻繁な東京行」と言えなくはないだろうか。事実、
「典子さんは、東京ではブランドのレセプションやパーティーに顔を出し、楽しんでいるようですよ」
と、宮内庁担当記者は明かす。別居の証明は易々とは行かない。ただ、繰り返すが、
二三子さんが口にする「新居での生活」の雰囲気はない。3年前の絵巻物風の挙式が早くも色褪せて映るのだ。
それに加えて、国麿氏の抱える心の問題である。
夫婦問題コンサルタント・池内ひろ美さんは、
「見知らぬ地域に嫁いだ女性にとって、一番の味方は夫君。なのに体調が芳しくないとなるとしんどいことでしょう。
ただでさえ、嫁ぎ先では『お姫様状態』で何もさせてもらっていないわけですよね。
彼女は“私がここにいる価値はない”と思ってしまっている可能性もあります。
自分に役割が与えられていないというのは最もツラいことですから」
そう斟酌したうえで、
「お姑さんとよく行動を共にされて、東京にも一緒にいらっしゃっているということですが、
『お目付け役』なのかもしれません。お姑さんと一緒に実家に帰りたいなんて思う嫁は世の中にひとりもいないですからね」
と指摘する。更に、
「ヨリを戻すとかそういうのではなく、ご夫婦としてまだスタートされていないのではないかという印象さえ持ちます。
典子さんご自身の幸せを考えると、『カゴの鳥』状態を続けるよりは別居や離婚に踏み切った方が
いいのではないかと思います。20年まで離婚が難しいということですが、来年30歳になられる典子さんにとって、
その時機は再出発するにあたって重要なタイミングでもありますから」と踏み込むのだった。
再び出雲に話を戻そう。国麿氏の父・尊祐宮司を直撃すべく自宅前で待っていると、黒塗りの車が滑りこんできた。
後部座席から降車した宮司に別居と嫡男の病について尋ねたが、
「お話しすることはございません。とにかく2度と来ないでください!」
と言うのみで否定することはなかった。前出の関係者に改めて聞くと、
「宮司は“息子夫婦の仲が良くないこと、基本的に別居状態にあること、将来の離婚を覚悟していること”を漏らしています」
することがなく、幸せとは言い難いお姫様状態に夫の健康問題が絡み、東京の実家戻りが重なる典子さん。
別居婚から別居へ。離婚計画は推移しつつあるということになる。

特集「縁結びの神『出雲大社』に暗雲! 宮司家嫡男と高円宮家『典子さま』夫婦破綻で進む遠大なる離婚計画」より
https://www.dailyshincho.jp/article/2017/12120800/


縁結び神社の妻・千家典子さん「別居」報道の真相は?
2017.12.25 07:00
日本最古の旧家同士の慶事と祝福されたのが、高円宮家の次女、典子さんと
出雲大社の宮司の長男である千家国麿さんとの結婚だ。
国麿さんの父、尊祐さんは第84代出雲国造で出雲大社宮司。
2014年5月、国麿さんは婚約の記者会見で、千家家の初代が天照大神の次男、天穂日命にあたる、と切り出した。
「2千年を超える時を経て、今日を迎えたことに深いご縁を感じている」
皇室の祖先である天照大神の子孫に国を譲ったのが、出雲大社に祭られる大国主神で、
ともに祖先が天照大神につながる「家」同士というわけだ。
だが結婚後まもなく、2千年のご縁にも陰りが見える。
発端は、「宮司の妻」という将来に備え、出雲で過ごしているはずの典子さんが、
頻繁に東京に戻っている、という話が出回ったこと。
「ファッション関係のパーティーやレセプションなどでお姿をお見かけしたので、
また東京にいらっしゃるのか、と不思議に感じていたのです」(関係者)
典子さんは単独で行動することが大半で、国麿さんと過ごす光景は東京でも出雲でも見かけることはなくなっていった。
「典子さんがよそ者扱いされてなじめないようだ」といった噂も流れ、「離婚」「別居」の文字が躍った。
昨年11月、逝去した三笠宮崇仁親王の本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」では、参列は典子さんのみ。
そして、今年11月、高円宮憲仁さまが亡くなって15年の墓所祭で目をぬぐう典子さんを支えたのは、
義母の礼子さんだった。
出雲大社の敷地内に建てられた新居に人の気配はないという。真相はどうか。千家家と交流のある人物によれば、
「国麿さんは精神的に参ってしまっているという話も聞こえてきます」
その一方、複数の関係者によれば、典子さんと千家家との関係は悪くはないようで、
典子さんはなれ初めなどを楽しげに話している場面もあったようだ。
「千家家は、憲仁さまのご縁で、尊祐宮司が高円宮家を経済的なことはもちろん、
あらゆる面で支援してきた」(神社関係者)
いわば家を背負った婚姻だけに、「離婚」の選択肢は簡単ではなさそうだ。
では、お世継ぎ問題はどうか。前出の関係者がこう話す。
「出雲大社は直系だけで続いた家ではありません。親族にも優秀な人材はそろっていますから、
お二人の間に子どもがいなくとも問題にはならないでしょう」
出雲大社の祭神は縁結びの神さまだけに、明るい未来を期待したいものだ。(本誌・永井貴子)
※週刊朝日 2017年12月29日号
https://dot.asahi.com/wa/2017122100057.html?page=1


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高円宮典子さまご結婚
典子様ご結婚関連
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毎日放送の放送法に基づく訂正放送への対応について

毎日放送の放送法に基づく訂正放送への対応について
平成30年1月31日
宮内庁

毎日放送は,平成30年1月9日,TBS系列全国ネットで放映された「教えてもらう前と後」と題する番組において,
天皇陛下が既にご成婚後の昭和38年10月に栃木県奥日光で撮影された皇后陛下のお写真を取り上げ,
「ご・成・婚・前・に・陛下が撮影された美智子さまのお写真」と紹介し,
その取り違いに重ね,撮影に至る経過として,「軽井沢での出会いからおよそ2か月。
美智子さまは陛下から東京で開かれるテニス大会に招待され,
・・・そこで,陛下から『美術展に出品する写真を撮らせてほしい』とお願いされた」とした上で,
更に「陛下はこのお写真に意味深な『女ともだち』とのタイトルを付けて
宮内庁文化祭美術展に出展された」とのあり得ない解説を加えています。

まず何よりも,番組で取り上げたお写真が,ご成婚後4年を経た昭和38年10月に
陛下が当時第二子ご流産後の皇后陛下のご健康をご心配になり,
奥日光の学習院光徳小屋にお連れになった時にご自分でご撮影になったお写真であることは,
既に様々な雑誌でも取り上げられている公知の事実であり,
番組における事実確認が極めて不十分であったことは遺憾であり,
更にはこうした憶測や思い込みが先行して「美術展出展」,
「意味深な『女ともだち』とのタイトル」等あり得ない解説が付され,
その上に立って当日のゲストたちからの発言が行われました。

以上の点については,視聴者からの指摘に基づき,会社として,
放送法に定める訂正放送を行うとして宮内庁に謝罪の申し入れがあり,
その後の番組終了後に,前回の放送で写真説明に間違いがあったとして訂正のテロップが流されました。
しかし,テレビで一度放映されたものに訂正を加えることは,その時々の視聴者も変わることでもあり,
したがって宮内庁としては,改めて以後このような間違いを繰り返さぬよう番組制作者に求めると共に,
せめて制作責任者より当日の司会者,番組解説者である皇室コメンテータの
高清水氏及び当日のゲストコメンテータの諸氏に,このことにつき責任ある説明を行うよう要望しました。

なお,ご成婚前の宮内庁文化祭に,陛下が何であれ「女ともだち」などと題したお写真を
出展なさった記録は勿論ありません。
宮内庁文化祭は,宮内記者も自由に観賞できる行事であり,
仮に,当時お若かったご成婚前の陛下が「女ともだち」と題する写真を出展されていたとすれば,
お后問題への関心が最も高かったその頃,既にその時点で大きな社会的話題となったはずでありますが,
そのような記録は見当たりません。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/taio/taio-h30-0131.html

赤坂御用地での知られざる宴

櫻井翔、三浦春馬、はるな愛も…赤坂御用地での知られざる宴
2017.10.13 16:00

冷んやりとした風やコオロギの鳴く声に秋の気配を感じる頃になると、「秋の園遊会」の季節だ。
今年も11月上旬に開催が予定されている。
園遊会とは、毎年春と秋の2回、東京・元赤坂の赤坂御用地内にある庭園
「赤坂御苑」で開かれる天皇皇后両陛下主催の宴会のこと。
皇族方が一堂に会する重要な行事でもある。

「園遊会は1953年に始まり、60年以上にわたって行われています。
招待されるのは国会議員や各県の知事、議長のほか、芸術、スポーツなど
各界で活躍した人やその配偶者など総勢2000名以上の人たち。
伝統と格式のある園遊会に招待されるのは栄えあることで、
和服姿でビシッと決める女性招待客が多いですね」(皇室ジャーナリスト)

ずらりと並ぶ招待客の前に、両陛下を筆頭に皇族方がゆっくりと歩みを進められ、
お声がけをされて懇談を楽しまれるシーンはテレビでもおなじみだ。
園遊会には芸能人も招待されて花を添える。近年では黒柳徹子(84才)、北大路欣也(74才)、
松任谷由実(63才)、EXILE・HIRO(48才)ら大物が招待客に名を連ねた。
「主催こそ両陛下ですが、招待客を決めるのは“お役所”です。
内閣府が各省庁からの推薦を取りまとめて、宮内庁に招待リストを提出して
招待客が決定されます」(前出・皇室ジャーナリスト)
つまり、招待客と皇族の個人的なつながりは考慮されず、あくまで活躍や話題に応じてお声がかかるのが基本。
その点、昨春の園遊会に招待された黒柳は例外のケースだろう。

「黒柳さんは美智子さまと個人的に長い交流を持たれています。おふたりの年齢は1つ違い。
約40年前に黒柳さんが米国のろう者劇団を日本に招聘した際、
美智子さまが公演を鑑賞されて以来のおつきあいだそうです。
黒柳さんがプライベートで頻繁に皇居に招かれ、
美智子さまとお茶を飲みながら語らわれていることは有名です」(ベテラン皇室記者)

◆御用地内のワインパーティー
ほとんど知られていないが、黒柳のように、皇族のお住まいをプライベートで訪れる芸能人は少なくない。
いわゆる“お忍び訪問”である。宮内庁関係者が振り返る。

「2、3年ほど前ですが、嵐の櫻井翔さん(35才)が赤坂御用地を訪ねたところを目撃されています。
御用地内で『園遊会』のようなイベントがあったわけではないので、
宮邸を個人的に訪ねられたのでしょうね」

赤坂御用地は皇居から車で5分ほどの距離にある。
外周約4km・敷地面積約50万平方メートルという緑あふれる広々とした敷地内には、前出の庭園「赤坂御苑」を中心に、
皇太子ご一家の住居である東宮御所や秋篠宮邸、三笠宮邸、高円宮邸などがある。
「赤坂御用地はさながら、“皇族の住宅街”で、皇族同士が思いがけず顔を合わされることもあるといいます。
皇太子ご一家が散歩中に秋篠宮邸を訪れて、お茶を飲まれることもあったそうです」 (前出・皇室ジャーナリスト)
敷地の内外には厳重な警備体制が敷かれており、一般人は許可なく立ち入ることはできない。
ただ、皇族の許可さえあれば、敷地内への立ち入りを許される。芸能人が御用地を訪ねるのは概ねこうしたパターンだ。

「皇太子ご一家や秋篠宮ご一家は立場や格式もあるので、
世間的に目立つような芸能人との交流はご遠慮されているようです。
その一方で、三笠宮家や高円宮家の皇族方は比較的ご自由に芸能人とも交友関係を持たれているそうですね」
(別の宮内庁関係者)
たとえば、高円宮妃久子さまは交友関係が広いことで知られる。久子さまは日本赤十字社名誉副総裁に加え、
日本サッカー協会名誉総裁、日本ホッケー協会名誉総裁などスポーツ界とのかかわりが深く、
各種イベントやパーティーで幅広く交流活動を行っている。

「ワインを嗜むのが好きな久子さまはとても社交的なおかたで、
赤坂御用地内の高円宮邸に各界のお客さまを招待してよくパーティーを催されていますよ。
その場には政財界の名士のかたがたのほか、芸能人のかたが出席されて
久子さまと交流されることもあるそうです」(前出・別の宮内庁関係者)

三笠宮家には彬子さまと瑶子さまの2人の女王がいらっしゃり、それぞれに幅広い交友関係をお持ちだ。
「俳優の三浦春馬さん(27才)は数人の関係者たちと一緒に、三笠宮邸にご招待されたことがあるそうです。
また別の機会には、有名ハーフモデルタレントや若手人気ロックバンドのメンバーを赤坂御用地で見かけたことがあります。
彼らも三笠宮邸で女王さまが開かれたパーティーに出席されたそうです」(前出・宮内庁関係者)

◆歌舞伎役者やはるな愛も…
この9月には、市川海老蔵(39才)の息子の勸玄くん(4才)と伯母の
小林麻耶(38才)が赤坂御用地を訪ねたという。
「麻耶さんと勸玄くんは、高円宮家の承子女王や絢子女王とご縁があるようです。
そもそも伊勢神宮で奉納の舞をしたり、皇室をテーマとする作品も多いため、
伝統芸能と皇族のかかわりは深い。
海老蔵さんの母・希実子さんが学習院大を卒業された縁で、
成田屋には学習院関係者だけで組織された特別後援会があり、そこが皇族とのルートになることもあるそうです。

彬子女王の歌舞伎好きも有名で、亡くなった中村勘三郎さんとは家族ぐるみのつきあいでした。
彬子女王は、勘三郎さんの息子・勘九郎さん(35才)や市川染五郎さん(44才)とも懇意にされています」
(梨園関係者)

“変わり種”ではニューハーフタレントのはるな愛(45才)も、ある女王と親しいそうで、
パーティーなどでしばしば宮邸を訪れるという。
なぜ女王たちは芸能人と親しくなるのか。前述の久子さまのように、
皇族はさまざまな団体のイベントやチャリティー活動に出席するため自然と交流範囲が広がり、
著名人と知り合う機会が多いことが1つの理由だ。
「若い女王たちは夜遅くまで御用地の外で飲まれることもありますが、
立場やセキュリティーの関係で近所の居酒屋というわけにはいかず、
プライベートが守られる隠れ家的な高級飲食店になりがちです。
そういうお店には素性を隠したがる芸能人も集まるので、必然的に出会いの機会が増えるそうですよ」
(前出・別の宮内庁関係者)
ちなみに嵐・櫻井が赤坂御用地を訪れたのも、ある女王に招待されたからだとか。
愛子さまは音楽番組をよく見られ、学校ではご学友と嵐のメンバーの話をするそうだが、
ひょっとしたら、御用地でバッタリ遭遇したことがあるのかもしれない。

※女性セブン2017年10月26日号
http:// www.news-postseven.com/archives/20171013_620659.html

「平和」軽井沢で体現した陛下 悠仁さまが引き継ぐ思い

「平和」軽井沢で体現した陛下 悠仁さまが引き継ぐ思い
島康彦、多田晃子、中田絢子、緒方雄大
2017年12月22日18時19分

1枚の珍しい写真が残されている。民家のソファに腰掛けているのは、皇太子時代の天皇陛下だ。
かたわらには皇后さま、長女・紀宮さま(黒田清子さん)。
陛下はテーブルに並んだゼンマイやレタスなどに「おいしいですね」と舌鼓を打ち、
近所の人も交えてだんらんした。

1988年8月、長野県軽井沢町の大日向地区にある井出久次さん(91)宅を訪れた時の一コマだ。
両陛下はその前から何度も、浩宮(皇太子)さまや礼宮(秋篠宮)さま、清子さんを大日向地区に連れ出し、
牛とたわむれさせたり、地元の子どもたちと交流させたりした。井出さん宅には計3度足を運んだという。
清子さんについては幼いころ地元の保育園にも通わせた。同園で給食を作っていた小須田愛子さん(88)は
「知らない子ばかりのなかでも泣いたり甘えたりすることなく、
配膳や昼寝をするなど皆と同じように過ごしていた」と振り返る。
住民との交流には、一般社会の生活を学ばせるほかに、もうひとつ、大きな意味があった。
同町の大日向開拓地は戦後、旧満州から引き揚げた人たちが入植した場所だ。
宮内庁幹部は「貧しさの中、集落を作り上げた開拓地の歩みを伝えようというお気持ちだったのでは」と推し量る。

戦争を知る最後の天皇として、陛下は幼少時から、お子さま方が平和を考える機会を提供した。
大日向地区への訪問だけでなく、沖縄から本土を訪れた小中学生の「豆記者」を毎夏、
軽井沢の静養先に招いて交流させた。
豆記者を引率した元教師の山本和昭さん(87)は、子どもたちと語らい、
披露された琉球踊りに見入るお子さま方の様子が印象的だったという。

それからおよそ半世紀。山本さんにとって、当時のお子さま方の姿を思い出す出来事があった。
2014年8月、東京都内で、戦時中に約1500人が犠牲となった「対馬丸事件」の慰霊の集いが開かれた。
秋篠宮ご夫妻、長女眞子さま、次女佳子さまとともに、長男悠仁さまが出席した。
悠仁さまはスーツにネクタイの正装姿。出席者と黙禱(もくとう)を捧げ、生存者の話に耳を傾けた。
集いを主催した山本さんは「悠仁さまの表情は真剣で、幼い頃の秋篠宮さまに重なって見えた。
陛下の平和への思いが、時代を超えて秋篠宮さまから悠仁さまに継承されようとしていると感じた」。
両陛下が慰霊で94年に訪れた東京・小笠原諸島も、悠仁さまは今年7月、紀子さまと訪れた。
東京から南に約1千キロ。24時間の船旅で父島や母島をまわり、
山歩きの際には塹壕(ざんごう)や軍道、乗り捨てられた軍用トラックなどが点在する戦争の痕跡をめぐった。

皇太子家の長女愛子さまも平和への関心は強い。
今年春、学習院女子中等科の卒業記念文集に、核兵器のない世の中の実現を願う作文を寄せた。
修学旅行で広島市を訪れた経験をもとに「唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、
自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要がある」とつづった。

所功・京都産業大名誉教授は「敗戦を原点に平和への思いを抱いてこられた陛下は、
平和を祈り願い続けることを自らの務めとして様々な場所に足を運ばれた。
それを子や孫に受け継ぐことで、皇族すべてが平和を大事にしている思いとなって体現されてきた。
それが結果的に、国内外の人々の平和を願う気持ちの醸成につながっている」と指摘している。
(島康彦、多田晃子、中田絢子、緒方雄大)
https://www.asahi.com/articles/ASKDK000HKDJUTIL02Q.html

両陛下は、なぜ被災地を巡るのか

天皇、皇后両陛下は、なぜ被災地を巡るのか 皇室担当記者たちが明かす未公開秘話
永井貴子2018.2.24 07:00

天皇、皇后両陛下は、なぜ被災地を巡るのか──。
東日本大震災発生から7カ月後の2011年10月、皇后さまが誕生日に発表した文書をきっかけに、
朝日新聞社会部の皇室担当記者の取材が始まった。
そこからの両陛下の足跡をたどった『祈りの旅』(朝日新聞出版)が発売された。えりすぐりの秘話を紹介する。

「ともすれば希望を失い、無力感にとらわれがちになる自分と戦うところから始めねばなりませんでした」
「このような自分に、果たして人々を見舞うことが出来るのか、不安でなりませんでした」

朝日新聞社会部の北野隆一編集委員は、震災の年の秋、皇后さまが誕生日に公表した文書に胸が詰まった。
被災者に笑顔で接していた皇后さまが、実は内面に葛藤や悩みを抱えていたと知った。
そこからスタートした取材は、朝日新聞の連載「プロメテウスの罠 震災と皇室」
「被災地の両陛下をたどって」「てんでんこ皇室と震災」という形となり、読者に伝えられた。
本書では、宮内庁幹部や、陛下と対面した専門家や政治家、被災者、
復興にあたった自衛官ら多数の関係者への取材を積み重ね、
両陛下の足跡を丹念にたどっている。そこには両陛下の葛藤だけでなく、
平成の皇室を築き上げた両陛下自身の変化も浮かび上がる。
その一部を紹介しよう。

■3月11日午後2時46分
東京都千代田区は震度5強の揺れに襲われた。天皇陛下は皇后さまとともに皇居の宮殿で、その瞬間を迎えた。
宮殿の表御座所の部屋に並ぶ各国元首の肖像写真立てが、激しい揺れで次々と倒れた。
皇后さまはお住まいの御所に戻ったが、天皇陛下は国事行為である、
内閣からの書類に署名押印する「執務」のため宮殿に留まり、
テレビの災害ニュースをじっと見続けた。

テレビ画面に、津波の高さの予想が「10メートル」と表示された。
すると陛下は1993年の北海道南西沖地震で津波に見舞われた奥尻島に触れ、
「沖合で操業していたイカ釣り船は無事に帰ってきたので、沖合まで出られれば大丈夫」と祈るように語った。

■陛下に説明したメルトダウン
あとから明らかになったが、この日の夜には、東京電力福島第一原子力発電所1号機の
メルトダウン(炉心溶融)が始まっていた。
翌12日には、1号機が爆発。発生6日後の3月17日夜に、仙谷由人官房副長官の認証式が皇居で行われた。
式は十数分。あとの30分は、菅直人首相が別室で陛下に震災について説明する時間にあてられた。
菅は秋の退任まで5回ほど内奏し、いずれも震災が話題になった。
陛下は菅に「その都度、熱心に聞かれる」(菅)ので、メルトダウンや、
溶けた核燃料が原子炉の圧力容器の底を突き抜けるメルトスルーの可能性についても話したという。

■原発を見たい
両陛下は那須御用邸の風呂を避難者に開放し、豚肉やソーセージ、
卵など御料牧場の生産物を避難所へ届けるよう手配した。
両陛下のお見舞いは東京、埼玉、千葉、茨城、宮城、岩手と続いた。いよいよ福島県だ。
もっとも時間をかけて準備したのが福島だった。
訪問までに十数人の原発や放射能関連の専門家らの説明を受け、猛烈な勉強を始めていた。
4月20日、東京大学地震研究所の地震火山情報センター長の佐竹健治は、侍従長の川島裕からこんな話を聞いた。

「天皇陛下が、原発を見たいとおっしゃっている」
川島が無理だと答えると、陛下は「自衛隊の飛行機で上空から見るならいいだろう、それでもだめなのか」。
この日、東京電力は福島第一原発の燃料棒の一部溶融を認めた。
22日には20キロ圏が警戒区域に設定され、住民の立ち入りが禁じられた。そんな時期だ。
1986年のチェルノブイリ原発事故。被害を受けた国から訪問客を迎えたときは、
事故の影響や後遺症などについて熱心に話を聞いた。
89年にベルリンの壁が崩れて東西冷戦が終わったあと、陛下がこう言ったのを元侍従長の渡邉允は覚えている。
「これでチェルノブイリみたいなことは起こらなくなるだろう。
情報の流れがよくなり、何が起こったかわからないうちに大変なことになってしまうようなことは」

■狭心症の悪化と手術
狭心症を抱えていた天皇陛下は翌12年2月18日に冠動脈バイパス手術を受けた。
震災前の11年1月の「様子を見る」との判断が、
震災を経た翌年には「手術を受けるべきだ」という判断へと変わった。
記者は、被災地訪問の負担も一因ではと考えた。取材した羽毛田信吾宮内庁長官は、
「心底思いやって、悲しみ、苦しみをともにする。心に重いものを負いながらの訪問であり、
心のストレスは大きかったと思います」と明かした。
さらに、たびたび天皇陛下に「お疲れではありませんか。すこしペースを落としては」と進言したが、
いつも「いや大丈夫だ」という答えだった、とも打ち明けた。
3月4日に退院し、5月12?13日には仙台の仮設住宅を訪れた。
5月16日にはエリザベス英女王の即位60年行事のための訪英を控えていた。
過密日程を心配した奥山恵美子仙台市長は、延期を提案したが、
宮内庁からは「被災地に行かずに海外に行くことはないと陛下はお考えです」と返事が返ってきた。

■ひざをつく
『祈りの旅』では両陛下が被災者の前でひざをついて語りかける姿について、
象徴天皇制を研究する河西秀哉神戸女学院大学准教授らへの取材で検証する。
皇太子明仁さまが1959年10月、昭和天皇の名代として伊勢湾台風の被災地を訪れた際は、
座る被災者に立ったまま話しかけた。
一方、結婚後間もない62年に九州の児童施設を訪れた際、皇太子妃美智子さまは、
児童施設で子どもが横たわるベッドの横でひざをつき、子どもに語りかけた。
結婚後27年の86年。伊豆大島三原山噴火で東京都心に集団避難中の島民を慰問した際、ご
夫妻でひざをつき、被災者と同じ目の高さで話した。91年の雲仙普賢岳での姿勢も同様だ。河西が推測する。

「皇太子は最初は人々との接し方に距離感があったが、
美智子妃の姿を間近で見て、次第にその意識を変化させていったのでは」

国民の側の意識も変化した。93年の北海道南西沖地震で津波などで被災した奥尻島を訪問した際は、
避難所でひざをつく天皇陛下の姿が報道されると、奥尻町役場に批判の電話が殺到した。
しかし町職員によると、2年後の95年の阪神・淡路大震災の際は、神戸市役所にそうした苦情はなかったという。

■追悼
北野編集委員は、本書の完成を見ずして亡くなった人たちを悼む。
そのひとりは、2017年8月、66歳で亡くなった衆議院議員の長島忠美。
04年の新潟県中越地震発生当時、2千人余りの全村避難を決断した新潟県山古志村(当時)の村長だった。
これまで表に出すことがなかった被災地を訪問した両陛下とのやりとりを、北野編集委員の取材に初めて答えた。

被災地で陸海空の自衛隊全体を束ねる統合任務部隊指揮官だった君塚栄治。
自衛隊員も被災したり、遺体捜索の精神的負担に苦しんだと明かした。
11年3月16日に陛下が自衛隊、警察、消防、海上保安庁の順に列挙し
「その労を深くねぎらいたく思います」と語ったビデオメッセージに、
「自衛隊が頼りにされている」と感激した、と振り返っている。君塚は15年12月、63歳で急逝した。
「両陛下が人とふれ合い、言葉を交わした足跡は、本人が生きているときに聞いておかなければ記録に残らない。
そんな当たり前のことに気づかされた」。北野編集委員はそう締めくくった。


【未収録秘話/被災地と皇居を結ぶハマギク 両陛下との「5年後の約束」】

未収録の秘話がある。有名なハマギクのエピソードの後日談を多田晃子記者が取材していた。
岩手県大槌町の海辺に立つ「三陸花ホテルはまぎく」。
両陛下とのきずなであり、ホテルのシンボルとなったハマギク。
天皇陛下の退位が決まったことを受け、このホテルに両陛下の歌を刻んだ歌碑を建設しようと準備が進む。
きっかけは皇后さまの一言だった。

同ホテルの前身「浪板観光ホテル」は東日本大震災で被災。社長だった山崎龍太郎さん(当時64)らが亡くなった。
この年の10月、皇后さまの誕生日にあたって公開された両陛下の写真には、
山崎さんが生前に種を贈ったハマギクの花が写っていた。「両陛下からの激励のメッセージでは」。
ホテルはハマギクを復興の象徴に掲げ、「三陸花ホテルはまぎく」として再建を果たした。
2016年9月、両陛下が岩手県大槌町への訪問で、このホテルに宿泊した。1997年10月に続く2回目の訪問だった。
海岸のハマギクは東日本大震災で半減し、砂浜は地盤沈下していた。
そばで仕えた侍従は、その光景を見た両陛下の様子について、こう明かした。

「言葉もなく、悲しそうな表情でご覧になっていた」
社長の千代川茂さんは両陛下に、5年後にはまた震災前の砂浜に戻ると思っていること、
そして「お越し下さい」と伝えた。
翌日の帰り際、皇后さまが千代川さんに声をかけた。

「5年後ですね」
5年後の2021年は、震災から10年の節目だ。
退位された後も私的なご旅行でいらっしゃることがあるかもしれない。
千代川さんは、万が一の5年後に備えて、お二人の歌碑を建設しようと考えた。
両陛下が訪れた日を、「平成」の元号で記録する予定だ。


【未収録秘話/200人の中からひとりの姿を見つけた天皇陛下】

中田絢子記者は、こんなエピソードを紹介する。
1991年の雲仙・普賢岳噴火災害発生当時、長崎県島原市長を務めていた鐘ケ江管一さん(87)は、
「両陛下には、8回ほど拝謁していますが、1回1回のお話をよく覚えてくださっていた」と明かす。

鐘ケ江さんは噴火災害から約1カ月後に両陛下が現地を見舞った際、現地を案内した。
復興状況の説明を求められ、上京して御所に上がったこともあった。
驚いたのは、鐘ケ江さんが市長を退任後の93年、皇居での清掃ボランティア「勤労奉仕団」に参加した時のことだ。
約200人とともに両陛下と対面した場で、両陛下は鐘ケ江さんを見つけ、歩み寄った。

「ご本をありがとう」
実はこの対面に先立ち、鐘ケ江さんは著書「普賢、鳴りやまず―ヒゲ市長の防災実記763日」を、
宮内庁を通じ、両陛下に贈っていた。
皇后さまは、同伴した長女の紀宮さま(黒田清子さん)に
「この方がヒゲの市長さんで、本を出されたのよ」と紹介してくれた。
鐘ケ江さんが直近で両陛下と会ったのは2014年秋の諫早国体の時だ。
長崎県県議ら約20人がホテル玄関で出迎えに並ぶなか、両陛下は鐘ケ江さんの前でパッと足を止めた。
皇后さまは「ご病気でおられると聞いておりましたが、お元気そうでよかったですね」と健康を気遣った。
数年前にくも膜下出血で倒れたことを、把握していた。
復興状況の説明にあがった時はいつも微に入り細に入り、住民の生活状況についての質問があった。
鐘ケ江さんには、両陛下が長い間、ずっと気遣ってくれていることが伝わってくる。
(肩書は当時、文中一部敬称略)

(構成/本誌・永井貴子)

※週刊朝日オンライン限定記事
https://dot.asahi.com/wa/2018022200020.html

新天皇に覆いかぶさる雅子妃の”心の闇”

新天皇に覆いかぶさる雅子妃の”心の闇”
激務に加えどれだけの夫婦愛を示せるか、新天皇の肩の荷は重い
2018.1.12(金)
末永 恵

日本の「新皇室時代」の到来が近づいている。
光格天皇以来、2世紀ぶり、憲政史上初の生前退位が刻々と迫る中、内外の注目は「雅子皇后誕生」の行方だ。
1月2日、皇居・宮殿で行われた新年一般参賀に、平成で最多の約12万70000人が詰めかけた。

雅子妃のブローチ
雅子妃は新調したロイヤルブルーのドレスに、真珠とダイヤがあしらわれたシルバーのブローチを着用。
同ブローチは、皇太子妃だった頃に皇后の美智子さまが帯留として愛用されていたものだ。
美智子さまからの大切な贈り物であるとともに、同ブローチは、雅子妃にとって、ゆかりのジュエリーだ。
療養中、2013年に、オランダ国王の即位式のため、11年ぶりの海外公式訪問を果たした際に着用していたもの。
「美智子さまから皇后を引き継ぐにあたり、決意の意志が込められているのでは」(宮内庁関係者)と
宮内庁関係者は皇后即位への不安が募る中、期待を高める。

2004年から「適応障害」で長期療養している雅子妃にとってオランダは特別な地で、
雅子妃に理解を示すオランダ王室にとっても、それには「特別な理由」がある。
オランダ王室も、これまで“特殊な家族問題”を抱えてきたからだ。
英国のヘンリー王子が、米国人のメーガン・マークルさんと「国際結婚」することで英国にとどまらず、
世界中から注目を浴びているが、オランダのベアトリックス前女王の夫のクラウス殿下はドイツ人(2002年逝去)。
しかも、元外交官、国際結婚だ。
地質学者として欧州、米国、アジア諸国でグローバル企業や大学で勤務、
欧州の王室ともゆかりのある筆者の友人であるオランダ人は、
元外交官だったクラウス殿下のこれまでの苦悩を次のように話す。
「過去のナチス・ドイツのオランダ侵略の歴史から、反対派のデモ隊が結婚式場の教会に押し寄せ、
爆弾も投下されるなどの大事件が発生。
クラウス殿下は王室入りした後もドイツ人であることから国内から批判を受けた。
それがきっかけで、うつ病、いわゆる“適応障害”を患った時期がある」
「外交官としてのキャリアをなくした上、ドイツ人として批判され、
さらには『女王の伴侶』としてしか評価されなくなったことで、ひどく落ち込んでいった」
雅子妃は、2006年8月にも、オランダ王室の招きで、オランダで静養している。

父親も住んでいるオランダ
オランダには、2003年から同国ハーグの国際司法裁判所判事を務め、同所長を退任した後も
引き続き同裁判所の判事を務めている元外務事務次官の実父、小和田恒氏が住んでいる。
同じ民間人の美智子さまの実家の正田家と違い、婚約当初から皇室や宮内庁人事などで
“小和田家の関与”が取り沙汰される中、小和田氏自らオランダ政府、王室へ働きかけたとも言われている。

しかし、一方で「雅子妃にとっては、クラウス殿下、オランダ王室の存在や配慮が
精神的な支えになったのは間違いない」(宮内庁関係者)。
オランダのベアトリクス前女王とドイツ人のクラウス殿下の子息の
アレクサンダー皇太子(2013年国王に即位)のお妃のマキシマ妃の存在も大きいからだ。
結果的に雅子妃の11年ぶりの海外公務となった2013年の夫、アレクサンダー皇太子(当時)の国王即位式への招待は
「同妃が直接、雅子妃に国際電話して実現したもの」(前出の筆者、オランダ人友人)という。
「同妃は、アルゼンチン出身。さらに、現国王と結婚する前は、
ニューヨークの銀行で働いていた元キャリアウーマン」(同上)でもある。
「マキシマ妃の父上が、アルゼンチンの農林水産相だった頃の政権時の
人権弾圧問題などに関わっていたとされスキャンダルとなったが、
王子が王位継承権を捨てる覚悟で同妃を守り抜き、無事、成婚を果たした」(同上)。
結局、マキシマ妃の父は、結婚式には参列できなかった。
しかし、マキシマ妃は自らの家族のスキャンダルにもめげず、
「今ではオランダ語も堪能になり、持ち前の明るさで、国民の人気も高い」(同上)という。
さらに、「雅子妃は海外では『ミステリアスなプリンセス』と呼ばれているが、
ハーバード卒の元外交官の聡明な妃が、クラウス殿下やマキシマ妃のように難局を乗り越え、
日本の国民にも愛される素晴らしい皇后になっていただきたい」とエールを送る。
ところが、残念ながらことはそう簡単にはいきそうもない。

15年ぶりの出席にネットは炎上
適応障害を患われてから、様々な行動で批判を受けている雅子妃は新年が明けた1月10日、
「講書始の儀」に2003年以来、15年ぶりに出席された。
「講書始の儀」は、年頭に当たって、皇居・宮殿で、天皇、皇后両陛下が学界の第一人者から講義を受ける行事で、
皇太子以外に、秋篠宮ご夫妻ら皇族方が出席して執り行われる。
2019年5月、「新皇后」に即位する雅子妃の15年ぶりの皇室方が会する皇室行事出席だったが、
国民の反応は安堵や喜びもある一方、冷めた批判的なものも多い。ネット上には、次のような書き込みもあった。

「病気とはいえ15年間何してたの? 日本一の医師、環境で治療してもらってて、歓迎されないよね。
これからどの場に出席してもずっと15年ぶり!」
「15年ぶりですか! 毎年、ご出席される方々は、称賛されることがなく、
14年もの間、サボってたこのお方は誉められる。世の中の理不尽さが分かる象徴ですね」
「実家関係者の医師しか診察させず、病気療養中でも遊びは欠かさず、
今頃になって次期皇后になるためのアピールにしか思えない」
「公務はできなくても、豪勢な貸し切りスキーや夏のご静養は皆勤賞!
国民は疑問に思っています。しかも全部国民の血税です!」
「薬物治療もしてるんでしょうが、適応障害の第一選択はその環境を変えること。
公務がストレスならば皇室を離れられた方がいい。
皇后になったらさらにプレッシャーかかりますけど、大丈夫なんでしょうか 」
雅子妃が「適応障害」という病気を患われてから、今年で15年になる。
皇后に即位する雅子妃の健康状態は、国民とともに、新天皇になる皇太子の一番の不安と心配でもある。
雅子妃へのプレッシャーが高まることは避けられない。
海外メディアは、優秀な医師団のもと、20年近く経っても、なかなか病状が良くならないのは、
その原因となるものが複雑化していることも挙げられるだろうと見ている。

雅子妃の病状に影落とす実父
その代表的なのが、雅子妃に対する「実父の影響」だとされている。
新聞記者時代(筆者)、外務省を担当し、同省記者クラブに所属していたとき、ある官僚から次のような話を聞いた。
「雅子妃には典型的な『官僚思考』がある。私の先輩であった小和田氏(雅子妃の父)もそうであったように、
信頼しない人間は、皇族、政府、東宮の人間であっても、関係なく、否定する」
「接触したくない人とは自ら口も聞かないし、交流をもたない。
小和田氏に限らず、エリート官僚に見られる現象だ」とした上、「人を『敵か、味方か』で判断する場合がある」
しかし、皇族になれば立場は全く逆だ。自らの嗜好やムードで、
国民や相手国の賓客に接することは控えるべきで、まして皇后という立場になれば当然だ。
子育てもそうだ。そういった意味で、雅子妃と皇室には、
日本人でありながら歴然とした異文化の障壁が今も立ちはだかっている。
欧州の王室の中でも、英国王室は自立自営だが、日本の皇室費用は宮内庁の予算で賄われ、国民の税金。
今後、天皇・皇后は退位するものの新たに上皇・上皇后として即位し、
さらに秋篠宮は皇太子には就任せず、皇嗣として活動されることになっている。
大幅に拡大する皇室予算を税金でどこまで捻出するか、大きな議論となるのは必至だ。
皇太子も夫として雅子妃の良き理解者になるのは当然だが、
今後は、天皇として雅子妃が、国民の理解を得られ、愛されるように
皇后としての品格、見識ある道に、導かれることが望ましいのではないか。
皇后になれば、「おひとり外交」も増え、洗練された皇室外交を磨かれるのも、そうだ。
2013年のオランダ国王即位式では、日本のメディアこそ他の王族と比較し絶賛していたものの、
全身を覆い、ピルボックス(縁なしの円形帽)をかぶった雅子妃は、1950年代の「尼僧のよう」と酷評され、
「日本の伝統という籠に閉じ込められた可愛そうなミステリアスなプリンセス」と同情を誘った。
アジアにない世界に誇れる日本の皇室であるよう、新天皇となる皇太子が課された皇室の将来と責務を果たすことは、
雅子妃のためにもなるし、夫婦愛でもある。
そして、それは、ひいては、国民への愛を示した皇室の姿でもあるのではないか――。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/52065

学生アルバイト スパイ活動

Asagei+
社会
Posted on 2015年6月12日 5:55 PM
“麗しすぎる”佳子さま大フィーバーを辛口論客が切る!
「皇族らしくか20歳の女の子ということを尊重するか」

4月からICUでキャンパスライフを送る佳子さま。
だが、これまでの学生生活は決して順調とは言えないものだった。
学習院初等科から、同中高等科、そして大学へと進学した佳子さまは、
14年8月に突如、中退してしまったのだ。
「13年に米国に短期留学したことで、異文化コミュニケーションなどに関心を持ちました。
サークルの新歓コンパの様子が報じられ、母の紀子さまにサークル活動を禁止されたことも
中退のきっかけになったようです。姉の眞子さまが卒業したこともあり、
留学生も多く自由な校風のICUに魅力を覚え、編入を目指しました」(宮内庁関係者)
特別入学選考により、ICUに合格した佳子さま。
宮内庁により合格が発表された10月以降、前年比で一般入試の受験者数は約20%も急増した。
入学後まず注目されたのは、そのファッション。
入学当日こそ、プリンセスらしい清楚な服装だったが、翌日はかなりカジュアルな服装。
さらに、5月15日からの1泊2日の八ヶ岳で行われた校外合宿に参加した時にはこんな姿が見られた。
「青を基調にしたチェックのタンクトップという服装でした。
母親である紀子さまと激しく口論したようです」(宮内庁関係者)
今どきの大学生としてはごく普通の服装とはいえ、やはり宮内庁は苦言を呈したという。
皇室に詳しい神道研究家の高森明勅氏はこう擁護する。
「皇室ジャーナリストや識者の『プライベートでも皇族らしく』
『品位のある服装を』と佳子殿下を非難するコメントを目にします。
これこそ本末転倒でしょう。20歳の殿下にはある程度のプライバシーを認めるべきで、
逆に周囲は『それを報道することこそ異常』だとたしなめるべきでしょう」

しかし、女性週刊誌記者は「佳子さま報道」の現状についてこう明かす。
「各女性週刊誌では、皇室担当記者が佳子さまを徹底マークしています。
ICUの学生をバイトとして雇い、『今日はベンチでジャニーズ風の男子学生と談笑していた』
『学食でしょうが焼き弁当を食べていた』など、キャンパス内での様子を逐一、報告させているところもあります」
学内でこうした“スパイ活動”まで行われている報道の過熱ぶりに、高森氏はこう苦言を呈する。
「佳子殿下は内親王であり、他の宮家と比べてもおのずと注目が集まるのは当然でしょう。
しかし、報道の実情を見ると、新しくスタートした大学生活や周囲との健全な関係を
阻害するような取材活動が行われている一面もあります」

国際政治学者の藤井厳喜氏が続ける。
「現在はスマホさえあれば、誰でも佳子さまの日常をまる裸にして拡散できる時代。
マスコミもパパラッチ化しており、それも一般人を巻き込んだ報道合戦に拍車をかけるおそれがある。
これはまことにゆゆしき事態です」

皇室は開かれるべきか、荘厳であるべきか──論客たちの激論は続く。

http://www.asagei.com/excerpt/37616