三笠宮彬子さまトルコご訪問

トルコで大絶賛! 三笠宮彬子さまのお辞儀とネイルに込められた「特別な国」への想い

内橋徹
2018年9月19日 水曜 午後6:30

彬子さまの所作に大反響
9月9日から14日にかけてトルコを訪問された彬子さま。
トルコでも関心が高く、連日その動静が報じられました。
その中でも彬子さまのある所作がトルコ人の大きな反響を呼びました。

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初代大統領アタチュルクの廟に献花・拝礼される彬子さま :トルコメディアより

首都アンカラにある初代大統領アタチュルクの廟。
トルコ建国の父として知られ、トルコ人は時の政権を好む好まざるにかかわらず、
初代大統領アタチュルクを尊敬しています。
10日に、そのアタチュルクの廟を訪れた彬子さまは献花し、深々とお辞儀をされました。
この姿に多くのトルコ人が驚きとともに感銘を受けたのでした。

SNS上ではトルコ人から「なんて素敵な、なんて気高いプリンセスなのだろう!素晴らしい!」
「アタチュルクにこれほど優美に敬意が表されたことが未だかつてあっただろうか!」
「日本人は、日本国に、環境に、自国の価値に対して敬意を払うことを学んでいる。
我々もその方法を見習うべきだ。」と彬子さまの振る舞いが絶賛されたのです。

トルコを訪れる海外要人は必ずと言っていいほどアタチュルク廟を訪れますが、
このような反応が出るのは珍しく、あるトルコ人は、
「献花をするだけの人が多い中、あそこまで綺麗に深々とお辞儀をする方を見たのは初めてだ」と話していました。
トルコ人は、自分たちが尊敬するアタチュルクに対し、彬子さまが多大な敬意を示されたことに感動したようです。

国旗を描いたネイルアートも話題に

また、トルコ外相と面会された際には、彬子さまの手元がクローズアップされ話題になりました。
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話題になった彬子さまの手元   :トルコメディアより

日本国旗とトルコ国旗をあしらったネイル。
細部まで気遣い、日本とトルコの友好親善のお気持ちを示された彬子さま。
まさにトルコ人はハートをつかまれたのでした。
このほかにも彬子さまが各地を訪問される様子は連日報道されました。

28年前の同じ月日に訪問されたご両親の記帳

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イスタンブール市内のベイレルベイ宮殿(オスマントルコ時代の離宮)を鑑賞された彬子さま。
宮殿には28年前の同じ日に記された、父・寛仁さまと、母・信子さまの記帳が残されていました。

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今回、トルコの海事博物館に旧日本軍の軍艦「清輝」の模型が贈られました。
「清輝」は1878年に初めてトルコに寄港した日本の軍艦で、入港140周年を記念して寄贈されました。
模型とともに展示される木札は、戦艦「三笠」の甲板の一部で、彬子さまが「清輝」と書かれたということです。

トルコは「特別な国」

彬子さまのトルコ訪問は今回で7回目を数え、トルコとの繋がりについて「特別な国」だと述べられています。
「トルコは私にとりまして特別な国です。私が生まれて初めて訪れた海外の国はトルコでした。
父が、初めての私の海外行きを許して下さったのは私が高等科の二年生の時でした。
祖父である三笠宮殿下が、長年支援をされてきた、カマン・カレホユック遺跡を
どうしても見てみたいとお願いをしたのです」

彬子さまがトルコを訪問されるきっかけとなった、トルコ中部のカマン・カレホユック遺跡とは、
三笠宮さま・寛仁さまの支援を受けた日本の調査チームが30年以上に渡って発掘を続けている遺跡です。
出土した遺物を保存・研究するだけでなく、専門家や考古学者の育成も行われていて、
日本とトルコの学術研究における交流の懸け橋にもなっています。
遺跡の発掘、研究を今後も継続できるように、トルコでは去年、「三笠宮記念財団」が設立され、
彬子さまが総裁に就任されました。

13日に行われた記念式典で、彬子さまは「三笠宮家親子三代の想いが込められた研究所の活動を
永続的に支えていくために三笠宮記念財団がトルコ政府の認可を頂き設立されました。
この財団の総裁を引き受け致しますことは三笠宮家に連なる者として大変ありがたく、
また多くの責任も感じております。」と述べられました。

親子三代に渡って築き上げてこられたトルコとの絆、そして今回の彬子さまのご訪問は
日本とトルコの友好親善だけではなく、トルコ人の心に残る印象深いものになったようです。

(執筆:FNNイスタンブール支局長 内橋徹)

https://www.fnn.jp/posts/00364480HDK

皇室の財産 皇居の土地は23兆円、国宝級の美術品も多数

皇室の財産 皇居の土地は23兆円、国宝級の美術品も多数
2018.09.13 16:00

2019年5月1日、新しい天皇の時代が始まる。
それに伴って、「三種の神器」をはじめ、宮中祭祀に使われる太刀や屏風、皇后の王冠(ティアラ)といった、
皇室経済法で「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」(御由緒物)と定められた品々が、
今上天皇から新天皇に引き継がれることになる。
いったい、皇室にはどのくらいの財産があるのか。
真っ先に思い浮かぶのは不動産だろう。東京都心の真ん中にある皇居(約115万平方メートル)、
東宮御所や秋篠宮邸がある赤坂御用地(約51万平方メートル)のほか、
京都御所や3つの御用邸などがあり、その総面積は千代田区の2倍以上にのぼる。
二重橋前駅周辺の最新の公示地価(1平方メートル約2000万円以上)で換算すると、
ざっと見積もっても皇居の土地だけで23兆円。
赤坂御用地も周辺の公示地価で計算すると1兆円は下らない。
だが、実は憲法88条で不動産などは国の管理下に置かれたうえで、皇室に供される「皇室用財産」と定められている。
そういう意味では、天皇や皇族方は“借家住まい”と言える。
一方、私的な宝物、美術品も受け継がれてきた。
厚い菊のカーテンに覆われたその全貌が明らかになったのは、過去1度しかない。
昭和から平成への代替わりの際、宮内庁は昭和天皇の遺産を整理し、
約4600件にのぼる宝飾品、美術品を保有していたことがわかった。
その中には、狩野永徳、葛飾北斎、円山応挙、伊藤若冲などの絵画、「蒙古襲来絵詞」などの絵巻物、
聖徳太子画像や現存最古の万葉集写本など値段がつけられない国宝級の美術品が数多くあり、
うち約580件は冒頭の「御由緒物」に分類された。
その他約4000件のうち、約3200件が国庫に寄贈され、残りは今上天皇が相続した。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏が解説する。
「今上陛下の在位も30年に及び、その間にも献上品や、海外の王室などからの贈り物があったでしょう。
代替わりを機に、財産が新たに国に寄付されることも考えられます」
そうした宝物を除くと、天皇が自由に使える財産の1つが、昭和天皇から相続した現金や有価証券だ。
「当時、課税遺産が約18億6900万円。今上陛下と香淳皇后が約9億円ずつを相続しました。
今上陛下には相続税約4億円が課税され、残されたのは5億円ほど。
その後、香淳皇后が亡くなったときにも相続が発生しましたが、2億円以下だったので額は公表されませんでした。
質素倹約は皇室の昔からの伝統であり、日々の生活は決して華美にならないように心掛けていらっしゃいます。
大きく目減りしたということは考えにくいでしょう」(同前)
※週刊ポスト2018年9月21・28日号
https://www.news-postseven.com/archives/20180913_758920.html

天皇譲位と眞子さま婚約に託ける「女性宮家」創設の陰謀

天皇譲位と眞子さま婚約に託ける「女性宮家」創設の陰謀
歴史と伝統を無視すれば、「皇室」の崩壊につながる
2017.6.7(水) 森 清勇

秋篠宮眞子さまの婚約が明らかになり、嬉しいニュースでマスコミはもちきりである。
皇室典範第12条で「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは皇族の身分を離れる」との規定に従い、
眞子さまは皇籍を離脱されることになる。
一方で天皇陛下の譲位のための法案が審議されている。
本来、天皇の譲位と眞子さまの問題は全く関連のない事案である。
しかし、女性宮家推進の民進党などはここを先途と、安定的な皇位の継承と公務を担う皇族の減少が問題だとして、
譲位の特例法案の付帯事項で女性宮家創設を検討課題にしようとしている。
永い皇室の歴史を見た場合、8人10代の女性天皇を含めて
125代のすべての天皇が男性天皇の子孫(いわゆる男系天皇)である。
8人の女帝も男系天皇で、次の男系天皇への中継ぎとして在位されただけである。
皇室典範第1条の「皇位は、皇統に属する男系の男子がこれを継承する」という規定も、
憲法第2条の「皇位は世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、
これを継承する」も守られてきた。
しかし、民進党などが主張する女性宮家の創設は、皇室典範(や憲法)の改正を意味する。
すなわち、女性宮家主張の裏には、かつて日本の歴史になかった女系天皇の臭いも漂う。
これを「皇室の終わりの始まり」という人もおり、日本国家の在り様を根本的に改変することを意味する。
一昨年の安保法案国会で、民主党(当時)をはじめ多くの野党は、
憲法を拡大解釈するもので、立憲主義に反すると主張して政府・与党を論難した。
その野党が、今度は皇室典範も憲法も無視する暴挙に出ようとしており、場当たり主義の独善としか言いようがない。

女性宮家創設より旧皇族の復帰が先決
連合国総司令部(GHQ)は、日本を高度な民主国家にするためとして大規模な改革に着手する。
その第1が国家の基本法である憲法、そして歴史と伝統を担い、日本国家の真髄である皇室の改革であった。
戦争に伴う法規慣例を謳うハーグ条約は「敵国の領土における軍の権力」を定めている。
それによると、「占領者は絶対的の支障なき限り、占領地の現行法律を尊重」するとなっており、
憲法と皇室典範の改正はGHQが日本の意志にも国際条約にも反して強行した不当なものであったことが明瞭である。
そうした中で、皇統の維持に必要な皇族は、昭和天皇の直宮(じきみや)の
3宮家(秩父宮・高松宮・三笠宮)だけが許され、11宮家は廃止となり、51人が皇籍を離脱した。
ただ、「重臣会議で鈴木貫太郎元首相が『皇統が絶えることになったらどうであろうか』と質問すると、
加藤宮内次官は『かつての皇族のなかに社会的に尊敬される人がおり、
それを国民が認めるならその人が皇位に就いてはどうでしょうか』と述べ、
また皇籍離脱する皇族について『万が一にも皇位を継ぐべきときがくるかもしれないとの
御自覚のもとで身をお慎みになっていただきたい』と述べた」
(竹田恒泰著『旧皇族が語る天皇の日本史』、2008年刊)と記している。
新憲法・新皇室典範・皇室経済法が昭和22年5月3日に施行され、11宮家は10月14日に廃止される。
18日に赤坂離宮で(昭和)天皇主催のお別れ晩餐会があり、天皇からは「身分は変わるようになったけれども、
自分は今までとまったく同じ気持ちをもっている。どうか今後もいつでも会いに来てくれるように」との御言葉があり、
皇室と11宮家の交流は、菊栄親睦会という会を通じて今も続いていると、竹田氏は同書で書いている。
また、不本意に皇籍を離脱させられた旧皇族ではあるが、ェ仁親王は同書の竹田氏との対談で、
「陛下も皇族と旧皇族からなるこの菊栄親睦会を大切になさり、
正月や天長節など、事あるごとにメンバーをお集めになられています。
私のなかには現職皇族と元皇族の垣根などありません」とさえ語っておられる。

世評では、皇籍を離脱して70年にもなる旧皇族にはもはや皇族としての矜持はないのではないかと見がちであるが、
上述のェ仁親王の発言からは、旧皇族が菊栄親睦会を通じて現皇室ともしっかり繋がっていることが伺える。
このような状況を無視して、一足飛びに歴史上になかった女性宮家の創設はないであろう。
旧皇族が皇族に復帰する違和感(むしろ親和性と言った方がいいかもしれない)と、
女性宮家の婿になった一般人男性が抱く違和感は比較するまでもないであろう。
女性宮家の創設を主張する民進党などは、皇室典範第1条の男系天皇の継承を無視ないし軽視し、
女性天皇を実現して、歴史にもとる女系天皇への道を拓く深謀遠慮があると思われてもおかしくない。 

旧宮家の皇族復帰のために
眞子さまの婚約準備が進む一方で、心ある国民は公務の問題も然ることながら、
皇統の断絶を心配し、あれこれ知恵を出している段階である。
ざっくり言って、天皇の譲位に託けて女性宮家の創設が提議されているが、
皇室の歴史と伝統に基づく皇統の安定的な維持が真剣に考慮されたのであろうかという疑問がある。

皇族方には選挙権・被選挙権や居住の自由など、一般国民に認められている基本的人権の多くが制約されている。
そうした中で、婚姻については大きな自由が認められるようになってきている。
ただ、今日は皇統の維持が非常に困難な時代である。
そこで、GHQが一方的に皇籍を剥奪した旧宮家に対し、皇籍復帰を願う意見も出ている。
そのためには、旧皇族の存在をより身近なものとして国民が感じる環境醸成が大切であろう。
その有力な一助は、内親王の結婚相手に見定められることではなかろうか。
皇室・皇族にとって、皇統の持続は至上命題であろう。
そこで、国民は皇統の維持について皇族方がまずは熟慮されることを、声なき声として求めている。
国民が皇室を愛し、弥栄を願う故であり、決して僭越でも不遜でも不自然でもないであろう。
旧宮家の皇族復帰が決まっているわけではないが、それを現実化するためにも、
未婚の内親王方が旧皇族から伴侶を見つけて、皇籍復帰への助走に勢いをつけてほしいと筆者は願っている。

おわりに
女性宮家という、かつてなかった人為的な制度の創設よりも、旧宮家の皇籍復帰は自然であり、
国民の祝福も受けやすいのではないだろうか。
明治以前には4つの世襲親王家が存在し、皇位継承の対象者が数多く存在した。
しかし、現在は皇位継承者が数人でしかない(『正論』2017年3月号、p222)。
この杞憂を払拭する最良策が旧宮家の皇族復帰であろう。
譲位の特例法案では女性宮家の創設を検討事項に上げているが、
創設される場合は公務の一部を分担される範囲に限定し、
歴史に鑑みて皇位とは無関係であることを明確にしておく必要があろう。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/50193

倉山満が「5つの誤解」を解く

あなたの天皇観はまちがっている!? 倉山満が「5つの誤解」を解く
2017.06.14

新刊『日本一やさしい天皇の講座』にて、皇室と日本人の関係を通史で書き上げた倉山満氏。
譲位、女系、女帝、旧皇族の皇籍復帰など、皇室を巡る論点は尽きないが、
氏に言わせれば「その前提となる部分に、国民のカン違いが多い」という。
皇室に対する「よくある誤解」として、以下の5つを挙げてもらった。

【誤解1】天皇陛下が退位を希望するのは、公務に「疲れた」から!?

倉山満(以下、倉山):とんでもない誤解です。
平成28年8月8日のいわゆる「生前退位に関するビデオメッセージ」において、
天皇陛下はひと言も「俺は疲れた、休みたい」などとは仰っていません。
自分は死ぬほど働けと言われたら働くが、制度としてこの状態はどうなのか、
今後もずっと続けられるかどうかを考えてほしい、と訴えられたのです。

──「続けられる」というのは、何をですか?

倉山:伝統としての象徴天皇を、です。
日本国憲法に「天皇は、日本国の象徴であり……」と記されているせいで、
誤ったイメージが広まっているのかもしれませんが、
じつは歴代天皇のなかで「象徴ではなかった」天皇というのは、数えるほどしかいません。
平安時代の嵯峨天皇以降で考えれば、基本的にすべて象徴天皇です。
実力を伴う独裁者の地位を目指したのは、鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇ただひとり。
明治天皇も昭和天皇も、そんなことは微塵も考えていなかった。これが第2の誤解につながります。

【誤解2】戦後、マッカーサーが天皇の権力を剥奪した!?

倉山:象徴天皇というのは、別に進駐軍から押し付けられたものではありません。
日本はもともと象徴天皇でしたし、明治以降もそうでした。
にもかかわらず、マッカーサーが勝手に思い違いをして、「独裁者はやめろ!」と言ってきたわけです。

──話が噛み合っていなかったと?

倉山:そうです。初めからマヌケなやりとりなんですよ。
しかも厄介なことに、ここへもうひとつの誤解が重なってくる……。

【誤解3】日本憲法下では、天皇は自分の意見を表明してはいけない!?

倉山:繰り返しますが、マッカーサーは天皇に「独裁者はやめろ!」と言ってきました。
「判を押すだけのロボットになれ!」とは言っていません。
日本国憲法の表現を使うなら、天皇は「国政に関する権能を有しない」としただけです。

──「権能」とは?

倉山:一般的な言葉に置き換えるなら、「権限」でしょう。
英語にすれば、どちらも「power of command」で同じ意味です。
日本憲法下では、天皇は国政に関する権限こそ持ちませんが、
自分の意見を表明することや、結果として影響力を行使することまでは禁じられていません。
つまり戦後、日本人の多くは天皇に対して【誤解2】と【誤解3】という二重の誤解をしながら、
マッカーサーすら口にしなかった暴挙を行ってきたということです。

【誤解4】女系を認めない皇室典範は「男尊女卑」だ!?

倉山:これはむしろ逆だろう、と私は考えています。
詳しくは以前の記事「『女性天皇』賛成派は愛子様に生涯独身で通していただくつもりか?」を
読んでもらいたいと思いますが、
男系でつながる皇室はむしろ「男性排除」の論理で成り立っています。
女性は民間人でも皇族の方と結婚すれば皇室に入れますが、男性はそうはいきません。
男性が民間人の場合、皇族の方と結婚されても民間人のままです。

──結婚相手の女性皇族のほうが、皇籍を離れることになりますね。

倉山:そうです。美智子様や皇后陛下、雅子様が皇太子妃になられても、
眞子様と結婚される予定の小室圭さんが皇室に入ることはない。
ゆえに「男性排除」の論理だと言っているわけです。

──なるほど。

倉山:愛子様の女帝に関する議論についても、誤解があると思います。
我が国では、奈良時代に民間人の道鏡が皇位を狙って以来、
「女帝は生涯独身か未亡人のみ」とする不文法が確立しました。
女帝を認めていない現在の皇室典範を「男尊女卑」だと叫ぶのは勝手ですが、
もし愛子様が御即位された場合、「生涯独身」を求められるという歴史があることを
きちんと理解しているのでしょうか。甚だ疑問です。

【誤解5】「上皇」という尊号は「元天皇」だけに与えられるもの!?

倉山:特例法の成立により、天皇陛下は退位後、200年ぶりの「上皇」となることが決まりました。
この「上皇」という尊号は、天皇を辞めた方に贈られる「太上天皇」の略ですが、
歴史上には天皇にならなくても「上皇」になった方が存在します。
その方々を「不登極帝(ふとうぎょくてい)」と呼びます。

──聞き慣れない呼び名ですね。

倉山:鎌倉時代の後高倉上皇や、室町時代の後崇光上皇などが「不登極帝」です。
死後に追贈された、陽光上皇と慶光上皇もいらっしゃいます。いずれも天皇の父君です。
天皇にはなっていないので、歴代天皇にはもちろん数えません。


 日本人なら誰もがその存在を知りながら、よく理解できていない事柄も多い皇室関係。
「じゃあ、よく理解できるようにしましょう」(倉山氏・談)との気持ちから生まれた
『日本一やさしい天皇の講座』は、全国書店ほかで絶賛発売中だ。

【倉山満】
1973年、香川県生まれ。憲政史研究者。
著者シリーズ累計35万部を突破したベストセラー『嘘だらけの日米近現代史』『嘘だらけの日中近現代史』
『嘘だらけの日韓近現代史』『嘘だらけの日露近現代史』『嘘だらけの日英近現代史』
『嘘だらけの日仏近現代史』のほか、保守入門シリーズ『保守の心得』『帝国憲法の真実』など。
2017年6月、待望の新刊『日本一やさしい天皇の講座』を上梓

<取材・文/ツクイヨシヒサ>

https://nikkan-spa.jp/1345846

秋篠宮摂政論

「秋篠宮摂政論」に皇室事情通「最も現実的な選択肢」と評価
2013.06.18 07:00
去る6月9日、皇太子殿下と雅子妃が成婚20年を迎えた際、
両殿下は文書で発表した「ご感想」の中で次のように述べた。
「雅子につきましては、療養が長くなり、ご心配をいただいていることと思いますが、
お陰様で、以前と比べ大分元気になったように思います」
当日のテレビ報道の多くは、雅子妃が11年振りの海外公式訪問となるオランダ訪問(新国王即位式への参列)
を果たしたことなどを取り上げ、回復ぶりを強調した。
だが、宮内庁周辺にはその祝賀ムードとは裏腹の動きがあると、宮内庁関係者が明かす。
「実は宮内庁内部や一部の宮家関係者などの間で、将来、両殿下が天皇皇后になられた際、
雅子妃の公務負担を軽減するため、秋篠宮殿下に摂政に就任していただくべきだとする意見が出ているのです」
皇室に詳しいジャーナリストは、その背景をこう説明する。
「オランダから帰国後、期待された雅子妃の公務による外出がただ一度に限られ
(故ェ仁親王喪儀墓所一周年祭の儀に参列)、被災地訪問の計画も先行き不透明な状況から、
やはりご病状の回復はなかなか難しいという認識がある。
その一方、精力的に公務に励まれる秋篠宮ご夫妻の存在感が、必然的に高まっている」
そうした現状を背景に浮上したのが「秋篠宮摂政論」である。皇室制度に関する有識者ヒアリングに出席するなど、
皇室に詳しい八木秀次・高崎経済大学教授は、「いま考えられる最も現実的な選択肢だ」と評価する。
「宮内庁内で検討課題になっていなければおかしい話ですが、
これまでは選択肢の一つとして話すこと自体、タブーとされてきました。
しかし、いまやこれに関する議論を避けてはいけない。
歴史上、天皇皇后両陛下が一緒に行動することは必須ではありませんでしたが、
その当時の皇后のお務めを果たしていた。たとえば香淳皇后も、
昭和天皇の巡幸や外国からの国賓を招いた晩餐会のときには同席されることがほとんどでした。
まして平成においては皇后陛下の存在感は増し、
被災地などへ両陛下揃ってのご公務というスタイルが定着し、国民から支持されています。
だとすれば、雅子妃が療養を続けたまま皇太子殿下が天皇に即位された時、ご夫妻が十分に天皇皇后として
お務めできるだろうか、という懸念が国民から出てくるのは当然です。
そのとき、秋篠宮殿下が摂政としてサポートできれば、状況はずいぶん改善されるのではないか」
例えば、ある国にはご夫妻で訪問するのに、別の国にはおひとりで訪問するとなれば、
相手国から見れば不公平との憶測も呼びかねない。
実際、皇太子夫妻でのオランダ訪問後、皇太子の単独訪問となったスペインのメディアは、
「皇太子はまた一人になった」「雅子妃は再び檻に戻り悲しんでいる」(エルパイス紙)などと書き連ねた。
「代わりに秋篠宮ご夫妻が訪問したとしても、一宮家の立場だと格が下がってしまう。しかし、
摂政宮とその妃という立場ならば重みが生まれ、相手国の受け止め方も変わってくるはずです」(前出・八木氏)
※週刊ポスト2013年6月28日号
http://www.news-postseven.com/archives/20130618_194660.html


秋篠宮摂政論への期待 皇室が近代では異例の状態にあるため
NEWS ポストセブン 6月19日(水)7時6分配信
いま宮内庁内部から「将来、両殿下が天皇皇后になられた際、雅子妃の公務負担を軽減するため、
秋篠宮殿下に摂政に就任していただくべき」とする意見が出ているという。
「秋篠宮摂政論」が論議される背景には、「天皇皇后の健康問題」という避けては通れない事情がある。
昨年2月に心臓の冠動脈バイパス手術を受けた天皇は「手術前より元気になられた」という見方もあるが、
79歳という高齢である。さらに最近、78歳になった皇后が公務を休まれるという異例の事態もあった。
「皇后陛下は大変我慢強く、極めて責任感の強いお方です。その皇后陛下が公務をお休みになる、
しかも当日になって発表されるのはよほどお辛かったからではないでしょうか」(宮内庁関係者)
その状況下で、一部ではさらに踏み込んだ意見も飛び出している。「今すぐ、秋篠宮殿下を摂政に」と唱えるのは、
元内閣総理大臣官房・内閣安全保障室長で、昭和天皇の大喪の礼の警備担当実行委員も務めた佐々淳行氏である。
「本来、両陛下に代わって公務を行なうべきは皇太子ご夫妻ですが、残念ながら雅子妃はご病気のために
十分な役割を果たせず、皇太子殿下も雅子妃のご病気のことで目一杯になられている。ならば、雅子妃には
今は徹底して療養していただき、皇太子殿下もそれに専念なさるほうがいいのではないでしょうか。
その間、秋篠宮殿下に摂政をお任せしてはいかがでしょうか」
確かに天皇皇后の公務削減は喫緊の課題であるが、東日本大震災の被災地・被災者お見舞いをとってみても、
皇太子夫妻がこれまで5日(皇太子単独が2日)に対し、
秋篠宮夫妻は13日と、秋篠宮夫妻の公務への取り組みが目立っている。
だが、今すぐ――すなわち今上天皇から皇太子へ皇位継承が行なわれる前に、秋篠宮が摂政に就任するには、
就任の事由に加え、本来摂政になるべき順位で上にある皇太子との間で、就任順位まで変える必要が生じるなど、
さらにハードルは高まり、現実的には難しく、かつ反発も強い。
しかし、「秋篠宮摂政論」の是非や実現性はともかく、皇室の将来が皇室内外で真剣な議論を呼んでいる現実がある。
宮内庁担当記者が明かす。
「実は、昨年2月に天皇陛下が手術を受けて以降、月1回のペースで、皇居内で天皇陛下、皇太子殿下、
秋篠宮殿下の御三方に宮内庁長官を加えた会合が行なわれている。
そこで話し合われているのは、被災地のお見舞いスケジュールだけではないはずです。
皇太子殿下が天皇に即位した場合、雅子妃は皇后としてどれだけの活動ができるのか、あるいは秋篠宮殿下が
天皇となった皇太子殿下をどう支えていくのか、さらに今後の皇位継承や皇室の在り方をどうしていくか、
といった重大なテーマについても、話し合われているのではないでしょうか」
秋篠宮はあくまで兄である皇太子を陰から支える姿勢を一切崩していない。それでも周囲が摂政になるのを
期待してしまうのは、現在の皇室が近代では極めて異例の状態にあるからだ。
皇室に詳しい八木秀次・高崎経済大学教授が話す。
「将来の皇位継承者が悠仁親王しかいない以上、これまでの皇室制度とは違った前提の議論を展開する必要が
あるはずです。江戸時代の光格天皇(在位1780〜1817年)以降、父から子への皇位の直系継承が続いており、
兄から弟の系統に皇位が移るような傍系への皇位継承は、数百年ぶりになる。現状の皇室典範も皇室のあり方も、
父子間の継承しか想定されていない。議論の前提が変わったことを認識したうえで、
さまざまな選択肢を検討する必要があるのではないか」
皇室が歴史的な転換点に立っていることは間違いない。
今、皇室の将来について国民も真剣に考えるべき時がきている。
※週刊ポスト2013年6月28日号
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130619-00000011-pseven-soci

両陛下とお寿司

杉乃井ホテル:81年、両陛下に寿司や吸い物提供 
料理人2人、今も活躍 「大分のおいしさ楽しんで」−−別府 /大分
毎日新聞 9月18日(火)15時40分配信
81年9月に本県を訪れた天皇皇后両陛下(当時は皇太子、皇太子妃)に
寿司(すし)や吸い物を提供した2人の料理人が、別府市観海寺の杉乃井ホテルで今も活躍している。
2人は「観光客に新鮮な食材を味わい、感動していただきたい」と腕をふるう。
スギノイホールひかりのバイキングで寿司を握る坂本勝一さん(64)は当時、
貴賓室に寿司カウンターとネタケースを持ち込み、約2時間にわたり、
大分の魚を生かした寿司を両陛下にふるまった。
傍らで吸い物を提供したのは、今年7月、ホテル内にオープンした
和食会席料理「花水木」料理長の小野昭則さん(58)だ。
天皇陛下はマグロとアナゴ、皇后陛下は貝類がお好きで、
2人で43個も食べられ「ちょっと食べ過ぎたな」
とほほ笑まれたという。坂本さんが現在、寿司を握るカウンターの横には「両陛下もお召し上がり」の看板が。
宿泊客から、当時のことを尋ねられることも多い。
一方、花水木は「静かに食事を楽しみたい」というお客さん向けに新たに作られた。
小野さんは「フグや城下カレイなど大分のブランド品のおいしさを楽しんでほしい」と笑顔で語っている。
【祝部幹雄】
最終更新:9月18日(火)15時40分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120918-00000207-mailo-l44

愛子さま高等科運動会

愛子さま 高校初の運動会「ドリブル競争」で悔し涙
2017.10.06 07:00

朝からさわやかな秋晴れが広がった9月30日、学習院女子中等科・高等科合同の運動会が開催された。
年に1度のイベントに胸を高鳴らせる生徒たちに交じって、愛子さまが登校されたのは午前8時20分頃。
髪を後ろで1つに結ばれ、通学かばんと手提げバッグを持たれた愛子さまは、
軽やかな足取りの一方、両ふくらはぎに巻かれたテーピングが目を引いた。
「9月上旬から、運動会に向けて始業前に練習が行われ、
愛子さまも、普段より1時間以上早く登校されていました。
猛特訓を積まれたため、少し足に負担もかかってしまったのでしょう。
昨年、愛子さまはこの時期に長期欠席されており、運動会に参加できませんでした。
それだけに、より強いお気持ちがあったのかもしれません」(皇室記者)

愛子さまに遅れること20分ほどで、皇太子ご夫妻も観戦のため到着。
グレー系のお召し物でトーンを合わされたご夫妻はテント席に着かれ、ちょうど9時に開会式がスタートした。
午前の部で愛子さまが出場されたのは、クラス対抗の玉入れだった。
「高校生になって初めての運動会とあって、愛子さまは大はりきり。身振り手振りをされながら、
クラスメートと楽しそうに作戦を練られていました。
ときおり、両手で『ゲッツ!』のようなポーズをされて、
ふざけ合っている様子も微笑ましかったです」(学習院関係者)

皇太子ご夫妻は、交互に双眼鏡を覗かれながら愛子さまに声援を送られていた。
お昼をはさんで、午後に愛子さまが登場されたのは「ドリブル競争」。
バスケットボールをドリブルし、ゴールを決めたらまたドリブルで戻って
次の人にパスするというリレー形式のレース。
各学年の代表者が20人ほど出場し、中等科1年〜高等科3年までの学年別6チーム対抗で
争うもっとも盛り上がる競技の1つだ。
「愛子さまは高1チームの11番目の走者としてパスを受けました。
トップも狙える位置につける接戦で、見事に1回でゴールを決めました。
うしろのメンバーにボールを託すと、愛子さまは祈られるような仕草を見せられていましたが、
チームはだんだんと遅れをとってしまい、結局4位でゴール。
その結果がよほど悔しかったのでしょう。愛子さまは、しゃがみこんで泣いていらっしゃいました。
それだけ練習を頑張ってきたということでしょう。
愛子さまは、一緒に涙を流すチームメートと手を握ったり、
背中をさすったりと、健闘をたたえ合われていました」(前出・学習院関係者)

1学期には授業を欠席されることもあった愛子さまだが、
夏休みが明けてからは、ほぼ毎日元気に登校されているという。
生活の充実ぶりは、学校行事以外でも見られた。
「9月26日、愛子さまは皇太子ご夫妻とご一緒に、
新任皇宮警察官の会釈に参加され、ご挨拶されていたようです。
体調やお気持ちが安定されていることが伝わってきます」(前出・皇室記者)
運動会の一日を、文字通り駆け抜けられた愛子さまの表情は、天の高い空のように晴れやかだった。
※女性セブン2017年10月19日号
http://www.news-postseven.com/archives/20171006_619084.html

「反省告白」籠池長男が語った驚愕の実態 小川榮太郎・籠池佳茂対談

月刊Hanada2018年9月号
「反省告白」籠池長男が語った驚愕の実態 小川榮太郎・籠池佳茂対談
https://hanada-plus.jp/posts/1043(一部転載)

■なぜ籠池夫妻の態度は急変したのか

籠池長男
野党と菅野完が家に来て私達に反アベに加担すればメディアも民団も味方すると説得され
共産党や小沢一郎と会うことを菅野がセットした!そこで180度主張が変わった

■森友問題の本質―安倍政権潰しと、愛国幼稚園・保守系小学校潰し
菅野氏の3時間にわたる説得を受けた籠池夫妻は動画の収録を終えてしまう。
そして翌朝、この動画が公開されると、それまでは少なくとも教育内容について支持していた保守派の多くが離反。
その2日後の野党会談と「百万円発言」がダメ押しとなった。

小川 (森友学園騒動は)一年あまりの狂騒曲でしたが、事の本質は、安倍政権潰しと愛国幼稚園、保守系小学校潰し、
そして左翼活動家が、マスコミと野党、民団、左派弁護士らと組んで内側から保守を解体しようとする驚くべき組織戦です。
こんな些細な事件で国会と政権を氷漬けにし、籠池氏を籠絡し、洗脳的な情報組織戦に利用していたことになる。
籠池が全部悪かったんだ──保守派は、こうした単純な籠池悪玉論に乗ってこの事件を片付けては、決してなりません。

萬年青

秋篠宮さま50歳目前にご臨席「おもと」の不思議〈週刊新潮〉
デイリー新潮 12月10日(木)8時1分配信
〈いただいたものを一つ一つ大切に務めていきたいと思っております〉――。
11月30日に50歳のお誕生日を迎えられた秋篠宮さまは、会見でご公務への思いを新たにされた。
だが、天皇陛下や皇太子さまと比べれば、秋篠宮さまの日々のご活動を、新聞やテレビで知る機会は少ない。
記憶に新しいところでは、10月下旬から紀子さまとお二人で、ブラジルヘ2週間にも及ぶ公式訪問。
外交樹立120周年の記念行事に大役を果たされたことは広く伝えられたが、さて、お誕生日の2日前、
ある植物展に皇族として初めて足を運ばれたことは、ほとんど報じられなかった。
訪れたのは、東京・上野公園に隣接する上野グリーンクラブの「第70回記念日本おもと名品展」。
日本原生の古典園芸植物である萬年青(おもと)の、年に一度の品評会である。
主催者の日本おもと協会事務局の担当者が言う。
「秋篠宮さまが客員教授を務められる東京農業大学出身の協会幹部が、
以前に萬年青を献上したご縁で今回のお成りが実現しました。
元赤坂にある宮邸の軒先では、萬年青を大切に育てていただいております」
で、萬年青とはいったいどのような植物なのか。
「徳川家康公が江戸城に入府した際、3本の萬年青を携えていたという故事がございまして、
その後、長きにわたって幕府を治めたことから、“縁起の良い植物”として親しまれ、
引越し祝いの贈り物としての習慣が各地に残っています。独特な葉の姿や模様を愛でる植物で、
愛好家たちが独自に交配を行いながら大事に育てています」(同)
どうやら、殿下もその美しさにすっかり魅了されてしまったらしい。
「当初は40分で2つの展示室を回る予定でございましたが、じっくりとご鑑賞されるあまり、
最初の部屋で予定時間をオーバーしてしまいました」(同)
先の会見で、〈50という響きは、ちょっと年を取った感じがあります〉とも述べられた秋篠宮さま。
まだまだココロは青年であられます。
※「週刊新潮」2015年12月10日号
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151210-00010003-shincho-soci

皇太子が皇位継承権を譲ることがなぜ不可能か

皇太子が皇位継承権を譲ることがなぜ不可能かを専門家解説
2012年2月15日 16時0分 NEWSポストセブン

平成皇室が直面している難題の一つが皇太子と雅子妃を巡る問題だ。
雅子妃の適応障害での療養期間は既に8年に及び、「皇太子殿下は皇太子位を秋篠宮殿下に譲るべき」
「皇太子もそれを望んでいるのでは」という声まで飛び出している。
もちろん、それらを暴論として切って捨てるのは簡単だ。
しかし、こうした過激な発想は、皇室はどうあるべきか、という根本的な問いを
考え直すきっかけになり得るのかもしれない。
皇室ジャーナリストの山下晋司氏がレポートする。

昨年11月から、タレントのデヴィ夫人が自身のホームページで
「皇太子位を秋篠宮様に移譲することを求める請願書」への署名運動を実施している(1月末で締め切り)。
複数のメディアから取材を受けて私もその存在を知るところとなったが、
内容としては、「皇太子位を速やかに徳仁殿下から秋篠宮文仁殿下に移譲」
「皇太子徳仁殿下は皇位を廃嫡するか、皇太子妃のみを廃妃とする」という請願だ。
請願は憲法に規定された国民の権利であるから、それ自体を否定すべきではない。
問題は、なぜこういった過激な主張が浮上してきたのかという点にある。

「皇太子廃嫡論」まで出る背景にはまず、雅子妃殿下が適応障害という病気にもかかわらず、
私的な活動では明るく元気な様子がテレビや週刊誌などで報じられている点が挙げられよう。
療養期間が8年に及び、いまだに公務や宮中祭祀のほとんどを欠席されている妃殿下が、
愛子内親王殿下の通学や校外学習には元気に付き添っているなどと報じられている。
同時に、皇太子殿下ご自身の言動が国民に与える印象という問題もある。

記者会見では内親王殿下の話題が多いであるとか、妃殿下が朝起きられない時は
殿下が内親王殿下の付き添いをしている、などの報道により、
「公」よりも「私」を重視しておられるように国民の目には映る。
殿下が妻や子を守るのは、ある意味では非常に大事なことだが、「国民からどう見えるか」ということについて、
東宮職を含めて配慮が足りなかったと反省すべき面があるのではないか。

デヴィ夫人の主張もそのあたりに起因しているわけだが、
一方で、皇太子を変更するには法的に非常に厳しい制約がある。
皇室典範の11条2項には〈親王(皇太子及び皇太孫を除く。)、
内親王、王及び女王は、前項の場合の外、やむを得ない特別の事由があるときは、
皇室会議の議により、皇族の身分を離れる〉とある。
親王などに皇籍離脱の規定はあるが、「皇太子は除く」と規定されているのだ。
できるとすれば、皇位継承順位の変更だ。
同3条には、〈皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、
皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる〉とある。

これは相当に厳しい規定である。「不治の重患」は、文字通り治る見込みの無い重病。
「重大な事故」は、前例が無いので詳しくはわからないが、
例えば「行方不明」や「一切の公務を放棄」などの場合は「重大な事故」に該当するものと思われる。
少なくとも今の殿下の状況は当てはまらない。
私の知る限り、殿下が公務を休まれたのはポリープ手術やインフルエンザの時くらいである。
昨年、天皇陛下の入院により、殿下は約1か月にわたり、
陛下の国事行為の臨時代行をしっかりと務め、この間ご自身の公務にもあたられた。

ちなみに、同16条には摂政の規定について書かれているが、
その2項には〈天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、
国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く〉とある。
3条では〈不治の重患〉とあったところが〈重患〉とだけ記されている。
つまり、皇太子の変更は摂政を置く規定よりも厳しいものなのだ。

巷では「皇太子も雅子妃のために皇太子位の返上を望んでいるのでは」などという談議もあるようだが、
殿下ご自身がそのような発言をされたことはないし、そもそもここまでに挙げた規定でわかるように、
変更は皇室会議の議によりなされるもので、自発的に返上などできない。

英国では1936年にエドワード8世がいわゆる「王冠を賭けた恋」で退位したという事例があった
(英国国王に即位したエドワード8世が、夫のいるアメリカ人女性と恋仲になり、彼女と結婚するために退位。
英国国教会では離婚を認めておらず、強い反発があった)。
だが、王の自由意思による退位は英国でも前例が無く、規定も無かったため立法が必要とされたし、
そもそも英国と日本では歩んできた歴史が異なる。同列に論じられるはずもない。

※SAPIO2012年2月22日号

http://news.livedoor.com/article/detail/6282319/