秋篠宮家の庭

秋篠宮家の庭には○○○がごろごろしている…〈週刊朝日〉
dot. 5月30日(木)11時34分配信
佳子さまがご家族と暮らす秋篠宮邸は港区元赤坂の赤坂御用地にある。外周約3キロの敷地内には、
東宮御所や、三笠宮邸、高円宮邸などが散在し、春秋の園遊会が開かれる赤坂御苑や、
本格的な試合ができるテニスコートがあるほか、野鳥の観察もできる鬱蒼(うっそう)とした森も広がる。
「愛子さまが住む東宮御所とは1キロ近く離れていますが、皇太子ご一家が散歩の途中に、秋篠宮家を訪れ、
お茶を飲んだりすることもあるそうです。
一人っ子の愛子さまは、佳子さまと10代の女の子同士の女子トークを楽しんでいるそうです」(宮内庁記者)
秋篠宮ご夫妻は、結婚後約10年間、同敷地内の元職員宿舎を改造した木造平屋(約100平方メートル、
3LDK+S)に仮住まいを続けていた。築60年を超えるシロモノだったが、長女の眞子さまと佳子さまが生まれた際に、
それぞれ2間ずつ増築。佳子さまも幼稚園までは、ここで暮らしていた。
佳子さま5歳の2000年に、総工費約6億5千万円を投じて、公務に使う秩父宮邸(延べ860平方メートル)に
住居部分として鉄筋コンクリート2階建て(8室、延べ床面積472平方メートル)を増築した新邸が完成した。
佳子さまのお部屋も増築部分にあるとみられる。
「秋篠宮ご夫妻が公務に使っている部屋には、大小のひょうたんがずらりと並んでいます。
中には、人の背丈ほどあるものもあり、初めて訪れた人はびっくりするでしょう。
秋篠宮さまは全日本愛瓢会の名誉総裁なのです」(同家を訪れた人)。
庭では野菜づくりをしており、食卓にのぼることもあるという。
ペットもいる。秋篠宮家では最近犬を飼っているが、そのほかにも、以前から「一風変わったペット」がいる。
「温泉に入る姿が一般でも大人気になっている南米原産の巨大ねずみ『カピバラ』を
かつて飼っていたことがあります。今も、カピバラとよく似た『マーラ』が数匹、庭に放し飼いになっています」(同)
マーラもアルゼンチン原産で、体長50〜70センチ。体重も10キロ近くなるねずみの仲間だ。
ねずみとはいえ、愛くるしい容姿で、天気のよい日には、秋篠宮家の窓から庭でマーラたちが
ごろごろとひなたぼっこしている姿が見えるという。
ちなみに昨年9月、悠仁さまのお誕生日に公表された写真の端には、眞子さま、佳子さまや悠仁さまと一緒に、
背後の茂みからこちらを向いているマーラの姿がうつっていた。
※週刊朝日 2013年6月7日号
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130530-00000004-sasahi-soci

立て膝でリラックス・SPをふりきる承子さま

週刊新潮 2014年9月4日号
「承子さま」28歳の夏 お相手の自宅に寄る日もある「高円宮承子女王」の恋と結婚

立て膝でリラックス
7月上旬、承子女王はユニセフの業務でベトナムに出張された。
そして、実はその直前にも件の男性と2人きりで会われていたのだ。
巻頭グラビアに掲載した写真と合わせ、当日の様子を再現してみる。
週末の21時過ぎ、東京・神保町で合流したお二人は、豚料理が売りの居酒屋へ。
生ビールを飲み干し、話題は間近に控えた出張へと及ぶ。
ベトナムは夜が寒いらしくて―― そう懸念される女王は、待ち合わせ前に立ち寄られた量販店で、
出張用の衣類を購入したと告げられた。そこで男性が、デニムって、労働者の服じゃないのと、
おもむろに意見を差し挟む。テーブル席でリラックスされ、
立て膝姿で聞いていた女王のパンツは、あいにくデニム地であった。
「おもに女性が積極的に話しかけ、男性はもっぱら聞き役で、時折気のない返事をしていました。
でも、むしろ長い付き合いで、お互い以心伝心、というような雰囲気でしたね」(居合わせた客)
実際に、先の宮内庁関係者はこう明かすのだ。
「承子女王は、その男性の住むマンションに遊びに行かれることもある。
すでに、そうした“間柄”になっているのです」
さては、宮家に立て続き慶事の到来か――。

「結婚と交際は別です」
残暑厳しい週末の昼下がり、赤坂御用地からお出ましになる女王をお見かけした。
陽射しを避けるべく鍔の広い帽子を被り、飼い犬を連れて青山1丁目の交差点を渡られている。
そこで畏れながらお声掛けを試みたところ、
「(男性と)仲良くはしていますよ。私、すごく友達が多いので、
いつ知り合ったかは覚えていませんが、かなり以前ですね」
と仰る。男性のマンションに立ち寄られた件については、
「どうだったかなあ……行きましたっけ?」一瞬、間を置きつつも、率直な“結婚観”を披瀝して下さったのだ。
「私の家には、(男性は)大勢のお友達と一緒に来たことがあります。
母とも会っていますが、当面、私は仕事に打ち込もうと決めているので……。
父の務めていた名誉職などを母が全て継いでおり、私もしなければならないことが沢山あるのは自覚しています。
ですから結婚は、少なくともあと3、4年は絶対にありません」
そもそも11年、民主党政権下で始まった「女性宮家」創設に向けた議論は、
<未婚の女性皇族が次々と結婚適齢期を迎え、皇室活動の安定性が保てなくなる>
との危機感が根底にあった。が、承子女王は、
「今の時代、女性にそれ(適齢期)を言ったら怒られますよ。
妹の婚約は本当に嬉しいですが、母からは私の結婚について何も言われていません。
母も私の年齢ではまだ独身でしたので。昔から私、結婚とお付き合いするのは、完全に別だと思ってきました」
これまで積み重ねられてきたイメージに違わぬ、堂々の“奔放宣言”である。
さらには、次のように付言なさるのであった。
「でも、全てにおいて、誰と何がどうなるかなんて、分からないじゃないですか……ふふふ」
 一方、お相手の男性に尋ねると、こちらも示し合わせたかのように、
「(女王とは)共通の友人が多いので、その繋がりで知り合いました。
仲は良いですが、私の家に来られた日は、他に仲間も何人かいて、
彼らは用事があって先に出て行ったのです。2人で過ごしていたのではありません」
と言うものの、先の関係者によれば、
「マンションに立ち寄られた際、承子女王はこの男性と2人きりで、
麻布十番の焼肉レストランで食事をなさっていたのです」
やはり、火のないところに煙は立たないようなのだ。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏は、
「高円宮家はもともと開放的、活動的なお家柄。久子妃殿下はもとより、亡くなられた殿下も
ご交友の広い方でしたから、承子女王もまた然りでしょう。
ご成婚に際しても妃殿下は、本人の意思を尊重するお考えだと思います」と指摘しながら、
「ひと頃に比べ、承子女王は皇族として、また一人の人間として大いに成長なさったと拝察されます。
この秋には妹宮が嫁がれるわけですから、長女として、
ご公務が目白押しのお母様を支えるお役目は一層増します。
そのご自覚も、十分におありのことでしょう」
とはいえ、そこは“型破り女王”だけあって、いつ何時サプライズが起きぬとも限らない。
果たして、恋の行方やいかに……。


女性セブン2014年9月18日号
皇族のSP カラオケ時に隣部屋で待機したり振り切られる例も
2014.09.10 07:00

高円宮家の長女・承子(つぐこ)さま(28才)が、
ガバンク系のシンクタンクに勤務する20代後半の男性と都内でデートする様子を
『週刊新潮』(9月4日号)が報じた。
承子さまと男性は、神保町や新橋で待ち合わせをされ、居酒屋で過ごされたとのことだが、
このときSPは店外で待機していたという。
当のご本人はSPを待たせていることなど気にも留められずデートを楽しまれていたが、
やはり皇族のデートにはSPが同行するのだ。
秋篠宮家関係者もこう話す。
「佳子さまは男女複数のお友達とカラオケによく行かれるんですが、
佳子さまたちの部屋の隣の部屋をSPたちが取って、待機しているそうです」
SPと良い関係を築くことも、女性皇族が恋を育てる最良の方法のようだが、承子さまだけはちょっと違うようで…。
「早稲田大学在学中、承子さまはSPに何も告げず、突然電車に乗り込まれ
成田空港まで行ったことがあったそうです。このときは友人の迎えに行ったというのが理由でしたが、
SPは大混乱となってしまったみたいで…。
就職された現在も承子さまは一時的にSPをふり切られ、
デートや会食に出かけられることも少なくないみたいですよ」(宮内庁関係者)
女性皇族の恋ではないが、皇太子さま(54才)が雅子さま(50才)にプロポーズされた
1992年10月の鴨場デートは、まさに“極秘プロジェクト”だった。
絶対にマスコミにデートをキャッチされてはなるまいと、
東宮御所から車で千葉県の新浜鴨場に向かわれた皇太子さまに付き添ったのは、運転手と当時の東宮侍従長だけ。
通常、皇太子さまの外出時には前後を皇宮警察が護衛、そして警視庁や地元警察が周囲の警戒にあたるのだが、
この日だけはSPに一切の連絡をしなかったという異例のデートだった。
万が一、事故にでも巻き込まれれば一大事だ。
しかし、そこまでしなければ実現しなかったのが皇太子さまと雅子さまのご結婚だった。
http://www.news-postseven.com/archives/20140910_274835.html

嵐のコンサートに出かける奔放な承子さま

眞子さまご婚約スクープの背景

眞子さまご婚約スクープ、皇室の事実上リークか…安倍首相への警告、宮内庁職員も関与か
Business Journal / 2017年5月18日 7時0分
16日、NHKのスクープが世間を驚かせた――。
同日19時から放送のテレビ番組『NHKニュース7』は、
秋篠宮眞子さまが国際基督教大学(ICU)在学時代の同級生、小室圭さんと婚約されると報じた。
皇室に詳しいマスコミ関係者は語る。
「宮内庁の山本信一郎長官が眞子さま婚約の報告を受けたのは16日当日の昼頃だとみられ、
この日の夜にNHKが報じるということは、宮内庁にとってもまさに寝耳に水。
報道直後から翌日17日にかけ、庁内はかなり混乱している様子でした。
山本長官は報道直後の16日夜8時30分から急遽記者会見を開きましたが、
『現時点では未定』『知らない』『申し上げる段階ではない』という発言に終始し、
事実上のノーコメントであったことが、その混乱ぶりを物語っています。
宮内庁は通常こうした重要な情報については、記者クラブ以外でも日頃良好な関係を築いているジャーナリストや
記者から問い合わせを受けた際には、きちんと対応するのですが、今回はシャットアウト状態で、
かなり慌てている様子が伝わってきます。
実は宮内省記者クラブ内では、16日に『何か大きな報道が出るかもしれない』という情報は流れていたのですが、
どのマスコミもまさか眞子さまの婚約だとは思ってもいなかったようです」
今週19日に政府は天皇陛下の退位を認める特例法案を閣議決定する予定だが、
なぜそのような“微妙なタイミング”で眞子さま婚約が公表されたのであろうか。
「現在皇族は14人で、そのうち30歳以下は7人ですが、近い将来結婚して皇室を離れる可能性もあります。
これが皇族数、とくに女性皇族数減少により十分な皇室活動を維持できなくなるという懸念につながり、
女性宮家【編注:女性皇族が独立して営む宮家。結婚した女性皇族が皇室にとどまり、
皇室活動を続けることができるとされる】創設の議論につながっているわけです。
19日に閣議決定される特例法案でも、付帯決議に女性宮家創設が入れられるかどうかが焦点となっていますが、
安倍政権は創設に否定的なため、微妙な状況です。
一方、皇室内部には皇族数減少に危機感を抱き女性宮家創設に前向きな方々もおられます。
そうした方々が、閣議決定直前というタイミングを見計らい、
政府に対して『女性宮家を認めないと大変なことになりますよ』と警告なされる意味で、
近しい宮内庁職員を通じてNHKにリークさせたという見方が強いです。
つまり、実質的に皇室によるリークともいえます」(同)

今後の皇室への影響
皇室に詳しい別のマスコミ関係者も、同様の見方を示す。
「今の状況で女性皇族が結婚されれば、女性宮家の議論が盛り上がるのは必至ですが、
女性宮家に否定的な安倍政権は、天皇陛下退位が終わってからゆっくり議論していこうというスタンスです。
そんな現政権のイエスマンで上層部が固められた宮内庁ゆえに、眞子さま婚約の報告を受けたとしても、
政権の意向をうかがっているうちにズルズルと正式発表のタイミングが後ろにずれ込むのは目に見えています。
一方、皇室内で女性宮家創設を進めたい方々は、そんな宮内庁の動きを待ってはいられない。
そこで近しい宮内庁の職員をお使いになられて、NHKに報じさせたとみられています」
では、眞子さまご成婚は、今後の皇室にどのような影響を与えるのであろうか。
「眞子さまは現在、東京大学総合研究博物館で研究員として勤務されながら、
日本テニス協会名誉総裁や日本工芸会総裁などを務められ、さらに海外訪問も含めて公務は多忙を極めておられます。
皇族数が減少するなかで皇族の方々のご負担は現状でもかなり重いですが、眞子さまが皇室を離れれば、
さらにその傾向は強まります。なかでも、秋篠宮家の次女で22歳の佳子さまは現在学生であり、
学業優先のため公務はほとんど免れていますが、
ご卒業と同時に一気に公務の負担がのしかかってくることが予想されます。
秋篠宮家の長男で皇位継承順位3位の悠仁さまはまだ10歳ということもあり、
皇室全体はかなり厳しい事態を迎えつつあるといえるでしょう」(前出と別のマスコミ関係者)
女性宮家創設の問題も含め、安倍政権の対応が問われる。
(文=編集部)
https://news.infoseek.co.jp/article/businessjournal_336931/?p=1

2017.5.18 16:37
伊吹文明元衆院議長「眞子さまの政治利用は厳に慎むべき」 女性宮家検討主張の民進を牽制
自民党の伊吹文明元衆院議長は18日、最高顧問を務める二階派の例会で、
秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまが婚約の準備を進められていることを受け、
民進党などが女性宮家創設に関する訴えを強めていることを牽制(けんせい)した。
「公務をする人が1人減ったからどうかとか、眞子さまを政治的に利用するような発言は厳に慎み、
根本論をしっかりとやった上で、この問題をどうするかを政策集団として議論してほしい」と述べた。
伊吹氏は天皇陛下の譲位を可能にする特例法案の付則決議案に
女性宮家に関する記述を盛り込むべきだとの意見について、
「男系男子が皇室典範の定めるところによって世襲していくという考えをどうするのか、
国民が共通の認識を持つ前に女性宮家を創設することは非常に危険だ」と慎重な姿勢を示した。
同時に「女性宮家の方が外国の方と将来ご結婚して皇嗣がおできになったとき、
その方を天皇陛下として今までと同じ気持ちで日本人が仰ぎ見られるかということがある」とも述べた。
眞子さまは、結婚すると皇室典範の定めにより皇籍を離れられることになる。
現在、皇室には天皇、皇后両陛下をはじめ19人がおられるが、眞子さまが結婚されれば18人となる。
民進党は皇族の減少を念頭に「女性宮家の早急な検討を期限を区切って行うべきだ」(蓮舫代表)と主張している。
http://www.sankei.com/life/news/170518/lif1705180043-n1.html

秋篠宮さま沖縄2015年2月

佳子さま 秋篠宮さまと生まれて初めての父娘二人っきり旅行
2015.02.12 07:00
2月6日午後2時過ぎ、沖縄・那覇空港に降り立たれた秋篠宮さまと次女・佳子さまのお姿に、
居合わせた人たちからは「佳子さまだ!」といった声もあがり、空港内は一時騒然となった。
今回、秋篠宮さまはご自身が設立に尽力され、
現在も常任理事を務められる『生き物文化誌学会』の例会に出席されるため、沖縄を訪問された。
「この沖縄訪問はご公務ではなく、私的なご旅行です。
普段、秋篠宮さまはおひとりで例会に出席されるのですが、
今年は秋篠宮さまから佳子さまに“一緒に学会に出てみないか? 
沖縄に行かないか?”と誘われたようです。
佳子さまは照れくさそうに“別にいいけど…”
みたいなお返事をされたそうです(苦笑)」(秋篠宮家関係者)
昨年11月、秋篠宮さまは誕生日会見でこんな話をされている。
「私は海外に家族みんなで行ったことはありますけれども、
次女(佳子さま)と一緒に二人で出掛けたことはないのですが、
何の機会だったでしょうか、二人で上野動物園に行ったことがあるんですね」
佳子さまが5才ぐらいの時に、上野動物園で桜見物をされたのが、唯一のお二人でのお出かけだったことと
佳子さまがお生まれになってから20年間、一度も“父娘”二人旅をしたことがないと明かされた。
つまり、今回の沖縄旅行が“初めての二人っきりの旅”ということになる。
前出の秋篠宮家関係者は父娘関係について、こう語る。
「佳子さまは勝気なご性格なため、ご両親にお考えをはっきりおっしゃることも多く、
秋篠宮さまとはお気持ちが行き違うこともありました。
姉の眞子さまに比べると、秋篠宮さまと距離があったのも間違いありません。
そんなわけで、実際、沖縄に着かれた当初はお互い気恥ずかしさもあってか、
少々ぎこちない雰囲気だったみたいですよ」
※女性セブン2015年2月26日号
http://www.news-postseven.com/archives/20150212_303365.html


父と2人だけで沖縄入り 佳子さまのラフなお姿と母の気遣い
2015.02.16 16:00
黒のスリムパンツに白のざっくりニット、ウェーブがかった髪を下ろした公務での姿と
異なる佳子内親王の装いに、那覇空港に居合わせた利用客は一様に驚いていた。
「今回はご公務ではなく私的旅行でした。殿下と二人きりだったので
ラフなファッションになったのでしょう」(宮内庁関係者)
2月6日から8日にかけての父娘の沖縄訪問は、
秋篠宮が常任理事を務める「生き物文化誌学会」の例会に出席するためで、今回初めて佳子内親王も同席した。
「殿下が佳子さまに“学会に一緒に行かないか”と声を掛けて実現したのですが、
お二人だけ一足先に沖縄入りされたのは、紀子さまの計らいだったようです」(同前)
もともと沖縄訪問は秋篠宮一家揃っての2泊3日の旅程だった。だが、悠仁親王の学校のため、
紀子妃と悠仁親王は別便で沖縄入りした(長女の眞子内親王は英国留学中)。
学会は到着翌日(7日)だったので、佳子内親王も紀子妃と悠仁親王と同じ便でも差し支えなかったはずだが、
あえて先乗りしたのにはこんな理由があったという。
「連日の佳子さまフィーバーの中、紀子さまは佳子さまに注目が集まることを気にかけ、
服装や言動について厳しく教育されていたようです。そんな様子をご覧になった殿下が、
息抜きの意味もこめて佳子さまをお誘いになったのでしょう」(同前)
6日の夜、佳子内親王は父とともに那覇市内の豚料理専門店で夕食をとった。
「学会の関係者を交えた会食で、個室からは時折、佳子さまの楽しそうな笑い声が洩れてきました。
佳子さまはお酒を飲まれませんでしたね」(店の関係者)
紀子妃と悠仁親王が合流した翌日も父娘二人の行動が続いた。
午前中は世界遺産の中城城跡などを観光し、午後は学会に出席した。
「紀子さまは学会には出席せずに悠仁さまと会場近くの動物園へ行かれました。
学会は殿下と佳子さまお二人だけでというお気遣いでしょう。
佳子さまは殿下とは本当に仲が良いご様子でした」(学会関係者)
※週刊ポスト2015年2月27日号
http://www.news-postseven.com/archives/20150216_304071.html

皇太子一家恒例の奥志賀スキー旅行 宮内庁内部で波紋広がる

皇太子一家恒例の奥志賀スキー旅行 宮内庁内部で波紋広がる
2015.03.16 16:00
10年前から皇太子一家の“恒例行事”となってきた「奥志賀スキー旅行」が月末に行なわれる。
しかし、この旅行は雅子妃の適応障害が発表された2004年以来、常に騒動の火種となってきた。
すでに今年も「冬の恒例行事」は宮内庁内部で波紋を広げている。
「東宮一家は私的な動静をほとんど公にしませんが、今年も3月23日から27日まで
4泊5日の日程で長野県の奥志賀高原スキー場を訪問する予定です」(宮内庁関係者)
2月6日、『第60回青少年読書感想文コンクール』の表彰式とパーティに皇太子が出席したが、
隣に雅子妃の姿はなかった。その日、小町恭士・東宮大夫は定例会見で、
「雅子さまにご出席の気持ちはあったが、週2回の公務は厳しいと医師が判断した」と欠席の理由を説明している。
雅子妃は週2回の公務をこなせない状態でスキー旅行に出掛けることとなる。
病気が病気だけに仕方ないとしても、これが毎年、物議をかもしてしまう。
タイミングも悪かった。同時期には天皇・皇后が3泊4日の日程で栃木県御料牧場を視察する予定が組まれている。
皇太子は2月23日の誕生日会見で天皇の公務軽減を弟の秋篠宮とともに果たしていくことを改めて語り、
雅子妃の病状については、
「体調を整えながら、引き続き、焦らず慎重に、少しずつ活動の幅を広げていってほしい」と述べた。
その直後のスキー旅行に、前出の宮内庁関係者は深いため息をつく。
「雅子妃がお元気で活動的になられるのは喜ばしいが、
過去にも奥志賀へのスキー旅行は騒動の原因になってきた。また批判の的になるかと思うと心苦しい」
昨年のスキー旅行は、式年遷宮を終えたばかりの伊勢神宮を天皇・皇后が初めて参拝するタイミングと重なった。
そのため、「この時期の私的旅行は控えるべきではないか」との声が上がった。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏が語る。
「今上天皇の皇太子時代は、警備の負担などを考慮して、
昭和天皇・香淳皇后両陛下と皇太子さまご一家が同じ時期に外出することを控えていました。
昨年にしても今年にしても、両陛下のお出ましの日程を考慮せずに日程を決めてしまう皇太子ご一家に
疑問を感じる関係者は少なくないと思います。
プライベートな旅行は結構ですが、両陛下はご静養先でも近隣住民とふれあいの機会をもたれます。
そこに皇太子ご一家と両陛下の姿勢の違いを感じます」
初めて一家で奥志賀を訪れたのは2005年2月。3歳の愛子内親王を伴い、
一家揃っての初めてのスキー静養となった。
当時公開された映像には、幼い愛子内親王と満面の笑みでスキーを楽しむ雅子妃が映っている。
適応障害の発表から半年後だっただけに、その姿に多くの国民が安堵した。
ところがその直後、雅子妃は予定されていたスペシャルオリンピックスの視察を欠席。
「スキーは笑顔で滑れるのに公務はできないのか」と批判が起きた。それ以来、スキーは注目の的なのだ。
※週刊ポスト2015年3月27日号
http://www.news-postseven.com/archives/20150316_309728.html


皇太子一家のスキー旅行 「遊び」と「公務」の落差に批判も
2015.04.06 16:00
東宮一家は3月23日から4泊5日の日程で長野県の奥志賀スキー場でスキー旅行を楽しんだ。
10年前からほぼ毎年の恒例となっている旅行である。笑顔のうちに終了した旅行だが、
その一方で宮内庁関係者の表情は晴れない。
「雅子さまや愛子さまがリフレッシュされてお元気になられるのは喜ばしいことだが、
今年は特に間が悪かった。批判の声が大きくなることは致し方ないかもしれない」
宮内庁関係者が懸念しているのは、雅子妃の皇室行事への復帰が必ずしも順調ではないことだ。
東宮一家が長野から帰京した翌日、3月28日の出来事だった。
この日の昼、来日中のデンマークのフレデリック皇太子夫妻が皇居・御所で開かれた昼餐会に招かれた。
天皇は風邪による体調不良が伝えられる中、皇后とともに御所の車寄せに姿を見せて笑顔で
フレデリック皇太子夫妻を出迎えた。
しかしその晩、皇太子主催の晩餐会に出席するため
東宮御所を訪れたフレデリック皇太子夫妻を出迎える皇太子の隣に、雅子妃の姿はなかった。
全国紙皇室担当記者が内情を明かす。
「フレデリック皇太子夫妻の到着時、雅子さまは御所の部屋の中におられたそうで外に出ていらっしゃいませんでした。
理由は明らかにされなかったので、ご夫妻の姿を収めようとした記者の間では“何があったのか”と騒然となりました。
その一方でご自身がメニューを考案されたという晩餐会には出席されているというので、
“単にお姿を報道陣に撮影されたくなかったのでは”という声も上がっていました」
この件については、東宮職関係者も懸念している。
「ゲレンデには立ってもカメラの前には姿を現わさないということでは、
『遊び』と『公務』の落差に批判の声が高まりかねない」
さかのぼること2か月前の2月6日、「第60回青少年読書感想文全国コンクール」の表彰式に
皇太子が出席した際も雅子妃の姿はなかった。
当日、小町恭士・東宮大夫は欠席の理由について
「雅子さまにご出席の気持ちはあったが、週2回の公務は厳しいと医師が判断した」と説明している。
週2回の公務がこなせない状態で4泊5日のスキー旅行を満喫し、
リフレッシュしたはずなのに海外からの来賓を出迎えることすら十分にできないとなれば、
東宮職関係者が心配するのも仕方ないところかもしれない。
東宮一家のスキー旅行は例年のように物議を醸してきた。奥志賀スキー静養が始まったのは2005年。
2004年に雅子妃の適応障害が発表された直後だっただけに、
笑顔でスキーを楽しむ雅子妃と愛子内親王の姿に国民は胸を撫で下ろした。
ところが、スキー直後に雅子妃がスペシャルオリンピックスの視察予定をキャンセルしたため、
「笑顔でスキーはできても公務はできないのか」との批判が強まった。
以降、愛子内親王の小学校不登校問題の最中(2010年)や天皇・皇后の伊勢神宮参拝時(2013年)など、
例年タイミングの悪さが指摘され、一家に批判が向けられた。
今回もやはり因縁のスキー旅行となってしまったのである。
※週刊ポスト2015年4月17日号
http://www.news-postseven.com/archives/20150406_314318.html

週刊ポスト2015年4月17日号
雅子妃「北陸新幹線貸し切りスキー旅行」と<撮影拒否>の落差
東宮一家はパウダースノーを堪能。
チェックインの前からホテルの上層部を立ち入り禁止にして警備チェックを行い、宿泊中は全館貸し切り。
東宮一家は警備関係者に守られ一般のスキー客からは完全ガード。心置きなくスキーを堪能。
皇太子は8歳からスキーを始め腕前は検定一級程度の上級者。
雅子妃も小さい頃からスキーに慣れ親しまれ、愛子内親王は小学校低学年の頃から上級者コースを滑る腕前。
東宮一家の帰路は長野駅から新幹線。これは北陸新幹線開業で導入された車両。
新幹線のファーストクラスとして話題のグランクロスの設定がない便。
ご一家はグリーン車に乗車。車両ごと貸し切りにされた。(皇室担当記者)

香淳皇后と美智子さま

皇室ジャーナリストがぎくり 天皇一家にあった嫁姑バトル
(更新 2014/9/26 07:00)
皇后・美智子さまは今年10月で80歳、傘寿を迎えられる。ジャーナリストの渡邉みどりさん(80)が、
テレビ中継で飛び込んだ衝撃的な映像を振り返る。

*  *  *

昭和50(1975)年9月30日。昭和天皇と香淳皇后が戦後30年の節目に、アメリカ訪問にご出発になる日でした。
日本テレビのディレクター職にあった私は、ご出発の様子をニュースで中継するために、
音声担当など十数人のスタッフと早朝から千代田区麹町近くにあった社屋内の副調整室に詰めていました。
この時にモニター越しに目に飛び込んだ衝撃的な映像。
危うくテロップの指示を間違えそうになったことを覚えています。
そのシーンを振り返ってみます。羽田空港で待機する特別機のタラップの脇には
皇太子ご夫妻(現・天皇、皇后両陛下)、常陸宮ご夫妻、秩父宮妃、高松宮ご夫妻、三笠宮ご夫妻、
そして三木首相ご夫妻の順に並んでおられました。昭和天皇、香淳皇后がいよいよ機内にお入りになるとき、
おふた方は、宮様方のごあいさつに対し丁寧に返礼をなさいます。
特に昭和天皇は美智子さまにお辞儀をされた後、皇太子殿下に「あとをよろしく頼みますよ」というように
深く頭を下げられ、皇太子さまも父君に「お元気で」といったご様子で最敬礼なさいました。

次の瞬間、モニターを見ていた私は、ぎくりとしました。
数歩遅れた香淳皇后は常陸宮さまにゆっくりとお辞儀をなさったあと、
美智子さまの前を、すっと通り過ぎて皇太子さまに深くお辞儀をされたのです。
モニターの画面に映る映像は、後ろ姿でしたが、素通りされたのははっきりわかりました。
香淳皇后は手に、つい先ほど美智子さまから贈られたカトレアの花束をお持ちでした。
そのまま、美智子さまにも、深々とお辞儀をなさるとばかり思っていましたのに。

この「天皇訪米」の一部始終の映像はテレビで日本中に放送されたのです。
私自身その時は、昭和天皇の訪米という歴史的なニュースを無事に中継することで、頭がいっぱいでした。
昭和天皇と香淳皇后がご出発したあと、思わずスタッフと顔を見合わせて、「お気の毒に」とつぶやきました。
東宮ご一家に長年仕えた浜尾実元東宮侍従は当時、私の取材に対しこう話してくれました。
「私もテレビを見ていて驚きました。東宮侍従をしていたころ、美智子さまのお供で吹上御所に行った時など
何か皇后さまの態度がよそよそしいことは感じたことがありました。それは美智子さまの人間性というより、
そのご出身(平民)が美智子さまを孤立させることになっていたんだと思います。
ただ、あのお見送りの時は人前で、それもテレビカメラの前のことですからね。
美智子さまはやはり大変なショックをお受けになったと思いました」

美智子さまのご苦労については、昭和天皇の侍従長であった入江相政氏が残した昭和42(67)年11月13日付の
日記にも記載があります。美智子さまは、入江氏に、胸の内を吐露しています。

<三時半から五時四十分迄二時間以上、妃殿下に拝謁(はいえつ)。(中略)
終りに皇后さまは一体どうお考へか、平民出身として以外に自分に何かお気に入らないことがあるか等、
おたづね。夫々(それぞれ)お答へして辞去>

皇位継承者である親王を2人もお産みになっていても、ここまでご苦労なさるのかと感じました。
高松宮ご夫妻に取材した際など、喜久子妃は美智子さまのことを、
「あまり気をお使いになるからお痩せになるのよ。おしおらしい」とおっしゃっていたことを記憶しています。
時は流れ、昭和天皇は逝去され、平成の御代になりました。おひとりになった皇太后良子(ながこ)さまは、
皇居内の旧吹上御所にそのままお住まいになりました。

平成5(93)年に、天皇陛下と美智子さまもそれまでの旧赤坂御所から皇居・吹上御苑に完成した新御所にお移りになります。
当時の美智子皇后をお側で支えた井上和子元女官長が先日、亡くなりました。
井上元女官長は当時、私にこう話してくださいました。
「明治の昭憲皇太后さま、大正の貞明皇后さま。近代の天皇陛下の母君のお住まいはお堀を隔てて別のところにありました。
平成に入り、陛下と皇后さまは、良子さま(香淳皇后)に
『スープの冷めない距離』にお住まいになっていただきました。これは、すごいことなのですよ」

平成7(95)年に美智子さまが詠んだお歌です。
 緑蔭
 母宮のみ車椅子をゆるやかに
 押して君ゆかす緑蔭の道

天皇陛下が母君の車椅子を押し親孝行なさっている情景を詠まれたものです。
天皇家のお歌に車椅子が登場したのです。時代を感じ胸が熱くなりました。
皇后美智子さまも折に触れ吹上のバラ園で皇太后良子さまの車椅子を押してご一緒に散歩なさいました。
平成10(98)年6月。英国、デンマークへの外国訪問からお帰りになった時も、同じ光景がありました。
旧知の間柄でおられる英国のクイーン・マザーやエリザベス2世女王陛下の近況をお話しになったのかもしれません。
毎週末、良子さまがお住まいの吹上大宮御所は華やいだ雰囲気に包まれたものでした。
それはお子様やお孫様方のお見舞いがあったからです。
今上陛下と皇后美智子さま、そして孫の紀宮さまは、お庭伝いに吹上大宮御所の良子さまを訪問されたのです。
秋篠宮ご夫妻と幼い眞子さま、佳子さまも、大広間でご一緒にビデオなどをご覧になりました。
昭和天皇が逝去されて10年余りの時が流れた平成12(2000)年6月16日に良子さまは逝去されました。
同年春には97歳のお誕生日をお迎えになり、歴代皇后のなかでは最長寿でした。
人生の最晩年を吹上大宮御所でお過ごしになったことは今上陛下と美智子さまのあたたかい親孝行でした。
黒田清子さんとなられた天皇家の一人娘、紀宮清子内親王は、良子さま逝去の折の印象をこう書かれています。
<陛下が、駆け寄られるように皇太后様のおそばにお寄りになって、じっとその御最期をお見守りになり、
そのお後で皇后様が、丁寧にお掛け布団などをお直しになりながら、「ご立派でいらっしゃいましたよ。」と
ささやくようにおっしゃったその時に、周りの人々の悲しみがふっとあふれるように感じられました。
(以下略)>(『ひと日を重ねて 紀宮さま 御歌とお言葉集』から)
美智子さまはご結婚以来、毎週、昭和天皇と香淳皇后をお訪ねになりました。当時、侍従に取材した限りでは、
お会いになった回数は、昭和と平成を合わせると千回を優に超えたと聞いています。
恩讐(おんしゅう)を超えたご交流が、そこにはあったのでしょう。

※週刊朝日  2014年10月3日号
http://dot.asahi.com/wa/2014092400103.html?page=1

皇太子ご夫妻 子供の日公務

東宮が担当のこどもの日公務 雅子妃体調故か日程発表されず
2015.05.19 07:00
皇室の公務に大きな変化が起きている。
天皇・皇后が担ってきた「こどもの日」「敬老の日」の施設訪問が、
今年からそれぞれ東宮家と秋篠宮家に引き継がれることになった。
今年の分担は皇太子が「こどもの日」、秋篠宮が「敬老の日」。宮内庁が両家と相談し、決まったという。
しかしやはりというべきか、宮内庁関係者は雅子妃の進まぬ公務復帰がもたらす影響に懸念を抱いている。
2つの公務の継承について宮内庁関係者がいう。
「両陛下が毎年大事にされていたご公務でしたが、お2人とも80代になられ、
次世代の皇室を考えてのご決断でしょう。それを重く受け止めた皇太子殿下と秋篠宮殿下は
膝をつき合わせて分担をご相談されたと聞いています。
皇太子さまがこどもの日を選ばれたのは、限られた回数とはいえ
雅子さまがこれまで主に青少年に関する公務に出席されてきたことを勘案されたからと聞きます」
しかしそれほど細心を払って行なわれた引き継ぎにもかかわらず、
「こどもの日公務」の日程は例年より大きく遅れ、本稿締め切りの5月14日に至っても発表されなかった。
宮内庁担当記者が訝しむ。
「ゴールデンウィーク後の東宮大夫会見(5月8日)でも“いつ、どこでやるのか”と質問が出ましたが
“まだ申し上げられません”と返答に窮していた。ゴールデンウィーク前から質問を続けているのに、
ずっとはぐらかされてきた。例年は連休明けすぐに行なわれていました。
昨年は5月8日に葛飾区立花の木小学校を訪問されています」
2013年は5月23日(江東区立越中島小学校)、2012年は6月11日(港区立芝浦アイランドこども園)、
2011年は5月25日(あい・ぽーとステーション子育てひろば)と遅めの日程だったが、
2013年は4月下旬に皇后が頸椎症性神経根症で体調を崩し、
2011、2012年は5月に東日本大震災の被災地を訪問するなどいずれも特別な理由があった。
それ以前は外国訪問などがあったケースを除き、ほとんどが5月前半のうちに行なわれている。
受け入れ先の施設にも4月頃には内々に打診があり、
宮内庁記者会にも公務当日の1週間ほど前に発表があるのが通常である。
記者たちが不安視するのも無理はない。
「5月の東宮ご一家のスケジュールは目立ったものがなく、日程調整の障害になる理由は見当たりません。
ここまで決定が延びたのは、やはり雅子妃の体調が理由なのでしょう」(同前)
※週刊ポスト2015年5月29日号
http://www.news-postseven.com/archives/20150519_323109.html


先延ばしした揚句
香淳皇后の例祭の日に決行

宮内庁HPご日程より
平成27年6月16日(火)
天皇皇后両陛下 香淳皇后例祭の儀(皇霊殿)
皇太子殿下 香淳皇后例祭の儀(皇霊殿)
皇太子同妃両殿下  ご訪問(子育て支援施設「ゆったりーの」(こどもの日にちなみ))(新宿区)
文仁親王同妃両殿下 香淳皇后山陵例祭の儀ご参列(武蔵陵墓地(八王子市))



皇太子ご夫妻 子育て支援施設を訪問
6月16日 17時48分
皇太子ご夫妻は、東京都内の子育て支援施設を訪問し、施設を利用する親子らと交流されました。
この訪問は、去年まで毎年「こどもの日」の前後に
子どもの施設を訪ねてこられた天皇皇后両陛下から引き継がれたもので、
皇太子ご夫妻は16日午後、東京・新宿区の子育て支援施設「ゆったりーの」を視察されました。
この施設は、地元の人たちで作るNPO法人が運営していて、ご
夫妻は、0歳から4歳までの乳幼児とその母親合わせて20人が参加した、
絵本の読み聞かせの様子をご覧になりました。
絵本の中では、主人公の猫が履くスニーカーの色が、訪れる場所ごとに変化していく様子が描かれ、
ご夫妻は、子どもたちが読み手の歌に合わせて声を上げたり、手を振ったりするのを笑顔で見守られました。
このあと、ご夫妻は、参加した親子らと交流されました。
皇太子さまは、母親たちに「初めての子育ては大変ですね。私も愛子のことを思い出します」などと話され、
雅子さまは「お子さんは今どんなことに興味がありますか」などとことばをかけられたということです。
ご夫妻とことばを交わした30歳の母親は「雅子さまから『幼稚園の送り迎えやお弁当作りが大変ですね』と
温かいまなざしで話しかけていただき、うれしかったです」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150616/k10010116691000.html

2015.6.16 17:45
皇太子ご夫妻、子育て支援施設をご視察 両陛下のご公務引き継がれ
皇太子ご夫妻は16日、東京都新宿区の子育て支援施設「ゆったりーの」を訪問された。
同施設は0〜5歳児と保護者を対象に、遊び場を提供し、子育ての情報交換や相談などができる。
皇太子ご夫妻は、絵本の読み聞かせの様子を見学した後、利用者らとご懇談。
皇太子さまは「ここにはよく来られるのですか」などと熱心に質問され、
皇太子妃雅子さまは「かわいいですね」などと笑顔で声をかけられていた。
懇談後、雅子さまは「お子さんとの触れ合いが楽しかった」と感想を述べられたという。
天皇、皇后両陛下が毎年続けてきたこどもの日と敬老の日にちなんだ施設訪問を、
両陛下がともに80代となられたため、今年から皇太子ご夫妻と秋篠宮ご夫妻が引き継がれたもの。
初めてとなる今年は、児童施設が皇太子ご夫妻、高齢者施設は秋篠宮ご夫妻が訪問されることになっていた。
http://www.sankei.com/life/news/150616/lif1506160018-n1.html

皇太子ご夫妻、地域一体の子育て支援施設を訪問
皇太子ご夫妻は16日、東京・新宿区の0歳児から利用できる子育て支援施設を訪問されました。
この施設では、乳幼児の一時預かりをするなど健やかな子育てを支援する取り組みを地域一体で進めています。
ご夫妻はまず、読み聞かせの様子を視察し、その後、利用者となごやかに懇談されました。
雅子さまは、自らのハンドバッグに興味を示した子供に「これ何かわかる?」と、優しく話しかけられたということです。
今回の訪問は、両陛下がこどもの日にちなみ、毎年行われてきた施設訪問を初めて引き継いだものです。
(16日17:14)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2518913.html

雅子さま 名画鑑賞も「こどもの日」公務は6月にズレ込み
2015.06.05 07:00
5月25日の夜、閉館後の国立新美術館(東京・六本木)に皇太子夫妻の姿があった。
開催中の「ルーヴル美術館展」を鑑賞する「公務」である。この日の雅子妃は終始にこやかな笑顔で、
日本初公開となるフェルメールの『天文学者』などに見入った。雅子妃の皇居外での公務は
1月に東京・広尾の山種美術館で東山魁夷の特別展を鑑賞して以来、約4か月ぶりだった。
体調回復の兆しと考えれば喜ばしいことでもあるが、ポジティブに捉えている宮内庁関係者は多くない。
「雅子様が美術館にいらっしゃることは、当日に急遽決まりました。つまり、それだけ体調の波が激しいということ。
その日も閉館後で国民の視線に晒されない形でのご公務だったからお務めできたのでしょう。
まだ本格的な公務復帰への道のりは長いと思われます」
むしろ気がかりなのは、本来は5月中に行なわれるはずの重大な公務の日程が
5月28日になっても明らかにされなかったことだ。
天皇・皇后が担ってきた「こどもの日」「敬老の日」の施設訪問が今年から、
東宮家と秋篠宮家に引き継がれることになった。
今年の分担は皇太子が「こどもの日」、秋篠宮が「敬老の日」とされた。宮内庁担当記者が声を潜める。
「分担は宮内庁が両家と相談して決めたのですが、記者会が東宮大夫に何度尋ねても、なかなか日程が発表されない。
天皇・皇后両陛下時代に『こどもの日』の公務が6月になったのは2度しかありません(1992年と2012年)から、
異例といっていい事態です。さすがに6月にはどこかに訪問されるとは思いますが、
引き継ぎ1年目の大事な年に、そんなことになるなんて……。
“一体どうなっているんだ”“雅子様の体調はそこまで良くないのか”と記者の間で憶測が広がっています」
本誌は5月18日発売号で、この「なかなか決まらない皇太子夫妻の公務」をレポートしたが、
それから2週間近く日取りが発表されないとは予想しなかった。
「ご体調がままならないことは仕方ありませんが、
もしご夫妻がそろって『こどもの日』の公務に出席されなければ、両陛下の悲しみはいかばかりか……。
ぜひ一刻も早い実現を願うばかりです」(前出・宮内庁関係者)
※週刊ポスト2015年6月12日号
http://www.news-postseven.com/archives/20150605_326481.html

雅子さまが「こどもの日」公務で見せた”ユーモア”
2015年06月24日(水) 05時00分
〈週刊女性7月7日号〉
「ご懇談中に、雅子さまが持つクラッチバッグに女の子が興味を持つと、
”開けてみる?”という感じで雅子さまが差し出されたので、本当に開けないかドキドキでした」
ご夫妻の間を駆け抜けようとした子が転び、皇太子さまを”支え”にする場面も
そんな微笑ましい話をしてくれたのは、6月16日に皇太子ご夫妻が視察のため訪問された新宿の子育て支援施設
『ゆったりーの』の小原聖子施設長。
雅子さまは、皇太子さま(55)に同行し、施設を利用する母親や子ども、ボランティアと歓談し激励されたが、
今回の訪問の経緯を宮内庁担当記者が説明する。
「そもそもは『こどもの日』と『敬老の日』前後に関連施設を視察する公務として、
天皇・皇后両陛下が平成になって始めたものです。今年から、皇太子ご夫妻と秋篠宮ご夫妻に受け継がれ、
今回は、皇太子ご夫妻が子どもの施設を視察されることになりました。
両陛下のときは5月中の訪問が多かったのですが、6月半ばまで延びたので、
雅子さまのご体調に配慮し、宮内庁も慎重に対応していたのかもしれません」
長期療養に入ってから12年がたとうしている雅子さまにとって、
両陛下から引き継いだ大切な公務は重圧になっていたのかもしれない。
しかし、7月2日から南太平洋の島国・トンガを訪問されることも正式に決まり、雅子さまのご体調は上向きのようだ。
「今年前半の雅子さまは、公の場へのお出ましは限られたものでしたが、
お住まいの東宮御所での接見や説明は例年より増加しました。
そして、5月19日にお忍びで国連大学のインド・ミニチュア絵画展覧会をご覧になったのを皮切りに、
25日には『ルーヴル美術展』に急きょお出かけに。
6月は、雅子さまにとってハードルが高いといわれている宮中晩餐にも出席されるなど、
活動の幅は広がっていると思います」(東宮職関係者)
雅子さまは、トンガではトゥポウ6世国王の戴冠式と、その後の昼食会のみに出席され、
ほかの行事は皇太子さまおひとりでの出席予定だが、
「2年前のオランダ訪問のとき、雅子さまの同行が直前まで決まらなかったことを考えると、
今回、1か月近く前に訪問が決定したことは前進だと思います。
主治医も同行しないということは、それだけ回復傾向にあるといっていいのかもしれません」(前出・記者)
そんな”余裕”が、今回の施設でもみられた雅子さま。小さな子どもでも、”お母さんごっこ”ができる
『ぽぽちゃん』という赤ちゃん人形で遊んでいた女の子が、そのパンツを人形の頭にかぶせていたところ、
「熊ちゃんの帽子をかぶっているのね。お耳が生えてくるかな?」
雅子さまはユーモアを交えながら、そう声をかけられたという。
人形にかぶせられたパンツの裾(穴)部分を熊の耳に見立てて、そう微笑まれたのだろう。
雅子さまの回復ぶりに、皇室関係者がこう期待感を示す。
「今年の『敬老の日』の老人施設訪問は、秋篠宮ご夫妻になっていますが、来年以降は未定です。
実は、どちらを訪問するかは、皇太子さまに一任されているので、
来年は皇太子ご夫妻が老人施設を訪問されるかもしれません」
http://www.jprime.jp/tv_net/imperial_household/14682/

女性セブン2016年1月7・14日号
「2015年6月、両陛下から引き継がれた、こどもの日の公務の際に、小さな子供たちへのお土産に選ばれていました。
黄色の地にお猿さんなど、多くの動物が描かれていて、子供が好きそうなお菓子です」(宮内庁関係者)

皇室追っかけ女性 写真集を出版し小和田家から礼状が届いた

皇室追っかけ女性 写真集を出版し小和田家から礼状が届いた
2014.08.05 07:00
7月下旬、「天皇皇后両陛下が仙台、気仙沼に行かれるのでお見送りにきました」と
声を弾ませながら東京駅に来ていたのは皇室追っかけ歴21年の西川春美さん(48才)だ。
皇太子妃・雅子さまが皇室に嫁がれたとき、「こんなにキレイな人がいるなんて」と一目惚れし、
追いかけて写真を撮るようになった。
「これまで、北は青森から南は神戸まで遠征しました。資金がないときは東京駅でお見送りし、
戻られたときにお迎えに伺います。必ず持って行くのは、
遠くからでも撮影できるよう望遠レンズがついたカメラ。
待ち時間が多いので、百円均一で買った折りたたみ椅子も欠かせません」(西川さん)
スケジュールを把握するため宮内庁のホームページをチェックしたり
仲間内で情報交換したりするのはもちろん、独自のネットワークで思いもよらぬ情報を入手することも。
「読みどおりに、待ち構えた場所を通っていかれるときほど嬉しいことはありませんね」(西川さん)
追っかけを始めて5年がたった1998年には、皇太子同妃両殿下から声をかけられた。
「長野県の車山高原に行ったとき、山頂で必死におふたりの写真を撮っていたら、
『空気がいいですね』『いいお写真は撮れましたか』とお声をかけていただきました。
緊張しましたが、本当に嬉しかった」(西川さん)
そして2001年、それまで撮りためていた膨大な写真を写真集『あこがれの雅子さま』(徳間書店刊)として出版。
翌年には『愛子さま』(リヨン社刊)を出版した。
「後日、写真集を雅子さまに渡していただけるようご実家の小和田家にお送りしました。
すると数日後、ご両親からお礼のはがきが届いたんです。もうびっくりしました! 一生の宝物ですよ。
そして2003年、皇太子ご一家が葉山で静養されていたとき、皇太子さまが私に
『西川さん、ご出版おめでとうございます』と声をかけてくださったんです! 
私のことを覚えていてくださったんだと感動して、涙が溢れました」(西川さん)
西川さんは自分の体が動かなくなるまで、死ぬまで追っかけを続けると決めている。
※女性セブン2014年8月14号
http://www.news-postseven.com/archives/20140805_269260.html

典子さん別居?

高円宮家「典子さま」が別居状態 縁結びの神・出雲大社に垂れこむ暗雲
週刊新潮 2017年12月7日号掲載
宮司家嫡男と高円宮家「典子さま」 夫婦破綻で進む遠大なる離婚計画(上)
高円宮典子さま(29)と出雲大社の宮司嫡男・千家国麿(せんげくにまろ)氏(44)が華燭の典をあげたのは
3年前のことである。眩しく煌めく1日――。だが、既に2人は別居状態にある。
よりにもよって縁結びの神を祀る大社に垂れこむ暗雲……。
 ***
高円宮憲仁親王(2002年に薨去)と久子妃殿下(64)の間に次女として典子さまが生を享(う)けたのは、
1988年だった。ご夫妻はこれに先立つ86年に承子(つぐこ)さま、
そして90年に絢子(あやこ)さまと3姉妹に恵まれている。
本稿ではその典子さまと伴侶との結婚生活の破綻、そして奇異な“離婚計画”を取り上げるが、
まず、結婚までの経緯に触れておく。
典子さまは11年に学習院大を卒(お)えてからは進学や就職はせず、皇族としての公務に臨んでいた。
14年5月、千家国麿氏(現・出雲大社権宮司)との婚約内定を発表。
彼は出雲大社トップの宮司・千家尊祐(たかまさ)氏(74)の嫡男である。その折に、2人の出会いが
07年4月であること、共通の趣味であるバードウォッチングで愛を育んだことが明らかになった。
そして10月5日、出雲大社での挙式――。
午前11時、出雲大社の参道をゆっくりと進む典子さんは髪をおすべらかしに結い、黄色の袿(うちき)、紫の袴姿。
隣を歩く国麿氏も千家家伝統の黒の衣冠に身を包み、両名揃って絵巻物から飛び出してきたような恰好である。
あとに続く親族の顔はみな晴れやかで、沿道は多くの人が笑顔で振る日の丸の小旗で彩られ、
祝福の声に満ちていた――。
戦後に結婚して皇籍を離脱した女子が黒田清子さんに続いて6人目となった瞬間。
典子さまから典子さんになったこの14年10月5日が光であるとして、結婚にはむろん影もつきまとう。
これまでも、2人の仲を詮索する声がないわけではなかった。関連記事の見出しを拾ってみたら、
〈憂慮される“雅子さまとの符合”… 典子さん出雲から消えた!〉
〈千家典子さん別居説も出る頻繁すぎる里帰り〉
と、物々しい。概して「出雲で典子さんをほとんど見かけない」「宮邸に里帰りする頻度が高すぎる」
とコメントする関係者が登場する一方、「出雲ではオーラを消しているだけ」
「いやいや大事な行事の時には出雲にいますよ」と語る人物もいる。何があるのかないのか、判然としない内容だった。

「関係が芳しくない」
出雲大社の歴史をひもといた原武史著『〈出雲〉という思想』によると、
〈そもそも出雲大社では、出雲国造(いずもこくそう)と呼ばれる世襲の神主が、祭祀をつかさどっていた。
出雲国造は、国造制が消えたはるか後の近代日本にあっても、全国でただ一つ国造を名乗っており、
その祖先は天皇と同じく、アメノホヒノミコトという神とされていた。つまり出雲国造とは、
天皇と並ぶもう一人の「生き神」であったのであり、天皇にも匹敵する宗教的な権威をもっていたのである(略)〉
脈々と繋がるこの出雲国造の84代目が他ならぬ千家家の当代で、先に挙げた宮司の尊祐氏に当たるのだ。
そんな歴史を誇る家柄だから、知り合いに千家一族がいるという人物は、
「その彼が、“あの家とは先の戦争で対立して以来……”とポツリと言ったりしたので、
てっきり太平洋戦争のことかと尋ねたら、“いやいや応仁の乱のことです”と言うんですよ」
と、平成の次を覗き見ようかという時代に、時間軸が混線しそうなエピソードを披露する。
夫婦の仲について、千家家の事情に明るい関係者によると、
「確かに、我々はみな2人の関係が芳しくないという認識をしています。典子さんは都会で、
東京のど真ん中でずっと暮らしてきて、突然あんな田舎に連れてこられても土台無理。
出雲の冬の寒さに音をあげられたというのも大きい。若い頃にちょっと会っただけでロクにデートもせず、
“大丈夫?”って声はしきりにありましたけどね。基本的に別居しており、もうその期間は長くなっています」
宮内庁担当記者も、「典子さんは、東京での滞在時間の方が
圧倒的に長いというような話は前から聞いておりました」と同調するように継ぎ、
「彼女の日常生活は完全にお姫様状態なんです。構われ過ぎてしまうので居心地が良くないんだと、
ちらほら聞こえて来ている。もう1つ、国麿さんがちょっと心身症気味なんじゃないかということも耳にしました」

“慶事後”に?
出雲大社に祀られる主祭神は縁結びの神様である。大社はホームページにそう喧伝しており、
今ここに挙げた話が事実なら笑えないジョークでしかない。
「すぐに離婚というのはないんです。千家家は、国家的な慶事を大事にするという考えで動いている。
それに久子さまは五輪招致の立役者でいらっしゃる。
付け加えると、その前には天皇陛下の退位や新元号のスタートなどの大イベントもあるので、
水を差すような離婚などできようもありません。
裏返せば、その後に離婚は避けられないということでもある」(先の関係者)
自分の家のことになぜ五輪が関係するのか。そんな疑問が湧くのは無理からぬこと。
しかし実際、当代から2つ遡った第82代の出雲国造は自著『出雲大社』で、
「皇室の弥栄(いやさか)と国家、民族の繁栄とを祈りつづけてきたわが家の使命を(略)」
と明示する。国家を背負う自負と自恃とが、彼らを国造たらしめているのだ。

「病気が長引いて…」
出雲に入って千家家に関係する面々に当たって行くと……まず、国麿氏の叔父の隆比古(ながひこ)氏の奥方は、
「別居については、そんな話聞いてません。新築の自宅で、義母と一緒にご飯を作ったりもしている」
他方で、千家家の菩提寺の住職は、
「国麿さんのご病気については、何かもともと気鬱だって聞きますね。それで気分的に塞いでいるというか。
普通の公立小中に通ったおとなしい人なので、皇族として育った典子さまとうまくいくのかと気になっていたんです。
結婚直後の正月の行事には典子さまが出ると思ったら出なかったし、
去年8月の千家家先祖供養の霊祭では国麿さんはおらず、典子さまだけ。
最近は2人で出かけるという話は耳にしません」と、また違った反応。
続いて地元自治会幹部は、
「この前も宮司(=国麿氏父)は、“礼子(あやこ)(=国麿氏母)と典子が一緒に食事を作ってくれる。
最近は塩分控えめにされており、あまりおいしくないんだよね”と嬉しい悩みのようなことを明かしていましたよ」
隆比古氏の奥方の話にもあった「嫁姑料理話」。そこで“お世継ぎ”に話を振ると、
「国麿さんが85代になられるから、早く86代目が生まれないととは思いますけど。
色々と事情があってなかなか難しいですわ。どんな事情? う〜ん、国麿さんと典子さんが2人で(出歩いていた)
というのは聞かないし、そもそも国麿さんをここ1年半くらい見かけていません……ちょっとどう言っていいか、
以前から体調を崩しがちで、病気が長引いているということなんでしょう。
国麿さんが元気になられて早く例祭(大事な祭事)などに出られるようになるといいなと思います」
菩提寺住職の話と合わせ、国麿氏がそう短くない期間、病を養ってきたことは疑いないようだ。
https://www.dailyshincho.jp/article/2017/12110800/


「典子さま」と「千家国麿さん」不仲説 “夫の健康問題”と“頻繁な東京行”
社会週刊新潮 2017年12月7日号掲載
宮司家嫡男と高円宮家「典子さま」 夫婦破綻で進む遠大なる離婚計画(下)
3年前に挙式した高円宮家の次女・典子さま(29)と、
出雲大社の宮司嫡男・千家国麿(せんげくにまろ)氏(44)夫婦について、千家家の事情に明るい関係者は
「関係が芳しくないと認識をしています」と、2人が長い別居状態にあると証言する。
この関係者によれば、国家的な慶事を大事にする千家家の考えゆえに、
東京五輪を控えた現在すぐの離婚はないものの、「裏を返せば、その後に離婚は避けられない」(同)。
国麿氏の心の問題にまつわる証言も浮上し、縁結びの神を祀る出雲大社には暗雲が垂れこめる。
 ***
東京の取材班は、典子さんの祖母・鳥取二三子(ふみこ)さん(90)に話を聞いていた。
年齢を全く感じさせない、かくしゃくとした口ぶりである。
「神官さん(国麿氏)は結婚式でお疲れになったうえに、お父様が修行に厳しいそうです。
結婚式が終わってから身体を壊して寝込んでいらしたこともありました。別に夫婦の仲が悪いわけではありません。
ただ典子さまもしょっちゅう東京にはお出でになられています。
宮中では色んな催し物がございますから。それにお友達のクラス会もあるようです」
国麿氏はと言うと、
「あちらはお忙しいからいらっしゃらないですが、お義母さまと一緒に上京されることも多いんですよ。
向こうにいらしても、(典子さまは)皆さんのところに出ていらっしゃる用事がないわけです。
ほとんど土地の方とは交流がおありにならない。本当にお暇らしいです。
神官さんの奥さまというのは本当に何にもすることがないそうで」
 出雲では時間を持て余し、東京で用事が立て込んでいる。
だから、「しょっちゅう東京にはお出でになられてい」ると仰る。

「別居状態と言われれば」
取材後程なく二三子さんから「誤解して頂きたくない」と記者に連絡があり、2度目の取材と相成った。
以下はそのやりとりである。
「典子さまがこっちにちょくちょくいらっしゃった理由としては、三笠宮さまが亡くなられて1年間は喪でしたから。
その式のたびに千家さんのご両親と出ていらして。それで、権宮司さん(国麿氏)は
出雲にいなきゃならないですから。それともう1つ。典子さまは出雲にお知り合いはないから。
散歩なんかをして買物なんかなさったりされる方じゃないから。チャリティでビーズのブローチを作ったり。
結局、千家さんのお母さまと一緒に1日過ごしていらっしゃる」
次いで2人の仲に触れて、「別居はしていません。今は、あちらのご両親と4人一緒に過ごされています。
ただ、新居がなかなか建ちませんでね。
何か、ああでもない、こうでもないって。それが、やっと建ちまして。広いきれいなお家です。
あの、今、引っ越しなさってご夫婦そっちに。お食事やなんかはどっちかのお家で、
典子さまがお作りになったり。お義母さまとご一緒に」
(上)でも紹介したとおり、ここでも「嫁姑料理」が語られている。ちなみに登記簿謄本によれば、
新居は昨年10月に新築されている。現地で確認したところ、「広いきれいなお家」である。
もっとも、人の匂い、住んでいる形跡は全くない。プランターも自転車も見当たらないのだ。
「ただ、別居状態と言われれば確かに……。国麿さんを置いて東京にいらしている、
お泊りになっていらしている時は(そう思われるかもしれない)。お泊りになられる際は宮邸だと思います。
ご実家ですし、お部屋もあるわけですから。(典子さまは)2、3日いらっしゃる時もあれば、
日帰りになっちゃうのもあります。しばらくいらっしゃらない時もある。離婚なんてないですよ。
それは大丈夫です。お姿が見えないのは、(外に)出ていらっしゃらないだけです」

“将来の離婚を…”
誰かの言うように、21世紀の新しい結婚の形と言ってしまえばそれまでかもしれない。
しかし、東京のど真ん中で育ち、嫁ぎ先に知り合いが皆無で、振り向けば常に姑という毎日。
その息苦しさに耐えかねた「頻繁な東京行」と言えなくはないだろうか。事実、
「典子さんは、東京ではブランドのレセプションやパーティーに顔を出し、楽しんでいるようですよ」
と、宮内庁担当記者は明かす。別居の証明は易々とは行かない。ただ、繰り返すが、
二三子さんが口にする「新居での生活」の雰囲気はない。3年前の絵巻物風の挙式が早くも色褪せて映るのだ。
それに加えて、国麿氏の抱える心の問題である。
夫婦問題コンサルタント・池内ひろ美さんは、
「見知らぬ地域に嫁いだ女性にとって、一番の味方は夫君。なのに体調が芳しくないとなるとしんどいことでしょう。
ただでさえ、嫁ぎ先では『お姫様状態』で何もさせてもらっていないわけですよね。
彼女は“私がここにいる価値はない”と思ってしまっている可能性もあります。
自分に役割が与えられていないというのは最もツラいことですから」
そう斟酌したうえで、
「お姑さんとよく行動を共にされて、東京にも一緒にいらっしゃっているということですが、
『お目付け役』なのかもしれません。お姑さんと一緒に実家に帰りたいなんて思う嫁は世の中にひとりもいないですからね」
と指摘する。更に、
「ヨリを戻すとかそういうのではなく、ご夫婦としてまだスタートされていないのではないかという印象さえ持ちます。
典子さんご自身の幸せを考えると、『カゴの鳥』状態を続けるよりは別居や離婚に踏み切った方が
いいのではないかと思います。20年まで離婚が難しいということですが、来年30歳になられる典子さんにとって、
その時機は再出発するにあたって重要なタイミングでもありますから」と踏み込むのだった。
再び出雲に話を戻そう。国麿氏の父・尊祐宮司を直撃すべく自宅前で待っていると、黒塗りの車が滑りこんできた。
後部座席から降車した宮司に別居と嫡男の病について尋ねたが、
「お話しすることはございません。とにかく2度と来ないでください!」
と言うのみで否定することはなかった。前出の関係者に改めて聞くと、
「宮司は“息子夫婦の仲が良くないこと、基本的に別居状態にあること、将来の離婚を覚悟していること”を漏らしています」
することがなく、幸せとは言い難いお姫様状態に夫の健康問題が絡み、東京の実家戻りが重なる典子さん。
別居婚から別居へ。離婚計画は推移しつつあるということになる。

特集「縁結びの神『出雲大社』に暗雲! 宮司家嫡男と高円宮家『典子さま』夫婦破綻で進む遠大なる離婚計画」より
https://www.dailyshincho.jp/article/2017/12120800/


縁結び神社の妻・千家典子さん「別居」報道の真相は?
2017.12.25 07:00
日本最古の旧家同士の慶事と祝福されたのが、高円宮家の次女、典子さんと
出雲大社の宮司の長男である千家国麿さんとの結婚だ。
国麿さんの父、尊祐さんは第84代出雲国造で出雲大社宮司。
2014年5月、国麿さんは婚約の記者会見で、千家家の初代が天照大神の次男、天穂日命にあたる、と切り出した。
「2千年を超える時を経て、今日を迎えたことに深いご縁を感じている」
皇室の祖先である天照大神の子孫に国を譲ったのが、出雲大社に祭られる大国主神で、
ともに祖先が天照大神につながる「家」同士というわけだ。
だが結婚後まもなく、2千年のご縁にも陰りが見える。
発端は、「宮司の妻」という将来に備え、出雲で過ごしているはずの典子さんが、
頻繁に東京に戻っている、という話が出回ったこと。
「ファッション関係のパーティーやレセプションなどでお姿をお見かけしたので、
また東京にいらっしゃるのか、と不思議に感じていたのです」(関係者)
典子さんは単独で行動することが大半で、国麿さんと過ごす光景は東京でも出雲でも見かけることはなくなっていった。
「典子さんがよそ者扱いされてなじめないようだ」といった噂も流れ、「離婚」「別居」の文字が躍った。
昨年11月、逝去した三笠宮崇仁親王の本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」では、参列は典子さんのみ。
そして、今年11月、高円宮憲仁さまが亡くなって15年の墓所祭で目をぬぐう典子さんを支えたのは、
義母の礼子さんだった。
出雲大社の敷地内に建てられた新居に人の気配はないという。真相はどうか。千家家と交流のある人物によれば、
「国麿さんは精神的に参ってしまっているという話も聞こえてきます」
その一方、複数の関係者によれば、典子さんと千家家との関係は悪くはないようで、
典子さんはなれ初めなどを楽しげに話している場面もあったようだ。
「千家家は、憲仁さまのご縁で、尊祐宮司が高円宮家を経済的なことはもちろん、
あらゆる面で支援してきた」(神社関係者)
いわば家を背負った婚姻だけに、「離婚」の選択肢は簡単ではなさそうだ。
では、お世継ぎ問題はどうか。前出の関係者がこう話す。
「出雲大社は直系だけで続いた家ではありません。親族にも優秀な人材はそろっていますから、
お二人の間に子どもがいなくとも問題にはならないでしょう」
出雲大社の祭神は縁結びの神さまだけに、明るい未来を期待したいものだ。(本誌・永井貴子)
※週刊朝日 2017年12月29日号
https://dot.asahi.com/wa/2017122100057.html?page=1


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高円宮典子さまご結婚
典子様ご結婚関連
関連雑誌記事

小室家関連

秋篠宮家はご存知か! 眞子さまの婚約者・小室圭さん母「400万円」借金トラブル
週刊女性2017年12月26日号
2017/12/11

「弁護士に相談しても一向に状況が変わらず、
彼が気の毒でしかたがないので、本人に代わってお話しいたします。

私の友人の竹田さん(仮名)が、数年前に小室圭さんのお母さんに貸した400万円以上が
いまだに未返済で、返す意思もまったくないそうなんです」
衝撃的な事実をそう語ってくれたのは、竹田さんを古くから知る友人。
秋篠宮家の長女・眞子さまの“未来の義母”となる小室佳代さんをめぐる“金銭トラブル”が発覚した─。

「眞子さまと小室さんは、来年3月4日に、一般の結納にあたる『納采の儀』、
その8か月後の11月4日に帝国ホテルで結婚式を挙げられる予定です。
“御三家”といわれるほど格式の高い帝国ホテルですから、
費用もそうとうな額になると思われます」(皇室ジャーナリスト)
式場も決まって幸せいっぱいのおふたりだが、暗雲が立ち込めてくる今回の“事件”。
小室家と竹田さんの出会いのきっかけについて、前出の友人はこう説明する。
「今から約10年前、竹田さんと佳代さんの共通の知り合いが開いた会でふたりは知り合って、
そのときに気が合ったそうです。
それから彼は、佳代さんと月に1〜2回会うようになり、結果的にふたりはお付き合いすることになりました」
圭さんが小学生のころ、父親の敏勝さんは他界しているのだが、
佳代さんも父親代わりになる男性を探していたのかもしれない。
ふたりの交際が始まってから、竹田さんは小室家とさらに深く交流するようになった。
「佳代さんより年上の竹田さんが圭さんの進学先の相談を聞いたり、
佳代さんとふたりで旅行に出かけたり、竹田さんの親にも会わせていたと聞いています。
彼の休日には、佳代さんのパート先まで車で送るなど家族同然の関係で、
お付き合いしてから数年後の'10年9月にふたりは婚約するに至りました」(友人、以下同)

婚約関係にまで発展した仲を見ると、順調に事は運んでいたように見える。
しかし、婚約してからの佳代さんは、竹田さんに対してたびたび“お金の無心”を始めたという。
「小室さんが現在住んでいるマンションのローンは、旦那さんが亡くなった際の保険金などで完済しているそうです。
しかし、日々の生活費は佳代さんの収入のみだったので、決して裕福ではなく、むしろ生活は苦しかったんです。
お金がない状況の中、圭さんが国際基督教大学(ICU)に入学するにあたり、
“お金がない”と言うので、初年度にかかった入学金と年間授業料を竹田さんが貸してあげることになりました」
大学2年生以降は、奨学金の試験に合格したので授業料はかからなかったそう。

しかし、そのあとも佳代さんの“HELP”は続いた。
「圭さんが大学3年生のときにかかったアメリカ留学のための費用200万円、
一時期通っていたアナウンススクールの授業料に関しても、
佳代さんに頼まれた竹田さんが工面してあげていたのです」
夫が急死したことで収入が激減してしまった佳代さんを助けたい一心で、お金を用意していた竹田さん。
圭さんの学費などだけではなく、小室家の生活費までもまかなっていた時期があった。
「東日本大震災の直後、佳代さんのパート先の営業時間が短縮されて、さらに収入が減ってしまったそうです。
佳代さんは竹田さんに何度も電話で“今月厳しいからお金を都合してほしい”と
毎回10万円ほど要求するようになったそうです。
圭さんにかかった費用と小室家の生活費で、貸した金額は合計で400万円をゆうに超えてしまったんです」
確かに、竹田さんが友人に見せた銀行の通帳には、佳代さんの口座へ
合計400万円以上が送金されていることが確認できた。

一方で、電話をかけてくると、決まってお金の話ばかりの佳代さんに対して、
竹田さんの気持ちもだんだんと醒めてきていた。
 そんなとき、別れを決定づける出来事が。
「圭さんが20歳前後の誕生日に、竹田さんが新橋の高級レストランでお祝いをしてあげたそうです。
そこまではいいのですが、翌年の圭さんの誕生日に、佳代さんが“あの店じゃないと意味がない”と言い出し、
竹田さんが別の店を予約していたのもおかまいなしに勝手にその新橋の店を予約してしまったんです。
もちろん、会計はすべて竹田さんで、そのときに“私はただの財布じゃない。
もうこの人とはやっていけない”と別れを決意したそうです」

そして竹田さんは婚約解消を伝えてーー
そして婚約から約2年後の'12年9月ごろ、竹田さんの自宅を訪れた佳代さんと圭さんに対して、
婚約解消の旨を伝えたという竹田さん。
佳代さんは意外にもすんなり了承したのだが、貸していた400万円超については、やはりトラブルとなった。
「彼は婚約解消を伝えたあとに、今まで振り込んだお金を返してほしいと文書で伝えました。
その後、佳代さんからは“月に1万円ずつほどしか返せません”と電話があり
最初は返す意思がある様子だったと竹田さんは話しています。
しかし数日後、佳代さんは弁護士に相談したのか、家まで届けにきた文書の中で
“お金は贈与されたもので、返す理由がない”と返金を拒否してきたのです。
その際、佳代さんと一緒に訪れた圭さんも“贈与だと認識しています”と言っていたそうです。
確かに、借用書を交わさなかった竹田さんも悪いと思いますが、佳代さんにお金をあげたつもりはなかったんです。
旦那さんが急に亡くなり、お金にそうとう困っている人に対して、
借用書を作らせる行為がどうしてもできなかったと彼はつらそうに漏らしていました……」

竹田さんは、佳代さんに対する善意を踏みにじられた悔しさでいっぱいだという。
「竹田さんも弁護士に何度か相談したらしいのですが、
借用書がないことなどから裁判で勝つことは難しいと言われたそうです。
その弁護士からは、今は相手の誠意に期待して様子を見るしかないと伝えられた竹田さんは困り果てています」
12月7日の朝7時半ごろ、竹田さんとの“借金トラブル”について話を聞くため、
自宅マンションから出てきた佳代さんを直撃すると、記者を一瞥して最寄り駅の方向へ早足で歩きだした。

─竹田さんから圭さんの学費や留学費用、生活費のために400万円以上のお金を借りたことは事実ですか?
「……」

─竹田さんに対して返金する意思がないとお伝えしたと聞いていますが、お金を返す意思はないのでしょうか。
「……」

 竹田さんの名前と借金の話を投げかけると、顔が少しうつむき、さらに歩くスピードが上がった。
─秋篠宮家の方々は、この事実をご存じなのでしょうか。

「取材にはお答えできません。申し訳ありません……」
と言い残して去って行ってしまった。

借金トラブル、こういう場合は?
『弁護士法人・響』の天辰悠弁護士は、今回の“借金トラブル”に関してこう見解を示す。
「結論としては、竹田さんがお金を取り戻すことはそうとう難しいと思われます。
今回はお金の受け渡しの理由が『金銭消費貸借契約』、つまりお金の貸し借りに基づいて行われているのか、
それとも『贈与契約』に基づいているかで争いが起こっています。
仮に裁判ということになれば、竹田さんはお金の貸し借りの契約が交わされたことを証明しなければなりません。
今回のように合計400万円の大金を貸し借りするならば、
通常は借用書を作成して、契約の年月日や返済方法、返済期限などを明示します。
このような借用書がないと、竹田さんも贈与として認識していたのではないかと推認されてしまう可能性が高いので、
取り戻すことが難しくなってしまいます」
借用書などがない場合でもお金を取り戻せる方法は、佳代さんが今の姿勢を崩すということだけだという。
「小室さんが一部でも竹田さんに返済したという事実があれば、
小室さん側もお金を借りたという認識があったということなので、貸借契約が成立していた裏づけになります。
しかし、小室さん側がこの返金は今まで受け取った400万円に対するお金ではないという反論も当然できます。
基本的に小室さん側が争う姿勢を崩さないと、竹田さんがお金を取り戻すことはできないでしょう」(天辰弁護士)
法律的にも竹田さんは劣勢に立たされているのだ。

一方で、皇族の嫁ぎ先に対して求められる「品位」について次のように話すのは、
宮内庁OBで皇室ジャーナリストの山下晋司さん。
「女性皇族の嫁ぎ先は、家柄やお金の有無より品位のほうが大事でしょう。
それは、結婚される女性皇族に支払われる一時金は、一般の国民になった後も
皇族だった者としての品位を保持していただくため、という目的からもわかります。
さらに、嫁ぎ先のご家族が社会から非難されるようなことをすれば、
嫁がれた元皇族の品位までも穢すことになりかねませんから、
国はご家族の品位も含めて求めているといっていいでしょう。
本件の事実関係がわかりませんので一般論になりますが、
借りたお金を返さない家庭に皇族が嫁がれるというのは、好ましくありません」
佳代さんから1円たりとも返ってこない「大金」のせいで、ついに竹田さんの生活にも支障をきたしてしまった。
「400万円が返金されないおかげで、竹田さんは住んでいた家のローンが払えずに、自宅を売却するしかなかった。
貸したお金さえ返ってくれば、家を手放さずにすんでいたのに。
これは誤解してほしくないのですが、竹田さんは圭さんの結婚の邪魔をしたいという気持ちはまったくありません。
ただ、竹田さんのお金で圭さんはICUに進学し、アメリカ留学にも行くことができて、
さらには小室家の生活までもが成り立っていたということを佳代さんに少しでも考えてほしいだけなんです。
月に1万、2万円でも返済するような努力や誠意を見せてくれることを今でも彼は望んでいます」(友人)
来年に迫る眞子さまの結婚に水を差すような今回の事態。
今後、小室家が竹田さんに誠意を見せる日は訪れるのだろうか─。
http://www.jprime.jp/articles/-/11267


小室さん母のゴシップ報道の是非を巡って論争 --- 八幡 和郎
12/15(金) 17:23配信 アゴラ
「週刊女性」が小室圭さんの母親が、再婚を前提につきあっていたある男性と
トラブルを抱えていると報じている。
“秋篠宮家はご存知か! 眞子さまの婚約者・小室圭さん母「400万円」借金トラブル
(http:// www.jprime.jp/articles/-/11267)”
この手の報道をするときは、週刊誌編集部としても慎重だから根も葉もない話ではないのかもしれない。
しかし、この話の真偽などはたいした話ではない。
心配なのは、眞子さまが結婚されたあと、たいへん苦労されることになるのではないかと言うことであり、
結婚ののち、皇室との関係で、いろいろな悩みが出てくるのではないかということだ。
それに対して、そんなことは心配しなくて良いという人も多いが、その理由は様々だ。
第一は、婚約をされるに当たって、宮内庁はよく周辺状況を調査していたうえで、
大丈夫だと判断しているのだから、心配する必要などないということだ。
しかし、これには根拠がない。昔のように興信所や警察を使って徹底的に調べるというようなことは難しい。
婚約スクープをものにしたNHKの記者が圭さん本人にあっていろいろ話を聞いたといっているわけで、
公的機関が動くことは両親も望まなかっただろうし、余り動いていないはずだ。
第二は、本人同士が愛し合っておれば、本人の経済状況や家族に
いろいろ難しい問題があってもいいではないかといういう意見だ。
もちろん、一般論としてだが、本人たちが愛し合いどんな困難があっても結婚したいというのなら、
最終的には止められない。
しかし、困難をしっかり予測し覚悟して頂くことは必要だ。また、皇室に出入りする場合のルールについて、
問題が生じないように互いに話合う必要がある場合もあるが、そういうことができているのかは少し心配だ。
第三に、めでたい結婚の前にお祝い事に水を差すのはいかがなものかという人も多いが、
国民上げて祝っておいて、あとで、あれやこれや批判する方が良いはずはない。
イギリスなどでも、王族の結婚相手はあれやこれや詮索され、
ふさわしいの、ふさわしくないのと国民的議論がなされ、問題点があれば解決できるか模索がされ、
そのうえで、王室も最終判断をしているし、それが正しいと思う。
第四に、現行法制では、眞子さまは、結婚とともに皇室を離れられるのだから、
皇室に入ってこられる妃殿下選びの時と違って皇室とは関係ない話だから勝手にすれば良いというものだ。
それはたしかに形式上はそうで、だから、皇族男子の結婚と違って、皇室会議の了承もいらないことになっている。
しかし、女性宮家というような可能性も議論される中では、その場合にどうなるかも考えねばなるまい。
その場合は、小室圭氏は殿下ということになるのが普通の考え方になる。
もちろん、一人息子だから、母親も一緒に御所に同居されることもあり、
事実上、皇族に準じるような立場に立たれることもありうるわけだ。
私はすでに書いたように、皇族の結婚は最終的には本人の自由意思で良いと思う。
しかし、それは、皇族としての自覚のもとに、熟慮し、
場合によっては、条件をきちんと整えたうえであるべきだと思う。
たとえば、オランダの場合は、結婚は認められるが、王位継承権を失ったり、王室を追放されたりもする。
あるいは、王妃は父親がアルゼンチンの独裁政権の閣僚だったことから、
父親と政治的意見を共有しない宣言をさせられ、結婚式や戴冠式にも出席を認めないことを約束させられたが、
こうしたやり方は筋が通っている。
それに比べ、日本の皇室の女性の結婚の場合は、一億円余りの、いわば手切れ金を払って知らぬ顔である。
これは、当面、対面を保つためのものであって、資産家に嫁ぐことを前提にしたものである。
また、皇室を離れた女性が困窮されても、実家である皇室は経済的に助けることは非常に難しい。
私は、『男系・女系からみた皇位継承秘史』(歴史新書)(http://amzn.to/2yv1Pu8)において、
皇族が結婚相手をみつけ、また、円滑な結婚生活を送れるようにするための環境をしっかりと整備し、
また、結婚の前にライフプランについて、きちんとした話し合いをし、
互いに納得することをできるように制度として確立すべきだという提案をしている。
こういう具体的な困難な問題をスルーすることが皇室を敬うことであるはずがなかろう。
眞子さまの場合でいえば、小室氏の能力に無理なく応じた仕事を議論し斡旋し、
眞子さま自身も引き続き手伝うことである程度の収入が得られるように図り、
住宅についてもどうするつもりか心づもりを議論しておくべきだと思う。
女性宮家を創設しなくても、将来の天皇のお姉様なのだから、
皇室から出た女性として一定水準の対面を保てないと困るのである。
それができていないと、眞子さまも不幸になる可能性が高いし、皇室にも迷惑がかかるいろんな事態も心配だ。
しかし、現状ではそのあたりは、いささか心許ない状態であって、
両手をあげて良かった良かった、きっと幸福になれるとはやしたてることは親切でも、
皇室を敬うことにもならないのではないかと憂慮する。
もし、これが隣家のお嬢さんの縁談であれば、となりのおばさんやおじさんが、
「圭さんはとっても感じの良さそうな青年だけど、将来設計は本当に大丈夫なの」と
アドバイスしても失礼でもあるまい。そういう意味で、週刊誌などが、おそらく、
眞子さまも宮内庁も把握していないこうした心配のたねがあれば、
皇室に対する敬意を保持しつつなら報道しても、それは皇室を大事に思うからこそであって、
否定的にみるべき理由はないと思うし、それを踏まえて、眞子さまはじめ当事者が良く話合われたらよいことだと思う。
八幡 和郎
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171215-00010006-agora-soci


2018.01.26
ジャーナリズム
眞子さま嫁ぎ先「借金トラブル」、結婚延期の可能性…秋篠宮殿下が強い懸念、宮内庁も

国を挙げての慶事に、暗雲が立ち込めつつある――。
3月4日に一般の結納に当たる「納采の儀」、11月4日には結婚式を執り行う予定の秋篠宮家長女の眞子さま。
そのお相手で都内の法律事務所にパラリーガルとして勤務する小室圭さんの母親・佳代さんをめぐり、
ただならぬ報道が続いている。
昨年12月、「週刊女性」(主婦と生活社)は、佳代さんが元婚約相手から受けた金銭的援助をめぐる
400万円超の借金トラブルを抱えているとスクープし、
今月25日には主要週刊誌3誌が一斉に両者の詳細なやりとりを含めて後追いで報じている。
「秋篠宮殿下は、3人のお子さまの意思を尊重するという教育方針でこれまでやってこられました。
そのため、眞子さまは学習院大学ではなく国際基督教大学に進学され、
悠仁さまも自主自立を掲げるお茶の水女子大学付属小学校に進まれました。
眞子さまのご結婚についても本人の意思を尊重され反対されなかった殿下ですが、
ここにきて周囲に懸念の声を漏らされておられます」(皇室の事情に詳しい人物)
そして秋篠宮家に限らず、一連の報道を受けて“お祝いムード”は一気に冷え込んでいると、
宮内庁関係筋は明かす。
「眞子さまは民間の方とのご結婚による皇室離脱後も、皇室行事に参加したりと、
完全に皇室との関係が切れるわけではありません。
そのため、一定の品位を維持するという名目で国庫から1億円以上の一時金が支払われるわけですが、
一連の報道が事実であれば、そうしたご家庭に嫁がれることで
果たして眞子さまは品位を保たれることができるのかと心配する声は多いです。
また、将来、眞子さまの弟である悠仁さまが天皇に即位されれば、圭さんは天皇の義兄になりますが、
その家が借金トラブルを抱えているというのは、天皇の尊厳を大きく損ねかねず、あってはならない事態です」
こうした現状に今、「宮内庁は“かなりマズイ”という危機感を抱き、大慌て」(マスコミ関係者)だという。
「今回は天皇家の一角である秋篠宮家にかかわる問題なので、宮内庁にとっても事は重大です。
婚約にあたり、当然ながら宮内庁も小室家の“身体調査”は行いましたが、
あくまで眞子さまは皇室の“外”に出ていかれる身でおられるので、
たとえば親族に犯罪歴のある人物がいないのかどうかという最低限レベルの調査しか行っておらず、
借金があるかどうかなど突っ込んだ調査まではしていません。
そのため、昨年12月の『週刊女性』のスクープは、宮内庁幹部にとっても寝耳に水でした」(同)
では、婚約解消という最悪のケースはあり得るのだろうか。
「一般の家であれば、婚約相手の家に多額の借金があると判明して、
それが嫌であれば婚約を破棄すれば済む話ですが、
眞子さまと小室さんはふたり揃って婚約内定会見をされている以上、
今さら破棄すれば、皇室に対する信頼度が揺らぎかねません。
現実問題として、いきなりの破棄は難しいでしょう。
ただ、なんらかの理由をつけて延期するという可能性は考えられるかもしれません。
そのうえで、どうしても秋篠宮家として“結婚は難しい”という判断になれば、
そのまま引き延ばしてウヤムヤにするという方法も考えられますが、
相当ハードルが高いのは間違いありません」(前出と別の宮内庁関係筋)
皇室が抱える深い苦悩に、多くの国民が胸を痛めていることだろう。
(文=編集部)
http://biz-journal.jp/2018/01/post_22115.html


眞子さまのお相手・小室家巡る報道に「何か思惑を感じる」
2018.01.27 16:00
結納まであと1か月半。だが、眞子さまの人生の門出に、暗い影が落ちている。
お相手・小室家を問題視する報道が次から次へと止まらないのだ。いったい、誰が何の思惑で──。
週末土曜日の1月20日午後3時半頃、皇居に1台の車が入っていった。
後部座席に乗られていたのは、秋篠宮家の紀子さまと眞子さま。
その日、皇居では公式の行事や儀式もなく、誕生日のようなお祝い事やご会食の予定もなかった。
当然、沿道にメディアもいない。予定にない訪問だった。
「警備の都合などもあり、通常なら早めにスケジュールが組まれるのですが、その日は本当に突然のことでした。
ほとんどの場合は秋篠宮ご一家お揃いで参内され、ごくたまに紀子さまと悠仁さまおふた方ということもあります。
しかし、紀子さまと眞子さまだけというのは過去にあったかどうか。
何か急いで両陛下にお伝えしなければならないことが起きたのでしょうか。
それとも、両陛下がおふたりに伝えたいことがあったのか…」(宮内庁関係者)
今年11月4日、眞子さまは国際基督教大学(ICU)時代の同級生・小室圭さんと
帝国ホテル(東京都千代田区)で結婚式を挙げられる。
だが、内親王としては2005年の紀宮さま(黒田清子さん)以来13年ぶりの慶祝の日を控えて、
前代未聞のムードが漂っている。
「眞子さまと小室さんのご結婚に異議を投げかけるような動きがあるのです」(別の宮内庁関係者)

◆親族との「復縁」にいなかった母
 小室家の知人が明かす。
「昨年9月の婚約内定会見のあと、小室さんがある食事会を催したそうです。
出席したのは小室さんとは“断絶状態”が続いていた父親方の親族数人。
結婚の儀式や披露宴に向けての一族の“復縁”の機会だったようですが、
小室さんの母である佳代さんはその席に顔を見せなかったそうです」
晴れの日が近づいているにもかかわらず、天皇皇后両陛下の初孫である眞子さまの嫁ぎ先は、
何やら不穏な空気に包まれている。
キャンパスで愛を育んだ眞子さまと小室さんの、まさに「現代風」の恋愛模様は多くの共感を呼んだが、
その一方で、「まだ早すぎるのではないか」「もう少し皇族としての務めを果たしてもらいたい」という
20代中盤での「皇籍離脱」を嘆く声や、弁護士事務所でパラリーガルとして勤務する小室さんの収入や
将来設計などへの不安も囁かれた。
「秋篠宮ご夫妻はそうした声もご存じでしたが、特に意に介するご様子はなかったといいます。
お子さま方の意志を尊重されるご夫妻の方針と、何より眞子さまの強いお気持ちがありましたからね」
(前出・宮内庁関係者)
そんななか、『週刊新潮』が、2002年の父・敏勝さんの死が自殺だったことを報じ、
さらに『週刊現代』では、それを苦に父方の祖父も自ら命を絶ったことを報じた。
『女性自身』では、母・佳代さんと霊能者のような人とのつきあいが報じられ、
ほかにも佳代さんが父方の親戚縁者と断絶状態にあることや、
家族の信仰していた宗教が取り沙汰されたこともある。
「特に秋篠宮さまは浮かない表情をされることが多くなったそうです。
小室さんから家庭事情などはお聞きになっていたようですが、
そこまで込み入った話はされていなかった。秋篠宮さまも“どうしたものでしょうか”と
お困りの様子だったといいます」(前出・宮内庁関係者)
それでも「小室さん本人にまつわることではない」と、深刻に受け止められることはなかったという。
その潮目が大きく変わったのは昨年12月、『週刊女性』で佳代さんの「借金問題」が報じられたことだった。
「敏勝さんの死後、佳代さんが交際して婚約までしていた男性Aさんとの間で金銭トラブルがあったそうです。
Aさんが都合した金額は400万円以上。記事には通帳の明細の写真まで掲載されました。
出会ったのは2007年頃で、2010年秋に婚約。
ですがAさんは“財布”のような扱いに嫌気がさし2012年秋に婚約を解消。
貸したお金の返済を求めると“贈与されたもので、返す理由がない”と
佳代さんから文書で通知されたそうです」(皇室記者)
宮内庁側が頭を痛めたのは、大半が小室さんのICUへの入学金や授業料、
留学費用やアナウンススクールの授業料に充てられていたことだった。
「小室さんが男性に対して“贈与だと認識しています”と話したと報じられたことで、
金銭トラブルが『小室さん本人のこと』になってしまった。
その頃から、秋篠宮ご夫妻の前では眞子さまのご結婚の話題に触れてはならないような
雰囲気ができたそうです。
この年末年始に皇族方が一堂に会した機会でも、眞子さまの結婚の話題は一切出なかったといいます。
美智子さまも、初孫の結婚の行く末を大変気にかけられているといいます」(前出・宮内庁関係者)
追いうちをかけるように、1月23日、再び『週刊女性』が
「眞子さま義母が養っていた“彫金師の恋人”」と題して、
佳代さんが、Aさんとは別の男性Bさんと、敏勝さんの死後間もない頃から
2007年頃まで交際していたと報じた。
「アクセサリーなどに装飾を施すBさんの仕事が立ち行かなくなったときには、
自宅に居候させていたそうです。他人を養うくらいの余裕があったにもかかわらず、
その後の婚約男性Aさんからトラブルになるほどの多額の借金をしたことに
不可解さを感じました」(前出・皇室記者)
本誌・女性セブンはBさんの神奈川県内の自宅を訪ねたが「なにも話しません」と口をつぐむばかりだった。

◆何かしらの思惑を感じる
冒頭、眞子さまと紀子さまが皇居に足を運ばれたのは、
佳代さんの「2人目の恋人」が報じられるわずか3日前のこと。
「実は、借金問題が明るみに出た後から、宮内庁周辺のごく一部では
“ご結婚を根本から考え直す必要があるのではないか”と囁かれていたのです。
両陛下の初孫で、幼少から眞子さまの成長を見てきた宮中関係者の中には、
端から小室さんを結婚相手とは認めないという強硬な姿勢をもっている人も少なくありませんでした。
結婚されれば眞子さまは民間人ですが、清子さんのように宮中晩餐会に出席したり、
伊勢神宮の祭主といった大役を担う可能性もあります。皇室との繋がりがなくなるわけではありません。
小室さんとの結婚生活で、眞子さまが“元皇族としての品位を保持できるのか”という不安が聞かれるのです。
小室さんについてのネガティブな情報が流されるのは、抵抗勢力が水面下で動いているからかはわかりませんが、
何かしらの思惑が蠢いているのを感じます」(前出・別の宮内庁関係者)
一般の結納にあたる『納采の儀』は3月4日に行われる。
撮影/雑誌協会代表取材
※女性セブン2018年2月8日号
http://www.news-postseven.com/archives/20180127_646867.html 

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