倉山満が「5つの誤解」を解く

あなたの天皇観はまちがっている!? 倉山満が「5つの誤解」を解く
2017.06.14

新刊『日本一やさしい天皇の講座』にて、皇室と日本人の関係を通史で書き上げた倉山満氏。
譲位、女系、女帝、旧皇族の皇籍復帰など、皇室を巡る論点は尽きないが、
氏に言わせれば「その前提となる部分に、国民のカン違いが多い」という。
皇室に対する「よくある誤解」として、以下の5つを挙げてもらった。

【誤解1】天皇陛下が退位を希望するのは、公務に「疲れた」から!?

倉山満(以下、倉山):とんでもない誤解です。
平成28年8月8日のいわゆる「生前退位に関するビデオメッセージ」において、
天皇陛下はひと言も「俺は疲れた、休みたい」などとは仰っていません。
自分は死ぬほど働けと言われたら働くが、制度としてこの状態はどうなのか、
今後もずっと続けられるかどうかを考えてほしい、と訴えられたのです。

──「続けられる」というのは、何をですか?

倉山:伝統としての象徴天皇を、です。
日本国憲法に「天皇は、日本国の象徴であり……」と記されているせいで、
誤ったイメージが広まっているのかもしれませんが、
じつは歴代天皇のなかで「象徴ではなかった」天皇というのは、数えるほどしかいません。
平安時代の嵯峨天皇以降で考えれば、基本的にすべて象徴天皇です。
実力を伴う独裁者の地位を目指したのは、鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇ただひとり。
明治天皇も昭和天皇も、そんなことは微塵も考えていなかった。これが第2の誤解につながります。

【誤解2】戦後、マッカーサーが天皇の権力を剥奪した!?

倉山:象徴天皇というのは、別に進駐軍から押し付けられたものではありません。
日本はもともと象徴天皇でしたし、明治以降もそうでした。
にもかかわらず、マッカーサーが勝手に思い違いをして、「独裁者はやめろ!」と言ってきたわけです。

──話が噛み合っていなかったと?

倉山:そうです。初めからマヌケなやりとりなんですよ。
しかも厄介なことに、ここへもうひとつの誤解が重なってくる……。

【誤解3】日本憲法下では、天皇は自分の意見を表明してはいけない!?

倉山:繰り返しますが、マッカーサーは天皇に「独裁者はやめろ!」と言ってきました。
「判を押すだけのロボットになれ!」とは言っていません。
日本国憲法の表現を使うなら、天皇は「国政に関する権能を有しない」としただけです。

──「権能」とは?

倉山:一般的な言葉に置き換えるなら、「権限」でしょう。
英語にすれば、どちらも「power of command」で同じ意味です。
日本憲法下では、天皇は国政に関する権限こそ持ちませんが、
自分の意見を表明することや、結果として影響力を行使することまでは禁じられていません。
つまり戦後、日本人の多くは天皇に対して【誤解2】と【誤解3】という二重の誤解をしながら、
マッカーサーすら口にしなかった暴挙を行ってきたということです。

【誤解4】女系を認めない皇室典範は「男尊女卑」だ!?

倉山:これはむしろ逆だろう、と私は考えています。
詳しくは以前の記事「『女性天皇』賛成派は愛子様に生涯独身で通していただくつもりか?」を
読んでもらいたいと思いますが、
男系でつながる皇室はむしろ「男性排除」の論理で成り立っています。
女性は民間人でも皇族の方と結婚すれば皇室に入れますが、男性はそうはいきません。
男性が民間人の場合、皇族の方と結婚されても民間人のままです。

──結婚相手の女性皇族のほうが、皇籍を離れることになりますね。

倉山:そうです。美智子様や皇后陛下、雅子様が皇太子妃になられても、
眞子様と結婚される予定の小室圭さんが皇室に入ることはない。
ゆえに「男性排除」の論理だと言っているわけです。

──なるほど。

倉山:愛子様の女帝に関する議論についても、誤解があると思います。
我が国では、奈良時代に民間人の道鏡が皇位を狙って以来、
「女帝は生涯独身か未亡人のみ」とする不文法が確立しました。
女帝を認めていない現在の皇室典範を「男尊女卑」だと叫ぶのは勝手ですが、
もし愛子様が御即位された場合、「生涯独身」を求められるという歴史があることを
きちんと理解しているのでしょうか。甚だ疑問です。

【誤解5】「上皇」という尊号は「元天皇」だけに与えられるもの!?

倉山:特例法の成立により、天皇陛下は退位後、200年ぶりの「上皇」となることが決まりました。
この「上皇」という尊号は、天皇を辞めた方に贈られる「太上天皇」の略ですが、
歴史上には天皇にならなくても「上皇」になった方が存在します。
その方々を「不登極帝(ふとうぎょくてい)」と呼びます。

──聞き慣れない呼び名ですね。

倉山:鎌倉時代の後高倉上皇や、室町時代の後崇光上皇などが「不登極帝」です。
死後に追贈された、陽光上皇と慶光上皇もいらっしゃいます。いずれも天皇の父君です。
天皇にはなっていないので、歴代天皇にはもちろん数えません。


 日本人なら誰もがその存在を知りながら、よく理解できていない事柄も多い皇室関係。
「じゃあ、よく理解できるようにしましょう」(倉山氏・談)との気持ちから生まれた
『日本一やさしい天皇の講座』は、全国書店ほかで絶賛発売中だ。

【倉山満】
1973年、香川県生まれ。憲政史研究者。
著者シリーズ累計35万部を突破したベストセラー『嘘だらけの日米近現代史』『嘘だらけの日中近現代史』
『嘘だらけの日韓近現代史』『嘘だらけの日露近現代史』『嘘だらけの日英近現代史』
『嘘だらけの日仏近現代史』のほか、保守入門シリーズ『保守の心得』『帝国憲法の真実』など。
2017年6月、待望の新刊『日本一やさしい天皇の講座』を上梓

<取材・文/ツクイヨシヒサ>

https://nikkan-spa.jp/1345846

秋篠宮摂政論

「秋篠宮摂政論」に皇室事情通「最も現実的な選択肢」と評価
2013.06.18 07:00
去る6月9日、皇太子殿下と雅子妃が成婚20年を迎えた際、
両殿下は文書で発表した「ご感想」の中で次のように述べた。
「雅子につきましては、療養が長くなり、ご心配をいただいていることと思いますが、
お陰様で、以前と比べ大分元気になったように思います」
当日のテレビ報道の多くは、雅子妃が11年振りの海外公式訪問となるオランダ訪問(新国王即位式への参列)
を果たしたことなどを取り上げ、回復ぶりを強調した。
だが、宮内庁周辺にはその祝賀ムードとは裏腹の動きがあると、宮内庁関係者が明かす。
「実は宮内庁内部や一部の宮家関係者などの間で、将来、両殿下が天皇皇后になられた際、
雅子妃の公務負担を軽減するため、秋篠宮殿下に摂政に就任していただくべきだとする意見が出ているのです」
皇室に詳しいジャーナリストは、その背景をこう説明する。
「オランダから帰国後、期待された雅子妃の公務による外出がただ一度に限られ
(故ェ仁親王喪儀墓所一周年祭の儀に参列)、被災地訪問の計画も先行き不透明な状況から、
やはりご病状の回復はなかなか難しいという認識がある。
その一方、精力的に公務に励まれる秋篠宮ご夫妻の存在感が、必然的に高まっている」
そうした現状を背景に浮上したのが「秋篠宮摂政論」である。皇室制度に関する有識者ヒアリングに出席するなど、
皇室に詳しい八木秀次・高崎経済大学教授は、「いま考えられる最も現実的な選択肢だ」と評価する。
「宮内庁内で検討課題になっていなければおかしい話ですが、
これまでは選択肢の一つとして話すこと自体、タブーとされてきました。
しかし、いまやこれに関する議論を避けてはいけない。
歴史上、天皇皇后両陛下が一緒に行動することは必須ではありませんでしたが、
その当時の皇后のお務めを果たしていた。たとえば香淳皇后も、
昭和天皇の巡幸や外国からの国賓を招いた晩餐会のときには同席されることがほとんどでした。
まして平成においては皇后陛下の存在感は増し、
被災地などへ両陛下揃ってのご公務というスタイルが定着し、国民から支持されています。
だとすれば、雅子妃が療養を続けたまま皇太子殿下が天皇に即位された時、ご夫妻が十分に天皇皇后として
お務めできるだろうか、という懸念が国民から出てくるのは当然です。
そのとき、秋篠宮殿下が摂政としてサポートできれば、状況はずいぶん改善されるのではないか」
例えば、ある国にはご夫妻で訪問するのに、別の国にはおひとりで訪問するとなれば、
相手国から見れば不公平との憶測も呼びかねない。
実際、皇太子夫妻でのオランダ訪問後、皇太子の単独訪問となったスペインのメディアは、
「皇太子はまた一人になった」「雅子妃は再び檻に戻り悲しんでいる」(エルパイス紙)などと書き連ねた。
「代わりに秋篠宮ご夫妻が訪問したとしても、一宮家の立場だと格が下がってしまう。しかし、
摂政宮とその妃という立場ならば重みが生まれ、相手国の受け止め方も変わってくるはずです」(前出・八木氏)
※週刊ポスト2013年6月28日号
http://www.news-postseven.com/archives/20130618_194660.html


秋篠宮摂政論への期待 皇室が近代では異例の状態にあるため
NEWS ポストセブン 6月19日(水)7時6分配信
いま宮内庁内部から「将来、両殿下が天皇皇后になられた際、雅子妃の公務負担を軽減するため、
秋篠宮殿下に摂政に就任していただくべき」とする意見が出ているという。
「秋篠宮摂政論」が論議される背景には、「天皇皇后の健康問題」という避けては通れない事情がある。
昨年2月に心臓の冠動脈バイパス手術を受けた天皇は「手術前より元気になられた」という見方もあるが、
79歳という高齢である。さらに最近、78歳になった皇后が公務を休まれるという異例の事態もあった。
「皇后陛下は大変我慢強く、極めて責任感の強いお方です。その皇后陛下が公務をお休みになる、
しかも当日になって発表されるのはよほどお辛かったからではないでしょうか」(宮内庁関係者)
その状況下で、一部ではさらに踏み込んだ意見も飛び出している。「今すぐ、秋篠宮殿下を摂政に」と唱えるのは、
元内閣総理大臣官房・内閣安全保障室長で、昭和天皇の大喪の礼の警備担当実行委員も務めた佐々淳行氏である。
「本来、両陛下に代わって公務を行なうべきは皇太子ご夫妻ですが、残念ながら雅子妃はご病気のために
十分な役割を果たせず、皇太子殿下も雅子妃のご病気のことで目一杯になられている。ならば、雅子妃には
今は徹底して療養していただき、皇太子殿下もそれに専念なさるほうがいいのではないでしょうか。
その間、秋篠宮殿下に摂政をお任せしてはいかがでしょうか」
確かに天皇皇后の公務削減は喫緊の課題であるが、東日本大震災の被災地・被災者お見舞いをとってみても、
皇太子夫妻がこれまで5日(皇太子単独が2日)に対し、
秋篠宮夫妻は13日と、秋篠宮夫妻の公務への取り組みが目立っている。
だが、今すぐ――すなわち今上天皇から皇太子へ皇位継承が行なわれる前に、秋篠宮が摂政に就任するには、
就任の事由に加え、本来摂政になるべき順位で上にある皇太子との間で、就任順位まで変える必要が生じるなど、
さらにハードルは高まり、現実的には難しく、かつ反発も強い。
しかし、「秋篠宮摂政論」の是非や実現性はともかく、皇室の将来が皇室内外で真剣な議論を呼んでいる現実がある。
宮内庁担当記者が明かす。
「実は、昨年2月に天皇陛下が手術を受けて以降、月1回のペースで、皇居内で天皇陛下、皇太子殿下、
秋篠宮殿下の御三方に宮内庁長官を加えた会合が行なわれている。
そこで話し合われているのは、被災地のお見舞いスケジュールだけではないはずです。
皇太子殿下が天皇に即位した場合、雅子妃は皇后としてどれだけの活動ができるのか、あるいは秋篠宮殿下が
天皇となった皇太子殿下をどう支えていくのか、さらに今後の皇位継承や皇室の在り方をどうしていくか、
といった重大なテーマについても、話し合われているのではないでしょうか」
秋篠宮はあくまで兄である皇太子を陰から支える姿勢を一切崩していない。それでも周囲が摂政になるのを
期待してしまうのは、現在の皇室が近代では極めて異例の状態にあるからだ。
皇室に詳しい八木秀次・高崎経済大学教授が話す。
「将来の皇位継承者が悠仁親王しかいない以上、これまでの皇室制度とは違った前提の議論を展開する必要が
あるはずです。江戸時代の光格天皇(在位1780〜1817年)以降、父から子への皇位の直系継承が続いており、
兄から弟の系統に皇位が移るような傍系への皇位継承は、数百年ぶりになる。現状の皇室典範も皇室のあり方も、
父子間の継承しか想定されていない。議論の前提が変わったことを認識したうえで、
さまざまな選択肢を検討する必要があるのではないか」
皇室が歴史的な転換点に立っていることは間違いない。
今、皇室の将来について国民も真剣に考えるべき時がきている。
※週刊ポスト2013年6月28日号
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130619-00000011-pseven-soci

両陛下とお寿司

杉乃井ホテル:81年、両陛下に寿司や吸い物提供 
料理人2人、今も活躍 「大分のおいしさ楽しんで」−−別府 /大分
毎日新聞 9月18日(火)15時40分配信
81年9月に本県を訪れた天皇皇后両陛下(当時は皇太子、皇太子妃)に
寿司(すし)や吸い物を提供した2人の料理人が、別府市観海寺の杉乃井ホテルで今も活躍している。
2人は「観光客に新鮮な食材を味わい、感動していただきたい」と腕をふるう。
スギノイホールひかりのバイキングで寿司を握る坂本勝一さん(64)は当時、
貴賓室に寿司カウンターとネタケースを持ち込み、約2時間にわたり、
大分の魚を生かした寿司を両陛下にふるまった。
傍らで吸い物を提供したのは、今年7月、ホテル内にオープンした
和食会席料理「花水木」料理長の小野昭則さん(58)だ。
天皇陛下はマグロとアナゴ、皇后陛下は貝類がお好きで、
2人で43個も食べられ「ちょっと食べ過ぎたな」
とほほ笑まれたという。坂本さんが現在、寿司を握るカウンターの横には「両陛下もお召し上がり」の看板が。
宿泊客から、当時のことを尋ねられることも多い。
一方、花水木は「静かに食事を楽しみたい」というお客さん向けに新たに作られた。
小野さんは「フグや城下カレイなど大分のブランド品のおいしさを楽しんでほしい」と笑顔で語っている。
【祝部幹雄】
最終更新:9月18日(火)15時40分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120918-00000207-mailo-l44

愛子さま高等科運動会

愛子さま 高校初の運動会「ドリブル競争」で悔し涙
2017.10.06 07:00

朝からさわやかな秋晴れが広がった9月30日、学習院女子中等科・高等科合同の運動会が開催された。
年に1度のイベントに胸を高鳴らせる生徒たちに交じって、愛子さまが登校されたのは午前8時20分頃。
髪を後ろで1つに結ばれ、通学かばんと手提げバッグを持たれた愛子さまは、
軽やかな足取りの一方、両ふくらはぎに巻かれたテーピングが目を引いた。
「9月上旬から、運動会に向けて始業前に練習が行われ、
愛子さまも、普段より1時間以上早く登校されていました。
猛特訓を積まれたため、少し足に負担もかかってしまったのでしょう。
昨年、愛子さまはこの時期に長期欠席されており、運動会に参加できませんでした。
それだけに、より強いお気持ちがあったのかもしれません」(皇室記者)

愛子さまに遅れること20分ほどで、皇太子ご夫妻も観戦のため到着。
グレー系のお召し物でトーンを合わされたご夫妻はテント席に着かれ、ちょうど9時に開会式がスタートした。
午前の部で愛子さまが出場されたのは、クラス対抗の玉入れだった。
「高校生になって初めての運動会とあって、愛子さまは大はりきり。身振り手振りをされながら、
クラスメートと楽しそうに作戦を練られていました。
ときおり、両手で『ゲッツ!』のようなポーズをされて、
ふざけ合っている様子も微笑ましかったです」(学習院関係者)

皇太子ご夫妻は、交互に双眼鏡を覗かれながら愛子さまに声援を送られていた。
お昼をはさんで、午後に愛子さまが登場されたのは「ドリブル競争」。
バスケットボールをドリブルし、ゴールを決めたらまたドリブルで戻って
次の人にパスするというリレー形式のレース。
各学年の代表者が20人ほど出場し、中等科1年〜高等科3年までの学年別6チーム対抗で
争うもっとも盛り上がる競技の1つだ。
「愛子さまは高1チームの11番目の走者としてパスを受けました。
トップも狙える位置につける接戦で、見事に1回でゴールを決めました。
うしろのメンバーにボールを託すと、愛子さまは祈られるような仕草を見せられていましたが、
チームはだんだんと遅れをとってしまい、結局4位でゴール。
その結果がよほど悔しかったのでしょう。愛子さまは、しゃがみこんで泣いていらっしゃいました。
それだけ練習を頑張ってきたということでしょう。
愛子さまは、一緒に涙を流すチームメートと手を握ったり、
背中をさすったりと、健闘をたたえ合われていました」(前出・学習院関係者)

1学期には授業を欠席されることもあった愛子さまだが、
夏休みが明けてからは、ほぼ毎日元気に登校されているという。
生活の充実ぶりは、学校行事以外でも見られた。
「9月26日、愛子さまは皇太子ご夫妻とご一緒に、
新任皇宮警察官の会釈に参加され、ご挨拶されていたようです。
体調やお気持ちが安定されていることが伝わってきます」(前出・皇室記者)
運動会の一日を、文字通り駆け抜けられた愛子さまの表情は、天の高い空のように晴れやかだった。
※女性セブン2017年10月19日号
http://www.news-postseven.com/archives/20171006_619084.html

「反省告白」籠池長男が語った驚愕の実態 小川榮太郎・籠池佳茂対談

月刊Hanada2018年9月号
「反省告白」籠池長男が語った驚愕の実態 小川榮太郎・籠池佳茂対談
https://hanada-plus.jp/posts/1043(一部転載)

■なぜ籠池夫妻の態度は急変したのか

籠池長男
野党と菅野完が家に来て私達に反アベに加担すればメディアも民団も味方すると説得され
共産党や小沢一郎と会うことを菅野がセットした!そこで180度主張が変わった

■森友問題の本質―安倍政権潰しと、愛国幼稚園・保守系小学校潰し
菅野氏の3時間にわたる説得を受けた籠池夫妻は動画の収録を終えてしまう。
そして翌朝、この動画が公開されると、それまでは少なくとも教育内容について支持していた保守派の多くが離反。
その2日後の野党会談と「百万円発言」がダメ押しとなった。

小川 (森友学園騒動は)一年あまりの狂騒曲でしたが、事の本質は、安倍政権潰しと愛国幼稚園、保守系小学校潰し、
そして左翼活動家が、マスコミと野党、民団、左派弁護士らと組んで内側から保守を解体しようとする驚くべき組織戦です。
こんな些細な事件で国会と政権を氷漬けにし、籠池氏を籠絡し、洗脳的な情報組織戦に利用していたことになる。
籠池が全部悪かったんだ──保守派は、こうした単純な籠池悪玉論に乗ってこの事件を片付けては、決してなりません。

萬年青

秋篠宮さま50歳目前にご臨席「おもと」の不思議〈週刊新潮〉
デイリー新潮 12月10日(木)8時1分配信
〈いただいたものを一つ一つ大切に務めていきたいと思っております〉――。
11月30日に50歳のお誕生日を迎えられた秋篠宮さまは、会見でご公務への思いを新たにされた。
だが、天皇陛下や皇太子さまと比べれば、秋篠宮さまの日々のご活動を、新聞やテレビで知る機会は少ない。
記憶に新しいところでは、10月下旬から紀子さまとお二人で、ブラジルヘ2週間にも及ぶ公式訪問。
外交樹立120周年の記念行事に大役を果たされたことは広く伝えられたが、さて、お誕生日の2日前、
ある植物展に皇族として初めて足を運ばれたことは、ほとんど報じられなかった。
訪れたのは、東京・上野公園に隣接する上野グリーンクラブの「第70回記念日本おもと名品展」。
日本原生の古典園芸植物である萬年青(おもと)の、年に一度の品評会である。
主催者の日本おもと協会事務局の担当者が言う。
「秋篠宮さまが客員教授を務められる東京農業大学出身の協会幹部が、
以前に萬年青を献上したご縁で今回のお成りが実現しました。
元赤坂にある宮邸の軒先では、萬年青を大切に育てていただいております」
で、萬年青とはいったいどのような植物なのか。
「徳川家康公が江戸城に入府した際、3本の萬年青を携えていたという故事がございまして、
その後、長きにわたって幕府を治めたことから、“縁起の良い植物”として親しまれ、
引越し祝いの贈り物としての習慣が各地に残っています。独特な葉の姿や模様を愛でる植物で、
愛好家たちが独自に交配を行いながら大事に育てています」(同)
どうやら、殿下もその美しさにすっかり魅了されてしまったらしい。
「当初は40分で2つの展示室を回る予定でございましたが、じっくりとご鑑賞されるあまり、
最初の部屋で予定時間をオーバーしてしまいました」(同)
先の会見で、〈50という響きは、ちょっと年を取った感じがあります〉とも述べられた秋篠宮さま。
まだまだココロは青年であられます。
※「週刊新潮」2015年12月10日号
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151210-00010003-shincho-soci

皇太子が皇位継承権を譲ることがなぜ不可能か

皇太子が皇位継承権を譲ることがなぜ不可能かを専門家解説
2012年2月15日 16時0分 NEWSポストセブン

平成皇室が直面している難題の一つが皇太子と雅子妃を巡る問題だ。
雅子妃の適応障害での療養期間は既に8年に及び、「皇太子殿下は皇太子位を秋篠宮殿下に譲るべき」
「皇太子もそれを望んでいるのでは」という声まで飛び出している。
もちろん、それらを暴論として切って捨てるのは簡単だ。
しかし、こうした過激な発想は、皇室はどうあるべきか、という根本的な問いを
考え直すきっかけになり得るのかもしれない。
皇室ジャーナリストの山下晋司氏がレポートする。

昨年11月から、タレントのデヴィ夫人が自身のホームページで
「皇太子位を秋篠宮様に移譲することを求める請願書」への署名運動を実施している(1月末で締め切り)。
複数のメディアから取材を受けて私もその存在を知るところとなったが、
内容としては、「皇太子位を速やかに徳仁殿下から秋篠宮文仁殿下に移譲」
「皇太子徳仁殿下は皇位を廃嫡するか、皇太子妃のみを廃妃とする」という請願だ。
請願は憲法に規定された国民の権利であるから、それ自体を否定すべきではない。
問題は、なぜこういった過激な主張が浮上してきたのかという点にある。

「皇太子廃嫡論」まで出る背景にはまず、雅子妃殿下が適応障害という病気にもかかわらず、
私的な活動では明るく元気な様子がテレビや週刊誌などで報じられている点が挙げられよう。
療養期間が8年に及び、いまだに公務や宮中祭祀のほとんどを欠席されている妃殿下が、
愛子内親王殿下の通学や校外学習には元気に付き添っているなどと報じられている。
同時に、皇太子殿下ご自身の言動が国民に与える印象という問題もある。

記者会見では内親王殿下の話題が多いであるとか、妃殿下が朝起きられない時は
殿下が内親王殿下の付き添いをしている、などの報道により、
「公」よりも「私」を重視しておられるように国民の目には映る。
殿下が妻や子を守るのは、ある意味では非常に大事なことだが、「国民からどう見えるか」ということについて、
東宮職を含めて配慮が足りなかったと反省すべき面があるのではないか。

デヴィ夫人の主張もそのあたりに起因しているわけだが、
一方で、皇太子を変更するには法的に非常に厳しい制約がある。
皇室典範の11条2項には〈親王(皇太子及び皇太孫を除く。)、
内親王、王及び女王は、前項の場合の外、やむを得ない特別の事由があるときは、
皇室会議の議により、皇族の身分を離れる〉とある。
親王などに皇籍離脱の規定はあるが、「皇太子は除く」と規定されているのだ。
できるとすれば、皇位継承順位の変更だ。
同3条には、〈皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、
皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる〉とある。

これは相当に厳しい規定である。「不治の重患」は、文字通り治る見込みの無い重病。
「重大な事故」は、前例が無いので詳しくはわからないが、
例えば「行方不明」や「一切の公務を放棄」などの場合は「重大な事故」に該当するものと思われる。
少なくとも今の殿下の状況は当てはまらない。
私の知る限り、殿下が公務を休まれたのはポリープ手術やインフルエンザの時くらいである。
昨年、天皇陛下の入院により、殿下は約1か月にわたり、
陛下の国事行為の臨時代行をしっかりと務め、この間ご自身の公務にもあたられた。

ちなみに、同16条には摂政の規定について書かれているが、
その2項には〈天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、
国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く〉とある。
3条では〈不治の重患〉とあったところが〈重患〉とだけ記されている。
つまり、皇太子の変更は摂政を置く規定よりも厳しいものなのだ。

巷では「皇太子も雅子妃のために皇太子位の返上を望んでいるのでは」などという談議もあるようだが、
殿下ご自身がそのような発言をされたことはないし、そもそもここまでに挙げた規定でわかるように、
変更は皇室会議の議によりなされるもので、自発的に返上などできない。

英国では1936年にエドワード8世がいわゆる「王冠を賭けた恋」で退位したという事例があった
(英国国王に即位したエドワード8世が、夫のいるアメリカ人女性と恋仲になり、彼女と結婚するために退位。
英国国教会では離婚を認めておらず、強い反発があった)。
だが、王の自由意思による退位は英国でも前例が無く、規定も無かったため立法が必要とされたし、
そもそも英国と日本では歩んできた歴史が異なる。同列に論じられるはずもない。

※SAPIO2012年2月22日号

http://news.livedoor.com/article/detail/6282319/

「天皇陛下が脳貧血で倒れた夜」に起きたこと

2018.07.04
現代ビジネス編集部

深層レポート「天皇陛下が脳貧血で倒れた夜」に起きたこと
学習院の同窓会の後に…

去る7月2日、「天皇陛下が体調不良を訴え、医師の診察を受けた結果、脳貧血と診断された
」との一報が駆け巡った。
生前退位を目前に控えての心配なニュースだが、その後、詳細は報じられていない。
いったい何が起きていたのか?

猛暑の日に行われた「同窓会」
7月1日、日曜日。東京都心で最高気温が32度に達したこの日、
天皇の姿は母校・学習院初等科(新宿区若葉)にあった。
14時から開催される同窓会に出席するためである。格式あるその同窓会は「初等科桜友会」という。
正堂(講堂)で総会が行われたあと、約500人の参加者は食堂へ移り、会食となった。
昨年まで桜友会総会議長を務め、天皇の学友としても知られる明石元紹氏が、当日の天皇の様子をこう語る。
「みなさんノータイ姿の中、陛下は背広に革靴で来られまして、
大変に暑い日でしたから、大丈夫かなと少し心配でした。
私は陛下と同学年ですが、この歳になりますと、やはり暑さを感じにくくなりますしね。
ただ、今年は天皇陛下として最後の桜友会ということもありましたから、正装されたのかもしれません」
天皇は、学習院の内藤政武院長、常磐会(学習院女子中・高等科同窓会)の近衞ィ子(このえ・やすこ)会長、
桜友会の東園基政会長らとテーブルにつき、談笑しつつ旧交を温めていた。
だが、食事にはあまり手を付けなかったという。

宮内記者が言う。
「このところの急な猛暑続きで、ご体調が万全でなかったようです。
加えて、来年に迫った退位、年々減っていく旧友…
そうしたことを陛下がお考えだったどうかはわかりませんが、
この日はややお酒のピッチが早く、いつもより酒量も多いご様子だった」
天皇にとって学習院、とりわけ初等科の級友たちは、戦時中、ともに疎開し空腹に耐えたという特別な思いがある。
どうしても、会っておきたい仲間たちだった。

東園桜友会会長と内藤学習院院長の挨拶が終わると、歓談になった。
天皇はテーブルを離れて、同級の仲間、前出の明石氏ほか3人に歩み寄った。
「今年は(同級生が)4人来ましたね」
明石氏が言うと、天皇は顔をほころばせながら応じた。
「もう最近は、テニスもしんどくなってね。外で運動できないから、室内で卓球をやっているんだよ」
1時間半ほどで帰途についた天皇の笑顔は、やや赤らんでいた。
ゆっくりではあったが、足取りは矍鑠たる、しっかりとしたものだった。
級友たちはその後ろ姿を叩頭して見送った。

貧血と栄養失調
日ごろ、侍医たちは24時間体制で天皇の健康管理にあたっている。
その侍医から天皇は、つねづねこんな注意を受けていた。
「夜のお小水のときは、急がずゆっくり起きてください。ゆっくり起きていただかないと、
頭に血流が行かず、転倒してお怪我をする心配がございますから」――。

桜友会から帰ったその夜の未明、7月2日午前4時ごろ。天皇は目を覚まし、トイレに立とうとした。
その刹那、目の前が真っ暗になり、倒れ込んでしまった。
すぐに侍医が駆けつけたものの、立ち上がることができず、
「皇后を、美智子を…」
とかろうじて言葉を発した。侍医は女嬬(にょじゅ)に「皇后陛下をお呼びしてください」と伝える。
急変は直ちに侍医長と宮内庁病院にも通報された。

その場で応急処置が行われた。脈拍と瞳孔、呼吸状態を観察し血圧を測る。
5分と経たないうちに天皇の寝室に駆け付けた美智子さまは、
「陛下!陛下!」と懸命に声をかけるとともに、侍医に尋ねて状況把握につとめた。
「宮内庁病院へ行くのですか?」
「いま連絡しています。血圧、呼吸などはしっかりしていますので、
このまま処置させていただきます。ご心配には及びません」
侍医は、玉体を動かすのは危険と判断したのかもしれない。
その後、天皇の容体が落ち着いてから診断結果の報告を受けた美智子さまは、
ショックを隠しきれない様子だったという。

脱水性脳虚血。そして栄養失調――。
「一時は脳梗塞も疑われましたが、倒れられたのは貧血のためだった。ご高齢で最近はお食事の量も減り、
ミネラルや鉄分を十分に摂取できていなかったのが原因だったようです。
その後、しばらくは吐き気も続いたと聞きます」(宮内庁職員)

2日の高円宮絢子女王と守谷慧さんの婚約内定報告は欠席、
3日以降に予定されていた昼食会などの公務も当面中止・延期となった。
4日午前の時点でも、御所での静養が続いている(4日午後から、一部公務復帰と報じられた)。

一方で首相官邸には、早い段階で「重篤というわけではないが、天皇の心臓は加齢にともなって弱っていること」、
そして「軽い脳梗塞が起こった疑いが拭えないこと」が伝えられた。それを受けて、
政府は宮内庁に対し、必要以上の情報開示を慎むよう指示しているという。

事実、詳しい容体に関しては、宮内庁の発表にもとづく
「2日午前4時ごろに急な発汗があったため、侍医が診察して脳貧血との診断を下した」
「めまいと吐き気、腹痛があるが、熱はない」ということ以外、ほとんど報じられていない。

ご静養は長引かせたくない
「陛下のご症状は、宮内庁の発表よりも重いのではないか」と証言するのは、宮内庁から委嘱される医師だ。
「宮内庁も懸念しているように、心配なのは脳梗塞、つまり脳にごく小さな血栓が詰まった可能性です。
精密検査を行ったうえで、しばらくは安静にしていただく必要があります。
高齢者の極小脳血栓は珍しいことではありません。
50代や60代の若い方でも発症することがありますから、80代となりますとなおさらです。
陛下には抗血栓薬、ビタミン剤、ミネラルなどが点滴で投与されています。
もうひとつ、お歳を考えると注意が必要なのは、寝た状態が長引く場合、脚の筋肉が衰えてしまうおそれです」

天皇が自ら希望した「生前退位」の期日は2019年4月末、まる9カ月後に定められている。
ある宮内庁幹部は、こんな心配を口にした。

「いま腐心しているのは、陛下のご静養をあまり長引かせないことです。
陛下ご自身がもっとも考え抜かれた『象徴天皇』のあり方とは、
『退位するその日まで、国民と向き合う姿を保持することが務めである』というもの。
退位されるその日も、車椅子ではなく自らの足で歩かなければならないと、陛下はお考えだからです」

平成の終わりは、時代の区切りであるだけでなく、天皇皇后にとって、人生の大きな転換点となる。
その日を万全の体調で心安く迎えていただくためにも、いまはただ、快復を願いたい。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56408

宮内庁職員「皇太子殿下は3.11に被災地に赴いてもよかった」

週刊ポスト2012年3月30日号
宮内庁職員「皇太子殿下は3.11に被災地に赴いてもよかった」
2012.03.21 07:00
心臓バイパス手術から退院後、天皇陛下が並々ならぬ思いでご出席された、3月11日の東日本大震災1周年追悼式。
ご出席が発表された9日、皇居では天皇皇后両陛下と皇太子との昼食会が行なわれた。
しかし、そこに雅子妃の姿はなかった。
宮内庁では、この昼食会の趣旨を「皇太子から陛下にご公務代行をご報告するため」と説明し、
雅子妃の同席が必要でなかったと強調している。だが、宮内庁関係者はこう嘆息して語る。
「陛下としては、追悼式典の後のご公務の代行をすべて皇太子殿下に託すわけです。
雅子妃殿下に対しても同じお気持ちでしたから、当然ご夫婦で御所にきてほしかったはず。
昼食会では終始、陛下からこれからの名代の責務と重要性についてお話しされていましたが、
殿下は雅子妃が同席されていないからか、平身低頭で聞かれていたようです」
追悼式の時、皇太子夫妻は両陛下がご臨席される様子を居所(東宮御所、宮邸)のテレビで見ながら黙祷を捧げていた。
それは両陛下のご指示によるものといわれるが、宮内庁職員らの心中は複雑なようだ。
「陛下は本来であれば、東北の被災地に再び足を運びたかったという思いが強かった。
しかしご病気ということもあって、それは叶いませんでした。その陛下の胸中を察して、
皇太子殿下が被災地に行かれてもよかったのではないか、そんな声が職員の間で上がったのは事実です(宮内庁関係者)
http://www.news-postseven.com/archives/20120321_96156.html

高円宮絢子さまご婚約関連雑誌記事

高円宮絢子さまご婚約

絢子さまは眞子さまの「ご結婚」を待っていた
「文春オンライン」編集部
6月26日、高円宮家の三女・絢子(あやこ)さま(27)が、
日本郵船に勤務する守谷慧(もりや・けい)さん(32)と婚約することが発表された。
それからわずか2日後の28日、秋篠宮家の長女・眞子さま(26)のお相手・小室圭さんが、
弁護士資格を取得するため、今夏から3年間渡米するとメディア各社が報じた。
眞子さまと小室さんは、昨年9月に婚約が内定し、2020年に結婚を延期されている。
今回のように、皇族の婚約という「慶事」と、結婚の「延期」が同時期に重なるのは極めて異例のことだ。
「ネットでは『なぜいま絢子さまが婚約を発表されたのか』と絢子さまに対し一部批判の声もあがっています。
しかし、絢子さまの婚約発表は、天皇陛下にお伝えした上でのこと。宮家のみの独断で決められることではありません。
宮内庁としても、すべて考慮した上で発表の時期を探っていたとみるべきでしょう」(皇室担当記者)
絢子さまは、現在いる皇族17人(天皇・皇后両陛下を除く)の中でも、
天皇陛下の直系である「内親王」(眞子さま、佳子さま、愛子さま)とは違い、「女王」の立場である。
さらに、絢子さまは最年少の「女王」で、一番身位が低い立場であるため、
守谷さんにお会いする前から「いつ結婚するべきか」を気にされていたという。
「絢子さまは自身の結婚の時期について、陛下の退位、皇太子殿下の即位の関連行事の時期を外すことはもちろん、
昨年9月の眞子さまの婚約発表の際にも『仮に良縁があったとしても、今は待たなければいけない』とお考えでした。
実際、眞子さまの婚約延期が決まった2月から絢子さまの結婚話が具体化していったのです。
守谷さんと絢子さまが出会ったのは昨年末ですが、春には高円宮家の慶事が発表されるのではないかと
記者たちがマークしていました。発表に至らなかったのは眞子さまへの“配慮”があったからとみられています」(同前)
眞子さまへの配慮は「時期」だけではない。絢子さまは、守谷さんのお名前が、
眞子さまの婚約相手である「圭(けい)」さんと名前の読み方が同じことを気にされ、
守谷さんのお名前を「けい」から、「さとし」の読みに
改名してから発表されたほうがいいのではないかというお考えを示されたこともあったという。
「絢子さまとしては、婚約発表の時期は8月頃になると考えていたそうです。
今回、宮内庁の発表前にNHKが先行して報じたことについては憂慮されているご様子です」(宮内庁関係者)
http:// bunshun.jp/articles/-/7958

【絢子さまご婚約】三姉妹で語られた結婚相手の「条件」
〈子どもが好きなので、いつかは結婚をして子育てをしたいと考えております〉
(2010年9月15日・絢子さまが成年皇族になるにあたっての文書回答)
高円宮家の三女・絢子(あやこ)さま(27)がこのように「将来」について述べられたのは20歳の頃だった。
それから7年。日本郵船に勤務する守谷慧(けい)さん(32)に出会い、ようやくその“夢”を叶えられようとしている。
「守谷さんは物腰が柔らかく、周囲への気配りのある方。
170cmで細めの体形は“絢子さまのタイプ”だったそうです。幼少期はパリで過ごされ、
慶応大学文学部在学中にはオックスフォード大学に短期留学されたこともある国際派。
父親は通産省(当時)の元職員で、母親はNPO法人『国境なき子どもたち』の専務理事を務められていました。
守谷さんは2015年に母親を亡くされた後、その遺志を継いで、
日本郵船に勤務しながら理事の職を引き継いでいます」(皇室担当記者)
絢子さまは、城西国際大学・大学院で子どもや高齢者の福祉を学び、
2017年6月から同大学の福祉総合学部研究員として勤務していた。
子ども好きで、福祉に関心があるという守谷さんと共通項がある。
また、守谷さんが趣味に挙げていたスキーは、絢子さまも幼いころから親しまれてきた。
絢子さまの人柄を知る学習院関係者が語る。
「絢子さまは、ハメを外した友達の誘いにも『私は宮さまという立場があるからさ』と
やんわり断ることができる“しっかり者”でした。
親しみやすく女の子らしい一面もあり、いきものがかりの『コイスルオトメ』を聞き、
歌詞にある『大好きだよ いつまでもいっしょ』という一節のように、
女性の恋心をいつまでも大切にしたいと仰っていました。
結婚したいというお気持ちは三姉妹でも一番強かったのではないでしょうか」
絢子さまに結婚への「強い憧れ」があったのは、2015年11月、
ご友人とともに「縁結び」で知られる出雲大社の「縁結大祭」を訪れたことからもうかがえる。
「絢子さまは白い装束に身を包み、最前列で御祈祷をしてもらっていました。
その日は、八百万(やおよろず)の神が出雲大社に集まる日とされ、
大勢の女性たちが良縁を求めて出雲大社に押し掛ける。
絢子さまがご友人とともに御祈祷を受けている様子を、
周りにいた女性たちはじっと見つめていたそうです」(前出・皇室担当記者)
出雲大社の祭祀は、絢子さまの姉・典子さまが嫁いだ千家家(せんげけ)が、代々「宮司」を務めている。
「絢子さまは、典子さまに会って団欒するひとときを楽しまれながら、
お姉さまのような“良縁”を願われていたのではないでしょうか。
守谷さんに出会われるころ、偶然絢子さまがその時に求めたお守りを手にする機会があったとか。
このたび守谷さんとの御縁に恵まれたのも、
この時の御祈祷の効果があったのではないかと思われているそうです」(別の皇室担当記者)

母・久子さま主導の“お見合い”
母の久子さまは、かねてより「娘を無事にお嫁に出したい」と周囲に語られていた。
「2002年に高円宮さまが47歳の若さで急逝されてから、久子さまは高円宮さまにかわって、
公務の多くを引き継ぎ、『娘を嫁に出す』責任も果たしたいと思われていました。
皇族としての責任と、親としての責任の二つを、高円宮さまの分まで背負われたんです」(高円宮家の知人)

三姉妹が成年になられてからは、宮邸で催すパーティ等の社交の場に積極的に参加させていたという。
「特にここ数年は絢子さまの“お見合い”の意味合いが強くなり、
天皇家の遠戚にあたる旧華族や代々政治家を輩出している名家の子息を招いて自然に出会えるようにしたり、
パーティの後も、子どもたちだけで会う機会をさりげなく設けるようにしていました。
そういった機会に恵まれていたからか、ご姉妹は『結婚相手をどう見極めるか』と話しあわれる機会もあったそうです。
そのポイントの1つが『結婚後も家同士できちんと付き合えること』。
絢子さまも、久子さまが良いと思う方ならば『間違いない』と思われていたのではないでしょうか」
(前出・皇室担当記者)という。
守谷さんとの出会いのきっかけをつくられたのも久子さまだった。
「久子さまが、昨年11月、『国境なき子供たち』の設立20周年の祝賀会で守谷さんに会い、
その人柄に好感を持たれていたようです。その後、宮邸で久子さまと、
守谷さんの父・治さんと慧さんの3人でお会いする機会があった。
その時、久子さまが機転を利かせて『その話は娘が詳しいので、次は娘も呼びましょう』と
再び会うきっかけをつくられたのです。
お二人は出会ってから半年ですが、久子さまと慧さんの父・治さんとは40年ほど前からの知り合いで、
母・季美枝さんとは、季美枝さんが専務理事をしていた『国境なき子どもたち』の関連行事で親しくお付き合いがあった。
久子さまがお相手の家族をよく知っていたからこそ安心して自ら“紹介”されたのでしょう」(前出・皇室担当記者)
次第に慧さんが絢子さまに心を寄せられるようになり、絢子さまもそれに応える形で愛を育まれたという。
〈気の置けぬ竹馬の友と語り合ふ理想の未来叶ふときあれ〉
今年の歌会始ではこのように詠まれていた絢子さま。“理想の未来”が近づいている。
http://bunshun.jp/articles/-/7959

絢子さま、日本郵船勤務の守谷慧さん以前の茶髪ピアスな交際相手たち
週刊女性2018年7月17日号
2018/7/2
「高円宮家の三女・絢子さまと日本郵船に勤務する守谷慧さん(32)が婚約されました。
守谷さんは勤務の傍ら、途上国の子どもたちを支援するNPO法人『国境なき子どもたち』の理事を務めています。
'15年に亡くなった慧さんの母・希美枝さんが、もともとこのNPO団体の専務理事でした。
絢子さまのお母さまである久子さまは毎年、関連行事に足を運ばれていて、
母親同士の交流があったのです」(宮内庁関係者)
昨年12月、久子さまが絢子さまに慧さんを紹介して、まもなく交際に発展。
半年後にご婚約が内定するに至った。
その一方で、絢子さまを知る関係者は、今回の結婚相手に驚きを隠せないという。
「私が知っている限り、絢子さまは過去に計3人の男性とお付き合いされていましたが、
守谷さんとはタイプが違うように思えるんです。
城西国際大学時代にお付き合いしていたのは、同い年くらいの茶髪の男性で、
ピアスをつけ、ズボンを“腰ばき”している方だったのでとても驚きました。
結局、絢子さまのカナダ留学を機に自然消滅したようですね」(城西国際大学関係者)
イマドキの学生と別れてしまったあと、海外留学中にも交際相手がいらっしゃったと、この関係者が続ける。
「'13年9月から'14年4月に、カナダの『カモーソンカレッジ』に留学していたときには、
外国人とお付き合いされていましたが、すぐに破局したそうです。
その直後の'14年5月から約3か月留学していた同国にある『ブリティッシュコロンビア大学』では、
日本の地方出身の方と交際されました。
この方は宮邸にお呼びしたり、男性側の実家を訪れたこともあったようです」
学生時代から恋愛経験を積みながら、最終的には久子さまのご紹介で守谷さんとの結婚をお決めになった絢子さま。
これには“高円宮家の家訓”と“眞子さまの結婚延期”が影響しているそう。
「“恋愛と結婚は別”というのが、久子さまのお考え。高円宮家は皇室の一員として、
国民が納得できる“それなりの相手”を選ばなくてはならないという意識が強いのです。
そのせいなのか、昨年5月に眞子さまと小室さんの婚約が報道され、大学で出会い、
自由恋愛を経ての結婚だと知った際は、絢子さまはとても驚かれていたと聞いています。
しかし結局、結婚延期となり、“やっぱり恋愛と結婚は別なんだ”と思い直されたそうですよ」(高円宮家関係者)
ほかの皇族方のご結婚事情にも眞子さまの結婚延期が影響しているようだ。
http://www.jprime.jp/articles/-/12772