「雅子妃に銀メダル」発言に違和感

皇太子殿下の「雅子妃に銀メダル」発言に違和感 --- 八幡 和郎
6/25(月) 16:20配信
アゴラ言論プラットフォーム

結婚25年となる皇太子ご夫妻が、お気持ちを文書でつづって発表されました
(http:// www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/19)。
来年5月に新天皇となられる皇太子殿下は
「気持ちを新たに、互いに協力しながら一つ一つの公務に取り組んでまいりたい」と述べられ、
妃殿下は「たくさんの喜びも悲しみもありました」「広く人々の幸せを祈っていきたい」とされました。

そして、皇太子殿下は結婚10年の時に、雅子さまに「『努力賞』と『感謝賞』のダブル受賞」とされましたが、
今回は「加えて、銀婚式に因んで銀メダルも贈りたい」とされ、妃殿下は皇太子さまに「感謝状を」とし、
金婚式で金メダルとなるか心もとないが、温かい家庭を築くよう努力していくと述べられました。
いうまでもなく、両殿下が銀婚式を迎えられたことは、喜ばしいことで、
国民の一人として、お祝いを申し上げたいと思います。
また、妃殿下の体調が回復傾向にあることも心から安堵しています。
しかし、「銀婚式に因んで銀メダル」というのには、
2003年から適応障害の療養が続き公務を十分に果たされていないなかでは、いささか違和感を覚えました。
ただ、お祝い事に水を差すのもいかがかと思い、少し時間をおきましたが、
やはり、来年には天皇陛下になられる皇太子殿下に対して、ひとこと問題提起をするべきだと思います。

殿下は、以下のようにされました。
“雅子は,この25年間,大変なこともある中で,色々な努力を続け,また,私と愛子をしっかりと支えてくれており,
ありがたく思うとともに,心から感謝しています。点数を付けるのは難しいですが,
今回は,結婚10年の折の「努力賞」と「感謝賞」のダブル受賞に加えて,
銀婚式に因んで銀メダルも贈りたいと思います。”

しかし、妃殿下は25年の結婚生活のうち、15年間は公務をごく限定的にしかされていないのです。
首相夫人にとって公的な活躍は、私人としての任意のものです。しかし、妃殿下の場合には、公務です。
民間企業の副社長夫人に例えれば、首相夫人はただの社長の配偶者ですが、
妃殿下は副社長夫人であるだけでなく、自分も専務か常務であるようなものです。
そういう状況にあって、15年もほとんど仕事ができないなら、
それが病気がゆえであろうが、ほかの事情があろうが、
株主や社員に対して申し訳ないということをいうのが先決ではないかと私はかねがねいってきました。
それを仰らないのは、たとえ、自分たちが被害者だと思っておられるとしても、おかしいし、
また、被害者というなら誰が加害者かも大問題なのです。

皇族内や宮内庁のなかで苦言を言われたり、マスコミで批判されたりするのは、不当でも何でもないことです。
海外のロイヤル・ファミリーは日本での遠慮がちな皇室報道と違って情け容赦ないものです。
また、政治家や実業家、スポーツ選手、芸能人の夫人だって公人として厳しい批判の洗礼を受けているのであって、
究極の公人である皇族が批判を受けたくないなどというのはおかしいし、
まして、国際的な常識のもとでの「開かれた皇族」であろうとしたいなら、
これまでのような抑制されたものでなく、国際水準での厳しい試練に耐えるべきだと思います。
だとすれば、まずは、これまでの状況について、国民に対しても、
両陛下に対してもお詫びのようなものがないのは不自然なのではないでしょうか。
両殿下は、来年、即位されれば、なにかと今上陛下および皇后陛下と比べられることになります。
陛下は、一昨年の「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」において、
自らが心がけてこられた象徴天皇像をお示しになりました。
当時、私は、それは普遍的なものでなく、陛下ご自身の美学と捉えるべきだと申し上げました。
なぜなら、現在の両陛下の実践されているストイックな象徴天皇像は、
雅子さまの体調からして真似できないものだからです。
だから、私は雅子さまや、それに寄り添うことで、公務をセーブされているとみられる皇太子殿下も、
今上陛下ほどストイックな活動をされるのは、難しいし、無理をされることも止められた方が良いと思います。

今回の文書でも妃殿下は、「(被災地訪問などで国民と苦楽をともにしてきた天皇、皇后両陛下の姿を)常に心に留める」
と仰っしゃるに留められているのは、余り無理をしないというおきもちかもしれません。
ただ、やはり、そのことについて、両殿下は、両陛下や国民に対して、
申し訳ないという姿勢を示すことがなくていいのかというと、違うのでないかと思うのです。

皇族であろうが、首相であろうが、家族愛は結構なことで、
家族を大事にする姿勢をポジティブに捉えたいのですが、
やはり、公人として、本人の責任であろうがなかろうが、結果として責任を果たせてないときに、
申し訳ないという姿勢を示さなければ、社会的信頼を失うし、社会全体に悪影響も及ぼすと思います。

私はどうも、このところ、社会的に影響力がある人が、家族とか身内に甘すぎて、
世の中に示しが付かなくなっているのでないかと危惧しています。
もちろん、安倍昭恵夫人も好ましくない交友のもたらした混乱について
一言でいいから反省とお詫びを言って欲しいし、
それをしないから、モリカケの追究が延々続く理由でもあるとかねてからアゴラでも書いてきたとおりです。

私は皇室の問題について、批判的な議論が封じられることはあってはならないと思います。
敬意を払い少しオブラートに包むことはあってよいが、アンタッチャブルではいけないのであると思うから、
アゴラでも書いてきましたし、それを「新潮45」の記事や
『誤解だらけの皇位継承の真実』 (イースト新書)(https:// amzn.to/2IijKta)ではかなり網羅的に論じました。

日頃、いろんなところで、各界の有力者ともこのテーマを話すのですが、
危機感をもちながらも、なかなか難しいテーマなので、外に向かっては発言しない人が多いのですが、
そんなことをしていると、いずれ、危機が訪れるでしょう。
私は、できるだけ「皇室制度」の現状に問題ありという形で制度論として論じるように心がけています。
皇室というのは、皇族、宮内庁、それに政府の三つからなると思います。
私はそれら全体をひとまとめにした「皇室」に問題ありといって、
個々の三要素のどの責任かは少しオブラートに包んで議論しているわけです。

私は、宮内庁にも、政府にも、そして皇族方にも問題があり、また、問題を解決出来るシステムも崩壊状態であり、
いまの責任回避と問題の先送り体質のままでは、皇室制度の危機につながりかねないと心配しています。
八幡 和郎
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180625-00010002-agora-soci

「雅子妃」銀婚式に“人格否定”の残響

「雅子妃」銀婚式に“人格否定”の残響 孤立を深めた皇太子の「美智子皇后」批判
週刊新潮2018年6月21日号掲載
雅子妃」銀婚式に「人格否定」の残響(上)
来年の御代替わりまで、残すところ10カ月余り。先ごろ両陛下は「最後」の被災地ご訪問を果たされた。
一方でさる9日には、皇太子ご夫妻がご成婚から25年となる「銀婚式」を迎えられたのだが、
そこには今なお、14年前の“衝撃発言”が、厳然と響き渡っているのだ。
9日から福島県を行幸啓された両陛下は、最終日の11日、相馬市にある東日本大震災の慰霊碑に向かわれた。
「今回の目的である植樹祭はもちろんのこと、事実上、ご在位中の被災地ご訪問もこれが最後となります」
とは、宮内庁担当記者。
「皇后さまはお疲れもあって体調を崩され、11日の早朝には38度を超す高熱があったのですが、
慰霊碑前には予定通りお見えになり、強い雨の中、
陛下とともにしっかりしたお手つきで供花なさる姿が印象的でした」
こうした行幸啓は来年5月以降、皇太子ご夫妻へと引き継がれていくわけだが、
1993年のご成婚から四半世紀、辿ってこられた道のりは、まさしく山あり谷ありだったと言わざるを得ない。

9日に発表された文書で皇太子さまは、次のように述べられていた。
〈雅子は、この25年間、大変なこともある中で、色々な努力を続け、
また、私と愛子をしっかりと支えてくれており、ありがたく思うとともに、心から感謝しています。
点数を付けるのは難しいですが、今回は、結婚10年の折の「努力賞」と「感謝賞」のダブル受賞に加えて、
銀婚式に因んで銀メダルも贈りたいと思います〉
そのお言葉を受けるようにして雅子妃も、
〈今回、殿下からは、身に余る賞や「銀メダル」までいただけると仰って下さり、
その寛大なお気持ちを大変ありがたく思いますとともに、
金婚式に「金メダル」をいただけますかどうかは心許なく感じます……〉
と、さらに四半世紀先へと思いを馳せられながら、あわせてこう記されていた。
〈25年間を振り返りますと、様々な出来事が走馬灯のように頭の中を巡り、感慨深いものがございます〉
〈私が体調を崩しましてからも、皇太子殿下には、いつも優しく、
細やかなお心遣いをいただきながら、お助けいただいてきている〉
文面の通り、過ぎ去りし25年は実に起伏に富んでいた。
中でも特筆すべきは、やはり皇太子さまの「人格否定」発言であろう。

皇太子の「美智子皇后」批判
ことは14年前に遡る。2004年5月10日、欧州各国ご訪問を前に皇太子さまは、
東宮御所で恒例の会見に臨まれていた。
ここで、予期せぬ事態が生じた。当時を知る全国紙デスクが振り返る。
「前年からご静養されていた雅子さまが同行されないことについて質問があり、
皇太子さまは『心底残念に思っています』と、お気持ちを代弁されながら
『外交官としての仕事を断念して皇室に入り、国際親善を皇族として、
大変な、重要な役目と思いながらも、外国訪問をなかなか許されなかったことに大変苦悩しておりました』と明かされた。
また、ご自身のお気持ちも『後ろ髪を引かれる思いです』と吐露なさったのです」
皇太子さまの口から衝撃的なフレーズが発せられたのは、その直後であった。
〈雅子にはこの10年、自分を一生懸命、皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが、
私が見るところ、そのことで疲れ切ってしまっているように見えます。
それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です〉
会見の場が静まり返ったのは言うまでもない。
「会見の最後には『どんなことを念頭に置かれたお話なのか』と、補足質問が飛びました。
皇太子さまは『細かいことは控えたい』とされながら
『そのことで雅子も私も、とても悩んだ』と漏らされたのです」(同)
皇太子さまはその2日後に渡航され、5月24日に帰国。が、ご不在中に騒ぎが鎮まるはずもなかった。
「5月17日には、宮内庁の羽毛田(はけた)次長(当時)の会見で『社会的影響の大きい発言。
あらためて具体的内容が説明されなければ、国民が心配する』との陛下のお気持ちが示されました。
結果として皇太子さまは、ご帰国後の6月8日、長官の会見を通じて
文書でご発言の真意を説明せざるを得なくなったのです」(同)
その文面には、こう綴られていた。
〈具体的内容について、対象を特定して公表することが有益とは思いません(略)
皆さんにお伝えしたかったのは、私たちがこれまで直面してきた状況と今後に向けた話です〉
名指しこそ避けられたものの、ご夫妻を取り巻く環境に苛(さいな)まれてこられた点を繰り返し強調されたのである。

東宮大夫の電話を叩き切った雅子さま
が、ここからさらなる混乱が引き起こされていく。
「皇太子さまの苛烈なお言葉は、一体どなたに向けられたものなのか、と様々な憶測が流れました。
一義的には、ご成婚当時から『外遊はともかくお世継ぎを』との空気が支配していた宮内庁、
中でも歴代の長官をはじめとする幹部らへ向けられたものでしたが、
そうした雰囲気をおのずと醸成なさっているであろう両陛下、
とりわけ皇后さまにも切なるお声を届けたかったのではないか……。
当時はそんな見方も、記者会では広まりました」(同)
この6月8日の「説明文」が出される少し前、皇太子さまのご真意を伺うべく
電話をかけてきた当時の東宮大夫に対して雅子妃は、
〈そんなことをするのなら、私は皇太子妃を辞めます〉
そう言って一方的に電話を切り、傍らの皇太子さまに「はっきり申し上げましたよ」とご報告される一幕もあった。
さらには、「その年の11月、今度は秋篠宮さまがお誕生日会見でこの問題に触れ
『記者会見という場所において発言する前に、せめて陛下とその内容について話をして、
その上での話であるべきではなかったかと思っております。そのことは残念に思います』と、
異例の兄宮批判をなさったのです」(同)
庁内は言うに及ばず、宮中でも抜き差しならない状態が続いていた。それは、陛下が同年末のお誕生日に、
〈皇太子の発言の内容については(略)まだ私に十分に理解しきれぬところがあり……〉
そう言及なさったことからも明らかで、まさしく平成最大の危機が皇室を覆っていたのだった。
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/06230800/?all=1&page=1


「皇太子ご夫妻」ご成婚25年も… 次期皇后が未だ「会見NG」の非常事態
社会週刊新潮 2018年6月21日号掲載
「雅子妃」銀婚式に「人格否定」の残響(下)
さる6月9日に「銀婚式」を迎えられた皇太子ご夫妻。
皇太子さまが発表された文書では
〈雅子は、この25年間、大変なこともある中で、色々な努力を続け…〉と述べられていた。
〈25年間〉を振り返るとき、中でも特筆すべきは2004年の皇太子さまの「人格否定」発言だろう。
〈雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です〉
というお言葉は、歴代の宮内庁幹部、あるいは美智子皇后に向けられたものか、との憶測を呼んだ。
秋篠宮殿下、そして陛下も疑問の声を投げかけられたこの発言により、皇太子さまは孤立を深めていった。

そんな異常事態を招くに至った経緯を、あらためて振り返っておく。
銀婚式にあたり雅子妃は、
〈皇室に入りましてから間もない頃、殿下からご助言をいただきながら、
初めての公務の一つ一つに臨んでおりました頃のことも懐かしく思い出します〉
そう回想しておられるのだが、当時はご公務以上に重要な使命を帯びていた。
「言うまでもなく、男子のご出産です。秋篠宮家では91年に眞子さまがお生まれになっていましたが、
皇位継承に連なる男子は皇室には一人もいらっしゃらなかった。
その後、94年暮れには佳子さまが誕生なさるものの、状況は依然、変わらないままでした」(全国紙デスク)
いや増すばかりの重圧に、雅子妃はこんなお振舞いを見せたこともあった。当時を知る宮内庁関係者が言う。
「95年のことです。ご懐妊の兆しが見えない雅子妃を陛下が慮(おもんぱか)って
『国民はみな、あなたたちの子を期待していますよ』というお言葉を掛けられたことがあった。
それに対して妃殿下は『私の周りには、そんなことを言う人は一人もおりません』と、毅然と言い放ったのです。
陛下は驚き、呆気にとられたご様子でした」

居場所を失いつつあった妃殿下
その後、99年末の流産を経て01年には愛子さまをご出産。
当時、子を授かった喜びを雅子妃は「生まれて来てくれてありがとう」とのお言葉で表したのだが、
周囲との“温度差”は際立っていったという。
「庁内はもっぱら『事態は何一つ進んでいない』という雰囲気で、つまりはおつとめを果たせていないということ。
にもかかわらず、ご出産から1年で外遊に復帰なさったのですから、風当たりは一層強まってしまいました」(同)
02年12月、ご夫妻はニュージーランドと豪州をご訪問。
その直前、会見で雅子妃は、きわめて率直なお気持ちを口にされていた。
〈私にとりまして、結婚以前の生活では(略)外国に参りますことが、頻繁にございまして、
そういったことが私の生活の一部となっておりましたことから(略)
外国訪問をすることがなかなか難しいという状況は、
正直申しまして私自身その状況に適応することになかなか大きな努力が要った〉
が、これが物議を醸した。
「メディアでは『そんなに海外に行きたいのか』といった論調が目立ち始めた。
加えて、数少ない理解者であり、妃殿下が大きな信頼を寄せられていた
高円宮殿下の薨去(こうきょ)(02年11月)も、時期が重なってしまった。
妃殿下は徐々に、居場所を失いつつあったのです」(同)
高円宮さまは86年10月、東宮御所で催されたスペイン王女の歓迎レセプションの場に
当時学生だった雅子妃を招き、皇太子さまとの出会いに繋げられた。
いわばご夫妻のキューピッドであり、雅子妃のお気持ちの沈みようは計り知れなかったであろう。
そして、「03年の暮れには帯状疱疹を発症し、軽井沢で転地療養をなさいます。
そうした中で04年、殿下の“人格否定”発言が飛び出したわけです。
その翌月には適応障害と診断され、本格的な長期療養生活に入られたのでした」(同)
以来14年。06年夏には、皇太子さまや愛子さまとご一緒に、
オランダで2週間のご静養という異例の措置までとられたのだが、
「翌年5月、訪欧前の会見で、陛下が『私どもが私的に外国を訪問したことは一度もありません』と発言された。
これがもっぱらご一家への“苦言”だと見なされてしまったのです」(同)

16年間肉声なし
現在まで療養を余儀なくされながらも、「銀婚式の文書からは、雅子妃殿下の変化が窺えます」
とは、皇室ジャーナリストの山下晋司氏である。
「5年前のご成婚20年の際には、いわば一方的な両殿下のご感想が宮内庁から出されましたが、
今回は記者会の質問に対して両殿下が別々に回答されています。
その点を以てしても、妃殿下の体調は良くなっているのではないでしょうか」
とはいえ、なおも大きな“懸念”が横たわったままだと指摘するのは、宮内庁担当記者である。
「02年末以降、雅子さまは16年間にわたって記者会見をされていません。
我々は今回、ご夫妻揃っての会見を3カ月前から宮内庁に申し入れていたのですが、受け入れて貰えませんでした」
雅子妃がメディアをことのほか遠ざけられているご様子は、療養生活において度々窺えた。
「外国ご訪問の前には、慣例で会見が開かれます。
ですが、このままでは新皇后となられて以降もなさらないお考えでしょう。
深刻な事態に違いなく、それで果たして、国民に声が届くのか。
皇后さまから御養蚕や赤十字の名誉総裁職を引き継がれても、
やはり最後には、公の場でご自分の言葉でお話しになるという“高い壁”が、立ちはだかっているのです」(同)
きたる9月には、友好160周年を記念した皇太子さまの渡仏に同行なさる見通しだ。
が、ここでも肉声は拝聴できそうにない。
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/06240801/?all=1

ご退位表明で申し込み殺到! 「皇居勤労奉仕」に行ってきた

【新潮45】ご退位表明で申し込み殺到! 「皇居勤労奉仕」に行ってきた
デイリー新潮2018年06月19日06時50分

天皇陛下にお目にかかれ、直接お言葉をいただけることもある――。
昭和20年に始まった皇居勤労奉仕。陛下がご退位を表明されたことを契機に、現在申し込みが殺到しているという。
大の大人が涙するという皇居勤労奉仕とは一体どんなものなのか。ライターの小桜真理さんが自身の体験を綴る。
(以下、「新潮45」2018年7月号より抜粋、引用)

 ***

「はい、そこ! おしゃべりしない! 4列を乱さないで!」

これが皇居勤労奉仕の初日、奉仕開始後、たった5分で我が団に浴びせられた言葉である。
集合場所から皇居内の奉仕場所へ移動するには4列縦隊が原則。
集合するたび、速やかに4列になり、全員揃っているかの点呼が必要だ。
我が団は40をとうに過ぎたメンバーで構成されており、
列をつくるのも、足並みを揃えて歩くのも数十年ぶり。しかも怒られるとは……。
そんな、いきなり10代の学生時代に戻ったような衝撃と甘酸っぱさで、勤労奉仕は始まった。
叱責の主は全国から集まってくる奉仕団を束ねる宮内庁の女史。
かわいらしい外見からは想像のつかない厳しい言葉がそれぞれの団に飛ぶ。
その存在はまるで「アルプスの少女ハイジ」で、
都会へやってきたハイジを厳しく教育するロッテンマイヤーさんを彷彿とさせ、
我が団では誰からともなく「マイヤー先生」と親愛を込めて呼ぶようになった。

終戦直後に始まった勤労奉仕
皇居勤労奉仕が始まったのは昭和20年(1945)。終戦直後、皇居も空襲に遭い、
焼け落ちた場所があったことを知った宮城県の有志が「後片付けをさせてほしい」と手弁当で上京、
奉仕を許されたことがきっかけとなり、全国から続々と奉仕団が集まるようになった。
現在では、祝日のない週の月曜から木曜、火曜から金曜の4日間が奉仕日とされ、
うち3日を皇居、1日を赤坂御用地にて、清掃や草むしりなどの作業に当たる。
最大の魅力は皇居では天皇陛下、皇后陛下の、
赤坂御用地では皇太子殿下、皇太子妃殿下の「ご会釈」を賜われることである
(皇太子妃殿下はお出ましにならないことが多い)。
私自身、勤労奉仕未経験のときも「ご会釈」なるものがあることは知っていて、
それは草むしりなどをしているところへ陛下が歩いていらして、
文字通り「ご会釈」をしていってくださるもの、と思っていた。
ところが実際は違った。ご会釈用の部屋へ通され、奉仕団ごとに整列。
そこへ天皇皇后両陛下がお出ましになり、各団が普段どんな活動をされているのかなど
直々にご下問をされ、言葉を交わすことができるのだ。
答えられるのは団長だけだが、その後ろに立つ団員も感激の涙を流す者が後を立たない。
数年前、初めて勤労奉仕に入ったとき、ご会釈についての説明を受けた。
宮内庁の方の「皆様が退出した後の部屋の床が涙で濡れていることがあります」という言葉を
半分「誇張」として聞いていたが、なんのことはない、ご会釈を体験した自分が涙で床を濡らしていた。
私だけではなく、退出するときに床を見れば、あちらこちらに
同じような涙の跡が小さな水たまりを作っていたのである。

ご退位の表明で申し込みが殺到
なぜ、大の大人にそれほどまでに涙を流させるのか、その考察は後に譲るとして、
どうすれば勤労奉仕に入れるのかを説明しよう。
年齢制限は15歳から75歳。15名から60名までを一団とする。
このために集まったのではなく、普段から活動をしている仲間であることが望ましいとされ、
その名簿とともに奉仕に入りたい希望の日にちを第3希望まで明記して、宮内庁へ提出する。
すると、宮内庁で人数調整をした上、奉仕許可証が発行され、当日を迎えることとなる。
……と、以前まではこの段取りでスムーズに参加できていたのだが、
陛下のご退位が決まったことを契機ににわかに様相が変わってきた。
「最後のご奉仕」とばかり、申し込みが殺到し出したのである。
総勢200人(7団体)が上限とされている中、その倍の申し込みがあり、抽選が行われている現状だという。
我が団も1度は外れ、捲土重来を期して2度目の申し込みで今回のご奉仕を獲得した。
そのとき「前回落とされたから、今回は大丈夫」と思い、申し込んだが、
実はそうした忖度は一切なく、延々と落ち続ける団もいるという。
今後の申し込み状況を宮内庁のHPでチェックすると、すでに12月の申し込み可能期間も残りわずか。
陛下が在位期間である来年4月までは、さらに熾烈な申し込み合戦が繰り広げられるに違いない。

記念撮影からスタート
それでは、具体的な奉仕内容に移ろう。皇居は、天皇皇后両陛下がお住まいになる吹上御所を中心とする「御所エリア」、
晩餐会や陛下の執務が行われる「宮殿エリア」、一般にも開放されている「東御苑エリア」の三つに分けられる。
各エリアを1日ずつと赤坂御用地で計4日間の奉仕となる。
どのエリアからの奉仕になるのか、赤坂御用地にはいつ行くのかは奉仕に入るまでわからないが、
初日の午前中に行われるのはもれなく「記念撮影」だ。
皇居なら二重橋前、伏見櫓をバックに。赤坂御用地なら春、秋の園遊会の舞台となる庭園で。
専属のカメラマンが団員それぞれの顔がよく見えるよう細心の注意を払って撮影してくれる。
初めて奉仕に入ったとき、いきなりのこの撮影会を体験して「これは勤労奉仕というより、
国民のための思い出づくり大会なのでは……?」という思いが頭をかすめた。それが大正解だった。
皇居勤労奉仕とは、天皇皇后両陛下をはじめとするご皇室の方々、
さらに宮内庁の方々を総動員しての、国民大接待の場なのだ。

奉仕団50人ほどに1人、宮内庁管理部庭園課の方がつき、一日中アテンドをしてくれる。
奉仕場所へ辿り着くまで、広い皇居の中、一般の皇居参観では
決して立ち入ることのできない場所まで、勤労奉仕では立ち入りを許される。
たとえば「御所エリア」。もちろん、御所の近くへ行くことはできないが、重要な祭祀が行われる宮中三殿や、
陛下が毎年、稲を育てられる水田、皇后陛下のご養蚕のための桑畑など、庭園課の方の詳しい説明とともに見学できる。
300もの盆栽が並ぶ大道庭園では、国賓を出迎える際、宮殿玄関に飾られる「根上がりの松」という樹齢390年、
重量380キロの五葉松はじめ、3代将軍家光が愛した五葉松、樹齢600年にもなる真柏などを間近に拝見することができ、
その素晴らしさには目を見張るばかりだ。(後略)

 ***

全文は「新潮45」2018年7月号に掲載。陛下に間近に拝謁した時の感情や、
そのときの陛下のお言葉など、6ページにわたり克明にルポルタージュする。

小桜真理(こざくら・まり)
ライター。日本の歴史、伝統文化に特化した執筆、講演活動につとめる。
現在は新元号に向けて「日本人にとっての元号とは何か」論を展開中。今回で勤労奉仕は3回目。

「新潮45」2018年7月号 掲載

https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/dailyshincho/nation/dailyshincho-543797

秋篠宮家の庭

秋篠宮家の庭には○○○がごろごろしている…〈週刊朝日〉
dot. 5月30日(木)11時34分配信
佳子さまがご家族と暮らす秋篠宮邸は港区元赤坂の赤坂御用地にある。外周約3キロの敷地内には、
東宮御所や、三笠宮邸、高円宮邸などが散在し、春秋の園遊会が開かれる赤坂御苑や、
本格的な試合ができるテニスコートがあるほか、野鳥の観察もできる鬱蒼(うっそう)とした森も広がる。
「愛子さまが住む東宮御所とは1キロ近く離れていますが、皇太子ご一家が散歩の途中に、秋篠宮家を訪れ、
お茶を飲んだりすることもあるそうです。
一人っ子の愛子さまは、佳子さまと10代の女の子同士の女子トークを楽しんでいるそうです」(宮内庁記者)
秋篠宮ご夫妻は、結婚後約10年間、同敷地内の元職員宿舎を改造した木造平屋(約100平方メートル、
3LDK+S)に仮住まいを続けていた。築60年を超えるシロモノだったが、長女の眞子さまと佳子さまが生まれた際に、
それぞれ2間ずつ増築。佳子さまも幼稚園までは、ここで暮らしていた。
佳子さま5歳の2000年に、総工費約6億5千万円を投じて、公務に使う秩父宮邸(延べ860平方メートル)に
住居部分として鉄筋コンクリート2階建て(8室、延べ床面積472平方メートル)を増築した新邸が完成した。
佳子さまのお部屋も増築部分にあるとみられる。
「秋篠宮ご夫妻が公務に使っている部屋には、大小のひょうたんがずらりと並んでいます。
中には、人の背丈ほどあるものもあり、初めて訪れた人はびっくりするでしょう。
秋篠宮さまは全日本愛瓢会の名誉総裁なのです」(同家を訪れた人)。
庭では野菜づくりをしており、食卓にのぼることもあるという。
ペットもいる。秋篠宮家では最近犬を飼っているが、そのほかにも、以前から「一風変わったペット」がいる。
「温泉に入る姿が一般でも大人気になっている南米原産の巨大ねずみ『カピバラ』を
かつて飼っていたことがあります。今も、カピバラとよく似た『マーラ』が数匹、庭に放し飼いになっています」(同)
マーラもアルゼンチン原産で、体長50〜70センチ。体重も10キロ近くなるねずみの仲間だ。
ねずみとはいえ、愛くるしい容姿で、天気のよい日には、秋篠宮家の窓から庭でマーラたちが
ごろごろとひなたぼっこしている姿が見えるという。
ちなみに昨年9月、悠仁さまのお誕生日に公表された写真の端には、眞子さま、佳子さまや悠仁さまと一緒に、
背後の茂みからこちらを向いているマーラの姿がうつっていた。
※週刊朝日 2013年6月7日号
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130530-00000004-sasahi-soci

立て膝でリラックス・SPをふりきる承子さま

週刊新潮 2014年9月4日号
「承子さま」28歳の夏 お相手の自宅に寄る日もある「高円宮承子女王」の恋と結婚

立て膝でリラックス
7月上旬、承子女王はユニセフの業務でベトナムに出張された。
そして、実はその直前にも件の男性と2人きりで会われていたのだ。
巻頭グラビアに掲載した写真と合わせ、当日の様子を再現してみる。
週末の21時過ぎ、東京・神保町で合流したお二人は、豚料理が売りの居酒屋へ。
生ビールを飲み干し、話題は間近に控えた出張へと及ぶ。
ベトナムは夜が寒いらしくて―― そう懸念される女王は、待ち合わせ前に立ち寄られた量販店で、
出張用の衣類を購入したと告げられた。そこで男性が、デニムって、労働者の服じゃないのと、
おもむろに意見を差し挟む。テーブル席でリラックスされ、
立て膝姿で聞いていた女王のパンツは、あいにくデニム地であった。
「おもに女性が積極的に話しかけ、男性はもっぱら聞き役で、時折気のない返事をしていました。
でも、むしろ長い付き合いで、お互い以心伝心、というような雰囲気でしたね」(居合わせた客)
実際に、先の宮内庁関係者はこう明かすのだ。
「承子女王は、その男性の住むマンションに遊びに行かれることもある。
すでに、そうした“間柄”になっているのです」
さては、宮家に立て続き慶事の到来か――。

「結婚と交際は別です」
残暑厳しい週末の昼下がり、赤坂御用地からお出ましになる女王をお見かけした。
陽射しを避けるべく鍔の広い帽子を被り、飼い犬を連れて青山1丁目の交差点を渡られている。
そこで畏れながらお声掛けを試みたところ、
「(男性と)仲良くはしていますよ。私、すごく友達が多いので、
いつ知り合ったかは覚えていませんが、かなり以前ですね」
と仰る。男性のマンションに立ち寄られた件については、
「どうだったかなあ……行きましたっけ?」一瞬、間を置きつつも、率直な“結婚観”を披瀝して下さったのだ。
「私の家には、(男性は)大勢のお友達と一緒に来たことがあります。
母とも会っていますが、当面、私は仕事に打ち込もうと決めているので……。
父の務めていた名誉職などを母が全て継いでおり、私もしなければならないことが沢山あるのは自覚しています。
ですから結婚は、少なくともあと3、4年は絶対にありません」
そもそも11年、民主党政権下で始まった「女性宮家」創設に向けた議論は、
<未婚の女性皇族が次々と結婚適齢期を迎え、皇室活動の安定性が保てなくなる>
との危機感が根底にあった。が、承子女王は、
「今の時代、女性にそれ(適齢期)を言ったら怒られますよ。
妹の婚約は本当に嬉しいですが、母からは私の結婚について何も言われていません。
母も私の年齢ではまだ独身でしたので。昔から私、結婚とお付き合いするのは、完全に別だと思ってきました」
これまで積み重ねられてきたイメージに違わぬ、堂々の“奔放宣言”である。
さらには、次のように付言なさるのであった。
「でも、全てにおいて、誰と何がどうなるかなんて、分からないじゃないですか……ふふふ」
 一方、お相手の男性に尋ねると、こちらも示し合わせたかのように、
「(女王とは)共通の友人が多いので、その繋がりで知り合いました。
仲は良いですが、私の家に来られた日は、他に仲間も何人かいて、
彼らは用事があって先に出て行ったのです。2人で過ごしていたのではありません」
と言うものの、先の関係者によれば、
「マンションに立ち寄られた際、承子女王はこの男性と2人きりで、
麻布十番の焼肉レストランで食事をなさっていたのです」
やはり、火のないところに煙は立たないようなのだ。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏は、
「高円宮家はもともと開放的、活動的なお家柄。久子妃殿下はもとより、亡くなられた殿下も
ご交友の広い方でしたから、承子女王もまた然りでしょう。
ご成婚に際しても妃殿下は、本人の意思を尊重するお考えだと思います」と指摘しながら、
「ひと頃に比べ、承子女王は皇族として、また一人の人間として大いに成長なさったと拝察されます。
この秋には妹宮が嫁がれるわけですから、長女として、
ご公務が目白押しのお母様を支えるお役目は一層増します。
そのご自覚も、十分におありのことでしょう」
とはいえ、そこは“型破り女王”だけあって、いつ何時サプライズが起きぬとも限らない。
果たして、恋の行方やいかに……。


女性セブン2014年9月18日号
皇族のSP カラオケ時に隣部屋で待機したり振り切られる例も
2014.09.10 07:00

高円宮家の長女・承子(つぐこ)さま(28才)が、
ガバンク系のシンクタンクに勤務する20代後半の男性と都内でデートする様子を
『週刊新潮』(9月4日号)が報じた。
承子さまと男性は、神保町や新橋で待ち合わせをされ、居酒屋で過ごされたとのことだが、
このときSPは店外で待機していたという。
当のご本人はSPを待たせていることなど気にも留められずデートを楽しまれていたが、
やはり皇族のデートにはSPが同行するのだ。
秋篠宮家関係者もこう話す。
「佳子さまは男女複数のお友達とカラオケによく行かれるんですが、
佳子さまたちの部屋の隣の部屋をSPたちが取って、待機しているそうです」
SPと良い関係を築くことも、女性皇族が恋を育てる最良の方法のようだが、承子さまだけはちょっと違うようで…。
「早稲田大学在学中、承子さまはSPに何も告げず、突然電車に乗り込まれ
成田空港まで行ったことがあったそうです。このときは友人の迎えに行ったというのが理由でしたが、
SPは大混乱となってしまったみたいで…。
就職された現在も承子さまは一時的にSPをふり切られ、
デートや会食に出かけられることも少なくないみたいですよ」(宮内庁関係者)
女性皇族の恋ではないが、皇太子さま(54才)が雅子さま(50才)にプロポーズされた
1992年10月の鴨場デートは、まさに“極秘プロジェクト”だった。
絶対にマスコミにデートをキャッチされてはなるまいと、
東宮御所から車で千葉県の新浜鴨場に向かわれた皇太子さまに付き添ったのは、運転手と当時の東宮侍従長だけ。
通常、皇太子さまの外出時には前後を皇宮警察が護衛、そして警視庁や地元警察が周囲の警戒にあたるのだが、
この日だけはSPに一切の連絡をしなかったという異例のデートだった。
万が一、事故にでも巻き込まれれば一大事だ。
しかし、そこまでしなければ実現しなかったのが皇太子さまと雅子さまのご結婚だった。
http://www.news-postseven.com/archives/20140910_274835.html

嵐のコンサートに出かける奔放な承子さま

眞子さまご婚約スクープの背景

眞子さまご婚約スクープ、皇室の事実上リークか…安倍首相への警告、宮内庁職員も関与か
Business Journal / 2017年5月18日 7時0分
16日、NHKのスクープが世間を驚かせた――。
同日19時から放送のテレビ番組『NHKニュース7』は、
秋篠宮眞子さまが国際基督教大学(ICU)在学時代の同級生、小室圭さんと婚約されると報じた。
皇室に詳しいマスコミ関係者は語る。
「宮内庁の山本信一郎長官が眞子さま婚約の報告を受けたのは16日当日の昼頃だとみられ、
この日の夜にNHKが報じるということは、宮内庁にとってもまさに寝耳に水。
報道直後から翌日17日にかけ、庁内はかなり混乱している様子でした。
山本長官は報道直後の16日夜8時30分から急遽記者会見を開きましたが、
『現時点では未定』『知らない』『申し上げる段階ではない』という発言に終始し、
事実上のノーコメントであったことが、その混乱ぶりを物語っています。
宮内庁は通常こうした重要な情報については、記者クラブ以外でも日頃良好な関係を築いているジャーナリストや
記者から問い合わせを受けた際には、きちんと対応するのですが、今回はシャットアウト状態で、
かなり慌てている様子が伝わってきます。
実は宮内省記者クラブ内では、16日に『何か大きな報道が出るかもしれない』という情報は流れていたのですが、
どのマスコミもまさか眞子さまの婚約だとは思ってもいなかったようです」
今週19日に政府は天皇陛下の退位を認める特例法案を閣議決定する予定だが、
なぜそのような“微妙なタイミング”で眞子さま婚約が公表されたのであろうか。
「現在皇族は14人で、そのうち30歳以下は7人ですが、近い将来結婚して皇室を離れる可能性もあります。
これが皇族数、とくに女性皇族数減少により十分な皇室活動を維持できなくなるという懸念につながり、
女性宮家【編注:女性皇族が独立して営む宮家。結婚した女性皇族が皇室にとどまり、
皇室活動を続けることができるとされる】創設の議論につながっているわけです。
19日に閣議決定される特例法案でも、付帯決議に女性宮家創設が入れられるかどうかが焦点となっていますが、
安倍政権は創設に否定的なため、微妙な状況です。
一方、皇室内部には皇族数減少に危機感を抱き女性宮家創設に前向きな方々もおられます。
そうした方々が、閣議決定直前というタイミングを見計らい、
政府に対して『女性宮家を認めないと大変なことになりますよ』と警告なされる意味で、
近しい宮内庁職員を通じてNHKにリークさせたという見方が強いです。
つまり、実質的に皇室によるリークともいえます」(同)

今後の皇室への影響
皇室に詳しい別のマスコミ関係者も、同様の見方を示す。
「今の状況で女性皇族が結婚されれば、女性宮家の議論が盛り上がるのは必至ですが、
女性宮家に否定的な安倍政権は、天皇陛下退位が終わってからゆっくり議論していこうというスタンスです。
そんな現政権のイエスマンで上層部が固められた宮内庁ゆえに、眞子さま婚約の報告を受けたとしても、
政権の意向をうかがっているうちにズルズルと正式発表のタイミングが後ろにずれ込むのは目に見えています。
一方、皇室内で女性宮家創設を進めたい方々は、そんな宮内庁の動きを待ってはいられない。
そこで近しい宮内庁の職員をお使いになられて、NHKに報じさせたとみられています」
では、眞子さまご成婚は、今後の皇室にどのような影響を与えるのであろうか。
「眞子さまは現在、東京大学総合研究博物館で研究員として勤務されながら、
日本テニス協会名誉総裁や日本工芸会総裁などを務められ、さらに海外訪問も含めて公務は多忙を極めておられます。
皇族数が減少するなかで皇族の方々のご負担は現状でもかなり重いですが、眞子さまが皇室を離れれば、
さらにその傾向は強まります。なかでも、秋篠宮家の次女で22歳の佳子さまは現在学生であり、
学業優先のため公務はほとんど免れていますが、
ご卒業と同時に一気に公務の負担がのしかかってくることが予想されます。
秋篠宮家の長男で皇位継承順位3位の悠仁さまはまだ10歳ということもあり、
皇室全体はかなり厳しい事態を迎えつつあるといえるでしょう」(前出と別のマスコミ関係者)
女性宮家創設の問題も含め、安倍政権の対応が問われる。
(文=編集部)
https://news.infoseek.co.jp/article/businessjournal_336931/?p=1

2017.5.18 16:37
伊吹文明元衆院議長「眞子さまの政治利用は厳に慎むべき」 女性宮家検討主張の民進を牽制
自民党の伊吹文明元衆院議長は18日、最高顧問を務める二階派の例会で、
秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまが婚約の準備を進められていることを受け、
民進党などが女性宮家創設に関する訴えを強めていることを牽制(けんせい)した。
「公務をする人が1人減ったからどうかとか、眞子さまを政治的に利用するような発言は厳に慎み、
根本論をしっかりとやった上で、この問題をどうするかを政策集団として議論してほしい」と述べた。
伊吹氏は天皇陛下の譲位を可能にする特例法案の付則決議案に
女性宮家に関する記述を盛り込むべきだとの意見について、
「男系男子が皇室典範の定めるところによって世襲していくという考えをどうするのか、
国民が共通の認識を持つ前に女性宮家を創設することは非常に危険だ」と慎重な姿勢を示した。
同時に「女性宮家の方が外国の方と将来ご結婚して皇嗣がおできになったとき、
その方を天皇陛下として今までと同じ気持ちで日本人が仰ぎ見られるかということがある」とも述べた。
眞子さまは、結婚すると皇室典範の定めにより皇籍を離れられることになる。
現在、皇室には天皇、皇后両陛下をはじめ19人がおられるが、眞子さまが結婚されれば18人となる。
民進党は皇族の減少を念頭に「女性宮家の早急な検討を期限を区切って行うべきだ」(蓮舫代表)と主張している。
http://www.sankei.com/life/news/170518/lif1705180043-n1.html

美智子さま、雅子さま、紀子さま――妻として、母として、女として「平成」をどう生きたのか

美智子さま、雅子さま、紀子さま――妻として、母として、女として「平成」をどう生きたのか
嫁姑問題、母子密着、皇位継承に揺れた天皇ご一家

2019年4月で終わりを迎える「平成」。皇室は今、大きな変化のときを迎えている。
嫁姑問題、母子密着、皇位継承をめぐる葛藤の日々……。
数々のスクープの裏側を、皇室担当記者が初めて明かす!

デスクA この数年は、平成皇室を語る上で節目ともいえる年月でした。
天皇陛下、皇后陛下のご体調の問題が明るみに出たのは大きな転換点だったと言えるでしょう。
2019年4月で天皇陛下は退位され、現在58歳の皇太子殿下が、2019年5月から新天皇として即位されます。
新しい時代に皇太子殿下がどんな皇室をつくられるのか。注目しています。

記者B ただ、次代に皇太子殿下が何をなさりたいのか、
誕生日会見などの場で語られるお言葉からは、はっきりと分かりませんでした。
“公約数的”な発言ばかりで。

記者C 以前から仰っている「時代に即した公務」についても、明確に示されているとはいえないでしょう。

デスクA 雅子さまが適応障害の療養に入られて約15年。雅子さまのお出ましは、以前に比べると増えましたが、
今上陛下には美智子さまの存在が大きかったことを考えると、
皇太子殿下の“お一人公務”が長く続いた時期は大変だったでしょうね。

記者D 国民と密接な“平成流”は美智子さまなしには考えられませんでした。

記者B 昭和の時代から、美智子さまは理想の妻であり母でした。
皇位は男系男子で継承されていきますが、やはり女性皇族は重要な存在です。

記者D 雅子さまも当初は国民、特に女性たちから尊敬と憧れを持たれていました。
国民の見方が大きく変わったのは、やはり2004年7月の適応障害の診断結果発表からです。
雅子さまは2003年頃から公の場に出なくなっていたのですが、
それが初めて表沙汰になったのは、2004年5月の「人格否定発言」。
皇太子さまが「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあった」と会見でおっしゃったのは衝撃的でした。

デスクA 当初は「雅子さまを応援したい」と考える女性も多かったのです。
皇太子殿下はよくおっしゃったと見る向きもあった。しかしその後、次第に応援の声は小さくなっていった。

記者E きっかけは雅子さまの“子育て問題”ではないでしょうか。
愛子さまの子育てを拝見するうちに、強い違和感を持つようになったのだと思います。

記者C 決定的となったのが「山中湖お付き添い事件」でした(2011年9月29日号)。
学習院初等科4年生だった愛子さまの山中湖校外学習に、雅子さまが付いて行かれた。

記者D 子供たちが立ち寄る場所には、雅子さまもほとんどついて行かれ、
青木ヶ原樹海でハイキングもされました。


「茶番」と批判された校外学習

記者E 山ガールファッションでしたよね。
チェックのシャツにウエストポーチ、リュックを背負って、やる気満々。
一方で東宮職は殺気立っていました。雅子さまの姿を撮らせまいと、カメラマンの周りを男性数人で包囲。
愛子さまを撮影しようとしたら、東宮侍従から「家宅捜索するぞ!」と恫喝されました。

記者D 学習院では過去に子供が怪我や病気の場合だけ、親が近くの宿で待機するということはあったようです。
だけど雅子さまは、子供と同じ「ホテルマウント富士」の、1泊12万円のインペリアルスイートに宿泊した。
保護者からも非難の声があがりました。

記者C ホテル側は雅子さまのために、壁紙をベージュから白地にグリーンの花柄に張り変えたんですよ。
食材にこだわった「特別懐石料理」も用意した。

記者B 直後の東宮大夫の定例会見は大荒れになりました。
会見内容は両殿下もご覧になるので、記者も言葉を選ぶ。
ところが、このときは「今回のお付き添いは、極めつけの茶番ですよ。皇室の尊厳もくそもない!」という
過激な発言が飛び出したのです(2010年10月6日号)。

記者D 東宮大夫は「長い目で見ていただきたい」と答えた。
それにベテラン記者が「国民はすでに長い目で見ている。
震災から半年、国民が大増税の時代を迎えようとしているその時期に
妃殿下は校外学習でインペリアルスイートに泊られた。
常識的に考えられない出費。“税金泥棒”との批判を受けるかもしれません。
それを許した殿下はどうお考えなのですか」と詰め寄った。緊迫の場面でした。

記者E 皇太子さまはむしろ賛成されてましたよね。校外学習当日の朝も、初等科まで愛子さまに付き添い、
保護者や子供たち一人ひとりに挨拶されて、4台のバスがいなくなるまでずっと手をふっていらした。
その光景に、記者たちは「逆一般参賀状態だ」と(笑)。

記者C 山中湖事件の前から、愛子さまは登校拒否のような感じになって、お付き添い登校が始まっていました。
朝早いときは皇太子さま、遅いときは雅子さまがお付き添いされていた。

記者D 2010年3月5日の定例会見では、東宮大夫が、愛子さまが不登校状態にあること、
その原因として初等科に「何人かの乱暴な児童たち」がいることを公にしました。
子供たちの間の問題が、一国を揺るがす事件に発展した瞬間でした。

その後、不登校は落ち着きましたが、いわゆる“母子密着”の状態は続きました。
愛子さまは髪をかなり長く伸ばして、雅子さまとほとんど同じ髪型でした。
外見的にも深く結びついていらっしゃるように見えたし、
愛子さまが順調だと雅子さまのお加減もよくなることもあり、
“母子シンクロ”とも言われました(2014年12月18日号)。

記者B そして再び欠席・遅刻が始まったのが、学習院女子中・高等科にあがられた2014年、中学1年生の6月頃から。
1学期、2学期の定期試験を欠席されました。

デスクA 勉強はよくおできになるんですよね。

記者B 愛子さまは完璧主義なんだと思います。
試験前夜もおそくまで熱心に勉強するそうなのですが、朝になると登校されない。

デスクA なぜそんなことになってしまったのか。
当時、原因として考えられたのが、皇太子ご夫妻の「叱らない子育て」です。


“叱らない子育て”とゴミ事件

デスクA 皇太子殿下は2005年の誕生日会見で『子どもが育つ魔法の言葉』などの著書がある米国の家庭教育学者、
ドロシー・ロー・ノルトの詩を紹介されました。《批判ばかりされた子どもは非難することをおぼえる(中略)
しかし、激励をうけた子どもは自信をおぼえる(中略)賞賛をうけた子どもは評価することをおぼえる(中略)
可愛がられ抱きしめられた子どもは世界中の愛情を感じとることをおぼえる》というものでした。

記者E こういった“叱らない子育て”は現代の育児法の主流と言えます。
皇太子ご夫妻はかなり忠実に実行していらっしゃるようです。

記者C でも結果、しつけができていないように見えるケースも多いのではないでしょうか。

記者E 2006年のオランダご静養では、海外のメディアも大勢いる前で、
愛子さまは気をつけをして挨拶が出来ませんでした。
身体をグニャグニャとさせて、脚を交差させ、シャネルのマークのような「シャネル立ち」だと噂されました。

記者B 当時はまだ4歳だから、仕方がないにしても、
「ゴミ事件」には驚きましたね(2014年7月3日号)。12歳でしたよね?

記者C はい。学習院大のキャンパスで行われたイベントに行かれた時に、お菓子を立ち食いされたのですが、
べたべたした包み紙を近くのスタッフに差し出し、たった一言、「これ」とおっしゃった。
「捨てたいの?」と尋ねられても、頷くだけ。
しまいには鼻をかんだティッシュを「ゴミ」と言って、スタッフに差し出しました。

デスクA 皇太子殿下ご自身は、厳しく育てられています。
浜尾実東宮侍従に姿勢や挨拶などを厳格にしつけられていた。
そういった過去に対する“反動”なのでしょうか。

ディズニーシーはパニック寸前

記者E 愛子さまが赤ちゃんの頃、栃木県の沼原湿原を散策したとき、
殿下が背負子で背負われたことがありましたね。
今の天皇陛下は、人前で子供を抱っこしたり、おんぶされたことがなかった。
宮内庁のベテラン職員の中には
「ああいう姿を国民に見せてはいけない。威厳が損なわれる」と本気で嘆く人もいました。

記者D 皇太子さまも雅子さまも「普通の子育て」への憧れがあるようです。
2006年にはご家族でディズニーランドとディズニーシーにいらっしゃいました。
あくまで“お忍び”という形だったのですが、
私服警官で埋め尽くされて一般客も異常事態に気付き、パニック寸前。
ディズニーシーの真ん中にあるマーメイドラグーンは封鎖されました(笑)(2006年3月23日号)。

記者C 愛子さまに初等科時代、電車を使わせたこともありました。
でも、駅の自動改札を愛子さまがピッと通られるのを大量の警察官が警戒していて、まったく普通じゃなかった。

記者E お生まれになってすぐの“公園デビュー”も同じ。雅子さまが愛子さまをお連れになって、
近所の公園に行かれたら、沢山の人が集まって大きな騒ぎになった。
お立場上そういった“普通”を実現するのは無理なんです、はじめから。

雅子さまの金銭感覚は?

記者E そもそも清貧を良しとする天皇家の家風と、雅子さまのご志向は相容れないものがあると思います。

記者C 私もそう思う。雅子さまには現代的な「自分の権利を主張する」というプリンシプルを強く感じます。
働く女性のスタンダードな意識ですよね。
今上陛下からは国民があって自分たちがある、というメッセージが伝わってきます。

デスクA 両陛下は警備上の理由などで一般客に迷惑になるからと、
海外ご訪問中でもほとんどレストランなどで外食をなさいません。
一方、雅子さまは外食がお好き。マンダリンのシグネチャーやウェスティンのビクターズ、
富麗華、ロオジエなど高級店にも行かれる。
国民に与える印象は真逆でしょう。

記者E 「女性セブン」(2013年9月19日号)のスクープでは、
初等科6年生の愛子さまがグッチの鞄を持っている写真が出ました。
那須どうぶつ王国で、他のお友達はママお手製の布製ポシェットなどを持ってきているのに、
愛子さまだけが4万円相当のグッチのキッズラインのバッグだった。

記者C あれは凄いインパクトでした。

記者B 美智子さまは、一目でブランドものと分かるものは避け、洋服やバッグも仕立て直しされたり、
修理されたりして、何年も何年も大事に使われます。

デスクA やはりお人柄というのはそういうところに滲み出るものです。
現在は“美人すぎる皇族”として佳子さまが注目されていますが、普段は発言をされない皇族だからこそ、
国民は外見や行動にメッセージを見つけるのです。

記者D その点、紀子さまは美智子さまをお手本にされているようですね。

記者E でも、上手すぎて、同じ女性としては少し怖いほどです(笑)。

記者D 私が最近考えるのは、佳子さまが紀子さまのそうした気質を
強く受け継がれているのではないかということです。
佳子さまは皇族としての気品のある所作と、現代っ子らしい振る舞いを使い分けていらっしゃるように見えます。
公務先では紀子さま譲りの“完璧なスマイル”を振りまかれるのですが、
高校の文化祭で、ダンスの出演順を決める際などは、意見をはっきりおっしゃり、
怒られたら嫌だな、と後輩からは少し怖い存在だったとか(笑)。

デスクA 読書好きな眞子さまに比べて、佳子さまは気の強いところがおありだったみたいですね。
ただ当時は高校生ですから、大目に見てあげて欲しい(笑)。いまではお二人ともご立派ですよ、公務先で拝見すると。

記者D 天皇陛下のように結婚生活の節目節目で妻への感謝を発表されるのは素晴らしいと思います。
2009年のご結婚50年のときに、陛下は「結婚50年に当たって贈るとすれば感謝状です。(中略)
その間にはたくさんの悲しいことや辛いことがあったと思いますが、
よく耐えてくれたと思います」と述べられました。

記者E 個人的には、皇太子さまも雅子さまへの愛情を発表し、
仲睦まじい日本の家族の象徴になっていただけたらと。
2013年に結婚20年の所感を出されましたが、ご夫婦としての感想だったので、
「私たちは夫婦として多くのことを一緒に経験し、互いに助け合ってまいりました」といった、
遠慮がちな表現でした。

記者B 陛下はご結婚20年を迎える頃、会見で「やさしいワイフ」とのろけられて
新聞の見出しになったこともありましたからね。

デスクA でも皇太子殿下が発表されるとなると、妃殿下の事前チェックが入るかも(笑)。

(初出:「週刊文春Woman新春スペシャル限定版」2016)

http://bunshun.jp/articles/-/7739

秋篠宮さま沖縄2015年2月

佳子さま 秋篠宮さまと生まれて初めての父娘二人っきり旅行
2015.02.12 07:00
2月6日午後2時過ぎ、沖縄・那覇空港に降り立たれた秋篠宮さまと次女・佳子さまのお姿に、
居合わせた人たちからは「佳子さまだ!」といった声もあがり、空港内は一時騒然となった。
今回、秋篠宮さまはご自身が設立に尽力され、
現在も常任理事を務められる『生き物文化誌学会』の例会に出席されるため、沖縄を訪問された。
「この沖縄訪問はご公務ではなく、私的なご旅行です。
普段、秋篠宮さまはおひとりで例会に出席されるのですが、
今年は秋篠宮さまから佳子さまに“一緒に学会に出てみないか? 
沖縄に行かないか?”と誘われたようです。
佳子さまは照れくさそうに“別にいいけど…”
みたいなお返事をされたそうです(苦笑)」(秋篠宮家関係者)
昨年11月、秋篠宮さまは誕生日会見でこんな話をされている。
「私は海外に家族みんなで行ったことはありますけれども、
次女(佳子さま)と一緒に二人で出掛けたことはないのですが、
何の機会だったでしょうか、二人で上野動物園に行ったことがあるんですね」
佳子さまが5才ぐらいの時に、上野動物園で桜見物をされたのが、唯一のお二人でのお出かけだったことと
佳子さまがお生まれになってから20年間、一度も“父娘”二人旅をしたことがないと明かされた。
つまり、今回の沖縄旅行が“初めての二人っきりの旅”ということになる。
前出の秋篠宮家関係者は父娘関係について、こう語る。
「佳子さまは勝気なご性格なため、ご両親にお考えをはっきりおっしゃることも多く、
秋篠宮さまとはお気持ちが行き違うこともありました。
姉の眞子さまに比べると、秋篠宮さまと距離があったのも間違いありません。
そんなわけで、実際、沖縄に着かれた当初はお互い気恥ずかしさもあってか、
少々ぎこちない雰囲気だったみたいですよ」
※女性セブン2015年2月26日号
http://www.news-postseven.com/archives/20150212_303365.html


父と2人だけで沖縄入り 佳子さまのラフなお姿と母の気遣い
2015.02.16 16:00
黒のスリムパンツに白のざっくりニット、ウェーブがかった髪を下ろした公務での姿と
異なる佳子内親王の装いに、那覇空港に居合わせた利用客は一様に驚いていた。
「今回はご公務ではなく私的旅行でした。殿下と二人きりだったので
ラフなファッションになったのでしょう」(宮内庁関係者)
2月6日から8日にかけての父娘の沖縄訪問は、
秋篠宮が常任理事を務める「生き物文化誌学会」の例会に出席するためで、今回初めて佳子内親王も同席した。
「殿下が佳子さまに“学会に一緒に行かないか”と声を掛けて実現したのですが、
お二人だけ一足先に沖縄入りされたのは、紀子さまの計らいだったようです」(同前)
もともと沖縄訪問は秋篠宮一家揃っての2泊3日の旅程だった。だが、悠仁親王の学校のため、
紀子妃と悠仁親王は別便で沖縄入りした(長女の眞子内親王は英国留学中)。
学会は到着翌日(7日)だったので、佳子内親王も紀子妃と悠仁親王と同じ便でも差し支えなかったはずだが、
あえて先乗りしたのにはこんな理由があったという。
「連日の佳子さまフィーバーの中、紀子さまは佳子さまに注目が集まることを気にかけ、
服装や言動について厳しく教育されていたようです。そんな様子をご覧になった殿下が、
息抜きの意味もこめて佳子さまをお誘いになったのでしょう」(同前)
6日の夜、佳子内親王は父とともに那覇市内の豚料理専門店で夕食をとった。
「学会の関係者を交えた会食で、個室からは時折、佳子さまの楽しそうな笑い声が洩れてきました。
佳子さまはお酒を飲まれませんでしたね」(店の関係者)
紀子妃と悠仁親王が合流した翌日も父娘二人の行動が続いた。
午前中は世界遺産の中城城跡などを観光し、午後は学会に出席した。
「紀子さまは学会には出席せずに悠仁さまと会場近くの動物園へ行かれました。
学会は殿下と佳子さまお二人だけでというお気遣いでしょう。
佳子さまは殿下とは本当に仲が良いご様子でした」(学会関係者)
※週刊ポスト2015年2月27日号
http://www.news-postseven.com/archives/20150216_304071.html

皇太子さまの「素顔」とは

皇太子さまの「素顔」とは 我慢強く前向き、だじゃれも
多田晃子、島康彦2017年2月20日10時20分

皇太子さまは19日、天皇陛下の名代として、札幌市であった冬季アジア大会の開会式に出席した。
宮内庁は「寒い時期で陛下の年齢を考慮した」と説明するが、
健康面に問題がない状況で名代をたてるのは異例だ。
陛下の退位に向けた検討が山場を迎えるなか、今回のお務めは皇位継承の「序章」とも受け取れる。
23日に57歳の誕生日を迎える皇太子さまはどんな人なのか。どんな天皇になろうとしているのか。
長年交流のある2人に「素顔」を語ってもらった。

■まじめでユーモラス
「ご性格からして、(皇位継承を)ご自分の運命だと受け止め、ベストを尽くそうと覚悟されていると思う」と、
学習院OBオーケストラ元副団長の鎌田勇さん(88)は話す。
皇太子さまはビオラ奏者でもある。鎌田さんによると
「とにかくまじめで研究熱心。指遣いなどについて研究を重ね、色々な人に相談していた」。
親交は30年超。昔から変わらないのが「我慢強く、逃げない姿勢」と感じている。
長期療養中の雅子さまやご一家への批判記事が続いた際も色々な話をする中で、
「あまり心を動かされることはなく、いつも前向きに捉えておられたようだ」と話す。
だが、「どうしたらいいか困っています」と苦悩を吐露することもあったという。
雅子さまの海外訪問が直前まで決まらなかったことなどへの批判、
被災地など各地に精力的に足を運ぶ天皇、皇后両陛下との比較、次の天皇としての周囲からの過度な期待――。
様々な周囲の声を察して鎌田さんが「新しい公務のスタイルを作ればいい」
「ご自分を失わないで、思うようにお進みになったら」などとアドバイスすると、
安心したような表情を浮かべたこともあったという。
ユーモラスな一面もある。料理に塩をかける際、容器から塩がうまく出ず、
「皇太子殿下、やりましょうか」と声をかけると、
方言で「こうたい(交代)してんか」とだじゃれをいい、鎌田さんを笑わせたこともあった。
自らが目指す天皇像については「だんだん明確になってきていると思う。
国民のために何をしたら一番いいのか、まじめにお考えになっていると思うので、
殿下の思う通りにやって頂きたい」と期待する。

■水問題の研究、ライフワーク
皇太子さまがライフワークとするのが、治水や利水、水運など「水」問題の研究だ。
大量の専門書や資料を読み、各地の用水路や運河など関連施設を視察。
2013年3月には皇族として初めて米ニューヨークの国連本部で水災害の歴史について基調講演もした。
水問題の解決について、「貧困を改善し、水をめぐる地域での紛争を解消するという
世界平和へとつながるもの」(09年の会見)と話す。
相談役を務める元建設省河川局長の尾田栄章さん(75)は、
皇太子さまが自ら撮影した1枚の写真を見せてもらったことがある。
1987年3月、ネパールの中部都市ポカラ。
身近で水が手に入らず、女性や子どもたちが水くみ場前で列をなしている光景に、
皇太子さまは「強い印象を受けた」などと話したという。
皇太子さまは05年の会見などで「時代に即した公務」を掲げ、その柱の一つに水問題への取り組みを挙げた。
尾田さんは「殿下の水研究への取り組みは、多くの研究者の励み。
ずっと水問題に携わっていただきたいというのが水関係者の共通の思い」と話す。(多田晃子、島康彦)
http://www.asahi.com/articles/ASK2755LNK27UTIL038.html

皇太子一家恒例の奥志賀スキー旅行 宮内庁内部で波紋広がる

皇太子一家恒例の奥志賀スキー旅行 宮内庁内部で波紋広がる
2015.03.16 16:00
10年前から皇太子一家の“恒例行事”となってきた「奥志賀スキー旅行」が月末に行なわれる。
しかし、この旅行は雅子妃の適応障害が発表された2004年以来、常に騒動の火種となってきた。
すでに今年も「冬の恒例行事」は宮内庁内部で波紋を広げている。
「東宮一家は私的な動静をほとんど公にしませんが、今年も3月23日から27日まで
4泊5日の日程で長野県の奥志賀高原スキー場を訪問する予定です」(宮内庁関係者)
2月6日、『第60回青少年読書感想文コンクール』の表彰式とパーティに皇太子が出席したが、
隣に雅子妃の姿はなかった。その日、小町恭士・東宮大夫は定例会見で、
「雅子さまにご出席の気持ちはあったが、週2回の公務は厳しいと医師が判断した」と欠席の理由を説明している。
雅子妃は週2回の公務をこなせない状態でスキー旅行に出掛けることとなる。
病気が病気だけに仕方ないとしても、これが毎年、物議をかもしてしまう。
タイミングも悪かった。同時期には天皇・皇后が3泊4日の日程で栃木県御料牧場を視察する予定が組まれている。
皇太子は2月23日の誕生日会見で天皇の公務軽減を弟の秋篠宮とともに果たしていくことを改めて語り、
雅子妃の病状については、
「体調を整えながら、引き続き、焦らず慎重に、少しずつ活動の幅を広げていってほしい」と述べた。
その直後のスキー旅行に、前出の宮内庁関係者は深いため息をつく。
「雅子妃がお元気で活動的になられるのは喜ばしいが、
過去にも奥志賀へのスキー旅行は騒動の原因になってきた。また批判の的になるかと思うと心苦しい」
昨年のスキー旅行は、式年遷宮を終えたばかりの伊勢神宮を天皇・皇后が初めて参拝するタイミングと重なった。
そのため、「この時期の私的旅行は控えるべきではないか」との声が上がった。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏が語る。
「今上天皇の皇太子時代は、警備の負担などを考慮して、
昭和天皇・香淳皇后両陛下と皇太子さまご一家が同じ時期に外出することを控えていました。
昨年にしても今年にしても、両陛下のお出ましの日程を考慮せずに日程を決めてしまう皇太子ご一家に
疑問を感じる関係者は少なくないと思います。
プライベートな旅行は結構ですが、両陛下はご静養先でも近隣住民とふれあいの機会をもたれます。
そこに皇太子ご一家と両陛下の姿勢の違いを感じます」
初めて一家で奥志賀を訪れたのは2005年2月。3歳の愛子内親王を伴い、
一家揃っての初めてのスキー静養となった。
当時公開された映像には、幼い愛子内親王と満面の笑みでスキーを楽しむ雅子妃が映っている。
適応障害の発表から半年後だっただけに、その姿に多くの国民が安堵した。
ところがその直後、雅子妃は予定されていたスペシャルオリンピックスの視察を欠席。
「スキーは笑顔で滑れるのに公務はできないのか」と批判が起きた。それ以来、スキーは注目の的なのだ。
※週刊ポスト2015年3月27日号
http://www.news-postseven.com/archives/20150316_309728.html


皇太子一家のスキー旅行 「遊び」と「公務」の落差に批判も
2015.04.06 16:00
東宮一家は3月23日から4泊5日の日程で長野県の奥志賀スキー場でスキー旅行を楽しんだ。
10年前からほぼ毎年の恒例となっている旅行である。笑顔のうちに終了した旅行だが、
その一方で宮内庁関係者の表情は晴れない。
「雅子さまや愛子さまがリフレッシュされてお元気になられるのは喜ばしいことだが、
今年は特に間が悪かった。批判の声が大きくなることは致し方ないかもしれない」
宮内庁関係者が懸念しているのは、雅子妃の皇室行事への復帰が必ずしも順調ではないことだ。
東宮一家が長野から帰京した翌日、3月28日の出来事だった。
この日の昼、来日中のデンマークのフレデリック皇太子夫妻が皇居・御所で開かれた昼餐会に招かれた。
天皇は風邪による体調不良が伝えられる中、皇后とともに御所の車寄せに姿を見せて笑顔で
フレデリック皇太子夫妻を出迎えた。
しかしその晩、皇太子主催の晩餐会に出席するため
東宮御所を訪れたフレデリック皇太子夫妻を出迎える皇太子の隣に、雅子妃の姿はなかった。
全国紙皇室担当記者が内情を明かす。
「フレデリック皇太子夫妻の到着時、雅子さまは御所の部屋の中におられたそうで外に出ていらっしゃいませんでした。
理由は明らかにされなかったので、ご夫妻の姿を収めようとした記者の間では“何があったのか”と騒然となりました。
その一方でご自身がメニューを考案されたという晩餐会には出席されているというので、
“単にお姿を報道陣に撮影されたくなかったのでは”という声も上がっていました」
この件については、東宮職関係者も懸念している。
「ゲレンデには立ってもカメラの前には姿を現わさないということでは、
『遊び』と『公務』の落差に批判の声が高まりかねない」
さかのぼること2か月前の2月6日、「第60回青少年読書感想文全国コンクール」の表彰式に
皇太子が出席した際も雅子妃の姿はなかった。
当日、小町恭士・東宮大夫は欠席の理由について
「雅子さまにご出席の気持ちはあったが、週2回の公務は厳しいと医師が判断した」と説明している。
週2回の公務がこなせない状態で4泊5日のスキー旅行を満喫し、
リフレッシュしたはずなのに海外からの来賓を出迎えることすら十分にできないとなれば、
東宮職関係者が心配するのも仕方ないところかもしれない。
東宮一家のスキー旅行は例年のように物議を醸してきた。奥志賀スキー静養が始まったのは2005年。
2004年に雅子妃の適応障害が発表された直後だっただけに、
笑顔でスキーを楽しむ雅子妃と愛子内親王の姿に国民は胸を撫で下ろした。
ところが、スキー直後に雅子妃がスペシャルオリンピックスの視察予定をキャンセルしたため、
「笑顔でスキーはできても公務はできないのか」との批判が強まった。
以降、愛子内親王の小学校不登校問題の最中(2010年)や天皇・皇后の伊勢神宮参拝時(2013年)など、
例年タイミングの悪さが指摘され、一家に批判が向けられた。
今回もやはり因縁のスキー旅行となってしまったのである。
※週刊ポスト2015年4月17日号
http://www.news-postseven.com/archives/20150406_314318.html

週刊ポスト2015年4月17日号
雅子妃「北陸新幹線貸し切りスキー旅行」と<撮影拒否>の落差
東宮一家はパウダースノーを堪能。
チェックインの前からホテルの上層部を立ち入り禁止にして警備チェックを行い、宿泊中は全館貸し切り。
東宮一家は警備関係者に守られ一般のスキー客からは完全ガード。心置きなくスキーを堪能。
皇太子は8歳からスキーを始め腕前は検定一級程度の上級者。
雅子妃も小さい頃からスキーに慣れ親しまれ、愛子内親王は小学校低学年の頃から上級者コースを滑る腕前。
東宮一家の帰路は長野駅から新幹線。これは北陸新幹線開業で導入された車両。
新幹線のファーストクラスとして話題のグランクロスの設定がない便。
ご一家はグリーン車に乗車。車両ごと貸し切りにされた。(皇室担当記者)