毎日放送の放送法に基づく訂正放送への対応について

毎日放送の放送法に基づく訂正放送への対応について
平成30年1月31日
宮内庁

毎日放送は,平成30年1月9日,TBS系列全国ネットで放映された「教えてもらう前と後」と題する番組において,
天皇陛下が既にご成婚後の昭和38年10月に栃木県奥日光で撮影された皇后陛下のお写真を取り上げ,
「ご・成・婚・前・に・陛下が撮影された美智子さまのお写真」と紹介し,
その取り違いに重ね,撮影に至る経過として,「軽井沢での出会いからおよそ2か月。
美智子さまは陛下から東京で開かれるテニス大会に招待され,
・・・そこで,陛下から『美術展に出品する写真を撮らせてほしい』とお願いされた」とした上で,
更に「陛下はこのお写真に意味深な『女ともだち』とのタイトルを付けて
宮内庁文化祭美術展に出展された」とのあり得ない解説を加えています。

まず何よりも,番組で取り上げたお写真が,ご成婚後4年を経た昭和38年10月に
陛下が当時第二子ご流産後の皇后陛下のご健康をご心配になり,
奥日光の学習院光徳小屋にお連れになった時にご自分でご撮影になったお写真であることは,
既に様々な雑誌でも取り上げられている公知の事実であり,
番組における事実確認が極めて不十分であったことは遺憾であり,
更にはこうした憶測や思い込みが先行して「美術展出展」,
「意味深な『女ともだち』とのタイトル」等あり得ない解説が付され,
その上に立って当日のゲストたちからの発言が行われました。

以上の点については,視聴者からの指摘に基づき,会社として,
放送法に定める訂正放送を行うとして宮内庁に謝罪の申し入れがあり,
その後の番組終了後に,前回の放送で写真説明に間違いがあったとして訂正のテロップが流されました。
しかし,テレビで一度放映されたものに訂正を加えることは,その時々の視聴者も変わることでもあり,
したがって宮内庁としては,改めて以後このような間違いを繰り返さぬよう番組制作者に求めると共に,
せめて制作責任者より当日の司会者,番組解説者である皇室コメンテータの
高清水氏及び当日のゲストコメンテータの諸氏に,このことにつき責任ある説明を行うよう要望しました。

なお,ご成婚前の宮内庁文化祭に,陛下が何であれ「女ともだち」などと題したお写真を
出展なさった記録は勿論ありません。
宮内庁文化祭は,宮内記者も自由に観賞できる行事であり,
仮に,当時お若かったご成婚前の陛下が「女ともだち」と題する写真を出展されていたとすれば,
お后問題への関心が最も高かったその頃,既にその時点で大きな社会的話題となったはずでありますが,
そのような記録は見当たりません。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/taio/taio-h30-0131.html

赤坂御用地での知られざる宴

櫻井翔、三浦春馬、はるな愛も…赤坂御用地での知られざる宴
2017.10.13 16:00

冷んやりとした風やコオロギの鳴く声に秋の気配を感じる頃になると、「秋の園遊会」の季節だ。
今年も11月上旬に開催が予定されている。
園遊会とは、毎年春と秋の2回、東京・元赤坂の赤坂御用地内にある庭園
「赤坂御苑」で開かれる天皇皇后両陛下主催の宴会のこと。
皇族方が一堂に会する重要な行事でもある。

「園遊会は1953年に始まり、60年以上にわたって行われています。
招待されるのは国会議員や各県の知事、議長のほか、芸術、スポーツなど
各界で活躍した人やその配偶者など総勢2000名以上の人たち。
伝統と格式のある園遊会に招待されるのは栄えあることで、
和服姿でビシッと決める女性招待客が多いですね」(皇室ジャーナリスト)

ずらりと並ぶ招待客の前に、両陛下を筆頭に皇族方がゆっくりと歩みを進められ、
お声がけをされて懇談を楽しまれるシーンはテレビでもおなじみだ。
園遊会には芸能人も招待されて花を添える。近年では黒柳徹子(84才)、北大路欣也(74才)、
松任谷由実(63才)、EXILE・HIRO(48才)ら大物が招待客に名を連ねた。
「主催こそ両陛下ですが、招待客を決めるのは“お役所”です。
内閣府が各省庁からの推薦を取りまとめて、宮内庁に招待リストを提出して
招待客が決定されます」(前出・皇室ジャーナリスト)
つまり、招待客と皇族の個人的なつながりは考慮されず、あくまで活躍や話題に応じてお声がかかるのが基本。
その点、昨春の園遊会に招待された黒柳は例外のケースだろう。

「黒柳さんは美智子さまと個人的に長い交流を持たれています。おふたりの年齢は1つ違い。
約40年前に黒柳さんが米国のろう者劇団を日本に招聘した際、
美智子さまが公演を鑑賞されて以来のおつきあいだそうです。
黒柳さんがプライベートで頻繁に皇居に招かれ、
美智子さまとお茶を飲みながら語らわれていることは有名です」(ベテラン皇室記者)

◆御用地内のワインパーティー
ほとんど知られていないが、黒柳のように、皇族のお住まいをプライベートで訪れる芸能人は少なくない。
いわゆる“お忍び訪問”である。宮内庁関係者が振り返る。

「2、3年ほど前ですが、嵐の櫻井翔さん(35才)が赤坂御用地を訪ねたところを目撃されています。
御用地内で『園遊会』のようなイベントがあったわけではないので、
宮邸を個人的に訪ねられたのでしょうね」

赤坂御用地は皇居から車で5分ほどの距離にある。
外周約4km・敷地面積約50万平方メートルという緑あふれる広々とした敷地内には、前出の庭園「赤坂御苑」を中心に、
皇太子ご一家の住居である東宮御所や秋篠宮邸、三笠宮邸、高円宮邸などがある。
「赤坂御用地はさながら、“皇族の住宅街”で、皇族同士が思いがけず顔を合わされることもあるといいます。
皇太子ご一家が散歩中に秋篠宮邸を訪れて、お茶を飲まれることもあったそうです」 (前出・皇室ジャーナリスト)
敷地の内外には厳重な警備体制が敷かれており、一般人は許可なく立ち入ることはできない。
ただ、皇族の許可さえあれば、敷地内への立ち入りを許される。芸能人が御用地を訪ねるのは概ねこうしたパターンだ。

「皇太子ご一家や秋篠宮ご一家は立場や格式もあるので、
世間的に目立つような芸能人との交流はご遠慮されているようです。
その一方で、三笠宮家や高円宮家の皇族方は比較的ご自由に芸能人とも交友関係を持たれているそうですね」
(別の宮内庁関係者)
たとえば、高円宮妃久子さまは交友関係が広いことで知られる。久子さまは日本赤十字社名誉副総裁に加え、
日本サッカー協会名誉総裁、日本ホッケー協会名誉総裁などスポーツ界とのかかわりが深く、
各種イベントやパーティーで幅広く交流活動を行っている。

「ワインを嗜むのが好きな久子さまはとても社交的なおかたで、
赤坂御用地内の高円宮邸に各界のお客さまを招待してよくパーティーを催されていますよ。
その場には政財界の名士のかたがたのほか、芸能人のかたが出席されて
久子さまと交流されることもあるそうです」(前出・別の宮内庁関係者)

三笠宮家には彬子さまと瑶子さまの2人の女王がいらっしゃり、それぞれに幅広い交友関係をお持ちだ。
「俳優の三浦春馬さん(27才)は数人の関係者たちと一緒に、三笠宮邸にご招待されたことがあるそうです。
また別の機会には、有名ハーフモデルタレントや若手人気ロックバンドのメンバーを赤坂御用地で見かけたことがあります。
彼らも三笠宮邸で女王さまが開かれたパーティーに出席されたそうです」(前出・宮内庁関係者)

◆歌舞伎役者やはるな愛も…
この9月には、市川海老蔵(39才)の息子の勸玄くん(4才)と伯母の
小林麻耶(38才)が赤坂御用地を訪ねたという。
「麻耶さんと勸玄くんは、高円宮家の承子女王や絢子女王とご縁があるようです。
そもそも伊勢神宮で奉納の舞をしたり、皇室をテーマとする作品も多いため、
伝統芸能と皇族のかかわりは深い。
海老蔵さんの母・希実子さんが学習院大を卒業された縁で、
成田屋には学習院関係者だけで組織された特別後援会があり、そこが皇族とのルートになることもあるそうです。

彬子女王の歌舞伎好きも有名で、亡くなった中村勘三郎さんとは家族ぐるみのつきあいでした。
彬子女王は、勘三郎さんの息子・勘九郎さん(35才)や市川染五郎さん(44才)とも懇意にされています」
(梨園関係者)

“変わり種”ではニューハーフタレントのはるな愛(45才)も、ある女王と親しいそうで、
パーティーなどでしばしば宮邸を訪れるという。
なぜ女王たちは芸能人と親しくなるのか。前述の久子さまのように、
皇族はさまざまな団体のイベントやチャリティー活動に出席するため自然と交流範囲が広がり、
著名人と知り合う機会が多いことが1つの理由だ。
「若い女王たちは夜遅くまで御用地の外で飲まれることもありますが、
立場やセキュリティーの関係で近所の居酒屋というわけにはいかず、
プライベートが守られる隠れ家的な高級飲食店になりがちです。
そういうお店には素性を隠したがる芸能人も集まるので、必然的に出会いの機会が増えるそうですよ」
(前出・別の宮内庁関係者)
ちなみに嵐・櫻井が赤坂御用地を訪れたのも、ある女王に招待されたからだとか。
愛子さまは音楽番組をよく見られ、学校ではご学友と嵐のメンバーの話をするそうだが、
ひょっとしたら、御用地でバッタリ遭遇したことがあるのかもしれない。

※女性セブン2017年10月26日号
http:// www.news-postseven.com/archives/20171013_620659.html

「平和」軽井沢で体現した陛下 悠仁さまが引き継ぐ思い

「平和」軽井沢で体現した陛下 悠仁さまが引き継ぐ思い
島康彦、多田晃子、中田絢子、緒方雄大
2017年12月22日18時19分

1枚の珍しい写真が残されている。民家のソファに腰掛けているのは、皇太子時代の天皇陛下だ。
かたわらには皇后さま、長女・紀宮さま(黒田清子さん)。
陛下はテーブルに並んだゼンマイやレタスなどに「おいしいですね」と舌鼓を打ち、
近所の人も交えてだんらんした。

1988年8月、長野県軽井沢町の大日向地区にある井出久次さん(91)宅を訪れた時の一コマだ。
両陛下はその前から何度も、浩宮(皇太子)さまや礼宮(秋篠宮)さま、清子さんを大日向地区に連れ出し、
牛とたわむれさせたり、地元の子どもたちと交流させたりした。井出さん宅には計3度足を運んだという。
清子さんについては幼いころ地元の保育園にも通わせた。同園で給食を作っていた小須田愛子さん(88)は
「知らない子ばかりのなかでも泣いたり甘えたりすることなく、
配膳や昼寝をするなど皆と同じように過ごしていた」と振り返る。
住民との交流には、一般社会の生活を学ばせるほかに、もうひとつ、大きな意味があった。
同町の大日向開拓地は戦後、旧満州から引き揚げた人たちが入植した場所だ。
宮内庁幹部は「貧しさの中、集落を作り上げた開拓地の歩みを伝えようというお気持ちだったのでは」と推し量る。

戦争を知る最後の天皇として、陛下は幼少時から、お子さま方が平和を考える機会を提供した。
大日向地区への訪問だけでなく、沖縄から本土を訪れた小中学生の「豆記者」を毎夏、
軽井沢の静養先に招いて交流させた。
豆記者を引率した元教師の山本和昭さん(87)は、子どもたちと語らい、
披露された琉球踊りに見入るお子さま方の様子が印象的だったという。

それからおよそ半世紀。山本さんにとって、当時のお子さま方の姿を思い出す出来事があった。
2014年8月、東京都内で、戦時中に約1500人が犠牲となった「対馬丸事件」の慰霊の集いが開かれた。
秋篠宮ご夫妻、長女眞子さま、次女佳子さまとともに、長男悠仁さまが出席した。
悠仁さまはスーツにネクタイの正装姿。出席者と黙禱(もくとう)を捧げ、生存者の話に耳を傾けた。
集いを主催した山本さんは「悠仁さまの表情は真剣で、幼い頃の秋篠宮さまに重なって見えた。
陛下の平和への思いが、時代を超えて秋篠宮さまから悠仁さまに継承されようとしていると感じた」。
両陛下が慰霊で94年に訪れた東京・小笠原諸島も、悠仁さまは今年7月、紀子さまと訪れた。
東京から南に約1千キロ。24時間の船旅で父島や母島をまわり、
山歩きの際には塹壕(ざんごう)や軍道、乗り捨てられた軍用トラックなどが点在する戦争の痕跡をめぐった。

皇太子家の長女愛子さまも平和への関心は強い。
今年春、学習院女子中等科の卒業記念文集に、核兵器のない世の中の実現を願う作文を寄せた。
修学旅行で広島市を訪れた経験をもとに「唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、
自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要がある」とつづった。

所功・京都産業大名誉教授は「敗戦を原点に平和への思いを抱いてこられた陛下は、
平和を祈り願い続けることを自らの務めとして様々な場所に足を運ばれた。
それを子や孫に受け継ぐことで、皇族すべてが平和を大事にしている思いとなって体現されてきた。
それが結果的に、国内外の人々の平和を願う気持ちの醸成につながっている」と指摘している。
(島康彦、多田晃子、中田絢子、緒方雄大)
https://www.asahi.com/articles/ASKDK000HKDJUTIL02Q.html

両陛下は、なぜ被災地を巡るのか

天皇、皇后両陛下は、なぜ被災地を巡るのか 皇室担当記者たちが明かす未公開秘話
永井貴子2018.2.24 07:00

天皇、皇后両陛下は、なぜ被災地を巡るのか──。
東日本大震災発生から7カ月後の2011年10月、皇后さまが誕生日に発表した文書をきっかけに、
朝日新聞社会部の皇室担当記者の取材が始まった。
そこからの両陛下の足跡をたどった『祈りの旅』(朝日新聞出版)が発売された。えりすぐりの秘話を紹介する。

「ともすれば希望を失い、無力感にとらわれがちになる自分と戦うところから始めねばなりませんでした」
「このような自分に、果たして人々を見舞うことが出来るのか、不安でなりませんでした」

朝日新聞社会部の北野隆一編集委員は、震災の年の秋、皇后さまが誕生日に公表した文書に胸が詰まった。
被災者に笑顔で接していた皇后さまが、実は内面に葛藤や悩みを抱えていたと知った。
そこからスタートした取材は、朝日新聞の連載「プロメテウスの罠 震災と皇室」
「被災地の両陛下をたどって」「てんでんこ皇室と震災」という形となり、読者に伝えられた。
本書では、宮内庁幹部や、陛下と対面した専門家や政治家、被災者、
復興にあたった自衛官ら多数の関係者への取材を積み重ね、
両陛下の足跡を丹念にたどっている。そこには両陛下の葛藤だけでなく、
平成の皇室を築き上げた両陛下自身の変化も浮かび上がる。
その一部を紹介しよう。

■3月11日午後2時46分
東京都千代田区は震度5強の揺れに襲われた。天皇陛下は皇后さまとともに皇居の宮殿で、その瞬間を迎えた。
宮殿の表御座所の部屋に並ぶ各国元首の肖像写真立てが、激しい揺れで次々と倒れた。
皇后さまはお住まいの御所に戻ったが、天皇陛下は国事行為である、
内閣からの書類に署名押印する「執務」のため宮殿に留まり、
テレビの災害ニュースをじっと見続けた。

テレビ画面に、津波の高さの予想が「10メートル」と表示された。
すると陛下は1993年の北海道南西沖地震で津波に見舞われた奥尻島に触れ、
「沖合で操業していたイカ釣り船は無事に帰ってきたので、沖合まで出られれば大丈夫」と祈るように語った。

■陛下に説明したメルトダウン
あとから明らかになったが、この日の夜には、東京電力福島第一原子力発電所1号機の
メルトダウン(炉心溶融)が始まっていた。
翌12日には、1号機が爆発。発生6日後の3月17日夜に、仙谷由人官房副長官の認証式が皇居で行われた。
式は十数分。あとの30分は、菅直人首相が別室で陛下に震災について説明する時間にあてられた。
菅は秋の退任まで5回ほど内奏し、いずれも震災が話題になった。
陛下は菅に「その都度、熱心に聞かれる」(菅)ので、メルトダウンや、
溶けた核燃料が原子炉の圧力容器の底を突き抜けるメルトスルーの可能性についても話したという。

■原発を見たい
両陛下は那須御用邸の風呂を避難者に開放し、豚肉やソーセージ、
卵など御料牧場の生産物を避難所へ届けるよう手配した。
両陛下のお見舞いは東京、埼玉、千葉、茨城、宮城、岩手と続いた。いよいよ福島県だ。
もっとも時間をかけて準備したのが福島だった。
訪問までに十数人の原発や放射能関連の専門家らの説明を受け、猛烈な勉強を始めていた。
4月20日、東京大学地震研究所の地震火山情報センター長の佐竹健治は、侍従長の川島裕からこんな話を聞いた。

「天皇陛下が、原発を見たいとおっしゃっている」
川島が無理だと答えると、陛下は「自衛隊の飛行機で上空から見るならいいだろう、それでもだめなのか」。
この日、東京電力は福島第一原発の燃料棒の一部溶融を認めた。
22日には20キロ圏が警戒区域に設定され、住民の立ち入りが禁じられた。そんな時期だ。
1986年のチェルノブイリ原発事故。被害を受けた国から訪問客を迎えたときは、
事故の影響や後遺症などについて熱心に話を聞いた。
89年にベルリンの壁が崩れて東西冷戦が終わったあと、陛下がこう言ったのを元侍従長の渡邉允は覚えている。
「これでチェルノブイリみたいなことは起こらなくなるだろう。
情報の流れがよくなり、何が起こったかわからないうちに大変なことになってしまうようなことは」

■狭心症の悪化と手術
狭心症を抱えていた天皇陛下は翌12年2月18日に冠動脈バイパス手術を受けた。
震災前の11年1月の「様子を見る」との判断が、
震災を経た翌年には「手術を受けるべきだ」という判断へと変わった。
記者は、被災地訪問の負担も一因ではと考えた。取材した羽毛田信吾宮内庁長官は、
「心底思いやって、悲しみ、苦しみをともにする。心に重いものを負いながらの訪問であり、
心のストレスは大きかったと思います」と明かした。
さらに、たびたび天皇陛下に「お疲れではありませんか。すこしペースを落としては」と進言したが、
いつも「いや大丈夫だ」という答えだった、とも打ち明けた。
3月4日に退院し、5月12?13日には仙台の仮設住宅を訪れた。
5月16日にはエリザベス英女王の即位60年行事のための訪英を控えていた。
過密日程を心配した奥山恵美子仙台市長は、延期を提案したが、
宮内庁からは「被災地に行かずに海外に行くことはないと陛下はお考えです」と返事が返ってきた。

■ひざをつく
『祈りの旅』では両陛下が被災者の前でひざをついて語りかける姿について、
象徴天皇制を研究する河西秀哉神戸女学院大学准教授らへの取材で検証する。
皇太子明仁さまが1959年10月、昭和天皇の名代として伊勢湾台風の被災地を訪れた際は、
座る被災者に立ったまま話しかけた。
一方、結婚後間もない62年に九州の児童施設を訪れた際、皇太子妃美智子さまは、
児童施設で子どもが横たわるベッドの横でひざをつき、子どもに語りかけた。
結婚後27年の86年。伊豆大島三原山噴火で東京都心に集団避難中の島民を慰問した際、ご
夫妻でひざをつき、被災者と同じ目の高さで話した。91年の雲仙普賢岳での姿勢も同様だ。河西が推測する。

「皇太子は最初は人々との接し方に距離感があったが、
美智子妃の姿を間近で見て、次第にその意識を変化させていったのでは」

国民の側の意識も変化した。93年の北海道南西沖地震で津波などで被災した奥尻島を訪問した際は、
避難所でひざをつく天皇陛下の姿が報道されると、奥尻町役場に批判の電話が殺到した。
しかし町職員によると、2年後の95年の阪神・淡路大震災の際は、神戸市役所にそうした苦情はなかったという。

■追悼
北野編集委員は、本書の完成を見ずして亡くなった人たちを悼む。
そのひとりは、2017年8月、66歳で亡くなった衆議院議員の長島忠美。
04年の新潟県中越地震発生当時、2千人余りの全村避難を決断した新潟県山古志村(当時)の村長だった。
これまで表に出すことがなかった被災地を訪問した両陛下とのやりとりを、北野編集委員の取材に初めて答えた。

被災地で陸海空の自衛隊全体を束ねる統合任務部隊指揮官だった君塚栄治。
自衛隊員も被災したり、遺体捜索の精神的負担に苦しんだと明かした。
11年3月16日に陛下が自衛隊、警察、消防、海上保安庁の順に列挙し
「その労を深くねぎらいたく思います」と語ったビデオメッセージに、
「自衛隊が頼りにされている」と感激した、と振り返っている。君塚は15年12月、63歳で急逝した。
「両陛下が人とふれ合い、言葉を交わした足跡は、本人が生きているときに聞いておかなければ記録に残らない。
そんな当たり前のことに気づかされた」。北野編集委員はそう締めくくった。


【未収録秘話/被災地と皇居を結ぶハマギク 両陛下との「5年後の約束」】

未収録の秘話がある。有名なハマギクのエピソードの後日談を多田晃子記者が取材していた。
岩手県大槌町の海辺に立つ「三陸花ホテルはまぎく」。
両陛下とのきずなであり、ホテルのシンボルとなったハマギク。
天皇陛下の退位が決まったことを受け、このホテルに両陛下の歌を刻んだ歌碑を建設しようと準備が進む。
きっかけは皇后さまの一言だった。

同ホテルの前身「浪板観光ホテル」は東日本大震災で被災。社長だった山崎龍太郎さん(当時64)らが亡くなった。
この年の10月、皇后さまの誕生日にあたって公開された両陛下の写真には、
山崎さんが生前に種を贈ったハマギクの花が写っていた。「両陛下からの激励のメッセージでは」。
ホテルはハマギクを復興の象徴に掲げ、「三陸花ホテルはまぎく」として再建を果たした。
2016年9月、両陛下が岩手県大槌町への訪問で、このホテルに宿泊した。1997年10月に続く2回目の訪問だった。
海岸のハマギクは東日本大震災で半減し、砂浜は地盤沈下していた。
そばで仕えた侍従は、その光景を見た両陛下の様子について、こう明かした。

「言葉もなく、悲しそうな表情でご覧になっていた」
社長の千代川茂さんは両陛下に、5年後にはまた震災前の砂浜に戻ると思っていること、
そして「お越し下さい」と伝えた。
翌日の帰り際、皇后さまが千代川さんに声をかけた。

「5年後ですね」
5年後の2021年は、震災から10年の節目だ。
退位された後も私的なご旅行でいらっしゃることがあるかもしれない。
千代川さんは、万が一の5年後に備えて、お二人の歌碑を建設しようと考えた。
両陛下が訪れた日を、「平成」の元号で記録する予定だ。


【未収録秘話/200人の中からひとりの姿を見つけた天皇陛下】

中田絢子記者は、こんなエピソードを紹介する。
1991年の雲仙・普賢岳噴火災害発生当時、長崎県島原市長を務めていた鐘ケ江管一さん(87)は、
「両陛下には、8回ほど拝謁していますが、1回1回のお話をよく覚えてくださっていた」と明かす。

鐘ケ江さんは噴火災害から約1カ月後に両陛下が現地を見舞った際、現地を案内した。
復興状況の説明を求められ、上京して御所に上がったこともあった。
驚いたのは、鐘ケ江さんが市長を退任後の93年、皇居での清掃ボランティア「勤労奉仕団」に参加した時のことだ。
約200人とともに両陛下と対面した場で、両陛下は鐘ケ江さんを見つけ、歩み寄った。

「ご本をありがとう」
実はこの対面に先立ち、鐘ケ江さんは著書「普賢、鳴りやまず―ヒゲ市長の防災実記763日」を、
宮内庁を通じ、両陛下に贈っていた。
皇后さまは、同伴した長女の紀宮さま(黒田清子さん)に
「この方がヒゲの市長さんで、本を出されたのよ」と紹介してくれた。
鐘ケ江さんが直近で両陛下と会ったのは2014年秋の諫早国体の時だ。
長崎県県議ら約20人がホテル玄関で出迎えに並ぶなか、両陛下は鐘ケ江さんの前でパッと足を止めた。
皇后さまは「ご病気でおられると聞いておりましたが、お元気そうでよかったですね」と健康を気遣った。
数年前にくも膜下出血で倒れたことを、把握していた。
復興状況の説明にあがった時はいつも微に入り細に入り、住民の生活状況についての質問があった。
鐘ケ江さんには、両陛下が長い間、ずっと気遣ってくれていることが伝わってくる。
(肩書は当時、文中一部敬称略)

(構成/本誌・永井貴子)

※週刊朝日オンライン限定記事
https://dot.asahi.com/wa/2018022200020.html

新天皇に覆いかぶさる雅子妃の”心の闇”

新天皇に覆いかぶさる雅子妃の”心の闇”
激務に加えどれだけの夫婦愛を示せるか、新天皇の肩の荷は重い
2018.1.12(金)
末永 恵

日本の「新皇室時代」の到来が近づいている。
光格天皇以来、2世紀ぶり、憲政史上初の生前退位が刻々と迫る中、内外の注目は「雅子皇后誕生」の行方だ。
1月2日、皇居・宮殿で行われた新年一般参賀に、平成で最多の約12万70000人が詰めかけた。

雅子妃のブローチ
雅子妃は新調したロイヤルブルーのドレスに、真珠とダイヤがあしらわれたシルバーのブローチを着用。
同ブローチは、皇太子妃だった頃に皇后の美智子さまが帯留として愛用されていたものだ。
美智子さまからの大切な贈り物であるとともに、同ブローチは、雅子妃にとって、ゆかりのジュエリーだ。
療養中、2013年に、オランダ国王の即位式のため、11年ぶりの海外公式訪問を果たした際に着用していたもの。
「美智子さまから皇后を引き継ぐにあたり、決意の意志が込められているのでは」(宮内庁関係者)と
宮内庁関係者は皇后即位への不安が募る中、期待を高める。

2004年から「適応障害」で長期療養している雅子妃にとってオランダは特別な地で、
雅子妃に理解を示すオランダ王室にとっても、それには「特別な理由」がある。
オランダ王室も、これまで“特殊な家族問題”を抱えてきたからだ。
英国のヘンリー王子が、米国人のメーガン・マークルさんと「国際結婚」することで英国にとどまらず、
世界中から注目を浴びているが、オランダのベアトリックス前女王の夫のクラウス殿下はドイツ人(2002年逝去)。
しかも、元外交官、国際結婚だ。
地質学者として欧州、米国、アジア諸国でグローバル企業や大学で勤務、
欧州の王室ともゆかりのある筆者の友人であるオランダ人は、
元外交官だったクラウス殿下のこれまでの苦悩を次のように話す。
「過去のナチス・ドイツのオランダ侵略の歴史から、反対派のデモ隊が結婚式場の教会に押し寄せ、
爆弾も投下されるなどの大事件が発生。
クラウス殿下は王室入りした後もドイツ人であることから国内から批判を受けた。
それがきっかけで、うつ病、いわゆる“適応障害”を患った時期がある」
「外交官としてのキャリアをなくした上、ドイツ人として批判され、
さらには『女王の伴侶』としてしか評価されなくなったことで、ひどく落ち込んでいった」
雅子妃は、2006年8月にも、オランダ王室の招きで、オランダで静養している。

父親も住んでいるオランダ
オランダには、2003年から同国ハーグの国際司法裁判所判事を務め、同所長を退任した後も
引き続き同裁判所の判事を務めている元外務事務次官の実父、小和田恒氏が住んでいる。
同じ民間人の美智子さまの実家の正田家と違い、婚約当初から皇室や宮内庁人事などで
“小和田家の関与”が取り沙汰される中、小和田氏自らオランダ政府、王室へ働きかけたとも言われている。

しかし、一方で「雅子妃にとっては、クラウス殿下、オランダ王室の存在や配慮が
精神的な支えになったのは間違いない」(宮内庁関係者)。
オランダのベアトリクス前女王とドイツ人のクラウス殿下の子息の
アレクサンダー皇太子(2013年国王に即位)のお妃のマキシマ妃の存在も大きいからだ。
結果的に雅子妃の11年ぶりの海外公務となった2013年の夫、アレクサンダー皇太子(当時)の国王即位式への招待は
「同妃が直接、雅子妃に国際電話して実現したもの」(前出の筆者、オランダ人友人)という。
「同妃は、アルゼンチン出身。さらに、現国王と結婚する前は、
ニューヨークの銀行で働いていた元キャリアウーマン」(同上)でもある。
「マキシマ妃の父上が、アルゼンチンの農林水産相だった頃の政権時の
人権弾圧問題などに関わっていたとされスキャンダルとなったが、
王子が王位継承権を捨てる覚悟で同妃を守り抜き、無事、成婚を果たした」(同上)。
結局、マキシマ妃の父は、結婚式には参列できなかった。
しかし、マキシマ妃は自らの家族のスキャンダルにもめげず、
「今ではオランダ語も堪能になり、持ち前の明るさで、国民の人気も高い」(同上)という。
さらに、「雅子妃は海外では『ミステリアスなプリンセス』と呼ばれているが、
ハーバード卒の元外交官の聡明な妃が、クラウス殿下やマキシマ妃のように難局を乗り越え、
日本の国民にも愛される素晴らしい皇后になっていただきたい」とエールを送る。
ところが、残念ながらことはそう簡単にはいきそうもない。

15年ぶりの出席にネットは炎上
適応障害を患われてから、様々な行動で批判を受けている雅子妃は新年が明けた1月10日、
「講書始の儀」に2003年以来、15年ぶりに出席された。
「講書始の儀」は、年頭に当たって、皇居・宮殿で、天皇、皇后両陛下が学界の第一人者から講義を受ける行事で、
皇太子以外に、秋篠宮ご夫妻ら皇族方が出席して執り行われる。
2019年5月、「新皇后」に即位する雅子妃の15年ぶりの皇室方が会する皇室行事出席だったが、
国民の反応は安堵や喜びもある一方、冷めた批判的なものも多い。ネット上には、次のような書き込みもあった。

「病気とはいえ15年間何してたの? 日本一の医師、環境で治療してもらってて、歓迎されないよね。
これからどの場に出席してもずっと15年ぶり!」
「15年ぶりですか! 毎年、ご出席される方々は、称賛されることがなく、
14年もの間、サボってたこのお方は誉められる。世の中の理不尽さが分かる象徴ですね」
「実家関係者の医師しか診察させず、病気療養中でも遊びは欠かさず、
今頃になって次期皇后になるためのアピールにしか思えない」
「公務はできなくても、豪勢な貸し切りスキーや夏のご静養は皆勤賞!
国民は疑問に思っています。しかも全部国民の血税です!」
「薬物治療もしてるんでしょうが、適応障害の第一選択はその環境を変えること。
公務がストレスならば皇室を離れられた方がいい。
皇后になったらさらにプレッシャーかかりますけど、大丈夫なんでしょうか 」
雅子妃が「適応障害」という病気を患われてから、今年で15年になる。
皇后に即位する雅子妃の健康状態は、国民とともに、新天皇になる皇太子の一番の不安と心配でもある。
雅子妃へのプレッシャーが高まることは避けられない。
海外メディアは、優秀な医師団のもと、20年近く経っても、なかなか病状が良くならないのは、
その原因となるものが複雑化していることも挙げられるだろうと見ている。

雅子妃の病状に影落とす実父
その代表的なのが、雅子妃に対する「実父の影響」だとされている。
新聞記者時代(筆者)、外務省を担当し、同省記者クラブに所属していたとき、ある官僚から次のような話を聞いた。
「雅子妃には典型的な『官僚思考』がある。私の先輩であった小和田氏(雅子妃の父)もそうであったように、
信頼しない人間は、皇族、政府、東宮の人間であっても、関係なく、否定する」
「接触したくない人とは自ら口も聞かないし、交流をもたない。
小和田氏に限らず、エリート官僚に見られる現象だ」とした上、「人を『敵か、味方か』で判断する場合がある」
しかし、皇族になれば立場は全く逆だ。自らの嗜好やムードで、
国民や相手国の賓客に接することは控えるべきで、まして皇后という立場になれば当然だ。
子育てもそうだ。そういった意味で、雅子妃と皇室には、
日本人でありながら歴然とした異文化の障壁が今も立ちはだかっている。
欧州の王室の中でも、英国王室は自立自営だが、日本の皇室費用は宮内庁の予算で賄われ、国民の税金。
今後、天皇・皇后は退位するものの新たに上皇・上皇后として即位し、
さらに秋篠宮は皇太子には就任せず、皇嗣として活動されることになっている。
大幅に拡大する皇室予算を税金でどこまで捻出するか、大きな議論となるのは必至だ。
皇太子も夫として雅子妃の良き理解者になるのは当然だが、
今後は、天皇として雅子妃が、国民の理解を得られ、愛されるように
皇后としての品格、見識ある道に、導かれることが望ましいのではないか。
皇后になれば、「おひとり外交」も増え、洗練された皇室外交を磨かれるのも、そうだ。
2013年のオランダ国王即位式では、日本のメディアこそ他の王族と比較し絶賛していたものの、
全身を覆い、ピルボックス(縁なしの円形帽)をかぶった雅子妃は、1950年代の「尼僧のよう」と酷評され、
「日本の伝統という籠に閉じ込められた可愛そうなミステリアスなプリンセス」と同情を誘った。
アジアにない世界に誇れる日本の皇室であるよう、新天皇となる皇太子が課された皇室の将来と責務を果たすことは、
雅子妃のためにもなるし、夫婦愛でもある。
そして、それは、ひいては、国民への愛を示した皇室の姿でもあるのではないか――。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/52065

幻に終わった皇太子「訪韓」

来春の皇太子さま「訪韓」は実現するのか
(更新 2014/5/30 07:00)
皇太子さまのライフワーク「水の研究」をきっかけに、新たな歴史の一ページが開かれるかもしれない。
日韓国交正常化50年の節目にあたる来年、皇太子さまと縁のある国際会議「世界水フォーラム」が
韓国の大邱(てぐ)市などで開かれるのだ。
両国の長年の宿題だった皇太子「訪韓」が実現するチャンスとなるのか。
もともと同フォーラムと皇太子さまの縁は、第3回が京都で開催された2003年にさかのぼる。
当時、名誉総裁就任と記念講演をお願いしたのだ。
その後も皇太子さまは、06年のメキシコ、09年のトルコと続けて出席している。
フォーラムを主催するシンクタンク「世界水会議」の関係者は、期待を込めて話す。
「今回のフォーラム出席は簡単には進まないかもしれないが、
皇太子さまが参加しなければ、世界中に違和感を示すことになる。
皇太子さまが私的なご訪問としてフォーラムに参加すれば、極めて自然な形で長年の懸案がクリアされるでしょう」
フォーラムに出席すれば、皇太子さまが開会式で短いメッセージを述べたり、
30分ほどの講演をしたりすることになる。
世界水会議の別のメンバーもこう話す。
「元首級の出席者が集う昼食会やレセプションパーティーへの参加が予想されます。
元首級の会議への皇太子さまの出席については毎年、われわれの中で話題に上るのですが、
その場で政治的なメッセージが出されても困る。そういった場とは一線を置いている」
長年水の研究を続けてきた皇太子さまは、国連の「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁の立場で、
同フォーラムに出席している。
「過去の世界水フォーラムでは、皇太子さまへの招請状は、
開催の半年ほど前に日本の外務省宛てに出しています」(前出の世界水会議の関係者)
今年後半には皇太子訪韓の方向性がはっきりする。韓国水フォーラムの事務局の担当者は、本誌の取材にこう答えた。
「日本の皇太子さまが水に関心があるということは知っています。訪韓されたら、それは光栄です。
各国への招待状は政府、外交ルートを通じて送ります。
これから関係部署と詰めながら作業に入りますので、少し先の話になります」
韓国外交筋もこう打ち明ける。
「まだ、(日本の外務省にあたる)外交部に、その案件は届いていないようですが、
皇太子さまが来られることは結構なことだという感触です。
しかし、政府が招請を出すまで、いま少し韓日関係を見極めたいようです」
韓国元外相で、駐日大使を務めた孔魯明(コンノミョン)氏(82)もこう話す。
「あくまで一般論ですが、皇太子さまの来韓は、韓日関係改善への追い風となるでしょう。
しかし、その前にすべきことがある。韓日関係の懸案を解決するためにも、
首脳会談への地ならしを早急に行うべきです」
元韓国大使の小倉和夫さん(75)もこう分析する。
「仮に皇太子さまが世界水フォーラムへ出席したとしても、それは国際会議への出席であって
『訪韓』ではないと、整理して考えることが必要です。それを前提とすれば、実現は可能でしょう」
同時に、小倉さんは次のような心配も口にした。
「まだ南北間の軍事的な緊張は続いていますし、沈没船事故で政権も不安定です。
こうした時期の『皇室外交』では、皇太子の訪韓を利用しようともくろむ勢力も出てくるでしょう。
重要なのは、政治とは無縁な韓国への訪問であると、国民にしっかりと納得してもらうことです」
※週刊朝日2014年6月6日号より抜粋
http://dot.asahi.com/wa/2014052800084.html


幻に終わった皇太子「訪韓」 南北統一しない限り実現不可能?〈週刊朝日〉
(更新 2015/2/19 07:00)
皇太子さまは今月23日、いまの天皇陛下が即位した年齢である、55歳の誕生日を迎える。
この節目に合わせるように、韓国から皇太子さま「訪韓」の招請状が届いた。
これまで何度もその機会はあったが、今回も日韓関係に改善の兆しは見られず、
平成皇室最大の課題ともいわれた「訪韓」は、幻に終わった。
元朝日新聞編集委員の岩井克己氏は、この「皇太子ご夫妻訪韓」問題を密着して取材してきた。
このとき、宮内庁参与として国際交流の分野で当時の皇太子ご夫妻の相談にのってきたのが、
歴代の韓国大使でもとりわけ韓国側に信頼が厚いと言われた須之部(すのべ)量三氏だった。
岩井氏によれば、須之部氏はこの件を踏まえて、天皇や皇太子の訪韓についてこう述べた。
「訪韓は、南北統一後か、南北同時訪問が実現するような時代にならない限り、難しい」
岩井氏は、正面から天皇、皇后が訪韓すべき重い歴史的課題だけに、
そうした環境にない現状では皇太子さまの「訪韓」は、やめたほうがいいと感じている。
「日韓国交正常化50年、戦後70年にあたる今年は確かに、絶好の節目ではある。
両陛下の年齢を考えれば10年後は難しいかもしれない。
しかし、節目の年でなくても両陛下が自ら訪韓される環境が整う可能性も消えてはいません」
ときに皇室は「最強の外交カード」(外務省関係者)とも称される。
自らがどのような立場に置かれても、両陛下をはじめ皇族方のスタンスは一貫して変わらない。
人びとに寄り添い、対話を続ける。
皇室は長い間、韓国への想いを示してきた。
戦前に梨本宮方子(なしもとのみやまさこ)女王(李方子[イバンジャ]さん)が朝鮮王室に嫁ぎ、
「日韓の架け橋」と呼ばれ、戦後も三笠宮ご夫妻や秩父宮妃が私的に訪韓するなど交流は続いた。
そして02年のサッカーW杯では高円宮ご夫妻が皇族として、初の公式訪問を果たした。
07年には、高円宮家の次女、千家典子さんも韓国を私的に旅行している。
両陛下は、皇室と朝鮮半島とのゆかりについて、幾度かお言葉で触れた。
天皇陛下は、01年の誕生日前の会見や10年の平城遷都1300年記念祝典で、
「桓武天皇の生母が百済(くだら)の武寧(ぶねい)王の子孫であると、
続日本紀(しょくにほんぎ)に記されている」と述べている。
皇后さまは、90年に、こんな歌を詠んでいる。
対馬より釜山(ふざん)の灯(あかり)見ゆといへば韓国の地の近きを思ふ
隣国はいつまで、近くて遠い国であるのだろうか。
※週刊朝日 2015年2月27日号より抜粋
http://dot.asahi.com/wa/2015021800057.html

共産党が皇室に急接近

【高木桂一の『ここだけ』の話】
2015.6.16 11:00更新
共産党が皇室に急接近した瞬間を激写!!「次の狙いは佳子さまだ」 
でも国歌斉唱では口を閉ざしたまま…
さる5月25日に開かれた千鳥ケ淵戦没者墓苑拝礼式で、
共産党の小池晃副委員長が秋篠宮ご夫妻と同席した。
皇室への“接近”をはかる革命政党の戦略を示すものだが、
産経新聞は拝礼式での「歴史的瞬間」をカメラに収めた。
そこで見えたのは、共産党の隠しきれない“本性”だった。
厚生労働省が主催する拝礼式は昭和40年から皇室の方々が臨席されて毎年開かれている。
各政党は欠かさず代表者を出席させてきたが、共産党は昨年5月26日の拝礼式に初めて参列し、
小池氏が代表として秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまと同席した。
共産党は皇族の方々が臨席されるため約50年の長きにわたって拝礼式への参列を見送ってきたが、
昨年、ついに「禁」を破ったのだ。
これまで皇室と距離を置いてきた共産党にとっては
史上初めて能動的に皇室の方々と同じ舞台に立つという歴史的な出来事だった。
厚労省の担当者も事前に共産党から「出席」を伝えられ、耳を疑ったほどの“事件”だった。
このところ国政選挙で「躍進」を続けて意気上がる共産党だが、
志位和夫委員長ら指導部がさらなる党勢拡大に向け
「共産党イコール天皇制打倒」のイメージを抱く多数の国民の
“共産党アレルギー”をやわらげることが不可欠だと判断していることは言うまでもない。
「機関紙『しんぶん赤旗』の部数は増えていないのに、選挙の得票は増えている」と共産党関係者はいう。
従来のコアな支持層以外の有権者が共産党になびいてきているという分析だが、
“ゆるい支持層”をさらに引き寄せるには「普通の政党」「大衆政党」といったイメージを拡散していくことが
この党の重要な戦略になっている。皇室との距離を縮める路線はまさにその戦略に沿ったものだ。
ところが昨年5月の歴史的な出来事に関して当時は産経新聞を含めて、
どのマスコミも報じることがなく、見逃してしまった。
共産党幹部に後日、「拝礼式に取材に来ていた記者さんたちも
みんな気がつかなかったねぇ…」と皮肉を言われたほどだ。
ならば“1年遅れ”ででも歴史的な現場に立ち会うしかない。
筆者は、2年連続で千鳥ケ淵戦没者墓苑拝礼式に出席した小池氏の姿を追った。
5月25日正午すぎ、安倍晋三首相のほか、塩崎恭久厚労相や岸田文雄外相ら
閣僚、自民党の棚橋泰文幹事長代理、公明党の山口那津男代表、民主党の岡田克也代表、
維新の党の松野頼久代表、次世代の党の平沼赳夫党首、社民党の吉田忠智党首ら各党代表の中に小池氏がいた。
総勢約600人の参列者が、秋篠宮ご夫妻が到着されるのを待っていた。
やがて秋篠宮ご夫妻をお迎えし、式典が始まる。ご夫妻と数メートル離れた位置に立った小池氏。
冒頭の国歌斉唱の際には起立していたものの、口はしっかり閉ざしたままだった。
周囲がみな「君が代」を斉唱するなか、ただ一人「われ関せず」の模様はやはり異様だった。
小池氏は拝礼式後、「君が代」斉唱を拒否した理由について「内心の自由だから」と筆者に語った。
むろん「君が代」を国歌とすることに強硬に反対し続けている共産党の幹部としては文字通り
“レッド・ライン”なのである。
政府・与党が「日の丸」を国旗に、「君が代」を国歌にそれぞれ法制化する方針を決めた平成11年3月のことだ。
いずれも容認しない共産党の不破哲三委員長(当時)は、「君が代」反対の理由を党の見解としてこう表明した。
「『君が代』という歌は、千年以上前の作者の意に反して、
明治以後、天皇の統治をたたえる歌という意味づけを与えられてきた。
『君が代は千代に八千代に』、つまり“天皇統治は永久であれ”という歌だから、
今の憲法の国民主権の原則と全く両立することはできない」
この不破見解は現在も共産党の公式な立場となっているというから、さすがに党幹部が歌うわけにはいかない。
最近も『赤旗』の「主張」(一般の新聞の社説に相当)で
「『君が代』の強制 いったい誰のための式なのか」(今年3月1日付)、
「大学と国旗・国歌 許されぬ学問と自治への介入」(同5月4日付)と、「君が代」への拒絶を叫び続けている。
共産党の皇室戦略転換の大きな胎動となったのは、平成16年1月の第23回党大会だ。
昭和36年の第8回党大会で採択した党の基本的文書である綱領(いわゆる「宮本綱領」)を全面改定し、
天皇制について「民主主義及び人間の平等の原則と両立しない」と反対姿勢を堅持しつつも、
「君主制を廃止」というそれまでの表現を削除した。
天皇が「憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、
国民の総意によって解決されるべきもの」と明記し、天皇制との共存を容認した。
当時、不破氏が議長として主導したソフト・イメージ路線の象徴だった。ある共産党関係者はこう漏らす。
「佳子さまとの“接点”がもてれば党の大きなイメージアップになる。次の狙いは佳子さまだ」
つまり国民的人気のある秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまの公務で党幹部が同席する機会がつくれれば、
共産党にとってはメガトン級の得点になると皮算用しているのだ。
しかし計算ずくで皇室にじわじわと近寄りながら、
一方で「天皇統治体制が永久に続くことはまかりならぬ」と「君が代」をかたくなに拒否する、
この党の二重基準は何なのか。
5月25日の千鳥ケ淵戦没者墓苑拝礼式で明確になったのは、
皇室を事実上利用してどれだけ「普通の政党」を偽装しようが、革命政党の本質は変わらないということである。
ちなみに「赤旗」は翌5月26日付で「千鳥ケ淵で戦没者拝礼式 小池副委員長が献花」という見出しで
記事を掲載したが、記事では秋篠宮ご夫妻が臨席されたことには一切触れていない。
「実は『赤旗』編集局も昨年5月に小池氏が拝礼式に参列したことを後日知ったため記事にならなかった。
今年初めて取材し記事にした」(共産党関係者)という。
党内には「天皇制打破」を強硬に主張し続けている古参党員も少なくないと聞く。
“皇室への接近”は、多くの党員が目にする機関紙への掲載をはばかる「不都合な真実」なのかもしれない。
(政治部編集委員 高木桂一)
http://www.sankei.com/politics/news/150616/plt1506160002-n1.html

恐ろしい計画?

不仲説ささやかれる”両家”だが…
雅子さま、秋篠宮家・悠仁さまを東宮御所に「ご招待」の理由
2015年11月03日(火) 16時00分
〈週刊女性11月17日号〉

精力的なお出ましで、「本格復帰」への道を歩まれている皇太子妃雅子さま。
前向きな雰囲気が漂うなか、こんな話が持ち上がっているという。ある東宮職関係者が打ち明ける。
「10月27日から秋篠宮ご夫妻がブラジル訪問で不在にされていますが、
皇太子ご一家が秋篠宮家のお子さま方、特に悠仁さまを東宮御所にご招待するプランがあるようなのです」
秋篠宮ご夫妻は、外交関係樹立120年を記念して、ブラジルを公式訪問中。
帰国予定は11月10日で、2週間近く家を空けることになる。
「その間は、お姉さまの眞子さまと佳子さまが、悠仁さまの面倒をみることになりますが、
おふたりとも多忙なので、皇太子ご一家が手を差しのべられることが検討されているようです」(同・関係者)
英国留学から帰国したばかりの眞子さま(24)は、10月に父・秋篠宮さま(49)から「日本テニス協会」の
名誉総裁職を引き継ぐなど、成年皇族としての活動を本格化されている。
11月初旬には、泊まりがけで石川県を訪問し、12月には、中米・ホンジュラスなど
に初の海外公式訪問をされる日程が入るなど、多忙を極めている。
国際基督教大学(ICU)1年の佳子さま(20)も学業がお忙しく、11月中旬から2学期の試験も控えている。
「佳子さまは、10月24日と25日に開かれたICUの学園祭『ICU祭』に両日ともいらっしゃいませんでした。
学業を優先させたのか、ご両親のブラジル出発が直前だったので、
そのお手伝いや打ち合わせなどがあったのかもしれません。
成年皇族として、それだけご多忙だということだと思います」(宮内庁関係者)
その間、宮邸にひとりポツンと残されてしまう悠仁さまを、東宮ご一家がお誘いするという計画なのだが……。
前出の東宮職関係者が、“招待プラン”が持ち上がった理由を説明する。
「そもそも皇太子ご夫妻は、秋篠宮ご一家に愛子さまの面倒をみてもらった“ご恩”があります。
'13年4〜5月にかけて、皇太子ご夫妻がオランダを訪問されていた間、
秋篠宮ご一家は留守番の愛子さまを何度か宮邸に招待し、お相手をして差し上げたのです。
愛子さまは、たいそう楽しいひと時を過ごされたようで、皇太子ご夫妻は深い感謝の念をお持ちになり、
今回はご一家が、悠仁さまをご招待しようというのです」
特に皇位継承権を持つ悠仁さまの誕生以降、一部で“不仲”がささやかれることもある東宮家と秋篠宮家の「関係」だが─。
今年の5月には、栃木県の御料牧場で静養中の皇太子ご一家に、
秋篠宮ご一家が合流もされているので、普段から交流は盛んだと思います。
現地では、一緒に牧場内の野菜をご収穫。夜には皇太子ご一家が秋篠宮ご一家を夕食にお招きし、
約2時間にわたって歓談されたという微笑ましいエピソードもありました」(宮内庁担当記者)
雅子さまは今までご体調に波があるなか、両陛下の結婚記念日や海外王族などを招待する大切な夕食会を
東宮御所で開くときには、メニューや段取りを自らお決めになっている。
「秋篠宮家のお子さま方をランチやディナーに招待するとなれば、
雅子さまはお三方の好き嫌いを含めた入念な準備をされると思います」(前出・宮内庁関係者)
両家のお住まいは赤坂御用地内にあるので、散歩をされている際にバッタリと出会うことも。
行き来されるときは、敷地内でのご移動ですむという。
「悠仁さまが、お茶の水女子大学附属幼稚園時代は、車で紀子さまが同乗できないときは、
佳子さまが付き添われていたこともありました。
今回も、もし悠仁さまが東宮御所に招待されることになれば、ひとりで……というわけにはいかないので、
眞子さまや佳子さまも同行されると思います」(秋篠宮家関係者)
http://www.jprime.jp/tv_net/imperial_household/20315

 
※実際には、親王殿下、内親王殿下が東宮御所に行くことはなく御無事

学生アルバイト スパイ活動

Asagei+
社会
Posted on 2015年6月12日 5:55 PM
“麗しすぎる”佳子さま大フィーバーを辛口論客が切る!
「皇族らしくか20歳の女の子ということを尊重するか」

4月からICUでキャンパスライフを送る佳子さま。
だが、これまでの学生生活は決して順調とは言えないものだった。
学習院初等科から、同中高等科、そして大学へと進学した佳子さまは、
14年8月に突如、中退してしまったのだ。
「13年に米国に短期留学したことで、異文化コミュニケーションなどに関心を持ちました。
サークルの新歓コンパの様子が報じられ、母の紀子さまにサークル活動を禁止されたことも
中退のきっかけになったようです。姉の眞子さまが卒業したこともあり、
留学生も多く自由な校風のICUに魅力を覚え、編入を目指しました」(宮内庁関係者)
特別入学選考により、ICUに合格した佳子さま。
宮内庁により合格が発表された10月以降、前年比で一般入試の受験者数は約20%も急増した。
入学後まず注目されたのは、そのファッション。
入学当日こそ、プリンセスらしい清楚な服装だったが、翌日はかなりカジュアルな服装。
さらに、5月15日からの1泊2日の八ヶ岳で行われた校外合宿に参加した時にはこんな姿が見られた。
「青を基調にしたチェックのタンクトップという服装でした。
母親である紀子さまと激しく口論したようです」(宮内庁関係者)
今どきの大学生としてはごく普通の服装とはいえ、やはり宮内庁は苦言を呈したという。
皇室に詳しい神道研究家の高森明勅氏はこう擁護する。
「皇室ジャーナリストや識者の『プライベートでも皇族らしく』
『品位のある服装を』と佳子殿下を非難するコメントを目にします。
これこそ本末転倒でしょう。20歳の殿下にはある程度のプライバシーを認めるべきで、
逆に周囲は『それを報道することこそ異常』だとたしなめるべきでしょう」

しかし、女性週刊誌記者は「佳子さま報道」の現状についてこう明かす。
「各女性週刊誌では、皇室担当記者が佳子さまを徹底マークしています。
ICUの学生をバイトとして雇い、『今日はベンチでジャニーズ風の男子学生と談笑していた』
『学食でしょうが焼き弁当を食べていた』など、キャンパス内での様子を逐一、報告させているところもあります」
学内でこうした“スパイ活動”まで行われている報道の過熱ぶりに、高森氏はこう苦言を呈する。
「佳子殿下は内親王であり、他の宮家と比べてもおのずと注目が集まるのは当然でしょう。
しかし、報道の実情を見ると、新しくスタートした大学生活や周囲との健全な関係を
阻害するような取材活動が行われている一面もあります」

国際政治学者の藤井厳喜氏が続ける。
「現在はスマホさえあれば、誰でも佳子さまの日常をまる裸にして拡散できる時代。
マスコミもパパラッチ化しており、それも一般人を巻き込んだ報道合戦に拍車をかけるおそれがある。
これはまことにゆゆしき事態です」

皇室は開かれるべきか、荘厳であるべきか──論客たちの激論は続く。

http://www.asagei.com/excerpt/37616

雅子さま 愛子さまのご学友から将来の同級生女官をご希望か

雅子さま 愛子さまのご学友から将来の同級生女官をご希望か
2013.06.17 16:00
皇太子妃雅子さまは、愛子さまの将来に思いを馳せ、ある計画を秘かに進められているという。
雅子さまは最近、愛子さまの同級生のママ友と児童を定期的に東宮御所に招き、
情報交換や世間話をされるなどして、親交を深められている。
「雅子さまは子供たちやママ友との時間をとても大切にされているようです。
もちろん友好を深めるのが最大の目的ですが、それ以外にもお考えがあるようです。
というのも、雅子さまは“将来、愛子さまが成年皇族となった際に、今仲よくしているお友達の中から、
女官として愛子さまに仕え支えてくれる人が現れてほしい”という思いを強く持たれているんです」(宮内庁関係者)
そのため、今から雅子さまはママ友やご学友たちとの信頼関係を築き上げ、将来への布石にしたい、
とお考えなのだという。
「もちろん、愛子さまはまだ小学生ですから、現実的には成人なさってからということでしょうが、
雅子さまは、何よりも母親として“愛子さまを理解し、支えてくれる味方を”
という思いを強くなさっているのかもしれません」(前出・宮内庁関係者)
皇室典範改正に消極的な安倍晋三首相(58才)が、「女性宮家創設論」を白紙に戻したとはいえ、
今、次世代の男性皇族は、秋篠宮家の長男・悠仁さまだけである。となると、将来的に愛子さまに対する、
悠仁さまを支える皇族としての期待は、いやが上にも高まることになるだろう。
「現状では、女性天皇の可能性も完全になくなったわけではありません。
またいつ女性天皇論が再燃するかわかりません。皇室典範が改正されれば、愛子さまは降嫁されることなく、
皇室に留まられることとなります。
となれば、“お側に愛子さまが信頼できる人間を置いてあげたい”と雅子さまがお考えになるのももっともです。
なぜなら、雅子さま自身、皇室に嫁がれて以来、前例を重んじる組織と向き合われ、
味方も少なく苦悩し続けたという思いがおありだからです。
ですから、“将来、愛子さまを助け、力となってくれる信頼できる人を”と考えられるのは、
無理もないことのような気がします」(前出・宮内庁関係者)
http://www.news-postseven.com/archives/20130617_194346.html