皇太子一家恒例の奥志賀スキー旅行 宮内庁内部で波紋広がる

皇太子一家恒例の奥志賀スキー旅行 宮内庁内部で波紋広がる
2015.03.16 16:00
10年前から皇太子一家の“恒例行事”となってきた「奥志賀スキー旅行」が月末に行なわれる。
しかし、この旅行は雅子妃の適応障害が発表された2004年以来、常に騒動の火種となってきた。
すでに今年も「冬の恒例行事」は宮内庁内部で波紋を広げている。
「東宮一家は私的な動静をほとんど公にしませんが、今年も3月23日から27日まで
4泊5日の日程で長野県の奥志賀高原スキー場を訪問する予定です」(宮内庁関係者)
2月6日、『第60回青少年読書感想文コンクール』の表彰式とパーティに皇太子が出席したが、
隣に雅子妃の姿はなかった。その日、小町恭士・東宮大夫は定例会見で、
「雅子さまにご出席の気持ちはあったが、週2回の公務は厳しいと医師が判断した」と欠席の理由を説明している。
雅子妃は週2回の公務をこなせない状態でスキー旅行に出掛けることとなる。
病気が病気だけに仕方ないとしても、これが毎年、物議をかもしてしまう。
タイミングも悪かった。同時期には天皇・皇后が3泊4日の日程で栃木県御料牧場を視察する予定が組まれている。
皇太子は2月23日の誕生日会見で天皇の公務軽減を弟の秋篠宮とともに果たしていくことを改めて語り、
雅子妃の病状については、
「体調を整えながら、引き続き、焦らず慎重に、少しずつ活動の幅を広げていってほしい」と述べた。
その直後のスキー旅行に、前出の宮内庁関係者は深いため息をつく。
「雅子妃がお元気で活動的になられるのは喜ばしいが、
過去にも奥志賀へのスキー旅行は騒動の原因になってきた。また批判の的になるかと思うと心苦しい」
昨年のスキー旅行は、式年遷宮を終えたばかりの伊勢神宮を天皇・皇后が初めて参拝するタイミングと重なった。
そのため、「この時期の私的旅行は控えるべきではないか」との声が上がった。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏が語る。
「今上天皇の皇太子時代は、警備の負担などを考慮して、
昭和天皇・香淳皇后両陛下と皇太子さまご一家が同じ時期に外出することを控えていました。
昨年にしても今年にしても、両陛下のお出ましの日程を考慮せずに日程を決めてしまう皇太子ご一家に
疑問を感じる関係者は少なくないと思います。
プライベートな旅行は結構ですが、両陛下はご静養先でも近隣住民とふれあいの機会をもたれます。
そこに皇太子ご一家と両陛下の姿勢の違いを感じます」
初めて一家で奥志賀を訪れたのは2005年2月。3歳の愛子内親王を伴い、
一家揃っての初めてのスキー静養となった。
当時公開された映像には、幼い愛子内親王と満面の笑みでスキーを楽しむ雅子妃が映っている。
適応障害の発表から半年後だっただけに、その姿に多くの国民が安堵した。
ところがその直後、雅子妃は予定されていたスペシャルオリンピックスの視察を欠席。
「スキーは笑顔で滑れるのに公務はできないのか」と批判が起きた。それ以来、スキーは注目の的なのだ。
※週刊ポスト2015年3月27日号
http://www.news-postseven.com/archives/20150316_309728.html


皇太子一家のスキー旅行 「遊び」と「公務」の落差に批判も
2015.04.06 16:00
東宮一家は3月23日から4泊5日の日程で長野県の奥志賀スキー場でスキー旅行を楽しんだ。
10年前からほぼ毎年の恒例となっている旅行である。笑顔のうちに終了した旅行だが、
その一方で宮内庁関係者の表情は晴れない。
「雅子さまや愛子さまがリフレッシュされてお元気になられるのは喜ばしいことだが、
今年は特に間が悪かった。批判の声が大きくなることは致し方ないかもしれない」
宮内庁関係者が懸念しているのは、雅子妃の皇室行事への復帰が必ずしも順調ではないことだ。
東宮一家が長野から帰京した翌日、3月28日の出来事だった。
この日の昼、来日中のデンマークのフレデリック皇太子夫妻が皇居・御所で開かれた昼餐会に招かれた。
天皇は風邪による体調不良が伝えられる中、皇后とともに御所の車寄せに姿を見せて笑顔で
フレデリック皇太子夫妻を出迎えた。
しかしその晩、皇太子主催の晩餐会に出席するため
東宮御所を訪れたフレデリック皇太子夫妻を出迎える皇太子の隣に、雅子妃の姿はなかった。
全国紙皇室担当記者が内情を明かす。
「フレデリック皇太子夫妻の到着時、雅子さまは御所の部屋の中におられたそうで外に出ていらっしゃいませんでした。
理由は明らかにされなかったので、ご夫妻の姿を収めようとした記者の間では“何があったのか”と騒然となりました。
その一方でご自身がメニューを考案されたという晩餐会には出席されているというので、
“単にお姿を報道陣に撮影されたくなかったのでは”という声も上がっていました」
この件については、東宮職関係者も懸念している。
「ゲレンデには立ってもカメラの前には姿を現わさないということでは、
『遊び』と『公務』の落差に批判の声が高まりかねない」
さかのぼること2か月前の2月6日、「第60回青少年読書感想文全国コンクール」の表彰式に
皇太子が出席した際も雅子妃の姿はなかった。
当日、小町恭士・東宮大夫は欠席の理由について
「雅子さまにご出席の気持ちはあったが、週2回の公務は厳しいと医師が判断した」と説明している。
週2回の公務がこなせない状態で4泊5日のスキー旅行を満喫し、
リフレッシュしたはずなのに海外からの来賓を出迎えることすら十分にできないとなれば、
東宮職関係者が心配するのも仕方ないところかもしれない。
東宮一家のスキー旅行は例年のように物議を醸してきた。奥志賀スキー静養が始まったのは2005年。
2004年に雅子妃の適応障害が発表された直後だっただけに、
笑顔でスキーを楽しむ雅子妃と愛子内親王の姿に国民は胸を撫で下ろした。
ところが、スキー直後に雅子妃がスペシャルオリンピックスの視察予定をキャンセルしたため、
「笑顔でスキーはできても公務はできないのか」との批判が強まった。
以降、愛子内親王の小学校不登校問題の最中(2010年)や天皇・皇后の伊勢神宮参拝時(2013年)など、
例年タイミングの悪さが指摘され、一家に批判が向けられた。
今回もやはり因縁のスキー旅行となってしまったのである。
※週刊ポスト2015年4月17日号
http://www.news-postseven.com/archives/20150406_314318.html

週刊ポスト2015年4月17日号
雅子妃「北陸新幹線貸し切りスキー旅行」と<撮影拒否>の落差
東宮一家はパウダースノーを堪能。
チェックインの前からホテルの上層部を立ち入り禁止にして警備チェックを行い、宿泊中は全館貸し切り。
東宮一家は警備関係者に守られ一般のスキー客からは完全ガード。心置きなくスキーを堪能。
皇太子は8歳からスキーを始め腕前は検定一級程度の上級者。
雅子妃も小さい頃からスキーに慣れ親しまれ、愛子内親王は小学校低学年の頃から上級者コースを滑る腕前。
東宮一家の帰路は長野駅から新幹線。これは北陸新幹線開業で導入された車両。
新幹線のファーストクラスとして話題のグランクロスの設定がない便。
ご一家はグリーン車に乗車。車両ごと貸し切りにされた。(皇室担当記者)

天皇、皇后両陛下が自然観察会で見せた“神対応”

天皇、皇后両陛下が自然観察会で見せた“神対応”
永井貴子2018.5.21 07:00週刊朝日

ヒマラヤ杉やフウの巨木が空に向かって伸び、足元には、
寄り添うように伸びた二人静やノイバラが白い花を咲かせる。
都会のど真ん中に位置する、皇居吹上御苑。
皇居全体の面積は東京ドーム25個分の約115万平方メートル。
5千種の動植物が残る吹上御苑の自然を、「国民と分かち合いたい」という天皇陛下の意向を受けて、
一般の人びとを招いての自然観察会が毎年開催されている。
5月4日の観察会。コースを歩き終えた参加者が滝見口門で汗を拭いていると、宮内庁職員が明るい声で呼びかけた。
「皆さん。サプライズがあります」

天皇陛下と美智子さまがこちらに向かって歩いてくるではないか。
おふたりは素早く二手に分かれて、「どこからいらしたの?」
「どんな花がありましたか?」と、参加者に話しかけている。
「昔はここはゴルフ場があってね」
と陛下自ら皇居の解説までしてくださるではないか。
続けて陛下は中学生くらいの女の子に、「いつも何をやっているのですか?」と優しげに話しかけた。
「ブカツです!」
「……」
きょとんとした表情の陛下。どうやら、「部活」という単語になじみがなかった様子。
女の子の父親が、「クラブ活動です」と補足すると、
「ああ、そうですか」
照れくさそうな、恥ずかしそうな表情を見せる陛下。今度は、美智子さまの周囲が騒がしくなった。

「虫が……」「ほんと!」。
おばちゃまたちが、美智子さまの肩に触れんばかりに手を伸ばして虫を追い払っている。
お付きの人も驚いたのだろう。慌てて虫よけらしき傘を持ってきた。
しかし、当の美智子さまは全く動じない。
優雅な仕草で両手を胸に寄せると、虫を避けるように肩をすくめて、にっこりとほほ笑んだ。
「ありがとう」

さらに神対応は続く。
参加者は2台のバスで門から窓明館へ戻ることになっている。
発車したバスから後ろを振り返ると、なんと両陛下がバスに向かって手を振っている。
おふたりのお手振りは、バスが見えなくなるまで続いたという。(本誌・永井貴子)

※週刊朝日 2018年5月25日号

https://dot.asahi.com/wa/2018051800014.html

香淳皇后と美智子さま

皇室ジャーナリストがぎくり 天皇一家にあった嫁姑バトル
(更新 2014/9/26 07:00)
皇后・美智子さまは今年10月で80歳、傘寿を迎えられる。ジャーナリストの渡邉みどりさん(80)が、
テレビ中継で飛び込んだ衝撃的な映像を振り返る。

*  *  *

昭和50(1975)年9月30日。昭和天皇と香淳皇后が戦後30年の節目に、アメリカ訪問にご出発になる日でした。
日本テレビのディレクター職にあった私は、ご出発の様子をニュースで中継するために、
音声担当など十数人のスタッフと早朝から千代田区麹町近くにあった社屋内の副調整室に詰めていました。
この時にモニター越しに目に飛び込んだ衝撃的な映像。
危うくテロップの指示を間違えそうになったことを覚えています。
そのシーンを振り返ってみます。羽田空港で待機する特別機のタラップの脇には
皇太子ご夫妻(現・天皇、皇后両陛下)、常陸宮ご夫妻、秩父宮妃、高松宮ご夫妻、三笠宮ご夫妻、
そして三木首相ご夫妻の順に並んでおられました。昭和天皇、香淳皇后がいよいよ機内にお入りになるとき、
おふた方は、宮様方のごあいさつに対し丁寧に返礼をなさいます。
特に昭和天皇は美智子さまにお辞儀をされた後、皇太子殿下に「あとをよろしく頼みますよ」というように
深く頭を下げられ、皇太子さまも父君に「お元気で」といったご様子で最敬礼なさいました。

次の瞬間、モニターを見ていた私は、ぎくりとしました。
数歩遅れた香淳皇后は常陸宮さまにゆっくりとお辞儀をなさったあと、
美智子さまの前を、すっと通り過ぎて皇太子さまに深くお辞儀をされたのです。
モニターの画面に映る映像は、後ろ姿でしたが、素通りされたのははっきりわかりました。
香淳皇后は手に、つい先ほど美智子さまから贈られたカトレアの花束をお持ちでした。
そのまま、美智子さまにも、深々とお辞儀をなさるとばかり思っていましたのに。

この「天皇訪米」の一部始終の映像はテレビで日本中に放送されたのです。
私自身その時は、昭和天皇の訪米という歴史的なニュースを無事に中継することで、頭がいっぱいでした。
昭和天皇と香淳皇后がご出発したあと、思わずスタッフと顔を見合わせて、「お気の毒に」とつぶやきました。
東宮ご一家に長年仕えた浜尾実元東宮侍従は当時、私の取材に対しこう話してくれました。
「私もテレビを見ていて驚きました。東宮侍従をしていたころ、美智子さまのお供で吹上御所に行った時など
何か皇后さまの態度がよそよそしいことは感じたことがありました。それは美智子さまの人間性というより、
そのご出身(平民)が美智子さまを孤立させることになっていたんだと思います。
ただ、あのお見送りの時は人前で、それもテレビカメラの前のことですからね。
美智子さまはやはり大変なショックをお受けになったと思いました」

美智子さまのご苦労については、昭和天皇の侍従長であった入江相政氏が残した昭和42(67)年11月13日付の
日記にも記載があります。美智子さまは、入江氏に、胸の内を吐露しています。

<三時半から五時四十分迄二時間以上、妃殿下に拝謁(はいえつ)。(中略)
終りに皇后さまは一体どうお考へか、平民出身として以外に自分に何かお気に入らないことがあるか等、
おたづね。夫々(それぞれ)お答へして辞去>

皇位継承者である親王を2人もお産みになっていても、ここまでご苦労なさるのかと感じました。
高松宮ご夫妻に取材した際など、喜久子妃は美智子さまのことを、
「あまり気をお使いになるからお痩せになるのよ。おしおらしい」とおっしゃっていたことを記憶しています。
時は流れ、昭和天皇は逝去され、平成の御代になりました。おひとりになった皇太后良子(ながこ)さまは、
皇居内の旧吹上御所にそのままお住まいになりました。

平成5(93)年に、天皇陛下と美智子さまもそれまでの旧赤坂御所から皇居・吹上御苑に完成した新御所にお移りになります。
当時の美智子皇后をお側で支えた井上和子元女官長が先日、亡くなりました。
井上元女官長は当時、私にこう話してくださいました。
「明治の昭憲皇太后さま、大正の貞明皇后さま。近代の天皇陛下の母君のお住まいはお堀を隔てて別のところにありました。
平成に入り、陛下と皇后さまは、良子さま(香淳皇后)に
『スープの冷めない距離』にお住まいになっていただきました。これは、すごいことなのですよ」

平成7(95)年に美智子さまが詠んだお歌です。
 緑蔭
 母宮のみ車椅子をゆるやかに
 押して君ゆかす緑蔭の道

天皇陛下が母君の車椅子を押し親孝行なさっている情景を詠まれたものです。
天皇家のお歌に車椅子が登場したのです。時代を感じ胸が熱くなりました。
皇后美智子さまも折に触れ吹上のバラ園で皇太后良子さまの車椅子を押してご一緒に散歩なさいました。
平成10(98)年6月。英国、デンマークへの外国訪問からお帰りになった時も、同じ光景がありました。
旧知の間柄でおられる英国のクイーン・マザーやエリザベス2世女王陛下の近況をお話しになったのかもしれません。
毎週末、良子さまがお住まいの吹上大宮御所は華やいだ雰囲気に包まれたものでした。
それはお子様やお孫様方のお見舞いがあったからです。
今上陛下と皇后美智子さま、そして孫の紀宮さまは、お庭伝いに吹上大宮御所の良子さまを訪問されたのです。
秋篠宮ご夫妻と幼い眞子さま、佳子さまも、大広間でご一緒にビデオなどをご覧になりました。
昭和天皇が逝去されて10年余りの時が流れた平成12(2000)年6月16日に良子さまは逝去されました。
同年春には97歳のお誕生日をお迎えになり、歴代皇后のなかでは最長寿でした。
人生の最晩年を吹上大宮御所でお過ごしになったことは今上陛下と美智子さまのあたたかい親孝行でした。
黒田清子さんとなられた天皇家の一人娘、紀宮清子内親王は、良子さま逝去の折の印象をこう書かれています。
<陛下が、駆け寄られるように皇太后様のおそばにお寄りになって、じっとその御最期をお見守りになり、
そのお後で皇后様が、丁寧にお掛け布団などをお直しになりながら、「ご立派でいらっしゃいましたよ。」と
ささやくようにおっしゃったその時に、周りの人々の悲しみがふっとあふれるように感じられました。
(以下略)>(『ひと日を重ねて 紀宮さま 御歌とお言葉集』から)
美智子さまはご結婚以来、毎週、昭和天皇と香淳皇后をお訪ねになりました。当時、侍従に取材した限りでは、
お会いになった回数は、昭和と平成を合わせると千回を優に超えたと聞いています。
恩讐(おんしゅう)を超えたご交流が、そこにはあったのでしょう。

※週刊朝日  2014年10月3日号
http://dot.asahi.com/wa/2014092400103.html?page=1

皇太子ご夫妻 子供の日公務

東宮が担当のこどもの日公務 雅子妃体調故か日程発表されず
2015.05.19 07:00
皇室の公務に大きな変化が起きている。
天皇・皇后が担ってきた「こどもの日」「敬老の日」の施設訪問が、
今年からそれぞれ東宮家と秋篠宮家に引き継がれることになった。
今年の分担は皇太子が「こどもの日」、秋篠宮が「敬老の日」。宮内庁が両家と相談し、決まったという。
しかしやはりというべきか、宮内庁関係者は雅子妃の進まぬ公務復帰がもたらす影響に懸念を抱いている。
2つの公務の継承について宮内庁関係者がいう。
「両陛下が毎年大事にされていたご公務でしたが、お2人とも80代になられ、
次世代の皇室を考えてのご決断でしょう。それを重く受け止めた皇太子殿下と秋篠宮殿下は
膝をつき合わせて分担をご相談されたと聞いています。
皇太子さまがこどもの日を選ばれたのは、限られた回数とはいえ
雅子さまがこれまで主に青少年に関する公務に出席されてきたことを勘案されたからと聞きます」
しかしそれほど細心を払って行なわれた引き継ぎにもかかわらず、
「こどもの日公務」の日程は例年より大きく遅れ、本稿締め切りの5月14日に至っても発表されなかった。
宮内庁担当記者が訝しむ。
「ゴールデンウィーク後の東宮大夫会見(5月8日)でも“いつ、どこでやるのか”と質問が出ましたが
“まだ申し上げられません”と返答に窮していた。ゴールデンウィーク前から質問を続けているのに、
ずっとはぐらかされてきた。例年は連休明けすぐに行なわれていました。
昨年は5月8日に葛飾区立花の木小学校を訪問されています」
2013年は5月23日(江東区立越中島小学校)、2012年は6月11日(港区立芝浦アイランドこども園)、
2011年は5月25日(あい・ぽーとステーション子育てひろば)と遅めの日程だったが、
2013年は4月下旬に皇后が頸椎症性神経根症で体調を崩し、
2011、2012年は5月に東日本大震災の被災地を訪問するなどいずれも特別な理由があった。
それ以前は外国訪問などがあったケースを除き、ほとんどが5月前半のうちに行なわれている。
受け入れ先の施設にも4月頃には内々に打診があり、
宮内庁記者会にも公務当日の1週間ほど前に発表があるのが通常である。
記者たちが不安視するのも無理はない。
「5月の東宮ご一家のスケジュールは目立ったものがなく、日程調整の障害になる理由は見当たりません。
ここまで決定が延びたのは、やはり雅子妃の体調が理由なのでしょう」(同前)
※週刊ポスト2015年5月29日号
http://www.news-postseven.com/archives/20150519_323109.html


先延ばしした揚句
香淳皇后の例祭の日に決行


皇太子ご夫妻 子育て支援施設を訪問
6月16日 17時48分
皇太子ご夫妻は、東京都内の子育て支援施設を訪問し、施設を利用する親子らと交流されました。
この訪問は、去年まで毎年「こどもの日」の前後に
子どもの施設を訪ねてこられた天皇皇后両陛下から引き継がれたもので、
皇太子ご夫妻は16日午後、東京・新宿区の子育て支援施設「ゆったりーの」を視察されました。
この施設は、地元の人たちで作るNPO法人が運営していて、ご
夫妻は、0歳から4歳までの乳幼児とその母親合わせて20人が参加した、
絵本の読み聞かせの様子をご覧になりました。
絵本の中では、主人公の猫が履くスニーカーの色が、訪れる場所ごとに変化していく様子が描かれ、
ご夫妻は、子どもたちが読み手の歌に合わせて声を上げたり、手を振ったりするのを笑顔で見守られました。
このあと、ご夫妻は、参加した親子らと交流されました。
皇太子さまは、母親たちに「初めての子育ては大変ですね。私も愛子のことを思い出します」などと話され、
雅子さまは「お子さんは今どんなことに興味がありますか」などとことばをかけられたということです。
ご夫妻とことばを交わした30歳の母親は「雅子さまから『幼稚園の送り迎えやお弁当作りが大変ですね』と
温かいまなざしで話しかけていただき、うれしかったです」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150616/k10010116691000.html

2015.6.16 17:45
皇太子ご夫妻、子育て支援施設をご視察 両陛下のご公務引き継がれ
皇太子ご夫妻は16日、東京都新宿区の子育て支援施設「ゆったりーの」を訪問された。
同施設は0〜5歳児と保護者を対象に、遊び場を提供し、子育ての情報交換や相談などができる。
皇太子ご夫妻は、絵本の読み聞かせの様子を見学した後、利用者らとご懇談。
皇太子さまは「ここにはよく来られるのですか」などと熱心に質問され、
皇太子妃雅子さまは「かわいいですね」などと笑顔で声をかけられていた。
懇談後、雅子さまは「お子さんとの触れ合いが楽しかった」と感想を述べられたという。
天皇、皇后両陛下が毎年続けてきたこどもの日と敬老の日にちなんだ施設訪問を、
両陛下がともに80代となられたため、今年から皇太子ご夫妻と秋篠宮ご夫妻が引き継がれたもの。
初めてとなる今年は、児童施設が皇太子ご夫妻、高齢者施設は秋篠宮ご夫妻が訪問されることになっていた。
http://www.sankei.com/life/news/150616/lif1506160018-n1.html

皇太子ご夫妻、地域一体の子育て支援施設を訪問
皇太子ご夫妻は16日、東京・新宿区の0歳児から利用できる子育て支援施設を訪問されました。
この施設では、乳幼児の一時預かりをするなど健やかな子育てを支援する取り組みを地域一体で進めています。
ご夫妻はまず、読み聞かせの様子を視察し、その後、利用者となごやかに懇談されました。
雅子さまは、自らのハンドバッグに興味を示した子供に「これ何かわかる?」と、優しく話しかけられたということです。
今回の訪問は、両陛下がこどもの日にちなみ、毎年行われてきた施設訪問を初めて引き継いだものです。
(16日17:14)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2518913.html

雅子さま 名画鑑賞も「こどもの日」公務は6月にズレ込み
2015.06.05 07:00
5月25日の夜、閉館後の国立新美術館(東京・六本木)に皇太子夫妻の姿があった。
開催中の「ルーヴル美術館展」を鑑賞する「公務」である。この日の雅子妃は終始にこやかな笑顔で、
日本初公開となるフェルメールの『天文学者』などに見入った。雅子妃の皇居外での公務は
1月に東京・広尾の山種美術館で東山魁夷の特別展を鑑賞して以来、約4か月ぶりだった。
体調回復の兆しと考えれば喜ばしいことでもあるが、ポジティブに捉えている宮内庁関係者は多くない。
「雅子様が美術館にいらっしゃることは、当日に急遽決まりました。つまり、それだけ体調の波が激しいということ。
その日も閉館後で国民の視線に晒されない形でのご公務だったからお務めできたのでしょう。
まだ本格的な公務復帰への道のりは長いと思われます」
むしろ気がかりなのは、本来は5月中に行なわれるはずの重大な公務の日程が
5月28日になっても明らかにされなかったことだ。
天皇・皇后が担ってきた「こどもの日」「敬老の日」の施設訪問が今年から、
東宮家と秋篠宮家に引き継がれることになった。
今年の分担は皇太子が「こどもの日」、秋篠宮が「敬老の日」とされた。宮内庁担当記者が声を潜める。
「分担は宮内庁が両家と相談して決めたのですが、記者会が東宮大夫に何度尋ねても、なかなか日程が発表されない。
天皇・皇后両陛下時代に『こどもの日』の公務が6月になったのは2度しかありません(1992年と2012年)から、
異例といっていい事態です。さすがに6月にはどこかに訪問されるとは思いますが、
引き継ぎ1年目の大事な年に、そんなことになるなんて……。
“一体どうなっているんだ”“雅子様の体調はそこまで良くないのか”と記者の間で憶測が広がっています」
本誌は5月18日発売号で、この「なかなか決まらない皇太子夫妻の公務」をレポートしたが、
それから2週間近く日取りが発表されないとは予想しなかった。
「ご体調がままならないことは仕方ありませんが、
もしご夫妻がそろって『こどもの日』の公務に出席されなければ、両陛下の悲しみはいかばかりか……。
ぜひ一刻も早い実現を願うばかりです」(前出・宮内庁関係者)
※週刊ポスト2015年6月12日号
http://www.news-postseven.com/archives/20150605_326481.html

雅子さまが「こどもの日」公務で見せた”ユーモア”
2015年06月24日(水) 05時00分
〈週刊女性7月7日号〉
「ご懇談中に、雅子さまが持つクラッチバッグに女の子が興味を持つと、
”開けてみる?”という感じで雅子さまが差し出されたので、本当に開けないかドキドキでした」
ご夫妻の間を駆け抜けようとした子が転び、皇太子さまを”支え”にする場面も
そんな微笑ましい話をしてくれたのは、6月16日に皇太子ご夫妻が視察のため訪問された新宿の子育て支援施設
『ゆったりーの』の小原聖子施設長。
雅子さまは、皇太子さま(55)に同行し、施設を利用する母親や子ども、ボランティアと歓談し激励されたが、
今回の訪問の経緯を宮内庁担当記者が説明する。
「そもそもは『こどもの日』と『敬老の日』前後に関連施設を視察する公務として、
天皇・皇后両陛下が平成になって始めたものです。今年から、皇太子ご夫妻と秋篠宮ご夫妻に受け継がれ、
今回は、皇太子ご夫妻が子どもの施設を視察されることになりました。
両陛下のときは5月中の訪問が多かったのですが、6月半ばまで延びたので、
雅子さまのご体調に配慮し、宮内庁も慎重に対応していたのかもしれません」
長期療養に入ってから12年がたとうしている雅子さまにとって、
両陛下から引き継いだ大切な公務は重圧になっていたのかもしれない。
しかし、7月2日から南太平洋の島国・トンガを訪問されることも正式に決まり、雅子さまのご体調は上向きのようだ。
「今年前半の雅子さまは、公の場へのお出ましは限られたものでしたが、
お住まいの東宮御所での接見や説明は例年より増加しました。
そして、5月19日にお忍びで国連大学のインド・ミニチュア絵画展覧会をご覧になったのを皮切りに、
25日には『ルーヴル美術展』に急きょお出かけに。
6月は、雅子さまにとってハードルが高いといわれている宮中晩餐にも出席されるなど、
活動の幅は広がっていると思います」(東宮職関係者)
雅子さまは、トンガではトゥポウ6世国王の戴冠式と、その後の昼食会のみに出席され、
ほかの行事は皇太子さまおひとりでの出席予定だが、
「2年前のオランダ訪問のとき、雅子さまの同行が直前まで決まらなかったことを考えると、
今回、1か月近く前に訪問が決定したことは前進だと思います。
主治医も同行しないということは、それだけ回復傾向にあるといっていいのかもしれません」(前出・記者)
そんな”余裕”が、今回の施設でもみられた雅子さま。小さな子どもでも、”お母さんごっこ”ができる
『ぽぽちゃん』という赤ちゃん人形で遊んでいた女の子が、そのパンツを人形の頭にかぶせていたところ、
「熊ちゃんの帽子をかぶっているのね。お耳が生えてくるかな?」
雅子さまはユーモアを交えながら、そう声をかけられたという。
人形にかぶせられたパンツの裾(穴)部分を熊の耳に見立てて、そう微笑まれたのだろう。
雅子さまの回復ぶりに、皇室関係者がこう期待感を示す。
「今年の『敬老の日』の老人施設訪問は、秋篠宮ご夫妻になっていますが、来年以降は未定です。
実は、どちらを訪問するかは、皇太子さまに一任されているので、
来年は皇太子ご夫妻が老人施設を訪問されるかもしれません」
http://www.jprime.jp/tv_net/imperial_household/14682/

皇室追っかけ女性 写真集を出版し小和田家から礼状が届いた

皇室追っかけ女性 写真集を出版し小和田家から礼状が届いた
2014.08.05 07:00
7月下旬、「天皇皇后両陛下が仙台、気仙沼に行かれるのでお見送りにきました」と
声を弾ませながら東京駅に来ていたのは皇室追っかけ歴21年の西川春美さん(48才)だ。
皇太子妃・雅子さまが皇室に嫁がれたとき、「こんなにキレイな人がいるなんて」と一目惚れし、
追いかけて写真を撮るようになった。
「これまで、北は青森から南は神戸まで遠征しました。資金がないときは東京駅でお見送りし、
戻られたときにお迎えに伺います。必ず持って行くのは、
遠くからでも撮影できるよう望遠レンズがついたカメラ。
待ち時間が多いので、百円均一で買った折りたたみ椅子も欠かせません」(西川さん)
スケジュールを把握するため宮内庁のホームページをチェックしたり
仲間内で情報交換したりするのはもちろん、独自のネットワークで思いもよらぬ情報を入手することも。
「読みどおりに、待ち構えた場所を通っていかれるときほど嬉しいことはありませんね」(西川さん)
追っかけを始めて5年がたった1998年には、皇太子同妃両殿下から声をかけられた。
「長野県の車山高原に行ったとき、山頂で必死におふたりの写真を撮っていたら、
『空気がいいですね』『いいお写真は撮れましたか』とお声をかけていただきました。
緊張しましたが、本当に嬉しかった」(西川さん)
そして2001年、それまで撮りためていた膨大な写真を写真集『あこがれの雅子さま』(徳間書店刊)として出版。
翌年には『愛子さま』(リヨン社刊)を出版した。
「後日、写真集を雅子さまに渡していただけるようご実家の小和田家にお送りしました。
すると数日後、ご両親からお礼のはがきが届いたんです。もうびっくりしました! 一生の宝物ですよ。
そして2003年、皇太子ご一家が葉山で静養されていたとき、皇太子さまが私に
『西川さん、ご出版おめでとうございます』と声をかけてくださったんです! 
私のことを覚えていてくださったんだと感動して、涙が溢れました」(西川さん)
西川さんは自分の体が動かなくなるまで、死ぬまで追っかけを続けると決めている。
※女性セブン2014年8月14号
http://www.news-postseven.com/archives/20140805_269260.html

「平成」を生きる女性皇族の素顔

2018/5/7
文春オンライン
「週刊文春」編集部
眞子さま、佳子さま、愛子さま それぞれのファッション事情
「平成」を生きる女性皇族の素顔――皇室担当記者座談会 #1


ご婚約が内定した秋篠宮家の長女・眞子さま。
ご婚約会見では、「お互いをファーストネームで呼び合っている」など、
お相手の小室圭さんとの仲睦まじい様子が語られた。
そして成年皇族になられ、ますます一挙手一投足に注目が集まる佳子さまと、
高校生になって女性らしさに磨きがかかる愛子さま。
若きプリンセスたちと、昭和世代の女性皇族たちの、ファッションから見える「皇室」とは。

◆◆◆

記者A 眞子さまと小室さんのご結婚への姿勢は、ご両親である秋篠宮ご夫妻のご結婚当時を思い出します。

デスクB 秋篠宮さまは紀子さまの「初恋」のお相手でした。
ご婚約会見で、紀子さまが「礼宮(あやのみや)さま(現在の秋篠宮)が初恋の人ですか?」と記者に質問され、
「申し上げてよろしゅうございますか」と横にいる秋篠宮さまを見つめ、
「はい、そうでございます」と答えられるという名場面もありました。


記者C 眞子さまは、ご婚約会見時にお召しになっていたミントグリーンもよくお似合いでしたが、
寒色がお似合いですね。
佳子さまは逆に、ピンクやうすい黄色など、暖色がお似合いです。

記者A 佳子さまが初めて出席された、2015年6月にフィリピンのアキノ大統領を迎えた宮中晩餐会での
ピンクのドレスは、清楚でとてもよくお似合いでした。
2016年11月のシンガポールのトニー・タン大統領と夫人を迎えての宮中晩餐会でお召しになっていた黄色のドレスも、
佳子さまの魅力を存分にアピールするものでした。

記者C 学生時代の眞子さまは、おしゃれというよりは真面目なタイプ。
ICUご卒業後、イギリスのレスター大大学院に留学されましたが、
2015年9月に帰国された時、急にお綺麗になられたのが印象的でした。

デスクB ご帰国時、アイラインを濃い目に引かれていたのは衝撃でしたよね。
ストレートのロングヘアで前髪をパツッと切りそろえ、
とてもおしゃれになられたな、と。

記者A 小室さんからのプロポーズを承諾し、ご結婚に向けて交際が順調に進んでいた頃だったわけです。

記者C 女性らしさが増したというか。学生時代の眞子さまは、周りに比べても地味なファッションでした。
トレーナーとギャザースカートにフリンジ付きのUGG(アグ)のブーツを合わせるなど、
カジュアルなファッションが多かった。

記者A 佳子さまも私服ではアメカジブランドがお気に入りのようです。
「リトリート」(ICUの新1年生が参加する1泊2日の合宿)で着ていらしたタンクトップは
アメリカンイーグルのものでした。
アバクロンビー&フィッチもお好きなブランドのようです(2015年10月8日号)。

意外と庶民的な佳子さまスタイル
記者C 眞子さまと佳子さまは、以前は休日にお2人で洋服の買い物に出かけられることもありました。
2013年の悠仁さまのお誕生日に際して公開されたご姉弟のお写真で佳子さまがお履きになっていたスニーカーも、
店舗へ買いに行かれたのではないでしょうか。

記者A あのスニーカーは、佳子さま効果で注文が殺到したんでしたよね。
新宿の『ルミネエスト』に店舗がある『ダブルネーム』と、
イギリスの『アドミラル』というスポーツブランドがコラボしてつくった限定品で、
あまりの人気に再販されたのですが、
あっという間に店頭在庫がなくなるフィーバーぶりでした。

記者C お値段も7800円と庶民的な価格。あの時、眞子さまが着ていらっしゃったシャツも
『ダブルネーム』のもので、やはりそんなに高額ではなかった。

記者A お財布などの小物も、イマドキの女子大生に人気のブランド品をお持ちですよね。

記者C 佳子さまが白いミュウミュウの長財布をお持ちになっているのを見たことがあります。
白は日本未発売の商品のようでしたから、
海外のネット通販でお買いになったか、どなたかが海外に行かれた際にお土産にもらったか……。

デスクB 皇族方もネットを活用される時代。昭和の時代とは、買い物事情もまるで変わりました。

記者C 通販サイトなども利用されているようですね。

デスクB 佳子さまは学習院女子高等科在学中も、ごくイマドキの女子高生ライフを満喫されていました。
女子高等科のセーラー服は、基本的に膝下までの長めのスカート、
短めのソックスという恰好を地味に着こなす生徒が多い中で、
佳子さまは膝上15センチはある短いスカートにハイソックスと、垢抜けた恰好で目立っていらっしゃいました。
眉毛も細く整えられ、髪の毛の先をクルンと巻いたりして、
かなりのオシャレさんだと言われていました(2011年12月8日号)。

佳子さまは、愛子さまのオシャレのお手本
記者C 佳子さまは、愛子さまのオシャレのお手本でもあると思います。
折にふれて、佳子さまから愛子さまへ、お洋服や髪型などについて
ちょっとしたアドバイスをなさっているのではないでしょうか。

デスクB 愛子さまから見ると、少し年が上の眞子さまよりも、
年の近い佳子さまの方が話しやすいというのもあるのでしょうが、
お好みも似ていらっしゃるのかも。

記者A 愛子さまは、高校生にも人気のブランド、ケイト・スペードのピンク色の2つ折り財布をお持ちなのですが、
これも佳子さまのアドバイスによるものかもしれませんね。

記者C 2015年、御料牧場(栃木県)でのご静養に向かわれた時の愛子さまの髪型も、
佳子さまのスタイルによく似ていました。
前髪を残し、両サイドを編み込んでいらして、とてもお似合いでした。

記者A 高校時代から佳子さまがお気に入りだった髪型ですね。
歌手のテイラー・スウィフトやパリス・ヒルトンらハリウッドセレブがよくしていた「編み込みスタイル」で、
佳子さまは2012年の悠仁さまのお誕生日に際して公開されたお写真などでも
この髪型をなさっていました(2013年4月4日号)。

記者C ICUご入学のときは佳子さまの「おフェロメイク」が話題になりました。
白のアイライナーでインラインをひく高等テクで、
カラコンもされていたようです。その2年前の学習院大ご入学の時とは違い、
ロングヘアをカールさせた巻き髪も大人びた佇まいでした。

記者A 紀子さまは佳子さまの髪型や服装、門限などについてしばしばお小言をおっしゃっていたといいます。

デスクB 佳子さまの「うるさい!事件」は大きな波紋を呼びました(2015年5月28日号)。

記者A 佳子さまの私生活の振る舞いを巡って、紀子さまが細かいことまで厳しくおっしゃるのに対し、
佳子さまが「うるさい!」と返されることもあったようです。
華美な恰好をなさらない眞子さまに対しても、色々とおっしゃるので、
眞子さまは時折「馬鹿馬鹿しい」と洩らされていたそうです。

http://bunshun.jp/articles/-/6857



雅子さまと愛子さま 母娘「コラボ」ファッションの理由とは
「平成」を生きる女性皇族の素顔――皇室担当記者座談会 #2

眞子さまファッションの大人事情
記者C 眞子さまは、公務で「ミセス」層に人気のあるブランドの服もお召しになりますよね。
落ち着いたシックな洋服がお好みというのもあるのでしょうが、眞子さまは骨格がしっかりしていらっしゃるので、
肩や腕まわりにゆとりのあるデザインの方が、体型が綺麗に見えるのかもしれません。

記者A 私服で肌の露出が多いファッションを好まれる佳子さまとは対象的ですね。

記者C 眞子さまのファッション傾向は、紀子さまの影響が大きいと思います。
ブータンを訪問された時、主婦向け通販サイトで売っているようなコンフォートシューズを履かれていたんです。
しかも色は落ち着いたベージュ。
佳子さまならこういう時、フラットシューズをお履きになるだろうなと、ご姉妹の違いを感じました。

記者A 佳子さまが2014年12月29日のお誕生日に披露されたミキモト製のティアラと勲章、
ローブデコルテ姿は圧巻でした。

記者C 正装の際に着用するティアラを、指名競争入札ではなく、
コンペ方式でデザインなどを含めて審査する方法が初めて導入されました。
学識経験者と宮内庁がデザインや実績、技術などを審査した結果、ミキモトの評価が高かったそうで、
佳子さまご本人が選ばれたわけではないといいますが……。

記者A コンペ方式でティアラを選ぶというのは、直接関わっていらっしゃらないとしても、
佳子さまが「皇室ファッション」に与えた影響はとても大きいと思います。実際、佳子さま報道の過熱ぶりは、
美智子さまご成婚時の「ミッチー・ブーム」以来ではないかといわれています。

デスクB お顔立ちだと眞子さまは秋篠宮さま、佳子さまは紀子さまに似ていらっしゃいますが、
ご性格は眞子さまと紀子さま、佳子さまと秋篠宮さまがそっくりだと思うんです。
もともと眞子さまは“お父さん子”でした。全国各地で開かれる生き物文化誌学会の例会などへ
「眞子も一緒に」とお連れになったり、父娘2人でマダガスカルなどの海外へも旅されました(2017年7月13日号)。

記者C 紀子さまの子育てを拝見していると、“天皇陛下の初孫”というお立場の眞子さまを、
とりわけ厳しくお育てになったのでは、と思うことが多いです。

デスクB 学習院関係者からは、長女の眞子さまを厳しく育てられたのに比べ、
佳子さまはのびのびとお育てになったのでは、という意見をよく聞きますね。
眞子さまは初等科の頃、他の保護者の前で「ごきげんよう、でしょう!」と注意されていたのに、
佳子さまは走り回っても注意されなかったそうです(2015年5月28日号)。

記者A 近年のご家族のお写真を拝見していても、佳子さまはいつもトレンドを意識されたファッションで、
眞子さまはトラッドなスタイルが多いですね。

記者C 紀子さまは、例えばご自分用にお作りになったお着物を
「娘に残したい」ということでお直しをされることもあるそうです。

記者A 眞子さまを拝見すると、黒田清子さん(元・紀宮さま)を思い出します。
清子さんも薄化粧で、服装も華美ではないものがお好みのようですよね。
美智子さまはいつもステキな洋服を着ていらっしゃるので、お若い頃の紀宮さまも、
もっとかわいらしい服をお召しになればいいのに、と思っていました。

デスクB しかし、内親王としてあるべきお姿を、たえずお考えになって行動されていたようにも思いますね。

記者C オーラも違いますね。今は民間人として生活している清子さんは、
スーパーなどにいても、周囲がすぐに気づくそうです。
眞子さまもICUご在学中、目立たない恰好をされているのに、すぐにどこにいらっしゃるか、見つけられました。
逆に「美しすぎる」内親王といわれた佳子さまは、
「今すごく綺麗な子が通ったな」と思って見返したら佳子さまだった、と後から気がつくことも。

記者A そういう意味では、やはりダントツにオーラがあるのは愛子さまです。
人混みでも遠目に見ても、愛子さまはすぐに分かります。
さすがは東宮家のプリンセス、という風格がおありです。

服装にあらわれる それぞれのお心
デスクB 現在病気療養中の雅子さまは、ご結婚当時、
ハイブランドの既製服をお召しになったことでバッシングを受けた時期もありましたね。
記者A 雅子さまは背が高くて手足が長いので、海外ハイブランドの洋服がとてもよくお似合いでした。
新しく洋服をお作りになるのを遠慮されて、独身時代からお手持ちの洋服をお召しになられたのかもしれませんが、
従来の「皇室ファッション」とあまりにかけはなれていたので、驚いた国民も多かったのではないでしょうか。

記者C お顔立ちが華やかなので、雅子さまははっきりした色がお似合いですよね。
一方、紀子さまはどちらかというと淡い色がお似合いで、
美智子さまをお手本に「皇室ファッション」の王道を行くお召し物をお選びになっている印象があります。

記者A 皇族方は、目的なく洋服を新調されません。
雅子さまと比べて、美智子さまや紀子さまの洋服が話題になるのは、お出ましの機会が多いので、
私たちが報道などを通じて目にする回数がそれだけたくさんある、という理由もあります。

記者C 雅子さまは公務やご参拝へいらっしゃれるかどうか、直前まではっきりしない時期が長く続きました。
ご体調を考慮されて、直前までお悩みになるせいか、ドレスを新調される機会も少なかったようです。

デスクB 皇太子妃でいらっしゃるのだから、着ても着なくても新調してしまえばいいという考え方もあるでしょうが、
「着ないかもしれないのに新調するのは申し訳ない」と遠慮されてしまうのでしょうか。
逆に、そんな風に遠慮なさらないご性格だったら、ご回復にこれほど時間がかかることもなかったかもしれません。

記者C 雅子さまは、もともとファッションセンスのいい方なんですよね。
愛子さまが初等科の頃、臨海学校(静岡県沼津市)の遠泳行事を雅子さまが参観されて、
愛子さまの泳がれる姿を見守られたことがありました。
ゆったりとしたシャツに、ワイドパンツをあわせ、
ぺたんこのエスパドリーユをお履きになってサングラスをかけられたお姿は、
外国の避暑地で見るハリウッドセレブのように素敵でした。

記者A 最近では、キャロライン・ケネディ元駐日米国大使のジュエリーと同じものを
雅子さまが身につけられたこともありました。

記者C 「SIRI SIRI」(シリシリ)というブランドのガラス製ネックレスで、
公式のオンラインストアにも「皇太子妃雅子様、
キャロライン・ケネディ元駐日米国大使もお召しになられたジュエリーです」と紹介されていました。

デスクB 日本のガラス職人の伝統的技術が活かされた作品なんですよね。
美智子さまが洋装に和の伝統技法を積極的に取り入れられているのと同じようなお心遣いなのでしょうか。

記者C 最近ようやく、雅子さまもアクセサリーにこだわられたり、洋服を新調されたりするようになりました。
だんだんとお気持ちが洋服にも向くようになったのでしょうか。

記者A 洋服にはお気持ちが現れますよね。
一時期、雅子さまと愛子さまが母娘でお揃いのような服ばかりお召しになっていると指摘されたことがありましたが、
愛娘とお揃いを着ることで、お気持ちを上向きに保たれていたのかもしれませんね。
最近では、皇太子ご一家で洋服の色合いをあわせていらっしゃるときもあり、
ご家族でコミュケーションをとられているご様子がうかがえます。

http://bunshun.jp/articles/-/6861

私家版 平成皇室10大ニュース

「文春オンライン」編集部
2018/05/03

なぜ私たちは「眞子さまと小室圭さんのご結婚」がこんなに不安なのか?
「私家版 平成皇室10大ニュース」座談会 #1

2019年4月30日で突如幕を下ろすことが決まった「平成」。今年は平成最後のゴールデンウィークです! 
3人の識者が平成皇室をふりかえり、ごく個人的に気になったトピックについて語りつくします。

「眞子さまのご結婚延期」に多くの人の関心が
──「生前退位」「女性宮家問題」「人格否定発言」など、平成皇室を揺るがした事件は数多くありましたが、
やはり今は「眞子さまのご結婚延期」(2018年)に注目が集まっていますね。

辛酸なめ子(漫画家、コラムニスト。毎年、新年一般参賀で皇居を訪れている皇室ウォッチャー)  
私、このあと2年間も悩み続けるのが本当につらいので、
日本を出て行ったほうがいいのでは、と思っていました。

――えっ、眞子さまがですか?

辛酸 いえ、すみません。私がです。私自身が「眞子さまのご結婚延期」や
「皇室の将来」で思い悩むことに疲れてしまったので……。
どこか遠い所に行きたくなっています。眞子さまの婚約者である小室圭さんと、
母・佳代さんの写真を見続けていた今年のはじめ、
何か不思議な波動が出ているのか、精神的にどんどんつらくなってしまいました。

河西秀哉(神戸女学院大准教授。象徴天皇制を研究) 
眞子内親王と小室圭さんの2年の結婚延期については、多くの人が関心を持っているようですね。
私には大きな矛盾に見えるのですが、男性皇族と結婚する女性の身辺は
しっかりと調査をして選考に時間をかけるのに、
女性皇族が降嫁する場合は相手の男性のことをそれほど調査していないのではないでしょうか。
黒田清子さん(元・紀宮さま)と結婚した黒田慶樹さんは、
調査をしなくてもいいような人だったから問題はありませんでしたが(笑)。

辛酸 黒田さんは、本当に何も出てこない方でしたよね。
強いて言えば、車の選び方がヤンチャ系だったことくらいでしょうか。

S記者(皇室取材を担当して10年以上のベテラン) 
東京都庁勤務で、とても堅実そうな黒田さんは意外にもスポーツカーに乗っていたんですよね。
 
河西 黒田慶樹さんは秋篠宮の学習院時代の友人だったということで、
皇室の在りようや求められている振る舞いをよく分かっていたことが大きいのでしょう。

辛酸 小室圭さん以上に、母・佳代さんの言動には驚かされることが多いです。
週刊誌報道によれば、小室佳代さんは元婚約者の男性に「今月、苦しいからヘルプしてください」
「十万円ヘルプしてもらえれば」などと電話していたそうで、すごく手馴れています。

河西 ただ私が気になっているのは、小室家が反論できない分、
マスメディアによる報道の仕方が元婚約者の男性の証言に偏り過ぎているのではないか、
という点ですね。

辛酸 「週刊現代」の記事は特に面白かったです。まるで見てきたかのようなタッチで
「語気を強める紀子さまを、秋篠宮は、前髪の間から少し上目遣い気味に見つめていた」
(2018年3月17日号)などと書いていました。

S記者 確かに、週刊誌報道による小室家バッシングは過熱していますね。
しかしこの問題をただの借金トラブルとして片付けることができないのは、
「一時金」が関係しているからなんです。仮に、眞子さまが「一時金はいりません。
それでも私はこの人と結婚します」とおっしゃれば、報道する大義名分を欠くようになると思います。

眞子さまのご婚約に疑問を持つ国民の意見には2つの潮流がある
河西 私は、今回の場合、婚約に疑問を持つ国民の意見に2つの潮流があると思います。
1つは婚約者である小室圭さんの家庭が借金トラブルを抱えていて、
眞子内親王へ支払われる一時金が借金返済のために補填される可能性への不満。
「税金を借金返済に充てるのは許せない」という意見ですね。
もう1つは、女性宮家の問題です。眞子内親王が小室圭さんと結婚して男の子が生まれた場合、
何らかの法整備の後に、眞子さんを皇族に戻し、その子どもや小室圭さんが皇族になる可能性があるのでは、と。
もちろん眞子内親王が降嫁したら、皇籍からは離れて一般国民と同じ扱いになるのですが、
皇族として行っていた公務を委嘱するという話もありますね。そうすると、
皇族に戻す話に現実味がないわけでもない。だから、インターネットを見ていると、
「小室さんとは破談にして、眞子内親王は旧皇族の男性と結婚したほうがいいんじゃないか」という意見は根強いです。

S記者 女性宮家創設の議論は、悠仁さまがお生まれになって以降、ほとんど進展がなく、
眞子さまのご婚約によって立ち消えになってしまったようなものですもんね。
お二人の結婚式は、帝国ホテルで今年の11月4日に行われる予定だったじゃないですか。
私は、NHKの婚約報道を見たとき「これは眞子さまによる『女性宮家ご辞退宣言』だ」と思ったんです。
眞子さまが民間へ嫁がれる以上、秋篠宮家の中で佳子さまにだけ皇室に残っていただくことは難しい。
そうなると、残るは愛子さまお一人だけだと。でも結婚が2年延期になったことで、
もし万が一その間に女性宮家創設の議論が再燃すれば、事態がどう動くか分からないと今では考えています。

辛酸 こういうトラブルが繰り返されると、
日本人の皇室全体への憧れというか、尊敬の気持ちが薄らいでしまいますよね。

河西 小室家を護衛するためのSPにかかっている費用は多額にのぼる、という報道も出ています。

辛酸 まだまだ日本人の中には、天皇陛下や皇族方こそ
素晴らしい人間性をお持ちであってほしいと願う人は多いと思います。
小室圭さんの出現で、いろいろなことが揺らいでしまったように思いますね。
しかも眞子さまは、伊勢神宮祭主になられた黒田清子さんの後を継がれるであろう
「女性皇族のお手本」のような方だったので。

S記者 眞子さまご本人も、傷つかれているのではないかと思います。
最近話題になったのは、眞子さまがご勤務先の「インターメディアテク」のウェブサイトで
お書きになった「キノコ」というタイトルのコラム。
「ところで、あくまで個人的な感想だが、この写実的なキノコ模型、
見て美しいとは感じるものの、美味しそうと感じないのが不思議である。
もっとも、本模型はすべて毒キノコとのことである」とちょっぴりシュールな文章を綴られています。

辛酸 毒キノコの模型を眺めながら、癒されていらっしゃるのでしょうか……。
見た目に惑わされていた、と遠回しにおっしゃっているようでもありますね。
平成を振り返ると、私にとっては「佳子さまブーム」(2015年)のインパクトも大きかったです。
今、イギリスのリーズ大にご留学中ですけれども、小学生のころからフィギュアスケート、
高校から大学にかけてはヒップホップダンスといった「ご自分の見せ方」をだんだんと身につけてこられました。

間もなく帰国される佳子さまがお召しになった「タンクトップ」
辛酸 学習院大を中退される前、2013年夏にボストンへ留学されたときは
一度ぽっちゃりされたんですけれども、気合いで元に戻られて。
さらにアイドル的な可愛さを獲得されて、おきれいになりましたね。
今年の6月以降に佳子さまは帰国される予定ですが、
眞子さまのご結婚延期問題もありましたから、佳子さまにもより注目が集まるのでしょうか。

S記者 佳子さまブームが巻き起こった当時、各週刊誌はこぞって佳子さまを追いかけました。
佳子さまがICUをAO入試で受験し直されて、無事入学された直後、
大学1年の「リトリート」という合宿で披露されたタンクトップ姿には驚きましたね。
どこのブランドか血眼で調べていたら、「アメリカンイーグル」のものと分かって、価格もとてもお手頃でした。
肩から背中が大きく開いたデザインの「マッチョタンク」で、ブラひもを見せるようなデザインだったんですよ。

辛酸 鎖骨が出るという意味では、佳子さまがお召しになっていたローブデコルテに通じるものが? 
「リトリート」で紺の上着を後ろ前にお召しになって腕を覆っているのも、ローブデコルテの長手袋のようでした。

河西 学生になぜ佳子内親王が人気なのか話を聞いてみると、
「安くもなく高くもないブランドを着ているから、そういういやみのない服装がいい」と言うんですよね。

辛酸 学習院大に入学された頃は、新宿のルミネでもお買い物をされていたんですよね。
ただ、今留学されているリーズ大の学生のインスタなどを見ていると、学区内にクラブがいっぱいあって、
お酒を飲んでいる写真がたくさんアップされているんですよ。リーズは街自体、クラブ文化発祥の地らしいですね。
皇太子さま・秋篠宮さまなどの皇族方が留学された名門校・オックスフォード大を選ばれないという点にも、
秋篠宮家流を感じます。
お子様方の意思を尊重するご教育方針が現れていると思います。

皇太子ご夫妻による愛子さまのご教育方針は?
──皇太子ご夫妻による愛子さまのご教育方針については、どうでしょうか。
S記者 お二人は「叱らない子育て」を実践されてきましたよね。
皇太子さまと結婚された当初は、国民にとって尊敬と憧れの的だった雅子さまでしたが、
2004年5月に皇太子さまが会見で「雅子のキャリアや、そのことに基づいた
雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」
とおっしゃった「人格否定発言」と、同年7月の「適応障害」という診断結果の発表を受けて、
国民の見方は大きく変わったと思います。

「雅子さま山中湖お付き添い事件」(2011年)は決定的でした。
学習院初等科4年の愛子さまの山中湖校外学習に、雅子さまが同行されたのです。
学習院では過去に、子どもが怪我や病気の場合だけ、親が近くの宿で待機するということはあったようですが、
雅子さまは、子どもたちと同じ「ホテルマウント富士」の1泊12万円するインペリアルスイートに宿泊された上に、
子どもたちが立ち寄る場所にほとんどついて行かれ、青木ヶ原樹海でハイキングもされました。

前週の東宮大夫による定例会見で雅子さまのご動静は明確にされなかったのですが、
常識的に考えて「まさか行かれないだろう」と私は信じていました。
ところが産経新聞がウェブ版で、山中湖へご出発されたことを報じて。
「これは取材に行かなきゃ」と思い日帰りで山中湖へ向かいましたが、
雅子さまは山ガールファッションに身を包まれて、行き交う人々に「こんにちは」とお手振りまでされている。
一方、警察関係者や東宮職がわんさかいて、雅子さまの姿を撮影させまいとカメラマンの周りを男性数人で包囲。
異常事態でした。

──この校外学習は、東日本大震災が発生してから約半年後のことでした。
そのような時局にも関わらず、
皇太子妃がインペリアルスイートに宿泊されるというのは常識的に考えられない出費だ、
という雅子さまの行動を疑問視する声もあがりました。

河西 一方で、私が皇族の自由やプライバシーはここまでないのか、と驚いたのは
「雅子皇太子妃妊娠スクープから流産」(1999年)ですね。
確かに皇太子妃が子供を産むというのは大きな出来事なんですが、まだ安定期に入ってもいないのに報道されました。

──朝日新聞のスクープでしたね(「雅子さま 懐妊の兆候」、1999年12月10日)。
妊娠のごく初期であることを考慮してか、詳しい「兆候」については言及してしない短い記事でしたが、
この後各社が一斉に報じました。
河西 そうでしたね。そして雅子さまの「稽留(けいりゅう)流産」の後、
皇室報道はちょっと鳴りを潜めたように思います。
S記者 これは雅子さまが「適応障害」として療養生活に入られる前のことですが、
雅子さまにとってはメディアに報じられたくない、
子どもを守りたいという「プライバシー意識」を強く持たれるようになった原点ともいえる出来事だと思います。

河西 2000年代に入ると、宮内庁ホームページの「皇室関連報道について」というコーナーで
宮内記者会に所属する新聞やテレビ、そして週刊誌などが報じた内容について反論するようになります。

宮家のほうがベールに包まれている
──基本的なおさらいですが、天皇陛下や皇族方のお過ごしようを報道陣が知る機会としては、
どういった記者会見が行われているんでしょうか?

S記者 宮内庁長官(山本信一郎氏)や、宮内庁次長(西村泰彦氏)による定例の記者会見が行われています。
さらに天皇皇后両陛下の場合は、侍従次長(高橋美佐男氏)からオフレコで説明の場が設けられているそうです。
皇太子ご一家の場合は週1回、だいたい金曜日に東宮大夫(小田野展丈氏)の定例会見があります。
こういった記者会見には「宮内記者会」所属の記者のみが出席できます。
週刊誌の記者が所属する「雑誌協会」などは“排除”されているんです。
各宮家について、こういった定例の記者会見がありません。
次長会見で1週間のスケジュールについては説明があるようですが、
細かいお過ごしようについては分からない。たとえば秋篠宮家を取材しよう、と思っても
そう簡単に情報が取れるわけではないんです。

――学術的な研究のうえでも、宮家のほうが情報収集は大変ですか?

河西  難しいですね。宮家に関する資料は、古いものでも公表されていないものも多いですし、
そもそもどこに資料が所蔵されているのかすぐには分からないんです。
内廷皇族(天皇皇后両陛下、皇太子ご一家)に関するものであれば、
宮内庁のほうでもしっかりと把握しているのでしょうが、
宮家になると行動すら全体を把握していない可能性があります。
辛酸 ある意味で、宮家のほうがベールに包まれているんですね。
「承子さまミクシィ流出」(2007年)では、高円宮家のご長女・承子さまの奔放な留学生活が明らかになりました。
「ヒップホップダンサーを名乗る高円宮承子さま 20歳女性皇族『赤裸々ホームページ日記』」
(「週刊文春」2007年2月8日号)で、
エディンバラ大に留学中の承子さまがミクシィに赤裸々な書き込みをされていたことが報じられたのです。

 「クラブイベントに行ってきました。初めて生でストリップショーっていうものを見たけどエグかったぁ…」
 「早い話が、三角関係(親友→彼氏→私)なのです」
 「好きな人がゲイ…。終わってる」
 「私も親さえ良いなら胸にヤモリの刺青入れたいんだけどなぁ〜…間違いなく縁切られますからね(笑)」

「ヒップホップダンサーを名乗る高円宮承子さま 20歳女性皇族『赤裸々ホームページ日記』」
(「週刊文春」2007年2月8日号)

記事の中では、ミクシィを通じてメッセージを送信した記者に対する承子さまからのお返事も紹介されていて、
ご返信は「ごきげんよう…」から始まり、
「ミクシィや高校時代に制作したHPを日本の友人たちとの交流に役立てていること、
英国での留学生活は大変だが、よい勉強になっていること、などが綴られていた」そうです。

皇族もSNSをやっていらっしゃるのか
辛酸 承子さまは当時からすでにヒップホップ系のファッションを取り入れられていたので、
佳子さまにも潜在的な影響が……? 
女性皇族といえば、黒田清子さんのように華美でないファッションを好まれていて、
いつまでも清らかという印象があったので、
こうやって遊んでいらっしゃる方もいるというのが、当時本当に衝撃的でした。
承子さまは、一般参賀でもオーラを放たれていて、ついつい承子さまのほうを見てしまうんです。

S記者 わかります(笑)。平成皇室の中で、元祖・奔放な女性皇族といえるかもしれませんね。

河西 父である高円宮憲仁親王がスカッシュのプレー中に倒れて急逝し、
葬儀に参列している当時高校生の承子女王が、茶髪だったことをよく覚えています(2002年)。
皇族でも茶髪にしていいんだな、と。
三笠宮家にはもともと個性派の皇族が多く、祖父である三笠宮崇仁親王は、
例えば1946年、枢密院へ「譲位」に賛意を示す意見書を提出して、
「『死』以外に譲位の道を開かないことは新憲法第十八条の
『何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない』といふ精神に反しはしないか?」と
述べたような人でした。「赤の宮様」とか言われたり。
宮家のほうが宮内庁からのコントロールがきかないという側面もありますよね。
また、流出したのがLINEやFacebookではなく、ミクシィというのが時代を感じます。

辛酸 はい。皇族もSNSをやっていらっしゃるのか、というのがちょっと驚きでしたね。
『秋篠宮さま』(江森敬治、毎日新聞社、1998年)を読んでいたら、
「電子メールは自室のコンピュータで確認される」と書かれていたので、
「メールアドレスをお持ちなんだ」とは知っていたのですが。もしかしたら若い女性皇族方も、
LINEだけでなく、鍵付きでインスタなどをさりげなくやってらっしゃるんでしょうか。

S記者 眞子さま、佳子さまだけでなく、高校2年になられた愛子さまもスマホを使いこなしていらっしゃいます。
先日も、お友達と一緒にスマホの画面をのぞきこんで、とても楽しそうにはしゃいでいらっしゃるご様子を拝見しました。

辛酸 そういえば、愛子さまにも「のび太」似のボーイフレンドがいらっしゃいましたよね? 

S記者 いましたね(笑)。「女性自身」が
「愛子さま手つなぎ&ハグも――思い出と笑顔をくれた“のび太”似同級生BFとの4日間!」(2010年9月14日号)
というタイトルで報じました。一時期、いつも愛子さまのお出かけ先にこの男の子がいたので、
記者たちの間では「こども侍従」なんていうあだ名で呼ばれていたことが。
「結婚するんじゃないのかしら」というぐらい仲が良かったんです。

辛酸 小学生にしてすでに手つなぎ&ハグ。愛子さまは大胆でいらっしゃいますね。

S記者 今では大きく成長されて、とてもかっこいい感じの青年になっているそうですよ。

辛酸 そうなんですか! 愛子さまは、小学生のころから男の子を見る目を養われていたんでしょうか……。
2017年の「宮内庁職員組合文化祭美術展」で愛子さまは「ハーバリウム」
(須崎御用邸の海岸で拾った貝殻と東宮御所の庭で摘んだ植物をビンに詰め、
透明のオイルを注いだもの)を出品されていて、ものすごく女子力が高いと思いました。
将来、どんな方と結婚されるのか、今から楽しみです。

http://bunshun.jp/articles/-/7280


平成皇室は「皇太子への憂鬱」から始まった
「私家版 平成皇室10大ニュース」座談会 #2

「皇太子への憂鬱」
河西秀哉(神戸女学院大准教授。象徴天皇制を研究) 
今では「平成流」と広く呼ばれるようになった天皇皇后の在りようは、
多くの国民から支持を集めていますが、最初はあんまりうまくいっていなかったんです。
美智子皇后がメディアからバッシングを受けたことで起きた「美智子皇后失声症」(1993年)を、
私は大きな事件だと思っています。
「昭和天皇の時代はよかった」と懐古する人たち、とりわけ保守的な立場の人からの批判が、
明仁天皇だけでなく、女性という、より弱い立場の美智子皇后に向いた点が重要です。
バッシングについて「どのような批判も、自分を省みるよすがとして耳を傾けねばと思います。(中略)
しかし、事実でない報道には、大きな悲しみと戸惑いを覚えます」
(1993年10月20日、誕生日に際して)と文書で述べたあとに美智子皇后が倒れると、
世論は擁護ムードに傾きました。

S記者(皇室取材を担当して10年以上のベテラン) 天皇陛下の皇太子時代から即位された当初にかけて、
国民はお二人について、どういう受け止めをしていたんでしょうか?

河西 昭和の時代から、たとえばジャーナリストの児玉隆也氏は
「皇太子への憂鬱」(「現代」1973年9月号、のちに『この三十年の日本人』新潮文庫、
1983年に収録)の中で、「皇太子に魅力がない」という意見を紹介し、皇太子は「“妻の持参金”で食べている。
だが、その“貯金”はもうなくなりかけていることに、周辺は気づいていない」と批判しています。
1989年に明仁天皇が即位した当時は、「開かれた皇室」と言って歓迎されましたが、
やはり批判的な意見を持っている人もまだまだ多かったんです。

――皇族はストレートなご発信ができないため、
特に女性皇族にとって「ファッション」は重要な要素といえそうですね。

河西 そうですね。美智子皇后が公務で身に着けている帽子から思想を読み取ることができる、という研究もあります。

S記者 美智子さまはその時々によって、お帽子のデザインについてもご希望をおっしゃると聞いたことがあります。

河西 服や帽子に、訪問国の国の色やゆかりのある花を取り入れるなど、細かい配慮がありますよね。
平成になって、美智子皇后という非常にカリスマ性の高い皇后が現れたことで、
女性らしさの中にも高度なセンスを兼ね備えた「発信」が増えたといえるのではないでしょうか。
しかし、美智子皇后はあくまでも自分が明仁天皇から支えられているように振る舞い、
必ず明仁天皇を立てていますよね。並び立って歩くときも美智子皇后が半歩下がって、
明仁天皇の右腕を持って歩きます。
少し演出のように見えなくもないのですが、これこそが平成皇室の在り方かなというふうに思いますね。

「訪れていない場所すべてに行きたい」という気迫
辛酸なめ子(漫画家、コラムニスト。毎年、新年一般参賀で皇居を訪れている皇室ウォッチャー) 
天皇皇后両陛下が、日本地図にご訪問された地が分かるようピンをたくさん刺していらっしゃるお写真からは、
「訪れていない場所すべてに行きたい」という気迫が感じられます。

河西 今年3月には沖縄県の与那国島も訪問しましたね。
昭和の時代、明仁皇太子(当時)が福祉施設を訪れたときの新聞記事を見ると、
立ったままで少しぎこちない様子に見える写真が載っています。
その一方で、ベッドに横たわっている人に顔を近づけて、
話しかけているのは美智子皇太子妃(当時)なんですね。
「雲仙・普賢岳被災者のお見舞い」(1991年)では、はじめて天皇皇后としてひざをついて、
避難所で生活する被災者に語りかけました。
この時はまだ手探りであったと思いますが、その後様々な場所への「お見舞い」を経る中で、
次第に現在のスタイルが確立します。
私は、お二人が一緒になって公務に取り組むうちに、
だんだんと明仁天皇が慣れていったのではないかと考えています。

辛酸 ちょっと話が逸れてしまうのですが、昨年9月、
天皇皇后両陛下が私的旅行で訪れられた埼玉県の高麗(こま)神社に私も行ってきたんですよ。
1週間くらい後に。

河西 7世紀に滅亡した朝鮮半島・高句麗からの渡来人をまつる高麗神社を、天皇皇后が参拝しましたね。
天皇は2001年の誕生日会見で「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、
続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と発言しています。
辛酸 高麗神社の近くにいたおばさんたちが、「美智子さまは素敵な方よね、品があるわね」
「ここを歩かれたのね」と彼岸花を見ながら話していて。
ああ、こういう風に噂話が広まるのかと思ったのですが、さらに大きな声で続けて
「美智子さまは飯能の合同庁舎のお手洗いをお使いになったらしいわよ」と。

S記者 すごい、そんなところまで(笑)。真偽のほどはさておき、
地元の人たちからしたら興味津々だったんでしょうね。

パラオへの慰霊の旅でお召しになっていたスーツ
S記者 あの日、美智子さまがお召しになっていた白いスーツは、
実はパラオへ慰霊の旅をされた折にお召しになっていたものと同じで、
少しお手直しをされていらっしゃるようですね。天皇皇后両陛下が
韓国ご訪問への強い思いをお持ちでいらっしゃることは、週刊誌などでしばしば報じられています。
しかしお二人が実際に韓国を訪れられることは、なかなか難しいですよね。
高麗神社という場所へ、パラオご訪問のときと同じお召し物を着られたというのは、
最上級の慰霊のお気持ちを示されたのではないかと思いました。
やはり、身につけられているお洋服には、メッセージがあります。

――最後までおっしゃらないけれども、何かメッセージを表すものとして、「歌」がありますね。

河西 歌は大きいですね。美智子皇后の御歌(みうた)は本当に上手いです。
言いすぎず、でも微妙なラインをついているように思います。
どちらかというと明仁天皇の御製(ぎょせい)のほうが、はっきりとメッセージを伝えています。

観音崎戦没船員の碑除幕式激しき雨の中にとり行はれぬ
かく濡れて遺族らと祈る更にさらにひたぬれて君ら逝(ゆ)き給ひしか
(皇后陛下御歌集『瀬音』より、1971年)

硫黄島
慰霊地は今安らかに水をたたふ如何(いか)ばかり君ら水を欲(ほ)りけむ
(同上、1994年)

S記者 2017年の歌会始のお題は「野」でしたが、美智子さまはこのような歌を詠まれました。
土筆(つくし)摘み野蒜(のびる)を引きてさながらに野にあるごとくここに住み来(こ)し

関係者のあいだでは、天皇皇后両陛下がお住まいの御所がある皇居を
「千代田」、皇太子ご一家がお住まいの東宮御所がある赤坂御用地を
「赤坂」という通称で呼んでいるのですが、この御歌からは美智子さまが「千代田」からも
「赤坂」からも出ていかれることを前提に詠まれているように思えて、
「東宮御所に移られるのではなかったかしら?」とちょっと疑問に感じたんです。
その後に高輪の旧高松宮邸へ一時的にお住まいになるということが報じられて、腑に落ちました。
美智子さまの御歌は何かを考えさせられますね。メッセージを読み取らねば、という感じで受け取っています。

河西 天皇や皇族というのは、どうしても直接的に自分の意思をはっきりと表現できないので、
その意思を知るために歌を分析することはとても重要だと思います。

――そう考えると、「退位」についての天皇陛下のお言葉は相当ダイレクトでした。

河西 そうですね。「退位に関するおことば」
(2016年、宮内庁HPでは「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」と記載)をめぐっては、
かなり難しい状況があったと思います。憲法のもとでは、
天皇は自分の意思を表明してはいけないということになっている。
しかし伝え聞くところでは、もう数年前から「譲位したい」というお気持ちだったのが、
政府との関係でなかなか事態が前に進みそうもないので、NHKがスクープするという形で公になりました。
あの「おことば」からは「疲れたから辞めたい」というよりは、
「今ある公務を減らすということは、自分が考える象徴としてのあるべき姿ではないから、
それならば全部譲りたい」という心理がにじみでていたと思います。
ただ、それは今の政府やそれを支える層の意向とそぐわないという事情もあったのでしょう。
それから「天皇のお気持ちをNHKがスクープした」という点については、
どういうプロセスを経て至ったのか、今後検証されなければならないと思います。

S記者 用意周到なシナリオでしたよね。2016年7月13日、
NHKが夜7時のニュースで「天皇陛下 『生前退位』の意向示される」と報じたとき、
天皇皇后両陛下はご静養で葉山にいらしたんです。皇居にはお二人ともいらっしゃらなかった。
翌日両陛下は帰京されるのですが、その頃には第1報による混乱はだいたい落ち着いている状況でした。
車の中から沿道の人びとに手を振られる陛下のお顔が晴れやかでしたよね。

河西 余計に、誰が考えたシナリオなのか気になるところです。
明仁天皇は2019年4月30日に退位して、5月から新しい元号が始まります。

なぜ5月から新しい元号が始まるのか?
辛酸 年度なんかは関係なく、4月1日という風にきっちりと決まっていないところを見ると、
陰陽道とかそういうものが関係しているんでしょうか。

河西 いやいや、そんなことはないです(笑)。「妥協の産物」と言っていいと思います。
当初、政府は改元を1月としたかったようなのですが、宮内庁は年末年始の行事がたてこむ12月、1月が非常に忙しい。
そうすると、年度の変わり目がよいかということになりますが、
今度は政府が3月、4月は統一地方選で忙しいからダメだと。
4月末で平成を31年で終え、5月から新しい元号とすることになりました。
必然性はないですし、平成31年度が1カ月だけあることになります。

S記者 なぜ5月なんだろうかと皇室側の事情を考えたのですが、4月10日は両陛下の結婚記念日なんですよね。
この日は、ご結婚から60年、そして即位から30年という素晴らしく美しい節目なのです。
2月23日の皇太子さまのお誕生日の翌日に「在位30周年記念式典」が国立劇場で開催されるそうなので、
2月から「大団円」への序章が始まります。

河西 4月29日には昭和の日もあります。4月30日に平成が終わり、5月1日に新天皇が即位する。
昭和、平成、そして新時代へ。 来年はそういう形で、平成のフィナーレに向けて大きく盛り上がるでしょう。

辛酸 平成最後の一般参賀はものすごい訪問者数になりそうですね。

S記者 例年、新年一般参賀は5回のお手振りがあるんですよ。
最後の年だから回数を増やすのではないかと思うのですが、
来年の最終回にはサプライズを期待しています。天皇ご一家だけがお出ましになる最終回には、
わりとそういうことがよく起こるんです。
お手振りが終わったあと、陛下のほうへ他の皇族方が集まって、
全員が寄り添うようにまた手を振られるということもありました。

辛酸 なんとかして、最終回を目にしたいものです。
即位10年を祝う式典(「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」)では
YOSHIKIがピアノを弾きましたよね。あの意味はいまだによく分かりません……。

河西 即位20年を祝う式典(「天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典」)では
EXILEが皇居前広場でパフォーマンスしましたね。
このときは「天皇陛下御即位二十年奉祝委員会」と「天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟」が作られました。
元首相や財界人といったおじさんたちによる、若者ウケを考えたうえでの人選なのだと思います。
即位20年のときの議員連盟会長は森喜朗元首相でした。

辛酸 即位30年では三代目 J Soul Brothersなんかが出てきて、踊りまくるんでしょうか。

「乾通り」は歴史的に見ても、限られた人しか入れなかった
――「皇居の乾通り年2回公開」(2014年〜)にも多くの人が詰めかけましたね。

辛酸 私は初年度のときに乾通りを歩いて、本当に感動したんですよ。
今までずっと閉じられ、秘められていた庭園にやっと入れた。
花、草、木にはものすごいエネルギーがありましたし。でも去年行ったとき、
水には藻が生えていて、紅葉もそれほど鮮やかな色合いではなくなっていたんです。
一般人を入れすぎて、空気というか、波動が悪くなっちゃったのかなと。

河西 私も初年度に行きましたが、すごく混んでいましたね。
たまたま私が行った日に、宮内庁の庁舎から天皇皇后がその様子を見ていたと報道があって、
お二人にとっては皇居を一部開放することで国民が喜ぶ姿を見られるのは、
とてもうれしいことなんだなと思いました。

S記者 通常、一般の人が訪れることのできる限界線は皇居前広場までだったのが、
もう一段階内側へ入れるようになったわけですから、大きな変革だと思います。

河西 そうですね。特に乾通りというのは、歴史的に見ても本当にごく限られた人しか入れない場所だったんですよ。
ちょうど天皇皇后のお住まいのエリア(吹上)との境目でもあるので、なかなか入ることができませんでした。
一般の人でそのあたりまで入ることができたのは、皇居内を清掃する勤労奉仕団の人たちぐらいでしょうか。

辛酸 皇居内といえば、「天皇陛下がタヌキの糞を調査される」というトピックも外せないですね。
天皇陛下が、何年も何年もタヌキの糞を採取されて、タヌキの食性の長期的な分析を試みられました。
しかも糞に含まれる種子を、種または属まで識別され、その数は58に及ぶそうです。
2016年には5年間のデータを蓄積したアップデート版の論文も発表されています。

河西 天皇家は、代々いろいろなものを研究しています。昭和天皇の場合はヒドロゾアが研究対象でした。

辛酸 昭和天皇は「雑草ということはない」
「どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる」と
おっしゃったことがあるそうです(入江相政編『宮中侍従物語』TBSブリタニカ、1980年)。
小さい存在にも目を向けていらっしゃる。
S記者 さかなクンにも目を向けられました。
天皇陛下は2010年の誕生日会見で、絶滅したと思われていた淡水魚のクニマスが発見されたことを受けて
「東京海洋大学客員准教授さかなクン始め多くの人々」と言及して功績を称えられたんです。
また最近では『日本魚類館』(中坊徹次【編・監】、小学館、2018年)という図鑑の解説を、
陛下が他の魚類学者と分担して執筆されたそうです。
陛下ご自身が和名を付けられたハゼ科のシマハゼ類2種類と、
種類を分類されたチチブ類3種類について計4ページを担当されました。
2016年の夏に依頼があって、公務の合間を縫ってお書きになったそうです。
皇太子さまは水問題のご研究、秋篠宮さまは家禽類のご研究を続けていらっしゃいますね。

新天皇皇后は、どのような道を歩まれるのか
――お代替わりまであと1年。あまり実感がわきませんが、
新しい天皇皇后両陛下はどのような道を歩まれるのでしょうか。

S記者 私は、今後雅子さまのお出ましが増えることを前提として、東宮女官が増員されていると思います。
やはり女性皇族の「発信力」は絶大で、現状では雅子さまが病気療養中ですから、
皇太子さまがどういう方なのか、国民が深く知る機会は限られていたように思うんですよ。
今上陛下が象徴天皇として国民から受け入れられているのは、
美智子さまが常に左隣にいらっしゃって行動を共にされていることも大きいのでは。
美智子さまの柔らかい雰囲気が陛下の威厳とミックスされて、
両陛下ならではのいい雰囲気を生み出してこられたように思います。
美智子さまは国民とのクッション役を果たされていて、
平成皇室が国民からの絶大な支持を得た基盤となっていると言っても過言ではないと思うんです。
それを考えると、これまで皇太子さまはお一人で苦労されたと思います。

辛酸 お代替わりされたら、雅子さまがすごくお元気になられるのでは、という説もありますね。

S記者 お元気にならざるを得ないんじゃないかと思うんですよ。
「即位礼正殿の儀」で、皇后は十二単をお召しになって御帳台へお立ちになります。
そして「大嘗祭」でも装束をお召しになりますし、伊勢神宮へのご参拝にもいらっしゃる。
雅子さまは宮中祭祀がお苦手だと言われていますが、数々の儀式が続きますから
「皇后さまのご体調が整いません」というわけにはいかないのではないでしょうか。

河西 私は、国民からの支持を得ている「平成の在り方」を否定はできないと思うんです。
今年3月、静養のために長野県を訪れたとき、
雅子皇太子妃が長野駅でまっさきに車椅子の人へ声をかけた一幕があったそうですね。
「国民の中に分け入る」というのが平成の在り方だとすれば、
こういった行動はまさに「平成の在り方」そのものなんですよね。

S記者 そうですね。皇太子ご一家の公務の3本柱は環境問題、
障害者・高齢者の福祉、戦争慰霊だと私は考えています。
特に環境問題は皇太子ご一家のご活動のカラーが出てくるものになるのではないでしょうか。
環境問題は、国内のみならず世界的なテーマです。
皇太子さまは水問題のご研究に取り組まれていて、国連などで何度も講演されています。
しかし、いきなりとってつけたように環境問題にご関心をお持ちになったわけではなく、
大きな自然災害が起きると被災地に足を運ばれて被災者を見舞ってこられた両陛下のなさりようが
ベースになっているのではないかと思っています。

河西 美智子皇后は、ちょっと超人的な方なので……。すべてを真似することはできないと思いますが、
新しい天皇の代の皇后の行動はソフトランディングするのではないでしょうか。
雅子皇太子妃は、国際親善など、対外的に出ていくことをどんどんやっていかれたらいいと思いますね。

辛酸 やはり雅子さまは、ご自分の時代が来た、という内側から湧き上がってくる力をお感じになっているのでしょうね。

S記者 最初のうちは、「平成の天皇皇后両陛下とは違う」と比較されて、批判されると思うんですよ。
でも、私は現場で雅子さまがフランクに国民とお話しになるご様子をたくさん見てきました。
一昨年の岩手県行啓では、雅子さまが「どちらからいらしたんですか?」とお尋ねになると、
「あんたはいつから?」みたいな感じで答えているおばあちゃんがいてびっくりしたんです(笑)。
「昨日からです」とお答えになると、「病気は治ったの?」とか聞いちゃうんですよ。

――雅子さまはどんなご反応なんですか?

S記者 「ご心配おかけしまして」という風におっしゃっていましたよ。
お二人は、国民にとってより身近な天皇皇后両陛下になられると思います。
皇太子さまが、気さくにセルフィーに写られるほどですもんね(笑)。

河西 「天皇皇后写真ツイート炎上」(2014年)はまだ4年前のことです。
女子高生が、天皇皇后の写真をツイッターにアップして、不謹慎だと批判を浴びました。
天皇皇后が私的旅行で栃木県小山市を訪れたときに撮影されたもののようです。
あの頃に比べても、「皇室」に対する国民の受け止めはずいぶん変わったなと思います。
桜を見に、皇居の外を歩く天皇皇后を、皇居ランナーがスマホで撮影することは今や普通ですよね。

辛酸 そして気になる新元号。どんな漢字が選ばれるのでしょう。
新元号の候補をメディアで取り上げると、それはもう使えなくなると聞いたことがあります。
竹田恒泰さんがネット番組でそれっぽい新元号を予測していましたが、
さすが深い知識をお持ちなだけあってあり得そうなものばかり。
政府は使える数が減ってしまって困っているのでは、と心配です。

河西 平成がどんな形で幕引きをして、次はどんな時代を迎えるのか。これからも変わらずに注視していきたいですね。

http://bunshun.jp/articles/-/7281

黒田清子さんの研究報告書が最新号に

元皇族・黒田清子さんの研究報告書が最新号に! 民間生活もお忙しく
2017.12.25 07:00
来年11月に、大学時代の同級生である小室圭さんとの挙式を控える秋篠宮家の眞子さま。
皇籍を離脱すれば、姓や選挙権が与えられ、民間人としての新生活がスタートする。
戦後、「ふつう」の暮らしを送る元皇族女性の足跡から、眞子さまの新生活を読み解きたい。
いまも天皇、皇后両陛下を娘として支えるのは、長女の黒田清子さんだ。
昨年8月8日に公表された天皇陛下が退位をにじませたビデオメッセージの翌日も、
皇太子さまや秋篠宮さまと一緒に御所を訪ねるなど、折に触れて両陛下との交わりを欠かさない。
若い世代の皇族が少なくなるなかで展開された「女性宮家」議論では、
清子さんに民間から公務をサポートしてほしいとの声も出たほどだ。

2005年秋のご結婚からはや12年。夫の黒田慶樹さんは今年4月から都建設局公園緑地部利用促進担当課長に就任した。
課長職になると、年収1千万円クラスとも言われる。
清子さん自身の民間生活は忙しそうだ。三重県にある伊勢神宮の祭主は、古代から天皇家の女性が務めるのが習わし。
13年の式年遷宮は、高齢の池田厚子さんを補佐するため清子さんが臨時祭主を務め、
今年6月に正式に神宮祭主に就いた。
天皇の代理として伊勢神宮に赴き、10月の神嘗祭など毎年、五つの大祭をつかさどることになる。

ご結婚前に研究員として勤務した山階鳥類研究所では、客員研究員の立場で、研究を続けているという。
「山階鳥類学雑誌」の最新号(第49巻1号137号2017)に掲載された「皇居の鳥類相」の足かけ5年分の報告書には
報告者名の筆頭に黒田清子の名前がある。メンバーのひとりである浅井芝樹研究員が、
皇居で月に1回行う調査の様子をこう説明する。
「毎月上旬、午前中に決まったコースを3時間歩きながら鳥の種と数を調べます。
調査のご様子からは研究員であると同時に、根っからのバードウォッチャーだと感じます。
ご研究されているカワセミを見つけたときなどは、うれしそうな表情をなさって
『前に見られたのと同じ鳥だと思う』などとお話しされますね」
ジャンパーやパーカーをはおり、ズボン、首には双眼鏡をかけて、というのが清子さんの定番スタイルのよう。
そのまま御所に行くこともあるようだ。
一方で妻の顔は、どうか。東京都豊島区のマンションに住む清子さん夫妻。
立ち振る舞いにも穏やかな人柄がにじむのか、ご近所には、清子さんのファンが多い。
黒田さん夫妻が何度か来店したというすし屋の大将は目を細める。
「育ちの良さがわかるすてきな方ですね。印象的だったのは、否定語を一切使わなかったことです。
皇室の人気を支える方であるのがよくわかりますよ」
清子さんが買いものに出かける近所のスーパーでは、レジの店員が、
「ポイントカードをお勧めしてもよいものか」と迷っていたが、
結局「おつくりではないようです」(スーパーの客)。年配の女性客もこう話す。
「パンコーナーで4枚切りの食パンに同時に手を伸ばされた方の姿を見てびっくり。
ジーンズ姿で、京都の帆布カバンのエコバッグを手に、質素な格好ですが、サーヤのころと雰囲気は変わりませんね」
近所に引っ越してきたと言われる慶樹さんの母親と出かけたエピソードも報じられている。
2019年4月末に天皇陛下が退位された後は、穏やかな親子の時間も増えるだろう。(本誌・永井貴子)
※週刊朝日 2017年12月29日号
https://dot.asahi.com/wa/2017122100058.html?page=1

典子さん別居?

高円宮家「典子さま」が別居状態 縁結びの神・出雲大社に垂れこむ暗雲
週刊新潮 2017年12月7日号掲載
宮司家嫡男と高円宮家「典子さま」 夫婦破綻で進む遠大なる離婚計画(上)
高円宮典子さま(29)と出雲大社の宮司嫡男・千家国麿(せんげくにまろ)氏(44)が華燭の典をあげたのは
3年前のことである。眩しく煌めく1日――。だが、既に2人は別居状態にある。
よりにもよって縁結びの神を祀る大社に垂れこむ暗雲……。
 ***
高円宮憲仁親王(2002年に薨去)と久子妃殿下(64)の間に次女として典子さまが生を享(う)けたのは、
1988年だった。ご夫妻はこれに先立つ86年に承子(つぐこ)さま、
そして90年に絢子(あやこ)さまと3姉妹に恵まれている。
本稿ではその典子さまと伴侶との結婚生活の破綻、そして奇異な“離婚計画”を取り上げるが、
まず、結婚までの経緯に触れておく。
典子さまは11年に学習院大を卒(お)えてからは進学や就職はせず、皇族としての公務に臨んでいた。
14年5月、千家国麿氏(現・出雲大社権宮司)との婚約内定を発表。
彼は出雲大社トップの宮司・千家尊祐(たかまさ)氏(74)の嫡男である。その折に、2人の出会いが
07年4月であること、共通の趣味であるバードウォッチングで愛を育んだことが明らかになった。
そして10月5日、出雲大社での挙式――。
午前11時、出雲大社の参道をゆっくりと進む典子さんは髪をおすべらかしに結い、黄色の袿(うちき)、紫の袴姿。
隣を歩く国麿氏も千家家伝統の黒の衣冠に身を包み、両名揃って絵巻物から飛び出してきたような恰好である。
あとに続く親族の顔はみな晴れやかで、沿道は多くの人が笑顔で振る日の丸の小旗で彩られ、
祝福の声に満ちていた――。
戦後に結婚して皇籍を離脱した女子が黒田清子さんに続いて6人目となった瞬間。
典子さまから典子さんになったこの14年10月5日が光であるとして、結婚にはむろん影もつきまとう。
これまでも、2人の仲を詮索する声がないわけではなかった。関連記事の見出しを拾ってみたら、
〈憂慮される“雅子さまとの符合”… 典子さん出雲から消えた!〉
〈千家典子さん別居説も出る頻繁すぎる里帰り〉
と、物々しい。概して「出雲で典子さんをほとんど見かけない」「宮邸に里帰りする頻度が高すぎる」
とコメントする関係者が登場する一方、「出雲ではオーラを消しているだけ」
「いやいや大事な行事の時には出雲にいますよ」と語る人物もいる。何があるのかないのか、判然としない内容だった。

「関係が芳しくない」
出雲大社の歴史をひもといた原武史著『〈出雲〉という思想』によると、
〈そもそも出雲大社では、出雲国造(いずもこくそう)と呼ばれる世襲の神主が、祭祀をつかさどっていた。
出雲国造は、国造制が消えたはるか後の近代日本にあっても、全国でただ一つ国造を名乗っており、
その祖先は天皇と同じく、アメノホヒノミコトという神とされていた。つまり出雲国造とは、
天皇と並ぶもう一人の「生き神」であったのであり、天皇にも匹敵する宗教的な権威をもっていたのである(略)〉
脈々と繋がるこの出雲国造の84代目が他ならぬ千家家の当代で、先に挙げた宮司の尊祐氏に当たるのだ。
そんな歴史を誇る家柄だから、知り合いに千家一族がいるという人物は、
「その彼が、“あの家とは先の戦争で対立して以来……”とポツリと言ったりしたので、
てっきり太平洋戦争のことかと尋ねたら、“いやいや応仁の乱のことです”と言うんですよ」
と、平成の次を覗き見ようかという時代に、時間軸が混線しそうなエピソードを披露する。
夫婦の仲について、千家家の事情に明るい関係者によると、
「確かに、我々はみな2人の関係が芳しくないという認識をしています。典子さんは都会で、
東京のど真ん中でずっと暮らしてきて、突然あんな田舎に連れてこられても土台無理。
出雲の冬の寒さに音をあげられたというのも大きい。若い頃にちょっと会っただけでロクにデートもせず、
“大丈夫?”って声はしきりにありましたけどね。基本的に別居しており、もうその期間は長くなっています」
宮内庁担当記者も、「典子さんは、東京での滞在時間の方が
圧倒的に長いというような話は前から聞いておりました」と同調するように継ぎ、
「彼女の日常生活は完全にお姫様状態なんです。構われ過ぎてしまうので居心地が良くないんだと、
ちらほら聞こえて来ている。もう1つ、国麿さんがちょっと心身症気味なんじゃないかということも耳にしました」

“慶事後”に?
出雲大社に祀られる主祭神は縁結びの神様である。大社はホームページにそう喧伝しており、
今ここに挙げた話が事実なら笑えないジョークでしかない。
「すぐに離婚というのはないんです。千家家は、国家的な慶事を大事にするという考えで動いている。
それに久子さまは五輪招致の立役者でいらっしゃる。
付け加えると、その前には天皇陛下の退位や新元号のスタートなどの大イベントもあるので、
水を差すような離婚などできようもありません。
裏返せば、その後に離婚は避けられないということでもある」(先の関係者)
自分の家のことになぜ五輪が関係するのか。そんな疑問が湧くのは無理からぬこと。
しかし実際、当代から2つ遡った第82代の出雲国造は自著『出雲大社』で、
「皇室の弥栄(いやさか)と国家、民族の繁栄とを祈りつづけてきたわが家の使命を(略)」
と明示する。国家を背負う自負と自恃とが、彼らを国造たらしめているのだ。

「病気が長引いて…」
出雲に入って千家家に関係する面々に当たって行くと……まず、国麿氏の叔父の隆比古(ながひこ)氏の奥方は、
「別居については、そんな話聞いてません。新築の自宅で、義母と一緒にご飯を作ったりもしている」
他方で、千家家の菩提寺の住職は、
「国麿さんのご病気については、何かもともと気鬱だって聞きますね。それで気分的に塞いでいるというか。
普通の公立小中に通ったおとなしい人なので、皇族として育った典子さまとうまくいくのかと気になっていたんです。
結婚直後の正月の行事には典子さまが出ると思ったら出なかったし、
去年8月の千家家先祖供養の霊祭では国麿さんはおらず、典子さまだけ。
最近は2人で出かけるという話は耳にしません」と、また違った反応。
続いて地元自治会幹部は、
「この前も宮司(=国麿氏父)は、“礼子(あやこ)(=国麿氏母)と典子が一緒に食事を作ってくれる。
最近は塩分控えめにされており、あまりおいしくないんだよね”と嬉しい悩みのようなことを明かしていましたよ」
隆比古氏の奥方の話にもあった「嫁姑料理話」。そこで“お世継ぎ”に話を振ると、
「国麿さんが85代になられるから、早く86代目が生まれないととは思いますけど。
色々と事情があってなかなか難しいですわ。どんな事情? う〜ん、国麿さんと典子さんが2人で(出歩いていた)
というのは聞かないし、そもそも国麿さんをここ1年半くらい見かけていません……ちょっとどう言っていいか、
以前から体調を崩しがちで、病気が長引いているということなんでしょう。
国麿さんが元気になられて早く例祭(大事な祭事)などに出られるようになるといいなと思います」
菩提寺住職の話と合わせ、国麿氏がそう短くない期間、病を養ってきたことは疑いないようだ。
https://www.dailyshincho.jp/article/2017/12110800/


「典子さま」と「千家国麿さん」不仲説 “夫の健康問題”と“頻繁な東京行”
社会週刊新潮 2017年12月7日号掲載
宮司家嫡男と高円宮家「典子さま」 夫婦破綻で進む遠大なる離婚計画(下)
3年前に挙式した高円宮家の次女・典子さま(29)と、
出雲大社の宮司嫡男・千家国麿(せんげくにまろ)氏(44)夫婦について、千家家の事情に明るい関係者は
「関係が芳しくないと認識をしています」と、2人が長い別居状態にあると証言する。
この関係者によれば、国家的な慶事を大事にする千家家の考えゆえに、
東京五輪を控えた現在すぐの離婚はないものの、「裏を返せば、その後に離婚は避けられない」(同)。
国麿氏の心の問題にまつわる証言も浮上し、縁結びの神を祀る出雲大社には暗雲が垂れこめる。
 ***
東京の取材班は、典子さんの祖母・鳥取二三子(ふみこ)さん(90)に話を聞いていた。
年齢を全く感じさせない、かくしゃくとした口ぶりである。
「神官さん(国麿氏)は結婚式でお疲れになったうえに、お父様が修行に厳しいそうです。
結婚式が終わってから身体を壊して寝込んでいらしたこともありました。別に夫婦の仲が悪いわけではありません。
ただ典子さまもしょっちゅう東京にはお出でになられています。
宮中では色んな催し物がございますから。それにお友達のクラス会もあるようです」
国麿氏はと言うと、
「あちらはお忙しいからいらっしゃらないですが、お義母さまと一緒に上京されることも多いんですよ。
向こうにいらしても、(典子さまは)皆さんのところに出ていらっしゃる用事がないわけです。
ほとんど土地の方とは交流がおありにならない。本当にお暇らしいです。
神官さんの奥さまというのは本当に何にもすることがないそうで」
 出雲では時間を持て余し、東京で用事が立て込んでいる。
だから、「しょっちゅう東京にはお出でになられてい」ると仰る。

「別居状態と言われれば」
取材後程なく二三子さんから「誤解して頂きたくない」と記者に連絡があり、2度目の取材と相成った。
以下はそのやりとりである。
「典子さまがこっちにちょくちょくいらっしゃった理由としては、三笠宮さまが亡くなられて1年間は喪でしたから。
その式のたびに千家さんのご両親と出ていらして。それで、権宮司さん(国麿氏)は
出雲にいなきゃならないですから。それともう1つ。典子さまは出雲にお知り合いはないから。
散歩なんかをして買物なんかなさったりされる方じゃないから。チャリティでビーズのブローチを作ったり。
結局、千家さんのお母さまと一緒に1日過ごしていらっしゃる」
次いで2人の仲に触れて、「別居はしていません。今は、あちらのご両親と4人一緒に過ごされています。
ただ、新居がなかなか建ちませんでね。
何か、ああでもない、こうでもないって。それが、やっと建ちまして。広いきれいなお家です。
あの、今、引っ越しなさってご夫婦そっちに。お食事やなんかはどっちかのお家で、
典子さまがお作りになったり。お義母さまとご一緒に」
(上)でも紹介したとおり、ここでも「嫁姑料理」が語られている。ちなみに登記簿謄本によれば、
新居は昨年10月に新築されている。現地で確認したところ、「広いきれいなお家」である。
もっとも、人の匂い、住んでいる形跡は全くない。プランターも自転車も見当たらないのだ。
「ただ、別居状態と言われれば確かに……。国麿さんを置いて東京にいらしている、
お泊りになっていらしている時は(そう思われるかもしれない)。お泊りになられる際は宮邸だと思います。
ご実家ですし、お部屋もあるわけですから。(典子さまは)2、3日いらっしゃる時もあれば、
日帰りになっちゃうのもあります。しばらくいらっしゃらない時もある。離婚なんてないですよ。
それは大丈夫です。お姿が見えないのは、(外に)出ていらっしゃらないだけです」

“将来の離婚を…”
誰かの言うように、21世紀の新しい結婚の形と言ってしまえばそれまでかもしれない。
しかし、東京のど真ん中で育ち、嫁ぎ先に知り合いが皆無で、振り向けば常に姑という毎日。
その息苦しさに耐えかねた「頻繁な東京行」と言えなくはないだろうか。事実、
「典子さんは、東京ではブランドのレセプションやパーティーに顔を出し、楽しんでいるようですよ」
と、宮内庁担当記者は明かす。別居の証明は易々とは行かない。ただ、繰り返すが、
二三子さんが口にする「新居での生活」の雰囲気はない。3年前の絵巻物風の挙式が早くも色褪せて映るのだ。
それに加えて、国麿氏の抱える心の問題である。
夫婦問題コンサルタント・池内ひろ美さんは、
「見知らぬ地域に嫁いだ女性にとって、一番の味方は夫君。なのに体調が芳しくないとなるとしんどいことでしょう。
ただでさえ、嫁ぎ先では『お姫様状態』で何もさせてもらっていないわけですよね。
彼女は“私がここにいる価値はない”と思ってしまっている可能性もあります。
自分に役割が与えられていないというのは最もツラいことですから」
そう斟酌したうえで、
「お姑さんとよく行動を共にされて、東京にも一緒にいらっしゃっているということですが、
『お目付け役』なのかもしれません。お姑さんと一緒に実家に帰りたいなんて思う嫁は世の中にひとりもいないですからね」
と指摘する。更に、
「ヨリを戻すとかそういうのではなく、ご夫婦としてまだスタートされていないのではないかという印象さえ持ちます。
典子さんご自身の幸せを考えると、『カゴの鳥』状態を続けるよりは別居や離婚に踏み切った方が
いいのではないかと思います。20年まで離婚が難しいということですが、来年30歳になられる典子さんにとって、
その時機は再出発するにあたって重要なタイミングでもありますから」と踏み込むのだった。
再び出雲に話を戻そう。国麿氏の父・尊祐宮司を直撃すべく自宅前で待っていると、黒塗りの車が滑りこんできた。
後部座席から降車した宮司に別居と嫡男の病について尋ねたが、
「お話しすることはございません。とにかく2度と来ないでください!」
と言うのみで否定することはなかった。前出の関係者に改めて聞くと、
「宮司は“息子夫婦の仲が良くないこと、基本的に別居状態にあること、将来の離婚を覚悟していること”を漏らしています」
することがなく、幸せとは言い難いお姫様状態に夫の健康問題が絡み、東京の実家戻りが重なる典子さん。
別居婚から別居へ。離婚計画は推移しつつあるということになる。

特集「縁結びの神『出雲大社』に暗雲! 宮司家嫡男と高円宮家『典子さま』夫婦破綻で進む遠大なる離婚計画」より
https://www.dailyshincho.jp/article/2017/12120800/


縁結び神社の妻・千家典子さん「別居」報道の真相は?
2017.12.25 07:00
日本最古の旧家同士の慶事と祝福されたのが、高円宮家の次女、典子さんと
出雲大社の宮司の長男である千家国麿さんとの結婚だ。
国麿さんの父、尊祐さんは第84代出雲国造で出雲大社宮司。
2014年5月、国麿さんは婚約の記者会見で、千家家の初代が天照大神の次男、天穂日命にあたる、と切り出した。
「2千年を超える時を経て、今日を迎えたことに深いご縁を感じている」
皇室の祖先である天照大神の子孫に国を譲ったのが、出雲大社に祭られる大国主神で、
ともに祖先が天照大神につながる「家」同士というわけだ。
だが結婚後まもなく、2千年のご縁にも陰りが見える。
発端は、「宮司の妻」という将来に備え、出雲で過ごしているはずの典子さんが、
頻繁に東京に戻っている、という話が出回ったこと。
「ファッション関係のパーティーやレセプションなどでお姿をお見かけしたので、
また東京にいらっしゃるのか、と不思議に感じていたのです」(関係者)
典子さんは単独で行動することが大半で、国麿さんと過ごす光景は東京でも出雲でも見かけることはなくなっていった。
「典子さんがよそ者扱いされてなじめないようだ」といった噂も流れ、「離婚」「別居」の文字が躍った。
昨年11月、逝去した三笠宮崇仁親王の本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」では、参列は典子さんのみ。
そして、今年11月、高円宮憲仁さまが亡くなって15年の墓所祭で目をぬぐう典子さんを支えたのは、
義母の礼子さんだった。
出雲大社の敷地内に建てられた新居に人の気配はないという。真相はどうか。千家家と交流のある人物によれば、
「国麿さんは精神的に参ってしまっているという話も聞こえてきます」
その一方、複数の関係者によれば、典子さんと千家家との関係は悪くはないようで、
典子さんはなれ初めなどを楽しげに話している場面もあったようだ。
「千家家は、憲仁さまのご縁で、尊祐宮司が高円宮家を経済的なことはもちろん、
あらゆる面で支援してきた」(神社関係者)
いわば家を背負った婚姻だけに、「離婚」の選択肢は簡単ではなさそうだ。
では、お世継ぎ問題はどうか。前出の関係者がこう話す。
「出雲大社は直系だけで続いた家ではありません。親族にも優秀な人材はそろっていますから、
お二人の間に子どもがいなくとも問題にはならないでしょう」
出雲大社の祭神は縁結びの神さまだけに、明るい未来を期待したいものだ。(本誌・永井貴子)
※週刊朝日 2017年12月29日号
https://dot.asahi.com/wa/2017122100057.html?page=1

小室家関連

秋篠宮家はご存知か! 眞子さまの婚約者・小室圭さん母「400万円」借金トラブル
週刊女性2017年12月26日号
2017/12/11

「弁護士に相談しても一向に状況が変わらず、
彼が気の毒でしかたがないので、本人に代わってお話しいたします。

私の友人の竹田さん(仮名)が、数年前に小室圭さんのお母さんに貸した400万円以上が
いまだに未返済で、返す意思もまったくないそうなんです」
衝撃的な事実をそう語ってくれたのは、竹田さんを古くから知る友人。
秋篠宮家の長女・眞子さまの“未来の義母”となる小室佳代さんをめぐる“金銭トラブル”が発覚した─。

「眞子さまと小室さんは、来年3月4日に、一般の結納にあたる『納采の儀』、
その8か月後の11月4日に帝国ホテルで結婚式を挙げられる予定です。
“御三家”といわれるほど格式の高い帝国ホテルですから、
費用もそうとうな額になると思われます」(皇室ジャーナリスト)
式場も決まって幸せいっぱいのおふたりだが、暗雲が立ち込めてくる今回の“事件”。
小室家と竹田さんの出会いのきっかけについて、前出の友人はこう説明する。
「今から約10年前、竹田さんと佳代さんの共通の知り合いが開いた会でふたりは知り合って、
そのときに気が合ったそうです。
それから彼は、佳代さんと月に1〜2回会うようになり、結果的にふたりはお付き合いすることになりました」
圭さんが小学生のころ、父親の敏勝さんは他界しているのだが、
佳代さんも父親代わりになる男性を探していたのかもしれない。
ふたりの交際が始まってから、竹田さんは小室家とさらに深く交流するようになった。
「佳代さんより年上の竹田さんが圭さんの進学先の相談を聞いたり、
佳代さんとふたりで旅行に出かけたり、竹田さんの親にも会わせていたと聞いています。
彼の休日には、佳代さんのパート先まで車で送るなど家族同然の関係で、
お付き合いしてから数年後の'10年9月にふたりは婚約するに至りました」(友人、以下同)

婚約関係にまで発展した仲を見ると、順調に事は運んでいたように見える。
しかし、婚約してからの佳代さんは、竹田さんに対してたびたび“お金の無心”を始めたという。
「小室さんが現在住んでいるマンションのローンは、旦那さんが亡くなった際の保険金などで完済しているそうです。
しかし、日々の生活費は佳代さんの収入のみだったので、決して裕福ではなく、むしろ生活は苦しかったんです。
お金がない状況の中、圭さんが国際基督教大学(ICU)に入学するにあたり、
“お金がない”と言うので、初年度にかかった入学金と年間授業料を竹田さんが貸してあげることになりました」
大学2年生以降は、奨学金の試験に合格したので授業料はかからなかったそう。

しかし、そのあとも佳代さんの“HELP”は続いた。
「圭さんが大学3年生のときにかかったアメリカ留学のための費用200万円、
一時期通っていたアナウンススクールの授業料に関しても、
佳代さんに頼まれた竹田さんが工面してあげていたのです」
夫が急死したことで収入が激減してしまった佳代さんを助けたい一心で、お金を用意していた竹田さん。
圭さんの学費などだけではなく、小室家の生活費までもまかなっていた時期があった。
「東日本大震災の直後、佳代さんのパート先の営業時間が短縮されて、さらに収入が減ってしまったそうです。
佳代さんは竹田さんに何度も電話で“今月厳しいからお金を都合してほしい”と
毎回10万円ほど要求するようになったそうです。
圭さんにかかった費用と小室家の生活費で、貸した金額は合計で400万円をゆうに超えてしまったんです」
確かに、竹田さんが友人に見せた銀行の通帳には、佳代さんの口座へ
合計400万円以上が送金されていることが確認できた。

一方で、電話をかけてくると、決まってお金の話ばかりの佳代さんに対して、
竹田さんの気持ちもだんだんと醒めてきていた。
 そんなとき、別れを決定づける出来事が。
「圭さんが20歳前後の誕生日に、竹田さんが新橋の高級レストランでお祝いをしてあげたそうです。
そこまではいいのですが、翌年の圭さんの誕生日に、佳代さんが“あの店じゃないと意味がない”と言い出し、
竹田さんが別の店を予約していたのもおかまいなしに勝手にその新橋の店を予約してしまったんです。
もちろん、会計はすべて竹田さんで、そのときに“私はただの財布じゃない。
もうこの人とはやっていけない”と別れを決意したそうです」

そして竹田さんは婚約解消を伝えてーー
そして婚約から約2年後の'12年9月ごろ、竹田さんの自宅を訪れた佳代さんと圭さんに対して、
婚約解消の旨を伝えたという竹田さん。
佳代さんは意外にもすんなり了承したのだが、貸していた400万円超については、やはりトラブルとなった。
「彼は婚約解消を伝えたあとに、今まで振り込んだお金を返してほしいと文書で伝えました。
その後、佳代さんからは“月に1万円ずつほどしか返せません”と電話があり
最初は返す意思がある様子だったと竹田さんは話しています。
しかし数日後、佳代さんは弁護士に相談したのか、家まで届けにきた文書の中で
“お金は贈与されたもので、返す理由がない”と返金を拒否してきたのです。
その際、佳代さんと一緒に訪れた圭さんも“贈与だと認識しています”と言っていたそうです。
確かに、借用書を交わさなかった竹田さんも悪いと思いますが、佳代さんにお金をあげたつもりはなかったんです。
旦那さんが急に亡くなり、お金にそうとう困っている人に対して、
借用書を作らせる行為がどうしてもできなかったと彼はつらそうに漏らしていました……」

竹田さんは、佳代さんに対する善意を踏みにじられた悔しさでいっぱいだという。
「竹田さんも弁護士に何度か相談したらしいのですが、
借用書がないことなどから裁判で勝つことは難しいと言われたそうです。
その弁護士からは、今は相手の誠意に期待して様子を見るしかないと伝えられた竹田さんは困り果てています」
12月7日の朝7時半ごろ、竹田さんとの“借金トラブル”について話を聞くため、
自宅マンションから出てきた佳代さんを直撃すると、記者を一瞥して最寄り駅の方向へ早足で歩きだした。

─竹田さんから圭さんの学費や留学費用、生活費のために400万円以上のお金を借りたことは事実ですか?
「……」

─竹田さんに対して返金する意思がないとお伝えしたと聞いていますが、お金を返す意思はないのでしょうか。
「……」

 竹田さんの名前と借金の話を投げかけると、顔が少しうつむき、さらに歩くスピードが上がった。
─秋篠宮家の方々は、この事実をご存じなのでしょうか。

「取材にはお答えできません。申し訳ありません……」
と言い残して去って行ってしまった。

借金トラブル、こういう場合は?
『弁護士法人・響』の天辰悠弁護士は、今回の“借金トラブル”に関してこう見解を示す。
「結論としては、竹田さんがお金を取り戻すことはそうとう難しいと思われます。
今回はお金の受け渡しの理由が『金銭消費貸借契約』、つまりお金の貸し借りに基づいて行われているのか、
それとも『贈与契約』に基づいているかで争いが起こっています。
仮に裁判ということになれば、竹田さんはお金の貸し借りの契約が交わされたことを証明しなければなりません。
今回のように合計400万円の大金を貸し借りするならば、
通常は借用書を作成して、契約の年月日や返済方法、返済期限などを明示します。
このような借用書がないと、竹田さんも贈与として認識していたのではないかと推認されてしまう可能性が高いので、
取り戻すことが難しくなってしまいます」
借用書などがない場合でもお金を取り戻せる方法は、佳代さんが今の姿勢を崩すということだけだという。
「小室さんが一部でも竹田さんに返済したという事実があれば、
小室さん側もお金を借りたという認識があったということなので、貸借契約が成立していた裏づけになります。
しかし、小室さん側がこの返金は今まで受け取った400万円に対するお金ではないという反論も当然できます。
基本的に小室さん側が争う姿勢を崩さないと、竹田さんがお金を取り戻すことはできないでしょう」(天辰弁護士)
法律的にも竹田さんは劣勢に立たされているのだ。

一方で、皇族の嫁ぎ先に対して求められる「品位」について次のように話すのは、
宮内庁OBで皇室ジャーナリストの山下晋司さん。
「女性皇族の嫁ぎ先は、家柄やお金の有無より品位のほうが大事でしょう。
それは、結婚される女性皇族に支払われる一時金は、一般の国民になった後も
皇族だった者としての品位を保持していただくため、という目的からもわかります。
さらに、嫁ぎ先のご家族が社会から非難されるようなことをすれば、
嫁がれた元皇族の品位までも穢すことになりかねませんから、
国はご家族の品位も含めて求めているといっていいでしょう。
本件の事実関係がわかりませんので一般論になりますが、
借りたお金を返さない家庭に皇族が嫁がれるというのは、好ましくありません」
佳代さんから1円たりとも返ってこない「大金」のせいで、ついに竹田さんの生活にも支障をきたしてしまった。
「400万円が返金されないおかげで、竹田さんは住んでいた家のローンが払えずに、自宅を売却するしかなかった。
貸したお金さえ返ってくれば、家を手放さずにすんでいたのに。
これは誤解してほしくないのですが、竹田さんは圭さんの結婚の邪魔をしたいという気持ちはまったくありません。
ただ、竹田さんのお金で圭さんはICUに進学し、アメリカ留学にも行くことができて、
さらには小室家の生活までもが成り立っていたということを佳代さんに少しでも考えてほしいだけなんです。
月に1万、2万円でも返済するような努力や誠意を見せてくれることを今でも彼は望んでいます」(友人)
来年に迫る眞子さまの結婚に水を差すような今回の事態。
今後、小室家が竹田さんに誠意を見せる日は訪れるのだろうか─。
http://www.jprime.jp/articles/-/11267


小室さん母のゴシップ報道の是非を巡って論争 --- 八幡 和郎
12/15(金) 17:23配信 アゴラ
「週刊女性」が小室圭さんの母親が、再婚を前提につきあっていたある男性と
トラブルを抱えていると報じている。
“秋篠宮家はご存知か! 眞子さまの婚約者・小室圭さん母「400万円」借金トラブル
(http:// www.jprime.jp/articles/-/11267)”
この手の報道をするときは、週刊誌編集部としても慎重だから根も葉もない話ではないのかもしれない。
しかし、この話の真偽などはたいした話ではない。
心配なのは、眞子さまが結婚されたあと、たいへん苦労されることになるのではないかと言うことであり、
結婚ののち、皇室との関係で、いろいろな悩みが出てくるのではないかということだ。
それに対して、そんなことは心配しなくて良いという人も多いが、その理由は様々だ。
第一は、婚約をされるに当たって、宮内庁はよく周辺状況を調査していたうえで、
大丈夫だと判断しているのだから、心配する必要などないということだ。
しかし、これには根拠がない。昔のように興信所や警察を使って徹底的に調べるというようなことは難しい。
婚約スクープをものにしたNHKの記者が圭さん本人にあっていろいろ話を聞いたといっているわけで、
公的機関が動くことは両親も望まなかっただろうし、余り動いていないはずだ。
第二は、本人同士が愛し合っておれば、本人の経済状況や家族に
いろいろ難しい問題があってもいいではないかといういう意見だ。
もちろん、一般論としてだが、本人たちが愛し合いどんな困難があっても結婚したいというのなら、
最終的には止められない。
しかし、困難をしっかり予測し覚悟して頂くことは必要だ。また、皇室に出入りする場合のルールについて、
問題が生じないように互いに話合う必要がある場合もあるが、そういうことができているのかは少し心配だ。
第三に、めでたい結婚の前にお祝い事に水を差すのはいかがなものかという人も多いが、
国民上げて祝っておいて、あとで、あれやこれや批判する方が良いはずはない。
イギリスなどでも、王族の結婚相手はあれやこれや詮索され、
ふさわしいの、ふさわしくないのと国民的議論がなされ、問題点があれば解決できるか模索がされ、
そのうえで、王室も最終判断をしているし、それが正しいと思う。
第四に、現行法制では、眞子さまは、結婚とともに皇室を離れられるのだから、
皇室に入ってこられる妃殿下選びの時と違って皇室とは関係ない話だから勝手にすれば良いというものだ。
それはたしかに形式上はそうで、だから、皇族男子の結婚と違って、皇室会議の了承もいらないことになっている。
しかし、女性宮家というような可能性も議論される中では、その場合にどうなるかも考えねばなるまい。
その場合は、小室圭氏は殿下ということになるのが普通の考え方になる。
もちろん、一人息子だから、母親も一緒に御所に同居されることもあり、
事実上、皇族に準じるような立場に立たれることもありうるわけだ。
私はすでに書いたように、皇族の結婚は最終的には本人の自由意思で良いと思う。
しかし、それは、皇族としての自覚のもとに、熟慮し、
場合によっては、条件をきちんと整えたうえであるべきだと思う。
たとえば、オランダの場合は、結婚は認められるが、王位継承権を失ったり、王室を追放されたりもする。
あるいは、王妃は父親がアルゼンチンの独裁政権の閣僚だったことから、
父親と政治的意見を共有しない宣言をさせられ、結婚式や戴冠式にも出席を認めないことを約束させられたが、
こうしたやり方は筋が通っている。
それに比べ、日本の皇室の女性の結婚の場合は、一億円余りの、いわば手切れ金を払って知らぬ顔である。
これは、当面、対面を保つためのものであって、資産家に嫁ぐことを前提にしたものである。
また、皇室を離れた女性が困窮されても、実家である皇室は経済的に助けることは非常に難しい。
私は、『男系・女系からみた皇位継承秘史』(歴史新書)(http://amzn.to/2yv1Pu8)において、
皇族が結婚相手をみつけ、また、円滑な結婚生活を送れるようにするための環境をしっかりと整備し、
また、結婚の前にライフプランについて、きちんとした話し合いをし、
互いに納得することをできるように制度として確立すべきだという提案をしている。
こういう具体的な困難な問題をスルーすることが皇室を敬うことであるはずがなかろう。
眞子さまの場合でいえば、小室氏の能力に無理なく応じた仕事を議論し斡旋し、
眞子さま自身も引き続き手伝うことである程度の収入が得られるように図り、
住宅についてもどうするつもりか心づもりを議論しておくべきだと思う。
女性宮家を創設しなくても、将来の天皇のお姉様なのだから、
皇室から出た女性として一定水準の対面を保てないと困るのである。
それができていないと、眞子さまも不幸になる可能性が高いし、皇室にも迷惑がかかるいろんな事態も心配だ。
しかし、現状ではそのあたりは、いささか心許ない状態であって、
両手をあげて良かった良かった、きっと幸福になれるとはやしたてることは親切でも、
皇室を敬うことにもならないのではないかと憂慮する。
もし、これが隣家のお嬢さんの縁談であれば、となりのおばさんやおじさんが、
「圭さんはとっても感じの良さそうな青年だけど、将来設計は本当に大丈夫なの」と
アドバイスしても失礼でもあるまい。そういう意味で、週刊誌などが、おそらく、
眞子さまも宮内庁も把握していないこうした心配のたねがあれば、
皇室に対する敬意を保持しつつなら報道しても、それは皇室を大事に思うからこそであって、
否定的にみるべき理由はないと思うし、それを踏まえて、眞子さまはじめ当事者が良く話合われたらよいことだと思う。
八幡 和郎
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171215-00010006-agora-soci


2018.01.26
ジャーナリズム
眞子さま嫁ぎ先「借金トラブル」、結婚延期の可能性…秋篠宮殿下が強い懸念、宮内庁も

国を挙げての慶事に、暗雲が立ち込めつつある――。
3月4日に一般の結納に当たる「納采の儀」、11月4日には結婚式を執り行う予定の秋篠宮家長女の眞子さま。
そのお相手で都内の法律事務所にパラリーガルとして勤務する小室圭さんの母親・佳代さんをめぐり、
ただならぬ報道が続いている。
昨年12月、「週刊女性」(主婦と生活社)は、佳代さんが元婚約相手から受けた金銭的援助をめぐる
400万円超の借金トラブルを抱えているとスクープし、
今月25日には主要週刊誌3誌が一斉に両者の詳細なやりとりを含めて後追いで報じている。
「秋篠宮殿下は、3人のお子さまの意思を尊重するという教育方針でこれまでやってこられました。
そのため、眞子さまは学習院大学ではなく国際基督教大学に進学され、
悠仁さまも自主自立を掲げるお茶の水女子大学付属小学校に進まれました。
眞子さまのご結婚についても本人の意思を尊重され反対されなかった殿下ですが、
ここにきて周囲に懸念の声を漏らされておられます」(皇室の事情に詳しい人物)
そして秋篠宮家に限らず、一連の報道を受けて“お祝いムード”は一気に冷え込んでいると、
宮内庁関係筋は明かす。
「眞子さまは民間の方とのご結婚による皇室離脱後も、皇室行事に参加したりと、
完全に皇室との関係が切れるわけではありません。
そのため、一定の品位を維持するという名目で国庫から1億円以上の一時金が支払われるわけですが、
一連の報道が事実であれば、そうしたご家庭に嫁がれることで
果たして眞子さまは品位を保たれることができるのかと心配する声は多いです。
また、将来、眞子さまの弟である悠仁さまが天皇に即位されれば、圭さんは天皇の義兄になりますが、
その家が借金トラブルを抱えているというのは、天皇の尊厳を大きく損ねかねず、あってはならない事態です」
こうした現状に今、「宮内庁は“かなりマズイ”という危機感を抱き、大慌て」(マスコミ関係者)だという。
「今回は天皇家の一角である秋篠宮家にかかわる問題なので、宮内庁にとっても事は重大です。
婚約にあたり、当然ながら宮内庁も小室家の“身体調査”は行いましたが、
あくまで眞子さまは皇室の“外”に出ていかれる身でおられるので、
たとえば親族に犯罪歴のある人物がいないのかどうかという最低限レベルの調査しか行っておらず、
借金があるかどうかなど突っ込んだ調査まではしていません。
そのため、昨年12月の『週刊女性』のスクープは、宮内庁幹部にとっても寝耳に水でした」(同)
では、婚約解消という最悪のケースはあり得るのだろうか。
「一般の家であれば、婚約相手の家に多額の借金があると判明して、
それが嫌であれば婚約を破棄すれば済む話ですが、
眞子さまと小室さんはふたり揃って婚約内定会見をされている以上、
今さら破棄すれば、皇室に対する信頼度が揺らぎかねません。
現実問題として、いきなりの破棄は難しいでしょう。
ただ、なんらかの理由をつけて延期するという可能性は考えられるかもしれません。
そのうえで、どうしても秋篠宮家として“結婚は難しい”という判断になれば、
そのまま引き延ばしてウヤムヤにするという方法も考えられますが、
相当ハードルが高いのは間違いありません」(前出と別の宮内庁関係筋)
皇室が抱える深い苦悩に、多くの国民が胸を痛めていることだろう。
(文=編集部)
http://biz-journal.jp/2018/01/post_22115.html


眞子さまのお相手・小室家巡る報道に「何か思惑を感じる」
2018.01.27 16:00
結納まであと1か月半。だが、眞子さまの人生の門出に、暗い影が落ちている。
お相手・小室家を問題視する報道が次から次へと止まらないのだ。いったい、誰が何の思惑で──。
週末土曜日の1月20日午後3時半頃、皇居に1台の車が入っていった。
後部座席に乗られていたのは、秋篠宮家の紀子さまと眞子さま。
その日、皇居では公式の行事や儀式もなく、誕生日のようなお祝い事やご会食の予定もなかった。
当然、沿道にメディアもいない。予定にない訪問だった。
「警備の都合などもあり、通常なら早めにスケジュールが組まれるのですが、その日は本当に突然のことでした。
ほとんどの場合は秋篠宮ご一家お揃いで参内され、ごくたまに紀子さまと悠仁さまおふた方ということもあります。
しかし、紀子さまと眞子さまだけというのは過去にあったかどうか。
何か急いで両陛下にお伝えしなければならないことが起きたのでしょうか。
それとも、両陛下がおふたりに伝えたいことがあったのか…」(宮内庁関係者)
今年11月4日、眞子さまは国際基督教大学(ICU)時代の同級生・小室圭さんと
帝国ホテル(東京都千代田区)で結婚式を挙げられる。
だが、内親王としては2005年の紀宮さま(黒田清子さん)以来13年ぶりの慶祝の日を控えて、
前代未聞のムードが漂っている。
「眞子さまと小室さんのご結婚に異議を投げかけるような動きがあるのです」(別の宮内庁関係者)

◆親族との「復縁」にいなかった母
 小室家の知人が明かす。
「昨年9月の婚約内定会見のあと、小室さんがある食事会を催したそうです。
出席したのは小室さんとは“断絶状態”が続いていた父親方の親族数人。
結婚の儀式や披露宴に向けての一族の“復縁”の機会だったようですが、
小室さんの母である佳代さんはその席に顔を見せなかったそうです」
晴れの日が近づいているにもかかわらず、天皇皇后両陛下の初孫である眞子さまの嫁ぎ先は、
何やら不穏な空気に包まれている。
キャンパスで愛を育んだ眞子さまと小室さんの、まさに「現代風」の恋愛模様は多くの共感を呼んだが、
その一方で、「まだ早すぎるのではないか」「もう少し皇族としての務めを果たしてもらいたい」という
20代中盤での「皇籍離脱」を嘆く声や、弁護士事務所でパラリーガルとして勤務する小室さんの収入や
将来設計などへの不安も囁かれた。
「秋篠宮ご夫妻はそうした声もご存じでしたが、特に意に介するご様子はなかったといいます。
お子さま方の意志を尊重されるご夫妻の方針と、何より眞子さまの強いお気持ちがありましたからね」
(前出・宮内庁関係者)
そんななか、『週刊新潮』が、2002年の父・敏勝さんの死が自殺だったことを報じ、
さらに『週刊現代』では、それを苦に父方の祖父も自ら命を絶ったことを報じた。
『女性自身』では、母・佳代さんと霊能者のような人とのつきあいが報じられ、
ほかにも佳代さんが父方の親戚縁者と断絶状態にあることや、
家族の信仰していた宗教が取り沙汰されたこともある。
「特に秋篠宮さまは浮かない表情をされることが多くなったそうです。
小室さんから家庭事情などはお聞きになっていたようですが、
そこまで込み入った話はされていなかった。秋篠宮さまも“どうしたものでしょうか”と
お困りの様子だったといいます」(前出・宮内庁関係者)
それでも「小室さん本人にまつわることではない」と、深刻に受け止められることはなかったという。
その潮目が大きく変わったのは昨年12月、『週刊女性』で佳代さんの「借金問題」が報じられたことだった。
「敏勝さんの死後、佳代さんが交際して婚約までしていた男性Aさんとの間で金銭トラブルがあったそうです。
Aさんが都合した金額は400万円以上。記事には通帳の明細の写真まで掲載されました。
出会ったのは2007年頃で、2010年秋に婚約。
ですがAさんは“財布”のような扱いに嫌気がさし2012年秋に婚約を解消。
貸したお金の返済を求めると“贈与されたもので、返す理由がない”と
佳代さんから文書で通知されたそうです」(皇室記者)
宮内庁側が頭を痛めたのは、大半が小室さんのICUへの入学金や授業料、
留学費用やアナウンススクールの授業料に充てられていたことだった。
「小室さんが男性に対して“贈与だと認識しています”と話したと報じられたことで、
金銭トラブルが『小室さん本人のこと』になってしまった。
その頃から、秋篠宮ご夫妻の前では眞子さまのご結婚の話題に触れてはならないような雰囲気ができたそうです。
この年末年始に皇族方が一堂に会した機会でも、眞子さまの結婚の話題は一切出なかったといいます。
美智子さまも、初孫の結婚の行く末を大変気にかけられているといいます」(前出・宮内庁関係者)
追いうちをかけるように、1月23日、再び『週刊女性』が「眞子さま義母が養っていた“彫金師の恋人”」と題して、
佳代さんが、Aさんとは別の男性Bさんと、敏勝さんの死後間もない頃から2007年頃まで交際していたと報じた。
「アクセサリーなどに装飾を施すBさんの仕事が立ち行かなくなったときには、
自宅に居候させていたそうです。他人を養うくらいの余裕があったにもかかわらず、
その後の婚約男性Aさんからトラブルになるほどの多額の借金をしたことに不可解さを感じました」(前出・皇室記者)
本誌・女性セブンはBさんの神奈川県内の自宅を訪ねたが「なにも話しません」と口をつぐむばかりだった。

◆何かしらの思惑を感じる
冒頭、眞子さまと紀子さまが皇居に足を運ばれたのは、
佳代さんの「2人目の恋人」が報じられるわずか3日前のこと。
「実は、借金問題が明るみに出た後から、宮内庁周辺のごく一部では
“ご結婚を根本から考え直す必要があるのではないか”と囁かれていたのです。
両陛下の初孫で、幼少から眞子さまの成長を見てきた宮中関係者の中には、
端から小室さんを結婚相手とは認めないという強硬な姿勢をもっている人も少なくありませんでした。
結婚されれば眞子さまは民間人ですが、清子さんのように宮中晩餐会に出席したり、
伊勢神宮の祭主といった大役を担う可能性もあります。皇室との繋がりがなくなるわけではありません。
小室さんとの結婚生活で、眞子さまが“元皇族としての品位を保持できるのか”という不安が聞かれるのです。
小室さんについてのネガティブな情報が流されるのは、抵抗勢力が水面下で動いているからかはわかりませんが、
何かしらの思惑が蠢いているのを感じます」(前出・別の宮内庁関係者)
一般の結納にあたる『納采の儀』は3月4日に行われる。
撮影/雑誌協会代表取材
※女性セブン2018年2月8日号
http://www.news-postseven.com/archives/20180127_646867.html