神武天皇二千六百年式年祭 関連

神武天皇二千六百年式年祭


週刊女性2016年2月23日号
皇室を長年取材するジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡辺みどりさんは、
皇室内の"歴史教育"について、とあるエピソードを明かした。
「1970年代、美智子さまが皇太子妃時代にお住まいだった東宮御所を私が訪れたときのことです。
本棚に『かみさまのおはなし』という、『古事記』に書かれた日本の神話を
子ども向けにした童話があるのを見かけました。
両陛下は、皇太子さまや秋篠宮さまや黒田清子さんが幼いころから、
日本の成り立ちや皇室の先祖の伝承について、きちんと教育されているのだなと思いました」(渡辺さん)
それから約40年、皇后美智子さまの“教育の成果”は、孫の世代まで着実に伝わっているようだ……。
宮内庁関係者は、天皇ご一家のこの春の予定について説明する。
「4月3日は、初代の天皇とされる神武天皇が崩御してから2600年にあたる式年祭が行われ、
天皇・皇后両陛下は奈良県の神武天皇陵を参拝される予定になっています。
100年前に、大正天皇が参拝した前例もあります。
陵の隣にあり神武天皇を祀っている橿原神宮にも、両陛下はお立ち寄りになることも検討されています」
75年前の「紀元二千六百年」を思い浮かべる人もいるかもしれないが、
当時は神武天皇が即位したとされる年を祝うもので、今回は没してから2600年の節目にあたる。

「神武天皇は、『古事記』や『日本書記』に、125代続く天皇の初代として伝承がありますが、
戦後の古代史学界では、疑問視されてきました」
そう説明するのは、皇室制度史に詳しい京都産業大学名誉教授の所功さん。
「しかし、最近では第10代の崇神天皇が3世紀前半ごろ実在されたと判明しました。
従って、それからさかのぼり、初代の大王は1世紀前半ごろ、現在の神武天皇陵や橿原神宮のある周辺に、
拠点を築かれた可能性は研究者の間でも認められつつあります」(所さん)
ただ、その年代は、どんなにさかのぼっても今から2000年ほど前のことで、今回の2600年とは大きな開きが─。
「このことは、歴史に詳しい今上陛下も、皇太子殿下もよくご存じだと思います。
とはいえ、その即位や崩御の年月日を記した史料が『日本書記』以外に現存しません。
そのため明治以降、それを新暦に換算し、2月11日を『紀元節』(現在の『建国記念日』)、
4月3日を『神武天皇祭』と定め、皇室でも民間でも大事にされてきました」(同)

「当日は、秋篠宮ご夫妻が両陛下に同行されることになりそうです。
秋篠宮家では、お子さま方も小さいころから神武天皇陵を拝礼されていますが、
皇族としての教育の意味もあったのだと思います。
長女の眞子さまが11歳、次女の佳子さまが8歳だった'03年3月に、
初めて神武天皇陵を参拝されました」(秋篠宮家関係者)
長男の悠仁さまは幼稚園時代の'12年11月に、スーツにネクタイ姿で玉串をささげられている。
http://www.jprime.jp/tv_net/imperial_household/23734


現地へは秋篠宮ご夫妻が同行されるが
どうなる!? 美智子さまが期待される雅子さまの神武天皇陵ご参拝
2016年02月10日(水) 16時00分
この春、天皇・皇后両陛下は奈良県の神武天皇陵を参拝される予定だという。
また、当日は秋篠宮ご夫妻が同行すると見られている。一方の皇太子ご夫妻は東京にとどまられるそうだ。
「雅子さまはご成婚翌年の'94年以来、愛子さまは1度も神武天皇陵を訪問されていませんが、
雅子さまの病気療養とは無縁ではないと思います。
遠方ですし、伝統的な儀式や祭祀は、治療中の雅子さまには負担が重いからです」(宮内庁担当記者)
そんな状況の皇太子妃雅子さまに、過度な重圧とならなければいいが……。
東宮職関係者が、当日の皇太子ご一家の予定を話す。
「皇太子ご夫妻は、4月3日に皇居の宮中三殿の皇霊殿で行われる宮中祭祀のひとつ『神武天皇祭』で、
両陛下の代わりに拝礼することになっています。
雅子さまはご体調次第になると思いますが、今回は両陛下の代拝で、
秋篠宮ご夫妻もいらっしゃらないので、責任は重大となると思います」
療養生活が始まってから12年が過ぎた雅子さまはその間、
「宮中祭祀」と呼ばれる皇室の伝統儀式に参列したのは2回のみといわれ、“苦手意識”を持たれているようだ。
皇室制度史に詳しい京都産業大学名誉教授の所功さんが、その理由を説明する。
「古式の髪型や装束をつけて出られるのは、相当な負担になるといわれていますから、
体調により出られるかどうかはわかりません。
ただ、雅子さまは皇室行事や宮中祭祀について、無理解やアレルギーがあるというのは誤解だと思います。
雅子さまは皇室の歴史や儀式についても、まじめすぎるほど突き詰めて理解しようと努めておられるそうです。
そのため、本番で失敗してはいけないという緊張に襲われ、結局、参加できないということもあるようなのです」
昨年は、両陛下から引き継いだ公務、海外訪問や園遊会の一部への出席など、
負担が重いとされる仕事をこなされてきた雅子さま。
今回の祭祀に参列できれば、「さらなる一歩」となる。
http://www.jprime.jp/tv_net/imperial_household/23737


女性セブン2016年4月21日号
7年ぶりに宮中祭祀の雅子さま 戸惑いを抱いた理由は
2016.04.12 11:00
雅子さまは4月3日、皇居・宮中三殿で7年ぶりに宮中祭祀に臨まれた。
「4月3日は初代天皇である神武天皇の命日で、
毎年、その御霊に祈りを捧げる儀式・神武天皇祭が宮中三殿で行われます。
今年は没後2600年と節目の特別な年にあたり、天皇皇后両陛下は奈良県の神武天皇陵まで赴かれました。
そのため、例年は両陛下が務められる拝礼を、皇太子ご夫妻が名代として果たされたのです。
神武天皇祭は、年間およそ20ある宮中祭祀の中でも大変重要なもの。
その祭祀に雅子さまがお出ましになったというのは大きな意味合いを持つのです」(皇室記者)
宮中祭祀とは、天照大神が祀られている賢所、歴代天皇・皇族が祀られている皇霊殿、
神殿からなる宮中三殿で行われる祭儀のことだ。
「宮中祭祀で祈るのは、端的にいえば国家の安寧、国民の幸せ、世界の平和ということに尽きます。
国民とともにある皇室を願われる両陛下は、宮中祭祀を最も重要な私的なお務めと位置づけられ、
決して休んだり、疎かにしないという姿勢を貫いてこられました」(皇室ジャーナリスト・神田秀一氏)
ところが、雅子さまは、皇室に嫁がれて以来、宮中祭祀に消極的だとされてきた。
「海外での生活が長く、帰国子女でキャリアウーマンという経歴の雅子さまにとって、
宮中祭祀という“神事”はなかなか理解することが難しいといわれてきました」(宮内庁関係者)
実際、雅子さまが宮中祭祀に臨まれたのは、最近では2009年1月の昭和天皇二十年式年祭。
その前は、2003年9月の秋季皇霊祭・秋季神殿祭にまで遡る。
ここまで大きな“距離”ができてしまった理由を、
単に雅子さまが神事になじめないということだけで片付けることはできないだろう。
「理由の1つとして考えられるのは、宮中祭祀に『潔斎(けつさい)』が伴うことです」(前出・宮内庁関係者)
『潔斎』とは何か。宮中祭祀を司る掌典職として、
57年もの長きにわたって皇室に仕えた高谷朝子さんの著書『宮中賢所物語』(ビジネス社刊)に、
潔斎についての記述がある。まとめるとこうだ。
宮中祭祀に臨むときには、起床後すぐに歯を磨いて口を清めたあと、
半畳ほどのござを敷き、この上に座って両手と片肌を脱ぎ、
直径約40cmほどのたらいのお湯で顔、腕、襟回りを洗い清める。
そして髪を結い上げ整えた後、湯殿にて、座って下半身を清めてから、
桶の湯を柄杓で肩からかけて、体全体を清める。
その後、着替えの間に移動し、古式の衣装を着用する──。
これは女官の潔斎についてだが、宮中祭祀にあたっては雅子さまも同様に清められる手順を行うようだ。
「こうした潔斎を、雅子さまは女官に全身をさらし、女官の手によって受けるといいます。
複雑な手順を遵守するだけでも療養中の雅子さまにとってはかなりのご負担だったに違いありませんが、
それを他人の手によって受けるというのは、精神的にも大変な面はあったことでしょう」(前出・宮内庁関係者)
さらに、雅子さまを悩ませた慣例があった。
「宮中では生理を、御所ことばで“まけ”といいます。この“まけ”の際には、血の穢れという概念から、
宮中祭祀にはかかわってはいけないといわれているのです。雅子さまは皇室に嫁がれて以来、
頻繁に生理のチェックをされたことをかなりご負担にお感じになっていたようで、
それが巡って、宮中祭祀への見えない隔たりとなってしまったと聞きます」(前出・宮内庁関係者)
こうした“事前準備”が済み、雅子さまは『五衣』『小袿』『長袴』という古式ゆかしい装束に身を包まれる。
着慣れない格好に、髪をおすべらかしに結い上げる肉体的な負担もさることながら、
緊張と不安を増幅させるのが、宮中三殿の持つ独特な雰囲気だという。
「皇居の中でも奥まった場所に位置し、周囲を木々で囲まれた宮中三殿には、
皇居周辺道路の音などもほとんど届きません。
ただでさえ霊験あらたかな上、時が止まったような静けさに包まれるのです。聞こえるのは衣擦れの音だけ。
そんな静寂への戸惑いやプレッシャーも、雅子さまにはおありになったのでしょう」(前出・宮内庁関係者)
女性セブン2016年4月21日号
http://www.news-postseven.com/archives/20160412_401944.html

週刊ポスト2016年4月22日号
天皇、皇太子、秋篠宮による頂上会談で皇室新時代へ
2016.04.11 07:00
モーニングに身を包んだ天皇はゆったりとした足どりで鳥居をくぐり、陵墓前で玉串を供える。
お気持ちを記した御告文を述べた後、深々と頭を下げた。
4月3日、奈良県橿原市の神武天皇陵で同天皇崩御2600年に合わせた式年祭が執り行なわれた。
天皇皇后両陛下に秋篠宮夫妻も付き従った。
同じ頃、奈良に姿を見せなかった皇太子夫妻は皇居・宮中三殿で大役を果たしていた。
歴代天皇や皇族の霊が祀られている皇霊殿で祭祀が行なわれた。
皇太子は天皇の名代、さらに雅子妃が皇后の名代として古式装束を纏い拝礼した。
雅子妃の宮中祭祀への参列は2009年に行なわれた昭和天皇崩御20年の式年祭以来で7年ぶりである。
皇室ジャーナリスト・神田秀一氏が言う。
「皇霊殿の中には天皇皇后に皇太子と皇太子妃しか立ち入ることが許されない神聖な場所です。
これまで雅子さまは祭祀に対して消極的だと伝えられてきた。
だが、今回、雅子さまは美智子さまの名代ですから体調不良などの理由で欠席するわけにはいかなかった。
ですから雅子妃は相当な覚悟で臨まれたはずです。
雅子さまが見事に務められたことに両陛下も安堵していることでしょう」
神武天皇は古事記や日本書紀に登場する初代天皇で、皇統の祖とされる人物。
その没後2600年という歴史的な一日に、両陛下、皇太子夫妻、秋篠宮夫妻が一致して
祭祀でそれぞれの役割を果たした。後に詳述するが、そこには天皇のこれまでにない強い思いがあった。
というのも、近年、皇族の足並みの乱れは国民の目にもはっきりと見てとれたからだ。
2012年春頃から月一回のペースで天皇、皇太子、秋篠宮が皇居に集まり、
意見交換などをする「三者会談」の場を持ってきた。
「両陛下と東宮一家のコミュニケーション不足を懸念した当時の羽毛田信吾宮内庁長官が発案したものです。
皇太子殿下と秋篠宮殿下の間にも幾度も“確執”が伝えられただけに兄弟で話をするいい機会となりました。
またこの会談には宮内庁長官や侍従長が同席することもあるようです」(宮内庁関係者)
皇統問題に始まり皇族減少問題、天皇の公務の分担、雅子妃の病気、悠仁親王の帝王学など、
皇太子と秋篠宮が中心となる「皇室の未来」についての話し合いを重ねているという。
だが「三者会談」は、これまで思うような成果を挙げていなかった。
「雅子妃殿下の長引く療養生活が東宮家に大きな影を落としたためです。
2013年には東宮大夫の定例会見で宮内記者会から“最近の皇太子殿下はなぜ公務が少ないのか。
もう少しお働きになったほうがいいのでは”という質問が飛び出るほど、精力的に公務に勤しまれる秋篠宮家に比べて、
私的な活動ばかりが目立つ東宮家の存在感は薄かった」(宮内庁担当記者)
会談で話し合われた結論からか、2015年からはそれまで天皇皇后が担ってきた
こどもの日と敬老の日に関する公務は皇太子夫妻と秋篠宮夫妻に引き継がれた。
「秋篠宮ご夫妻は敬老の日に先立って予定通りに日本赤十字社総合福祉センターを訪問された。
一方の皇太子ご夫妻は雅子妃のご体調の影響からか子育て支援施設『ゆったりーの』訪問の日程が二転三転。
結局、こどもの日から1か月以上もずれ込みました。
これには秋篠宮殿下も皇太子殿下に不信感を抱かれたといいます。
会談で話し合った結論を簡単に覆されたわけですから……。
とはいえ、秋篠宮殿下も兄君に遠慮がありますから、
足並みが揃わない日々がずっと続いていました」(前出・宮内庁関係者)
だが今回の神武天皇式年祭では、雅子妃を含めてそれぞれが役割を立派に果たした。
「最近の三者会談では、天皇陛下が神武天皇式年祭への強い思いを口にされたといいます。
天皇皇后両陛下が自ら神武天皇陵に参拝する形式は100年前の大正天皇、貞明皇后のやり方にならったものです。
皇室にとって神事は伝統を継承する上でも重要な柱だと陛下はお考えです。
だからこそ、陛下は伝統を守るため、100年前のやり方にこだわられ、
皇太子殿下、秋篠宮殿下に話をされたと伺っております。
両殿下は、陛下の並々ならぬ思いに“覚悟”を決められたのでしょう」(前出・宮内庁関係者)
この覚悟は雅子妃にも伝わったであろうことは想像に難くない。そして「天皇家」はひとつとなった──。
週刊ポスト2016年4月22日号
http://www.news-postseven.com/archives/20160411_402034.html

小泉首相の無関心が招いた『女帝論議』の誤り

「小泉首相の無関心が招いた『女帝論議』の誤り」
週刊新潮06年1月5・12日号
櫻井よしこ 日本ルネッサンス 第197回 
神話の時代から2600年以上、世界最古の歴史を持つ皇室制度が、いま革命的に変わろうとしている。
日本を占領統治したGHQでさえも手をつけなかった、天皇家を天皇家たらしめてきた血筋に、
手を加えようとするのが「皇室典範に関する有識者会議」の纏めた報告書である。
女系天皇の容認と長子優先を柱とする同報告書は、場合によっては皇室の伝統の崩壊につながりかねない。
一体、このような報告書はどのような背景から生まれたものなのか。
誰ひとり、はっきりと物を言う人はいないけれど、この改革案を象徴するような出来事があった。
天皇家の最重要の務めのひとつは祭祀をとり行うことである。春や秋の祭祀はとりわけ重要で、
首相以下三権の長をはじめ閣僚らも参加する。全員、モーニング着用の厳粛な雰囲気のなか、
天皇はひとり三殿で祭祀を行われる。首相らは回廊に設けられた席で、ひたすら待つのである。
或るとき、小泉首相は伝統に従い三権の長、閣僚らと共に回廊に控えていた。
席からは、奥の様子を窺い知ることは出来ない。やがて、首相は宮内庁長官に、
陛下は一体どんなことをなさっているのかと尋ねた。祭祀は祖先神への祈りであり、感謝であり、
それを陛下がどのように行われるのか、知る由はない旨長官は答えた。
すると、首相が厳しい表情で呟いたという。「改革だ」と。
回廊を充たす静寂をわずかに震わせた首相の呟きが、いまや、有識者会議の報告書となり、
皇室の在り方を根本的に変えようとしているのだ。長い歴史と日本文明の象徴である皇室を
わずか1年足らずの議論で変えようという性急な手法は、皇室の未来を郵政三事業や金融機関の再編成と
同列に置こうとする首相の国家観と歴史観の欠如を示している。
それは首相が、皇室に対して真の意味での関心を抱いていないということでもあろう。
首相が見つめているのは、恐らく、皇室に長く男子継承者が誕生していないという事実なのだろう。
眼前の問題に現実的に対処しようとの意図が、首相の私的諮問機関として設けられた有識者会議の
報告書からも見てとれる。
女系天皇の容認と長子優先を柱とした有識者会議は、吉川弘之座長、及び園部逸夫座長代理を筆頭に、
岩男壽美子、緒方貞子、奥田碩、久保正彰、佐々木毅、笹山晴生、佐藤幸治、古川貞二郎の各氏10名である。
今回、全員に取材を試みたが、園部氏と久保氏を除く人々は、
「報告書で全ては尽きている、個別の取材には応じない」とのことだった。
はじめて顕名での取材に応じた園部氏は、3時間40分にわたり懇切丁寧に答えたが、
公表の承諾を得られたのは、発言のごく一部にとどまる。
有識者会議での議事録も、公表されたのは要旨のみだ。
国民統合の象徴といいながら、皇室についての議論は余りにも閉ざされている。
GHQが作った現行憲法を、私は、是とする立場ではないが、その第1条には、統合の象徴としての天皇は、
「国民の総意に基く」と規定されている。であれば、有識者会議での非公開の議論は憲法の精神にも反し、
国民の納得からは程遠い。議論の非公開という前提からして矛盾する有識者会議は、3つの点を報告書の
「基本的視点」として冒頭に掲げた。@国民の理解と支持、A歴史・伝統を踏まえる、
B制度としての安定性の確保、である。
明らかなのは右の3点全てが達成されていないことだ。何よりも有識者自らがそのことを認めている。
たとえば、歴史・伝統を踏まえるという点について、座長を務めた吉川氏は報告書提出にあたって、
「歴史観や国家観で案を作ったのではない」と記者団に述べた。一方、久保氏は、本誌編集部との電話での応答で、
歴史については考えないと吉川座長が述べたことについて問われると、
「それはそうです。それだと(歴史を考えると)終わりなき議論になりますから」と答えた。
日本文明の価値観とは
今更指摘するまでもなく、天皇を戴く皇室の姿こそは、まさに日本の歴史であり、
日本人の歴史観、国家観を反映したものである。
皇室は祖先神を天照大神とする。
その孫の瓊々杵尊(ににぎのみこと)が三種の神器を奉じて
高千穂の峰に降臨し、日本の国造りが始まった。曾孫の神武天皇は127歳の長寿を全うした方で、
そこから天皇を戴く日本の皇室が始まったとされている。紀元前660年の即位とされる神武天皇も含めて、
これら全て、神話である。神話に端を発する万世一系、男子継承の皇室は、日本民族生成の物語なのだ。
物語は理屈を超越する。理屈での説明が難しい側面があるのは、むしろ自然なことなのだ。
現代の価値観からみて、理屈で説明しにくいことは少なくない。男系男子の天皇にこだわる余りの
後継者問題もそのひとつだ。今日まで125代、2665年の歴史で、皇室が男子継承者の不足などの
危機に陥ったことは幾度もある。その度に、嘗ての祖先たちは女性天皇を立て、
皇統につながる血筋の男性を探し出す努力と工夫を重ねた。
507年から24年在位した第26代継体天皇は25代武烈天皇とは10親等も離れていた。
奈良時代末の770年に即位した第49代光仁天皇は48代称徳天皇とは8親等離れていた。
しかもあの時代の寿命からいえばかなりの高齢、62歳での即位である。
他にも、南北朝から室町時代にかけて30年間在位した後小松(ごこまつ)天皇はその前の後亀山天皇とは
12親等も離れていた。これだけ離れていれば、いずれも親戚とはいえないような人々である。
だが、現代の価値基準で論評したり、批判するのは当たらない。大事なのは、幾百世代もの先人たちが、
それを是としたことである。それは各々の時代に生きた日本人の価値判断であり、心の積み重ねだからだ。
万世一系や男系天皇制を貫くための努力と工夫の全てが日本人の祖先の心が形になったものであり、
それらは日本文明の中心軸を成してきた価値観なのだ。
先人の心を知れば、皇室が日本の歴史観を体現していることも、皇室を論ずるのに、
歴史観や国家観を顧みないことの愚も、自ずと明らかである。
有識者会議は国民の理解が大事だと強調する。
しかし、国民の大多数にとっては、女性天皇と女系天皇の相違さえ
今だに明らかではない。せめて、それだけの基礎的知識を国民が共有してから、
皇室についての議論を展開すべきではないか。
強調したいのは、女性天皇の誕生は男系天皇制の下でも可能だという点だ。敬宮愛子様が何十年か先に、
天皇に即位なさることは、愛子様が今上天皇と皇太子の血筋をひく男系であり、
現在の男系天皇制の下でも十分に可能なのである。有識者会議が打ち出した女系天皇制は、
愛子様の次の世代の天皇にかかわることなのだ。
女系天皇が実現するなら、それは次のような形で実現すると思われる。
愛子様が成人し鈴木さんという男性と結婚なさったと仮定する。男女にかかわらずお子さんに恵まれれば、
第一子が即位し、女系天皇第一号となる。その時点で天皇家は、半分鈴木天皇になる。
上の女系天皇が成人し、次に田中さんという人と結婚したと仮定する。
すると天皇家は今度は鈴木家に田中家が混じった形となる。
こうしたことが二代、三代と続けば、一般国民との相違はなくなっていく。
天皇家が体現していたはずの民族生成の物語も、そこに込められた価値観も薄められていく。
こうして天皇を戴く皇室はその存在意義を喪っていく。それが女系天皇制の容認で予測される結果なのである。
この点について、久保氏の言葉は興味深い。有識者会議が女系天皇制を容認することで
皇室の伝統が崩れるとしても、有識者会議の報告書への異論はないかと問うと、
「ありません」と断言した。本当にそれでよいのかと再度問うと「それで結構です」と答えたのだ。
男系天皇制の否定は、まぎれもなく、天皇を戴く皇室の存続の否定につながる道である。
そのことを、有識者会議のメンバーが、肯定する。まさに、GHQの目論んだ日本潰しの策が、
今や日本人の“発議”によって実現されようとしているのだが、そんなことを許すわけにはいかないのだ。

なぜ皇室は続いたのか
それにしても私たちはなぜ、万世一系、男系天皇制によって皇室を守り続けてきたのか。
理由のひとつは権力と権威の分離である。国家も組織も人の心も、力のみによって治められるものではない。
殆んど権力を持たなかった皇室が、時の権力者が盛衰を繰りかえすなかで、不変の地位を維持してきたのは、
皇室がまさに神話以来の血筋という、特別な存在としての権威を基盤とする制度であり、
言葉以前の敬意や畏れの対象だったからではないか。1000年以上天皇は京都御所に住まわれたが、
御所には徳川家の居城の江戸城とは異なり、堀も石垣もない。あるのは幅一尺ほどの疎水と、
優しげな塀である。侵入は容易に可能だ。しかし、日本人は御所に若干の例外を除いては、
攻め入ろうとしたことはない。自民党国会対策副委員長の下村博文氏が語る。
「比叡山を焼き討ちにして、僧3,000人を殺した信長でさえ、安土城を造ったとき、
そこに清涼殿を作っていたことが発掘調査で明らかです。
天下平定の際には、天皇をお迎えしようと考えていたのです。
御所の佇まいをみても、天皇家が国民によって守られてきたことは明らかです。
そのことは、権力とは無縁の権威の力こそが国家統合に必要だと告げているのではないでしょうか」
もうひとつ現代人にとっては、男女同権の時代になぜ、女系天皇が否定されるのかという疑問であろう。
女性天皇と女系天皇の違いが明確に認識されないとき、この疑問への否定的な答えは理解され難い。
だが、男系天皇制の下でも女性天皇は本来、可能なのだ。現在それを妨げているのが皇室典範第1条の
「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」という条項である。下村氏が解説した。
「この1条から一文字削ればよいのです。“男系の男子”の代わりに“男系の子”とすれば
愛子様も即位出来ます。それによって、128代までの天皇が確保され、その次の天皇の件については数十年、
考え、手を打つ時間が与えられます」
女性天皇の誕生は、皇室の存続をも危うくすると有識者自身が認める大改革を行わずとも可能である。
まさに一文字を削ればよいだけだ。
女性天皇は本来、男系天皇制のなかに息づき、包含されてきたのだ。飛鳥、奈良、さらには江戸時代にも、
女性天皇は8人、10代が存在した。だからこそ、女性天皇を否定するものではないという
本来の形に戻す作業を、いま、行えばよいのだ。
だが、男女平等や同権にこだわるあまり、日本の伝統や歴史を置き去りにすれば、
結果として女性天皇を超えて女系天皇にまで突き進む。そして久保氏の言葉のように、
皇室自体の否定につながっていく。

蹂躙される日本人
百地章日大教授が語った。「皇室廃止を主張してきた人々が今回の報告書を支持しているのです。
そのひとり、東大名誉教授の奥平康弘氏は、女系天皇は天皇制の正統性の根拠である
萬世一系のイデオロギーを内側から浸食すると、“評価”しています。
女系天皇はこのような皇室廃絶論者たちに悪用されていくことでしょう」
数学者でお茶の水女子大学教授の藤原正彦氏が一刀両断の勢いで語った。
「我々が皇室制度を変えることは、飛鳥、奈良、平安と千数百年の
各々の時代の日本人の心を蹂躙することに他なりません。
なぜ、平成の時代に日本人に、古えの人々を蹂躙する権利があるのか。傲岸不遜です」
氏は、伝統は続けていくことが重要で、物事には変革すべきこととすべきでないことがあると強調する。
有識者会議の報告書の不評に抗うように、報告書の内容は今上陛下のご意向に沿うものだとの情報が、
各レベルで伝えられている。この種の情報は直ちに日本の犯した世紀の過ちの記憶へとつながっていく。
92年、中国は日本の領土である尖閣諸島を奪う意図で領海法を制定、尖閣諸島を中国領と宣言した。
そのときに、日本政府はなんと、天皇皇后両陛下の御訪中を実現させた。
領土を奪おうとする国になぜ友好親善の最高の切り札である両陛下の御訪中で応じるのか。
強い反対論が渦巻いたとき、御訪中は陛下の御意向だという情報が流され、反対論がおさえられた。
御訪中によって未来永劫、日中友好は担保されると政府は説明したにもかかわらず、
それから13年後の今日の現実はそうはなっていない。
“陛下の御意向”という天皇家の政治利用が、決して良い結果を生まないのは、
それが反対論潰しの便法にすぎないからだ。
論理や熱意やこの国への愛で論破する力がないために、
究極の政治力を使おうとする試みは心して排除しなければならない。
偽りの情報を用いての対症療法で国家の根幹を構成する問題が解決されるはずがない。
一方で、天皇の御意向であるとの情報が広められ、他方でェ仁殿下が女系天皇制を明確に否定すると、
吉川座長が、「どうということはない」とコメントしたと報じられた。
この種の非礼は伝統的日本の価値観では認められないものだ。
情報が錯綜している今、拙速こそ慎むべきだ。有識者会議以外にも、多くの考えが提示されている。
旧宮家の皇族への復帰、然るべき家系からの養子制度、或いは有識者会議に基本的に賛同しながらも、
皇学館大学名誉教授の田中卓氏が提唱するように、天皇から4世孫までを皇親として認める皇親制の復活もあろう。
日本の皇室の突出したすばらしさは、君臣の義の正しさにあると田中教授は強調する。
必要なのはその伝統を守る方向での、日本再生の議論である。
間違っても、郵政事業や金融改革と皇室問題を同じレベルで論じてはならないのだ。

譲位報道後、張り切っているご様子の雅子妃

「皇后・雅子さま」への助走 ご快復と鬼気迫る責任感
2016.07.27 07:00
生前退位のご意向を示されたと報じられた天皇陛下。
もしこのご意向が果たされれば、数年以内に皇太子さまが新たな天皇に即位される。
それはつまり、「皇后・雅子さま」の誕生を意味する。
2004年に適応障害による療養生活に入られてから、雅子さまのご快復具合は浮沈を繰り返してきたが、
ここ数年は明らかに上向いてきている。
その上昇気流は、陛下が生前退位のご意向を強められるのにシンクロしているように見える。
陛下が心臓のバイパス手術を受けられた2012年、雅子さまのご活動は、まだ宮中でのご会釈といった公務に限られた。
それが、翌2013年4月、オランダ国王の即位式に出席され、11年ぶりにご夫妻揃っての海外公式訪問を果たされた。
同年10月には、10年ぶりに『全国障害者スポーツ大会』の開会式に出席された。
「今思えば、陛下の退位へのお気持ちは、その時期に三者会談(※天皇陛下、皇太子さま、
秋篠宮さまが定期的に開いていた意見交換の場)を通じて皇太子さま、
そして雅子さまへと伝わり始めたのではないでしょうか。
以来、雅子さまに変化が見られるようになっていきました」(東宮職関係者)

◆異例だった直接のご下問
2014年7月には歴代天皇を祀った武蔵陵墓地を12年ぶりに参拝。同月、伊勢神宮を20年ぶりに参拝された。
8月になると、12年ぶりに全国高校総体の競技を観戦され、
10月末には国賓として来日したオランダ国王夫妻の歓迎行事に5年ぶりに出席され、
同日夜に行われた宮中晩餐会への参加は11年ぶりとなった。
昨年7月に2年ぶりの海外となるトンガ訪問を無事果たされると、11月には12年ぶりに秋の園遊会に出席され、
今年4月の春の園遊会にも連続して出席された。ほぼ同じ時期に、
雅子さまがもっとも苦手とされるといわれていた務めの1つでもある皇居・宮中三殿での
宮中祭祀に7年ぶりに臨まれ、美智子さまの代役を担われた。
雅子さまの公務への邁進ぶりからは、単なる体調のご快復だけでは言い表すことのできない、
何か鬼気迫る責任感のようなものが感じられる。
そして、その覚悟は両陛下にも充分伝わっていたようだ。
「4月中旬頃、両陛下から雅子さまに“最近の体調はどうですか?”といった問いかけがあったといいます。
それまでも両陛下はことあるごとに雅子さまのご体調を気にかけていらっしゃいました。
ですが、療養中ということもあり、余計なプレッシャーを与えてはいけないと、
様子をうかがうのは常に関係者を介してで、直接のご下問なら極めて異例のこと。
そんな突然のことに、陛下と美智子さまに“もう大丈夫です”と雅子さまは告げられたそうです。
その力強いお答えに両陛下はいたく安堵されたことでしょう」(宮内庁関係者)
天皇陛下が生前退位のご意向が示されたとされている5月以降、雅子さまは宮中での公務も含め、
これまで以上にお出ましが多くなった。6月には、千葉、岩手と
宿泊を伴ったものを含めた2週連続の地方公務が13年ぶりに実現した。
「最近では、宮内庁担当記者に配布されるスケジュールを記した文書に、
雅子さまが皇太子さまとご一緒にお出ましになる予定のものには
『(両)殿下』と記載されるようになりました」(皇室記者)
岩手訪問時には、これまで見られなかった新たな雅子さまのご様子が垣間見られたという。
「雅子さまは、昼食を岩手県知事らとご一緒に召し上がったんです。
食事をとるのが特別なのかと思うかもしれませんが、これまで、雅子さまは別室で食事をされてきました。
その理由は、雅子さまが苦手とされるたくさんの人の視線にあります。
雅子さまは食事の際、かなりゆっくりと召し上がるのです。
周囲が先に食べ終わると、雅子さまの様子をうかがいながら待ちますよね。その視線の先で食事を続けることに、
雅子さまはかなりのプレッシャーを感じられてしまうため、これまでは別室だったのです。
それがこの日、食事をされながら楽しくお話をされていたそうです」(前出・皇室記者)
また、被災者との懇談では、皇太子さまと別々にお声がけするお姿が見られた。
「以前はお声がけするといっても、皇太子さまの横に控えられ、一言二言お話になるのが精一杯で、
会話の中心は皇太子さまが担われていました。それがこの時は、早々に皇太子さまと別れ、
積極的にお声をかけられていた。それは、“ひとりでも多くの人にお声がけし、
励ましたい”という両陛下と同じスタイル。“皇后・雅子さま”への助走路に入られていることが伝わってきました」
(前出・皇室記者)
撮影■雑誌協会代表取材
※女性セブン2016年8月4日号
http://www.news-postseven.com/archives/20160727_431969.html

雅子さま「規制線を踏み越える」スタイルで皇后への準備
2016.07.28 16:00
7月21日午前10時過ぎ、皇太子ご一家は奈良県にある神武天皇山陵の参拝に向かわれるため、
東京駅に姿を見せられた。神武天皇は、日本の初代天皇と考えられる人物で、今年、ちょうど没後2600年を迎える。
ご一家を見送ろうと、改札や新幹線ホームには多くの人が集まったが、
そこには冒頭のように往年の皇室ファンもたまげる異例の光景があった。
「今まで、ご一家が新幹線に乗り込まれるときには発車するまで、ホームにはロープで規制線が張られていました。
近くでお顔を拝見したくても、少なくとも10m以上の距離があったんです。
今回その規制の位置が大幅に変わっていました。3mくらいまで近づけたんです。
窓際に座られたご一家のすぐ近くまで行けて、窓越しにお手振りもしていただきました」
(75才主婦・追っかけ歴23年)
雅子さまにカメラやスマホを向ける人々の姿も目を引いた。
中には大声で、「ブラボー! プリンス&プリンセス! アンビリーバブル!!」と
興奮した様子でシャッターを切る外国人観光客の姿もあった。
「もうビックリです! お宝ショットが撮れましたが、掟破りをしている気分で落ち着きませんでした。
今まで写真撮影にはいちばんピリピリしていて、カメラを持っていると警察官が“写真は撮らないでください”
と強く注意して回るほどだったんです。それだけじゃなく偶然居合わせたサラリーマンや旅行客にも、“
どちらへおでかけですか?”“何時の新幹線ですか?”と牽制するほどでしたから…」(56才パート・追っかけ歴14年)
「10m規制線」「写真NG」の超厳戒態勢は3年前の「罵声事件」の影響もあった。
2013年3月、奥志賀高原(長野県)へのスキー旅行に向かわれるため、東京駅の改札を通り過ぎようとしたとき、
60代くらいの男性が唐突に「仮病・さぼりの税金泥棒! 皇室から出て行け!」と、罵声を上げ、
雅子さまは凍りつくような表情を浮かべられていた。
今回厳戒態勢が解かれた背景には、雅子さまの大きな心境の変化があったという。
7月13日、天皇陛下の「生前退位」のご意向が報じられ、日本中に激震が走った。
報道後、雅子さまが公に姿を見せられになるのはこの日が初めてだった。
「雅子さまは帽子にスーツ、靴まで全身白のコーディネートでした。雅子さまが白をお召しになるときは、
“特別”なんです。伝統的に続く公務や、雅子さまが大事にされている若い世代との交流といった場で、
白を身につけられている印象が強いですね。
この日もいつになく気合が入っているご様子に見えました」(50才主婦・追っかけ歴23年)
追っかけファンの興奮は冷めやらないが、
この規制線を“踏み越える”スタイルは天皇皇后両陛下にならったものだという。
時折、ブログやツイッターに「たまたま両陛下と居合わせました」と写真つきで綴られることがある。
写真には、いつも通り穏やかな笑顔の両陛下のお姿が収められている。
中には、カメラ目線で手を振られている『サービスショット』まで。
そういった写真は、両陛下から3mほどの近距離から撮影されたものだ。
「生前退位」報道から神武天皇山陵参拝のためにお出ましになる約1週間、
雅子さまは緊張の色を浮かべられていたという。
「神武天皇山陵の参拝は、雅子さまにとって約22年ぶりのことで、ご不安もおありだったと思います。
加えて、あの報道ですからね。周囲の人間は、プレッシャーをおかけしないよう
いつも通りに振る舞うよう心がけていたそうです。
そんな雅子さまを支えたのは、他でもない皇太子さまだったといいます。できるだけ一緒に時間をお過ごしになり、
緊張をほぐすよう努められたそうです」(東宮職関係者)
東京駅に姿を見せられた雅子さまのお顔から、緊張は消えていた。
「神武天皇は、現在まで続く皇室の始まり。雅子さまは覚悟を持って神武天皇山陵の前に立たれ
“次代の天皇、そして皇室をしっかりと支えていきます”と、
『皇后としての誓い』も捧げられたのではないかと思うのです」(前出・東宮職関係者)
雅子さまは、着々と皇后への助走路を歩まれている。天皇陛下の「生前退位」報道が日本中を駆け巡ってから約1週間後、
雅子さまは神武天皇山陵を拝礼された。生前退位が実現すれば、それはすなわち「新皇后・雅子さま」の誕生を意味する。
公の場に姿を見せられた雅子さまのご様子からは、皇后に向けた準備が着々と整っていることが伝わってきた。
撮影■雑誌協会代表取材
※女性セブン2016年8月11日号
http://www.news-postseven.com/archives/20160728_433893.html

雅子さまがお忍び出席された学年会でのご様子を同窓生が語る「表情が違いますね」
週刊女性2016年9月27日号
2016/9/14
皇太子妃雅子さまは小学3年から高校1年まで、
都内でも有数のお嬢様学校である「田園調布雙葉学園」に通われていた。
「田雙の中学時代には、野球好きだった雅子さまは、ソフトボール部を立ち上げ、
中3のときには世田谷区大会で優勝するほど熱中されていました。
最近は、雅子さまのご指導もあり、愛子さまは中学の球技大会の
ソフトボールで活躍されました」(皇室ジャーナリスト)
そんな思い出のつまった28回生の学年会(同窓会)が、この7月17日に行われ、雅子さまはお忍びで出席されたのだ。
「昨年の同窓会では、雅子さまは急に用事が入ったそうで欠席されたのですが、今年はいらっしゃいました。
生前退位の報道があった直後だったので、少し心配でしたが、とても笑顔で楽しそうな様子で安心しました」
そう話してくれたのは、雅子さまの同窓生Aさん。
都内にある会員制社交クラブで開かれた今回の会は、
陛下が「生前退位」の意向をもたれているとのNHKの報道があってから4日後のことだった─。
「7月の同窓会はビュッフェ形式で、雅子さまも食べものを取りに行かれることもありましたよ。
ただ、お話しするのがメインなので、そんな頻繁にというわけではなかったです」(Aさん)
ベージュの上品なスーツで同窓生と歓談されていたという雅子さま。
「テレビなどで見るのと同窓会で会うときとは、雅子さまの表情は違いますね。
普段の公務など、重くのしかかってくるものがあって大変だと思うので、
同窓会ではいつもリラックスされている様子ですし、笑顔ですごく楽しそうです」(同窓生Bさん)
当日、雅子さまと話す機会があったCさんは、こんなやりとりを披露してくれた。
「雅子さまはとてもお元気そうで、
Cさんは、フワフワしているから交通事故とかに気をつけてね”と茶目っ気まじりに声をかけてくださいました。
愛子さまの話もしたのですが、テレビで見る愛子さまのピンクや青色の服がかわいいですねと言ったら、
すごく喜ばれていました。ご自身と愛子さまが、同じくらいの身長になったことを笑顔で話されていました。
今後、皇后になられても、雅子さまは昔から性格もいいし、頭もいい方なので大丈夫だと思いますよ」
長年の療養生活もあり、雅子さまに「次の皇后」としての“資質”が問われることもあるが、同窓生Dさんはこう話す。
「基本的に雅子さまは相手に質問して、その人の話を聞くほうなので、自分のことはあまりお話しになりません。
昔から人気者で周りに人が寄ってくるような方でした。外務省出身で語学も堪能ですし、
皇后になられても、そういった国際親善で力を発揮されると思いますよ」
http://www.jprime.jp/articles/-/8108

西尾幹二氏 ブログ・雑誌等

西尾幹二氏のブログより
http://www.nishiokanji.jp/blog/?m=20100423
THEMIS 2月号の次の記事をご紹介しておきます。
雅子妃が父の小和田恒氏を尊敬し、完全にその精神的影響下にあるという関係者の言葉を紹介したあとで、
≪そんな状況におかれた皇太子ご夫妻と小和田家の内情に目をつけたのが、
中国共産党を中心とする対日工作部隊である。
前述したように中国政府は、「日中国交正常化40周年‘12年」に向けて
皇太子ご夫妻の訪中を水面下で働きかけているのだ。
亡くなった中川昭一氏が生前、こんなことをいっていた。
モスクワ時代、小和田家のアパートにはレーニンの写真が飾られていたという。
中国政府がこの情報をどう使うか考えると怖い・・・」裏情報にも長けてい
た中川氏の予測が、杞憂に終わればいいのだが。≫


週刊新潮2012年2月23日号
「雅子妃」をスポイルした「小和田恒」国際司法裁判所判事
雅子妃が療養を始められてすでに8年が過ぎた。なぜ、このような事態が続いているのか。
その謎を解く1つのカギは、父親の小和田恒氏(79)にあるという。
評論家の西尾幹二氏(76)は、小和田氏を「皇室とは余りにそりが合わない人格」と分析するのだ。(中略)
小和田氏が、日本は過去の自分の行動のゆえに国際社会の中で
「ハンディギャップ国家」だと言い立てていることはよく知られている。
中韓両国に永久に謝罪しつづけなければならない国という意味であろう。
1985年11月8日の衆議院外務委員会で土井たか子氏の質問に答えて、
小和田氏は東京裁判においてわが国は中国に対する侵略戦争を行った、これが「平和に対する罪」である、
サンフランシスコ平和条約第十一条において日本は「裁判を受諾する」と言っている以上、
「裁判の内容をそういうものとして受けとめる、承認するということでございます」と答弁しているが、
これは百パーセント解釈の間違いである。
平和条約第十一条は巣鴨に拘禁されている戦犯を赦免、減刑、仮出獄させる権限は講話が成立した以後、
日本国にのみあることを明示している内容でしかない。(中略)
要するに小和田氏はその師・横田喜三郎氏と同様に、何が何でもあの戦争で日本を一方的に、
永久に、悪者にしたい歴史観の持ち主なのだ。

傲慢で権威主義者
1990年に湾岸戦争が起こり、翌年、小和田氏は外務事務次官になった。
審議官時代から、氏は自衛隊の派遣に反対の立場をとっていた。彼の非武装平和主義は湾岸戦争で破産したはずだった。
櫻井よしこ氏から対談で、日本人は人も出さない、汗もかかないという国際世論からの批判があるが、
と問い詰められても彼は何も答えられない。
ドイツがNATO地域外に派兵できるように基本法を改正する件に触れて、
「日本の場合は、まだそういう状況まではきていない」と彼はしきりに客観情勢を語ることで弁解する。
だが、「そういう状況」をつくらないできたのは小和田氏たちではなかったか。
櫻井氏に追い詰められ、「日本という非常に調和的な社会の中で、できるだけ事を荒だてないで処理したい」と
思わず三流官僚のホンネを口に出して、私は笑った。(中略)
用心深く周囲を見渡して生き、世渡りだけを考える。
ドイツ語にStreber(立身出世主義者、がっつき屋)という蔑視語があるが、
小和田氏のことを考えると私はいつもこの言葉を思い出す。
自分の国を悪者にしてこうべを垂れて平和とか言っている方が、胸を張り外国と戦って生きるより楽なのである。
そういう人は本質的に謙虚ではなく、身近な人に対しては傲慢で、国内的にはとかく権威主義者である。
運が悪いことに、皇室とは余りにもそれが合わない人格だ。なぜなら皇室は「無私」の象徴であるからだ。
天皇皇后両陛下が現に国民の前でお示し下さっているたたずまいは、
清潔、慎ましさ、控え目、ありのまま、飾りのなさ、正直、作為のなさ、無理をしないこと、
利口ぶらないこと――等々の日本人が最も好む美徳の数々、
あえて一語でいえば「清明心」ということであろう。
1937年に出た『國體の本義』では「明き浄き直き心」ということばで表現された。
皇后陛下のご実家の正田家は、自家とのへだたりを良く理解し、皇室に対し身を慎み、
美智子様のご父君は実業世界の禍いが皇室に及んではいけないと身を退き、
ご両親もご兄弟も私的に交わることをできるだけ抑制した。
一方、小和田恒氏はさっそく国際司法裁判所の判事になった。私はそのとき雑誌で違和感を表明した。
小和田氏は領土問題などの国際紛争のトラブルが皇室に及ぶことを恐れないのだろうか。
雅子妃の妹さんたちがまるで皇族の一員のような顔で振舞い、妃殿下が皇族としての必要な席には欠席なさるのに、
妹たち一家と頻繁に会っているさまは外交官小和田氏の人格と無関係だといえるだろうか。

確信犯的無信心の徒
雅子妃は2003年9月以来、宮中祭祀にほとんど出席されていない。
ご父君は娘に注意しないのだろうか、これが巷の声である。
娘が皇室に入ったのは、ある意味で、「修道女」になるようなことである。覚悟していたはずだ。
個人の問題ではなく国家の問題である。勤労奉仕団に一寸した挨拶もなさらない。
スキーやスケートなどの遊びは決して休まず、その直前に必ず小さな公務をこなしてみせるので、
パフォーマンスは見抜かれている。皇后になれば病気は治り、評価も変わる。
今の失態を人はすぐ忘れると、ある人が書いていた。あるいはそうかもしれない。
私もかつてそう言ったことがある。しかしそれは妃殿下にウラオモテがあり、
畏れ多くも天皇のご崩御を待っているということであろう。
天皇皇后に会いたくないとは、今までに前例のない皇太子妃であり、
日本国民は代が替わってもこのことは決して忘れはしない。
皇太子殿下は温順で、幼少の頃からご両親にも周囲にも素直だったといわれる。
私が恐れているのは皇室がなくなるのではないかという危機感である。
小和田氏は代替わりした皇室に対し外戚として何をするか分からない。
昔、天皇の顔を正面から見ると目が潰れると言っていた時代がある。
今はそんなことを言う人はいないが、皇室に対する畏れと信心の基本はここにある。
小和田氏にはどう見てもそういう信仰心はない。
彼の師・横田喜三郎氏には皇室否定論の書『天皇制』(1949年)があるが、
横田氏にせよ小和田氏にせよ、左翼がかった法律家は日本の神道の神々に対しては確信犯的な無信心の徒である。
日本の民のために無私の祈りを捧げる「祭祀王」としての天皇が、天皇たりうる所以である。
祭祀を離れた天皇はもはや天皇ではない。一説では、皇太子ご夫妻が唱えていた新しい時代の「公務」
――天皇陛下から何かと問われ答えなかった――は、国連に関係する仕事であるらしい。
何か勘違いなさっている。私が恐れるのは雅子妃が皇太子殿下に天皇としてあるまじき考えを持たせ、
行動するように誘いはしないかという点である。まさか皇室廃止宣言をするような露骨なことはできまいが、
皇室から宗教的意味合いを排除してしまうような方向へ持っていくことは不可能ではない。
「祭祀王」ではない天皇は、もう天皇ではなくただの「王」にすぎないが、
権力のない今の天皇は王ですらなくなってしまうだろう。
ただの日本国国連特別代表などということになれば、日本人の心の中からは消えてなくなる。
女性宮家の問題がここに深く関わっている。1月24日発信の竹田恒泰氏のツィッターに、
旧皇族の一部の協議が23日に行われ、いざとなったら男系を守るために
一族から皇族復帰者を用意する必要があると意見が一致した由である。重大ニュースである。
私は小泉内閣の皇室典範改正の有識者会議を憂慮して、
2005年12月3日朝日新聞に次のように書いたが、これを今改めて提出して本編を閉じる。
「もし愛子内親王とその子孫が皇位を継承するなら、血筋が女系でたどる原則になるため、
天皇家の系図の中心を占めるのは小和田家になる。
これは困るといって男系でたどる原則を適用すれば、一般民間人の〇〇家、△△家が
天皇家本家の位置を占めることになる。
どちらにしても男系で作られてきた皇統の系譜図は行き詰って、天皇の制度はここで終止符を打たれる。
今から30〜50年後にこうなったとき、『万世一系の天皇』を希求する声は今より一段と激しく高まり、
保守伝統派の中から、旧宮家の末裔の一人を擁立して『男系の正統の天皇』を新たに
別個打ちたてようという声が湧き起こってくるだろう。
他方、左派は混乱に乗じて天皇の制度の廃止を一気に推し進める。
今の天皇家は左右から挟撃される。南北動乱ほどではないにせよ、歴史は必ず復讐するものだ。
有識者会議に必要なのは政治歴史的想像力であり、この悪夢を防ぐ布石を打つ知恵だったはずだ」

歴史通2012年5月号
「雅子妃問題」の核心−西尾幹二
皇太子殿下がマイホームパパを演じれば国民が喜ぶと一方的思い込んでおられるご様子。
例えば愛子さまとぴょんぴょん兎跳びする姿や指でVサインをこしらえてTVに映させたりなさったが
微笑ましくもないしユーモラスでもない。「空気が読めない」の典型。
国民は今、むしろ妻子に対して毅然とした振舞いを求める時代に入っていることがまったく読めていない。
愛子さまのご入学時における皇太子殿下の「一般の子供と同じように育てたい」ご発言あった。
愛子さまが一般の子供と同じであるなら、ディズニーランドに行ったときに長蛇の列に並ばなければ。
なぜそれをしないですむのかを教え、その代償に、周りに迷惑をかけないこと、
他の子供と同じに振る舞い、決して偉ぶらないことを教えるべきではなかったか。
スケート施設貸切も、愛子さまも一般の子も一緒では人垣ができる等、互い練習の妨げとなるため合理的ではある。
だが、「貸切レッスン」ができるのは東宮家のお姫さまならではの特権。
「普通の子ども」はどう逆立ちしても真似できない。テレビは何でも映し出す。国民は黙ってすべてを見ているのである。

皇室ジャーナリストの神田秀一氏
皇太子殿下の会見に「雅子妃をほめる内容が多いのは雅子さまが
今回の会見録を読むことを意識しているためでしょう。」(「週間朝日」3/7号)。
神田氏はこれは妃殿下を「一生お守りする」といった殿下の責任感からだと書いているが、
責任感ならもっと余裕があり、おおらかに語るはずだ。
心理的にこわばりがあり、どう見ても妻を恐れている言葉である。
「裸の王様」という言葉があるが、ご自分ではまったく気がついていないものの
外交官のライフスタイルを失ったというぼやきが思うに唯一の生きがいとなり、夫への恨みや脅迫となり、
与えられた花園の中を好き勝手に踏み歩く権利意識になっているものと思われる。
医師はライフワークにつながる活躍をしなさいと勧めているが
学歴も高く才能もあるといわれて久しいのにほとんど目ぼしい活躍もなく
子供の付き添い登校にひどくこだわって顰蹙を買ったのも理由は非常にはっきりしている。
「生活」のないところに、どんなライフワークも生まれようがないからである。


西尾幹二氏

罵声

スキーに向かう皇太子ご一家に東京駅で男性が罵声浴びせる
2013.04.05 16:00
3月26日午前11時前、東京駅日本橋口やホームには、長野県奥志賀高原でのスキーに向かう
皇太子ご一家のお見送りをするため、追っかけ主婦たちが集まっていた。
しかし、その日は警備の数も少なく、規制のロープもなく、カメラを出しても注意されたりすることもない
穏やかな雰囲気だったという。
午前11時過ぎ、東京駅に到着された皇太子ご一家は、駆けつけた人々に手を振りながら、改札口へと向かった。
ご一家が改札を通り過ぎた、そのときだった。雅子さまを震撼させる事件が起こる。
その場に居合わせた60代ぐらいの男性が、「税金泥棒! 仮病・さぼりの税金泥棒! 皇室から出て行け!」
と大声で罵声を浴びせたのだ。突然の出来事に驚かれた雅子さまは、愛子さまの手をさっと掴まれ、
ご自分の体のほうに寄せられ、一瞬凍りついたご様子だったという。
声をあげた男性はすぐに近くにいた4、5人の警察官に取り押さえられ、周囲は騒然となった。
「駅構内に響きわたるような、かなり大きな声でしたから、あのあまりにもひどい言い方を雅子さまは
お聞きになったわけで、そのお気持ちを考えると…。気を取り直されてホームに向かわれましたが、
正直、とても動揺されていたように感じました。
取り押さえられた男性はその場で結構長い時間事情聴取を受けていましたね」(居合わせた追っかけ主婦)
その男性は、物を投げつけたりとか危害を加えたりといった違法行為はなかったとして、釈放されたという。
※女性セブン2013年4月18日号
http://www.news-postseven.com/archives/20130405_180736.html


暴言事件で皇太子ご一家の護衛警官増員 スキー客から不満も
2013年4月8日(月)16時0分配信 NEWSポストセブン
3月26日午前11時過ぎ、皇太子ご一家は3泊4日の日程で長野県奥志賀高原でのスキー旅行へ出発するため、
東京駅に到着された。
皇太子ご一家は駆けつけた人々に手を振りながら、改札口へと向かった。
ご一家が改札を通り過ぎた、そのときだった。雅子さまを震撼させる事件が起こる。
その場に居合わせた60代ぐらいの男性が、
「税金泥棒! 仮病・さぼりの税金泥棒! 皇室から出て行け!」
と大声で罵声を浴びせたのだ。突然の出来事に驚かれた雅子さまは、愛子さまの手をさっと掴まれ、
ご自分の体のほうに寄せられ、一瞬凍りついたご様子だったという。
この事件の影響からか、滞在先の奥志賀高原スキー場も緊迫した雰囲気に包まれた。
ご一家が宿泊されたホテルの周辺には、パトカーや警察車両が数多く止められていた。
スキー場には不釣り合いな服装の警察官が宿泊客やスキーヤーたちをくまなくチェック、
さらにスキー場を訪れた車のナンバーの照会まで行っていた。
ゲレンデでも異様な光景が…。貸し切りでないにもかかわらず、スキー板を着用した護衛の警察官30人ほどが
皇太子ご一家を取り囲みながら、ゲレンデを滑走。皇太子ご一家と知らずに、
後ろから猛スピードで近づいてくるスキーヤーがいれば、前に回り込み、壁を作ってスピードを落とさせる。
そのため、一般客からはこんな不満の声が噴出した。
「一般のスキーヤーに迷惑をかけるのはおかしい。ここまでするのなら、時間外に滑られたほうがよろしいのでは」
「どうして滑るコースを警察は邪魔するのか。ここは貸し切りではないはずです」
「スキーを楽しむ体力があるのなら、なぜ公務がおできにならないのか」
最終日(3月29日)、皇太子さまと愛子さまはスキーを楽しまれたが、雅子さまの姿はゲレンデにはなかった。
※女性セブン2013年4月18日号
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/postseven-20130408-180896/1.htm

雅子さまはなぜ罵声を浴びるのか

前皇室医務主管独占インタビュー関連記事

雅子さま主治医批判に反論 東宮大夫「適切な配慮を」
宮内庁の小町恭士東宮大夫は20日の定例記者会見で、金沢一郎・前皇室医務主管が
文芸春秋8月号に掲載されたインタビュー記事で皇太子妃雅子さまの主治医に批判的な発言をしている点について
「妃殿下の治療にもたらしうる影響という観点から、適切な配慮をしていただきたかった」と遺憾の意を表明した。
金沢氏は5月末まで皇室の医務を統括する立場だったが、
雅子さまの治療に当たる東宮職医師団の大野裕医師から、ある時期から報告がなくなったことや、
雅子さまの誕生日に合わせて文書で発表される「医師団の見解」で、
具体的な症状を書いていないことを批判している。
2012/07/20 17:39 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201207/CN2012072001001616.html

皇室ウイークリー(239)
2012.7.21 07:00
「皇室の医療」を長年統括してきた宮内庁の金沢一郎前皇室医務主管が雑誌のインタビュー記事で、
雅子さまの治療をめぐって東宮職医師団の大野裕医師を批判したことについて、同庁の小町恭士東宮大夫は
20日の定例会見で「私の思い」と前置きして金沢氏に苦言を呈した。
小町氏は「先日まで皇室医務主管の立場にあられた方が、取材があったにせよ、妃殿下のご病状や治療方針
さらに対外的な説明について、私から見れば一方的な意見表明を行われたことは、
妃殿下の治療にもたらしうる影響という観点から適切な配慮をしていただきたかったと思います」と痛烈に批判。
「また、長年にわたる大野医師のご努力に水を差すもので大変残念です」と続け、
大野氏を擁護する立場を明確に示した。
この問題の発端は「文芸春秋」8月号。金沢氏は「雅子さまの主治医」として大野氏を名指しし、
「私が意図した方向で治療システムが構築されたとは、残念ながら思ってはおりません」
「国民に対してもう少し明確に説明してほしかった」などと述べ、国民への情報公開の少なさや、
宮内庁の医師と十分に連携しない姿勢を問題点として指摘した。こうした発言は波紋を広げ、
多数の週刊誌の皇室記事に引用された。
今週発売の「週刊現代」では大野氏の反論が掲載され、雑誌をまたいだ論戦の様相となっているが、
ついに宮内庁東宮職までこの話題に「参戦」してしまったというわけだ。
小町氏は、この件をめぐって金沢氏に電話したことも明らかにしたが、具体的なやり取りの内容は明かさなかった。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120721/imp12072107010001-n3.htm


女性自身2012年7月24日号
雅子さま 天皇家の元主治医が”非情”暴露「ご症状に手立てなし…」
2012年07月10日 00:00
7月3日午前11時から御所で、明治天皇の業績についてのご進講があり、天皇陛下と美智子さまが聴講された。
雅子さまも、その場に同席されたのだ。当日はご進講の後、両陛下と皇太子ご夫妻、
そして皇居に野鳥観察に来ていた黒田清子さんの5人で、昼食を召し上がる予定だったという。
だが皇太子ご夫妻は、ご進講終了後に、東宮御所に帰られた。
「雅子さまのご体調がすぐれなかったからだと伺っています」(宮内庁関係者)
そして、昼食会のキャンセルから1週間後の7月10日、
雅子さまのご病状にも言及されたインタビューが『文藝春秋』8月号に掲載された。
《両陛下も、雅子妃殿下のご病気に対して言葉に表せないほどのご心労がおありになるようなんです》
そう語っているのは、6月1日付で退任したばかりの前皇室医務主管・金澤一郎氏。
このインタビューで金澤氏は、現在の雅子さまの治療方針を問題視している。
金澤氏の不満は、1つは雅子さまのご病状がきちんと国民に説明されていないこと。
そしてもう1つは、雅子さまの適応障害の治療にあたっている、精神科医の大野裕医師が、
皇室の医療の責任者ともいえる金澤氏にも、雅子さまの治療情報を報告していなかったことのようだ。
大野医師の主治医就任は‘04年6月。それから雅子さまのご病気の性質もあり、
金澤氏には情報がほとんど入ってこなくなったという。7年にも及ぶ情報遮断もあり、
天皇家の主治医でありながら、金澤氏は雅子さまへも批判的になっていった。
金澤氏は、マスコミによく登場する、ある皇室コメンテーターに、こう言ったという。
「雅子妃に関しては、もっと厳しい意見を言ってください!」
とても、天皇ご一家を守る立場にいる人物とは思えない発言だ。
『文藝春秋』の記事では、「(雅子さまの)ご病状の深刻さはかえって深まっている印象を受けます」という
インタビュアーの問いに対して、金澤氏は、あっさり「そうですね」と肯定し、
さらに、「(ご病状に関して)今後の見通しが明らかになっていないことが、
天皇陛下のご心労になっている」とさえ語っている。
皇室ジャーナリストの松崎敏弥さんは嘆息する。
「皇室の医療を統括していた金澤氏が、雅子さまの治療体制の深刻な現状を暴露してしまった形ですね。
雅子さまのこうした現状に、“もう手立てなし”とは、
皇室の医療のトップにいた人物にしては、あまりにも非情で無責任すぎると思います」
光差さぬ状況のなかで、雅子さまはご病気との孤独な闘いを続けられている――。
http://jisin.jp/news/2547/4345/


雅子さま 医療体制が崩壊「主治医の診察も電話のみ」との証言
2012.07.18 07:00
先ごろ皇室医務主管を退官した金澤一郎氏の発言が大きな波紋を呼んでいる。
金澤氏は6月1日付けで退官、現在は宮内庁・侍従職御用掛を務めている。
7月10日発売の『文藝春秋』8月号で、これまで語られなかった皇族方のご体調や病状、
さらには内情について初めて口を開いたのだ。
この記事で金澤氏は、雅子さまの治療経過について、次のように言及している。
<大野先生に来ていただいたところまでは良かったのですが、少なくとも私が意図した方向で
治療システムが構築されたとは、残念ながら思ってはおりません。
その点に関しては、私は皇室医務主管として残念ながら失格だったと思っています>(『文藝春秋』より)
大野先生とは、国立精神・神経医療研究センター認知行動療法センター長の大野裕氏(精神科医)のことだ。
現在も雅子さまの適応障害の治療にあたる主治医を務める人物である。
金澤氏は、この大野氏による治療システムが雅子さまにとって効果を得るものではなく、
“失敗だった”と明言し、さらに“その責任は自分にあった”とまで語っているのだ。
ここ数年、大野氏に対する批判の声が高まっているのも事実だ。
「それは“主治医である大野先生を、もう変えたほうがいいのでは?”、
“治療法に問題があるのでは?”といった声です。
つまり、“9年という長い年月が経つのに、ご病状が好転しないのは、
その責任の一端が主治医にもあるのではないか”というのです」(宮内庁関係者)
そして、2009年12月、雅子さまの誕生日に発表されるはずだった「東宮職医師団の見解」の発表が、
何度も延期されるということがあった。ようやく公にされたのは、約2か月も過ぎてからのことだった。
ここまで延びたのは、発表の内容をめぐって、雅子さまと大野氏の見解が
あまりにも食い違っていたからだといわれている。
「雅子さまの主治医を務めて既に5年余りが経過し、大野氏としては、そろそろ具体的な治療内容や
服用している薬など、例年と比べて一歩踏み込んだ見解を発表したいと思ったようです。
それは“そろそろ具体的な内容を明らかにしないと国民の理解を得られない”という雅子さまを思う気持ちからでした。
しかし、雅子さまはプライベートな部分が公になるのを避けたいと思われたようで、
例年と同様の範囲での発表を望まれたといいます」(前出・宮内庁関係者)
結局、大野氏は何度も雅子さまを説得しようとしたが、精神科医という立場上、
患者である雅子さまの意向を汲んで、具体的な治療法などには言及せず、例年と同様の発表をすることになった。
このとき、金澤氏は大野氏に対し、国民にご病状を具体的に説明したほうがいいのではと助言したという。
<例えば、どういう時に頭痛がするのか、どのように腹痛を感じるのか、発熱が何度なのか。
そういうことで良いからと。でもそれさえ発表できないんですね>(『文藝春秋』より)
一度、雅子さまと大野氏の間に生じた溝は、そう簡単には修復されることはなかった。
「雅子さまはそれ以降、大野氏の治療を受けられなくなってしまったんです。
最近ではときおり電話でご体調の確認をする程度で、おふたりの関係はぎくしゃくしたまま。
雅子さまが良くなられないのも当然のことですよ」(前出・宮内庁関係者)
※女性セブン2012年7月26日号
http://www.news-postseven.com/archives/20120718_128587.html


週刊現代2012年8月4日号
雅子妃の担当医が天皇家の元主治医を大批判!
「皇室担当の医師団の中で、これだけ意見の対立が表面化したのは初めて。
東宮大夫は7月20日にも会見を開き、この問題について説明するそうです。
思えば金澤先生は以前から『僕は精神科は専門外だから詳しくはわからないけど、あれはダメだね。
彼女(雅子妃)は大野さんの言うことしか聞かない』とコボしていました。
医務主管を退いたことで、本音を語れるようになったということでしょう」(元侍従)
発端は前皇室医務主管の金澤一郎氏の発言だった。金澤氏は6月1日付で医務主管を退いた後、
メディア各社のインタビューを受け、概略以下のように発言した。
・雅子妃の主治医を大野裕氏に頼んだが、ある時から金澤氏に情報が入らなくなった。
・国民への雅子妃の病状の説明が不十分だった。発表も遅れた。
どちらも、雅子妃が大野氏に相談して決めたと考えている。
・精神科医は患者に同調する傾向がある。
・大野氏からは「何も報告することはない」と言われていた。
・もはや、どうしたらいいか分からない状況である。
皇室医療のトップである金澤氏自らが、雅子妃の治療に対して「匙を投げた」と思われても
仕方のない発言をしたのである。
前述のように金澤氏は大野氏と雅子妃の“秘密主義”について苛立ちを強めていた。
一線から退いたことで、これまで心中に溜めていたことの一端を吐き出したということなのだろう。
本誌はこの「金澤発言」について、大野氏自身の“反論”を聞くことに成功した。
大野氏は慶応義塾大医学部教授を経て現在、国立精神・神経医療研究センター・認知行動療法センター長
という要職にある。「女性の鬱病」研究の第一人者で、10年ほど前から雅子妃の主治医となり、
「適応障害」などと診断した。おだやかな人柄で雅子妃の信頼も厚いという。

――金澤氏がメディアで大野さんを批判したことはご存じですか。
「(金澤氏の発言は)私が雅子さまの主治医であるということ以外、私や雅子さまに関する記述はいっさい、
事実に反します」

――金澤氏の発言が医師として守秘義務違反にあたる、という声もありました。
「私も驚きました」

――雅子妃のご病気は、外見からはうかがい知れないもの。先生でも分からないことが多々あるのでは。
「心の病は目に見えないですからね。お側にいらっしゃる方ですら、理解されないことも多々、あります」

――治療を始めて10年近く経っても経過が思わしくないことで、雅子妃や先生を批判する人もいます。
「心の病はきわめて治癒が難しい。それは一般の患者さんも同様です。その辺をご理解いただけていない方々が
『良くなっているのか、いないのか、もはや治らないのか』と性急に、いろんなことをおっしゃっているようですが、
一概には申し上げられない難しい病気なのです。長い目で見守っていただきたい」

「長い目」と言われてもすでに10年近い時が流れている。あと何年待てば、どうすれば雅子妃の
元気な姿が見られるのか。宮内庁関係者がやきもきするのは当然だろう。だが、一筋縄ではいかないのが、
心の病なのだと大野氏は言う。

――大野先生が治療に着手する前と比べて、雅子妃の病状は回復しているのですか?
「いかに“公人中の公人”とはいっても、病状は個人情報です。申し上げられません。
ただ、雅子さまの置かれていらっしゃる状況はかなり特殊です。常に他者の目に晒されているという環境が、
治療において大きなリスクとなっていることは間違いありません。そういう環境下では、治療プランが
計画通りにいかないことは多々あります。しかしながら、私は絶望的な状態などとは思っておりません。
私たち医師は明かりを見つけ、引き出して、良い方向へ導かねばなりません。ネガティブになっては絶対、
いけないのです。患者さんは敏感です。良い方向に向かっていても、周囲に理解と協力がなくて
潰されることがあるのです」

大野氏は金澤氏の発言のほとんどが事実ではないと真っ向から反論した。
病状を明かさないのは医師として当然の行為であり、雅子妃に同調もしていないというのだ。
大野氏のコメントには、難しい治療に取り組んでいることについての「無理解」に対する怒りが滲み出ていた。
これまで、大野氏が雅子妃の主治医であることは公表されていなかった。当の本人が立場を明らかにした上で
反論したのは、よほどの覚悟があってのことに違いない。

大野氏から反論された、金澤氏を直撃した。
「私は週刊誌の取材は受けない。ただ、僕が言っているのではなく、周りの人間がみんな言っていることだが、
基本的に大野氏の主治医就任以後、(雅子妃の)病状は変わってないよね」
金澤氏は暗に、大野氏の治療が効果を挙げていないことを示唆した。周辺への取材によると、金澤氏は、
「雅子妃はブータン国王夫妻の歓迎行事はすべて欠席される一方で、親交のあるベルギー皇太子夫妻の
午餐には参加された。出席する公務を選んでしまっている。こんな状況が続いている限り、
快方に向かっているとは言えない」
と言っているという。
雅子妃の治療を巡って、
「悪いはそっちだ」
「いいや、おまえの方だ」
とまるで二人が批判し合っているような形になっているのだ。いったいなぜ、こんな事態になったのか。
「世間では『金澤氏が匙を投げた』と言われていますが、金澤氏は大野さんとのコンビが機能せず、
治療に失敗したことを素直に詫びているのだと思います。
大野先生は侍医でも御用掛(非常勤の侍医)でもなく、宮内庁の指揮命令系統に入っていないので
報告義務はありません。立場が曖昧なうえ、お願いして診てもらっている手前、金澤氏は口出しづらい。
金澤さん自身が反省されていましたが、国民に対して、治療の状況などを情報開示しなければならない旨、
大野先生を招く際に説明しておくべきでした。金澤さんは前医療責任者として、現状を国民に伝えておかねば
と思ったのでしょう。雅子妃の治療がうまくいっていないことの証左です」(元宮内庁職員で『皇室手帖』
元編集長の山下晋司氏)
「千代田(天皇、皇后)と東宮(皇太子一家)の間の深すぎる溝」が透けて見えると指摘するのは、
元共同通信皇室担当で天皇の学友でもある皇室研究家の橋本明氏だ。
「陛下はかねてから、雅子妃に対する医療体制に問題があるのではないか、という趣旨の発言をなさっています。
金澤さんは大野さんを雅子妃の主治医に推薦しておきながら、期待にこたえられなかった。
彼の発言からはその反省と強烈な悔やみの気持ちが感じられました。
だからこそ、陛下の意を汲む形で、『現体制では雅子妃のご回復は難しい』『次の手を打たねばならない』と
いうことを広く、国民に知らしめたかったのでしょう。治療を通して雅子妃が大野さんへの信頼を強め、
彼と一体化することによって、皇太子殿下の存在感が薄くなっていくように見えるのも、
陛下は歯痒く思われているのではないでしょうか」
肝心の雅子妃の病状は今、どうなっているのか。
宮内庁関係者が表情を曇らせる。
「新年度以降、雅子妃がお出ましになられた公務は数えるほどしかありません。4月は宮内庁人事異動の
ご会釈と陛下の喜寿をお祝いした内宴の3回、5月は天皇訪英の送迎と国際連合大学(渋谷)での講演の
ご聴講、オックスフォード大学総長夫妻とのご接見の計4回、6月は5回でうち4回が三笠宮ェ仁さまの
ご葬儀関係です。
この3ヵ月強の間で、雅子妃が外出されたのは羽田と渋谷とご静養先の那須(栃木)、
豊島岡墓地(文京区)の4ヵ所だけ。すでにロンドン五輪開会式への参加も見送られています」
(ここまでhttp://kodansha.cplaza.ne.jp/wgendai/article/120723/top_03_01.html)


4月以降雅子妃の活動はたったの13回で両陛下200回、秋篠宮妃約90回に比べても遠く及ばない。
一方で山中湖校外学習付き添い、小和田家親族とスケート遊び、なじみのレストランへ夕食。
「雅子妃の病状が好転していないのは両陛下が深く憂慮し心の重荷に。
金澤氏の発言は両陛下の心中を忖度したものだろう。大野氏や東宮大夫がいかに反論しても
両陛下が情報不足、説明不足と感じておられるのは事実。
雅子妃はどれだけ両陛下の心配の種になっているのか理解しているのか」(渡辺みどり氏)
橋本氏が09年に上梓した「平成皇室論」で廃太子にふれた。このことについて陛下が
「廃太子とまで言われてしまうとはね。」と呟かれた。陛下は反論はせず、黙った。
昭和天皇ー今上天皇の仲も、昭和天皇ー常陸宮殿下ほどはよくなかったが、皇統とは別問題
香淳皇后と美智子様の溝を埋める努力をしたのは美智子様
雅子妃はこのようにしているとは見受けられない(元侍従)
黒田清子さんは週一回両陛下に面会しているが、雅子妃は年に数回あるかどうか。
雅子妃の昼夜逆転
こんな状態で適応障害が克服できるのか
「実家に戻ったとしても病状回復にはプラスにならない。皇太子夫人に専念するのがいいのでは?
希望的観測に区切りをつけて公務を一切やらない、一部限定的にやる、と決断する時期。
それで国民の理解が得られるかはわからないが。」(香山リカ氏)

週刊文春2012年8月2日号
雅子さまの担当医が激怒!「週刊現代はまったくの創作」
7月20日の小町東宮大夫定例会見では
「長年にわたる大野医師のご努力に水を差すもので残念です。」と語気を強めて苦言。
金澤氏は文春に「私の思いは文藝春秋が全て。彼(大野氏)はああいうよりほかになかったのでしょう。」
文春の大野氏取材
「週刊現代の記事は私が話していないことを想像で書かれたもの。」
問「雅子さまの主治医ということは事実ですか?」
答「担当であることに間違いはありません。」と答えただけ
その他のやり取りもまったくの創作である。
文春からの週刊現代への取材
「先生と面識のあるジャーナリストがお話を伺ったもので、
本誌編集部でなんらかの改変を加えた部分は一切ない。」
大野氏は「抗議したところ、謝罪の手紙が届いた。」
現代は水面下で捏造を認めていた。

週刊朝日2012年8月3日号
ついに積年のバトル勃発 
前皇室医務主管vs雅子さま主治医
「適応障害」と診断された雅子妃の療養生活も、あと半年で丸9年
皇室ウオッチャーたちが注視する“事件”が。皇室医療担当の医師の間で戦いが“勃発”
7月20日、小町東宮大夫が定例会見で、金沢前皇室医務主管について語った
「皇室医務主管だった方が、妃殿下のご病状などについて一方的な意見表明を行った
妃殿下の治療という観点から、適切な配慮をして頂きたかった」
批判の矛先は、文春8月号の金沢氏のインタビュー
インタビューで金沢氏は、自身の紹介で雅子妃の主治医になった大野医師について
(ご病気の性質などのため、ある時からこちらに情報が入らなくなった)などと。
雅子妃の病状説明についても、
(お名前を出して国民に対して明確に説明してほしかった)と率直に述べた
「皇室内の長年の火種が一気に表に出た。大野医師や東宮夫妻へ、宮内庁の少なくない人間が疑問を感じていた」
宮内庁関係者
大野医師は記事に反発、何らかの説明をするよう東宮職に強く求め、東宮大夫会見につながったようだ
小町氏は会見で「必要に応じて宮内庁長官、医務主管に説明してきた」と語った、だが
「大野医師がここ数年で宮内庁長官に雅子妃の治療の経過を説明したのはわずか2回。
しかも宮内庁側がどうなっているのか要請した結果」別の宮内庁関係者

選択2012年12月号
狭まりゆく皇室の「窓」再論 岩井克己
雅子妃の記者会見は、平成14年を最後に途切れている。
雅子妃の精神疾患に関しては、今年五月に退任した金澤前主管が筆者のインタビューに応じ、
快復が果たされていないこと、その治療体制や天皇・皇后や国民への説明が
十分なされていないことについて忸怩たる思いを明かした。
この発言に対して雅子妃主治医の大野医師や東宮職が反発していると一部で報道
報道の真偽はともかく、主治医が強く反発したとの情報は筆者の耳にも聞こえてくる。
このこと自体が、皇族を預かる主治医としての責任意識はどうなっているのかと首をかしげざるを得ない。
天皇・皇后の医療の最高責任者が、退任に際して現状を深く憂えたことは重い。
いかにデリケートな精神疾患とはいえ、10年治癒の見通しが立たず、
この間、皇太子妃としての活動がほぼ完全に停止。
東宮に対する批判も年々高まるばかりで、皇室全体に及ぼすダメージもはかりしれない。
にもかかわらず、主治医は一度も会見に応じていない。
公的に宮内庁から辞令を受けていないとか、天皇家の内々のことに絡むなどは説得力のある理由にはならないだろう。

天皇皇后両陛下の「主治医」として

天皇皇后両陛下の「火葬検討」は費用抑えるためと専門家指摘

天皇皇后両陛下の「火葬検討」は費用抑えるためと専門家指摘
2012.05.11 16:00
4月26日、羽毛田信吾宮内庁長官は定例会見で、宮内庁は天皇皇后両陛下のご意向を受け、
両陛下がご逝去の際、皇室の伝統である大がかりな“土葬”ではなく、
一般的な“火葬”を検討していることを発表した。
さらに両陛下は、お墓にあたる陵(みささぎ)の小規模化も望まれているという。
「両陛下が、生前のうちから葬儀について、ご意思を伝えられること自体が極めて異例のことです。
今回の陛下のご意向は、“遺言”ともいえるものなのではないでしょうか」(宮内庁関係者)
明治時代を迎えると、天皇は“神”として崇められるようになり、明治天皇は古代の天皇と同じように
陵(古墳)が京都に造られ、埋葬された。この方式は大正天皇、昭和天皇にも踏襲されることとなり、
各々東京・八王子市に陵が造られた。
また、明治以降のそれぞれの皇后も、天皇の陵の隣りに別の陵を造り、安らかに眠られている。
このような方式に両陛下が異を唱えられたわけだが、それが、なぜいまこのタイミングで発表されたのか。
それには、両陛下の強い信念がある。両陛下が即位されて以降、ずっと大切にされてこられた“
すべては国民とともに。国民のために”という思いだ。
振り返れば、1989年に昭和天皇が崩御されたとき、その大喪は極めて大がかりなものであった。
皇室に詳しい静岡福祉大学・小田部雄次教授はこう話す。
「葬儀に当たる“大喪の礼”には国家元首をはじめとして、使節、大使など世界164か国の人々が参列したため、
警備にも約25億円が割かれました。また棺を“葱華輦(そうかれん)”という巨大な輿(こし)で運び、
東京・八王子市に約30億円をかけて造られた武蔵野陵に埋葬されました。
結果、葬儀に使われた費用は約100億円と莫大なものとなったんです」
ちなみに2000年に亡くなられた昭和天皇の后である香淳皇后の武蔵野東陵建設の費用は約18億円だった。
質素倹約を大切になさる両陛下は、国民のためにも葬送そのものを簡素化することを考え始められたという。
「近年の日本経済の低迷による貧困層の拡大や東日本大震災で苦しむ被災者を間近でご覧になり、
“自分たちの葬送に多額の費用をかけるわけにはいかない。国民に負担は強いられない”と
お考えになられたのではないでしょうか」(前出・小田部教授)
常に弱者の心に寄り添われてきた両陛下だからこそ、今回の異例ともいえる発表に至ったのだろう。
※女性セブン2012年5月24日号
http://www.news-postseven.com/archives/20120511_107473.html

天皇陛下が生前退位に込めた真意

THEMIS WEB
月刊テーミス2016年9月号
天皇陛下が生前退位に込めた真意
政治家も有識者も不明だ
「象徴の務めが途切れることなく」の持つ重い意味が皇族や国民に届かない?!

■宮内庁と官邸が綿密に調整し
宮内庁はさる8月8日、象徴としての務めについての考えを示された天皇陛下のビデオメッセージを公表した。
「生前退位」を示唆したビデオだったが、それは7月13日のNHKスクープから始まった。
「ニュース7」の放送直前、「天皇陛下『生前退位』の意向示される」とのテロップを流すのである。  
新聞やテレビはビデオメッセージについて、陛下のお心を国民に伝えることが果たしてできたのだろうか、
甚だ心もとない。  ビデオメッセージ公表後、記者会見した風岡典之長官は、
秋篠宮さまが'11年の誕生日記者会見で「定年制というのは、やはり必要になってくると思います」
と述べられたことを取り上げ、その頃から、陛下もご発言されるようになっていたと、こう明かした。
「象徴としての務めを果たすことが困難になった場合に、どのように考えればよいのか、とおっしゃった」  
陛下ご自身が69歳だった'03年に前立腺がん、78歳の'12年には心臓冠動脈のバイパス手術を受けられた。  
昨年8月15日の全国戦没者追悼式では黙祷とお言葉読み上げの順番を間違えられた。
式典を生で見ていた皇室ジャーナリストが語る。
「そのとき、お隣におられた皇后陛下は微動だにされることはなかった。大変な精神力だと感心した」  
皇后陛下にとっては、なりゆきにまかせるしかないというお覚悟がすでにできていたのだろうか。  
陛下が皇太子さま、秋篠宮さまらと月1回のペースで懇談されるようになったのもその頃からだ。  
だが、いちばん動こうとしなかったのは、政治のほうだった。しかし、さすがに今回のビデオメッセージでは
メッセージの内容について宮内庁と官邸との間で数回にわたる綿密な打ち合わせがあった。  
政治ジャーナリストが語る。 「宮内庁長官が陛下のお気持ちを代弁したり、文書を配布するという案もあったが、
最終的には陛下が直接、国民に話しかけることになった。官邸と文案を3〜4回調整していく過程で、
消えていった部分がいくつかあった。その一つに悠仁さまについての箇所があったようだ」  
陛下は、ビデオメッセージで国民に何を語りかけたかったのだろうか。それが意外に難しい。  
読売新聞では、「象徴の務め困難に」と見出しを取り、「天皇陛下生前退位を示唆」と語った。
ところが陛下が語られる「象徴」とは何かについては、関係者の間での理解が一つに収斂されているわけではない。
メッセージでは約10分間の中に象徴という言葉が8回も繰り返し登場してくる。

■悠仁さまへ伝えたかったこと
新聞記事のなかでは日本経済新聞の記事が比較的丁寧に説明していた。 「8日に表明された陛下のお言葉は、
まさに『象徴とは国と国民のために活動するもの』という信念だった。これは憲法や歴史家、政治家などが
定義したものでもない。天皇陛下自身が『象徴とは何か』を長年考え続けて到達した『象徴のかたち』だ」
宮内庁職員を23年間務めた山下晋司氏が語る。 「憲法の第一条に天皇は日本国及び日本国民統合の象徴とあり、
第二条に皇位は世襲によるとある。象徴としての天皇は生身の人間として国民は目で見ることができる。
しかし、歴史や権威などさまざまなものを背景とした結果である世襲というものは形として見えるものではない。  
今上天皇はその見えるもの、見えないもの両方を天皇としての活動を通して国民に示してこられたと思う。
無私の心で国民に尽くされる。国民はそのお姿を拝見して、信頼し敬愛するようになる。
皇位を世襲する人に対しても、そのような心持ちを持つように育てていかなければならないと考えておられると思う」
悠仁さまの教育問題については、どうあるべきか、いまどうなっているのかさえ、はっきりしていない。  
昭和天皇は学習院初等科を卒業されるとすぐ、旧高松宮邸(東京・高輪)に設けられた東宮御学問所に移られて、
選ばれた5人のご学友と7年間、生活された。  今上天皇のときは御学問所のような特別な施設はなかったが、
専門の教育係≠ゥら個人講義を受けられた。
英語教育のバイニング夫人、ジョージ5世伝などの講義をされた小泉信三氏がなかでも有名だ。
だが、悠仁さまの周辺から漏れてくるのは教育とは縁遠い話ばかりだ。
悠仁さまは、お茶の水女子大附属幼稚園から同小学校に進まれた。
しかし、お茶の水女子大附属高等学校は女子校なので、悠仁さまはやはり、
高校は学習院に入られることになるのだろうか。  
また、皇太子さま、秋篠宮さまに次ぐ、皇位継承順位第3位であるにもかかわらず、
天皇直系の「内廷皇族」(天皇家と皇太子家)ではないために予算が少ないという不満もある。  
これでは陛下が、国民から信頼されるための基本であるとして務められてきた、
目に見えない世襲のほうをご心配されるのも無理はない。
「メッセージの最後のあたりに『そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、
安定的に続いていくことをひとえに念じ……』とある。
ここは天皇陛下の秋篠宮さま、紀子さまへの語りかけだ。国民の象徴としての天皇は日本国民が先にあって
私は後になる。それが教育できて初めて世襲が成り立つ」(皇室関係者)

■憲法学者も洞察力はなかった
もう一つの重要なメッセージが天皇退位はどういう方法で実現していくかだ。新聞各社の多くは、
退位は憲法改正しなくても皇室典範の改正か特別立法で十分可能だという。
「天皇陛下は特別立法や皇室典範の改正ではなく、憲法を改正して生前退位するべきだと考えておられるようだ。
新聞各社もそれは薄々感じているが、朝日新聞や毎日新聞は社論が護憲であるために特別立法でといっているようだ。
だから改憲派の読売新聞、産経新聞、日経新聞などが安倍首相を説得して、
天皇が生前退位という一点だけで改正すればいい。そのとき、朝日などは孤立していくだろう」
(前出、皇室関係者)  
新聞、雑誌、テレビなどマスコミの皇室報道のおかしさは、今回の生前退位報道でも見られた。
「憲法学者は何人もいるが、天皇陛下と親しくお話できるような人はいない。
そういう彼らが象徴とはといってみても、なんの意味もない。
生身の人間としての天皇が象徴を実践されてきたことへの洞察力がないからだ」(前出、政治ジャーナリスト)  
安倍首相も8月8日、「天皇陛下の御心労に思いを致し、どのようなことができるのか、
しっかりと考えていかなければいけないと思います」とのコメントを読み上げるのが、せいぜいだった。
(2016年9月号掲載)
http://www.e-themis.net/feature/read.php

追突事故で問い直される秋篠宮家の警備体制

追突事故で問い直される秋篠宮家の警備体制「先導車がいれば…‥」
週刊女性PRIME 11/30(水) 6:21配信
秋篠宮妃紀子さまと長男の悠仁さまたちがハイキングを楽しまれた様子を、教えてくれたのは
山梨県甲州市の大菩薩峠(1897m)の麓にある山荘の従業員。
「午後2時半ごろに紀子さまと悠仁さまが休憩されていました。
紀子さまは帽子を深くかぶってらっしゃいました。
 登山ルックでしたが、耳にイヤホンをつけた警備関係者が10人ほどいましたね。
特にピリピリした雰囲気はなく、みなさん楽しそうでした」
都心から車で約3時間─。紅葉ですっかり染まった頂上に、悠仁さまたちが予定より
遅れて午後1時半ごろ到着されたのには理由があった。
「午前7時半ごろ、お忍びで大菩薩峠に向かっていた紀子さまと悠仁さまらを乗せたワゴン車が
中央自動車道の相模湖東出口付近で、追突事故を起こし、予定から遅れてしまいました」
そう説明するのは、宮内庁担当記者。
「ワゴン車は宮内庁の30歳の男性職員が運転し、悠仁さまのご友人やその親など6人が乗車していました。
追い越し車線を走行中に前方の車が渋滞のために急ブレーキをかけたところで、
悠仁さまたちのワゴンも急ブレーキをかけたが間に合わず、追突しました。
霧の発生で視界不良だったことも原因のようです。双方にケガはなく、
バンパーが損傷した程度でエアバッグも出なかったので、
秋篠宮さまにも連絡して事故処理を終えた後、別の車で目的地に向かわれました」(同・記者)
現在、お茶の水女子大学附属小学校4年の悠仁さまは、皇太子さま(56)、秋篠宮さま(50)に次ぐ
皇位継承順位3位の大切なお身体。
万が一の事態もありえたはずで、秋篠宮家の警備体制の不備も指摘された。
「天皇・皇后両陛下や皇太子ご一家の場合、移動は基本的に白バイが先導。
公務の場合は、前駆車、側衛車などがつき大規模な車列になり、信号操作や交通規制も行われます。
一方、秋篠宮家や他の宮家の場合、皇族方が乗られる車を先頭に後方車両が1台つくだけです。
今回は、先導車がいれば事故を防げたかもしれません」(宮家関係者)
http://www.jprime.jp/articles/-/8624

秋篠宮家の追突事故で見えた“シビアな皇室内格差”
(更新 2016/11/30 11:30)
秋篠宮家の紀子さまと長男、悠仁(ひさひと)さまが乗ったワゴン車が11月20日、高速道路で追突事故を起こした。
この日、紀子さまと悠仁さまは、お友達とその母親と朝早くから登山を楽しもうと山に向かっていた。
事故が起きたのは、相模原市緑区の中央自動車道下り車線を走行中の午前7時40分ごろ。
前の車が渋滞で急ブレーキをかけたため、運転手も慌ててブレーキを踏んだが間に合わず、前の車に追突したのだ。
「幸いにも、ワゴン車は前方のバンパーに亀裂が入り、追突された乗用車も後方バンパーがへこんだだけで、
けが人もなく済んだようです」(警察関係者)
悠仁さまたちは最寄りのパーキングエリアで車を乗り換え、予定どおり観光と登山を楽しんだ。
皇室ジャーナリストが心配顔でこう語る。
「一件が世間に知らしめたのは、将来の天皇となる悠仁さまを支える環境の危うさと、皇室内格差です」
秋篠宮家は、皇位継承第2位の秋篠宮さまと、この先、天皇となるであろう第3位の悠仁さまがいる。
だが2人の皇位継承者を抱える秋篠宮家は、慢性的な人手不足と脆弱(ぜいじゃく)な体制に長年、悩まされている。
皇室では「ご身位が違う」という言葉がよく使われる。両陛下と皇太子一家という内廷皇族とその他の宮家では、
「格付け」が異なり、その間に厳格な線引きが存在するという意味だ。
3人家族の東宮家が60人の職員を擁する一方で、ご夫妻と成人した眞子さま、佳子さま、
そして悠仁さまの5人家族の秋篠宮家の職員は、他宮家や本庁との兼務を含めても20人ほどでやりくりしている。
高齢の皇族が多数を占めるなかで、「働き盛り」の成年皇族を4人かかえる秋篠宮家は、
外国訪問や海外王室との交流、国内の式典や行事への出席など一家総出で、フル稼働で動いている。
そうしたなか、運転手は5人の交代制でなんとか回っている状態だ。
通常、両陛下や皇太子ご一家が車で移動する場合は、白バイが先導し警備車両の車列が後方につく。
道路は通行規制され、全ての信号が青に変わるため渋滞に巻き込まれることはない。
一方、秋篠宮家や他の皇族方の場合は、後方に警察車両が1台つくだけだ。
交通規制はなく、渋滞に巻き込まれることもある。
秋篠宮家の事情に詳しい人物がこう話す。
「助手席には護衛官が座りナビ役を務めますが、先導する白バイや警察車両がいません。
万が一、渋滞に巻き込まれ式典に遅れようものなら、運転手と護衛官の責任になりますから、
焦って車を飛ばすこともしばしばあると聞いています」
渋滞にはまってしまったときの重圧は深刻で、「生きた心地がしない」とこぼすこともあるいう。
今回事故を起こしたのは、この春に異動してきた30代の男性運転手だった。
「事務方の事情で当日急きょ交代となり、渋滞情報や道路の下調べなど
十分な準備ができなかったと聞きました」(前出の人物)
こうしたご身位の差は、さまざまに存在する。
たとえば那須(栃木県)や葉山(神奈川県)、須崎(静岡県)にある天皇の静養施設の御用邸。
いずれも本邸に宿泊できるのは両陛下のみだ。皇太子ご一家も滞在は隣接する付属邸と定められ、
宮家が単独で使うことは許されない。2008年に秋篠宮ご一家が特別に単独で使用が許された際も、
泊まったのは、供奉員(ぐぶいん)宿舎と呼ばれる当時すでに築82年の職員用の木造の宿泊施設だった。
教育費も然(しか)り。
「内廷皇族の子供は小学校に入学すると、学費は公的費用の宮廷費から支出されるが、宮家皇族の男子の場合、
ポケットマネーである皇族費で賄われます」(宮内庁関係者)
悠仁さまは、陛下の孫世代で唯一、皇位継承権を持つ男性皇族。宮内庁幹部らが相談し、
お茶の水女子大付属小学校への入学のタイミングで、学費を宮廷費で賄ったらどうかと、
秋篠宮さまに提案したところ、秋篠宮ご夫妻は、前例どおり皇族費で、と断ったという。
宮内庁は、この事故を受けても、警備態勢の見直しは行わないと言明した。
だが、「将来の天皇」となるであろう悠仁さまを支える環境は、あまりに心もとないのは確かだ。
※週刊朝日 2016年12月9日号
https://dot.asahi.com/wa/2016112900108.html

東宮家 お好きな食べ物

週刊現代2008年3月15日号
好きなネタは中トロ、イカ、サーモン、2人前をぺろりと平らげ、日本酒の盃を重ねて弾ける笑顔…
皇太子殿下・雅子さまが密かに通う「目白の寿司屋」
(略)
だが、そんな皇太子殿下にも、ささやかな“憩いの場”がある。
東京・目白にあるこぢんまりとした寿司店がそれだ。
カウンターとテーブル席が2つ。それに小上がり程度のお座敷。
皇太子殿下が通うとなれば、さぞ高級な寿司店かと思いきや、お腹いっぱい食べても一人一万円前後と、
庶民でも手の届く価格だ。皇太子殿下は、学習院大学に入学したころから、
キャンパスにほど近いこの店をたびたび訪れていたそうだ。
「皇太子さまには、はじめの頃はお酒を飲めないお年ということもあって、
もっぱら昼食にご利用いただいていました。その後もずっと、数え切れないほど利用していただいています。
適応障害のご発病前には、雅子さまとご一緒されたこともありました。
皇太子さまが最後に来られたのは昨年9月。付近の道などにかなりの警備が配置されるので、
常連さんは皇太子さまが来られているとすぐ分かると言います。
皇太子さまは、学習院時代のご友人や教授と来られることが多く、いつもスーツ姿でビシッとしています。
お立場上、政治や経済の話は避けられているようですが、
いつもニコニコ、朗らかにお食事を楽しんでいらっしゃいます」(店主)
皇太子殿下は、ニギリでも手巻きでも何でも平らげる健啖家だという。
「とくに、中トロ、イカ、サーモンなど、2人前くらいは簡単に召し上がります。
雅子さまも結構な量をお食べになりますが、皇太子さまにはかないません。
皇太子さまはお酒のほうは日本酒を、こちらもかなりの量を飲んでおられますね。
ですが、赤くなることも、乱れることもありません。また、感心させられるのは食事の後のテーブル。
あれだけ召し上がりになれば、テーブルの上が乱雑になるのが普通なのに、
いつもきれいに片づけられているんです。お帰りの際にはカウンターの中の私らに
首をかしげて挨拶してくださるのですが、とても上品ですよ。私らじゃとてもああはいきません(笑)」(同前)
しかし、皇太子がくつろいで飲食を楽しむことのできる“隠れ家”のような店にも、
皇室内の“ゴタゴタ”の影響が少なからず出ているという声もある。
「紀子さまのお父さまの川嶋辰彦さんも、以前はちょくちょく店にいらしていたんですけどね。
皇太子さまがこの店を利用されるようになってからは、あまり来られなくなりました。
最近はお見かけした覚えがありません。皇太子さまを敬遠しているわけでもないと思いますが、
やはり鉢合わせするのはイヤなんじゃないでしょうか」(常連客)
とはいえ、この店での友人たちとの会食が、皇太子殿下の心をいかに軽くするかは想像に難くない。
「雅子さまと両陛下の間に立たれている皇太子殿下のジレンマ、ストレスは相当なものでしょう。
息抜きは自宅での愛子さまとの触れ合いと、たまのテニスやジョギングぐらい。
友人と自由に会うことも非常に少ない。
弟宮の秋篠宮家しも、とてもツーカーとは言えない状態ですから…」(宮内庁担当記者)
もちろん、天皇家と皇太子家の関係がこのままでよいはずはない。
皇室研究家の高橋紘氏も言う。
「今回(※2008年2月)の長官発言は、天皇陛下と皇太子殿下の親子関係の“距離”が
決定的になった衝撃的なものでした。皇太子殿下は、雅子さまの病状を慮るのはもちろん、
ご両親である両陛下のご病気などのこともいま少し考えるべきでしょう。
両家の齟齬は、雅子さまの詳しい症状が天皇陛下や宮内庁長官にあがっていないことも一因ではないでしょうか。
まずそれを、きちんと皇太子殿下が伝えることから始めるべきです。
現在、皇太子殿下には相談相手になるような方がいないことも問題ですが…」


皇太子さま 中トロ、日本酒がお好きと寿司店店主が明かす
2013.01.11 07:00
皇室のかたがたも、プライベートでさまざまなレストランやときには居酒屋にお出かけになることもある。
皇太子さまが学生時代に来店された、「鮨よし」店主・小島喜営さんが秘話を明かしてくれた。
 * * *
皇太子さまが初めて来店されたのは大学生のころです。ランチでゼミのお仲間と数人でいらっしゃいました。
その時からいつもスーツ姿で、きちんと身なりを整えてきてくださったものです。
お好きなネタは中トロといか、穴子です。お酒は日本酒を飲まれることが多いですね。
お酒については本当にきれいな飲み方をなさるかたです。
いくら飲まれても乱れて騒ぐようなことはなく、笑顔で食事を楽しまれていますよ。
私が家内を亡くしたときは皇太子さまからお悔やみの言葉をいただきました。
本当に心優しく、紳士なかたですよ。また、お立場上のこともあるのか、
政治や経済の話題は聞いたことがありませんね。
皇太子さまは食事のマナーも感心するほどすばらしい。普通、食後は食器類が乱雑になっていることが多いでしょう。
でも、皇太子さまがお帰りになった後はいつも、きちんと食器が片付けられ、
テーブルの上もきれいになっているんです。
学生の頃からずっとそうでした。ですから皇太子さまと同席したご学友のみなさんも同じように
テーブルをきれいにしてくださっていましたね(笑い)。
※女性セブン2013年1月24日号
http://www.news-postseven.com/archives/20130111_164931.html

愛子さま 赤坂の聘珍樓の海老餃子や五目炒飯がお気に入り
NEWS ポストセブン 1月9日(水)16時6分配信
皇室のかたがたも、プライベートでさまざまなレストランやときには居酒屋にお出かけになることもある。
新年の一般参賀にも参加された皇太子妃・雅子さまが外務省時代のご友人と行かれるのが、
麻布の有名中華料理店『富麗華(ふれいか)』だ。
「元同僚の送別会など、折に触れてお使いになっていて、雅子さまは上海蟹やフカヒレの姿煮などを含む
2万円のコースを召し上がられたこともあるようです」(宮内庁関係者)
2012年9月には、同店で小和田夫妻の金婚式を祝う会も行われており、皇太子ご夫妻も出席されている。
愛子さまも行かれたことがあるのが、赤坂の『溜池山王聘珍樓(へいちんろう)』。
2007年に学習院初等科の運動会の後、親子数組で“ママ友ランチ”で訪れられたのを最初に、
以来、愛子さまは、この店のエビ餃子や五目チャーハンがお気に入りだという。
ほかにも、六本木ミッドタウンにあるメキシコ料理店『ラ・コリナ』や
日本橋のマンダリンオリエンタルホテルのフレンチ『シグネチャー』も雅子さま御用達のお店だ。
また、栃木県・那須御用邸近くにあるイタリアンレストラン『ジョイア・ミーア』は、
ご静養のおりによく利用される名店だ。10年ほど前のこと、同店ではこんなことがあったという。
「皇太子ご夫妻に気がついた一般のお客様が立ち上がって拍手を送ると、
おふたりもお客様に気さくに声をかけられていました。
なかには感激のあまり、涙を流して震えながら、手を合わせ拝む年配の女性もいたほどです。
皇太子さまは、そのかたに“ありがとうございます。大丈夫ですよ”とやさしくおっしゃっていました。
その言葉に感動して、彼女はまた涙が止まらなくなってしまって…」(代表・笠原智江さん)
※女性セブン2013年1月24日号
https://www.news-postseven.com/archives/20130109_164907.html

雅子さまの好物はたこ焼き「職員がよく買いにいく」と皇室関係者
週刊女性2017年4月18日号
2017/4/5
天皇陛下の生前退位が現実味を帯びてきたことで、注目度が上がっている皇室。
そこで、あらためて皇族の方々にまつわる豆知識を一挙に大放出しちゃいます! 今回は皇太子ご一家編。
皇太子さまの“音楽の原点”
陛下がチェロを弾かれていた影響で、皇太子さまも幼少のころはチェロにご興味が。
しかし、子どもにはチェロは大きすぎるためバイオリンを始められて、現在はビオラを弾かれている。
その裏には美智子さまの“しつけ”が。
皇室を長年取材するジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡邉みどりさんによると、
「皇太子さまがお小さいころは“お稽古はしたくない”と
お住まいの庭にある砂場にはりついて離れないことがありました。
そこで美智子さまがなだめられてお稽古をさせて、
今ではオーケストラの一員としてコンサートに参加されるまでの腕前になったのです。
美智子さまが尽力されたことで、皇太子さまが音楽をたしなまれるようになったことは素晴らしいことだと思います」

スポーツ観戦が大好きな愛子さま
'06年9月に大相撲を初観戦した際には、力士の名前や出身地まで暗記しているほどのマニアぶりだった愛子さま。
「その翌年の秋場所もご一家で観戦されて、鉛筆で手元の取組表に勝敗結果を書き込まれていました。
双眼鏡でじっくり力士をチェックされるなど完全に“スー女”でしたね」(宮内庁担当記者)
そんな愛子さまは野球もお好きで、ご本人の希望から'09年7月に神宮球場で行われた
横浜対ヤクルト戦をご一家で観戦された。
「昨年4月下旬の学内行事の球技会でソフトボールに出場し、昼休みや放課後に練習に励まれていました。
赤坂御用地内では、東宮職員とキャッチボール、
雅子さまからはバッティングを教わったそうです」(前出・宮内庁担当記者)
愛子さまの“お友達事情”
この春から高校に進学される愛子さま。最近は長期欠席や“激ヤセ”が話題になったが、
普通の中学生と変わらない一面も。
「通学は学校の近くまで車ですが、帰りは『パスモ』を使って地下鉄を乗り継ぎ、
お帰りになることもあります。スマートフォンは初等科時代からお使いになっていて、
無料通信アプリ『LINE』で、同級生とやりとりもされているようです」(皇室担当記者)
昨春の『オール学習院の集い』では、お友達と一緒に焼きそばやアイスクリームをお買いになり、
延々と“女子トーク”を楽しまれていたのを本誌は目撃。一般の女子学生と変わらないのだ。

雅子さまの好物は意外な“〇〇”
雅子さまの好物といえばフレンチや中華が思い浮かぶが、実は「たこ焼き」もお気に入りとのこと。
「ソースやマヨネーズがたくさんかかったものがお好きで、職員がよく買いに行くようです」(皇室関係者)
意外に聞こえる話だが、ハーバード大学在学中に、
雅子さまが立ち上げられた『日本文化クラブ』でも焼きそばをふるまわれていたという逸話もある。
フレンチから粉ものまで“こってり”したものがお好きのようだ。
http://www.jprime.jp/articles/-/9385