象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば


象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(平成28年8月8日)

戦後70年という大きな節目を過ぎ,2年後には,平成30年を迎えます。
私も80を越え,体力の面などから様々な制約を覚えることもあり,
ここ数年,天皇としての自らの歩みを振り返るとともに,
この先の自分の在り方や務めにつき,思いを致すようになりました。
本日は,社会の高齢化が進む中,天皇もまた高齢となった場合,どのような在り方が望ましいか,
天皇という立場上,現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら,
私が個人として,これまでに考えて来たことを話したいと思います。

即位以来,私は国事行為を行うと共に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,
日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し,
更に日々新たになる日本と世界の中にあって,日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,
いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考えつつ,今日に至っています。

そのような中,何年か前のことになりますが,2度の外科手術を受け,
加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から,
これから先,従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合,
どのように身を処していくことが,国にとり,国民にとり,
また,私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき,考えるようになりました。
既に80を越え,幸いに健康であるとは申せ,次第に進む身体の衰えを考慮する時,
これまでのように,全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが,
難しくなるのではないかと案じています。

私が天皇の位についてから,ほぼ28年,この間私は,我が国における多くの喜びの時,
また悲しみの時を,人々と共に過ごして来ました。
私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,
同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,
思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。
天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,
天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,
天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,
常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。
こうした意味において,日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,
私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。
皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は,
国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ,
私がこの認識をもって,天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,
人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。

天皇の高齢化に伴う対処の仕方が,国事行為や,その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには,
無理があろうと思われます。また,天皇が未成年であったり,
重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には,
皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。
しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,
生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これまでにも見られたように,
社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。
更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,
重い殯の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後喪儀に関連する行事が,1年間続きます。
その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,
行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。
こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,胸に去来することもあります。

始めにも述べましたように,憲法の下,天皇は国政に関する権能を有しません。
そうした中で,このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ,
これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり,相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう,
そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ,
ここに私の気持ちをお話しいたしました。
国民の理解を得られることを,切に願っています。
http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12

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『波紋を呼んだ』という質問の表現は削除

皇太子殿下お誕生日に際し(平成24年)
全文
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/kaiken/kaiken-h24az.html



西尾幹二氏のブログ
皇太子殿下の誕生日記者会見
2012/2/27 月曜日
http://www.nishiokanji.jp/blog/ より一部抜粋
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誕生日会見については、事前にこんなことがあったらしい。
「質問は5問。会見は約20分で、記者会の質問に対し、殿下はペーパーを見ながら、
入念に選ばれたお言葉を読み上げられます。今回、事前に用意していた質問項目に、
微に入り細に入り宮内庁側が注文を付けてきたのです」
「今回は『ここを変えて欲しい』とか、“てにをは”に至るまで些事にこだわってきて、
修正を要請されたのです。特に、もっとも国民が聞きたいであろう、ある質問について、
報道室職員が『それはちょっと』と返してきた。もちろん職員が勝手に判断するわけはなく、
殿下にご相談しているはずです」(東宮関係者)

それは、雅子さまの行動が“波紋”を呼んだという部分だった。
「問題視されたのは、『雅子さまの行動が、週刊誌で報じられ、波紋を呼んでいます』といった部分だったそうです。
宮内庁は『波紋を呼んだ』という表現をやめてほしい、と突き返した。
記者会側は、ずばり愛子さまの校外学習に雅子さまが付き添われたことについて、
殿下はどうお考えになっているか、殿下はなぜそれをお許しになったのかをお聞きしたかったのです」
(皇室担当記者)(『週刊文春』3月1日号)

私はこういう不自然なお言葉が今後もくりかえし展開される将来の可能性に不安を覚える。
殿下が「じつは私も悩んでいるんです」と正直に胸のうちを語る日が来ないと、国民の心はますます離れていく。
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  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


週刊朝日2012年3月9日号
会見で公務観を問われた皇太子さまは、
「天皇陛下をお助けし、改めて更なる研鑽を積まなければならないとの思いを強くいたしました」と答えた。
「研鑽を積む」という言葉は50歳の誕生日から3年連続での登場だが、50代の人たちに求められる
「社会を支え、若い人たちを引っ張る」という役割を考えると、引っかかりを感じる人もいるのではないか。
ある宮内庁幹部は、いまの天皇陛下が皇太子だったころの言葉と今回の会見を見比べてこう嘆く。
「陛下は皇太子だったころも率直に思いを語り、印象に残る言葉を多く残されました。
いまの皇太子さまの会見やお言葉からは、ご自身の中からわき出るような思いが感じられません」
いまの皇太子さまの心の多くを占めるのは、やはり雅子さまと愛子さまのことのようだ。
誕生日会見で13回登場した「雅子」という言葉の大半は、病状の説明など触れざるを得ない流れの中で出てくる。
一方で、東日本大震災に触れたくだりで、被災した東北3県を「雅子と共に訪れ」たと強調し、
「雅子と共に、これからも常に被災された方々と被災地に思いを寄せ、その復興を見守っていきたい」
と締めくくるなど、意識的に雅子さまの存在を強調したように見える部分も散見された。
官僚や企業のトップが被災地について話す時「妻が、妻が」と繰り返すだろうか
「雅子さまをほめる内容が多いのは、雅子様が今回の会見録を読むのを意識してのことでしょう」神田秀一
幸い、天皇陛下の心臓手術は成功したが、皇太子さまが天皇に即位する日はいずれやって来る。
家庭と公務の間で揺れ惑う皇太子さまの覚悟が定まる日はいつか。
2月18日に行われた天皇陛下の心臓の冠動脈バイパス手術。
美智子さまの支えもあって、天皇陛下の術後の経過は順調だ。
だがこの間、宮内庁関係者の心を曇らせる出来事もあった。
秋篠宮ご夫妻は天皇陛下の体調を心配し、手術の前から病状について関係者に細かに尋ねてきたのに、
皇太子ご夫妻からは、医師団にそうした問い合わせはなかったのだ。皇太子さまは手術翌日の19日、
秋篠宮さまと2人で天皇陛下を見舞った。医師団はこのときになって初めて、詳しく病状を説明した。
ある宮内庁関係者はこう指摘する。
「1987年に昭和天皇が十二指腸と小腸の上部を縫い合わせるバイパス手術を受けられた際には、
皇太子だったいまの陛下は逐一、医師団に病状を尋ねて気にかけておられた。父を心配する気持ちと、
陛下に何かあれば代わりを務めなければならないとうい責任感からの行動だったと思います」
天皇陛下が今回受けた心臓手術の成功率は、非常に高い。とはいえ、
11日の検査時には心臓外科医が院内に待機するなど、医師団は緊張した時間を過ごしていた。
このため、この宮内庁関係者は、
「いまの皇太子さまには、少し危機意識が欠けているのではないでしょうか」と首をひねるのだ。

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陛下と虫探し 悠仁さま

文仁親王殿下お誕生日に際し(平成23年)
全文
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/03/kaiken/kaiken-h23.html

殿下
皇居の方に行って,御所でご挨拶して,それで虫取りに吹上御苑に行くということがありました。
そのようなときに,陛下も息子の虫好きを知っておられますので,普通だったら草刈りをしてしまうところを
そのままに残して,虫がたくさんいられるような環境を作っておいたりとか。それから,暑い時期,
当然短い期間ではありますが,ほとんど(毎週)家内と息子が二人で虫取りに出かけていくわけなのですけれども,
それでも短時間,息子の悠仁に誘われるようにして,(陛下も)ご一緒に昆虫採集・・・(少しお考えになる。)

妃殿下
(殿下をご覧になって)虫探し?

殿下
(妃殿下を振り向かれて)虫探し?

妃殿下
(殿下をご覧になって)観察も・・・

殿下
観察,そういうことがよくありました。
皇太子同妃両殿下のところとの交流については,残念ながらそれほど多くはありません。
ただ,先ほど家内がお話ししたように,秋口でしたか,みんなで集まったときに,子どもたちが集まって,
非常に和やかというか,にぎやかというか,一時を過ごしていたということが私には印象に残っております。
以上です。


秋篠宮さま:46歳に 「被災者に心を寄せていく」
秋篠宮ご夫妻は、秋篠宮さまの46歳の誕生日を前にした記者会見で、
東日本大震災の被災地を訪れた際の体験に触れ、皇室の役割として
「復旧・復興を長期的な視野で見守り、被災者に末永く心を寄せていく」などと語った。
ご夫妻は震災後、東北各県を訪問。秋篠宮さまは「大変な状況の中にあって、
私たちが接した人々は、非常に前向きな姿勢で一日一日を過ごしているという印象を持ちました」などと述べた。
紀子さまは、被災地の子供らから受け取ったビーズの腕輪などを手元に置いていると明かし、
被災地を度々訪れる中で「人々の強い絆」を感じたと振り返った。
10月に成人皇族となった長女眞子さま(20)には、秋篠宮さまが公務について
「一つ一つを大切に一生懸命務めるように」と話しているという。
眞子さまの結婚や、次女佳子さま(16)の進路については、
ご夫妻とも本人の希望を尊重したいとの考えを示した。
「着袴(ちゃっこ)の儀」を今月行った長男悠仁さま(5)について秋篠宮さまは
「木にすたすたと登っていくのを見たり、虫や恐竜のことなど話す会話の量も増え、
成長の様子なのかなと感じます」と話した。【川崎桂吾】
http://mainichi.jp/select/wadai/koushitsu/news/20111130k0000m040149000c.html


天皇公務「定年制」:秋篠宮さま「肉親の情」の発露
秋篠宮さまが、天皇陛下の公務について、「定年制も必要」との考えを記者会見で語った。
憲法には、天皇の公務に関し、首相の任命や法律の公布などの「国事行為」が規定されているだけだ。
だが、植樹祭や国体への出席、海外の賓客の接遇など公務にあたる「公的行為」は数多い。
初めて現憲法下の象徴天皇として即位した天皇陛下は、皇后さまと共に、
国民の中に入っていくことで「国民と共にある皇室」を示してきた。
公務が年齢と共に減るどころか増える傾向すらあり、宮内庁の09年発表によると、
昭和天皇の74歳の時と比べ、東京都内や地方への「お出まし」は約2.3倍になっていたという。
「公的行為」に当たる災害被災地慰問にも即位後の両陛下は心を尽くしてきた。
東日本大震災後は、7週連続で被災者らの見舞いをハードな日程でこなした。
今月の入院に際し、宮内庁は「疲労が相当蓄積し、お身体(からだ)の抵抗力が低下している」と説明した。
秋篠宮さまの「定年制」言及は、まさに陛下が入院中の発言であり、
法改正などが伴う制度創設を念頭に置いたものではなく、
公務を思い切って削減すべき時期に来ているという「肉親の切なる情」の発露と見るべきだろう。
宮内庁は負担軽減を図ってきたが、一層の見直しが「喫緊の宿題」になっていると言える。【大久保和夫】
http://mainichi.jp/select/wadai/koushitsu/news/20111130k0000m040150000c.html


秋篠宮さまの発言に官房長官「コメント控える」
藤村官房長官は30日午前の記者会見で、秋篠宮さまが一定数の皇族確保や、
天皇陛下の定年制の必要性に言及されたことについて、
「制度論は国会の議論に委ねることを前提として、考えをお述べになったと理解している。
個々の発言の内容に政府としてコメントするのは差し控えたい」と述べた。
(2011年11月30日13時07分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20111130-OYT1T00624.htm

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

週刊文春2011月12月8日号
皇太子両殿下との交流はそれほど多くありません」
秋篠宮衝撃発言 皇太子雅子さま「孤絶」の全深層
天皇に定年という制度は必要。
皇太子ご夫妻はどう受け止められたか
秋篠宮殿下の誕生日に先駆けて、11月22日、(誕生日)会見は実に1時間半に及んだ。
「(途中までは)悠仁さまとのほのぼのとしたエピソードなどを披露されていたのです。
そのあと突然、きっぱりと断言された」(宮内庁担当記者)
<皇太子両殿下のところとの交流については、残念ながら、それほど多くはありません>
秋篠宮の淀みない口調に、約25名の宮内庁担当記者たちは息を飲んだという。
「やはり、という気持ちと、そこまではっきり仰るのかという驚きの両方がありました。
皇太子ご一家となぜ疎遠なのかは何も語られないままでした」(同記者)
記者が三問目の質問を読み上げた。
「眞子さまが成人を迎えられたのを機会にあらためて殿下に皇統の継承についてお聞きします」の問いに、
<皇室の制度論については国会の論議に委ねることになる。
その過程において、今後の皇室の在り方というものを考える時には、
私、もしくは皇太子殿下の意見を聞いてもらうことがあってもよいというふうに
思っております>と慎重に言葉を選びながら述べられた。
この言葉は、いみじくも現在の秋篠宮の皇室におけるお立場を象徴するものだった。
「発言の主旨は09年の誕生日会見と同じ。が、“主語”が変わった。
09年のときは『(皇室の在り方については)その当事者となる皇太子ほかの意見を聞く』というように、
当時は『皇太子ほか』が主語でした。今回は『私、もしくは皇太子殿下』と述べられている。
つまり、皇太子より前に『私』という言葉を持ってきたのです」(皇室ジャーナリスト)
さらに09年の際は、「自分のことを言うのはちょっとはばかられたものですから、
それで『(皇太子)ほか』というふうに言いました」と遠慮がちに語られていた。
「今回の『私』発言が、無意識によるものだとしても、
それだけ今、秋篠宮の皇室における存在感が増しているということを
ご自身がお感じになっているということの現れではないかと思うのです」(同ジャーナリスト)
会見の終わりには、さらに驚かせる踏み込んだ発言をされていた。
<私は『定年』という制度はやっぱり、必要になってくると思います。>
<ある年齢で区切るのか、どうするのかというところを含めて議論しなければいけないのではないか>
この発言の背景について、「穏やかにおっしゃっていますが、現状への強い危機感を、秋篠宮がお持ちだと
いうことでしょう。これまでの秋篠宮ではなさらなかっただろうご発言です」(同ジャーナリスト)
増していく秋篠宮の存在感。それは宮内記者たちも意見を同じくするところだという。
「(11月15日『ご名代』としての秋の叙勲と褒章授章者の御接見で)秋篠宮殿下は陛下に代わって
“おことば”を読み上げられたのですが、その声が小さくて聞き取り辛かったですね。一度に500人が出席していたので、
後ろのほうの人たちには聞こえなかったでしょう。それ以外は難なくこなされていました」(受章者の一人)
その2日前、皇太子はご名代の立場で山梨県をご訪問。お召し列車内でカメラを片手にお手振りされたこと、
その後の長野県行啓でのポケットに手をいれたままでの視察が明るみに出た。
「退院されたばかりの陛下が、まだ万全とは言えないご体調で、その5日後に早くも公務復帰
(「東日本大震災消防殉職者等全国慰霊祭」)されました。
いかに陛下が震災被害を心配されているか、ということです。
その陛下の思いを一番おわかりになっているのは、秋篠宮さまではないかと思うのです。
震災後、秋篠宮ご夫妻は、東宮職と比しても非常に小規模な宮家職員たちに支えられながら、
お見舞いを続けてこられた。被災地の人々の負担にならないよう、宮家の車で移動され、
宮城県には日帰りで二度に分けて訪問されています」(両陛下に近い千代田関係者)
女性宮家の創設検討という、平成皇室の根本的課題である皇位継承問題が再び注目された。
今回の会見でも秋篠宮はこう述べている。
<以前に皇族の数が少ないことは、国費負担という意味において悪くはないということを申しましたが、
この考えは今でも変わっておりません>
「秋篠宮は今後、具体的に女性宮家創設の議論が進んだ際に必ず出てくるであろう、さらなる国費負担増に伴う
国民感情の反発について、先手を打っておっしゃったのだろうと思います」(皇室研究家)
一方の東宮側には、まだ当事者意識が感じられないという。
「(女性宮家問題について)東宮職は関係ないよ」(中堅東宮職職員)
皇太子ご一家は、11月26日、27日と「初等科祭」を訪れられた。
「2日目はわずか30分差で皇太子殿下、雅子さまが別々に訪れた。ご鑑賞も別々でいらして。
剣道部の練習をご覧になった皇太子殿下は、相変わらず小型のデジタルカメラでバシャバシャ
写真を撮っていらっしゃいましたよ。お一人でリラックスされているご様子でした」(初等科父兄)
これを聞いた前出の千代田関係者は嘆息しつつ、こう洩らした。
「皇太子ご一家はますます国民ではなくご家庭に、内向きに目が向いているのではないでしょうか」
天皇のお見舞いについても、雅子さまは10日に“ドタキャン”されてから結局一度もお見舞いされることはなかった。
18日、ご名代の報告も皇太子お一人だった。
「東宮大夫は10日は発熱、18日は『咳が残っているため医師の判断により』と発表。
しかし皇太子殿下がご報告にいった同日に雅子さまは愛子さまのお付き添いをされている。
なぜ“医師の判断”で同じようにお付き添いも遠慮されないかは説明されない」(同千代田関係者)
一方、秋篠宮は報告も含め、3度も東大病院を訪れている。
「皇太子殿下がご名代のご公務のあと、数日間報告にいらっしゃらなかった。
秋篠宮殿下はご名代の報告も当日にいらっしゃっています。私はあらためて思い起こすのです。
皇后陛下が、あちら(東宮家)とは途絶状態なので、とおっしゃったあの言葉を。
そして、今回の秋篠宮殿下のご発言…。正直なところ、我々もあちらのことはまるで分からないのです。
何も伝わってこないのだから。いま皇太子ご一家はいわば“孤絶”状況です。お誕生日のお言葉は、
現状に危機感をお持ちの秋篠宮殿下から、皇太子殿下へのメッセージだと思います」(別の千代田関係者)

花田紀凱の週刊誌ウォッチング
記者も息をのんだ…秋篠宮さま、衝撃的なご発言
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/books/breview/537154/
まさに『週刊文春』(12月8日号)のタイトルどおり、衝撃的なご発言だった。
「秋篠宮衝撃発言 皇太子雅子さま『孤絶』の全深層」
11月22日、1時間半に及んだ異例の会見終盤。
秋篠宮さまが、きっぱりとこう断言され、約25人の担当記者たちは息をのんだという。
〈「皇太子両殿下のところとの交流については、残念ながら、それほど多くありません」〉
また、皇統の継承について問われ、
〈「皇室の制度論については国会の論議に委ねることになる。(中略)
その過程で、私、もしくは皇太子殿下の意見を聞いてもらうことがあってよい」〉。
2009年の会見の時は〈皇太子ほかの意見を聞くという過程〉と述べられていたのに
今回は〈私、もしくは皇太子殿下〉と述べられたのは、
〈「今、秋篠宮の皇室における存在感が増しているということを
ご自身がお感じになっているということの現れ」(皇室ジャーナリスト)〉。
会見の終わりには「天皇陛下の定年制」について問われ、
〈「私は『定年』という制度はやっぱり、必要になってくると思います」〉。
一方の皇太子ご夫妻は、ますます、
〈「国民ではなくご家庭に、内向きに目が向いているのではないでしょうか」(千代田関係者)〉。
要するに皇室の現状に強い危機感を持たれる秋篠宮さまが皇太子ご夫妻へ向けてメッセージを発したのだという。
皇太子ご夫妻はこのメッセージをどう受け止められるのだろうか。

皇太子ご一家と秋篠宮ご一家 溝生んだ原因は皇位継承問題
2012.01.01 16:00
11月30日、秋篠宮さまは誕生日会見で
「今年は少し私が怠けていたところもあるかと思います」とユーモアを交えながら、
「皇太子同妃両殿下のところとの交流については、残念ながらそれほど多くはありません」
と皇太子ご一家とこの1年間、あまり交流がなかったことを明かされている。
実際、10月の眞子さまの成人を祝う夕食会に皇太子ご一家は参加されず、
11月の悠仁さまの『着袴の儀』の際に行われた夕食会にも、皇太子ご一家は参加されなかった。
『着袴の儀』のときは、愛子さまが入院されていて、雅子さまはそれに付き添っていたために欠席となったのだが、
もともとこの日は、皇太子ご一家は葉山御用邸でのご静養を計画されており、
最初から食事会に参加する予定ではなかったということになる。
両家の溝を生んだ最大の原因は、皇位継承問題といわれる。
「皇位継承順位第3位の悠仁さまが、継承権を持たない愛子さまと、
金銭的な面にしてもお世話をする人員にしても、あまりに待遇が違うことに、
秋篠宮家としても複雑な思いがあるのだと思います」と宮内庁関係者は語る。
しかし、両陛下の体調が万全でない現在、もっと大事なことがあると秋篠宮さまは気づかれているという。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏は、こう語る。
「秋篠宮さまは、いま皇室が抱えている大変な状況を誰よりも真剣に考えていらっしゃると思います。
秋篠宮さまは、皇太子ご夫妻に将来の天皇として、
そして皇后としてリーダーシップを取っていってほしいと願われているんだと思います。
だからこそ、会見であのようなことを話されたのは、兄君である皇太子さまに向けて、
もっと両家で会う機会を増やして、話し合い、協力しあって、
両陛下を助けていかなければならない時期に来ているんだというメッセージを送ったのではないでしょうか」
※女性セブン2012年1月5・12日号
http://www.news-postseven.com/archives/20120101_77612.html

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ナルちゃん憲法

平成18年 皇后陛下
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h18sk.html
なお,教育ということに関し,時々引用される「ナルちゃん憲法」ですが,
これは私が外国や国内を旅行する前などに,長い留守を預かる当時の若い看護婦さんたちに頼まれ,
毎回大急ぎで書き残したメモのたまったものに過ぎず,
「帝王学」などという言葉と並べられるようなものでは決してありません。
小児科医であった佐藤久東宮侍医長が記した「浩宮さま」という本により,
このメモのことが知れたと思われますが,本来は家庭の中にとどまっているべきものでした。
たしか佐藤医師もこの本のどこかで,このようなメモは別とし,
私が浩宮の教育に関し最も大切に考えていたのは,
昭和天皇と今上陛下のお姿に学ぶことであったと述べていたのではないかと思います。続きを読む

平成18年天皇陛下お誕生日会見

天皇陛下お誕生日に際し(平成18年)
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h18e.html

問1
秋篠宮ご夫妻に,皇室にとって41年ぶりの親王となる悠仁様が誕生されました。
紀子様のご懐妊を聞かれたときの陛下のお気持ちは,どのようなものだったでしょうか。
また出産までの10か月間,紀子様をどのような思いで見守られたでしょうか。
悠仁様と初めて対面されましたときのお気持ちや参内された際のご様子,
男のお孫様としての教育のあり方についても,あわせてお聞かせください。

<天皇陛下> 
懐妊の兆候があることは聞いていましたが,安心な状況というばかりの話ではなかったので,
検査の結果順調に懐妊しているということを宮殿で侍従長から聞いた時には本当にうれしく感じました。
その後,秋篠宮妃には,つわりや大出血の可能性のある前置胎盤の症状が生じましたが,
それを乗り越え,無事悠仁を出産することができました。
秋篠宮妃には喜びと共に心配や苦労の多い日々であったと思います。
予定日より早い帝王切開での出産でしたが,初めて会った時には立派な新生児だと感じました。
出産に携わった関係者の尽力に深く感謝しています。
また,大勢の人々が悠仁の誕生を祝ってくれたことも心に残ることでした。
悠仁の生まれたとき滞在していた北海道を始め,その後訪れた各地の道々で,
多くの人々が笑顔でお祝いの言葉を述べてくれました。 
最近の悠仁の様子として目に浮かぶのは,私の近くでじっとこちらを見つめているときの顔です。
教育の在り方についての質問ですが,今は秋篠宮,同妃,眞子,佳子の2人の姉に
愛情深く育てられていくことが大切だと思います。
15歳になった眞子は,今年1年非常に頼もしく成長したように感じています。
きっと眞子,佳子が悠仁の良き姉として,両親を助けていくことと思います。

問2
二つ目の質問をさせていただきます。皇太子ご一家はこの夏,雅子様のご療養を兼ねて
オランダを訪問されました。陛下は海外でのご静養についてどのようにお考えでしょうか。
また,その後の雅子様のご回復の様子や,幼稚園生活を始められた愛子様のご成長など,
皇太子ご一家へ寄せられる思いも,あわせてお聞かせください。

<天皇陛下>
この度のオランダでの静養については,
医師団がそれを評価しており,皇太子夫妻も喜んでいたので,良かったと思っています。
皇太子一家を丁重におもてなしいただいたベアトリックス女王陛下並びに
ウィレム・アレクサンダー皇太子,同妃両殿下に対し,深く感謝しています。
最近の愛子の様子については,皇太子妃の誕生日の夕食後,愛子が皇后と秋篠宮妃と
相撲の双六(すごろく)で遊びましたが,とても楽しそうで生き生きとしていたことが印象に残っています。
ただ残念なことは,愛子は幼稚園生活を始めたばかりで,風邪を引くことも多く,
私どもと会う機会が少ないことです。
いずれは会う機会も増えて,うち解けて話をするようになることを楽しみにしています。
皇太子妃の健康の速やかな回復を念じていますが,
身近に接している皇太子の話から良い方向に向かっていると聞き,喜んでいます。
健康を第一に考えて生活していくことを願っています。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

天皇陛下誕生日
「明るく幸せな年に」=皇居で天皇誕生日の一般参賀 即位以来最高
天皇陛下の73歳の誕生日を祝う一般参賀が23日午前、皇居・宮殿東庭で行われ、
午前9時半の開門から同11時半ごろの閉門までに、
昨年より2420人多い16440人(皇宮警察調べ)が皇居を訪れた。
午後の記帳を含む参賀人数は2万152人と即位以来、最高となった。
陛下は午前中3回、皇后さまや皇太子さま、秋篠宮ご夫妻とともに長和殿のベランダに立たれ、
皇太子妃雅子さまも2回出席された。 陛下は、誕生日のお祝いに謝意を示した上で、
「きたる年が皆さんにとり、明るく幸せな年になることを期待しています」などとあいさつし、
日の丸の小旗を振る人々に手を振って応えられた。


天皇誕生日、一般参賀に2万2655人
12月23日19時18分配信 読売新聞
天皇誕生日の23日、皇居・宮殿で恒例の一般参賀が行われ、
75歳を迎えた天皇陛下は
「先ごろ健康に不調をきたし、みなさんに心配をかけましたが、
次第に快復(かいふく)していくものと思っています」とあいさつされた。
陛下は皇后さま、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻とともに
午前中に3回、宮殿・長和殿ベランダに立ち、
「厳しい経済情勢の中で厳しい年の瀬を迎えている人々も多いのではないかと案じています。
来る年が少しでもよい年となるよう願っています」と話し、祝賀に笑顔で応えられた。
午後の記帳を含めた参賀者は、平成に入り最高の2万2655人だった。
今年の祝賀行事は、陛下の体調に配慮し、関係者との茶会などが取りやめになったほか、
駐日外国大使夫妻との「茶会の儀」は乾杯だけで退席された。
皇太子妃雅子さまは、6年ぶりに「宴会の儀」にも出席された。
最終更新:12月23日19時31分
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いとこ発言

皇太子妃殿下お誕生日に際し(平成18年)
平成18年12月9日(土)
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/kaiken/gokanso-h18hn.html

この一年,皇太子殿下の変わらない温かいお力添えをいただきながら,
少しずつ快方に向かって過ごしてくることができました。
お陰様で,国民の皆様の温かいご理解をいただきながら,
お医者様のご指導の下,公務を含め,活動の幅を少しずつ広げてまいることができました。
この機会に心から感謝申し上げたいと存じます。

愛子も先日5歳になりました。この秋には,天皇皇后両陛下より温かいお心遣いをいただいて,
数え年5歳のお祝いとなる,着袴の儀を無事に終えることができましたことをたいへんありがたく思っております。
この4月からは幼稚園に入園し,新しい環境の中での一歩を踏み出しました。
毎日楽しく幼稚園に通っております様子を心からうれしく思っております。
私自身も,愛子が幼稚園生活を楽しく送れるよう,できる限りの手助けをしたいと思い,
殿下にもお助けいただきながら,送り迎えをしたり,様々な行事に参加したりして参りました。
このようなことを通して,幼稚園生活の一端に触れることができますことも,私にとりまして喜びになっております。

今年の夏は,家族そろってオランダで静養させていただきました。
オランダへご招待下さいましたベアトリクス女王陛下,
また,深いご配慮を下さいました天皇皇后両陛下をはじめとして,多くの方々のお力添えにより,
お陰様でゆっくりと貴重な時間を過ごすことができました。
皆様のご理解に重ねて心からの感謝を表したいと存じます。
また,久しぶりの1泊旅行の公務として,10月に奈良県に参りました。
多くの方に温かく迎えていただいたこともうれしく,ありがたく思いました。
昨年より,国連大学で時々聴講させていただいております。
このようなことを通じ,今日の社会が直面している様々な課題について考える機会を与えていただいていることは,
私にとり有意義であり,ありがたいことと思っております。
また,いろいろな方からお話をうかがう中で,子供たちの将来に明るい希望が持てるよう,
私たち大人が力を合わせていくことの大切さを感じております。

今年9月に,悠仁親王殿下がご誕生になられましたことを心からお祝い申し上げております。
愛子にもかわいらしいいとこが新たに一人できましたこともうれしく,
今後のお健やかなご成長を心よりお祈りしております。

これまで天皇皇后両陛下より温かいご理解とお励ましを賜り,
特に皇后陛下より,私の公務復帰につきまして,こまやかなお心遣いを賜っておりますことに深く感謝申し上げます。
また,皇太子殿下には,お忙しいご公務をお務めになりながら,
いつも傍でお支え下さっていることにあらためて感謝申し上げております。
国民の皆様からも変わらず温かい気持ちを寄せていただき,心よりありがたく思っております。

昨冬は,豪雪のために被害を受けられた方が多くあり,心の痛むことでした。
この冬は,国民の皆様にとりまして穏やかな冬となりますよう願っております。
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陛下 沖縄への思い

昭和50年7月17日 初めての沖縄ご訪問の折、ひめゆりの塔で火炎瓶事件があった夜に
県民に対して発表されたメッセージ(当時は皇太子殿下)

「私たちは沖縄の苦難の歴史を思い、沖縄戦における県民の傷跡を深く省み、
平和への願いを未来につなぎ、ともどもに力をあわせて努力していきたいと思います。
払われた尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、
人々が長い年月をかけて、これを記憶し、一人ひとり、深い内省の中にあって、
この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません。」

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇
諸君!2008年7月号
平成皇室二十年の光と影

■琉歌四十首のノート 外間守善(ほかましゅぜん) (沖縄学研究所所長)
…1975(昭和50)年、沖縄国際海洋博覧会で両殿下が沖縄を初めて訪問されることになったある日、
私は東宮御所に呼ばれ、尋ねられた。
「戦没者鎮魂のため南部戦跡を訪ねたいのですが、外間さんはどう思いますか」と。
当初の予定には、博覧会場だけで南部戦跡は入っていなかった。これには宮内庁も博覧会委員会も大反対で、
一人で悩んでおられたようだ。南部戦跡が日程に入ることになったのには殿下の強いご意志があったのである。
出発の前日には、殿下が自ら「談話」との一文を書かれた。私は英訳担当の学者と二人、
東宮御所で深夜まで検討を重ねた。帰り際に私が「何が起こるかわかりませんから、ぜひ用心して下さい」と
申し上げたところ、殿下は静かに「何が起きても受けます」とおっしゃった。並々ならぬご決意が伝わってきた。
早朝に御所を出発した両殿下は、沖縄に到着するとまっすぐ南部戦跡に向かわれた。
車が糸満の白銀堂にさしかかった時、白銀病院から爆竹のようなものが車列に向かって投げられた。
幸い事なきを得たが、車はその後訪問した「ひめゆりの塔」で起こった。
慰霊碑に献花をして両殿下が左側に二メートルほど移動した瞬間にガマに潜んでいた
犯人が火炎瓶を投げつけたのだ。火炎瓶は献花台にぶつかって破裂した。警護の人々が両殿下をかばったが、
両殿下は前を向いたままだった。そして、警護の者に押されるような形で車に乗られたという。
もちろん、その後の予定は中止されても当然なのだが、両殿下の予定は一つの変更もなく沖縄師範健児の塔、
島守の塔と参拝なされた。事件後に訪問された各塔でのお出迎えには私の知人が何人もいたが、両殿下は
何ごともなかったかのように自若としておられたという。最後に予定されていた遺族会館では予定に入っていなかった
ひめゆり同窓会の人々をお呼びになって、昼間の事件の心労を慰められたそうだ。
「談話」の一文はその日の夜に発表された。
私は事件を東京で知った。南部戦跡めぐりに賛成しない方がよかったのか、と気をもんでいるところに
八木侍従から電話あった。殿下はその時、屋良知事たちと夕食中だったが「外間さんが心配しているだろうから」と
わざわざ電話をかけるよう指示なさったらしい。
沖縄から帰られてすぐに殿下から「琉歌になりますか」と二首の歌を見せられた。
 ふさかいゆる木草 めぐる戦跡 くり返し返し 思ひかけて
 花よおしやげゆん 人知らぬ魂 戦ないらぬ世よ 肝に願て
無名戦士の塔に詣でて、戦争のない世界を祈願なさったであろう両殿下のお姿が髣髴として
私には万感胸にせまる思いがあった。摩文仁の戦跡地を巡られた思いを「くり返し返し思ひかけて」と
結句されたのは、殿下の悲痛なご心中の飾りのない表白であったのだろうと推察した。
…しばらく後のことであるが、殿下が、ご自身の実感にふさわしい言葉の選択に難渋なさった時に、
やおらノートを取り出されたことがある。なんとそのノートには、琉球国王の詠んだ琉歌が四十数首、
びっしりと書き込まれていた。殿下ご自身でノートなさったものだということであった。
琉歌の意味と用字用語、表記法の規範は、国王の琉歌にあるというご明察があったからのご学習だったのだろう。
それにしても、三千余首の中から国王の琉歌を選り抜かれて、ノートに書き綴る殿下のご学習には
頭のさがる思いだった。 …


January 11, 2009, 11:22 pm
沖縄からアジアが見える
福岡アジア文化賞」(January 11, 2009, 10:11 pm)の大賞受賞者では、
とりわけ外間守善先生が記憶に残る。2003年に大賞を受賞された時、東京から福岡まで出かけた。
「沖縄学」の中心的な学者だ。沖縄最古の歌謡集「おもろそうし」の研究で名高い。
授賞式には、秋篠宮妃紀子さまがお祝いに駆けつけた。
学習院大に出講していた当時、2年間、ゼミの教え子だった。
「妃殿下、お立ちいただけますか」。会場に紹介し、妃殿下は微笑で応えた。
凄惨を極めた沖縄戦で九死に一生を得た。「鉄血勤皇隊」の生き残りである。
福岡アジア文化賞の慣例によって、福岡市内の中学で記念講演した。
「14歳だった私の妹は、引き揚げ船『対馬丸』に乗っていました。
アメリカの潜水艦の魚雷攻撃に遭い、船は沈みました。今でも妹が死んだという気がしません。
兄は手りゅう弾を腹にあて、自決しました。28歳でした」
戦争について多くを語る人ではない。だが、妹と同年代の子どもたちの前に立ち、声が震えた。
病を得て、言葉が少し不自由だったが、その問いかけはラジカル(根源的)である。
翌日の市民フォーラムでは、こう語った。
「残念ながら、日本から沖縄が見えないのです。沖縄は日本にとって、いつでも切り離せる地域だったのです」
外間先生は、その後、毎日新聞の大学生新聞「キャンパる」のインタビューにも応じていただいた。
母校の後輩にあたる国学院大学の女子学生(当時)が取材・執筆した。

以下は、その記事。
「天皇と沖縄」について、ここまで率直に語った人はいない。
●「対馬丸」に立ち尽くす両陛下
79歳とは思えない。背筋がピシッと伸び、顔の表情も生き生きとしている。沖縄学の権威。
沖縄戦で生き残った学徒兵で、私にとっては大先輩……。病気のため言葉は少し不自由だが、
知識や記憶は驚くほど鮮明だ。孫ほどの年齢の私たちのインタビューに、丁寧に応じてくれた。
取材前日、天皇誕生日に宮中に呼ばれたという。かねて「沖縄学」を天皇一家に進講してきたからだ。
妹を対馬丸事件(1944年8月、沖縄から九州へ向かう学童疎開船「対馬丸」が米潜水艦の攻撃を受け沈没。
学童767人を含む1484人が死亡した)で亡くした。
そのパネル展で、当時皇太子だった天皇、皇后両陛下へのご説明役を務めた。
「皇太子殿下は対馬丸のパネルの前で、ぼうぜんとされ、妃殿下はハンカチを持ち涙ぐんでおられた。
お二人は、そこから動かなくなってしまいました」。以来、天皇一家に沖縄の話をするようになった。
「陛下は『おもろさうし』(沖縄最古の歌謡集)の研究をなされてきたから、沖縄の歴史は非常に詳しいですよ」。
昨年の天皇誕生日の記者会見でも、沖縄の話が異例なほどたくさん出た。
「沖縄にはひとしおの関心を持っておられる」
「対馬丸出港の日、妹を港まで見送りに行きました。日本の少国民として恥ずかしくないように
九州で頑張りなさい、と家にあったすべての黒砂糖を持たせた」
対馬丸が撃沈されたことは、県民には知らされなかった。「やられたと知った時、非常にショックでした」。目が潤んで見えた。28歳だった兄は手りゅう弾で自決した。このことについては多くを語らない。
「僕も何度か死線を越えてきた。どうにか生き残った。沖縄戦で体験したことを多くの人に語らなくてはいけない」。
その思いから、沖縄戦に関する本の構想をまとめている。
「私が体験した沖縄戦の惨状は、平和思想につながっていく。憲法9条が改正されようとしている。
しかし、これだけは守りたい」
戦後、進学した国学院大には、金田一京助教授(国語学)がいた。
「入学したころは、『おもろさうし』研究など、やろうとは思ってもいなかった」。
生活費を稼ぐため、横浜のメリケン波止場にアルバイトに通った。
「沖縄戦を生き抜いたので、体力だけはありました」。同教授の勧めで東京大の服部四郎教授と
「おもろさうし」にめぐり合い、「寝食を忘れる」ほど研究に没頭した。
2001年、伊波普猷ら沖縄学の先達も成し得なかった「おもろさうし」22巻1554首の口語訳を達成した。
「前人未到の険しい道のりだったが、おもろ研究100年史に一つの踏み石を作り得た」と感慨深げである。
沖縄の島々にはすべて足を運んだ。なかでも、生まれ故郷の那覇は懐かしい。
沖縄を一言で表現すると? 「明るさと優しさ」。外間さんの姿そのものでもある。
◆取材して一言
「天皇、皇后はご誠実な方です」と、さらっと言う外間さん。
私たちにも分け隔てなく丁寧にお話ししてくださった。時々ギャグを言って私たちを笑わせる。
写真を撮る時、少しはにかむ姿が印象的だった。
http://www.voiceblog.jp/shimokawa502/748852.html


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東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば

東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば(平成23年3月16日)

この度の東北地方太平洋沖地震は,マグニチュード9.0という例を見ない規模の巨大地震であり,
被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。地震や津波による死者の数は日を追って増加し,
犠牲者が何人になるのかも分かりません。一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。
また,現在,原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ,
関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。

現在,国を挙げての救援活動が進められていますが,厳しい寒さの中で,多くの人々が,
食糧,飲料水,燃料などの不足により,極めて苦しい避難生活を余儀なくされています。
その速やかな救済のために全力を挙げることにより,被災者の状況が少しでも好転し,
人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません。
そして,何にも増して,この大災害を生き抜き,被災者としての自らを励ましつつ,
これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。

自衛隊,警察,消防,海上保安庁を始めとする国や地方自治体の人々,諸外国から救援のために
来日した人々,国内の様々な救援組織に属する人々が,余震の続く危険な状況の中で,
日夜救援活動を進めている努力に感謝し,その労を深くねぎらいたく思います。

今回,世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き,その多くに各国国民の気持ちが
被災者と共にあるとの言葉が添えられていました。これを被災地の人々にお伝えします。

海外においては,この深い悲しみの中で,日本人が,取り乱すことなく助け合い,秩序ある
対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携え,
いたわり合って,この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。

被災者のこれからの苦難の日々を,私たち皆が,様々な形で少しでも多く分かち合っていく
ことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく,
身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう,また,国民一人びとりが,
被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ,被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを
見守り続けていくことを心より願っています。

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/tohokujishin-h230316-mov.html#h01

東日本大震災関連
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せっけん この馬この馬

皇太子妃殿下のお誕生日に際し(平成9年)

問5 週末は殿下とサイクリングや散策を楽しまれているとお聞きしているんですけれども,
最近公務が無い時にはどのようにお過ごしでしょうか。
また,両殿下が興味を持っていらっしゃること,何かございましたら教えてください。


皇太子妃殿下
まず今公務ということがございましたので,公務の関係で今日ここにお集まりの記者会の皆様は
よくご存じだと思うんですけれども,公務というのも外に出かけて行く公務は
よく報道などもされて知られているかと思いますけれども,そういう出掛けて行く公務の外に,
ここの御所の中でいろいろな方とお会いするという公務の方がむしろたくさんございまして,
そのような御所の中で行う公務が幾つか入っているという日が結構多くございます。
そして,余談になりますけれども,そのように正式な形でお客様とお会いすることを,
こちらでは接するの接に見ると書いて「接見」というふうに言っているのでございますけれども,
ある時,ここの御所の中でではなかったのですけれども,ある所である方とお会いすることになった時に,
その方が宮内庁の者から「後ほど両殿下からご接見を賜ります。」というふうに説明をされて,
その方が両殿下のセッケンというのはいったい何で石鹸(せっけん)を頂くんだろうと,
手を洗う方の石鹸(せっけん)だと思うのですけれども,そういうふうに勘違いされて,
首を大分傾げられたというようなことも聞いております。それで,そのような公務の外に
その公務の準備のために充てる時間,これの中には先に予定されている公務について
職員といろいろ相談したり,決めたりといったこともありますけれども,そのような時間以外の時には
いろいろな方にこちらにいらしていただいてお話を伺ったりということも多くございます。
そしてまた,殿下はそういうお時間を大変お上手にお使いになって,少しの時間でもおありになると
研究を進めていらっしゃるということがよくおありでいらっしゃるようにお見受けいたします。
そうですね,先ほどおっしゃったサイクリングと散策ですけれども,サイクリングと散策は
大変健康を維持する上でも役に立ちますし,今,幸い,犬が2頭おりまして,この犬たちというのは
ある時ここの赤坂御用地の中に犬が入ってきて,そして出産をいたしまして10匹の子犬を
産んだのですけれども,その10匹の子犬のうち8匹は希望していた職員に分けまして,
そして一番小さかった雄と雌の子を1匹ずつ手元に残したものなのですけれども,
その犬たちも,もうすっかり成犬になりまして運動もかなり必要ですので,公務などに支障がない限り,
なるべく日々の日課として,自転車で,又は歩いて連れ出すようにしております。
この犬たちのことは皇太子殿下も大変可愛がっていらっしゃいまして,犬たちがいることで
毎日の生活が和やかなものになっているような気もいたします。それから,その外週末には
殿下が時々ジョギングをなさいますので,このジョギングのお供をして自転車で伴走を
することもありまして,これも実は犬の方がより良くお供をして犬はちゃんと走って
お供をするのですけれども,私は自転車でお供をしたり,それから,たまにテニスなども
ご一緒にしたりすることがあります。その外,関心を持っていることといえば,殿下と
共通のといいますか,ご一緒の関心事項としては,音楽ですとか,後は絵画などの美術にも
関心がございますし,それから東京でもたまに機会がございますけれども,特に那須の
御用邸に参りました時には晴れた晩にとても星空が素晴らしいので,ご一緒に天体観測を
させていただくのも大きな楽しみになっています。
その外は,皆さんもよくご存じの,今年の夏も山に一緒にいらした方もこの中にいらっしゃると
思いますけれども,登山ですとか,それから写真などもありますし,それから後は御料牧場に
参ります時には,以前に中東を訪問しました時にオマーンの国王陛下から皇太子殿下が
お頂きになられた馬のアハージージュという名の馬がおりますけれども,この馬,
そしてこの馬が今年の春に出産をして,今,子馬がいますので,先ほどの映像にも出てきたかもしれませんけれども,
この馬たちの元気な姿を見ることも楽しみにしております。
それから今年はちょっとできなかったのですけれども,御料牧場では乗馬をする時もありまして,
これも楽しみにしております。そのこととも関連いたしますけれども,私自身は大変動物とか
自然などが好きですので,人と動物のかかわり,あるいは人と自然とのかかわりといったことについて,
そのような良い関係から生まれ得るものということにも関心を持っております。

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/kaiken/kaiken-h09hn.html
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天皇陛下ご即位20年


記者会見
天皇陛下ご即位二十年に際し(平成21年)
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h21-gosokui20.html

政府インターネットテレビ
天皇陛下 ご即位から20年
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg2682.html

天皇皇后両陛下 国民と共に[桜H21/10/29]
http://www.youtube.com/watch?v=RbasM2vNoMU&feature=channel

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