陛下 沖縄への思い

昭和50年7月17日 初めての沖縄ご訪問の折、ひめゆりの塔で火炎瓶事件があった夜に
県民に対して発表されたメッセージ(当時は皇太子殿下)

「私たちは沖縄の苦難の歴史を思い、沖縄戦における県民の傷跡を深く省み、
平和への願いを未来につなぎ、ともどもに力をあわせて努力していきたいと思います。
払われた尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、
人々が長い年月をかけて、これを記憶し、一人ひとり、深い内省の中にあって、
この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません。」

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇
諸君!2008年7月号
平成皇室二十年の光と影

■琉歌四十首のノート 外間守善(ほかましゅぜん) (沖縄学研究所所長)
…1975(昭和50)年、沖縄国際海洋博覧会で両殿下が沖縄を初めて訪問されることになったある日、
私は東宮御所に呼ばれ、尋ねられた。
「戦没者鎮魂のため南部戦跡を訪ねたいのですが、外間さんはどう思いますか」と。
当初の予定には、博覧会場だけで南部戦跡は入っていなかった。これには宮内庁も博覧会委員会も大反対で、
一人で悩んでおられたようだ。南部戦跡が日程に入ることになったのには殿下の強いご意志があったのである。
出発の前日には、殿下が自ら「談話」との一文を書かれた。私は英訳担当の学者と二人、
東宮御所で深夜まで検討を重ねた。帰り際に私が「何が起こるかわかりませんから、ぜひ用心して下さい」と
申し上げたところ、殿下は静かに「何が起きても受けます」とおっしゃった。並々ならぬご決意が伝わってきた。
早朝に御所を出発した両殿下は、沖縄に到着するとまっすぐ南部戦跡に向かわれた。
車が糸満の白銀堂にさしかかった時、白銀病院から爆竹のようなものが車列に向かって投げられた。
幸い事なきを得たが、車はその後訪問した「ひめゆりの塔」で起こった。
慰霊碑に献花をして両殿下が左側に二メートルほど移動した瞬間にガマに潜んでいた
犯人が火炎瓶を投げつけたのだ。火炎瓶は献花台にぶつかって破裂した。警護の人々が両殿下をかばったが、
両殿下は前を向いたままだった。そして、警護の者に押されるような形で車に乗られたという。
もちろん、その後の予定は中止されても当然なのだが、両殿下の予定は一つの変更もなく沖縄師範健児の塔、
島守の塔と参拝なされた。事件後に訪問された各塔でのお出迎えには私の知人が何人もいたが、両殿下は
何ごともなかったかのように自若としておられたという。最後に予定されていた遺族会館では予定に入っていなかった
ひめゆり同窓会の人々をお呼びになって、昼間の事件の心労を慰められたそうだ。
「談話」の一文はその日の夜に発表された。
私は事件を東京で知った。南部戦跡めぐりに賛成しない方がよかったのか、と気をもんでいるところに
八木侍従から電話あった。殿下はその時、屋良知事たちと夕食中だったが「外間さんが心配しているだろうから」と
わざわざ電話をかけるよう指示なさったらしい。
沖縄から帰られてすぐに殿下から「琉歌になりますか」と二首の歌を見せられた。
 ふさかいゆる木草 めぐる戦跡 くり返し返し 思ひかけて
 花よおしやげゆん 人知らぬ魂 戦ないらぬ世よ 肝に願て
無名戦士の塔に詣でて、戦争のない世界を祈願なさったであろう両殿下のお姿が髣髴として
私には万感胸にせまる思いがあった。摩文仁の戦跡地を巡られた思いを「くり返し返し思ひかけて」と
結句されたのは、殿下の悲痛なご心中の飾りのない表白であったのだろうと推察した。
…しばらく後のことであるが、殿下が、ご自身の実感にふさわしい言葉の選択に難渋なさった時に、
やおらノートを取り出されたことがある。なんとそのノートには、琉球国王の詠んだ琉歌が四十数首、
びっしりと書き込まれていた。殿下ご自身でノートなさったものだということであった。
琉歌の意味と用字用語、表記法の規範は、国王の琉歌にあるというご明察があったからのご学習だったのだろう。
それにしても、三千余首の中から国王の琉歌を選り抜かれて、ノートに書き綴る殿下のご学習には
頭のさがる思いだった。 …


January 11, 2009, 11:22 pm
沖縄からアジアが見える
福岡アジア文化賞」(January 11, 2009, 10:11 pm)の大賞受賞者では、
とりわけ外間守善先生が記憶に残る。2003年に大賞を受賞された時、東京から福岡まで出かけた。
「沖縄学」の中心的な学者だ。沖縄最古の歌謡集「おもろそうし」の研究で名高い。
授賞式には、秋篠宮妃紀子さまがお祝いに駆けつけた。
学習院大に出講していた当時、2年間、ゼミの教え子だった。
「妃殿下、お立ちいただけますか」。会場に紹介し、妃殿下は微笑で応えた。
凄惨を極めた沖縄戦で九死に一生を得た。「鉄血勤皇隊」の生き残りである。
福岡アジア文化賞の慣例によって、福岡市内の中学で記念講演した。
「14歳だった私の妹は、引き揚げ船『対馬丸』に乗っていました。
アメリカの潜水艦の魚雷攻撃に遭い、船は沈みました。今でも妹が死んだという気がしません。
兄は手りゅう弾を腹にあて、自決しました。28歳でした」
戦争について多くを語る人ではない。だが、妹と同年代の子どもたちの前に立ち、声が震えた。
病を得て、言葉が少し不自由だったが、その問いかけはラジカル(根源的)である。
翌日の市民フォーラムでは、こう語った。
「残念ながら、日本から沖縄が見えないのです。沖縄は日本にとって、いつでも切り離せる地域だったのです」
外間先生は、その後、毎日新聞の大学生新聞「キャンパる」のインタビューにも応じていただいた。
母校の後輩にあたる国学院大学の女子学生(当時)が取材・執筆した。

以下は、その記事。
「天皇と沖縄」について、ここまで率直に語った人はいない。
●「対馬丸」に立ち尽くす両陛下
79歳とは思えない。背筋がピシッと伸び、顔の表情も生き生きとしている。沖縄学の権威。
沖縄戦で生き残った学徒兵で、私にとっては大先輩……。病気のため言葉は少し不自由だが、
知識や記憶は驚くほど鮮明だ。孫ほどの年齢の私たちのインタビューに、丁寧に応じてくれた。
取材前日、天皇誕生日に宮中に呼ばれたという。かねて「沖縄学」を天皇一家に進講してきたからだ。
妹を対馬丸事件(1944年8月、沖縄から九州へ向かう学童疎開船「対馬丸」が米潜水艦の攻撃を受け沈没。
学童767人を含む1484人が死亡した)で亡くした。
そのパネル展で、当時皇太子だった天皇、皇后両陛下へのご説明役を務めた。
「皇太子殿下は対馬丸のパネルの前で、ぼうぜんとされ、妃殿下はハンカチを持ち涙ぐんでおられた。
お二人は、そこから動かなくなってしまいました」。以来、天皇一家に沖縄の話をするようになった。
「陛下は『おもろさうし』(沖縄最古の歌謡集)の研究をなされてきたから、沖縄の歴史は非常に詳しいですよ」。
昨年の天皇誕生日の記者会見でも、沖縄の話が異例なほどたくさん出た。
「沖縄にはひとしおの関心を持っておられる」
「対馬丸出港の日、妹を港まで見送りに行きました。日本の少国民として恥ずかしくないように
九州で頑張りなさい、と家にあったすべての黒砂糖を持たせた」
対馬丸が撃沈されたことは、県民には知らされなかった。「やられたと知った時、非常にショックでした」。目が潤んで見えた。28歳だった兄は手りゅう弾で自決した。このことについては多くを語らない。
「僕も何度か死線を越えてきた。どうにか生き残った。沖縄戦で体験したことを多くの人に語らなくてはいけない」。
その思いから、沖縄戦に関する本の構想をまとめている。
「私が体験した沖縄戦の惨状は、平和思想につながっていく。憲法9条が改正されようとしている。
しかし、これだけは守りたい」
戦後、進学した国学院大には、金田一京助教授(国語学)がいた。
「入学したころは、『おもろさうし』研究など、やろうとは思ってもいなかった」。
生活費を稼ぐため、横浜のメリケン波止場にアルバイトに通った。
「沖縄戦を生き抜いたので、体力だけはありました」。同教授の勧めで東京大の服部四郎教授と
「おもろさうし」にめぐり合い、「寝食を忘れる」ほど研究に没頭した。
2001年、伊波普猷ら沖縄学の先達も成し得なかった「おもろさうし」22巻1554首の口語訳を達成した。
「前人未到の険しい道のりだったが、おもろ研究100年史に一つの踏み石を作り得た」と感慨深げである。
沖縄の島々にはすべて足を運んだ。なかでも、生まれ故郷の那覇は懐かしい。
沖縄を一言で表現すると? 「明るさと優しさ」。外間さんの姿そのものでもある。
◆取材して一言
「天皇、皇后はご誠実な方です」と、さらっと言う外間さん。
私たちにも分け隔てなく丁寧にお話ししてくださった。時々ギャグを言って私たちを笑わせる。
写真を撮る時、少しはにかむ姿が印象的だった。
http://www.voiceblog.jp/shimokawa502/748852.html


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東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば

東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば(平成23年3月16日)

この度の東北地方太平洋沖地震は,マグニチュード9.0という例を見ない規模の巨大地震であり,
被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。地震や津波による死者の数は日を追って増加し,
犠牲者が何人になるのかも分かりません。一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。
また,現在,原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ,
関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。

現在,国を挙げての救援活動が進められていますが,厳しい寒さの中で,多くの人々が,
食糧,飲料水,燃料などの不足により,極めて苦しい避難生活を余儀なくされています。
その速やかな救済のために全力を挙げることにより,被災者の状況が少しでも好転し,
人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません。
そして,何にも増して,この大災害を生き抜き,被災者としての自らを励ましつつ,
これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。

自衛隊,警察,消防,海上保安庁を始めとする国や地方自治体の人々,諸外国から救援のために
来日した人々,国内の様々な救援組織に属する人々が,余震の続く危険な状況の中で,
日夜救援活動を進めている努力に感謝し,その労を深くねぎらいたく思います。

今回,世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き,その多くに各国国民の気持ちが
被災者と共にあるとの言葉が添えられていました。これを被災地の人々にお伝えします。

海外においては,この深い悲しみの中で,日本人が,取り乱すことなく助け合い,秩序ある
対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携え,
いたわり合って,この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。

被災者のこれからの苦難の日々を,私たち皆が,様々な形で少しでも多く分かち合っていく
ことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく,
身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう,また,国民一人びとりが,
被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ,被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを
見守り続けていくことを心より願っています。

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/tohokujishin-h230316-mov.html#h01

東日本大震災関連
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せっけん この馬この馬

皇太子妃殿下のお誕生日に際し(平成9年)

問5 週末は殿下とサイクリングや散策を楽しまれているとお聞きしているんですけれども,
最近公務が無い時にはどのようにお過ごしでしょうか。
また,両殿下が興味を持っていらっしゃること,何かございましたら教えてください。


皇太子妃殿下
まず今公務ということがございましたので,公務の関係で今日ここにお集まりの記者会の皆様は
よくご存じだと思うんですけれども,公務というのも外に出かけて行く公務は
よく報道などもされて知られているかと思いますけれども,そういう出掛けて行く公務の外に,
ここの御所の中でいろいろな方とお会いするという公務の方がむしろたくさんございまして,
そのような御所の中で行う公務が幾つか入っているという日が結構多くございます。
そして,余談になりますけれども,そのように正式な形でお客様とお会いすることを,
こちらでは接するの接に見ると書いて「接見」というふうに言っているのでございますけれども,
ある時,ここの御所の中でではなかったのですけれども,ある所である方とお会いすることになった時に,
その方が宮内庁の者から「後ほど両殿下からご接見を賜ります。」というふうに説明をされて,
その方が両殿下のセッケンというのはいったい何で石鹸(せっけん)を頂くんだろうと,
手を洗う方の石鹸(せっけん)だと思うのですけれども,そういうふうに勘違いされて,
首を大分傾げられたというようなことも聞いております。それで,そのような公務の外に
その公務の準備のために充てる時間,これの中には先に予定されている公務について
職員といろいろ相談したり,決めたりといったこともありますけれども,そのような時間以外の時には
いろいろな方にこちらにいらしていただいてお話を伺ったりということも多くございます。
そしてまた,殿下はそういうお時間を大変お上手にお使いになって,少しの時間でもおありになると
研究を進めていらっしゃるということがよくおありでいらっしゃるようにお見受けいたします。
そうですね,先ほどおっしゃったサイクリングと散策ですけれども,サイクリングと散策は
大変健康を維持する上でも役に立ちますし,今,幸い,犬が2頭おりまして,この犬たちというのは
ある時ここの赤坂御用地の中に犬が入ってきて,そして出産をいたしまして10匹の子犬を
産んだのですけれども,その10匹の子犬のうち8匹は希望していた職員に分けまして,
そして一番小さかった雄と雌の子を1匹ずつ手元に残したものなのですけれども,
その犬たちも,もうすっかり成犬になりまして運動もかなり必要ですので,公務などに支障がない限り,
なるべく日々の日課として,自転車で,又は歩いて連れ出すようにしております。
この犬たちのことは皇太子殿下も大変可愛がっていらっしゃいまして,犬たちがいることで
毎日の生活が和やかなものになっているような気もいたします。それから,その外週末には
殿下が時々ジョギングをなさいますので,このジョギングのお供をして自転車で伴走を
することもありまして,これも実は犬の方がより良くお供をして犬はちゃんと走って
お供をするのですけれども,私は自転車でお供をしたり,それから,たまにテニスなども
ご一緒にしたりすることがあります。その外,関心を持っていることといえば,殿下と
共通のといいますか,ご一緒の関心事項としては,音楽ですとか,後は絵画などの美術にも
関心がございますし,それから東京でもたまに機会がございますけれども,特に那須の
御用邸に参りました時には晴れた晩にとても星空が素晴らしいので,ご一緒に天体観測を
させていただくのも大きな楽しみになっています。
その外は,皆さんもよくご存じの,今年の夏も山に一緒にいらした方もこの中にいらっしゃると
思いますけれども,登山ですとか,それから写真などもありますし,それから後は御料牧場に
参ります時には,以前に中東を訪問しました時にオマーンの国王陛下から皇太子殿下が
お頂きになられた馬のアハージージュという名の馬がおりますけれども,この馬,
そしてこの馬が今年の春に出産をして,今,子馬がいますので,先ほどの映像にも出てきたかもしれませんけれども,
この馬たちの元気な姿を見ることも楽しみにしております。
それから今年はちょっとできなかったのですけれども,御料牧場では乗馬をする時もありまして,
これも楽しみにしております。そのこととも関連いたしますけれども,私自身は大変動物とか
自然などが好きですので,人と動物のかかわり,あるいは人と自然とのかかわりといったことについて,
そのような良い関係から生まれ得るものということにも関心を持っております。

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/kaiken/kaiken-h09hn.html
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天皇陛下ご即位20年


記者会見
天皇陛下ご即位二十年に際し(平成21年)
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h21-gosokui20.html

政府インターネットテレビ
天皇陛下 ご即位から20年
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg2682.html

天皇皇后両陛下 国民と共に[桜H21/10/29]
http://www.youtube.com/watch?v=RbasM2vNoMU&feature=channel

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昭和天皇 終戦の詔勅

(1945年8月15日)
朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ
朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト
東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス
然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公
各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ
新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル
而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ
破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ
是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ

朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス
帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ
五内爲ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ
朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ
衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ
以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ
若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ
信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ
任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ
國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ


口語訳
わたしは、深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り、
非常の手段をもって時局を収拾しようと思い、忠実で善良なあなたがた国民に申し伝える。
わたしは日本政府に米国、英国、中国、ソ連に対してポツダム宣言を受け入れることを通告させた。
そもそも日本国民の平穏無事を図って世界繁栄の喜びを共有することは、
代々の天皇が伝えてきたことであり、わたしもそのように大切にしてきた。
先に、米国・英国に宣戦布告した理由も、日本の政治的・経済的自立と
東アジア諸国の安定を願ってのものであって、他国の主権を侵害したり、
領土を侵犯したりするようなことは、わたしの意志ではない。
しかしながら、四年間の戦争で、陸海軍将兵の勇敢な戦いや、官僚・公務員の勤勉、
一億国民の努力、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、
戦争における状況は芳しくなく世界の情勢もわが国には不利に働いている。
それだけではない。敵は、新たに残虐な爆弾を使用して、
何の罪もない非戦闘員を多く殺傷し、その被害はどこまで及ぶのか図り知れない。
それでもなお戦争を継続すれば、ついには日本民族の滅亡を招き、
そして人類文明も破壊されることになってしまうだろう。
このような事態になったとしたら、わたしはどうしてわが子とも言える多くの国民を守り、
代々の天皇の御霊に謝罪したらよいのだろうか。
これこそが政府にポツダム宣言に応じるよう命令した理由である。
わたしは日本とともに終始、東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対して、
遺憾の意を表せざるを得ない。
日本国民で戦場で没し、職場で殉職し、悲惨な最期を遂げた者、
さらにはその遺族のことを考えると身が引き裂かれる思いである。
さらに戦場で負傷し、戦禍にあい、家や職場を失った者の再興については、
わたしが深く心を痛めているところである。
思うに、これから日本の受けるであろう苦難は、いうまでもなく大変なものになる。
国民の気持ちもわたしはよく理解している。
しかし、わたしはこれから耐え難いことを耐え、忍び難いことを忍んで
未来のために平和を実現しようと思う。
わたしは、ここに国体を守り通して、忠義で善良な国民の真心を信頼し、
いつも国民とともにある。
もし、感情的になって争い事をしたり、国民同士がいがみあって、
国家を混乱に陥らせて世界から信用を失うようになることをわたしは強く懸念している。
団結して子孫にまで語り伝え、神国日本の不滅を信じ、道は遠いが責任の重大さを自覚し、
総力を将来の建設のために傾け、正しい道を忘れずその心を堅持し、
日本の栄光を再び輝かせるよう、世界の流れに遅れないように努力しなければならない。
国民よ、どうか私の意を理解して行動せよ。
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脳内モルヒネ

平成8年
皇太子妃誕生日会見
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/kaiken/kaiken-h08hn.html

(一部分)
記事そのものにつきましては,私の分からない言語で書かれているものもあるわけでございますから,
すべての内容を承知しているわけではありませんけれども,日本の社会ですとかそれから皇室,
それから宮内庁の在り方,そして私自身について様々な考え方が示されていて,
一部は考える材料を与えてくれるものもあるのでございますけれども,全体として見ますと,
どうもある一つの側面なり一つのテーマというものを強調し過ぎるあまり,
何か少し事実にはないようなことを事例として挙げていたり,
それからまた極端な結論というものを導いたりしているような例が見られるような気がいたします。
中に例えば「私の姿を見られるのは,列車や車に乗る時だけになってしまった」ですとか,
それから「公の場にはほとんど姿を見せない」といったものもあったようですけれども,
本当にそうでしようか。そういうのを少し極端にすぎないでしょうか,という感じがいたします。
それからまたもう一つ,私が鬱(うつ)状態にあるんではないかというような
書き方をしているところもあるようなんですけれども,
今,脳内モルヒネとかというものがちょっと話題になっているようですけれども,
そんなものも私の場合,それなりに出ているのか鬱(うつ)状態とかそういうことは全くありませんので,
どうぞそういう心配はしていただかないようにというふうに思います。

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やりたいですというようなことでもないわけですけれども

平成11年
皇太子妃殿下のお誕生日に際しての会見で
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/kaiken/kaiken-h11hn.html
<関連質問>
問5 先ほどのお話にもちょっとありましたけれども,お一人でお出掛けになったり,
おことばをお一人の際にお述べになったりというのは,少しずつ増えてきたように思いますけれども,
その辺のご感想と,それから,これからかなり積極的にやっていこうというお気持ちがおありなのか,
その辺をもしよろしければ伺いたいと思います。


皇太子妃殿下  
今年は4月に,商工会議所で女性の経営者としてずっと活動してこられた婦人会の50周年の会に
お招きを頂いて,出席させていただきまして,それから,また6月には,
今年が更生保護制度施行50周年という節目の年に当たり,
更生保護婦人会の全国の集いに出席させていただく機会を頂き
とても有り難いことだったと思っております。
社会の中で,いろいろな形で地道に活動していらっしゃる方たちにお会いしたり,
何かごあいさつをしたりということで,私がお役に立てることがあるようでございましたら,
そういうことはうれしく存じますし,また,例えばあいさつをするというようなことは,
自分から今度やりたいですというようなことでもないわけですけれども,
そういう希望が寄せられます時には,その時その時の機会を大切にしていきたいというふうに思っております。

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皇太子さま ブラジル

2008年6月

ブラジル訪問前の皇太子さま「ご理解頂きたい」
雅子さまが同行されない理由として「遠隔の地であることや記念行事に連続して出席しなければならないことなどから、医師と相談のうえで総合的に判断した」と話しました。
また、雅子さまが外国訪問を再開される見通しについては、
雅子さまの回復に役立つのであればとしたうえで、「ケース・バイ・ケースで判断したい」と話しました。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann/20080611/20080611-00000041-ann-soci.html
[12日8時26分更新]


ブラジルご訪問に際し(平成20年)
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/gaikoku/gaikoku-h20az-brazil.html

先ほど、妃殿下がご一緒に行かれないことに関連して、
殿下は、今後ケース・バイ・ケースでお医者さまと相談されて判断することになるでしょう、
ということをおっしゃいましたが、そのケース・バイ・ケースというのはちょっとなかなか漠然としていて、
はっきりしないのですが、ブラジルの場合は、非常に広大なところで期間も長く、
行事もたくさんあるということで、非常に具体的によく分かったのですが、
もう少しケース・バイ・ケースの、例えば「こういう時だったら大丈夫かな」というものが、
もし想定できるようでございましたら、お話しいただければと存じます。


皇太子
ブラジルは遠隔地にありますし、それから連続して出席する行事、式典や交流行事がいろいろありますので、
いろいろなことを考えて今回は難しいというふうに判断したわけですけれども。
ま、これはいろいろな条件が考えられると思いますけれども、
今の雅子の体調にもうまく耐えられるのではないかと思われるような、
そういうものが将来、出てきた場合には、その場合として考えていければというような意味です。
いずれにしましても、そのような訪問が雅子の回復の上でも役立つものであれば
ということを強く考えております。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

週刊朝日コラム
(この発言が) 
「公務が治療回復のための道具との印象を与えかねないという懸念の声が宮内庁周辺にある。」

WiLL8月号西尾氏論文
「海外訪問を治療に利用する考え、公務と私事を混同するお言葉を平然と述べられた。」

週刊ポスト2008年7月4日号
雅子さまの治療を公務の一環とするのか、という批判があるが
「雅子さまは行きたかったのに病気で医者が欠席を決めた。その無念さが
ああ(「海外公務が治療の役に立つなら行かせたい」)言わせたのでは。
質問に答えるときの皇太子さまの強ばった顔が
雅子さまのことで頭がいっぱいなのだなという印象を受けた」(久能)

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

<皇太子さま>ブラジル訪問、親善に大きな役割 27日帰国
6月26日20時15分配信 毎日新聞
【ロサンゼルス真鍋光之】移民100年の記念行事などに出席するためブラジルを訪問した皇太子さまは、
各地で熱烈な歓迎を受けた。日本とブラジルの友好親善に大きな役割を果たし、
150万人の日系人の存在も改めて注目を集めた。ただ広い国土ゆえ日程は過密となり、
人々と深く交流できたのか疑問が残る場面もあった。
公式訪問を終えた皇太子さまは27日午後、帰国する。
サンパウロで21日にあった記念式典では、約3万7000人の日系人らが迎えた。
大きな歓迎ぶりを表すのは人の数だけではない。20日のサンパウロ大での学生との懇談。
ポルトガル語であいさつする皇太子さまに、緊張気味の学生の雰囲気は一気に明るくなった。
皇太子さまの動きは、「なるひと」(徳仁)の名前で連日、地元メディアに流れた。
ただ、実質7日間で、飛行機と車を乗り継ぎ8カ所で計32の式典や行事に出席する日程は厳しく、
それゆえに関係者の気配りが過ぎた面もあった。21日のサントスでの式典では小雨の中、
傘を差さずに少女らが縦笛で「ふるさと」を演奏しながら待っていた。主催者側に促されて
皇太子さまは屋内に入ったが、少女たちはどう受け止めただろうか。
皇太子さまも心残りだったに違いない。
また、皇太子妃雅子さまが同行しなかったのは多くの日系人を落胆させた。
「体調を考慮して」という事情は、日系人社会でもなかなか理解できなかったとみられる。
訪問が多くの日系人に力を与えたのは間違いない。
97年に天皇、皇后両陛下の訪問時に尽力した二宮正人・サンパウロ大教授も「両陛下の時と同様、
皇太子さまを見て、ルーツが日本人であることを誇りに思った日系人は多い」と話した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080626-00000101-mai-soci

週刊朝日2008年7月11日号
「皇太子さまが日系人と懇談した際、高齢の日系人はみな涙を浮かべ、それぞれ違う訴えを申し上げたのですが、
皇太子さまは誰に対しても『お元気で』と声をかけていた。相手に合わせたアドリブがないんですね」(現地記者)
来年は日本人のアマゾン入植90年の節目の年にあたる。
アマゾンから遠路、首都ブラジリアまで足を運んだ老人が、思いを振り絞るように
「ぜひアマゾンにも訪ねていただきたい」と訴えた際も
「皇太子さまは『お元気で』とさらりとかわされてしまった。
お立場上、約束のような言葉は言えないのでしょうが、見ている側としては淋しさを感じました(同)」


さらに

公務は足慣らし

朝日新聞
皇太子さまは、23日に46歳の誕生日を迎えるのに先だって記者会見し、
秋篠宮妃紀子さまの懐妊について「私たちにとっても大変うれしいことです」と述べた。
秋篠宮さまから電話で懐妊の連絡を受けた際、「それは良かった」「お大事に」と伝えたという。
女性・女系天皇を容認した皇室典範に関する有識者会議の結論については
「親としていろいろと考えることもありますが」としつつ「それ以上の発言は控えたい」と語った。
療養に入ってから2年が過ぎた雅子さまに関しては「順調に回復しておりますが、まだ回復の途上」と説明。
雅子さまは皇族としての役割や皇室の将来を真剣に考えて努力しており、
「私もこれからも支えていくつもりです」と語った。
今春学習院幼稚園に入園する敬宮愛子さまについては、昨年12月の雅子さまの誕生日の際、
風邪で寝込んでいた母親の寝室にケーキを運んだエピソードを紹介。
皇族としての教育は「もう少し先の段階」として
「(幼稚園で)社会のルールを始め様々なことを学び健やかに成長していってほしい」と話した。



皇太子さまお誕生日に際して2006年2月
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/kaiken/kaiken-h18az.html
会見(一部)
敬宮愛子様が今春,学習院幼稚園に入園されます。最近のご成長振りについてお聞かせください。
殿下ご自身が受けられた皇族としての教育を振り返りつつ,教育方針についてもお聞かせください。

皇太子殿下 (略) 私たちや周囲への心遣いもかいま見ることがあります。
雅子が昨年の12月の誕生日の夕方に風邪で寝込んだ時も,その前に自分が風邪をひいたときに
よくしてもらったので,という意味のことを言って雅子の寝室にバースデーケーキを持って見舞いに行ったり,
「こどもの城」で,年下のお子さんに「愛ちゃんができないときにだれだれちゃんがしてくれたから」
と言いながら手を貸したりすることがあるようです。ちなみに,今年の元旦に御所に上がる折に,
門の所で一般の方や記者の皆さんが立っているのを見て「みんな寒い所で立っているから
わんちゃんの手を振ってあげるの
」と言っていたようです。
大相撲にもとても興味を持っており,私たちや職員と相撲を取るときに相撲の技を再現したりしています。
また,相撲の本の力士の四股名(しこな)に付けられた振り仮名の部分を読んで,
力士の上の名前と下の名前をよく覚えています。例えば横綱朝青龍であれば朝青龍明徳というようにです。
それを平仮名で書いてみたりもしています。力士の名前については正直私もかないません。
また,相撲をテレビで観戦しながら「だれだれに,星がついたよ,うれしいな」と
七五調の文を作るなどしています。子供の好奇心や子供らしいユーモアを大切にしながら,
意欲や自主性を大切に見守っていきたいと思っています。

(略)

幼稚園の年少組のころの記憶は断片的ですが,ありますので,そのような年齢に子供が達しつつあることに
一種の感慨を覚えます。雅子も育児に心を砕いており,二人で話し合う機会も多く持つようにしています。
これからは,学習院幼稚園の先生方の教育方針を尊重しつつ,愛子が幼稚園では同世代の子供たちとの
遊びを通して社会のルールを始め様々なことを学び,健やかに成長していってほしいと願っています。


雅子様の最近のご様子と今後のことについてお聞きいたします。
昨年12月,「東宮職医師団の見解」が出されました。殿下はこの見解をどう受け止められましたか。
子育てと公務の両立や,ライフワークになるような活動,研究,それらを公務にいかしていくのか,
医師団見解の提言を実現させるために,殿下の具体的なイメージをお聞かせください。

皇太子殿下 雅子はお陰様で少しずつではありますが,順調に回復に向かっていると思います。
天皇皇后両陛下を始め多くの国民の皆さんに温かく見守っていただいていることに
この場をお借りして心からお礼を申し上げます。昨年12月に雅子の最近の様子ということで,
医師団の見解が発表されたのは,病名と治療方針,現在の病状及び今後の課題について
国民の皆さんに理解していただくためで,これはあくまでも医師団の専門的な判断に基づいて行われたものです。
私ももちろんこの判断を尊重しています。雅子もお医者様の治療方針に従って,努力していますし,
私もこれからも支えていくつもりです。雅子は皇族としての自身の役割と皇室の将来を真剣に考え,
これまでも努力してきましたし,現在もそのように考えて行動しており,私もそれに支えられています。
環境の改善を勧めた医師団の見解は,こうした私たちの努力を更に実現していくために
有意義なものであると考えてのことと思っています。私自身雅子には今までの経験をいかした
ライフワーク的なものが見つかると良いと思っています。(略)
お陰様で,雅子は順調に回復しておりますが,まだ回復の途上にあることを皆さんにもご理解いただき,
静かに温かく見守っていただければと思っております。


昨年の会見では,公務の新たなテーマとして,環境や福祉,子供の教育,国際文化交流などを
挙げられるとともに,ご夫妻それぞれ別の公務をこなされていくケースも有り得るとの考えを示されました。
こうした公務の見直しについて,なぜ変える必要があるのか,どのような形で,どのように変えていくのか
具体的にお聞かせください。

皇太子殿下 公務についての考えは昨年の会見でもお話しましたのであえて詳しくは申しません。
公務については,今まであった公務はそれぞれ意義深いものとして行われてきておりまして,
大切にしていきたいと思っています。また一方で,皇室が今まで時代にあった,
あるいは時代に先駆けた公務をしてきたことを考えますと,やはり今の時代にできること,
私たちの世代だからできるものを真剣に考えていくことも必要ではないかと思います。
それらはもちろん公務をしながら見いだしていけるものと思います。これに関して,
以前の会見でお話したことが,今までの公務をやめるように一部で誤解された節がありますが,
そのようなことはないので申し添えておきます。雅子の公務については,今少し,体調が回復し,
公私にわたる様々な活動をしていく中で考えていくことになるのではないでしょうか。
また,雅子の場合,最近も幾つかの公務を行いましたが,これはあくまでも回復のための
足慣らしの意味もありますので,そのあたりのことを皆さんには
お分かりになっていただきたいと思います。


「皇室典範に関する有識者会議」が最終報告書を提出し,女性・女系天皇を容認する方針が示されました。
今後の皇室のあるべき姿に関する考えや敬宮愛子様の将来について,
父親としてのお気持ちをお聞かせください。

皇太子殿下 「皇室典範に関する有識者会議」が最終報告書を提出したこと,
そしてその内容については,私も承知しています。
親としていろいろと考えることもありますが,それ以上の発言は控えたいと思います。
皇室のあるべき姿としては,私は,以前から申し上げているように,皇室の伝統を尊重しながら,
天皇陛下をお助けしつつ,国民の幸せを願い,国民と苦楽を共にしていくことだと思います。
これは時代を超えて存在するものと思います。宮中で行われている祭祀については,
私たちは大切なものと考えていますが,雅子が携わるのは,通常の公務が行えるようになってから
ということになると思います。
愛子には,一人の人間として立派に育ってほしいと思います。名前の通りに,人を愛し,
人からも愛される人間に成長してもらえればと願っております。

<関連質問>
愛子様が今度幼稚園にご入園されるということなんですけれども,愛子様ご本人が
幼稚園を楽しみにしているようなご様子をお聞かせいただきたいのと,それから,
幼稚園入園に当たって,学習院幼稚園を選択されたということなのですが,
一番教育環境がいいということで選ばれたのだと思うのですけれども,そのあたり,
学習院幼稚園を選んだ理由についてお聞かせいただきたいと思います。

皇太子殿下 愛子もどの程度その辺がわかっているかは私もわかりませんけれども,
ともかく4月から今までとは違う環境で,幼稚園という所に通うということは
少しずつわかってきているように思います。そして,本人の言うことの節々に,
幼稚園が楽しみだというふうなことを,私は感じ取ることができます。愛子が幼稚園に進むに当たっては,
私も親として,どの幼稚園に行くことが本当に本人にとって幸せなことだろうかということを
一番の大きな課題として考えてきまして,いろいろな方のご意見ですとか,
それから実際にいろいろな調査をしてみました。その結果としてやはり学習院幼稚園が,
愛子に今後いろいろなことを学んでいくのに一番いい場所なのではないかというふうなことを
結論に達したわけです。学習院の方でも,愛子が入園をすることを許可していただいたことを
大変うれしく思っております。

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詩を読む皇太子

皇太子殿下お誕生日に際し(平成17年)

問3 「皇位継承の安定的な維持」の方策を検討する「皇室典範に関する有識者会議」が政府内に設置されました。女性皇族への皇位継承が議論の焦点になっていますが,こうした新たな動向を踏まえ,敬宮愛子様の今後の養育方針や,いわゆる「お世継ぎ問題」についての皇太子殿下のお考えをお聞かせください。

皇太子殿下
皇室典範に関する有識者会議が設置されたことは承知しておりますが,私としては,お世継ぎ問題も含めて,コメントは控えさせていただきます。

愛子の養育方針ですが,愛子にはどのような立場に将来なるにせよ,一人の人間として立派に育ってほしいと願っております。3歳という年齢は今後の成長過程でも大切な時期に差し掛かってきていると思います。愛子の名前のとおり,人を愛し,そして人からも愛される人間に育ってほしいと思います。それには,私たちが愛情を込めて育ててあげることが大切です。つい最近,ある詩に出会いました。それは,ドロシー・ロー・ノルトというアメリカの家庭教育学者の作った「子ども」という詩で,スウェーデンの中学校の社会科の教科書に収録されております。

『批判ばかりされた 子どもは
非難することを おぼえる

殴られて大きくなった 子どもは
力にたよることを おぼえる

笑いものにされた 子どもは
ものを言わずにいることを おぼえる

皮肉にさらされた 子どもは
鈍い良心の もちぬしとなる

しかし,激励をうけた 子どもは
自信を おぼえる

寛容にであった 子どもは
忍耐を おぼえる

賞賛をうけた 子どもは
評価することを おぼえる

フェアプレーを経験した 子どもは
公正を おぼえる

友情を知る 子どもは
親切を おぼえる

安心を経験した 子どもは
信頼を おぼえる

可愛がられ 抱きしめられた 子どもは
世界中の愛情を 感じとることを おぼえる』

以下省略
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/kaiken/kaiken-h17az.html
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