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 ※最新の情報・ニュースではないのでご了承ください。
 ※記事中(2019年4月までの記事について)の両陛下は上皇上皇后両陛下、
  皇太子ご夫妻→令和の世の天皇と皇后、秋篠宮両殿下→皇嗣秋篠宮両殿下。
  他、タイトルや記事内の役職名や政党名などは当時のものです。

月別ニュース記事

皇太子ご一家(現・天皇ご一家)
秋篠宮ご一家(皇嗣御一家)
上皇上皇后両陛下、震災と皇室、譲位関連等

その他雑誌記事等

宮家/元皇族/昭和天皇/他
他ニュース、皇室、日本、メモ、皇位継承、雑誌記事等

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念のためのバックアップ用として新ブログに同じ記事を転載しました
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海外報道

雅子さまは「天皇・皇后に敵意」を持っている

★雅子さま離婚説
▼「雅子さま離婚説」まで登場 英タイムズ記事の「過激」
10月28日20時15分配信 J-CASTニュース (※2008)
イギリスの高級紙「タイムズ」が、過激な記事を掲載した。
雅子さまに日本の識者が離婚を要求しているなどと報じたからだ。
雅子さまに同情的な同紙は論評を交えず書いているが、その真意は、今ひとつ分かりにくい。
ただ、雅子さまに批判的な記事が内外で増えていることだけは確かだ。
■皇室を擁護する右派まで遠回しに離婚の要求?
日本のメディアでもお目にかからないような過激な言葉が、英タイムズ紙の記事から
目に飛び込んでくる。皇太子妃雅子さまに対する「離婚」という言葉だ。
同紙の2008年10月25日付記事によると、適応障害を患っている雅子さまには、
公務を休むことに同情の声が強かった。しかし、雅子さまが高級レストランで食事をされたり、
長女の愛子さまの学校行事に参加されたりすることが度々報じられ、
懐疑的な目が向けられるようになったと紹介。そのうえで、こう断言したのだ。
「有力なコメンテーターたちが初めて、かつて考えられなかったことを公然と議論している。
それは、皇室の離婚がありうるかどうかだ」
その一つとして、タイムズ紙は、皇室を擁護する右派の識者が08年5月に月刊誌に掲載した
論文を挙げる。記事では、「識者は、雅子さまの家族は皇室にダメージを与えている彼女を
連れ戻すべきだと主張している。つまり遠回しな離婚の要求だ」などと紹介している。
そして、宮内庁幹部でさえ、こうした不満の声は皇室の正当性を揺るがす危機だ、
と恐れているというのだ。
■「このまま行くと、皇室への敬愛が崩れかねないとすら思います」
確かに、このところ日本のメディアからも雅子さま批判とみられる声が強い。
毎日新聞の社会部記者は、2008年10月21日付同紙コラムで、雅子さまに「公務軽視」との
批判が一部であることを伝えた。雅子さまは08年10月12日、皇太子さまがご出席された
大分県での全国障害者スポーツ大会を欠席し、愛子さまが通われている学習院初等科の
運動会を観戦した。このことに対し、毎日記者は、宮内庁の説明が不十分だったとして、
「天皇、皇后両陛下や皇族方が積み上げてきた公務を重視するというあり方を、
根本から覆すともとらえられかねない雅子さまの行動に対して、どう考えているのか」と
疑問を投げかける。
また、週刊文春10月16日号によると、雅子さまのこの運動会観戦に、朝日新聞の名物記者が
かみついた。それによると、この記者は宮内庁定例会見で、「ある意味とんでもないこと。
危機感すら感じます。このまま行くと、皇室への敬愛が崩れかねないとすら思います」と
苦言を呈した。この記者は、同誌の取材に質問の有無を答えていないが、
毎日記者は「公務よりプライベート優先では」との質問が会見で出たと明かしている。
英タイムズ紙の記事は、こうしたメディアの論調を意識したのかもしれない。
雅子さまに同情的な同紙は、今回の記事でも「医師たちが公務に出ないよう助言しているため、
雅子さまは依然ほとんど公務をしていない」などと擁護調らしき表現もみられる。
同紙の記事サイトに寄せられたいくつかのコメント。そこでは、日本人と見られる読者から
雅子さま批判が出ているが、英・米国人とみられる読者は、雅子さまに同情的だ。
米ラスベガス在住というエリザベスさんは、雅子さまが必ずしも皇室生活を望んでいなかったとして、
「たぶん離婚は、悲しいことながら、彼女にとって最も健康によいことだろう」と書き込んだ。

★外食三昧
Times2008年11月
「国内の同情は一転、サボりでは?という疑いへ」
彼女は高級中華、メキシカン、フレンチレストランで、また娘の学校行事に出席するところを写真に撮られ、
普段は規制のかけられた日本メディアはますますオープンに、
「問題」はウツよりむしろ煩わしい公務への嫌悪にあると推測しています。
雅子妃は私的外出が多いのに、義務は果たさない。あの控えめな日本のメディアすら疑うようになった。
公務ほったらかした上で堂々と外食三昧。
右翼の西尾は『実家は雅子を引き取れ』と言っている。
雑誌WILLにはこれまで10万から15万通のメールに電話があり、 
その殆どは『西尾よく言った』『西尾に同感』の内容。
WILLの編集者瀬尾は言う。
『西尾さんは、ついにこの問題に対する討論の場を公に開いてくださいました。
皆様、すごく怒ってるんですよ。仕事はしないくせに私的なご外出だけは雅子さまがご熱心なことにね』
原因は彼女が皇族でいるために受ける損害のためです。
彼は、「皇族とは天皇制という名の船に乗った乗客であり、
その船の所有者というわけではありません。」と書きました。
「もし1人の個人がその船に酔って船中に滞在できないなら、降ろすこと以外に代替手段はありません。」
宮内庁関係者が漏らしたところによれば、妃殿下が義務を果たさずにいるので同情は疑惑に変わりつつある。
日本の皇室は、雅子皇太子妃殿下の公務不参加への不満が大きくなっていることにより、
正当性の危機に直面していると宮内庁関係者は恐れている。
彼女がうつ病により公務に参加されなくなってから5年が経ち、
妃殿下の苦境への同情は彼女の状態の深刻さについての疑惑と、
彼女の継続的な不調が、夫である徳仁皇太子殿下が即位したときに何を意味するのかという不安へとかわりつつある。
ここにきて初めて、相応の評論家たちが、今まで考えられずにいたこと
皇族の離婚の可能性-について公然と議論をしている。
危機は来週、英皇太子とその婦人の訪日によってはっきりするだろう。
「世界の王室はもはや彼らの正当性を当たり前のものととらえられない」と宮内庁関係者は先週語った。
「(両陛下の)125代は正当性は勤勉さと謙虚さによって得られていた。
だが126代目はどうなるのか、と心配している」
2003年、皇太子妃が突如彼女の公務を果たさなくなった際、
宮内庁は当初彼女は帯状疱疹をわずらっていると伝えた。
そして、タイムズが彼女はうつ病の治療もされていると報道したところ、
宮内庁はその記事が不当であるとした−2ヵ月後に彼女は適応障害にかかっていると伝えたが。
世論は、1993年、皇太子とのご成婚の際、外交官としてのキャリアをあきらめた皇太子妃に対し、
ある種の同情を示した。
彼女は世継ぎをもうけようと懸命であり、不妊治療を経たのち、流産を経験していた。
皇太子夫妻の唯一の子供である愛子内親王は2001年に誕生していたが、女子であるため、即位ができない。
2006年、皇太子の弟殿下に男児が誕生したことで、即位の問題はさしあたり解決し、
雅子妃へのプレッシャーもある程度解消された。
だが、彼女はいまだに公務の現場にほとんど参加していない(医師は参加に反対している)
しかしながら、特に昨年、彼女は赤坂御所から数多くの外出をしている。
彼女は高級中国、メキシコ、フランス料理店での外食を写真に取られており、
娘の学校行事に参加している。
たいていは控えめである日本のメディアが、次第に公然と、問題はうつ病というよりも、
もっと率直な、わずらわしい公務への嫌悪なのではないかと推測しつつある。
たとえば来週だが、皇太子夫妻(どちらも英国で教育を受けている)は
英皇太子夫妻に私的な食事会を開く予定である。
しかし、翌月、スペイン国王夫妻が6日間訪日される際には、雅子妃は姿を現さないであろう。
「これをどう論理的に説明できるというのでしょう?」と宮内庁関係者は語る。
「英国人は彼女の健康によいが、スペイン人は悪い、とでも?」

皇太子の怒り

★週刊朝日2009年5月29日号
日本とオーストリアが修好通商航海条約を結んで140年にあたる節目の年での訪問だ。
ご夫妻は条約の原文に明治天皇の御名御璽を見つけて興味深そうだった。宮内庁OBもこうつぶやく。
「秋篠宮殿下は、オーストリアで大統領に天皇のメッセージも伝えるなど、
(天皇の)名代的な色合いも帯びています。加えて、大統領自らが接遇にあたるなど、
皇太子殿下に並ぶほどのもてなしです。一宮家というご身位を考えれば重みのある印象です」
訪問初日の5月10日、オーストリアの地元メディアは、
「皇位継承権第2位の秋篠宮は、普通であれば大統領クラスの人々しか受けない
厚い歓迎をウィーンで受けるだろう」と好意的に伝えている。
かつてオーストリアに君臨した皇帝は欧州一の名門王家といわれるハプスブルク家の家系。
そんな歴史的土壌があるためか、同国では天皇家への関心が深い。
160年の歴史を誇る保守系高級紙「Die Presse」(ディー・プレッセ)は、10日付の記事でこう描く。
〈次男である秋篠宮は、皇太子である徳仁(なるひと)親王より下位であるにもかかわらず、
実際には本来あるべきよりも重要なポストに就いている〉
〈秋篠宮家に06年9月、<悠仁(ひさひと)親王という長男が誕生し、
「未来の天皇」の父となったことが大きいというのがその理由だ。〉
さらに少々露骨な表現で、悠仁さまの誕生で女性・女系天皇も視野に入れた
皇室典範の改正論議が立ち消えになった経緯にも触れている。
〈悠仁親王の誕生は、皇太子の娘である愛子内親王を継承のポジションから押しのけてしまった。
そのころから兄弟の仲はうまくいかなくなっていた〉
04年に皇太子さまは記者会見で、病気療養中の雅子さまのストレスの原因として、
「雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と発言し騒動になった。いわゆる人格否定発言だ。
一方で、天皇を支えるのが皇太子の役目と考える秋篠宮さまは、
陛下への相談なしに公の場で発言した皇太子さまへ意見を述べた。同紙はこうした経緯を紹介したうえで、
〈それ以来、皇室の世界ではこの件には触れないようにし、できる限りお互いに会わないようにしてきた。 
皇太子夫妻は必要な参内以外は、天皇夫妻を訪れることはほとんどしない〉
〈皇室関係者が皇太子に対して、(将来の)皇位を譲って雅子妃と愛子内親王とともに
民間の生活を始めるように勧めたとも言われている〉などと伝えている。
ところで、昨年12月23日の天皇陛下の誕生日には、健康上の理由から記者会見が中止された。
同紙は皇室報道に熱心で、12月28日付の紙面でも、
「Tenno Akihitoの苦悩」と題する論評記事を掲載した。
〈近頃、天皇は病気がちで、顔は青白く、やせて背中が曲がってきた。天皇は、決められた時間に3回、
宮殿ベランダの防弾ガラスの後ろに辛抱強く姿を見せ、
幸せと健康を願う大勢の国民からの熱烈な祝福を受けて75歳の誕生日を迎えた〉
そして、「(天皇陛下の)さまざまなご心労」について触れた羽毛田信吾宮内庁長官の発言などを紹介し、
天皇陛下は将来の皇室を憂慮していると論ずる。
〈皇太子である徳仁親王は健康な世継ぎであるし、2700年続く世界でもっとも古い皇族の血の存続も
2年前に悠仁親王の誕生によって保証されたはずである。
国民の3分の2以上は天皇を国の象徴、国民統合の象徴と認めている〉
同紙はさらに、この第125代天皇がなぜ皇室の将来を心配しなくてはならないのか、と疑問を呈し、
背景を解説する。
〈皇室内では争いのうわさが飛びかい、暗い「悲劇」について語る者もいる。 
悲劇とは、天皇と皇太子の間にできた深い溝と、ときおり起こる親王間の公の場での争いを意味している。
その陰にはいつもひとりの女性が存在している。皇室に新しい血を引き込むために、
民間から迎えられた高い教育を受けた女性である。しかし、もたらされた結果は「混沌」だった。
優秀な若い外交官だった雅子妃は、皇太子妃の最も重要で唯一の任務──皇位継承者を産むこと──についての 
十分な説明がなされていなかったのだろう〉
そして、45歳になった雅子さまに生物学的な奇跡を信じる皇室の関係者は少ないとも説明した。
〈03年12月以来、皇太子妃は公の場にはめったに姿を現さず、口を閉ざし苦しんでいる〉
テレビ朝日で宮内庁担当を長く務めた神田秀一さんはこう見る。
「キャリア官僚や政治家による外交では埋まらない溝を取り持ち、良い方向に導くのが皇室外交です。
国際親善が皇室の重要な役目である以上、その国の人に皇室に対するイメージを植え付ける海外の報道は、
無視できません」
たしかに現地の人は、地元の報道からもっとも多く皇室情報を受け取ることになる。神田さんが続ける。
「公的な予算から捻出される皇族費の出費論拠のひとつには、皇族としての品位保持という目的があります。
海外で報じられる内容が一般家庭のもめ事と同レベルだとすれば、
なぜそう見られるのか、その原因が何なのかを真摯に受けとめる必要があるのではないでしょうか」
先の「Die Presse」の記事はこう結ばれている。
〈天皇がニュースの主要テーマとなることは一年のうちでほとんどない。
(皇居で)国民の前に姿を現すのは誕生日と数日後に来る新年の、わずか2度だけである。
天皇は宮殿のベランダに立ち、手を振り世界平和について短い言葉を述べる。
しかし、自分の哀しみについて口にすることは決してない〉

★週刊女性2009年6月9日号
雅子さまショック オーストリア紙報道 宮内庁が「皇室から出ろ!」
オーストリアの高級紙は紀子様が流ちょうなドイツ語をお話になったことなどを紹介しつつ、
秋篠宮殿下と皇太子の不仲などを報道。
お二人の不仲は悠仁様ご誕生前からなので間違いもあるが、
皇室問題については外国メディアの方が本質を鋭く突いていることが多い。
東宮一家に民間での生活を勧める動きがあったことに触れ、宮内庁は雅子さまに皇室を出ろと言うことか。
この報道について訂正する動きが宮内庁には現在ない。
典範により、皇太子は自ら譲位を言い出すことは出来ないので実際にはあり得ないことだが、
第三条を解釈すればそれも不可能ではない。

★徳仁親王殿下50歳
2010年2月
▼ドイツ語サイト 皇太子さま誕生日の記事
日本は皇太子を祝福した
徳仁親王殿下、50歳に
まるで能面のような印象の顔立ちだ。常に変わらぬ微笑を浮かべ、
親しみやすい細いまなざし、抑制され、品のある立ち居振る舞いをなさる――。
日本人は、自国の皇太子徳仁親王殿下をこう思っている。
しかし、いつの日か父である天皇明仁陛下の後を継ぎ世界でもっとも古い帝冠をいただくであろうこのお方は、
見た目から受ける印象よりも、国民に「普通」で「身近」なところがあると思われている。
この2月23日に50歳になった皇太子の人間的な面を知るのは、彼の側近のみではない。
にもかかわらず、伝統的な勢力は、彼のその人間的な面を批判的に見ているのだ。
日本のメディアが皇太子について報道する時には、彼自身が、
あるいは妻である皇太子妃雅子となす義務についてが話題となる。
だが、国民は時々、徳仁親王と雅子妃、愛子内親王について書かれたまったく違うテーマの記事が出ることがある。
その記事からは、小さな娘の小学校の運動会を見に行ったり、
愛子親王が興味を持っている野球を球場まで観戦に連れて行ったりなど、
世話好きな一家の父親という、徳仁親王のプライベートで人間的な面をうかがうことができる。

宮中に巻き起こる不穏な動き
国民の関心は、なによりも徳仁親王令夫人(Gattin)雅子とその娘の健康状態に向けられている。
公式発表によると、朗らかでキャリアもあったかつての外交官は、
ここ数年宮内庁が引き起こしたストレスによる「適応障害」に苦しめられてきた。
特に、皇位を継承できる男児を産むよう長期間プレッシャーをかけれたことがその背後にあると、
皇室ウォッチャーはみている。
確かに、雅子妃は最終的には愛子内親王という娘をもうけた。
しかし現在のところ、皇室典範の規定により、女性が皇位を継承することはさまたげられている。
皇太子徳仁は、彼の令夫人(Gemahlin)のキャリアや人格を否定しようという
「動き(原文では”努力”)」が宮中にあったと述べ、不穏な動きを心配した。
それによると、雅子妃は皇族にあわせようという努力を何年も続けた結果「消耗」してしまったという。
絶えず彼は妻を心配し、理解をしようとしてきた。
公式発表によると、雅子妃の状態は、確かに公務ができるようになるまで回復してきたものの
コンスタントに公務を行うことはまだ難しいという。

皇太子の、家族への関わり
保守的な層は、皇位継承者(注:皇太子)が心配りが細やかであることをいつも歓迎しているわけではない。
「自分自身の家族が、唯一皇太子殿下が関わっていることとしてあげるものなのです」と、
東京大学のミクリヤ・タケシ教授はかつて保守派の言論誌「文藝春秋」で語ったことがある。
2008年、宮内庁の職員が愛子内親王の参内が少ないと皇太子に苦言を呈したことがあった。
徳仁親王は、メディアを通じて努力すると返答したものの、これはプライベートな問題であるとし、
その後はこれについて何も言っていない。
徳仁親王は、家族がそろった状態で育った最初の皇太子である。
彼の父は3年間乳母に預けられた。徳仁親王は、自分たちの子は自分たちで養育するという、
両親が始めた伝統に従い、娘を育てていると皇室ウォッチャーたちはみている。
しかし、保守派の中には皇太子の心構えについてこだわっている者も多い。
折に触れ、批判的な論調で、「マイホーム主義」だと言っているのだ。

改革は望まれていないのか?
徳仁親王の弟、秋篠宮とその妻紀子妃は、遅まきながらも2006年に悠仁親王という息子をもうけた。
その結果、皇位継承問題は一時解決している。
多くの人が、不運な出来事を考えたくないと思っているのだ。
少し前には、男性による皇位継承を定めた皇室典範の規定は、
憲法が定めた両性の平等に反しているのではという議論があったのだが。
秋篠宮殿下が、兄とその妻が宮中を変える試みを止めようとしているのではないか、という話がささやかれている。
去年の秋に起こった政権交代によって、
皇位継承についての規定を変えようという議論に息を吹き込むだろう。
ひょっとしたら、徳仁親王の娘が女性天皇になり――そして批判が、根本から崩れる日が来るのかもしれない。

外国報道に見る御成婚
雅子さまは「菊の玉座の囚人」
碧い目が見た雅子妃の嘘と真
皇太子妃雅子の贅沢ディナー三昧
雅子妃「うつ病」原因は「外交官の死」と報じた英紙

雅子妃を擁護する人たち

★友納尚子
友納尚子

雅子さん(小和田家)擁護ライター
フリージャーナリスト。新聞・雑誌記者を経て二年前に独立。北朝鮮問題など。
雅子さん批判に対する、後付の言い訳。他の皇族方の批判。
21歳の頃、女風呂を盗み撮り『写真時代』1983年3月号p.99-103
下品な対談
「月刊MAZAR」1983年7月創刊号、小室直樹氏との対談
「Sexy Focus」1983年4月創刊号巻末ページ。

★工藤雪枝
ジャーナリスト
■雅子妃ご懐妊時の特番の中で
「皇太子様に雅子様の足の爪を切ってさしあげたら」というようなことを助言したとうれしそうに発言

■雅子妃は「かごの中の鳥」ではない(文藝春秋2000年1月号)
○雅子さまの本当の姿がマスコミの都合で歪められている。
 多くの面で勝手に誤解し、造られたイメージに視聴者が振り回されている。
○結婚に至るプロセス
 結婚は周囲がお膳立てしたように言われているがそうではない
 周りのプレッシャーによって決断されたのではなく、あくまで雅子さま自身の意志で決断
 婚約が内定したときには、心底からの幸福に満ち溢れていた。
○キャリアウーマン志向ではない 
 大和なでしこのような人
 いい母親になるのでは?
 どんな環境にも自然に馴染む柔軟性
 流れる水の如く、どんなシステムにも自分をあわせていく類稀なる資質
○マスコミが言うような不自由さを感じられているとは思えない。
 責任と義務のためには、自分の自由を犠牲にして尽くすことを潔く行える方だと思う。
『当時から、雅子さまは将来何か凄いことをしてくれるに違いないと、心の中で何となく確信していた。』

■人格否定発言の頃 週刊現代で 
雅子妃の願いを叶えるには、国民、メディア、システム、宮内庁、全てが変われ。
妃殿下は我も強くないし、悪いのは全てまわり。
ヨーロッパの王族のように休暇に海外に行けないのはおかしい。

■2004年秋篠宮殿下の誕生日に際しての両殿下の会見について
「紀子さまは意地悪」とテレビで発言
「とても意地悪で、雅子さまにプレッシャーをかけようとするものだ」
「ゼロから新しい公務を作り上げるという皇太子殿下と、
 受身の公務でという秋篠宮さまとでは考えがまったく違う」

※秋篠宮様のお誕生日会見で
「私の所はかなり周りにいる人たちの数も少ないので比べるというのは非常に無理があると思いますけれど,
それを踏まえた上でどうでしょうね。」(秋篠宮さまが妃殿下に話を振り)
妃殿下「回りの方の支えがあってここまでくることができた」

という趣旨の発言に対して

■2004年12月雅子妃誕生日の頃
「私の取材では、来年春からの公務復帰も難しいだろうという声があちこちから聞こえてくる。
年明けからという宮内庁の意見はより容態を悪くするのではないか。じっくりとご静養していただきたい。
年単位でご静養してお体を直してから復帰していただきたい」        
「女性天皇を決めるなら愛子さまはもう三歳ということからも、一刻も早く」


参考
工藤雪枝さんについて(雑誌コラム)(発言者・出典元不明)
------------------------------
雅子妃殿下の東大時代の学友であったジャーナリスト工藤雪枝氏の発言には懸念を覚えた
まず工藤氏は雅子妃殿下とは余り会っていないと明言しているにも関わらず、
学友という立場から雅子妃殿下の意思を解釈して発言している。
それは通常の友人の立場からは特に問題のない行為なのだが、相手が皇太子妃殿下であり、
しかも工藤氏の発言は友人としての雅子妃殿下を政治的に追い詰める性質があることが
彼女には余りわかっていないようだ。
また、ジャーナリストとしても取材もしていないことを憶測だけでペラペラ話す態度は下の下だ
------------------------------

工藤雪枝さんのその後
米のイラク攻撃後、日本を含む多国籍軍駐留が決まったとき、とあるTV番組で
「皇太子をイラクに慰問にいかせろ」と爆弾発言。それは違憲だという指摘に
「では、憲法を変えればいい」と平然と発言。
代表的著作『特攻へのレクイエム』(中央公論新社刊)に関する盗用疑惑
《井上和彦氏の雑誌掲載記事から盗用》
幹部自衛官との親密交際が話題となり、メディアから姿を消した。

★雅子さまウォッチャー?
雅子さまウォッチャー?

★拾い物
擁護する人々
在日?ワールドメイト会員?創価?同病者?思考停止?
雅子さま擁護者たち

鎌田勇発言
(皇太子に対し)
「国民の80%は殿下のファン。あとの20%が何言っても無視すればいい」
「雅子さまが海外静養出来るように、ベルギー王室に手紙を書いたらいい」

文藝春秋:福田和也
例の公園デビューが失敗したのは公園にいた一般人のせい。
相変わらず雅子様はいつも頑張りすぎていらして、生真面目すぎて純真すぎて、
全く彼女には悪いところは一つとしてなくて、完璧なのに宮内庁がすべて悪いからこんなことになった。

政府高官婦人
「皇后さまもご自分のイメージを考えるのではなく雅子さまのことを考えて」

書き込みより
雅子妃擁護の価値観
>新しいものを求める人間が古いものを守る人間より上と思っている。
>新しいものを求める人間は頭がいい人で、バカは古いものを守るだけしかできないという価値観。
>革新好きの(自称)インテリにしたら、
>天皇家という最高の歴史、文化、権威を持っている家が
>どんどんダメになっていくのを見るのはたまらなく楽しいと思う。
>マスコミも優秀なる雅子さんが壊れてしまったのは皇室・宮内庁のせいと批判し、
>ひたすらお可愛そうと擁護すれば、 不可侵な権威の象徴をぞんぶんに叩ける。

>東宮家の不誠実極まりない行動言動を容認するマスコミは全く信用に値しない。

>雅子さま擁護派の言い分
>雅子さまが新しい皇室像目指して自己主張するのは大いに許すけど、
>他の皇族はおとなしく忍耐をもってそれに従え。


★他

テリー伊藤 ワイドショー番組で
「イギリスのマナーハウスを 買いとって雅子さまを休養させろ」
女性誌
一連の美智子さまや紀宮様がだされた文書は、まるで雅子さまを諭すような文面で、
表向き思いやりのようでやり方は「姑息」。
皇族方が歓談している時雅子さまが入ってくるとなごやかに話していた雰囲気が変わる。

書き込み
=====
3年ほど前の秋篠宮様一家叩きは、凄まじかった。
自称病院関係者や学習院関係者、お華族さまの知人から聞いたという人たちが
滔々と秋篠宮様・紀子様を叩いていた。
高円宮が死んでから話をする人は少なくなった。
皇太子と雅子さまをよく見せるために秋篠宮殿下と紀子さまが故意に中傷された

以下は東宮家のスライド 一体誰が書かせたのか?
■秋篠宮の不人気
宮内庁が、皇太子ご夫妻の子供に期待をつなぎ続けた最大の理由は、陛下―皇太子
さま―皇太子さまの子供―という継承順位が最も分かりやすく、
国民に自然に受け入れられやすい選択肢だからだった。
加えて、弟で現在継承順位二位の秋篠宮さまの不人気も、
心理的に「皇太子さま頼み」の空気を強めたとみられる。
元宮内庁幹部の一人は「皇太子さまを王道とすると、秋篠宮さまは覇道の人」と評する。
別の関係者は「お話をしてみて、やはり皇室を託せるのは皇太子さまだと思う」と述べる。
宮内庁幹部などへの指示をとってみても、秋篠宮さまは「細かすぎる」といわれ、
「国民を常に念頭に置き行動しなくてはならない天皇の器ではない」との辛口の評価が定着しつつある。
ここ数年、不定期な人事異動の発表が、秋篠宮邸で目立つのも「人望がいま一歩」なことの裏返しとして語られている。

「川島父は要職がお好き」
以前に、菊栄親睦会で川嶋ご夫妻は遠慮がちに、
小和田夫妻は大きな顔をしているという旧皇族の証言があった。
そしたらしばらくして週刊誌(新潮?)でまったく逆の記事になっていた。

【東宮夫妻擁護派】=【便乗反皇室派】
(特徴) 
陛下に不敬、祭祀拒否でも平気 皇室への敬意皆無皇室、日本をよく知らない 女系賛成
東宮家以外の皇族の悪口を言う 日本の歴史を捏造、矮小化する 
日本語が変 不思議な言語を使用 根拠のない情報を平気で主張 妄想が目立つ
「天皇制は廃止でいい」と言う 反論されたら右翼扱いする 宮内庁長官発言を批判する 
ウソも百回言えば本当になると信じている 呼吸をするようにウソを言う



あるブログより(現在は無)
--------------
>H一家
>H・S氏(某国立大学医学部名誉教授)
>都市伝説を信じているお気の毒な一家(自らインテリ一家と名乗っている)
>H氏発言「おい、同和が親王を生んだぞ!!」(市民講座にて)
>皇太子の子供だけが天皇になると思いこんでいる。
>家の相続と父方の血統を繋ぐことの区別がついていないのだろう。
>医療関係者に意図的に流された噂をまともに信じ、嬉々として触れ回っている。
>(同和、中絶等、創価が創作した、おそらく雅子さんの実話がすりかえられた噂)
>精神病の疑いもある娘E子は白目をむきながら秋篠宮妃殿下の悪口を言いふらしている。
>一家でワールドメイト会員
>娘E子は反秋篠宮家
>焦点の合わない目でゆらゆらしている愛子さんを見ても、「普通じゃん」「私が子供の頃とそっくり」
>けばけばしいピンクの着袴の儀の映像を「いい色、あの色の着物着てみたい」
>「あの着袴の儀は雅子さまの御改革、すばらしい」
>「深見先生が神事をするから天皇はいらない」
>大相撲の歓声はすべて皇太子一家を歓迎するものだと思い込んでいる。
>H氏は恒と面識があり、その娘E子は小和田礼子、節子と同年齢。
>E子の妄想によるとE子自身も小和田姉妹の一員らしいが  ??
>(でもあなたトンデモ教授の実の娘なんでしょ?)
>ちなみにH氏は何某久(ひさし)というペンネームも持っている。
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★関連記事
不敬で下劣 国賊

ある考察

秋篠宮両殿下奥尻島ご訪問

広報おくしり
1998年8月
秋篠宮両殿下お成り
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http://www.town.okushiri.lg.jp/hotnews/files/00001500/00001568/20130911150630.pdf


奥尻島天皇皇后両陛下行幸啓秋篠宮同紀両殿下お成り
2000/3/21(写真集)奥尻町発行
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奥尻島 北海道南西沖地震 1993年7月12日
両陛下1993年7月27日ご訪問
秋篠宮両殿下1998年7月5日北海道南西沖地震5周年追悼式ご参列 

秋篠宮ご一家「ふれあい日本の旅」一行ご引見

平成28年7月25日(月)
文仁親王同妃両殿下,眞子内親王殿下,佳子内親王殿下並びに悠仁親王殿下
ブラジル日本語センター「第6回ふれあい日本の旅」一行ご引見(宮邸)

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「2時っチャオ!」関連

TBSテレビ番組「2時っチャオ!」(平成20年9月11日)の放送について
平成20年9月26日

TBSテレビの番組「2時っチャオ!」において,平成20年9月11日に放送されました
秋篠宮妃殿下のお誕生日特集番組中,眞子内親王殿下がジャニーズのコンサートに行かれた旨の放送がありましたが,
このような事実はありませんので,その旨,TBSテレビにお伝えしました。
また,これと同旨の報道が,一昨年の秋にも「週刊新潮」においてなされ,
当時も宮内庁から同社に対し,事実に反する旨指摘するとともに,
今後は事実の確認と客観的事実に基づいた記事を掲載されるよう要請しています。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/taio/taio-h20-0926.html


週刊文春2008年10月23日号
2時チャオの小林アナ降板について
眞子さまがジャニーズコンサートへ行ったことについて、事実に反すると宮内庁から抗議を受けた。
番組中、小林アナが「誰のコンサートで誰のファンなのか分かっているんですけど、
言わない方がいいでしょう」と発言していたが、
このコーナーのネタ元は雑誌や新聞の切り張りだからチェックが甘い。
この1件が社内で問題になり、放送翌週チーフプロデューサーが上層部に呼ばれ、コーナーの打ち切り、小林降板。

週刊ポスト2008年10月31日号
「コンサートに行かれた」「誰のファンかわかっている」
紀子妃が激怒!「眞子さまとジャニーズ」TBS舌禍大騒動
問題となったのは9月11日放送の「2時っチャオ!」
「(動物へのおはようございます、のエピソード中に)もう大変です、動物が多いですから」
「川嶋家の家訓はalways smile、いいですよね、ハイ、英語です」
小林アナの小ばかにしたような言い回しに出演者から笑いが起きる。
大騒動発言はコーナー後半
「チャオ調べで眞子様はジャニーズファンで、コンサートにも行っていると誰のファンかもわかっているが、
あえて言わないほうがいいでしょう」
宮内庁はHPで抗議、雑誌や書籍以外の番組内容への抗議は初めてで異例
「あのコーナーは雑誌の引用等で作っており裏付けは十分とは言いがたい
 宮内庁担当記者に寄せられた宮内庁の怒りは相当なもの」(番組関係者)
事実関係:眞子様は周囲に内緒でコンサートに行くようなことはなされない

「雅子様は外務省経験あり、就職せず皇室に入られた事情が似ている皇后陛下と紀子様はお話があう部分があった
明治以来天皇家で弟が兄より先に結婚したのは初めてでは」(小林アナ)
「小林アナの発言には雅子様と美智子様の間に微妙な距離感があるとの含み
紀子様はそうした表現に心を痛められたのでは。 兄宮が弟宮より先に結婚した例も他にある。
事実誤認も甚だしく、デリケートな時期に配慮に欠けるといわざるをえず、
異例の抗議になったのでは」(宮内庁関係者)


実際にジャニーズのコンサートへ行ったのは
嵐のコンサートに出かける奔放な承子さま

天皇陛下訪中について

◇陛下を利用した中国と日本外務省
中国 銭其琛(せんきしん)元外相『外交十記』
(日本の)天皇訪中は天安門事件による中国の孤立化の打破を狙って進めたものである。
天皇訪中は西側の対中制裁を打破する上で積極的な効果があり、
その意義は明らかに中日両国関係の範囲を超えていた。
日本の外務省はこの時の貸しをまだ回収していないし、
そもそも中国側は日本に借りができたとは思っていない。
外務省は貸しをつくるだけではなく、回収するのが仕事。いまだに職務を果たしていない。
自分の仕事である外交を天皇に外注しただけとは、昔ならその罪は万死に値する。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

◇小和田恒と訪中
噂の真相1993年3月号
しかし、もっと決定的だったのは、天皇訪中とのカラミではないかといわれる。
宮内庁から小和田家に働きかけがあった昨年6〜8月といえば、
まさに天皇訪中をめぐって自民党内部でも賛否両論が真っ二つにわれていた時期でもある。
そして訪中を最も積極的に進めていたのが外務省だったことはいうまでもない。
「外務省としては中国政府に約束手形を切っている以上、どうしても訪中を実現させる必要があった。
ところが、“お言葉”問題などをめぐって右派の抵抗が思いのほか強くかなり難航していたんです。
そんな状況で外務省が頼みの綱にしていたのは、天皇自身の意向だったんですね。
もちろん決定権が天皇にあるわけではありませんが、宮内庁に“天皇も行きたがっている”という
ムードをちらつかせてもらえば、少なくとも右派を黙らす材料にはなりますから」(外務省詰記者)
そして、この訪中問題の外務省側の責任者として天皇や宮内庁との折衝にあたっていたのが、他ならぬ小和田次官だった。
「小和田さんは去年の7〜8月にかけて訪中問題で宮内庁の藤森昭一長官、そして天皇陛下にも10回近く会っている。
これはちょうど小和田さんがデートを応諾した時期とピッタリ重なるんですね」(外務省関係者)

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇ 

◇ロシアン・ルーレットの罪
諸君!2008年7月号
岡崎久彦(外交評論家)
…それは一言で言えば、日本の天皇制は百年に一度使えば良いということである。
近代になって天皇制が政治制度として真にその役割を果たしたことは二度ある。
明治維新の時は、大政奉還と同時に王政復古の大号令が出された。
それがなければ日本は諸大名を二分する内戦となり、最悪の場合、
インドの藩王の間に争いに付け入った列強の収奪のような事態を招いた恐れさえあった。
終戦の時も陛下の御詔勅がなければ、軍国主義に徹した強力な将校団を持ち、
三百万の大兵を擁した日本軍がそのままおとなしく引き下がる情勢ではなかった。
つまり幕藩体制とか軍国主義体制とか、既存の体制の枠内では最早事態を収拾できなくなった難局において
天皇制がその効果を発揮し、国民を惨禍から救ったのである。
この、天皇制という他国に類例のない貴重な歴史的政治的財産を保護するためには、
天皇制は、国家国民の運命がかかるような時以外は、軽々しく使ってはいけない。
天皇制は、如何なるキズも受けず、代々無事平和裡に温存されて行けば良いのである。
特定の天皇に何ら特記すべき事績が無かったということは、日本国民が平和と安寧の中に過ごした証左である。
毀誉褒貶が伴うようなことは総理大臣がすれば良い。失敗した場合総理が責任を取れば良い。
責任内閣制はそのためにあるのである。
その意味で私は陛下のご訪中には反対だった。
天安門の後で世界から孤立した中国が突破口を見出そうとしたのが天皇ご訪中である。
もしその最中にチベットで弾圧でも起こって(今と同じくらい危険な状況だった)、
国際的非難の的になったら、行って良いのか悪いのか立ち往生してしまう。
そんな危険に皇室を曝してはいけない、と思ったのである。
結果は戒厳令に近い厳戒態勢の中でご訪中は無事終わった。
しかし、六連弾倉に一発だけ弾をこめたロシアン・ルーレットでも八割以上は安全である。
結果として安全だったとしても、皇室をロシアン・ルーレットの危険に曝した罪は許されるべきではない。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

◇蹂躙される日本人
櫻井よしこ氏
週刊新潮2006年1月5・12日号
92年、中国は日本の領土である尖閣諸島を奪う意図で領海法を制定、尖閣諸島を中国領と宣言した。
そのときに、日本政府はなんと、天皇皇后両陛下の御訪中を実現させた。
領土を奪おうとする国になぜ友好親善の最高の切り札である両陛下の御訪中で応じるのか。
強い反対論が渦巻いたとき、御訪中は陛下の御意向だという情報が流され、反対論がおさえられた。
御訪中によって未来永劫、日中友好は担保されると政府は説明したにもかかわらず、
それから13年後の今日の現実はそうはなっていない。
“陛下の御意向”という天皇家の政治利用が、決して良い結果を生まないのは、
それが反対論潰しの便法にすぎないからだ。
論理や熱意やこの国への愛で論破する力がないために、
究極の政治力を使おうとする試みは心して排除しなければならない。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

◇天皇訪中秘話
「車の速度下げて」と両陛下=上海総領事に三つの打診−92年の天皇訪中秘話
戦争という不幸な歴史が横たわる日中関係の大きな転換点となった
1992年の天皇、皇后両陛下の訪中で、
両陛下が中国の人々との「心の触れ合い」を願い、
事前準備のため上海を訪れた手塚英臣侍従(当時)を通じて日本の蓮見義博上海総領事(同)に対し、
視察の車の減速など三つの要望を内々に打診されていたことが分かった。
両陛下の車に同乗した蓮見氏(80)が、20年以上経過したのを機に初めて取材に応じ、詳細を語った。

◆予想外の歓迎30万人
「両陛下は親善の実を上げたいと思っている。警備上の問題はあろうが、(上海市中心部を視察する際に)
両陛下が歓迎に心からお応えできるよう車のスピードを下げてほしい」。
蓮見氏によると、これが要望の一つだった。
中国では歴史問題に起因した反日感情も強いため、安全上の懸念もあって、
両陛下の車は国賓の慣例に基づき時速30キロ以上で走行する予定で、北京ではかなりのスピードで駆け抜けた。
上海でも同様となるはずだったが、両陛下の要望を受けた蓮見氏の対応により、
訪中最後の夜となった92年10月27日、車は時速10キロ以下の停車寸前まで減速。
沿道では30万人以上の市民が両陛下を歓迎する予想外の光景が見られた。
「(沿道に)市民を動員しないでほしい」。両陛下の意向として二つ目に打診されたのは、
真の触れ合いの気持ちを伝えるため、市民を組織する中国独特の歓迎方式を取らないことだった。
また、天皇陛下は招待側の黄菊上海市長(当時)と、皇后さまは市長夫人と、
それぞれ別の車に乗るのが外交儀礼だが、
「両陛下が一緒に乗り、総領事も陪乗(同乗)する形に変えてほしい」という三つ目の要望も特別に出された。
蓮見氏は同乗を求められたのは両陛下から信頼されているからだと感じ、「光栄な使命感」を強く意識した。
「両陛下はお二人で中国の人々に親善の気持ちを伝えたい考えが強く、
時速30キロ以上ではそれが実現できないのだと理解した」。
そう回想する蓮見氏は、誰にも相談せず徐行運転を決意。
前を進むパトカーからは無線で「早く来い。何をゆっくりしているんだ」と催促が入った。
「ゆっくりさせてください」と蓮見氏から両陛下の気持ちを伝えられた助手席の中国側護衛長も納得し、
徐行を続けた。沿道には「日本の天皇が来る」と伝え聞いた市民が押し寄せ、笑顔で「歓迎、歓迎」と大合唱。
「笑顔の中に心からの歓迎の気持ちが表れていて大丈夫だと自信を持った」と蓮見氏は語る。
両陛下は一人一人に丁寧に手を振られ、最後には市民が車窓から50センチまで接近した。
車中の皇后さまは「ずいぶんたくさんの人ですね」と驚いた。

◆「笑顔もて」と歌に
「笑顔もて迎へられつつ上海の灯ともる街を車にて行く」。
天皇陛下は、ライトアップされた上海市内の繁華街・南京路を通った際のお気持ちを歌に詠んだ。
両陛下は訪中15周年の2007年12月、蓮見氏ら訪中に尽力した関係者を茶話会に招いた。
皇后さまはこう述べた。
「あの沿道で、親たちが抱え上げる小さい子供の笑顔が車窓近くに何人も見えたときには、
日本と全く変わらない歓迎の様子に、日本人かと思ったほどです。日本と中国はやはり同じ文化だと知りました」。
(2013/10/28-15:15)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201310/2013102800413

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

◇「私の中国訪問は良かったのか」 国際親善に触れ合いと葛藤 
産経新聞2017年1月3日
「私の中国訪問は良かったのか」 国際親善に触れ合いと葛藤 
象徴天皇として新しいスタイルを活発化される陛下。
だが、その思いとは別のところで、政治的に利用しようという勢力も忍び寄る。
平成4年の中国訪問をめぐっては、国内が賛否で二分された。
当時の宮澤喜一内閣は、石原信雄官房副長官の主導で官邸に識者を招き意見を聞いた。
天安門事件の3年後で、中国は欧州各国から制裁を受けていた時期。
当時の外務省の担当者によると、
中国側は「陛下に来てもらえれば、感情的なわだかまりは終わる」としきりに主張したという。
政府は結局、「中国を孤立させるのは正しくない」と訪中に踏み切った。
10月23日からの訪中では、両陛下は、いつも通り親善に努められた。
その中で、後に陛下が周囲に印象深く語られた場面があったという。
(中略)
だが後年、銭其元中国副首相は訪中について回顧録に「日本の天皇がこの次期に訪中したことは、
西側の対中制裁を打ち破る上で積極的な役割を果たすものだった」と記した。
「わだかまりは終わる」の言説はどこへやら、平成10年に国賓として来日した江沢民
国家主席は歓迎の宮中晩餐会で陛下を前に「痛ましい歴史の教訓を永遠にくみ取らなければならない」と述べた。
当時の関係者は「陛下は数年後、私の中国訪問は良かったのだろうか、と話されていた」と打ち明ける。
直接、晩餐会のことを言ったわけではないが、陛下は今も考え続けられているのだろうー。関係者はそう話した。

天皇家のお食事

■昭和天皇のお食事 渡辺誠著・文春文庫

そうそう、サンドイッチのサイズで思い出したことがあります。
後に美智子皇后から、もう少しサイズを小さくしてほしいというご要望がありました。
お客様とお話をしているときに、口の中に食べ物を入れてお話をするわけにはいかないので、
うんと小さくすればさりげなく食べることができるということで、
それまでの九つ切りから十二切りにしました。
しかし、これにはかなりのテクニックを必要としました。切りづらいため、つい力が入り
パンの表面に指のあとがついたりしたら、作り直しということになります。
大膳のサンドイッチへのこだわりは、当然ことながら箱に詰めたときの美しさにもあります。
切り口を見せずに真平らになるよう、切り口が横を向くように詰め込みます。表面がデコボコになってはいけない。
切られていない一枚の白いパンがそこにあるように見せなければいけないといった具合です。
ということは、サンドイッチの中身によって厚さがそれぞれ違いますから、それを全部調整するわけです。
例えば、ジャムを他の具と同じ厚さに挟むと甘すぎることになるますから、パンの厚みで調整します。
そして、大高檀紙の紙箱に、隙間がないように、きれいに詰めます。
この箱から取り分けるのが主膳の役目ですが、新人がこのサンドイッチを初めて見たときは、
パンとパンの境目がわからないように、あまりにびっしりときれいに入っているので
「本当に切れているんでしょうか」と聞くのが定番の質問でした。
このサンドイッチで、昭和天皇をますます敬愛することになったエピソードがあります。
大膳にはいりたての若い頃の話です。先輩がサンドイッチを作り、
私はそのサンドイッチを持って初めて陛下のお供をして那須の山をほかの皆さんと歩きました。
主膳さんが侍従に「そろそろお時間でございます」と伝え、
侍従が陛下に「そろそろお時間でございます。いかがでございましょう」と申し上げると、
陛下は「じゃあお昼にしようか」というようなことをおっしゃいます。
そこで私たちはすぐにテーブルを出してセッティングします。旅先のことですから、ごくごく簡単なテーブルです。
そのときに、生まれて初めて陛下のもとにサンドイッチをお持ちしました。
本来は主膳さんがするべきことですが、主膳さんはテーブル・セッティングをしていて、
旅先ということもあり、「渡辺さん、あなた自分で持っていきなさい」と言われ、
そのときは私が主膳さんのかわりに、女官さんのもとへ運びました。
おそばで女官さんとのやりとりをうかがっていると、陛下は、「イチゴジャムを」とおっしゃいました。
「他にはいかがでしょうか」「イチゴジャム」とまたおっしゃる。
生まれて初めて陛下のおそばにいたので、私はブルブル震えるぐらい大変に緊張していましたが、
そういう雰囲気の中でも、陛下はジャムだけをとおっしゃるので、
陛下はイチゴジャムがよほどお気にいりなのだと思った記憶があります。
そうして、イチゴジャムのサンドイッチを三切れほど、陛下のお皿にお箸でお取りしたら、
「あとは、皆に」とおっしゃるのです。残ったものを皆で分けるようにというのではありません。
陛下はまだお食事の前です。私は聞き間違いかと思い、きょとんとしていたら、
女官さんから「皆さんに回してあげてください」と指示がありました。
サンドイッチの箱には結構な数が入っているとはいえ、随員が三十人ぐらいいるわけですから、
一切れずつ分けたら、陛下が召し上がる分がなくなってしまうわけです。
職員には弁当の用意があることは、陛下はよくご存じのはずです。
しかし、女官さんからの申しつけですから、私はそのサンドイッチを皆さんにお持ちし、
一切れずつお取りいただきました。そして、「皆さんにお取りいただきました」と女官さんに伝えました。
女官さんが陛下に「みんなの手元にいったようです」といった意味あいのことを
お伝えになったのではないでしょうか。「あ、そう」というお声が聞こえました。
「じゃあ、食べようね」とおっしゃって、
陛下がご自分の好きなイチゴジャムのサンドイッチをお口に入れられた瞬間に
「美味しいね」というお声が耳に入りました。
私が作ったわけではありませんが、自分に言われたことのようにうれしくなりました。
たぶんそのときは、私の記憶に間違いがなければ、皇后陛下のほうを向いておっしゃっておられたように思います。
私はそのとき、陛下が残りものをみんなで分けるという発想ではなく、
ご自分が召し上がるときに、ご自分のものを一口ずつでも分け与えて、
同じものを食べようという、まるで家族のようなお気持ちの温かさに心を打たれたのです。
これがきっかけで、昭和天皇のことをとても身近に感じると同時に、憧れが尊敬に変わり、
陛下にお仕えする臣下としての誇りをさらに強く持つようになりました。

■殿下の料理番 渡辺誠著 小学館文庫

現在の皇太子殿下がまだ小学生か中学生でいらしたころのこと。
学校でミカンがひとつずつ配られたことがあったのだそうです。
ところが、お直しのミカンしかご存知なかった殿下は、ミカンの皮の剥き方がわからず、
そのまま持ってお帰りになりました。
その話をお聞きになった美智子さまが、なにごとも皇室のやり方だけでなく、
世間一般ではどのようにされているかということも殿下には知っていただくようにしたい、
とご要望になったと伝えられています。

「フォアグラのおもてなし」
皇太子から侍従を通して「ロッシーニはできますか?」という問い合わせがありました。
ロッシーニはフィレ肉の上にフォアグラをのせたお料理。
ふだん高級食材を使う料理を指名なさることはないので珍しいと思いました。
殿下は、雅子さんは肉類がお好きらしいということをお知りになって「ロッシーニを」と望まれたのでしょう。
あとで知ったのだが、その日は雅子さんのお誕生日だったということです。
皇太子はずっとメニューのリクエストなどしたことなどなかった。
フォアグラは通常は缶詰のものを出していたけれど、外国から空輸された「フレッシュフォアグラ」を所望された。
中国料理のときは初め渡辺さんが提案したメニューにダメ出しして、もっと豪華なものに変更した。

やがて、私は妃殿下から「ミスター渡辺」と読んでいただくようになりました。
一般職員に「ミスター」の敬称は過ぎた呼び名なのですが、
お料理をお教えしたりするところから、敬意を表してくださったようでした。
私は、「ミスター渡辺を呼んでください」というお声がかかるのを、心待ちにするようになりました。

宮内庁が管理する宮殿の酒類貯蔵室に本格的なワインセラーが設けられたのは意外に最近で、
平成九(一九九七)年のことです。(中略)
宮殿の貯蔵室ほどではありませんが、東宮御所にも常時、銘醸ワインのストックがありました。
愛好家垂涎の高級ワインに囲まれているからといって、ふだんそれを召し上がることはありません。
それはあくまでも大切なお客さまのためのものでした。

紀宮様
食事会にラップで包んで蒸したムースをお出しした時、戻ってきた紀宮様のお皿に、
ナイフとフォークに隠すようにしてラップの切れ端が置かれていた。真っ青になってお詫びに行くと
「いいえ、私のところでよかったです。大丈夫ですから、気にしないで下さい」と微笑んで下さった。

昭和天皇
和食担当のお出ししたマナガツオの焼き物が生焼けで給仕の女官が気づき問題になりかけたが、
陛下は「マナガツオというのは、一年で一週間だけ生で食べられる時期がある。
においがなくて、そのまま刺身で食べる地域もあるという。今日のはそれだったんだね」とおっしゃった。
このお言葉のお陰で、担当者は注意だけで済まされた。


■天皇家の食事 
天皇家の食事 1日1800kcal、化学調味料使わず塩分10g以内
ともに78才というご高齢で、さらにご病気も抱え、体調も万全でないなか、ほとんど休みもなく
“国民のために”と激務を続けられている天皇皇后両陛下。
お体の健康を維持するため、日々、細心の注意を払われ、ケアしてこられたが、
日々、どのようなお食事を召し上がっているのだろうか。
「陛下は高校生の頃の体形をいまも維持されているんですよ。スーツなどの寸法はほとんど変わっていない。
それほど健康のために食事には気を使われているんです」
こう話すのは、陛下の学習院初等科時代からのご学友でジャーナリストの橋本明氏だ。
天皇家の食生活は、医食同源として食で健康を目指す“食養学”に基づいている。
両陛下の食事を実際に作るのは、宮内庁大膳課の職員。大膳課は5つの係に分かれ、
第1係は和食、第2係は洋食、第3係は和菓子、第4係はパンと洋菓子、
そして第5係が東宮御所担当となっており約50人が勤務している。
メニューは主厨長と副厨長が2週間分を考える。
基本的に朝は毎日、トーストやオートミールなど軽めの洋食で、昼食と夕食は和食と洋食が交互に出される。
昭和天皇時代に約5年にわたって宮内庁大膳課に勤め、現在は東京・江古田で
『ビストロ サンジャック』を開いている工藤極氏はこう語る。
「大膳課の職員は陛下のことを“聖上”とお呼びしていました。私が大膳課に入って、
まず言われたのが“聖上には糖分・脂分は控えるように”ということでした。
素材が本来持っている淡い味を引き出すような調理を心がけました。
それととにかく食材を使い切れということを口酸っぱく言われました」
侍医から“1日1800kcal”という指示があり、市販の化学調味料は一切使わず、塩分も1日10g以内だったという。
そして調理の基本とされたのが「一物全体食」という食材を余すことなく使い切るという考えだったという。
「それが栄養のバランスが偏らないようにする大膳課に伝わる伝統なんです。例えば、野菜の皮は、
後でスープの具にしたり、葉物なら後日漬け物にします。鶏肉も、胸肉、もも肉は主菜に使い、
手羽は後日、スープの具に。骨はスープのだしを取るのに使い、
ぼんじりは軽く揚げてつけ合わせにするといったようにです」(前出・工藤氏)
材料は厳選されたものを使うのだが、新鮮な肉、野菜、乳製品といった
食材のほとんどが栃木県高根沢町にある御料牧場で生産されている。
広さは約252ヘクタール(東京ドーム約54個分)と広大な敷地ながら、
“天皇家の台所”である場所だけに周囲の至るところには“関係者以外立ち入り禁止”の
看板が設置される徹底ぶり。それだけ安全・安心な食材を細心の注意を払って天皇家の食卓に届けている。
前出の工藤氏がもうひとつ叩き込まれた基本が「明治の料理の三大原則」だった。
「“焦がすな”“捨てるな”“腐らすな”と非常にシンプルなことでした。
つまり商品にならないものを作らない、余った食材は捨てる前に何か使えないか考えろ、
在庫を把握して常に鮮度を見ろというものでした」
そんな徹底した“食養学”の下、食卓に並ぶ料理。昭和天皇は絶大なる信頼を置き、召し上がっていたという。
「聖上はいつも腹八分目で終え、おかわりをされることは一度もありませんでした。
食事に対してリクエストや好き嫌いを言われることはなく、出されたものだけを召し上がり、
食後のお菓子以外は間食もしない。アルコールも一切口にされませんでした。
ちなみに好物はバナナのベーコン巻きや鰻茶漬けでしたよ」(前出・工藤氏)
※女性セブン2012年11月29日・12月6日号
http://getnews.jp/archives/274511


■バナナのベーコン巻?/園遊会
佳子さまも召し上がった? 「バナナのベーコン巻」秘話〜皇室の「食」知られざる真実
日経ウーマンオンライン(日経ウーマン) 9月15日(火)6時55分配信
東京の真ん中に位置する皇居。実は、手つかずの自然が残る、貴重な場所なんです。
――皇居と皇室にまつわる「知られざる真実」を、
数々の皇室番組を担当してきた放送作家のつげのり子さんに教えていただきました。

秘話その3 「バナナのベーコン巻」って? 皇室の方々が召し上がっている料理とは…
ドラマ「天皇の料理番」が人気を博し、昭和天皇の料理番だった谷部金次郎氏が出したレシピ本も
売れ行き好調とのこと。両陛下を始め、皇室の方々は、一体、どんな料理を召し上がっているのでしょう?
宮内庁大膳課という部署に所属する料理人が作ること以外は、普通の人と変わりない、家庭料理です。
贅沢な物を口にしているわけでもありません。
ただ、天皇の料理番が作るのは、手間暇を惜しまず、材料を徹底的に使いきり、
もうま味調味料などは使わない、元祖スローフード。
たとえば、前日にアマダイの蒸し焼きを出したら、翌日はアマダイの頭で出しをとった潮汁にする。
「一物全体食」といって、食材を全部使うことで、栄養バランスが偏らないようにする。――といった具合です。
そもそも、皇室の食材費は税金によるものなので、決められた予算の中でやりくりしているのです。
天皇皇后両陛下の朝食は、昭和天皇の時代から、特別なことがない限り、洋食。
明治以降、食生活が洋風化されたためもあるもかもしれません。
さて、昭和天皇がお好きだった、意外なメニューがあります。
それは、「バナナのベーコン巻ソテー」。
お気に入りで、肉料理のときに、これを添え、召し上がっていたといいます。
天皇家の食卓は、食物を大切にし、古き良き日本の食の真髄に貫かれているのです。

秘話その4 園遊会で出される「名物料理」とは?
その年に活躍した人たちを招いて、天皇皇后主催で催される、園遊会。春と秋に行われ、
およそ2000人の人が招待されます。招待されるのは、衆・参両院の議長、内閣総理大臣、国務大臣、
最高裁判所長官、都道府県の知事、産業・文化・芸術・社会事業などの分野で
功労のあった人とそれぞれの配偶者です。
さて、ここでは、どのようなおもてなしが行われているのでしょうか?
園遊会の名物といえば、ジンギスカン。これは、宗教上の理由から、
牛や豚を食べられない外国の招待客を配慮したもの。
使われる羊肉は、皇室専用の食材を育てる牧場「御料牧場」で育ったもので、いわば、園遊会の名物と言われています。
他にも、焼き鳥屋サンドウィッチなどがあり、テントの中で、料理人たちが作ってくれます。
http://wol.nikkeibp.co.jp/article/trend/20150831/212977/?ref=lg_pc


■秋篠宮家のカレー
佳子さまもお気に入り…元料理番が語る「秋篠宮家のカレー」
WEB女性自身 / 2015年7月11日 6時0分
「実は天皇ご一家、みなさんカレーライスがお好きです。
とりわけ、眞子さまや佳子さまが幼かったころの秋篠宮家では、毎週『火曜日がカレーの日』と決められていたほど」
こう語るのは、 99年から宮内庁管理部大膳課に所属し、秋篠宮ご一家の料理番も務めた宮田拓矢さん。
「紀子さまから最初にいただいたリクエストは、市販のカレールウを使わず、野菜を多く使うということでした。
おそらく、お子さま方に自然な味で、野菜をいっぱい食べてほしいというお気持ちがあったのだと思います。
具を小さく切ったり、辛くならないようフルーツを使ったりとの工夫も」
そんな試行錯誤の末に生まれた元気になるカレーのレシピを、特別に公開してくれた。
《秋篠宮家のある火曜日のチキンカレー》
【材料】(4人分)
〈肉と野菜〉鶏もも肉 1枚、熟したトマト 4個、マッシュルーム 4個、
じゃがいも 1個、にんにく 1かけ、しょうが 1かけ、玉ねぎ 1個、にんじん 1本、
ブロッコリー 1/4株、チキンブイヨン 500cc、塩・こしょう 各適宜
〈スパイス類〉カレー粉 大さじ2、パプリカパウダー 大さじ1、ターメリックパウダー 大さじ1/2、
ガラムマサラ 大さじ1/2、クミンパウダー 大さじ1/2、ローリエ 1枚、パセリの軸 1本
〈隠し味としてプラス〉熟したバナナ 2本、りんご 2個、ハチミツ 大さじ2、
プレーンヨーグルト 大さじ2、チーズ 大さじ4、しょうゆ 大さじ1/2、ウスターソース 大さじ1/2
〈付け合わせ〉パイナップル、レーズン、らっきょう、福神漬け

【作り方】
〈1〉トマトは湯むきし、横半分に切って種を取り出しておく。
〈2〉鶏もも肉は一口大に切り、塩とこしょうをふって、フライパンで軽くソテーする。
〈3〉マッシュルームを半割りにし、フライパンで軽くソテーする。
〈4〉乱切りにしたじゃがいもをゆでる
〈5〉深めの鍋にサラダ油(分量外)を適量入れて、
にんにくとしょうがをキツネ色になるまで弱火で炒めて、香りを出す。
〈6〉鍋にくし切りした玉ねぎ、乱切りしたにんじんを入れたら、塩をひとつまみふって軽く炒める。
〈7〉チキンブイヨンと〈1〉のトマト、スパイス類をすべて入れ1時間ほど煮込む。
〈8〉鍋に〈2〉〈3〉〈4〉の鶏もも肉、マッシュルーム、じゃがいもを投入。
そこに熟したバナナをミキサーにかけたもの、りんごをすりおろしたもの、
ハチミツ、プレーンヨーグルト、チーズを入れて、しょうゆとウスターソースで味を調える。
〈9〉可能であれば数日間冷蔵庫でねかせてから、食べる直前にゆでたブロッコリーを入れて温めなおせば完成!
 
「注意してほしいのはじゃがいもの煮崩れ。
竹串が通るくらいに火を通しておいたものを、最後に入れてください。
付け合せにもこだわりました。味に変化がつくようにとパイナップルとレーズンを。
最初にこのカレーをご一家にお出しして、何も残っていない白い皿が戻ってきたときは本当にうれしかった。
ホッと胸をなで下ろしました(笑)」(宮田さん)
http://news.infoseek.co.jp/article/joseijishin_d12513/




大公開!これが「天皇の料理番」の実像だ
両陛下とお寿司

皇室関連報道について


【社会部発】週刊新潮の皇室記事 一方的報道は不公正 1996年06月16日東京朝刊社会面
週刊新潮(六月二十日号)が掲載した「天皇陛下突如御静養の背景に秋篠宮殿下」の記事で、
宮内庁は訂正を求めて抗議を行った。
新潮側は「記事には自信があるが、再調査して返事をする」と回答を留保したが、
皇族が立場上、発言・反論されないのを承知の上での報道に“不公正”のにおいがする。
問題の記事は、天皇陛下が前庭神経炎で静養されたのは心痛によるところが大きく、
背景には秋篠宮さまの行状がある、といった内容。
「宮内庁関係者」の話として、秋篠宮妃紀子さまの父、川嶋辰彦・学習院大教授が四月二十一日、御所を訪れ、
陛下に秋篠宮さまの女性問題に関して苦言を呈したとし、「これでは陛下のご心痛も増すばかり」
「皇位継承順位第二位の重みをどう受けとめておられるのか」などと批判する。
だが、記者が取材した範囲では、川嶋教授が同日、御所を訪ねたことはなく、記事の命である事実そのものが成り立たない。 
(後略)
(詳細 過激な週刊誌報道と権力と権威について


秋篠宮さまバッシングに伴い、陛下に苦情を言ったとされる新潮記事に対する川嶋教授の「反論文」
週刊文春1996年8月15・22日号
この報道に驚いた川嶋教授は、六月二十日、宮内庁の鎌倉節長官宛に、
事実関係にかかわる次の三点について書簡を出している。
1 本年四月二十一日には、御所に上がらせて戴いてはおりません。
午後三時頃は、帝国ホテルで催された知人の結婚披露宴に出席致しておりました。
また、本年は御所に上がっておりません。
2 (『週刊新潮』)6月20日号及び6月27日号の記事の中で、
陛下に対して私が宮様の女性問題で苦言を呈した旨、記されておりました。
しかし、これまでそのようなお話を申し上げた事は一度もございませんし
、些かもそのような気持ちを抱いた事もございません。
3 数は限られているかも知れませんが、過去に私共に関して事実と食い違う報道がなされたことがございました。
そのような時私共は、原則として取り上げられた事項に関し
そのままにしておくと言うプリンシプルを大切にして参りました。
何故ならば一つの事柄を否定致しますと、
気がつかないでいる他の事柄を肯定していると受け取られる可能性がございますし、
その逆の場合も考えられるからでございます。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

天皇ご一家 皇室報道を批判 (産経97.2.23)
型にはまったイメージでみられがちで、ある特定の部分が強調される−。
皇太子さまは記者会見で、自らマスコミの皇室報道に言及し、こう述べられた。
昨年十一月、週刊誌の記事に反論した秋篠宮さまをはじめ雅子さま、天皇陛下、そして今回の皇太子さまと、
天皇ご一家はそれぞれの言葉で国内外の皇室報道の在り方を批判されている。

秋篠宮さま(平成八年十一月三十日付) 
「(週刊新潮が報じた女性問題について)火のないところに煙が立った。
非常に想像力の豊かな人がそういう記事を書いたんだとは思いますけれど、
完全に事実と異なる報道がなされたことに、不満を持っています」

雅子さま(十二月九日付)
 「(ニューズウィークなどの報道について)皇室なり、宮内庁なり私に対して一定の先入観を持って、
あるいは事実に基づかない憶測というものを中心として議論を進めているもの、
そしてまたさらに、その上にとてもセンセーショナルな見出しが付けられたりしていることがよくございます」

天皇陛下(十二月二十三日付)
 「(週刊新潮が、川嶋辰彦・学習院大教授が陛下に苦言を呈したと報じた問題で記事を否定して)
間違っているということがほとんど確実であっても、
絶対にそれが間違いであるということを証明することは、非常に難しいわけなんです。
そして、その文献がずっと後でも引用されて、非常に奇妙な分布というものが示される」

また、誕生日(十月二十日)に際し宮内記者会の質問に、文書で答えられた皇后さまは、
「常に国民の関心の対象となっているというよりも、国の大切な折々にこの国に皇室があってよかったと、
国民が心から安堵(あんど)し喜ぶことのできる皇室でありたい」と述べ、
間接的ながら過剰な皇室報道を戒められている。

http://www01.sankei.co.jp/databox/paper/9702/html/0223side11.html

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

皇室報道暴走 読売新聞2005年9月23日
宮内庁が頭を悩ませているのは皇太子の人格否定会見以降毎週女性週刊誌の載っている皇室記事。
各週刊誌の手法は毎度同じでまず匿名の「元宮内庁職員」「皇室記者」らが、皇族方の動静など事実関係を語る。
それを前提に「政府高官夫人」といった匿名の人物や皇室ジャーナリストが皇族方の動静について
(雅子さまと皇后さまの間に微妙な距離が生じているのではないか。)と推論。
芸能人などなら名誉毀損で訴訟に発展することもあるほどのレベル。
陛下が沈黙を守るとおっしゃったため いままで宮内庁は抗議してこなかった。
陛下が記者会見などで憶測報道に対して「こころの沈む日もありました。」と
皇族方が心情を傷つけられていることを吐露なさったこともあった。
しかし、報道はますます過熱。 秋篠宮さまを貶める記事三連発でついに宮内庁も出方をかえた。
「週刊誌の誹謗中傷に陛下と皇族方がさらされ傷つけられているが
お立場上反論することもなく黙々と公務に励まれている。」


(宮内庁の抗議)
宮内庁:「女性自身」の皇室記事に抗議、訂正求める  2005年9月9日
宮内庁は週刊誌「女性自身」(光文社発行)の今月6日号と20日号の皇室に関する記事に誤りがあるとして
9日、同社に抗議し、記事の訂正を求めた。
6日号は「雅子さま那須『ご静養』中に秋篠宮家 両陛下を招いて『食事会』の波紋」の見出しで、
「これでは皇太子さまご夫妻ハズシと受け取られかねませんね」とのジャーナリストの談話を引用して報じた。
これに対し同庁は「食事会は皇室の集まりでなく、秋篠宮さまがタイ旅行前に旧知の人たちと行ったもので
事実が異なる」と指摘した。
20日号は「秘められた秋篠宮ご一家 那須御用邸入りの『なぜ』」の見出しで
「秋篠宮ご一家が那須御用邸に向かわれるということは報道陣にまったく知らされていなかった」と報じたが、
同庁は「事前に宮内記者会に伝えた」と指摘した。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

週刊誌の皇室報道「目に余る」 宮内庁長官
朝日新聞 2006年2月23日
宮内庁の羽毛田信吾長官は23日の定例記者会見で、
秋篠宮妃紀子さまご懐妊が明らかになってからの週刊誌報道について、
誤った事実や憶測が含まれたものが多いとして、「目に余る。誠に遺憾」と述べた。
紀子さまにとっては今、静かな環境が極めて大切で、
「心ない記事でご負担をおかけすることがあってはならない」と語った。
そのうえで、「(秋篠宮)妃殿下が他の方のご意向のままに懐妊されたかのような失礼な記事」
「(雅子さまと紀子さまの)立場や歩みの違いを無遠慮に比較した記事」 などを挙げ、「心が痛む」とした。
さらに、憶測に基づき(天皇ご一家の中に)わだかまりがあるとを印象づけようとする記事があると指摘して、
「良識の中でお書きいただきたい」と求めた。


読売新聞
紀子さまの懐妊の背景には天皇陛下の意向があったなどとする記事を例に挙げて、
「他の方のご意向のままに懐妊なさったかのような失礼な記事」と指摘。
また、 天皇、皇后両陛下が秋篠宮ご夫妻と頻繁に会われ、皇太子ご夫妻が孤立しているという記事については
「憶測に基づいた意義付けで、ご一家の中にお気持ちの行き違いやわだかまりがあると
印象づけようとしている」と述べた。
宮内庁は今後、雑誌に対し「節度ある報道」を文書で求める方針。
(読売新聞) - 2月23日21時40分更新

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

皇室報道に絶えぬ憶測…公私巡り関係者の苦悩深く
2011.11.7 15:15
肺炎による発熱とせきの症状で入院した皇太子ご夫妻の長女愛子さま(9)=学習院初等科4年。
5日、東宮御所に戻り、ご一家のお世話をする宮内庁東宮職は「治療経過は順調」と明らかにしたものの、
通学への不安を訴えた昨年春以降「静かな環境で見守ってほしい」と、
その心情や日常生活の状況をほとんど説明していない。(SANKEI EXPRESS)
一方、週刊誌には長期療養が続く雅子さまのことも併せ、時に臆測も交えた記事が毎週のように載る。
公人としての立場と、私人としてのありようを過不足なく国民に理解してもらうには−。関係者の苦悩は深い。
東宮職トップで、ご一家のスポークスマン的役割も担う小町恭士東宮大夫は週1回、宮内庁で記者会見する。
登下校は1人か、付き添いは、欠席は、体調は。記者からは次々愛子さまに関する質問が出る。
時に「それはどういう思いからなのか」と心の内面を尋ねる問いもある。
小町氏は「10歳にも満たないお子さまの問題。長い目で見守る必要がある」と、
詳しい返答を避けるのが基本姿勢。
登下校時や校外での活動時は、一切の撮影や取材をしないよう一貫して記者側に要請してきた。
皇太子さまは将来、象徴天皇の地位を継ぐ立場にあり、ご一家の動向は公私を問わず国民の大きな関心事だ。
しかし、「きちんと説明するべきだ」とする記者側とのやりとりは、堂々巡りになることが多い。
9月中旬、愛子さまを含む4年生約120人が山梨県山中湖村へ2泊3日で出掛ける校外学習があった。
事前の会見で小町氏は「雅子さまが付き添う可能性がある」と言及した。
事実を知らせた上で、現地での取材自粛を求める狙いだったとみられる。
「なぜ子どもたちだけの集団校外活動に付き添うのか」。
記者の関心は一点に集中したが明確な回答はなかった。
小町氏が「愛子さまの希望だった」と明かしたのは校外学習から戻って2週間ほど後。
山梨まで同行することは雅子さまの主治医も同意していたが、こうした背景は十分に説明されなかった。
この間、週刊誌は現地での雅子さまの様子を写真付きで詳細に報じた。
匿名の学校関係者の話を引用する形で、校外学習への同行そのものを批判する記事もあった。
周辺によると、記事を目にした雅子さまは落ち込んだ様子だったという。
一家に近い関係者は「プライベートをあまり明らかにしたくない気持ちがご夫妻にあるのだろうが、
今のままではあまりに悪循環。
国民に理解を求めるなら説明することも大切で、時には東宮大夫が
ご夫妻にもっと踏み込んだ助言をしてもいいのではないか」とみる。
NPO法人「広報駆け込み寺」の三隅説夫代表は
「企業の場合は、トップと広報担当者が事前に十分な意思疎通を図った上で記者会見に臨むことが、
株主や顧客に狙いや思いを正しく伝えることにつながる。皇室では言えないことも多いのだろうが、
ご一家と東宮大夫がしっかり話し合って言えることを整理すれば、
暮らしぶりや思いを分かりやすく国民に伝えることができるのではないか」と話している。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111107/imp11110715190002-n1.htm

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・テーミス2010年11月号
深層摘出/大正天皇のときと同じか?!宮内庁が操作する「雅子さま&愛子さま」報道
3月5日、野村東宮大夫はいわゆる「不登校会見」を開き、大騒動となったが、
東宮職トップが愛子さまの通う学校内のトラブルについて記者会見をするのは異例で、
さすがに天皇皇后両陛下も唖然とされた。
その2時間後、東園理事が学習院で記者会見を開き、反論。
その後、波多野学習院長も週刊誌のインタビューに答えて反論した。
そうした状況で臨んだ運動会に関係者は解決の糸口を期待したが、
今も同伴登下校は続いており、いつ問題が終息するのか皆目見当がつかない。
「私たちがやらなければならないのはお子さまの教育についてであって、お母さまに関しては何も出来ない。
心配は分かるが、いつでも一緒であることが子どもを育む視点から見たとき、本当にいいのかどうか。
参観は許可しているので、お母さまに『やめて下さい』とはいえない。雅子さまがそのあたりの事情を受け止められ、
『愛子はもう大丈夫ですから』とおっしゃってくださったら万々歳なのですが」(東園理事)
なぜこうも皇太子ご一家の話題ばかりマスコミに登場するのか。
皇室報道を検証していくと、「ある筋からの力」が見えてくる。
04年の「人格否定会見」後、公務も皇太子単独で務めることが多くなり、
雅子さまは何かと「欠席」されることが多く、それがまた逐一詳しく報道される。
「ある筋からの力」とは宮内庁からのものだ。宮内庁官僚は、皇太子ご一家のネガティブな報道が
日常的に流される現状が、将来の皇室のあり方に与える影響を想定した上で成り行きに任せているのではないか。
過去にも大正天皇の「遠眼鏡事件」があり、その後、陛下のご病気はかなり進行しているとの世論が形成されていった。
同時に、若くして大正天皇の摂政に就く裕仁親王(昭和天皇)の売り出しキャンペーンがマスコミを総動員して始まった。
重要なのは、宮内庁官僚は天皇陛下に対してさえ、世論を創り出し、コントロールするという事実。
悠仁さまが誕生されてから、雅子さま愛子さま報道は激しさを増していき、08年の文藝春秋8月号では、
「皇太子、雅子妃への手紙―」を特集したが、雅子さま批判のオンパレードとなった。
それに対して、悠仁さまに対する宮内庁の「報道規制」は厳しい。
08年2月に宮内庁が宮内記者会に配布した「申し合わせ概要・申し合わせ内容」には、
「宮内庁は原則として、以下の機会(新年・初春・初夏・夏)に悠仁親王殿下もお入りに
なった秋篠宮ご家族のお写真及び映像又はそれらを撮影及びペン取材する機会を報道機関に提供する」とあり、
「上記に反する行為を行った報道機関に対しては、宮内庁は当分の間便宜提供を行わない」との罰則規定もある。
雅子さま愛子さま報道に対する態度との差は歴然としている。

・ジャーナリズム崩壊 上杉隆著
悠仁殿下の怪我は宮内庁の指示で全社報道自粛していた。
悠仁殿下の映像や写真は、新年 初春ごろ 初夏ごろ 夏又は誕生日(両方は無しどちらか)、
秋篠宮殿下の誕生日の5回のみの提供と宮内庁から御達しがあった。
各報道機関は上記の場合以外秋篠宮家のお子様方の取材・放映・報道は自粛する」と宮内庁からの申し合わせ。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

記者会見について
皇后陛下お誕生日に際し(平成9年)(文書回答)
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h09sk.html

5 記者会見について
問10  宮内記者会は,毎年お誕生日に皇后様の記者会見を要望していますが,
宮内庁は,外国御訪問前に会見を実施していることなどを理由に実現していません。
皇后様は,記者会見の意義などをどうお考えになりますか。
また,皇后様が望ましいと考える会見のあり方もお聞かせください。

皇后陛下
記者会見は,正直に申し,私には時として大層難しく思われることがあります。
一つには自分の中にある考えが,なかなか言語化出来ないと云うことで,それはもしかすると,
質問に対する私の考えそのものが,自分の中で十分に熟し切っておらず,
ぼんやりとした形でしかないためであるからかもしれません。
尋ねられることによって,始めて自分の考えが分かったと云うことが,
今までにも何回かあり,私にとっての記者会見の意義は,
自分の考え方をお伝えすると云うことと共に,言語化する必要にせまられることで,
自分が自分の考えを改めて確認できるということであるかもしれません。
会見の望ましい形については,まだ考えがまとまりませんが,
答の一部分だけが報道され全体の意図が変わってしまった時や,
どのような質問に対する答かが示されず,答の内容が唐突なものに受け取られる時は悲しい気持ちがいたします。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

皇太子さま誕生日会見で
1989年9月22日朝日新聞
礼宮さま(当時)と川嶋紀子さんの婚約について
礼宮さまの婚約が先になったことについて皇太子さまは
「焦りは全くない、正式決定は皇太子自身が強くすすめた」と語る。
この時点での皇太子自身の結婚については「はずみで言ったのが一人歩きした」と述べ、
煮詰まっていないことを匂わせている。
(はずみで言った内容は、この1988年2月の記者会見の「富士登山にたとえると7合目、8合目」)
川嶋紀子さんの印象は?の質問に対する回答 
「私の口から言うのはヤボでございまして」
会見の最後に「私から逆に質問があります」と前置きし、
一部の週刊誌で報道された礼宮さまの「皇籍離脱発言」について
「そういうことは家族は一度も聞いていない。根拠は何なのか。 こういう報道は困ることだ」と、柔らかい口調で抗議。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

敬称について 三笠宮寛仁親王殿下
(※平成14年)
総裁コラム  三笠宮寛仁
 ―矛盾―
昨年の12月20日、長女の彬子が、20歳の誕生日を迎えました。
随分以前から、宮内記者会が、宮務課( 宮内庁の各宮家担当課)を通じて依頼していたので、
「女王殿下の成人式に伴う記者会見」を、前日の午後、公邸に於て実施しました。
メディアで御覧になった会員もいらっしゃる事と思います。
会見には私は同席しませんでしたが、記録用のテープ起こし原稿の校正をしたので、
内容はすべて承知していますし、終了後開催した茶会で、数多くの、「ブン屋さん」達が、
「素晴らしい会見でした」「彬子様のファンになってしまいました」
「どの様な躾をなさると、あの様に素敵なお嬢様に成長されるのでしょうか?」等々、
大変高い評価を得たので、企画者としてはとても満足でした。
が、しかし、翌日の各社の誌面を見て、怒り心頭に発しました。
毎日新聞を除いて、天下の産経も含めて全紙が、
「三笠宮寛仁さまの長女彬子さまが成人式を迎え……」とやったからです。
「戦後初の、『女王殿下の成人式』であるので会見をして欲しい、取材がしたい…… 」が、
記者会の総意だったにも拘わらず、皇室典範の条文に規定されている処の、
「女王」「殿下」といった、「身位」と、「敬称」を抜かして、「さま」と書き、
一般国民と同じ扱いをしたわけですから、
何の為の、女王殿下の記者会見」であったのか、皆目分からなくなりました。
だいたい、私は、「三笠宮」(父の宮号)では無く、「寛仁親王」であり、
彬子は、「身位」が、「女王」で、敬称は、「殿下」でなければなりません。
従って正しくは、「寛仁親王殿下の第一女子彬子女王殿下には……」となるべきでした。
きちんと書く気が無い、つまり皇族としての記事を作らないのなら、
何も記者会見を要望する必要はありませんし、
天皇制に反対で、皇族を認めたくないのならば、いい機会ですから、「皇室反対論」を載せるべきでした。
公共の報道機関たるメディアが、こういう、「矛盾」を平気で押し通す事に対し、
我々は常にチェックしなければならないという、最も分かり易い証例になってしまいました。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

両陛下への敬語不使用に疑問、違和感
産経新聞2006年6月8日
両陛下への敬語不使用に疑問、違和感 小坂文科相、安倍官房長官が表明
小坂憲次文部科学相は8日午前の衆院教育基本法特別委員会で、
天皇、皇后陛下に対する一部新聞報道に敬語が使われていないことについて、
「新聞だから、字数が限られているから、では済まされない。敬語を使う方がどういう方なのかを学び、
また親しみを持つ言葉と混ぜて伝えることが必要だ」と述べ、報道のあり方を批判した。
これに関連し、安倍晋三官房長官は「天皇陛下に対する敬語の使い方については、
報道各社で検討した結果だと思う。政府はとやかく言うべきではない」と指摘。
そのうえで、個人的感想として
「ここで使わなければ誰に使うのか。天皇陛下が強制することを望んでいるとはまったく思わないが、
こうした記述ぶりには政治家個人として、国民の1人として違和感を覚える」と述べた。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

叱責の事実はなかった
美智子妃が皇太子妃時代、御所に呼ばれて天皇陛下から叱責されたという事実はない。
皇太子殿下皇太子妃殿下 ご結婚二十年より(1979年)※現両陛下

当時東宮大夫の鈴木菊男氏
「もう十数年前のことになろうか・・・噂が流され、その後何年にもわたりいくつかの紙面に取り上げられたことに関し一言したい。
事実のないこの記事は、他の事とは違い陛下の御名を引き合いにだしてあったため、
妃殿下には十余年ものあいだ随分お哀しい思いをなさらねばならなかった。
私の退任後もこの記事がひきあいにだされ、それがこのたび陛下(昭和天皇)の御目にとまったのであろう。
後日、侍従職を通じ、『このようなことは、事実がないばかりでなく、心に思ったことさえなかった』と
深いおいたわりに満ちたお言伝てが東宮職に届けられたと聞く」

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

柳行李云々は間違い
(平成13年天皇陛下お誕生日に際し)
【天皇陛下】 
「…また,プライバシーに関する誤った報道は,これを正すことは非常に難しく,
時には,長期間にわたって誤った報道が社会に流れていくことになります。
おかしな例ですが,私が「柳行李一つで」と皇后に結婚を申し込んだと今も言われていますが,
このようなことは私は一言も口にしませんでした。」
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h13e.html

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

親王妃の「妃」を「きさき」と呼称することについて
先の崇仁親王殿下の薨去に際しての一部の報道において,
崇仁親王妃百合子殿下を「きさきの百合子様」と呼称する部分がありましたが,
この呼称は下記のとおり誤りでありますので,注意喚起するとともにその点をお伝えします。

1.皇室典範における妃
明治の皇室典範において,皇族の配偶者を妃と規定されました。
すなわち,皇太子妃・皇太孫妃・親王妃・王妃がそれであります。
これは,現行の皇室典範にも継承されておりますが,
ここでの「妃」の呼び方は,いずれも「ひ」であり,「きさき」とは呼ばれておりません。

2.歌会始めにおける妃
現在,歌会始の儀においては,皇后陛下のことを「きさいのみや」とお呼びしています。
しかし,皇太子妃は「ひつぎのみこのみめ」,
親王妃は「○○のみこのみめ」とお呼びするように皇太子殿下を始め皇族の妃を
「きさき」もしくは「きさい」と称することは行われておりません。

3.結論
宮内庁において,皇族の配偶者はいずれも「妃(ひ)」と呼んでおり,「きさき」とは呼んでおりません。

(注)
広辞苑においては,「きさき(后)」を「天皇の正妻。皇后。中宮。」,「ひ(妃)」を「皇族の妻の称。」とされています。

http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/taio/taio-h28-1121.html


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礼宮様の作文

初等科卒業時

「バフロンズの開発」
世界の肉不足は、最近の大きなニュースの一つです。 安くて大量の肉を得るためには、
牛や豚ばかりに頼ってはいられません。狭い国土のわが国では、成長期間が長く、
生まれる数の少ない牛などより、鶏肉をもっと利用する必要があります。
そこで私は、太って肉が多いといわれる中国産のバフコーチンとブロンズ種の七面鳥とから、
新しい肉用鳥の開発に取り組みました。
研究期間五ヶ年、やっと新しい品種『バフロンズ』が誕生しました。
体重二十キロ、体高六十センチ、卵も年百個は生みます。体重はコーチンの四倍もあり、
肉質も良く味も良いのです。今では日本ばかりではなく、世界各国で飼われ、
肉用種としてばかりでなく、おとなしく、人になれ易い性質のため、
子供たちにも人気があります。
今日も研究室の庭では、子供たちがバフロンズと楽しく遊んでいます。


中等科
「卒業前の自分」文仁親王
 私はペンギンの形をした貯金箱である。
私が禮宮文仁親王という長いようで短い名を持った十五歳の子供に
会ったのは 、約一年前である。以来、私は彼の机の隅に存在している。
私はこれから帰宅後の彼の様を書いてみることにする。
実は彼が私に卒業文集用にと依頼したのである。
彼は、普通四時頃に学校から戻って来る。彼は暫しだらだら時を過し、
見ている私がいらいらしてくる頃やっと勉強を始める。
その勉強なるものが少々だらしない。カセットを聴きながらするのである。
やがて彼は部屋の隅に山積みにされているカメラのカタログを見始める。
買うつもりなのか、見て喜んでいるだけなのか。よく分からない。
夜は夜で人に会ったり、一人物静かに「rock and roll」などという
騒々しいものを聴いたりしてだらだら時を過す。そして十一時頃寝室の方へ姿を消す。
 以上が私の見た彼の一日である。十五歳とはこのような時期なのか?
 一つお断りするならば、ここに書かれた事はフィクションであり、
私のような几帳面な人間にとっては日常ありうべからずであります。




秋篠宮文仁親王殿下のご研究

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