妃殿下・内親王殿下の作文

紀宮内親王殿下中等科時代の詩
「母の日に」
母の日に夕焼けの絵を描いた
夕焼けはどこか母に似ているから
夕焼けの絵を描いた
ただそれだけの絵なのに
母は大事にたなの上にかざってくれた
夕焼けのよく見える
窓の近くにかざってくれた

紀宮内親王殿下 初等科卒業作文
盲導犬指導員 中組 清子内親王
「オーケイ。ストレイト、ゴー。グーッド、グーッド。」
朝の冷たい空気の中、私はアドニスと共に路上に立った。
アドニスは、足元やまわりを見ながら、注意深く私を導いてくれる。
しばらくすると、一つの建物が見え、私たちはその中に入った。
とびらの中には、『東京盲導犬協会』と書いてある。
私は今見習いの指導員で、盲導犬に仕立て中のアドニスと練習をしているのだ。
夕方になると、協会の食堂に集まり話し合いをする。
協会の理事長、塩屋賢一先生に、「君なかなか板についているよ」と言われて、
思わずいすの下にいるアドニスに、「アドニス、がんばろうね」と言ってしまった。
一人前になるために、あと一年かかる。
そう思いながら、アドニスをなで、希望に燃える私であった。
初等科卒業文集『紀桜集』より


秋篠宮眞子内親王殿下 2004年初等科卒業作文
五年生の春休みに、家族と一緒に奈良県と京都府を訪れました。正倉院で長く受け継がれてきた宝物、
唐招提寺で東山魁夷画伯が鑑真和上の旅を想いながら描いた障壁画、
そして京都御所で中国の故事を題材としたものや花鳥風月の襖絵などを鑑賞したことは、
私にとって良い思い出になりました。
また、奈良鳥類研究所では上村淳之先生からいろいろな鳥についての楽しい説明を受けました。
先生は鳥を描くためにはその生態をよく知り、自分の心の中で鳥の様子を想像できるように
することが大事であるとお話しくださいました。
日本画を見ていると、描かれた時代の歴史、自然や生活などを知ることができ、
たいへん興味深く思います。
また、私たちが目にする多くの美しい古典絵画は、適切な修復を繰り返して
今日に伝えられていると聞いています。
現在の日本画の修復は、オリジナルの部分を尊重して、修復の計画と結果の予測を立てて、
伝統的な技術と最新の科学技術を使って進めるようです。貴重な美術品を大切に保存して、
修復することは、非常に大切なことではないでしょうか。
このように、私は日本画の制作、保存や修復の仕事、そして広く美術の研究にも関心を持っています。
そしていつか、今にも飛び立ちそうな鳥の絵を描きたいと思います。


秋篠宮佳子内親王殿下 2007年初等科卒業作文
これからも続けたいこと 
私の将来の夢は、まだ具体的に決まっていません。
しかし、これからも続けていきたいと考えていることのひとつに
小学二年生の時に始めたフィギュアスケートがあります。
フィギュアスケートを習い初めたころは、氷がつるつるして滑ったり転んだりして
難しいと感じましたが、練習を続けるうつに少しずつスピードを出したり、
片足で長く滑ることができるようになって楽しくなりました。段々滑ることに慣れてくると、
ジャンプやスピン、そしてステップなどを習うようになりました。
今は、音楽に合わせてきれいに滑っていけるように先生が丁寧に教えてくださいます。
上手にできないこともありますが、繰り返し練習をしてできるようになると大変うれしいです。
私が通っているスケート場は、スケートのインストラクター、リンクを管理する人、
怪我をしたときの救護員などたくさんの人が働いています。
多くの人たちに支えられてスケートができることに感謝の気持ちを忘れずに滑られるよう、
心がけていきたいと思います。そしてこれからも、スケートの練習をしながら、
他にも関心を持っているいろいろな事ができるように努力していきたいと思います。

二十歳の私へ
お元気ですか。
今、十二歳の私は中学校への進学を前にして、残り少ない初等科生活を勉強したり、
友達と遊んだりしています。また、家では優しい家族に囲まれて楽しく過ごしています。
そして、関心を持っているいろいろなことの中から今は、放課後や休みの日に
フィギュアスケートの練習を一所懸命にしています。上手に滑れないときもありますが、
練習を積み重ねると、今までできなかったジャンプやスピンができるようになり、
少しずつ上達していくのがわかってとてもうれしいです。
スケートを通して、目標にむけて頑張って練習をしたり、
大変なことがあっても努力を続けることの大切さを学んだりするなど、よい経験ができました。
八年がたち、二十歳になった私は、何をしているでしょうか。
この八年の間にも、色々なことに出会い、興味を持ったと思います。スケートは、まだ続けていますか。
二十歳のときに経験していることも、その後の将来の自分につながると思います。
大変だったり、難しかったりすることがあっても、十二歳のときに楽しみながら
スケートの練習を続けたことを思い出し、現在していることを大切にしながら充実した日々を過ごしてください。


秋篠宮佳子内親王殿下 2012年学習院八重桜祭3年中組の「クラス企画」での作文
テーマ:「言葉の伝達能力」
私は、言語は「伝達の可能性」をもつにとどまると考える。
まず、言語は私達の生活にかかすことができず、通じている前提で社会が成り立っている。
例えば、日本では駅の案内や標識は日本語で書かれており、他の言語を用いる人には理解できない。
また、国や地域の文化をふまえてもいる。肉食文化のアメリカでは、同じ牛肉でも複数の言い方があり、
魚食文化の日本では、「出世魚」という成長によって呼び方の変化する魚が存在する。
このように、言語は文化とともに、より良く伝達するために発達してきたと言える。
一方で、自分の国の言語であっても思うように伝わらないという経験はないだろうか。
次のような話を聞いたことがある。
「熊が人間をなでたつもりでも、人間はなぐられたと感じるかもしれないし、死んでしまうかもしれない。」
これは、熊が人間を殺したことになる。言語も同じだろう。
優しさのつもりでかけた言葉も、相手が傷ついたと感じれば、結果的に傷つけたことになる。
このような危険性を言語は持っている。最近よく耳にするいじめの問題においても、
いじめる側といじめられる側の言葉の捉え方の違いや、一つ一つの言葉に対する重みが違うために、
深刻な問題となっている。このように、人間同士の会話であっても、
言語を持たない熊と、言語を持つ人間の会話と同じくらい正確に伝達されない可能性が高い。
ゆえに、言語は、本当に伝えたい気持ちや意味が正しく伝わるとは限らない。
そのため、言語は「伝達の可能性」を持つにとどまることを理解し、責任を持って使用する必要がある。



小和田雅子さん 小学校卒業文集
「クラブ」小和田雅子
略)
私たちは「コジュウケイ」のはくせいをつくることにしました。
その鳥は学校の窓ガラスにぶつかって死んだのだと先生はおっしゃいました。
肛門からはさみをいれておなかの皮をさきます。その後肉を切らないようにして
中の肉を取り出します。
そのためには、足とつばさを適当なところから切らなければなりません。
足はうまくいきました。(中略)
残るは翼一個となりました。そこは先生がなさいました。ところが何という失敗!
先生がつばさを切り落としてしまったのです!
あと、頭のところの肉を取れば肉が取れたのに。
そして、かわかしたあと、中身を入れてはくせいができたのに・・・・・ とても残念!


川嶋紀子さん 小学校卒業時
初等科の思い出 オーストリー在 川嶋紀子
四年生で入学してから、五年生の二学期に特別休学するまでの短い間でしたが、
私の初等科生活にはいろいろと楽しい想い出があります。
なかでも五年生の春に三クラスそろって八幡平へ旅行した時に、 経験したおもちつきは
特に印象深く心に残っています。
私達が八幡平に訪ねている間ずっとよいお天気にめぐまれ、翌日は松尾校舎にさよならを
しなければならない三日目の日も、青い空は、大きく広がっていました。
この日の午後、先生も生徒も 全員でおもちつきをしました。校庭にうすをすえ、
中に白いゆげがぼうぼうとでるふかしたばかりのもちごめが入れられました。
うすのとなりには水の入ったおけがおかれました。まず、東組のお友達がうすの回りを
囲み、いい音でつきはじめました。自分達の部屋で西組の番がくるのを待つ間、
私はペッタン、ペッタンと おもちのつかれる音を、空を見上げながら聞きました。
小さな音でも大きい音でも力のこもっている感じがしました。長い間ようやく待って、
西組の女子の番がきました。名ぼ順にならびおもちをつき、私の番がとうとうきてしまいました。
うすの所まで行くとお手伝いをして下さるおば様が、タライの水を手の上にのせ
うすの中のおもちにつけて下さいました。きねを持ち上げると思ったより重く、
前についていた友達が軽そうに持ち上げていたきねとちがう気がしました。
私は四回うちましたが、うつたびにきねがいきおいよくはね返ってくるような気がしました。
やわらかいにおいもプーンと感じました。
夕食後のデザートはおもちでした。あんこや大根おろしをつけていただきました。
みんなで力を合わせた味がしみこんでおり、口の中がホカホカでした。
私にとっては生まれて初めてのおもちつきで、 それまでいただいた中で最高のおもちでした。


川嶋紀子さん 小学校3年生の時の作文
私の弟 私には弟が、います。舟と書いて、しゅうと読みます。舟ちゃんはかわいい時と、
悪い時があります。かわいい時は、かわいくわらったり、私のドレスを着る時です。
お母様が、私のかみのけをとかして下さっているとき、舟ちゃんは、かみをとかしてるのを見て、
お母様に「かみとかして。」といいます。私がそれを見ると、弟は、なんとなく女の子みたいに、
見えます。悪いときは、かみのけを引っぱったり、だいじな物をさわったり、する時です。(中略)
舟ちゃんはこのごろ、いろいろなことをいいはじめました。たとえば、「タツ」、「キコ」、
「カアカア」などいいます。「タツ」というのは、お父様の名前が、たつひこで、
お父様が、ぼくのことを「タツ」といいなさいと、教えたので、それから「タツ」というように
なったのです。「キコ」というのは、私の名前です。だから、そのまま、「キコ」というようになったのです。
「カアカア」というのは、カラスが、「カアカア」と鳴くからおぼえたのです。
いつもいたずらをして、私をこまらせる舟ちゃんですが、ほんとうは、私の心の中には、
舟ちゃんのことをだいすきという心があるのです


小和田雅子さん 編入した新宿区立富久小学校2年3組の時の作文
雪がっせん
きのう、学校のおく上で、雪がっせんをしました。
わたしは、中川さんと、大きい玉を作っていました。そうしたら中川さんが
「男の子たちに、これ、あてちゃおうか。」といったので、わたしは「そうしよう。」と
いいました。その玉は、長まるで、たては五十センチくらいで、よこは二十センチくらいでした。
わたしたちは、ほっ田くんにあてたのでほっ田くんは びちょぬれになってしまいました。
わたしはしかいしがくるかなあと思いましたが、きませんでした。だから、ほっとしました。

小和田雅子さん 5年生 詩
「一日」
カゲロウにとって
一日は一生だ。
なんて短かい一生だろう。
めすは
そんなに短かい時間に
たまごをうむのか。
たまごをうみおえて死んでいく「カゲロウ」
そんな短かい一生を
大切使ってほしい。



照宮成子内親王殿下(昭和天皇の第一皇女)の文章 
酒井美意子氏著 ある華族の昭和史より
私はどういうめぐり合わせか高貴な家に生まれた。私は絶えず世間の注視の中にある。
いつどこにおいてもわたしは優れていなければならない。私は皇室を背負っている。
私の言動は直ちに皇室にひびいてくる。 どうして安閑としていられよう。
高い木には風が当たり易い。
それなのに高きにありながら多くの弱点をもつ自分をみるときこの地位にいる資格があるか
どうか恐ろしくなる。自分の能力は誰よりも自分で一番よくわかっている。
ともかく私は自分で自分を育て築きあげていかなければならない。
この炭鉱の奥深くで、来る日も来る日も働き続け世間から忘れ去られそして人知れず
死に行く運命をもった人々の前に立った時、護衛の警官やおおぜいのお伴をひきつれている
自分の姿にいたたまれぬ申し訳なさを感じた。

敬宮愛子内親王殿下 詩
「本当の喜び」 敬宮愛子
おおなわをした
でもうまく飛べない
みんなはできているのに
私だけできない
すごく心細かった
みんなに申し訳ないような気がする
次の日もおおなわをした
最初はできなかった
でもこつをつかんだのかとべた
とべた!
これが本当の喜びの気がした
達成感があった
明日も
これからも
この喜びを絶対に
忘れたくないな
(初等科文集「小ざくら」より女性自身2012年4月10日号掲載)

敬宮愛子内親王殿下
犬や猫と暮らす楽しみ
私は、飼っている犬や猫と過ごす時が、一日の中で心が和む楽しい時間です。
犬や猫は人間と同じように、一頭一頭顔も性格も違います。
この違いが犬や猫などの動物の魅力でもあり、一緒にいる事の楽しみでもあります。
今、私の家には犬が一頭と猫が一頭います。犬の由利は、私が二年生の春に保護され、
生後二ヶ月半位で私の家に来ました。
来て数日で家にも慣れ、元気良く走り回っていた事を覚えています。
成犬になった今も子犬の時と同じように、家族が帰ってくると、
しっぽを振りながらおもちゃをくわえて走り回り、喜びを表現しようとしています。
猫達は、私が三年生の春に、家の庭で生まれた子猫とその母猫です。元は野良猫だったので、
なれるのに時間はかかりましたが、今ではすっかり慣れ、甘えて鳴いたり、
なでると目を細めてゴロゴロ言ったりしています。
犬も猫もほめながら教えると良く躾ができます。特に由利は、出された指示に従う時には、
得意そうに目を輝かせてこちらを見て、とても可愛いです。
猫のミーも「おすわり」や「お手」ができます。私はこんな由利や猫達が大好きです。
そして、由利や猫達がいるおかげで、家族の中の楽しい会話がいっそう増えるように感じます。

敬宮愛子内親王殿下 卒業記念文集
大きな力を与えてくれた沼津の海 敬宮愛子
不安な気持ちを抱きつつも、きっと楽しい思い出が作れると言われて出かけた沼津でしたが、
初日から練習は厳しく、海に入りたくないと思う時も少なくありませんでした。
ただ楽しかったのは、友達との生活と食事、お風呂でした。
しかし、足の着かない海で泳いで、初めて気持ち良いと感じる日が来ました。
三日目に行ったプレ距離泳の時でした。プレの日は、波もなく、
太陽が照りつける中での距離泳となりました。海に入るまでは、五百メートルも泳げる訳がないと
諦めていましたが、泳いでいるうちに、体の力が抜け、楽しく泳げるようになりました。
五百メートルを泳ぎ切ると、海が好きになり、海に入るのが楽しみになっていました。
迎えた本番の五日目は、潮の流れが少しあり、泳ぎにくいと感じましたが、
前日に一キロ泳や二キロ泳を終えた人たちの「頑張れー」という応援の声が聞こえる度に、
不思議と力が湧いてきました。無事に泳ぎ切り、みんなと喜びながら頂いた氷砂糖の甘い味は格別でした。
沼津での生活は、私に諦めないことの大切さを教えてくれ、大きな自信を与えてくれました。
沼津の海は、私にとって忘れられない記念の海。六年間の中で、私がいちばん成長できたと感じられる
素晴らしい思い出になっています。
卒業記念文集「桜愛集」より
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140318/imp14031812400003-n1.htm





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皇室典範

第1章 皇位継承

第1条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。

第2条 皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。
1.皇長子
2.皇長孫
3.その他の皇長子の子孫
4.皇次子及びその子孫
5.その他の皇子孫
6.皇兄弟及びその子孫
7.皇伯叔父及びその子孫
2 前項各号の皇族がないときは、皇位は、それ以上で、最近親の系統の皇族に、これを伝える。
3 前2項の場合においては、長系を先にし、同等内では、長を先にする。 

第3条 皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、
皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる。 

第4条 天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。

第2章 皇 族

第5条 皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃及び女王を皇族とする。 

第6条 嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫は、男を親王、女を内親王とし、
三世以下の嫡男系嫡出の子孫は、男を王、女を女王とする。 

第7条 王が皇位を継承したときは、その兄弟姉妹たる王及び女王は、
特にこれを親王及び内親王とする。 

第8条 皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫という。 

第9条 天皇及び皇族は、養子をすることができない。 

第10条 立后及び皇族男子の婚姻は、皇室会議の議を経ることを要する。 

第11条 年齢15年以上の内親王、王及び女王は、その意思に基き、皇室会議の議により、
皇族の身分を離れる。2 親王(皇太子及び皇太孫を除く。)、内親王、王及び女王は、
前項の場合の外、やむを得ない特別の事由があるときは、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。 

第12条 皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる。 

第13条 皇族の身分を離れる親王又は王の妃並びに直系卑属及びその妃は、
他の皇族と婚姻した女子及びその直系卑属を除き、同時に皇族の身分を離れる。
但し、直系卑属及びその妃については、皇室会議の議により、
皇族の身分を離れないものとすることができる。 

第14条 皇族以外の女子で親王妃又は王妃となつた者が、その夫を失つたときは、
その意思により、皇族の身分を離れることができる。
2 前項の者が、その夫を失つたときは、同項による場合の外、
やむを得ない特別の事由があるときは、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。
3 第1項の者は、離婚したときは、皇族の身分を離れる。
4 第1項及び前項の規定は、前条の他の皇族と婚姻した女子に、これを準用する。 

第15条 皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、
皇族となることがない。

第3章 摂 政

第16条 天皇が成年に達しないときは、摂政を置く。
2 天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、
国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く。 

第17条 摂政は、左の順序により、成年に達した皇族が、これに就任する。
1.皇太子又は皇太孫
2.親王及び王
3.皇后
4.皇太后
5.太皇太后
6.内親王及び女王2 前項第2号の場合においては、皇位継承の順序に従い、
同項第6号の場合においては、皇位継承の順序に準ずる。 

第18条 摂政又は摂政となる順位にあたる者に、精神若しくは身体の重患があり、
又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、
摂政又は摂政となる順序を変えることができる。 

第19条 摂政となる順位にあたる者が、成年に達しないため、
又は前条の故障があるために、他の皇族が、摂政となつたときは、
先順位にあたつていた皇族が、成年に達し、又は故障がなくなつたときでも、
皇太子又は皇太孫に対する場合を除いては、摂政の任を譲ることがない。 

第20条 第16条第2項の故障がなくなつたときは、皇室会議の議により、摂政を廃する。 

第21条 摂政は、その在任中、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない。


第4章 成年、敬称、即位の礼、大喪の礼、皇統譜及び陵墓

第22条 天皇、皇太子及び皇太孫の成年は、18年とする。 

第23条 天皇、皇后、太皇太后及び皇太后の敬称は、陛下とする。
2 前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする。 

第24条 皇位の継承があつたときは、即位の礼を行う。 

第25条 天皇が崩じたときは、大喪の礼を行う。 

第26条 天皇及び皇族の身分に関する事項は、これを皇統譜に登録する。皇統譜令 

第27条 天皇、皇后、太皇太后及び皇太后を葬る所を陵、その他の皇族を葬る所を墓とし、
陵および墓に関する事項は、これを陵籍及び墓籍に登録する。


第5章 皇室会議

第28条 皇室会議は、議員10人でこれを組織する。
2 議員は、皇族2人、衆議院及び参議院の議長及び副議長、内閣総理大臣、
宮内庁の長並びに最高裁判所の長たる裁判官及びその他の裁判官一人を以て、これに充てる。
3 議員となる皇族及び最高裁判所の長たる裁判官以外の裁判官は、
各〃成年に達した皇族又は最高裁判所の長たる裁判官以外の裁判官の互選による。 

第29条 内閣総理大臣たる議員は、皇室会議の議長となる。 

第30条 皇室会議に、予備議員10人を置く。
2 皇族及び最高裁判所の裁判官たる議員の予備議員については、第28条第3項の規定を準用する。
3 衆議院及び参議院の議長及び副議長たる議員の予備議員は、各〃衆議院及び参議院の議員の互選による。
4 前2項の予備議員の員数は、各〃その議員の員数と同数とし、その職務を行う順序は、
互選の際、これを定める。
5 内閣総理大臣たる議員の予備議員は、内閣法の規定により
臨時に内閣総理大臣の職務を行う者として指定された国務大臣を以て、これに充てる。
6 宮内庁の長たる議員の予備議員は、内閣総理大臣の指定する宮内庁の官吏を以て、これに充てる。
7 議員に事故のあるとき、又は議員が欠けたときは、その予備議員が、その職務を行う。 

第31条 第28条及び前条において、衆議院の議長、副議長又は議員とあるのは、
衆議院が解散されたときは、後任者の定まるまでは、各〃解散の際衆議院の議長、
副議長又は議員であつた者とする。 

第32条 皇族及び最高裁判所の長たる裁判官以外の裁判官たる議員及び予備議員の任期は、
4年とする。 

第33条 皇室会議は、議長が、これを招集する。
2 皇室会議は、第3条、第16条第2項、第18条及び第20条の場合には、
4人以上の議員の要求があるときは、これを招集することを要する。 

第34条 皇室会議は、6人以上の議員の出席がなければ、議事を開き議決することができない。 

第35条 皇室会議の議事は、第3条、第16条第2項、第18条及び第20条の場合には、
出席した議員の3分の2以上の多数でこれを決し、その他の場合には、過半数でこれを決する。
2 前項後段の場合において、可否同数のときは、議長の決するところによる。 

第36条 議員は、自分の利害に特別の関係のある議事には、参与することができない。 

第37条 皇室会議は、この法律及び他の法律に基く権限のみを行う。







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皇太子の怒り

いさかいが天皇誕生日に暗雲を広げる  2009年1月5日 ロイター通信 
(Spats cast pall over Japan imperial anniversary)
http://uk.reuters.com/article/worldNews/idUKTRE50411420090105?pageNumber=2&virtualBrandChannel=0

SUCCESSION QUESTION POSTPONED
(先延ばしにされた継承問題)
小さい皇室内では、男子の皇位継承者が先細りになる懸念があるが、
2年前の徳仁親王の弟である秋篠宮の妻による悠仁親王の誕生でそのジレンマはとりあえず解決した。
皇室内に亀裂が生じた原因は、恐らく皇太子の怒りにあるだろうと言われている。
皇太子の怒り。
それは、彼の唯一の子である愛子内親王に皇位を継承するべく法律改正を図ろうと
まさに動き出していたところで、秋篠宮紀子妃殿下の御懐妊によって、(計画途中で)
あきらめることとなってしまったことへの怒りである。
「皇太子は完全にキレてしまったんですよ」と語るのは、
Portland State University の教授を務め、
"The People's Emperor: Democracy and the Japanese Monarchy 1945-1995."という
本も書いているKenneth Ruoffだ。
「東宮夫妻が皇位継承者を育てる余地は、もはや完全になくなったのです(から)」。
タブロイド紙ははでに書き立てているけど、一般紙は皇室のゴシップは避けている。
「皇族は戦後、理想的な家族としてのイメージを楽しんできました」と、Ruoffは言いました。
「現在、彼らは明らかに理想的な家族ではありません」
「彼らは、言い争いなどを持っている家族です」と、彼は付け足しました。
日本人はそのことに親近感を感じるかもしれませんが、皇室の権威への無礼であるとみなすかもしれません。


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東条英機元首相 遺書

東条英機元首相 遺書
昭和23年12月22日夜 東京巣鴨 にての遺書(部分)
(中央公論新社 秘録 東京裁判より)

開戦の時のことを思い起こすと実に断腸の思いがある。
今回の処刑は個人的には慰めるところがあるが、国内的の自分の責任は、死を持って償えるものではない。
しかし国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。力の前に屈した。
自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。
ただ、同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、実に残念である。
天皇陛下および国民に対して深くお詫びする。
東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。
東亜民族もまた他の民族と同様の権利をもつべきであって、
その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。
インドの判事には尊敬の念を禁じえない。これをもって東亜民族の誇りと感じた。
現在の日本を事実上統治する米国人に一言する。
どうか日本人の米国に対する心持を離れざるように願いたい。
また、日本人が赤化しないように頼む。
米国の指導者は大きな失敗を犯した。日本という赤化の防壁を破壊した。
いまや満州は赤化の根拠地である。朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。
米英はこれを救済する責任を負っている。
日本は米国の指導にもとづき武力を放棄した。一応は賢明である。
しかし、世界が全面的に武装放棄していないのに、一方的に武装をやめることは、
泥棒がまだいるのに警察をやめるようなものである。
戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出があらば、これを靖国神社に合祀せられたし。
出征地にある戦死者の墓には、保護を与えられたし。
遺族の申し出あらば、これを 内地に返還せられたし。

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礼宮様の作文

初等科卒業時

「バフロンズの開発」
世界の肉不足は、最近の大きなニュースの一つです。 安くて大量の肉を得るためには、
牛や豚ばかりに頼ってはいられません。狭い国土のわが国では、成長期間が長く、
生まれる数の少ない牛などより、鶏肉をもっと利用する必要があります。
そこで私は、太って肉が多いといわれる中国産のバフコーチンとブロンズ種の七面鳥とから、
新しい肉用鳥の開発に取り組みました。
研究期間五ヶ年、やっと新しい品種『バフロンズ』が誕生しました。
体重二十キロ、体高六十センチ、卵も年百個は生みます。体重はコーチンの四倍もあり、
肉質も良く味も良いのです。今では日本ばかりではなく、世界各国で飼われ、
肉用種としてばかりでなく、おとなしく、人になれ易い性質のため、
子供たちにも人気があります。
今日も研究室の庭では、子供たちがバフロンズと楽しく遊んでいます。


中等科
「卒業前の自分」文仁親王
 私はペンギンの形をした貯金箱である。
私が禮宮文仁親王という長いようで短い名を持った十五歳の子供に
会ったのは 、約一年前である。以来、私は彼の机の隅に存在している。
私はこれから帰宅後の彼の様を書いてみることにする。
実は彼が私に卒業文集用にと依頼したのである。
彼は、普通四時頃に学校から戻って来る。彼は暫しだらだら時を過し、
見ている私がいらいらしてくる頃やっと勉強を始める。
その勉強なるものが少々だらしない。カセットを聴きながらするのである。
やがて彼は部屋の隅に山積みにされているカメラのカタログを見始める。
買うつもりなのか、見て喜んでいるだけなのか。よく分からない。
夜は夜で人に会ったり、一人物静かに「rock and roll」などという
騒々しいものを聴いたりしてだらだら時を過す。そして十一時頃寝室の方へ姿を消す。
 以上が私の見た彼の一日である。十五歳とはこのような時期なのか?
 一つお断りするならば、ここに書かれた事はフィクションであり、
私のような几帳面な人間にとっては日常ありうべからずであります。

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皇室関連報道について


【社会部発】週刊新潮の皇室記事 一方的報道は不公正 1996年06月16日東京朝刊社会面
週刊新潮(六月二十日号)が掲載した「天皇陛下突如御静養の背景に秋篠宮殿下」の記事で、
宮内庁は訂正を求めて抗議を行った。
新潮側は「記事には自信があるが、再調査して返事をする」と回答を留保したが、
皇族が立場上、発言・反論されないのを承知の上での報道に“不公正”のにおいがする。
問題の記事は、天皇陛下が前庭神経炎で静養されたのは心痛によるところが大きく、
背景には秋篠宮さまの行状がある、といった内容。
「宮内庁関係者」の話として、秋篠宮妃紀子さまの父、川嶋辰彦・学習院大教授が四月二十一日、御所を訪れ、
陛下に秋篠宮さまの女性問題に関して苦言を呈したとし、「これでは陛下のご心痛も増すばかり」
「皇位継承順位第二位の重みをどう受けとめておられるのか」などと批判する。
だが、記者が取材した範囲では、川嶋教授が同日、御所を訪ねたことはなく、記事の命である事実そのものが成り立たない。 
(後略)
(詳細 過激な週刊誌報道と権力と権威について


秋篠宮さまバッシングに伴い、陛下に苦情を言ったとされる新潮記事に対する川嶋教授の「反論文」
週刊文春1996年8月15・22日号
この報道に驚いた川嶋教授は、六月二十日、宮内庁の鎌倉節長官宛に、
事実関係にかかわる次の三点について書簡を出している。
1 本年四月二十一日には、御所に上がらせて戴いてはおりません。
午後三時頃は、帝国ホテルで催された知人の結婚披露宴に出席致しておりました。
また、本年は御所に上がっておりません。
2 (『週刊新潮』)6月20日号及び6月27日号の記事の中で、
陛下に対して私が宮様の女性問題で苦言を呈した旨、記されておりました。
しかし、これまでそのようなお話を申し上げた事は一度もございませんし
、些かもそのような気持ちを抱いた事もございません。
3 数は限られているかも知れませんが、過去に私共に関して事実と食い違う報道がなされたことがございました。
そのような時私共は、原則として取り上げられた事項に関し
そのままにしておくと言うプリンシプルを大切にして参りました。
何故ならば一つの事柄を否定致しますと、
気がつかないでいる他の事柄を肯定していると受け取られる可能性がございますし、
その逆の場合も考えられるからでございます。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

天皇ご一家 皇室報道を批判 (産経97.2.23)
型にはまったイメージでみられがちで、ある特定の部分が強調される−。
皇太子さまは記者会見で、自らマスコミの皇室報道に言及し、こう述べられた。
昨年十一月、週刊誌の記事に反論した秋篠宮さまをはじめ雅子さま、天皇陛下、そして今回の皇太子さまと、
天皇ご一家はそれぞれの言葉で国内外の皇室報道の在り方を批判されている。

秋篠宮さま(平成八年十一月三十日付) 
「(週刊新潮が報じた女性問題について)火のないところに煙が立った。
非常に想像力の豊かな人がそういう記事を書いたんだとは思いますけれど、
完全に事実と異なる報道がなされたことに、不満を持っています」

雅子さま(十二月九日付)
 「(ニューズウィークなどの報道について)皇室なり、宮内庁なり私に対して一定の先入観を持って、
あるいは事実に基づかない憶測というものを中心として議論を進めているもの、
そしてまたさらに、その上にとてもセンセーショナルな見出しが付けられたりしていることがよくございます」

天皇陛下(十二月二十三日付)
 「(週刊新潮が、川嶋辰彦・学習院大教授が陛下に苦言を呈したと報じた問題で記事を否定して)
間違っているということがほとんど確実であっても、
絶対にそれが間違いであるということを証明することは、非常に難しいわけなんです。
そして、その文献がずっと後でも引用されて、非常に奇妙な分布というものが示される」

また、誕生日(十月二十日)に際し宮内記者会の質問に、文書で答えられた皇后さまは、
「常に国民の関心の対象となっているというよりも、国の大切な折々にこの国に皇室があってよかったと、
国民が心から安堵(あんど)し喜ぶことのできる皇室でありたい」と述べ、
間接的ながら過剰な皇室報道を戒められている。

http://www01.sankei.co.jp/databox/paper/9702/html/0223side11.html

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

皇室報道暴走 読売新聞2005年9月23日
宮内庁が頭を悩ませているのは皇太子の人格否定会見以降毎週女性週刊誌の載っている皇室記事。
各週刊誌の手法は毎度同じでまず匿名の「元宮内庁職員」「皇室記者」らが、皇族方の動静など事実関係を語る。
それを前提に「政府高官夫人」といった匿名の人物や皇室ジャーナリストが皇族方の動静について
(雅子さまと皇后さまの間に微妙な距離が生じているのではないか。)と推論。
芸能人などなら名誉毀損で訴訟に発展することもあるほどのレベル。
陛下が沈黙を守るとおっしゃったため いままで宮内庁は抗議してこなかった。
陛下が記者会見などで憶測報道に対して「こころの沈む日もありました。」と
皇族方が心情を傷つけられていることを吐露なさったこともあった。
しかし、報道はますます過熱。 秋篠宮さまを貶める記事三連発でついに宮内庁も出方をかえた。
「週刊誌の誹謗中傷に陛下と皇族方がさらされ傷つけられているが
お立場上反論することもなく黙々と公務に励まれている。」


(宮内庁の抗議)
宮内庁:「女性自身」の皇室記事に抗議、訂正求める  2005年9月9日
宮内庁は週刊誌「女性自身」(光文社発行)の今月6日号と20日号の皇室に関する記事に誤りがあるとして
9日、同社に抗議し、記事の訂正を求めた。
6日号は「雅子さま那須『ご静養』中に秋篠宮家 両陛下を招いて『食事会』の波紋」の見出しで、
「これでは皇太子さまご夫妻ハズシと受け取られかねませんね」とのジャーナリストの談話を引用して報じた。
これに対し同庁は「食事会は皇室の集まりでなく、秋篠宮さまがタイ旅行前に旧知の人たちと行ったもので
事実が異なる」と指摘した。
20日号は「秘められた秋篠宮ご一家 那須御用邸入りの『なぜ』」の見出しで
「秋篠宮ご一家が那須御用邸に向かわれるということは報道陣にまったく知らされていなかった」と報じたが、
同庁は「事前に宮内記者会に伝えた」と指摘した。


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週刊誌の皇室報道「目に余る」 宮内庁長官
朝日新聞 2006年2月23日
宮内庁の羽毛田信吾長官は23日の定例記者会見で、
秋篠宮妃紀子さまご懐妊が明らかになってからの週刊誌報道について、
誤った事実や憶測が含まれたものが多いとして、「目に余る。誠に遺憾」と述べた。
紀子さまにとっては今、静かな環境が極めて大切で、
「心ない記事でご負担をおかけすることがあってはならない」と語った。
そのうえで、「(秋篠宮)妃殿下が他の方のご意向のままに懐妊されたかのような失礼な記事」
「(雅子さまと紀子さまの)立場や歩みの違いを無遠慮に比較した記事」 などを挙げ、「心が痛む」とした。
さらに、憶測に基づき(天皇ご一家の中に)わだかまりがあるとを印象づけようとする記事があると指摘して、
「良識の中でお書きいただきたい」と求めた。


読売新聞
紀子さまの懐妊の背景には天皇陛下の意向があったなどとする記事を例に挙げて、
「他の方のご意向のままに懐妊なさったかのような失礼な記事」と指摘。
また、 天皇、皇后両陛下が秋篠宮ご夫妻と頻繁に会われ、皇太子ご夫妻が孤立しているという記事については
「憶測に基づいた意義付けで、ご一家の中にお気持ちの行き違いやわだかまりがあると
印象づけようとしている」と述べた。
宮内庁は今後、雑誌に対し「節度ある報道」を文書で求める方針。
(読売新聞) - 2月23日21時40分更新

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皇室報道に絶えぬ憶測…公私巡り関係者の苦悩深く
2011.11.7 15:15
肺炎による発熱とせきの症状で入院した皇太子ご夫妻の長女愛子さま(9)=学習院初等科4年。
5日、東宮御所に戻り、ご一家のお世話をする宮内庁東宮職は「治療経過は順調」と明らかにしたものの、
通学への不安を訴えた昨年春以降「静かな環境で見守ってほしい」と、
その心情や日常生活の状況をほとんど説明していない。(SANKEI EXPRESS)
一方、週刊誌には長期療養が続く雅子さまのことも併せ、時に臆測も交えた記事が毎週のように載る。
公人としての立場と、私人としてのありようを過不足なく国民に理解してもらうには−。関係者の苦悩は深い。
東宮職トップで、ご一家のスポークスマン的役割も担う小町恭士東宮大夫は週1回、宮内庁で記者会見する。
登下校は1人か、付き添いは、欠席は、体調は。記者からは次々愛子さまに関する質問が出る。
時に「それはどういう思いからなのか」と心の内面を尋ねる問いもある。
小町氏は「10歳にも満たないお子さまの問題。長い目で見守る必要がある」と、
詳しい返答を避けるのが基本姿勢。
登下校時や校外での活動時は、一切の撮影や取材をしないよう一貫して記者側に要請してきた。
皇太子さまは将来、象徴天皇の地位を継ぐ立場にあり、ご一家の動向は公私を問わず国民の大きな関心事だ。
しかし、「きちんと説明するべきだ」とする記者側とのやりとりは、堂々巡りになることが多い。
9月中旬、愛子さまを含む4年生約120人が山梨県山中湖村へ2泊3日で出掛ける校外学習があった。
事前の会見で小町氏は「雅子さまが付き添う可能性がある」と言及した。
事実を知らせた上で、現地での取材自粛を求める狙いだったとみられる。
「なぜ子どもたちだけの集団校外活動に付き添うのか」。
記者の関心は一点に集中したが明確な回答はなかった。
小町氏が「愛子さまの希望だった」と明かしたのは校外学習から戻って2週間ほど後。
山梨まで同行することは雅子さまの主治医も同意していたが、こうした背景は十分に説明されなかった。
この間、週刊誌は現地での雅子さまの様子を写真付きで詳細に報じた。
匿名の学校関係者の話を引用する形で、校外学習への同行そのものを批判する記事もあった。
周辺によると、記事を目にした雅子さまは落ち込んだ様子だったという。
一家に近い関係者は「プライベートをあまり明らかにしたくない気持ちがご夫妻にあるのだろうが、
今のままではあまりに悪循環。
国民に理解を求めるなら説明することも大切で、時には東宮大夫が
ご夫妻にもっと踏み込んだ助言をしてもいいのではないか」とみる。
NPO法人「広報駆け込み寺」の三隅説夫代表は
「企業の場合は、トップと広報担当者が事前に十分な意思疎通を図った上で記者会見に臨むことが、
株主や顧客に狙いや思いを正しく伝えることにつながる。皇室では言えないことも多いのだろうが、
ご一家と東宮大夫がしっかり話し合って言えることを整理すれば、
暮らしぶりや思いを分かりやすく国民に伝えることができるのではないか」と話している。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111107/imp11110715190002-n1.htm

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記者会見について
皇后陛下お誕生日に際し(平成9年)(文書回答)
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h09sk.html

5 記者会見について
問10  宮内記者会は,毎年お誕生日に皇后様の記者会見を要望していますが,
宮内庁は,外国御訪問前に会見を実施していることなどを理由に実現していません。
皇后様は,記者会見の意義などをどうお考えになりますか。
また,皇后様が望ましいと考える会見のあり方もお聞かせください。

皇后陛下
記者会見は,正直に申し,私には時として大層難しく思われることがあります。
一つには自分の中にある考えが,なかなか言語化出来ないと云うことで,それはもしかすると,
質問に対する私の考えそのものが,自分の中で十分に熟し切っておらず,
ぼんやりとした形でしかないためであるからかもしれません。
尋ねられることによって,始めて自分の考えが分かったと云うことが,
今までにも何回かあり,私にとっての記者会見の意義は,
自分の考え方をお伝えすると云うことと共に,言語化する必要にせまられることで,
自分が自分の考えを改めて確認できるということであるかもしれません。
会見の望ましい形については,まだ考えがまとまりませんが,
答の一部分だけが報道され全体の意図が変わってしまった時や,
どのような質問に対する答かが示されず,答の内容が唐突なものに受け取られる時は悲しい気持ちがいたします。

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皇太子さま誕生日会見で
1989年9月22日朝日新聞
礼宮さま(当時)と川嶋紀子さんの婚約について
礼宮さまの婚約が先になったことについて皇太子さまは
「焦りは全くない、正式決定は皇太子自身が強くすすめた」と語る。
この時点での皇太子自身の結婚については「はずみで言ったのが一人歩きした」と述べ、
煮詰まっていないことを匂わせている。
(はずみで言った内容は、この1988年2月の記者会見の「富士登山にたとえると7合目、8合目」)
川嶋紀子さんの印象は?の質問に対する回答 
「私の口から言うのはヤボでございまして」
会見の最後に「私から逆に質問があります」と前置きし、
一部の週刊誌で報道された礼宮さまの「皇籍離脱発言」について
「そういうことは家族は一度も聞いていない。根拠は何なのか。 こういう報道は困ることだ」と、柔らかい口調で抗議。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

敬称について 三笠宮寛仁親王殿下
(※平成14年)
総裁コラム  三笠宮寛仁
 ―矛盾―
昨年の12月20日、長女の彬子が、20歳の誕生日を迎えました。
随分以前から、宮内記者会が、宮務課( 宮内庁の各宮家担当課)を通じて依頼していたので、
「女王殿下の成人式に伴う記者会見」を、前日の午後、公邸に於て実施しました。
メディアで御覧になった会員もいらっしゃる事と思います。
会見には私は同席しませんでしたが、記録用のテープ起こし原稿の校正をしたので、
内容はすべて承知していますし、終了後開催した茶会で、数多くの、「ブン屋さん」達が、
「素晴らしい会見でした」「彬子様のファンになってしまいました」
「どの様な躾をなさると、あの様に素敵なお嬢様に成長されるのでしょうか?」等々、
大変高い評価を得たので、企画者としてはとても満足でした。
が、しかし、翌日の各社の誌面を見て、怒り心頭に発しました。
毎日新聞を除いて、天下の産経も含めて全紙が、
「三笠宮寛仁さまの長女彬子さまが成人式を迎え……」とやったからです。
「戦後初の、『女王殿下の成人式』であるので会見をして欲しい、取材がしたい…… 」が、
記者会の総意だったにも拘わらず、皇室典範の条文に規定されている処の、
「女王」「殿下」といった、「身位」と、「敬称」を抜かして、「さま」と書き、
一般国民と同じ扱いをしたわけですから、
何の為の、女王殿下の記者会見」であったのか、皆目分からなくなりました。
だいたい、私は、「三笠宮」(父の宮号)では無く、「寛仁親王」であり、
彬子は、「身位」が、「女王」で、敬称は、「殿下」でなければなりません。
従って正しくは、「寛仁親王殿下の第一女子彬子女王殿下には……」となるべきでした。
きちんと書く気が無い、つまり皇族としての記事を作らないのなら、
何も記者会見を要望する必要はありませんし、
天皇制に反対で、皇族を認めたくないのならば、いい機会ですから、「皇室反対論」を載せるべきでした。
公共の報道機関たるメディアが、こういう、「矛盾」を平気で押し通す事に対し、
我々は常にチェックしなければならないという、最も分かり易い証例になってしまいました。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

両陛下への敬語不使用に疑問、違和感
産経新聞2006年6月8日
両陛下への敬語不使用に疑問、違和感 小坂文科相、安倍官房長官が表明
小坂憲次文部科学相は8日午前の衆院教育基本法特別委員会で、
天皇、皇后陛下に対する一部新聞報道に敬語が使われていないことについて、
「新聞だから、字数が限られているから、では済まされない。敬語を使う方がどういう方なのかを学び、
また親しみを持つ言葉と混ぜて伝えることが必要だ」と述べ、報道のあり方を批判した。
これに関連し、安倍晋三官房長官は「天皇陛下に対する敬語の使い方については、
報道各社で検討した結果だと思う。政府はとやかく言うべきではない」と指摘。
そのうえで、個人的感想として
「ここで使わなければ誰に使うのか。天皇陛下が強制することを望んでいるとはまったく思わないが、
こうした記述ぶりには政治家個人として、国民の1人として違和感を覚える」と述べた。

花田氏×西尾氏

花田紀凱 ザ・インタビュー
BSデジタル11ch 2008年10月5日


ネット上ではいろいろと徹底した映像が流れている。
それはここで口にするのも憚られるようなシーンや場面が・・・
これは憶測などではなく実際の映像なのでごまかしようがない。
そんな時代に「そっとしといてね」なんて・・
そっとしといて!そっとしといて!って言っている人たちはバカとしか言いようがないですね。

竹田、松原などの反論は3流以下
あまりにくだらなすぎて普通の知性を持った人なら相手にしない。
鈴木邦男(新右翼団体・一水会顧問)は「もっと二人に自由を与えろ」と言っているが?

皇室反対派は今、声高に反対を叫ばなくとも、
皇室制度が二人を苦しめているせいで病気になった、
皇室制度そのものが皇族の人権を侵害していると言っていれば世の中に通用すると思っている。
そういう空気がある。
そんな所に皇太子の「人格否定発言」
まるで左翼の政治スローガンめいた内容で皇太子自身の言葉ではなく
雅子妃に植え付けられた発言だと思っている。
自ら政治的な発言なんて皇太子も足りない?
そんなに自由が欲しいなら皇族やめれは?でも居座るんだったら皇室廃止しかないね。

皇室の環境で病気になった人を救うのなら離婚か天皇制度廃止かそれしかない。
そんなに自由が欲しいんなら適応できない環境から出て自由になるか、皇室をなくすしか方法はない。
それなのになんでみんなもっと自由に!なんて言うの?

医師について
一人の医師しかいない。しかも一切の説明がない。
病気が治らないんだったら、医師の変更、複数化は常識。なのにその常識が通用しない。
一人の医師の私的な情報を宮内庁が守って5年が過ぎた。
香山リカ、斉藤環については実際に診断もせず発言する精神科医の意見は影響力が強く
宮内庁発表のように聞こえる。
まるで見てきたような嘘を平気で。
おかしな医師がおかしな妃の診断を勝手にくだしてどうする。
斉藤の海外に5年か10年行けば治る説
…ナニをふざけたことを言ってんだ!一般人が海外旅行するのとは違う。


西尾:祭司は15年から一切してない、公務は頻繁に休む。
花田:翌日にレストランに行ったりしているから余計に顰蹙をかうわけですよね。
西尾:いや、当日にも私的外出。前日、当日、翌日の一覧表がある。出さなかったけど。

アシスタント:やっぱり御病気だからいたわらなきゃって言う感覚があって、
そっとしておいてあげた方が・・・

西尾:いや、御本人がそっとしてないんですよ。
花田:ハッハッハッハ・・(爆笑)なるほど。

皇族の人権について
皇族に一般に言われる「人権」はない。
天皇(皇族)には姓がない、住所がない、戸籍がない、国民健康保険がない
「天皇(皇族)」は「国民」ではないので自由の制限は当然。
日常がすべてパブリックでありプライベートはないので
いかなる時の立ち振る舞い、発言は公的な意味がある。
「人権」という言葉は抑圧されている側が求める概念の革命用語で
天皇、皇太子が抑圧されているというのはありえない、あってはならないこと。
もしその認識があるならそれは資格を失っているということ。

「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りします発言」
お守りするって何から守るの?
櫻井よしこさんは「皇太子は国民を守る立場であり雅子を守る立場ではない」と。その通り。
国民から守るの?家族から守るの?宮中祭司から守るの?
皇太子は帝王教育が不十分だった。
昭和天皇が10とすると今上天皇が5、皇太子は1以下。(皇室関係者談)
そんな発言自体がもう資格を失った発言で自分の位置がわかっていない。
「人権」「人格」「守る」などの言葉は一般人用語
「一生大切にします」ならよかったのに。

(悠仁親王殿下は)2歳のお誕生日を迎えたのだから帝王教育を。
日本の未来がかかってるんだから。

皇太子に「自由」「時代に即した新しい公務」「祭司の廃止」など
更に開かれた皇室っぽい印象があるがこれは皇室不要論。
そんなことしたら一般人と区別がつかなくなり「象徴」という意味がなくなってしまう。
特に女性週刊誌の中の人に言いたいが、雅子さんおかわいそ〜論はそろそろやめなさい!
天皇制度不要論の人たちに利用される。政治的な罠にはまっているのに気づいていない。


私が雅子妃殿下に対する不満を申し上げますと、
日本の皇室が代表する「つつましさ」「清らかさ」「控えめ」
そしてそういうものの美徳と背反しているのではないかと。

つつましく生きるとか清浄に生きるとかは日本人のモラル。
天皇皇后両陛下はつつましく質素で日本の美徳を体現なさっている。


花田:そういうことって言うのは新しく皇室に入ったら誰かから学ぶとか教わるとか
何となく周りの雰囲気を見て学ぶとか、そういうことはないんですかね?
ちょっとその、自分だけが派手な格好してはいけないとか普通だったら考えますよね。

西尾:だからそれは、、はい、僕はもうそっから先は危ないから言いませんけどハハハ。
もうこれはここが核心なんですよ。
これ私の意見じゃないですよ。ただテーミスという雑誌紹介しただけですから(笑)
もう編集長がおっしゃった通りでもうこっから先は聴視者の皆さん考えてください。

御公務の一部を皇太子殿下に代わっていただくというものではありません


宮内庁HPより
テレビ朝日の番組「ニュース・スクランブル」において,
平成21年4月20日に放送されました皇太子妃殿下1年3ヶ月ぶりの地方公務と題する番組中,
元テレビ朝日皇室担当の神田秀一氏の発言に,
第1点は「公務については天皇陛下から皇太子殿下に宿題が出ている」旨,
また,第2点は「2009年1月から天皇陛下の公務軽減という措置を宮内庁が打ち出していて、
これに関連して天皇陛下の公務の一部を皇太子ご夫妻ができるだけ代われるものは
代わりましょうと」といった旨の発言とテロップによる放送がありましたが,
第1点及び第2点ともそのような事実はありません。
第1点については,かつて皇太子殿下がお誕生日に際しての記者会見時の質問に対して,
新しい御公務についてお答えになったことを受けて,天皇皇后両陛下が宮内庁に対して,
皇太子同妃両殿下の御意向をよく伺って御相談にのるようにとの経緯があったものであり,
天皇陛下から皇太子殿下に宿題が出ているということではありません。
第2点については,2009年1月29日,今後の御公務及び宮中祭祀の進め方についてとして
宮内庁から発表した内容は,天皇皇后両陛下の御公務の調整・見直しに当たっては,
御公務の重要性と一心にお務めになってこられた両陛下の御公務に対する御姿勢に鑑み,
御公務そのものを削減するのではなく,それぞれの御公務の内容・方法等について,
両陛下の御負担を少しでも軽減するという観点から,きめ細かく調整・見直しを図ることとしたものであり,
天皇陛下の御公務の一部を皇太子殿下に代わっていただくというものではありません。
宮内庁としては,本件につき訂正等しかるべき対応を求めるとともに,
今後,事実の確認と客観的事実に基づいた番組の放送をお願いしたい旨,テレビ朝日にお伝えしました。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/taio/taio-h21-0603.html

休みがちなのは今に始まったことではない



1993年6月    皇太子さま・雅子さまご成婚
1994年1月   「風邪気味」東宮仮御所に引きこもり状態 雅子さま微熱3週間
        2月4日に胸部X線撮影
        皇太子誕生日の記者会見には夫婦で出席するものの、24日の国体等欠席
1994年6月    奥多摩登山  東京都青梅市高水山登山 
1994年8月    栃木県那須茶臼岳・朝日岳を登山
1994年9月9〜13日 那須に引き続き、北海道静養、羅臼岳登山

1996年11月 週刊新潮特集雅子妃殿下、四ヶ月続く「御静養」で心配される体調プレッシャー
1997年 4月7日のドイツ大統領の宮中晩餐会および答礼の演奏会を欠席
    5月の欧州訪問キャンセル
1997年8月7日  那須静養で栃木県三本槍に登山
1997年8月18日〜23日  福島県裏磐梯静養

2002年8月16日 栃木県那須塩原市の沼原湿原にて一家でハイキング
2002年8月25日 須崎御用邸静養へ移動
2002年8月29日 今度は那須御用邸静養
2002年9月12日 山梨県大菩薩峠登山
2002年9月18日 雅子さまの父小和田恒の70歳誕生日に親族全員揃って
       代官山ヒルサイドテラス『RESTAURANT PACHON』にて食事
2002年10月28日 御料牧場静養

1997年2月26日 最後の鴨場接待
2001年     最後の歌会始の儀
2002年 最後の宮中新年祝賀の儀
2003年6月19日 最後の日本赤十字大会
2003年10月30日 最後の秋の園遊会