公務先での子供とのふれあい

秋篠宮妃紀子さま、鳥取聾学校など視察 
手話交え触れ合い 児童が紀子さまにじゃれつくハプニングも
秋篠宮妃紀子さまは19日、結核予防全国大会終了後、
同市国府町宮下の鳥取聾(ろう)学校(浜橋和子校長)と
同市福部町湯山の鳥取砂丘情報館サンドパルとっとり(下沢武志館長)を視察し帰途に就かれた。
鳥取聾学校では、幼稚部を卒園する園児のお別れ会を見学。
在園生が卒園生に花を贈り言葉を掛ける様子を、にこやかに見守られた。
手話で気さくに声を掛けられる紀子さまに児童も懐き、じゃれつくハプニングもあった。
小・中・高等部の活動も見学し、児童生徒と一緒に手話を交えて歌い、
写真や版画などの作品をじっくり鑑賞された。
生徒がモノクロ写真の説明をすると「光と影の表現が難しいですね。頑張ってください」と励まされたという。
サンドパルでは、山陰海岸の世界ジオパーク認定を目指す取り組みについて詳しく話を聞かれたほか、
農産物の加工品作りなどをしている女性グループ「ぱれっとはうす」(西山徳枝代表)の
会員たちから活動内容の説明を受けられた。
日本海新聞 http://www.nnn.co.jp/news/100320/20100320034.html


女性セブン2006年6月8日号 
皇太子妃雅子さま(42)が!学習院さくら組ママたちの逡巡
午前10時半近く、降りしきっていた雨がやんで、空が少し明るくなり、次に向かったのは大広場の芝生。
園児たちがわーっと駆けだし、“親子ゲーム”が始まった。
最初は、母親と子供が頬にボールを挟んで走るリレーゲーム。
雅子さまは中腰になって、愛子さまとボールを運ばれた。
そのつぎは、“電車ごっこ”。
子供の肩に、母親が両手をかけて広場をゆっくり歩く。
先生がカスタネットを叩くと、子供同士がジャンケンをして、
負けたほうがその勝った子供の母親の後ろにつき、どんどんつながっていくゲームだ。
「ここでも少し不自然な様子が見られました。
雅子さまの後ろについたお子さんは、なかなか雅子さまに触れられなくて、ずーっと自分の手を組んだまま。
母親のためらう気持ちが、お子さんに伝わっているように感じました」(皇室記者)

秋篠宮両殿下奥尻島ご訪問

広報おくしり
1998年8月
秋篠宮両殿下お成り
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http://www.town.okushiri.lg.jp/hotnews/files/00001500/00001568/20130911150630.pdf


奥尻島天皇皇后両陛下行幸啓秋篠宮同紀両殿下お成り
2000/3/21(写真集)奥尻町発行
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奥尻島 北海道南西沖地震 1993年7月12日
両陛下1993年7月27日ご訪問
秋篠宮両殿下1998年7月5日北海道南西沖地震5周年追悼式ご参列 

秋篠宮ご一家「ふれあい日本の旅」一行ご引見

平成28年7月25日(月)
文仁親王同妃両殿下,眞子内親王殿下,佳子内親王殿下並びに悠仁親王殿下
ブラジル日本語センター「第6回ふれあい日本の旅」一行ご引見(宮邸)

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「2時っチャオ!」関連

TBSテレビ番組「2時っチャオ!」(平成20年9月11日)の放送について
平成20年9月26日

TBSテレビの番組「2時っチャオ!」において,平成20年9月11日に放送されました
秋篠宮妃殿下のお誕生日特集番組中,眞子内親王殿下がジャニーズのコンサートに行かれた旨の放送がありましたが,
このような事実はありませんので,その旨,TBSテレビにお伝えしました。
また,これと同旨の報道が,一昨年の秋にも「週刊新潮」においてなされ,
当時も宮内庁から同社に対し,事実に反する旨指摘するとともに,
今後は事実の確認と客観的事実に基づいた記事を掲載されるよう要請しています。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/taio/taio-h20-0926.html


週刊文春2008年10月23日号
2時チャオの小林アナ降板について
眞子さまがジャニーズコンサートへ行ったことについて、事実に反すると宮内庁から抗議を受けた。
番組中、小林アナが「誰のコンサートで誰のファンなのか分かっているんですけど、
言わない方がいいでしょう」と発言していたが、
このコーナーのネタ元は雑誌や新聞の切り張りだからチェックが甘い。
この1件が社内で問題になり、放送翌週チーフプロデューサーが上層部に呼ばれ、コーナーの打ち切り、小林降板。

週刊ポスト2008年10月31日号
「コンサートに行かれた」「誰のファンかわかっている」
紀子妃が激怒!「眞子さまとジャニーズ」TBS舌禍大騒動
問題となったのは9月11日放送の「2時っチャオ!」
「(動物へのおはようございます、のエピソード中に)もう大変です、動物が多いですから」
「川嶋家の家訓はalways smile、いいですよね、ハイ、英語です」
小林アナの小ばかにしたような言い回しに出演者から笑いが起きる。
大騒動発言はコーナー後半
「チャオ調べで眞子様はジャニーズファンで、コンサートにも行っていると誰のファンかもわかっているが、
あえて言わないほうがいいでしょう」
宮内庁はHPで抗議、雑誌や書籍以外の番組内容への抗議は初めてで異例
「あのコーナーは雑誌の引用等で作っており裏付けは十分とは言いがたい
 宮内庁担当記者に寄せられた宮内庁の怒りは相当なもの」(番組関係者)
事実関係:眞子様は周囲に内緒でコンサートに行くようなことはなされない

「雅子様は外務省経験あり、就職せず皇室に入られた事情が似ている皇后陛下と紀子様はお話があう部分があった
明治以来天皇家で弟が兄より先に結婚したのは初めてでは」(小林アナ)
「小林アナの発言には雅子様と美智子様の間に微妙な距離感があるとの含み
紀子様はそうした表現に心を痛められたのでは。 兄宮が弟宮より先に結婚した例も他にある。
事実誤認も甚だしく、デリケートな時期に配慮に欠けるといわざるをえず、
異例の抗議になったのでは」(宮内庁関係者)


実際にジャニーズのコンサートへ行ったのは
嵐のコンサートに出かける奔放な承子さま

神道

皇室神道
皇居内の宮中三殿を中心とする皇室の、すなわち天皇家の神道

神社神道
神社を中心とし、氏子・崇敬者などによる組織によって行われる祭祀儀礼をその中心とする信仰形態

教派神道(神道十三派)
教祖・開祖の宗教的体験に基づく宗教
他の神道とは少し性質が異なる

民間神道
「民俗神道」とも呼ばれ、日本で古くから民間で行われてきた信仰行事

今日、単に「神道」といった場合には神社神道を指す

いろいろ切れ端

昭和63年、アグネスチャンが司会をした世界各国の留学生が集まるパーティーで
皇太子両殿下(現在の両陛下)と留学生たちが歓談。
両殿下が入場される前に外務省の係の人が留学生を並ばせた。
白人から、だんだん肌の色が濃くなるようにきっちりと分けて。
両殿下(現在の両陛下)が会場に入ってきて、
さっとお部屋の様子を見てとって何食わぬ顔で 反対側(肌の色の濃い方)から回った。
アグネスチャン「何もおっしゃいませんでしたが、 その行動自体が最大のメッセージだったと思います」
(当時の地方新聞より)

皇室ジャーナリスト河原敏明氏。
著作の中にはトンデモ話や誤解も散見されるが、先見の明はあった。
雅子妃がお妃候補の頃、「
雅子さんは、報道陣にきつい言葉を返したり等のとかく評判がある人だから、
雅子さんだけは皇太子妃は有り得ない、無理」
この発言の後、河原氏は雅子さんの母方祖母(チッソ夫人)から猛抗議を受けた。

鈴木宗男の唯一(?)の善行として、
外務政務次官時代、 杉原千畝氏の名誉回復運動を外務省の反対を押し切って推進させたことが出ていた。
意外も意外、な取り合わせである。
このとき、反対の陣頭に立っていたのが小和田恒事務次官(当時)。
つまり、あの雅子さまの父君。反対の理由というのが“名誉を回復させるということは、
杉原千畝を訓令違反(勝手にビザを発行したこと)で追放した外務省にミスがあったことを認めることになる”というもの。
これが官僚という人々のものの考え方らしい。
(唐沢俊一HP 2002年 www.tobunken.com/diary/diary20020303000000.html)


かつて、外務省のドンといわれた小和田恒・元外務次官の娘の皇太子妃・雅子様が外務省試験を受けた際、
面接官のほうが緊張して震えたというエピソードがある。
採用に際しては、幹部の子弟が優遇されている疑いが濃い。
www.elneos.co.jp/0705sf1.html

「女性天皇」集英社新書 瀧浪貞子氏 2004年
女性天皇は「『皇位』の継承者ではあっても『皇統』の継承者ではなかった」

テレビ東京島田アナウンサー(2004年11月)
愛する人と一緒になるために皇室に嫁ぎ、皇室の伝統を大事にし、教えを請い、
皇室の一員となれるよう努めていくことが、 よりよい自分をつくっていくことにつながると考える紀子さま。
皇室に入るということを就職ととらえた、雅子さま。
異質の世界に嫁ぐ娘を内心心配しつつも、娘の今後にたしかな自信をもち、
皇族の一員となることへの責任と自覚をもつようにと諭している川嶋教授。
とにかく自分の幸せを第一に考えてほしい、いつまでもお前は私の娘だ との主張がみえる小和田氏

2006年3月 ビジネス社 皇室消滅
渡部昇一氏
「秋篠宮様に男児が誕生すると信じていた」
「秋篠宮殿下には昭和天皇のような帝王の風格があり、並々ならぬ尊敬を寄せている」

2007年、TBSラジオ 小沢遼子の発言
当時横綱だった朝青龍のトラブルの話から
「皇室も同じよね。この間朝生に出たら、 ハーバードだ東大だと鳴り物入りで、
外務省をバックに 雅子様がやりたい放題やってるという説があるらしいのよ。
そういう人でも皇室を存続させるには お嫁さんにしなきゃいけないのかどうなのか、というのと似てるわ〜。
強い人、強い人で形が壊れたら、ねえ。 こじんまりでもいいから伝統を守るべき」

産経新聞2008年3月23日
※当時、雑誌では雅子妃の私的外食が盛んに取り上げられていた。
玄米で「温故知新」 加地伸行
玄米食は粗食ではない。逆に今では最高の食事だ。
美食と称してミシュラン三つ星のレストランを食べ歩き午前さまなどというのは、
瑞穂(みずほ)のわが国を知らぬ愚かな話である。

SAPIO2013年2月号 山村明義氏
昨年11月の沖縄訪問に際して、ネガティブな報道先行だったが、実際は提灯奉迎があった。
両陛下はホテルからいつまでも手を振っておられて感動的な光景だった。
沖縄県民の殆どは天皇陛下のご訪問は歓迎している。
戦後、マスコミ報道は国民との対立をあおる方向に向けられてきた。
陛下は不満を述べられることなくただひたすら国民のために祈って来られた。

Will 2013年5月号 西尾幹二 
神話の何たるかも解さない外務官僚一族の、
しかもかなり左翼がかったご父君の精神的影響下にある妃殿下の感化が、
皇太子殿下の無垢なる魂を侵害しはしないか、
いますでに様々に伝え聞く徴候に私は心から怯えていると申し上げておきたい。

雅子妃の危険な外交妄想
週刊文春2013年11月14日号 皇太子が思い描く「雅子皇后」の青写真−
35年来の相談役独占告白 鎌田勇氏
あれはご結婚翌年、イラクのクウェート侵攻や、湾岸戦争などで延期されていた中近東訪問がようやく実現した時、
殿下はこうおっしゃったのです
…「彼女は中近東の事に詳しいのです。
そういう事で何かお役に立てると思っているんだけれども押さえられているのです」
私が「憲法の問題があるのでは」と申し上げると殿下は、
「そこにジレンマがあります」と葛藤していらっしゃるご様子でした。

李 敬宰

李 敬宰(イ・キョンジェ、1954年 - )は高槻むくげの会、民族共生人権教育センターの代表。

「ただ、在日が日本国籍をとるということになると、天皇制の問題をどうするのかという人がいますが、
外国人がたくさん日本国籍を取ったほうが、早く天皇制は潰れると思います。
というのは、この先もどんどん外国系市民が増えます。
ある統計では、100年後には5人の内3人が外国系になるといいます。
そうなれば、日本で大和民族がマイノリティーになるのです。
だから、私はあと100年生きて、なんとしても日本人を差別して死にたいです。
これが夢です。(笑)
そういう社会が来たら、その時に天皇なんていうのは小数民族の酋長さんみたいなものになります。
こうした素晴らしい戦術があるのに、それを、今の左派のように、
日本国籍を取ったらダメだということをやっていたら、
いつまでたっても天皇制は温存されたままではないですか」
(2001年12月14日18時30分〜 京都YWCA 在日外国籍市民の参政権を考える連続講座)

天皇陛下 御研究

ハゼ
諸君!2008年7月号
道川文夫 (元NHK出版常務取締役編集局長)
…1999年12月27日、両陛下から、今回の記念記録集『道』の刊行に対しての、慰労のお茶会に招かれる。
…しばらくして、両陛下とお目にかかる部屋まで案内された。
部屋の入口近くに両陛下は立たれ、そこで各自が氏名と役割を申しのべた。
それぞれが着座したところで、天皇陛下から、「よい本を作ってくれてありがとう」とのお言葉があった。
そして美智子皇后が「よくやってくれました」とお優しく仰せられた。
…話の切れ目に、安藤社長が、「陛下はハゼがご研究のテーマだとお聞きしていますが、私たち素人にはハゼというと、
俗にいうダボハゼぐらいしか思いつかないのですが」と言うと、陛下は微笑みを湛えながら、
よくぞ尋ねてくれたといわんばかりの表情になり、
丁寧にハゼ類は日本だけでも三百種以上もあり、様々な分化を遂げていることなど、
ご自分が何を研究しているのかということを熱心に話してくださった。
すると皇后さまは、「陛下はお魚がお好きだから、よかったですね」とやさしく感想をのべられた。
この時の陛下は、凛とした現役の科学者のお姿であり、かつ、“少年”のような面差しで輝いておられた。
また皇后さまは、この部屋でIBBY(国際児童図書評議会。
平成10年9月にインドのニューデリーで開催された第26回世界大会において、
ヴィデオテープにより基調講演された)への英語での講演のヴィデオを撮影したことを話され、
皇太后さま(香淳皇后)のお机をお借りして撮っていただいたと話された。
私がご立派なご講演でしたねと申し上げると、
「私は海外で暮らしたことも、外国で学んだこともないので、習った通りに話しただけです」と、
美智子さまは、お顔を傾げられ、羞じらうように、話されていた。 …



天皇陛下、8年ぶりハゼ論文=オランダ誌に掲載−宮内庁
宮内庁は13日、天皇陛下が秋篠宮さまらと共同で執筆されたハゼの研究に関する論文が、
オランダの学術雑誌「ジーン」2月1日号に掲載されたと発表した。
陛下のハゼに関する論文発表は8年ぶりで、これで32本となった。
陛下らは、日本周辺に生息するキヌバリ、チャガラの二種類のハゼ科魚類の系統をDNA解析で調査。
2008年に発表したミトコンドリアDNAの解析では、
キヌバリは日本海側に生息するチャガラの祖先から分岐したとされていた。
陛下の発案で核DNAも解析したところ、
キヌバリ、チャガラの祖先がそれぞれ太平洋側、日本海側に分岐したことなどが示唆されたという。
(2016/05/13-19:33)
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016051300948&g=soc


タヌキ
天皇陛下が再びタヌキ論文=宮内庁
宮内庁は6日、天皇陛下が皇居のタヌキの生態について共同研究された論文が、
「国立科学博物館研究報告」(8月22日発行)に掲載されたと発表した。
陛下がタヌキに関する論文を執筆したのは2008年以来2度目。
論文は「皇居におけるタヌキの果実採食の長期変動」で、同博物館の研究員ら3人との共著。
陛下は09年1月から13年12月の間、タヌキが排便をしに来る皇居内の「ためふん場」で
ほぼ毎週ふんを採集し、顕微鏡で内容物を分析して、食べた物の季節的変化を明らかにした。
(2016/10/06-17:53)
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016100600652&g=soc


宮内庁HPより 陛下のご研究、論文等について
http://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/01/activity01.html#H2-08

天皇陛下は,長年にわたり,ご公務の合間にハゼ類の分類のご研究をされています。
日本魚類学会の会員として,昭和38年(1963年)から現在までの54年間に28編の論文を同学会誌にご発表になっています。その他,「ハゼ科魚類の系統に重要と考えられる幾つかの形態上の特徴(英文)」(昭和60年(1985年),名誉総裁をお務めになった第二回太平洋・インド洋の魚類に関する国際研究会議で口頭発表(英語)され,昭和61年(1986年),同会議報告書に掲載)と「ミトコンドリア・チトクロームb遺伝子の分子系統学的解析に基づくハゼ類の進化的考察(英文)」(平成12年(2000年),秋篠宮殿下もお加わりの共同でご執筆),「DNA分子と形態の解析に基づくハゼ科魚類,キヌバリとチャガラの太平洋側および日本海側の地域集団の進化(英文)」(平成20年(2008年),秋篠宮殿下もお加わりの共同でご執筆),「ハゼ科魚類,キヌバリとチャガラの核DNAとミトコンドリアDNAを用いた種分化の解析(英文)」(平成28年(2016年),秋篠宮殿下もお加わりの共同でご執筆)の4編の論文も発表され,合計32編の論文をご発表になっています。また,国立科学博物館研究報告で「皇居におけるタヌキの食性とその季節変動」(平成20年(2008年)),「皇居におけるタヌキの果実採食の長期変動 」(平成28年(2016年))の論文も共同でご執筆になっています。

天皇陛下訪中について

◇陛下を利用した中国と日本外務省
中国 銭其琛(せんきしん)元外相『外交十記』
(日本の)天皇訪中は天安門事件による中国の孤立化の打破を狙って進めたものである。
天皇訪中は西側の対中制裁を打破する上で積極的な効果があり、
その意義は明らかに中日両国関係の範囲を超えていた。
日本の外務省はこの時の貸しをまだ回収していないし、
そもそも中国側は日本に借りができたとは思っていない。
外務省は貸しをつくるだけではなく、回収するのが仕事。いまだに職務を果たしていない。
自分の仕事である外交を天皇に外注しただけとは、昔ならその罪は万死に値する。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

◇小和田恒と訪中
噂の真相1993年3月号
しかし、もっと決定的だったのは、天皇訪中とのカラミではないかといわれる。
宮内庁から小和田家に働きかけがあった昨年6〜8月といえば、
まさに天皇訪中をめぐって自民党内部でも賛否両論が真っ二つにわれていた時期でもある。
そして訪中を最も積極的に進めていたのが外務省だったことはいうまでもない。
「外務省としては中国政府に約束手形を切っている以上、どうしても訪中を実現させる必要があった。
ところが、“お言葉”問題などをめぐって右派の抵抗が思いのほか強くかなり難航していたんです。
そんな状況で外務省が頼みの綱にしていたのは、天皇自身の意向だったんですね。
もちろん決定権が天皇にあるわけではありませんが、宮内庁に“天皇も行きたがっている”という
ムードをちらつかせてもらえば、少なくとも右派を黙らす材料にはなりますから」(外務省詰記者)
そして、この訪中問題の外務省側の責任者として天皇や宮内庁との折衝にあたっていたのが、他ならぬ小和田次官だった。
「小和田さんは去年の7〜8月にかけて訪中問題で宮内庁の藤森昭一長官、そして天皇陛下にも10回近く会っている。
これはちょうど小和田さんがデートを応諾した時期とピッタリ重なるんですね」(外務省関係者)

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇ 

◇ロシアン・ルーレットの罪
諸君!2008年7月号
岡崎久彦(外交評論家)
…それは一言で言えば、日本の天皇制は百年に一度使えば良いということである。
近代になって天皇制が政治制度として真にその役割を果たしたことは二度ある。
明治維新の時は、大政奉還と同時に王政復古の大号令が出された。
それがなければ日本は諸大名を二分する内戦となり、最悪の場合、
インドの藩王の間に争いに付け入った列強の収奪のような事態を招いた恐れさえあった。
終戦の時も陛下の御詔勅がなければ、軍国主義に徹した強力な将校団を持ち、
三百万の大兵を擁した日本軍がそのままおとなしく引き下がる情勢ではなかった。
つまり幕藩体制とか軍国主義体制とか、既存の体制の枠内では最早事態を収拾できなくなった難局において
天皇制がその効果を発揮し、国民を惨禍から救ったのである。
この、天皇制という他国に類例のない貴重な歴史的政治的財産を保護するためには、
天皇制は、国家国民の運命がかかるような時以外は、軽々しく使ってはいけない。
天皇制は、如何なるキズも受けず、代々無事平和裡に温存されて行けば良いのである。
特定の天皇に何ら特記すべき事績が無かったということは、日本国民が平和と安寧の中に過ごした証左である。
毀誉褒貶が伴うようなことは総理大臣がすれば良い。失敗した場合総理が責任を取れば良い。
責任内閣制はそのためにあるのである。
その意味で私は陛下のご訪中には反対だった。
天安門の後で世界から孤立した中国が突破口を見出そうとしたのが天皇ご訪中である。
もしその最中にチベットで弾圧でも起こって(今と同じくらい危険な状況だった)、
国際的非難の的になったら、行って良いのか悪いのか立ち往生してしまう。
そんな危険に皇室を曝してはいけない、と思ったのである。
結果は戒厳令に近い厳戒態勢の中でご訪中は無事終わった。
しかし、六連弾倉に一発だけ弾をこめたロシアン・ルーレットでも八割以上は安全である。
結果として安全だったとしても、皇室をロシアン・ルーレットの危険に曝した罪は許されるべきではない。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

◇蹂躙される日本人
櫻井よしこ氏
週刊新潮2006年1月5・12日号
92年、中国は日本の領土である尖閣諸島を奪う意図で領海法を制定、尖閣諸島を中国領と宣言した。
そのときに、日本政府はなんと、天皇皇后両陛下の御訪中を実現させた。
領土を奪おうとする国になぜ友好親善の最高の切り札である両陛下の御訪中で応じるのか。
強い反対論が渦巻いたとき、御訪中は陛下の御意向だという情報が流され、反対論がおさえられた。
御訪中によって未来永劫、日中友好は担保されると政府は説明したにもかかわらず、
それから13年後の今日の現実はそうはなっていない。
“陛下の御意向”という天皇家の政治利用が、決して良い結果を生まないのは、
それが反対論潰しの便法にすぎないからだ。
論理や熱意やこの国への愛で論破する力がないために、
究極の政治力を使おうとする試みは心して排除しなければならない。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

◇天皇訪中秘話
「車の速度下げて」と両陛下=上海総領事に三つの打診−92年の天皇訪中秘話
戦争という不幸な歴史が横たわる日中関係の大きな転換点となった
1992年の天皇、皇后両陛下の訪中で、
両陛下が中国の人々との「心の触れ合い」を願い、
事前準備のため上海を訪れた手塚英臣侍従(当時)を通じて日本の蓮見義博上海総領事(同)に対し、
視察の車の減速など三つの要望を内々に打診されていたことが分かった。
両陛下の車に同乗した蓮見氏(80)が、20年以上経過したのを機に初めて取材に応じ、詳細を語った。

◆予想外の歓迎30万人
「両陛下は親善の実を上げたいと思っている。警備上の問題はあろうが、(上海市中心部を視察する際に)
両陛下が歓迎に心からお応えできるよう車のスピードを下げてほしい」。
蓮見氏によると、これが要望の一つだった。
中国では歴史問題に起因した反日感情も強いため、安全上の懸念もあって、
両陛下の車は国賓の慣例に基づき時速30キロ以上で走行する予定で、北京ではかなりのスピードで駆け抜けた。
上海でも同様となるはずだったが、両陛下の要望を受けた蓮見氏の対応により、
訪中最後の夜となった92年10月27日、車は時速10キロ以下の停車寸前まで減速。
沿道では30万人以上の市民が両陛下を歓迎する予想外の光景が見られた。
「(沿道に)市民を動員しないでほしい」。両陛下の意向として二つ目に打診されたのは、
真の触れ合いの気持ちを伝えるため、市民を組織する中国独特の歓迎方式を取らないことだった。
また、天皇陛下は招待側の黄菊上海市長(当時)と、皇后さまは市長夫人と、
それぞれ別の車に乗るのが外交儀礼だが、
「両陛下が一緒に乗り、総領事も陪乗(同乗)する形に変えてほしい」という三つ目の要望も特別に出された。
蓮見氏は同乗を求められたのは両陛下から信頼されているからだと感じ、「光栄な使命感」を強く意識した。
「両陛下はお二人で中国の人々に親善の気持ちを伝えたい考えが強く、
時速30キロ以上ではそれが実現できないのだと理解した」。
そう回想する蓮見氏は、誰にも相談せず徐行運転を決意。
前を進むパトカーからは無線で「早く来い。何をゆっくりしているんだ」と催促が入った。
「ゆっくりさせてください」と蓮見氏から両陛下の気持ちを伝えられた助手席の中国側護衛長も納得し、
徐行を続けた。沿道には「日本の天皇が来る」と伝え聞いた市民が押し寄せ、笑顔で「歓迎、歓迎」と大合唱。
「笑顔の中に心からの歓迎の気持ちが表れていて大丈夫だと自信を持った」と蓮見氏は語る。
両陛下は一人一人に丁寧に手を振られ、最後には市民が車窓から50センチまで接近した。
車中の皇后さまは「ずいぶんたくさんの人ですね」と驚いた。

◆「笑顔もて」と歌に
「笑顔もて迎へられつつ上海の灯ともる街を車にて行く」。
天皇陛下は、ライトアップされた上海市内の繁華街・南京路を通った際のお気持ちを歌に詠んだ。
両陛下は訪中15周年の2007年12月、蓮見氏ら訪中に尽力した関係者を茶話会に招いた。
皇后さまはこう述べた。
「あの沿道で、親たちが抱え上げる小さい子供の笑顔が車窓近くに何人も見えたときには、
日本と全く変わらない歓迎の様子に、日本人かと思ったほどです。日本と中国はやはり同じ文化だと知りました」。
(2013/10/28-15:15)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201310/2013102800413

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

◇「私の中国訪問は良かったのか」 国際親善に触れ合いと葛藤 
産経新聞2017年1月3日
「私の中国訪問は良かったのか」 国際親善に触れ合いと葛藤 
象徴天皇として新しいスタイルを活発化される陛下。
だが、その思いとは別のところで、政治的に利用しようという勢力も忍び寄る。
平成4年の中国訪問をめぐっては、国内が賛否で二分された。
当時の宮澤喜一内閣は、石原信雄官房副長官の主導で官邸に識者を招き意見を聞いた。
天安門事件の3年後で、中国は欧州各国から制裁を受けていた時期。
当時の外務省の担当者によると、
中国側は「陛下に来てもらえれば、感情的なわだかまりは終わる」としきりに主張したという。
政府は結局、「中国を孤立させるのは正しくない」と訪中に踏み切った。
10月23日からの訪中では、両陛下は、いつも通り親善に努められた。
その中で、後に陛下が周囲に印象深く語られた場面があったという。
(中略)
だが後年、銭其元中国副首相は訪中について回顧録に「日本の天皇がこの次期に訪中したことは、
西側の対中制裁を打ち破る上で積極的な役割を果たすものだった」と記した。
「わだかまりは終わる」の言説はどこへやら、平成10年に国賓として来日した江沢民
国家主席は歓迎の宮中晩餐会で陛下を前に「痛ましい歴史の教訓を永遠にくみ取らなければならない」と述べた。
当時の関係者は「陛下は数年後、私の中国訪問は良かったのだろうか、と話されていた」と打ち明ける。
直接、晩餐会のことを言ったわけではないが、陛下は今も考え続けられているのだろうー。関係者はそう話した。

地久節、母の日

3月6日
1927(昭和 7)年から1945(昭和20)年まで実施。
香淳皇后(昭和天皇の后)の誕生日。
天皇の誕生日を「天長節」と言うのに対し、皇后の誕生日は「地久節」と呼ばれた。
この日を「母の日」として、婦人会等を中心にいろいろな行事が開催されていた。
「母の日」は1949(昭和24)年からアメリカにならって5月第2日曜日になった。