最初から公務はさぼり気味静養は充実

1993年6月    
皇太子さま・雅子さまご成婚

1994年1月   
「風邪気味」東宮仮御所に引きこもり状態 雅子さま微熱3週間

2月4日
胸部X線撮影
皇太子誕生日の記者会見には夫婦で出席するものの、24日の国体等欠席

1994年6月
東京都青梅市高水山登山 
1994年8月
栃木県那須茶臼岳・朝日岳を登山
1994年9月9〜13日
那須に引き続き、北海道静養、羅臼岳登山

1996年11月
週刊新潮特集雅子妃殿下、四ヶ月続く「御静養」で心配される体調プレッシャー

1997年4月7日
ドイツ大統領の宮中晩餐会および答礼の演奏会を欠席
5月の欧州訪問キャンセル

1997年8月7日
那須静養で栃木県三本槍に登山
1997年8月18日〜23日 
福島県裏磐梯静養

2001年
愛子内親王誕生

2002年8月16日
栃木県那須塩原市の沼原湿原にて一家でハイキング
2002年8月25日 
須崎御用邸静養へ移動
2002年8月29日
那須御用邸静養
2002年9月12日
山梨県大菩薩峠登山
2002年9月18日
雅子さまの父小和田恒の70歳誕生日に親族全員揃って
代官山ヒルサイドテラス『RESTAURANT PACHON』にて食事
2002年10月28日 
御料牧場静養

1997年2月26日
最後の鴨場接待
2001年
最後の歌会始の儀
2003年6月19日
最後の日本赤十字大会

皇后陛下古希奉祝行事関連

「AERA」(2008年5月12日号)の記事について
平成20年5月12日

今般の「AERA」の記事における皇后陛下古希奉祝行事に関するこれまでの経緯は下記のとおりです。
平成16年に天皇陛下が,古希を迎えられた際には,
皇后陛下は,日本各地の民謡や踊りを披露するお祝いの催しを準備なさいました。
また,宮内庁幹部職員が準備したお祝いの音楽会も開催されました。
平成17年に皇后陛下が古希をお迎えになられた際には,陛下の時と同様,職員によるお祝いの計画と共に,
両陛下のお子様方によってご準備になるお祝いの催しが予定されておりました。
職員によるお祝いについては,音楽会の開催などが検討されましたが,
前年に,二回にわたって開催された天皇陛下の古希をお祝いするための催しに際して,
皇太子妃殿下のご出席がさまざまに取り沙汰されたことから,
皇后陛下は,このような形のお祝いで同様なことが繰り返されることが,
皇太子妃殿下のご負担になることを気づかわれ,
出来れば全員が席に着く形のお祝いはご遠慮になりたい旨お申し出になられました。
このため,宮内庁幹部職員などによるお祝いとして,
平成17年3月12日から4月3日まで,三の丸尚蔵館で,
皇后陛下古希記念特別展「皇后陛下のご養蚕と正倉院裂の復元」が開催されました。
皇族方によるお祝いに先立つことは職員一同心苦しいことでしたが,
両陛下より,お祝いについてはいつという期限のあることではなく,
お子様方によるお祝いは,皇太子妃殿下がお元気になられてからであれば
一層うれしいとのお気持ちを頂き,行わせていただきました。

その後時間も経過し,お子様方によるお祝いの催しについて,
皇后陛下は,今後このために,お子様方に改めて御負担をおかけしてもと,催しをご遠慮になっておられました。
しかし,皇太子同妃両殿下,秋篠宮同妃両殿下,黒田様御夫妻の御三家のお気持ちとしては,
来年に両陛下が,御即位二十周年及び御成婚五十周年という節目をお迎えになられる前に,
是非皇后陛下の古希のお祝いを催されたい希望がおありだったご様子です。
そして,この秋に皇后陛下と子供たちとのおふれあいを主題とする写真展を開催する方向で,
お子様方皆様のご意見がまとまり,目下関係者の間で検討が進められております。

今般のアエラの記事では,黒田清子様がおひとりでこの展覧会の準備を進められているように記されておりますが,
この企画は,あくまでも両陛下のお子様方が進められておられるものです。
黒田清子様は,兄宮様方と相談をなさりながら,
宮内庁にある古い写真アルバムなどを御覧になりに,折々においでになっています。

http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/taio/taio-h20-0512.html

天皇家のお食事

■昭和天皇のお食事 渡辺誠著・文春文庫

そうそう、サンドイッチのサイズで思い出したことがあります。
後に美智子皇后から、もう少しサイズを小さくしてほしいというご要望がありました。
お客様とお話をしているときに、口の中に食べ物を入れてお話をするわけにはいかないので、
うんと小さくすればさりげなく食べることができるということで、
それまでの九つ切りから十二切りにしました。
しかし、これにはかなりのテクニックを必要としました。切りづらいため、つい力が入り
パンの表面に指のあとがついたりしたら、作り直しということになります。
大膳のサンドイッチへのこだわりは、当然ことながら箱に詰めたときの美しさにもあります。
切り口を見せずに真平らになるよう、切り口が横を向くように詰め込みます。表面がデコボコになってはいけない。
切られていない一枚の白いパンがそこにあるように見せなければいけないといった具合です。
ということは、サンドイッチの中身によって厚さがそれぞれ違いますから、それを全部調整するわけです。
例えば、ジャムを他の具と同じ厚さに挟むと甘すぎることになるますから、パンの厚みで調整します。
そして、大高檀紙の紙箱に、隙間がないように、きれいに詰めます。
この箱から取り分けるのが主膳の役目ですが、新人がこのサンドイッチを初めて見たときは、
パンとパンの境目がわからないように、あまりにびっしりときれいに入っているので
「本当に切れているんでしょうか」と聞くのが定番の質問でした。
このサンドイッチで、昭和天皇をますます敬愛することになったエピソードがあります。
大膳にはいりたての若い頃の話です。先輩がサンドイッチを作り、
私はそのサンドイッチを持って初めて陛下のお供をして那須の山をほかの皆さんと歩きました。
主膳さんが侍従に「そろそろお時間でございます」と伝え、
侍従が陛下に「そろそろお時間でございます。いかがでございましょう」と申し上げると、
陛下は「じゃあお昼にしようか」というようなことをおっしゃいます。
そこで私たちはすぐにテーブルを出してセッティングします。旅先のことですから、ごくごく簡単なテーブルです。
そのときに、生まれて初めて陛下のもとにサンドイッチをお持ちしました。
本来は主膳さんがするべきことですが、主膳さんはテーブル・セッティングをしていて、
旅先ということもあり、「渡辺さん、あなた自分で持っていきなさい」と言われ、
そのときは私が主膳さんのかわりに、女官さんのもとへ運びました。
おそばで女官さんとのやりとりをうかがっていると、陛下は、「イチゴジャムを」とおっしゃいました。
「他にはいかがでしょうか」「イチゴジャム」とまたおっしゃる。
生まれて初めて陛下のおそばにいたので、私はブルブル震えるぐらい大変に緊張していましたが、
そういう雰囲気の中でも、陛下はジャムだけをとおっしゃるので、
陛下はイチゴジャムがよほどお気にいりなのだと思った記憶があります。
そうして、イチゴジャムのサンドイッチを三切れほど、陛下のお皿にお箸でお取りしたら、
「あとは、皆に」とおっしゃるのです。残ったものを皆で分けるようにというのではありません。
陛下はまだお食事の前です。私は聞き間違いかと思い、きょとんとしていたら、
女官さんから「皆さんに回してあげてください」と指示がありました。
サンドイッチの箱には結構な数が入っているとはいえ、随員が三十人ぐらいいるわけですから、
一切れずつ分けたら、陛下が召し上がる分がなくなってしまうわけです。
職員には弁当の用意があることは、陛下はよくご存じのはずです。
しかし、女官さんからの申しつけですから、私はそのサンドイッチを皆さんにお持ちし、
一切れずつお取りいただきました。そして、「皆さんにお取りいただきました」と女官さんに伝えました。
女官さんが陛下に「みんなの手元にいったようです」といった意味あいのことを
お伝えになったのではないでしょうか。「あ、そう」というお声が聞こえました。
「じゃあ、食べようね」とおっしゃって、
陛下がご自分の好きなイチゴジャムのサンドイッチをお口に入れられた瞬間に
「美味しいね」というお声が耳に入りました。
私が作ったわけではありませんが、自分に言われたことのようにうれしくなりました。
たぶんそのときは、私の記憶に間違いがなければ、皇后陛下のほうを向いておっしゃっておられたように思います。
私はそのとき、陛下が残りものをみんなで分けるという発想ではなく、
ご自分が召し上がるときに、ご自分のものを一口ずつでも分け与えて、
同じものを食べようという、まるで家族のようなお気持ちの温かさに心を打たれたのです。
これがきっかけで、昭和天皇のことをとても身近に感じると同時に、憧れが尊敬に変わり、
陛下にお仕えする臣下としての誇りをさらに強く持つようになりました。

■殿下の料理番 渡辺誠著 小学館文庫

現在の皇太子殿下がまだ小学生か中学生でいらしたころのこと。
学校でミカンがひとつずつ配られたことがあったのだそうです。
ところが、お直しのミカンしかご存知なかった殿下は、ミカンの皮の剥き方がわからず、
そのまま持ってお帰りになりました。
その話をお聞きになった美智子さまが、なにごとも皇室のやり方だけでなく、
世間一般ではどのようにされているかということも殿下には知っていただくようにしたい、
とご要望になったと伝えられています。

「フォアグラのおもてなし」
皇太子から侍従を通して「ロッシーニはできますか?」という問い合わせがありました。
ロッシーニはフィレ肉の上にフォアグラをのせたお料理。
ふだん高級食材を使う料理を指名なさることはないので珍しいと思いました。
殿下は、雅子さんは肉類がお好きらしいということをお知りになって「ロッシーニを」と望まれたのでしょう。
あとで知ったのだが、その日は雅子さんのお誕生日だったということです。
皇太子はずっとメニューのリクエストなどしたことなどなかった。
フォアグラは通常は缶詰のものを出していたけれど、外国から空輸された「フレッシュフォアグラ」を所望された。
中国料理のときは初め渡辺さんが提案したメニューにダメ出しして、もっと豪華なものに変更した。

やがて、私は妃殿下から「ミスター渡辺」と読んでいただくようになりました。
一般職員に「ミスター」の敬称は過ぎた呼び名なのですが、
お料理をお教えしたりするところから、敬意を表してくださったようでした。
私は、「ミスター渡辺を呼んでください」というお声がかかるのを、心待ちにするようになりました。

宮内庁が管理する宮殿の酒類貯蔵室に本格的なワインセラーが設けられたのは意外に最近で、
平成九(一九九七)年のことです。(中略)
宮殿の貯蔵室ほどではありませんが、東宮御所にも常時、銘醸ワインのストックがありました。
愛好家垂涎の高級ワインに囲まれているからといって、ふだんそれを召し上がることはありません。
それはあくまでも大切なお客さまのためのものでした。

紀宮様
食事会にラップで包んで蒸したムースをお出しした時、戻ってきた紀宮様のお皿に、
ナイフとフォークに隠すようにしてラップの切れ端が置かれていた。真っ青になってお詫びに行くと
「いいえ、私のところでよかったです。大丈夫ですから、気にしないで下さい」と微笑んで下さった。

昭和天皇
和食担当のお出ししたマナガツオの焼き物が生焼けで給仕の女官が気づき問題になりかけたが、
陛下は「マナガツオというのは、一年で一週間だけ生で食べられる時期がある。
においがなくて、そのまま刺身で食べる地域もあるという。今日のはそれだったんだね」とおっしゃった。
このお言葉のお陰で、担当者は注意だけで済まされた。


■天皇家の食事 
天皇家の食事 1日1800kcal、化学調味料使わず塩分10g以内
ともに78才というご高齢で、さらにご病気も抱え、体調も万全でないなか、ほとんど休みもなく
“国民のために”と激務を続けられている天皇皇后両陛下。
お体の健康を維持するため、日々、細心の注意を払われ、ケアしてこられたが、
日々、どのようなお食事を召し上がっているのだろうか。
「陛下は高校生の頃の体形をいまも維持されているんですよ。スーツなどの寸法はほとんど変わっていない。
それほど健康のために食事には気を使われているんです」
こう話すのは、陛下の学習院初等科時代からのご学友でジャーナリストの橋本明氏だ。
天皇家の食生活は、医食同源として食で健康を目指す“食養学”に基づいている。
両陛下の食事を実際に作るのは、宮内庁大膳課の職員。大膳課は5つの係に分かれ、
第1係は和食、第2係は洋食、第3係は和菓子、第4係はパンと洋菓子、
そして第5係が東宮御所担当となっており約50人が勤務している。
メニューは主厨長と副厨長が2週間分を考える。
基本的に朝は毎日、トーストやオートミールなど軽めの洋食で、昼食と夕食は和食と洋食が交互に出される。
昭和天皇時代に約5年にわたって宮内庁大膳課に勤め、現在は東京・江古田で
『ビストロ サンジャック』を開いている工藤極氏はこう語る。
「大膳課の職員は陛下のことを“聖上”とお呼びしていました。私が大膳課に入って、
まず言われたのが“聖上には糖分・脂分は控えるように”ということでした。
素材が本来持っている淡い味を引き出すような調理を心がけました。
それととにかく食材を使い切れということを口酸っぱく言われました」
侍医から“1日1800kcal”という指示があり、市販の化学調味料は一切使わず、塩分も1日10g以内だったという。
そして調理の基本とされたのが「一物全体食」という食材を余すことなく使い切るという考えだったという。
「それが栄養のバランスが偏らないようにする大膳課に伝わる伝統なんです。例えば、野菜の皮は、
後でスープの具にしたり、葉物なら後日漬け物にします。鶏肉も、胸肉、もも肉は主菜に使い、
手羽は後日、スープの具に。骨はスープのだしを取るのに使い、
ぼんじりは軽く揚げてつけ合わせにするといったようにです」(前出・工藤氏)
材料は厳選されたものを使うのだが、新鮮な肉、野菜、乳製品といった
食材のほとんどが栃木県高根沢町にある御料牧場で生産されている。
広さは約252ヘクタール(東京ドーム約54個分)と広大な敷地ながら、
“天皇家の台所”である場所だけに周囲の至るところには“関係者以外立ち入り禁止”の
看板が設置される徹底ぶり。それだけ安全・安心な食材を細心の注意を払って天皇家の食卓に届けている。
前出の工藤氏がもうひとつ叩き込まれた基本が「明治の料理の三大原則」だった。
「“焦がすな”“捨てるな”“腐らすな”と非常にシンプルなことでした。
つまり商品にならないものを作らない、余った食材は捨てる前に何か使えないか考えろ、
在庫を把握して常に鮮度を見ろというものでした」
そんな徹底した“食養学”の下、食卓に並ぶ料理。昭和天皇は絶大なる信頼を置き、召し上がっていたという。
「聖上はいつも腹八分目で終え、おかわりをされることは一度もありませんでした。
食事に対してリクエストや好き嫌いを言われることはなく、出されたものだけを召し上がり、
食後のお菓子以外は間食もしない。アルコールも一切口にされませんでした。
ちなみに好物はバナナのベーコン巻きや鰻茶漬けでしたよ」(前出・工藤氏)
※女性セブン2012年11月29日・12月6日号
http://getnews.jp/archives/274511


■バナナのベーコン巻?/園遊会
佳子さまも召し上がった? 「バナナのベーコン巻」秘話〜皇室の「食」知られざる真実
日経ウーマンオンライン(日経ウーマン) 9月15日(火)6時55分配信
東京の真ん中に位置する皇居。実は、手つかずの自然が残る、貴重な場所なんです。
――皇居と皇室にまつわる「知られざる真実」を、
数々の皇室番組を担当してきた放送作家のつげのり子さんに教えていただきました。

秘話その3 「バナナのベーコン巻」って? 皇室の方々が召し上がっている料理とは…
ドラマ「天皇の料理番」が人気を博し、昭和天皇の料理番だった谷部金次郎氏が出したレシピ本も
売れ行き好調とのこと。両陛下を始め、皇室の方々は、一体、どんな料理を召し上がっているのでしょう?
宮内庁大膳課という部署に所属する料理人が作ること以外は、普通の人と変わりない、家庭料理です。
贅沢な物を口にしているわけでもありません。
ただ、天皇の料理番が作るのは、手間暇を惜しまず、材料を徹底的に使いきり、
もうま味調味料などは使わない、元祖スローフード。
たとえば、前日にアマダイの蒸し焼きを出したら、翌日はアマダイの頭で出しをとった潮汁にする。
「一物全体食」といって、食材を全部使うことで、栄養バランスが偏らないようにする。――といった具合です。
そもそも、皇室の食材費は税金によるものなので、決められた予算の中でやりくりしているのです。
天皇皇后両陛下の朝食は、昭和天皇の時代から、特別なことがない限り、洋食。
明治以降、食生活が洋風化されたためもあるもかもしれません。
さて、昭和天皇がお好きだった、意外なメニューがあります。
それは、「バナナのベーコン巻ソテー」。
お気に入りで、肉料理のときに、これを添え、召し上がっていたといいます。
天皇家の食卓は、食物を大切にし、古き良き日本の食の真髄に貫かれているのです。

秘話その4 園遊会で出される「名物料理」とは?
その年に活躍した人たちを招いて、天皇皇后主催で催される、園遊会。春と秋に行われ、
およそ2000人の人が招待されます。招待されるのは、衆・参両院の議長、内閣総理大臣、国務大臣、
最高裁判所長官、都道府県の知事、産業・文化・芸術・社会事業などの分野で
功労のあった人とそれぞれの配偶者です。
さて、ここでは、どのようなおもてなしが行われているのでしょうか?
園遊会の名物といえば、ジンギスカン。これは、宗教上の理由から、
牛や豚を食べられない外国の招待客を配慮したもの。
使われる羊肉は、皇室専用の食材を育てる牧場「御料牧場」で育ったもので、いわば、園遊会の名物と言われています。
他にも、焼き鳥屋サンドウィッチなどがあり、テントの中で、料理人たちが作ってくれます。
http://wol.nikkeibp.co.jp/article/trend/20150831/212977/?ref=lg_pc


■秋篠宮家のカレー
佳子さまもお気に入り…元料理番が語る「秋篠宮家のカレー」
WEB女性自身 / 2015年7月11日 6時0分
「実は天皇ご一家、みなさんカレーライスがお好きです。
とりわけ、眞子さまや佳子さまが幼かったころの秋篠宮家では、毎週『火曜日がカレーの日』と決められていたほど」
こう語るのは、 99年から宮内庁管理部大膳課に所属し、秋篠宮ご一家の料理番も務めた宮田拓矢さん。
「紀子さまから最初にいただいたリクエストは、市販のカレールウを使わず、野菜を多く使うということでした。
おそらく、お子さま方に自然な味で、野菜をいっぱい食べてほしいというお気持ちがあったのだと思います。
具を小さく切ったり、辛くならないようフルーツを使ったりとの工夫も」
そんな試行錯誤の末に生まれた元気になるカレーのレシピを、特別に公開してくれた。
《秋篠宮家のある火曜日のチキンカレー》
【材料】(4人分)
〈肉と野菜〉鶏もも肉 1枚、熟したトマト 4個、マッシュルーム 4個、
じゃがいも 1個、にんにく 1かけ、しょうが 1かけ、玉ねぎ 1個、にんじん 1本、
ブロッコリー 1/4株、チキンブイヨン 500cc、塩・こしょう 各適宜
〈スパイス類〉カレー粉 大さじ2、パプリカパウダー 大さじ1、ターメリックパウダー 大さじ1/2、
ガラムマサラ 大さじ1/2、クミンパウダー 大さじ1/2、ローリエ 1枚、パセリの軸 1本
〈隠し味としてプラス〉熟したバナナ 2本、りんご 2個、ハチミツ 大さじ2、
プレーンヨーグルト 大さじ2、チーズ 大さじ4、しょうゆ 大さじ1/2、ウスターソース 大さじ1/2
〈付け合わせ〉パイナップル、レーズン、らっきょう、福神漬け

【作り方】
〈1〉トマトは湯むきし、横半分に切って種を取り出しておく。
〈2〉鶏もも肉は一口大に切り、塩とこしょうをふって、フライパンで軽くソテーする。
〈3〉マッシュルームを半割りにし、フライパンで軽くソテーする。
〈4〉乱切りにしたじゃがいもをゆでる
〈5〉深めの鍋にサラダ油(分量外)を適量入れて、
にんにくとしょうがをキツネ色になるまで弱火で炒めて、香りを出す。
〈6〉鍋にくし切りした玉ねぎ、乱切りしたにんじんを入れたら、塩をひとつまみふって軽く炒める。
〈7〉チキンブイヨンと〈1〉のトマト、スパイス類をすべて入れ1時間ほど煮込む。
〈8〉鍋に〈2〉〈3〉〈4〉の鶏もも肉、マッシュルーム、じゃがいもを投入。
そこに熟したバナナをミキサーにかけたもの、りんごをすりおろしたもの、
ハチミツ、プレーンヨーグルト、チーズを入れて、しょうゆとウスターソースで味を調える。
〈9〉可能であれば数日間冷蔵庫でねかせてから、食べる直前にゆでたブロッコリーを入れて温めなおせば完成!
 
「注意してほしいのはじゃがいもの煮崩れ。
竹串が通るくらいに火を通しておいたものを、最後に入れてください。
付け合せにもこだわりました。味に変化がつくようにとパイナップルとレーズンを。
最初にこのカレーをご一家にお出しして、何も残っていない白い皿が戻ってきたときは本当にうれしかった。
ホッと胸をなで下ろしました(笑)」(宮田さん)
http://news.infoseek.co.jp/article/joseijishin_d12513/




大公開!これが「天皇の料理番」の実像だ
両陛下とお寿司

資料

天皇系図(宮内庁PDF)
http://www.kunaicho.go.jp/about/kosei/img/keizu-j.pdf

系図
http://keizusoko.yukihotaru.com/keizu/keizu_tenno0.html(外部サイト)

歴代天皇
rekidai.htm

皇位継承論Q&A(外部サイト)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ytgw-o/FAQ.htm

歴代天皇一覧
rekidai.gif

歴代天皇陵(宮内庁HP)


国旗(日章旗)

kokki.jpg

縦が横の3分の2の長方形
日章の直径は縦の5分の3で中心は旗の中心
地は白色 
日章は紅色


国歌(君が代)
君が代は 千代に八千代に
さざれ石の 巖となりて
苔のむすまで


国旗及び国歌に関する法律
 平成11年8月13日 法律第127号
(国旗)
第一条 国旗は日章旗とする
(国歌)
第二条 国歌は君が代とする

皇室典範

国民の祝日に関する法律
 昭和23年7月20日 法律第178号
第一条(意義)
自由と平和を求めて止まない日本国民は、美しい風習を育てつつ、
より良き社会より豊かな生活を築き上げるために、
ここに国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日を定め、
これを「国民の祝日」と名づける。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

祭日
皇室祭祀令により定められた大祭日及び小祭日。
大祭日の大半は祝日とともに国家の休日として法制化されたことから、
祭日と祝日を合わせて祝祭日と称することも多い。
1947年(昭和22年)5月2日に廃止されたため、現在日本で法定の「祭日」は存在しない。

大祭日
天皇自ら親祭する日

期日の定まっているもの
元始祭(1月3日)
紀元節祭(2月11日)
神武天皇祭(4月3日)
神嘗祭(10月17日)
新嘗祭(11月23日-11月24日)

期日の定めの無いもの(年によって変わる)
春季皇霊祭・春季神殿祭 (春分の日)
秋季皇霊祭・秋季神殿祭 (秋分の日)

先帝祭 先帝の崩御日
明治 孝明天皇祭(1月30日)
大正 明治天皇祭(7月30日)
昭和 大正天皇祭(12月25日)
先帝以前3代の式年祭
先后の式年祭
皇妣たる皇后の式年祭

小祭日
天皇自らが礼拝し、掌典長が祭典を行う日
期日の定まっているもの
歳旦祭(1月1日)
祈年祭(2月17日)

期日の定まっていないもの
賢所御神楽(12月中旬)
天長節祭 今上天皇の誕生日
明治 (11月3日)
大正 (8月31日)
昭和 (4月29日)

先帝以前3代の例祭
明治時代 後桃園天皇祭(12月6日)、光格天皇祭(12月12日)、仁孝天皇祭(2月21日)
大正時代 光格天皇祭(12月12日)、仁孝天皇祭(2月21日)、孝明天皇祭(1月31日)
昭和時代 仁孝天皇祭(2月21日)、孝明天皇祭(1月31日)、明治天皇祭(7月30日)

先后の例祭
皇妣たる皇后の例祭 明治期 英照皇太后祭(1月11日)
大正4年〜大正15年 昭憲皇太后祭(4月9日)

綏靖天皇以下先帝以前4代に至る歴代天皇の式年祭


皇紀 
西暦+660年
明治 西暦−1867年 (元年1868)
大正 西暦−1911年 (元年1912)
昭和 西暦−1925年 (元年1926)
平成 西暦−1988年 (元年1989)



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

国家「君が代」ができたのは1880年
その旋律を作るのは、レ・ミ・ソ・ラ・シという五つの音
西洋の七音音階に対して日本は五音音階という規範を弁えている
五音音階にもいろいろあるが、レ・ミ・ソ・ラ・シは、雅楽の「律」と呼ばれる音階にあてはまる
ゆえにこそ「君が代」は荘重で雅楽風なのだ。(音楽評論家・片山杜秀)

国歌『君が代』には、
「平和を愛し、天皇陛下を国家の象徴として仰ぐ日本の国は、礫岩のように細石がより集まって
やがて大きな岩となり、さらにはその表面に、美しい苔が一面に生え揃うまでの未来永劫にわたり、
ご皇室をはじめとする全ての国民が幸福となり、繁栄しますように…」
との願いがこめられております。
(建国記念の日を祝う会パンフレットより)

日本国国歌 君が代 YouTube
国家君が代について(亀山神社ホームページ)
「君が代」は世界一の秀歌
世界一長く続いている国【日本】
日向のお伊勢さま 大御神社

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愛子さまと電車

産経皇室ウィークリー(185)(一部)
2011.6.25 07:00
宮内庁の野村一成東宮大夫の会見では、前回の皇室ウイークリーでも紹介した、
愛子さまの電車のご乗車に関する言及があった。記者側の質問に答えたもので、
小学校入学以降は、こうした形で普通電車に乗られるのが初めてだったことを明らかにした。
また、愛子さまの希望で電車に乗られることになったことを示唆した。
雅子さまと愛子さまは、学習院大学(東京都豊島区)で14日、
学習院初等科(東京都新宿区)の児童らを対象にした「芸術鑑賞会」をご覧になった後、
JR目白駅からご乗車。代々木駅で乗り換え、東宮御所に近い信濃町で降りられた。
このルートは、愛子さまが目白にある学習院幼稚園に通っていたころにもたびたび利用されており、
宮内庁が報道各社に対して取材を許可したこともあった。小学4年生の愛子さまは今回、
当時と同じく乗車カード(電子マネー)の「スイカ」を使われたという。
スイカは電子マネーとして一般商店などでも使えるが、
電車に乗るために使われたのは、おそらく約4年ぶりだったのではないだろうか。
このスイカが、幼稚園のころ使われていたものと同じかどうかは「分かりません」(野村東宮大夫)という。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110625/imp11062507010001-n1.htm

(2011年7月)
皇太子さま、愛子さまと地下鉄に 
皇太子さまが愛子さまに付き添われ、お二人で地下鉄に乗車されました。
皇太子さまが一般の乗客に混ざって地下鉄を利用されるのは非常に珍しいことです。
護衛の警察官らに囲まれ、ホームから電車に乗り込む皇太子さまと制服姿の愛子さまの姿。
11日、お二人はおよそ10分間、東京都内で地下鉄に乗車されました。
皇太子さまは、都内で英語セミナーに出席した愛子さまに付き添い、一緒に帰宅されましたが、
お二人で地下鉄を利用するのは非常に珍しいことで、乗り合わせた乗客たちも驚いた表情でした。
このあと、皇太子御一家は新幹線で那須塩原に出かけられ、これからおよそ3週間、
那須御用邸で夏休みの静養に入られます。(11日16:54)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4798787.html


週刊新潮2012年4月26日号
「愛子さま」山手線ご乗車を護ったSP軍団
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女性セブン2012年5月3日号
愛子さま 人生初めての「おひとり電車」にホームでウキウキ
4月15日、東京・目白の学習院キャンパスで『オール学習院の集い』が開催され、
皇太子ご夫妻の長女・愛子さま(10才)は、合同演奏会に出演し、チェロを演奏された。
演奏会終了後は、お友達とキャンパス内で行われたスタンプラリーに参加するなど、
イベントを楽しまれていた愛子さま。楽しかった一日も終わり、いよいよ家路に。
いつものように迎えのお車に乗って帰られるのかと思いきや…、
この日、愛子さまはお友達と一緒に電車に乗られた。
これまで愛子さまは、何度か雅子さまと電車に乗られたことはあったが、
それ以外での乗車は初めてのこと。JR目白駅から山手線の最後尾の車両に乗り込まれた愛子さま。
「車内は夕方ということもあって混雑していましたが、まさか愛子さまが乗車されているとは思いませんから、
ほとんどの乗客は気がつかず、大きな騒ぎにはなりませんでした」(居合わせた乗客)
新宿駅で何人かのお友達が下車したが、愛子さまは次の代々木駅まで乗車。
ここで降りられたのだが、ここからはついにおひとりになられた愛子さま。
もちろん護衛はいたが、その人たちの力を借りることなく、総武線への乗り換えもおひとりでされた。
「代々木駅で山手線を降りられると、まだ電車に乗っていたお友達を手を振って見送られていました。
そして、総武線のホームで電車を待たれている愛子さまは、どことなくウキウキしたご様子でした。
東宮御所の最寄り駅である信濃町駅で降りられたのですが、
愛子さまはずっと立っていらっしゃいましたよ」(別の乗客)


愛子さま JR目白駅で友達の改札機トラブルを機転きかせ解決
2012.06.10 16:00
学習院大学の最寄り駅であるJR目白駅。6月1日の正午過ぎ、慣れた手つきでSuicaをピッとタッチされ、
愛子さま(10才)が改札を通られていく。 そこには雅子さまのお姿はなく、仲良しのお友達3人と一緒だった。
お友達のひとりが改札を通過しようとすると、どうしたわけかゲートが開かず閉じたままだった。
このハプニングに、愛子さまは小走りで駅の事務所に向かわれ、落ち着いた様子で駅員に事情を説明されていた。
愛子さまの迅速な行動により、数分でトラブルは解決。
その後、愛子さまは山手線に乗ると、扉付近に立って、お友達と談笑されていた。
駅で人が乗り降りする際には、邪魔にならないように端によけられるなど、
電車での移動もすっかり慣れたご様子だった。 そして、目白駅から4つ目の代々木駅で下車された愛子さまは、
電車のドアが閉まるまでホームに立たれ、手を振りながらお友達を見送られた。
この日は、学習院創立百周年記念会館で「芸術鑑賞会」が行われ、
愛子さまはクラスメートと落語や曲芸を楽しまれたのだが、冒頭のシーンは、その帰路のことだった。
宮内庁関係者を次のように話す。昨年の『芸術鑑賞会』での愛子さまは元気がなく、
雅子さまが付き添われましたが、今年はおひとりで元気に参加されていました。
しかも、駅で起こったトラブルに自ら対処なさったと聞いて、
“ひと回り大きく成長された”という思いを強くいたしました」
5年生に進級されてから、電車を利用される機会が増えている愛子さま。
この前日にも、新宿区にある学習院女子大学まで電車で行かれ、英会話セミナーを受講されている。
※女性セブン2012年6月14日号
http://www.news-postseven.com/archives/20120610_115761.html

昭和時代(戦後)における昭和天皇・香淳皇后の御活動状況について

昭和時代における香淳皇后の御活動について(平成21年12月4日)
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/taio/taio-h21-1204.html

昭和時代(戦後)における昭和天皇・香淳皇后の御活動状況について(平成25年4月3日)
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/taio/taio-h25-0403.html


昭和時代(戦後)における昭和天皇・香淳皇后の御活動状況について
平成28年9月23日
平成28年8月27日付け毎日新聞朝刊の「危機の20年」と題する記事の中で,
原武史氏は「平成になると,宮中祭祀に天皇と皇后がそろって出席するようになったばかりか,
行幸も皇后が同伴する行幸啓となり,」と述べています。
昭和時代(戦後)における昭和天皇・香淳皇后の御活動状況については,
これまでも宮内庁ホームページで事実関係を説明してきたところでありますが,
こうした事実と異なる認識が依然として見られることから,改めてこの点についての事実関係を説明します。
香淳皇后は,ご晩年の20年近くは,ご高齢とご健康上の理由により,
行事への御臨席が困難となられましたが,昭和52年に腰を痛められるまでの戦後約30年間の長きにわたり,
昭和天皇と共に多くの宮中祭祀にお出ましになり,また,行幸啓を共になさっています。
宮中祭祀について見ますと,昭和21年から51年までの恒例の祭祀で,
かつ,天皇皇后両陛下のお出ましが予定された364件のうち,
昭和天皇とお揃いでのお出ましは213件(58.5%)を占めています。
ちなみに,昭和30年以降で見ますと66.7%となります。
また,地方ご訪問について見ますと,昭和21年に開催された国体には,
昭和22年の第2回石川県大会には昭和天皇が御巡幸を兼ねてお一方で御臨席になりましたが,
昭和24年に東京都で開催された第4回国体以降は,
昭和51年まで毎年,昭和天皇は香淳皇后とご一緒に御臨席になっています。
また,植樹祭には,十勝沖地震のため御臨席を取りやめた昭和43年の第19回を除き,
昭和25年の第1回から御不例となった昭和52年まで毎年春,昭和天皇とご一緒に御臨席になりました。
なお,昭和21年から昭和29年までにわたる戦災復興状況御視察のための御巡幸は,
当時,香淳皇后をお迎えできるような宿泊施設等が整っていなかったこともあり,
昭和天皇がほぼすべてをお一方でなさっていますが,
最終回の北海道御巡幸には第9回国体が北海道で開催されたことから,
国体御臨席を兼ねて昭和天皇と香淳皇后のお二方でお出ましになりました。
こうした戦後間もない御巡幸は別としても,昭和21年から51年までの地方へのお出まし78件のうち,
昭和天皇とお揃いでのお出ましは73件(93.6%)を占めています。

このように,宮中祭祀や地方ご訪問については,戦後から既に天皇と皇后がお揃いでなさっておられ,
御成婚後の今上両陛下は,これをそのままに受け継がれ,昭和,平成とお続けになっておられるものであり,
平成になってから,宮中祭祀や地方ご訪問を両陛下でなさるように変わったという事実は全くありません。
以上のことについては,過去にも宮内庁ホームページで事実関係を詳しく説明し,
繰り返し注意を喚起してきたところ(「昭和時代における香淳皇后の御活動について(平成21年12月4日)」
及び「昭和時代(戦後)における昭和天皇・香淳皇后の御活動状況について(平成25年4月3日)」)でありますが,
未だにこうした基本的な事実を確認せずに皇室について議論がなされることは遺憾であり,
第三者の対談ではありますが,この点の事実関係の誤認については毎日新聞社にも伝えました。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/taio/taio-h28-0926.html

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御公務の一部を皇太子殿下に代わっていただくというものではありません


宮内庁HPより
テレビ朝日の番組「ニュース・スクランブル」において,
平成21年4月20日に放送されました皇太子妃殿下1年3ヶ月ぶりの地方公務と題する番組中,
元テレビ朝日皇室担当の神田秀一氏の発言に,
第1点は「公務については天皇陛下から皇太子殿下に宿題が出ている」旨,
また,第2点は「2009年1月から天皇陛下の公務軽減という措置を宮内庁が打ち出していて、
これに関連して天皇陛下の公務の一部を皇太子ご夫妻ができるだけ代われるものは
代わりましょうと」といった旨の発言とテロップによる放送がありましたが,
第1点及び第2点ともそのような事実はありません。
第1点については,かつて皇太子殿下がお誕生日に際しての記者会見時の質問に対して,
新しい御公務についてお答えになったことを受けて,天皇皇后両陛下が宮内庁に対して,
皇太子同妃両殿下の御意向をよく伺って御相談にのるようにとの経緯があったものであり,
天皇陛下から皇太子殿下に宿題が出ているということではありません。
第2点については,2009年1月29日,今後の御公務及び宮中祭祀の進め方についてとして
宮内庁から発表した内容は,天皇皇后両陛下の御公務の調整・見直しに当たっては,
御公務の重要性と一心にお務めになってこられた両陛下の御公務に対する御姿勢に鑑み,
御公務そのものを削減するのではなく,それぞれの御公務の内容・方法等について,
両陛下の御負担を少しでも軽減するという観点から,きめ細かく調整・見直しを図ることとしたものであり,
天皇陛下の御公務の一部を皇太子殿下に代わっていただくというものではありません。
宮内庁としては,本件につき訂正等しかるべき対応を求めるとともに,
今後,事実の確認と客観的事実に基づいた番組の放送をお願いしたい旨,テレビ朝日にお伝えしました。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/taio/taio-h21-0603.html

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花田氏×西尾氏

花田紀凱 ザ・インタビュー
BSデジタル11ch 2008年10月5日


ネット上ではいろいろと徹底した映像が流れている。
それはここで口にするのも憚られるようなシーンや場面が・・・
これは憶測などではなく実際の映像なのでごまかしようがない。
そんな時代に「そっとしといてね」なんて・・
そっとしといて!そっとしといて!って言っている人たちはバカとしか言いようがないですね。

竹田、松原などの反論は3流以下
あまりにくだらなすぎて普通の知性を持った人なら相手にしない。
鈴木邦男(新右翼団体・一水会顧問)は「もっと二人に自由を与えろ」と言っているが?

皇室反対派は今、声高に反対を叫ばなくとも、
皇室制度が二人を苦しめているせいで病気になった、
皇室制度そのものが皇族の人権を侵害していると言っていれば世の中に通用すると思っている。
そういう空気がある。
そんな所に皇太子の「人格否定発言」
まるで左翼の政治スローガンめいた内容で皇太子自身の言葉ではなく
雅子妃に植え付けられた発言だと思っている。
自ら政治的な発言なんて皇太子も足りない?
そんなに自由が欲しいなら皇族やめれは?でも居座るんだったら皇室廃止しかないね。

皇室の環境で病気になった人を救うのなら離婚か天皇制度廃止かそれしかない。
そんなに自由が欲しいんなら適応できない環境から出て自由になるか、皇室をなくすしか方法はない。
それなのになんでみんなもっと自由に!なんて言うの?

医師について
一人の医師しかいない。しかも一切の説明がない。
病気が治らないんだったら、医師の変更、複数化は常識。なのにその常識が通用しない。
一人の医師の私的な情報を宮内庁が守って5年が過ぎた。
香山リカ、斉藤環については実際に診断もせず発言する精神科医の意見は影響力が強く
宮内庁発表のように聞こえる。
まるで見てきたような嘘を平気で。
おかしな医師がおかしな妃の診断を勝手にくだしてどうする。
斉藤の海外に5年か10年行けば治る説
…ナニをふざけたことを言ってんだ!一般人が海外旅行するのとは違う。


西尾:祭司は15年から一切してない、公務は頻繁に休む。
花田:翌日にレストランに行ったりしているから余計に顰蹙をかうわけですよね。
西尾:いや、当日にも私的外出。前日、当日、翌日の一覧表がある。出さなかったけど。

アシスタント:やっぱり御病気だからいたわらなきゃって言う感覚があって、
そっとしておいてあげた方が・・・

西尾:いや、御本人がそっとしてないんですよ。
花田:ハッハッハッハ・・(爆笑)なるほど。

皇族の人権について
皇族に一般に言われる「人権」はない。
天皇(皇族)には姓がない、住所がない、戸籍がない、国民健康保険がない
「天皇(皇族)」は「国民」ではないので自由の制限は当然。
日常がすべてパブリックでありプライベートはないので
いかなる時の立ち振る舞い、発言は公的な意味がある。
「人権」という言葉は抑圧されている側が求める概念の革命用語で
天皇、皇太子が抑圧されているというのはありえない、あってはならないこと。
もしその認識があるならそれは資格を失っているということ。

「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りします発言」
お守りするって何から守るの?
櫻井よしこさんは「皇太子は国民を守る立場であり雅子を守る立場ではない」と。その通り。
国民から守るの?家族から守るの?宮中祭司から守るの?
皇太子は帝王教育が不十分だった。
昭和天皇が10とすると今上天皇が5、皇太子は1以下。(皇室関係者談)
そんな発言自体がもう資格を失った発言で自分の位置がわかっていない。
「人権」「人格」「守る」などの言葉は一般人用語
「一生大切にします」ならよかったのに。

(悠仁親王殿下は)2歳のお誕生日を迎えたのだから帝王教育を。
日本の未来がかかってるんだから。

皇太子に「自由」「時代に即した新しい公務」「祭司の廃止」など
更に開かれた皇室っぽい印象があるがこれは皇室不要論。
そんなことしたら一般人と区別がつかなくなり「象徴」という意味がなくなってしまう。
特に女性週刊誌の中の人に言いたいが、雅子さんおかわいそ〜論はそろそろやめなさい!
天皇制度不要論の人たちに利用される。政治的な罠にはまっているのに気づいていない。


私が雅子妃殿下に対する不満を申し上げますと、
日本の皇室が代表する「つつましさ」「清らかさ」「控えめ」
そしてそういうものの美徳と背反しているのではないかと。

つつましく生きるとか清浄に生きるとかは日本人のモラル。
天皇皇后両陛下はつつましく質素で日本の美徳を体現なさっている。


花田:そういうことって言うのは新しく皇室に入ったら誰かから学ぶとか教わるとか
何となく周りの雰囲気を見て学ぶとか、そういうことはないんですかね?
ちょっとその、自分だけが派手な格好してはいけないとか普通だったら考えますよね。

西尾:だからそれは、、はい、僕はもうそっから先は危ないから言いませんけどハハハ。
もうこれはここが核心なんですよ。
これ私の意見じゃないですよ。ただテーミスという雑誌紹介しただけですから(笑)
もう編集長がおっしゃった通りでもうこっから先は聴視者の皆さん考えてください。

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皇室関連報道について


【社会部発】週刊新潮の皇室記事 一方的報道は不公正 1996年06月16日東京朝刊社会面
週刊新潮(六月二十日号)が掲載した「天皇陛下突如御静養の背景に秋篠宮殿下」の記事で、
宮内庁は訂正を求めて抗議を行った。
新潮側は「記事には自信があるが、再調査して返事をする」と回答を留保したが、
皇族が立場上、発言・反論されないのを承知の上での報道に“不公正”のにおいがする。
問題の記事は、天皇陛下が前庭神経炎で静養されたのは心痛によるところが大きく、
背景には秋篠宮さまの行状がある、といった内容。
「宮内庁関係者」の話として、秋篠宮妃紀子さまの父、川嶋辰彦・学習院大教授が四月二十一日、御所を訪れ、
陛下に秋篠宮さまの女性問題に関して苦言を呈したとし、「これでは陛下のご心痛も増すばかり」
「皇位継承順位第二位の重みをどう受けとめておられるのか」などと批判する。
だが、記者が取材した範囲では、川嶋教授が同日、御所を訪ねたことはなく、記事の命である事実そのものが成り立たない。 
(後略)
(詳細 過激な週刊誌報道と権力と権威について


秋篠宮さまバッシングに伴い、陛下に苦情を言ったとされる新潮記事に対する川嶋教授の「反論文」
週刊文春1996年8月15・22日号
この報道に驚いた川嶋教授は、六月二十日、宮内庁の鎌倉節長官宛に、
事実関係にかかわる次の三点について書簡を出している。
1 本年四月二十一日には、御所に上がらせて戴いてはおりません。
午後三時頃は、帝国ホテルで催された知人の結婚披露宴に出席致しておりました。
また、本年は御所に上がっておりません。
2 (『週刊新潮』)6月20日号及び6月27日号の記事の中で、
陛下に対して私が宮様の女性問題で苦言を呈した旨、記されておりました。
しかし、これまでそのようなお話を申し上げた事は一度もございませんし
、些かもそのような気持ちを抱いた事もございません。
3 数は限られているかも知れませんが、過去に私共に関して事実と食い違う報道がなされたことがございました。
そのような時私共は、原則として取り上げられた事項に関し
そのままにしておくと言うプリンシプルを大切にして参りました。
何故ならば一つの事柄を否定致しますと、
気がつかないでいる他の事柄を肯定していると受け取られる可能性がございますし、
その逆の場合も考えられるからでございます。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

天皇ご一家 皇室報道を批判 (産経97.2.23)
型にはまったイメージでみられがちで、ある特定の部分が強調される−。
皇太子さまは記者会見で、自らマスコミの皇室報道に言及し、こう述べられた。
昨年十一月、週刊誌の記事に反論した秋篠宮さまをはじめ雅子さま、天皇陛下、そして今回の皇太子さまと、
天皇ご一家はそれぞれの言葉で国内外の皇室報道の在り方を批判されている。

秋篠宮さま(平成八年十一月三十日付) 
「(週刊新潮が報じた女性問題について)火のないところに煙が立った。
非常に想像力の豊かな人がそういう記事を書いたんだとは思いますけれど、
完全に事実と異なる報道がなされたことに、不満を持っています」

雅子さま(十二月九日付)
 「(ニューズウィークなどの報道について)皇室なり、宮内庁なり私に対して一定の先入観を持って、
あるいは事実に基づかない憶測というものを中心として議論を進めているもの、
そしてまたさらに、その上にとてもセンセーショナルな見出しが付けられたりしていることがよくございます」

天皇陛下(十二月二十三日付)
 「(週刊新潮が、川嶋辰彦・学習院大教授が陛下に苦言を呈したと報じた問題で記事を否定して)
間違っているということがほとんど確実であっても、
絶対にそれが間違いであるということを証明することは、非常に難しいわけなんです。
そして、その文献がずっと後でも引用されて、非常に奇妙な分布というものが示される」

また、誕生日(十月二十日)に際し宮内記者会の質問に、文書で答えられた皇后さまは、
「常に国民の関心の対象となっているというよりも、国の大切な折々にこの国に皇室があってよかったと、
国民が心から安堵(あんど)し喜ぶことのできる皇室でありたい」と述べ、
間接的ながら過剰な皇室報道を戒められている。

http://www01.sankei.co.jp/databox/paper/9702/html/0223side11.html

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

皇室報道暴走 読売新聞2005年9月23日
宮内庁が頭を悩ませているのは皇太子の人格否定会見以降毎週女性週刊誌の載っている皇室記事。
各週刊誌の手法は毎度同じでまず匿名の「元宮内庁職員」「皇室記者」らが、皇族方の動静など事実関係を語る。
それを前提に「政府高官夫人」といった匿名の人物や皇室ジャーナリストが皇族方の動静について
(雅子さまと皇后さまの間に微妙な距離が生じているのではないか。)と推論。
芸能人などなら名誉毀損で訴訟に発展することもあるほどのレベル。
陛下が沈黙を守るとおっしゃったため いままで宮内庁は抗議してこなかった。
陛下が記者会見などで憶測報道に対して「こころの沈む日もありました。」と
皇族方が心情を傷つけられていることを吐露なさったこともあった。
しかし、報道はますます過熱。 秋篠宮さまを貶める記事三連発でついに宮内庁も出方をかえた。
「週刊誌の誹謗中傷に陛下と皇族方がさらされ傷つけられているが
お立場上反論することもなく黙々と公務に励まれている。」


(宮内庁の抗議)
宮内庁:「女性自身」の皇室記事に抗議、訂正求める  2005年9月9日
宮内庁は週刊誌「女性自身」(光文社発行)の今月6日号と20日号の皇室に関する記事に誤りがあるとして
9日、同社に抗議し、記事の訂正を求めた。
6日号は「雅子さま那須『ご静養』中に秋篠宮家 両陛下を招いて『食事会』の波紋」の見出しで、
「これでは皇太子さまご夫妻ハズシと受け取られかねませんね」とのジャーナリストの談話を引用して報じた。
これに対し同庁は「食事会は皇室の集まりでなく、秋篠宮さまがタイ旅行前に旧知の人たちと行ったもので
事実が異なる」と指摘した。
20日号は「秘められた秋篠宮ご一家 那須御用邸入りの『なぜ』」の見出しで
「秋篠宮ご一家が那須御用邸に向かわれるということは報道陣にまったく知らされていなかった」と報じたが、
同庁は「事前に宮内記者会に伝えた」と指摘した。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

週刊誌の皇室報道「目に余る」 宮内庁長官
朝日新聞 2006年2月23日
宮内庁の羽毛田信吾長官は23日の定例記者会見で、
秋篠宮妃紀子さまご懐妊が明らかになってからの週刊誌報道について、
誤った事実や憶測が含まれたものが多いとして、「目に余る。誠に遺憾」と述べた。
紀子さまにとっては今、静かな環境が極めて大切で、
「心ない記事でご負担をおかけすることがあってはならない」と語った。
そのうえで、「(秋篠宮)妃殿下が他の方のご意向のままに懐妊されたかのような失礼な記事」
「(雅子さまと紀子さまの)立場や歩みの違いを無遠慮に比較した記事」 などを挙げ、「心が痛む」とした。
さらに、憶測に基づき(天皇ご一家の中に)わだかまりがあるとを印象づけようとする記事があると指摘して、
「良識の中でお書きいただきたい」と求めた。


読売新聞
紀子さまの懐妊の背景には天皇陛下の意向があったなどとする記事を例に挙げて、
「他の方のご意向のままに懐妊なさったかのような失礼な記事」と指摘。
また、 天皇、皇后両陛下が秋篠宮ご夫妻と頻繁に会われ、皇太子ご夫妻が孤立しているという記事については
「憶測に基づいた意義付けで、ご一家の中にお気持ちの行き違いやわだかまりがあると
印象づけようとしている」と述べた。
宮内庁は今後、雑誌に対し「節度ある報道」を文書で求める方針。
(読売新聞) - 2月23日21時40分更新

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

皇室報道に絶えぬ憶測…公私巡り関係者の苦悩深く
2011.11.7 15:15
肺炎による発熱とせきの症状で入院した皇太子ご夫妻の長女愛子さま(9)=学習院初等科4年。
5日、東宮御所に戻り、ご一家のお世話をする宮内庁東宮職は「治療経過は順調」と明らかにしたものの、
通学への不安を訴えた昨年春以降「静かな環境で見守ってほしい」と、
その心情や日常生活の状況をほとんど説明していない。(SANKEI EXPRESS)
一方、週刊誌には長期療養が続く雅子さまのことも併せ、時に臆測も交えた記事が毎週のように載る。
公人としての立場と、私人としてのありようを過不足なく国民に理解してもらうには−。関係者の苦悩は深い。
東宮職トップで、ご一家のスポークスマン的役割も担う小町恭士東宮大夫は週1回、宮内庁で記者会見する。
登下校は1人か、付き添いは、欠席は、体調は。記者からは次々愛子さまに関する質問が出る。
時に「それはどういう思いからなのか」と心の内面を尋ねる問いもある。
小町氏は「10歳にも満たないお子さまの問題。長い目で見守る必要がある」と、
詳しい返答を避けるのが基本姿勢。
登下校時や校外での活動時は、一切の撮影や取材をしないよう一貫して記者側に要請してきた。
皇太子さまは将来、象徴天皇の地位を継ぐ立場にあり、ご一家の動向は公私を問わず国民の大きな関心事だ。
しかし、「きちんと説明するべきだ」とする記者側とのやりとりは、堂々巡りになることが多い。
9月中旬、愛子さまを含む4年生約120人が山梨県山中湖村へ2泊3日で出掛ける校外学習があった。
事前の会見で小町氏は「雅子さまが付き添う可能性がある」と言及した。
事実を知らせた上で、現地での取材自粛を求める狙いだったとみられる。
「なぜ子どもたちだけの集団校外活動に付き添うのか」。
記者の関心は一点に集中したが明確な回答はなかった。
小町氏が「愛子さまの希望だった」と明かしたのは校外学習から戻って2週間ほど後。
山梨まで同行することは雅子さまの主治医も同意していたが、こうした背景は十分に説明されなかった。
この間、週刊誌は現地での雅子さまの様子を写真付きで詳細に報じた。
匿名の学校関係者の話を引用する形で、校外学習への同行そのものを批判する記事もあった。
周辺によると、記事を目にした雅子さまは落ち込んだ様子だったという。
一家に近い関係者は「プライベートをあまり明らかにしたくない気持ちがご夫妻にあるのだろうが、
今のままではあまりに悪循環。
国民に理解を求めるなら説明することも大切で、時には東宮大夫が
ご夫妻にもっと踏み込んだ助言をしてもいいのではないか」とみる。
NPO法人「広報駆け込み寺」の三隅説夫代表は
「企業の場合は、トップと広報担当者が事前に十分な意思疎通を図った上で記者会見に臨むことが、
株主や顧客に狙いや思いを正しく伝えることにつながる。皇室では言えないことも多いのだろうが、
ご一家と東宮大夫がしっかり話し合って言えることを整理すれば、
暮らしぶりや思いを分かりやすく国民に伝えることができるのではないか」と話している。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111107/imp11110715190002-n1.htm

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

・テーミス2010年11月号
深層摘出/大正天皇のときと同じか?!宮内庁が操作する「雅子さま&愛子さま」報道
3月5日、野村東宮大夫はいわゆる「不登校会見」を開き、大騒動となったが、
東宮職トップが愛子さまの通う学校内のトラブルについて記者会見をするのは異例で、
さすがに天皇皇后両陛下も唖然とされた。
その2時間後、東園理事が学習院で記者会見を開き、反論。
その後、波多野学習院長も週刊誌のインタビューに答えて反論した。
そうした状況で臨んだ運動会に関係者は解決の糸口を期待したが、
今も同伴登下校は続いており、いつ問題が終息するのか皆目見当がつかない。
「私たちがやらなければならないのはお子さまの教育についてであって、お母さまに関しては何も出来ない。
心配は分かるが、いつでも一緒であることが子どもを育む視点から見たとき、本当にいいのかどうか。
参観は許可しているので、お母さまに『やめて下さい』とはいえない。雅子さまがそのあたりの事情を受け止められ、
『愛子はもう大丈夫ですから』とおっしゃってくださったら万々歳なのですが」(東園理事)
なぜこうも皇太子ご一家の話題ばかりマスコミに登場するのか。
皇室報道を検証していくと、「ある筋からの力」が見えてくる。
04年の「人格否定会見」後、公務も皇太子単独で務めることが多くなり、
雅子さまは何かと「欠席」されることが多く、それがまた逐一詳しく報道される。
「ある筋からの力」とは宮内庁からのものだ。宮内庁官僚は、皇太子ご一家のネガティブな報道が
日常的に流される現状が、将来の皇室のあり方に与える影響を想定した上で成り行きに任せているのではないか。
過去にも大正天皇の「遠眼鏡事件」があり、その後、陛下のご病気はかなり進行しているとの世論が形成されていった。
同時に、若くして大正天皇の摂政に就く裕仁親王(昭和天皇)の売り出しキャンペーンがマスコミを総動員して始まった。
重要なのは、宮内庁官僚は天皇陛下に対してさえ、世論を創り出し、コントロールするという事実。
悠仁さまが誕生されてから、雅子さま愛子さま報道は激しさを増していき、08年の文藝春秋8月号では、
「皇太子、雅子妃への手紙―」を特集したが、雅子さま批判のオンパレードとなった。
それに対して、悠仁さまに対する宮内庁の「報道規制」は厳しい。
08年2月に宮内庁が宮内記者会に配布した「申し合わせ概要・申し合わせ内容」には、
「宮内庁は原則として、以下の機会(新年・初春・初夏・夏)に悠仁親王殿下もお入りに
なった秋篠宮ご家族のお写真及び映像又はそれらを撮影及びペン取材する機会を報道機関に提供する」とあり、
「上記に反する行為を行った報道機関に対しては、宮内庁は当分の間便宜提供を行わない」との罰則規定もある。
雅子さま愛子さま報道に対する態度との差は歴然としている。

・ジャーナリズム崩壊 上杉隆著
悠仁殿下の怪我は宮内庁の指示で全社報道自粛していた。
悠仁殿下の映像や写真は、新年 初春ごろ 初夏ごろ 夏又は誕生日(両方は無しどちらか)、
秋篠宮殿下の誕生日の5回のみの提供と宮内庁から御達しがあった。
各報道機関は上記の場合以外秋篠宮家のお子様方の取材・放映・報道は自粛する」と宮内庁からの申し合わせ。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

記者会見について
皇后陛下お誕生日に際し(平成9年)(文書回答)
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h09sk.html

5 記者会見について
問10  宮内記者会は,毎年お誕生日に皇后様の記者会見を要望していますが,
宮内庁は,外国御訪問前に会見を実施していることなどを理由に実現していません。
皇后様は,記者会見の意義などをどうお考えになりますか。
また,皇后様が望ましいと考える会見のあり方もお聞かせください。

皇后陛下
記者会見は,正直に申し,私には時として大層難しく思われることがあります。
一つには自分の中にある考えが,なかなか言語化出来ないと云うことで,それはもしかすると,
質問に対する私の考えそのものが,自分の中で十分に熟し切っておらず,
ぼんやりとした形でしかないためであるからかもしれません。
尋ねられることによって,始めて自分の考えが分かったと云うことが,
今までにも何回かあり,私にとっての記者会見の意義は,
自分の考え方をお伝えすると云うことと共に,言語化する必要にせまられることで,
自分が自分の考えを改めて確認できるということであるかもしれません。
会見の望ましい形については,まだ考えがまとまりませんが,
答の一部分だけが報道され全体の意図が変わってしまった時や,
どのような質問に対する答かが示されず,答の内容が唐突なものに受け取られる時は悲しい気持ちがいたします。

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皇太子さま誕生日会見で
1989年9月22日朝日新聞
礼宮さま(当時)と川嶋紀子さんの婚約について
礼宮さまの婚約が先になったことについて皇太子さまは
「焦りは全くない、正式決定は皇太子自身が強くすすめた」と語る。
この時点での皇太子自身の結婚については「はずみで言ったのが一人歩きした」と述べ、
煮詰まっていないことを匂わせている。
(はずみで言った内容は、この1988年2月の記者会見の「富士登山にたとえると7合目、8合目」)
川嶋紀子さんの印象は?の質問に対する回答 
「私の口から言うのはヤボでございまして」
会見の最後に「私から逆に質問があります」と前置きし、
一部の週刊誌で報道された礼宮さまの「皇籍離脱発言」について
「そういうことは家族は一度も聞いていない。根拠は何なのか。 こういう報道は困ることだ」と、柔らかい口調で抗議。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

敬称について 三笠宮寛仁親王殿下
(※平成14年)
総裁コラム  三笠宮寛仁
 ―矛盾―
昨年の12月20日、長女の彬子が、20歳の誕生日を迎えました。
随分以前から、宮内記者会が、宮務課( 宮内庁の各宮家担当課)を通じて依頼していたので、
「女王殿下の成人式に伴う記者会見」を、前日の午後、公邸に於て実施しました。
メディアで御覧になった会員もいらっしゃる事と思います。
会見には私は同席しませんでしたが、記録用のテープ起こし原稿の校正をしたので、
内容はすべて承知していますし、終了後開催した茶会で、数多くの、「ブン屋さん」達が、
「素晴らしい会見でした」「彬子様のファンになってしまいました」
「どの様な躾をなさると、あの様に素敵なお嬢様に成長されるのでしょうか?」等々、
大変高い評価を得たので、企画者としてはとても満足でした。
が、しかし、翌日の各社の誌面を見て、怒り心頭に発しました。
毎日新聞を除いて、天下の産経も含めて全紙が、
「三笠宮寛仁さまの長女彬子さまが成人式を迎え……」とやったからです。
「戦後初の、『女王殿下の成人式』であるので会見をして欲しい、取材がしたい…… 」が、
記者会の総意だったにも拘わらず、皇室典範の条文に規定されている処の、
「女王」「殿下」といった、「身位」と、「敬称」を抜かして、「さま」と書き、
一般国民と同じ扱いをしたわけですから、
何の為の、女王殿下の記者会見」であったのか、皆目分からなくなりました。
だいたい、私は、「三笠宮」(父の宮号)では無く、「寛仁親王」であり、
彬子は、「身位」が、「女王」で、敬称は、「殿下」でなければなりません。
従って正しくは、「寛仁親王殿下の第一女子彬子女王殿下には……」となるべきでした。
きちんと書く気が無い、つまり皇族としての記事を作らないのなら、
何も記者会見を要望する必要はありませんし、
天皇制に反対で、皇族を認めたくないのならば、いい機会ですから、「皇室反対論」を載せるべきでした。
公共の報道機関たるメディアが、こういう、「矛盾」を平気で押し通す事に対し、
我々は常にチェックしなければならないという、最も分かり易い証例になってしまいました。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

両陛下への敬語不使用に疑問、違和感
産経新聞2006年6月8日
両陛下への敬語不使用に疑問、違和感 小坂文科相、安倍官房長官が表明
小坂憲次文部科学相は8日午前の衆院教育基本法特別委員会で、
天皇、皇后陛下に対する一部新聞報道に敬語が使われていないことについて、
「新聞だから、字数が限られているから、では済まされない。敬語を使う方がどういう方なのかを学び、
また親しみを持つ言葉と混ぜて伝えることが必要だ」と述べ、報道のあり方を批判した。
これに関連し、安倍晋三官房長官は「天皇陛下に対する敬語の使い方については、
報道各社で検討した結果だと思う。政府はとやかく言うべきではない」と指摘。
そのうえで、個人的感想として
「ここで使わなければ誰に使うのか。天皇陛下が強制することを望んでいるとはまったく思わないが、
こうした記述ぶりには政治家個人として、国民の1人として違和感を覚える」と述べた。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

叱責の事実はなかった
美智子妃が皇太子妃時代、御所に呼ばれて天皇陛下から叱責されたという事実はない。
皇太子殿下皇太子妃殿下 ご結婚二十年より(1979年)※現両陛下

当時東宮大夫の鈴木菊男氏
「もう十数年前のことになろうか・・・噂が流され、その後何年にもわたりいくつかの紙面に取り上げられたことに関し一言したい。
事実のないこの記事は、他の事とは違い陛下の御名を引き合いにだしてあったため、
妃殿下には十余年ものあいだ随分お哀しい思いをなさらねばならなかった。
私の退任後もこの記事がひきあいにだされ、それがこのたび陛下(昭和天皇)の御目にとまったのであろう。
後日、侍従職を通じ、『このようなことは、事実がないばかりでなく、心に思ったことさえなかった』と
深いおいたわりに満ちたお言伝てが東宮職に届けられたと聞く」

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柳行李云々は間違い
(平成13年天皇陛下お誕生日に際し)
【天皇陛下】 
「…また,プライバシーに関する誤った報道は,これを正すことは非常に難しく,
時には,長期間にわたって誤った報道が社会に流れていくことになります。
おかしな例ですが,私が「柳行李一つで」と皇后に結婚を申し込んだと今も言われていますが,
このようなことは私は一言も口にしませんでした。」
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h13e.html

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親王妃の「妃」を「きさき」と呼称することについて
先の崇仁親王殿下の薨去に際しての一部の報道において,
崇仁親王妃百合子殿下を「きさきの百合子様」と呼称する部分がありましたが,
この呼称は下記のとおり誤りでありますので,注意喚起するとともにその点をお伝えします。

1.皇室典範における妃
明治の皇室典範において,皇族の配偶者を妃と規定されました。
すなわち,皇太子妃・皇太孫妃・親王妃・王妃がそれであります。
これは,現行の皇室典範にも継承されておりますが,
ここでの「妃」の呼び方は,いずれも「ひ」であり,「きさき」とは呼ばれておりません。

2.歌会始めにおける妃
現在,歌会始の儀においては,皇后陛下のことを「きさいのみや」とお呼びしています。
しかし,皇太子妃は「ひつぎのみこのみめ」,
親王妃は「○○のみこのみめ」とお呼びするように皇太子殿下を始め皇族の妃を
「きさき」もしくは「きさい」と称することは行われておりません。

3.結論
宮内庁において,皇族の配偶者はいずれも「妃(ひ)」と呼んでおり,「きさき」とは呼んでおりません。

(注)
広辞苑においては,「きさき(后)」を「天皇の正妻。皇后。中宮。」,「ひ(妃)」を「皇族の妻の称。」とされています。

http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/taio/taio-h28-1121.html


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礼宮様の作文

初等科卒業時

「バフロンズの開発」
世界の肉不足は、最近の大きなニュースの一つです。 安くて大量の肉を得るためには、
牛や豚ばかりに頼ってはいられません。狭い国土のわが国では、成長期間が長く、
生まれる数の少ない牛などより、鶏肉をもっと利用する必要があります。
そこで私は、太って肉が多いといわれる中国産のバフコーチンとブロンズ種の七面鳥とから、
新しい肉用鳥の開発に取り組みました。
研究期間五ヶ年、やっと新しい品種『バフロンズ』が誕生しました。
体重二十キロ、体高六十センチ、卵も年百個は生みます。体重はコーチンの四倍もあり、
肉質も良く味も良いのです。今では日本ばかりではなく、世界各国で飼われ、
肉用種としてばかりでなく、おとなしく、人になれ易い性質のため、
子供たちにも人気があります。
今日も研究室の庭では、子供たちがバフロンズと楽しく遊んでいます。


中等科
「卒業前の自分」文仁親王
 私はペンギンの形をした貯金箱である。
私が禮宮文仁親王という長いようで短い名を持った十五歳の子供に
会ったのは 、約一年前である。以来、私は彼の机の隅に存在している。
私はこれから帰宅後の彼の様を書いてみることにする。
実は彼が私に卒業文集用にと依頼したのである。
彼は、普通四時頃に学校から戻って来る。彼は暫しだらだら時を過し、
見ている私がいらいらしてくる頃やっと勉強を始める。
その勉強なるものが少々だらしない。カセットを聴きながらするのである。
やがて彼は部屋の隅に山積みにされているカメラのカタログを見始める。
買うつもりなのか、見て喜んでいるだけなのか。よく分からない。
夜は夜で人に会ったり、一人物静かに「rock and roll」などという
騒々しいものを聴いたりしてだらだら時を過す。そして十一時頃寝室の方へ姿を消す。
 以上が私の見た彼の一日である。十五歳とはこのような時期なのか?
 一つお断りするならば、ここに書かれた事はフィクションであり、
私のような几帳面な人間にとっては日常ありうべからずであります。




秋篠宮文仁親王殿下のご研究

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