東条英機元首相 遺書

東条英機元首相 遺書
昭和23年12月22日夜 東京巣鴨 にての遺書(部分)
(中央公論新社 秘録 東京裁判より)

開戦の時のことを思い起こすと実に断腸の思いがある。
今回の処刑は個人的には慰めるところがあるが、国内的の自分の責任は、死を持って償えるものではない。
しかし国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。力の前に屈した。
自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。
ただ、同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、実に残念である。
天皇陛下および国民に対して深くお詫びする。
東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。
東亜民族もまた他の民族と同様の権利をもつべきであって、
その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。
インドの判事には尊敬の念を禁じえない。これをもって東亜民族の誇りと感じた。
現在の日本を事実上統治する米国人に一言する。
どうか日本人の米国に対する心持を離れざるように願いたい。
また、日本人が赤化しないように頼む。
米国の指導者は大きな失敗を犯した。日本という赤化の防壁を破壊した。
いまや満州は赤化の根拠地である。朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。
米英はこれを救済する責任を負っている。
日本は米国の指導にもとづき武力を放棄した。一応は賢明である。
しかし、世界が全面的に武装放棄していないのに、一方的に武装をやめることは、
泥棒がまだいるのに警察をやめるようなものである。
戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出があらば、これを靖国神社に合祀せられたし。
出征地にある戦死者の墓には、保護を与えられたし。
遺族の申し出あらば、これを 内地に返還せられたし。

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皇太子の怒り

いさかいが天皇誕生日に暗雲を広げる  2009年1月5日 ロイター通信 
(Spats cast pall over Japan imperial anniversary)
http://uk.reuters.com/article/worldNews/idUKTRE50411420090105?pageNumber=2&virtualBrandChannel=0

SUCCESSION QUESTION POSTPONED
(先延ばしにされた継承問題)
小さい皇室内では、男子の皇位継承者が先細りになる懸念があるが、
2年前の徳仁親王の弟である秋篠宮の妻による悠仁親王の誕生でそのジレンマはとりあえず解決した。
皇室内に亀裂が生じた原因は、恐らく皇太子の怒りにあるだろうと言われている。
皇太子の怒り。
それは、彼の唯一の子である愛子内親王に皇位を継承するべく法律改正を図ろうと
まさに動き出していたところで、秋篠宮紀子妃殿下の御懐妊によって、(計画途中で)
あきらめることとなってしまったことへの怒りである。
「皇太子は完全にキレてしまったんですよ」と語るのは、
Portland State University の教授を務め、
"The People's Emperor: Democracy and the Japanese Monarchy 1945-1995."という
本も書いているKenneth Ruoffだ。
「東宮夫妻が皇位継承者を育てる余地は、もはや完全になくなったのです(から)」。
タブロイド紙ははでに書き立てているけど、一般紙は皇室のゴシップは避けている。
「皇族は戦後、理想的な家族としてのイメージを楽しんできました」と、Ruoffは言いました。
「現在、彼らは明らかに理想的な家族ではありません」
「彼らは、言い争いなどを持っている家族です」と、彼は付け足しました。
日本人はそのことに親近感を感じるかもしれませんが、皇室の権威への無礼であるとみなすかもしれません。


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皇室典範

第1章 皇位継承

第1条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。

第2条 皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。
1.皇長子
2.皇長孫
3.その他の皇長子の子孫
4.皇次子及びその子孫
5.その他の皇子孫
6.皇兄弟及びその子孫
7.皇伯叔父及びその子孫
2 前項各号の皇族がないときは、皇位は、それ以上で、最近親の系統の皇族に、これを伝える。
3 前2項の場合においては、長系を先にし、同等内では、長を先にする。 

第3条 皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、
皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる。 

第4条 天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。

第2章 皇 族

第5条 皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃及び女王を皇族とする。 

第6条 嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫は、男を親王、女を内親王とし、
三世以下の嫡男系嫡出の子孫は、男を王、女を女王とする。 

第7条 王が皇位を継承したときは、その兄弟姉妹たる王及び女王は、
特にこれを親王及び内親王とする。 

第8条 皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫という。 

第9条 天皇及び皇族は、養子をすることができない。 

第10条 立后及び皇族男子の婚姻は、皇室会議の議を経ることを要する。 

第11条 年齢15年以上の内親王、王及び女王は、その意思に基き、皇室会議の議により、
皇族の身分を離れる。2 親王(皇太子及び皇太孫を除く。)、内親王、王及び女王は、
前項の場合の外、やむを得ない特別の事由があるときは、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。 

第12条 皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる。 

第13条 皇族の身分を離れる親王又は王の妃並びに直系卑属及びその妃は、
他の皇族と婚姻した女子及びその直系卑属を除き、同時に皇族の身分を離れる。
但し、直系卑属及びその妃については、皇室会議の議により、
皇族の身分を離れないものとすることができる。 

第14条 皇族以外の女子で親王妃又は王妃となつた者が、その夫を失つたときは、
その意思により、皇族の身分を離れることができる。
2 前項の者が、その夫を失つたときは、同項による場合の外、
やむを得ない特別の事由があるときは、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。
3 第1項の者は、離婚したときは、皇族の身分を離れる。
4 第1項及び前項の規定は、前条の他の皇族と婚姻した女子に、これを準用する。 

第15条 皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、
皇族となることがない。

第3章 摂 政

第16条 天皇が成年に達しないときは、摂政を置く。
2 天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、
国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く。 

第17条 摂政は、左の順序により、成年に達した皇族が、これに就任する。
1.皇太子又は皇太孫
2.親王及び王
3.皇后
4.皇太后
5.太皇太后
6.内親王及び女王2 前項第2号の場合においては、皇位継承の順序に従い、
同項第6号の場合においては、皇位継承の順序に準ずる。 

第18条 摂政又は摂政となる順位にあたる者に、精神若しくは身体の重患があり、
又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、
摂政又は摂政となる順序を変えることができる。 

第19条 摂政となる順位にあたる者が、成年に達しないため、
又は前条の故障があるために、他の皇族が、摂政となつたときは、
先順位にあたつていた皇族が、成年に達し、又は故障がなくなつたときでも、
皇太子又は皇太孫に対する場合を除いては、摂政の任を譲ることがない。 

第20条 第16条第2項の故障がなくなつたときは、皇室会議の議により、摂政を廃する。 

第21条 摂政は、その在任中、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない。


第4章 成年、敬称、即位の礼、大喪の礼、皇統譜及び陵墓

第22条 天皇、皇太子及び皇太孫の成年は、18年とする。 

第23条 天皇、皇后、太皇太后及び皇太后の敬称は、陛下とする。
2 前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする。 

第24条 皇位の継承があつたときは、即位の礼を行う。 

第25条 天皇が崩じたときは、大喪の礼を行う。 

第26条 天皇及び皇族の身分に関する事項は、これを皇統譜に登録する。皇統譜令 

第27条 天皇、皇后、太皇太后及び皇太后を葬る所を陵、その他の皇族を葬る所を墓とし、
陵および墓に関する事項は、これを陵籍及び墓籍に登録する。


第5章 皇室会議

第28条 皇室会議は、議員10人でこれを組織する。
2 議員は、皇族2人、衆議院及び参議院の議長及び副議長、内閣総理大臣、
宮内庁の長並びに最高裁判所の長たる裁判官及びその他の裁判官一人を以て、これに充てる。
3 議員となる皇族及び最高裁判所の長たる裁判官以外の裁判官は、
各〃成年に達した皇族又は最高裁判所の長たる裁判官以外の裁判官の互選による。 

第29条 内閣総理大臣たる議員は、皇室会議の議長となる。 

第30条 皇室会議に、予備議員10人を置く。
2 皇族及び最高裁判所の裁判官たる議員の予備議員については、第28条第3項の規定を準用する。
3 衆議院及び参議院の議長及び副議長たる議員の予備議員は、各〃衆議院及び参議院の議員の互選による。
4 前2項の予備議員の員数は、各〃その議員の員数と同数とし、その職務を行う順序は、
互選の際、これを定める。
5 内閣総理大臣たる議員の予備議員は、内閣法の規定により
臨時に内閣総理大臣の職務を行う者として指定された国務大臣を以て、これに充てる。
6 宮内庁の長たる議員の予備議員は、内閣総理大臣の指定する宮内庁の官吏を以て、これに充てる。
7 議員に事故のあるとき、又は議員が欠けたときは、その予備議員が、その職務を行う。 

第31条 第28条及び前条において、衆議院の議長、副議長又は議員とあるのは、
衆議院が解散されたときは、後任者の定まるまでは、各〃解散の際衆議院の議長、
副議長又は議員であつた者とする。 

第32条 皇族及び最高裁判所の長たる裁判官以外の裁判官たる議員及び予備議員の任期は、
4年とする。 

第33条 皇室会議は、議長が、これを招集する。
2 皇室会議は、第3条、第16条第2項、第18条及び第20条の場合には、
4人以上の議員の要求があるときは、これを招集することを要する。 

第34条 皇室会議は、6人以上の議員の出席がなければ、議事を開き議決することができない。 

第35条 皇室会議の議事は、第3条、第16条第2項、第18条及び第20条の場合には、
出席した議員の3分の2以上の多数でこれを決し、その他の場合には、過半数でこれを決する。
2 前項後段の場合において、可否同数のときは、議長の決するところによる。 

第36条 議員は、自分の利害に特別の関係のある議事には、参与することができない。 

第37条 皇室会議は、この法律及び他の法律に基く権限のみを行う。




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妃殿下・内親王殿下の作文

紀宮内親王殿下中等科時代の詩
「母の日に」
母の日に夕焼けの絵を描いた
夕焼けはどこか母に似ているから
夕焼けの絵を描いた
ただそれだけの絵なのに
母は大事にたなの上にかざってくれた
夕焼けのよく見える
窓の近くにかざってくれた

紀宮内親王殿下 初等科卒業作文
盲導犬指導員 中組 清子内親王
「オーケイ。ストレイト、ゴー。グーッド、グーッド。」
朝の冷たい空気の中、私はアドニスと共に路上に立った。
アドニスは、足元やまわりを見ながら、注意深く私を導いてくれる。
しばらくすると、一つの建物が見え、私たちはその中に入った。
とびらの中には、『東京盲導犬協会』と書いてある。
私は今見習いの指導員で、盲導犬に仕立て中のアドニスと練習をしているのだ。
夕方になると、協会の食堂に集まり話し合いをする。
協会の理事長、塩屋賢一先生に、「君なかなか板についているよ」と言われて、
思わずいすの下にいるアドニスに、「アドニス、がんばろうね」と言ってしまった。
一人前になるために、あと一年かかる。
そう思いながら、アドニスをなで、希望に燃える私であった。
初等科卒業文集『紀桜集』より


秋篠宮眞子内親王殿下 2004年初等科卒業作文
五年生の春休みに、家族と一緒に奈良県と京都府を訪れました。正倉院で長く受け継がれてきた宝物、
唐招提寺で東山魁夷画伯が鑑真和上の旅を想いながら描いた障壁画、
そして京都御所で中国の故事を題材としたものや花鳥風月の襖絵などを鑑賞したことは、
私にとって良い思い出になりました。
また、奈良鳥類研究所では上村淳之先生からいろいろな鳥についての楽しい説明を受けました。
先生は鳥を描くためにはその生態をよく知り、自分の心の中で鳥の様子を想像できるように
することが大事であるとお話しくださいました。
日本画を見ていると、描かれた時代の歴史、自然や生活などを知ることができ、
たいへん興味深く思います。
また、私たちが目にする多くの美しい古典絵画は、適切な修復を繰り返して
今日に伝えられていると聞いています。
現在の日本画の修復は、オリジナルの部分を尊重して、修復の計画と結果の予測を立てて、
伝統的な技術と最新の科学技術を使って進めるようです。貴重な美術品を大切に保存して、
修復することは、非常に大切なことではないでしょうか。
このように、私は日本画の制作、保存や修復の仕事、そして広く美術の研究にも関心を持っています。
そしていつか、今にも飛び立ちそうな鳥の絵を描きたいと思います。


秋篠宮佳子内親王殿下 2007年初等科卒業作文
これからも続けたいこと 
私の将来の夢は、まだ具体的に決まっていません。
しかし、これからも続けていきたいと考えていることのひとつに
小学二年生の時に始めたフィギュアスケートがあります。
フィギュアスケートを習い初めたころは、氷がつるつるして滑ったり転んだりして
難しいと感じましたが、練習を続けるうつに少しずつスピードを出したり、
片足で長く滑ることができるようになって楽しくなりました。段々滑ることに慣れてくると、
ジャンプやスピン、そしてステップなどを習うようになりました。
今は、音楽に合わせてきれいに滑っていけるように先生が丁寧に教えてくださいます。
上手にできないこともありますが、繰り返し練習をしてできるようになると大変うれしいです。
私が通っているスケート場は、スケートのインストラクター、リンクを管理する人、
怪我をしたときの救護員などたくさんの人が働いています。
多くの人たちに支えられてスケートができることに感謝の気持ちを忘れずに滑られるよう、
心がけていきたいと思います。そしてこれからも、スケートの練習をしながら、
他にも関心を持っているいろいろな事ができるように努力していきたいと思います。

二十歳の私へ
お元気ですか。
今、十二歳の私は中学校への進学を前にして、残り少ない初等科生活を勉強したり、
友達と遊んだりしています。また、家では優しい家族に囲まれて楽しく過ごしています。
そして、関心を持っているいろいろなことの中から今は、放課後や休みの日に
フィギュアスケートの練習を一所懸命にしています。上手に滑れないときもありますが、
練習を積み重ねると、今までできなかったジャンプやスピンができるようになり、
少しずつ上達していくのがわかってとてもうれしいです。
スケートを通して、目標にむけて頑張って練習をしたり、
大変なことがあっても努力を続けることの大切さを学んだりするなど、よい経験ができました。
八年がたち、二十歳になった私は、何をしているでしょうか。
この八年の間にも、色々なことに出会い、興味を持ったと思います。スケートは、まだ続けていますか。
二十歳のときに経験していることも、その後の将来の自分につながると思います。
大変だったり、難しかったりすることがあっても、十二歳のときに楽しみながら
スケートの練習を続けたことを思い出し、現在していることを大切にしながら充実した日々を過ごしてください。


秋篠宮佳子内親王殿下 2012年学習院八重桜祭3年中組の「クラス企画」での作文
テーマ:「言葉の伝達能力」
私は、言語は「伝達の可能性」をもつにとどまると考える。
まず、言語は私達の生活にかかすことができず、通じている前提で社会が成り立っている。
例えば、日本では駅の案内や標識は日本語で書かれており、他の言語を用いる人には理解できない。
また、国や地域の文化をふまえてもいる。肉食文化のアメリカでは、同じ牛肉でも複数の言い方があり、
魚食文化の日本では、「出世魚」という成長によって呼び方の変化する魚が存在する。
このように、言語は文化とともに、より良く伝達するために発達してきたと言える。
一方で、自分の国の言語であっても思うように伝わらないという経験はないだろうか。
次のような話を聞いたことがある。
「熊が人間をなでたつもりでも、人間はなぐられたと感じるかもしれないし、死んでしまうかもしれない。」
これは、熊が人間を殺したことになる。言語も同じだろう。
優しさのつもりでかけた言葉も、相手が傷ついたと感じれば、結果的に傷つけたことになる。
このような危険性を言語は持っている。最近よく耳にするいじめの問題においても、
いじめる側といじめられる側の言葉の捉え方の違いや、一つ一つの言葉に対する重みが違うために、
深刻な問題となっている。このように、人間同士の会話であっても、
言語を持たない熊と、言語を持つ人間の会話と同じくらい正確に伝達されない可能性が高い。
ゆえに、言語は、本当に伝えたい気持ちや意味が正しく伝わるとは限らない。
そのため、言語は「伝達の可能性」を持つにとどまることを理解し、責任を持って使用する必要がある。



小和田雅子さん 小学校卒業文集
「クラブ」小和田雅子
略)
私たちは「コジュウケイ」のはくせいをつくることにしました。
その鳥は学校の窓ガラスにぶつかって死んだのだと先生はおっしゃいました。
肛門からはさみをいれておなかの皮をさきます。その後肉を切らないようにして
中の肉を取り出します。
そのためには、足とつばさを適当なところから切らなければなりません。
足はうまくいきました。(中略)
残るは翼一個となりました。そこは先生がなさいました。ところが何という失敗!
先生がつばさを切り落としてしまったのです!
あと、頭のところの肉を取れば肉が取れたのに。
そして、かわかしたあと、中身を入れてはくせいができたのに・・・・・ とても残念!


川嶋紀子さん 小学校卒業時
初等科の思い出 オーストリー在 川嶋紀子
四年生で入学してから、五年生の二学期に特別休学するまでの短い間でしたが、
私の初等科生活にはいろいろと楽しい想い出があります。
なかでも五年生の春に三クラスそろって八幡平へ旅行した時に、 経験したおもちつきは
特に印象深く心に残っています。
私達が八幡平に訪ねている間ずっとよいお天気にめぐまれ、翌日は松尾校舎にさよならを
しなければならない三日目の日も、青い空は、大きく広がっていました。
この日の午後、先生も生徒も 全員でおもちつきをしました。校庭にうすをすえ、
中に白いゆげがぼうぼうとでるふかしたばかりのもちごめが入れられました。
うすのとなりには水の入ったおけがおかれました。まず、東組のお友達がうすの回りを
囲み、いい音でつきはじめました。自分達の部屋で西組の番がくるのを待つ間、
私はペッタン、ペッタンと おもちのつかれる音を、空を見上げながら聞きました。
小さな音でも大きい音でも力のこもっている感じがしました。長い間ようやく待って、
西組の女子の番がきました。名ぼ順にならびおもちをつき、私の番がとうとうきてしまいました。
うすの所まで行くとお手伝いをして下さるおば様が、タライの水を手の上にのせ
うすの中のおもちにつけて下さいました。きねを持ち上げると思ったより重く、
前についていた友達が軽そうに持ち上げていたきねとちがう気がしました。
私は四回うちましたが、うつたびにきねがいきおいよくはね返ってくるような気がしました。
やわらかいにおいもプーンと感じました。
夕食後のデザートはおもちでした。あんこや大根おろしをつけていただきました。
みんなで力を合わせた味がしみこんでおり、口の中がホカホカでした。
私にとっては生まれて初めてのおもちつきで、 それまでいただいた中で最高のおもちでした。


川嶋紀子さん 小学校3年生の時の作文
私の弟 私には弟が、います。舟と書いて、しゅうと読みます。舟ちゃんはかわいい時と、
悪い時があります。かわいい時は、かわいくわらったり、私のドレスを着る時です。
お母様が、私のかみのけをとかして下さっているとき、舟ちゃんは、かみをとかしてるのを見て、
お母様に「かみとかして。」といいます。私がそれを見ると、弟は、なんとなく女の子みたいに、
見えます。悪いときは、かみのけを引っぱったり、だいじな物をさわったり、する時です。(中略)
舟ちゃんはこのごろ、いろいろなことをいいはじめました。たとえば、「タツ」、「キコ」、
「カアカア」などいいます。「タツ」というのは、お父様の名前が、たつひこで、
お父様が、ぼくのことを「タツ」といいなさいと、教えたので、それから「タツ」というように
なったのです。「キコ」というのは、私の名前です。だから、そのまま、「キコ」というようになったのです。
「カアカア」というのは、カラスが、「カアカア」と鳴くからおぼえたのです。
いつもいたずらをして、私をこまらせる舟ちゃんですが、ほんとうは、私の心の中には、
舟ちゃんのことをだいすきという心があるのです


小和田雅子さん 編入した新宿区立富久小学校2年3組の時の作文
雪がっせん
きのう、学校のおく上で、雪がっせんをしました。
わたしは、中川さんと、大きい玉を作っていました。そうしたら中川さんが
「男の子たちに、これ、あてちゃおうか。」といったので、わたしは「そうしよう。」と
いいました。その玉は、長まるで、たては五十センチくらいで、よこは二十センチくらいでした。
わたしたちは、ほっ田くんにあてたのでほっ田くんは びちょぬれになってしまいました。
わたしはしかいしがくるかなあと思いましたが、きませんでした。だから、ほっとしました。

小和田雅子さん 5年生 詩
「一日」
カゲロウにとって
一日は一生だ。
なんて短かい一生だろう。
めすは
そんなに短かい時間に
たまごをうむのか。
たまごをうみおえて死んでいく「カゲロウ」
そんな短かい一生を
大切使ってほしい。



照宮成子内親王殿下(昭和天皇の第一皇女)の文章 
酒井美意子氏著 ある華族の昭和史より
私はどういうめぐり合わせか高貴な家に生まれた。私は絶えず世間の注視の中にある。
いつどこにおいてもわたしは優れていなければならない。私は皇室を背負っている。
私の言動は直ちに皇室にひびいてくる。 どうして安閑としていられよう。
高い木には風が当たり易い。
それなのに高きにありながら多くの弱点をもつ自分をみるときこの地位にいる資格があるか
どうか恐ろしくなる。自分の能力は誰よりも自分で一番よくわかっている。
ともかく私は自分で自分を育て築きあげていかなければならない。
この炭鉱の奥深くで、来る日も来る日も働き続け世間から忘れ去られそして人知れず
死に行く運命をもった人々の前に立った時、護衛の警官やおおぜいのお伴をひきつれている
自分の姿にいたたまれぬ申し訳なさを感じた。

敬宮愛子内親王殿下 詩
「本当の喜び」 敬宮愛子
おおなわをした
でもうまく飛べない
みんなはできているのに
私だけできない
すごく心細かった
みんなに申し訳ないような気がする
次の日もおおなわをした
最初はできなかった
でもこつをつかんだのかとべた
とべた!
これが本当の喜びの気がした
達成感があった
明日も
これからも
この喜びを絶対に
忘れたくないな
(初等科文集「小ざくら」より女性自身2012年4月10日号掲載)

敬宮愛子内親王殿下
犬や猫と暮らす楽しみ
私は、飼っている犬や猫と過ごす時が、一日の中で心が和む楽しい時間です。
犬や猫は人間と同じように、一頭一頭顔も性格も違います。
この違いが犬や猫などの動物の魅力でもあり、一緒にいる事の楽しみでもあります。
今、私の家には犬が一頭と猫が一頭います。犬の由利は、私が二年生の春に保護され、
生後二ヶ月半位で私の家に来ました。
来て数日で家にも慣れ、元気良く走り回っていた事を覚えています。
成犬になった今も子犬の時と同じように、家族が帰ってくると、
しっぽを振りながらおもちゃをくわえて走り回り、喜びを表現しようとしています。
猫達は、私が三年生の春に、家の庭で生まれた子猫とその母猫です。元は野良猫だったので、
なれるのに時間はかかりましたが、今ではすっかり慣れ、甘えて鳴いたり、
なでると目を細めてゴロゴロ言ったりしています。
犬も猫もほめながら教えると良く躾ができます。特に由利は、出された指示に従う時には、
得意そうに目を輝かせてこちらを見て、とても可愛いです。
猫のミーも「おすわり」や「お手」ができます。私はこんな由利や猫達が大好きです。
そして、由利や猫達がいるおかげで、家族の中の楽しい会話がいっそう増えるように感じます。

敬宮愛子内親王殿下 卒業記念文集
大きな力を与えてくれた沼津の海 敬宮愛子
不安な気持ちを抱きつつも、きっと楽しい思い出が作れると言われて出かけた沼津でしたが、
初日から練習は厳しく、海に入りたくないと思う時も少なくありませんでした。
ただ楽しかったのは、友達との生活と食事、お風呂でした。
しかし、足の着かない海で泳いで、初めて気持ち良いと感じる日が来ました。
三日目に行ったプレ距離泳の時でした。プレの日は、波もなく、
太陽が照りつける中での距離泳となりました。海に入るまでは、五百メートルも泳げる訳がないと
諦めていましたが、泳いでいるうちに、体の力が抜け、楽しく泳げるようになりました。
五百メートルを泳ぎ切ると、海が好きになり、海に入るのが楽しみになっていました。
迎えた本番の五日目は、潮の流れが少しあり、泳ぎにくいと感じましたが、
前日に一キロ泳や二キロ泳を終えた人たちの「頑張れー」という応援の声が聞こえる度に、
不思議と力が湧いてきました。無事に泳ぎ切り、みんなと喜びながら頂いた氷砂糖の甘い味は格別でした。
沼津での生活は、私に諦めないことの大切さを教えてくれ、大きな自信を与えてくれました。
沼津の海は、私にとって忘れられない記念の海。六年間の中で、私がいちばん成長できたと感じられる
素晴らしい思い出になっています。
卒業記念文集「桜愛集」より
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140318/imp14031812400003-n1.htm


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